「神の御心のままに」 N069
Ⅰ.油そそがれた者クロス(1-3)
主は、油そそがれた者クロスに、「わたしは彼の右手を握り、彼の前に諸国を下らせ、王たちの腰の帯を解き、彼の前にとびらを開いて、その門を閉じないようにする」(1)と言われた。クロスとはメド・ペルシャの王クロスのことである。主は彼を用いてバビロンに捕らえられていたイスラエルを解放するというのだ。彼はメド・ペルシャの王であって異教徒である。なのになぜ神はそんなクロスを用いられるのか。それは、主こそ神であり、イスラエルの創造主であることを彼が知るためである。そのために主は、異教徒の王まで用いられる。何も神はご自分の計画を推し進めるために神の民だけを用いられるのではない。場合によってはこのように異教徒でも用いられることがある。神が用いようと思えば何でも用いることができる。なぜなら、神はすべてを支配しておられる創造主であられるからだ。
それにしても、クロスはこのことを知ってどんな驚いたことであろう。エズラ記1章を見ると、エレミヤにより告げられた主のことばを実現するために、主はペルシャの王クロスの霊を奮い立たせたので、王国中におふれを出して、エルサレムに宮を建てるように命じたとある。ユダヤ人の歴史家でヨセフスの「ユダヤ古代誌」によると、このときクロスが読んだ内容というのがイザヤ書44-45章であった。そこに自分の名が記されてあるのを見て、彼はどれほど驚いたことかわからない。彼の時代のはるか150年も前に、神は既にそのようにされることを告げておられることを知って奮い立ち、イスラエルにそこまで寛容な政策をとったのである。
神はこの歴史を支配し導いておられる。このことを知るなら、あなたもクロスのように奮い立ち、神の栄光と目的のために用いられるようになる。
Ⅱ.すべての主権者であられる神(4-8)
ここで主はクロスに肩書きを与えると言われた。その肩書きとは「油そそがれた者」である。それは日の上る方からその沈むところまでご自分のほかには神はいないということを、すべての人に知らしめるためである。そのことによって主がすべてを支配しておられるということを、知るようになる。ペルシャの宗教ゾロアスター教では光を造られた神とやみを造られた神がいてその神の対立によってこの世界が造られたと考えているが、その光とやみを造られたのは神である。すべてを造られたのは創造主なる神なのである。
ここでおもしろいと思うのは、ここに「光を造り出し、やみを創造し」とあることだ。これはやみを創造したというよりも、やみを許されたといった方が正確である。神は決してやみを造られる方ではない。それを造りそれ支配しているのは神であるが、そうしたサタンの働きをあえて許されることがある。それは神がすべてを支配しておられるからであって、そのことさえもまた神の栄光のために用いられることがあるからだ。だから私たちはそうした主権的な神のお取り扱いを受け入れ、「わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのとおりにしてください」と祈らなければならない。
Ⅲ.神の御心のままに(9-13)
このように申し上げると、中にはそんな神のやり方に対して抗議する人もいるかもしれない。そのような人は陶器が自分を造った者に抗議するようなものである。けれども、陶器は陶器師の手の中にあってはじめて価値があるのであって、それ自体には何の価値もないことを覚えておかなければならない。陶器である私たちはまさに土くれにすぎない。その陶器がもっとも輝く時は陶器師の手によって練られ、ろくろで回されている時である。わたしたちを愛してやまない主はわたしたちのために最善のことをしてくださると信じて、すべてを神にゆだねなければならないのである。
(自分に適用してみましょう!)
・あなたの生活の中で、ナオミのように信仰の確信を揺るがしている出来事は何ですか?
・神があなたの人生をも支配しておられ導いておられるという確信を持つために必要なことはどんなことですか?