ピレモンへの手紙1~25節

 きょうからピレモンへの手紙を学びたいと思います。といっても、きょうで終わります。このピレモンへの手紙はパウロからピレモンに宛てて書かれた手紙です。これはパウロの手紙の中では一番短い手紙です。使徒の働き28章の最後のところに、パウロはローマで2年間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、主イエスのことを教えたとありますが、その時に書かれました。なぜ書かれたのかというと、コロサイという町に住んでいたピレモンに、オネシモという奴隷のことで赦しを請うためです。オネシモはピレモンの奴隷でしたが彼のものを盗んでローマに逃げて行きました。しかし、どういうわけかそのローマでパウロに出会い、クリスチャンになったのです。たとえクリスチャンになったといえども、彼は奴隷の逃亡者です。当時のローマ社会には奴隷は多く、こうした反逆行為をした奴隷に対しては厳罰が課せられ、場合によっては処刑されることもあったのです。そこでパウロは、ピレモンの下から逃亡したオネシモを赦し、彼を受け入れてくれるようにと手紙を書きました。ですから、この手紙の中には聖書の大きなテーマの一つである「赦し」というものがどのようなものなのかが教えられているのです。きょうはこのピレモンへの手紙を通して、神の赦しについてご一緒に学びたいと思います。 

Ⅰ.ピレモンの信仰と愛(1-7) 

まず、1節から7節までをご覧ください。まず3節までをお読みします。 

「キリスト・イエスの囚人であるパウロ、および兄弟テモテから、私たちの愛する同労者ピレモンへ。また、姉妹アピヤ、私たちの戦友アルキポ、ならびにあなたの家にある教会へ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。」

この手紙はパウロとテモテから、ピレモンに宛てて書かれた手紙ですが、パウロは彼のことを「私たちの愛する同労者ピレモン」と呼んでいます。また、「姉妹アピヤ」と、「戦友アルキポ」はそれぞれピレモンの妻と息子の名前ですが、こういう言い方をしているのです。普通だったら、奥さんのアピヤさんによろしくとか、息子のアルキポさんによろしくと書くと思いますが、姉妹アピヤとか、戦友アルキポというような言い方をしているのです。

それはおそらく彼の家がただのクリスチャンファミリーというだけでなく、そこが家の教会だったからでしょう。コロサイの教会はエパフラスという人によって始められましたが、同じコロサイに住んでいたピレモンは信仰に導かれると自分の家を開放し、家の教会を始めていたのです。初代教会には会堂がなかったため、こうした家々で集会や交わりが持たれていたのですが、ピレモンの家はそのために用いられていたのです。彼だけでなく彼の妻も、息子も一家そろってその働きの中心を担っていたのです。だから姉妹アピヤとか、戦友アルキポといった表現が使われているのです。彼らは自分たちの生活を守って満足するのではなく、キリストの教会のために自分の家を開放し、さらにそのことに付随するすべての犠牲を喜んで払っていたのです。これからの日本の福音伝道を考えると、こうしたクリスチャンファミリーが、自分たちのできる範囲で、工夫と信仰を持って、このような「家の教会」を生み出していくことが求められているのではないでしょうか。そういう意味でピレモンは、パウロの同労者だったのです。

次に4~7節までをご覧ください。ここには、パウロのピレモンに対する感謝が書かれてあります。

「私は、祈りのうちにあなたのことを覚え、いつも私の神に感謝しています。それは、主イエスに対してあなたが抱いている信仰と、すべての聖徒に対するあなたの愛とについて聞いているからです。私たちの間でキリストのためになされているすべての良い行ないをよく知ることによって、あなたの信仰の交わりが生きて働くものとなりますように。私はあなたの愛から多くの喜びと慰めとを受けました。それは、聖徒たちの心が、兄弟よ、あなたによって力づけられたからです。」

パウロは、祈りのうちにピレモンのことを覚えて神に感謝しました。なぜなら、主イエスに対して彼が抱いている信仰と、すべての聖徒に対する彼の愛とについて聞いていたからです。このことをパウロに報告したのはおそらくエパフラスでしょう。この時彼はローマのパウロのもとにいましたが、同じコロサイにある教会のメンバーとして、ピレモンがいかに心から主に仕えているか見ていて、それをつぶさにパウロに報告していたのです。それにしても、このことを聞いたパウロはどんなにうれしかったことでしょう。伝道者にとって、自分が信仰に導いた人の良い信仰の評判を聞くことほどうれしいことはありません。それは親が自分の子どもの良い評判を聞いてうれしく思うのと同じです。パウロはそれをわがことのように喜びました。 

さて、パウロが聞いたピレモンについての良い評判ですが、それはまず主イエスに対する彼の信仰でした。彼がどのように信仰を持つようになったのかはわかりませんが、多分パウロがエペソで伝道していたとき、何らかのきっかけで主イエスの福音を聞き、信仰を持つようになったのではないかと思います。そして自分の奥さんも信仰に導き、さらには子供たちも信仰に導きました。ただ信仰に導いたというだけでなく、コロサイ4章17節を見ると、このアルキポはコロサイの教会で熱心に主に仕えていたことがわかります。ピレモンとその家族は熱心に主に仕え、人々からとても良い評判を得ていたのです。 

さらにピレモンは信仰ばかりでなく、愛においてもすばらしい人でした。それはすべての聖徒たちに対する愛で、イエス・キリストを信じることによって受けた神の愛です。自分のことだけでなく他の人のことも顧みる犠牲的な愛です。

イエス・キリストを信じると、その結果、神を愛するように変えられます。そして、神を愛するように変えられると、今度は兄弟を愛するように変えられるのです。以前は神に敵対し、自分のことしか考えられなかった者が、主イエスを信じたことによって神の愛を知り、自分のことばかりでなく、他の人のことも考えることができるようになるのです。 

今から約60年前の9月26日に、非常に大きな台風が日本を襲いました。そして青森と函館を結ぶ青函連絡船洞爺丸が沈没して、乗っていた乗客1,011人が亡くなるという大惨事が起こったのです。その中に二人のアメリカ人宣教師も入っていました。ストーンとリーバー宣教師です。船の中にどんどん水が入って来て沈みそうになったとき、乗っていた人たちは身近にあった救命道具を身に着け、海に飛び込み始めました。この二人の宣教師たちも、側にあった救命道具を身に着けて、飛び込もうとした時、若いカップルがパニックになっているのを見たのです。男性の方は救命道具がなく、女性の方は救命道具を持ってはいたのですが、壊れて使い物になりませんでした。そこで彼らはパニックになり、泣き叫んでいたのです。この二人を見た二人の宣教師は、自分たちの身に着けていた救命道具をすぐに脱いで、二人のカップルに差し出しました。それを手渡すとき、彼らはこう言いました。「これからの日本は、あなたがた若い人たちが作り上げていくべきです。そして、もしあなたがたが助かったなら教会に行ってください!」

どこの誰だかも知らない初めて会った人たちに、宣教師たちは、とっさに自分の来ていた救命道具を脱いで渡したのです。そうすれば、彼ら自身の命が助からないと知りながらです。なぜ彼らはそんなことをしたのでしょうか。別にしなくても良かったのです。彼らにも家族がいました。まだ小さな子どもたちがいたのです。アメリカからやって来て、やっと日本語を覚えて、これから神のために働こうとしていた矢先でした。まだ死ぬには早すぎます。でも彼らは自分たちのいのちを与えました。なぜそこまでしたのでしょうか。それは、彼らがカルバリの十字架で自分たちのためにしてくれた神の愛を知っていたからです。これがアガペーの愛です。自分を与える愛です。だからイエスがもしそこにいたとしたら、たぶんイエスがなされたであろうことをしただけなのです。そこには何の見返りもありませんでした。ここで、これをすれば、自分たちの名前が後世に残されるだろうなどということは全く考えませんでした。なぜなら、この若者たちだって死ぬ可能性があったし、たとえ助かったとしても、彼らが教会に行くかどうかなんてわからなかったからです。そうなれば、このうるわしい愛の物語も誰も知らないで終わってしまっていたはずです。だから、そうした見返りを期待したのではなく、ただイエス様だったらどうされるのかを考えて、しただけなのです。 

そして、それは彼らたけのことではありません。カルバリのあの十字架で死なれた主イエスの愛を知った人ならば、同じようにはできなくても、少なくとも、そのようにしたいという思いが起こされてくるのは当然のことではないでしょうか。ピレモンには、この神の愛が溢れていました。そしてパウロはこのピレモンの愛から多くの喜びと慰めを受けました。いいえ、それはパウロだけではありません。多くの聖徒たちの心が、彼によって力づけられたのです。彼の存在は、パウロばかりでなく、多くの聖徒たちにとっての喜びであり、慰めであり、励ましであったのです。あなたの存在はどうでしょうか。多くの聖徒たちにとって喜びとなっているでしょうか。慰めとなっているでしょうか。励ましとなっているでしょうか。そのような存在に聖霊を通して私たちもさせていただきたいと心から願う者であります。 

Ⅱ.ピレモンへの願い(8-17) 

 次に、この手紙を書き送った目的である本題に入ります。こうしたピレモンの信仰と愛を前提に、パウロは彼にオネシモのことで次のように書き送っています。8~17節までをご覧ください。まず12節までをお読みします。

「私は、あなたのなすべきことを、キリストにあって少しもはばからず命じることができるのですが、こういうわけですから、むしろ愛によって、あなたにお願いしたいと思います。年老いて、今はまたキリスト・イエスの囚人となっている私パウロが、獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。彼は、前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています。そのオネシモを、あなたのもとに送り返します。彼は私の心そのものです。」

 

パウロのピレモンに対する願いとは何でしょうか。ここでパウロは、獄中で生んだわが子オネシモのことをピレモンに願っています。獄中で生んだといっても、パウロが出産したというわけではありません。パウロによって救いに導かれ、新しく生まれたということです。彼は、以前ピレモンにとって役に立たない者でしたが、今は、役に立つ者となりました。どういうことでしょうか?このオネシモはピレモンのところにいた奴隷でした。主人であったピレモンは良い人でしたが、オネシモは役に立たない者でした。役に立たないどころか、主人に損害を与えるようなことをしました。彼は主人ピレモンの物を盗み、おまけに逃亡を企てたのです。どこに?ローマにです。ローマに行けばそこにはたくさんの人がいるので、その雑踏の中で身を潜めていることができると思ったのでしょう。でもそのローマで何とパウロに出会ってしまったのです。どのようにしてであったのかはわかりません。だれかに誘われてパウロのもとに行きそこでイエス様の話を聞いたのか、あるいは、逃亡生活に疲れ果て、むなしくなって、自主でもするかのように自分からパウロのもとを訪れたのか、どのようにしてかはわかりませんが、不思議な神の導きによって、あの大都会のローマでパウロに出会ったのです。本当に不思議ですね。私たちだってこの小さな町に住んでいて、教会の外でバッタリ出会うというのは稀です。たまにスーパーなどでであったりすると、「あら、何、やだ、」なんて言って驚きを隠せません。毎週礼拝で会っているのに外で会うというのは意外とないのです。それなのにオネシモは今でいうと東京みたいな大都会でパウロにばったり出会ったのです。そして、信仰に導かれました。本当に不思議なことです。そしてすばらしいことは、彼は以前「役に立たたない者」でしたが、今は、「役に立つ者」に変えられたことです。

 

オネシモという名前の意味は「役に立つ者」です。しかし、彼は以前は役に立たない者でしたが、今は、その名前のごとく役に立つ者になりました。なぜでしょうか?なぜなら、彼は自分の罪を悔い改め、イエス・キリストを救い主として信じたからです。彼はキリストにあって新しく生まれ変わりました。「だれでもキリストにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(Ⅱコリント5:17)

オネシモは、キリストにあって新しく生まれ変わったのです。以前の彼は役に立たないどころか、むしろ害を与えるような人間でしたが、しかし、福音のすばらしさは、そんなオネシモさえも「役に立つ者」に造り変えることができるということです。彼は悔い改めて救われ、主に仕えていたことで、彼の信仰が本物であったことがわかります。パウロは彼を「彼は私の心そのものです」と言っています。いい言葉ですね。「心そのものです」あなたは、私の心そのものです、なんて言われたら、どんなにうれしいことでしょう。そんなふうに言われてみたいものですが、パウロはオネシモをそのように言いました。彼はそれほどまでに変えられていたのです。 

このオネシモの姿は、私たち自身の姿でもあります。私たちもかつては罪の中に死んでいて、全く役に立たない者でした。けれども、あわれみ豊かな神は、その大きなあわれみによって、罪過の中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。かつては害虫のような者だった私たちを、キリストとともに生かし、新しい人に、役に立つ者に変えてくださいました。福音にはそれほどの力があります。福音は人を全く新しく造り替えることができるのです。私たちもオネシモのように神の役に立つ者とさせていただきたいと願うものです。 

ところで12節を見ると、パウロはここでこのオネシモを、ピレモンのもとに送り返すと言っています。本当は自分のところにとどめておき、ピレモンに代わって自分に仕えてもらいたいとも考えましたが、そのようにすることはしないで、主人ピレモンのもとに送り返すことにしたのです。なぜでしょうか?14節にその理由が記されてあります。それは、「あなたの同意なしには何一つすまいと思いました。それは、あなたがしてくれる親切は強制されてではなく、自発的でなければいけないからです。」 

ピレモンがオネシモを赦して、受け入れることは、強制されてすることではなく、自発的なものでなければいけないからです。当時のローマの奴隷制度では、奴隷が主人から逃げたとき、捕まえたら主人は奴隷を死刑にすることができました。奴隷は当時六千万人いたとされ、自由人よりもはるかに多かったのです。ですから、奴隷の反乱を押さえるためにも、逃亡には厳しい処置が取られていました。ですから、当時の常識からすると、ピレモンがオネシモをそのまま赦すことは考えられないことでした。彼にとっても自分に損害を与えたオネシモの名前は聞きたくなかったでしょう。けれども、パウロは今、ピレモンが奴隷を持つ主人である前に、キリストにある兄弟であり、同労者であり、キリストの愛を持っている人であることを前提に、オネシモを赦してくれるように嘆願しているのです。 

8節にあるように、本来であれば、パウロはそのことを主の命令としてピレモンに命じることもできたのです。でも仮に形式的に赦したとしてもそれが自発的なものでなければ意味がありません。聖書には、自ら進んでささげるささげ物について何度も強調させていますが、ピレモンがオネシモを赦すことも、自発的でなければならなかったのです。 

15~17節をご覧ください。ここでパウロは、オネシモが行った過去の不幸な出来事がどういうことだったのかを、神の永遠のご計画によるものであったと指摘しています。すなわち、オネシモがしばらくの間ピレモンから離されたのは、彼を永久に取り戻すための神のご計画であったということです。そこにも神の目的と計画があったのです。すごいですね。パウロはこのことをローマ8章28節でこのように言っています。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」

私たちの人生にも本当にいろいろなことが起こります。信仰を持ったからすべてがバラ色になるということはありません。信仰を持ったらいつもいいことばかりではないのです。そうではないこともあるのです。いや、そうでないことの方が多いかもしれません。しかし、たとえそうであっても、神がすべてのことを働かせて益としてくださるのです。神を信じている人たち、すなわち、クリスチャンはこのことを知っているので、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことを感謝することができるのです。 

それはこのオネシモについても言えることでした。オネシモか逃げたことは主人のピレモンにとっては大きな損失でしたが、神はそれをさらに大きな利益に変えてくださいました。そのことによってオネシモは救われ、新しい人に変えられ、主の役に立つ者になったのです。 

そのオネシモをピレモンのもとに送り返すのです。もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、すなわち、愛する兄弟として、彼を迎えてほしいというのです。それはオネシモが奴隷でなくなるということではありません。立場上は奴隷であっても、主にあって愛する兄弟姉妹となったということです。社会的な立場は変わりませんが、主にあって愛する兄弟姉妹となったのです。そのように受け入れてほしいと願ったのです。 

Ⅲ.ピレモンの赦し(18-25) 

さて、このようなパウロの願いに対してピレモンはどのように応答したでしょうか。ここには、ピレモンの取った行動がどのようなものであったかは書かれていませんが、確かに彼はパウロの願いを喜んで受け入れ、オネシモを心から赦したことでしょう。それは18節から22節までのパウロの言葉を見るとわかります。

「もし彼があなたに対して損害をかけたか、負債を負っているのでしたら、その請求は私にしてください。この手紙は私の自筆です。私がそれを支払います。・・あなたが今のようになれたのもまた、私によるのですが、そのことについては何も言いません。・・そうです。兄弟よ。私は、主にあって、あなたから益を受けたいのです。私の心をキリストにあって、元気づけてください。私はあなたの従順を確信して、あなたにこの手紙を書きました。私の言う以上のことをしてくださるあなたであると、知っているからです。それにまた、私の宿の用意もしておいてください。あなたがたの祈りによって、私もあなたがたのところに行けることと思っています。」

ここまで言われたら、「嫌です」とか、「ダメです」なんて言えたでしょうか。「しょうがないなぁ。本当は赦したくはないけれど、パウロ先生がそこまで言うのなら赦してあげましょう。」というような態度を取れたでしょうか。取れなかったと思います。特に19節には、「あなたが今のようになれたのもまた、私によるのですが、そのことについては何も言いません。」とありますが、ピレモンの今があるのはパウロの働きがあってのことでした。パウロが伝えてくれたので、彼はキリストの救いにあずかることができたのです。その命の恩人ともいえる人の願いを無下に断ることなどできなかったでしょう。きっと彼は涙を流し、主が自分のためにしてくださった救いの御業に感謝して、心からオネシモを赦したに違いありません。私たちが他の人に対して赦す根拠はここにあります。それは人にはできないことです。しかし、私のために自分のいのちまでも投げ出して救ってくださった主の十字架の愛と恵みを思うとき、初めて人を赦すことができるのです。 

しかも、何よりも、ピレモンはキリストの心を心としていました。ピレモンはパウロを通してキリストの福音を聞いたとき、その愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを知りました。その愛の大きさに比べたら、自分のことなんてどうでもいいように思えたことでしょう。

パウロは18節で、「もし彼があなたに対して損害をかけたか、負債を負っているのでしたら、その請求は私にしてください。」と言っています。いったいオネシモは主人ピレモンにどれだの損害を与えたのでしょうか。当時優秀な奴隷は500デナリの価値があったと言われています。オネシモがどれだけ優秀であったかわかりませんが、仮にオネシモが優秀な奴隷であって、その彼を損失したのであれば、彼は500デナリ相当の損害を受けたことになります。1デナリは1日分の日当ですから、500デナリというのは500日分の給料になります。約2年分の年収です。パウロはそれを支払うと言っているのです。年老いたパウロがどうやって支払うことができるでしょう。これは私の自筆ですと言って、絶対に支払いますと言っているのです。これを聞いたピレモンはどんな気持ちになったでしょうね。

「パウロ先生、もう十分です。損害だなんて、イエス様が私のために身代わりとなって十字架で支払ってくださったものは2年分の給料どころか、一生かかっても払いきれるような負債ではありませんでした。その負債を私は赦していただいたのです。だったら、そんな損害を請求する権利など私にあるでしょうか。ありません。私が今のようになれたのも、ただ神の一方的な恵みによるのです。そのような者にしてくださった神に心から感謝します。オネシモのことはパウロ先生、あなたにすべてお任せします。」そう言ったのではないでしょうか。 

私たちはみな、父なる神の御前に大きな借金を抱えていたような者です。それは罪の借金と言います。それは私たちが自分でどんなに頑張っても支払うことができるようなものではありませんでした。しかし、あわれみ豊かな神は私たちを愛してくださり、ひとり子イエス・キリストをこの世に遣わして、私たちの借金の身代わりとして十字架にかかって死んでくださいました。そして、だれでもこのイエスを救い主として信じるなら救われます。すなわち、その借金のすべてを免除していただけるのです。私たちが救われたのは、ただ神の恵みです。であれば、私たちはいったい何を主張することができるでしょうか。何もできません。私たちにできることは、主が私たちを赦してくださったように、私たちも互いに赦し合うことです。コロサイ3章13節を開いてください。ご一緒に読みましょう。

「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」 

 これが、神が私たちに願っておられることです。あなたがだれかに不満を抱くようなことがあっても、あなたがだれかに損害を受けるようなことがあっても、主があなたを赦してくださったように、あなたもそのように赦してあげなければなりません。 

 皆さんは、コルベという宣教師のことをご存じでしょうか?彼は1919年にアメリカから日本にやって来た宣教師ですが、しだいに軍国主義化していく日本では、いろいろな面で圧力が加えられ、ついに1939年に日本を追われ、フィリピンへ行かざるを得ませんでした。ところがフィリピンで日本兵に捕えられ、処刑されてしまうのです。日本兵の隊長は彼らに、「これからお前たちを処刑するが、30分だけ時間を与える。だから、最後の別れを惜しむがよい」と言ったそうです。それで、コルベ宣教師夫妻は聖書を取り出して、新約聖書のマタイの福音書5章から7章まで1節ずつ交読しました。15分くらいかかって読み終えた後、二人で一心に祈りました。「よし、やめい」という隊長の号令とともに、二人は日本刀で首を切られてしまいました。

 この知らせを聞いた二人の娘マーガレットとアリスは、悲しみに打ちひしがれてしまいました。彼女たちは勉学のためアメリカに帰国していたので難を逃れましたが、あまりにも悲しくて、そのように両親を殺した日本人を絶対に赦せないと思いました。しかし、ある日、祈っている時、ふと、「でも、あのとき、両親はどんな気持ちだったのだろう」と思いました。そして、きっと自分たちを殺した日本人の救いのために祈っていたのではないかと思わされたのです。

 それでマーガレットはその日本人のために愛を示したいと思うようになりました。そして、捕虜収容所に日本の軍人がいることを耳にし、そこでボランティアとして彼らの身の回りの世話をすることにしました。「いったいあの女性は何者なんだろう。本当に親切にしてくれて・・」と日本兵の間で話題になりました。それで、ある軍人が尋ねたのです。「あなたはどうしてこんなに親切にしてくれるのですか」と。すると彼女は事の成り行きを話しましたが、日本人の捕虜たちにはさっぱり理解できませんでした。日本の軍人たちは「親の仇は子が打て。子が打てない仇は孫が打て」と聞いて育ちましたから、彼女たちの気持ちがわからなかったのです。

 そして、いよいよ終戦後、捕虜たちが捕虜交換船で日本に帰って来ました。これを出迎えた人々の中に、かつて太平洋戦争勃発のとき、真珠湾攻撃の爆撃隊長だった淵田美津雄という元海軍大佐がいました。彼はこの話を捕虜から聞くのですが、やはりその意味がさっぱりわからなかったので、マーガレットの人生を変えたという聖書を手にして読み始めました。そして、ルカの福音書23章34節のところまで来たとき、彼は電気に打たれたような衝撃を受けました。そこには、自分を殺そうとしていた人たちのために、十字架で祈られたイエスがこう祈られたことが書いてあったからです。

 「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」

 彼は、この聖書の言葉に捕えられてイエス・キリストを信じ、余生をクリスチャンとして過ごしました。また、コルベ宣教師のもう一人の娘のアリスは、自分が働いて得た一年分の給料を日本の伝道のためにささげました。彼らは自分の両親を殺した日本人への憎しみを、大きな悲しい損失を、神の愛によって赦し、その日本人の救いのためにささげたのです。

 

 「あなたもそうしなさい。」これは私たちにも求められている神のみこころです。いやいやながらではなく、強いられてでもなく、喜んで、心から、そのように人を赦す者でありたいと思います。それは、主があなたのために何をしてくださったのか、主があなたをどれほど愛し、あなたを赦してくださったのかということをあなたがどれだけ受け止めているかによって決まるのです。