私たちの信仰

DSCN1560私たちの教会は、次のような信仰を持つ教会です。

大田原キリスト教会信仰箇条

1.聖書について
聖書は、神のみことばであると信じる。聖書は、聖霊の超自然的な導きのうちに人間の著者によって書かれたものであり、クリスチャンにとって信仰と生活の最 高かつ究極の基準である。聖書は神の霊感を受けて書かれてあるので、そこにはいかなる誤りもない。(Ⅱテモテ3:16、Ⅱペテロ1:20-21、詩篇 119:105-10、詩篇12:6、箴言30:5)

2.神について
私たちは天地万物の創造主であり、支配者であられる聖なる三位一体(父、子、聖霊)の神を信じる。この三位の神はその本質において等しく、その本性の中 で完全に統一された唯一の神として永遠に存在しておられる。(創世記1:1、申命記6:4、マタイ28:19、Iペテロ1:2、Ⅱコリント13:13、詩 篇90:2)

3.イエス・キリストについて
イエス・キリストは神の御子であられ、父なる神と等しいお方であると信じる。イエスは聖霊によってみごもり、処女マリヤから生まれ、全く罪のない生涯を おくり、全人類の罪のために十字架にかかって死なれた。しかし、三日目に死人の中から復活し、天の栄光へと引き上げられ、全能の父なる神の右の座に着かれ た。イエスは今ご自分の民のために大祭司としてとりなしておられ、やがていつの日か、王の王、主の主として世界を治めるために再び戻ってこられる。(マタ イ1:22-23、イザヤ9:6、ヨハネ1:1-5、ヘブル4:14-15、Ⅰコリント15:3-4、ローマ1:3-4、使徒1:9-11)

4.聖霊について
聖霊は、父と子と等しいお方である。聖霊は人々に罪を認めさせ、信じる罪人を新生させる。また、人々がキリストを受け入れた瞬間にその人のうちに住まわ れ、生きる力や霊的真理を理解する力、正しい判断を下すための導きなどを与えてくださる。さらに、救われたすべての人々に霊的賜物をお与えになる。(Ⅱコ リント3:17、ヨハネ16:7-13、ヨハネ3:8、ヨハネ14:16-17、使徒1:8、)

5.人間について
人間は神のかたちに創造され、はじめ神と正しい関係にあったが、サタンの誘惑により、神の命令にそむいて罪を犯したことで、死とさばきに服せられるよう になった。(人間の堕落と罪)ゆえに、全人類が生まれながらに罪ある者であり、この罪が人間の生活に多くの問題を引き起こす根本的な原因になっている。 (創世記1:27、詩篇8:3-6、イザヤ53:6、ローマ3:23-24、イザヤ59:1-2)

6.救いについて
私たちは、神の恵みのゆえに、イエス・キリストの十字架の贖いを信じる信仰によってのみ罪から救われると信じる。その他に救われる道はない。ただ神の恵 みにより、イエス・キリストを信じる信仰によってのみ救われる。(ローマ3:23-24、ローマ6:23、エペソ2:8、ヨハネ14:6、ヨハネ 1:12、テトス3:5)

7.教会ついて
私たちは、キリストをかしらとした見えない唯一の教会が存在していることを信じる。この教会は、キリストの体であって、すべての時代のあらゆる民族におい て、生まれ変わったすべての人々によって構成されている。また、キリストの体である教会は、見える形において各地域に存在し、神を礼拝し、互いに協力し合 い、キリストの命令に従って、失われた世界に愛をもって福音を伝え、バプテスマと聖餐との礼典を守り、平等な働きをするものと信じる。(エペソ1:23、 Iコリント12:13、Iコリント1:2、使徒2:42、ガラテヤ6:2、マタイ28:19-20、Iコリント11:23-24)

8.キリスト者の生活について
私たちは、生まれ変わったすべての人々が、キリストの体である教会の一員であるゆえに、イエス・キリストを模範とし、信仰のあかしとしてパブテスマを受 け、地域教会に属し、礼拝と交わりを通して、神のみ心を実現してゆく責務を負っていることを信じる。それゆえに、キリスト者は、イエス・キリストに従うこ とによって、神の栄えと、人々のために生活し、神からゆだねられている一切の財産、時間、才能等を忠実に管理し、信仰によってその人格をキリストの身丈に まで達せられる光栄にあずかっている。
(マタイ3:13-15、使徒2:41-47、マタイ22:37-40、マタイ25:14-29、Ⅱコリント2:19)

9.キリストの再臨について
私たちは、主イエス・キリストが見える姿でこの世界に再臨されることを信じる。そのとき、キリストにある死者が最初によみがえり、次に、生き残っているキ リスト者が、雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主イエスに出会う。その後、この地上で千年間主とともに支配する。(ヨハネ14:3、マタイ16:27、 使徒1:11、Ⅰテサロニケ4:13-15、黙示録20:6)

10.永遠について
私たちは永遠のいのちを信じる。人は永遠に生きる者として造られた。私たちは、罪によって永遠に神から引き離されるか、あるいは赦しと救いを通して神と ともに永遠に生きるかのいずれかの道をたどることになる。神から永遠に引き離されるというのは、地獄を意味している。一方、神とともに永遠に生きるという のは、天国のことを意味している。天国も地獄も実在する場所であり、私たちは永遠をそのいずれかで過ごすことになるのである。(ヨハネ3:16、Ⅰヨハネ 5:11-13、ローマ6:23、黙示録20:14-15、マタイ25:46)

使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け十字架につけられ、
死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、
三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、
全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこよりきたりて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。
聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、
からだのよみがえり、とこしえの命を信ず。
アーメン