Ⅱサムエル記24章

 サムエル記も最後の章を迎えました。これまでサムエル記第一、第二と学んできましたが、きょうはサムエル記第二の24章を学びます。

 Ⅰ.人口調査の罪(1-9)

 まず、1~9節をご覧ください。「1 さて、再び主の怒りがイスラエルに対して燃え上がり、ダビデをそそのかして、彼らに向かわせた。「さあ、イスラエルとユダの人口を数えよ」と。2 王はともにいた軍の長ヨアブに言った。「さあ、ダンからベエル・シェバに至るまでのイスラエルの全部族の間を行き巡り、民を登録し、私に民の数を知らせよ。」3 ヨアブは王に言った。「あなたの神、主が、この民を百倍にも増やしてくださいますように。わが主、王の目が、親しくこれをご覧になりますように。ところで、わが主、王は、なぜこのようなことを望まれるのですか。」4 しかし、ヨアブと軍の高官たちへの王のことばは激しかった。ヨアブと軍の高官たちは、イスラエルの民を登録するために王の前から出て行った。5 彼らはヨルダン川を渡って、ガドの谷の真ん中にある町、ヤゼルに向かって右側にあるアロエルに宿営し、6 ギルアデとタフティム・ホデシの地に行き、さらにダン・ヤアンに行き、シドンに回った。7 そしてツロの要塞に行き、ヒビ人やカナン人のすべての町に行き、ユダのネゲブへ出て行って、ベエル・シェバに至った。8 彼らは全土を行き巡り、九か月と二十日の後にエルサレムに帰って来た。9 ヨアブは兵の登録人数を王に報告した。イスラエルには剣を使う兵士が八十万人おり、ユダの兵士は五十万人であった。」

1節には「再び主の怒りが燃え上がった」とあります。「再び」というのは、21章で見たように、サウルとその一族がギブオン人たちを殺戮したことが原因で、3年もの間飢饉が続いた出来事のことでしょう。イスラエルに再び主の怒りがイスラエルに対して燃え上がり」ました。それは、ダビデがイスラエルとユダの人口を数えたからです。並行箇所のⅠ歴代誌21章1節をみると、サタンがイスラエルに向かって立ち上がり、イスラエルの人口を数えるように、ダビデをそそのかした、とあります。これはサタンの誘惑だったのです。イスラエルの人口を数えることがなぜ問題だったのでしょうか。人口を調査すること自体は問題ではありませんが、その動機が問題でした。それは自分の力を誇ろうとする罪です。自分にはこれだけの数の民がいるのだと誇り、神から栄光を奪おうとしたのです。教会も注意しなければなりません。私たちの教会の週報にも前の週の出席者数を書いていますが、もしそれがダビデと同じような動機からであるなら問題です。幸いにも私たちが載せているのは単に祈りと記録のためです。全く誇れるような人数ではないので特に問題にはならないと思いますが。でも注意しなければなりません。

それが間違った動機から出たことであることは、3節のヨアブのことばからもわかります。ヨアブはダビデからダンからベエル・シェバに至るまでのイスラエルの全部族の間を行き巡り、民を登録し、その数を自分に知られるようにと命じられたき、不安を感じ、実行をためらいました。そしてダビデにこう言っています。「王は、なぜこのようなことを望まれるのですか。」主が民を増し加えてくださるのに、なぜあなたは、あたかも民を自分の手中に入れるようなことをされるのですか、というのです。ダビデは、自分のプライドを満たすため人口調査をさせようとしていたのです。

しかし、ダビデのことばは激しかったので、ヨアブと軍の高官たちはその調査に着手しましました。彼らはヨルダン川を渡ってガドに行き、そこからちょうど時計と反対周りでイスラエル全土を東西南北に巡りました。そして9か月と20日の後にエルサレムに帰って来ると、兵の登録人数をダビデに報告しました。それによると、イスラエルには剣を使う兵士が80万人、ユダには50万人いました。合計130万人です。剣を使う兵士だけで130万人もいたということは、イスラエル全体では600万人くらいいたのではないかと思われます。ダビデは600万の王国の王様です。どれほどご満悦であったかと思います。しかし、それは主の怒りを引き起こす大きな罪でした。

自分にとって重大な罪ではないようなものでも、神の目には重大な罪であることが往々にしてあります。本人が気づかなくても、周りの人が気づく場合もあります。時には、信者でない人でさえ気づくこともあります。ヨアブたちは、ダビデよりも霊的には弱い者たちでしたが、そんな彼らでも、「なぜこのようなことを望まれるのですか」と言うほどのことだったのに、ダビデ本人にはわかりませんでした。私たちは自分で正しいと思っていてもそれが罪であることにさえ気づかないことがあります。それゆえ、自分の中にプライドや誇りといった罪はないかどうかを吟味し、常に謙虚になって周りの人たちの声に耳を傾ける必要があります。

 Ⅱ.ダビデの罪の結果(10-19)

その結果、どうなったでしょうか。次に10~19節までをご覧ください。「10 ダビデは、民を数えた後で、良心のとがめを感じた。ダビデは主に言った。「私は、このようなことをして、大きな罪を犯しました。主よ、今、このしもべの咎を取り去ってください。私は本当に愚かなことをしました。」11 朝ダビデが起きると、主のことばがダビデの先見者である預言者ガドにあった。12 「行ってダビデに告げよ。『主はこう言われる。わたしはあなたに三つのことを負わせる。そのうちの一つを選べ。わたしはあなたに対してそれを行う。』」13 ガドはダビデのもとに行き、彼に告げた。「七年間の飢饉が、あなたの国に来るのがよいか。三か月間、あなたが敵の前を逃げ、敵があなたを追うのがよいか。三日間、あなたの国に疫病があるのがよいか。今、よく考えて、私を遣わされた方に何と答えたらよいかを決めなさい。」14 ダビデはガドに言った。「それは私には非常に辛いことです。主の手に陥らせてください。主のあわれみは深いからです。私が人の手には陥らないようにしてください。」15 主は、その朝から定められた時まで、イスラエルに疫病を下された。ダンからベエル・シェバに至るまで、民のうち七万人が死んだ。16 御使いは、エルサレムを滅ぼそうと手を伸ばした。主はわざわいを下すことを思い直し、民を滅ぼす御使いに言われた。「もう十分だ。手を引け。」主の使いは、エブス人アラウナの打ち場の傍らにいた。17 ダビデは、民を打っている御使いを見たとき、主に言った。「ご覧ください。この私に罪があるのです。私が悪いことをしたのです。この羊の群れがいったい何をしたでしょうか。どうか、あなたの御手が、私と私の父の家に下りますように。」18 その日、ガドはダビデのところに来て、彼に言った。「上って行って、エブス人アラウナの打ち場に、主のために祭壇を築きなさい。」19 ダビデは、ガドのことばにしたがって、主が命じられたとおりに上って行った。」

ダビデのすばらしい点は、このような過ちを犯した時、すぐにそれを悔い改めた点です。ダビデは、民を数えた後で良心のとがめを感じました。そしてすぐに罪を告白し、悔い改めました。彼は主に言いました。「私は、このようなことをして、大きな罪を犯しました。主よ、今、このしもべの咎を取り去ってください。私は本当に愚かなことをしました。」

すると翌朝、先見者ガドが、主のことばを告げるためにダビデのところにやって来ました。彼は、主からの懲罰として三つの可能性があることを告げます。何でしょうか。一つは7年間の飢饉です。二つ目は3か月間の敗走、敵の前から敗走することですね、そして三つ目は、3日間の疫病です。一つ目の7年間の飢饉ですが、これは脚注にあるように「3年間」の間違いではないかと考える人もいます。というのは、他が3か月の敗走と、3日間の疫病とあるので、これも3年間の飢饉のことではないかというのです。他かに3年間の飢饉、3か月の敗走、3日間の疫病となると語呂合わせのようでおもしろいですが、はっきりしたことはわかりません。いずれにせよ、期間が短くなっているほど、さばきの内容も厳しくなっていることがわかります。これによると、疫病がどれほど厳しいさばきであったかがわかります。私たちは今コロナという疫病と闘っている最中ですが、これがどれほど厳しいものであるかを感じています。それがもう2年も経つわけですから、人々の不安と疲労がどんなにピークに達しているかは容易に想像できます。

ダビデはこの三つの中で何を選んだでしょうか。14節をご覧ください。ダビデはガドに次のように言いました。「それは私には非常に辛いことです。主の手に陥らせてください。主のあわれみは深いからです。私が人の手には陥らないようにしてください。」

ダビデが選んだのは3日間の疫病でした。なぜなら、彼は人の手に陥りたくはなかったからです。もし7年間の飢饉を選べばそれは食物を持っている者に頼ることになります。また3か月の敗走を選ぶと、敵に追いかけられてしまうことになります。すなわち、これも人の手に陥ることになるのです。ダビデは人の手に陥ることを嫌いました。主のあわれみは深いからです。彼は、主のあわれみを心から確信していました。彼の信仰の土台は、これだったのです。主のすばらしさ、主のあわれみです。ですから、直接的に主の手に陥る「疫病」を選んだのです。私たちはここまで主に信頼しているしょうか。たとえそれが主からの懲らしめであっても、主はあわれみ深い方だと思い、それを甘んじて受けることができるでしょうか。ダビデの心には、主に対してこのような深い信頼がありました。

こうして神のさばきが始まりました。15節をご覧ください。「主は、その朝から定められた時まで、イスラエルに疫病を下された。ダンからベエル・シェバに至るまで、民のうち七万人が死んだ。」

そのさばきによって7万人が疫病で死にました。そして、御使いがエルサレムを滅ぼそうと手を伸ばしたとき、主はわざわいを下すことを思い直し、御使いに「もう十分だ。手を引け。」と言って、手を引かせました。なぜ主は手を引いたのでしょうか。ダビデの祈りを聞かれたからです。主の使いが民を打っているのを見たダビデは、主に祈りました。「この私に罪があるのです。私が悪いことをしたのです。どうか、あなたの御手が、私と私の父の家に下りますように。」これは、悪いのは自分なんだから、自分と自分の家を打ってほしいという祈りです。ここでもダビデは自分の罪を告白し、とりなしの祈りをささげています。かくして、ダビデの罪に対する神のさばきは収まりました。これはエブス人アラウナの打ち場で起こったので、アラウナの打ち場の体験と呼ばれています。この「アラウナの打ち場」とは、かつてアブラハムがひとり子イサクを捧げたモリヤの山のことであり、後にソロモンがエルサレムの神殿を立てることになる場所です(Ⅱ歴代誌3:1,創世記22:2)。ダビデはここでこの体験をしたのです。これはどういうことでしょうか。

打ち場とは、脱穀場のことです。牛に踏ませたり、道具を用いて打穀したものを、熊手や箕(穀物の殻・ごみなどを除く道具のこと)を使って空中に放り投げ、風を利用して実と殻とにふるい分けるのです。そのため打ち場は平坦な岩地で、風通しの良い小高い場所に造られました。旧約聖書には、これは神の裁きの象徴として用いられています(エレミヤ51:33,ミカ4:12)。しかし打ち場は単に裁きの象徴というだけでなく、祝福と祈りの応え、あがないの象徴でもありました。ダビデはそこで罪を告白し、とりなしの祈りをささげたのです。その時に主は「もう十分だ。手を引け。」と言われました。つまり、ダビデは自分の不従順による神の裁きと民の犠牲に耐え、打ち砕かれたのです。そして彼が悔い改めた後で祝福がもたらされました。その子ソロモンによって神殿が建てられることになるのです。18節をご覧ください。そこにガドがやって来て「上って行って、エブス人アラウナの打ち場に、主のために祭壇を築きなさい。」と告げます。このようにして、後にそこにソロモンの神殿が建てられることになるわけです。主の家を建てることはダビデの長年の願いでしたが、それがこのような形で実現するのです。

このことは私たちに何を教えているのでしょうか。私たちも打ち場の体験をすることがありますが、それはただ神のさばきの場というだけでなく、神のご計画が実現するところでもあるということです。確かに「打ち場」は私たちの罪からきよめられる場所です。されによって痛みや苦しみを通らされます。しかしそれは私たちを打ちのめすことが目的なのではなく、そのことによって私たちが自分の弱さと失敗に直面し、その中で神に出会い神の栄光が現わされる場に変えられるということです。痛みの伴う打ち場の経験が良きものと変えられ、最終的にこれまでの祈りがかなえられていくことになるのです。

Ⅲ.すべてを益にしてくださる主(20-25)

最後に、20~25節までをご覧ください。先見者ガドから、「上って行って、エブス人アラウナの打ち場に、主のための祭壇を築きなさい。」ち言われたダビデはどうしたでしょうか。「20 アラウナが見下ろすと、王とその家来たちが自分の方に進んで来るのが見えた。アラウナは出て行き、地にひれ伏して、王に礼をした。21 アラウナは言った。「なぜ、わが主、王は、しもべのところにおいでになったのですか。」ダビデは言った。「あなたの打ち場を買って、主のために祭壇を築きたい。そうすれば民への主の罰は終わるだろう。」22 アラウナはダビデに言った。「わが主、王よ。お気に召す物を取って、お献げください。ご覧ください。ここに全焼のささげ物のための牛がいます。薪にできる打穀機や牛の用具もあります。23 王よ、このアラウナはすべてを王に差し上げます。」アラウナはさらに王に言った。「あなたの神、主が、あなたを受け入れてくださいますように。」24 しかし王はアラウナに言った。「いや、私は代金を払って、あなたから買いたい。費用もかけずに、私の神、主に全焼のささげ物を献げたくはない。」そしてダビデは、打ち場と牛を銀五十シェケルで買った。25 ダビデは、そこに主のために祭壇を築き、全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げた。主が、この国のための祈りに心を動かされたので、イスラエルへの主の罰は終わった。」

ダビデは、ガドのことばに従って主が命じられたとおりに上って行きました。それを見ていたアラウナは驚き、出て行き、地にひれ伏して、王に礼をしました。彼は先住民エブス人の生き残りです。ダビデに攻め込まれるのではないかと恐れたのでしょう。どうして自分のところに来たのかと尋ねるアラウナに、ダビデはその目的を告げました。それは、彼の打ち場を買って、そこに主のために祭壇を築くためであるということでした。そうすれば神の民に対する神罰は終わるだろうと。

それを聞いたアラウナは、打ち場だけでなく、いけにえのための牛もすべて無料で差し上げますと申し出ました。しかしダビデはその献身的な申し出を断ります。何の犠牲も払わずに、主にいけにえをささげることなどできないと考えたからです。それでダビデは、打ち場と牛を銀50シェケルで買い取りました。

このダビデの姿勢から信仰のあり方を教えられます。それは、信仰とは形式や外見を整えることではなく、自ら痛みを感じるような犠牲をささげ、心の底から神に従うということです。あなたの信仰はどうでしょうか。全く痛みの伴わない信仰でしょうか。そうではなく痛みの伴う犠牲をささげ、心から主に従う者でありたいと思います。こうしてダビデは、そこに主のために祭壇を築き、全焼のいけにえと和解のいけにえを献げました。主がこの国のための祈りに心を動かされたので、イスラエルの民に対する神罰は終わりました。

この場所が、先ほども申し上げたように、アブラハムが息子イサクをささげたモリヤの山です。ダビデの子ソロモンは、ここに神殿を建てることになります。そして、やがてここで主イエスが十字架につけられることになるのです。神殿が建つ場所が、ダビデが罪を犯したことによって、主があわれみを注いでくださった場所と同じであることは、印象的です。主の神殿は、私たち人間の正しさをいけにえとしてささげるところではなく、私たちの罪や足りなさ、過ちを主に明らかにしていただき、赦しとあわれみを請うところであり、主のあわれみが示される所なのです。

それと同時に、そこは主の贖い、主の救いのご計画が実現するところでもあります。創世記50章20節に、ヨセフが自分の兄弟たちに言ったことばかあります。「あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。」(創世記50:20)

ヨセフは数々の試練や苦難を耐え忍ぶことを余儀なくされました。しかし、主は完全な贖いの計画を成就するために人間の邪悪な策略さえも用いられ、ヨセフを権威と影響力と財産のある重要な地位に引き上げました。

これがアラウナの打ち場で起こったことです。私たちも、このような経験をすることがあるでしょう。でもそれは神の裁きだけでなく、神が私たちに備えて下さった素晴らしい祝福と神の救いのご計画が成就するためであると信じ、ダビデのように「この私に罪があるのです。私が悪いことをしたのです。どうか、あなたの御手が、私と私の父の家にくだりますように。」と祈るものでありたいと思います。主のあわれみは尽きないからです。そのとき主の救いのご計画が大きく前進していくのです。

Ⅱサムエル記23章

 Ⅱサムエル記23章に入ります。

 Ⅰ.ダビデの最後のことば(1-7)

 まず、1~7節をご覧ください。「1 これはダビデの最後のことばである。エッサイの子ダビデの告げたことば。いと高き方によって上げられた者、ヤコブの神に油注がれた者の告げたことば。イスラエルの歌の歌い手。2 「主の霊は私を通して語り、そのことばは私の舌の上にある。3 イスラエルの神は仰せられた。イスラエルの岩は私に語られた。『義をもって人を治める者、神を恐れて治める者。4 その者は、太陽が昇る朝の光、雲一つない朝の光のようだ。雨の後に、地の若草を照らす光のようだ。』5 まことに私の家は、このように神とともにある。神が永遠の契約を私と立てられたからだ。それは、すべてのことにおいて備えられ、また守られる。神は、私の救いと願いを、すべて育んでくださるではないか。6 よこしまな者たちはみな、根こそぎにされた茨のようだ。それらは手に取ることができない。7 彼らを打つ者はだれも、槍の刃や柄で武装する。彼らはその場で、火で焼き尽くされる。」」

「ダビデの最後のことば」とは、ダビデの遺言という意味ではなく、ダビデの最後の歌、最後の預言という意味です。ここでダビデは自分のことを次のように言っています。まず、「エッサイの子ダビデ」です。これは彼がどこから来たのかを示しています。彼は自分がエッサイという名もない家族から来たことをはっきり認識していました。

私たちも自分がどこから来たのかを知ることはとても大切なことです。それによって神の恵みにとどまることができるからです。エペソ2章1~3節には、「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。」とあります。私たちは罪過と罪との中に死んでいた者です。それなのに神に、そんな私たちを罪の中から救ってくださいました。とすれば、それは一方的な神の恵みに他なりません。

パウロは自分のことを、「私はその罪人のかしらです。」(1テモテ1:15)と言いました。ですから「それは私ではなく、私にある神の恵みです。」(1コリント15:10)と言うことができたのです。私たちも罪過と罪との中に死んでいた者であることを認識することによって、神の恵みをほめたたえるようになるのです。

次に、彼は「いと高き方によって上げられた者」です。彼はいと高き方によって大いなる名が与えられました。そして、「ヤコブの神に油注がれた者」です。彼はイスラエルの神によって王として油を注がれた者であるということです。さらにここでは「イスラエルの歌の歌い手」とあります。彼はイスラエルの神、主への賛美の歌を歌いました。詩篇150篇のうちの何と73篇までがダビデの作とされています。実際は、もっと多かったかもしれません。

こうしたダビデの歌は、どのようにして与えられたのでしょうか。2節には「主の霊は私を通して語り、そのことばは私の舌の上にある。」とあります。それは主の霊によって与えられたものでした。主の霊がダビデを通して語られたのです。ですから、そのことばがいつもダビテの舌の上にありました。このことは、聖書が神の霊感によって書かれたことを示しています。1ペテロ1:21に、「預言は、決して人間の意志によってもたらされたものではなく、聖霊に動かされた人たちが神から受けて語ったものです。」とある通りです。聖書は神の霊感によって書かれたものであり、聖霊によって動かされた人たちによって書かれたものであり、神のことばなのです。

その神のことばは、ダビデについて何と語られたでしょうか。3~4節には、「義をもって人を治める者、神を恐れて治める者。そのような者は、太陽が昇る朝の光、雲一つない朝の光のようだ。雨の後に、地の若草を照らす光のようだ。」とあります。これはダビデ自身のことであり、また、ダビデの子孫とお生まれになる主イエスのことを預言していました。

何ゆえにダビデは、このような者になることができたのでしょうか。5節にはその理由が次のようにあります。「神が永遠の契約を私と立てられたからだ。」これはダビデ契約のことです。2サムエル7章11~13節に、主がダビデと永遠の契約を結ばれたことが記されてあります。「主があなたのために一つの家を造る、と。12 あなたの日数が満ち、あなたが先祖とともに眠りにつくとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。13 彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」

これはダビデから出る世継ぎの子によって、彼の王国を確立させるという約束です。これはその子ソロモンのことだけでなく、ずっと後になって出るキリストによる神の王国についての預言でした。主はこの契約にしたがって彼の救いを成し遂げ、彼の願いをかなえてくださったのです。主は本当に真実な方です。その語られた約束を必ず実現してくださいます。それゆえにダビデは、太陽が昇る朝日、雲一つない朝の光、雨の後に、地の若草を照らす光のような生涯を送ることができたのです。そして、それはダビデのように主に信頼して歩む私たちにも約束されていることです。

しかし、よこしまな者たちはそうではありません。よこしまな者たちは、茨のように投げ捨てられます。彼らは茨のようにとげを持っているので、手に取ることはできないので、主は、鉄や槍の柄で集め、ことごとく火で焼き尽くされるのです。

私たちも茨のようなとげある者です。しかし、主はそんなものを愛してくださり、キリストが与えてくださった永遠の契約によって、主が私たちのうちに救いの御業を完成してくださいます。パウロはピリピ1章6節で「あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています。」と言っていますが、それは私たちの告白でもあります。私たちのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスが来られる日までに、それを完成してくださると確信し、信仰をもって主をほめたたえたいと思います。

 Ⅱ.ダビデの勇士たち(8-17)

次に8~17節までをご覧ください。まず12節までをお読みします。「8 ダビデの勇士たちの名は次のとおりである。補佐官のかしら、タハクモニ人ヨシェブ・バシェベテ。彼は槍を振るって一度に八百人を刺し殺した。9 彼の次は、アホアハ人ドドの子エルアザル。ダビデにつく三勇士の一人であった。彼らがペリシテ人をそしったとき、ペリシテ人は戦うためにそこに集まった。イスラエル人は退いたが、10 彼は立ち上がり、自分の手が疲れて、手が剣にくっつくまでにペリシテ人を討った。主はその日、大勝利をもたらされた。兵たちが彼のところに引き返して来たのは、ただ、はぎ取るためであった。11 彼の次はアラル人アゲの子シャンマ。ペリシテ人が隊をなして集まったとき、そこにはレンズ豆が豊かに実った一つの畑があった。兵はペリシテ人の前から逃げたが、12 彼はその畑の真ん中に踏みとどまってこれを守り、ペリシテ人を討った。主は大勝利をもたらされた。」

ダビデの王国が確立される背後には、ダビデを支えた勇士たち存在がありました。その筆頭に来るのが三勇士たちです。まず、ハタクモニ人ヨシェブ・バシェベテです。彼は槍を振るって一度に八百人を刺し殺しました。

次に、アホアハ人ドドの子エルアザルです。彼はペリシテ人と戦った時、手が疲れて、手が剣にくっつくまでペリシテ人を討ちました。つまり、剣を握った手がそのまま剣にくっついてしまい、離れなくなるほど戦ったということです。彼はイスラエルに大勝利をもたらしました。残りの兵士たちは、分捕り物を取るだけで良かったのです。

彼の次はアラル人アゲの子シャンマです。彼は、ペリシテ人が隊をなして集まった時、味方の兵がペリシテ人の前から逃げても、ひとりレンズ豆の畑に踏みとどまってペリシテ人と戦い、彼らを打ち殺しました。彼もまた、主の勝利をもたらすために用いられたのです。この「踏みとどまって」というのがすごいですね。他の兵がペリシテ人の前から逃げても、彼は一人レンズ豆の畑に踏みとどまってそれを守り、ペリシテ人を打ち倒しました。自分の味方が敵の前から逃げて行ってたった一人になっても、逃げないでそこに踏みとどまる勇気が必要です。私たちはそんな主の勇士になりたいと思います。

次に、13~17節までをご覧ください。「13 三十人のかしらのうちのこの三人は、刈り入れのころ、アドラムの洞穴にいるダビデのところに下って来た。ペリシテ人の一隊は、レファイムの谷間に陣を敷いていた。14 そのときダビデは要害にいて、ペリシテ人の先陣はそのときベツレヘムにいた。15 ダビデは切に望んで、「だれかが私に、ベツレヘムの門にある井戸の水を飲ませてくれたらよいのだが」と言った。16 三人の勇士はペリシテ人の陣営を突き破って、ベツレヘムの門にある井戸から水を汲み、それを携えてダビデのところに持って来た。しかしダビデはそれを飲もうとはせず、それを主の前に注いで、17 こう言った。「主よ。そんなことをするなど、私には絶対にできません。これは、いのちをかけて行って来た人たちの血ではありませんか。」彼はそれを飲もうとはしなかった。三勇士は、そのようなことまでしたのである。」

この三人に関する興味深いエピソードが記録されてあります。それは、ダビデがサウル王から逃れて、アドラムの洞穴にいた時のことです。ダビデが「だれかが私に、ベツレヘムの門にある井戸の水を飲ませてくれたらよいのだが。」と言うと、この三勇士はペリシテ人の陣営を突き破って、ベツレヘムの門にある井戸から水を汲み、それを携えてダビデのところに持ってきたのです。それはいのちがけの行為でした。

するとダビデはそれを飲もうとせず、主の前に注いで、こう言いました。「主よ。そんなことをするなど、私には絶対にできません。これは、いのちをかけて行って来た人たちの血ではありませんか。」この三勇士は、ダビデのためにそのようなことまでしたのです。

彼らがしたことは、イエス・キリストの贖いのわざを思い起こさせます。彼らはダビデのためにいのちをかけて水を汲んできましたが、イエス・キリストは私たちのために文字通りいのちを捨てられました。主イエスは私たちに永遠のいのちの水を提供するために、十字架の上でご自分のいのちを投げ出してくださったのです。そのいのちの犠牲を無駄にしない唯一の方法は、主イエスを信じてこの方から永遠のいのちに至る水を飲むことです。日曜日の礼拝でもお話しましたが、私たちは祝福を求めるが、祝福の源泉を求めません。しかし、私たちに必要なのは、祝福の源泉である主イエスのもとに来て、そこから飲むことです。それこそ、私たちのためにいのちがけで成し遂げてくださった救いの御業に対する最もふさわしい応答なのです。

 Ⅲ.その他の勇士たち(18-39)

 最後に、18~39節までを見て終わります。まず18~23節までをご覧ください。「18 さて、ツェルヤの子ヨアブの兄弟アビシャイは三十人のかしらであった。彼は槍を振るって三百人を刺し殺し、あの三人とともに名をあげた。23:19 彼は三十人の中で最も誉れが高かったので、彼らの長になったが、あの三人には及ばなかった。20 エホヤダの子ベナヤは、カブツェエル出身で、多くの手柄を立てた力ある人であった。彼はモアブの英雄二人を打ち殺した。また、ある雪の日に、洞穴の中に降りて行って雄獅子を打ち殺した。21 彼はまた、例の堂々としたエジプト人を打ち殺した。このエジプト人は、手に槍を持っていた。ベナヤは杖を持ってその男のところに下って行き、エジプト人の手から槍をもぎ取って、その槍で彼を殺した。22 エホヤダの子ベナヤはこれらのことをして、三勇士とともに名をあげた。23 彼はあの三十人の中でも最も誉れが高かったが、あの三人には及ばなかった。ダビデは彼を自分の護衛長にした。

ここにはあの三勇士とは別の二人について記されてあります。一人はツェルヤの子ヨアブの兄アビシャイと、エホヤダの子ベナヤです。彼は、ダビデの側近として指揮を取っていました(20:6)。彼はダビデを助け、ペリシテ人との戦いで彼のいのちを救った勇士でした(21:17)。彼は槍を振るって三百人を刺し殺し、あの三勇士とともに名をあげましたが、あの三人の勇士には及びませんでした。

もう一人は、エホヤダの子ベナヤです。彼も多くの手柄を立てました。彼はモアブの英雄二人を打ち殺し、また、ある雪の日には、洞穴の中に降りて行って雄のライオンを打ち殺したりしました。いったい何のためにライオンと戦ったのかわかりませんが、それほどの怪力の持ち主であったということなのでしょう。

彼はまた、杖1本で、槍を持った大男のエジプト人に立ち向かい、相手から槍をもぎ取り、その槍で相手を殺しました。エホヤダもこのようなことをして、三勇士とともに名を挙げましたが、あの三人の勇士には及びませんでした。彼は後にソロモン王になったときに、軍団長に任じられています(Ⅰ列王2:35)

24節以下には、三十人の勇士たちの名前がリストアップされています。「24 ヨアブの兄弟アサエルは、例の三十人とともにいた。ベツレヘム出身のドドの子エルハナン。25 ハロデ人シャンマ。ハロデ人エリカ。26 ペレテ人ヘレツ。テコア人イケシュの子イラ。27 アナトテ人アビエゼル。フシャ人メブナイ。28 アホアハ人ツァルモン。ネトファ人マフライ。29 ネトファ人バアナの子ヘレブ。ベニヤミンのギブア出身のリバイの子イタイ。30 ピルアトン人ベナヤ。ガアシュの谷の出であるヒダイ。31 アルバト人アビ・アルボン。バルフム人アズマウェテ。32 シャアルビム人エルヤフバとヨナタン、ヤシェンの子たち。33 ハラル人シャンマ。アラル人シャラルの子アヒアム。34 マアカ人アハスバイの子エリフェレテ。ギロ人アヒトフェルの子エリアム。35 カルメル人ヘツライ。アラブ人パアライ。36 ツォバ出身のナタンの子イグアル。ガド人バニ。37 アンモン人ツェレク。ツェルヤの子ヨアブの道具持ち、ベエロテ人ナフライ。38 エテル人イラ。エテル人ガレブ。39 ヒッタイト人ウリヤ。合計三十七人。」

39節には、「三十人」ではなく「合計三十七人」とあります。でも実際にここに出てくる名前は三十二人です。ということは、合計三十七人というのは、先ほど出てきた3勇士と二人を加えた数ではないかと考えられます。しかし、24節には「三十人」とあるので、三十二人というのも多すぎます。もしかしたらこれは戦いの途中で死んだ勇士がいるので、その代わりに新たに二人が加えられたからかもしれません。ここには、すでに死んでしまった勇士が少なくとも二名、見つけることができます。一人は24節にあるヨアブの兄弟アサエルです。サウルの将軍アブネルをアサエルは追いかけているときに、アブネルは彼を突いて殺しました。そしてもう一人は、最後39節に出てくるウリヤです。ダビデ自身が、自分の罪を隠すために彼を殺しました。それで24節には「三十人」とありますが、これに新たに二人加えられて三十二人となったのではないかと思います。しかし、これが三十人であろうと、三十七人であろうと、大切なのは、ダビデの王国は、こうした勇士たちの貢献によって確立され、維持されていたということです。

これはイエスの王国、神の御国の建設においても言えることです。イエス様の回りにはペテロとヤコブとヨハネという三人の弟子たちを中核に、十二人の弟子たちがいました。そしてその周りには、さらに七十人の弟子たちがいました。こうした弟子たちの働きによって、神の国が築き上げられ、次の時代へと受け継がれて行ったのです。

それは私たちにも言えることです。御国の建設と拡大のためには、こうした勇士たちの働きが必要なのです。パウロはこう言っています。「一つのからだには多くの器官があり、しかも、すべての器官が同じ働きをしてはいないように、大勢いる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、一人ひとりは互いに器官なのです。」(ローマ12:4-5)

私たちにもそれぞれ、神から特別の使命と賜物が与えられています。それは御国の建設と拡大のためであって、自分の満足のためではありません。自分に与えられている賜物は何かを知り、御国の建設のために用いていただこうではありませんか。

Ⅱサムエル記22章

 Ⅱサムエル記22章に入ります。これは、ダビデの賛歌です。彼が晩年になり、自分の生涯をふりかえり、そこに主がおられたことを知り、主を讃美している歌です。この歌は、詩篇18篇とほとんど同じです。ここに書かれたものが原型で、それが礼拝用に一部修正されて詩篇18篇になったものと思われます。

 Ⅰ.祈りに答えてくださる主(1-7)

 まず、1~7節をご覧ください。「1 主がダビデを、すべての敵の手、特にサウルの手から救い出された日に、彼はこの歌のことばを主に歌った。2 彼は言った。「主よ、わが巌、わが砦、わが救い主よ、3 身を避ける、わが岩なる神よ。わが盾、わが救いの角、わがやぐら、わが逃れ場、わが救い主、あなたは私を暴虐から救われます。4 ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は敵から救われる。5 死の波は私を取り巻き、滅びの激流は私をおびえさせた。6 よみの綱は私を取り囲み、死の罠は私に立ち向かった。7 私は苦しみの中で主を呼び求め、わが神に叫んだ。主はその宮で私の声を聞かれ、私の叫びは御耳に届いた。」

これは、主がダビデを、すべての敵の手、特にサウルの手から救い出された日に、彼が主に歌った賛歌です。

2~4節の中でダビデは、九つの神の性質を挙げ、それゆえに神を称えています。それは主は巌であり、砦、救い主、巌なる神、砦、救いの角、やぐら、逃れ場、そして救い主であるということです。特に注目していただきたいことは、これらの神の性質を挙げる前に、「わが巌」とか「わが砦」とあるように、必ず「わが」という語が付けられていることです。つまり彼は単に神がそのような方であると知っていたというだけでなく、自分の体験として知っていたということです。それほど身近な存在として感じていたのです。使徒パウロは2コリント1章10節でこのように語っています。「神は、それほど大きな死の危険から私たちを救い出してくださいました。これからも救い出してくださいます。私たちはこの神に希望を置いています。」パウロも、自分の経験として、神は救い主であると知っていました。だから、これからも救い出してくださると信じることができ、この神に希望を置くことができたのです。私たちに必要なのは、私たちの神がどのような方であるかを体験として知ることです。そして、この方に身を避けることです。そのことによって神をもっと身近な存在として感じ、この神に望みを置くことができるようになります。

次にダビデは、答えられた祈りを思い起こして、神をたたえています。5~7節です。「5 死の波は私を取り巻き、滅びの激流は私をおびえさせた。6 よみの綱は私を取り囲み、死の罠は私に立ち向かった。7 私は苦しみの中で主を呼び求め、わが神に叫んだ。主はその宮で私の声を聞かれ、私の叫びは御耳に届いた。」

ダビデは何度も絶望を経験してきました。ここにはそれを4つの言葉で表現しています。それは「死の波」、「滅びの激流」、「よみの綱」、「死の罠」です。つまり、死の恐怖におののくこともが何度もあったということです。しかし、その苦しみの中で彼が主を呼び求めると、主はその宮で彼の祈りを聞かれ、助け出してくださいました。

どんな信仰の偉人であっても、例外なしに信仰の試みに会います。皆さんはハドソン・テーラーという信仰の偉人を知っていますか?ハドソン・テーラーは、チャイナ・インランド・ミッション(中国奥地宣教教会)の創設者として知られています。また、自らも宣教師として中国に出かけ、そこで大きな働きをしました。そんなテーラーも、宣教活動のきびしさの中で挫折し、落ち込むことがありました。

毎日、罪と失敗におののきながら力不足を感じていました。「強い信仰を持つにはどうすればいいのだろうか」と考えていたとき、英国にいる友人のマッカーシーから手紙が届きました。彼は、テーラーが悲嘆に暮れていることも知らずに、こう書いて来ました。

「ハドソン、信仰を強めるためには、どうしたらよいのかと考えたことはないか。この間、祈っていて示されたことを分かち合おうと思う。我々は、信仰を強めようとして、つい頑張って努力しようとするが、そうではない。努力するのではなく、真実なお方に寄りかかること。これが信仰を強くする秘訣なんだ。」

神が友人の手紙を通して語ってくださったようでした。この手紙によって信仰の神髄に触れたテーラーは、「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。」(2テモテ2:13)というみことばを思い出し、再び信仰の高嶺に向かって登り始めることができたのです。

私たちも、今までに主が私たちの祈りに答えってくださったことを思い起こし、主に感謝し、主の御名をたたえましょう。それが将来を力強く生きる秘訣です。これまであなたを支えてくださった神は、これからもあなたを支え続けてくださいます。「ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は敵から救われる。」のです。

 Ⅱ.ケルビムに乗って来られる主(8-16)

次に、8~16節までをご覧ください。「8 地は揺るぎ、動いた。天の基も震え、揺れた。主が怒られたからだ。9 煙は鼻から立ち上り、その口から出る火は貪り食い、炭火は主から燃え上がった。10 主は、天を押し曲げて降りて来られた。黒雲をその足の下にして。11 主は、ケルビムに乗って飛び、風の翼の上に自らを現された。12 主は、闇をご自分の周りで仮庵とされた。水の集まり、濃い雲を。13 御前の輝きから、炭火が燃え上がった。14 主は天から雷鳴を響かせ、いと高き方は御声を発せられた。15 主は矢を放って、彼らを散らし、稲妻を放って、かき乱された。16 こうして、海の底が現れ、地の基があらわにされた。主のとがめにより、その鼻の荒い息吹によって。」

ここには、主がダビデの祈りに答えて自然界に介入され、敵を打ち破られた様子が記されてあります。8節には、「地がゆるぎ、動いた。天の基も震え、揺れた。」とあります。主が怒られたからです。その主の怒りがどのようなものであったのかが、16節までずっと説明されています。

しかし、これは単に主が自然界に介入されダビデを救い出したというだけでなく、将来主が再臨される時に起こることを預言しているのです。たとえば、10節には「主は、天を押し曲げて降りて来られた。黒雲をその足の下にして。」とあります。また、11節には「主は、ケルビムに乗って飛び、風の翼の上に自らを現された。」とあります。これも主が再臨される時のことです。というのは、黙示録19:11にもその時のことが預言されていますが、それと同じ内容となっているからです。黙示録19:11には「また私は、天が開かれているのを見た。すると見よ、白い馬がいた。それに乗っている方は「確かで真実な方」と呼ばれ、義をもってさばき、戦いをされる。」とあります。この記述からキリストは白い馬に乗って来られると一般的に考えられていますが、これは文字通りの白い馬のことではなく、実はこのケルビムのことです。このケルビムについてはエゼキエル書1章にその姿が描写されていますが、その姿は人間のような姿をしていた、とあります。しかし、四つの顔と四つ翼を持っていたとあります(エゼキエル:5-6)。何とも言えない姿ですが、これがケルビムです。そういえば、イスラエルが幕屋を作るようにと神から示されたとき、契約の箱を覆う「宥めの蓋」の両端に、このケルビムを作るようにとありました。その二つのケルビムは両翼を上の方に広げ、向かい合うようにし、宥めの蓋の方を向くようにしました(出エジプト記25:17-22)。そこに神のことばであられるキリストがおられるからです。主はそのケルビムの間からご自身のことばを語られたのです。ですから、これらのケルビムはキリストに仕える天使なのです。そして、キリストはやがてこのケルビムの翼の上に自らを現わされるのです。

そしてキリストがケルビムに乗って再び来られるとき、神に敵対する者たちを厳しくさばかれるのです。それが13~16節にある描写です。「御前の輝きから、炭火が燃え上がった。主は天から雷鳴を響かせ、いと高き方は御声を発せられた。主は矢を放って、彼らを散らし、稲妻を放って、かき乱された。こうして、海の底が現れ、地の基があらわにされた。主のとがめにより、その鼻の荒い息吹によって。」

つまり、神が今までダビデのためになされた解放のみわざは、将来神がキリストを信じる者たちのためにしてくださる解放のわざの「型」となっているのです。神はダビデが死の苦しみにあった時そこに介入して彼を救い出されたように、この歴史に介入され、ご自身の民であるクリスチャンを完全に解放してくださるのです。新約の時代に生きている私たちは、過去から学び将来を確信するという特権が与えられています。キリストに信頼する者たちの勝利は保証されていることを覚え、キリストの再臨を確信して、信仰をもって今の時を生きていこうではありませんか。

 Ⅲ.義に報いてくださる方(17-25)

 次に、17~25節をご覧ください。「17 主は、高い所から御手を伸ばして私を捕らえ、大水から、私を引き上げられました。18 主は、力ある敵から私を救い出されました。私を憎む者どもからも。彼らは私より強かったのです。19 私のわざわいの日に彼らは立ちはだかりました。けれども、主は私の支えとなられました。20 主は私を広いところに連れ出し、私を助け出されました。主が私を喜びとされたからです。21 主は、私の義にしたがって私に報い、手のきよさにしたがって顧みてくださいました。22 私は主の道を守り、私の神に対して悪を行いませんでした。23 主のすべてのさばきは私の前にあり、主の掟から、私は遠ざかりませんでした。24 私は主に対して全き者。自分の咎から身を守ります。25 主は私の義にしたがって顧みてくださいました。御目の前の、私のきよさにしたがって。」

ここでダビデは、再び自分の時代に戻り、主がどのようにして自分を救ってくださったのかを語っています。まず主は、高い所から、御手を伸ばして捕らえ、大水から、彼を引き上げてくださいました。高い所とは、主がおられる天のことを指しています。そこから彼のいるところに下ってくださり、御手を差し伸べて彼を捕らえてくださったのです。

「大水」とは比喩的な表現で、数々の苦難を指しています。そのようにして主は、力ある敵から彼を救い出してくださったのです。そして、広いところへ連れ出し、彼を助け出されました。「広いところ」とは、安全な場所、安心できる場所のことです。そこへ連れ出してくださったのです。

これが、私たちの主イエスがなしてくださることです。ローマ8章31節で、「では、これらのことについて、どのように言えるでしょうか。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」とあります。神が私たちの味方であるなら、だれも私たちをキリストにある神の愛から引き離すことはできません。主があなたのためにしてくださった数々の守りと救いのみわざを思い出し、ダビデの賛歌に合わせて主にほめ歌を歌いましょう。

21節~のところをご覧ください。ダビデは、「主は、私の義にしたがって私に報い、手のきよさにしたがって顧みてくださいました。」と言っています。また22節では「私は主の道を守り、私の神に対して悪を行いませんでした。」と言っています。23節では「私は主の道を守り、私の神に対して悪を行いませんでした。」と言っています。24節では「私は主に対して全き者」とまで言っています。それゆえに主は、彼を顧みてくださったというのです。

どういうことでしょうか。ご存知のように、彼は数々の罪を犯しました。バテ・シェバとの姦淫やウリヤの殺害などはその最たるものです。それはダビデだけではなく、すべての人に言えることです。すべての人は罪を犯したので神からの栄誉を受けることができず・・・(ローマ:23)とあるように、イエス様以外だれも自分が全き者であると言える人はいません。それなのに彼はここで自分は主の道を守り、神に対して悪を行わなかったと言っているのです。そして、その義に従って、主は自分に報いてくださったというのです。

これは彼が全く罪を犯さなかった完全な人であったということではありません。ダビデはもちろん、その生涯の中で数々の罪を犯しました。失敗も多くしました。けれどもそうした個々の罪や失敗ではなく、全生涯を通じて彼はいつも主に喜ばれる歩みを目指し、義と聖を追い求め、罪と悪から身を守ろうとしました。主を愛していたからです。そのことが、「私の義」という言葉に現われているのです。ですから、罪を犯したとき彼は熱心に悔い改めたのです。

これは私たちにも言えることです。ダビデのように生涯主を愛し、主に喜ばれる生活を求めて生きる人には、その義にしたがって顧みてくださいます。確かに私たちは不完全な者で、日々罪を犯す者ですが、その罪を悔い改め、その全生涯の中で主に喜ばれる歩を目指し、義と聖を追い求め、罪と悪から遠ざかるなら、主はその義に報いて顧みてくださるのです。

Ⅳ.すべて主に身を避ける者の盾(26-31)

次に、26~31節までをご覧ください。「26 あなたは、恵み深い者には恵み深く、全き者には全き方。27 清い者には清く、曲がった者にはねじ曲げる方。28 苦しむ民を、あなたは救われますが、御目を高ぶる者に向け、これを低くされます。29 主よ、まことにあなたは私のともしび。主は私の闇を照らされます。30 あなたによって、私は防塞を突き破り、私の神によって、城壁を跳び越えます。31 神、その道は完全。主のことばは純粋。主は、すべて主に身を避ける者の盾。」

神が人間にどのような報いを与えてくださるかは、人間が神に対してどのような態度を取るかによって決まります。それが、恵み深い者には恵み深く、全き者には全き、清い者には清く、曲がった者にはねじ曲げる方」という聖句の意味です。

ダビテは神をさまざまなものにたとえて御名をほめたたえています。29節には「主よ、まことにあなたは私のともしびで、主は私の闇を照らされます。」とあります。主は「ともしび」であられます。私たちに方向性を示し、歩むべき道を示してくださる方なのです。

また、30節には「あなたによって、私は防塞を突き破り、私の神によって、城壁を跳び越えます。」とあります。「防塞」とか「城壁」とは戦いをイメージしていることばですが、さまざまな苦難や困難と解釈することができます。つまり、主は私たちに防塞を突き破り、城壁を跳び越える力を与えてくださるということです。私たちは神の力によってさまざまな困難に勝利することができるのです。

また、主は、すべて主に身を避ける者の盾です。31節に「神、その道は完全。主のことばは純粋。主は、すべて主に身を避ける者の盾。」とあります。どのようにして主に身を避けるのでしょうか。完全で、純粋な主のことばに信頼して、です。それは主ご自身が完全で、純粋であることを表しています。

私たちの人生には、自分の力だけではどうすることもできないような試練がやってきます。そのような時に必要なのは信仰によって超自然的な力を受け、それを武器として戦うことです。その武器とは、エペソ6章にある神が備えておられる武具のことですが、中でも御霊の剣である神のことばを取らなければなりません。神のことばは純粋であり、すべて主に身を避ける者の盾なのです。日々、主のことばである聖書を読み、祈りと信仰によって主からの語りかけに従順に歩むなら、自分の思いをはるかに超えた主の力に満たされることができます。

Ⅴ.神は力強い砦(32-46)

次に32~46節までをご覧ください。「32主のほかに、だれが神でしょうか。私たちの神のほかに、だれが岩でしょうか。33 神は私の力強い砦。私の道を全きものとされます。34 主は、私の足を雌鹿のようにし、高い所に立たせてくださいます。35 戦いのために私の手を鍛え、腕が青銅の弓も引けるようにされます。36 あなたは御救いの盾を私に下さいます。あなたの謙遜は私を大きくします。37 あなたは私の歩みを広げられ、私のくるぶしはゆるみません。38 私は、敵を追ってこれを根絶やしにし、絶ち滅ぼすまでは引き返しませんでした。39 私が彼らを絶ち滅ぼし、打ち砕いたので、彼らは立てず、私の足もとに倒れました。40 あなたは、戦いのために私に力を帯びさせ、向かい立つ者を、私のもとにひれ伏させました。41 あなたは、敵が、私を憎む者どもが私に背を見せるようにされました。私は彼らを滅ぼしました。42 彼らが主に目を留めても、救う者はなく、答えもありませんでした。43 地のちりのように、私は彼らを打ち砕き、道の泥のように、粉々に砕いて踏みつけました。44 あなたは、民の争いから私を助け出し、国々のかしらとして保たれました。私の知らなかった民が私に仕えます。45 異国の人々は私にへつらい、耳で聞くとすぐ、私に聞き従います。46 異国の人々は打ちしおれ、砦から震えて出て来ます。」

このような神がほかにいるでしょうか。私たちの神のほかに、だれが岩でしょうか。主は力強い砦です。私たちの道を全きものに、まっすぐにしてくださいます。主は、私たちの足を雌鹿のようにし、高いところに立たせてくださいます。「雌鹿のように」とは、崖をぴょんぴょん飛び跳ねて、高い所に登っていく様を表しています。それは戦いに勝利するための資質でもあります。35節の「戦いのために私の手を鍛え」とありますが、それも同じです。それによって青銅の弓も引けるようになります。

ダビデが御救いの盾をいただいたのは、主の恵みによるものでした。36節にある「あなたの謙遜は私を大きくします」と言っているのはそのことです。主は人の姿を取ってこの地に下ってくださるほど謙遜であられたので、ダビデは救いを受けることができました。

37節には「あなたは私の歩を広げられ」とありますが、これは大またで歩けるようになったという意味です。つまり、自由に行動できるようになったということです。

私たちも主イエスの謙遜を思い起こしましょう。キリストは神であられる方なのに神としてのあり方を捨てることはできないとは考えないで、自分を卑しくし、しもべの姿をとられ、自らを低くして、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。その謙遜のゆえに、私たちは救いを受けることができたのです。何という恵みでしょうか。

そればかりではありません。37~43節には、ダビデは敵を追ってこれを根絶やしにし、彼らを打ち砕いたので、彼らは立てず、ダビデの足もとに倒れました。これは主が戦いのためにダビテを強くし、ダビデに立ち向かう者たちを、彼の足もとにひれ伏させてくださったからです。その結果、敵は道の泥のように踏みつけられるだけでした。

また44~46節には、ダビデが異国の国々をも治める権威を得たことが記されてあります。これらのことはすべて主の恵みによってなされたことでした。

Ⅵ.ほむべきかな、わが岩(47-51)

最後に47~51節を見て終わります。「47主は生きておられる。ほむべきかな、わが岩。あがむべきかな、わが救いの岩なる神。48 この神は私のために、復讐する方。諸国の民を私のもとに下らせる方。49 神は、敵から私を携え出される方。あなたは、向かい立つ者から私を引き上げ、不法を行う者から私を救い出してくださいます。50 それゆえ、主よ、私は国々の間であなたをほめたたえます。あなたの御名をほめ歌います。51 主は、ご自分の王に救いを増し加え、主に油注がれた者ダビデとその裔に、とこしえに恵みを施されます。」」

最後にダビデは、「主は生きておられる。ほむべきかな、わが岩。あがむべきかな、わが救いの岩なる神」と力一杯主をほめたたえています。私たちの主は死んだ神ではありません。生きておられる神です。生きていて、私たちを敵の手から救い出してくださる方なのです。

それゆえ、ダビデは国々の間で主をほめたたえています。主の御名をほめ歌うのです。私たちも同じです。私たちの主は生きておられます。生きていて、私たちを不法を行う者から救い出してくださいます。主こそ、わが神、わが岩、わが救いの岩です。それゆえ、私たちも国々の間で主をほめたたえるのです。

主は、預言者ナタンを通してダビデに与えた契約を守り、とこしえに恵みを施される方です。ダビデは、「主は、ご自分の王に救いを増し加え、主に油注がれた者ダビデとそのすえに、とこしえに恵みを施されます。」と言っています。そのダビデのすえとして誕生するのが、主イエスです。

私たちの信じる神は、契約を守ってくださる方です。なんと素晴らしいことでしょうか。それゆえ、ダビデのように、私たちも主にほめ歌を歌おうではありませんか。

Ⅱサムエル記21章

 Ⅱサムエル記21章に入ります。

 Ⅰ.3年間続いた飢饉(1-6)

 まず、1~6節をご覧ください。「1 ダビデの時代に、三年間引き続いて飢饉が起こった。それで、ダビデは主の御顔を求めた。主は言われた。「サウルとその一族に、血の責任がある。彼がギブオン人たちを殺戮したからだ。」2 王はギブオン人たちを呼び出し、彼らに話した。このギブオンの人たちは、イスラエル人ではなくアモリ人の生き残りで、イスラエル人は彼らと盟約を結んでいた。だが、サウルはイスラエルとユダの人々への熱心のあまり、彼らを討とうとしたのである。3 ダビデはギブオン人たちに言った。「あなたがたのために、私は何をすべきであろうか。私が何をもって宥めを行ったら、主のゆずりの地が祝福されるだろうか。」4 ギブオン人たちは彼に言った。「私たちと、サウルおよびその一族との間の問題は、銀や金のことではありません。また、私たちがイスラエルのうちで人を殺すことでもありません。」ダビデは言った。「私があなたがたに何をしたらよいと思うのか。」5 彼らは王に言った。「私たちを絶ち滅ぼそうとした者、私たちを根絶やしにしてイスラエルの領土のどこにも、いさせないように企んだ者、6 その者の息子の七人を私たちに引き渡してください。私たちは主が選ばれたサウルのギブアで、主のために彼らをさらし者にします。」王は言った。「引き渡そう。」」

この21~24章までは、ダビデの晩年について記されてあります。1節には、ダビデの時代に、3年間引き続いて飢饉が起こった、とあります。カナンの地では雨は神の祝福を、飢饉は神のさばきを表していました。それで何かおかしいと、ダビデは主の御顔を求め、主に伺いを立てました。すると主の答えがありました。それは、「サウルとその一族に、血の責任がある。彼がギブオン人たちを殺戮したからだ。」ということでした。このことについてはここに触れられているだけでサムエル記には記録されていないので、実際にどの出来事を指して言われているのかわかりませんが、おそらく、サウルが周囲の敵と戦っているときにギブオン人らをも次々と殺戮したのではないかと思われます。しかしヨシュア記9章3節以下には、ヨシュアはこのギブオン人たちと契約を結んだことが記されてあります。ギブオン人たちはイスラエルがエリコとアイに対して行ったことを聞くと、遠い国からやって来たかのように装い、盟約を結ぶことを求めたのです。それは彼らがイスラエルの属国となってイスラエルに仕える代わりに、彼らを生かしておくというものでした。それでヨシュアは彼らと和を講じ、彼らを生かしておく盟約を結んだのです(ヨシュア9:15)。後で彼らは近くの者たちで、自分たちのたた中に住んでいるということがわかっても、主にかけて誓ったことなので、彼らを殺すことはしませんでした。それなのにサウルはこの契約を破り、ギブオン人を殺戮し、その地を汚してしまったのです。

それは許されることではありません。それでダビデはギブオン人たちを呼び出し、問題の解決に乗り出します。「あなたがたのために、私は何をすべきだろうか。何をもって宥めを行ったら、主のゆずりの地が祝福されるか」と。

すると彼らは、この問題は金銭で解決できるようなことではないこと、また、そのことで復讐して、イスラエル人を殺すことでもない、と答えました。ではどうすれば良いのか。彼らは言いました。5、6節です。「私たちを絶ち滅ぼそうとした者、私たちを根絶やしにしてイスラエルの領土のどこにも、いさせないように企んだ者、その者の息子の七人を私たちに引き渡してください。私たちは主が選ばれたサウルのギブアで、主のために彼らをさらし者にします。」

何だ、イスラエル人を殺すことではないと言いながら、殺そうとしているんじゃないですか。「さらし者にする」と言っているのですから。でもここで注目していただきたいのは、彼らは決して復讐心からこれを要求しているのではないということです。問題は、神の前でその契約が破られ、その結果約束の地が汚されてしまったことです。

民数記35章33節にこうあります。「あなたがたは、自分たちのいる土地を汚してはならない。血は土地を汚すからである。土地にとって、そこで流された血は、その血を流した者の血以外によって宥められることはない。」

「あなたがた」とは、イスラエル人たちのことです。主は彼らに、自分たちのいる地を汚してはならないと命じられていたのに、サウルはこの戒め破り汚してしまいました。それゆえに、彼らの土地は汚れたものとなってしまったのです。そこで流された血は、その血を流した者以外によって宥められることはなかったのです。それでダビデはそれに同意し、彼らをギブオン人に引き渡すことにしたのです。

この箇所を見ると、ある人は主エジプト記20章5節にある「父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、」と関連させ、先祖の罪の報いが子孫に及ぶと考える人がいますがそう意味ではありません。エゼキエル書18章20節に、エゼキエル書18章20節に「罪を犯した者は、その者が死に、子は父の咎について負い目がなく、父も子の咎について負い目がない。正しい者の義はその者に帰し、悪者の悪はその者に帰する」とある通りです。確かに先祖が犯した罪の悪影響をその子孫が受けることはありますが、その子孫が罪の負い目を受けることはないのです。

では、ここでサウルの罪のためにその子孫の血が宥めるとはどういうことなのでしょうか。それはイエス・キリストの十字架の犠牲です。この血に対して血をもって贖うという方法は、イエス・キリストの十字架を指し示していたのです。私たちの罪に対する神の呪いも、イエス様の血の犠牲がなければ宥められることはありません。私たちの罪の解決は、ただイエス様の血によってもたらされるのです。そのことを示していたのです。

 Ⅱ.天からの雨(7-14)

次に、7~14節までをご覧ください。「7 王は、サウルの子ヨナタンの子メフィボシェテを惜しんだ。それは、ダビデとサウルの子ヨナタンの間で主に誓った誓いのためであった。

8 王は、アヤの娘リツパがサウルに産んだ二人の息子アルモニとメフィボシェテ、それに、サウルの娘メラブがメホラ人バルジライの息子アデリエルに産んだ五人の息子を取って、9 彼らをギブオン人の手に渡した。彼らは、この者たちを山の上で主の前に、さらし者にした。これら七人は一緒に倒れた。彼らは、刈り入れ時の初め、大麦の刈り入れの始まったころ殺された。10 アヤの娘リツパは、粗布を手に取って、それを岩の上に敷いて座り、刈り入れの始まりから雨が天から彼らの上に降るときまで、昼には空の鳥が、夜には野の獣が死体に近寄らないようにした。11 サウルの側女アヤの娘リツパのしたことはダビデに知らされた。12 ダビデは行って、サウルの骨とその息子ヨナタンの骨を、ヤベシュ・ギルアデの者たちのところから持って来た。これは、ペリシテ人がサウルをギルボアで討った日に、二人をさらし者にしたベテ・シャンの広場から、ヤベシュ・ギルアデの者たちが盗んで行ったものであった。13 ダビデはサウルの骨とその息子ヨナタンの骨をそこから携えて上った。人々は、さらし者にされた者たちの骨を集めた。14 彼らはサウルとその息子ヨナタンの骨を、ベニヤミンの地のツェラにあるサウルの父キシュの墓に葬り、すべて王が命じたとおりにした。その後、神はこの国の祈りに心を動かされた。」

ダビデは、サウルの子ヨナタンの子メフィボシェテを引き渡すことを惜しみました。それは、ダビデとヨナタンの間で主に誓った誓いのためです(Ⅰサムエル20:14~16)。ダビデはそのヨナタンとの契約において、ヨナタンの子らを生かすことを約束していました。ダビテは、そのヨナタンとの誓いを重んじていたのです。

それで彼は、サウルのそばめでアヤの娘リツパがサウルに産んだ二人の息子アルモニとメフィボシェテと、サウルの娘メラブがメホラ人バルジライの息子アデリエルに産んだ5人の息子を、ギブオン人の手に渡しました。アヤの娘リツパは、サウルの死後将軍アブネルと通じたという過去がありました(3:7~8)。また、サウルの娘メラブはダビデの妻になる予定でしたが、アデリエルの妻になってしまったという経緯がありました(Ⅰサムエル18:17-19)。

これら7人は、大麦の刈り入れが始まったころに殺されました。アヤの娘リツパは、荒布を手に取って、それを岩の上に敷いて座り、昼は空の鳥が、夜は野の獣が死体に近寄らないように守りました。猛禽と野獣の被害から遺体を守ったのです。刈り入れの始まりは4月、雨季は10月です。その約半年間、彼女はずっと遺体を守ったのです。神の怒りをなだめるために差し出した自分の愛する二人の息子の死は、彼女にとってどれほど悲しく辛いことだったでしょう。それは私たちの神も同じです。ここに神の痛み、悲しみが表されています。「神は、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛さそれた。それは、御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16) 神は私たちの罪のために、そのひとり子イエスを与えてくださいました。その神の悲しみはいかばかりかと思うのです。しかし、そのひとり子によって神の怒りは完全に宥められたのです。それは、御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためだったのです。

そのことがダビデに知らされると、ダビデはヤベシュ・ギルアデに行って、そこに葬られていたサウルとヨナタンの骨を持って来て、さらし者にされた者たちの骨と一緒に、ベニヤミンの地のツェラにあるサウルの父キシュの墓に葬りました。これらのことはすべて、神を喜ばせました。ここに「その後、神はこの国の祈りに心を動かされた。」とある通りです。ダビデは、神との関係がしっかりしていました。自分が罪を犯しているのに、祈りを聞いてくださるわけがないことを、知っていたのです。それで罪を悔い改め、問題の解決のためにギブオン人の敵意を取り除き、和解したことで、主が祈りに答えてくださったのです。

あなたは神との平和がありますか。イエス・キリストが宥めとなってくださいました。その犠牲によって神との平和を得ることができます。ローマ5章1節に、「こうして、私たちの信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」とあります。私たちのちもイエス・キリストによって神との平和を持つことができます。その時神様は私たちの祈りに答えて心を動かされ、天から雨を降らせてくださるのです。

 Ⅲ.ダビデを助けた家来たち(15-22)

 最後に15~22節をご覧ください。「15 ペリシテ人が再びイスラエルに戦いを仕掛けたことがあった。ダビデは自分の家来たちを連れて下り、ペリシテ人と戦ったが、ダビデは疲れていた。16 ラファの子孫の一人であったイシュビ・ベノブは、「ダビデを討つ」と言った。彼の槍の重さは青銅で三百シェケル。そして彼は新しい剣を帯びていた。17 ツェルヤの子アビシャイはダビデを助け、このペリシテ人を打ち殺した。そのとき、ダビデの部下たちは彼に誓って言った。「あなたは、もうこれから、われわれと一緒に戦いに出ないでください。あなたがイスラエルのともしびを消さないために。」18 その後のこと、ゴブで再びペリシテ人との戦いがあった。そのとき、フシャ人シベカイは、ラファの子孫のサフを打ち殺した。19 ゴブでペリシテ人との戦いが再びあったとき、ベツレヘム人ヤイルの子エルハナンは、ガテ人ゴリヤテを打ち殺した。ゴリヤテの槍の柄は、機織りの巻き棒のようであった。20 再びガテで戦いがあったとき、手の指、足の指が六本ずつで、合計二十四本指の闘士がいた。彼もラファの子孫であった。21 彼はイスラエルをそしったが、ダビデの兄弟シムアの子ヨナタンが彼を打ち殺した。22 これら四人はガテのラファの子孫で、ダビデとその家来たちの手にかかって倒れた。」

ギブオン人との和解が果たせた後、ペリシテ人がイスラエルを攻めてきました。ペリシテ人は、イスラエルとの戦いに敗れイスラエルに従属する形になっていましたが、反逆の機会を伺う度に戦いを仕掛けてきたのです。ダビデは自分の家来たちを連れて、ペリシテ人と戦いに行きましたが、かなり疲れていました。武器を持って戦うには歳を取りすぎていたのです。

この戦いで、ラファの子孫の一人イシュビ・ベノブは、「ダビデを打つ」と言いました。彼の子孫は巨人で有名な人たちで、あのゴリヤテもそうでした。つまり、彼はゴリヤテの親族だったのです。そのとき、ダビデを救ったのが甥のアビシャイです。アビシャイはダビデを助け、このペリシテ人を打ち殺しました。そのとき、ダビデの部下たちはダビデに、もうこれからは戦いの前線に出ないようにと懇願しました。ここで彼らは「あなたがイスラエルのともしびを消さないために」と言っています。まさに、ダビデの存在こそ、イスラエルのともしびそのものだったのです。

このところは教えられますね。「何をなすべきか」は重要なことですが、それ以上に重要なことは「いかにあるべきか」ということです。人々はダビデが戦果を挙げるよりも、そこにいてくれることをより望んでいたのです。私も「いつでも夢を」と、いつまでも最前線に立って主のために奮闘していきたいと願っていますが、それが必ずしも良いことかどうかは別です。もっと重要なのは、自分の存在そのものです。自分の存在が周りの人たちのともしびを燃やし続けているかどうかということです。あなたの存在はどうでしょうか。周りにどのような影響を与えているでしょうか。考えてほしいとい思います。存在していることに価値があると評価されるような人生を目指したいものです。

その後もペリシテ人との戦いが続きます。その後ゴブでペリシテ人と戦ったときは、フシァイ人シベカイが、ラファの子孫のサフを打ち殺しました。また、再びゴブで戦いがあったときには、ベツレヘム人ヤイルの子エルハナンが、ガテ人ゴリヤテを打ち殺しました。実際にはゴリヤテではなく、ゴリヤテの兄弟ラフミのことです。彼はゴリヤテのように巨人で、槍の柄は、機織りの巻き棒のようでしたが、その巨人を打倒したのです。

また、再びガテで戦いがあったときには、何と手の指と足の指がそれぞれ6本ずつ、合計24本の闘士がいました。彼もラファの子孫でした。彼はイスラエルをそしったりしましたが、ダビデの兄弟シムアの子のヨナタンが彼を打ち殺しました。

これら4人のラファの子孫は、イスラエルに攻めて来ましたが、ダビデの家来たちの手にかかって倒れました。このようにして、ダビデは弱まっていましたが、その家来たちが見事にペリシテ人の巨人らを倒すことができたのです。ダビデは自分の下で仕えている家来たちに助けられ、敵に勝利することができたのです。

パウロは若き伝道者テモテに、教える能力がある忠実な人たちにゆだねなさい、と言いましたが、私たちも自分にできることには限界があります。やがて働くことができない日がやって来ます。しかし、ダビデの家来たちのように、彼を助ける存在がいれば大丈夫です。私たちが最前線で戦うことも重要ですが、その働きを担うことができるように後継者を育てることも重要なのです。私たちはなかなか自分の働きをゆだねることができない弱さを持っていますが、むしろそのような人たちにゆだねることでさらに主の働きが力強く前進していくことを覚え、後継者の育成に力を注いでいくことに力を注いでいきたいと思います。

Ⅱサムエル記20章

 

 きょうは、Ⅱサムエル記20章から学びます。

 Ⅰ.よこしまな者シェバ(1-2)

 まず、1~2節をご覧ください。「1 たまたまそこに、よこしまな者で、名をシェバという者がいた。彼はベニヤミン人ビクリの息子であった。彼は角笛を吹き鳴らして言った。「ダビデのうちには、われわれのための割り当て地はない。エッサイの子のうちには、われわれのためのゆずりの地はない。イスラエルよ、それぞれ自分の天幕に帰れ。」2 すべてのイスラエルの人々は、ダビデから離れ、ビクリの子シェバに従って行った。しかし、ユダの人々はヨルダン川からエルサレムまで、自分たちの王につき従って行った。」

そこに、よこしまな者で、シェバという者がいました。そこにとは、ダビデをエルサレムに連れて行くのに、ユダの人々とイスラエルの人々が争っていたときです。そのとき、ベニヤミン人のシェバが人々を自分の方に引き寄せようとして角笛を吹き鳴らしたのです。イスラエルの最初の王サウルの出身がベニヤミン人でした。同じ民族のサウル王の死後、ユダ部族のダビデが王となったことにシェバは不満をもっていたのかもしれません。彼はユダとイスラエルの分裂を利用して、すべてのイスラエルの人々に、自主独立を呼び掛けたのです。

この出来事が、やがてはイスラエルを北と南に分断するきっかけになります。
イスラエルの分裂が決定的になる時に、このシェバと同じ言葉が叫ばれています(Ⅰ列王記12:16)19章では必死にダビデを自分たちの王として迎えようとしていたイスラエルの人々も、ここではシェバの呼びかけにあっさりとダビデから離れてシェバについていきました。
  結局、ヨルダン川からエルサレムまでダビデ王に従ったのは、ユダの人々だけでした。まさに人の称賛は陽が上ると消え去る朝露のようなものです。新約聖書にも「ホサナ、ダビデの子に。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。ホサナ、いと高き方に。」(マタイ21:9)とイエスを歓迎した群衆が、次の瞬間にはイエスを十字架につけよと叫びました(マタイ27:22-23)。人の評価の上に自分の人生を立てるのは愚かなことです。神を恐れ、神とともに歩む人こそ真の勝利者です。

 Ⅱ.アマサの死(3-13)

次に、3~13節までをご覧ください。「3ダビデはエルサレムの自分の王宮に入った。王は、王宮の留守番に残しておいた十人の側女をとり、監視つきの家を与えて養ったが、彼女たちのところには通わなかった。彼女たちは、一生、やもめとなって、死ぬ日まで閉じ込められていた。4 王はアマサに言った。「私のために、ユダの人々を三日のうちに召集し、あなたも、ここに帰って来なさい。」5 アマサは、ユダの人々を召集するために出て行ったが、指定された期限に間に合わなかった。6 ダビデはアビシャイに言った。「今や、ビクリの子シェバは、アブサロムよりも、もっとひどいわざわいを、われわれに仕掛けるに違いない。あなたは、主君の家来を引き連れて彼を追いなさい。さもないと、彼は城壁のある町に入って、逃れてしまうだろう。」7 ヨアブの部下、クレタ人、ペレテ人、そしてすべての勇士たちは、アビシャイの後に続いて出て行った。彼らはエルサレムを出て、ビクリの子シェバの後を追った。8 彼らがギブオンにある大きな石のそばに来たとき、アマサが彼らの前にやって来た。ヨアブは自分のよろいを身に着け、さやに収めた剣を腰の上に帯で結び付けていた。彼が進み出ると、剣が落ちた。9 ヨアブはアマサに「兄弟、おまえは無事か」と言って、アマサに口づけしようとして、右手でアマサのひげをつかんだ。10 アマサはヨアブの手にある剣に気をつけていなかった。ヨアブは彼の下腹を突いた。それで、はらわたが地面に流れ出た。この一突きでアマサは死んだ。ヨアブとその兄弟アビシャイは、ビクリの子シェバの後を追った。11 ヨアブに仕える若者の一人がアマサのそばに立って言った。「ヨアブにつく者、ダビデに味方する者は、ヨアブに従え。」12 アマサは大路の真ん中で、血まみれになって転がっていた。この若者は、兵がみな立ち止まるのを見て、アマサを大路から野原に運んだ。そして、その傍らを通る者がみな立ち止まるのを見ると、彼の上に衣を掛けた。13 アマサが大路から移されると、みなヨアブの後について進み、ビクリの子シェバを追った。」

アブサロムが謀反を起こしダビデがエルサレムを追われた時、ダビデは王宮に10人のそばめを残していきました(15:16)が、アブサロムはアヒトフェルの進言に従いこのそばめたちのところに入りました(16:21)。ダビデがエルサレムに戻って来た時に最初にしたことは、そのそばめたちの回復でした。しかしダビデは、アブサロムと寝た彼女たちを受け入れることができませんでした。それで彼は、彼女たちに監視付きの家を与えて養いましたが、彼女たちのところに通おうとはしませんでした。それで彼女たちはやもめとしてその余生を送らなければならなかったのです。ある意味では彼女らはダビデ家の被害者でもありました。しかし元はといえばすべてダビデの罪のゆえです。彼女たちはダビデの罪による犠牲者だったのです(Ⅱサムエル12:11)。罪を犯すと、必ずこのような結果が伴います。

4節と5節をご覧ください。ダビデ王はヨアブに代わり新しく指揮官にしたアマサに対して、シェバの反逆を鎮圧すべくユダの人々を三日のうちに召集するように命じました。しかし、彼は指定された期限に間に合いませんでした。それまでアブサロムの将軍として仕えていた人物でしたから、ユダの人々の信頼を勝ち取れなかったのでしょう。ダビデ王からは信頼されていましたが、民衆から信頼されていなかったため、結局のところ、肝心なときに協力を得ることができなかったのです。そこでダビデはアビシャイを一時的に指揮官にし、反逆者シェバの討伐に取りかかるように命じました。アビシャイとは、それまでユダの軍団長であったヨアブの弟です。ダビデはこの時もヨアブを指揮官には選ばず、彼の兄弟アビシャイを選びました。それは彼が自分の命令に背きアブサロムを殺してしまったことや、その後もダビデに対して横柄な態度を取り続けていたからです。

彼らがシェバを追ってギブオンにある大きな石のそばに来たとき、アマサが彼らの前にやって来ました。合流するためです。すると軍団長を降ろされ、アブサロムに加担していたアマサが自分の代わりに起用されたことを快く思っていなかったヨアブは、アマサにあいさつすると見せかけて、剣でアマサの下腹部を突き刺して殺してしまいました。すると、ヨアブに仕える若者の一人が「ヨアブにつく者、ダビデに味方する者は、ヨアブに従え。」と言いました。これは、自分たちの軍団長はやっぱりヨアブだ、ヨアブにつけ、ということです。そしてみなヨアブの後について進み、シェバを追いました。

このようにしてヨアブは、邪魔者だったアマサを殺し自力で軍団長としての地位を取り戻しました。ヨアブはダビデの甥にあたる人物で非常に有能な戦士でしたが、その性質は極めて残虐でした。それなのにダビデは、ヨアブを戒めることができませんでした。なぜでしょうか。ヨアブに弱みを握られていたからです。弱みとはダビデの命令に従って、バテ・シェバの夫であったウリヤを殺害したことです。罪を犯すと、人に弱みを握られてしまうことになります。それがサタンの常套手段です。サタンも私たちが罪を犯すとその弱みを握り、それを神の前に訴えるのです。しかし、私たちには、父なる神の御前でとりなしてくださる方がおられます。それは、義なるイエス・キリストです。イエス・キリストの血は、すべての罪から私たちをきよめてくださいます。ですから、大切なのはイエス・キリストを信じてキリストの衣を着せていただくことです。そうすれば、どんなにサタンが罪を告発しても、神の御前に大胆でいることができるのです。この方にあって歩めることは何と幸いなことでしょうか。

 Ⅲ.一人の知恵ある女(15-26)

 最後に、15~26節をご覧ください。22節までをお読みします。「15 人々はアベル・ベテ・マアカに来て、彼を包囲し、この町に向かって塁を築いた。それは外壁に向かって立てられた。ヨアブにつく兵はみな、城壁を破壊して倒そうとしていた。

16 この町から、一人の知恵のある女が叫んだ。「聞いてください。聞いてください。ヨアブにこう言ってください。『ここまで近づいてください。あなたにお話ししたいのです。』」

17 ヨアブが彼女の方に近づくと、この女は言った。「あなたがヨアブですか。」彼は言った。「そうだ。」女は言った。「このはしためのことばを聞いてください。」彼は言った。「よし、聞こう。」18 女は言った。「昔、人々は『アベルで尋ねよ』と言って、事を決めました。19 私は、イスラエルのうちで平和な、忠実な者の一人です。あなたは、イスラエルの母である町を滅ぼそうとしておられます。あなたはなぜ、主のゆずりの地を、呑み尽くそうとされるのですか。」20 ヨアブは答えて言った。「とんでもない。呑み尽くしたり滅ぼしたりするなど、とんでもないことだ。21 そうではない。実はビクリの息子で、その名をシェバというエフライムの山地の出である男が、ダビデ王に手向かったのだ。この男だけを引き渡してくれたら、私はこの町から引き揚げよう。」女はヨアブに言った。「では、その男の首を城壁の上からあなたのところに投げ落としてごらんにいれます。」22 この女は知恵を用いて、民全員のところに行った。それで彼らはビクリの子シェバの首をはね、それをヨアブのもとに投げた。ヨアブは角笛を吹き鳴らし、人々は町から散って行き、それぞれ自分の天幕に帰った。ヨアブはエルサレムの王のところに戻った。」

シェバはイスラエルの全部族のうちを通って、アベル・ベテ・マアカへ行きました。アベル・ベテ・マアカとは、ガリラヤ湖の北、イスラエルの最北端にある町です。シェバはそこまで逃亡し、そこに立てこもりました。すると、ヨアブ率いるダビデ軍は、その町まで追って来て、この町を責めるために塁を築き、城壁を破壊して倒そうとしました。そのときです。一人の知恵ある女が町の中からヨアブに向かって言いました。18~19節です。「昔、人々は『アベルで尋ねよ』と言って、事を決めました。私は、イスラエルのうちで平和な、忠実な者の一人です。あなたは、イスラエルの母である町を滅ぼそうとしておられます。あなたはなぜ、主のゆずりの地を、呑み尽くそうとされるのですか。」

これはどういうことかというと、昔、人々は争いが起ころうとしても、この町で協議すれば平和裏に解決できた、ということです。それにも関わらず、そのイスラエルの母である町を、あなたは滅ぼされるのですか、ということです。

するとヨアブは、それはとんでもないことだと答えます。そうではなく、ビクリの息子でシェバという男を引き渡してくれたら、それでいい。自分たちはこの町から引き揚げようと約束します。

するとこの女はどうしたでしょうか。「では、その男の首を城壁からあなたのところに投げ落としてごらんにいれます。」と言うと、知恵を尽くして町中の人々を説得し、シェバの首をはねさせて、これをヨアブのもとに投げ落としたのです。こうして反乱は収まり、ヨアブは角笛を吹き鳴らし、人々は町から散って行き、それぞれ自分の天幕に帰って行きました。ヨアブはエルサレムの王のところに戻りました。

この女の知恵に注目しましょう。彼女には確かに知恵がありました。すぐに判断して、人々を説得して、シェバの首をはねさせることによって平和を保つことができました。彼女はどうすることが平和な道なのか、どうすることが自分たちの社会を守ることにつながるのか、すぐに判断することができました。

知恵と知識とは別ものです。知恵とは具体的な問題に直面したときに発揮される判断力のことです。知恵があるかどうかは、年齢や性別、学歴とは全く関係ありません。彼女は問題点を取り除くことによって、町全体の平和を保つことができました。私たちも自分の人生の中でこのような知恵を発揮しなければなりません。あなたの問題点は何ですか。それをどのように取り除きますか。

箴言9章10節には、「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟ることである。」とあります。また詩篇111篇10節にも、「知恵の初めそれは主を恐れること。これを行う人はみな賢明さを得る。主の誉れは永遠に立つ。」とあります。主を恐れることが知恵の初めです。

「主を恐れる」とは、箴言9章10節にあるように「聖なる方を知ること」です。それはキリストを知ることです。キリストを知る者(信じる者)は、平和をつくることができます(マタイ5:9)。そのような人は、どうすることが平和につながる道なのかを常に考えます。しかし平和を求める時にまず自分自身の中に平和がないと、平和を生み出していくことはできません。キリストを通して神との平和(和解)が与えられる時、私たちは本当の平安を得ることができます(Ⅱコリント5:17~21)。キリストを通して、自分が平和な、忠実な者であることを求めていきましょう。そして具体的にどうしていくことが、この社会において平和を生み出す道であるか、祈り求めていきたいと思うのです。

23~26節をご覧ください。「23 さて、ヨアブはイスラエルの全軍の長であった。エホヤダの子ベナヤはクレタ人とペレテ人の長、24 アドラムは役務長官、アヒルデの子ヨシャファテは史官、25 シェワは書記、ツァドクとエブヤタルは祭司、26 ヤイル人イラもダビデの祭司であった。」

さて、ヨアブがエルサレムに戻ると、彼はそこで再びダビデ軍の長に復帰しました。ダビデはヨアブを退けたいと思っていましたが、生涯ヨアブに対して厳しい措置を断行することができませんでした。それを実行するのはその子ソロモンです。ダビデがヨアブに対して厳しい態度を取ることかできなかったのは、バテ・シェバ事件での弱みを握られていたからです。罪の支払う代価は、あまりにも大きいです。

Ⅱサムエル記19章

 きょうは、Ⅱサムエル記19章から学びます。

 Ⅰ.ダビデに対するヨアブの忠告(1-8)

 まず、1~8節をご覧ください。

「1そのようなときに、ヨアブに、「今、王は泣いて、アブサロムのために喪に服しておられる」という知らせがあった。

2 その日の勝利は、すべての兵たちの嘆きとなった。その日兵たちは、王が息子のために悲しんでいるということを聞いたからである。

3 兵たちはその日、まるで戦場から逃げて恥じている兵がこっそり帰るように、町にこっそり帰って来た。

4 王は顔をおおい、大声で、「わが子アブサロム、アブサロムよ。わが子よ、わが子よ」と叫んでいた。

5 ヨアブは王の家に来て言った。「今日あなたのいのちと、あなたの息子、娘たちのいのち、そして妻や側女たちのいのちを救ってくれたあなたの家来たち全員に、あなたは今日、恥をかかせられました。

6 あなたは、あなたを憎む者を愛し、あなたを愛する者を憎まれるからです。あなたは今日、隊長たちも家来たちも、あなたにとっては取るに足りないものであることを明らかにされました。今、私は知りました。もしアブサロムが生き、われわれがみな今日死んだなら、それはあなたの目にかなったのでしょう。

7 さあ今、立って外に行き、あなたの家来たちの心に語ってください。私は主によって誓います。あなたが外においでにならなければ、今夜、だれ一人あなたのそばにとどまらないでしょう。そうなれば、そのわざわいは、あなたの幼いころから今に至るまでにあなたに降りかかった、どんなわざわいよりもひどいものとなるでしょう。」」

8. 王は立って、門のところに座った。人々はすべての兵たちに「見なさい。王は門のところに座っておられる」と知らせた。兵たちはみな王の前にやって来た。一方、イスラエルは、それぞれ自分たちの天幕に逃げ帰っていた。」

イスラエルとの戦いにおいて息子アブサロムが死んだことを聞いたダビデは、その体を震わせて「わが子アブサロム。わが子、わが子アブサロムよ。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブサロム。わが子よ、わが子よ」(18:33)と泣き叫びました。そのため、その日の勝利は、すべての兵たちの嘆きとなってしまいました。それで兵たちはその日、まるで戦場から逃げて恥じている兵たちがこっそりと帰るように、自分たちがいたマハナイムに帰って行きました。

それを見たヨアブはダビデに激しく迫りました。4~7節までの内容です。ここでヨアブが言っていることは、王のしていることは、王とその家族のためにいのちがけで戦ってくれた人たちを侮辱することである。王は自分を憎む者を愛し、自分を愛する者を憎まれたのだから。そう思われても仕方がないことをしている。王は息子アブサロムだけが生き残り、彼の部下たちがみな死んだ方が良かったのか。すぐに出て行って、兵たちにねぎらいのことばをかけてやってほしい。そうでなければ、だれ一人として王のそばにはとどまらないだろう、というものでした。

それでダビテ王は立って、門のところに座り、ようやく民の前に姿を表し、ねぎらいのことばをかけました。

それにしても、この時のヨアブの態度とダビデの態度を比較してみると、その性質がよく表れています。ヨアブの態度は実に失礼で聞き苦しいものでした。王の命令に背いてアブサロムを殺したのは彼です。それなのに彼は、自分の不当な行為には一切触れず、自分たちの行動を認めないダビデ王に対して、辛辣なことばを浴びせたのです。どうしても忠告しなければならないと思ったのかもしれませんが、そのような場合でも敬意を払いつつ、穏かなことばで伝えるべきでした。もともと残忍な性質を持っていたヨアブには、王に対する畏敬の念がなかったのです。

それに対してダビデは、ヨアブの激しいことばに対して激怒することなく、その中にある意図を理解することかできました。ダビデの心には、ヨアブに対する怒りと憤りもあったでしょうが、彼はそれを内に秘めたまま、ヨアブのことばに応じて民の前に自分の姿を表しました。彼は「天の下には何事にも定まった時があり」というみことばの原則を実践したのです。

 Ⅱ.あたかも一人の人のように心を動かされたユダの人々(9-15)

次に、9~15節までをご覧ください。

「9イスラエルの全部族の間で、民はみなこう言って争っていた。「王が敵の手から、われわれを救い出してくださったのだ。われわれをペリシテ人の手から助け出してくださったのは王だ。ところが今、王はアブサロムのいるところから国外に逃げておられる。

10 われわれが油を注いで王としたアブサロムは、戦いで死んでしまった。あなたがたは今、王を連れ戻すために、なぜ何もしないでいるのか。」

11 ダビデ王は、祭司ツァドクとエブヤタルに人を遣わして言った。「ユダの長老たちにこう告げなさい。『全イスラエルの言っていることが、ここの家にいる王の耳に届いたのに、あなたがたは、なぜ王をその王宮に連れ戻すことをいつまでもためらっているのか。

12 あなたがたは、私の兄弟、私の骨肉だ。なぜ王を連れ戻すのをいつまでもためらっているのか。』

13 アマサにも言わなければならない。『あなたは私の骨肉ではないか。もしあなたが、ヨアブに代わってこれからいつまでも、私の軍の長にならないなら、神がこの私を幾重にも罰せられるように。』」

14 すべてのユダの人々は、あたかも一人の人のように心を動かされた。彼らは王のもとに人を遣わして、「あなたも家来たちもみな、お帰りください」と言った。

15 王は帰途につき、ヨルダン川までやって来た。一方、ユダの人々は、王を迎えてヨルダン川を渡らせるためにギルガルに来た。」

アブサロムが死んだ後、イスラエルの全部族の間で、言い争いが起こりました。自分たちをペリシテ人の手から救い出してくれたのはダビデ王なのに、その王が国外に逃亡しているということがあって良いのか。自分たちが油を注いだアブサロムは死んでしまった。ダビデ王を連れ戻すのに、何を躊躇しているのか、というものでした。

イスラエル人たちが、ダビデをエルサレムに連れ戻す話が、ダビデの耳に入りました。そこでダビデは、祭司ツァドクとエブヤタルに人を遣わして、ユダの人々に、自分を連れ戻すようにと促します。ユダの人々は、ダビデの近親者だったからです。また、アブサロムに手を下したヨアブに代えてアマサを将軍に取り立てると約束しました。アマサは、アブサロム軍についていた将軍でした。そのアマサを自分たちの軍の将軍に登用するというのです。そのように決断するのはかなりの危険が伴うことでしたが、そのようにすることによって、自分には報復する意図がないことを示そう思ったのでしょう。また、これ以上、ヨアブの力が及ぶことがないようにしたかったのかもしれません。

これを聞いたユダの人たちは、どのように思ったでしょうか。14節には、「あたかも一人の人のように心を動かされた」とあります。「一人の人のように」とは、「全員一致で」ということです。全員一致で王を迎えることにしたのです。そして、ヨルダン川まで迎えに出てきました。それでダビデ王はヨルダン川を渡るためにギルがるまでやって来たのです。

このダビデのやり方には目を見張るものがあります。彼は力づくでエルサレムに帰還することもできましたがそうすることをせず、あくまでも全イスラエルの人たちの心が整えられ、彼らから招かれるような形で帰還したのです。それはイエス様にも見られる態度です。イエス様は、戸の外に立って、たたかれる方です。無理やり戸を開けて入って来られるのではなく、との外に立ってたたかれます。そして、だれでもその戸を開けるなら、その中に入り、彼とともに食事をし、彼もイエス様とともに食事をするようになります。私たちも時に土足で人の心の中に入り込もうとすることがありますが、その前に戸の外に立ってたたくという配慮が求められます。そして、その人の心の準備ができたところで、中に入って食事をする。つまり、親しい交わりの時を持たせていただくという心構えが求められます。

 Ⅲ.ダビデ王を出迎える人々、見送る人々(16-43)

 最後に、16~43節をご覧ください。ここには、ダビデを出迎える人々と見送る人々のことが記されてあります。まず、16~23節です。ここには、バフリム出身のベニヤミン人、ゲラの子シムイのことが記されてあります。

16 バフリム出身のベニヤミン人、ゲラの子シムイは、ダビデ王を迎えようと、急いでユダの人々と一緒に下って来た。

17 彼は千人のベニヤミン人を連れていた。サウルの家のしもべツィバも、十五人の息子、二十人の召使いを連れて、王が見ている前でヨルダン川に駆けつけた。

18 そして、王の家族を渡らせるため、また王の目にかなうことをするために、渡しを整えた。ゲラの子シムイはヨルダン川を渡って行き、王の前に倒れ伏して、

19 王に言った。「わが君、どうか私の咎を罰しないでください。王様がエルサレムから出て行かれた日に、このしもべが犯した咎を、思い出さないでください。王様、心に留めないでください。

20 このしもべは、自分が罪を犯したことを知っています。ご覧ください。今日、ヨセフのすべての家に先立って、わが君、王様を迎えに下って参りました。」

21 ツェルヤの子アビシャイは口をはさんで言った。「シムイは、【主】に油注がれた方を呪ったので、そのために死に値するのではありませんか。」

22 ダビデは言った。「ツェルヤの息子たちよ。あれは私のことで、あなたがたに何の関わりがあるのか。あなたがたが、今日、私に敵対する者になろうとするとは。今日、イスラエルのうちで人が殺されてよいだろうか。私が今日イスラエルの王であることを、私が知らないとでもいうのか。」

23 王はシムイに言った。「あなたは死ぬことはない。」王は彼にそう誓った。」

シムイは、ダビデがアブサロムから逃れているときにバフリムで出会った人物です。そのとき彼は、ダビデを口汚くののしり、石やちりを投げつけました(16:5)。そのシムイが今、ダビデ王を迎えようと、急いでユダの人々と一緒に下って来たのです。

彼は自らの行為を深く反省し、1000人のベニヤミン人を引き連れて、ダビデのもとに駆けつけました。そして、ダビデ王に、自分の咎を罰しないように、その咎を思い出さず、心に留めないようにと懇願しました。

すると、ツェルヤの子アビシャイは、主に油注がれた方を呪うなんて決して許されないことであって、死刑に処せられるべきであると主張しました。さあ、ダビデ王はどのような態度を取ったでしょうか。

22節と23節をご覧ください。彼は、アビシャイに、これは自分のことであってあなたには関係のないことであり、あなたは自分に敵対する者になろうとするのか。今日、イスラエルのうちで人が殺されてよいだろうか、と言って、シムイに「あなたは死ぬことはない。」と言って誓ったのです。いったいなぜダビデは彼を赦すことができたのでしょうか。

それは、ダビデの中に神を恐れる心と、平和を求める心があったからです。確か彼は罪を犯しましたが、彼は弁解することなくその罪を認め、告白しました。聖書には何と書いてありますか。これはダビデ自身が体験したことでもあります。詩篇32篇1~5節にはこうあります。

「1 幸いなことよその背きを赦され罪をおおわれた人は。

2 幸いなことよ主が咎をお認めにならずその霊に欺きがない人は。

3 私が黙っていたとき私の骨は疲れきり私は一日中うめきました。

4 昼も夜も御手が私の上に重くのしかかり骨の髄さえ夏の日照りで乾ききったからです。セラ

5 私は自分の罪をあなたに知らせ自分の咎を隠しませんでした。私は言いました。「私の背きを主に告白しよう」と。するとあなたは私の罪のとがめを赦してくださいました。セラ」

ダビデは、主がどのようなお方であるのかをよく知っていました。そして、彼自身がそれを体験しました。それゆえ、彼は自分に対して罪を犯した者であっても、その罪を認め、それを告白する者に対して、心から赦すことができたのです。

それは、ダビデが主と呼んだイエス様に見られる性質です。主イエスも罪人たちのために十字架の上で祈られました。「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは、自分で何をしているのかわからないのです。」と。そして、その主イエスの罪の赦しを経験した弟子のヨハネはこのように言いました。「もし私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(Ⅰヨハネ1:9)

それゆえ、大切なことは、自分には罪がないと言うのではなく、キリストのみことばの主権を認めて、罪を犯したことを言い表すことです。そうすれば、主は赦してくださいます。ダビデには、その心がありました。

次にダビデ王を迎えに出てきたのは、サウルの孫のメフィボシェテです。24~30節をご覧ください。

「24 サウルの孫メフィボシェテは、王を迎えに下って来た。彼は、王が出て行った日から無事に帰って来た日まで、自分の足の手入れもせず、ひげも剃らず、衣服も洗っていなかった。

25 彼が王を迎えにエルサレムから来たとき、王は彼に言った。「メフィボシェテよ、あなたはなぜ、私とともに来なかったのか。」

26 彼は言った。「わが君、王様。家来が私をたぶらかしたのです。このしもべは『ろばに鞍を置き、それに乗って、王と一緒に行こう』と言ったのです。しもべは足の萎えた者ですから。

27 彼がこのしもべのことを王様に中傷したのです。しかし、王様は神の使いのような方ですから、お気に召すようにしてください。

28 私の父の家の者はみな、王様から見れば、死刑に当たる者にすぎなかったのですが、あなたは、このしもべをあなたの食卓で食事をする者のうちに入れてくださいました。ですから、この私に、どうして重ねて王様に訴える権利があるでしょう。」

29 王は彼に言った。「あなたはなぜ、自分のことをまだ語るのか。私は決めている。あなたとツィバとで地所を分けるのだ。」

30 メフィボシェテは王に言った。「王様が無事に王宮に帰られた後なら、彼が全部取ってもかまいません。」」

ダビデはメフィボシェテに会うなり、「あなたはなぜ、私とともに来なかったのか。」と尋ねました。するとメフィボシェテは、家来が自分をたぶらかしたので、行くことが出来なかったと弁明しました。この家来とはツィバのことです。ツィバはメフィボシェテをたぶらかしたばかりか、彼のことを中傷しました。何のことか言うと、16章1~4節にあった出来事のことです。ダビデがアブサロムから逃れて山の頂から少し下ったとき、このツィバがダビデの前に表れて、メフィボシェテが「きょう、イスラエルの家は、私の父の王国を私に返してくれる。」と言ったと嘘をついたのです。そのことを怒ったダビデは、メフィボシェテの地所や財産はみなあなたのものだと」と判断を下しました。けれども、それは早まった判断でした。それは全くの嘘だったからです。ツィバがメフィボシェテのことを中傷していたのです。

しかし、これまでのダビデの好意に対して、メフィボシェテは何も言える立場ではありませんでした。ダビデは彼をあわれみ、本当に良いことをしてくれました。メフィボシェテからすれば、ダビデは神の使いのような存在でした。それゆえ、何も訴える権利などないので、ダビデ王の好きなようになさそってください、と言いました。

それに対してダビデは何と言ったでしょうか。29節です。ダビデはメフィボシェテの真実な姿とツィバの偽りとを見抜き、地所を全部ツィバと二分するようにと言いました。これもちょっと不思議な感じもします。メフィボシェテが言っていることが本当なら、ツィバは偽り者であり、処刑されて当然ではないかと思いますが、二分するようにと言っているからです。おそらくダビテは、たとえそれが嘘であっても神の前で約束したことであれば、すべてを取り消すことはできないと考えたのでしょう。また、ツィバが相当実力を持っていると感じ、彼の反感を買うような事態にならないように配慮したのかもしれません。それは17~18節を見てもわかります。彼は、ダビデを迎えるために自分の息子や召使を連れて、ダビデのもとに駆けつけています。そして、王と家族の目にかなうようにと、渡しを整えています。ツィバは相当ずる賢いところがありましたが、ある面で誠意をもってダビデに仕えています。

それに対してメフィボシェテはこう言っています。30節です。「王様が無事に王宮に帰られた後なら、彼が全部取ってもかまいません。」これがメフィボシェテの真実な姿でした。彼は、ダビデがエルサレムに戻り、民を治めることを自分のこと以上に喜んだのです。私たちもこのような心を持ちたいですね。

バプテスマのヨハネにも、このような性質がありました。彼はキリストが来られたときこのように告白しました。「花嫁を迎えるのは花婿です。そばに立って花婿が語ることに耳を傾けている友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。ですから、私もその喜びに満ちあふれています。あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。」(ヨハネ:29-30)私たちも、ただイエス様の栄光が崇められる生活を求める者でありたいと願わされます。

次にダビデを出迎えたのは、ギルアデ人バルジライです。31~40節をご覧ください。

「31 一方、ギルアデ人バルジライはロゲリムから下って来た。そして、ヨルダン川で王を見送るために、王とともにヨルダン川まで進んで来た。

32 このバルジライは、たいへん年をとっていて八十歳であった。彼は王がマハナイムにいる間、王を養っていた。非常に裕福な人だったからである。

33 王はバルジライに言った。「私と一緒に渡って行ってください。エルサレムの私のもとで、あなたを養います。」

34 バルジライは王に言った。「王様とともにエルサレムへ上って行っても、私はあと何年生きられるでしょう。

35 私は今、八十歳です。私に善し悪しが分かるでしょうか。しもべは食べる物も飲む物も味わうことができません。歌う男や女の声を聞くことさえできません。どうして、この上、しもべが王様の重荷になれるでしょう。

36 このしもべは、王様とともにヨルダン川をほんの少しだけ進んで参りましょう。王様は、そのような報酬を、どうしてこの私に下さらなければならないのでしょう。

37 このしもべを帰らせてください。私は自分の町で、父と母の墓の近くで死にたいのです。ご覧ください。ここに、あなたのしもべキムハムがおります。彼が、王様と一緒に渡って参ります。どうか彼に、あなたの良いと思われることをなさってください。」

38 王は言った。「キムハムは私と一緒に渡って行けばよい。私は、あなたが良いと思うことを彼にしよう。あなたが私にしてほしいことは何でも、あなたにしてあげよう。」

39 こうして、民はみなヨルダン川を渡り、王も渡った。王はバルジライに別れの口づけをして、彼を祝福した。それで、バルジライは自分の町へ帰って行った。

40 それから、王はギルガルへ進み、キムハムも王とともに進んだ。ユダのすべての民とイスラエルの民の半分が、王とともに進んだ。」

バルジライは、ダビデ王を出迎えたのではなく、見送るためにヨルダン川まで住んできました。このバルジライについては、17章27節にあります。彼はダビデたちがエルサレムを逃れてマハナイムに逃れたとき、アモン人ショビやマルキとともにダビデのもとに支援物資を持ってきました。その後も彼は、ずっとダビデとその部下たちを養い続けました。彼は非常に裕福な人でしたが、その自分の莫大な富を、ダビデたちに使ってもらいたいと思ったのです。自分のためではなく、人の益のために財産を用いました。「天に宝を積みなさい」と主イエスが言われたのに通じるものがあります。

そのバルジライに、ダビデは、ぜひ一緒に来てほしい、エルサレムのもとで彼を養いたいと申し出ましたが、彼はダビデの申し出を断りました。たいへん年をとっていたからです。彼は80歳になっていました。そのような者が行ったとしても、王の重荷になるだけです。そんなことはしたくない、自分は自分の町で、父と母の近くで死にたい。しかし、彼のしもべキムハムがいるので、ダビデにとって良いと思いことを、彼にしてほしいと言いました。

結局ダビデは彼の気持ちを受け入れ、キムハムを連れて行くことにし、バルジライには分かれの口づけをして、彼を祝福したので、彼は自分の町へ帰って行きました。

このバルジライは、死への備えが出来ていました。彼は自分の町で、自分の父と母の墓の近くで死にたいと言っています。使徒パウロⅡテモテ4章8節でこう言っています。「あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。その日には、正しいさばき主である主が、それを私に授けてくださいます。私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、だれにでも授けてくださるのです。」

私たちも、しっかりと死に備えた生き方をしていきたいと思います。バルジライは、ダビデに与えた以上のものを、ダビデから提供されていました。それと同じように、私たちが主イエスの御前に立つとき、義の栄冠という、この地上で与えたはるかにすばらしい祝福にあずかる者となるのです。

最後に、41~43節をご覧ください。

「41 するとそこに、イスラエルのすべての人が王のところにやって来て、王に言った。「われわれの同胞、ユダの人々は、なぜ、あなたを奪い去り、王とその家族に、また王とともにいるダビデの部下たちに、ヨルダン川を渡らせたのですか。」

42 ユダのすべての人々はイスラエルの人々に答えた。「王は、われわれの身内だからだ。なぜ、このことでそんなに怒るのか。いったい、われわれが王の食物を食べたとでもいうのか。王が何かわれわれに贈り物をしたとでもいうのか。」

43 イスラエルの人々はユダの人々に答えて言った。「われわれは、王のうちに十の分を持っている。だからダビデにも、あなたがたよりも多くを持っている。なぜ、われわれをないがしろにするのか。われわれの王を連れ戻そうと最初に言い出したのは、われわれではないか。」しかし、ユダの人々のことばは、イスラエルの人々のことばより激しかった。」

ダビデは、ヨルダン川を渡り、西岸のギルガルへ進みました。ユダのすべての民とイスラエルの民の半分がともに進みました。

そのとき、イスラエルのすべての人がダビデのもとにやって来て、抗議しました。それは、ユダの人々が自分たちに相談なしでダビデ王をエルサレムに戻そうとしているということに対してでした。つまり、自分たちが無視されているということです。

それに対して、ユダの人々は反論します。ダビデは自分たちの身内だから親しく付き合うのは当然だと。同族関係を強調するユダの人々に対して、イスラエルの人々は10の部族という数の大きさと、王を連れ戻そうと最初に行ったのは自分たちだと、時間的優位性を主張しました。かくして、この論争は、激しい論争へと発展していきました。声が大きかったのは、ユダの人々の方でした。

しかし、ダビデにとっては、どちらも神の民です。しかし、往々にしてこのような醜い争いが教会の中でも起こることがあります。コリントの教会のように、私はパウロにつく、私はペテロにつく、いやバルナバに、いや私だけがキリストにつく者だ、と仲間割れをするのです。けれども、まことの主である王であるイエス・キリストは、そのように自分たちの優位性を誇るようなお方ではありません。私たちは、キリストの体の一部にすぎず、大切なのは頭であられるキリストの心に従うことです。たとえ自分に言い分があると思えるような時でも、キリストにある愛と柔和と謙遜をもって互いに仕え合わなければなりません。箴言15章1節には、「柔らかな答えは憤りを鎮め、激しいことばは怒りをあおる。」とあります。激しいことばではなく、柔らかな答えをもって憤りを静める、そんな者にさせていただきたいと思います。

Ⅱサムエル記18章

 Ⅱサムエル記18章に入ります。

 Ⅰ.アブサロムとの戦い(1-8)

 まず、1~8節をご覧ください。「ダビデは自分とともにいる兵を調べて、彼らの上に千人隊の長、百人隊の長を任命した。ダビデは兵の三分の一をヨアブの指揮のもとに、三分の一をヨアブの兄弟である、ツェルヤの子アビシャイの指揮のもとに、三分の一をガテ人イタイの指揮のもとに配置した。王は兵たちに言った。「私自身も、あなたがたと一緒に出陣する。」兵たちは言った。「王様が出陣してはいけません。私たちがどんなに逃げても、彼らは私たちのことは何とも思わないでしょう。私たちの半分が死んでも、彼らは私たちのことは心に留めないでしょう。しかし、今、あなたは私たちの一万人に当たります。今、あなたは町にいて私たちを助けてくださるほうがよいのです。」王は彼らに言った。「あなたがたが良いと思うことを、私はしよう。」王は門のそばに立ち、兵はみな、百人、千人ごとに出て行った。王はヨアブ、アビシャイ、イタイに命じて言った。「私に免じて、若者アブサロムをゆるやかに扱ってくれ。」兵はみな、王が隊長たち全員にアブサロムのことについて命じているのを聞いていた。兵たちはイスラエルに対抗するために戦場へ出て行った。戦いはエフライムの森で行われた。イスラエルの兵たちは、そこでダビデの家来たちに打ち負かされ、その日その場所で多くの者が倒れ、その数は二万人となった。戦いはこの地一帯に広がり、この日、剣よりも密林のほうが多くの者を食い尽くした。」

マナハイムに逃れたダビデたちは、アンモン人ナハシュの息子ショビと、ロ・デハル出身のアンミエル出身のマキル、ロゲリム出身のギルアデ人バルジライたちが支援してくれた物資によって力づけられ、アブサロム軍と戦うための組織作りをしました。

ダビデはまず自分とともにいる兵を調べると、彼らの上に千人隊の長、百人隊の長を任命しました。そして、兵の内三分の一をヨアブの指揮のもとに、三分の一をヨアブの兄弟である、ツェルヤの子アビシャイの指揮のもとに、そして、三分の一をガテ人イタイの指揮のもとに配置しました。ガテ人とはペリシテ人のことです。ダビデがいかに彼を信頼していたかがわかります。

ダビデは、自分もまた彼らと一緒に出陣したいと申し出ましたが、兵たちの反対によってそれは叶いませんでした。それはダビデは民の1万人に匹敵する王ですから、彼が死んでしまったらすべてが終わってしまうからです。だから、町にいて指揮を取ってほしいと言うのです。ダビデはその願いを聞き入れ、町にとどまることにしました。

それでダビデは、3人の指揮官にゆだね、アブサロムをゆるやかに扱ってくれと願いました。アブサロムがこれほど反抗しても、ダビデは自分の息子のことを愛していたのです。ここに我が子を思う父の愛がにじみ出ています。父なる神と私たち罪人との関係もこれに似ています。私たちが神を神とも思わないで生きていた時から、神は私たちのいのちを「ゆるやかに扱う」ようにしておられました。神は御子イエスを犠牲にしてまで、私たちを愛してくださったのです。私たちはその神の愛に応答して生きなければなりません。

戦いはエフライムの森で行われました。そこでアブサロム軍はダビデの家来たちに打ち負かされ、その日多くの者が倒れました。その数何と2万人です。その多くは剣で倒れたというよりも、密林で足を取られたり、洞窟に迷い込んだりして、倒れました。かくしてイスラエルの民は、主に油注がれた者(ダビデ)に反抗して立ち上がるならどのような災難に遭うかを、身をもって味わうことになりました。

 Ⅱ.アブサロムの死(9-18)

次に、9~18節までをご覧ください。「アブサロムはダビデの家来たちに出会った。アブサロムはらばに乗っていたが、らばが大きな樫の木の、茂った枝の下を通った。すると、アブサロムの頭が樫の木に引っ掛かり、彼は宙づりになった。彼が乗っていたらばはそのまま行ってしまった。ある男がそれを見て、ヨアブに告げて言った。「今、アブサロムが樫の木に引っ掛かっているのを見ました。」ヨアブは、これを告げた男に言った。「いったい、おまえはそれを見ていて、なぜその場で地に打ち落とさなかったのか。私はおまえに銀十枚と帯一本を与えたのに。」その男はヨアブに言った。「たとえ、私の手に銀千枚をいただいても、王のご子息に手は下せません。王が私たちが聞いているところで、あなたとアビシャイとイタイに、『私のために若者アブサロムを守ってくれ』と言って、お命じになったからです。もし、私が偽って彼のいのちに対して事を起こしていたとしても、王には何も隠すことはできません。あなたは素知らぬ顔をなさるでしょうが。」ヨアブは、「こうしておまえとぐずぐずしてはいられない」と言って、手に三本の槍を取り、まだ樫の木の真ん中に引っ掛かったまま生きていたアブサロムの心臓を突き通した。ヨアブの道具持ちの十人の若者たちも、アブサロムを取り巻いて彼を打ち殺した。ヨアブが角笛を吹き鳴らすと、兵たちはイスラエルを追うのをやめて帰って来た。ヨアブが兵たちを引き止めたからである。彼らはアブサロムを取り降ろし、森の中の深い穴に投げ込み、その上に非常に大きな石塚を積み上げた。イスラエルはみな、それぞれ自分の天幕に逃げ帰っていた。アブサロムは生きていた間、王の谷に自分のために一本の柱を立てていた。「私の名を覚えてくれる息子が私にはいないから」と言っていたからである。彼はその柱に自分の名をつけていた。それは、アブサロムの記念碑と呼ばれた。今日もそうである。」

アブサロムはフシャイの助言に従って自ら軍を率いて戦闘に出て行きました。彼はらばに乗っていましたが、らばが大きな樫の木の茂った枝の下を通った時、彼の頭が樫の木の枝に引っ掛かり、宙づりになってしまいました。彼が乗っていたらばは、そのままどこかへ行ってしまいました。それをある男が見つけて、ヨアブに報告しました。するとヨアブは、なぜそのまま放っておいたのか、もし彼を打ち落としたら褒美として銀10枚と帯1本を与えたのにと言うと、彼はこう言いました。12節です。

「たとえ、私の手に銀千枚をいただいても、王のご子息に手は下せません。王が私たちが聞いているところで、あなたとアビシャイとイタイに、『私のために若者アブサロムを守ってくれ』と言って、お命じになったからです。もし、私が偽って彼のいのちに対して事を起こしていたとしても、王には何も隠すことはできません。あなたは素知らぬ顔をなさるでしょうが。」

彼の言い分はその通りです。ダビデ王が、生かしておきなさいと命令していました。それなのに自分が殺すことでもしたら、ダビデ王はかつてサウルを殺したと言った者と、イシュ・ボシェテを殺したと言った者を死刑にしたように、咎められるのは目に見えています。そうなっても、ヨアブはそしらぬふりをするでしょう。

ヨアブはその兵士を残したまま、ただちにアブサロムの元に行き、宙づりになっていた彼の心臓を槍で突き刺しました。ヨアブはとても有能な戦士でしたが、ダビデの心と一つになっていませんでした。つまり、神への愛、そしてその愛から流れ出る平和への希求、寛大さがありませんでした。むしろ、ダビデの命令を守ったあの兵士の方が正しかったのです。私たちもあの兵士がダビデ王に畏怖の念を抱いたように、私たちの王の王であられる主イエス・キリストに同じような思いを抱くべきです。

アブサロムが死んだことで、戦いが終わりました。ヨアブが笛を吹いて戦いの終結を知らせると、兵たちは引き返してきました。彼らはアブサロムを樫の木から引き下ろして、森の中の深い穴に投げ込み、その上に非常に大きな石塚を積み上げました。これは死者を辱めるためのものです。(ヨシュア記7:26) アブサロムを見せしめにし、イスラエル人の士気を完全にくじこうとしたのです。イスラエルはみな、それを見ると、それぞれ自分の天幕に逃げ帰って行きました。

何と哀れでしょう。アブサロムには息子がいたはずですが、おそらく早死にしたのでしょう。誰も自分を覚えてくれる人がいませんでした。それは彼が主に油注がれた王に反抗し、自分を引き上げようとしたからです。元はと言えば、その罪が原因でした。いや、もっと元をただすると、ダビデ自身の罪が原因でした。その結果、こうした悲惨な結果がもたらされてしまったのです。私たちの家庭や社会にある多くの問題も、元はといえば、この罪が原因です。罪は、私たちに神との断絶をもたらし、その結果、私たちのあらゆる様々な問題と破壊を引き起こすのです。私たちはその罪の連鎖を留めなければなりません。

それは、私たちにできることではありません。しかし、神は私たちをあわれみ、そのひとり子イエス・キリストを通して罪の解決、愛と赦しの道を備えてくださいました。私たちが救い主イエスを信じるならその罪が赦され、その悲惨な連鎖から解放されるのです。この方を信じるなら、たとえ境遇はひどくても、その境遇の奴隷とならず、自由人として生きることができる力と希望が与えられるのです。

 Ⅲ.ダビデの悲嘆(19-33)

 最後に、19~33節をご覧ください。「ツァドクの子アヒマアツは言った。「私は王のところへ走って行って、主が敵の手から王を救って、王のために正しいさばきをされたことを伝えたいのですが。」ヨアブは彼に言った。「今日、伝えるのではない。ほかの日に伝えよ。今日は伝えないのがよい。王子が死んだのだから。」ヨアブはクシュ人に言った。「行って、あなたの見たことを王に告げよ。」クシュ人はヨアブに礼をして、走り去った。ツァドクの子アヒマアツは再びヨアブに言った。「どんなことがあっても、やはり私もクシュ人の後を追って走って行きたいのです。」ヨアブは言った。「わが子よ、なぜ、あなたは走って行きたいのか。知らせに対して、何のほうびも得られないのに。」「しかし、どんなことがあっても、走って行きたいのです。」ヨアブは「走って行け」と言った。アヒマアツは低地への道を走って行き、クシュ人を追い越した。

ダビデは外門と内門の間に座っていた。見張りが城壁の門の屋根に上り、目を上げて見ていると、見よ、ただ一人で走って来る男がいた。見張りが王に大声で告げると、王は言った。「ただ一人なら、吉報だろう。」その者がしだいに近づいて来た。見張りは、別の男が走って来るのを見た。見張りは門衛に叫んだ。「あそこにも、一人で走って来る男がいる。」王は言った。「それも吉報を持って来ているのだろう。」見張りは言った。「最初の者の走り方は、ツァドクの子アヒマアツのもののように見えます。」王は言った。「あれは良い男だ。良い知らせを持って来るだろう。」アヒマアツは王に「平安がありますように」と叫んで、地にひれ伏して、王に礼をした。彼は言った。「あなたの神、主がほめたたえられますように。主は、王様に手向かった者どもを引き渡してくださいました。」王は言った。「若者アブサロムは無事か。」アヒマアツは言った。「ヨアブが王の家来であるこのしもべを遣わしたとき、何か大騒ぎが起こるのを見ましたが、私は何があったのか知りません。」 王は言った。「わきへ退いて、ここに立っていなさい。」彼はわきに退いて立っていた。見ると、クシュ人がやって来て言った。「王様にお知らせいたします。主は、今日、あなた様に立ち向かうすべての者の手から、あなた様を救って、あなた様のために正しいさばきをされました。」王はクシュ人に言った。「若者アブサロムは無事か。」クシュ人は言った。「王様の敵、あなた様に立ち向かって害を加えようとする者はみな、あの若者のようになりますように。」王は身を震わせ、門の屋上に上り、そこで泣いた。彼は泣きながら、こう言い続けた。「わが子アブサロム。わが子、わが子アブサロムよ。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブサロム。わが子よ、わが子よ。」」

「ツァドク」は祭司です。その子アヒマアツはヨアブに、ダビデ王のところに行って、主が敵の手から王を救って、正しいさばきをされたことを伝えたい旨を申し出ます。しかしヨアブは、アブサロムが死んだことを知らせるのは、王にはあまりにも過酷であることを知っていました。それでヨアブは今日ではなくほかの日に伝えるようにと命じ、代わりにクシュ人に、彼が行って、自分が見たことを王に伝えるようにと言いました。クシュ人とはエチオピア人のことです。外国人なら、ダビデの怒りをかうことはないと判断したのでしょう。ところが、アヒマアツは自分を行かせてほしいと最後まで食い下がったため、仕方なくヨアブはそれを許しました。クシュ人がエフライムの山岳コースを行ったのに対してアヒマアツはちょっと遠回りの低地の道を行きましたが、彼は途中でクシュ人を追い越していきました。彼の必死さが伝わってきます。

ダビデは外門と内門の間に座っていましたが、男が一人で走って来るのを見ると、「ひとりなら、吉報だろう。」と思いましたが、見ると、もう一人の者も走って来ました。見張りの者がそのことをダビデに告げると、一人で走って来るなら、それも吉報だろうと、吉報であることを全く疑いませんでした。しかも、それがアヒマアツであることがわかると、それは良い知らせであると確信しました。

アヒマアツはダビデに会うと、地にひれ伏し、「平安がありますように」とダビデに礼をしました。彼はアブサロムの死には触れずに、戦勝報告だけをします。ダビデ王からアブサロムの安否を聞かれると、彼はあいまいな返事をしました。言いづらかったのでしょう。 

続いてクシュ人が到着しました。ダビデは彼に再びアブサロムのこと安否を尋ねます。するとクシュ人は、アブサロムが死んだことをダビデに報告しました。

ダビデ王は、その知らせを聞くと、身を震わせ、門の屋上に上り、そこで泣きました。彼は泣きながら、「わが子アブサロム。わが子、わが子アブサロムよ。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブサロム。わが子よ、わが子よ。」(23)と言い続けました。

この「身を震わせ」という言葉は、体を激しく揺れ動かして、という意味があります。ダビデはアブサロムが死んだことを聞いて、痙攣が起こったかのように身を震わせたのです。アブサロムが死んだことは、ダビデにとってそれほど悲しいことだったのです。ダビデは「私がおまえに代わって死ねばよかったのに」と言っています。それは、自分の罪が、この惨事を招いたことを知っていたからです。だから彼は、アブサロムを憎むどころか、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだったのです。

ここに愛する父の悲しみが描かれています。アブサロムは反逆児であり、滅ぼされて当然の息子でした。その息子アブサロムのためにダビデは悲嘆に暮れ、自分が身代わりになってやりたかったと嘆いるのです。

これが私たちの父なる神の姿でもあります。Ⅰヨハネ4章7~12節にこうあります。

「愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛がある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者は神を知りません。神は愛だからです。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、互いに愛し合うべきです。いまだかつて神を見た者はいません。私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにとどまり、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。」

ここには、「神はそのひとり子をこの世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。」とありますが、その「この世」とはどのような世でしょうか。それは、神に背き、神に感謝することもなく歩んでいる世です。それが罪深い私たちの姿なのです。しかし、神はそのような私たちを愛し、私たちのために御子イエス・キリストを与えて下さいました。イエス・キリストは「私たちの罪のためのなだめの供え物」でした。神は、聖なるお方であられ、罪を忌み嫌われ、裁かる方であられますが、同時に、御怒りを私たちに下すのではなく、御子イエス・キリストに下して十字架で裁かれ、私たちの罪を赦し、私たちに永遠のいのち、神との交わりをお与え下さいました。ここに愛があるのです。神であり、救い主であられるイエス・キリストを信じる時、神は、ご自身と私たちの隔てとなっていた罪を赦し、神との交わりを与えて下さいます。そして、私たちは、神との交わりを通し、造り変えられて歩んでいくことができるのです。

ダビデが自分に反逆した息子アブサロムのために涙したように、父なる神はご自分に背き、自分勝手に生きている私たちを見て涙しておられます。この神の愛を受け取りましょう。そして、神の愛に心から感謝しましょう。文字通り、私たちの罪の身代わりとなって死んでくださった神の愛に応答して、イエス・キリストを信じて、父なる神に立ち返りましょう。

Ⅱサムエル記17章

 Ⅱサムエル記17章から学びます。

 Ⅰ.アヒトフェルとフシャイの進言(1-14)

 まず、1~4節をご覧ください。「アヒトフェルはアブサロムに言った。「私に一万二千人を選ばせてください。私は今夜すぐに、ダビデの後を追い始めます。私は、彼が疲れて気力を失っている間に、彼を襲い、彼を震え上がらせます。彼と一緒にいるすべての民は逃げるでしょう。私は王だけを打ち殺します。私は兵全員をあなたのもとに連れ戻します。すべての者が帰って来るとき、民はみな、穏やかになるでしょう。あなたが求めているのは、ただ一人の人だけですから。」このことばは、アブサロムとイスラエルの全長老の気に入るところとなった。」

アブサロムがエルサレムに入場した日、アヒトフェルは彼に一つの助言をしました。それは、ダビデが王宮に残した側女たちのところに入るようにというものでした。そうすれば、全イスラエルが、ダビデとアブサロムは決裂したことをはっきりと悟り、アブサロムの側に着くようになるだろうということでした。アブサロムはその助言を受け入れ、王宮の屋上に天幕を張り、そこで全イスラエルの目の前で、父ダビデの側女たちのところに入りました。

そしてきょうのところには、そのアヒトフェルがアブサロムに第二の助言を与えたことが記されてあります。それは、彼がイスラエルの中から1万2千人を選び、彼らとともにダビデの後を追い、ダビデが疲れて気を失っている間に彼を襲い、彼を殺すというものでした。そうなれば、ダビデと一緒にいる兵たちはみなアブサロムのもとに帰らざるを得なくなります。そのようにしてすべての者が戻ってくるとき、イスラエルの民はみな穏かになるでしょう。このアヒトフェルの作戦は、実に見事であり、アブサロムと長老たちを納得させました。

しかし、アブサロムはアヒトフェルの助言に不安を感じていたのか、フシャイを呼び出し、彼の助言も求めました。5節から14節までをご覧ください。「アブサロムは言った。「アルキ人フシャイを呼び出し、彼の言うことも聞いてみよう。」フシャイがアブサロムのところに来ると、アブサロムは彼に言った。「アヒトフェルはこのように語ったが、われわれは彼のことばに従ってよいものだろうか。もしそうでなければ、あなたが語りなさい。」フシャイはアブサロムに言った。「このたびアヒトフェルの進言した助言は良くありません。」フシャイは言った。「あなたは父上とその部下が戦士であることをご存じです。彼らは、野で子を奪われた雌熊のように気が荒くなっています。また、あなたの父上は戦いに慣れた方ですから、兵たちと一緒には夜を過ごさないでしょう。きっと今、洞穴かどこか、そんな場所に隠れているに違いありません。もし、兵たちのある者が最初に倒れたら、それを聞く者は『アブサロムに従う兵たちのうちに、打たれた者が出た』と言うでしょう。 たとえ、獅子のような心を持つ力ある者でも、気がくじけます。全イスラエルは、あなたの父上が勇士であり、彼とともにいる者が力ある者であるのをよく知っています。私の助言はこうです。全イスラエルをダンからベエル・シェバに至るまで、海辺の砂のように数多くあなたのところに集めて、あなた自身が戦いに出られることです。われわれは彼が見つかる場所に行って、そこで露が地面に降りるように彼を襲うのです。そうすれば、彼や、ともにいるすべての兵たちのうちには、一人も残る者はありません。もし彼がどこかの町に入るなら、イスラエル中の者がその町に縄をかけ、その町を川まで引きずって行って、そこに一つの石ころも残らないようにしましょう。」アブサロムとイスラエルの人々はみな言った。「アルキ人フシャイの助言は、アヒトフェルの助言よりも良い。」これは、主がアブサロムにわざわいをもたらそうとして、主がアヒトフェルのすぐれた助言を打ち破ろうと定めておられたからである。」

フシャイはダビデの友でした。この場合の「友」とは単なる友ということ以上にダビデの片腕であり、ダビデの相談相手であったということです。彼はダビデがエルサレムから逃げたときダビデと一緒に行きたかったのですが、ダビデにとって負担になるということでエルサレムに戻り、アブサロムに仕えるふりをして、その情報をダビデに流すという使命が与えられました。アブサロムはフシャイの話をすっかり信じて、これから何かをする時には二人の助言を受けて行っていこうとしたわけですが、今そのフシャイの助言も聞こうと思ったのです。

フシャイはアブサロムから助言を求められると、開口一番「このたびのアヒトフェルの進言した助言はよくない」と言いました。フシャイは、アヒトフェルの助言を聞いて、内心あせっていたのかもしれません。前の章にはアヒトフェルの助言は「人が神のことばを伺って得ることばのようであった。」(16:23)とありますが、このままではダビデは殺されてしまうと思ったでしょう。そこで彼はその天才的な洞察力を持って、非常に有効な戦法をアブシャロムに提案しました。それは以下のようなものでした。

すなわち、もしダビデひとりを殺すといっても、彼は百戦錬磨のつわものだから、そう簡単に倒せるような相手でない。きっと今頃は洞穴とか、そんな所に隠れているに違いない。そんなところに出て行って、ダビデを見付ける前にアブサロム軍のだれかが撃ち殺されることでもあれば、アブサロム軍の士気は一気に下がってしまうことになります。それよりもイスラエル全地域から数多くの兵士を集め、アブサロム自身が指揮を執って総攻撃をかけるべきだ。そして、ダビデが見つかったら、そこで地面に露が降りるように彼を襲うのです。そうすれば、彼や、彼とともにいるすべての兵たちは、一人も残らないでしょう。もしダビデがどこか別の町に逃げても、イスラエル中の者がその町に網をかけ、その町を川までひきずって行って、そこに一つの石ころも残らないようにしましょう、というものです。いわゆる時間稼ぎです。アブサロムがイスラエルの国中から兵士を集めている間に、そのことをダビデに告げ、ダビデが逃げることができるようにしたのです。

さて、アヒトフェルとフシャイの助言のうちどちらが採用されたでしょうか。14節をご覧ください。「アブサロムとイスラエルの人々はみな言った。「アルキ人フシャイの助言は、アヒトフェルの助言よりも良い。」これは、主がアブサロムにわざわいをもたらそうとして、主がアヒトフェルのすぐれた助言を打ち破ろうと定めておられたからである。」

アブサロムとイスラエルの人々はみな、アヒトフェルの助言よりも、このフシャイの助言の方が良いと思いました。いったいどうしてこのような結果となったのでしょうか。ここにその理由も述べられています。それは、主アブサロムにわざわいをもたらそうとして、主がアヒトフェルのすぐれた助言を破ろうと定めておられたかです。もしアヒトフェルの助言が採用されていたら大変なことになっていました。ダビデは殺され、アブサロムの王位が確立されていたでしょう。しかし、主はそれをお許しになりませんでした。なぜなら、主はアブサロムではなくソロモンがダビデの後継者になることを定めておられたからです。その計画が成就するために主は、アブサロムの判断力を鈍らせ、彼の身に破滅をもたらされたのです。このようにすべての人間の判断の背後には主の御手があるのです。いや人間の判断ばかりでなくすべての出来事の背後にです。このコロナの背後においてもです。主はご自分の思いのままに人の心を開いたり閉じたりすることができるのです。ですから、主のみこころにそって祈り、みこころにそって行動することが大切なのです。

と同時に、以前にダビデは「主よ。どうかアヒトフェルの助言を愚かなものにしてください。」(Ⅱサムエル15:31)と祈りましたが、これはその祈りの答えでもあったことを見ます。ダビデはまさかこのようにして祈りが答えられるとは思っていなかったでしょうが、主はそのダビデの祈りを聞いておられたのです。「何事でも神のみこころに従って願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。」(Ⅰヨハネ5:14)

 Ⅱ.神の守り(15-23)

次に15~23節までをご覧ください。「フシャイは祭司ツァドクとエブヤタルに言った。「アヒトフェルは、アブサロムとイスラエルの長老たちにこれこれの助言をしたが、私は、これこれの助言をした。今、急いで人を遣わして、ダビデに、『今夜は荒野の渡し場で夜を過ごしてはいけません。必ず、あちらへ渡って行かなければなりません。そうでないと、王をはじめ、一緒にいる民全員にわざわいが降りかかるでしょう』と告げなさい。」ヨナタンとアヒマアツはエン・ロゲルにとどまっていたが、一人の女奴隷が行って彼らに告げ、彼らがダビデ王に告げに行くようになっていた。これは、彼らが都に入るのを見られないようにするためであった。ところが、ある若者が彼らを見て、アブサロムに告げた。彼ら二人は急いで去り、バフリムに住むある人の家に行った。その人の庭に井戸があったので、彼らはその中に降りた。その人の妻は覆いを持って来て、井戸の口の上に広げ、その上に麦をまき散らしたので、だれにも知られなかった。アブサロムの家来たちが、その女の家に来て言った。「アヒマアツとヨナタンはどこにいるのか。」女は彼らに言った。「あの人たちは、ここを通り過ぎて川の方へ行きました。」彼らは、捜したが見つけることができなかったので、エルサレムへ帰った。彼らが去った後、二人は井戸から上がって来て、ダビデ王に知らせに行った。彼らはダビデに言った。「さあ、急いで川を渡り始めてください。アヒトフェルがあなたがたに対して、これこれのことを進言したからです。」ダビデと、ダビデのもとにいたすべての者たちは、ヨルダン川を渡り始めた。夜明けまでにヨルダン川を渡りきれなかった者は一人もいなかった。アヒトフェルは、自分の助言が実行されないのを見ると、ろばに鞍を置いて自分の町の家に帰り、家を整理して首をくくって死んだ。彼は彼の父の墓に葬られた。」

 フシャイは、祭司ツァドクとエブヤタルに自分がアブサロムに言った助言を伝えたうえで、ダビデに速やかに荒野を出てヨルダン川を渡るようにと伝えました。彼らはそれを自分たちの息子ヨナタンとアヒマアツに伝え、それを荒野にいたダビデのところに伝えることになっていたからです。ダビデに情報を伝えるネットワークが出来ていたのです。

ところが、ヨナタンとアヒマアツが一人の女奴隷のところに行ってそれを伝えたとき(この女奴隷がダビデに告げることになっていたので)、それをある若者に見られてアブサロムに告げられてしまったのです。大ピンチです。それで二人はどうしたかというと、その場を急いで立ち去り、バフリムに住むある人の家に行きました。そして、その人の庭に井戸があったので、その中に隠れました。その人の妻は覆いを持って来て、井戸の上に広げ、その上にまき散らしたので、だれにも知られることがありませんでした。アブサロムの家来たちが、その女の家に来て捜しましたが見つけることができず、彼らはエルサレムのアブサロムのもとに帰りました。主がこの諜報活動を守ってくださったのです。そして、それをダビデ王に知らせることができたので、ダビデと、ダビデのもとにいたすべての者たちは、夜明けまでにヨルダン川を渡りきることができました。

ある人はこの女がやったことは嘘ではないか、罪ではないかと言う人がいますが、このような行為を罪と呼ぶべきではありません。なぜなら、これは戦争の中で起こった戦略の一部であり、いのちの危険を冒して斥候(スパイ)を助けたのだからです。かつてイスラエルがエリコを攻略したとき、その前にその地を偵察させたことがありましたが、その時にラハブという女性が二人の斥候をかくまい、嘘をついて彼らを守りました。そのことについて聖書はこのように言っています。「信仰によって、遊女ラハブは、偵察に来た人たちを穏やかに受け入れたので、不従順な者たちと一緒に滅びずにすみました。」(へブル11:31)また、ヤコブ2章25節にも、「同じように遊女ラハブも、使者たちを招き入れ、別の道から送り出したので、その行いによって義と認められたではありませんか。」とあります。すなわち、あのラハブがやったことを信仰の行為として称えられているのです。ここでも同じです。確かに彼女は嘘をつきましたが、それは罪と呼ぶべきことではなく、むしろ信仰から出たことだったのです。主イエスは、「蛇のようにさとく、鳩のように素直でありなさい。」と言われましたが、私たちは鳩のように素直であるだけでなく、蛇のようにさとくあることも求められているのです。

23節を見てください。「アヒトフェルは、自分の助言が実行されないのを見ると、ろばに鞍を置いて自分の町の家に帰り、家を整理して首をくくって死んだ。彼は彼の父の墓に葬られた。」

 アヒトフェルは、自分のはかりごとが行なわれないのを見て、ろばに鞍を置き、自分の町の家に帰って行き、家を整理して、首をくくって死にました。自殺です。彼はなぜ自殺したのでしょうか。ここには「自分の助言が実行されないのを見ると」とあります。彼は自分の案が棄却された瞬間、この戦いが敗北に終わることを悟ったのでしょう。どうせ戦いに負けて殺されるのなら、自分でいのちを断ったほうがいいと考えたのです。イエスを裏切って首をくくって死んだイスカリオテのユダも同じです。彼も罪ない人を銀貨30枚で売り渡してしまったことを悔いて、自ら命を断ってしまいました。この二人に共通していることはどんなことでしょうか。それは悔い改めることを拒んだことです。Ⅰヨハネ1章9節には「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」とあります。もし、私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実な方ですから、私たちをすべての悪からきよめてくださいます。それはダビデに対する裏切り行為であっても、主に対する裏切る行為であっても、です。もしアヒトフェルが自分の罪を悔い改めたのであれば、彼の罪は赦されました。もしイスカリオテのユダが悔い改めたのであれば、彼の罪も赦されたのです。残念ながら彼らはそうではありませんでした。イスカリオテのユダは、罪のない人を売り渡してしまったという後悔がありましたが、悔い改めませんでした。そもそもイエスを自分の救い主として信じていませんでした。アヒトフェルも、自分が神に対して罪を犯したことを悔い改めませんでした。彼は自分のはかりごとが実行されず、ダビデを殺すことに失敗したことに絶望して、それで自殺したのです。

 大切なのは、悔い改めることです。神は、へりくだり、悔い改める者には、豊かなあわれみと、有り余る恵みを注いでくださいます。パウロがこう言いました。「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。」(Ⅱコリント7:10)神が求めておられるのは世の悲しみではなく、神のみこころに添った悲しみなのです。

 Ⅲ.予期せぬ助け(24-29)

 最後に、24~29節をご覧ください。「ダビデがマハナイムに着いたとき、アブサロムは、彼とともにいるイスラエルのすべての人々とヨルダン川を渡った。アブサロムはアマサをヨアブの代わりに軍団長に任命していた。アマサは、アスリエル人イテラという人の息子で、イテラは、ヨアブの母ツェルヤの妹ナハシュの娘アビガルと結婚していた。イスラエルとアブサロムはギルアデの地に陣を敷いた。ダビデがマハナイムに来たとき、アンモン人でラバ出身のナハシュの息子ショビと、ロ・デバル出身のアンミエルの息子マキルと、ロゲリム出身のギルアデ人バルジライは、寝台、鉢、土器、小麦、大麦、小麦粉、炒り麦、そら豆、レンズ豆、炒り豆、蜂蜜、凝乳、羊、チーズを、ダビデと彼とともにいた民の食糧として持って来た。彼らが「民は荒野で飢えて疲れ、渇いています」と言ったからである。」

エルサレムを逃れたダビデは、ヨルダン川を渡りマナハイムに到着しました。ここは、ダビデがまだヘブロンで王であったとき、サウルの息子イシュ・ボシェテがこの町を拠点としてイスラエルを支配していたところです(Ⅰサムエル2:8)。ダビデがこの町を選んだのは、おそらく要塞がしっかりしていたことと、また、イシュ・ボシェテにダビデが害を加えなかったことを覚えている人々がいたことからだと思われます。

アブサロムも大軍を率いて、ヨルダン川を渡ってきました。そして、ギルアデの地に陣を敷きました。ギルアデの地とは、ダビデがいたマナハイムがある地域です。すなわち、両者が激突する準備が整ったということです。

するとそこへ三人の首長がダビデのところに支援物資を携えてきました。アンモン人ナハシュの息子ショビと、ロ・デハル出身のアンミエルの息子マキルと、ロゲリム出身のギルアデ人バルジライです。ここで聞き覚えのある人物は、アモン人のナハシュです。

アンモン人ナハシュの息子ショビは、ダビデがその兄弟ハヌンに真実を尽くそうとしましたが、ハヌンはダビデに歯向かいました。ショビはその兄弟です。彼はおそらく、ダビデの寛大さを横目で見ていたのでしょう。そして、マキルという人物も前に出てきました。イシュ・ボシェテを自分の家屋に住まわせていた人物です。ダビデの親切を彼も経験していました。そして地元の首長であるバルジライがいます。彼は後にも出てきますが、非常に高齢で、非常に富んでいました。ダビデがいつまでも覚えていて、晩年に息子ソロモンに、バルジライの子らには良くしてあげるようにと命じているほどです。彼らは寝台、鉢、土器、小麦、大麦、小麦粉、炒り麦、そら豆、レンズ豆、炒り豆、蜂蜜、凝乳、羊、チーズを、ダビデと彼とともにいた民の食糧として持って来たのです。どうしてでしょうか。最後のところにこうあります。「彼らが「民は荒野で飢えて疲れ、渇いています」と言ったからである。」」ダビデたちが、荒野で飢えて疲れ、渇いていると言っているのを聞いたからです。食料の備えなしにエルサレムを出てきたダビデたちにとって、これは何よりの贈り物でした。彼らがしたことは、いつまでも聖書の記録にとどめられることになりました。

神を信じていても、予期せぬところから苦難や試練が襲ってきます。しかし、いかなる試練の中でも神が私たちから去られることはありません。それどころか、思いがけないところからこうした助けの手が差し伸べられるのです。

今、あなたにはどんな苦難や試練が襲っていますか。それがどんなものであっても、神はあなたとともにいて、このように予期せぬ方法であなたを助けてくださいます。耐えられない試練はありません。神は耐えることができるように、試練とともに脱出の道も備えてくださると信じて、神の助けを待ち望みましょう。

Ⅱサムエル記16章

 Ⅱサムエル記16章から学びます。

 Ⅰ.メフィボシェテのしもべツィバ(1-4)

 1~4節をご覧ください。「ダビデは山の頂から少し下った。見ると、メフィボシェテのしもべツィバが王を迎えに来ていた。彼は、鞍を置いた一くびきのろばに、パン二百個、干しぶどう百房、夏の果物百個、ぶどう酒一袋を載せていた。王はツィバに言った。「これらは何のためか。」ツィバは言った。「二頭のろばは王の家族がお乗りになるため、パンと夏の果物は若者たちが食べるため、ぶどう酒は荒野で疲れた者が飲むためです。」王は言った。「あなたの主人の息子はどこにいるのか。」ツィバは王に言った。「今、エルサレムにとどまっております。あの方は、『今日、イスラエルの家は、父の王国を私に返してくれる』と言っておりました。」王はツィバに言った。「見よ、メフィボシェテのものはみな、あなたのものだ。」ツィバは言った。「王様。あなた様のご好意をいただくことができますように、伏してお願いいたします。」」

ダビデは山の頂から少し下りました。この山とは「オリーブ山」のことです。この山から下ったとき、メフィボシェテのしもべツィバがダビデ王を迎えに出て来ていました。覚えていますか、ツィバはサウル王に仕えたしもべの一人ですが、ダビデがサウルの子ヨナタンとの約束を守るために、サウルの家の者で生き残っている者がいないかどうか尋ねたとき、ツィバはそのヨナタンの息子で足の不自由なメフィボシェテがいることを告げました。そこでダビデは、サウルに属する土地を全部メフィボシェテに与え、ツィバにその管理を命じたのでした(9:9-10)。

このツィバが、食料をもってダビデの前に現れたのです。なぜでしょうか。彼は、鞍を置いた一くびきのろばに、パン二百個、干しぶどう百房、夏の果物百個、ぶどう酒一袋を載せていました。ダビデが彼に「これは何のためか」と言うと、彼は、これらはすべてダビデへの贈り物であると言いました。するとダビデは「あなたの主人の息子はどこにいるのか」と尋ねました。つまり、メフィボシェテはどうしているかということです。すると彼は、メフィボシェテは今エルサレムにとどまっていて、イスラエルの家を自分のものにしようと狙っていると伝えました。するとダビデは憤り、ツィバにメシュボシェテのものをすべて与えると言いました。これが、ツィバが企んでいたことです。彼が言ったことは全部ウソです。後で分かりますが、メフィボシェテは、ダビデ王といっしょに行こうとしましたが、ツィバがそれを留めたのです。ツィバはダビデ王がこのような苦境にいるので、それを利用して自分が欲していたものを得ようと企んでいたのです。すべてメフィボシェテのものとなっていた地所を自分のものにしたいと思っていたわけです。

ダビデは、誤った判断をしました。一方的な情報によって判断を下してしまったからです。私たちもしばしば、このような間違いを犯すことがあるのではないでしょうか。一方の話だけを聞いてそれを信じ込み、状況を正しく把握しないうちにさばいてしまうことがあります。

マタイ18章15~16節には、「また、もしあなたの兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで指摘しなさい。その人があなたの言うことを聞き入れるなら、あなたは自分の兄弟を得たことになります。もし聞き入れないなら、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。二人または三人の証人の証言によって、すべてのことが立証されるようにするためです。」とあります。ここに「二人か三人の証人の証言によって、すべてのことが立証される」とあります。それが事実であると確かめられるのです。一人の証言だけでは、それが嘘なのか本当なのかわかりません。二人か三人の証言によって確かめられることで、事実が立証されるのです。ですから、よく調べなければいけません。

また、箴言18章17節にも「最初に訴える者は、相手が来て彼を調べるまでは、正しく見える。」とありますが、それはこのことです。最初に訴える者は相手が来て調べるまでは正しく見えますが、実際は相手の話を聞くまでは何が正しいのかを判断することはできません。事実をよく調べてから判断するように、慎重に物事の解決に当たらなければなりません。

 Ⅱ.シムイののろい(5-14)

次に5~14節までをご覧ください。「ダビデ王がバフリムまで来ると、見よ、サウルの家の一族の一人が、そこから出て来た。その名はゲラの子シムイで、盛んに呪いのことばを吐きながら出て来た。彼は、ダビデとダビデ王のすべての家来たちに向かって石を投げつけた。兵たちと勇士たちはみな、王の右左にいた。シムイは呪ってこう言った。「出て行け、出て行け。血まみれの男、よこしまな者よ。主がサウルの家のすべての血に報いたのだ。サウルに代わって王となったおまえに対して。主は息子アブサロムの手に王位を渡した。今、おまえはわざわいにあうのだ。おまえは血まみれの男なのだから。」ツェルヤの子アビシャイが王に言った。「この死んだ犬めが、わが主君である王を呪ってよいものでしょうか。行って、あの首をはねさせてください。」王は言った。「ツェルヤの息子たちよ。これは私のことで、あなたがたに何の関わりがあるのか。彼が呪うのは、主が彼に『ダビデを呪え』と言われたからだ。だれが彼に『おまえは、どうしてこういうことをするのだ』と言えるだろうか。」ダビデはアビシャイと彼のすべての家来たちに言った。「見よ。私の身から出た私の息子さえ、私のいのちを狙っている。今、このベニヤミン人としては、なおさらのことだ。放っておきなさい。彼に呪わせなさい。主が彼に命じられたのだから。おそらく、主は私の心をご覧になるだろう。そして主は今日の彼の呪いに代えて、私に良いことをもって報いてくださるだろう。」ダビデとその部下たちは道を進んで行った。シムイは、山の中腹をダビデと並行して歩きながら、呪ったり、石を投げたり、土のちりをかけたりしていた。王も、王とともに行った兵もみな、疲れたのでそこで一息ついた。」

 次に登場するのは、サウルの家の一族で、ゲラルの子シムイです。彼は、ダビデ王がオリーブ山を越えてバフリムまで来ると、ダビデとその家来たちにのろいのことばを吐いただけでなく、石を投げつけてきました。彼はダビデを呪ってこう言いました。「出て行け、出て行け。血まみれの男、よこしまな者よ。主がサウルの家のすべての血に報いたのだ。サウルに代わって王となったおまえに対して。主は息子アブサロムの手に王位を渡した。今、おまえはわざわいにあうのだ。おまえは血まみれの男なのだから。」

 シムイは、ダビデが今受けている災いはサウル一族の血を流した罪に主が報いられたものだと言いました。もちろん、これは事実ではありません。サウルやサウルの家の者たちは、ペリシテとの戦いの中で死んでいきました。むしろダビデは、サウルの家の者が血を流さないように細心の注意を払っていました。それなのにシムイは、サウルの家が滅んだ原因をダビデになすりつけたのです。どうしてでしょうか。サウルの家に仕えていた者として、サウルの家が滅んでしまったことを受け入れられなかったのでしょう。それがダビデによってなされたことではないと知りつつも、サウルに代わって王となったダビデをひがんでいたのでしょう。そのダビデがいのちを狙われて逃亡している姿を見て、罰が当たったかのように言うことで鬱憤を晴らしているのです。

するとツェルヤの子アビシャイが、ダビデに「この死に犬」の首をはねさせてくださいと言いました。ツェルヤとはダビデの姉妹ですから、ツェルヤの子はダビデの甥にあたります。彼は常にダビデ王を守ることに熱心でしたから、ダビデがシムイから呪いのことばを受け侮辱されているのを聞いて、黙っていられなかったのです。

主イエスの弟子たちもそうでした。ゼベダイの子ヤコブとヨハネは、サマリヤ人がイエスを受け入れなかったので、「主よ。私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」(ルカ9:54)と言いました。それで「雷の子」というあだ名が付けられたほどです。

それに対して、ダビデは何と答えましたか。ダビデはそれを許しませんでした。ダビデはシムイののろいのことばの背後に主の御手があるのを見たのです。自分の子アブサロムが自分のいのちを狙っているくらいなのだから、サウルの身内(ベニヤミン人)が自分をのろうのは当然だし、それは彼がというよりも、主がそのように彼に命じたからに違いないと受け止めたのです。そればかりではありません。主は自分の心もご存じなのだから、主はこの呪いに代えて、良いことをもって報いてくださると信じたのです。すごいですね。この地上で最も謙遜なのはだれでしょう。イエス様以外に。モーセです。モーセは、地の上のだれにもまさって柔和であったとあります(民数記12:3)。モーセも、自分の姉のミリアムと兄のアロンに妻のことで非難されても、怒ったり、憤ったりしませんでした。むしろ、彼らのために祈りました。そのことでミリアムがツァラ―トに冒されるのですが、それが癒される7ようにと祈っています。実に柔和で、謙遜に人でした。それに勝るとも劣らぬ態度です。このことばの通り、ダビデはエルサレムに無事に帰還することになります(19:18~23)。主がダビデの信仰に報いてくださったのです。

主は真に良い方です。私たちにとって大切なのは状況を変えることではなく、状況の中で正しい心を保っていることです。そうすれば、主がこの悪いことを良いことのために変えてくださいます。

 Ⅲ.アヒトフェルの助言(15-23)

 最後に、15~23節をご覧ください。「アブサロムとすべての民、イスラエルの人々はエルサレムに入った。アヒトフェルも一緒であった。ダビデの友アルキ人フシャイがアブサロムのところに来たとき、フシャイはアブサロムに言った。「王様万歳。王様万歳。」アブサロムはフシャイに言った。「これが、あなたの友への忠誠の表れなのか。なぜあなたは、あなたの友と一緒に行かなかったのか。」フシャイはアブサロムに言った。「いいえ、主と、この民、イスラエルのすべての人々が選んだ方に私はつき、その方と一緒にとどまります。また、私はだれに仕えるべきでしょうか。私の友の子に仕えるべきではありませんか。私はあなた様の父上に仕えたように、あなた様にもお仕えいたします。」アブサロムはアヒトフェルに言った。「あなたがたで相談しなさい。われわれは、どうしたらよいだろうか。」 アヒトフェルはアブサロムに言った。「父上が王宮の留守番に残した側女たちのところにお入りください。全イスラエルが、あなたは父上に憎まれるようなことをされたと聞くでしょう。あなたに、くみする者はみな、勇気を出すでしょう。」アブサロムのために屋上に天幕が張られ、アブサロムは全イスラエルの目の前で、父の側女たちのところに入った。当時、アヒトフェルの進言する助言は、人が神のことばを伺って得ることばのようであった。アヒトフェルの助言はすべて、ダビデにもアブサロムにもそのように思われた。」

ここから場面がエルサレムの町に移ります。アブサロムとすべての民、イスラエルの人々はエルサレムに入りました。アヒトフェルも一緒でした。アヒトフェルとはダビデの助言者でした(15:12)。ダビデが最も信頼していた友の一人です。そのアヒトフェルがダビデを裏切り、アブサロムの側に着いたのです。それはダビデにとって本当に辛く、苦しいことでした。信頼していた友に裏切られるということほど辛いことはありません。

そこには、ダビデの友でアルキ人フシャイもいました。フシャイもダビデの友でした(15:37)。彼はダビデがエルサレムを出て行くときダビデと一緒に行きたかったのですが、歳をとっていたので、もし彼が一緒に行くならかえって重荷になるということ、それに、彼がエルサレムに残ることによってアヒトフェルの助言を愚かなものにするという使命が与えられていたので、そのままエルサレムに残ることになりました。そのフシャイがアブサロムのところにやって来ると「王様万歳。王様万歳。」と叫びました。不信に思ったアブサロムが、どうしてダビデに着いていかなかったのかと尋ねると、彼はこう言いました。「いいえ、主と、この民、イスラエルのすべての人々が選んだ方に私はつき、その方と一緒にとどまります。また、私はだれに仕えるべきでしょうか。私の友の子に仕えるべきではありませんか。私はあなた様の父上に仕えたように、あなた様にもお仕えいたします。」(17-18)どういうことでしょうか。

フシャイはダビデの進言を受け入れ、アブサロムのところにやって来ました。それはアブサロムに着くためではなく、着いたふりをしてダビデにそのことを伝えるためです。この彼のことばは、そのことを表しています。ここで興味深いのは、「主と、この民、イスラエルのすべての人々が選んだ方に私はつき、その方と一緒にとどまります」と言っていますが、それがアブサロムだとは一言も言っていません。けれどもアブシャロムは、自分のことを言われていると思い、そのことを受け入れました。

アブサロムはエルサレムに入場すると、次に何をしたらよいかとアヒトフェルに助言を求めます。するとアヒトフェルは、ダビデの側女たちのところに入るようにと、アブサロムに助言しました。そうすることでダビデとアブサロムの関係に亀裂が生じたことをだれもが認め、アブサロムの家来たちも勇気を出すようになるからです。

それでアブサロムは王宮の屋上に天幕を張り、全イスラエルの目の前で、彼女たちの中に入りました。当時、王が他の王を倒して国を確立させるとき、前の王のハーレム、そばめや妻たちと寝ることが習慣としてありました。そのことによって、自分が前の王を征服したことを誇示したのです。けれども、これはイスラエルにとって恥ずべき行為でした。というのは、律法にこのような行為が禁じられていたからです。レビ記18章8節には、「あなたの父の妻の裸をあらわにしてはならない。それは、あなたの父の裸をあらわにすることである。」とあります。と同時に、これはダビデに与えられた神のさばきの成就でもありました(12:11~12)。

当時、アヒトフェルの進言する助言は、人が神のことばを伺って得ることばのように受け止められていました。しかし、次回のところで見ますが、主はそんな彼の助言を無きものにされます。アヒトフェルの助言は邪悪で悪魔的なものでした。アブサロムはアヒトフェルの助言ではなく、神の助言を求めるべきでした。神の御前にひざまずき、神の知恵を求めるべきだったのです。しかし、彼は人間の愚かな助言に頼ってしまいました。そこに、彼の愚かさがあります。

それは私たちも同じです。神のことば、神の知恵ではなく、人間の助言に頼ってしまうことがあります。人はどう考えているのか、周りの人はどう思っているのか、それを自分の行動の基準としているのです。しかし、「人はみな草のよう。その栄はみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは永遠に立つ。」(Ⅰペテロ:24-25)とあります。人のことばはいつもコロコロ変わっています。どんなに優れた人でも神の知恵の足元にも及びません。しかし、主のことばこそとこしえに立ちます。この天と地を創られた主が、何が正しいか、何が間違っているのかを、ご自身のみことばによって示してくださいます。これが創造の秩序です。これは完全な神の知恵です。このことばに従う時、私たちは真の祝福と平安を得ることができるのです。たとえそれが心理学者のことばであっても、それは人間が考え出した科学であって、必ずしも正しいとは限りません。いやむしろまったく逆の場合があります。すべての問題の原因は罪であって、その罪を解決することが真の解決なのに、自己中心の考えを助長するかのような風潮があるからです。この世はますますそのような方向に傾いていますが、しかし、人はみな草のようで、その栄は草の花のようであり、草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばはとこしえに堅く立つことをしっかりと覚えておきましょう。そして、アヒトフェルの助言ではなく、主のことばに聞きましょう。主の御前にひざまずき、主の知恵を求めることこそ、それが私たちが堅く立ち続ける秘訣なのです。

Ⅱサムエル記15章

 Ⅱサムエル記15章から学びます。

 Ⅰ.アブサロムの謀反(1-12)

 1~12節をご覧ください。まず6節までをお読みします。「その後、アブサロムは自分のために戦車と馬、そして自分の前に走る者五十人を手に入れた。アブサロムはいつも、朝早く、門に通じる道のそばに立っていた。さばきのために王のところに来て訴えようとする者がいると、アブサロムは、その一人ひとりを呼んで言っていた。「あなたはどこの町の者か。」その人が「このしもべはイスラエルのこれこれの部族の者です」と答えると、アブサロムは彼に、「聞きなさい。あなたの訴えは良いし、正しい。だが、王の側にはあなたのことを聞いてくれる者はいない」と言っていた。さらにアブサロムは、「だれか私をこの国のさばき人に立ててくれないだろうか。訴えや申し立てのある人がみな、私のところに来て、私がその訴えを正しくさばくのだが」と言っていた。人が彼に近づいてひれ伏そうとすると、彼は手を伸ばし、その人を抱いて口づけしていた。アブサロムは、さばきのために王のところにやって来る、すべてのイスラエルの人にこのようにした。アブサロムはイスラエルの人々の心を盗んだ。」

自分の妹タマルが辱められたことを怒り兄弟アムノンを殺したアブサロムは、母方の親戚ゲシュルの地へ逃げました。それから3年後、ダビデの家来ヨアブの計略によってアブサロムはエルサレムに引き戻されました。しかし、2年間もダビデに会うことが許されなかった彼は、ヨアブの畑に火を付け、無理やりヨアブを自分のところに呼び、王に会いたい旨を伝えます。それでようやくダビデ王は彼と会うことを決断し、彼に口づけしました。やっと和解できたかと思いきや、アブサロムの心の中には苦々しい思いが残っていました。そして、それがついに父ダビデ王に対する謀反という形になって現れます。アブサロムは、ダビデの王位を奪う工作を開始します。

アブサロムは、自分のために戦車と馬、そして自分の前に走る者五十人を手に入れると、いつも、朝早く、門に通じるそばに立ちました。自分こそが王位継承者であることを印象付けようとしたのです。そして、さばきのために王のところに来て訴えようとする者がいると、その人に「あなたはどこの町の者か」「あなたの訴えは正しいが、王の側にはあなたの話を聞いてくれる者はいないだろう。」「もしだれかが私をこの国のさばき人に建ててくれるなら、正しくさばくことができるのだが」と、いかにも自分になびくように仕向けたのです。彼は人が自分に近づいてひれ伏そうとすると、手を伸ばし、その人を抱いて口づけしていました。これはただの演技です。彼は持ち前の容姿と、こうした演技によってイスラエルの人々の心を盗んだのです。つまり、人々がダビデに対して示していた忠誠心を、自分のものとしたのです。

アブサロムのように行動する人は、この世にいくらでもいます。しかし、クリスチャン生活はこうした野心とはほぼ遠いものです。ゼベダイの子ヤコブとヨハネがイエスに、「あなたが栄光をお受けになるとき、一人があなたの右に、もう一人があなたの左に座るようにしてください。」(マルコ10:37)と言ったとき、イエス様が言われたことはこうでした。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められている者たちは、人々に対して横柄にふるまい、偉い人たちは人々の上に権力をふるっています。しかし、あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。」(マルコ10:42-44)

私たちはこの世で評価されることを求めるのではなく、神の国で評価されることを求めているものです。人の計略に(くみ)する者ではなく、神のみこころを求め、そこに生きるべきです。こうした計略に与することがないように注意しなければなりません。

次に、12節までをご覧ください。「四年たって、アブサロムは王に言った。「私が主に立てた誓願を果たすために、どうか私をヘブロンに行かせてください。このしもべは、アラムのゲシュルにいたときに、『もし主が私を本当にエルサレムに連れ帰ってくださるなら、私は主に仕えます』と言って誓願を立てたのです。」王は言った。「安心して行って来なさい。」彼は立って、ヘブロンに行った。アブサロムはイスラエルの全部族に、ひそかに人を遣わして言った。「角笛が鳴るのを聞いたら、『アブサロムがヘブロンで王になった』と言いなさい。」アブサロムとともに、二百人の人々がエルサレムを出て行った。その人たちは、ただ単に招かれて行った者たちで、何も知らなかった。アブサロムは、いけにえを献げている間に、人を遣わして、ダビデの助言者ギロ人アヒトフェルを、彼の町ギロから呼び寄せた。この謀反は強く、アブサロムにくみする民が多くなった。」

ヘブロンは、かつてダビデがユダの人々によって王として立てられた町です。彼はそこで七年間、王として統治しました。それからエルサレムに移りました。アブシャロムは今、そのヘブロンに行っていけにえをささげたい、と嘘を言います。彼の本当の目的は、そこで王として即位することでした。アブサロムはイスラエルの全部族に、ひそかに人を遣わし、自らの謀反に参加するように呼び掛けていました。周到な準備によって、国中に謀反に加担する反逆者が用意されていたことがわかります。

ダビデをはじめ多くの部下たちがアブサロムの罠にまんまと騙されてしまいました。ダビデは何も疑わず、「安心して行って来なさい」と言って彼を送り出しました。また、アブサロムとともに200人の人々がエルサレムを出て行きました。彼らはアブサロムにただ招かれて行っただけで、何も知らなかったのです。アブサロムにとっては、そのうちの何人かでも自分に付いてくれるなら、という思いだったのかもしれませんが、全員が付いて来ることになったのです。そればかりではありません。何とダビデの助言者アヒトフェルも、彼に従いました。

信じられません。こんなにも多くの人たちがいとも簡単にアブサロムの謀反に加担するようになるとは。イエス様はこう言われました。「いいですか。わたしは狼の中に羊を送り出すようにして、あなたがたを遣わします。ですから、蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい。」(マタイ10:16)

私たちを騙そうとするサタンの攻撃に対して、鳩のように素直なだけではだめです。蛇のようにさとくふるまうことが必要です。特に世の終わりが近づくと、私たちが学んだ教えに背いて、分裂とつまずきをもたらす者たちが現れます。最近では新世界イエス教とか、グッドニュース宣教会といった異端の教えがはびこっていますし、キリスト教会の中でも聖書の教えとは違う、逸脱した教えが広がっています。そのような教えに警戒し、それらから遠ざけなければなりません。

 Ⅱ.ダビデの逃亡(13-17)

次に、13~17節までをご覧ください。「ダビデのところに告げる者が来て、「イスラエルの人々の心はアブサロムになびいています」と言った。ダビデは、自分とともにエルサレムにいる家来全員に言った。「さあ、逃げよう。そうでないと、アブサロムから逃れる者はいなくなるだろう。すぐ出発しよう。彼がすばやく追いついて、私たちに害を加え、剣の刃でこの都を討つといけないから。」王の家来たちは王に言った。「ご覧ください。私たち、あなたのしもべどもは、王様の選ばれるままにいたします。」王は出て行き、家族のすべての者も王に従った。しかし王は、王宮の留守番に十人の側女を残した。王と、王に従うすべての民は、出て行って町外れの家にとどまった。」

 ダビデは、助言者アヒトフェルをはじめ、イスラエルの多くの民がアブサロムにくみするようになったのを見て、逃げることを決意します。ダビデがそのように決意したのは、アブサロムから逃れる者はいなくなると思ったからです。そうしないと、アブサロムがすばやく追いついて、ダビデたちに害を加えると思ったのです。そのような事態は何としても避けなければなりませんでした。

ダビデ王が出て行くと、家族のすべての者も王に従いました。王宮の留守番のために残した10人の側女以外は。彼女たちは正妻ではなかったので、殺される心配がなかったのです。王と、王に従うすべての民は、出て行って町はずれの家にとどまりました。おそらくそこで、逃げるための最終準備をしたのでしょう。荷物をまとめて、まとまって逃げるための準備です。

それにしても、ダビデの家来たちの忠誠心は大したものです。ダビデが「さあ、逃げよう」と言ったとき、彼らは「私たち、あなたのしもべどもは、王様の選ばれるままにいたします。」と言いました。彼らはダビデを愛していました。そしてやがてダビデが兵を起こしてエルサレムに帰還すると信じていました。彼らはダビデの判断に全幅の信頼を置いたのです。

これこそ、主イエスに従う私たちクリスチャンが取るべき態度です。イエス様の公生涯において、人々が主から離れて行った時がありましたが、そのとき、弟子たちに「まさか、あなたがたも離れたいと思うのではないでしょう。」と問いかけると、ペテロが「主よ、私たちはだれのところに行けるでしょうか。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。私たちは、あなたが神の聖者であると信じ、また知っています。」(ヨハネ:68-69)と答えました。主を評価しない人々が多くいる中でもなお、「主よ。私たちはだれのところへ行けるでしょう。」と告白できるなら幸いです。どんなことがあっても、この主から離れず、主の御言葉に信頼して、主の後に従う者でありたいと思います。

そのようにダビデに従ったのは、彼の家来たちの中で、外国人たちも同じでした。18~23節をご覧ください。「王のすべての家来は王の傍らを進み、すべてのクレタ人と、すべてのペレテ人、そしてガテから王について来た六百人のガテ人がみな、王の前を進んだ。王はガテ人イタイに言った。「どうして、あなたもわれわれと一緒に行くのか。戻って、あの王のところにとどまりなさい。あなたは異国人で、自分の国からの亡命者なのだから。あなたは昨日来たばかりなのに、今日、あなたをわれわれと一緒にさまよわせるのは忍びない。私はこれから、あてどもなく旅を続けるのだから。あなたの兄弟を連れて戻りなさい。恵みとまことがあなたとともにあるように。」イタイは王に答えて言った。「主は生きておられます。そして、王様も生きておられます。王様がおられるところに、生きるためでも死ぬためでも、このしもべも必ずそこにいます。」ダビデはイタイに言った。「では、進んで行きなさい。」ガテ人イタイは、彼の部下全員と、一緒にいた子どもたち全員を連れて、進んで行った。」

イスラエル人ではない異邦人が、ダビデの家来として従っていました。それはすべてのクレテ人と、すべてのペレテ人、そしてガテです。彼らは全員ペリシテの地から来た兵士たちでした。彼らは王の親衛隊として、王の傍らを進んだのです。中でも特に注目すべきは、ガテから来た600人です。その長はイタイでした。彼らは前日来たばかりなのに、ダビデの逃亡の旅に加わりました。ダビデも、それはさすがに忍びないとガテに戻るようにと言いましたが、王様がおられるところに、自分たちも必ずいますと宣言しました。21節のイタイのことばはすごいですね。感動です。イタイの気持ちになって一緒に読みましょう。

「主は生きておられます。そして、王様も生きておられます。王様がおられるところに、生きるためでも死ぬためでも、このしもべも必ずそこにいます。」

ダビデ王に対するすばらしい愛と献身です。ちょうどルツ記で見たように、ルツが姑ナオミに対して行なったのと同じですね。夫も息子も失ったナオミがベツレヘムに戻ろうとするとき、嫁ルツとオルパに、あなたたちの故郷モアブに帰りなさいと説得しました。けれども、ルツは言うことを聞かず、このように言いました。

「あなたが行かれるところに私は行きます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。あなたが死なれるところで私は死に、そこで葬られたいのです。」(ルツ1:16)

だれから頼まれるのでもなく、ただその人を愛しているから、いつまでもついて行くという決心です。

ダビデもこのことばを聞いてどれほどうれしかったことでしょう。そんなイタイにダビデが「では進んで行きなさい。」と言ったので、イタイは、彼の部下全員と、一緒にいた子供たち全員を連れて、進んで行きました

私たちもイタイと同じように、「あなたがおられるところに、生きるたるでも、死ぬためでも、しもべは必ず、そこにいます。」と告白する者でありたいと思います。

 23~29節をご覧ください。「この民がみな進んで行くとき、国中は大きな声をあげて泣いた。王はキデロンの谷を渡り、この民もみな、荒野の方へ渡って行った。見よ、ツァドクも、すべてのレビ人と一緒に神の契約の箱を担いでいた。民がみな都から出て行ってしまうまで、彼らは神の箱を降ろし、エブヤタルがささげ物を献げた。王はツァドクに言った。「神の箱を都に戻しなさい。もし私が主の恵みをいただくことができれば、主は、私を連れ戻し、神の箱とその住まいを見させてくださるだろう。もし主が『あなたはわたしの心にかなわない』と言われるなら、どうか、主が良いと思われることをこの私にしてくださるように。」王は祭司ツァドクに言った。「あなたは先見者ではないか。安心して都に帰りなさい。あなたがたの二人の息子、あなたの息子アヒマアツとエブヤタルの息子ヨナタンも、あなたがたと一緒に。見なさい。私は、あなたがたから知らせのことばが来るまで、荒野の草原でゆっくり待とう。」ツァドクとエブヤタルは神の箱をエルサレムに持ち帰り、そこにとどまった。」

 キデロンの谷とは、エルサレムの町の右側を走っている谷です。谷の向こう側にはオリーブの山があります。そしてオリーブの山を越えるとヨルダン川の方面へ、荒野へと向かいます。彼らが進んで行くとき、国中は大きな声を上げて泣きました。

 祭司ツァドクとエブヤタルも、契約の箱を担いでエルサレムを出ようとしました。しかし、ダビデは止めさせます。なぜなら、もし彼が主の恵みにかなうなら、主は彼を再びエルサレムに連れ戻し、神の箱とその住まいを見させてくれると思ったからです。もしそうでないなら、主が良いと思われることを自分にしてくれるでしょう。ダビデは以前のダビデに戻っています。つまり、神の主権にすべてをゆだねたのです。すばらしいですね。すばらしい信仰です。

 そしてダビデは、祭司ツァドクとエブヤタルをエルサレムに返します。それは、彼らが「先見者」であったからです。「先見者」とは預言者のことです。アブサロムがエルサレムにやって来ても、その後の動静を見据えるために、彼らがエルサレムに残る必要がありました。そしてツァドクの息子アヒマアツとエブヤタルの息子ヨナタンが、ダビデへの連絡係となりました。ツァドクとエブヤタルが動静を見極めたら、それをヨナタンに伝え、彼らがダビデに伝えるようにしたのです。いわゆるスパイ活動です。ダビデは荒野の草原で、彼らの連絡を待つことにしました。

 30節をご覧ください。「ダビデはオリーブ山の坂を登った。彼は泣きながら登り、その頭をおおい、裸足で登った。彼と一緒にいた民もみな、頭をおおい、泣きながら登った。」

 胸が痛みますね。涙が出ます。これら一連の行為は、深い悲しみと悔い改めを表現したものです。この時のダビデの心境を歌った詩があります。詩篇3篇です。開いてみましょう。

「ダビデの賛歌。ダビデがその子アブサロムから逃れたときに。
1 主よなんと私の敵が多くなり私に向かい立つ者が多くいることでしょう。
2 多くの者が私のたましいのことを言っています。「彼には神の救いがない」と。セラ
3 しかし主よあなたこそ私の周りを囲む盾私の栄光私の頭を上げる方。
4 私は声をあげて主を呼び求める。すると主はその聖なる山から私に答えてくださる。セラ
5 私は身を横たえて眠りまた目を覚ます。主が私を支えてくださるから。
6 私は幾万の民をも恐れない。彼らが私を取り囲もうとも。
7 主よ立ち上がってください。私の神よお救いください。あなたは私のすべての敵の頬を打ち悪しき者の歯を砕いてくださいます。
8 救いは主にあります。あなたの民にあなたの祝福がありますように。セラ」

 これは、ダビデがその子アブサロムから逃れたときに歌った詩です。1~2節は、ダビデが直面していた苦難の描写です。「彼には神の救いがない」とは、ダビデが置かれていた絶望的な状況を表しています。オリーブ山を泣きながら、頭をおおい、裸足で登っていくダビデの姿は、まさに神の救いがないといった状況でした。

 しかし、ダビデはそのような中で主を呼び求めます。「しかし主よ あなたこそ私の周りを囲む盾 私の栄光 私の頭を上げる方。私は声をあげて主を呼び求める。すると主はその聖なる山から私に答えてくださる。」(3-4)

 そして、そのような中で主に感謝をささげています。「私は身を横たえて眠りまた目を覚ます。主が私を支えてくださるから。私は幾万の民をも恐れない。」(5-6)

 そして、主が救ってくださると信じ、主の勝利を確信しています。「彼らが私を取り囲もうとも。主よ立ち上がってください。私の神よ お救いください。あなたは私のすべての敵の頬を打ち悪しき者の歯を砕いてくださいます。救いは主にあります。あなたの民にあなたの祝福がありますように。」

 試練や困難が襲ってくるとき、私たちはどこに助けを求めているでしょうか。ダビデのように、主を見上げ、主が救ってくださると信じて、主に助を求める人は幸いです。

 Ⅲ.ダビデの友フシャイ(31-37)

 最後に、31~37節をご覧ください。「そのときダビデは、「アヒトフェルがアブサロムの謀反に荷担している」と知らされた。ダビデは言った。「主よ、どうかアヒトフェルの助言を愚かなものにしてください。」ダビデが、神を礼拝する場所になっていた山の頂に来たとき、見よ、アルキ人フシャイが上着を引き裂き、頭に土をかぶってダビデに会いに来た。ダビデは彼に言った。「もしあなたが私と一緒に行くなら、あなたは私の重荷になる。しかしもし、あなたが都に戻って、アブサロムに『王よ、私はあなたのしもべになります。これまであなたの父上のしもべであったように、今、私はあなたのしもべになります』と言うなら、あなたは私のためにアヒトフェルの助言を打ち破ることになる。 あそこには祭司のツァドクとエブヤタルも、あなたと一緒にいるではないか。あなたは王の家から聞くことは何でも、祭司のツァドクとエブヤタルに告げるのだ。見よ、あそこには、彼らの二人の息子、ツァドクの子アヒマアツとエブヤタルの子ヨナタンが彼らとともにいる。二人をよこして、あなたがたが聞いたことを残らず私に伝えてくれ。」ダビデの友フシャイは都に帰った。そのころ、アブサロムもエルサレムに着いた。」

 そのときダビデは、アヒトフェルがアブサロムの謀反に加担していることを知り、主に祈りました。「主よ、どうかアヒトフェルの助言を愚かなものにしてください。」と。これはダビデにとってとても傷ついた知らせだったでしょう。というのは、アヒトフェルはダビデが最も信頼していた議官の一人、助言者だったからです。ダビデがこの時の心境を詩篇のいくつかの箇所で書いています。たとえば、詩篇55篇12~14節では、「まことに私をそしっているのは敵ではない。それなら私は忍ぶことができる。私に向かって高ぶっているのは私を憎む者ではない。それなら私は身を隠すことができる。それはおまえ。私の同輩私の友私の親友のおまえなのだ。私たちはともに親しく交わりにぎわいの中神の家に一緒に歩いて行ったのに。」と言っています。キリスト教のキの字も嫌がる、キリスト教とは全く無縁の人が自分に敵対しているのならば、それほど痛くもないでしょう。けれども、クリスチャンで、しかも今まで仲の良かったクリスチャンの友が、親友と思っていた者が、これまで親しく交わり一緒に主を礼拝していた者が、自分に敵対することがあれば、これほど辛いことはありません。

ダビデが、神を礼拝する場所になっていた山の頂に来たちょうどその時、アルキ人フシャイが上着を裂き、頭に土をかぶってダビデに会いに来ました。しかし、もし彼がダビデと一緒に行くなら、ダビデの重荷となります。なぜなら、彼はかなりの高齢になっていたからです。37節に「ダビデの友」とありますが、「王の友」というのは、高官の職名であり、その働きの内容は王の相談役でした。フシャイは高齢であるにもかかわらず、ダビデに従って行こうとしたのです。それは本当に感謝なことですが、ダビデにとって重荷となるだけでなく、彼には彼にしかできない役割がありました。それは、エルサレムに戻り、アブサロムのしもべになったふりをして、アヒトフェルの助言を打ち破るということです。彼はこれまでダビデの相談役としての実績がありました。ですから、アヒトフェルの助言を打ち破る力があったのです。

そればかりではありません。アブサロムのところには、祭司ツァドクとエブヤタルもいます。彼は王の家から聞くことは何でも祭司ツァドクとエブヤタルに告げれば、彼らが息子のアヒマアツとエブヤタルに伝え、それをダビデに伝えることができるのです。

こうやって見ると、ダビデを愛して、ダビデに忠誠を誓っていた人たちでも、必ずしも一緒に逃げたわけではないことが分かります。エルサレムに残ることによってダビデに仕える者もいれば、フシャイのようにアブサロムの側につくふりをしてダビデに仕える者もいました。教会も同じです。教会はキリストのからだとして、そこにはいろいろな器官があります。みな役割(賜物)が違います。それぞれがかしらであるキリストに仕えるのですが、それぞれがそのからだの器官であり、与えられている賜物は異なり、奉仕も、働きも異なってきます。けれども同じキリストに仕えるのです。

あなたの役割は何でしょうか。他の器官とは違うかもしれませんが、自分に与えられた賜物を用いて主に仕えましょう。そして、主の栄光を現わす者でありたいと思います。