エズラ記7章から学びます。
Ⅰ.律法に通じている学者エズラ(1-6)
1節には「これらの出来事の後」とあります。「これらの出来事」とは、1~6章までに記されてある内容を指します。具体的には、ゼルバベル主導の下に行われた神殿再建工事のことです。ゼルバベルや大祭司ヨシュアは反対者の妨害に遭いながらも、ハガイやゼカリヤといった預言者たちが語る神のことばによって励まされ、神殿再建工事を完成させました。紀元前516年のことです。これらの出来事の後、ペルシャの王アルタクセルクセス王(新改訳第三版ではアルタシャスタ王)の治世に、エズラがバビロンから帰還します。これが第二次エルサレム帰還です。それは7節にあるように、アルタクセルクセス王の第七年のこと、紀元前458年のことでした。ですから、エズラがエルサレムに帰還したのは神殿再建工事が完成してから実に57年後のことでした。ということは、エズラ記6章と7章の間には、約57年の空白期間があるということになります。ちなみに、エステル記の出来事はアハシュエロス王(クセルクセス1世)の治世の時のことなので、エズラ記6章と7章の間の出来事です。
ここにはエズラについて紹介されていますが、彼はセラヤの子で、順次遡っていくと、彼は祭司のかしらアロンの子孫であることがわかります。つまり彼は祭司だったのです。なぜここに系図を書き記したのかというと、そのことを証明したかったからです。というのは、1章61~63節にはゼルバベルの指導の下エルサレムに帰還した民の中に祭司の子孫たちがいましたが、自分たちの系図書きを探しても見つからなかったため、祭司職を果たすことができなかったからです。その資格がないとみなされたからです。ですから、彼が祭司であることを証明するために、このように系図を書き記す必要があったわけです。
このエズラがバビロンから上って来たのです。6節には、彼は単に祭司であったというだけでなくモーセの律法に精通した学者であったとあります。どういうことでしょうか。新しいエルサレムの再建にあたっては、ゼルバベルや大祭司ヨシュアの強力なリーダーシップがありましたが、その土台はモーセの律法、すなわち、神のことばであったということを示しているのです。神殿再建という神の働きは、神のことばという霊的土台の上に成されたということです。それは今日の教会にも言えることです。教会のすべての活動は祈りとみことばという土台の上に築き上げられなければなりません。その中心は何でしょうか。礼拝です。毎週日曜日の礼拝を通して神のことばが語られ、そのみことばに祈りをもって応答していくことによって、従っていくことによって教会は建て上げられていくのです。これが教会の本質的なことであって、これを抜きに教会が建て上げられることはありません。
今週の礼拝に、久しぶりにOさん家族が来会されました。今回来られたのは、1歳4か月の息子さんを見せたいからということでしたが、実はもう一つの目的がありました。それは、現在通っておられる教会をどうしたら良いか聞くためでした。Oさんはその教会に行って3年しか経っていませんが、集っておられる十数人の方々はご高齢の方で、牧師も働きながらの牧会なので疲れもあり、月2回の礼拝はOさんが説教の時間にC-BTEのテキストから教えているのだそうです。どうやらその教会の牧師はOさんを後継者にどうかと考えておられるようですが、自分はすどうしたら良いかとアドバイスを求めて来られたのです。土曜日に一緒に昼食を食べてから洋型までずっと話が止まりませんでした。大切な奥様息子さんを傍で遊ばせながら。私はずっとお話を聞いていて、一つのことだけ伝えました。それは礼拝を大切にするようにということです。他の活動ができなくても、礼拝だけはしっかり準備するようにと。たとえば、その教会では毎年シンガポールからチームを招いて伝道しているそうですが、それによって教会に繋がった人がいるかというとそうではなく、一時的なイベントで終わっていました。それが悪いということではなく、そうしたことも素晴らしいことですが、でももっと重要なことはそれが何の上に立っているかということです。それがみことばの上に立っていないと、元も子も無くなってしまいます。そう言うと、「えっ、えっ、どういうことですか?」と質問したので、はっきり伝えました。「日曜日の説教はみことばを通して神様が語られるのであって、C-BTEのテキストをやるときではない。それは礼拝の後で学ぶものですよ。毎週の礼拝でみことばがしっかりと語られ、一人一人が祈りの中でそのみことばに応答することによって教会は建て上げられていくんですよ」と。すると、わかったような、わからないような感じで宿泊のため那須の教会に行き、翌日の礼拝に出席されました。
礼拝が終わると、Oさんが私のところに来てこう言いました。「先生、わかりました。神のみこころに生きるということがどういうことなのかが。そういうふうにしたいです。帰って向こうの牧師と相談してみます。」
何がわかったのかわかりませんが、少なくても礼拝が重要であるということ、そして教会の土台はこのみことばと祈りなのだということがわかったのだと思います。
そのような働きを、神が祝福してくださらないわけがありません。6節をご覧ください。ここには「彼の神、主の御手が彼の上にあったので、王は彼の願いをすべてかなえた」とあります。この「王」とは、ペルシャの王アルタクセルクセス(アルタシャスタ)王のことですが、神のことばを土台として進められたエルサレムの再建工事には神の御手がともにあったので、異教の王であったアルタクセルクセス王がすべての願いをかなえてくれるほど祝福されたのです。
Ⅱ.エルサレムに到着したエズラ(7-10)
次に、7~10節をご覧ください。「7:7 アルタクセルクセス王の第七年に、イスラエル人の一部、および祭司、レビ人、歌い手、門衛、宮のしもべの一部が、エルサレムに上って来た。7:8 エズラは王の第七年の第五の月にエルサレムに着いた。7:9 すなわち、彼は第一の月の一日にバビロンを出発した。彼の神の恵みの御手は確かに彼の上にあり、第五の月の一日に、彼はエルサレムに着いた。7:10 エズラは、【主】の律法を調べ、これを実行し、イスラエルで掟と定めを教えようと心を定めていた。」
ゼルバベルらがエルサレムに帰還したときのように、この時も祭司やレビ人、歌い手、門衛、宮のしもべなど、神殿で奉仕する人たちが一緒にエルサレムに帰還しました。エズラが到着したのは、アルタクセルクセス王の治世の第七年の第五の月の一日です。これは先ほども申し上げたように紀元前458年のことです。9節に「彼は第一の月の一日にバビロンを出発した」とあるので、この旅はちょうど4か月かかったことになります。それは今の暦でいうと7~8月にあたりますが、それは暑くて厳しい旅であったことが想像できます。バビロンから北に向かい、ユーフラテス川を越えて、ダマスコからエルサレムに南下するルートを取れば、約1,600キロの距離です。それを徒歩で、しかも、いけにえのための家畜や金や銀などの貴重品も携えてやって来たことを考えると、驚くほどの短期間であったことがわかります。どうして彼らはそんなに短期間に来ることができたのでしょうか。それは9節にあるように、「彼の神の恵みの御手が確かに彼の上にあった」からです。このことは6節にもありました。「主の御手が彼の上にあったので、王は彼の願いをすべてかなえた。」。でそれは彼らに体力、気力、道力があったからで北のではなく、神の恵みの御手が彼らの上にあったので、彼らは4か月という短期間でエルサレムに到着することができたのです。
それは具体的にどういうことでしょうか。それは10節にあるように、「エズラは、【主】の律法を調べ、これを実行し、イスラエルで掟と定めを教えようと心を定めていた。」ということです。これが、神の恵みの御手がエズラの上にあった理由です。彼は、主の律法を調べ、その学んだことを実行し、他の人たちに神の律法、すなわち、神のことばを教えようと、心を決めていました。これが祝福されたミニストリー、祝福された教会形成、祝福されたクリスチャンライフの秘訣です。私たちはいろいろな計画を立て、それを実行するための準備をしますが、それを成功へと導くのは、神の恵みの御手なのです。それはまさに詩篇1篇1~3節にみられる水路のそばに植わった木のようです。時が来れば実がなり、その葉が枯れることはありません。その人は何をしても栄えます。なぜ? 主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさんでいるからです。主の教えを愛し、神のみこころを行おうと、心を定める人には、神の恵みの御手が確かにあり、神がご自身の御業を行ってくださるのです。
Ⅲ.アルタクセルクセス王の手紙(11-28)
第三に、11~28節をご覧ください。11節には「アルタクセルクセス王が、祭司であり学者であったエズラに与えた手紙の写しは次のとおりである。このエズラは、【主】の命令のことばと、イスラエルに関する主の掟に精通していた。」とあります。これはアルタクセルクセス王が、エズラに与えた手紙の写しです。おそらく、エズラがアルタクセルクセス王に民の帰還の許可を申し出ていたのでしょう。その申し出に対して、アルタクセルクセス王が許可を与えると同時に、エズラに対して驚くべきことを伝えています。その内容がここに紹介されているのです。
それはまず、第一に、13節にあるように、イスラエルの民、その祭司、レビ人のうち、だれでも自分から進んでエルサレムに上って行きたいと者は、エズラと一緒に行ってよいということでした。
次に、14節にあるように、エルサレムにおいてエズラに託された役割は、神の律法に従って、ユダとエルサレムを調査することであったということです。
さらに、15~16節にあるように、エズラを信頼して、王とその顧問たちの献金と、バビロン全州でエズラが得たすべての金銀を、イスラエルの民や祭司たちが神の宮のためにささげた物と合わせて、携えて行かなければなりませんでした。
また17節にあるように、エズラはその献金で、動物のいけにえや穀物のささげ物、注ぎのぶどう酒を買い求め、それを神の宮に献げなければなりませんでした。
さらに、残りの金、銀の使い方については、彼らが良いと思うことは何でも、神のみむねに従って使うことができました (18)。
また、主の宮で礼拝のために渡された用具は、主の宮のために用いることができました。 (19)
そのほか、彼らが神の宮のために必要なもので、どうしても支出しなければならないものは、王室の金庫からそれを支出することができました(20)。
また、エルサレムを担当する役人は、エズラが求めることには全面的に協力しなければならないということ(21節)。すなわち、銀は百タラントまで、小麦は百コルまで、ぶどう酒は百バテまで、油も百バテまで、塩は制限なしです(22節)。
さらに、25~26節にあるように、裁判官の任命権や律法に関する教育などをエズラにゆだねなければなりませんでした。
すごいですね。私も比較的細かい方ですが、ここでアルタクセルクセス王は事細かに指示しています。なぜ、これほどまでの権威がエズラに与えられたのでしょうか。それは23節にあるように、天の神の御怒りが王とその子たちの国に下るといけないからです。すなわち、アルタクセルクセス王はイスラエルの神こそまことの神であり、この神に逆らうとどうなるかということを理解していたのです。かつてアブラハムに神が、「あなたを祝福するものを祝福し、あなたをのろうものをのろう」と言われましたが、それがいかに実現したかを、目の当たりにしていたのでしょう。天の神は、異教の王の心さえ変えることができる偉大な方なのです。
その手紙を受け取ったエズラはどうしたでしょうか。27~28節をご覧ください。彼は心から主に感謝をささげました。「7:27 私たちの父祖の神、【主】がほめたたえられますように。主はエルサレムにある【主】の宮に栄光を与えるために、このようなことを王の心に起こさせ、7:28 王とその顧問と、王の有力な高官すべての前で私に恵みを得させてくださった。私の神、【主】の御手が私の上にあったので、私は奮い立って、一緒に上るイスラエル人のかしらたちを集めることができた。」
ここでエズラは、「私たちの父祖の神、主がほめたたえられますように。」と祈っています。この言葉によって、エズラが仕えていた神は彼の父祖の神であったことを表明しています。すなわち、アブラハム、イサク、ヤコブの神であり、モーセに律法を与えた神です。さらに、ペルシャの王にこのような心を起こさせ、王とその顧問と、王の有力な高官たちの好意を自分たちに向けさせてくださったのはその神であり、エルサレムにある主の宮に栄光を与えるためであったと告白したのです。彼は、自分が優れた者だから王たちの好意を勝ち取ることが出来たと自らを誇ることもできたのに、そうはしませんでした。すべてが神の御業であると認め、その神をほめたたえたのです。私たちも成功した時には自分の力を誇るのではなく、神によってなされたと認め、神に感謝し、神をほめたたえるべきです。
さらに彼は、「私の神、【主】の御手が私の上にあったので、私は奮い立って、一緒に上るイスラエル人のかしらたちを集めることができた。」と祈っています。イスラエル人のかしらたちを集めることは容易なことではありませんでした。それが出来たのは、一重に神の御手が彼とともにあり、彼の心を奮い立たせてくださったからだと、神をほめたたえているのです。彼はすべてのことは神の御手が彼の上にあったので成し遂げることができたと告白したのです。私たちも主の御手が私の上にあったので、私はこのこと、あのことを成すことが出来たと告白し、神をほめたたえ、神に栄光を帰する者でありたいと思います。