Ⅱサムエル記10章

Ⅱサムエル記10章から学びます。

 Ⅰ.ダビデへの侮辱(1-5)

 まず、1~5節をご覧ください。「この後、アンモン人の王が死に、その子ハヌンが代わって王となった。ダビデは、「ナハシュの子ハヌンに真実を尽くそう。彼の父が私に真実を尽くしてくれたように」と言った。そして家来たちを通して彼の父の悔やみを言うために、ダビデは彼らを遣わした。ダビデの家来たちがアンモン人の地に着いたとき、アンモン人の首長たちは、主君ハヌンに言った。「ダビデがあなたのもとにお悔やみの使者を遣わしたからといって、彼が父君を敬っているとお考えですか。この町を調べ、探り、くつがえすために、ダビデはあなたのところに家来を遣わしたのではないでしょうか。」そこでハヌンはダビデの家来たちを捕らえ、ひげを半分剃り落とし、衣を半分に切って尻のあたりまでにして送り返した。ダビデにこのことが告げられたので、ダビデは彼らを迎えに人を遣わした。この人たちが非常に恥じていたからである。王は言った。「ひげが伸びるまでエリコにとどまり、それから帰って来なさい。」」

 9章のところでダビデは、サウルの子ヨナタンの子で、足の不自由なメフィボシェテに神の恵みを施しましたが、今回はアンモン人の王ハヌンに真実を尽くそうと考えます。それは2節にあるように、彼の父ナハシュがダビデに真実を尽くしてくれたからです。そのように真実を尽くそうというのです。アンモンとはヨルダン川のちょうど東に面しているところですが、ダビデとの関わりについてはよくわかりませか。

このナハシュについてはⅠサムエル記11章に記されてあります。彼はイスラエルの町ヤベシュ・ギルアデと戦うために上ってくると、ヤベシュ・ギルアデの人たちは勝てないと思い彼と契約を結ぼうとします。そのナハシュはとんでもない条件を提示しました。それは、彼らの右の目をえぐり取ることでした。その条件で契約と結ぶと言ったのです。とても受け入れられない条件です。それで彼らは七日の猶予をもらい、自分たちを救う者を探します。

 その時ちょうど現れたのがサウルでした。彼は牛を追って畑からかえって来たところでしたが、そのことを聞くと、主が必ず救ってくださると言ってアンモン人たちと戦い、これを打ったのです。以後、サウルはイスラエルの王としての地位を不動のものとしていくわけです。いわば、これはサウルにとってのデビュー戦のようなものでした。しかし、その頃ダビデはまだ若く、羊飼いをしていた少年でした。ダビデが表舞台に登場するのは、この出来事からかなり後のことです。ですから、ダビデとアンモン人ナハシュとの間には接点は見られないのです。

 おそらく、ナハシュがダビデに真実を尽くしたというのは、その後ダビデがサウルの妬みを買い逃亡生活を送っていた時のことかと思われます。その時ダビデはアンモンの南にあるモアブの地にも行っています。その時にアンモンのナハシュのところにも逃れた際に、彼からよくしてもらったのでしょう。ダビデはその時のことを忘れていませんでした。そして今、そのナハシュの子ハヌンに真実を尽くそうと考えたのです。

それに対してアンモン人の首長たちはどのように応答したでしょうか。3節をご覧ください。彼らは主君ハヌンに、ダビデが遣わした使者はスパイだと言いました。それでハヌンはダビデの家来たちを捕らえ、ひげを半分そり落とし、衣を半分に切って尻のあたりまでにして送り返したのです。当時の習慣では、ひげをそり落とすこと自体屈辱的なことでしたが、半分だけそり落とすのは、もっと悪いことでした。また、衣を半分に切ってお尻が見えるようにするというのも受け入れがたい行為です。

いったいなぜ彼らはそのようなことをしたのでしょうか。信じることができなかったのです。彼らは猜疑心に満ちていました。というのは、8章12節を見ていただくとわかりますが、この時ダビデはアンモン人に勝利しており、彼らから分捕り物を奪っていました。つまり、アンモンはダビデに隷属していたのです。そのダビデが真実を尽くすわけがないと考えたのです。これは、神の恵みを拒む人に共通している心理です。持っていない人は持っている物まで取り上げられるようになるのです。

ダビデの真実を拒み、このような酷い仕打ちをするハヌンたちは、まさにキリストにある神の恵みを受け入れないで、それを踏みにじるようなことをする者たちと同じです。ヘブル人への手紙10章29節には「まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものと見なし、恵みの御霊を侮る者は、いかに重い処罰に値するかが分かるでしょう。」とあります。そのように、神の恵みの御霊を侮る者には、重い処罰が下ることを覚えておかなければなりません。神の恵みの御霊を侮ることがないように、神の御子を素直に受け入れ、神の恵みに預かる物となりたいと思います。

そのことを聞いたダビデはどうしましたか。彼は人を遣わし、使者たちのひげが伸びるまでエリコに留まるように命じました。彼らがそのことを非常に恥じていたからです。ダビデの部下に対する思いやりを感じますね。と同時に、私たちもたとえ隣人に誤解され侮辱されるようなことがあっても、主に信頼して歩み続けるなら、使者たちのひげが伸びたように、必ず名誉が回復する時が来ます。失望しないで、主に信頼して歩み続けようではありませんか。

Ⅱ.アンモン人に対する勝利(6-14)

次に6~14節をご覧ください。8節までをお読みします。「アンモン人は、自分たちがダビデに憎まれるようになったのを見てとった。そこでアンモン人は人を遣わして、ベテ・レホブのアラム人とツォバのアラム人の歩兵二万、マアカの王の兵士一千、トブの兵士一万二千を雇った。ダビデはこれを聞き、ヨアブと勇士たちの全軍を送った。アンモン人は出て来て、門の入り口で戦いの備えをした。ツォバとレホブのアラム人、およびトブとマアカの人たちは、彼らだけで野にいた。」

アンモン人は、自分たちがダビデに憎まれるようになったのを見て取って、アラム人(シリヤ)の歩兵二万人、マアカの王の兵士一千、トブの兵士一万二千を雇ました。地図をご覧ください。アラムとはシリヤのことです。アンモン人の地のはるか北方に位置していた民です。また、マアカとトブもアンモンの北方に位置していた民族です。アンモン人はこの戦いのために彼らを雇い入れたのです。この戦いにかける彼らの意気込みを感じます。

このアンモンとシリヤの連合軍に対して、ダビデはヨアブを将軍とした勇士たち全員を送りました。敵は二手に分かれて戦いに備えました。アンモン人は門の入り口に、アラム人とマアカ人たちは別の野に陣を敷きました。つまり、イスラエル軍を前後から挟み撃ちにする作戦に出たのです。

9~12節をご覧ください。「ヨアブは、自分の前とうしろに戦いの前線があるのを見て、イスラエルの精鋭全員からさらに兵を選び、アラム人に立ち向かう陣備えをし、残りの兵を兄弟アビシャイの手に託して、アンモン人に立ち向かう陣備えをした。ヨアブは言った。「もしアラム人が私より強かったら、あなたが私を救ってくれ。もしアンモン人があなたより強かったら、私があなたを救いに行こう。強くあれ。われわれの民のため、われわれの神の町々のために、奮い立とう。【主】が、御目にかなうことをされるのだ。」」

ヨアブは自分の前とうしろに戦いの前線があるのを見て、イスラエルの精鋭の中から兵を選び、アラム人に立ち向かう備えをし、残りの兵を兄弟アビシャイの手に託して、アンモン人に立ち向かう備えをしました。二手に分かれて敵と対峙したのです。すごいですね。彼がすごかったのは12節にあるように、「強くあれ。われわれの民のため、われわれの神の町々のために、奮い立とう。主が、御目にかなうことをされるのだ。」と言って兵士たちを鼓舞した点です。

ここにヨアブの優れた二つの点が記されてあります。一つは、彼はこの戦いが「神の町々のために」と言っていることです。彼は、この戦いが神の町々を守るためのものであることを知っていました。つまり、信仰に基づく戦いであるという確信をもっていたのです。そしてもう一つのことは、主が、御目にかなうことをされると、結果のすべてを主にゆだねたことです。主はみこころにかなったことをされるということばは、信仰から出たことばです。私たちの信仰の戦いも同じです。大切なのは、結果ではなくプロセスです。それが自分たちの力でできるかどうかということではなく、それが何のためであるかということであり、その結果をすべて主にゆだねることです。それが主のみこころならば、主は必ず御目にかなったことをされると信じて全力で戦うことなのです。

その結果はどうだったでしょうか。ヨアブ率いるイスラエル軍の大勝利でした。13~14節には、「ヨアブと彼とともにいた兵たちがアラム人と戦おうとして近づいたとき、アラム人は彼の前から逃げた。アンモン人はアラム人が逃げるのを見ると、アビシャイの前から逃げて町に入った。そこでヨアブはアンモン人を討つのをやめて、エルサレムに帰った。」とあります。私たちも主の戦いに召されています。この戦いにおいて重要なのは、それが主の戦いであると信じて、結果のすべてを主にゆだね、全力で戦うことです。主は、御目にかなったことをされると信じて、私たちに与えられている信仰の戦いを全力で戦おうではありませんか。

Ⅲ.アラム人への勝利(15-19)

最後に15~19節をご覧ください。「アラム人は、自分たちがイスラエルに打ち負かされたのを見て、集結した。ハダドエゼルは人を遣わして、ユーフラテス川の向こうのアラム人に出て来させた。彼らは、ヘラムにやって来た。ハダドエゼルの軍の長ショバクが彼らを率いていた。このことが報告されると、ダビデはイスラエル全軍を集結させ、ヨルダン川を渡って、ヘラムへ進んだ。アラム人はダビデと対決する備えをし、彼と戦った。アラム人はイスラエルの前から逃げた。ダビデはアラムの戦車兵七百と騎兵四万を殺し、軍の長ショバクも討ったので、彼はそこで死んだ。ハダドエゼルに仕えていた王たちはみな、彼らがイスラエルに打ち負かされたのを見て、イスラエルと和を講じ、イスラエルに仕えるようになった。アラム人は恐れて、再びアンモン人を助けようとはしなかった。」

アラム人(シリヤ)たちは、自分たちがイスラエルに打ち負かされたのを見て、再び集結しました。そのアラム人を率いたのはハダドエゼルです。彼は人を遣わして、ユーフラテス川の向こうにいたアラム人に呼びかけて、出て来させました。彼らがヘラムまでやって来たとき、その軍を率いていたのはハダドエゼルの将軍ショバクでした。

このことがダビデに報告されると、ダビデはイスラエル全軍を集結させ、彼らと戦うためにヨルダン皮を渡り、ヘラムへと進んで行きました。アラム人たちはダビデ軍と対決しましたが、イスラエルの前から逃げることになりました。ダビデ軍の大勝利です。軍の長のショバクも、そこで死にます。ハダドエゼルに仕えていた王たちはみな、彼らがイスラエルに打ち負かされたと聞いて、イスラエルと戦うことをやめ、イスラエルと和を講じ、イスラエルに仕えるようになりました。もちろん、アラム人は恐れて、再びアンモン人を助けようとはしませんでした。イスラエルにとってはもう向かうところ敵なしです。

いったいこのことから、聖書は私たちに何を教えているのでしょうか。二つのことがあります。一つは、主はご自身が約束されたことを実現される真実な方であるということを示されたということです。

この戦いによって、ダビデはその勢力をユーフラテス川のかなたにまで広げました。これは創世記15章18節の約束の成就でした。「その日、主はアブラムと契約を結んで言われた。「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。エジプトの川から、あの大河ユーフラテス川まで」

さらにこれは、ヨシュア記1章3~4節の成就でもありました。主はカナンの地を戦略しようとしていたヨシュアにこう告げました。「わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたが足の裏で踏む場所はことごとく、すでにあなたに与えている。あなたがたの領土は荒野からあのレバノン、そしてあの大河ユーフラテス川まで、ヒッタイト人の全土、日の入る方の大海までとなる。」それはアブラハムを通して約束されたことをモーセが引き継ぎ、モーセによって主が語られたことの実現に向けて、ヨシュアが行動することを意味していました。

結果はどうだったでしょうか。ヨシュアはその生涯を終えるとき、このように告白しました。「あなたがたの神、主があなたがたについて約束されたすべての良いことは、一つもたがわなかったことを。それらはみな、あなたがたのために実現し、一つもたがわなかった。」(ヨシュア23:14)主は、イスラエルに約束されたことを、一つもたがわず、みな実現されました。それは実際にはヨルダン川西岸の地、カナンの地を指していましたが、このダビデの時代になって、アブラハムとモーセを通してイスラエルに約束されたことが完全に実現したのです。

主は約束されたことを実現される良い方です。私たちは平気で約束を破りますが、主はそのようなことはされません。約束されたことを最後まで実現してくださるのです。まことに真実な方なのです。このような方に信頼して歩める人は何と幸いでしょうか。それはパズルの一つ一つのピースのように、それ自体では神のご計画全体のどの部分なのかを知ることは困難かもしれませんが、パズル全体が組み合わされるとき、それがどれほど完璧な計画であったかを知るようになるのです。神のご計画によってすべては益に変えられるからです。

もう一つのことは、このダビデの大勝利は、同時に彼の苦難の始まりでもあったということです。この勝利によって彼は絶頂期を迎えましたが、この後で彼の人生における大きな汚点へとつながっていくからです。11章1節には、ダビデが自分の家来たちとイスラエル全軍を送ったとき、そして、彼らがアンモン人を打ち負かしたとき、ダビデはエルサレムにとどまっていましたが、そこで彼はウリヤの妻バデ・シェバと姦淫を犯してしまう罪を犯すことになるのです。これはダビデだけでなくすべての人に言えることですが、人は苦難の中にある時はひたすら神に信頼しへりくだって歩もうとしますが、このように大きな祝福の中にあるとき、高慢になりがちなのです。こうした勝利の時こそ慢心を生み、それが大きな危機をもたらしいくのです。ですから、そのことをいつも心に刻み、どんな時でも主の御前にへりくだり、謙虚に歩ませていただきたいと思うのです。逆に、逆境の中に置かれるとき、それは確かに受け入れがたいことではありますが、その時こそ神が共にいてくださる祝福の時であることを覚え、神からの助けと力をいただき信仰によって乗り越えさせていただきましょう。

Ⅱサムエル記9章

 サムエル記第二9章から学びます。

 Ⅰ.ヨナタンとの契約のゆえに(1)

 まず、1節をご覧ください。「ダビデは言った。「サウルの家の者で、まだ生き残っている人はいないか。私はヨナタンのゆえに、その人に真実を尽くしたい。」

 主はダビデとともにおられたので、ダビデが行く先々で、彼に勝利を与えられました。主は周囲のすべての敵から彼を守り、安息を与えてくださいました。ダビデもまた、そのようにして与えられた全イスラエルを、主のさばきと正義によって治めていました。

 そのような時ダビデは、サウルの家の者で、まだ生き残っている人はいないか、と尋ねました。それは、ダビデが親友ヨナタンと結んだ契約のゆえです。彼はヨナタンに真実を尽くしたいと思ったからです。その契約とはⅠサムエル記20章12~17節にある内容ですが、ヨナタンは自分の父サウルがダビデを殺さないというのを聞いていたのに、実際はそうでないのを見て、もしサウルがダビデを殺そうとしているのを知ったなら、そのことを必ずダビデに告げ、ダビデが殺されることがないように無事に逃がしてやる代わりに、自分の家族をあわれんで、恵みを施してほしいということでした。たとえ自分が死ぬようなことがあっても、どうか自分の家族だけは助けてやってほしい、彼の家が断たれることがないようにしてほしいということだったのです。ダビデはこのヨナタンのことばを受け入れ、主の前で契約を結びました。それが今、実行に移されようとしていたのです。ダビデは、そのヨナタンとの契約のゆえに、その真実を尽くそうとしたのです。

日本のことわざに、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ということわざがあります。苦しい時に人を助けてやっても、その苦しみが過ぎ去るとその恩を忘れてしまうということです。ルカの福音書17章には、イエス様にツァラートを癒してもらった10人の人の話があります。しかし、そのうちで感謝するためにイエス様のところに戻って来たのはたった1人だけでした。しかもそれはサマリヤ人だけ、外国人だけでした。それを見られて嘆かれたイエス様はこう言われました。「10人きよめられたのではないか。9人はどこにいるのか。この他国人のほかに、神をあがるために戻って来た者はいなかったのか。」(ルカ17:17-18)

このように、私たちは往々にして人から受けた恵みを忘れ、感謝の心をなくしたり、神に対する感謝や約束を忘れてしまったりすることがあります。しかし、ダビデはそうではありませんでした。彼は、ヨナタンと交わした契約を忘れることなく、その契約のゆえに、彼の家族を助けようとしたのです。ここにダビデの誠実な信仰を見ることができます。私たちもダビデのように、主の前で契約したことを最後まで果たそうとする誠実な信仰者でありたいと思います。

Ⅱ.メフィボシェテへの恵み(2-8)

次に、2~8節をご覧ください。「サウルの家にツィバという名のしもべがいて、ダビデのところに呼び出された。王は彼に言った。「あなたがツィバか。」彼は言った。「はい、あなた様のしもべです。」王は言った。「サウルの家の者で、まだ、だれかいないか。私はその人に神の恵みを施そう。」ツィバは王に言った。「まだ、ヨナタンの息子で足の不自由な方がおられます。」王は彼に言った。「その人は、どこにいるのか。」ツィバは王に言った。「お聞きください。ロ・デバルのアンミエルの子マキルの家におられます。」ダビデ王は人を送って、ロ・デバルのアンミエルの子マキルの家から彼を連れて来させた。サウルの子ヨナタンの子メフィボシェテは、ダビデのところに来て、ひれ伏して礼をした。ダビデは言った。「メフィボシェテか。」彼は言った。「はい、あなた様のしもべです。」ダビデは言った。「恐れることはない。私は、あなたの父ヨナタンのゆえに、あなたに恵みを施そう。あなたの祖父サウルの地所をすべてあなたに返そう。あなたはいつも私の食卓で食事をすることになる。」彼は礼をして言った。「いったい、このしもべは何なのでしょうか。あなた様が、この死んだ犬のような私を顧みてくださるとは。」

サウルの家にツィバという名のしもべがいました。彼はダビデのところに呼び出されると、ダビデは彼に、サウルの家の者で、まだだれかいるかどうかを尋ねました。その者に恵みを施すためです。あのヨナタンのゆえにです。そこでツィバは、ヨナタンの息子で足の不自由なメフィボシェテが残っていることを知らせます。覚えているでしょうか、Ⅱサムエル記4章で、このヨナタンの子について紹介されていました。彼がメフィボシェテです。サウルとヨナタンがペリシテ人との戦いによって死んだとき、メフィボシェテの乳母があまりにも急いで逃げたので、その子を落としてしまいました(Ⅱサムエル4:4)。それで彼は足なえになってしまったのです。彼は今、名も明かさずに、マキルという人の家で世話になっていました。

メフィボシェテは、いのちが奪われるのではないかと恐れながらダビデのもとに来て、ひれ伏して礼をしました。するとダビデは彼に信じられないことを言いました。何でしょうか。7節です。「恐れることはない。私は、あなたの父ヨナタンのゆえに、あなたに恵みを施そう。あなたの祖父サウルの地所をすべてあなたに返そう。あなたはいつも私の食卓で食事をすることになる。」

何とベニヤミンの地にある祖父サウルの土地をすべて自分に返すというのです。そればかりではあふりません。いつもダビデの食卓で食事をすることになるというのです。

これは考えられないことです。当時の世界では、王が他の王によって滅ぼされたとき、新しい王は、自分に反逆して自分の国を乗っ取ることがないように前の王の家族全員を皆殺しにしました。ですから、サウルの家からダビデの家にイスラエルの統治が移ったのであれば、メフィボシェテは殺されて当然でした。その彼のいのちが守られるというだけでなく、先祖の土地まで返してもらうことができ、さらに、王の食卓で食事をすることまで許されたのです。その恵みがどれほど大きいものであったかがわかるかと思います。これが神の恵みです。Amazing Grace! 驚くばかりの恵みです[o1] 。罪過と罪との中に死んでいた私たちは滅ぼされても当然の者でした。にもかかわらず、神は十字架のキリストにその敵意を置いてくださることによって、私たちの罪を赦してくださいました。そればかりか、私たちを神の子として御国を相続する者としてくださったのです。そしてキリストとの食事、親密な交わりを持つ特権に預からせてくださいました。これは大いなる恵みです。それは、アブラハムを通して約束してくださったことであり、またモーセを通して約束してくださったことであり、このダビデを通して約束してくださったことです。神はその約束のゆえに、それを実現してくださったのです。神は約束を実行される真実な方なのです。その契約のゆえに、私たちも神の尊い救いに与る者となったのです。

メフィボシェテは、感謝してダビデの申し出を受け取りました。感謝して受け取るしかなかったのでしょう。足なえの身ですから、かつてイシュボシェテがダビデと戦ったように、戦うことはできません。また、このようなすばらしい恵みが用意されているのに、それを受け取らない理由はないからです。

 彼は自分のことを、「死んだ犬のような者」と言っています。私たちにはあまりこの言葉の持つ重みを理解していません。「犬」というのは聖書の中で非常に恥ずべきもの、卑しいものを呼ぶときの呼称として用いられた言葉です。彼は、自分がいかに卑しい者であるかを知っていました。

 神の恵みを受け入れる人は、それが恵みであることが分からないと、受け入れることができません。自分はすでに豊かであり、満足していると思っていると、罪の赦しや永遠のいのの必要性を感じなくなってしまうからです。ですから、恵みが恵みであることを知るには、本当の自分の姿、心の貧しさを知る必要があります。イエス様は、「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです」(マタイ5:3)と言われましたが、自分がいかに貧しく、惨めな者であり、さばきと死に値する者であることを認めることが救いの入口です。このメフィボシェテのように、そのことを認めることができなければ、その恵みの大きさを知ることはできないのです。

Ⅲ.王の食卓で食事をしたメフィボシェテ(9-13)

次に、9~13節をご覧ください。「王はサウルのしもべツィバを呼び寄せて言った。「サウルと、その一家の所有になっていた物をみな、私はあなたの主人の息子に与えた。あなたも、あなたの息子たちも、あなたの召使いたちも、彼のために土地を耕し、作物を持って来て、それがあなたの主人の息子のパン、また食物となる。あなたの主人の息子メフィボシェテは、いつも私の食卓で食事をすることになる。」ツィバには息子が十五人と召使いが二十人いた。 ツィバは王に言った。「わが主、王がこのしもべに申しつけられたとおりに、このしもべはいたします。」メフィボシェテは王の息子たちの一人のように、王の食卓で食事をすることになった。メフィボシェテには、ミカという名の小さな子がいた。ツィバの家に住む者はみな、メフィボシェテのしもべとなった。メフィボシェテはエルサレムに住み、いつも王の食卓で食事をした。彼は両足がともに萎えていた。」

メフィボシェテへの約束を実行するために、ダビデはサウル王のしもべであったツィバを呼び寄せて言いました。サウルと、その一家が所有していた物はみな、メフィボシェテに返還されるということ、そして、ツィバも、ツィバの息子たちも、またツィバの召使いたちも、返還されたサウル家の土地を耕して、サウル家の生計を立てなければならないということです。そして、メシュボシェテは、いつもダビデの食卓で食事をするようになるということです。ツィバには15人の息子と20人のしもべがいたので、かなりの広い土地を耕すことができました。

ツィバはダビデの命令を受け入れ、それを実行しました。そして、メフィボシェテは王の息子たちの一人のように、王の食卓で食事をするようになりました。メフィボシェテには、ミカという名の小さな子がいました。この子は成長して多くの子孫をもうけ、彼によってサウルの家系が何世紀にもわたって存続するようになります(Ⅰ歴代誌9:41~44)。

かくしてメフィボシェテは、まるで王の息子たちのように、ダビデの食卓に連なるようになりました。彼はダビデと食事を共にするために、先祖の地ではなく、エルサレムに住みました。このダビデの姿はイエス様の姿を、メフィボシェテは私たちクリスチャンの姿を表しています。ダビデはメフィボシェテを恵みによって取り扱いました。また、常に自らの食卓に連なることを許しました。これは一方的な恵みによるものです。恵みとは、受ける価値のない者が受けるようになることです。メフィボシェテはまさに受ける価値のない者でした。滅ぼされてもしょうがない者でしたが、ダビデ王の恵みによって慈しみとあわれみを受けただけでなく、ダビデと同じ食卓にあずかるという光栄に預かる者となったのです。私たちも同じです。私たちは神に敵対していた者、どうしようもない罪人であったのに、神があわれんでくださり、神との食卓に与るという栄光を受ける者とされました。何という恵みでしょうか。これは人知を超えた祝福です。このような恵みと祝福を与えてくださった主に心から感謝します。そして、その恵みに生きる者でありたいと思います。


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Ⅱサムエル記7章

今日は、Ⅱサムエル記7章からお話します。ここはとても重要な箇所です。というのは、ここには「ダビデ契約」について書かれてあるからです。旧約聖書には、罪によって失われた神の国を回復するために、キリスト、メシヤを送るということが予言されていますが、その中でも重要な予言が3つあります。一つはアブラハム契約と呼ばれるもので、これは創世記12章にありますが、アブラハムの子孫からキリストをこの世に送り、地上のすべての人を祝福するというものです。もう一つは、シナイ契約と呼ばれるもので、これはモーセの時代になってイスラエルが民族にまで成長したとき、主は彼らを律法によって聖別し、ご自身の民とすると約束してくださったものです。そしてもう一つがこのダビデ契約です。主はダビデと契約を結び、ダビデの家系から出るキリストによって、とこしえまでも続く神の国を立てると約束されました。7章13節に、「彼はわたしのために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」とあります。 きょうは、このダビデ契約からご一緒に学びたいと思います。

 

Ⅰ.預言者ナタン(1-7)

 

まず、1~7節までをご覧ください。3節までをお読みします。「王が自分の家に住んでいたときのことである。【主】は、周囲のすべての敵から彼を守り、安息を与えておられた。王は預言者ナタンに言った。「見なさい。この私が杉材の家に住んでいるのに、神の箱は天幕の中に宿っている。」ナタンは王に言った。「さあ、あなたの心にあることをみな行いなさい。【主】があなたとともにおられるのですから。」

 

ダビデは30歳で王となり、40年間イスラエルを治めました。ヘブロンで7年6カ月ユダを治め、エルサレムで33年間イスラエルとユダ全体を治めました。ダビデは王となるとエブス人を攻略してそこを攻め取り、それを「ダビデの町」と呼びました。これがエルサレムです。そして、そこを政治的、軍事的拠点としたのです。すると、ツロの王ヒラムがダビデのもとに使者と、杉材、木工、石工を送り、ダビデのために王宮を建てました。5章11節に記されてあります。万軍の主がダビデとともにおられたので、ダビデはますます大いなる者となりました。

 

そんなある日のことです。主が周囲のすべての敵から彼を守り、安息を与えてくださいましたが、彼は一つのことに気付きました。それは、自分は杉材の立派な家に住んでいるのに、神の箱は天幕に安置されたままになっているということです。確かに、天幕の内側は純金でできていて神の栄光に満ち溢れていましたが、外側はじゅごんの皮でできたみすぼらしいものでした。じゅごんというのは地中海に生息していたアザラシみたいな動物です。自分が住んでいる杉材の王宮と比べると、それはくらべものになりませんでした。

 

そこで彼は預言者ナタンに相談しました。「見なさい。この私が杉材の家に住んでいるのに、神の箱は天幕の中に宿っている。」(3)ナタンは宮廷に出入りする預言者でした。宮廷に出入りしていた預言者は、王の個人的な助言者でもありました。ナタンはダビデから相談されると、即座に答えて言いました。「さあ、あなたの心にあることをみな行いなさい。【主】があなたとともにおられるのですから。」

どうですか、何だか力が湧いてくるようなことばじゃないですか。「さあ、あなたの心にあることをみな行いなさい。主があなたとともにおられますから。」しかし、これは主のみこころにかなったものではありませんでした。あくまでもナタンの個人的な見解にすぎなかったのです。確かに、主がダビデとともにおられるというのは真理でしたが、ダビデが主のために家を建てるというのは間違いでした。彼はこれほど重要なことを、全く主に伺いも立てずに、個人的な判断で即答したのです。

 

それは、4~7節までのことばを見るとわかります。「その夜のことである。次のような種のことばがナタンにあった。『行って、わたしのしもべダビデに言え。『【主】はこう言われる。あなたがわたしのために、わたしの住む家を建てようというのか。わたしは、エジプトからイスラエルの子らを連れ上った日から今日まで、家に住んだことはなく、天幕、幕屋にいて、歩んできたのだ。わたしがイスラエルの子らのすべてと歩んだところどこででも、わたしが、わたしの民イスラエルを牧せよと命じたイスラエル部族の一つにでも、「なぜ、あなたがたはわたしのために杉材の家を建てなかったのか」と、一度でも言ったことがあっただろうか。』」(4-7)

 

「その夜」とは、ナタンがダビデに告げた日の夜のことです。主はナタンを通してダビデに言われたことは、主は、エジプトからイスラエルの民を連れ上った日から今日まで、家に住んだことはなく、幕屋にいて民を導いて来られたということ、そして、これまでどのイスラエルの部族にも、ご自身のために杉材の家を建てるように命じたことはなかったということです。つまり、ナタンが告げたことばは間違っていたということです。それは彼の思いにすぎず、主のみこころではなかったのです。

 

ナタンは預言者であり、とても善良で正しい人物でした。しかし、そのような人物でも自分の判断によってことばを発するなら、間違いを犯してしまうことがあります。善良で正しいだけでは人々を正しく導くことはできません。大切なのは主に祈り、主の導きを求めることです。これはナタンだけでなく、私たちに対する教訓でもあります。

 

Ⅱ.ダビデ契約(8-17)

 

次に、8~11節前半までをご覧ください。「今、わたしのしもべダビデにこう言え。『万軍の【主】はこう言われる。わたしはあなたを、羊の群れを追う牧場から取り、わが民イスラエルの君主とした。そして、あなたがどこに行っても、あなたとともにいて、あなたの前であなたのすべての敵を絶ち滅ぼした。わたしは地の大いなる者たちの名に等しい、大いなる名をあなたに与えてきた。わが民イスラエルのために、わたしは一つの場所を定め、民を住まわせてきた。それは、民がそこに住み、もはや恐れおののくことのないように、不正な者たちも、初めのころのように、重ねて民を苦しめることのないようにするためであった。それは、わたしが、わが民イスラエルの上にさばきつかさを任命して以来のことである。こうして、わたしはあなたにすべての敵からの安息を与えたのである。』

 

主は続いてこう言われました。「万軍の【主】はこう言われる。わたしはあなたを、羊の群れを追う牧場から取り、わが民イスラエルの君主とした。そして、あなたがどこに行っても、あなたとともにいて、あなたの前であなたのすべての敵を絶ち滅ぼした。」

どういうことでしょうか。主は一介の羊飼いにすぎなかったダビデを選び、イスラエルの王としたということです。そして、ダビデがどこに行っても、彼とともにいて、勝利を与えてくださいました。すべての敵を絶ち滅ぼしてくださったのです。そのようにして主は彼を、地の大いなる者たちの名に等しい名を与えてくださいました。

 

そればかりではありません。10節と11節前半には「わが民イスラエルのために、わたしは一つの場所を定め、民を住まわせてきた。それは、民がそこに住み、もはや恐れおののくことのないように、不正な者たちも、初めのころのように、重ねて民を苦しめることのないようにするためであった。それは、わたしが、わが民イスラエルの上にさばきつかさを任命して以来のことである。こうして、わたしはあなたにすべての敵からの安息を与えたのである。」とあります。

主はご自身の民のために一つの場所を定め、そこに住まわせてくださいました。どこですか?エルサレムです。ダビデの町エルサレム。それは彼らが敵の恐怖から守られ、安心して暮らすことができるようになるためです。士師の時代のように、周囲の敵に圧迫されて暮らすことがないようにするためです。

 

それはせかりではありません。ここで主はとても重要なことを告げられました。それが11節後半から17節までにあることです。「【主】はあなたに告げる。【主】があなたのために一つの家を造る、と。あなたの日数が満ち、あなたが先祖とともに眠りにつくとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。彼が不義を行ったときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。しかしわたしの恵みは、わたしが、あなたの前から取り除いたサウルからそれを取り去ったように、彼から取り去られることはない。あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。』」ナタンはこれらすべてのことばを、この幻のすべてを、そのままダビデに告げた。」

 

主はダビデのために一つの家を造る、と言われました。ダビデは主のために家(神殿)を建てようと考えていましたが、そうではなく、主がダビデのために一つの家を造られる、と言われたのです。それはどのような家でしょうか。それはとこしえまでも堅く立つ王国です。12~13節には、「あなたの日数が満ち、あなたが先祖とともに眠りにつくとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」

とあります。

それは、ダビデの身から出る世継ぎの子が、ダビデの死後に、彼の王国を確立させるということです。ダビデの世継ぎ子とはだれでしょう。そうです、ソロモンです。ソロモンが主の御名のために一つの家を建て、主は彼の王国をとこしえまでも堅く立てるのです。しかし、それはソロモンだけでなく、ダビデの子孫として生まれ、永遠の神の国を建てられるメシヤ、キリストのことを預言していました。それはここに「彼の王国をとこしえまでも堅く立てる」とあることからもわかります。このことは16節にもあります。そこにはこのことが2回も繰り返して言われています。それは、この約束がダビデの息子ソロモンを超えて、来るべきメシヤのことを指していたからです。

 

預言者イザヤは、この方について次のように預言しました。「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」(イザヤ9:6-7)イスラエルを治めるひとりの男の子が、ダビデの王座に着いて、その王国を治めますが、それは今より、とこしえまでです。それはやがて来られるメシヤ、救い主キリストのことだったのです。そして、この預言のとおり、主はこのダビデの家系から救い主を送ってくださいました。それが今から2000年前の最初のクリスマスです。主は、この王国を立てるために救いのみわざ、十字架と復活のみわざを成し遂げてくださいました。そして今、神の右に着座しておられます。そして神の家である教会のかしらとなってこの御国を治めておられます。そしてやがて主が再び地上に戻って来られるとき、この約束が完全に成就することになります。この方はダビデの座に着いて、とこしえに神の国を治めてくださるのです。

 

ところで、14節を見ると不思議なことが記されてあります。それは、「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。彼が不義を行ったときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。」ということです。これは父なる神と子なる神の麗しい親子関係が描かれています。しかし、もしこれがメシヤのことであるならば、彼が不義を行うなど考えられないことです。ましてや、神がむちをもって彼を懲らしめるなどあり得ません。勿論、これは第一義的にダビデの子ソロモンのことを指しているとすれば、ソロモンが罪を犯すことはあり得るし、その場合、神がソロモンを懲らしめることもあります。

ある人は、この「彼が不義(罪)を行ったとき」を「彼が罪を負うとき」のこと解釈し、これはイザヤ書53書にある、「彼は罪を負った」というメシヤの受難のことを指示していると考え、それで彼はむちを受けることをよしとされた、と言っています。

 

しかし、ここではそういうことではなく、ダビデの子ソロモンに焦点があてられていたため、ソロモンが罪を犯す可能性があったのでそのことが戒められているのです。ですから、並行箇所のⅠ歴代誌17章にはこのことに関する記述がないのです。ちょっと開いてみましょう。Ⅰ歴代誌17章10~15節です。ここには、Ⅱサムエル記に書いてあることとほとんど同じことが記されてあります。しかし、Ⅱサムエル記にあるこの記述が抜けているのです。どうしてか?Ⅱサムエル記7章ではダビデの直接の子であるソロモンに焦点を絞った内容になっているのに対して、このⅠ歴代誌17章は、メシヤであるイエスに焦点を絞った内容になっているからです。メシヤであるキリストが罪を犯すことなどあり得ないからです。

 

しかし、たとえソロモンが罪を犯すことがあっても、サウルのように恵みが取り去られることはありません。これはとこしえの契約だからです。そのことが15~16節でこのように言われています。「しかしわたしの恵みは、わたしが、あなたの前から取り除いたサウルからそれを取り去ったように、彼から取り去られることはない。あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」(15-16)

すばらしい約束ですね。サウルからは恵みが取り去られましたが、ソロモンからは取り去られることはありません。確かにソロモンも罪を犯しました。サウルのように恵みが取り去られることはないのです。サウルとソロモンの罪を比較すると、サウルよりもソロモンの方がはるかに大きな罪を犯しました。サウルは、預言者サムエルに「待て」と言われたのに、民が自分から離れ去ってしまうのではないかと恐れて、サムエルが到着する前に、サムエルに代わって自分で主に全焼のいけにえをささげてしまいました(Ⅰサムエル13:8-9)。また、アマレクとの戦いにおいてこれを討ち、そのすべてのものを聖絶するようにと明治ら楡田にもかかわらず、肥えた羊とか牛とかのうち最も良いものを惜しんで聖絶しまぜんでした。ただ、つまらない値打ちのものないものだけを聖絶しました(15:7-9)。そのことをサムエルから指摘されると彼は、「いや、自分はちゃんと聖絶しましたよ」と答えるも、その後ろから「モー」と鳴く牛の声が聞こえるというありさまでした。でも、ソロモンの罪と比べたらかわいいものですよ。ソロモンは何をしたんですか?ソロモンは1000人の妻と多くのそばめを持ち、彼女たちが持ち込んだ偶像の神を拝んだのですから。それは赦されないことでしょう。もちろん、罪に大きいも小さいもありませんが、でも、サロモンが犯した罪はサウルのそれに比べたらはるかに大きなものでした。それなのに彼は、サウルのように王座を奪われることはありませんでした。なぜなら、これが永遠の契約に基づいていたからです。これが神の愛です。神の愛は無条件の愛なのです。私たちがどのようなものであるかは全く関係ありません。私たちがどんなに罪深い者であっても、神の御前にへりくだり、自分の罪を悔い改めて、神の救い、イエス・キリストを信じるなら、どんなものでも救われるのです。そして、どんなことがあっても見捨てることはありません。ヨハネ10:29で、イエスはこのように言われました。「だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。」(ヨハネ10:29)

 

私は、福島で牧会していたとき10年間刑務所の教誨師をしていました。教誨師というのは毎月1回刑務所に行き、聖書からイエス様についてお話するのですが、そこに出席している人はみんな乾いた砂が水を吸収するように話を聞きますか。そこで、あのミッションバラバのビデオを見せたことがありました。ミッションバラバというのは、元ヤクザが悔い改めてイエス様を信じ、親分はイエス様!と証しするようになった人たちです。

それを見た一人のヤクザが、「先生。自分もヤクザだけど、こいつらはちょっと甘いです」というのです。一度信じた親分を裏切るなんて中途半端なヤクザだ。俺はヤクザを続けながらイエス様を信じます。それでもいいですか?」と言われたのです。「ヤクザを続けながらイエス様を信じるというのは難しいんじゃないかと思い、「ちょっと難しいと思いますよ。イエス様を信じたら、ヤクザができなくなると思います。でも、やってみてください」と勧めたら、もう一人のヤクザとイエス様を信じたのです。

そして出所後、一人は神戸に、もう一人は群馬県高崎の家に戻ったのですが、一年前に連絡があり、久しぶりにこられたんですね。25年ぶりの再会でした。それはちょうどこの方の奥さんが癌で闘病していて、余命いくばくかというときでした。あの時のように「いつくしみ深き」を賛美して、聖書からお祈りをしました。もう涙、涙です。隣にティッシュを置いてその時間ずっと鼻をかんでいました。

それからひと月くらいして奥様がなくなるのですが、こんなメールをくれました。 「先生。今日、医師から時間の問題です、と言われました。俺みたいな渡世人が祈ってもイエスは聞く耳持たないと思いますので、先生、自分も妻を愛し、そしてイエスを愛しました。自分の祈りが届きますように、先生、祈ってください。お願いします。わが愛しい妻。そしてわが愛するイエス・キリスト。十字架の愛を心より永遠に。」

あれから1年近くになりますが、先週、また二人で来られたのです。また3人で讃美歌を歌い、聖書からお話をして、お祈りをしました。一緒に讃美歌を歌ったり、お祈りをしながら感じたことは、彼らがどういう人たちであろうとも、イエス様はこういう人たちを愛しておられるだろうなぁということです。というのは、Ⅰテモテ1章15節に「「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」ということばは真実であり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。」とあるからです。イエス様は罪びとを救うために来られたのです。そして、この方を信じるなら永遠のいのちをいただき、どんなことがあっても最後までイエス様が守ってくださるということです。

 

私たちもこの無条件の愛を受けたのです。どんなことがあっても、キリストにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。私たちはこの神の愛によって、神の恵みを受けたのです。

 

Ⅲ.ダビデの感謝の祈り(18-29)

 

最後に18~29節までをご覧ください。まず21節までをお読みします。「ダビデ王は【主】の前に出て、座して言った。「【神】、主よ、私は何者でしょうか。私の家はいったい何なのでしょうか。あなたが私をここまで導いてくださったとは。【神】、主よ。このことがなお、あなたの御目には小さなことでしたのに、あなたはこのしもべの家にも、はるか先のことまで告げてくださいました。【神】、主よ、これが人に対するみおしえなのでしょうか。ダビデはこの上、何を加えて、あなたに申し上げることができるでしょうか。【神】である主よ、あなたはこのしもべをよくご存じです。あなたは、ご自分のみことばのゆえに、そしてみこころのままに、この大いなることのすべてを行い、あなたのしもべに知らせてくださいました。」

 

ダビデは、主のために神殿を建てたいと願っていましたが、主の答えは、ダビデが主のために家を建てるのではなく、主がダビデのために家を建てるということでした。主の約束を聞いたダビデは、主の御前に座して祈りました。

彼はまず、「【神】、主よ、私は何者でしょうか。私の家はいったい何なのでしょうか。あなたが私をここまで導いてくださったとは。【神】、主よ。このことがなお、あなたの御目には小さなことでしたのに、あなたはこのしもべの家にも、はるか先のことまで告げてくださいました。主よ、これが人に対するみおしえなのでしょうか。」と言っています。

ダビデは、取るに足りない小さな者を選び、ここまで導いてくださるとは何ということかと驚きを隠せません。その上、はるか先のことまで告げてくださいました。このはるか先のこととは、とこしえまでの約束、メシヤの約束、神の国の約束のことです。主はそのことまで告げてくださったのです。「主よ、これが人に対するみおしえなのでしょうか。」とは、「自分にはそのような祝福を受ける資格はない」という意味です。そして彼は、「この上、何を加えて、あなたに申し上げることができるでしょうか。」と言っています。非常に言葉巧みな人であったダビデが、今、言葉を失っているのです。人はあまりにもすばらしいことが行なわれたときに言葉を失いますが、そのような状態になっているのです。

 

これは私たちクリスチャンにも言えることです。エペソ人への手紙2章1~5節にはこう

あります。「さて、あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んでいました。私たちもみな、不従順の子らの中にあって、かつては自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。」

私たちは、罪過と罪との中に死んでいた者です。自分で自分のことがわからない、自分が何をしているのかさえもよく分かっていませんでした。まさに、マルコの福音書5章に出てくるあのゲラサ人の男のようでした。彼は悪霊につかれ、墓場に住み着いていて、夜も昼も墓場や山で叫び続けていました。石で自分のからだを傷つけていたのです。もはやだれも、鎖をもってしても押さえることができませんでした。

しかし、そんな者を神は愛してくださいました。そして、罪過と罪との中に死んでいた私たちを生かしてくださったのです。それはまさに神の愛によるものです。私たちが救われたのは、ただ神の恵みによるのです。

 

私たちももう一度、自分がどのようなところから救われたのかを思い起こしましょう。神はこのような者を選び、贖い、神の子としての特権を与えてくださったことを思う時、ダビデのような感謝が溢れてくるのではないでしょうか。

 

私の恩師の一人に尾山令仁という先生がおられますが、この方は94歳にして現役で牧師をしておられます。神学書など、信仰に関する書物を200冊以上書いておられる方で、日本を代表する神学者のおひとりです。創造主訳聖書も刊行されました。驚くべきことは、90歳近くになってから厚木での開拓伝道に出られたことです。今も現役の牧師として仕えておられるのです。

この尾山先生が昨年ユーチューブ配信を始められました。その名も「93歳るんるんおじいちゃんねる」です。日本最高齢のユーチューバーと言われています。それは、クリスチャンの街を作りたい、クリスチャンの学校もできる、クリスチャンの病院もできる。ありとあらゆるものが備わったそういう愛の共同体を作りたいというお考えからのようです。そういうものを作ることによって日本を変えていきたいと思っているのです。この尾山先生が動画の中でイエス様の十字架について語るとき、涙ぐむシーンがあるんですね。イエス様が十字架で死なれたのは私の罪のためだったんだと。尾山先生のすばらしはいところはここだと思うんですね。日本を代表する神学者であることは間違いないですが、その尾山先生が、イエス様はこんな汚れた者のために死んでくださったという感激がいつも心にあるのです。

 

奇しくも、今週は受難週です。イエス様が私たちのために十字架で死なれたことを思い、悔い改めと感謝をささげるときです。グッドフライデー。なにゆえ、死ぬことがグッドなのか。もともとは「ゴッズ・フライデー(God’s Friday)」とされていたのが次第に変化したのではないかという説や、グッドにはホーリー(holy=聖なる)の意味が含まれていることから、聖金曜日という意味でグッドフライデーと呼ばれるようになったのではないかともいわれています。しかし、そればかりでなく、イエス・キリストはすべての人々の罪を背負い、人々の身代わりとなって死を迎えたとされ、つまりこの金曜日は、救い主キリストが死によって人類への愛を示し、祝福を捧げた日でもあるとのこと。さらに死から3日目、キリストは『復活』することになりますが、これは、新しい生命の誕生を意味するものです。ですから、キリストが死を迎えた金曜日は、『復活』を導いた良き日と解釈されるとのことから、この日が悲しみの日ではなく『良い金曜日』と呼ばれるようになったのではないかともいわれています。

いずれにせよ、イエス様はこんなに罪深くちっぽけな者のために死んでくださったということを思うと、ここでダビデが言っているように、それは、本当に感謝ではないでしょうか。

 

それゆえ、ダビデの祈りは賛美に変わります。22~24節をご覧ください。「それゆえ、申し上げます。【神】、主よ、あなたは大いなる方です。まことに、私たちが耳にするすべてにおいて、あなたのような方はほかになく、あなたのほかに神はいません。また、地上のどの国民があなたの民イスラエルのようでしょうか。御使いたちが行って、その民を御民として贖い、御名を置き、大いなる恐るべきことをあなたの国のために、あなたの民の前で彼らのために行われました。あなたは、彼らをご自分のためにエジプトから、異邦の民とその神々から贖い出されたのです。そして、あなたの民イスラエルを、ご自分のために、とこしえまでもあなたの民として立てられました。【主】よ、あなたは彼らの神となられました。」

 

この賛美は圧倒的な力をもって私たちに迫ってきます。22節では、「主よ、あなたは大いなる方です。まことに、私たちが耳にするすべてにおいて、あなたのような方はほかになく、あなたのほかに神はいません。」と告白しています。ダビデは、主がこれまでにイスラエルにしてくださったことを思い起こし、イスラエルの神こそ比類なきお方であると告白し、その神をほめたたえたのです。

 

次に、ダビデは、神が地上の民族の中から特にイスラエルを選び、その民をエジプトから救い出し、その上にご自身の名を置かれたことを覚えて、その神を賛美しています(23)。そして、神がイスラエルを選ばれたのは、永遠に彼らを立て、彼らの神となるためであった、と言っています(24)。

それは私たちも同じです。私たちもまた、地上の諸民族の中から選ばれ、キリストを信じて神の民とされた者です。私たちはイエス・キリストを通してこのイスラエルの神を「天の父」と呼べるようになりました。このお方は、永遠に私たちの神なのです。何という恵みでしょうか。ダビデがこの神を心から賛美したように、私たちもイエス・キリストを通して、この神に感謝と賛美をささげようではありませんか。

 

最後に、25~29節をご覧ください。ダビデはこう言っています。「今、神である【主】よ。あなたが、このしもべとその家についてお語りになったことばを、とこしえまでも保ち、お語りになったとおりに行ってください。こうして、あなたの御名がとこしえまでも大いなるものとなり、『万軍の【主】はイスラエルを治める神』と言われますように。あなたのしもべダビデの家が御前に堅く立ちますように。イスラエルの神、万軍の【主】よ。あなたはこのしもべの耳を開き、『わたしがあなたのために一つの家を建てる』と言われました。それゆえ、このしもべは、この祈りをあなたに祈る勇気を得たのです。今、【神】、主よ、あなたこそ神です。あなたのおことばは、まことです。あなたはこのしもべに、この良いことを約束してくださいました。今、どうか、あなたのしもべの家を祝福して、御前にとこしえに続くようにしてください。【神】である主よ、あなたがお語りになったからです。あなたの祝福によって、あなたのしもべの家がとこしえに祝福されますように。」

 

ダビデは、イスラエルの神、万軍の主が、彼のために家を建てると約束されたことを思い起こし、それが成就するようにと祈っています。27節には、「それゆえ、このしもべは、あなたに祈る勇気を得たのです」と言っています。なにゆえ、ダビデは祈る勇気を得たのでしょうか。「それゆえ」です。27節の『』にある主のことばを受けてのことです。「わたしがあなたのために一つの家を建てる」と言われたからです。つまり、ダビデの祈りは、主のみことばと約束に基づくものだったのです。それが主の御前に祈る勇気となったのです。私たちも主のみことばの約束に基づいて祈らなければなりません。主のみことばは真実であり、必ず成就します。そう堅く信じて、神の祝福を大胆に祈り求めましょう。信仰による祈りには力があるのです。

Ⅱサムエル記8章

サムエル記第二8章から学びます。

 

Ⅰ.ペリシテとモアブを討ったダビデ(1-2)

 

まず、1~2節までをご覧ください。「その後のことである。ダビデはペリシテ人を討って、これを屈服させた。ダビデはメテグ・ハ・アンマをペリシテ人の手から奪い取った。

8:2 彼はモアブを討ち、彼らを地面に伏させ、測り縄で彼らを測った。縄二本で測った者を殺し、縄一本で測った者を生かしておいた。モアブはダビデのしもべとなり、貢ぎ物を納める者となった。」

 

「その後」とは、主がナタンを通してダビデに告げられた後のことです。主はダビデに、彼が主のために家を建てるのではなく、主が彼のために一つの家を建てると言われました。それは彼の身から出る世継ぎの子ソロモンを通して立てられる王国のことですが、そればかりではなく、ダビデの子孫から出るメシヤによって立てられる王国のことを指していました。それはイエス・キリストによって立てられる神の国のことです。主はダビデにダビデの子孫から出るメシヤによってその王国を立て、それをとこしえまでも堅く立てると約束されたのです。

 

その後、ダビデはペリシテ人を討って、これを屈服させました。ペリシテ人は長年にわたってイスラエルの脅威となっていましたが、ついにそのペリシテ人を打ち、彼らを屈服させたのです。「メテグ・ハ・アンマ」とは、ペリシテ人の主要都市のガテとそれに属する村落のことです(Ⅰ歴代誌18:1)。ガテはペリシテ人の五大都市の一つでしたが、そのガテを倒したということは、ペリシテ人全体を屈服させたということです。

 

次に、ダビデはモアブを討ちました。モアブはもともとダビデと友好関係にありました。サウルから追われ逃亡生活をしていたダビデは、自分の両親をモアブの王にゆだねたほどです(Ⅰサムエル記22:3~4)。そのモアブに対して、どうしてこのような殺戮を行ったのかはわかりません。もしかすると、彼らが何らかの謀反を起こしたのかもしれません。ユダヤ教の古代誌によると、モアブの王が、ダビデの父母を殺したからとありますが、その真意はわかりません。

 

このモアブを討ったとき、ダビデは彼らを地面に伏させ、測り縄で彼らを測り、縄二本で測った者を殺し、縄一本で測った者を生かしておきました。これはどういうことかというと、大きな体の者は殺し、そうでないものを生かしておいたということです。なぜこのようなことをしたのでしょうか。本来であれば、すべての者にきびしいさばきがあって当然なのに、小さな者に対してあわれみが示されたのでしょう。それは私たちも同じです。私たちも自分の罪のために神にさばかれて当然の者なのに、神はこんな者をあわれみ、慈しんでくださいました。私たちは、神の慈しみを受けた者として、その中にしっかりとどまっている者でありたいと思います。そうでないと、切り取られてしまうことになります。神の恵みを侮ることがないように注意しなければなりません。

 

Ⅱ.シリヤの連合軍を征服したダビデ(3-8)

 

次に、ダビデが討ったのはシリヤの連合軍です。3~8節までをご覧ください。「ツォバの王、レホブの子ハダドエゼルが、ユーフラテス川流域にその勢力を回復しようとして出て行ったとき、ダビデは彼を討った。ダビデは、彼から騎兵千七百、歩兵二万を取った。ダビデは、そのすべての戦車の馬の足の筋を切った。ただし、そのうち戦車百台分の馬は残した。 ダマスコのアラムがツォバの王ハダドエゼルを助けに来たが、ダビデはアラムの二万二千人を討った。ダビデはダマスコのアラムに守備隊を置いた。アラムはダビデのしもべとなり、貢ぎ物を納める者となった。【主】は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた。ダビデは、ハダドエゼルの家来たちが持っていた金の丸い小盾を奪い取り、エルサレムに持ち帰った。またダビデ王は、ハダドエゼルの町ベタフとベロタイから、非常に多くの青銅を奪い取った。」

 

3節には、ツォバの王、レホブの子ハダドエゼルが、ユーフラテス川流域にその勢力を回復しようとして出て行ったとき、ダビデは彼を討った、とあります。巻末の地図5「サウル」、ダビデ、ソロモン治世下のイスラエル」を見ると「ツォバ」がどこにあるかがわかります。何とイスラエルの北にあるシリヤのはるか北に位置しています。実は「ツォバ」はアラム人の王国で、ユーフラテス川流域にまでその勢力を広げていました。そのツォバの王ハダドエゼルが一度失ったユーフラテス川流域にその勢力をもう一度回復しようとして出て行ったのです。そのときダビデは彼を討ちました。そんな遠くの国などどうでもいいのにと思うかもしれませんが、このことにも主の深い意味がありました。創世記15章18~21節までをご覧ください。

「その日、【主】はアブラムと契約を結んで言われた。「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。エジプトの川から、あの大河ユーフラテス川まで。ケニ人、ケナズ人、カデモニ人、ヒッタイト人、ペリジ人、レファイム人、アモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人の地を。」

つまり、これは、神がアブラハムに与えると約束された地であったのです。それがこの時に実現したのです。神が約束されたことは必ず実現します。神はこのように真実なお方なのです。

 

ダビデはハダドエゼルを討つと、彼から騎兵千七百、歩兵二万を捕虜として取りました。また、そのすべての戦車の馬の足の筋を切りました。ただし、そのうちの戦車百台分の馬は残しました。どうしてこのようなことをしたのでしょうか。馬に拠り頼むのではなく、主に拠り頼むためです。そのことが、次のところに記されてあります。

 

次に、ダビデが討ったのはダマスコのアラムでした。ダマスコのアラムとはシリヤのことです。彼はツォバの王ハダドエゼルがダビデによって打たれたと聞くと、彼を助けるために出て来たわけですが、ダビデはそのアラムの軍勢二万二千人を討ったのです。ダビデはダマスコのアラムを打つと、北方の守りを固めるために、そこに守備隊を置きました。かくして、ペリシテと並ぶ仇敵であったシリヤはダビデのしもべとなり、貢ぎ物を納める者となったのです。

 

いったいダビデはどうしてこんなに勝利を収めることができたのでしょうか。聖書はその理由を次のように述べています。6節後半です。「主は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた。」主がダビデに勝利を与えられたのです。ダビデはそのことをよく知っていました。そのことのゆえに、ツォバの王ハダデエゼルを討ったときも、そのすべての戦車の馬の足の筋を切ったのです。ダビデは詩篇33篇16~18節でこう言っています。「王は軍勢の大きさでは救われない。勇者は力の大きさでは救い出されない。軍馬も勝利の頼みにはならず軍勢の大きさも救いにはならない。見よ【主】の目は主を恐れる者に注がれる。主の恵みを待ち望む者に。」

私たちはもう一度、私たちに勝利を与えてくださる方がだれであるかを覚えましょう。そして、私たちが計画している主のみわざも、すべてこの主の力によって成し遂げられることを覚え、主に信頼して祈る者でありたいと思います。

 

Ⅲ.行く先々で勝利したダビデ(9-18)

 

最後に、9~18節までをご覧ください。まず12節までをお読みします。「ハマテの王トイは、ダビデがハダドエゼルの全軍勢を打ち破ったことを聞いた。トイは、息子ヨラムをダビデ王のもとに遣わし、安否を尋ね、ダビデがハダドエゼルと戦ってこれを打ち破ったことについて、祝福のことばを述べた。ハダドエゼルがトイにしばしば戦いを挑んでいたからである。ヨラムは銀の器、金の器、青銅の器を携えていた。ダビデ王は、それらもまた、【主】のために聖別した。彼が征服したすべての国々から取って聖別した銀や金、すなわち、アラム、モアブ、アンモン人、ペリシテ人、アマレクから取った物、およびツォバの王、レホブの子ハダドエゼルからの分捕り物と同様にした。」

 

ハマテの王トイは、ダビデがハダドエゼルの全軍勢を打ち破ったことを聞くと、息子ヨラムをダビデ王のもとに遣わして、祝福のことばを述べました。ハマテはダマスコから北に約150㎞のところにある都市国家ですがハダドエゼルと敵対関係にあり、これまでしばしば戦いを挑まれていたからです。そのハダドエゼルが打ち破られたことを聞いたトイは喜び、ダビデに祝福のことばを述べただけでなく、銀の器、金の器、青銅の器を贈りました。ダビデは、それらの物を主のために聖別しました。「聖別」とは、主のものとすることです。最近、この聖別することについて考えさせられています。時間でも、お金でも、奉仕でも、すべては聖別することから始まります。主のために取っておくのです。礼拝が大切なのはどうしてかというと、自分を主のためにささげる時だからです。だからその時間はこの世との一切の関わりを断ち、主に向かうのです。これが聖別です。ダビデは、他の分捕り物と同様に、ハマテの王トイから贈られた物を、主のために聖別してささげました。かつてダビデは敵が残していった偶像を破壊したことがありましたが(5:21)、ここでは、それらを聖別して主にささげたのです。どういうことでしょうか。この世のものでも主のために用いられると言うことです。但し、偶像礼拝的な要素は退けなければなりません。それ以外のものは、たとえこの世の物であっても、主のために聖別して用いることができます。

 

さくらチャーチでは今度の日曜日に教会総会が行われます。今度の日曜日が、開所式をしてさくらでの働きを始めてちょうど5年になる記念日になります。そのとき、F兄御夫妻が娘のために買ったピアノが残っているので主にささげたいと献品してくれました。しかし、あれから5年間奏楽者がいなかったのでずっとヒムプレーヤーで賛美をささげていたのですが、音大でピアノ科を専攻されたクリスチャンの方が加えられ、そのピアノを礼拝で弾いてくださることになりました。最初は家にあるピアノですがという動機からでしたが、それが信仰によって聖別されたとき、主のために用いられることになったのです。

 

あなたはどうですか。キリストのからだを建て上げるために何をささげておられますか。まず自分自身を聖別し、自分に与えられた賜物を主にささげ、主の栄光のために用いていただこうではありませんか。

 

最後に13~18節までを見て終わります。「ダビデが塩の谷でアラム人一万八千人を討って帰って来たとき、彼は名をあげた。彼はエドムに守備隊を、エドム全土に守備隊を置いた。こうして、全エドムはダビデのしもべとなった。【主】は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた。ダビデは全イスラエルを治めた。ダビデはその民のすべてにさばきと正義を行った。ツェルヤの子ヨアブは軍団長、アヒルデの子ヨシャファテは史官、アヒトブの子ツァドクとエブヤタルの子アヒメレクは祭司、セラヤは書記、 エホヤダの子ベナヤはクレタ人とペレテ人の上に立つ者、ダビデの息子たちは祭司であった。」

 

さらにダビデはエドム人一万八千人を討ち、エドム全土に守備隊を置きました。エドムは死海の南東、モアブの領地の下にある地です。ダビデは初め、南西のペリシテ人と戦って勝利すると、次に東方のモアブと戦い、一気に北上してシリヤの連合軍と戦い、そして今度は南下してエドム人と戦って勝利しました。彼は、このように、行く先々で勝利を収めました。彼がこのように勝利することができたのは、主がそのようにしてくださったからです。14節にはこうあります。「主は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた。」ダビデは自分の背後には主がおられ、行く先々で勝利を与えてくださったことを認めていました。詩篇44篇3節には、「自分の剣によって彼らは地を得たのではなく自分の腕が彼らを救ったのでもありません。ただあなたの右の手あなたの御腕あなたの御顔の光がそうしたのです。あなたが彼らを愛されたからです。」とあります。彼は自分の剣によって地を得たのではなく、自分の腕で勝利したのでもない、ただ主の右の手が彼に勝利をもたらしてくれたと確信していました。

 

あなたは今どのような生活が与えられていますか。もし安定した生活、祝福された生活が与えられているのなら、それは主が与えてくださったものでることを認め、主に感謝し、主の御名をほめたたえるべきです。

 

また、ダビデが行く先々で勝利を収めることができたもう一つの理由は、彼がその民のすべてにさばきと正義を行っていたことにあります。15節には、「ダビデは全イスラエルを治めた。ダビデはその民のすべてにさばきと正義を行った。」とあります。国にとってもっとも大切なことは、正義です。経済力でも軍事力でもありません。「正義は国を高め、罪は国民をはずかしめる。」(箴言14:34)と箴言に書かれています。ダビデは、正義によって国を治めました。それは後に来られるメシヤのひな型でもありました。ダビデの子孫から出られるキリストは、正義によって国を治められるのです。  そして、ダビデが行く先々で勝利することができたもう一つの理由は、彼には有能な補佐官たちがいたことです。16節をご覧ください。「ツェルヤの子ヨアブは軍団長、アヒルデの子ヨシャパテは参議、アヒトブの子ツァドクとエブヤタルの子アヒメレクは祭司、セラヤは書記、エホヤダの子ベナヤはケレテ人とペレテ人の上に立つ者、ダビデの子らは祭司であった。」

私たちにもこのような補佐官、戦友、協力者が与えられていることを感謝します。それゆえ、共に主に信頼して、この世の敵である悪魔との戦いに出て行き、キリストに仕える者とさせていただきたいと思います。

Ⅱサムエル記6章

きょうは、2サムエル6章から「神の臨在を求めて」というテーマでお話しします。私たちの信仰生活にとって最も大切なのは、神が共におられること、神の臨在を求めることです。きょうは、その神の臨在を求めたダビデからそのことについて学びたいと思います。

 

Ⅰ.神の臨在を求めたダビデ(1-5)

 

まず1~5節までをご覧ください。「ダビデは再びイスラエルの精鋭三万をことごとく集めた。ダビデはユダのバアラから神の箱を運び上げようとして、自分とともにいたすべての兵と一緒に出かけた。神の箱は、ケルビムの上に座しておられる万軍の【主】の名でその名を呼ばれている。彼らは、神の箱を新しい荷車に載せて、それを丘の上にあるアビナダブの家から移した。アビナダブの子、ウザとアフヨがその新しい荷車を御した。それを、丘の上にあるアビナダブの家から神の箱とともに移したとき、アフヨは箱の前を歩いていた。ダビデとイスラエルの全家は、竪琴、琴、タンバリン、カスタネット、シンバルを鳴らし、【主】の前で、すべての杉の木の枝をもって、喜び踊った。」

 

これはちょうどダビデかがイスラエル全体の王となりエルサレムを首都とした直後のことです。ダビデは30歳で王となり、40年間イスラエルの王でした。ヘブロンで7年6カ月ユダを治め、エルサレムで33年間イスラエルとユダの全体を治めました。そのエルサレムでの統治にあたり、ダビデはまずエブス人を攻略し、そこを攻め取りました。これが「ダビデの町」、エルサレムです。そして、彼はそこに王宮を建て、神の都としました。

 

その後、ダビデが真っ先に取り掛かったのが、神の箱をエルサレムに運び入れることでした。神の箱はペリシテ人との戦いによって奪い取られると、7年6カ月の間ペリシテ人の神ダゴンの神殿に置かれていましたが、ダゴンがうつぶせになって倒れたり、アシュドテの人たちを腫物で打ったりと災いをもたらしたので、彼は相談してイスラエルに送り返すことにしました。それで彼らは二頭の雌牛を取り、それを車につなぎ、主の箱を載せてイスラエルにあるベテ・シェメシュに運びましたが、ベテ・シェメシュの住民は、主の戒めに反して神の箱を見たので主の怒りが彼らの上に下り、主が民を激しく打たれたのです。

 

それでベテ・シェメェシュの人たちはどうしたかというと、「だれが、この聖なる神、主の前に立つことができるだろうか。私たちのところから、だれのところに上って行くだろうか。」(Ⅰサムエル6:20)と言って、結局、彼らはキルアテ・エアリムのアビナダブの家に運びました。(Ⅰサムエル7:1)それから50~60年が経っていました。

 

キルアテ・エアリムは、エルサレムから北西に15㎞くらいの所にありますね。ど巻末の聖書の地図を見て確認しましょう。それにしても、どうしてダビデはこの神の箱をエルサレムの自分の町に運び入れようとしたのでしょうか?それは、主の臨在を求めていたからです。ここに彼の信仰がどのようなものであったかが表われています。彼はイスラエルを統一してエルサレムに都を定めたとき、主の臨在がなければイスラエルを治めることはできないと思ったのです。それは私たちも同じです。私たちも主の臨在がなければ信仰の歩みをすることはできません。私たちの信仰生活にとって最も重要なのは、主が私たちとともにおられるということなのです。

 

人生には何事にも秘訣があります。長寿の人に「長生きの秘訣は何ですか」と尋ねると「な〜に、簡単なことだよ。死なないことだよ」とか「息をするのを忘れないことです」とか答えが返ってきますが、どうやら長生きの秘訣はユーモアを忘れないことなのかもしれません。聖書は私たちが力強く生き生きと生きる秘訣を教えています。その秘訣とは神と共に歩むこと、そして、神に導かれて歩むことです。ダビデは、この神の臨在を求めたのです。

 

いったい彼はどのように神の箱を運び入れたでしょうか?1節を見ると、精鋭三万をことごとく集めた、とあります。精鋭三万というのは、ペリシテ人との戦いで動員した兵士の数と同じです。高さ66㎝、長さ110㎝の机くらいの大きさの箱を運ぶのに3万人もの精鋭を集めたのです。それは、このように大規模な隊列を組むことによって、この事業がどれほど大切なものであるかを民に示そうとしたからです。この事業はダビデにとってそれほど重大な出来事だったのです。

 

また3節には、「彼らは、神の箱を新しい荷車に載せて、それを丘の上にあるアビナダブの家から移した。」とあります。いったいなぜ彼らは神の箱を新しい車に載せて運ぼうとしたのでしょうか。というのは、民数記4章15節には、神の箱を運ぶ時には、神輿のように、担いで運ばなければならないとあるからです。「宿営が移動する際には、アロンとその子らが聖所と聖所のすべての用具をおおい終わってから、その後でケハテ族が入って行って、これらを運ばなければならない。彼らが聖なるものに触れて死ぬことのないようにするためである。これらは、会見の天幕でケハテ族が運ぶ物である。」

しかも、それを運ぶことができたのはレビ人の中でもケハテ族に属する人たちだけでした。それ以外の人は運ぶことができませんでした。彼らが担いで運ぶことができるように箱の四隅には金で出来た環が取り付けてあり、そこにアカシヤ材で出来た棒が通されてあったのです。

彼らが新しい車に乗せて運ぼうとしたのは、ペリシテ人が神の箱をイスラエルに戻したとき、そのようにしたからです(Ⅰサムエル6:7-8)。彼らはそれを真似て運ぼうとしたのです。つまり、の臨在を求め、神を礼拝しようとしたことはすばらしかったのですが、その方法は間違っていました。神のみこころではなく、この世の方法を取り入れてしまったのです。

 

このようなことが私たちにもあるのではないでしょうか。主の臨在を求め、心から神を礼拝しようとしていながらも、この世の方法を取り入れているということが。主に従っているようでも、このような点で間違っていることがあるのです。自分では信仰に歩んでいると思っていても、それが神のみこころからズレていることもあるのです。動機は良くても方法が間違っていることがあります。4~5節を見ると、彼らは、丘の上にあるアビナダブの家から神の箱とともに運び出したとき、歌を歌い、立琴、琴、タンバリン、カスタネット、シンバルを鳴らして、主の前で、力の限り喜び踊りました。すばらしいことです。しかし、どんなに楽器を奏で、主の御前で喜び踊っても、それが主の示された方法によるのでなければ、主に喜ばれることはありません。それが次のところに出てくるウザの事件です。私たちがしていることがすべての点で主のみこころにかなっているかどうかを点検しなければなりません。

 

Ⅱ.ウザの死(6-11)

 

次に6~11節までをご覧ください。「彼らがナコンの打ち場まで来たとき、ウザは神の箱に手を伸ばして、それをつかんだ。牛がよろめいたからである。すると、【主】の怒りがウザに向かって燃え上がり、神はその過ちのために、彼をその場で打たれた。彼はそこで、神の箱の傍らで死んだ。ダビデの心は激した。【主】がウザに対して怒りを発せられたからである。その場所は今日までペレツ・ウザと呼ばれている。その日、ダビデは【主】を恐れて言った。「どうして、【主】の箱を私のところにお迎えできるだろうか。」ダビデは【主】の箱を自分のところ、ダビデの町に移したくなかった。そこでダビデは、ガテ人オベデ・エドムの家にそれを回した。【主】の箱はガテ人オベデ・エドムの家に三か月とどまった。【主】はオベデ・エドムと彼の全家を祝福された。」

 

ここで一つの事件が起こります。彼らが神の箱を運んでナコンの打ち場まで来たとき、ウザが神の箱に手を伸ばして、それをつかみました。牛がよろめいたために、神の箱がひっくり返りそうになったからです。すると主の怒りがウザに向かって燃え上がり、彼はその場で打たれて死んでしまいました。何が問題だったのでしょうか。7節には「神はその過ちのために」とあります。いったい彼はどんな過ちを犯したのでしょうか。彼が神の箱に手を伸ばしたのは、牛がよろめいてひっくり返そうとしたからです。そういう意味では、彼がやったことは、むしろ正しいこと、すばらしいことです。それなのに彼は神に打たれて死んでしまいました。

 

ここで、先ほどの間違いが問われることになります。すなわち、神の箱はレビ人が肩にかついで運ばなければならないのであって、牛車に乗せて運ぶのは律法違反であったということです。しかも、これを運ぶのはレビ人の中でもケハテ族に属する人たちだけでした。また、たといケハテ族であっても、この聖なる箱に触れるなら必ず死ぬという警告が与えられていました(民数記4:15)。この警告が与えられたのは、この箱が聖なる神の臨在を象徴していることをイスラエルの民に教えるためでした。ウザは、善意で箱に触れたのですが、それは人間的な善意に過ぎず、神のみこころではなかったということです。神への正しい恐れがなかったのです。神の臨在に対する畏れです。長い間神の箱とともに生活しているうちに、神の臨在に対する畏怖の念を失っていたのです。彼が安易に神の箱に手を伸ばしたのは、彼の中にそうした思い上がりの心があったからだと考えられます。いわゆる、なれ合いですね。

 

一方、オベデ・エドムの人たちは違いました。それを見たダビデの心は激しました。主がウザに対して怒りを発せられたからです。それで彼は、神の箱を運び上がることによって多くの人が死ぬのではないかと恐れ、それをガテ人オベデ・エドムの家に回しました。主の箱はオベデ・エドムの家に三カ月とどまりましたが、その間、主はオベデ・エドムと彼の全家を祝福されました。それは、彼らが主の御前にへりくだり、謙遜な態度で神の御前に出ていたからです。彼らは、神の箱を自分の家に安置することを断りませんでした。すなわち、彼は謙遜な態度で神の箱を自分の家に迎え入れたのです。不敬虔な態度でキリストに近づくことは危険なことですが、敬虔な態度でキリストを求めるなら、そこに大きな祝福をもたらされます。

 

コロナウイルスで礼拝に来られなかったフィリピン人の姉妹があることで相談に来られました。コロナウイルスの中でも英語礼拝は休まずに行われていましたがズームでも礼拝をしているので別にいいだろうと、自分のアパートでオンラインで礼拝をささげていました。いざ礼拝が始まり、ズームを観ているうちに、別に向こうからは見えないだろうと、朝食を食べながら観ていたのですが、そのとき彼女の心が主の御霊によって刺されました。自分はいったい何をしているんだろう。食事をしながら礼拝するなんて。教会にいたらそんなことは絶対に出来ないのにそれができるというのは、自分の中に神への思いがズレでいるからではないか・・。」それで翌週から礼拝に来るようになりました。

別に自分のアパートでも礼拝ができます。どこで礼拝するかが問題なのではありません。問題はどのような心で礼拝しているかです。そのような状態が続くと霊的にも麻痺してしまい、神への恐れるのではなく自分中心の信仰に陥りがちになりますが、そうした彼女の心が聖霊様によって刺されたのは、彼女に神を慕い求め、神を恐れる心があったからでしょう。神を恐れ、神の御前にへりくだり、敬虔な態度で主を求め、主の祝福に与るものでありたいと思います。

 

Ⅲ.神の箱をダビデの町に運ぶ(12-19)

 

次に12~19節までをご覧ください。「「【主】が神の箱のことで、オベデ・エドムの家と彼に属するすべてのものを祝福された」という知らせがダビデ王にあった。ダビデは行って、喜びをもって神の箱をオベデ・エドムの家からダビデの町へ運び上げた。【主】の箱を担ぐ者たちが六歩進んだとき、ダビデは、肥えた牛をいけにえとして献げた。ダビデは、【主】の前で力の限り跳ね回った。ダビデは亜麻布のエポデをまとっていた。ダビデとイスラエルの全家は、歓声をあげ、角笛を鳴らして、【主】の箱を運び上げた。【主】の箱がダビデの町に入ろうとしていたとき、サウルの娘ミカルは窓から見下ろしていた。彼女はダビデ王が【主】の前で跳ねたり踊ったりしているのを見て、心の中で彼を蔑んだ。人々は【主】の箱を運び込んで、ダビデがそのために張った天幕の真ん中の定められた場所にそれを置いた。ダビデは【主】の前に、全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げた。ダビデは全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げ終えて、万軍の【主】の御名によって民を祝福した。そしてすべての民、イスラエルのすべての群衆に、男にも女にも、それぞれ、輪形パン一つ、なつめ椰子の菓子一つ、干しぶどうの菓子一つを分け与えた。民はみな、それぞれ自分の家に帰った。」

 

ダビデは、「主が神の箱のことで、オベデ・エドムの家と彼に属するすべてのものを祝福された」という知らせを聞くと、喜びをもって神の箱をオベデ・エドムの家からダビデの町へ運び上げました。どのように運び上げたでしょうか。13節には、「主の箱を担ぐ者たちが六歩進んだとき、ダビデは、肥えた牛をいけにえとしてささげた」とあります。今度は、モーセの律法が命じるとおりに、レビ人たちが主の箱を担ぎました。彼は前回の失敗から教訓を学んだのです。ここがダビデのすばらしいところですね。彼も完全ではありませんでした。失敗もしました。でも、彼はそこから学びました。

そして、なんと主の箱をかつぐ者たちが六歩進むごとに、肥えた牛をいけにえとしてささげたのです。やせている牛ではなく肥えた牛です。たったの六歩進むごとにその肥えた牛をささげたのです。なんともったいないことでしょう。どのくらいの牛が必要だったかわかりません。また、手間がかかります。アビナダブの家からエルサレムまでどのくらいの距離だったかわかりませんが、仮に20㎞として六歩ごとに牛をささげるのですから、どれだけ時間がかかるかわかりません。これではいつ運び入れることができるかどうかもわかりません。でもここにダビデの信仰が表われています。彼はこのようにして主の箱を運ぶことで、主の怒りが下ってこないかどうかを確かめながら慎重に運んだのです。

 

それは、ダビデの服装や態度にも表れていました。14節には「ダビデは、【主】の前で力の限り跳ね回った。ダビデは亜麻布のエポデをまとっていた。」とあります。ダビデは王服を脱いで亜麻布のエポデをまとっていました。これはどういうことかというと、ダビデが主の御前にへりくだったということです。この亜麻布のエポデとは祭司が着る服でした。それはダビデが祭司の役を果たしたということではありません。そんなことをしたらあのサウルと同じ罪を犯してしまうことになります。そうではなく、彼は王としての自分の立場を忘れ、まことの王であられる主の御前にへりくだっていたということです。それは彼が主の前で力の限り踊った、跳ね回ったということからもわかります。ダビデは全身全霊をもって主を礼拝したのです。

 

主の箱がダビデの町に入ろうとしていたとき、サウルの娘でダビデの妻となっていたミカルが窓から見下ろしていました。彼女はダビデが主の前で跳ねたり、踊ったりしているのを見て、心の中で彼を蔑みました。ミカルはダビデの心を全く理解することができなかったのです。

一方ダビデはというと、主の箱を運び込んで、天幕の真中の定められた場所に置くと、主の前に、全焼のいけにえをささげました。彼は全焼のささげものと交わりのいけにえを献げ終えると、万軍の主の御名によって民を祝福しました。そして、すべての民、イスラエルのすべての群衆に、男にも女にも、それぞれ、輪形のパン一つ、なつめ椰子の菓子一つ、干しぶどうの菓子一つを分け与えました。それによってすべての民もまた、この日が特別な喜びの日であることを確認することができました。

 

神の箱があることが大きな喜びであり、祝福であるなら、イエス・キリストが心におられることはより大きな祝福です。イエス・キリストを信じてすべての罪が赦され、神が私たちとともにおられることは、何にもまして大きな祝福なのです。私たちもダビデのように、救い主イエスを、全身全霊をもって礼拝しようではありませんか。

 

Ⅳ.ダビデを侮辱するミカル(20-23)

 

最後に20~23節を見て終わりたいと思います。「ダビデが自分の家族を祝福しようと戻ると、サウルの娘ミカルがダビデを迎えに出て来て言った。「イスラエルの王は、今日、本当に威厳がございましたね。ごろつきが恥ずかしげもなく裸になるように、今日、あなたは自分の家来の女奴隷の目の前で裸になられて。」ダビデはミカルに言った。「あなたの父よりも、その全家よりも、むしろ私を選んで、【主】の民イスラエルの君主に任じられた【主】の前だ。私はその【主】の前で喜び踊るのだ。私はこれより、もっと卑しめられ、自分の目に卑しくなるだろう。しかし、あなたの言う、その女奴隷たちに敬われるのだ。」サウルの娘ミカルには、死ぬまで子がなかった。」

 

イスラエルのすべての民を祝福したダビデは、次に自分の家族を祝福しようと王宮に戻ると、ダビデの最初の妻であったミカルが出迎えて、水を差すようなことを言いました。「イスラエルの王は、今日、本当に威厳がございましたね。ごろつきが恥ずかしげもなく裸になるように、今日、あなたは自分の家来の女奴隷の目の前で裸になられて。」

どうしてミカルはこのように行ったのでしょうか。プライドがあったからです。彼女はサウルの娘として、王としての威厳を保つには軽々しく踊り回ってはならないと考えていました。ダビデが着ていたあの服(エポデ)は、彼女の目では裸同然だったのです。彼女にはダビデのような信仰はありませんでした。彼女は、自分は王家の娘であるというプライドだけは人一倍持っていました。また、父の影響によるのか、群衆を見下げるような態度も身に着けていたのです。

 

それに対してダビデは何と言ったでしょうか。21節です。彼はミカルにこう言いました。「あなたの父よりも、その全家よりも、むしろ私を選んで、【主】の民イスラエルの君主に任じられた【主】の前だ。私はその【主】の前で喜び踊るのだ。私はこれより、もっと卑しめられ、自分の目に卑しくなるだろう。しかし、あなたの言う、その女奴隷たちに敬われるのだ。」

つまり彼は、主はプライドの高いサウル家ではなく、自分のような卑しい者を選んでくださったことを感謝し、その主の御前で踊るのであるということ、そして、ミカルが言うような卑しめられている女奴隷たちから敬われたいのだ、と言ったのです。

 

「サウルの娘ミカルには、死ぬまで子がなかった。」これは、ダビデがそれ以降、ミカルと夫婦関係がなかったことを意味しています。そのため、ミカルには生涯子供が与えられませんでした。当時のイスラエルでは恥辱とみなされていた不妊を、彼女は生涯耐え忍ばなければならなかったのです。本来ならば、ミカルの息子が王位を継承するはずでしたが、彼女には子供がいなかったので、バデ・シェバの子が王位継承権を手に入れることになりました。

 

家族が信仰のことを理解しないために、苦しんでいる人は多くいます。霊的な人と、人間的なことしか考えていない人の間には亀裂が生じ、わだかまりが生じます。ダビデもまたそのひとりでした。しかしダビデはミカルから侮辱されたとき、彼女に反撃を加えようとはせず、そのさばきをすべて主にゆだねました。これは信仰のことを理解できない家族に対してどのように接したらよいかの教訓となります。すなわち、家族が信仰に対して反対したとしても、それで何か反撃を加えたり、傷つけ合ったりするのではなく、すべてを神にゆだねなければならないということです。神はすべてをご存知であられます。その神が最善に導いてくださいます。そう信じて、キリストの香りを放ちつつ、忠実に福音を語り続けたいと思います。

それは、私たちにはこの神の箱があるからです。主イエスは、「見よ、わたしは、世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)と言われました。実に、この神の箱はイエス・キリストの象徴でもありました。私たちには神の箱よりもすばらしい祝福が与えられているのです。私たちには、私たちのために十字架で死なれ、その死から復活し、今も生きておられるキリストが共にいてくださるのです。そのことを覚え、この主の臨在を求め、主の御前にへりくだり、主を喜ぼうではありませんか。これこそ私たちが最も求めていかなければならないことなのです。

 

Ⅱサムエル記5章

Ⅱサムエル5章に入ります。まず、1~5節までをご覧ください。

 

Ⅰ.イスラエルとユダ全体の王となったダビデ(1-5)

 

「イスラエルの全部族は、ヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。「ご覧ください。私たちはあなたの骨肉です。これまで、サウルが私たちの王であったときでさえ、イスラエルを動かしていたのはあなたでした。【主】はあなたに言われました。『あなたがわたしの民イスラエルを牧し、あなたがイスラエルの君主となる』と。」イスラエルの全長老はヘブロンの王のもとに来た。ダビデ王はヘブロンで、【主】の御前に彼らと契約を結び、彼らはダビデに油を注いでイスラエルの王とした。ダビデは三十歳で王となり、四十年間、王であった。ヘブロンで七年六か月ユダを治め、エルサレムで三十三年イスラエルとユダの全体を治めた。」

 

サウル家の王であったイシュ・ボシェテは、2人のベニヤミン人レカブとバアナによって殺されたため、サウル家にはヨナタンの子でメフィボシェテはいましたが、足が萎えていたため王や将軍がいなくなりました。

そこでイスラエルの全部族は、ヘブロンにいたダビデのもとに来て言いました。「ご覧ください。私たちはあなたの骨肉です。これまで、サウルが私たちの王であったときでさえ、イスラエルを動かしていたのはあなたでした。主はあなたに言われました。『あなたがわたしの民イスラエルを牧し、あなたがイスラエルの君主となる』と。」(2-3)

彼らは、サウルが自分たちの王であった時でさえ、イスラエルを動かしていたのはあなたでした、と告白しています。彼らはこのことに気づいていました。主の御霊がサウルから去り、ダビデに臨まれたということを。第三者的に見ても、それを認めることができたのです。私たちの働きも同じです。御霊の働きがなければ、どんなに体裁を整えても、他の人から認められることはありません。けれども主の御霊の注ぎがあれば、その人がどのように低められていようと、だれもが認めるようになります。大切なのは、自分がどのような立場にあるかということではなく、主の御霊の注ぎがあるかどうかということです。それは、主がダビデに語られた預言のことばでもありました。かくして、ダビデは彼らと契約を結び、彼らはダビデに油を注いでイスラエルの王としました。

 

ダビデが油注ぎを受けるのは、これで3回目です。一度目はサムエルによって(Ⅰサムエル16:13)、二度目はユダの人々によって(Ⅱサムエル2:4)、そして三度目が今回です。ダビデがイスラエルの王となったのは、彼が30歳の時でした(4)。ヨセフがエジプトで支配者となったのも30歳の時でした。なぜ30歳だったのでしょうか。それは、ダビデもまたヨセフも、後に来られるキリストを指し示していたからです。イエス様がその働きを始められたときも、およそ30歳でした(ルカ3:23)。ダビデは、とこしえの神の国の王となられるキリストを指し示していたのです。

 

先月の聖書同盟の「みことばの光」の聖書通読の箇所は民数記でした。民数記の4章には、おしろいことに、主の幕屋で奉仕することができる祭司の年齢が記されてあります。それは30~50歳までの人です。私は今年60歳になりますから、アウトです。それはどうでもいいとして、なぜ30歳からだったのかというと、この祭司もまたキリストを表していたからです。イエス様は、王としても、祭司としても、油注がれたメシヤ、キリストであられたのです。

 

ダビデは30歳で王となり、40年間、イスラエルを治めました。ヘブロンで7年6か月ユダを治め、エルサレムで33年間イスラエルとユダの全体を治めました。それにしても、何と忍耐を強いられたことでしょう。30歳でユダとイスラエルの王となるまで、実に様々な試練を通らされました。しかし、こうやってみると、それは彼が王としての働きを全うしていくために必要な訓練の時であったことがわかります。主の働きに召される者には多くの責任が伴いますが、それを成し遂げていくためには、信仰や判断力、人格などあらゆる面で整えられる必要があるのです。ダビデが王になるまでの試練は、そのための訓練の時だったのです。彼が王としてふさわしい姿になったとき、神は彼に統一王国の王としての働きをゆだねられました。へブル12章7~11節にこうあります。「訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が訓練しない子がいるでしょうか。もしあなたがたが、すべての子が受けている訓練を受けていないとしたら、私生児であって、本当の子ではありません。さらに、私たちには肉の父がいて、私たちを訓練しましたが、私たちはその父たちを尊敬していました。それなら、なおのこと、私たちは霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。肉の父はわずかの間、自分が良いと思うことにしたがって私たちを訓練しましたが、霊の父は私たちの益のために、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして訓練されるのです。すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます。」

私たちも、どうしてこのようなことが・・と思うことがありますが、訓練と思って耐え忍びましょう。神がちょうど良い時に引き上げてくださり、平安な義の実を結ばせてくださるからです。

 

Ⅱ.ダビデの町(6-10)

 

次に、6~10節までをご覧ください。「王とその部下は、エルサレムに、その地の住民エブス人のところに行った。すると彼らはダビデに言った。「おまえは、ここに攻めて来ることなどできない。目の見えない者どもや足の萎えた者どもでさえも、おまえを追い出せる。」彼らは「ダビデがここに攻めて来ることはできない」と考えていたのである。しかし、ダビデはシオンの要害を攻め取った。これがダビデの町である。その日ダビデは、「だれでもエブス人を討とうとする者は、水汲みの地下道を通って、ダビデの心が憎む『足の萎えた者どもや目の見えない者ども』を討て」と言った。それで、「目の見えない者や足の萎えた者は王宮に入ってはならない」と言われるようになった。ダビデはこの要害に住み、これを「ダビデの町」と呼んだ。ダビデはその周りに城壁を、ミロから一周するまで築いた。ダビデはますます大いなる者となり、万軍の神、【主】が彼とともにおられた。」

 

ダビデとその部下は、エルサレムに、その地の住民エブス人のところに行きました。遊びに行ったわけではありません。その地を占領するためです。ヘブロンは統一王国を治めるためにはあまりにも南に位地していたので、もう少し北に移そうと思ったのでしょう。また、そこはユダ族の領地でもあったので、統一王国の首都としてはふさわしくありませんでした。そこでダビデが新しい首都として選んだのが、シオンの要害、エルサレムでした。そこはユダ族とベニヤミン族の境に位地していたので、どの部族にも偏らないところにあったのです。

 

エルサレムは、300年ほど前に、主がヨシュアを通して語られた命令に従い、ユダ族が攻め取った町でした(士師1:8)。しかし、ユダ族が攻め取った後も、彼らはそこを自分たちのものとしなかったので、エブス人がいつまでも居座り、紀元前約1000年になっていたダビデの時代にも、まだエブス人の手の中にあったのです。エブス人がダビデに、「おまえは、ここに攻めて来ることなどできない。目の見えない者どもや足の萎えた者どもでさえも、おまえを追い出せる。」と侮辱していますが、それもそのはず、エルサレムはその地形からして三方を山に囲まれた、難攻不落の天然の要塞だったからです。

 

しかし、ダビデはこのシオンの要害を攻め取りました。これが「ダビデの町」です。ダビデは、ユダのベツレヘムの出身ですので、ダビデの町とはそのベツレヘムのことを指しますが、この時ダビデがエルサレムを攻め取り、そこを政治的、軍事的な中心地としたことから、これを「ダビデの町」と呼ぶようになったのです。こうして、この時からエルサレムはユダヤ人のものとなりました。

 

どうして彼らはこのエルサレムを攻め取ることができたのでしょうか。その理由が10節にあります。「ダビデはますます大いなる者となり、万軍の神、主が彼とともにおられた。」万軍の神、主が彼とともにおられたからです。主がともにおられることこそ、クリスチャンの力であり、祝福の源です。私たちのすべての行為は私たちが行っていても、神が行っているとも言えるのです。神はそのような者を祝福してくださいます。

 

一方、エブス人たちはどうだったかというと、大変傲慢でした。ダビデがエルサレムに攻めても、目の見えない者どもや足の萎えた者どもでも追い出せると豪語しました。このような自信過剰な態度は大変危険であると言えます。彼らはダビデの力と知恵を侮っていました。しかし、最後はそのダビデによって滅ぼされる結果となってしまいました。いつの時代でも、神を恐れない者たちは、どんなに危険が迫っていても、傲慢で油断しています。私たちの戦いは血肉に対するものではなく、この暗闇の世界の支配者たち、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。その霊の戦いにおいて勝利するために、主の御前にへりくだり、主とともに歩ませていただきましょう。万軍の神、主がともにおられることで勝利ある者とさせていただきましょう。

 

Ⅲ.ダビデの家族(11-16)

 

次に、11~16節までをご覧ください。まず11~12節です。「ツロの王ヒラムは、ダビデのもとに使者と、杉材、木工、石工を送った。彼らはダビデのために王宮を建てた。ダビデは、【主】が自分をイスラエルの王として堅く立て、主の民イスラエルのために、自分の王国を高めてくださったことを知った。」

 

神の都エルサレムにイスラエルの新しい都が確立されました。次に必要なのは、その都にふさわしい王国です。しかし、当時のイスラエル人は主に農業と牧畜に従事していたので、木材や石材を加工して建物を建築するのに慣れていませんでした。そのような時に、ダビデのもとに素晴らしい知らせが届きました。ツロの王ヒラムが、ダビデのもとに使者と、杉材、木工、石工を送ってきたのです。ツロは今のレバノンにある町です。エルサレムからは120㎞ほど北方にある外国の町でした。そのツロからこれだけの資材が送られて来たというのは、ヒラムがダビデと友好条約を結ぼうとしていたということです。彼はダビデの偉大さを認め、敵に回すよりも友人になった方が得策だと考えたのです。

 

ヒラムは異邦人でした。この異邦人のヒラムがイスラエルと契約を結ぶ姿は、新約の時代になって異邦人クリスチャンがユダヤ人クリスチャンと一つになることを予表していました。これはパウロを通して表された神の奥義でもありました。パウロはこの奥義を次のように語っています。エペソ3章5~6節です。「この奥義は、前の時代には、今のように人の子らに知らされていませんでしたが、今は御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されています。それは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人も共同の相続人になり、ともに同じからだに連なって、ともに約束にあずかる者になるということです。」

これは、旧約の時代には知らされていなかった奥義です。しかし、このような形で示されていたのです。キリスト・イエスにあって、異邦人も共同の相続人になり、ともに同じからだに連なって、ともに約束にあずかる者になるということを。これがキリストの教会です。

私たちも、ヒラムがダビデにしたように、ダビデの子であられる主イエスを信じ、この契約の中に入れられた者です。ですから、ともに同じからだ、キリストのからだにつらなって、このからだを立て上げ、教会を通して神の栄光を現すものとなりたいと思います。

 

12節には、「ダビデは、主が自分をイスラエルの王として堅く立て、主の民イスラエルのために、自分の王国を高めてくださったことを知った。」とあります。ダビデはよく知っていました。主が自分をイスラエルの王として立て、主の民イスラエルのために、自分の王国を高めてくださったということを。それはすべて主から与えられたものであるということを知っていたのです。自分は神に用いられている器にしかすぎないのであって、したがって自分はただ主を恐れ、主に言われていることを行なうだけであるということを知っていたのです。サウルのときと比べてみてください。彼はイスラエルを自分の所有物であるかのように考え、自分の国が栄えることだけを考えていました。自分の縄張りを作っていました。しかしダビデはそうではなく、それは主のものであり、主がご自身のために自分を立ててくださったと、認識していたのです。彼にあったのは、ただ主を慕うその心だけでした。

 

とは言え、彼もまた完全な者ではありませんでした。次のところを見るとそれがわかります。13~16節をご覧ください。「ダビデは、ヘブロンから来た後、エルサレムで、さらに側女たちと妻たちを迎えた。ダビデにはさらに息子たち、娘たちが生まれた。エルサレムで彼に生まれた子の名は次のとおり。シャムア、ショバブ、ナタン、ソロモン、イブハル、エリシュア、ネフェグ、ヤフィア、エリシャマ、エルヤダ、エリフェレテ。」

 

ここには、ダビデがヘブロンから来た後、エルサレムで、さらに側女たちと妻たちを迎え、彼女たちによって生まれた子どもたちの名前が記されてあります。3章には、ダビデがヘブロンにいた時に生まれた子どもたちのことが記されてありましたが、そこには6人の妻たちがいました。これでも多すぎるのに、エルサレムに来てからさらに多くの妻と側女たちをめとりました。これは3章でも述べましたが、主の戒めに背く行為です。申命記17章17節には、王は、多くの妻を持ってはならない、とあります。心がそれることがないためです。それなのに彼は、さらに多くの側女たちと妻たちを迎えました。ダビデのこの罪は、やがて深刻な呪いを招くことになります。その子ソロモンもまた、やがて同じ罪を犯すようになります。これは、慢心というか、彼の心に隙が生じたからです。サウルの家との間に激しい葛藤があったときには主に信頼していたダビデでしたが、統一王国を成し遂げた後に、こうした落とし穴が待っていたのです。人は成功を手に入れることよりも、成功したあとをどうするかのほうが難しいように感じます。成功は人を慢心と油断に陥れます。主の祝福を受けた後でも主を愛し、主に信頼し、へりくだって主に従うことができる人は幸いです。

 

ところで、エルサレムで生まれた子どもたちのうち、最初の4人、シャムア、ショバブ、ナタン、ソロモンは、バテ・シェバによって生まれた子どもです。この中で特にナタンとソロモンに注目してください。ダビデの王位を継承し、エルサレムに神殿を建設するのはソロモンです。ソロモンはその名が示す通り、「平和の子」です。一般的には、ソロモンがメシヤであられるイエスの先祖となったと考えられていますが、実際はソロモンではなくナタンです。マタイの福音書にある系図を見ると、確かに1章6節に「ダビデがウリヤの妻によってソロモンを生み」とあります。そして、その子孫にイエスの父ヨセフが生まれ、ヨセフによってイエスが誕生しました。しかし、本当の父はだれかというと、聖霊です。イエスは聖霊によって母マリヤの胎に宿ったのです。ですから、正確にはヨセフはイエスの義父であったということになります。血のつながりはありませんでした。

一方、ルカの福音書にあるイエスの系図を見ると、イエスはソロモンではなくナタンを通して生まれたとあります(ルカ3:31)。いったいこれはどういうことでしょうか。

 

この二つの系図にはいろいろな違いが見られますが、これはこの系図が間違っていたということではなく、イエスは二つの家系を通して生まれてきたことを示しているのです。そして、ルカはマリヤの家系を、マタイは、ヨセフの家系をたどって記録したのだろうと考えられています。マタイはイエスの法律上の父であるヨセフの家系を、ダビデの息子ソロモンを通して、だどったのに対して、ルカはマリヤ(イエスの血肉の親戚)の家系をダビデの息子ナタンを通して、たどったということです。「義理の息子」というギリシャ語はないので、ヨセフはエリの娘マリヤと結婚することで、エリの息子と考えられたわけです。どちらの家系をたどっても、イエスはダビデの子孫であり、かつメシヤとしての資格があるということです。母方の家系をたどった系図というのは普通ないことですが、処女降誕も普通なかったことです。ルカの説明は、イエスはヨセフの息子「と考えられていた」のです。(ルカ3章23節)

このように見ると、神の計画は人知をはるかに超越したものであり、同時に、完璧なものです。この全地全能の神に全面的に信頼しようではありませんか。

 

Ⅳ.ペリシテ人との戦い(17-25)

 

最後に、17~25節を見て終わりたいと思います。まず17~22節までをご覧ください。「ペリシテ人は、ダビデが油注がれてイスラエルの王となったことを聞いた。ペリシテ人はみな、ダビデを狙って攻め上って来た。ダビデはそれを聞き、要害に下って行った。一方、ペリシテ人はやって来て、レファイムの谷間を侵略した。ダビデは【主】に伺った。「ペリシテ人のところに攻め上るべきでしょうか。彼らを私の手に渡してくださるでしょうか。」【主】はダビデに言われた。「攻め上れ。わたしは必ず、ペリシテ人をあなたの手に渡すから。」ダビデはバアル・ペラツィムにやって来た。ダビデはそこで彼らを討って、「【主】は、水が破れ出るように、私の前で私の敵を破られた」と言った。それゆえ、その場所の名はバアル・ペラツィムと呼ばれた。彼らはそこに自分たちの偶像を置き去りにした。そこでダビデとその部下はそれらを運び去った。」

 

ダビデが油注がれて王となったことを聞いたペリシテ人は、ダビデを狙って攻め上って来ました。彼らはこれまでダビデを自分たちの家来だと思っていましたが、そのダビデが、エルサレムを攻め取り、そこを新都と定め、王宮まで建設したということを聞いて、そのダビデの権力が強大なものにならないうちに、早急に彼を討っておこうと思ったのです。不思議ですね、ダビデが王位に就くとすぐに、敵が彼を滅ぼそうと動き出しました。これは、ダビデの場合だけでなく、いつの時代でも言えることです。イエス様もヨルダン川で洗礼を受けるとすぐに悪魔の攻撃を受けました。私たちクリスチャンも霊的な祝福を受けた途端、こうした悪魔の攻撃を受けることがあります。しかし、主とともに歩むなら、必ず、圧倒的な勝利がもたらされます。

 

ダビデの場合はどうだったでしょうか。それを聞いたダビデは、要害に下って行きました。彼は、ペリシテ人たちがレファイムの谷間を侵略したと聞いたとき、まず主に伺いを立てました。彼は、自分で勝手に判断して動くことをしませんでした。ペリシテ人がやって来ているのだから、攻めに行くのは当たり前です。けれども当たり前だと思われることさえ、彼は主に伺ったのです。彼はいつも、自分の前に主を置いていたのです。

 

すると、主はダビデに言われました。「攻め上れ。わたしは必ず、ペリシテ人をあなたの手に渡すから。」この主の答えは、ダビデにとってどれほど心強かったことでしょう。主は必ず、ペリシテ人を彼の手に渡すと言われたのです。それでダビデは、バアル・ペラツィムにやって来て、彼らを討ちました。そのときダビデはこう言いました。「主は、水が破れ出るように、私の前で私の敵を破られた」。それで、その場所の名は、「バアル・ペラツィム」と呼ばれるようになりました。意味は、「偶像が討ち破られた場所」です。ペリシテ人たちが置き去りにした偶像は、運ばれ、捨てられ、焼却されました。主が約束されたとおりに、圧倒的な勝利がもたらされたのです。

 

次に、22~25節までをご覧ください。「ペリシテ人は、またも攻め上り、レファイムの谷間を侵略した。ダビデが【主】に伺うと、主は言われた。「上って行くな。彼らのうしろに回り込み、バルサム樹の茂みの前から彼らに向かえ。バルサム樹の茂みの上で行進の音が聞こえたら、そのとき、あなたは攻め上れ。そのとき【主】はすでに、ペリシテ人の陣営を討つために、あなたより先に出ているからだ。」ダビデは【主】が彼に命じられたとおりにし、ゲバからゲゼルに至るまでのペリシテ人を討った。」

 

ペリシテ人たちは、またもレファイムの谷間から攻め上って来ました。執拗な攻撃です。悪魔の攻撃も、このように執拗です。一度勝利したらそれでおしまいというのではなく、何度も攻撃してきます。

ダビデはそれにどう対応したでしょうか。彼は再び主に伺いました。彼は、前回勝利したときと同じ戦略を実行しようとしませんでした。ここが、ダビデの偉大なところです。彼は再び主に伺いを立てました。彼は、戦略ではなく、主の臨在こそが勝利をもたらす秘訣であると知っていたのです。

 

すると、今度は前回とは全く違う戦略が示されました。上って行くのではなく、彼らのうしろに回り込み、バルサム樹の茂みの前から彼らに向かうようにと言われたのです。そして、バルサム樹の茂みの上で行進の音が聞こえたら、そのとき、攻め上るようにと言われたのです。そのとき主はすでに、ペリシテ人の陣営を討つために、ダビデの先に出ているからです。それでダビデは主が命じられたとおりにし、ゲバからゲゼルに至るまでのペリシテ人を討ったのです。

 

ダビデが二度目の戦いに勝利できたのは、彼が主の方法とタイミングに従ったからです。バルサム樹の茂みの上で行進の音が聞こえたら、その時に攻め上れ、というのは、それは主の軍勢がダビデの先に立って行進していることを暗示していました。その音を聞くまで待たなければなりませんでした。その音を聞いたとき、すなわち、主の軍勢が戦いのために行進するのを聞いたとき、彼は攻め上らなければなりませんでした。そのとおりにしたとき、ダビデは圧倒的な勝利を収めることができました。

 

これはビジョン2025に向かって進んでいる私にとって大きな示唆を与えてくれます。ビジョン2025とは、2025年までに新しい教会を生み出すというものですが、これまでのやり方ではだめです。これまでは真正面から攻め上って戦ってきました。でも今度は違います。今度は上って行くのではなく、彼らのうしろに回り込み、バルサム樹の茂みから彼らに向かわなければなりません。いつまでですか?そのサインは行進の音です。行進の音が聞こえたら、そのとき、攻め上ればいいのです。

 

皆さんはどうですか。「主の軍勢の行進の音」が聞こえるでしょうか。それとも、その時を待つべき時でしょうか。今がどのような時なのかを聞き分け、行動しなければなりません。主の戦いに勝利するには、主の方法とタイミングによらなければならないのです。私たちも主の時を見極めて、主の勝利を体験させていただきたいと思います。

Ⅱサムエル記4章

きょうは、Ⅱサムエル記4章から学びたいと思います。

 

Ⅰ.アブネル死後の全イスラエル(1-4)

 

まず、1-4節までをご覧ください。「サウルの子イシュ・ボシェテは、アブネルがヘブロンで死んだことを聞いて、気力を失った。全イスラエルもおじ惑った。サウルの子イシュ・ボシェテのもとに、二人の略奪隊の隊長がいた。一人の名はバアナ、もう一人の名はレカブといって、二人ともベニヤミン族のベエロテ人リンモンの息子であった。ベエロテもベニヤミンに属すると見なされていたのである。ベエロテ人はギタイムに逃げて、そこで寄留者となった。今日もそうである。さて、サウルの子ヨナタンに、足の不自由な息子が一人いた。その子が五歳のときのこと、サウルとヨナタンの悲報がイズレエルからもたらされ、彼の乳母は彼を抱いて逃げた。そのとき、あまりに急いで逃げたので、彼を落としてしまった。そのために足の萎えた者になったのであった。彼の名はメフィボシェテといった。」

 

サウルの子イシュ・ボシェテは、アブネルが死んだことを聞いて、気力を失いました。イシュ・ボシェテを王とし、サウルの家の軍隊を動かしてきたのは、このアブネルだったからです。そのアブネルが死んだことで、サウルの家は大黒柱を失ってしまいました。気力を失ったのはイシュ・ボシェテだけではありません。全イスラエルがそうでした。ここに「全イスラエルもおじ惑った」とあるように、全イスラエルもうろたえたわけです。こうして、サウルの家は崩壊寸前の状態になったのです。

 

2節には、イシュ・ボシェテのもとに、二人の略奪隊の隊長がいた、とあります。一人の名はバアナで、もう一人の名はレカブです。「バアナ」という名前の意味は「悩みの子」、「レカブ」は「騎兵団」です。彼らはサウルと同じベニヤミン族ベエロテ人リンモンの息子たちでした。どうしてここに彼らのことが書かれてあるのかというと、彼らは、アブネルの死をきっかけに陰謀を企てていたからです。それは、この後のところを見るとわかりますが、イシュ・ボシェテを取り除くことで自分たちが利益を得ようとしていたのです。

 

その前に4節をご覧ください。ここには、サウルの子ヨナタンに、足の不自由な息子が一人いたことが記されてあります。誰ですか?そうです、メフィボシェテです。どうしてここに彼のことが記されてあるのでしょうか。それは、イシュ・ボシェテが退けられたとしたら、サウルの家には彼しか残らなかったからです。彼はサウルの孫にあたります。しかし、彼は両足に障害を持っていました。サウルとヨナタンがペリシテ人との戦いにおいてイズレエルで殺された時、彼の乳母が彼を抱いて逃げたのですが、あまりに急いで逃げたため、不注意から彼を落としてしまったのです。そのために足がなえた者となってしまいました。つまり、彼が王位に就く可能性はなくなってしまったわけです。ということは、実質的に残されていたのはイシュ・ボシェテだけということになります。このイシュ・ボシェテを取り除くことができれば、ダビデが統一王国の王となる日が近づくことになります。そのために荷担したのがバアナとレカブだったのです。しかしダビデはあくまでも神の方法によって、神が定めた時に王になろうと決めていました。そのようにして王になることを求めていなかったのです。

 

それは、ダビデがこの後でヨナタンの子メフィボシェテをどのように扱ったかを見るとわかります。彼はメフィボシェテがヨナタンの息子であるという理由で、彼を厚遇するようになります。Ⅱサムエル9:7には、「ダビデは言った。「恐れることはない。私は、あなたの父ヨナタンのゆえに、あなたに恵みを施そう。あなたの父祖サウルの地所をすべてあなたに返そう。あなたはいつも私の食卓で食事をすることになる。」とあります。ここに「あなたの父ヨナタンのゆえに」とありますが、これはかつて彼がヨナタンと交わした友情の契約のゆえにということです。その契約とは、ヨナタンが自らの危険を冒してでもダビデを無事に逃がすという代わりに、彼の恵みをヨナタンの家からとこしえに断つことがないようにというものでした(Ⅰサムエル20:14~16)が、ダビデはその通りに行うのです。

 

ここにダビデの信仰を見ます。自分の思いではなくあくまでも主に従うという姿勢です。それがどのようになるにせよ、神に信頼し、神の方法で、神の定めた時を待っていたのです。箴言19:21には、「人の心には多くの思いがある。しかし、主の計画こそが実現する。」とあります。その主の計画、主のはかりごとを待ち望む者でありたいと思います。

 

Ⅱ.レカブとバアナの蛮行(5-8)

 

5~12節までをご覧ください。「さて、ベエロテ人リンモンの子のレカブとバアナが、日盛りのころ、イシュ・ボシェテの家にやって来た。そのとき、イシュ・ボシェテは昼寝をしていた。彼らはやって来て、小麦を扱う者として家の中まで入り込み、彼の下腹を突いた。レカブとその兄弟バアナは逃げた。すなわち、彼らが家に入ったとき、イシュ・ボシェテが寝室の寝床で寝ていたので、彼らは彼を突き殺して首をはねた。彼らはその首を持って、一晩中アラバへの道を歩いて行った。彼らはイシュ・ボシェテの首をヘブロンのダビデのもとに持って来て、王に言った。「ご覧ください。これは、あなたのいのちを狙っていたあなたの敵、サウルの子イシュ・ボシェテの首です。【主】は今日、わが主、王のために、サウルとその子孫に復讐されたのです。」」

 

それで、レカブとバアナはどうしたでしょうか。5~7節をご覧ください。彼らは、日盛りのころ、イシュ・ボシェテの家にやって来て、彼の下腹を突いて首をはねました。「日盛りのころ」とは「お昼ころ」という意味です。暑い地方では、日盛りのころは昼寝をするのが習慣で、イシュ・ボシェテも昼寝をしていましたが、彼らは、小麦を扱う者であることを装い家の中まで入り込むと、昼寝をしていたイシュ・ボシェテの下腹を突いて殺したのです。それで彼らはどうしたでしょうか。彼らはその首を持って、一晩中アラバへの道を歩いて行きました。すなわち、イシュ・ボシェテの首を、ヘブロンのダビデのもとに持って行ったのです。いったいン彼らはなぜこんなことをしたのでしょうか。

 

8節をご覧ください。彼らはダビデのもとにやって来て、こう言いました。「ご覧ください。これは、あなたのいのちを狙っていたあなたの敵、サウルの子イシュ・ボシェテの首です。主は今日、わが主、王のために、サウルとその子孫に復讐されたのです。」

彼らのこの言葉には、このことをダビデが喜ぶと堅く信じていたことが伺えます。当然、何らかのほうびがもらえるものと期待していたでしょう。

 

Ⅲ.ダビデの対応(9-12)

 

それに対して、ダビデは何と言ったでしょうか。ダビデにこう言いました。9~11節です。「主は生きておられる。主は私のたましいを、あらゆる苦難から贖い出してくださった。かつて私に『ご覧ください。サウルは死にました』と告げて、自分では良い知らせをもたらしたつもりでいた者を、私は捕らえて、ツィクラグで殺した。それが、その良い知らせへの報いであった。まして、この悪者どもが、一人の正しい人を家の中で、しかも寝床の上で殺したとなれば、私は今、彼の血の責任をおまえたちに問い、この地からおまえたちを除き去らずにいられようか。」

 

ダビデはこのような蛮行を歓迎するような人物ではありませんでした。かつて彼は、サウルの王冠と腕輪を持ってサウルの死を告げ知らせに来たアマレク人を処罰したことがありました(1章)が、今回はもっとひどいものでした。一人の正しい人を家の中で、しかも寝床の上で殺したのです。であれば、彼らがその血の責任を負うのは当然のことです。そこでダビデは、若者たちに命じて、彼らを処刑しました。ただ処刑しただけではありません。彼らの遺体は、手と足が切り離され、ヘブロンの池のほとりで木に吊るされたのです。しかし、イシュ・ボシェテの首は、ヘブロンにあるアブネルの墓に丁重に葬られました。

 

ここから、ダビデがどういう人物であったかがわかります。ダビデは徹底してすべてを主にゆだねていました。1章においては、自分のいのちを狙っていたサウルの死でさえ喜ぶどころか、むしろ深く痛み悲しみました。ここでもサウルの子イシュ・ボシェテの死が死んだとき、それを喜ぶどころか、不当な手段でイシュ・ボシェテを殺したレカブとバアナを厳しく処罰しました。ダビデは、自分が手を下さなくても主が正しくさばいてくださると信じていたのです。それなのに、彼らは自分の利益を考え、自分の手を下してしまいました。それはダビデが願っていたこととは全く違っていました。ダビデは、あくまでも主のみこころを求めていたのです。

 

それは、9節を見てもわかります。ここで彼は、「主は生きておられる。主は私のたましいを、あらゆる苦難から贖い出してくださった。」と告白しています。預言者サムエルから油を注がれ、王となるとの預言を受けてからそれが実現するまでに、実にさまざまな苦難がありました。しかし、それがどのような苦難であっても、主はあらゆる苦難から彼を救い出してくださいました。これが彼の信仰です。彼は主がどのような方であるのかを体験として知っていたのです。それはこれからも同じです。これから先も幾多の苦難が待ち構えているでしょう。しかしそれがどんな苦難であっても、主は必ず救い出してくださるという信仰の確信がありました。それゆえ、自分から手を下す必要はなかったのです。彼は、神が用意された方法で、神のみこころなら、あのことをしよう、このことをしようと、すべてを神にゆだね、神のみこころに歩もうとしたのです。

 

これはクリスチャンである私たちにも言えることです。私たちも、日々の生活の中で困難に直面すると、ついつい自分の思いで動いてしまいますが、すべてを神にゆだね、神の解決と神の救いを待ち望みながら歩んでいかなければなりません。「主は生きておられる。主は私のたましいを、あらゆる苦難から贖い出してくださった。」この主は、これからも同じです。この主に信頼して、主のみこころを知り、みこころに歩んでいきたいと思います。

Ⅱサムエル記3章

今日は、Ⅱサムエル3章から学びたいと思います。

 

Ⅰ.ダビデの息子たち(1-5)

 

まず、1-5節までをご覧ください。「サウルの家とダビデの家の間には、長く戦いが続いた。ダビデはますます強くなり、サウルの家はますます弱くなった。ダビデにはヘブロンで子が生まれた。長子はイズレエル人アヒノアムによるアムノン。次男はカルメル人ナバルの妻であったアビガイルによるキルアブ。三男はゲシュルの王タルマイの娘マアカの子アブサロム。四男はハギテの子アドニヤ。五男はアビタルの子シェファテヤ。六男はダビデの妻エグラによるイテレアム。これらの子がヘブロンでダビデに生まれた。」

 

サウルの家とダビデの家の間には、長く戦いが続きました。しかし、ダビデはますます強くなり、サウルの家はますます弱くなりました。その結果、6節以降にあるように、サウルの家の将軍アブネルは、ダビデに和解を申し出るようになります。その前に、ダビデがヘブロンにいる間に生まれた子どもたちの名前が列挙されています。ダビデには6人の息子たちが生まれました。長男はイズレエル人アヒノアムが産んだアムノン、次男はカルメル人アビガイルが産んだギルアブ、三男がゲショルの王タルマイの娘マテカの娘アブシャロム、四男はハギテの子アドニヤ、五男はアビタルの子シェファテヤ、六男がダビデの妻エグラによるイテレアムです。

 

ここで問題になるのは、これら6人の息子たちが、それぞれ別々の母親から産まれていることです。ダビデは以前より妻としていたアヒノアムとアビガイル以外にも、多くの女を妻としていたのです。そして、彼が後にエルサレムに行ってからも、さらに妻を加えるのですが、その結果、家庭内に多くの問題を抱えることになります。後に、アムノンはアブシャロムの妹タマルに恋して悩み、タマルを犯してしまいます。その後、アムノンはタマルに対して激しい憎しみにかられ彼女を追い出してしまいますが、それが原因となって兄アブシャロムがアムノンを殺害するという事件が起こるのです。ここからダビデとアブシャロム親子の葛藤劇が始まります。その原因を作ったのは、ダビデ自身でした。申命記17:17にはモーセを通して「王は、自分のために多くの妻を持って、心がそれることがあってはならない。自分のために銀や金を過剰に持ってはならない。」という律法がありますが、彼はその戒めを守らなかったからです。

 

ダビデも完璧な人間ではありませんでした。ダビデのように神に用いられた器であっても、間違いを犯すことがあるのです。そして、神の御心にかなわない行動をすれば、その刈り取りもすることになります。確かに、当時は王が権力を持つために結婚が利用されることがありました。いわゆる政略結婚です。相手の国と良い関係を持ち、互いに戦うことがないようにするために、その王の娘と結婚して縁戚関係を結ぶのです。しかし、たとえそうであっても、神のみことばに立たなければなりません。人を恐れるとわなにかかります。しかし、主に信頼する者は守られます。人との関係よりも神との関係を優先し、神の御心にしっかりと立つことが求められます。

 

Ⅱ.アブネルの死(6-30)

 

次に、6~30節までを見ていきたいと思います。まず11節までをご覧ください。「サウルの家とダビデの家が戦っている間に、アブネルがサウルの家で勢力を増していた。サウルには、アヤの娘で、名をリツパという側女がいた。イシュ・ボシェテはアブネルに言った。「あなたはなぜ、私の父の側女と通じたのか。」アブネルはイシュ・ボシェテのことばを聞くと、激しく怒って言った。「この私がユダの犬のかしらだとでも言うのか。今日、私はあなたの父サウルの家と、その兄弟と友人たちに真実を尽くして、あなたをダビデの手に渡さないでいる。それなのに今日、あなたは、あの女のことで私をとがめるのか。【主】がダビデに誓われたとおりのことを、もし私がダビデのために果たさなかったなら、神がこのアブネルを幾重にも罰せられるように。それは、サウルの家から王位を移し、ダビデの王座を、ダンからベエル・シェバに至るイスラエルとユダの上に堅く立てるということだ。」イシュ・ボシェテはアブネルを恐れていたので、彼に、もはや一言も返すことができなかった。」

 

サウルの家とダビデの家が戦っている間に、将軍アブネルがサウルの家で勢力を増していました。彼はサウルの息子イシュ・ボシェテを王に立てイスラエル王国の確立を図り、自らを将軍としていました。本当は自らが王になりたかったのでしょう。この後に起こった事件の時に、彼がイシュ・ボシェテに発した言葉からそのことを垣間見ることができます。

 

サウルには、アヤの娘で、リツパというそばめがいましたが、アブネルは彼女と通じたのです。するとイシュ・ボシェテはそのことでアブネルをとがめました。それは単に性的な関係を持ったということではなく、別のことを意味していたからです。当時の中近東では、新しく王になった者は、以前の王のそばめのところに入ることによって、自分が王権を奪い取ったことを人々に示したのです。つまり、アブネルがサウルのそばめに入ったということは、自分が王となったことを宣言しているようなものだったのです。ですから、イシュ・ボシェテが恐れたのは、アブネルが権力を増していったことだったのです。

 

それに対してアブネルは、異常なほど感情的な反応を示しました。彼は激怒し、今まで自分は忠誠の限りを尽くしてきたのになぜ自分を責めるのかと反論しました。さらに、これを契機に、ダビデ支持に回ると宣言しました。彼は知っていたのです。ダビデが神によって選ばれた王であるということを。しかし、彼はイシュ・ボシェテを王に立てて、神が言われたことに反発していました。しかし、イシュ・ボシェテからとがめられたときそれをきっかけに、神の御心に従おうと思ったのです。イシュ・ボシェテは、アブネルのあまりの剣幕に、それ以上一言も言い返すことができませんでした。

 

このアブネルの中に、罪人の典型的な姿が見られます。彼は自分の非を責められると激怒し、自分に都合の良いように方針を変更しました。そもそもイシュ・ボシェテを擁立したのも自分の益になると判断したからです。しかし、それがうまくいないと、今度は簡単に方針を変更しました。彼の行動の動機は、自分の益になるかどうかということでした。私たちは改めてイエス様がゲッセマネの園で祈られた祈りを思い出します。イエス様は、「私の願いではなく、あなたのみこころがなりますように」(ルカ22:42)と祈られました。私たちもイエス様のように、「私の思いではなく、あなたのみこころが成りますように」と祈りたいと思います。

 

次に12~21節をご覧ください。「アブネルはダビデのところに使者を遣わして言った。「この国はだれのものでしょうか。私と契約を結んでください。ご覧ください。私は全イスラエルをあなたに移すのに協力します。」ダビデは言った。「よろしい。あなたと契約を結ぼう。しかし、条件が一つある。それは、あなたが私に会いに来るときは、まずサウルの娘ミカルを連れて来ること、そうでなければ私に会えないということだ。」ダビデはサウルの子イシュ・ボシェテに使者を遣わして言った。「私がペリシテ人の陽の皮百をもってめとった、私の妻ミカルを返していただきたい。」イシュ・ボシェテは人を遣わして、彼女をその夫、ライシュの子パルティエルから取り返した。彼女の夫は泣きながら彼女の後を追ってバフリムまで来たが、アブネルが「行け。帰れ」と言ったので、彼は帰った。アブネルはイスラエルの長老たちと話してこう言った。「あなたがたは、かねてから、ダビデを自分たちの王とすることを願っていた。今、それをしなさい。【主】がダビデについて、『わたしのしもべダビデの手によって、わたしはわたしの民イスラエルをペリシテ人の手、およびすべての敵の手から救う』と言われたからだ。」アブネルはまた、ベニヤミン人とじかに話し合った。それから、アブネルはまた、ヘブロンにいるダビデのところへ行き、イスラエルとベニヤミンの家全体が良いと思っていることを、すべて彼の耳に入れた。アブネルは二十人の部下とともにヘブロンのダビデのもとに来た。ダビデはアブネルとその部下のために祝宴を張った。アブネルはダビデに言った。「私は、全イスラエルをわが主、王のもとに集めに出かけます。彼らがあなたと契約を結び、あなたが、お望みどおりに王として治められるようにいたしましょう。」ダビデはアブネルを送り出し、アブネルは安心して出て行った。」

 

早速、アブネルはダビデに使者を遣わし、契約を結ぶことにしました。全イスラエルをダビデの支配下に移すのに協力すると約束したのです。

ダビデはその申し出を受け入れ契約を結ぼうとしましたが、そのために一つの条件を提示しました。それは、サウルの娘ミカルを連れて来るということでした。ミカルは元々ダビデの妻でしたが、サウルがダビデのことをますます妬ましく思うようになると、彼女を他の男に与えて、ダビデから取り上げてしまったのです。そこでダビデは今、そのミカルを返してくれるように要求したのです。もしミカルが子を産むなら、その子はダビデの家とサウルの家を和解させる人物になるでしょう。まさに平和の子となります。

ダビデのこの願いはイシュ・ボシェテを通して実行に移され、ミカルは別れを惜しむ夫パルティエルからダビデのもとに返されました。ここには「その夫」とありますが、元々はダビデが夫であって、その婚姻関係は解消されてはいなかったので、法的にはまだダビデが正当な夫です。

 

ダビデを全イスラエルの王とするのにあたり、アブネルはイスラエルの長老たちと話をして説得しました。実は、イスラエルの長老たちもダビデを自分たちの王とすることを望んでいました。歴代誌を見ると、ユダ族以外のイスラエルの部族が、次第にダビデになびいていく様子が描かれています。自然にダビデを王とする方向へと向かっていたのです。主がダビデを選ばれ、そして主がイスラエル全体を動かしておられたことがわかります。人は、神の計画に反対するようなことをしますが、そのような人間の試みが空しいことを教えてくれます。御霊の働きによって、主の計画だけが成るのです。

 

アブネルは、ダビデを全イスラエルの王としても良いという約束を取り付けると、20人の部下を引き連れてヘブロンにいるダビデのもとに行き、そのことを伝えました。するとダビデはアブネルを歓迎して祝宴を張りました。それは、ダビデがアブネルの提案を受け入れたということです。身の安全を保証されたアブネルは、安心して帰路に着きました。

 

ダビデは実に平和の人でした。イスラエル王国が弱体化しているなら、武力を行使することもできたはずです。また、ヘブロンに来た敵方の将軍アブネルを暗殺することもできました。しかし彼は、血を流すことを避け、平和の道を選びました。これが、クリスチャンが追い求める道です。へブル14:12には「すべての人との平和を追い求め、また、聖さを追い求めなさい。」とあります。ローマ14:19には「ですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つことを追い求めましょう。」とあります。クリスチャンが追い求めなければならないのはすべての人との平和です。確かにダビデは主が戦うようにと命じられた時は必死に戦いましたが、そうでない時は血を流すことを避けました。私たちは、互いに平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つことを求める者でありたいと思います。

 

22~30節をご覧ください。そうしたダビデの思いとは裏腹に、乱暴で、血を流すのに早い者たちの姿を見ます。ヨアブです。「ちょうどそこへ、ダビデの家来たちとヨアブが略奪から帰り、たくさんの分捕り物を持って来た。しかし、アブネルはヘブロンのダビデのもとにはいなかった。ダビデがアブネルを送り出し、もう安心して出て行っていたからである。ヨアブと、彼とともにいた軍勢がみな帰って来たとき、「ネルの子アブネルが王のところに来たが、王がアブネルを送り出したので、彼は安心して出て行った」とヨアブに知らせる者があった。ヨアブは王のところに来て言った。「何ということをなさったのですか。ご覧ください。アブネルがあなたのところに来たのです。なぜ、彼を送り出して、出て行くままにされたのですか。あなたはネルの子アブネルのことをご存じのはずです。彼はあなたを惑わし、あなたの動静を探り、あなたのなさることを残らず知るために来たのです。」ヨアブはダビデのもとを出てから使者を遣わし、アブネルの後を追わせ、彼をシラの井戸から連れ戻させた。しかし、ダビデはそのことを知らなかった。アブネルはヘブロンに戻った。ヨアブは彼とひそかに話そうと、彼を門の内側に連れ込み、そこで彼の下腹を刺した。こうして、アブネルは、彼がヨアブの弟アサエルの血を流したことのゆえに死んだ。 後になって、ダビデはそのことを聞いて言った。「ネルの子アブネルの血については、私も私の王国も、【主】の前にとこしえまで潔白である。その血は、ヨアブの頭と彼の父の家の全員に降りかかるように。またヨアブの家には、漏出を病む者、皮膚をツァラアトに冒される者、糸巻きをつかむ者、剣で倒れる者、食に飢える者が絶えないように。」ヨアブとその兄弟アビシャイがアブネルを殺したのは、アブネルが彼らの弟アサエルをギブオンでの戦いで殺したからであった。」

 

ちょうどそこへ、ダビデの家来たちとヨアブが略奪から帰り、たくさんの分捕り物を持って来ました。しかし、アブネルはヘブロンのダビデのもとにはいなかったので、アブネルとその軍勢が来たことを知りませんでした。そのことがヨアブの耳に入ったとき、彼は激怒し、ダビデのところに行って抗議しました。その内容は、アブネルが来たのはダビデの動静を探るためであったのに、なぜおめおめと彼を送り出してしまったのかということでした。でも本当の理由は、もしアブネルがダビデに気にいられたら将軍としての自分の地位が危うくなるからであり、また、弟のアサエルが彼によって殺されたので、個人的な恨みがあったからです。このとき、ダビデがどのように応答したかは書いてないのでわかりませんが、恐らくまともに取り合おうとせず、無視したのではないかと思われます。

 

ヨアブは直ちに使者たちを遣わしアブネルの後を追わせ、ダビデには秘密に彼をヘブロンに連れ戻し、彼の下腹を刺して殺害しました。ヨアブにとってこれは弟アサエルが殺されたことへの復讐でした。しかし、これはそれ以上の悪行でした。というのは、アサエルの死は戦場での戦死でしたが、アブネルの死は陰謀による死であったからです。両者の死の内容は明らかに異なりました。ヨアブのやり方は、当然責められるべきものです。

 

また、この悲惨な事件が起こったのはヘブロンという町でのことでしたが、このヘブロンはイスラエルに6つあった「のがれの町」の一つでした。本来なら、このような復讐による殺害から逃れるために設けられた町なのに、その町で暗殺事件が起こってしまったのです。この「のがれの町」は、イエス・キリストを予表していました。地上ののがれの町は完璧な安全を保証してくれるものではありませんが、私たちの救い主イエスは、確かな御手をもって私たちを守ってくださいます。この「のがれの町」に逃げ込むことこそが、私たちに真の慰めと平安をもたらしてくれるのです。それなのに、この「のがれの町」で、このような悲惨な事件が起こったのです。

 

これを聞いたダビデは、このことについては自分と自分の王国も、主の前にとこしえに潔白であることを主張し、その血はヨアブとその家に降りかかるようにと祈りました。また、ヨアブの家には、漏出を病む者、重い皮膚病に冒される者、糸巻をつかむ者、剣で倒れる者、食に飢える者が絶えないようにと祈りました。「糸巻きをつかむ者」とは、「糸巻き」が女性の仕事とされていたことから、女性の仕事しかできない男になるように、すなわち、戦うことができない軟弱な男になるようにという意味です。たとえ剣を手にすることができても、それは必ずしも戦うことができるということではありません。武器を手にすることだけが男らしさではないからです。いずれにせよ、ここでダビデが祈ったのは、そうした呪いがヨアブの家にあるようにということです。彼がやったことは単なる人殺しではなく、悪質な人殺しだったからです。アブネルは残忍な男でした。そういう意味では、彼の死は神の裁きであったとも言えます。と同時に、このヨアブの残忍な行為もまた裁かれるべきものだったのです。

 

このダビデの祈りは、ダビデの死後成就することになります。Ⅰ列王記2:28~34をご覧ください。ソロモンはエホヤダの子ベナヤを遣わし、主の天幕のかたわらで彼を打ち殺しました。それはアブネルを虐殺した報いです。神をあなどってはなりません。罪の行為がそのまま見過ごされることはないのです。私たちは、ヨアブのように乱暴で、すぐに暴力を振るう者ではなく、ダビデのように義と平和を求める者となりましょう。

 

Ⅲ.ダビデの悲しみ(31-39)

 

最後に31~39節までを見て終わりたいと思います。「ダビデは、ヨアブと彼とともにいたすべての兵に言った。「あなたがたの衣を引き裂き、粗布をまとい、アブネルの前で悼み悲しみなさい。」そして、ダビデ王は棺の後をついて行った。彼らはアブネルをヘブロンに葬った。王はアブネルの墓で声をあげて泣き、民もみな泣いた。王はアブネルのために哀歌を歌った。「愚か者が死ぬように、アブネルは死ななければならなかったのか。あなたの手足は縛られず、かせにもつながれずに。不正な者の前に倒れるように、あなたは倒れてしまったのか。」民はみな、さらに続けて彼のために泣いた。民はみな、まだ日のあるうちにダビデに食事をとらせようとしてやって来たが、ダビデはこう誓った。「もし私が、日の沈む前に、パンでもほかの何でも口にすることがあれば、神がこの私を幾重にも罰せられますように。」民はみな、そのことを認めて、それで良いと思った。王のしたことはすべて、民を満足させた。民はみな、そして全イスラエルは、その日、ネルの子アブネルを殺したのは、王から出たことではないことを知った。王は自分の家来たちに言った。「今日、イスラエルで一人の偉大な軍の将が倒れたのを知らないのか。この私は油注がれた王であるが、今日の私は無力だ。ツェルヤの子であるこれらの者たちは、私にとっては手ごわすぎる。【主】が、悪を行う者に、その悪にしたがって報いてくださるように。」

 

アブネルが死ぬと、ダビデは、その死を悼み悲しみました。彼は、ヨアブと彼ともにいたすべての兵に、衣を引き裂き、粗布をまとい、アブネルの前で悼み悲しむように、と命じました。また、自分が先頭に立って、その亡骸をヘブロンに葬りました。そして、アブネルの墓で声をあげて泣いたのです。さらに彼は、アブネルのために哀歌を歌いました。この中でダビデは、アブネルが愚かな者ではなかったこと、手足を縛られた囚人でもなかったこと、それなのに不正な者の手によって倒れたと言っています。

さらにダビデは、日没まで断食しました。民はみな、まだ日があるうちにダビデに食事をとらせようとしましたが、ダビデは、「もし私が、日の沈む前に、パンでもほかの何でも口にすることがあれば、神がこの私を幾重にも罰せられますように。」と言って、一切食べようとしませんでした。

 

このようにしてダビデは、つい最近まで敵であったアブネルの死を悼み悲しんだのです。民はそれを見てどう思ったでしょうか。36節をご覧ください。ここには「民はみな、そのことを認めて、それで良いと思った。王のしたことはすべて、民を満足させた。」とあります。そして、民はみな、それがダビデから出たことではないことをはっきりと知ったのです。ここに、ダビデの知恵があります。上に立つ者は、常に不義に対する怒りと、いのちに対する敬意とを持つ必要があります。ダビデのこの態度は、彼が王にふさわしい人物であることを民全体に認めさせる結果となったのです。

 

ダビデは自分の家来たちに、自分の無力さを漏らしています。ヨアブに対して見せしめ的なことはしましたが、それ以上のことはできなかったからです。本来なら彼を将軍の地位から退けるべきでした。しかし、そのようなことをすれば将来に禍根を残すことになります。それで彼はどうしたかというと、この件に関して主ご自身が介入してくださり、その悪にしたがって報いてくださるようにと祈りました。彼は自分ではどうすることもできないことは、すべて主にゆだねたのです。主が何とかしてくださるという信仰です。私たちの生活の中には、自分ではどうすることもできないことばかりです。でも、神にはどんなことでもおできになります。その神にすべてをゆだねればいいのです。ダビデはまさにどうしようもない自分の無力さを前に、そのすべてを主なる神にゆだねたのです。

Ⅱサムエル記2章

サムエル記第二から学んでいます。今日は、2章から学びたいと思います。

 

Ⅰ.ヘブロンで王として即位したダビデ(1-4a)

 

まず、1-4節前半までをご覧ください。「この後、ダビデは【主】に伺った。「ユダの町のどれか一つへ上って行くべきでしょうか。」【主】は彼に「上って行け」と言われた。ダビデは、「どこに上ればよいでしょうか」と聞いた。主は「ヘブロンに」と言われた。ダビデは、二人の妻、イズレエル人アヒノアムと、カルメル人ナバルの妻であったアビガイルと一緒に、そこに上って行った。ダビデは、自分とともにいた人々を、その家族ごと連れて上った。彼らはヘブロンの町々に住んだ。ユダの人々がやって来て、そこでダビデに油を注ぎ、ユダの家の王とした。」

 

「この後」とは、サウルとヨナタンが死んだ後ということです。ダビデは主に伺いを立てました。「ユダの町のどれか一つに上って行くべきでしょうか。」と。彼は今ペリシテ人の町ツィクラグにとどまっていましたが時期イスラエルの王として選ばれていましたので、サウルが死んだ今次の行動に移る必要がありました。かといって、自分で勝手に判断して動くようなことをしませんでした。どのようにすべきかを求めて、主に伺いを立てたのです。ここにダビデの信仰のすばらしさを見ることができます。自分が次の王であるということがわかっていれば、すぐにでも出て行ってそれを示そうと思いたいところを彼はそのようにはせず、あくまでも主のみこころを求めて祈りました。自分で判断して勝手に動くのではなく、主のみこころを求めたのです。それは私たちの信仰の模範です。私たちはすぐに自分の思い付きや考えで動こうとしますが、まずは神のみこころを求めて祈らなければなりません。

 

おそらくダビデは、ウリムとトンミムによってみこころを求めたでしょう。しかしそれは「イエス」か「ノー」の答えでしか返ってこなかったので、何度も主に伺う必要がありました。彼はまずユダの町のどれか一つに上って行くべきでしょうかと尋ねると、主は「上って行け」と言われたので、次に、では「どこに上って行けばよいでしょうか」と尋ねました。すると、主の答えは「ヘブロンに」でした。なぜヘブロンだったのでしょうか。巻末のイスラエルの地図をご覧いただくと、ヘブロンはユダ部族の中にあって、その中心に位地しているのがわかります。そして、イスラエル民族の父祖アブラハムの墓がある所です。そこでダビデは、二人の妻イズレエル人アヒノアムと、カルメル人ナバルの妻であったアビガイルと一緒に上って行き、そこに住みました。

 

すると、ユダの人々がやって来て、ダビデに油を注ぎ、ユダの家の王としました。これは、預言者サムエルによって油を注がれた時に続く二回目の油注ぎでした(Ⅰサムエル16:13)。しかし、これはあくまでもユダの家における王であって、彼がイスラエル全家の王となるのはまだ先のことです。

この時ダビデは30歳になっていました。サムエルによって油注がれ主の霊の注ぎを受けたのは、彼がまだ幼い少年の時でした。あれから十数年が経ち、あの神の約束が今、実現しようとしていました。このように見ると、神のみわざは一朝一夕で成し遂げられるものではありません。それまで長い間待たなければなりませんでした。そこには多くの困難もありました。しかし、そのような経験を通して神は彼の信仰を養い、人格を磨き、ご自身の器として用いられるように整えてくださったのです。そのためには忍耐が必要でした。

それは、私たちにも言えることです。へブル10:36には「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐です。」とあります。神のみわざは一朝一夕では成し遂げられません。最後まであきらめないで待つことが求められます。教会の建て上げは、まさにそうです。特に日本ではまだその時は来ていません。神の時が来て、人々がこぞって主を求めるようになるまで、忍耐しなければなりません。先ほどお読みしたヘブル10:36の後に何と書いてあるかご存知ですか。こうあります。「もうしばららくすれば、来るべき方が来られる。送れることはない。わたしの義人は信仰によって生きる。もし恐れ退くなら、わたしの心は彼を喜ばない。」(ヘブル10:37-38)すばらしい約束ではありませんか。ですから、私たちは恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者でありたいと思います。

 

Ⅱ.ヤベシュ・ギルアデの人々(4b-7)

 

次に、4節後半から7節までをご覧ください。「ヤベシュ・ギルアデの人々がサウルを葬ったことが、ダビデに知らされたとき、ダビデはヤベシュ・ギルアデの人々に使者たちを遣わし、彼らに言った。「あなたがたが【主】に祝福されるように。あなたがたは、あのような真実を尽くして主君サウルを葬った。今、【主】があなたがたに恵みとまことを施してくださるように。あなたがたがそのようなことをしたので、この私もあなたがたに善をもって報いよう。今、強くあれ。勇気ある者となれ。あなたがたの主君サウルは死んだが、ユダの家は私に油を注いで、自分たちの王としたからだ。」」

 

ヤベシュ・ギルアデの人々のことについて記されてあります。ヤベシュ・ギルアデの人々がサウルを葬ったということが、ダビデに知らされたとき、ダビデはヤベシュ・ギルアデの人々に使者たちを遣わし、彼らを祝福しました。ヤベシュ・ギルアデの人々は、サウルが死んだ後、ペリシテ人が彼の死体をベテ・シャンの城壁にさらしたことを聞いたとき、ヨルダンの東側の地から長い距離を夜通し歩いて、勇気をもってその地域に入り、サウルとヨナタンの死体を取って自分たちのところに運び、そこで丁重に火葬にして葬ったからです。なぜ彼らはそんなことをしたのですか?私たちは既にその学びました。Ⅰサムエル記11章でしたね。アンモン人ナハシュが彼らに攻め入った時、彼らはナハシュに和解を申し入れましたが、ナハシュは一つの条件を提示しました。どんな条件でしたか?なんと彼らの右の目をえぐり取るということでした。そうすれば和解してもいい、と言ったのです。それを聞いたヤベシュ・ギルアデの人たちは嘆き悲しみイスラエルの国中に使いを送って助けを求めたとき、立ち上がったのがサウルだったのです。サウルは主の霊によってアンモン人を討ち破り、ヤベシュ・ギルアデの人たちを救ったのです。彼らはそのサウルの恩を忘れずそれに応じたのです。主に油注がれた主君サウルに対する彼らの態度は実に立派でした。そこでそのことを聞いたダビデは、そんな彼らの行為を取り上げて賞賛したのです。事実、このヤベシュ・ギルアデは北イスラエルの10部族に属する町で、本来ならヘブロンを拠点とするユダとは敵対関係にありましたが、ダビデはそんな彼らに善をもって報いたのです。

 

このように、主の恵みに対して真実な態度で応答することは大切なことです。そのような人はヤベシュ・ギルアデの人たちのように、主から恵みを受けるのです。

ダビデの先祖の中にも、その真実さのゆえに祝福を受けた女性がいます。ルツです。彼女はモアブ人でしたが、ナオミの神、主を信じ、ナオミとともにベツレヘムにやって来て彼女に真実な態度で仕えたので、神は彼女を祝福してくださいました。そこでボアズと出会い、彼と結婚することができただけでなく、やがてその子孫からダビデが生まれ、その系図から救い主が誕生するという救いの系図の中に組み込まれたのです。真実に生きる人こそ、神から祝福を受ける人なのです。

 

Ⅲ.イシュ・ボシェテの即位(8-11)

 

次に、8~11節までをご覧ください。「一方、サウルの軍の長であったネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェテを連れてマハナイムに行き、彼をギルアデ、アッシュル人、およびイズレエル、そしてエフライムとベニヤミン、すなわち全イスラエルの王とした。サウルの子イシュ・ボシェテは、四十歳でイスラエルの王となり、二年間、王であった。しかし、ユダの家だけはダビデに従った。

2:11 ダビデがヘブロンでユダの家の王であった期間は、七年六か月であった。」

 

一方、サウルの軍の長であったネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェテを連れてマハナイムに行き、彼をギルアデ、アッシュル人、およびイズレエル、そしてエフライムとベニヤミン、すなわち全イスラエルの王としました。ペリシテ人との戦いにおいてサウルと3人の息子ヨナタン、アビナダブ・マルキ・シュアは、ギルボア山でペリシテ人に打ち殺されました(Ⅰサムエル31:2)が、イシュ・ボシェテは戦いに行かなかったので難を逃れていたのです。アブネルがイシュ・ボシェテを連れてマナハイムに行ったのは、そこがヨルダン川の東側にありペリシテ人の支配が及んでいなかったからでしょう。

 

これ以降、ダビデの家とサウルの家との間には、長い間戦いが生じることになります。サウルの子イシュ・ボシェテは、40歳でイスラエルの王となり、2年間、王でした。しかし、ユダの家だけはダビデに従いました。ダビデがヘブロンでユダの家の王であった期間は、実に7年6か月に及びます。言い換えると、彼がイスラエルの統一王国の王になるのには、さらに7年半もかかったということです。これはダビデに忍耐が求められたというだけでなく、彼がイスラエルの有能な王として立てられるために必要な神のご計画でもありました。

 

ダビデは、メシヤであられるイエス・キリストの型です。イエスは父なる神からメシヤとしての油注ぎを受けていましたが、イスラエルの民はそれを認めようとしませんでした。ダビデも同じです。彼はイスラエルの王として油注ぎを受けていましたが、イスラエルの民はそれを認めませんでした。しかし、それでもイエスは私たちの救いに対する神のご計画を成し遂げるために、父なる神に従順に従われました。へブル5:7には「キリストは、肉体をもって生きている間、自分を死から救い出すことができる方に向かって、大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ、その敬虔のゆえに聞き入れられました。」とあります。ダビデも同じです。患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出します。この希望は、決して失望に終わることがありません。私たちもダビデのように、たとえ目の前に患難があっても忍耐し、その忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと信じて、神の御霊によって忍耐を身につけさせていただきましょう。忍耐は、まさに御霊によって結ぶことができる実なのです。

 

Ⅳ.イスラエルとユダの戦い(12-32)

 

次に、12~32節をご覧ください。ここにはイスラエルとユダの戦いの様子が記されてあります。まず16節までお読みします。「ネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェテの家来たちと一緒にマハナイムを出て、ギブオンへ向かった。一方、ツェルヤの子ヨアブも、ダビデの家来たちと一緒に出て行った。こうして彼らはギブオンの池のそばで出会った。一方は池の手前側に、もう一方は池の向こう側にとどまった。アブネルはヨアブに言った。「さあ、若い者たちを出し、われわれの前で闘技をさせよう。」ヨアブは言った。「よし、そうしよう。」ベニヤミンの側、すなわちサウルの子イシュ・ボシェテの側から十二人、ダビデの家来たちから十二人が順番に出て行った。彼らは互いに相手の頭をつかみ、相手の脇腹に剣を刺し、一つになって倒れた。それで、その場所はヘルカテ・ハ・ツリムと呼ばれた。それはギブオンにある。」

ネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェテの家来たちといっしょにマハナイムを出て、ギブオンへ向かいました。ユダの地を攻め取るためです。ギブオンはエルサレムの北西9.6㎞に位置するベニヤミンの領地にある町です。ります。そこは、サウルの生まれ故郷、出身地でした。

一方、ツェルヤの子ヨアブも、ダビデの家来たちといっしょに出て行きました。こうして両軍は、ギブオンの池のそばで出会い、にらみ合いが続きました。一方は池の手前側に、もう一方は池の向こう側にとどまりました。

するとアブネルからヨアブに提案が出されました。双方から若い者たちを出して、決闘させようというのです。それぞれ12人の代表戦士が出て、1対1で戦うのですが、ヨアブは愚かにもその提案を受け入れてしまいました。アブネルはこの決闘によって決着を付けようとしたのですが、結果、全面戦争に突入していくことになりました。彼らは互いに相手の頭をつかみ、相手の脇腹に剣を刺し、一つになって倒れました。それで、その場所はヘルカナ・ハ・ツリムと呼ばれるようになりました。意味は「剣の刃の野」です。相手の脇腹に剣を刺して、一つとなって共に倒れた野です。

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アブネルは、人の血を流すことを軽く考えていました。また、ヨアブもヨアブで、その提案を愚かにも受け入れてしまい、多くの血が流される結果となってしまいました。箴言11:17に「誠実な人は自分のたましいに報いを得るが、残忍な者は自分の身にわざわいをもたらす。」とありますが、まさに彼らはその報いを受けることになります。

 

17~24節をご覧ください。「その日、戦いは激しさを極め、アブネルとイスラエルの兵士たちは、ダビデの家来たちに打ち負かされた。そこに、ツェルヤの三人の息子、ヨアブ、アビシャイ、アサエルがいた。アサエルは野のかもしかのように、足が速かった。アサエルはアブネルの後を追った。右にも左にもそれずに、アブネルを追った。アブネルは振り向いて言った。「おまえはアサエルか。」彼は答えた。「そうだ。」 アブネルは彼に言った。「右か左にそれ、若い者の一人を捕らえ、その者からはぎ取れ。」しかしアサエルは、アブネルを追うのをやめず、ほかへ行こうとしなかった。アブネルはもう一度アサエルに言った。「私を追うのはやめ、ほかへ行け。なぜ、私がおまえを地に打ち倒さなければならないのか。どうやって、おまえの兄ヨアブに顔向けができるというのか。」アサエルはなおも拒んで、ほかへ行こうとしなかった。それでアブネルは、槍の石突きで彼の下腹を突いた。槍はアサエルを突き抜けた。アサエルはその場に倒れて、そこで死んだ。アサエルが倒れて死んだ場所に来た者はみな、立ち止まった。」

 

その日、戦いは激しさを極めました。戦いにかったのは、ユダ部族、すなわち、ダビデの家来たちでした。イスラエルの王イシュ・ボシェテの将軍アブネルとイスラエルの兵士たちは、ダビデの家来たちに打ち負かされました。そこに、ツェルヤの3人の息子がいました。ヨアブと、アビシャイと、アサエルです。Ⅰ歴代2:16を見ると、このツェルヤはダビデの姉妹であることがわかります。ですから、この3人はダビデからすると甥に当たります。甥とはいってもダビデは末っ子でしたから、もしかしたら彼らと同年代か、もっと歳を取っていたかもしれません。

 

その中のアサエルは、野のかもしかのように足が速かったので、彼はアブネルの後を追いました。アブネルを殺すことができれば、イスラエル軍、すなわち、イシュ・ボシェテの軍は壊滅状態になると判断したのでしょう。しかし、それが仇となりました。アブネルはアサエルが自分を追って来るのを見ると、自分を追うのをやめて、別の方へ行けと警告しました。戦いでは自分の方がまさっていると思ったのでしょう。将軍ヨアブの兄弟を殺すのは忍びないと思ったのです。しかし、アサエルはアブネルを追うのを止めませんでした。それでアブネルは、槍の石突きで彼の下腹を突きました。それで、アサエルはその場に倒れて死んだのです。

 

あまりにも突然の死でした。彼は足が速いのを誇っていましたが、その長所が彼を死に至らしめることになったのです。自分の力を過信し、警告を無視し続けるなら、悲劇が起こります。私たちが誇るのは足の速さではなく、主の御名と十字架です。詩篇20:7には「ある者は戦車をある者は馬を求める。しかし私たちは私たちの神、主の御名を呼び求める。」とあります。また、ガラテヤ6:14には「しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが、決してあってはなりません。」とあります。

 

あなたは何を誇っていますか。私も足が速く、小学生、中学生、高校生とマラソン大会では常に優勝していたので、すぐにそれを誇りたい気持ちになります。高校生の時には1,500m走で4分17秒の記録を出し、陸上部からも声をかけられたほどです。すぐにこんなことを誇りたがるのが任気です。しかし、私たちが誇るものは戦車でも馬でもなく、自分の足でもなく、私たちの神、主の御名です。また、私たちの主イエス・キリストの十字架です。それ以外に誇りとするものがあってはなりません。私たちはすぐに自分の肉の力を誇ろうとしますが、それが短所や欠点にもなり得るということを覚え、主の力、聖霊の力を求めようではありませんか。

 

次に、24~28節をご覧ください。「しかしヨアブとアビシャイは、アブネルの後を追った。太陽が沈んだとき、彼ら二人はギブオンの荒野への道を通り、ギアハの反対側にあるアンマの丘までやって来た。ベニヤミン人はアブネルに従って集まり、一団となって、一つの丘の頂に立った。アブネルはヨアブに呼びかけて言った。「いつまでも剣が人を食い尽くしてよいものか。その果ては、ひどいことになるのを知らないのか。いつになったら、兵たちに、自分の兄弟たちを追うのをやめて帰れ、と命じるつもりか。」ヨアブは言った。「神は生きておられる。もし、おまえが言い出さなかったなら、確かに兵たちは、明日の朝まで、それぞれ自分の兄弟たちを追うのをやめなかっただろう。」ヨアブは角笛を吹いた。それで兵たちはみな立ち止まり、それ以上イスラエルの後を追わず、戦いを続けることはなかった。」

 

アサエルが殺されたことを知ると、兄弟ヨアブとアビシャイは必死になってアブネルを追いました。そして太陽が沈むころ、彼らはギアハの反対側にあるアンマの丘までやって来ると、ベニヤミン人がアブネルの呼びかけに応じて彼に従って集まり、一団となって、一つの丘の頂に立ちました。そして、アブネルに呼びかけ、これ以上、兄弟同士の戦いを続けてどうするのか、その果ては、互いにひどいことになるだろう。自分たちを追うのをやめて帰れと言ったので、ヨアブはその提案を受け入れ、それ以上イスラエルの後を追うことをしませんでした。

 

29~32節までをご覧ください。「アブネルとその部下たちは、一晩中アラバを通って行った。そしてヨルダン川を渡り、午前中歩き続けてマハナイムに着いた。一方、ヨアブはアブネルを追うのをやめて帰った。兵たちを全部集めてみると、ダビデの家来十九人とアサエルがいなかった。ダビデの家来たちは、アブネルの部下であるベニヤミン人のうち三百六十人を討ち取っていた。彼らはアサエルを運んで、ベツレヘムにある彼の父の墓に葬った。ヨアブとその部下たちは一晩中歩いて、夜明けごろヘブロンに着いた。」

 

双方の死者は、ヨアブの方がダビデの家来19人と兄弟アサエルがいませんでした。一方、アブネルの方はどうだったかとうと、ダビデの家来たちがアブネルの部下であるベニヤミン人のうち360人を討ちトッテいたので、それだけの犠牲者が出ました。戦いを仕掛けたのはアブネルの方でしたが、そのアブネルの方に多数の死者が出たのです。何とも虚しい結果に終わりました。彼はギブオンの池のそばで決闘を呼びかける前に、その果てがどうなるのかを考えなければなりませんでした。

 

私たちも同じです。自分の思いや感情だけで突っ走ると、このような結果を招くことになります。その前に立ち止まって、祈るべきです。そして、神のみこころは何か、何が良いことで完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えるべきなのです。心の一新によって自分を変えるとは、考え方を変えるということです。自分の考えではなく、神の考え、神のみこころに立つ、ということです。そのためには、神のみことばを学び、それがどういうことなのかをよく考えて、その上に立たなければなりません。そうすれば、神の御霊が私たちを正しい判断と正しい方向へと導いてくださいます。そういう意味ではあのダビデのように、いつも主に伺いながら、一歩一歩前進していく必要があります。主のみこころを求めながら、みこころに歩めるように祈りましょう。

Ⅱサムエル記1章

きょうからサムエル記第二に入ります。

 

Ⅰ.アマレク人の報告(1-10)

 

まず、1-10節をご覧ください。「サウルが死んだとき、ダビデはアマレク人を打ち破って帰って来ていた。その後ダビデは二日間、ツィクラグにとどまっていた。すると三日目に、見よ、一人の男がサウルのいた陣営からやって来た。衣は裂け、頭には土をかぶっていた。彼はダビデのところに来ると、地にひれ伏して礼をした。ダビデは言った。「どこから来たのか。」彼は言った。「イスラエルの陣営から逃れて来ました。」ダビデは彼に言った。「状況はどうか。話してくれ。」彼は言った。「兵たちは戦場から逃げ、しかも兵たちの多くの者が倒れて死にました。それに、サウルも、その子ヨナタンも死にました。」

ダビデは、報告をもたらしたその若い者に言った。「サウルとその子ヨナタンが死んだことを、どのようにして知ったのか。」報告をもたらしたその若い者は言った。「私は、たまたまギルボア山にいましたが、見ると、サウルは自分の槍にもたれ、戦車と騎兵が押し迫っていました。サウルが振り返って、私を見て呼びました。私が『はい』と答えると、私に『おまえはだれだ』と言いましたので、『私はアマレク人です』と答えますと、 『さあ、近寄って、私を殺してくれ。激しいけいれんが起こっているが、息はまだ十分あるから』と言いました。私は近寄って、あの方を殺しました。もう倒れて生き延びることができないと分かったからです。私は、頭にあった王冠と、腕に付いていた腕輪を取って、ここに、あなた様のところに持って参りました。」」

 

前回のところで、サウルとその3人の息子たち、そして、イスラエルの兵士たちはギルボア山でペリシテ人との戦いで敗れ、打ち殺されたことを見ました。サウルに至っては自分の道具持ちに彼の剣を抜いて刺し殺してくれるように頼みましたが、道具持ちはそのようにすることを恐れてしなかったので、自分の剣を抜き、その上に倒れ込んで自殺しました。何とも悲しい最期でした。しかし、サウルの生涯のすべてがダメだったというわけではなく、彼は良いことも行ったのでその報いも受けました。それがヤベシュ・ギルアデの人たちによって丁重に葬られたという出来事です。

 

そのサウルが死んだとき、ダビデはアマレク人を打ち破り、ツィケラグに帰って来ていました。アマレク人はダビデたちが留守中にツィケラグを襲い、これを火で焼き払い、そこにいた女たちや子どもたちをみな捕らえ、自分たちのとこへ連れ去って行ったのですが、彼はアマレク人を追って行き、彼らと戦って勝利し、アマレクが奪い取ったものをすべて取り戻したのです。その戦いから帰って二日間ツィケラグにとどまっていましたが、三日目に、一人のアマレク人の男がサウルのいた陣営からダビデのもとにやってきました。彼の衣は裂け、頭には土をかぶっていました。これは、悲しい出来事が起こったということです。

 

ダビデが彼に、「どこから来たのか」と言うと、彼は「イスラエルの陣営から逃れて来ました」と言うので、サウルとヨナタンのことを気にかけていたダビデは、その状況について尋ねました。すると彼は、イスラエルは敗北し、多くの兵たちは戦場から逃げ、倒れて死んだこと、それにサウルとヨナタンも死んだということを報告しました。彼はどのようにしてそのことを知っていたのでしょうか。ダビデは、報告をもたらしたその若い者にそのことを尋ねると、彼は、自分はたまたまギルボア山にいたのだが、サウルが自分の槍にもたれ死にそうになっていたとき、サウルから自分を殺してほしいと言われたので、最後のとどめを刺したと答えました。その証拠にサウルがかぶっていた王冠と、腕につけていた腕輪を取って、ダビデのところに持って来て見せたのです。いったいなぜ彼はそんなことをしたのでしょうか。

 

彼は、次の王となるはずのダビデがサウルの死を喜び、とどめを刺した自分に褒美をくれるのではないかと思ったのです。しかし、次のところを見るとわかりますが、ダビデはサウルの死を喜ぶどころか悲しみました。確かにダビデはこれまでサウルの手から逃れていました。そして神が自分とサウルの間をさばいてくださる、と言っていました。しかし彼は、サウルの死を喜びませんでした。彼はサウルの死を望んでいなかったのです。そのような状況の中でも、すべてを主にゆだねていたからです。主にゆだねるなら、主が最善の時に道を開いてくださると信じていたのです。ここに、このアマレク人との思惑のズレがありました。彼は人間的な思いからきっとダビデがサウルを憎み、彼が殺されたことを喜ぶに違いないと思い、そのことを報告した自分に何らかの報酬が与えられると思いましたが、実際にはその逆でした。そういうことがよくあるのではないでしょうか。聖書を読むとき自分の思いが強すぎて、自分の思いを正当化するかのようにそれを受け止めるも、実際には、神のみこころとズレていたということがよくあります。大切なのは自分の思いではなく、神のみこころは何か、何が良いことで神に受け入れられることなのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えることです。心を変えるとは考え方を変えるということです。神のみことばを神のみことばとして受け入れ、神の考え方に生きることです。ダビデのように、すべてを主にゆだね、主が導いてくださる最善を待ち望むことなのです。

 

Ⅱ.サウルとヨナタンの死を悼み悲しんだダビデ(11-16)

 

次に、11~16節をご覧ください。「ダビデは自分の衣をつかんで引き裂いた。ともにいた家来たちもみな、そのようにした。彼らは、サウルのため、その子ヨナタンのため、また【主】の民のため、イスラエルの家のために悼み悲しんで泣き、夕方まで断食した。サウルらが剣に倒れたからである。ダビデは自分に報告したその若い者に言った。「おまえはどこの者か。」彼は言った。「私はアマレク人で、寄留者の子です。」ダビデは彼に言った。「【主】に油注がれた方に手を下して殺すのを恐れなかったとは、どうしたことか。」ダビデは家来の一人を呼んで言った。「これに討ちかかれ。」彼がその若い者を討ったので、若い者は死んだ。ダビデは若い者に言った。「おまえの血は、おまえの頭上に降りかかれ。おまえ自身の口で、『私は【主】に油注がれた方を殺した』と証言したのだから。」」

 

アマレク人の若者の報告を聞いたダビデはどうしたでしょうか。彼は自分の衣を掴んで引き裂きました。ともにいた家来たちもみな同様にしました。彼らはサウルため、その子ヨナタンのため、また主の民のため、悼み悲しんだのです。彼らは、その死を悼み悲しんで泣き夕方まで断食をしました。このアマレク人が予測していたこととは反対のことでした。なぜダビデはサウルの死を悼み、悲しんだのでしょうか。自分の命を狙ってつき待っていたサウルが死んだのです。「ああ、よかった!これで安心だ」と喜んでも良かったのではないでしょうか。それなのに彼は喜ぶどころか、深く悲しみました。そこには、二つの理由がありました。

 

まず、箴言24:17をご覧ください。ここには「あなたの敵が倒れるとき、喜んではならない。彼がつまずくとき、心躍らせてはならない。」とありますが、ダビデはこのみことばに生きていたのです。あなたの敵が倒れたなら、「ざまあみろ!」と言いたくなるところでしょう。しかし彼はそれが神のみこころでないことを知っていました。主のみこころは、あなたの敵が倒れるとき、喜んではならない、とあるからです。これは私たちクリスチャンにも言えることです。私たちもダビデのように自分の感情に流されて生きるのではなく、主のみことばに生きる者でなければなりません。そういう人は、神からも、人からも認められるようになるのです。

 

もう一つのことは、Ⅰ歴代誌16:22を見るとわかります。そこには、「わたしの油注がれた者たちに触れるな。わたしの預言者たちに危害を加えるな。」とあります。これが神のみこころです。たとえサウルが間違ったことを行なったとしても、彼を引き倒そうとする試みは間違っていることを彼は知っていました。なぜなら、サウルは神に油を注がれた者だからです。神が油注がれた者には、神が立て、神が倒してくださいます。他人が関わるべきことではありません。ですからダビデは、自分から手を下すことは一切しなかったのです。

 

それに対してこのアマレク人はどうでしたか?ダビデが「おまえはどこの者か」と尋ねると、彼は、「私はアマレク人で、寄留者の子です。」と答えています。「寄留者」とは在留異国人ということです。彼はイスラエルにいる在留異国人の子どもであったのです。その真偽はわかりませんが、もしこれが本当だとすれば、彼はサウルのしもべということになります。それなのに、主に油注がれた方に手を下して殺すとはどういうことでしょう。そこでダビデは家来の一人を呼んで、これに討ちかかるように命じました。それは神に背く行為であったからです。

 

ここに、ダビデの徹底した主にゆだねる姿勢を見ることができます。このようなダビデの信仰は、神を知らない異邦人にはなかなか理解できないことです。神を知らない人の判断とクリスチャンの判断とでは本質的に違うからです。しかし、クリスチャンはこの世にいながら、この世のものではありません。クリスチャンは神のものであり、神のみこころに従って生きている者です。それゆえ、クリスチャンの判断とその行動の基準は、神によって動かされるものでなければなりません。日々の生活の中で私たちはどのような基準で生きているのかをもう一度思い直し、神に喜ばれることを選び取っていきたいと思います。

 

Ⅲ.ダビデの哀歌(17-27)

 

最後に、17~27節までを見て終わりたいと思います。ダビデは、サウルのため、また、その子ヨナタンのために哀歌を歌いました。「イスラエルよ、君主はおまえの高き所で殺された。ああ、勇士たちは倒れた。これをガテに告げるな。アシュケロンの通りに告げ知らせるな。ペリシテ人の娘らを喜ばせないために。無割礼の者の娘らが喜び躍ることがないために。ギルボアの山よ。高原の野よ。おまえたちの上に、露は降りるな。雨も降るな。そこでは勇士たちの盾が汚され、サウルの盾に油も塗られなかったからだ。殺された者の血から、勇士たちの脂から、ヨナタンの弓は退くことがなく、サウルの剣も、空しく帰ることがなかった。サウルもヨナタンも、愛される、立派な人だった。生きているときも死ぬときも、二人は離れることはなく、鷲よりも速く、雄獅子よりも強かった。イスラエルの娘たちよ、サウルのために泣け。サウルは、紅の衣を華やかにおまえたちに着せ、おまえたちの装いに金の飾りを着けてくれた。ああ、勇士たちは戦いのさなかに倒れた。ヨナタンはおまえの高き所で殺された。あなたのために私はいたく悲しむ。私の兄弟ヨナタンよ。あなたは私を大いに喜び楽しませ、あなたの愛は、私にとって女の愛にもまさって、すばらしかった。ああ、勇士たちは倒れた。戦いの器は失せた。」

 

「ヤシャルの書」とは、ヨシュア記10章13節に、「これは『ヤシャルの書』に確かに記されている。」とあるように、イスラエルの歌を編集した書物のようです。ヨシュア記の詩は、主がアモリ人をイスラエルの手に渡された時、ヨシュアが歌った歌です。日が沈んでしまうと、彼らを追跡することができなくなるので、ヨシュアは日が沈まないようにと主に祈りました。太陽よ、止まれ!と命じたのです。すると、民がその敵に復讐するまで、日は動かず、月はとどまりました。主がこのような祈りを聞かれたことは、先にもあとにもありません。その詩が記されたのが「ヤシャルの書」です。そのヤシャルの書に、このダビデの哀歌が記されたのです。それは、このことをしっかりと記録することで、ユダの子らに教えるためです。ここには「弓を教えるためのもので」とありますが、この哀歌は「ヤシャルの書」に載せられ、「弓」という名で歌い継がれることになりました。

 

この哀歌は、三つの部分から構成されています。「ああ、勇士たちは倒れた」ということばが、各部分の始まりとなっています。

その最初の部分は、19~24節です。19節の「君主」とは、サウルとヨナタンのことです。そして「おまえの高き所」とはギルボア山のことです。この山はイスラエル人が住んでいるところにある山でしたが、サウルとヨナタンはそこで倒れました。

 

20節の「ガテ」と「アシュケロン」とは、ペリシテの主要な都市のことです。このことをペリシテ人に告げ知らせないようにというのです。なぜなら、そのことを聞いたペリシテ人が喜ぶことになるからです。

 

21節でダビデは、ギルボア山を呪っています。「露は降りるな。雨も降るな」とは、水を提供するな、それを断つようにという意味です。現在でもギルボア山の北側の山腹は植林が行なわれず、はげた状態になっているそうです。それはイスラエル人がそこに植林をしないからです。イスラエルは、荒地に木々を植えていくことによってあの地を豊かにしましたが、そこに植林をしなかった理由は、ダビデのこの哀歌によるものです。

 

22節と23節では、サウルとヨナタンを称えています。サウルとヨナタンは一生涯離れることなくともに戦った立派な戦士であり、だれからも愛されるべき勇士でした。

 

24節には、イスラエルの民にサウルの死を悼み悲しむようにと歌っています。なぜなら、サウルはイスラエルの民に紅の衣を華やかに着せ、彼らの装いに金の飾りを着けてくれたからです。すなわち、物質的祝福を与えるために心を尽くして戦ってくれたからです。

 

25~27節をご覧ください。第二と第三の部分です。ここでダビデは、親友ヨナタンの死を悼んでいます。その生前の愛と友情を思い、「あなたは私を大いに喜び楽しませ、あなたの愛は、私にとって女の愛にもまさって、すばらしかった。」と歌っています。これは、異性との間にある愛とは全く異なった種類の愛です。ですから、これはダビデがそのような性癖があったとか、自分の妻たちとそれほど関係が深くなかったということではありません。それほどにヨナタンとの友情が深かったということです。それは契約に基づいた友情でした。

 

そしてそれは、私たちと神との関係も同じです。神は、キリストの十字架の贖いを信じる者を義と認めてくださいました。そのすべての罪を赦してくださると約束してくだったのです。どんなことがあっても、です。どんなことがあっても、あなたを見捨てたり、見離したりはしません。それは神との契約なのです。ダビデとヨナタンにあった友情の契約は、私たちと神との関係を思い出させてくれます。イエス様もまた、私たちをこよなく愛しておられます。そのような関係にあることは何と幸いなことでしょうか。私たちもダビデがヨナタンとの友情を称えたように、主に愛に感謝し、その愛に心から応答する者でありたいと思います。