エズラ記9章

  エズラ記9章から学びます。

 Ⅰ.イスラエルの民の罪(1-4)

まず、1~4節をご覧ください。「 9:1 これらのことが終わって後、つかさたちが私のところに近づいて来て次のように言った。「イスラエルの民や、祭司や、レビ人は、カナン人、ヘテ人、ペリジ人、エブス人、アモン人、モアブ人、エジプト人、エモリ人などの、忌みきらうべき国々の民と縁を絶つことなく、 9:2 かえって、彼らも、その息子たちも、これらの国々の娘をめとり、聖なる種族がこれらの国々の民と混じり合ってしまいました。しかも、つかさたち、代表者たちがこの不信の罪の張本人なのです。」 9:3 私はこのことを聞いて、着物と上着を裂き、髪の毛とひげを引き抜き、色を失ってすわってしまった。 9:4 捕囚から帰って来た人々の不信の罪のことで、イスラエルの神のことばを恐れている者はみな、私のところに集まって来た。私は夕方のささげ物の時刻まで、色を失ってじっとすわっていた。」

1節の「これらのことが終わった後」とは、エズラ一行が無事にエルサレムに到着し、主への全焼のいけにえを献げ、アルタクセルクセス王から預かった命令書を、王の太守たちとユーフラテス川西方の総督たちに渡した後のことです。これらのことが終わった後、イスラエルの指導者たちがエズラのもとに近づいてきて、イスラエルに蔓延している罪について告げました。彼らはゼルバベルとともに帰還していた人たちです。そこで指導者としての地位を確立していたのでしょう。彼らはエズラがエルサレムにやって来たことを知り、イスラエルの中で行なわれている罪について告げたのです。エズラが律法の専門家であり霊的指導者であったことから、エズラに告げれば何らかの解決が得られるのではないかと期待したのだと思います。

その罪とはどんなことかというと、異教徒との結婚に関することでした。イスラエルの民、祭司、レビ人が、カナン人、ヒッタイト人、ペリジ人、エブス人、アンモン人、モアブ人、エジプト人、アモリ人といった異国の忌み嫌うべき習慣と縁を絶つことなく、かえって、彼らも息子たちも、これらの国々の娘を妻とし、聖なる種族がもろもろの地の民と混じり合っていたのです。モーセの律法には、雑婚が禁じられていました(出エジプト34:11~16、申7:1~4)。なぜなら、異教徒との結婚が、偶像をもたらすことになるからです。その最大の失敗例がソロモンです。1列王記11:3~5にはこうあります。

「11:3 彼には七百人の王妃としての妻と、三百人のそばめがあった。その妻たちが彼の心を転じた。11:4 ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、【主】と全く一つにはなっていなかった。 11:5 ソロモンはシドン人の神アシュタロテと、アモン人のあの忌むべきミルコムに従った。」

ソロモンは多くの妻やそばめを持つことで、ほかの神々に心を向けてしまいました。彼はシドン人の神アシュタロテと、アモン人のあの忌むべきミルコムに従ったのです。イスラエルの民は聖なる民です。そうした異教徒から分離して生きることが求められていましたが、彼らはそれを無視していたのです。

このことを聞いたエズラはどうしたでしょうか。3節をご覧ください。彼はこのことを聞くと、衣と上着を引き裂き、髪の毛とひげを引き抜いて、茫然として座り込んでしまいました。これは深い悲しみと怒りを表しています。それは、イスラエルの民が捕囚として引かれて行く原因となったことでした。あれほど痛い思いをしてもまだわからないのかというあきらめにも近い思いを抱いたのでしょう。エズラは言葉を失い、夕方のささげ物の時刻、これは午後3時ですが、茫然としてそこに座りこんでいたのです。まさに茫然自失の状態だったのです。

隣人に対して寛容であることは大切なことですが、罪に対して寛容であることは危険なことです。信者が未信者と結婚することを禁じているのは人種差別からではなく、信仰的な理由からです。未信者の妻をめとった者は、次第に妻の宗教を受け入れるようになるからです。その結果、偶像礼拝を自分の中に持ち込むことになり、神様との関係が阻害され、神から離れてしまうことになります。そうなれば、自分たちは何のために存在しているのかさえ見失ってしまうことになります。神のみこころは、私たちが聖い者であることです。Ⅰペテロ1:15~16には、「1:15 あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なるものとされなさい。1:16 それは、「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない」と書いてあるからです。」」とあります。私たちはそのために救われたのです。それなのに霊的に妥協するあまり、いつしかこの世の流れにすっぽりと浸り、神からも信仰からも離れていくのです。

悪魔は本当に巧妙ですね。今週の日曜日はどれほど多く方からメールをいただいたでしょうか。「きょうは用事があるので礼拝を休みます。あっ、来週も娘を部活に送っていかなければならないので行けません。ユーチューブで観ます。」「きょうは朝から旦那と喧嘩になり、家族で話し合うことになったのでお休みします。」勿論、どうしても来られない時もあるでしょう。でもそれはそれほど多くはないでしょう。問題は、この「聖でなければならない」という意味を理解してないことです。というのは、日曜礼拝は安息日ではありませんが、少なくても主が6日間で天と地にあるものを造られ7日目に休まれたので、これを聖なる日とするように定められたものです。この世とのいっさいの関わりを断ち、私たちを造り、私たちを罪から救ってくださった主を覚え、主を礼拝する日です。聖なる日です。よほどのことがない限り休むことは考えられません。私は心優しいので、そういう連絡をいただくとき何と返事したら良いか本当に悩みますが、牧師を打ちのめす一番良い方法はこれかもしれませんね。本当に忍耐が強いられます。いずれにせよ、私たちは自分がこの世に住みながら、この世のものではないことを常に思い出し、聖なる方にならって、聖なるものであることを求めていかなければならないのです。

Ⅱ.エズラの祈り(5-9)

茫然自失になり、打ちのめされていたエズラは、夕方のささげ物の時刻になって立ち上がり、主に祈ります。5~9節をご覧ください。「9:5 夕方のささげ物の時刻になって、私は気を取り戻し、着物と上着を裂いたまま、ひざまずき、私の神、【主】に向かって手を差し伸ばし、祈って、 9:6 言った。「私の神よ。私は恥を受け、私の神であるあなたに向かって顔を上げるのも恥ずかしく思います。私たちの咎は私たちの頭より高く増し加わり、私たちの罪過は大きく天にまで達したからです。9:7 私たちの先祖の時代から今日まで、私たちは大きな罪過の中にありました。私たちのその咎のため、私たちや、私たちの王、祭司たちは、よその国々の王たちの手に渡され、剣にかけられ、とりこにされ、かすめ奪われ、恥を見せられて、今日あるとおりです。 9:8 しかし、今、しばらくの間、私たちの神、【主】のあわれみによって、私たちに、のがれた者を残しておき、私たちのためにご自分の聖なる所の中に一つの釘を与えてくださいました。これは、私たちの神が私たちの目を明るくし、奴隷の身の私たちをしばらく生き返らせてくださるためでした。9:9 事実、私たちは奴隷です。しかし、私たちの神は、この奴隷の身の私たちを見捨てることなく、かえって、ペルシヤの王たちによって、私たちに恵みを施し、私たちを生かして、私たちの神の宮を再建させ、その廃墟を建て直させ、ユダとエルサレムに石垣を下さいました。」

エズラは、立ち上がると、衣を引き裂いたまま、ひざまずき、主に向かって手を伸べ広げて祈りました。彼はまず、イスラエルの民の罪を心から恥じています。なぜなら、その咎は増し、頭より高くなり、その罪過は大きく、天にまで達したからです。咎が頭よりも高いとか、罪過が天にまで達するというのは、神の御怒りを招かないでいられるような軽々しい罪ではない、ということです。ここで「罪」を「咎」とか「罪過」と言っていることに注目してください。「罪」とは知らないで犯すものですが、「咎」とか「罪過」は知りながら、もう罪であると十分に知識として与えられていながら、それでも犯す違反行為のことです。だからエズラは7節で、「私たちの先祖の時代から今日まで、私たちは大きな罪過の中にありました。」と言っているのです。「その咎のため、私たちや、私たちの王、祭司たちは、諸国の王たちの手に渡され、剣にかけられ、捕虜にされ、かすめ奪われ、面目を失って、今日あるとおりです。」と言っているのです。これはバビロン捕囚のことを指しています。どうして彼らにそのようなさばきに下ったのかというと、ほかの神々を礼拝し、神の御怒りを招いたからです。彼らはそのことを十分知っていました。それなのに彼らは、それと同じことを行っていたのです。バビロン捕囚はイスラエルの民をきよめるための神の懲らしめでしたが、それが何の効果もなかったのです。

であれば、何の弁解の余地もなく滅ぼし尽くされても致し方ないのに、主はそのあわれみによって、そこに逃れの者を残してくださり、ご自分の聖なるところに一本の杭を与えてくださいました。この「一本の杭」とは、着物や衣をかけておくための突き出た釘のことであるという理解から、聖なる所に自分たちの居場所があるという意味だと解釈する人もいますが、ここではもっと具体的に、神殿と町の再建のことを意味していると思われます。なぜなら、その後のところにそれを可能にさせたのも、神の恵みの業であると告白しているからです。彼らが奴隷の身分であるにもかかわらず、主はそんな彼らを見捨てることなく、かえって、ペルシャの王たちによって恵みを施し、彼らを生かして、彼らの神の宮を建て直させ、その廃墟を元に戻し、ユダとエルサレムに石垣をくださいました。本来なら滅びなければいけないのに、このようにやり直しを与えてくださっているとしたら、それは神の恵みとあわれみにほかありません。エズラはその神の恵みとあわれみを思い起こしているのです。

Ⅲ.Ⅲ.エズラの祈り②(10-15)

次に10~15節をご覧ください。「9:10 今、こうなってからは、何と申し上げたらよいのでしょう。私たちの神よ。私たちはあなたの命令を捨てたからです。9:11 あなたは、あなたのしもべ、預言者たちによって、こう命じておられました。『あなたがたが、入って行って所有しようとしている地は、そこの国々の民の、忌みきらうべき行いによって汚された汚らわしい地であり、その隅々まで、彼らの汚れで満たされている。9:12 だから、今、あなたがたの娘を彼らの息子にとつがせてはならない。また、彼らの娘をあなたがたの息子にめとってはならない。永久に彼らの平安も、しあわせも求めてはならない。そうすれば、あなたがたは強くなり、その地の良い物を食べ、これを永久にあなたがたの子孫のために所有することができる』と。9:13 私たちの悪い行いと、大きな罪過のために、これらすべてのことが私たちの上に起こって後、──事実、私たちの神、あなたは、私たちの咎の受けるべき刑罰よりも軽く罰し、このようにのがれた者を私たちに残してくださいました──9:14 私たちは再び、あなたの命令を破って、忌みきらうべき行いをするこれらの民と互いに縁を結んでよいのでしょうか。あなたは私たちを怒り、ついには私たちを絶ち滅ぼし、生き残った者も、のがれた者もいないようにされるのではないでしょうか。9:15 イスラエルの神、【主】。あなたは正しい方です。まことに、今日あるように、私たちは、のがれた者として残されています。ご覧ください。私たちは罪過の中であなたの御前におります。このような状態で、だれもあなたの御前に立つことはできないのに。」

主はそのあわれみによって彼らに一本の杭を与えられ、やり直しを与えてくださったのに、その機会をすべて台無しにしてしまった今、何も言うことができません。エズラは神に対して、自分たちは神の命令を捨てて、罪を犯したことを告白しています。その罪とは何でしょうか。それは雑婚の罪です。主は預言者たちによって、イスラエルが入って行って所有している地は、異国の汚れで汚れた地であり、忌み嫌うべき行いによって隅々まで汚れで満ちてしまった地であるから、彼らの娘をその地の息子に嫁がせてはならない、また、その土地の娘を彼らの息子の妻にしてはならないと命じておられました(レビ記18章、申命記7章)。それなのに彼らはその命令を破ったため、イスラエルの地に汚れと忌むべき習慣が持ち込まれてしまいました。

そのことのゆえに、様々なことが彼の上に起こりました。その最大のことがバビロン捕囚です。彼らはその土地から引き抜かれました。それにも関わらず神は彼らの咎に値するような刑罰を与えず、それよりも軽い罰を与え、逃れの者をこのように備えてくださいました。自分たち残された者がいる、ということです。

それなのに、再び主の命令を破って、忌み嫌うべき行いをするこれらの民と親戚関係に入るようなことがあるとしたら、ついにはその残りの者さえも、逃れの者もいないようにされるのではないでしょうか。エズラは、何か特別な要請をしたわけではありません。ただ自分たちの罪を認めて神の前にひれ伏しているだけです。彼は、神が啓示された御言葉に自分たちを照らし合わせ、その通りに自分たちを評価しているのです。

このように、主の御言葉を自分に都合の良いように一部の言葉だけを受け入れ、他の御言葉を退けたりせずに、書かれてあるとおりに自分を見つめることが大切です。そこに真の悔い改めと、罪への悲しみが生まれるからです。ヤコブが手紙の中でこう言いました。「あなたがたは、苦しみなさい。悲しみなさい。泣きなさい。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます。(4:9-10)」

そして、エズラはこの祈りの中で、神のいくつかの性質を認めて告白しています。8節には「そのあわれみによって」とあります。主はあわれみ深い方です。また9節には「主は・・・恵みを施し」とあります。主は恵みを施してくださる方なのです。さらに14節には「あなたは怒って」とあります。主は怒られる方です。また15節には「あなたは正しい方です」とあります。エズラは、こうした神の属性を告白し、ご自身の契約のゆえに民にあわれみを示してくださいと祈ったのです。それは私たちも同じです。私たちもしばしば罪に陥ったり、様々な問題で苦しむことがありますが、どんなときでもこの神のご性質を思い起こし、神に信頼して祈らなければなりません。神は必ずその祈りを聞かれ、状況を変えてくださるからです。

最近、さくらチャーチの姉妹が白内障の手術を受けられたのですが、思うようにいかなかったのか、術後、片目がよく見えなくて落ち込んでおられました。それでもう一度かかりつけの眼科で診てもらったところ、硝子体出血であるということが判明し、もっと大きい病院で手術することになりました。そして月曜日に入院し、昨日手術をしたのですが、術後すぐに報告のメールが届きました。手術が無事終わったこと、そして、主がともにいてくださり、恐れることなく、お委ねすることができたと。

しかし、先週その姉妹からメールをいただいた時はかなり落ち込んでおられました。「牧師先生、こんばんは。右の目が見えないので眼科に行ってきました。硝子体出血との病名、明日自治医大にいくように言われました。結構やっかいな病気らしいですね。もう入院は絶対にしないと思っていましたが、またもや手術になりそうです。これもまた神のお計らい?悲しすぎます。詳しいことは明日お知らせします。いつも暗いことばかりですみません。」

このようなメールを頂いたら、皆さんならどのように応えますか?私は、硝子体出血で3度手術をしていますので、この姉妹の気持ちがよくわかるような気がします。でも、昨年命にかかわる大手術をされた姉妹にとって、また手術をすることに大きな不安を抱えておられたのでしょう。ですから、そのことを重々承知で、そのために主はあわれんでくださることを伝え、この主が完全に癒してくださると信じてお祈りしていますと、返信を差し上げました。そして日曜日の礼拝後に、教会の皆さんで心を合わせてお祈りをしたら、どこかふっきれたようなに安心しておられました。

そして、手術を終えた彼女はこう書き送ってくれました。「キラキラ輝く世界が見られるといいのですがあまり欲張りをせず、ほどほどがいいのでしょうか」よほど心に余裕が出てきたのでしょうね。ですから、私はこのような返信を差し上げました。「キラキラ輝く世界が見られるといいですが、ほどほどでもすごいことですよ。少しでも見えて生活できること自体が奇跡ですし、神様の恵みですから。」

私は自分の視力を失ってみて、つくづくそのように感じています。ですから、この姉妹への言葉は、自分自身に対する言葉でもあったのです。

大切なのは、主がどのようなお方なのか、主はあわれみ深く、恵み深い方であり、私たちの罪を贖ってくださった方、完全な癒し主であることを信じてお祈りすることです。私たちも日々予期せぬ出来事が起こり落ち込んだり不安になったりしますが、この真実な神のご性質にかけて祈る者でありたいと思います。そのとき、主は必ずその祈りに答えてくださり、あなたの状況を変えてくださるのです。

エズラ記8章

エズラ記8章から学びます。

 Ⅰ.帰還者のリスト(1-14)

まず、1~14節をご覧ください。「8:1 アルタシャスタ王の治世に、バビロンから私といっしょに上って来た一族のかしらとその系図の記載は次のとおりである。8:2 ピネハス族からはゲルショム。イタマル族からはダニエル。ダビデ族からは、ハトシュ。8:3 ハトシュはシェカヌヤの孫。パルオシュ族からは、ゼカリヤと、系図に載せられた同行の者、男子百五十名。8:4 パハテ・モアブ族からは、ゼラヘヤの子エルエホエナイと、同行の男子二百名。8:5 ザト族からは、ヤハジエルの子シェカヌヤと、同行の男子三百名。8:6 アディン族からは、ヨナタンの子エベデと、同行の男子五十名。8:7 エラム族からは、アタルヤの子エシャヤと、同行の男子七十名。8:8 シェファテヤ族からは、ミカエルの子ゼバデヤと、同行の男子八十名。8:9 ヨアブ族からは、エヒエルの子オバデヤと、同行の男子二百十八名。8:10 バニ族からは、ヨシフヤの子シェロミテと、同行の男子百六十名。8:11 ベバイ族からは、ベバイの子ゼカリヤと、同行の男子二十八名。8:12 アズガデ族からは、カタンの子ヨハナンと、同行の男子百十名。8:13 アドニカム族からの者は最後の者たちで、その名はエリフェレテ、エイエル、シェマヤ、および彼らと同行の男子六十名。8:14 ビグワイ族からは、ウタイとザクルと、同行の男子七十名。」

エズラは、アルタクセルクセス王(第三版ではアルタシャスタ王)の第七年に帰還しました。(7:8)。ここには、その時エズラと一緒にバビロンからエルサレムに上って来た民のリストが記録されています。この時に帰還した民の数は、合計で1,772人でした。2章3~15節には、ゼルバベルとともに帰還したユダヤ人の数が記録されてあのますが、その時の帰還民の合計は、42,360人でしたから、それに比べると今回の期間に加わった人たちは、かなり少ない人数であったことがわかります。ほぼ10分の1にすぎません。しかし、数が問題ではありません。彼らはカナンの地に自らの未来があると信じて帰還した「イスラエルの残れる者」(レムナント)たちでした。「イスラエルの残れる者」とは、イスラエルの民全体の中にあって真の信仰を持っていた少数の人たちのことです。彼らは「真のイスラエル」、「霊的イスラエル」とも呼ばれる人たちです。真のイスラエルは、常に少数派です。それは、霊的イスラエルであるクリスチャンにも言えることです。今も真の信仰を持つ人たちは、この世の中では少数です。しかし、その事実に失望する必要はありません。神は少数の真実な信仰者たちを用いて、ご自身の計画を進めてくださるからです。

「祈りの人」という本を書いたE.M.バウンズは、その著書の中でこう言っています。「今日、教会に必要なことは、より多くの、より良い手段ではなく、また新しい組織や、より多くの新奇な方法でもない。ただ聖霊が用いたもうことのできる人である。それはすなわち、『祈りの人』である。祈りにおいて力ある人なのである。聖霊は方法をとおしてではなく、ただ人をとおしてのみ注がれる。聖霊は各種の手段の上にではなく、人に注がれるのである。また聖霊は計画にではなく、ただ人に、そうです、祈りの人に油を注がれるのだ。」

ですから、私たちはこの世の価値観に流されるのではなく、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良い事で、神に喜ばれ、完全であるのかをわきまえ知るために、心を新たにすることで、自分を変えていただかなければなりません。

Ⅱ.レビ人の募集(15-20)

次に、15~20節をご覧ください。「 8:15 私はアハワに流れる川のほとりに彼らを集め、私たちはそこに三日間、宿営した。私はそこに、民と祭司たちとを認めたが、レビ人をひとりも見つけることができなかった。8:16 それで、私はかしらのエリエゼル、アリエル、シェマヤ、エルナタン、ヤリブ、エルナタン、ナタン、ゼカリヤ、メシュラムと、教師エホヤリブ、エルナタンを呼び集め、8:17 彼らをカシフヤ地方のかしらイドのもとに遣わした。私は彼らにことばを授けて、私たちの神の宮に仕える者たちを連れて来るように、カシフヤ地方にいるイドとその兄弟の宮に仕えるしもべたちに命じた。8:18 私たちの神の恵みの御手が私たちの上にあったので、彼らはイスラエルの子、レビの子、マフリの子孫のうちから思慮深い人、シェレベヤと、その子たち、およびその兄弟たち十八名を私たちのところに連れて来た。8:19 また、ハシャブヤとともに、メラリの子孫のうちからエシャヤと、その兄弟と、その子たち二十名、8:20 および、ダビデとつかさたちにより、レビ人に奉仕するよう任命されていた宮に仕えるしもべたちのうちから、二百二十名の宮に仕えるしもべたちを連れて来た。これらの者はみな、指名された者であった。」

エズラ一行は、アハワに流れる川のほとりに彼らを集め、そこに3日間宿営しました。なぜなら、エズラが帰還民たちを確認したところ、そこにレビ人を見つけることができなかったからです。レビ人がいなければ、帰還した先で生活を建て直すことが困難になります。というのは、レビ人たちには2つの重要な役割があったからです。一つは、律法の教師として奉仕すること(レビ10:11、申命記33:10)、もう一つは、神殿で祭司たちを補助することです。もしレビ人がいなければ、この2つのことができなくなります。7章では、主の恵みの御手が彼とともにあったので、彼は4か月という短期間にエルサレムに上ることができたことを学びましたが、それは彼が主の律法を調べ、これを実行し、イスラエルで起きてと定めを教えようと心を定めていたからでした(7:10)。しかし、レビ人がいなければ、主の律法を教える人がいなくなります。それでは、神のことばの上に計画を進めていくことができないことになり、結果、こうした祝福を受けることができなくなります。ですから、レビ人を連れて行くことがどうしても必要だったのです。

それでエズラはそこに3日間宿営し、信頼できる11人を呼び集め、レビ人を集めるために彼らを遣わしました。17節には、カシフヤ地方のかしらイドについて、そこに居住しているレビ人たちに対して、どのように言えばよいかということまで指図しています。レビ人の募集は、それほどデリケートなテーマだったのです。

その結果、どうなったでしょうか。18節にあるように、彼らはマフリの子のうちから賢明な者18人と、メラリの子のうちから20人、合計38人のレビ人を連れて来ることができました。また、レビ人に奉仕するように任命されていた宮のしもべたちのうちから、220人のしもべたちを連れて来ることができました。それは彼らが優れていたからとういうよりも、神の恵みの御手が彼らの上にあったからです。これはエズラ記のテーマですね。神の恵みの御手が私たちの上にあってので・・。神の恵みの御手が彼らとともにあったので、彼らを用いてレビ人を連れて来ることができたのです。

ここで重要なことは、20節にあるように、「これらの者はみな、指名された者であった」という点です。どういうことでしょうか。口語訳ではここを、「これらの者は皆その名を言って記録された。」と訳しています。また、創造主訳聖書でも「彼らは皆、その名前を記録された。」と訳しています。つまり、これは、220名のレビ人たちが示した献身に対する敬意の表明だったのです。レビ人が自発的に帰還しなかったのは、エルサレムでの厳しい生活を想像することができたからです。しかし、この220名の者たちは、生活の保証よりも、主に仕える道を選びました。献身の道を歩む者の名は、主に覚えられているということです。献身者にとってこれほど大きな励ましはありません。

Ⅲ.アハワ川のほとりでの断食(21-30)

次に、21~30節をご覧ください。まず23節までをお読みします。「8:21 私はそこ、アハワ川のほとりで断食を布告した。それは、私たちの神の前でへりくだり、私たちのために、私たちの子どもたちと、私たちのすべての持ち物のために、道中の無事を神に願い求めるためであった。8:22 それは私が、道中の敵から私たちを助ける部隊と騎兵たちを、王に求めるのを恥じたからであった。実際、私たちは王に、「私たちの神の御手は、神を尋ね求めるすべての者の上に幸いを下し、その力と怒りは、神を捨てるすべての者の上に下る」と言っていたのである。8:23 そのため私たちはこのことのために断食して、自分たちの神に願い求めた。すると、神は私たちの願いを聞き入れてくださった。」

エズラは、エルサレムへの帰還にあたり、アハワ川のほとりで断食を布告しました。それは、彼らが神の前にへりくだり、道中の無事を願い求めるためです。というのは、彼は道中の敵から自分たちを助けるための部隊と騎兵たちを、アルタクセルクセス王に求めることを恥じたからです。それは彼が王に自分たちの神の御手は、神を尋ね求めるすべての者に幸いを下し、その力と怒りは、神を捨てるすべての者の上に下る」と言っていたからです。それなのに、もし王に護衛を要請したら、言っていることとやっていることが一致しないことになります。ちなみに、ネヘミヤの場合は、護衛が付きました。ですから、護衛を付けるか付けないかということが問題だったのではなく、そのように言ってしまった手前、そうせざるを得なくなったということです。しかしそれはエズラにとって大きな霊的チャレンジでした。21節にあるように、そのために彼らは断食して自分たちの神に願い求めると、神は彼らの願いを聞き入れてくださったということを体験することができたからです。護衛を付けてもつけなくても、大切なのは神の前にへりくだること、そして、神に信頼して祈ることです。そうすれば、神はその願いを聞いてくださる。これこそ、私たちの神に対する確信です。エルサレムに帰還するにあたり、これは彼らにとって大きな霊的準備となりました。

次に、24~30節をご覧ください。「8:24 私は祭司長たちのうちから十二人、すなわち、シェレベヤとハシャブヤ、および彼らの同僚十人を選り分けた。8:25 そして、王、顧問たち、高官たち、および、そこにいたすべてのイスラエル人が献げた、私たちの神の宮への奉納物である銀、金、器を量って、彼らに渡した。8:26 私は銀六百五十タラント、百タラント相当の銀の器、および金百タラントを量って、彼らに渡した。8:27 また、一千ダリク相当の金の鉢二十、さらに、金のように高価な、光り輝く見事な青銅の器二個を彼らに渡した。8:28 それから私は彼らに言った。「あなたがたは【主】の聖なるものである。この器も聖なるものである。この銀と金は、あなたがたの父祖の神、【主】に対する、進んで献げるものである。8:29 あなたがたは、エルサレムの【主】の宮の部屋で、祭司長たち、レビ人たち、イスラエルの一族の長たちの前で重さを量るまで、寝ずの番をしてそれらを守りなさい。」8:30 祭司とレビ人たちは、重さを量った銀、金、器を、エルサレムの私たちの神の宮に持って行くために受け取った。」

エズラは、12人の祭司長たちを選び、ペルシャの王、顧問たち、高官たちと、そこにいたイスラエル人が神の宮の奉納物としてささげたものを量って、彼らに渡しました。それは相当の金と銀の量でした。それは28節にあるように、神のために聖別されたものです。ですから、聖なる祭司たちによってエルサレムに運ばれる必要があったのです。エルサレムに運ばれたら最初の量がそのまま運ばれたかどうか、再計算がなされます。ですから、とても重要な任務であったわけです。その重要な任務を護衛なしで遂行することは、かなり危険なことでした。そのために護衛を付けたから安心ということはなかったでしょう。そこにはへりくだって神のご加護を求める必要がありました。ですからエズラは断食を布告し、祈りを呼びかけたのです。主の御手が私の上にあったという表現は、この営みから来ているのです。祈り、そして祈りに基づいて行動し、一歩一歩神を意識しながら、主を認めながら歩むのです。そうした祈りを神が聞き入れてくださらないわけがありません。こうして彼らの帰還の旅が守られたのです。

Ⅳ.エルサレム到着(31-36)

さあ、エルサレムに帰還した彼らはどうしたでしょうか。31~36節をご覧ください。「8:31 私たちはエルサレムに行こうと、第一の月の十二日にアハワ川を出発した。私たちの神の御手が私たちの上にあり、その道中、敵の手、待ち伏せする者の手から私たちを救い出してくださった。8:32 こうして私たちはエルサレムに着いて、そこに三日間とどまった。8:33 四日目に銀と金と器が私たちの神の宮の中で量られ、ウリヤの子の祭司メレモテの手に渡された。彼とともにピネハスの子エルアザルがいて、彼らとともに、レビ人である、ヨシュアの子エホザバデとビヌイの子ノアデヤがいた。8:34 すべてが数えられ、量られた。そのとき全重量が書き留められた。8:35 捕囚の人々で、捕囚から帰って来た者は、イスラエルの神に全焼のささげ物を献げた。すなわち、全イスラエルのために雄牛十二頭、雄羊九十六匹、子羊七十七匹、罪のきよめのささげ物として雄やぎ十二匹を献げた。これはすべて【主】への全焼のささげ物であった。8:36 それから、彼らは王の命令書を、王の太守たちとユーフラテス川西方の総督たちに渡した。この人たちはこの民と神の宮に援助を与えた。」

こうしてエズラたちはエルサレムに行こうと、第一の月の12日にアハワ川を出発しました。すると、神の御手が彼らの上にあり、その道中、敵の手、待ち伏せしている者の手から救い出してくださったので、彼らは無事にエルサレムに着くことができました。バビロンからエルサレムまでは厳しい長旅のはずですが、エズラは旅の詳細については一切触れず、ただ「私たちの神の御手が私たちの上にあり」と述べているだけです。彼にとっては、これが旅の要約なのです。「私たちの神の御手が私たちの上にあり・・・その道中、敵の手から救い出してくださった」。これがすべてなのです。私たちのこの地上の旅も、このように告白する旅でありたいですね。

エルサレムに到着すると、彼らはそこに3日間とどまり、4日目にバビロンから運んで来た銀と金と器類は目減りがないかどうか再計量され、祭司たちの手に渡されました。

捕囚の人々で、捕囚から帰って来た者は、イスラエルの神に全焼のささげ物を献げました。すなわち、全イスラエルのために雄牛12頭、雄羊96匹、子羊77匹、罪のきよめのささげ物として雄やぎ12匹です。雄牛12頭は、イスラエル12部族のためです。その他のいけにえは神殿奉献の時と同じものです(エズ6:17)が、数は減っています。これは神への献身を表すためのいけにえです。

さらに、王の命令書を、その地に派遣されていた王の高官たちに渡しました。目的は、帰還民の扱いに関して、王の意向を反映させるためです。その結果、なんと異邦人である彼らが、神殿での礼拝のために援助を与えたのです。これがこの箇所のクライマックスです。まさに神の御手が彼らの上にあったので、異邦人の王の心までも動かしてくださったのです。私たちの人生もこうありたいものです。神は、ご自身に信頼を置く者に恥をかかせるような方ではありません。ただ神の御手が共にあるように祈り求め、神のみこころに歩む者でありたいと思います。

エズラ記7章

  エズラ記7章から学びます。

 Ⅰ.律法に通じている学者エズラ(1-6)

まず、1~6節をご覧ください。「7:1 これらの出来事の後、ペルシアの王アルタクセルクセスの治世に、セラヤの子エズラという人がいた。セラヤはアザルヤの子、順次、ヒルキヤの子、7:2 シャルムの子、ツァドクの子、アヒトブの子、7:3 アマルヤの子、アザルヤの子、メラヨテの子、7:4 ゼラフヤの子、ウジの子、ブキの子、7:5 アビシュアの子、ピネハスの子、エルアザルの子、このエルアザルは祭司のかしらアロンの子である。7:6 このエズラがバビロンから上って来たのである。彼はイスラエルの神、【主】がお与えになったモーセの律法に通じている学者であった。彼の神、【主】の御手が彼の上にあったので、王は彼の願いをすべてかなえた。」

1節には「これらの出来事の後」とあります。「これらの出来事」とは、1~6章までに記されてある内容を指します。具体的には、ゼルバベル主導の下に行われた神殿再建工事のことです。ゼルバベルや大祭司ヨシュアは反対者の妨害に遭いながらも、ハガイやゼカリヤといった預言者たちが語る神のことばによって励まされ、神殿再建工事を完成させました。紀元前516年のことです。これらの出来事の後、ペルシャの王アルタクセルクセス王(新改訳第三版ではアルタシャスタ王)の治世に、エズラがバビロンから帰還します。これが第二次エルサレム帰還です。それは7節にあるように、アルタクセルクセス王の第七年のこと、紀元前458年のことでした。ですから、エズラがエルサレムに帰還したのは神殿再建工事が完成してから実に57年後のことでした。ということは、エズラ記6章と7章の間には、約57年の空白期間があるということになります。ちなみに、エステル記の出来事はアハシュエロス王(クセルクセス1世)の治世の時のことなので、エズラ記6章と7章の間の出来事です。

ここにはエズラについて紹介されていますが、彼はセラヤの子で、順次遡っていくと、彼は祭司のかしらアロンの子孫であることがわかります。つまり彼は祭司だったのです。なぜここに系図を書き記したのかというと、そのことを証明したかったからです。というのは、1章61~63節にはゼルバベルの指導の下エルサレムに帰還した民の中に祭司の子孫たちがいましたが、自分たちの系図書きを探しても見つからなかったため、祭司職を果たすことができなかったからです。その資格がないとみなされたからです。ですから、彼が祭司であることを証明するために、このように系図を書き記す必要があったわけです。

このエズラがバビロンから上って来たのです。6節には、彼は単に祭司であったというだけでなくモーセの律法に精通した学者であったとあります。どういうことでしょうか。新しいエルサレムの再建にあたっては、ゼルバベルや大祭司ヨシュアの強力なリーダーシップがありましたが、その土台はモーセの律法、すなわち、神のことばであったということを示しているのです。神殿再建という神の働きは、神のことばという霊的土台の上に成されたということです。それは今日の教会にも言えることです。教会のすべての活動は祈りとみことばという土台の上に築き上げられなければなりません。その中心は何でしょうか。礼拝です。毎週日曜日の礼拝を通して神のことばが語られ、そのみことばに祈りをもって応答していくことによって、従っていくことによって教会は建て上げられていくのです。これが教会の本質的なことであって、これを抜きに教会が建て上げられることはありません。

今週の礼拝に、久しぶりにOさん家族が来会されました。今回来られたのは、1歳4か月の息子さんを見せたいからということでしたが、実はもう一つの目的がありました。それは、現在通っておられる教会をどうしたら良いか聞くためでした。Oさんはその教会に行って3年しか経っていませんが、集っておられる十数人の方々はご高齢の方で、牧師も働きながらの牧会なので疲れもあり、月2回の礼拝はOさんが説教の時間にC-BTEのテキストから教えているのだそうです。どうやらその教会の牧師はOさんを後継者にどうかと考えておられるようですが、自分はすどうしたら良いかとアドバイスを求めて来られたのです。土曜日に一緒に昼食を食べてから夕方までずっと話が止まりませんでした。大切な奥様息子さんを傍で遊ばせながら。私はずっとお話を聞いていて、一つのことだけ伝えました。それは礼拝を大切にするようにということです。他の活動ができなくても、礼拝だけはしっかり準備するようにと。たとえば、その教会では毎年シンガポールからチームを招いて伝道しているそうですが、それによって教会に繋がった人がいるかというとそうではなく、一時的なイベントで終わっていました。それが悪いということではなく、そうしたことも素晴らしいことですが、でももっと重要なことはそれが何の上に立っているかということです。それがみことばの上に立っていないと、元も子も無くなってしまいます。そう言うと、「えっ、えっ、どういうことですか?」と質問したので、はっきり伝えました。「日曜日の説教はみことばを通して神様が語られるのであって、C-BTEのテキストをやるときではない。それは礼拝の後で学ぶものですよ。毎週の礼拝でみことばがしっかりと語られ、一人一人が祈りの中でそのみことばに応答することによって教会は建て上げられていくんですよ」と。すると、わかったような、わからないような感じで宿泊のため那須の教会に行き、翌日の礼拝に出席されました。

礼拝が終わると、Oさんが私のところに来てこう言いました。「先生、わかりました。神のみこころに生きるということがどういうことなのかが。そういうふうにしたいです。帰って向こうの牧師と相談してみます。」

何がわかったのかわかりませんが、少なくても礼拝が重要であるということ、そして教会の土台はこのみことばと祈りなのだということがわかったのだと思います。

そのような働きを、神が祝福してくださらないわけがありません。6節をご覧ください。ここには「彼の神、主の御手が彼の上にあったので、王は彼の願いをすべてかなえた」とあります。この「王」とは、ペルシャの王アルタクセルクセス(アルタシャスタ)王のことですが、神のことばを土台として進められたエルサレムの再建工事には神の御手がともにあったので、異教の王であったアルタクセルクセス王がすべての願いをかなえてくれるほど祝福されたのです。

Ⅱ.エルサレムに到着したエズラ(7-10)

次に、7~10節をご覧ください。「7:7 アルタクセルクセス王の第七年に、イスラエル人の一部、および祭司、レビ人、歌い手、門衛、宮のしもべの一部が、エルサレムに上って来た。7:8 エズラは王の第七年の第五の月にエルサレムに着いた。7:9 すなわち、彼は第一の月の一日にバビロンを出発した。彼の神の恵みの御手は確かに彼の上にあり、第五の月の一日に、彼はエルサレムに着いた。7:10 エズラは、【主】の律法を調べ、これを実行し、イスラエルで掟と定めを教えようと心を定めていた。」

ゼルバベルらがエルサレムに帰還したときのように、この時も祭司やレビ人、歌い手、門衛、宮のしもべなど、神殿で奉仕する人たちが一緒にエルサレムに帰還しました。エズラが到着したのは、アルタクセルクセス王の治世の第七年の第五の月の一日です。これは先ほども申し上げたように紀元前458年のことです。9節に「彼は第一の月の一日にバビロンを出発した」とあるので、この旅はちょうど4か月かかったことになります。それは今の暦でいうと7~8月にあたりますが、それは暑くて厳しい旅であったことが想像できます。バビロンから北に向かい、ユーフラテス川を越えて、ダマスコからエルサレムに南下するルートを取れば、約1,600キロの距離です。それを徒歩で、しかも、いけにえのための家畜や金や銀などの貴重品も携えてやって来たことを考えると、驚くほどの短期間であったことがわかります。どうして彼らはそんなに短期間に来ることができたのでしょうか。それは9節にあるように、「彼の神の恵みの御手が確かに彼の上にあった」からです。このことは6節にもありました。「主の御手が彼の上にあったので、王は彼の願いをすべてかなえた。」それは彼らに体力、気力、動力があったからで北のではなく、神の恵みの御手が彼らの上にあったので、彼らは4か月という短期間でエルサレムに到着することができたのです。

それは具体的にどういうことでしょうか。それは10節にあるように、「エズラは、【主】の律法を調べ、これを実行し、イスラエルで掟と定めを教えようと心を定めていた。」ということです。これが、神の恵みの御手がエズラの上にあった理由です。彼は、主の律法を調べ、その学んだことを実行し、他の人たちに神の律法、すなわち、神のことばを教えようと、心を決めていました。これが祝福されたミニストリー、祝福された教会形成、祝福されたクリスチャンライフの秘訣です。私たちはいろいろな計画を立て、それを実行するための準備をしますが、それを成功へと導くのは、神の恵みの御手なのです。それはまさに詩篇1篇1~3節にみられる水路のそばに植わった木のようです。時が来れば実がなり、その葉が枯れることはありません。その人は何をしても栄えます。なぜ? 主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさんでいるからです。主の教えを愛し、神のみこころを行おうと、心を定める人には、神の恵みの御手が確かにあり、神がご自身の御業を行ってくださるのです。

Ⅲ.アルタクセルクセス王の手紙(11-28)

第三に、11~28節をご覧ください。11節には「アルタクセルクセス王が、祭司であり学者であったエズラに与えた手紙の写しは次のとおりである。このエズラは、【主】の命令のことばと、イスラエルに関する主の掟に精通していた。」とあります。これはアルタクセルクセス王が、エズラに与えた手紙の写しです。おそらく、エズラがアルタクセルクセス王に民の帰還の許可を申し出ていたのでしょう。その申し出に対して、アルタクセルクセス王が許可を与えると同時に、エズラに対して驚くべきことを伝えています。その内容がここに紹介されているのです。

それはまず、13節にあるように、イスラエルの民、その祭司、レビ人のうち、だれでも自分から進んでエルサレムに上って行きたいと者は、エズラと一緒に行ってよいということでした。
次に、14節にあるように、エルサレムにおいてエズラに託された役割は、神の律法に従って、ユダとエルサレムを調査することであったということです。 さらに、15~16節にあるように、エズラを信頼して、王とその顧問たちの献金と、バビロン全州でエズラが得たすべての金銀を、イスラエルの民や祭司たちが神の宮のためにささげた物と合わせて、携えて行かなければなりませんでした。
また17節にあるように、エズラはその献金で、動物のいけにえや穀物のささげ物、注ぎのぶどう酒を買い求め、それを神の宮に献げなければなりませんでした。
さらに、残りの金、銀の使い方については、彼らが良いと思うことは何でも、神のみむねに従って使うことができました (18)。
また、主の宮で礼拝のために渡された用具は、主の宮のために用いることができました。 (19)
そのほか、彼らが神の宮のために必要なもので、どうしても支出しなければならないものは、王室の金庫からそれを支出することができました(20)。
また、エルサレムを担当する役人は、エズラが求めることには全面的に協力しなければならないということ(21節)。すなわち、銀は百タラントまで、小麦は百コルまで、ぶどう酒は百バテまで、油も百バテまで、塩は制限なしです(22節)。さらに、25~26節にあるように、裁判官の任命権や律法に関する教育などをエズラにゆだねなければなりませんでした。

すごいですね。私も気配り牧師と呼ばれていて比較的細かい方ですが、アルタクセルクセス王は気配り王だったのかもっと細かに指示しています。なぜ、これほどまでの権威がエズラに与えられたのでしょうか。それは23節にあるように、天の神の御怒りが王とその子たちの国に下るといけないからです。すなわち、アルタクセルクセス王はイスラエルの神こそまことの神であり、この神に逆らうとどうなるかということを理解していたのです。かつてアブラハムに神が、「あなたを祝福するものを祝福し、あなたをのろうものをのろう」と言われましたが、それがいかに実現したかを、目の当たりにしていたのでしょう。天の神は、異教の王の心さえ変えることができる偉大な方なのです。

その手紙を受け取ったエズラはどうしたでしょうか。27~28節をご覧ください。彼は心から主に感謝をささげました。「7:27 私たちの父祖の神、【主】がほめたたえられますように。主はエルサレムにある【主】の宮に栄光を与えるために、このようなことを王の心に起こさせ、7:28 王とその顧問と、王の有力な高官すべての前で私に恵みを得させてくださった。私の神、【主】の御手が私の上にあったので、私は奮い立って、一緒に上るイスラエル人のかしらたちを集めることができた。

ここでエズラは、「私たちの父祖の神、主がほめたたえられますように。」と祈っています。この言葉によって、エズラが仕えていた神は彼の父祖の神であったことを表明しています。すなわち、アブラハム、イサク、ヤコブの神であり、モーセに律法を与えた神です。さらに、ペルシャの王にこのような心を起こさせ、王とその顧問と、王の有力な高官たちの好意を自分たちに向けさせてくださったのはその神であり、エルサレムにある主の宮に栄光を与えるためであったと告白したのです。彼は、自分が優れた者だから王たちの好意を勝ち取ることが出来たと自らを誇ることもできたのに、そうはしませんでした。すべてが神の御業であると認め、その神をほめたたえたのです。私たちも成功した時には自分の力を誇るのではなく、神によってなされたと認め、神に感謝し、神をほめたたえるべきです。

さらに彼は、「私の神、【主】の御手が私の上にあったので、私は奮い立って、一緒に上るイスラエル人のかしらたちを集めることができた。」と祈っています。イスラエル人のかしらたちを集めることは容易なことではありませんでした。それが出来たのは、一重に神の御手が彼とともにあり、彼の心を奮い立たせてくださったからだと、神をほめたたえているのです。彼はすべてのことは神の御手が彼の上にあったので成し遂げることができたと告白したのです。私たちも主の御手が私の上にあったので、私はこのこと、あのことを成すことが出来たと告白し、神をほめたたえ、神に栄光を帰する者でありたいと思います。

エズラ記6章

 エズラ記6章から学びます。

 Ⅰ.ダリヨス王からの回答(1-12)

まず、1~12節をご覧ください。「6:1 それでダレイオス王は命令を下し、重要文書を納めてあるバビロンの文書保管所を調べさせたところ、6:2 メディア州の城の中のエクバタナで一つの巻物が見つかった。その中に次のように書かれていた。「記録。6:3 キュロス王の第一年にキュロス王は命令を下した。エルサレムにある神の宮、いけにえが献げられる宮を建て、その礎を定めよ。宮の高さは六十キュビト、その幅も六十キュビト。6:4 大きな石の層は三段。木材の層は一段とする。その費用は王家から支払われる。6:5 また、ネブカドネツァルがエルサレムの神殿から持ち出して、バビロンに運んで来た神の宮の金や銀の器は返し、エルサレムの神殿に運んで元の場所に戻す。こうして、それらを神の宮に納める。」6:6 王は次のように命じた。「それゆえ、今、ユーフラテス川西方の総督タテナイと、シェタル・ボゼナイと、その同僚たちでユーフラテス川西方の地にいる知事たちよ。そこから遠ざかれ。6:7 この神の宮の工事をそのままやらせておけ。ユダヤ人の総督とユダヤ人の長老たちに、この神の宮を元の場所に建てさせよ。6:8 私は、さらに、この神の宮を建てるために、あなたがたがこれらユダヤ人の長老たちにどうすべきか、命令を下す。王の収益としてのユーフラテス川西方の地の貢ぎ物の中から、その費用を間違いなくそれらの者たちに支払って、滞らぬようにせよ。6:9 また、その必要とする物、すなわち、天の神に献げる全焼のささげ物のための雄牛、雄羊、子羊、また小麦、塩、ぶどう酒、油を、エルサレムにいる祭司たちの求めに応じて、毎日怠りなく彼らに与えよ。6:10 こうして彼らが天の神に芳ばしい香りを献げ、王と王子たちの長寿を祈るようにせよ。6:11 私は命令を下す。だれであれ、この法令を犯す者があれば、その家から梁を引き抜き、その者をその上にはりつけにしなければならない。このことのゆえに、その家はごみの山としなければならない。6:12 エルサレムに御名を住まわせられた神が、この命令を変更してエルサレムにあるこの神の宮を破壊しようと手を下す王や民をみな、投げ倒されますように。私ダレイオスはここに命令を下す。間違いなくこれを守れ。」」

1節の「それで」とは、5章の内容を受けてのことです。エルサレムに帰還したユダの民は、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤという二人の預言者のことばによって励まされ、神殿の再建を始めました。B.C.536年のことです。しかし、ユーフラテス川西方の総督タテナイと、シェタル・ボゼナイと、その同僚たちがそれを妨害しようと、ペルシアの王ダレイオスに手紙を書き送りました。それはこの神殿再建工事がキュロス王の命令に従って行っているとユダヤ人たちが主張していたからです。それが本当かどうかを確かめようとしたのです。

その手紙を受け取ったダレイオス王は、宝物を納めてあるバビロンの文書保管所を調べさせたところ、メディア州の城の中のエクバタナで一つの巻物が見つかりました。「エクバタナ」はバビロンの北東約489キロにある、メディア州の首都です(巻末地図8)。キュロス王は、B.C.538年にその城で過ごしていたのでしょう。その巻物には、キュロス王の第一年にキュロス王がエルサレムにある神の宮、いけにえがささげられる宮を建て、その礎を定めるようにと命令を下したことが記されてありました。その神殿のサイズは、高さが60キュビト(1キュビトは約44センチ=2メートル64センチ)です。幅も60キュビト、大きな石の層は3段、木材の層は1段とすると書いてありました。しかも、その費用は王家から支払うと。また、バビロンのネブカドネツァル王がエルサレムの神殿から持ち出してバビロンに運んで来た金銀の器は、エルサレムの神殿に運んで元の場所に戻すとありました。それは、帰還したユダヤ人たちが主張していた通りでした。

それゆえ、ダレイオス王はタテナイたちにこう命じました。6節です。神の宮の工事をそのままやらせておくように。また、この神の宮を建てるために、タテナイたちが徴収している税の一部を、その費用として支払い、それが滞りなく完成するように援助するようにと。さらに、ユダヤ人が天の神に献げる全焼のささげもののために、雄牛や雄羊、小麦、塩、ぶどう酒、油など、エルサレムにいる祭司たちの求めに応じて、毎日怠りなく与えるようにと。何のためでしょうか。10節にあるように、王と王子たちの長寿を祈るためです。つまり、ダレイオス王はエルサレムの神殿に座す天の神の祝福を求めたのです。この命令を犯す者は、その家から梁を引き抜き、その梁の上にはりつけにされます。また、その者の家はごみの山とされなければなりません。最後に彼は、この宮を破壊しようとして手を出す者がいれば、その王や民がみな投げ倒されるようにと祈っています。

結局、タテナイたちはユダヤ人の神殿再建工事を妨害しようとしましたが、結果的には、自分が集めた税金の中から工事代を捻出することになりました。神の御心を行う者には、神の助けと守りがあるのです。一方、神の御心に反する者には、神の呪いとさばきがあるのです。このことを覚えて、いつも神の御心に歩ませていただきましょう。

Ⅱ.神殿完成(13-15)

次に、13~15節をご覧ください。「6:13 ダレイオス王がこう書き送ったので、ユーフラテス川西方の総督タテナイと、シェタル・ボゼナイと、その同僚たちは、間違いなくこれを行った。6:14 ユダヤ人の長老たちは、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの預言を通し、建築を行って成功した。彼らはイスラエルの神の命令により、またキュロスとダレイオスと、ペルシアの王アルタクセルクセスの命令によって、建築を終えた。6:15 こうして、この宮はダレイオス王の治世の第六年、アダルの月の三日に完成した。」

ダレイオス王がこのように書き送ったので、タテナイたちはもう立てなくなりました。間違いなく、その通りに行うしかなかったのです。その結果、工事は迅速に進められ、ダレイオス王の治世の第6年(B.C.516年)に完成しました。かつて工事を妨害した者が、神の御業を実行する者に変えられたのです。

ところで14節に注目してください。ここには「ユダヤ人の長老たちは、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの預言を通し、建築を行って成功した。彼らはイスラエルの神の命令により、またキュロスとダレイオスと、ペルシアの王アルタクセルクセスの命令によって、建築を終えた」とあります。これは預言者ハガイとイドの子のゼカリヤの預言を通し、建築した結果のことです。彼らは、イスラエルの神の命令により、またキュロス王とダレイオス王と、ペルシアの王アルタクセルクセスの命令によって、これを完成させることができたのです。そこには、預言者を通して語られた神のことばによる励ましがあったということです。神のことばがどれほどの励ましと力を与えてくれるでしょう。人間的には行き詰ってしまうようでも、神はご自身のみことばを通して聖霊の力を与えてくださるのです。

また、この工事にはキュロス王、ダレイオス王、アルタクセルクセス王という3人の王たちの貢献があったことも見逃せません。アルタクセルクセス王は実際には神殿の再建ではなくその維持に貢献しただけですが、ここではそれが包括的に語られています。つまり、天の神がこうした王たちも用いてご自身の御業を成し遂げてくださったということです。ですから、この神殿再建は神の恵みと神の力、そして神の約束と神のご計画によるものだったのです。

神殿が完成したのは、ダレイオス王の治世の第6年のことでした。これは、B.C.516のことです。着工から実に20年後のことでした。あのソロモンの神殿がバビロンによって破壊されたから(B.C.586年)、ちょうど70年後のことでした。それは神が預言者たちを通して語っておられたことです。神はご自身の約束の通りにしてくださったのです。人は多くの計画を持ちますが、主のはかりごとだけがなります。その神の計画の完成に向かって、神のことばに励まされ、様々な挫折を乗り越え、神の計画を完成に導く人は幸いです。それは神がなさることです。私たちに必要なことは、それが自分にできるかどうかということではなく、神の御心なら神が完成に導いてくださると信じ、その完成に向かって神とともに歩むことなのです。

Ⅲ.神殿の奉献式(16-22)

最後に、16~22節を見て終わります。「6:16 イスラエルの子ら、すなわち、祭司、レビ人、そのほかの捕囚から帰って来た人たちは、喜びをもってこの神の宮の奉献式を祝った。

6:17 彼らはこの神の宮の奉献式のために、雄牛百頭、雄羊二百匹、子羊四百匹を献げた。また、イスラエルの部族の数にしたがって、全イスラエルのために罪のきよめのささげ物として、雄やぎ十二匹を献げた。6:18 また彼らは、エルサレムでの神への奉仕のため、祭司をその区分にしたがって、レビ人をその組にしたがってそれぞれ任命した。モーセの書に記されているとおりである。

6:19 捕囚から帰って来た人々は、第一の月の十四日に過越を祝った。6:20 祭司とレビ人たちは一人残らず身をきよめて、みなきよくなっていたので、捕囚から帰って来たすべての人々のため、彼らの同胞の祭司たちのため、また彼ら自身のために、過越のいけにえを屠った。6:21 捕囚から戻って来たイスラエル人はこれを食べた。イスラエルの神、【主】を求めて、その地の異邦の民の汚れから離れて彼らに加わった者たちもみなそうした。6:22 そして彼らは七日間、喜びをもって種なしパンの祭りを守った。これは、【主】が彼らを喜ばせ、またアッシリアの王の心を彼らに向けて、イスラエルの神である神の宮の工事にあたって、彼らを力づけるようにされたからである。」

神殿再建工事を終えると、イスラエル人の祭司、レビ族の人々、その他バビロンから帰って来た人々は、喜びをもってこの主の宮の奉献式を祝いました。献げられたのは雄牛100頭、雄羊200匹、子羊400匹でした。また、イスラエルの部族の数に従って、イスラエル人全体の罪のためのいけにえとして、雄やぎ12匹が献げられました。これはソロモンの時と比べたら、圧倒的に少ないです。その時には牛2万2千頭、羊12万頭が献げられました(1列王8:63)。それは、帰還民が非常に貧しかったということを示しています。なるほど、過去の神殿の栄華を知っていた人が悲しみで泣いたのもわかります。

また彼らは、エルサレムでの神への奉仕のため、モーセの律法に記されてある通り、祭司とレビ人の人数を、それぞれの区分に従って任命しました。ここで重要なのは、それがモーセの律法に記されてある通りに行われたという点です。それは律法に背を向けるなら再び悲劇が訪れるという認識があったからです。

捕囚の地から帰って来た人々は、第一の月の14日に過越を祝いました。これは、ユダヤ人たちが70年ぶりに祝う過越の祭りです。祭司とレビ人たちは、一人残らず身をきよめ、バビロンから帰って来た人たちのために、過越の祭りを祝いました。そればかりでなく、イスラエルの神、主を求めて、その地の異邦の民の汚れから離れて彼らに加わった者たちもみな、ともにこの過越の祭りに加わりました。そして、彼らは7日間、種なしパンの祭りを守りました。この種なしパンの祭りとは、過越の祭りに続く7日間の祭りです。ですから、彼らは全部で8日間お祝いしたのです。これは捕囚の期間が終わり、ユダヤ人たちが約束の地に帰還したことを示しています。これは主が彼らを喜ばせ、また、アッシリヤの王の心を彼らに向かわせてイスラエルの神である神の宮の工事にあたって、彼らを力づけるようにされたからです。ここにアッシリヤの王とあるのを見て「あれっ」と思う人もいるかもしれませんが、かつてのアッシリヤ帝国は今はペルシヤのものになっていますから、これは間違いではありません。神がペルシアの王キュロスの心を彼らに向けさせ、イスラエルの神である主の宮の工事にあたり、彼らを力づけ完成させてくださったのです。

つまりエズラは、これらすべての工事の成功と祭りの喜びは主から来たものであると言っているのです。主が事を始めてくださったのだから、主がそれを完成させてくださいます。ピリピ1章6節に「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。」とある通りです。神が始めてくださったのなら、神は必ず完成させてくださいます。そのためには、彼らがハガイとゼカリヤの預言によって励まれたように、私たちも神のことばによって励ましをいただき、そこにどんな妨害があっても神が成し遂げてくださると信じなければなりません。私たちの人生の成功は、あなたがどう思うかではなくあなたが何を信じ、だれとともに歩むのかによって決まるのです。

エズラ記5章

エズラ記5章から学びます。

 Ⅰ.預言者ハガイとゼカリヤ(1-2)

まず、1~2節をご覧ください。「1 さて、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤという二人の預言者は、ユダとエルサレムにいるユダヤ人に対して、自分たちの上におられるイスラエルの神の御名によって預言した。2 そこでシェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアは立ち上がり、エルサレムにある神の宮を建て始めた。神の預言者たちが一緒にいて、彼らを助けた。」

神殿再建工事は、サマリヤ人の妨害によって、ペルシャの王クセルクセス王の時代からダレイオスの治世の第二年まで、約16年間(B.C536~520)中断していました。そのような状況下で、ハガイとゼカリヤという2人の預言者が登場し、工事の再開を促しました。彼らは、ユダとエルサレムにいるユダヤ人に対して、自分たちの上におられるイスラエルの神の御名によって預言しました。その預言の内容はハガイ書とゼカリヤ書を見ればわかりますが、神のことばによって民を教え、励ましたのです。工事が中止に追い込まれた最大の原因はサマリア人による妨害でしたが、もっと深刻な問題は、そのことによって民の中にやる気が失せていたことです。そこでハガイとゼカリヤは神のことばによって彼らを励まし、勇気付けたのです。

ハガイは、民が神殿よりも自分の生活を建て直すことに熱心だったのを見て、「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住むべきだろうか。」(ハガイ1:4)と言いました。

ゼカリヤは、神殿建設は主から出たことであり、異邦人の王はそのために用いられているにすぎないと語りました。さらに、工事の完成は主の霊によると、以下のように預言しました。「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」と万軍の主は仰せられる。」(ゼカリヤ4:6)

そこで、シェアルティアルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアは立ち上がり、エルサレムにある神の宮を建て始めました。神殿がなければ、モーセ契約を実行することができないからです。それが彼らの優先事項だったのです。

クリリスチャン生活にも優先事項があります。それは、祈りとみことばです。定期的な礼拝を守り、日々のデボーションを大切にし、祈りの生活を重視すること、これこそクリスチャンにとっての本質的なことであり、最優先事項です。私たちはまずこれに取り組まなければなりません。

ここには、「神の預言者たちが一緒にいて彼らを助けた。」とありますが、これもすごいですね。ゼカリヤとハガイはただみことばによって民を励ましたのではないのです。自らも一緒に汗を流して神殿建設に取り組んだのです。それは彼らがその働きに優れていたからではないでしょう。何としてもこの神殿を建て上げなければならないという神からの召しを受け、自分も少しでも役に立ちたいという思いがあったからでしよう。

Ⅱ.神の守り(3-5)

次に、3~5節をご覧ください。「3 そのような時期に、ユーフラテス川西方の総督タテナイと、シェタル・ボゼナイと、その同僚たちが彼らのところにやって来て、こう言った。「この宮を建て、この城壁を修復せよとの命令をだれがあなたがたに下したのか。」4 そしてまた、「この建物を建てている者たちの名は何というのか」と尋ねた。5 しかし、ユダヤ人の長老たちの上には彼らの神の目が注がれていたので、このことがダレイオスに報告されて、さらにこのことについての返事の手紙が来るまで、彼らの工事を中止させることができなかった。」

そのような時です。ユーフラテス川西方の総督タテナイと、シェタル・ボゼナイと、その同僚たちが彼らのところにやって来て、「この宮を建て、この城壁を修復せよとの命令をだれがあなたがたに下したのか。」と言いました。また、「この建物を建てている者たちの名は何というのか」と尋ねました。総督タテナイというのは、ペルシャ帝国内のシリア・パレスチナ地区を管轄する行政官です。シェタル・ボズナイは、総督タテナイの補佐官だったのではないかと考えられています。彼らはエルサレムで起こっていることに関心を示さずにはいられませんでした。というのは、彼らの役割は、そこで起こっている状況を把握して、それを王に伝えることだったからです。恐らく、彼らはこの工事が大規模な反乱に発展する恐れがあると判断したのでしょう。それで彼らのところにやって来て尋問したのです。

しかし、彼らは工事を中止させることができませんでした。このような妨害にもかかわらず、工事は続けられたのです。なぜでしょうか。それは、ユダヤ人の長老たちの上に彼らの神の目が注がれていたからです。つまり、神がこの工事を見守っておられたからです。エズラ記とネヘミヤ記には、このような表現がたびたび出てきます。(エズラ7:6,9,28,8:18,22,31,ネヘ:8,18。その結果、彼らがペルシャの王ダリヨスに手紙を書きその返事が来るまで、工事は続けられたのです。

これは私たちも同じです。どんなに試練が襲ってきても神の守りと助けは常に用意されています。あなたの上には全能の神の目と義の右の手が備えられているのでする。であれば、私たちは信仰の目を上げてこの神の守りがあることを信じようではありませんか。

Ⅲ.ダリヨス王への手紙(5:6-17)

次に、6~17節までをご覧ください。「6 ユーフラテス川西方の総督タテナイと、シェタル・ボゼナイと、その同僚のユーフラテス川西方にいる知事たちが、ダレイオス王に送った書状の写しは次のとおりである。7 彼らが王に送った報告には次のように書かれていた。「ダレイオス王に全き平安がありますように。8 王にお知らせいたします。私たちはユダ州に行き、あの大いなる神の宮に行ってみましたが、それは大きな石で建てられていて、壁には木材が組まれていました。その工事は彼らの手で着々と進められ、順調に行われています。9 そこで、私たちはその長老たちに尋ねて、彼らに次のように言いました。『この宮を建て、この城壁を修復せよとの命令をだれがあなたがたに下したのか。』10 私たちはまた、あなたにお知らせするために彼らにその名を尋ねました。それは、彼らの先頭に立っている者の名を書き記すためでした。11 すると、彼らは次のように私たちに返事をしました。『私たちこそは天と地の神のしもべであり、ずっと昔から建っていた宮を建て直しているのです。それはイスラエルの大王が建てて、完成させたものです。12 しかし、私たちの先祖が天の神を怒らせたので、神は彼らを、カルデア人であるバビロンの王ネブカドネツァルの手に渡されました。彼はこの宮を破壊し、民を捕らえてバビロンに移したのです。13 しかし、バビロンの王キュロスの第一年に、キュロス王はこの神の宮を建て直すよう命令を下しました。14 キュロス王はまた、ネブカドネツァルがエルサレムの神殿から持ち出して、バビロンの神殿に運んで行った神の宮の金や銀の器を、バビロンの神殿から取り出し、自分が総督に任命したシェシュバツァルという名の者にそれを渡しました。15 そして、シェシュバツァルに、これらの器を携えて行ってエルサレムの神殿に納め、神の宮を元の場所に建て直せと言いました。16 そこで、このシェシュバツァルは来て、エルサレムの神の宮の礎を据えました。その時から今に至るまで建築が続いていますが、まだ完成していません。』17 ですから、王様、もしもよろしければ、エルサレムにあるこの神の宮を建てるために、キュロス王からの命令が下ったのが事実かどうか、あのバビロンにある王室書庫をお調べください。そして、このことについての王のご判断を私たちにお伝えください。」

総督タテナイと補佐役のシェタル・ボゼナイたちは、ダレイオス王に手紙を書き送ります。その内容は7節以降にあるように、「あの大いなる神の宮」の建設が着々と進んでいるということでした。彼らがここでユダヤ人の神を「あの大いなる神」と呼んでいるのは驚きです。彼らの中にも、ユダヤ人の神がユダ州における主要な神であるという認識があったのでしょう。それは大きな石で建てられていて、壁には木材が組まれていました。

そこで彼らはその長老たちに、何の権威によってそれをしているのか、工事の責任者は誰かと尋ねると、彼らはこれまでのいきさつを話ししました。それが11~16節の内容です。ここで注目すべき点は、彼らは自分たちを「天と地のしもべ」(11)と呼んでいる点です。つまり、ペルシャのしもべではなく、真の神のしもべであるというのです。そして、その神の命令によって、昔から建てられていた神殿を再建しているのだと。それは自分たちがこの真の神に背いたためにバビロンの王ネブカドネツァルの手によって破壊されてしまったからです。

しかし、神はそれで終わりではなかった。何とペルシャの王キュロスの心を動かし、この宮の再建のためにネブカドネツァルがエルサレムの神殿から持ち出して、バビロンの神殿に運んで行った神の宮の金や銀の器を、バビロンの神殿から取り出し、自分が総督に任命したシェシュバツァルという者にそれを渡したのです。つまり、それはペルシャの行政のお墨付きであるというのです。だから、それが本当なのかどうか、つまり、エルサレムにあるこの神の宮を建てるためにキュロス王からの命令が下ったのが事実であるかどうかを調べてほしい。そう返事をしたのです。

ここでユダヤの長老たちが自分たちの先祖たちの失敗から立ち直ろうとしていることがわかります。彼らは自分たちのことを「真の神のしもべ」と呼んでいます。彼らはペルシャのしもべではなく、「真の神のしもべ」なのです。だから、その真の神のしもべとして、神の命令に従って神殿を再建しているのだという認識がありました。あなたはどうでしょうか。あなたは誰のしもべですか。私たちは真のイエス・キリストによって罪贖われ、罪から解放された者として、主イエスのしもべでする。であれば、私たちも私たちは真の神のしもべとしてイエスのみこころに歩むことが求められているのではないでしょうか。

エズラ記4章

 エズラ記4章から学びます。

 Ⅰ.神殿再建工事(1-5)

まず、1~5節をご覧ください。「1 ユダとベニヤミンの敵たちは、捕囚から帰って来た人々がイスラエルの神、【主】のために宮を建てていると聞いて、2 ゼルバベルと一族のかしらたちのところに近づいて来て言った。「私たちも、あなたがたと一緒に建てたい。私たちは、あなたがたと同様、あなたがたの神を求めたいのです。私たちをここに連れて来たアッシリアの王エサル・ハドンの時以来、私たちはあなたがたの神に、いけにえを献げてきました。」3 しかし、ゼルバベルとヨシュアと、そのほかのイスラエルの一族のかしらたちは彼らに言った。「私たちの神のために宮を建てることは、あなたがたにではなく、私たちに属する事柄です。ペルシアの王キュロス王が私たちに命じたとおり、私たちだけで、イスラエルの神、【主】のために宮を建てるつもりです。」4 すると、その地の民はユダの民の気力を失わせようとし、脅して建てさせないようにした。5 さらに、顧問を買収して彼らに反対させ、この計画をつぶそうとした。このことはペルシアの王キュロスの時代から、ペルシアの王ダレイオスの治世の時まで続いた。」

エルサレムに帰還したユダヤ人は、第七の月に自分たちの住んでいた町々から一斉にエルサレムに集まり、神殿の再建に取りかかりました。建設する者たち主の神殿の礎を据えたとき、イスラエルの王ダビデの規定によって主を賛美するために、祭司たちは祭服を来て、ラッパを持ち、アサフの子らのレビ人たちはシンバルを持って出てきました。そして彼らは主を賛美し、感謝しながら、「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに。」と賛美したのです。

一方そうでない人たちもいました。それは以前の宮を見たことのある多くの老人たちで、彼らは大声を上げて泣きました。それがあまりにもみすぼらしかったからです。このようにして、神殿の礎が据えられたとき、そうした喜びの賛美と嘆きの賛美が区別できないような声で遠くまで響き渡ったのです。

そうした中で神殿再建工事が進められていきますが、早速、それを妨害する人たちが現れます。1節と2節を見るとここに、「1 ユダとベニヤミンの敵たちは、捕囚から帰って来た人々がイスラエルの神、【主】のために宮を建てていると聞いて、2 ゼルバベルと一族のかしらたちのところに近づいて来て言った。「私たちも、あなたがたと一緒に建てたい。私たちは、あなたがたと同様、あなたがたの神を求めたいのです。私たちをここに連れて来たアッシリアの王エサル・ハドンの時以来、私たちはあなたがたの神に、いけにえを献げてきました。」」とあります。

ユダとベニヤミンの敵たちとは、北王国イスラエルがアッシリアによって滅ぼされた(B.C.722)後、パレスチナに住み着いた人たちのことです。アッシリア帝国は、征服した民族の一部を連れ去り、そこに異民族を連れて来て雑婚を図りました(Ⅱ列王記17:23~24)。これは、その地での反乱を防ぐための政治的な戦略でしたが、それゆえ、ユダヤ人とサマリヤ人の間にはものすごい軋轢が生じて、民族的嫌悪感を互いに抱いていたのです。新約聖書に出てくるサマリアの女の話は、こうした実情が背景にあります。その混血民の子孫たちは、帰還民たちがイスラエルの神、主のために神殿を建てていると聞くと、ゼルバベルと一族のかしらたちのところに近づいて来て、自分たちも彼らと一緒に建てたいと願い出ました。なぜなら、彼らはユダの民同様、イスラエルの民を礼拝してきたからです。事実16節には、アッシリアの王エサル・ハドンの時以来、彼らはずっとイスラエルの神、主に、いけにえをささげてきた、とあります。

しかし、総督ゼルバベルをはじめ、大祭司ヨシュア、そしてその他のイスラエルの指導者たちは、彼らの要請をきっぱりと断りました。なぜでしょうか。それは神殿再建は彼らに属することではなく、イスラエルに属することだったからです。3節にこうあります。「しかし、ゼルバベルとヨシュアと、そのほかのイスラエルの一族のかしらたちは彼らに言った。「私たちの神のために宮を建てることは、あなたがたにではなく、私たちに属する事柄です。ペルシアの王キュロス王が私たちに命じたとおり、私たちだけで、イスラエルの神、【主】のために宮を建てるつもりです。」

しかも、彼らはイスラエルの神、主にいけにえをささげて来たと言っていますが、彼らの信仰は混合信仰であり、主以外の神々も礼拝の対象になっていました。しかし、神殿の再建は単に箱モノを作るという話ではなく、天地創造のまことの神を信じる者の信仰共同体を再建する働きですから、どれほど宗教的な寛容さを示したにしても、その同じ信仰に立つのでなければ一緒に仕事ができないのは当然です。信仰は価値観を共有し、共に生きることを求めるからです。それでゼルバベルはじめ、大祭司ヨシュアとイスラエルの指導者たちは、彼らの要請を断ったのです。

すると、彼らはどのような行動に出たでしょうか。4~5節をご覧ください。「4 すると、その地の民はユダの民の気力を失わせようとし、脅して建てさせないようにした。4:5 さらに、顧問を買収して彼らに反対させ、この計画をつぶそうとした。このことはペルシアの王キュロスの時代から、ペルシアの王ダレイオスの治世の時まで続いた。」

すると彼らは工事を妨害し始めました。脅し、暴力、買収など、あらゆる手を尽くして再建工事を中断させようとしたのです。そしてそれは成功し、キュロス王からダレイオス王の時代まで実に16年もの間、工事は中断してしまうことになるのです。実に長い歳月です。彼らは帰還民を志願して帰って来たものの、不毛な16年間が過ぎすわけですから。

4章には、キュロス王からダレイオス王の時代(4:1-5,24)の出来事、クセルクセス王の時代の出来事(4:6)、こと、さらにアルタクセルクセス王の時代の出来事(4:7~23)と、年代的に幅のある出来事を記録しています。

ともあれ、神のみこころであったエルサレム神殿再建は、さまざまな妨害に直面し簡単には進みませんでした。つまり、神のみこころとされることあっても、このように潰されることがあるということです。しかし、神のみこころは、時が熟すれば必ず実現することになります。むしろ、神のみこころは、こうした大なり小なりの困難を乗り越えて果たされていくのです。

私が福島で会堂建設に携わっていた時もそうでした。1992年に、神はレホボテ(広々とした地)を与えてくださると約束してくださったのに、実際に会堂が完成したのはそれから6年後の1998年でした。そこには市街化調整区域の許可や宗教法人、資金などさまざまな問題がありましたが、神はこうした問題の一つ一つを乗り越えて、実に6年の歳月をかけて完成に至らせてくださったのです。神の働きが始まると、そこに必ずと言ってよいくらい逆風が吹き始めますが、そのことを恐れてはなりません。神が私たちとともにおよられるなら、最後には神の御心だけがなるからです。

Ⅱ.クセルクセス王への告訴状(6-23)

次に、6~23節をご覧ください。「6 またクセルクセスの治世には、その治世の初めに、彼らはユダとエルサレムの住民を非難する告訴状を書いた。7 また、アルタクセルクセスの時代に、ビシュラム、ミテレダテ、タベエルとほかの同僚たちは、ペルシアの王アルタクセルクセスに書き送った。その手紙の文字はアラム語で書かれ、アラム語で述べられていた。8 参事官レフム、書記官シムシャイはエルサレムに関して、次のような書状をアルタクセルクセス王に書き送った。9 これは、参事官レフム、書記官シムシャイ、ほかの同僚たち、裁判官、使節、役人、ペルシア人、ウルク人、バビロン人、スサの人々すなわちエラム人、10 その他、偉大にして高貴なアッシュルバニパルが、サマリアの町々とユーフラテス川西方のほかの地に引いて行って住まわせた諸民族からであった。11 彼らが送ったその書状の写しは次のとおりである。「ユーフラテス川西方の者、あなた様のしもべどもから、アルタクセルクセス王へ。さて、12 王にお知らせいたします。あなた様のところから、私どものところに上って来たユダヤ人たちはエルサレムに着き、あの反抗的で悪しき町を再建しております。その城壁を修復し、その礎もすでに据えられています。13 今、王にお知らせいたします。もしこの町が再建され、城壁が修復されたら、彼らは貢ぎ物、関税、税金を納めなくなり、王家に間違いなく損害を与えることになるでしょう。14 さて、私どもは王宮の塩を賜る者ですから、王に対する侮辱を見るわけにはいきません。それゆえ、私どもは人を遣わして、王にお知らせするのです。15 あなた様の先祖の記録文書を調べていただきたいのです。そうすれば、この町が反抗的な町で、王たちと諸州に損害を与えてきたこと、また昔からこの町で反乱が繰り返されたことを、その記録文書の中に見て、理解していただけるでしょう。この町が滅ぼされたのも、そのためです。16 私たちは王にお知らせします。もしこの町が再建され、城壁が修復されたら、あなたはこのためにユーフラテス川西方の権益を失ってしまわれるでしょう。」17 王は参事官レフム、書記官シムシャイ、およびサマリアとユーフラテス川西方のほかの地に住んでいる彼らの同僚たちに返事を送った。「平安があるように。さて、18 あなたがたが私たちのところに送ってよこしたあの手紙は、私の前で説明されて読まれた。19 私は命令を下し、調べさせたところ、その町は昔から王たちに対して謀反を企て、その町で反逆と反乱が行われたことが分かった。20 またエルサレムにはかつて勢力のある王たちがいて、ユーフラテス川西方の地を全部支配し、貢ぎ物、関税、税金が彼らに納められていたことも分かった。21 今あなたがたは命令を下して、その者たちの工事をやめさせ、私から再び命令が下るまで、この町が再建されないようにせよ。22 あなたがたはよく気をつけ、このことを怠ってはならない。損害が増して王の不利益となるといけないから。」23 さて、アルタクセルクセス王の手紙の写しがレフムと、書記官シムシャイと、その同僚たちの前で読まれると、彼らは急いでエルサレムのユダヤ人のところに行き、実力をもって彼らの工事をやめさせた。」

こうした彼らの反対運動はさらに続きます。6節には、ペルシャの王クセルクセス王の治世の初めに、彼らはユダとエルサレムの住民を避難する告訴状を送ったとあります。このクセルクセス王とはエステル記に登場するアハシュエロス王のことです。彼らはわざわざクセルクセス王に告訴状を書いてまで工事を中止させようとしたのです。ものすごい執念ですね。

彼らは12~16節にあるように、もしエルサレムの町が再建され、城壁が修復されたら、ユダとエルサレムの住民は貢ぎ物、関税、税金を納めなくなり、王家に間違いなく損害を与えることになるだろう(4:13)というものでした。つまり、ユダヤ人たちは町の再建と城壁の修復に力を注いでいるが、それは反逆行為だと訴えたのです。アルタクセルクセス王はその手紙を読むと、その手紙の内容を受け入れ、工事の中止を命令しました。その手紙を受け取ったサマリヤ人は、大急ぎでエルサレムに行き、武力をもって工事を中止させました。

神の働きに真剣に取り組もうとすると、時としてこうした事態に陥ることがあります。しかし、神のみこころは時が熟すれば、必ず実現することになります。そればかりではありません。試練の中を通過する聖徒たちには、神からの助けが与えられるということを覚えなければなりません。5章に登場する預言者ハガイとゼカリヤがそれです。預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの、ふたりの預言者は、ユダとエルサレムにいるユダヤ人に、彼らとともにおられるイスラエルの神の名によって預言しました。そのような妨害にあっても忘れてはならないことは、妨害を見て恐れおののくのではなく、どんな妨げがあっても神を信頼して前進することです。もうにっちもさっちもいかない状況の中で神は、こうした二人の預言者を用いて神のことばを与え、励ましていったのです。

Ⅲ.神の時(4:23-24)

いったい神殿再建という主の御業はどうなってしまったでしょうか。23~24節をご覧ください。「23 さて、アルタクセルクセス王の手紙の写しがレフムと、書記官シムシャイと、その同僚たちの前で読まれると、彼らは急いでエルサレムのユダヤ人のところに行き、実力をもって彼らの工事をやめさせた。24 こうして、エルサレムにある神の宮の工事は中止され、ペルシアの王ダレイオスの治世の第二年まで中止されたままになった。」

アルタクセルクセス王の手紙が読まれると、工事は中止に追い込まれました。工事の中止はダリヨスの治世第二年までとありますから、クロスが神殿再建の布告を出してから実に16年後のことです。折角、偉大な神のご計画によってユダの民がバビロンから解放されエルサレムに帰還したというだけでなく、預言にあるとおりエルサレムが回復するというみことばが成就しようとしていたのに、それが頓挫しようとしていたのです。

私たちにはユダヤの指導者たちのように、自分ではどうすることもできないような困難に直面することがありますが、神の約束に立って、神の時が来るのを待ち望まなければなりません。神は私たちが置かれている状況をよくご存じの上で、ご自身の御業を成そうとしておられるのです。時代も役者も変わっていきます。しかし、神がご計画されたことは、復活の主のように息を吹き返し社会を動かしていくのです。

エズラ記3章

 エズラ記3章から学びます。

 Ⅰ.祭壇の建設(1-6)

まず、1~6節をご覧ください。「1 イスラエルの子らは自分たちの町々にいたが、第七の月が来たとき、民は一斉にエルサレムに集まって来た。2 そこで、エホツァダクの子ヨシュアとその兄弟の祭司たち、またシェアルティエルの子ゼルバベルとその兄弟たちは、神の人モーセの律法に書かれているとおりに全焼のささげ物を献げるため、イスラエルの神の祭壇を築いた。3 彼らは、周りの国々の民を恐れていたので、祭壇を所定の場所に設けた。彼らはその上で【主】に全焼のささげ物、すなわち、朝ごと夕ごとの全焼のささげ物を献げた。4 彼らは、書かれているとおりに仮庵の祭りを祝い、毎日の分として定められた数にしたがって、日々の全焼のささげ物を献げた。5 それから、常供の全焼のささげ物、新月の祭りやすべての聖別された【主】の例祭のためのささげ物、そして一人ひとりが進んで献げるものを、喜んで【主】に献げた。6 彼らは第七の月の一日から全焼のささげ物を【主】に献げ始めたが、【主】の神殿の礎はまだ据えられていなかった」

エルサレムに帰還後、イスラエルの民は自分たちの町々にいましたが、第七の月が来たとき、民は一斉にエルサレムに集まって来ました。彼らはなぜ第七の月にエルサレムに集まったのでしょうか。それは、秋の祭りのためです。第七の月は現在の9月~10月にあたりますが、その時にいくつかの祭りがあるのです。まず1日にはラッパの祭り(レビ23:23~25)が、10日には贖罪の日(レビ23:26~32)があります。そして15~21日には、イスラエルにおいて三大祭の一つとされている仮庵の祭り(レビ23:33~36)があります。それで彼らはこのモーセの律法を守るために一斉に集まって来たのです。

そこで、エホツァダクの子ヨシュアとその兄弟の祭司たち、またシェアルティエルの子ゼルバベルとその兄弟たちは、神の人モーセの律法に書かれているとおりに全焼のささげ物を献げるため、イスラエルの神の祭壇を築きました。

エルサレムへの帰還において、神によって立てられた指導者が2人います。一人は大祭司ヨシュアであり、もう一人が総督ゼルバベルです。ヨシュアはアロンの家系ですが、宗教的指導者として立てられました。一方、ゼルバベルはダビデの末裔(Ⅰ歴代誌3:19)、ダビデの家系として政治的指導者として立てられました。彼らはその兄弟たちと力を合わせ、モーセの律法が命じているとおりに全焼のささげ物を献げるために、神の祭壇を築いたのです。彼らは、モーセの律法に従うことを重視しました。なぜなら、彼らの先祖たちがバビロンの捕囚となったのは、モーセの律法に違反したからです。それゆえ、同じ過ちを犯さないように、そのとおりに全焼のいけにえをささげようとしたのです。すなわち、彼らは神のことばに立ち返ったということです。これは私たちにとっても大切なことです。神のみこころは何か、何が良いことで神に受け入れられるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなければなりません。すなわち、人生を導く指針となるものは自分の考えや思いではなく、神のことばであるということを肝に銘じなければなりません。私たちは私たちの判断と行動を決める基準は、神のみことばでなければならないのです。

3節をご覧ください。ここには「彼らは、周りの国々の民を恐れていたので、祭壇を所定の場所に設けた。」とあります。どういうことでしょうか。「周りの国々の民」とは、アッシリヤ捕囚の時に外国から連れて来られた異邦人たちのことです。彼らは帰還民を襲ったり、神殿建設を妨害する可能性がありました。ですから、確かに彼らは周りの国々の民を恐れていたことでしょう。だから祭壇を所定の場所に設けたというのはどういうことなのかわかりません。ここは「確かに彼らは周りの国々の民を恐れていたが」とか、「確かに彼らは周りの国々の民を恐れていたにもかかわらず」と訳すべきでしょう。彼らは周りの国々の民を恐れていたにもかかわらず、祭壇を所定の場所、かつて神殿があったところに設けたのです。つまり、恐れを乗り越えて祭壇を建設したということです。そしてその上で、主に全焼のいけにえをささげたのです。

彼らは、モーセの律法に書かれてあるとおりに仮庵の祭りを祝い、毎日の分として定められている数にしたがって、日々の全焼のささげ物を献げました。これはB.C.586年に神殿が破壊されてから初めてささげられた全焼のいけにえでした。彼らは、その他のささげものも規定に従って喜んで主に献げました。彼らは第七の月の一日から全焼のささげものを献げ始めましたが、まだ主の神殿の礎は据えられていませんでした。神殿の礎は据えられていなくても、その準備が着々と進められていたのです。

ここに、帰還民の喜びと信仰が表れているのがわかります。そしてその全焼のいけにえこそ、イエス・キリストの贖いを表しています。そういう意味では、私たちもイエス・キリストの贖いに与っている者として、喜びと真心をもって祭壇を築くことが求められています。この世というバビロンから解放され神の国の一員として加えられた今、私たちも日々祈りとみことばという祭壇を築いて、主に自分自身を献げていきたいものです。

Ⅱ.神殿建設(7-13)

次に、7~13節をご覧ください。「7 彼らは石切り工や大工には金を与え、シドンとツロの人々には食べ物や飲み物や油を与えた。それはペルシアの王キュロスが与えた許可によって、レバノンから海路、ヤッファに杉材を運んでもらうためであった。8 彼らがエルサレムにある神の宮のところに着いて二年目の第二の月に、シェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアと、そのほかの同僚の祭司とレビ人たち、および捕囚からエルサレムに帰って来たすべての人々は、【主】の宮の工事を指揮するために二十歳以上のレビ人を立てて、工事を始めた。9 こうして、ヨシュアと、その息子たち、その兄弟たち、カデミエルとその息子たち、ユダの息子たちは一致して立ち、神の宮の工事に当たる者たちを指揮した。ヘナダデの息子たちと孫たち、そのレビ人の兄弟たちもそうした。10 建築する者たちが【主】の神殿の礎を据えたとき、イスラエルの王ダビデの規定によって【主】を賛美するために、祭服を着た祭司たちはラッパを持ち、アサフの子らのレビ人たちはシンバルを持って出て来た。11 そして彼らは【主】を賛美し、感謝しながら「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに」と歌い交わした。こうして、【主】の宮の礎が据えられたので、民はみな【主】を賛美して大声で叫んだ。12 しかし、祭司、レビ人、一族のかしらたちのうち、以前の宮を見たことのある多くの老人たちは、目の前でこの宮の基が据えられたとき、大声をあげて泣いた。一方、ほかの多くの人々は喜びにあふれて声を張り上げた。13 そのため、喜びの叫び声と民の泣き声をだれも区別できなかった。民が大声をあげて叫んだので、その声は遠いところまで聞こえた。」

7節をご覧ください。この時点ではまだ神殿建設は始まっていませんでしたが、その準備は進められていました。彼らは、ソロモンによる第一神殿建設の時と同じように、まず石材と木材を確保しようとしました。そのため、彼らは石切り工や大工には金を与えました。また木材を手に入れるために、シドンとツロの人々には食べ物と飲み物と油を与えました。それはレバノンから海路、ヤッファに杉材を運んでもらうためです。ヤッファからエルサレムまでは陸路です。神殿を再建することは、その資材の購入と搬入だけでも大仕事だったのです。

彼らがエルサレムにある神の宮のところに着いて二年目の第二の月に、シェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアと、そのほかの同僚の祭司とレビ人たち、および捕囚からエルサレムに帰って来たすべての人々は、主の宮の工事を指揮するために二十歳以上のすべてのレビ人を立てて、工事を始めました。ゼルバベルは、レビ人たちを工事の監督に任命しました。それはかつて彼らが神殿建設に携わったことがあったからです(出エジプト38:21)。それは祭壇が築かれてから七か月が経過した時のことでした。この年は最初に捕囚の民がバビロンに連れて行かれてから(B.C.605)ちょうど70年目でした。

「こうして、ヨシュアと、その息子たち、その兄弟たち、カデミエルとその息子たち、ユダの息子たちは一致して立ち、神の宮の工事に当たる者たちを指揮した。ヘナダデの息子たちと孫たち、そのレビ人の兄弟たちもそうした。」(9)

3組のレビ人の家族が工事を監督したということです。それはヨシュアとその息子たち、兄弟たち、カデミエルとその息子たち、ユダの息子たち、です。彼らは一致して立ち、神の宮の工事に当たる者たちを指揮しました。

彼らは町の城壁を再建する前に神殿の建設に着手しました。なぜでしょうか。もし城壁を建設しなければ周りの敵に攻撃されてしまいます。それなのに、防衛のための城壁よりも神殿そのものの建設に着手したのです。それは、神がともにおられるならば、いかなる敵の攻撃からも守られると信じていたからです。これは私たちの信仰においても言えることです。神がともにおられるなら、いかなる困難にも立ち向かうことができます。私たちにとって最も重要なことは、その神の臨在を求めることであり、最優先にすべきことです。神殿建設は、まさに彼らの真ん中に神の臨在を招き入れるためのものだったのです。

「建築する者たちが【主】の神殿の礎を据えたとき、イスラエルの王ダビデの規定によって【主】を賛美するために、祭服を着た祭司たちはラッパを持ち、アサフの子らのレビ人たちはシンバルを持って出て来た。そして彼らは【主】を賛美し、感謝しながら「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに」と歌い交わした。こうして、【主】の宮の礎が据えられたので、民はみな【主】を賛美して大声で叫んだ。」(10-11)

彼らがあらゆる困難を乗り越えて神殿の礎を据えたとき、祭司とレビ人たちは、ダビデの規定によって主を賛美しました。ダビデの規定によってとは、ダビデが契約の箱をエルサレムに携え上った時に主を賛美したようということです(Ⅰ歴代誌16:5~6)。そして彼らは主を賛美し、感謝しながら「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに」と歌いました。これはⅡ歴代誌5章13節、また、詩篇136篇1節と同じ内容です。「恵み」とは、契約に基づく神の愛を指しています。彼らは神殿での礼拝が回復したとき、契約に対する神の忠実さ、真実さを再確認して、心から主に感謝し、賛美をささげたのです。

一方、そうでない人たちもいました。12節をご覧ください。「しかし、祭司、レビ人、一族のかしらたちのうち、以前の宮を見たことのある多くの老人たちは、目の前でこの宮の基が据えられたとき、大声をあげて泣いた。」

彼らのうち、以前、宮を見たことのある多くの老人たちは、目の前で神殿の礎が据えられたとき、大声をあげて泣きました。なぜでしょうか。彼らは最初の神殿を見たことのある祭司、レビ人、一族のかしらたちでした。その最初の神殿、これはソロモンによって建てられた神殿ですが、それと比べるといかにも貧弱だったからです。ソロモンの神殿についてはすでに学んだとおりですが、それは用いている材料といい、サイズといい、芸術的な細工といい、絢爛豪華でした。まさに息をのむほどの豪華さでした。それに比べたら今、目の前に据えられた神殿は、無きに等しいほど貧弱なものだったのです。そのため、彼らは大声を上げて泣きました。

私たちにもこのようなことがあるのではないでしょうか。過去の記憶に縛られていることが多くあります。しかし、私たちに過去を変えることはできません。変えることができるのは、それがもたらした神の恵みです。その記憶をどのように心の内で処理するかということです。過去は私たちの歩みを導く舵になることもあれば、私たちの歩を妨げる足かせにもなりうるからです。

過去がもたらした現状に立ちつつも、信仰をもって未来を展望する歩みがあります。信仰がなければ、過去は望みを奪う鎖となって私たちを縛り付けますが、しかし、たとえどんな過去を生きようとも信仰をもって未来を展望するなら、そこに私たちは神の御業を期待することができるのです。たとえ貧弱な未来を予測することがあっても、神の祝福は私たちの思いをはるかに超えたものであり、その可能性は計り知れないのです。だから、「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえからとこしえまで。」と主を賛美して大声で叫ぶ者でありたいと思います。

エズラ記2章

 

 エズラ記2章から学びます。

 Ⅰ.エルサレムに帰還した人々(1-58)

まず、1~58節をご覧ください。「1 バビロンの王ネブカドネツァルがバビロンに引いて行った捕囚の民で、その捕囚の身から解かれてエルサレムとユダに上り、それぞれ自分の町に帰ったこの州の人々は次のとおりである。2 彼らは、ゼルバベル、ヨシュア、ネヘミヤ、セラヤ、レエラヤ、モルデカイ、ビルシャン、ミスパル、ビグワイ、レフム、バアナと一緒に帰って来た。イスラエルの民の人数は次のとおりである。3 パルオシュ族、二千百七十二人。4 シェファテヤ族、三百七十二人。5 アラフ族、七百七十五人。6 ヨシュアとヨアブの二族からなるパハテ・モアブ族、二千八百十二人。7 エラム族、一千二百五十四人。8 ザト族、九百四十五人。9 ザカイ族、七百六十人。10 バニ族、六百四十二人。11 ベバイ族、六百二十三人。12 アズガデ族、一千二百二十二人。13 アドニカム族、六百六十六人。14 ビグワイ族、二千五十六人。15 アディン族、四百五十四人。16 ヒゼキヤ族、すなわちアテル族、九十八人。17 ベツァイ族、三百二十三人。18 ヨラ族、百十二人。19 ハシュム族、二百二十三人。20 ギバル族、九十五人。21 ベツレヘム人、百二十三人。22 ネトファの人々、五十六人。23 アナトテの人々、百二十八人。24 アズマウェテ人、四十二人。25 キルヤテ・アリム人とケフィラ人とベエロテ人、七百四十三人。26 ラマ人とゲバ人、六百二十一人。27 ミクマスの人々、百二十二人。28 ベテルとアイの人々、二百二十三人。29 ネボ人、五十二人。30 マグビシュ族、百五十六人。31 別のエラム族、一千二百五十四人。32 ハリム族、三百二十人。33 ロデ人とハディデ人とオノ人、七百二十五人。34 エリコ人、三百四十五人。35 セナア人、三千六百三十人。36 祭司は、ヨシュアの家系のエダヤ族、九百七十三人。37 イメル族、一千五十二人。38 パシュフル族、一千二百四十七人。39 ハリム族、一千十七人。40 レビ人は、ホダウヤ族のヨシュアとカデミエルの二族、七十四人。41 歌い手は、アサフ族、百二十八人。42 門衛の人々は、シャルム族、アテル族、タルモン族、アクブ族、ハティタ族、ショバイ族、合計百三十九人。43 宮のしもべたちは、ツィハ族、ハスファ族、タバオテ族、44 ケロス族、シアハ族、パドン族、45 レバナ族、ハガバ族、アクブ族、46 ハガブ族、シャルマイ族、ハナン族、47 ギデル族、ガハル族、レアヤ族、48 レツィン族、ネコダ族、ガザム族、49 ウザ族、パセアハ族、ベサイ族、50 アスナ族、メウニム族、ネフシム族、51 バクブク族、ハクファ族、ハルフル族、52 バツルテ族、メヒダ族、ハルシャ族、53 バルコス族、シセラ族、テマフ族、54 ネツィアハ族、ハティファ族。55 ソロモンのしもべたちの子孫は、ソタイ族、ソフェレテ族、ペルダ族、56 ヤアラ族、ダルコン族、ギデル族、57 シェファテヤ族、ハティル族、ポケレテ・ハ・ツェバイム族、アミ族。58 宮のしもべたちと、ソロモンのしもべたちの子孫は、合計三百九十二人。」

ここには、バビロンからエルサレムに帰還した人々の名簿が記されてあります。1章1節には、「ペルシャの王キュロスの第一年に、エレミヤによって告げられた主のことばが成就するために、主はペルシャの王キュロスの霊を奮い立たせた。」とありますが、そのように主の働きかけによってエルサレムへの帰還が実現しました。神はまさにみこころを成し遂げられる方なのです。1節に「この州の人々」とありますが、これはこの捕らえられていたユダの人々のことです。ユダはペルシャの行政区である州のひとつでした。エズラは、この帰還民たちをいくつかのグループに分けて書き記しています。

まず、11名の宗教的・政治的リーダーたちです。「彼らは、ゼルバベル、ヨシュア、ネヘミヤ、セラヤ、レエラヤ、モルデカイ、ビルシャン、ミスパル、ビグワイ、レフム、バアナと一緒に帰って来た。」(2節)

ネヘミヤ記7章7節には、12名の名前が上げられていますが、エズラ記には、そのうち「ナハマニ」の名前が抜けています。おそらく、写本の段階で抜けてしまったのでしょう。極めて珍しいケースです。ですから、本来は12名であったと思われます。

「ゼルバベル」は、政治的指導者で、行政の長として働きました。この総督ゼルバベルについては、ゼカリヤも、6章11節にも記されてあります。「ヨシュア」は、当時の大祭司です。総督ゼルバベルとともに神殿再建の指導者として立てられました。「ネヘミヤ」は、ネヘミヤ記を書いたネヘミヤとは別の人物です。というのは、ネヘミヤがエルサレムに帰還するのは、この時から90年後のことだからです。「モルデカイ」も、エステル記のモルデカイとは別の人物です。エステル記の物語は、エズラ記から60年後の出来事ですから。

3~20節には、氏族ごとの人数が記されてあります。それは18の氏族、合計15,604名です。21~35節には、町や村ごとの人数が記されてあります。ユダとベニヤミン族の中にある町です。その合計は、8,540名です。36~39節は、祭司の人数です。合計で、4,289名。40~42節には、レビ人の人数、その数は、341名です。43~58節には、宮に仕える歌うたいや門衛などの氏族の人数が記されており、その数は、392名です。

Ⅱ.系図のない人々(59-63)

しかし、次の人々は、自分たちの先祖の家系と血統がイスラエル人であったかどうかを証明できませんでした。59~63節をご覧ください。「59 次の人々はテル・メラフ、テル・ハルシャ、ケルブ、アダン、イメルから引き揚げて来たが、自分たちの先祖の家系と血統がイスラエル人であったかどうかを証明できなかった。60 デラヤ族、トビヤ族、ネコダ族、六百五十二人。61 祭司の子孫の中では、ホバヤ族、ハ・コツ族、バルジライ族。このバルジライは、ギルアデ人バルジライの娘の一人を妻にしたので、その名で呼ばれていた。62 これらの人々は自分たちの系図書きを捜してみたが、見つからなかったので、彼らは祭司職を果たす資格がない者とされた。63 そのため総督は彼らに、ウリムとトンミムを使える祭司が起こるまでは、最も聖なるものを食べてはならないと命じた。」

ここには、自分たちの先祖の家系と血統がイスラエル人であるかどうか証明できなかった者たちについて記されてあります。すなわち、デラヤ族、トビヤ族、ネコダ族の合計652人です。

祭司の子孫のうちにも、系図がなかったため祭司職を証明できない者たちがいました。すなわち、ホバヤ族、ハ・コツ族、バルジライ族です。このバルジライは、ギルアデ人バルジライの娘の一人を妻にしたので、その名で呼ばれていました。彼らは、自分たちの系図書きを捜してみましたが見つからなかったので、祭司職を果たす資格がない者とみされたのです。それで総督は、ウリムとトンミムを使える祭司が起こるまでは最も聖なるものを食べてはならないと命じました。「最も聖なるもの」とは、ささげものの中から祭司が受け取る分」のことです。また、ウリムとトンミムとは大祭司の胸に付ける二つの石のことで、神のみこころを判断するために用いられました。それによって彼らが本当の祭司であるかどうかを神に伺いを立て判別したのです。

Ⅲ.自発的なささげ物(64-70)

「64 全会衆の合計は四万二千三百六十人であった。65 このほかに、彼らの男女の奴隷が七千三百三十七人いた。また、彼らには男女の歌い手が二百人いた。66 彼らの馬は七百三十六頭。らばは二百四十五頭。67 らくだは四百三十五頭。ろばは六千七百二十頭であった。
  68 一族のかしらの中のある者たちは、エルサレムにある【主】の宮に着いたとき、神の宮を元の場所に建てるために、自分から進んでささげ物をした。69 彼らは自分たちの財力に応じて、工事資金として金六万一千ダリク、銀五千ミナ、祭司の長服百着を献げた。70 こうして、祭司、レビ人、民のある者たち、歌い手、門衛、宮のしもべたち、すなわち、全イスラエルは自分の元の町々に住んだ。」

全集団の合計は、42,360名でした。でも、このエズラ記2章に記されている人数を合計すると、29818名になります。この違いから、このエズラ記の記述は虚構だと主張する学者もいますが、そういうことではありません。この違いは、統計の取り方の違いです。おそらく全集団の合計には、婦人や子供たちが含まれていたのでしょう。また、北の10部族の中から帰還した人たちもいたものと思われます。あるいは、系図のない祭司たちの数もここに含まれていたのかもしれません。こういう人たちを全部含めると、42,360名であったということです。

ここで大切なのは、これらの人たちはエルサレムで神殿を再建するためにバビロンで慣れ親しんだ地を捨てた人々であったということです。それは、当時バビロンに住んでいたユダヤ人の総数からすれば少数派でした。多くのイスラエルの人々は捕虜であったとはいえ、50年以上も定住し、ある意味で自分たちの生活が出来上がったバビロンにとどまりました。彼らは、安全と富を保障してくれる現状の生活に満足し、神が与えてくださった約束の地を捨てたのです。そのような人たちの中にあって、神が約束してくださったことを信じ、それに応答した人たちがいたのです。新しい環境に飛び込むことは勇気を要したことでしょう。でもこの人たちはその思い越しを上げて、あえてはるか数千キロも離れた地に出て行ったのです。そういう冒険的な旅をした人たちの記録なのです。

確かに、そのような人たちがいなければ、物事が進まないことがあります。誰かが道を拓かなければなりません。私はこれまで何回か開拓伝道に取り組んだことがありますが、まさに開拓伝道はその一つでしょう。だれかが始めなければ道が開かないことがあります。一歩先を進んで行かなければならないことがあるのです。彼らはその一歩先を進んで行ったのです。

そればかりではありません。68節には「一族のかしらの中のある者たちは、エルサレムにある【主】の宮に着いたとき、神の宮を元の場所に建てるために、自分から進んでささげ物をした。」とあります。一族のかしらの中のある者たちは、進んでささげものをしました。その金額は、工事資金として金六万一千ダリク、銀五千ミナ、祭司の長服百着でした。これは金256キロ、銀3トンです。それに祭司の長服100着ですから、莫大な金額でした。これでけのものをささげたのです。ある意味手弁当で工夫し、自分たちにできることから始めていったのです。そんな人たちが物事のきっかけを作っていったのです。そして神はそうした一歩を祝福されたのです。

それにしても、ここに自分の出身地、名前が記されているのを見た読者たちは、どれほど感動したことでしょうか。私たちの名はどこに記されてあるでしょうか。主イエスは「ただあなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」(ルカ10:20)と言われました。私たちの名は天に書き記されています。神の恵みに応答し、天に名が記されてあることを喜びましょう。

エズラ記1章

 

 

 今日からエズラ記の学びに入ります。今日はエズラ記1章です。

 Ⅰ.主によって霊を奮い立たせられたキュロス(1)

まず、1節をご覧ください。「1 ペルシアの王キュロスの第一年に、エレミヤによって告げられた【主】のことばが成就するために、【主】はペルシアの王キュロスの霊を奮い立たせた。王は王国中に通達を出し、また文書にもした。」

エズラ記は、イスラエルの民がバビロン捕囚を終えてエルサレムに帰って来た時の記録です。前538年、ペルシャの王キュロスはバビロン帝国を征服しました。彼の最初の事業は、バビロンで捕虜となっていたイスラエルの民を解放することでした。それはキュロス王の第一年のことでした。エレミヤによって告げられた主のことばが成就するために、主はペルシャの王キュロスの霊を奮い立たせました。エレミヤによって告げられた主のことばとは、バビロンに捕えられていたユダの民が、七十年後にそこから解放されてエルサレムに帰還するという約束です。エレミヤ29章10節にこうあります。「まことに、【主】はこう言われる。『バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。」

エレミヤは、バビロン捕囚は70年で終わることを預言していました。この1節だけを見ると、まるでキュロス王がイスラエルの神を信じていたかのような印象を受けますが、そうではありません。彼はバビロンのマルドゥーク神を中心に多神教の神を信じていました。そんな彼がイスラエルの民の帰還と神殿の再建を許したのは、政治的目的のためでした。つまり、ペルシャ帝国の周りに強力な国を配置し、防衛力を高めようとしたのです。しかし、結果的にそれがこのエレミヤによって語られた主のことばが成就することになりました。これは、主の力によるものだったのです。

それにしても、主は異国の王の霊を奮い立たせ、ご自身のみことばが成就するために用いられたというのはすごいことです。どうしてこのようなことがおこったのでしょうか。その背後には、預言者ダニエルなど信仰の勇者たちがいたことがわかります。ダニエルは第一次バビロン捕囚の時(前605年)にバビロンに連れて行かれましたが、バビロンからペルシャの時代に変わると、このキュロス王の治世に栄え(ダニエル6:28)、用いられていました。彼は、預言者エレミヤにあった主のことばによって、エルサレムの荒廃の帰還が満ちるまでの年数が七十年であるみことばを、文書によって知っていました(ダニエル9:2)。また、勿論、彼は旧約聖書に精通していましたから、エレミヤからさらに100年前に活躍していた預言者イザヤのことばも知っていたでしょう。そこには、エルサレムの神殿再建のためにキュロスという人物を用いるということが名指して預言されていたことも知っていました。イザヤ44章24~28節です。「24 あなたを贖い、あなたを母の胎内で形造った方、【主】はこう言われる。「わたしは万物を造った【主】である。わたしはひとりで天を延べ広げ、ただ、わたしだけで、地を押し広げた。25 わたしは易者のしるしを打ち壊し、占い師を狂わせ、知恵ある者を退けて、その知識を愚かにする。26 主のしもべのことばを成就させ、使者たちの計画を成し遂げさせる。エルサレムについては『人が住むようになる』と言い、ユダの町々については『町々は再建され、その廃墟はわたしが復興させる』と言う。27 淵については『干上がれ。わたしはおまえの豊かな流れを涸らす』と言う。28 キュロスについては『彼はわたしの牧者。わたしの望むことをすべて成し遂げる』と言う。エルサレムについては『再建される。神殿はその基が据えられる』と言う。」

すごいですね、キュロスの時代から遡ること150年も前に、主はイザヤを通してこのように語っておられたのです。

それは同じイザヤ書45章1~8節にも記されてあります。「1 【主】は、油注がれた者キュロスについてこう言われる。「わたしは彼の右手を握り、彼の前に諸国を下らせ、王たちの腰の帯を解き、彼の前に扉を開いて、その門を閉じさせないようにする。2 わたしはあなたの前を進み、険しい地を平らにし、青銅の扉を打ち砕き、鉄のかんぬきをへし折る。3 わたしは秘められている財宝と、ひそかなところに隠された宝をあなたに与える。それは、わたしが【主】であり、あなたの名を呼ぶ者、イスラエルの神であることをあなたが知るためだ。4 わたしのしもべヤコブのため、わたしが選んだイスラエルのために、わたしはあなたを、あなたの名で呼ぶ。あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに肩書きを与える。5 わたしが【主】である。ほかにはいない。わたしのほかに神はいない。あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに力を帯びさせる。6 それは、日の昇る方からも西からも、わたしのほかには、だれもいないことを、人々が知るためだ。わたしが【主】である。ほかにはいない。7 わたしは光を造り出し、闇を創造し、平和をつくり、わざわいを創造する。わたしは【主】、これらすべてを行う者。8 天よ、上から滴らせよ。雲よ、義を降らせよ。地よ、開け。天地が救いを実らせるように。正義をともに芽生えさせよ。わたしは【主】。わたしがこれを創造した。」

ここには、キュロスのことが「油注がれた者」と言われています。主はバビロンを滅ぼしイスラエルをその束縛から解放するために、彼が誕生するはるか前から彼を選び、ご自身の計画を実行する使命を与えておられたのです。

ダニエルは、こうした主の預言を知っていて、それをキュロスに知らせていたのだと思われます。主は歴史の中でこのような器を用意し、ご自身の目的を遂行するために用いておられたのです。それは私たちも同じです。エペソ1章4節には、「すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。」とあるように、私たちも世界の基の置かれる前から、救いに選ばれていたのです。それは、この歴史の中で、神から与えられている使命を成し遂げるためです。

いずれにせよ、神は人の心を奮い立たせたり、変えたりすることがおできになられる方です。ですから、今どのような状況に置かれていていたとしても、それに動揺したり失望したりする必要はありません。神は歴史さえも支配しておられるお方だからです。そして、その歴史をご自身の目的に向かって導いておられるのです。ですから、この歴史さえも支配しておられる神を認め、神に信頼して生きることです。神は約束されたことを忘れずに必ず実行してくださる誠実なお方であり、エレミヤによって語られた預言が成就するように時代を動かされたお方であるとしっかり受け止めなければなりません。バビロンに捕虜となっていた人たちの中でいったいだれがこのようなことを考えていた人がいたでしょうか。国を再興するという神の約束を聞かされてはいても、それが現実になるとはだれも考えられなかったでしょう。しかし、神はキュロスの霊を奮い立たせ、キュロスに必要なものを支援するようにと働きかけ、そのようにしてイスラエルの民に希望を与えられました。ですから、私たちはこの誠実な主に信頼し、この方を見上げて、平安を得たいと思うのです。

Ⅱ.キュロスの布告の内容(2-4)

では、このキュロスの布告とはどのような内容でしょうか。2~4節をご覧ください。「2 「ペルシアの王キュロスは言う。『天の神、【主】は、地のすべての王国を私にお与えくださった。この方が、ユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てるよう私を任命された。3 あなたがた、だれでも主の民に属する者には、その神がともにいてくださるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、【主】の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。4 あとに残る者たちはみな、その者を支援するようにせよ。その者がどこに寄留しているにしても、その場所から、その土地の人々が、エルサレムにある神の宮のために進んで献げるものに加え、銀、金、財貨、家畜をもってその者を支援せよ。』」」

ここでキュロスは、イスラエルの神を「天の神」と呼んでいます。それは彼がこの神を信じていたからではありません。先に申し上げたように、彼は多神教の神々を受け入れていました。そんな彼がここでイスラエルの神を「天の神」と呼んだのは、イザヤやエレミヤが預言した主のことばを聞いた時、少なからず彼の中に、イスラエルの神に対する畏敬の念が生じたからでしょう。イスラエルの神こそ天地を創造した方であり、その神によって自らがバビロンを滅ぼし、バビロンに捕囚となっている主の民をエルサレムに帰還させる使命が与えられているという意識が芽生えていたのです。それでも彼の中には、このイスラエルの神はエルサレムにおられる神であるという意識から離れることはできませんでした。それで彼は、このイスラエルの神、主のために宮を建てること、神殿再建の事業を進めたのです。それは、神殿がイスラエルの民にとって宗教的要であり、主を礼拝することがすべての働きの土台になることだったからです。

 その働きに参与したのは、「主の民に属する者」でした。主の民に属する者には、神がともにいてくださり、神殿再建の業を進めていくようにというのです。あとに残る者たちはどうでしょうか。「あとに残る者たち」はみな、その者たちを支援しなければなりませんでした。すなわち、その土地の人々が、エルサレムにある神の宮のために進んでささげるものに加え、銀、金、財貨、家畜をもってその者たちを支えなければならなかったのです。彼らはなぜあとに残ったのでしょうか。なぜエルサレムに帰還することを選ばなかったのか。それぞれいろいろな事情があったのでしょう。帰りたくても帰れないとか、ずっと住み慣れた地にいる方が安定した生活をすることができると判断したのかもしれません。むしろ、住み慣れたバビロンの地から帰ることを選択する方が困難だったと思います。バビロンに連れて行かれた時は10歳くらいの年齢だった人はもう80~90歳になっていました。「帰れ」と言われても無理です。そこに定住した方がよっぽど楽なのです。それで、彼らはそこに残り、ささげものをもって支えなければならなかったのです。

このようにあとに残ってささげ物をしたことは素晴らしいことですが、彼らがバビロンに留まったのは必ずしもほめられたことではありません。彼らはバビロンでの生活に慣れ、物質的にも裕福になっていたので、冒険をしたくなかったのでしょうが、その後、彼らがエステル記にあるような危機的な状況を迎えることになったことを思う時、神の御心から離れた生活は非常に危険なものとなるということがわかります。神の御心の内を歩むことこそ、もっとも安全な道なのです。

Ⅲ.イスラエルの民の応答(5-11)

こうしたキュロス王の布告に対して、イスラエルの民はどのように応答したでしょうか。5~11節をご覧ください。「5 そこで、ユダとベニヤミンの一族のかしらたち、祭司たち、レビ人たちは立ち上がった。エルサレムにある【主】の宮を建てるために上って行くように、神が彼ら全員の霊を奮い立たせたのである。6 彼らの周りの人々はみな、銀の器、金、財貨、家畜、選りすぐりの品々、そのほか進んで献げるあらゆる物をもって彼らを力づけた。7 キュロス王は、ネブカドネツァルがエルサレムから持ち出して、自分の神々の宮に置いていた【主】の宮の器を運び出させた。8 ペルシアの王キュロスは財務官ミテレダテに命じてこれを取り出し、その数を確かめさせ、ユダの首長シェシュバツァルに渡した。9 その数は次のとおりであった。金の皿三十、銀の皿一千、香炉二十九、10 金の鉢三十、予備の銀の鉢四百十、その他の器一千。11 金や銀の用具は全部で五千四百あった。捕囚の民がバビロンからエルサレムに上ることを許されたとき、シェシュバツァルはこれらの物をみな一緒に携えて上った。」

それに対して、まず立ち上がったのはユダとベニヤミンの一族のかしらたち、祭司たち、レビ人たちでした。これらの人たちは、宗教的指導者たちでした。宗教的な指導者たちが立ち上がったということです。さらに、ユダとベニヤミンの一族のかしらたち、すなわち長老たちです。ユダとベニヤミン族は、バビロンによって捕囚に連れて行かれた部族です。かつて神殿があったエルサレムを中心に生きていた人たちです。そのかしらたちが立ち上がったのです。

いったいどうして彼らは立ち上がったのでしょうか。ここにも、「エルサレムにある主の宮を建てるために上って行くように、神が彼らを全員の霊を奮い立たせたのである。」とあります。エルサレムにある主の宮を建てるために上って行くように、神が彼ら全員の霊を奮い立たせたからです。それを神の御心と受け止めた人たちということです。彼らはその霊を奮い立たせられて、実際にその働きに携わっていったのです。主の御業は、このようにその霊を奮い立たせられた人たちによって成し遂げられていくのです。財貨があったらからではありません。信仰があったからです。

さらに彼らの周りにいた人々もみな、銀の器、金、財貨、家畜、選りすぐりの品々、そのほか進んで献げるあらゆる物をもって彼らを力づけました。これは、自分自身は行かないけれども、捧げものをもって協力した人々です。こうして彼らは各々にふさわしい役割を担って、一致してことに当たって行ったということです。

その結果、どんなことが起こったでしょうか。その時、キュロス王もまた、自分の神が身の宮に置いていた主の宮の器を運び出させ、それをもって彼らを援助しました。これは、バビロンの王ネブカドネツァルがエルサレムから持ち出して自分の神が身の宮に置いていたものですが、それを取り出して彼らに与え、彼らの必要に応えたのです。

キュロスが財務官ミテレダテに命じてその数を調べさせたところ、金や銀の用具は全部で5,400もありました。莫大な金額です。彼らの信仰に神がキュロスの心に働きかけ、それだけの援助がなされたのです。私はかつて福島で開拓伝道をしたとき、会堂建設に取り組んだことがありました。本当にわずかなメンバーでどうやって会堂を建設することができるのか想像もつきませんでしたが、主によってその霊を奮い立たせられた人たちが自分の手にあるものを進んでささげたとき、素晴らしい主の御業を拝することができました。立派な会堂が与えられたのです。私は思いました。教会堂はお金があればできるのではない。信仰によって建て上げられるのだと。

彼らはそれをユダの首長シェシュバツァルに渡しました。シェシュバツァルという人物については、バビロンに連れて行かれたユダの王エホヤキンの息子ではないかとか、ペルシャの役人の一人だという説、また、その後に登場する総督ゼルバベルではないかという説などがありますが、個人的にはゼルバベルと同一人物ではないかと考えています。いずれにせよ、捕囚の民がバビロンからエルサレムに上ることを許されたとき、シェシュバツァルはこれらの物をみな一緒に携え上りました。 このように、ユダの民がバビロンからエルサレムに帰還し、そこで神殿を再建するという主の御業は、主によってその霊を奮い立たせた足せられた人たちによって成し遂げられて行きました。そのために主は、異邦人の王さえも用いられたのです。それは今も同じです。私たちが主の御業を成し遂げていくために必要なのは、主によってその霊を奮い立たせていただくことです。その時、私たちが想像もできなかったような大いなる主の御業を見ることができるようになります。主がそこに働かれるからです。私たちもこの置かれた時代、この場所で、主の御業を成し遂げていくために、主によってその霊を奮い立たせていただきましょう。そして、そのためにダニエルのようにみことばの約束をしっかりと握り締め、祈り続ける者でありたいと思います。