Ⅱ列王記25章

 

 Ⅱ列王記25章から学びます。

 Ⅰ.バビロンに捕え移されたユダ(1-21)

まず、1~21節をご覧ください。「1 ゼデキヤの治世の第九年、第十の月の十日に、バビロンの王ネブカドネツァルは、その全軍勢を率いてエルサレムを攻めに来て、これに対して陣を敷き、周囲に塁を築いた。2 こうして都はゼデキヤ王の第十一年まで包囲されていた。3 第四の月の九日、都の中で食糧難がひどくなり、民衆に食物がなくなった。4 そのとき、都は破られ、戦士たちはみな夜のうちに、王の園に近い二重の城壁の間にある、門の道から出て行った。カルデア人が都を包囲していたので、王はアラバへの道を進んだ。5 カルデアの軍勢は王の後を追い、エリコの草原で彼に追いついた。すると、王の軍隊はみな王から離れて散ってしまった。6 カルデアの軍勢は王を捕らえ、リブラにいるバビロンの王のところに彼を連れ上り、彼に宣告を下した。

7 彼らはゼデキヤの息子たちを彼の目の前で虐殺した。王はゼデキヤの目をつぶし、青銅の足かせをはめて、バビロンへ連れて行った。8 第五の月の七日、バビロンの王ネブカドネツァル王の第十九年のこと、バビロンの王の家来、親衛隊の長ネブザルアダンがエルサレムに来て、9 【主】の宮と王宮とエルサレムのすべての家を焼き、そのおもだった建物をことごとく火で焼いた。10 親衛隊の長と一緒にいたカルデアの全軍勢は、エルサレムを取り巻く城壁を打ち壊した。11 親衛隊の長ネブザルアダンは、都に残されていた残りの民と、バビロンの王に降伏した投降者たちと、残りの群衆を捕らえ移した。12 しかし、親衛隊の長はその地の貧しい民の一部を残し、ぶどうを作る者と農夫にした。

13 カルデア人は、【主】の宮の青銅の柱と、車輪付きの台と、【主】の宮にある青銅の「海」を砕いて、その青銅をバビロンへ運んだ。14 また、灰壺、十能、芯取りばさみ、平皿、奉仕に用いるすべての青銅の器具を奪った。15 また親衛隊の長は、火皿、鉢など、純金や純銀のものを奪った。16 ソロモンが【主】の宮のために作った二本の柱、一つの「海」、車輪付きの台、これらすべての物の青銅の重さは、量りきれなかった。17 一本の柱の高さは十八キュビト、その上の柱頭は青銅、その柱頭の高さは三キュビトであった。柱頭の周りに格子細工とざくろがあって、すべて青銅であった。もう一つの柱も、格子細工もこれと同様であった。

18 親衛隊の長は、祭司のかしらセラヤと次席祭司ゼパニヤと三人の入り口を守る者を捕らえ、19 戦士たちの指揮官であった一人の宦官、都にいた王の五人の側近、民衆を徴兵する軍の長の書記、そして都にいた民衆六十人を、都から連れ去った。20 親衛隊の長ネブザルアダンは彼らを捕らえ、リブラにいるバビロンの王のところへ連れて行った。21 バビロンの王はハマテの地のリブラで、彼らを打ち殺した。こうして、ユダはその国から捕らえ移された。

エルサレムが陥落、ユダ南王国終焉の記録です。南ユダ最後の王ゼデキヤの治世の第九年とは、前588年になります。その年の第十日に、バビロンの王ネブカドネツァルは全軍勢を率いてエルサレムを攻めて来て、これに対して陣を敷き、周囲に塁を築きました。実際には、この時エルサレムを攻めて来たのはネブカドネツァルではなく、彼の親衛隊長のネブザルアダンでした。というのは、ネブカドネツァルはこの戦いに参戦しようとしていたエジプトとの戦いに備えてリブナにいたからです。こうしてエルサレムはゼデキヤ王の第十一年(前586年)まで包囲されてしまいました。ネブザルアダンの戦法はエルサレムを兵糧攻めにして、確実に落とす方法でした。その結果、都の中で食糧難がひどくなり、民衆に食物がなくなりました。

そのときです。バビロン軍が城壁を破って町に侵入しました。ゼデキヤの治世の第十一年第四の月の九日(前586年7月9日)のことです。この攻撃は2年に渡って続けられました。町にいた戦士たちは、二重になっていた城壁の間にある門の道から出て行きました。一方、ゼデキヤ王もアラバへの道を進みましたが、すぐにカルデアの軍勢に捕らえられると、王の軍隊はみな王から離れ散ってしまいました。

そこでカルデア人は王を捕らえ、リブナにいたバビロンの王のところに彼を連れて行くと、ネブカドネツァル王はゼテキヤの息子たちを彼の目の前で虐殺し、ゼデキヤの目をつぶし、青銅の足かせをはめて、バビロンへ連れて行きました。バビロンの王はなぜこんなにもひどいことをしたのでしょうか。それは、こうすることで将来反乱を起こす危険性を少なくするためです。またゼデキヤの目がつぶされたのは、こうすることで、反乱の意欲を完全に摘み取るためです。このようにしてゼデキヤはバビロンに連れて行かれ、そこで死ぬことになります。

ところで、このことを預言した預言者がいます。それはエゼキエルです。エレミヤは最後の最後までエルサレムに残った預言者でしたが、エゼキエルは第二次バビロン捕囚の時に、エホヤキンと共に捕え移された祭司の一人でした。その捕囚の民に対して、彼らがまだかたくなで、偽預言者のことばに惑わされエルサレムがバビロンから解放されるという期待を持っていたので、神の預言を告げるのですが、それがエゼキエル12章9~13節のことばです。

「人の子よ。反逆の家、イスラエルの家は、あなたに『何をしているのか』と尋ねなかったか。10 彼らに言え。『【神】である主はこう言われる。この宣告は、エルサレムの君主、およびそこにいるイスラエルの全家に関わるものである。』11 また言え。『私は、あなたがたへのしるしである。私がしたようなことが彼らにもなされる。彼らは捕囚となって引いて行かれる。12 彼らのうちにいる君主は、暗いうちに荷物を背負って出て行く。出て行けるように壁に穴が開けられる。彼は顔をおおう。自分の目でその地を見ることはもうないからである。』13 わたしはまた、彼の上にわたしの網をかけ、彼はわたしの罠にかかる。わたしは彼をカルデア人の地、バビロンへ連れて行く。しかし、彼はその地を見ずに、そこで死ぬ。」

エルサレムの君主とはユダの王ゼデキヤのことです。彼はこっそり荷物をまとめて出ていくことになります。彼は自分の目でその地を見ることはありません。彼はバビロンへ連れて行かれることになりますが、その地を見ることなく、そこで死ぬことになるのです。これはまさにゼデキヤが目を抉り取られてバビロンに連れて行かれて死ぬということの預言だったのです。その預言の通り、彼は目をつぶされてバビロンへ連れて行かれ、そこで死ぬことになります。主が語られた通りです。主の語られたことは、その通り実現するのです。しかし、彼らには悔い改める時がありました。バビロン捕囚は3回にわたって行われましたが、それは神の憐れみと忍耐を表していました。神は彼らが悔い改めることを待っておられたのです。それは私たちに対しても同じです。神は私たちが悔い改めて神に立ち返ることを願っておられます。ゼテキヤのように目を抉り取られてバビロンに連れて行かれることがないように、悔い改めて神に立ち返らなければなりません。

次に、8~23節をご覧ください。エルサレムに侵入してから4週間後、すなわち、第五の月の十日に、バビロンの王ネブカドネツァルは親衛隊の長であったネブザルアダンをエルサレムに派遣し、主の宮と王宮をはじめ、エルサレムのすべての家を焼き、そのおもだった建物を火で焼きました。さらに、エルサレムを取り囲む城壁も打ち壊しました。また、都に残されていた残りの民と、バビロンの王に降伏した投降者たちと、残りの群衆を捕らえ移しましたが、その地の貧しい民の一部は残し、ぶどうを作る者と農夫にしました。征服した町を廃墟としないためです。さらに、神殿の宝物や器具類をすべてバビロンに運びました。エルサレム陥落です。エルサレムはことごとく取られ、焼け打ちにされ、色あせた世界になってしまいました。

こうした一連の出来事は、エレミヤによって預言されていたことでした。エレミヤはゼデキヤはじめユダの民に対して、バビロンに首を差し出し、彼とその民に仕えて生きよ。バビロンのくびきを拒むなら、滅び以外に道はないと警告していたにもかかわらず、ゼデキヤはそのことばを無視してネブカドネツァルに反逆しました。つまり、ゼデキヤはエレミヤを通して語られた主のことばに従わず、その結果、主に逆らってしまったのです。しかし、それはゼデキヤの周りにいたにせ預言者たちの偽りも大きい影響を与えました。彼にとってエルサレムの没落を告げるにせ預言者ハナヌヤのことばは、エレミヤのメッセージよりも受け入れやすいものでした。彼自身の願望を後押しするものであったからです。しかし、そのような弱さを持つのはゼデキヤばかりではありません。人は常に自分の思いを支えることばを探し求めています。カウンセリングと称しつつ、本当のところは自分の思いを後押しするだけのカウンセラーを求めるということがあるのです。でも信仰は願望を遂げる道具ではありません。エレミヤの預言の通り、エルサレムは滅亡しました。こうして、ユダはその国から捕え移されることになったのです。

Ⅱ.総督ゲダルヤ(22-26)

しかし、こうした絶望的な終焉を迎えた後で、列王記の著者は二つのエピソードを書き加えています。その一つが。総督ゲダルヤの、バビロンの王に仕えて幸せになるようにというメッセージです。22~26節をご覧ください。「22 バビロンの王ネブカドネツァルは、彼が残したユダの地の残りの民の上に、シャファンの子アヒカムの子ゲダルヤを総督として任命した。23 軍の高官たちとその部下たちはみな、バビロンの王がゲダルヤを総督としたことを聞いて、ミツパにいるゲダルヤのもとに来た。それは、ネタンヤの子イシュマエル、カレアハの子ヨハナン、ネトファ人タンフメテの子セラヤ、マアカ人の子ヤアザンヤ、彼らとその部下たちであった。24 ゲダルヤは彼らとその部下たちに誓って、彼らに言った。「カルデア人の家来たちを恐れてはならない。この地に住んで、バビロンの王に仕えなさい。そうすれば、あなたがたは幸せになる。」25 ところが第七の月に、王族の一人、エリシャマの子ネタンヤの子イシュマエルは、十人の部下とともに来て、ゲダルヤを打ち殺し、ミツパで彼と一緒にいたユダの人たちとカルデア人たちを打ち殺した。」

ゲダルヤは、ヨシヤが宗教改革をしたときの書記シャファンの孫です。さらに、ゲダルヤはエレミヤの友人であったようです(エレミヤ39:14)。エレミヤは、ユダが生き残る道はバビロンに降伏しバビロンの王に仕えることであると預言していました(エレミヤ21:8-9)が、ゲダルヤはそのことばを受け入れてそのように民を説得しました。ところが、それを受け入れない人々がいたのです。それは、エリシャマの子ネタンヤの子イシュマエルです。彼は十人の部下とともに来て、ゲダルヤを打ち殺し、ミツパで彼と一緒にいたユダの人たちとカルデア人たちを打ち殺しました。イシュマエルは王族の一人で、総督になりたがっていた人物です。その彼が陰謀によってゲダルヤを暗殺したのです。そこでバビロンの報復を恐れた民はみな、身分の下の者から上の者まで、軍の高官たちとともに、エジプトに逃れました。この時、エレミヤは彼らにエジプトに下らないでバビロンにとどまるようにという主のことばを語りましたが、彼らはそのことばを聞かず強制的にエレミヤをもエジプトに連れて行きました(エレミヤ43:6~7)。

神はユダの民にバビロン捕囚という平安を与える計画、将来と希望を与える計画を用意しておられたのに、彼らはそれを受け入れることができませんでした。危機の時に神の計画を受け入れられないなら、そこにはもはや希望は残されていません。

Ⅲ.祝福を受けるエホヤキン(27-30)

もう一つのエピソードは、ユダの王エホヤキンの釈放と立場の変更です。27~30節をご覧ください。「27 ユダの王エホヤキンが捕らえ移されて三十七年目の第十二の月の二十七日、バビロンの王エビル・メロダクは、王となったその年のうちにユダの王エホヤキンを牢獄から呼び戻し、28 優しいことばをかけ、バビロンで彼とともにいた王たちの位よりも、彼の位を高くした。29 彼は囚人の服を脱ぎ、その一生の間、いつも王の前で食事をした。30 彼の生活費はその日々の分を、一生の間、いつも王から支給されていた。」

ユダの王エホヤキンは、第二次バビロン捕囚の時に降伏しバビロンに捕え移されました。そのエホヤキンが捕え移されて37年目の12月27日、すなわち、バビロンの王がネブカドネツァルからエビル・メロダククに代わったその年のうちに、彼はエホヤキンを牢獄から呼び出し、彼に優しいことばをかけ、バビロンで彼とともにいた王たちの位よりも、彼の位を高くしました。それまでは、征服された国の王たちは囚人としての扱いを受けていましたが、新しく王となったバビロンの王エビル・メロダクはその政策を変更し、王は王として取り扱うことにしたのです。ユダの王エホヤキンは、他の国々の王たちよりもさらに丁寧な扱いを受けました。そればかりか、彼は、その一生の間、いつも王の前で食事をするという祝福にあずかることができました。しかも、彼の生活費はすべて、一生の間、いつも王から支給されていたのです。なぜでしょうか。

ユダの王エホヤキンは、「子を残さず、一生栄えない男」と記録せよ。」(エレミヤ22:30)と言われた人物です。彼のせいで、彼の子孫のうち一人も、ダビデの王座に着いて栄、再びユダを治める者はいなくなりました。そのエホヤキンが、これほどの祝福にあずかることができるようになったのです。それは、彼は神のみことばに聞き従わない悪王であったにもかかわらず、この一点において従ったからです。それは、バビロンに首を差し出し、彼とその民に仕えて生きよ、という点です。そこにはバビロンの王エビル・メロダクの政策転換によるものでしたが、彼の中に主のみことばに従うという柔和さがあったのも確かです。

これらのことから言えることは何かというと、神は厳しい裁き主だけではないということです。神はあわれみ深い裁き主でもあるのです。神はいつまでも怒っているのではありません。神はイスラエル再生の道を示されました。実際イスラエルはやがて故郷に連れ戻され、やがてそこに神殿を再建していきます。たとえ神のさばきを受け、隷属する身になろうとも、その身に甘んじることが主への従順であり主のご計画にあずかることなのです。神の前にへりくだり、神のことばに心を開き、忠実な歩みをしていくことが祝福の道なのです。

そのことは、このⅡ列王記の最後のことばを見てもわかります。これは、エレミヤ書の最後と同じ言葉です(エレミヤ52:31~34)。ここには神の恵みが啓示されています。ダビデの家系が継続するという希望です。これは、ダビデ契約に基づく希望です(Ⅱサムエル7:16)。そしてそれがクロス王によるエルサレム帰還の勅令へとつながっていくのです。つまり、神はどんなことがあってもご自身の民を決してお見捨てにはならないということです。どんなに神に背き、反逆し続ける民であっても、主は真実な方であられ、その約束を最後まで果たされるのです。私たちもこの真実な神に信頼して、主の御顔を見るまで、この地上での生涯を走り続けていきたいと思います。

Ⅱ列王記24章

 Ⅱ列王記24章から学びます。

 Ⅰ.第一次バビロン捕囚(1-7)

まず、1~7節をご覧ください。「1 エホヤキムの時代に、バビロンの王ネブカドネツァルが攻め上って来た。エホヤキムは三年間彼のしもべとなったが、その後、再び彼に反逆した。2 そこで【主】は、カルデア人の略奪隊、アラムの略奪隊、モアブの略奪隊、アンモン人の略奪隊を遣わしてエホヤキムを攻められた。ユダを攻めて滅ぼすために彼らを遣わされたのである。【主】がそのしもべである預言者たちによって告げられたことばのとおりであった。3 実に、このようなことがユダに起こったのは、ユダを主の前から除くという【主】の命によることであり、それはマナセが犯したすべての罪のゆえ、4 また、マナセが流した咎のない者の血のためであった。マナセはエルサレムを咎のない者の血で満たした。そのため【主】は赦そうとはされなかったのである。5 エホヤキムについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。6 エホヤキムは先祖とともに眠りにつき、その子エホヤキンが代わって王となった。7 エジプトの王は自分の国から再び出て来ることがなかった。バビロンの王が、エジプト川から大河ユーフラテスに至るまで、かつてエジプトの王に属していた全領土を占領したからである。」

1節に「エホヤキムの時代に」とあります。エホヤキムについては23章36節と37節から記録されてあります。前章で学んだヨシヤ王の後を継いだのは、ヨシヤ王の次男であったエホアハズでした。彼については23章31~35節まで記されてありますが、彼は23歳で王となり、3か月間、王でした。彼は、すべてその先祖たちがしたように、主の目に悪であることを行いました。彼は父ヨシヤがあれほどいのちがけで宗教改革を行ったにもかかわらず、何の影響も受けなかったというのは不思議なことです。

結局、彼はリブナに宿営していたエジプトの王にファラオ・ネコに呼び寄せられ、幽閉されます。そればかりか、エジプトの属国となり銀100タラントと金1タラントという多額の科料を課せられることになるのです。その後エホアハズはエジプトに連行され、そこで死ぬことになります。それはエレミヤが預言していた通りでした(エレミヤ22:11~12)。彼の統治が短命に終わったのも、当然のことと言えるでしょう。

エジプトの王ファラオ・ネコは、そのエホアハズに変えて彼の兄のエルヤキムをユダの王に据えました。彼は25歳で王となり、エルサレムで11年間、王でした。彼も、すべてその先祖たちがしたように、主の目に悪であることを行いました。そのエホヤキムの時代に、バビロンの王ネブカドネツァルが攻め上って来ました。それまでユダはエジプトの王ファラオ・ネコの支配下にありましたが、その頃バビロンの勢力が強まり、バビロンはB.C.605年にネブカドネツァルが王になると、あの有名なカルケミシュの戦いでエジプトを打ち破り、ユダに攻め上って来たのです。そしてこの年(B.C.605)にダニエルを初めとする数人(王族や貴族)をバビロンに捕囚として引いて行きました。これが第一次バビロン捕囚です(ダニエル1:1~3)。エホヤキムは3年間バビロンのしもべとなりましたが、その後再び反逆します。

そこで主は、カルデア人の略奪隊、アラムの略奪隊、モアブの略奪隊、アンモン人の略奪隊を遣わしてエホヤキムを攻められました。ユダを攻めて滅ぼすことは主から出たことであり、主のみこころだったのです。それはマナセが犯したすべての罪のゆえであり、また、マナセが流した咎のない者の血のためでした。主はそれを赦そうとはなさらなかったのです。それはヨシヤ王の二人の子どもを見てもわかります。ヨシヤ王がどんなに宗教改革を行い、心からへりくだり、心を尽くして主に従っても、その子エホアハズとエホヤキムは、主の目に悪であることを行いました。それはすでにマナセが行なったその罪によって人々の心は主に立ち返ることができないほどになっていたということです。

エホヤキムが死ぬと、その子エホヤキンが代わって王となりました。エジプトの王は自分の国から再び出てくることはありませんでした。バビロンが、エジプト川から大河ユーフラテスに至るまで、かつてエジプトの王に属していたすべての領土を占領していたからです。

Ⅱ.第二次バビロン捕囚(8-16)

次に、8~16節をご覧ください。「8 エホヤキンは十八歳で王となり、エルサレムで三か月間、王であった。彼の母の名はネフシュタといい、エルサレム出身のエルナタンの娘であった。9 彼は、すべて先祖たちがしたように、【主】の目に悪であることを行った。10 そのころ、バビロンの王ネブカドネツァルの家来たちがエルサレムに攻め上り、都は包囲された。11 バビロンの王ネブカドネツァルが都にやって来たとき、彼の家来たちは都を包囲していた。12 ユダの王エホヤキンは、その母、家来たち、高官たち、宦官たちと一緒にバビロンの王に降伏したので、バビロンの王は、その治世の第八年に、彼を捕虜にした。13 バビロンの王は、【主】の宮の財宝と王宮の財宝をことごとく運び出し、【主】の神殿の中にあるイスラエルの王ソロモンが作ったすべての金の用具を切り裂いた。【主】が告げられたとおりであった。14 彼はエルサレムのすべて、すなわち、すべての高官、すべての有力者一万人、それに職人や鍛冶もみな、捕囚として捕らえ移した。貧しい民衆のほかは残されなかった。15 彼はさらに、エホヤキンをバビロンへ引いて行き、王の母、王の妻たち、その宦官たち、この国のおもだった人々を、捕囚としてエルサレムからバビロンへ行かせた。16 バビロンの王は、すべての勇士たち七千人と、職人、鍛冶千人からなる勇敢な戦士たちすべてを、捕囚としてバビロンへ連れて行った。」

エホヤキムの後にユダの王となったのは、その子エホヤキンです。父がエホヤキムでその子がエホヤキンです。「ム」と「ン」の違いです。彼は18歳で王となると、エルサレムで3か月間、王でした。彼は、すべて先祖たちがしたように、主の目に悪であることを行いました。

そのころ、のことです。バビロンの王ネブカドネツァルの家来たちがエルサレムにやって来ると、これを完全に包囲しました。そして、ネブカドネツァルがエルサレムにやって来ると、エホヤキンは王母や家来たち、高官たち、宦官たちと一緒にバビロンの王に降伏したので、彼らはバビロンに連行されました。これはB.C.597年の出来事です。ネブカドネツァルの治世の第8年のことです。これが第二回目のバビロン捕囚です。

13~16節をご覧ください。バビロンの王は、主の宮の財宝と王宮の財宝をことごとく運び出し、主の神殿の中にあるイスラエルの王ソロモンが作ったすべての金の用具を切り裂きました。これは、イザヤを通して主がヒゼキヤに告げられたとおりです(Ⅱ列王20:16~20)。あの時は小国にしかすぎなかったバビロンでユダとの同盟国だったのですが、今や自分たちのすべてのものを取り上げる強奪者になったのです。

そればかりではありません。彼はエルサレムのすべて、すなわち、すべての高官、すべての有力者だけで1万人、それに職人や鍛冶もみな、捕囚としてバビロンに捕え移しました。ユダの地に残されたのは、貧しい民衆だけでした。エレミヤ書には、その合計は4千600人とあります(エレミヤ52:30)。おそらく、その違いはエレミヤがこの時に捕え移された人数を上げているのに対して、Ⅱ列王記の著者は、それまでの捕囚の民をすべて足した数を上げているからではないかと思われます。この時、預言者エゼキエルも捕囚の民として連れて行かれました(エゼキエル1:1~3)。彼の預言者としての活動は、この時から始まっています(4)。バビロンの王は、さらにすべての勇士たち7千人と職人、鍛冶職人千人を捕囚としてバビロンに連れて行きました。

このように、不信仰な者が土地から追い出されるということは、モーセの時代から預言されていたことです。それが今ここに起こったということです。確かに神はその中からも回復させてくださいますが、大切なのは、神の警告を受けたならこの約束を思い起こして主に立ち返ることです。

Ⅲ.第三次バビロン捕囚(17-20)

最後に、17~20節を見て終わります。「17 バビロンの王は、エホヤキンのおじマタンヤをエホヤキンの代わりに王とし、その名をゼデキヤと改めさせた。18 ゼデキヤは二十一歳で王となり、エルサレムで十一年間、王であった。彼の母の名はハムタルといい、リブナ出身のエレミヤの娘であった。19 彼は、すべてエホヤキムがしたように、【主】の目に悪であることを行った。20 実に、エルサレムとユダが主の前から投げ捨てられるに至ったのは、【主】の怒りによることであったのである。その後、ゼデキヤはバビロンの王に反逆した。」

バビロンの王ネブカドネツァルは、エホヤキンのおじのマタンヤをエホヤキンの代わりに王とし、その名をゼデキヤと改めさせました。エホヤキンは別名エコンヤですが、彼のことについてはエレミヤ22章で学びました。彼については、「子を残さず、一生栄えない男」と記録されるようになるとありました。それは、彼にはや人の息子がいましたが、だれ一人ダビデの王座について、再びユダを治める者はいないからです(エレミヤ22:30)。つまり、彼の子孫からは誰もユダを治める王が出ないということです。事実、彼(エホヤキン)の後に王となったのは、彼の子ではなく彼の父(エホヤキム)の弟のマタンヤでした。つまり、エホヤキンから見るとおじに当たる人物です。

バビロンの王ネブカドネツァルは、このマタンヤを王としますが、名前を「ゼデキヤ」に改名します。意味は「主は正義」です。どうしてこのような名前に改名したのかはわかりません。もしかすると、エレミヤ22:30のみことばの通り、エホヤキンの息子ではなくそのおじのエコンヤが王になるという主のことばが成就したからでしょうか。はっきりしたことはわかりません。

ゼデキヤは21歳で王になると、エルサレムで11年間、王でした。彼は南ユダ王国最後の王でしたが、民は彼を王と認めていませんでした。前の王であったエホヤキンが捕囚の地でまだ生きていたからです。さらに、ゼデキヤはバビロンの王ネブカドネツァルによって任命されていたからです。

彼は、すべてエホヤキムがしたように、主の目に悪であることを行いました。ここで「エホヤキンがしたように」ではなく「エホヤキムがしたように」とあるのは、エホヤキンの治世が3か月という短い期間であったこと、それとエホヤキムが実兄であり、彼がその兄のエホヤキムの悪政を見習っていたということを強調しようとしたからではないかと思われます。それでエルサレムとユダは完全に主の前から投げ捨てられることになります。完全に投げ捨てられるとは、エルサレムの町と神殿が破壊され、その土地から追い出されるという意味です。これがB.C.586年に起こる第三次バビロン捕囚のことです。

そのような中でもゼデキヤはバビロンの王に反逆します。数年間はバビロンに服従するのですが、国内の国粋主義者の圧力に屈し、バビロンに反逆するのです。その時に頼ったのがまたしてもエジプトでした(エゼキエル17:11~21)。彼は捕囚という悲劇を目撃しながら、悔い改めに至りませんでした。偽預言者たちの声に惑わされ、エレミヤたちの預言を受け入れず、むしろそうした預言者たちを迫害したのです。この時の様子はエレミヤ書で見た通りです。ユダはバビロンから解放される、救い出されるという偽預言者たちの語る耳障りの良いことばに、すっかり騙されていたのです。

苦難は人を謙遜にするか、より頑なにするかのいずれかです。バビロンに服せよ、というメッセージは聞くことは過酷なことですが、その苦難によって砕かれるなら幸いです。バビロン捕囚は3回に渡って行われましたが、最終的にエルサレムが滅ぼされたのは3回目の時でした。もしその前にバビロンに降伏していたら破壊は免れていたかもしれません。大切なことは神のみこころは何かをよく悟ことです。この時のみこころはバビロンに反逆することではなく、バビロンに服することでした。私たちも思い込みをしないように、注意しなければなりません。何が神のみこころなのかを知り、それに従うこと、それが私たちにとって求められていることなのです。

Ⅱ列王記23章

 Ⅱ列王記23章から学びます。

 Ⅰ.ヨシヤ王の宗教改革(1-27)

まず、1~3節をご覧ください。「1 王は使者を遣わして、ユダとエルサレムのすべての長老たちを彼のところに集めた。2 王は、ユダのすべての人々、エルサレムのすべての住民、祭司と預言者、および下の者から上の者まで、すべての民とともに【主】の宮に上り、【主】の宮で見つかった契約の書のことばをすべて彼らに読み聞かせた。3 それから王は柱のわきに立ち、【主】の前に契約を結び、【主】に従って歩み、心を尽くし、いのちを尽くして主の命令と証しと掟を守り、この書物に記されているこの契約のことばを実行することを誓った。民もみなこの契約に加わった。」

ヨシヤの宗教改革が続きます。彼は使者を遣わして、ユダとエルサレムのすべての長老たちを集めました。そして、ユダのすべての人々とともに主の宮に上り、主の宮で見つかった契約の書のことばをすべて彼らに読み聞かせました。ここで重要なことは、彼はユダの長老たちだけでなく、ユダのすべての人々に契約の書のことばを聞かせたことです。彼はユダのすべての民がみことばを聞く必要があると強く感じたのです。牧師、役員、リーダーだけでなく、教会のすべての人がみことばを聞かなければなりません。教会の中心は神のみことばなのです。それなのに、教会は神のみことばを聞くよりも、どうしたら居心地の良い教会でいられるかを求める傾向があります。教会が教会であるために必要なことは、ただ神のみことばを聞き、それに従うことなのです。

ヨシュアはユダのすべての民に契約の書を読み聞かせるだけで終わりませんでした。彼は、主の宮の柱のわきに立ち、主の前に契約を結び、主に従って歩み、心を尽くし、いのちを尽くして主の命令と証と掟を守り行うことを誓いました。すると民もみなこの契約に加わりました。

次に、4~14節をご覧ください。「4 王は大祭司ヒルキヤと次席祭司たち、および、入り口を守る者たちに命じて、バアルやアシェラや天の万象のために作られた祭具をことごとく【主】の神殿から運び出し、エルサレムの郊外、キデロンの野でそれらを焼き、その灰をベテルへ持って行った。5 彼はまた、偶像に仕える祭司たちを取り除いた。ユダの王たちが任命して、ユダの町々やエルサレム周辺の高き所で犠牲を供えていた祭司たちである。バアルや太陽や月や星座や天の万象に犠牲を供える者たちも取り除いた。6 彼はまた、アシェラ像を【主】の宮からエルサレム郊外のキデロンの谷に運び出し、それをキデロンの谷で焼いた。それを粉々に砕いて灰にし、その灰を共同墓地にまき散らした。7 さらに、【主】の宮の中にあった神殿男娼の家を打ち壊した。そこでは、女たちがアシェラ像のために覆いを織っていた。8 彼はユダの町々から祭司たちをみな連れて来て、祭司たちが犠牲を供えていたゲバからベエル・シェバに至るまでの高き所を汚し、門にあった高き所を打ち壊した。それは町の長ヨシュアの門の入り口にあり、町の門に入る人の左側にあった。9 高き所の祭司たちは、エルサレムの【主】の祭壇に上ることはなかったが、その兄弟たちの間で種なしパンを食べていた。10 彼はベン・ヒノムの谷にあるトフェトを汚し、だれも、自分の息子や娘に火の中を通らせてモレクに献げることのないようにした。11 それから、ユダの王たちが太陽に献納した馬を、【主】の宮の入り口、前庭にある宦官ネタン・メレクの部屋のそばから取り除き、太陽の車を火で焼いた。12 王は、ユダの王たちがアハズの屋上の部屋の上に造った祭壇と、マナセが【主】の宮の二つの庭に造った祭壇を、そこから外して打ち壊し、砕いた。そうして、その灰をキデロンの谷に投げ捨てた。13 王は、エルサレムの東、破壊の山の南にあった高き所を汚れたものとした。これは、イスラエルの王ソロモンが、シドン人の忌むべき女神アシュタロテ、モアブの忌むべき神ケモシュ、アンモン人の忌み嫌うべき神ミルコムのために築いたものであった。14 また、石の柱を打ち砕き、アシェラ像を切り倒し、その場所を人の骨で満たした。」

それから、ヨシヤ王は大祭司ヒルキヤと次席祭司たち、および、入口を守る者たちに命じて、バアルやアシェラや天の万象のために作られた器物をことごとく主の本堂から運び出させ、エルサレムの郊外、キデロンの野でそれを焼き、その灰をベテルへ持って行かせました(4節)。彼はまた、偶像に仕える祭司たちも取り除きました(5節)。さらに、アシェラ像を主の宮からエルサレム郊外のキデロンの谷に運び出し、それらをキデロンの谷で焼きました(6節)。それを粉々に砕いては灰にし、その灰を共同墓地にまき散らしました。灰を共同墓地にまき散らすという行為は、その偶像を完全に使い物にさせなくするということです。さらに、主の宮の中にあった神殿男娼の家を打ち壊しました(7節)。さらに彼は、ユダの町々にあった高き所を打ち砕きました(8節)。ゲバからベエル・シェバに至るまでとは、ゲバというのはユダの北端にある町であり、ベエル・シェバは南端の町ですから、ユダ全体を行き巡って、ということです。そこにある高き所を打ち壊したのです。また、ベン・ヒノムの谷にあるトフェテを汚し(10節)、だれも、自分の息子や娘に火の中を通らせてモレクに献げることのないようにしました。それから、ユダの王たちが太陽に献納した馬を、主の宮の入り口、前庭にある宦官ネタン・メレクの部屋のそばから取り除き、太陽の車を火で焼きました(11節)。

彼は歴代の王たち(アハズ、マナセ、ソロモン、ヤロブアム)が作った異教の祭壇(12節)、エルサレムの東、破壊の山の南にあった高き所を汚れたものとしました(13節)。これは、イスラエルの王ソロモンが、シドン人の忌むべき女神アシュタロテ、モアブの忌むべき神ケモシュ、アンモン人の忌み嫌うべき神ミルコムのために築いたものでした。彼は偶像礼拝を初めに導入させたソロモン王の時の偶像にまでさかのぼって、改革をしようとしたのです。また、石の柱を打ち砕き、アシェラ像を切り倒し、その場所を人の骨で満たしました(14)。人の骨で満たしたとは、もう礼拝物として使用できないようにしたということです。

ヨシヤ王の宗教改革は徹底していました。こうしたことを行うにはかなり勇気が要ったことと思います。長年の伝統や遺物になっていたものを徹底的に破壊したのですから。それは彼が主のみことば通りに実行しようとしたからです。確かにヨシヤの目的は崇高なものでした。でもそれを実現する手段が必ずしも知恵あるものだったとは言えません。というのは、彼は説得や崇高な人格がもたらす影響力によってではなく、暴力的な方法によって偶像礼拝を一掃しようとしたからです。外からの強制では、内面を変えることはできません。心の一新のためには、神のあわれみと、聖霊の働きが必要なのです。

ヨシヤ王の宗教改革は北王国のサマリアにまでも及びました15~20節をご覧ください。「15 さらに彼は、ベテルにある祭壇と、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムが造った高き所、すなわち、その祭壇も高き所も打ち壊し、さらに高き所を焼いて粉々に砕いて灰にし、アシェラ像も焼いた。16 ヨシヤが振り向くと、山の中に墓があるのが見えた。そこで彼は人を遣わしてその墓から骨を取り出し、それを祭壇の上で焼き、祭壇を汚れたものとした。かつて、神の人がこのことを預言して叫んだ【主】のことばのとおりであった。17 ヨシヤは言った。「あそこに見える石碑は何か。」すると、町の人々は彼に答えた。「ユダから出て来て、あなたがベテルの祭壇に対してされたこれらのことを預言した神の人の墓です。」18 王は言った。「そのままにしておけ。だれも彼の骨を移してはならない。」そこで人々は彼の骨を、サマリアから出て来たあの預言者の骨と一緒にそのままにしておいた。19 ヨシヤはまた、イスラエルの王たちが造って主の怒りを引き起こした、サマリアの町々の高き所の宮もすべて取り除き、彼がベテルでしたのと全く同じことを、それらに対しても行った。20 彼は、そこにいた高き所の祭司たちをみな、祭壇の上で屠り、その祭壇の上で人の骨を焼いた。こうして、彼はエルサレムに帰った。」

北イスラエルと言えば、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムが造った金の子牛礼拝が有名ですが、彼はその祭壇も高き所も打ち壊し、粉々に砕いて灰にし、アシェラ像も焼きました。

16節には、ヨシヤが振り向くと、山の中に墓があるのが見えたとあります。そこで彼は人を遣わしてその墓から骨を取り出し、それを祭壇の上で焼き、祭壇を汚れたものとしました。これは約350年前、ヤロブアムに対して神の人が預言した言葉の成就でした。ユダから来た神の人は、ヨシヤという実名まで挙げて、この祭壇が汚されることを宣言したのです(1列王13:2)。その神のことばが、その通りに成就しました。

17節と18節をご覧ください。ここにもⅠ列王記13章の預言の成就が見られます。あの神の人がユダに帰るときに、主から、どこも寄り道をしてはいけないと命じられていましたが、ベテルに住む老預言者が彼をだまして、自分の家に連れて来ました。けれども、この不従順によって神の人は獅子に殺されましたが、その老預言者は彼の死を悲しみ、同じところに自分も埋葬されることを望みました。その神の人の墓です。その預言の通りに、彼の骨はサマリアから出てきたあの老預言者と一緒にそのままそこに置かれます(Ⅰ列王13:31-32)。

19,20節には、「ヨシヤはまた、イスラエルの王たちが造って主の怒りを引き起こした、サマリアの町々の高き所の宮もすべて取り除き、彼がベテルでしたのと全く同じことを、それらに対しても行った。彼は、そこにいた高き所の祭司たちをみな、祭壇の上で屠り、その祭壇の上で人の骨を焼いた。」とあります。高き所で偶像礼拝を導いていた祭司たちをみな祭壇の上で屠り、その祭壇の上で人の骨を焼いた。すなわち、死刑にしました。

ヨシヤの宗教改革は実に徹底していました。しかし、ここで少し疑問に残るのは、彼はなぜユダの宗教改革にとどまらず北イスラエルの宗教改革まで行ったのかということです。また、当時北イスラエルはアッシリヤの支配にあったのに、どうして彼はこれを行うことができたのかということです。これについては、モーセの律法には、北イスラエルも南ユダの区別はなく一つのイスラエルとして語られているのですから、みことばの通りにしようとすれば北イスラエルの改革を行おうとするのも当然のことだったのでしょう。

それにしても、アッシリヤの支配下の中で彼はどのようにしてこのような改革を実行することができたのでしょうか。それは、歴史はすでに、アッシリヤからバビロンに移っていたからです。バビロンが大きくなり、アッシリヤが小さくなっていきます。実に、ヨシヤの存命中に、アッシリヤはバビロンとの戦いに敗れ、紀元前612年その首都ニネベが滅びます。ですから、この地域におけるアッシリヤの支配がかなり弱められていたのです。

21~23節をご覧ください。ヨシヤ王の宗教改革のクライマックスは、過ぎ越しの祭りの復活でした。「21 王は民全体に次のように命じた。「この契約の書に記されているとおり、あなたがたの神、【主】に、過越のいけにえを献げよ。」22 実に、さばきつかさたちがイスラエルをさばいた時代以来、イスラエルの王たちとユダの王たちのどの時代にも、このような過越のいけにえが献げられたことはなかった。23 ただ、ヨシヤ王の第十八年に、エルサレムでこの過越のいけにえが【主】に献げられただけであった。」

ヨシヤは、イスラエルの国民的な霊的生活の要であった、過越の祭りを復活させました。「さばきつかさたちがイスラエルをさばいた時代」とは、士師の時代のことです。それ以来、過越の祭りが全く行われなかったということではなく、確かにそれからも行われてはいましたが、その重要な祭りが軽視されていたということです。ヨシヤは士師記に登場したどの王たちよりも厳密に、モーセの律法の命令に従って過越しの祭りを守ろうとしたのです。

どうして彼はこれほどの宗教改革を行うことができたのでしょうか。24節と25節に、その理由が述べられています。「24 さらにヨシヤは、霊媒、口寄せ、テラフィム、偶像、それに、ユダの地とエルサレムに見られるすべての忌むべき物も除き去った。こうして、彼は祭司ヒルキヤが【主】の宮で見つけた書物に記されている律法のことばを実行した。25 ヨシヤのようにモーセのすべての律法にしたがって、心のすべて、たましいのすべて、力のすべてをもって【主】に立ち返った王は、彼より前にはいなかった。彼の後にも彼のような者は、一人も起こらなかった。

聖書の記者は、「ヨシヤのようにモーセのすべての律法にしたがって、心のすべて、たましいのすべて、力のすべてをもって【主】に立ち返った王は、彼より前にはいなかった。彼の後にも彼のような者は、一人も起こらなかった。」と彼を評価しています。それはヨシヤが神との契約の書と出会ったからです。彼が王になってから18年間、契約の書に出会うまで、宮の偶像は放置されたままでした。しかし、契約の書を読むことで、それが罪であることを悟らされたのです。主のことばに心を開く時に聖霊が働くからです。心から悔い改め、主の御心に応じようとするところに、新しいいのちのわざが生じます。悔い改めの連続が、私たちの新しい信仰生活を形作ることになるのです。

Ⅱ.それにもかかわらず(26-27)

次に、26~27節をご覧ください。「26 それにもかかわらず、マナセが引き起こした主のすべての怒りのゆえに、【主】はユダに向けて燃やした激しい怒りを収めようとはされなかった。27 【主】は言われた。「わたしがイスラエルを除いたのと同じように、ユダもわたしの前から除く。わたしが選んだこの都エルサレムも、わたしの名を置くと言ったこの宮も、わたしは退ける。」

ヨシヤ王の徹底した宗教改革にも関わらず、主はなぜユダに向けて燃やされた激しい怒りを収めようとされなかったのでしょうか(26節)。それは、マナセが引き起こした罪があまりにも大きかったからです。それに対する主のすべての怒りのゆえに、主はユダに向けて燃やした激しい怒りを収めようとしませんでした。どういうことですか? マナセが引き起こした罪があまりにも大きかったので、民はもはや悔い改めることさえできなない状態まで来ていたということです。ヨシヤは最善を尽くしましたが、もはや一人の王のリバイバルによって回復できるような状態ではなかったのです。それで主はイスラエルを除いたのと同じように、ユダもご自身の前から取り除くと宣言されたのです。これは具体的にはバビロンに滅ぼされるということです。バビロン捕囚という出来事です。

これは丁度今礼拝の説教でエレミヤ書を学んでいるのでわかりますが、それさえも神の計画の中にあることでした。それはわざわいではなく、平安を与える計画であり、将来と希望を与えるものだったのです。なぜなら、そのことによって彼らは真に悔い改め、その先にある回復を見るようになるからです。それは終末に起こることの預言でもあります。「こうしてイスラエルはみな救われる」(ローマ11:26)とありますが、どのようにしてイスラエルはみな救われるのでしょうか。「こうして」です。彼らが悔い改めないで主を拒絶し続けることで、世の終わりに7年間の大患難が襲うことになります。その苦難の中で彼らは再臨のメシヤこそ、自分たちの先祖たちが突き刺して殺したナザレのイエスであることを知り、胸をたたいて悔い改めるようになります。こうして、イスラエルはみな救われるのです。そして、「あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたの神となる。」(エレミヤ30:22)という神との約束が実現することになるのです。誰がそのようなことを考えることができるでしょうか。そのようなことは誰も考えることなどできないことです。しかし、神はできるのです。神は私たち人間と約束されたことは必ず守られる方だからです。

もともと人間が良いことをしたからといって、神は罪の結果を帳消しにすることはありません。人間が良いことをすれば神は喜び、悪いことをすれば悲しまれる、ということはあるでしょう。でも神は人間の態度に一々左右されながら歴史を導かれるお方ではありません。むしろご自身の最終計画を進められる中で、人間のありようをご覧になり、介入し、あわれみを注がれる方なのです。神が終末の裁きの計画を変えることはありません。しかし滅びに向かう人類の歩みの中で、個々の悔い改めがなされる時に、そこにあわれみを注ぎ、祝福を注いでくださるのです。だからといって、私たちは何もしなくても良い、ということではありません。ヨシヤのように心からへりくだり、心を尽くして主に仕えることができます。その中で、もう修復不能と思われるような中で、神は回復の希望をもたらしてくださるのです。あなたはもう一度建て上げられるのです。

Ⅲ.主のことばに対する柔軟さ(28-30)

最後に、28~30節を見て終わります。ここには、ヨシヤのもう一つの特筆すべき出来事が記されてあります。それは、彼が神のことばに逆らって自らの命を落としたという出来事です。

「28 ヨシヤについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。29 彼の時代に、エジプトの王ファラオ・ネコが、アッシリアの王のもとに行こうと、ユーフラテス川を目指して上って来た。そこで、ヨシヤ王は彼を迎え撃ちに行ったが、ファラオ・ネコはメギドで彼に出会った際、彼を殺した。30 ヨシヤの家来たちは、彼の遺体を戦車に載せ、メギドからエルサレムに運んで、彼の墓に葬った。その国の民は、ヨシヤの子エホアハズを選んで油を注ぎ、彼の父に代えて王とした。」

ヨシヤの時代に、エジプトの王ファラオ・ネコが、アッシリアの王のもとに行こうと、ユーフラテス川を目指して上って来時のことです。彼はファラオ・ネコを迎え撃ちに出て行くと、メギドで彼に出会ったファラオ・ネコは、彼を殺したのです。なぜ彼はそのような終わり方をしたのでしょうか。

この戦いは、BC609年頃、エジプトの王ファラオ・ネコが、カルケミシュでバビロンの王ナボポラッサルとの戦いのために出て来た時のことです。ヨシヤは、バビロン軍に挑戦しようとその途上にあったネコの軍隊を迎撃しようとした。Ⅱ歴代誌を読むと、エジプトの王ネコは目標はユダではなくバビロンなのだから、この戦いから手を引くようにとヨシヤに警告をしていました(35:21)。それなのにどうして彼はそこから手を引かなかったのか?神のみこころを第一とするヨシヤが、どうして「神の御口から出たネコのことばに聞こうとしなかった」(Ⅱ歴代35:22)のでしょうか?

二つの理由が考えられます。第一のことは、これは主のあわれみによるということです。覚えておられますか、主の宮で律法の書が見つかった時、彼は心を痛めて主の前にへりくだり、自分の衣を引き裂いて、主の前で泣いたのを。その時主もまた彼の願いを聞き入れると言って、次のように言われました。22章20節です。

「それゆえ、見よ、わたしはあなたを先祖たちのもとに集める。あなたは平安のうちに自分の墓に集められる。あなたは自分の目で、わたしがこの場所にもたらす、すべてのわざわいを見ることはない。』」彼らはそれを王に報告した。」

ユダの罪があまりにも大きいので、もはや主は彼らに対する激しい怒りを収めようとはされませんでした。それがバビロン捕囚です。主はヨシヤに対して、彼が主の前にへりくだり、自分の衣を引き裂いて、主の前で泣いたので、主がこの場所、エルサレムにもたらすすべてのわざわいを見ることがないようにしてくださったのです。ヨシヤがエジプトの王ファラオ・猫との戦いで死んだのはB.C.609年のことでしたが、ユダがバビロンによって捕囚とされた出来事は、その後大きく分けて3回にわたって行われました。B.C.605年、B.C.597年、B.C.586年です。ですから、ヨシヤはこのみことばの約束のとおり、自分の目でエルサレムにもたらされるすべてのわざわいを見ることなく死ぬことができました。これは主のあわれみによるのです。

もう一つの理由は、神のことばに対する受け止め方の問題です。確かに彼は徹底的に神のことばに従いました。しかし、神のことば、聖書通りにいきさえすればよいというのではありません。聖書を読み、主が語られることを聞くことが大切なのです。いうなら、彼の問題は聖書信仰という立場よりも、主の御言葉に対する柔軟さが欠落していたということです。聖書どおりに生きさえすればよいというのではありません。大切なのは、聖書を読み主が語っておられることを聞き、そのことばに応答して生きることなのです。

Ⅱ列王記22章

 

 Ⅱ列王記22章から学びます。

 Ⅰ.ユダの王ヨシヤ(1-7)

まず、1~7節をご覧ください。「1 ヨシヤは八歳で王となり、エルサレムで三十一年間、王であった。彼の母の名はエディダといい、ボツカテ出身のアダヤの娘であった。2 彼は【主】の目にかなうことを行い、父祖ダビデのすべての道に歩み、右にも左にもそれなかった。3 ヨシヤ王の第十八年に、王は、メシュラムの子アツァルヤの子である書記シャファンを【主】の宮に遣わして言った。4 「大祭司ヒルキヤのもとに上って行き、【主】の宮に納められていた金、すなわち、入り口を守る者たちが民から集めたものを彼に計算させよ。5 彼らが【主】の宮で工事をしている監督者たちにそれを手渡すようにせよ。そして、監督者たちは、神殿の破損の修理をするために、【主】の宮で工事をしている者たちにそれを渡すようにせよ。6 大工、建築する者、石工に渡し、神殿の修理のための木材や切り石を買わせよ。7 ただし、彼らの手に渡した金の精算がなされる必要はない。彼らは忠実に働いているからである。」」

マナセ、アモンと続いた悪王の次に王となったのはヨシヤです。彼の母の名はエディダといい、ボツカテの出のアダヤの娘でした。彼は8歳で王となり、エルサレムで31年間治めました。彼が8歳で王に就いたのは、彼の父親のアモンが家来の謀反によって殺されたからです。そこでまだ8歳でしかなかったヨシヤが王として立てられたのです。

彼の特筆すべき点は、彼が主の目にかなうことを行い、父祖ダビデのすべての道に歩み、右にも左にもそれなかったという点です。南王国ユダには、アヒヤやセゼキヤのような善王がいましたが、その中でも彼はかつてないほどの善王、ユダの王たちの中でも最善の王と称せられるほどでした。彼は父祖ダビデのすべての道に歩、右にも左にもそれませんでした。彼の信仰は、それほど徹底していたのです。

ヨシヤは、その治世の18年、すなわち、彼が26歳の時に神殿の修理に着手します。それは単に神殿が老朽化したからということではなく、祖父マナセと父アモンによって神殿が荒らされていたからです。主のための器具は取り壊され、代わりに、偶像礼拝のための器具や祭壇、偶像などが持ち込まれていました。そのため破損がひどくなっていたのです。

彼はそのために必要な献金を集めると、それを、工事をしている者たちに渡し、神殿の修理に必要な木材や切り石を購入させました。しかし、彼らの手に渡した金の清算、すなわち会計報告を要求することはありませんでした。彼らが忠実に働いていたからです。このようにすることで、工事の進捗状況は一段と進んだはずです。彼は年が若くても、どうすれば人は動くのかをよく理解していました。

南王国ユダでは、これまでアサ、ヨシャパテ、ヒゼキヤの3人が宗教改革を行いましたが、ヨシヤが行った宗教改革は最大のものでした。彼は彼以前の誰よりも、徹底した改革を行ったのです。彼がこのような宗教改革を行うことができたのは、彼が主の目にかなうことを行い、父祖ダビデの道に歩み、右にも左にもそれなかったからです。私たちも主のみことばを握りしめ、主に信頼して歩むなら、主がその業を祝福してくださいます。

Ⅱ.律法の書の発見(8-13)

次に、8~13節をご覧ください。「8 そのとき、大祭司ヒルキヤは書記シャファンに、「【主】の宮で律法の書を見つけました」と言った。そしてヒルキヤがその書物をシャファンに渡したので、彼はそれを読んだ。9 書記シャファンは王のもとに行って、王に報告した。「しもべたちは、神殿にあった金を取り出して、これを【主】の宮で工事している監督者たちの手に渡しました。」10 さらに書記シャファンは王に告げた。「祭司ヒルキヤが私に一つの書物を渡してくれました。」シャファンは王の前でそれを読み上げた。11 王は律法の書のことばを聞いたとき、自分の衣を引き裂いた。12 王は祭司ヒルキヤ、シャファンの子アヒカム、ミカヤの子アクボル、書記シャファン、王の家来アサヤに次のように命じた。13 「行って、この見つかった書物のことばについて、私のため、民のため、ユダ全体のために、【主】を求めよ。私たちの先祖たちがこの書物のことばに聞き従わず、すべて私たちについて記されているとおりに行わなかったために、私たちに向かって燃え上がった【主】の憤りが激しいからだ。」

「そのとき」、大祭司ヒルキヤが主の宮で律法の書を発見しました。これは申命記の一部であったと考えられています。恐らく、モーセ五書だったものをマナセ王かアモン王が破壊したため、神殿に残されたのはそのうちの一部の申命記だったのではないかと思われます。

大祭司ヒルキヤはそれを読むと、それを書記のシャファンに渡して読むようにと勧めました。それを呼んだシェファンはどれほど驚いたことでしょうか。彼はすぐに王のもとに行って、王に報告しました。そしてそれをヨシヤ王の前で読み上げると、それを聞いたヨシヤ王は自分の衣を引き裂きました。これは、深い悔い改めを示す行為です。彼は、自分たちがとんでもない罪を行なってきたことに気づいたのです。そこには、イスラエルが主に背いて偶像礼拝を行なうならばどうなるか、すなわち、主の憤りとのろいが来るということが書かれてあったのでしょう。彼はそのモーセの預言が、まさに自分の世代で起ころうとしていることに気づいたのです。ということはどういうことかというと、確かにヨシヤ王は主の目にかなうことを起こってはいましたが、それはどちらというと感覚的なもの、感覚的な信仰であったということです。自分では主の目にかなったことを行っていると思ってはいましたが、実際に律法の書のことばを聞いたとき、自分の行いがそれとはかけ離れたものであることに気付いたのです。

そのようなことが私たちにもあります。自分では主の目にかなったことを行っていると思っていても実際には主のみこころからかけ離れているということが。信仰において重要なのは感覚的に従うのではなく、主のみことばを聞いて、それに従うことです。そして、もし主のみこころから離れていると気づいたなら、悔い改めて神に立ち返ることです。

それで彼はどうしましたか?彼は、祭司ヒルキヤとシャファンの子アヒカム、ミカの子アクボル、書記シャファン、王の家来アサヤを呼び、主のみこころを求めるように次のように命じました。

「行って、この見つかった書物のことばについて、私のため、民のため、ユダ全体のために、主を求めよ。私たちの先祖たちがこの書物のことばに聞き従わず、すべて私たちについて記されているとおりに行わなかったために、私たちに向かって燃え上がった主の憤りが激しいからだ。」(13)

ヨシヤ王は、先祖たちの時代から律法の書に記された主のことばが無視されてきたことを知り、主の裁きが下ることを恐れました。そして自分のために、また民のために、主の憤りと怒りとが取り去られるようにと願ったのです。

ヨシヤは、律法の書に記された神のことばを一度聞いただけで、すぐに宗教改革に着手しました。今の時代、私たちには聖書全巻が与えられていても、それに聞き従おうとしないことが多くあります。ヤコブ1章23~25節には、「みことばを聞いても行わない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で眺める人のようです。眺めても、そこを離れると、自分がどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめて、それから離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならず、実際に行う人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。」とあります。みことばは鏡のようなものです。みことばを聞いてもそれを行わなければ、自分の顔がどのような顔だったか忘れてしまいます。けれども、みことばを求め、そこから離れず、それを行う人は、その行いによって祝福されます。それは、自分にどのような変化がもたらされたかがわかるほどです。

ヨシヤのすばらしいかった点は、この点です。彼はいつも神のみことばを求め、それをすぐに実践しました。実に彼の信仰は、このみことばに裏付けられた、みことばに基づいたものだったのです。

Ⅲ.マナセの子アモン(14-20)

最後に、14~20節をご覧ください。「14 そこで、祭司ヒルキヤ、アヒカム、アクボル、シャファン、アサヤは、女預言者フルダのもとに行った。彼女は、ハルハスの子ティクワの子である装束係シャルムの妻で、エルサレムの第二区に住んでいた。彼らが彼女に伝えると、15 彼女は彼らに答えた。「イスラエルの神である【主】はこう言われます。『あなたがたをわたしのもとに遣わした人に言え。16 【主】はこう言われる。見よ。わたしは、ユダの王が読み上げた書物のすべてのことばどおりに、この場所とその住民の上にわざわいをもたらす。17 彼らはわたしを捨て、ほかの神々に犠牲を供え、自分たちのすべての手のわざで、わたしの怒りを引き起こした。こうして、わたしの憤りはこの場所に燃え上がり、消えることはない。』18 【主】を求めるためにあなたがたを遣わしたユダの王には、こう言いなさい。『あなたが聞いたことばについて、イスラエルの神である【主】は、こう言われる。19 あなたは、わたしがこの場所とその住民について、これは恐怖のもととなり、ののしりの的となると告げたのを聞いた。そのとき、あなたは心を痛めて【主】の前にへりくだり、自分の衣を引き裂いてわたしの前で泣いたので、わたしもまた、あなたの願いを聞き入れる──【主】のことば──。20 それゆえ、見よ、わたしはあなたを先祖たちのもとに集める。あなたは平安のうちに自分の墓に集められる。あなたは自分の目で、わたしがこの場所にもたらす、すべてのわざわいを見ることはない。』」彼らはそれを王に報告した。」

そこで彼らは、女預言者フルダのもとに行きました。当時、エルサレムには、エレミヤやゼパニヤ、ハバククおといったすぐれた預言者たちがいましたが、彼らはその中で女預言者フルダを選んだのです。なぜ彼女が選ばれたのかはわかりません。彼女の夫が祭司の衣装係のシャルムという人であったことも関係あるかもしれません。彼女は、よほど信頼されていたのでしょう。

フルダは王の使者たちに主のことばを伝えました。それは、この場所、すなわちエルサレムとその住民にわざわいをもたらされるということです。それはユダの民が主を捨て、ほかの神々に犠牲を供え、主の怒りを引き起こしたからです。その罪に対する神の憤りが消えることはありません。

けれども、主のみこころを求めたヨシヤには、以下のことばが伝えられます。19~20節です。「あなたは、わたしがこの場所とその住民について、これは恐怖のもととなり、ののしりの的となると告げたのを聞いた。そのとき、あなたは心を痛めて主の前にへりくだり、自分の衣を引き裂いてわたしの前で泣いたので、わたしもまた、あなたの願いを聞き入れる─主のことば─。それゆえ、見よ、わたしはあなたを先祖たちのもとに集める。あなたは平安のうちに自分の墓に集められる。あなたは自分の目で、わたしがこの場所にもたらす、すべてのわざわいを見ることはない。』」彼らはそれを王に報告した。」

ヨシュアは個人的に神のあわれみを受けるようになります。そのあわれみとは、彼が生きている間は神の裁きを免れるというものです。この神のさばきとは何を指しているのかというと、バビロンがユダを攻めてきて、ユダの民がバビロンに捕え移されることです。彼が生きている間はこの裁きはくだりません。なぜなら、ユダとエルサレムに対する神の裁きを聞いたとき、彼が心を痛めて主の前にへりくだり、自分の衣を引き裂いて主の前で泣いたからです。それで主は彼の願いを聞き入れてくださったからです。

この約束の通り、彼はバビロンの王ネブカドネツァルが最初にエルサレムを攻める前に死にます。バビロンの王ネブカドネツァルが最初にエルサレムを攻めたのは前605年ですが、彼はその前の前609年に死に、墓に葬られました。彼は平安のうちに自分の墓に集められたのです。それは、彼が主のみことばに基づいて主を求めたからです。ここがヨシヤの素晴らしかった点です。

ところで、このヨシヤ王は12章に登場したヨアシュ王と似ている点があります。ヨシヤは8歳で王となると、エルサレムで31年間治めましたが、一方、ヨアシュは7歳で王になると、エルサレムで40年間ユダを治めました。どちらも神殿の修繕作業を行いました。ヨアシュも主のみこころにかなうことを行いました。しかし、明らかに違う点があります。それは、ヨシヤはいつも主のみこころを求め、父祖ダビデのすべての道に歩み、右にも左にもそれなかったのに対して、ヨアシュは、祭司エホヤダが彼を教えた間はいつも主の目にかなうことを行いましたが、エホヤダが死ぬと、主のみこころからそれて行った点です。いったいどうしてヨアシュは主のみこころからそれ、ヨシヤはそれなかったのでしょうか。それは、ヨアシュは祭司エホヤダに支えられた信仰だったのに対して、ヨシヤは主のみことばに裏付けられた信仰であったからです。ヨシヤは主の神殿を再建したのみならず、再建途中に律法の書を見つけると、彼はそれを読み、悔い改め、神のみことばに従おうと努力しました。ただ教えられたとおりにするだけのヨアシュと、教えられたみことばを自らの生活に取り入れ、それを実践しようとしたヨシヤには、違いがあったのです。

大切なのは、神のみことばに対する姿勢です。神のみことばが、私たちの心を照らし、私たちに罪を示す時に、これを素直に受け入れる、あるいは神のみことばが私たちの心を照らし、みこころを示されるなら、それを素直に受け入れ、それを実際に行うかどうかということです。あるいは、神のみことばが私たちの心を照らし約束を語るならば、その約束に信頼してみことばに応答するかどうかです。ヨシヤにあってヨアシュになかったものはまさにこのことだったのです。 それは私たちにも言えることです。私たちの信仰も誰かに支えられてではなく、自ら神のみことばを読み、みことばを土台として生きるものでなければなりません。そして読んだみことばを素直に受け入れ、そのみことばに信仰をもって応答するなら、ヨシヤのような祝福がもたらされるのです。

Ⅱ列王記21章

 

Ⅱ列王記20章

 Ⅱ列王記20章から学びます。

 Ⅰ.ヒゼキヤの病気(1-7)

まず、1~7節をご覧ください。「1 そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。そこへ、アモツの子、預言者イザヤが来て、彼に言った。「【主】はこう言われる。『あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。治らない。』」2 ヒゼキヤは顔を壁に向け、【主】に祈った。3 「ああ、【主】よ、どうか思い出してください。私が真実と全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたの御目にかなうことを行ってきたことを。」ヒゼキヤは大声で泣いた。4 イザヤがまだ中庭を出ないうちに、次のような【主】のことばが彼にあった。5 「引き返して、わたしの民の君主ヒゼキヤに告げよ。あなたの父ダビデの神、【主】はこう言われます。『わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ、わたしはあなたを癒やす。あなたは三日目に【主】の宮に上る。6 わたしは、あなたの寿命にもう十五年を加える。わたしはアッシリアの王の手からあなたとこの都を救い出し、わたしのために、わたしのしもべダビデのためにこの都を守る。』」7 イザヤが「ひとかたまりの干しいちじくを持って来なさい」と命じたので、人々はそれを持って来て腫物に当てた。すると彼は治った。」

「そのころ」とは、エルサレムがアッシリアの王セナケリブの攻撃から守られた直後のころです。主はヒゼキヤの祈りに応え、アッシリアの陣営に主の使いを送り、一晩のうちに18万5千人を討ち殺しました。そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていました。すると、預言者イザヤが彼のところへやって来てこう言いました。「主はこう言われる。『あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。治らない。』」

それを聞いたヒゼキヤは、顔を壁に向けて大声で泣きながら主に祈りました。「ああ、【主】よ、どうか思い出してください。私が真実と全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたの御目にかなうことを行ってきたことを。」(3)

ヒゼキヤはこの時40歳でした。息子のマナセがまだ幼かったことや敵の侵攻を受けていたエルサレムの窮状を考えると、死んでも死にきれないと思ったのでしょう。あるいは、死ぬにはまだ若すぎる、もっと長生きしたいと思ったのかもしれません。ヒゼキヤは、この祈りの中で、これまで自分がいかに忠実に主の御前を歩んできたかを訴えています。

するとすぐに主からの答えが来ました。「イザヤがまだ中庭を出ないうちに」というのは、そのことを表しています。主はイザヤに、引き返して、ヒゼキヤにこう告げるようにと伝えました。「わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ、わたしはあなたを癒やす。あなたは三日目に【主】の宮に上る。6 わたしは、あなたの寿命にもう十五年を加える。わたしはアッシリアの王の手からあなたとこの都を救い出し、わたしのために、わたしのしもべダビデのためにこの都を守る。」(5-6)

主はヒゼキヤの祈りを聞かれました。彼の涙も見られました。これは慰めです。祈っても何の答えもないと、私たちはついつい主は私の祈りを聞いておられないのではないかとか、私のことなど忘れておられるのではないかと思い悲しくなってしまいますが、そうではなく、主はちゃんと私たちの祈りを聞いておられ、私たちの心を、私たちの涙も見ておられるのです。ヒゼキヤの病気は癒され、三日目に主の宮に上るようになります。主は彼の寿命にさらに15年を加えてくださるというのです。そればかりか、アッシリアの王の手から彼とエルサレムを救い出すと言われました。なぜでしょうか。その後のところにこうあります。「わたしのしもべダビデのために」。主はかつてダビデと約束したことのゆえに、ご自分の都エルサレムを守られるというのです。主は約束されたことを忠実に果たされる方、どこまでも真実な方なのです。

ヒゼキヤの信仰と祈りのゆえに、神は彼を癒し、エルサレムをアッシリアの侵攻から守られました。前732年~640年の約100年に及ぶ歴史の中で、善王はヒゼキヤただ一人でした。しかし、たった一人の善王が、ユダの歴史に大きな祝福をもたらしたのです。私たちも信仰者としては社会の中では少数かもしれませんが、ヒゼキヤのように信仰と祈りをもって神に向かうなら、大きな祝福をもたらす器になることができるのです。

7節をご覧ください。するとどうなりましたか?イザヤが「ひとかたまりの干しいちじくを持って来なさい」と命じたので、人々はそれを持って来て腫物に当てると、彼は治りました。干しいちじくという果物が癒したということではなく、癒したのはあくまでも主なる神さまです。確かに当時腫物の治療薬として干いちじくが用いられていましたが、この癒しは干いちじくによってもたらされたのではなく、神の方法によって起こったものです。神は、自然界にあるものを用いてヒゼキヤの病気をいやされたのです。ヒゼキヤの信仰と祈りに神が答えてくださったからです。

Ⅱ.神からのしるし(8-11)

次に、8~11節をご覧ください。「8 ヒゼキヤはイザヤに言った。「【主】が私を癒やしてくださり、私が三日目に【主】の宮に上れるしるしは何ですか。」9 イザヤは言った。「次のことが、あなたへの【主】からのしるしです。【主】は約束したことを成就されます。影が十度進むか、十度戻るかです。」10 ヒゼキヤは答えた。「影が十度伸びるのは容易なことです。むしろ、影が十度後に戻るようにしてください。」11 預言者イザヤが【主】に祈ると、主は、アハズの日時計に落ちた日時計の影を十度後に戻された。」

ヒゼキヤは、主が語られたことが本当に起こることなのかどうかを知るためにしるしを求めました。「しるし」とは証拠としての奇跡です。このようにしるしを求めることは、イスラエルでは珍しいことではありませんでした。士師6章には、ギデオンがしるしを求めたことが記されてあります。ミデアン人との戦いが本当に主から出たことなのかを知るたるめです。すると、主はその求めに応えてくださいました。ですから、しるしを求めること自体は悪いことではありません。問題は、それを信じないことです。ヒゼキヤは信じました。

主が彼を癒してくださり、三日目に主の宮に上れるしるしは何でしょうか?それは「影が十度進むか、十度戻るか」(9)です。これは、11節にあるように「アハズの日時計」のことです。アハズの日時計とはアハズの時代に作られた日時計ですが、それが十度進むか、それとも十度戻るか、です。影が前に進むのはあり得ることですが、後に戻ることはあり得ないことです。ですから、ヒゼキヤは影が十度後に戻ることを求めました。彼はより困難で、より劇的なしるしを求めたのです。かつて、ヨシュアはアモリ人との戦いにおいて、太陽が1日沈まないようにと祈りましたが、それと同じです。これは、創造主なる神だからこそできる奇蹟であって、通常では起こり得ないことです。ヒゼキヤは、それを求めたのです。

イザヤが主に祈ると、どうなったでしょうか?主は、アハズの日時計に落ちた日時計の影を十度後に戻されました。ヒゼキヤに約束されたことが実現することを示してくださったのです。

私たちの主、私たちの神は、何と優しいお方でしょうか。しるしを求めないと信じられない信仰の弱いヒゼキヤの求めにも応え、彼の信仰を強めるために役立たせてくださったのですから。でも、この原則を新約時代に生きる私たちに適用するのは慎重でなければなりません。いま私たちには、神の啓示の完成形である聖書が与えられているからです。大切なのは、神が聖書を通して語っておられるみことばを信じることです。主イエスは、復活を信じられなかったあの疑い深いトマスにこう言われました。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」大切なのは、見ないで信じることです。主によって語られたことは必ず実現すると信じ切った人は何と幸いでしょうか。私たちも主によって語られたことは必ず実現すると信じなければなりません。

Ⅲ.祈りの答え(12-21)

次に、12~21節をご覧ください。「12 そのころ、バルアダンの子、バビロンの王メロダク・バルアダンは使者を遣わして、手紙と贈り物をヒゼキヤに届けた。ヒゼキヤが病気だったことを聞いていたからである。13 ヒゼキヤは彼らを歓迎して、すべての宝庫、銀、金、香料、高価な油、武器庫、彼の宝物倉にあるすべての物を彼らに見せた。ヒゼキヤがその家の中、および国中で、彼らに見せなかった物は一つもなかった。14 預言者イザヤはヒゼキヤ王のところに来て、彼に尋ねた。「あの人たちは何と言いましたか。どこから来たのですか。」ヒゼキヤは「遠い国、バビロンから来ました」と答えた。15 イザヤは言った。「彼らはあなたの家で何を見たのですか。」ヒゼキヤは答えた。「私の家の中のすべての物を見ました。私の宝物倉の中で彼らに見せなかった物は一つもありません。」

16 イザヤはヒゼキヤに言った。「【主】のことばを聞きなさい。17 見よ。あなたの家にある物、あなたの父祖たちが今日まで蓄えてきた物がすべて、バビロンへ運び去られる日々が来る。何一つ残されることはない──【主】は言われる──。18 また、あなたが生む、あなた自身の息子たちの中には、捕らえられてバビロンの王の宮殿で宦官となる者がいる。」19 ヒゼキヤはイザヤに言った。「あなたが告げてくれた【主】のことばはありがたい。」彼は、自分が生きている間は平和と安定があるのではないか、と思ったのである。

20 ヒゼキヤについてのその他の事柄、彼のすべての功績、彼が貯水池と水道を造り、都に水を引いたこと、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。21 ヒゼキヤは先祖とともに眠りにつき、その子マナセが代わって王となった。」

「そのころ」とは、ヒゼキヤが病気から快復した直後のことです。ヒゼキヤが病気だったことを聞いたバビロンの王メロダク・バルアダンは使者を遣わして、手紙と贈り物をヒゼキヤに届けました。彼は、当時世界を支配していたアッシリアの脅威から身を守るために、ユダと友好関係を結ぼうとしていたのです。

ヒゼキヤはそれに対してどのように対応しましたか?ヒゼキヤは彼らを歓迎して、すべての宝庫、銀、金、香料、高価な油、武器庫、彼の宝物倉にあるすべての物を彼らに見せました。ヒゼキヤが彼らに見せなかった物は一つもありませんでした。彼は、これらの宝物があたかも自分の所有物であるかのように振る舞ったのです。これらはすべて神のものなのに。いったいなぜ彼はそんなことをしたのでしょうか。2歴代誌32章31節には、「バビロンの首長たちが、この地に示されたしるしについて調べるために彼のもとに使節を遣わしたとき、神は彼を試みて、その心にあることすべてを知ろうとして彼を捨て置かれた」とあります。ここに「神は彼を試みて、その心にあることすべてを知ろうして」とあります。つまり、神はヒゼキヤの心にあるものを暴かれたのです。心にあるものとは何でしょうか。それは高慢です。彼が病気だった時はへりくだって主に癒しを願い求めましたが、その病気が癒されると一転高ぶってしまいました。高慢は滅びに先立つとありますが、こうした彼の高ぶりが、ユダを滅びへの道へと進ませていくことになったのです。

すると、預言者イザヤがヒゼキヤのところに来て、彼に尋ねました。「あの人たちは何と言いましたか。どこから来たのですか。」(14)「えっ、バビロンからですけども何か?」そうヒゼキヤが答えると、イザヤは言いました。「彼らはあなたの家で何を見たのですか。」(15)するとヒゼキヤが答えました。「何って、私の家の中のすべての物ですけど・・・。私の宝物倉の中で見せなかった物は一つもありませんよ。」

おそらくヒゼキヤは、バビロンとの同盟関係に入ることが問題だとは考えていなかったのでしょう。むしろ、バビロンと手を結ぶことが対アッシリア政策においては得策だと考えていたのです。

するとイザヤはヒゼキヤに主のことばを伝えます。17~18節です。「見よ。あなたの家にある物、あなたの父祖たちが今日まで蓄えてきた物がすべて、バビロンへ運び去られる日々が来る。何一つ残されることはない─主は言われる─。また、あなたが生む、あなた自身の息子たちの中には、捕らえられてバビロンの王の宮殿で宦官となる者がいる。」

これはヒゼキヤ対する裁きのことばです。ヒゼキヤがそんなことをしたのは彼が高慢だったからであって、彼がバビロンの使者たちに見せたものは、そっくりそのままバビロンに持ち去られることになります。さらに、彼の子孫の中から、バビロン捕囚として連れて行かれる者が出ます。彼らはバビロンの王宮で宦官として仕えるようになるのです。イザヤはここで、後に起こるバビロン捕囚のことを預言しています。まだバビロンが台頭することは考えられなかったその時代に、バビロンによってユダが滅ぼされることを予告していたのです。ヒゼキヤが高ぶっていたので、それを戒めるために預言したのでしょう。

するとヒゼキヤは何と言いましたか?彼はこう言いました。19節をご覧ください。「ヒゼキヤはイザヤに言った。「あなたが告げてくれた【主】のことばはありがたい。」彼は、自分が生きている間は平和と安定があるのではないか、と思ったのである。」

何ということでしょう。彼は自らの高慢を認め、主の叱責を受け入れましたが、自分が生きている間は平和で安全なのは、ありがたい、恵みだと感じたのです。「あなたが告げてくれた【主】のことばはありがたい。」ということばには、自分さえよければいいという彼の自己中心な思いが表れています。次世代の者が被る悲劇に対してさほどの痛みを感じないのは、本当に無責任な態度としか言いようがありません。ヒゼキヤは、彼の後にも前にも、ユダの王たちの中で、彼ほど主に信頼していた者はだれもいなかったと称賛されたほどの人物ですが(18:5)、そんな彼でも人間的な限界を持っていました。ですから、人に信頼するなら必ず失望することになります。私たちが信頼すべきお方は、神だけです。

最後に、20~21節をご覧ください。ここにはヒゼキヤの功績が記されてあります。それは、貯水池と水道を造り、町に水を引いたことです。これはヒゼキヤのトンネルと呼ばれているものです。工事の詳細については、2歴代誌32章2~5節に記されてあります。ヒゼキヤはエルサレムの水源を確保するために、ギホンの泉(城壁の外)とシロアムの池(城壁の中)をつなぐ約500メートルのトンネルを掘りました。

ヒゼキヤの功績の中でも、このトンネルの工事は後代にも祝福をもたらすものになりました。私たちも、どういう祝福を後代に残すことができるかを祈り求めていきたいと思います。

Ⅱ列王記19章

 今日は、Ⅱ列王記19章から学びます。

 Ⅰ.ユダの王ヒゼキヤ(1-13)

まず、1~7節をご覧ください。「1 ヒゼキヤ王はこれを聞くと衣を引き裂き、粗布を身にまとって【主】の宮に入った。2 彼は、宮廷長官エルヤキム、書記シェブナ、年長の祭司たちに粗布を身にまとわせて、アモツの子、預言者イザヤのところに遣わした。3 彼らはイザヤに言った。「ヒゼキヤはこう言っております。『今日は、苦難と懲らしめと屈辱の日です。子どもが生まれようとしているのに、それを産み出す力がないからです。4 おそらく、あなたの神、【主】は、ラブ・シャケのすべてのことばを聞かれたことでしょう。彼の主君、アッシリアの王が、生ける神をそしるために彼を遣わしたのです。あなたの神、【主】は、お聞きになったそのことばをとがめられます。あなたは、まだいる残りの者のために祈りの声をあげてください。』」5 ヒゼキヤ王の家来たちがイザヤのもとに来たとき、6 イザヤは彼らに言った。「あなたがたの主君にこう言いなさい。『【主】はこう言われる。あなたが聞いたあのことば、アッシリアの王の若い者たちがわたしをののしった、あのことばを恐れるな。7 今、わたしは彼のうちに霊を置く。彼は、あるうわさを聞いて、自分の国に引き揚げる。わたしはその国で彼を剣で倒す。』」」

1節の「これを聞くと」とは、18章に記されていたアッシリアの王セナケリブの使者であるラブ・シャケの脅しのことばです。それを聞いたヒゼキヤは、着ていた衣を引き裂き、粗布をまとって主の宮に入りました。これは深い悲しみと悔い改めを表しています。そして、宮廷長官エルヤキム、書記シェブナ、年長の祭司たちに荒布を身にまとわせて、アモツの子、預言者イザヤのところに遣わしました。彼らはイザヤにこう言いました。「ヒゼキヤはこう言っております。『今日は、苦難と懲らしめと屈辱の日です。子どもが生まれようとしているのに、それを産み出す力がないからです。 おそらく、あなたの神、主は、ラブ・シャケのすべてのことばを聞かれたことでしょう。彼の主君、アッシリアの王が、生ける神をそしるために彼を遣わしたのです。あなたの神、主は、お聞きになったそのことばをとがめられます。あなたは、まだいる残りの者のために祈りの声をあげてください。」(3-4)

「子どもが生まれようとしているのに、それを生み出す力がない」のです。直訳では「子どもが産道に入ったのに、生み出す力がない」ということです。つまり、陣痛の激しい痛みが続いているのに、赤ちゃんが出てこないということです。このままでは死を待つしかありません。それが、ヒゼキヤが直面していた状態でした。ユダにはアッシリアをはね返すだけの力がありませんでした。でも、主はラブ・シャケが言い放った侮辱的なことばを聞かれ、それをとがめられるはずです。だから、まだいる残りの者のために祈りをささげてほしいというのです。「まだいる残りの者」とは、アッシリアの攻撃に耐えて今もエルサレムに残っている住民たちのことです。アッシリアはエルサレムの周辺を攻撃し、残すはエルサレムだけという状態になっていました。イザヤはエルサレムに住んでいたので、ヒゼキヤはそのイザヤに使いを送りとりなしの祈りを要請したのです。

それを聞いたイザヤは何と言ったでしょうか。6~7節をご覧ください。イザヤは彼らにこう言いました。「あなたがたの主君にこう言いなさい。『主はこう言われる。あなたが聞いたあのことば、アッシリアの王の若い者たちがわたしをののしった、あのことばを恐れるな。今、わたしは彼のうちに霊を置く。彼は、あるうわさを聞いて、自分の国に引き揚げる。わたしはその国で彼を剣で倒す。』」

イザヤは、まずヒゼキヤが聞いたアッシリアの王の若い者たちが語った、あのことばを恐れるなと言われました。なぜなら、主がアッシリアの王のうちに霊を置くからです。彼はあるうわさを聞いて自分の国に引き揚げることになります。この「あるうわさ」とは、9節の「今、彼はあなたと戦うために出て来ている」との知らせのことではないかと思います。このうわさを聞いたセナケリブはエルサレムを慌ててエルサレムを降伏させるためにヒゼキヤを脅迫するようになるからです。結局、その夜、主の霊がアッシリアの陣営で18万5千人を打ち殺したので、彼は陣をたたんで自分の国に引き揚げることになります。そして、彼はそこで剣で倒れることになるのです。

ヒゼキヤが危機に直面したときに最初にしたことは、神殿に入って祈ることでした。彼は自らが祈っただけでなく、イザヤにもとりなしの祈りを要請しました。それは彼が神に信頼していたからです。それは私たちにも求められていることです。私たちが危機に直面したときに最初にすべきことは、主の前に出て祈ることです。なぜなら、義人の祈りが働くと大きな力があるからです。ヤコブ5章16節には、「ですから、あなたがたは癒されるために、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、働くと、大きな力があるからです。」とありますが、義人の祈りが働くと大きな力があります。私たちは罪深い者ですが、そんな者でも主イエスを信じたことで罪が赦されました。主の前に義人とされたのです。ですから、私たちが互いに罪を言い表して祈るなら、神はその祈りに応えてくださるのです。

8~13節をご覧ください。「8 ラブ・シャケは退いて、リブナを攻めていたアッシリアの王と落ち合った。王がラキシュから移動したことを聞いていたからである。9 王は、クシュの王ティルハカについて、「今、彼はあなたと戦うために出て来ている」との知らせを聞くと、再び使者たちをヒゼキヤに遣わして言った。10 「ユダの王ヒゼキヤにこう伝えよ。『おまえが信頼するおまえの神にだまされてはいけない。エルサレムはアッシリアの王の手に渡されないと言っているが。11 おまえは、アッシリアの王たちがすべての国々にしたこと、それらを絶滅させたことを確かに聞いている。それでも、おまえだけは救い出されるというのか。12 私の先祖は、ゴザン、ハラン、レツェフ、またテラサルにいたエデンの人々を滅ぼしたが、その国々の神々は彼らを救い出したか。13 ハマテの王、アルパデの王、セファルワイムの町の王、ヘナやイワの王はどこにいるか。』」。

ラブ・シャケは、エルサレムの城壁の外に宿営し、ヒゼキヤから降伏の言葉が届くのを待っていましたが、そうこうしているうちに、ラキシュに本営を置いていたアッシリアの王セナケリブがリブナに移動し、そこで戦っていることを聞き、エルサレムから退いてリブナに移動し、そこでセナケリブと落ち合いました。

アッシリアの王セナケリブは、クシュ(エチオピア)の王ティルハカが彼と戦うために出て来ているという知らせを聞くと、再び使者たちをヒゼキヤに遣わして降伏するように迫ります。7節の「今、わたしは彼のうちに霊を置く」と言われた主のことばが、成就し始めます。セナケリブが再び使者たちをヒゼキヤに遣わしたのは、その知らせを聞いて慌てたからです。ただちにエルサレムを降伏させるために、ヒゼキヤを脅迫したのです。

彼がヒゼキヤに伝えたことは、彼が信頼する神にだまされてはいけないということでした。彼は、何らかの方法でイザヤがヒゼキヤに語った言葉を聞いていたのでしょう。イザヤは、エルサレムはアッシリアの王の手に渡されないと言っているが、そんなことはない。アッシリアの王がすべての国々にしたこと、それらを絶滅させてことを聞いているが、それと同じようにエルサレムも滅びることになると。それらの国々の神々が彼らを救い出すことができなかったように、イスラエルの神もユダを救い出すことはできないと言ったのです。

アッシリアの王セナケリブの愚かさは、イスラエルの神を偶像と同列に置いたことでした。そうした偶像が彼らを救い出せなかったのは当然です。詩篇115篇4~8節にはこうあります。「4 彼らの偶像は銀や金で、人の手のわざである。5 口があっても語れず、目があっても見えない。6 耳があっても聞こえず、鼻があってもかげない。7 手があってもさわれず、足があっても歩けない。のどがあっても声をたてることもできない。8 これを造る者も、これに信頼する者もみな、これと同じである。」(詩篇115:4-8)

でも、イスラエルの神、主はそのようなものではありません。主は、この天地を創られた創造主です。主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむことも、眠ることもありません。主は、すべてのわざわいからあなたを守り、あなたのたましいを守られます。主はあなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られます。

セナケリブはそれを知りませんでした。一見すると、事態は悪化しているかのように見えるかもしれませんが、その時が来ると、主はご自身の御業を現わしてくださいます。その時と方法は主にゆだねなければなりません。主はご自身を待ち望む者に、大いなる御業を見せてくださるのです。

Ⅱ.ヒゼキヤの祈り(14-19)

それに対してヒゼキヤはどのように対応したでしょうか。14~19節をご覧ください。「15 ヒゼキヤは【主】の前で祈った。「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、【主】よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。16 【主】よ。御耳を傾けて聞いてください。【主】よ。御目を開いてご覧ください。生ける神をそしるために言ってよこしたセンナケリブのことばを聞いてください。17 【主】よ。アッシリアの王たちが、国々とその国土を廃墟としたのは事実です。18 彼らはその神々を火に投げ込みました。それらが神ではなく、人の手のわざ、木や石にすぎなかったので、彼らはこれを滅ぼすことができたのです。19 私たちの神、【主】よ。どうか今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、【主】よ、あなただけが神であることを知るでしょう。」」

ヒゼキヤは、アッシリアの王セナケリブの手紙を受け取ると、主の宮に上って行き、それを主の前に広げ、主の前で祈りました。彼が頼みとするのは、主だけでした。彼は、主のもとに自分の思い煩い、不安、恐れを持っていったのです。ピリピ4章6節には、「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」とありますが、私たちも思い煩い、不安、恐れがあるとき、それを主のもとにもっていかなければなりません。

ヒゼキヤはまず主に呼びかけてこう祈りました。「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。」(15)

「ケルビム」とは、至聖所に置かれた契約の箱の蓋の上に置かれた天使のことです。主はそこに臨在されると言われました。ですから、ヒゼキヤはケルビムの上に出しておられるイスラエルの神、主よ、と呼び掛けたのです。

そして彼は、「ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です」と告白しました。なぜなら、イスラエルの神は天地の造り主であり、地のすべての王国の神であられるからです。

そして彼は現状を訴えてこう祈りました。16~18節です。「主よ。御耳を傾けて聞いてください。主よ。御目を開いてご覧ください。生ける神をそしるために言ってよこしたセンナケリブのことばを聞いてください。主よ。アッシリアの王たちが、国々とその国土を廃墟としたのは事実です。彼らはその神々を火に投げ込みました。それらが神ではなく、人の手のわざ、木や石にすぎなかったので、彼らはこれを滅ぼすことができたのです。」

ヒゼキヤはここでアッシリアの王セナケリブが諸国の国々とその国土を廃墟にしたことを認めています。しかしそれができたのは、それらは人の手によって造られた偶像にすぎないからです。だから彼らはこれを滅ぼすことができました。でも、イスラエルの神、主はそうではありません。イスラエルの神、主はそうした偶像とは違い、その人を造られた造り主であられます。

その上で彼は、19節でこう訴えるのです。「私たちの神、主よ。どうか今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、主よ、あなただけが神であることを知るでしょう。」

これは解放を求める祈りです。と同時に、神の栄光が現わされることを願う祈りでもあります。

このように、ヒゼキヤは危機に直面したときそれを主のもとにもって行き、自分が信頼している神がどのようなお方なのかを認め、表現し、呼び掛け、自分が置かれている現状を訴えて、そこからの解放を求めて祈りました。もちろん、その目的は主の栄光が現わされることです。私たちも問題に直面したら、それを主のもとにもって行き、偉大な主の御名を呼び求め、自分の置かれた現状をありのままに申し上げ、そこからの解放を求めて祈らなければなりません。そのとき主は、天でその祈りを聞き答えてくださいます。主は耳を傾けて聞かれ、目を開いてご覧になり、私たちを問題から解放してくださるのです。

Ⅲ.祈りの答え(20-37)

ヒゼキヤが祈った祈りはどのように答えられたでしょうか。20~37節をご覧ください。まず31節までをお読みします。「20 アモツの子イザヤはヒゼキヤのところに人を送って言った。「イスラエルの神、【主】はこう言われる。『あなたがアッシリアの王センナケリブについて、わたしに祈ったことを、わたしは聞いた。』21 【主】が彼について語られたことばは、このとおりである。『処女である娘シオンはおまえを蔑み、おまえを嘲る。娘エルサレムはおまえのうしろで頭を振る。22 おまえはだれをそしり、だれをののしったのか。だれに向かって声をあげ、高慢な目を上げたのか。イスラエルの聖なる者に対してだ。23 おまえは使者たちを通して、主をそしって言った。「多くの戦車を率いて、私は山々の頂に、レバノンの奥深くへ上って行った。そのそびえる杉の木と美しいもみの木を切り倒し、その果ての高地、木の茂った園にまで入って行った。24 私は井戸を掘って、他国の水を飲み、足の裏でエジプトのすべての川を干上がらせた」と。25 おまえは聞かなかったのか。遠い昔に、わたしがそれをなし、大昔に、わたしがそれを計画し、今、それを果たしたことを。それで、おまえは城壁のある町々を荒らして廃墟の石くれの山としたのだ。26 その住民は力失せ、打ちのめされて恥を見て、野の草や青菜、育つ前に干からびる屋根の草のようになった。27 おまえが座るのも、出て行くのも、おまえが入るのも、わたしはよく知っている。わたしに向かっていきり立つのも。28 おまえがわたしに向かっていきり立ち、おまえの安逸がわたしの耳に届いたので、わたしはおまえの鼻に鉤輪を、口にくつわをはめ、おまえを、もと来た道に引き戻す。』29 あなたへのしるしは、このとおりである。『今年は、落ち穂から生えたものを食べ、二年目は、それから生えたものを食べ、三年目は、種を蒔いて刈り入れ、ぶどう畑を作ってその実を食べる。30 ユダの家の中の逃れの者、残された者は下に根を張り、上に実を結ぶ。31 エルサレムから残りの者が、シオンの山から、逃れの者が出て来るからである。万軍の【主】の熱心がこれを成し遂げる。』」

ヒゼキヤの祈りに対する応答は、イザヤを通して送られました。主は開口一番、「あなたがアッシリアの王セナケリブについて、わたしに祈ったことを、わたしは聞いた。」と言われました。これは、ヒゼキヤにとってどれほど大きな励ましだったかと思います。

「処女である娘シオン」とは、エルサレムがまだ一度も敵に征服されたことがないことを示しています。この処女である娘シオンは、エルサレムを征服する前に撤退することを余儀なくされるアッシリアの王セナケリブの後ろ姿を見ながら、頭を振ってあざけるようになります。それは彼がそしり、ののしったのが、イスラエルの聖なる方に対してだからです。

彼はレバノンやエジプトに自分の力で勝利したと豪語していますが、それは主が大昔に計画し今それを果たしたのであって、そのことを彼が知らなかっただけのことです。主がそれを許されたので、セナケリブは城壁のある町々を荒らして廃墟の石くれの山としたのに、その主に向かっていきり立つとは、傲慢にもほどがあります。それで主は彼の鼻に鉤輪を、口にくつわをはめ、もとに道に引き戻すのです。

29~31節は、セゼキヤに対して語られた主のことばです。すばらしい約束がヒゼキヤに伝えられます。それは、「今年は、落ち穂から生えたものを食べ、二年目は、それから生えたものを食べ、三年目は、種を蒔いて刈り入れ、ぶどう畑を作ってその実を食べる。」(29)ということです。

これは、アッシリアは撤退するが、ユダは生き延びるようになるというメッセージです。そのしるしは何でしょうか?そのしるしは、一年目は、落ち穂から生えたものを食べ、二年目は、またそれから生えたものを食べ、三年目は、種を蒔いて刈り入れ、ぶどう畑を作ってその実を食べることができるということでした。エルサレムの周囲にある46もの城壁のある町々が滅ぼされ土地はかなり荒廃するため、すぐに収穫は望めません。最初は落ち穂から拾って食べ、二年目も同じです。しかし、三年目になると自分で蒔いた種から収穫できるようになります。最初はそれほど収穫を期待することはできませんが、徐々に回復していき、やがて安定した生活ができるようになるというのです。これが神の原則です。最初は何もありません。落ち穂から拾って食べなければなりません。しかし、徐々に実を結ぶようになるのです。

そのためには、下に根を張らなければなりません。30節には、「ユダの家の逃れの者、残された者は下に根を張り、上に実を結ぶ。」とあります。これは、ユダの町々はアッシリアによって滅ぼされますが、神は残りの民を残してくださり、この民によってユダを回復させ、やがて増え広がるようにしてくださるという約束です。それを支えているものは何でしょうか?根です。下にしっかりと根を張ってこそ、上に実を結ぶことができます。ですから、ここに「ユダの家の逃れの者、残された者は、下に根を張り、上に実を結ぶ」とあるのです。

1992年、箱根駅伝で優勝した山梨学院大の上田監督は、「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ」と言いました。私もこの言葉が好きです。山梨学院大学は創部6年目に箱根駅伝に出場すると、15位から11位、7位、4位、2位と順位を上げて行き、そしてこの年優勝にまで上り詰めることができました。その背後には、どれほどの練習と、実としては現れない下積みの期間があったことかと思います。確かに、やればすぐに成果が現れるというわけではありませんが、上に実が結ばない時でも、黙って手をこまねいているのではなく、見えない大地の下深くに、下へ下へと根を伸ばせというのです。根を張らずして実はなりません。実は目に見えますが、根は外から見えません。ややもすると、私たちはたちどころに成果が現れるものを求めがちですが、大地にしっかりと根を張るというプロセスなしには実は結ぶことはできません。下に根を張ってこそ上に実を結ぶことができるのです。あなたにとって今成すべきことは何でしょうか?私たちにとってしなければならないことは下に根を張ることです。そうすれば、上に実を結ばせてくださいます。

31節には、「万軍の主の熱心がこれを成し遂げる」とあります。どういうことでしょうか。このようなイスラエルの回復は一方的な主の恵みによるということです。あなたの熱心ではありません。あなたの努力によるのでもありません。あなたがあれをしたから、これをしたからでもないのです。それはただ神の恵みによるのです。万軍の主の熱心によります。ですから、私たちはただこの神の約束を信じて、忍耐しつつ、へりくだって、忠実に主の御業に励まなければなりません。下に根を張っていかなければならないのです。そうすれば、やがて時が来て、実を結ばせていただける。回復させていただくことができるのです。

最後に、32~37節をご覧ください。「32 それゆえ、アッシリアの王について、【主】はこう言われる。『彼はこの都に侵入しない。また、ここに矢を放たず、これに盾をもって迫らず、塁を築いてこれを攻めることもない。33 彼は、もと来た道を引き返し、この都には入らない──【主】のことば──。34 わたしはこの都を守って、これを救う。わたしのために、わたしのしもべダビデのために。』」35 その夜、【主】の使いが出て行き、アッシリアの陣営で十八万五千人を打ち殺した。人々が翌朝早く起きて見ると、なんと、彼らはみな死体となっていた。36 アッシリアの王センナケリブは陣をたたんで去り、帰ってニネベに住んだ。37 彼が自分の神ニスロクの神殿で拝んでいたとき、その息子たち、アデラメレクとサルエツェルは、剣で彼を打ち殺した。彼らはアララテの地へ逃れ、彼の子エサル・ハドンが代わって王となった。」

アッシリアの王セナケリブについての預言です。セナケリブはエルサレムに侵入することも、矢を放つこともありません。これ(エルサレム)に盾をもって迫ることがなければ、塁を築いてこれを攻めることもありません。彼は、もと来た道を引き返し、神の都エルサレムに入ることはないのです。それは主がこの都を守って、これを救うからです。それは主ご自身の栄光のためであり、ダビデに与えた約束のゆえでもあります。

すると、それがその通り実現します。その夜、主の使いが出て行き、アッシリアの陣営で十八万五千人を打ち殺しました。それでアッシリアの王セナケリブは陣をたたんで去り、返ってアッシリアの首都ニネベに住んだのです。そして、彼が自分の神ニスロクの宮で礼拝していたとき、彼の二人の息子によって暗殺されてしまいました。皮肉なことに、セナケリブの神ニスロクは、彼を救うことができませんでした。主が言われた通りになりました。主が語られたことは必ず成就します。そのことを堅く信じて、忍耐して主の時を待ち望みたいと思います。

Ⅱ列王記18章

 今日は、Ⅱ列王記18章から学びます。

 Ⅰ.ユダの王ヒゼキヤ(1-8)

まず、1~8節をご覧ください。「1 イスラエルの王エラの子ホセアの第三年に、ユダの王アハズの子ヒゼキヤが王となった。2 彼は二十五歳で王となり、エルサレムで二十九年間、王であった。彼の母の名はアビといい、ゼカリヤの娘であった。3 彼は、すべて父祖ダビデが行ったとおりに、【主】の目にかなうことを行った。4 高き所を取り除き、石の柱を打ち砕き、アシェラ像を切り倒し、モーセが作った青銅の蛇を砕いた。そのころまで、イスラエル人がこれに犠牲を供えていたからである。これはネフシュタンと呼ばれていた。5 彼はイスラエルの神、【主】に信頼していた。彼の後にも前にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった。6 彼は【主】に堅くつき従って離れることなく、【主】がモーセに命じられた命令を守った。7 【主】は彼とともにおられた。彼はどこへ出て行っても成功を収めた。彼はアッシリアの王に反逆し、彼に仕えなかった。8 彼はペリシテ人を討ってガザにまで至り、見張りのやぐらから城壁のある町に至るその領土を打ち破った。」

イスラエルの王ホセアの第三年に、ユダの王アハズの子ヒゼキヤが王になりました。北イスラエルは、このホセアが王の時アッシリアの捕囚となります。ですから、ヒゼキヤは北王国が滅びた時の南ユダの王でした。彼は25歳で王となり、エルサレムで29年間治めました。彼について特筆すべきことは、彼は、すべて父祖ダビデが行ったとおりに、主の目にかなうことをおこなったということです。彼は高き所を取り除き、石の柱を打ち砕き、アシェラ像を切り倒し、モーセが造った青銅の蛇を砕きました。歴代のユダの王も比較的善い王で主の目にかなうことを行なっていましたが、高き所は取り除きませんでした。けれどもヒゼキヤは違います。彼は高き所も取り除きました。そして父アハズ王が導入させた異教の神々の像を打ち壊しました。それだけではありません。かつて、モーセが作った青銅の蛇を打ち砕いたのです。この青銅の蛇は「ネフシュタン」と呼ばれていたものですが、これはイスラエルの民が荒野の旅をしていた時、水がないことやいつもマナばかり食べていることについて不平を鳴らしたとき、主が怒られ彼らに燃える蛇を送られましたが、そこから救われるためにモーセが作り、旗ざおの上に掲げたものです。「かまれた者はみな、それを仰ぎ見ると生きる」と。(民数記21:5~9)それ以来、イスラエルの民はこれを偶像化し、犠牲を供えていました。ヒゼキヤは、青銅の蛇も砕いたのです。

かつて祝福をもたらしたものでも、それを偶像化すると信仰の妨げになってしまうことがあります。それがいかによいものであっても、それを神以上に大切にするなら、それは偶像礼拝となり、霊的成長を妨げてしまいます。私たちの生活の中で、そのようなものがないかどうか吟味しなければなりません。

5節と6節をご覧ください。彼はイスラエルの神、主に信頼していました。彼の後にも前にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいませんでした。彼は主に堅くつき従って離れることなく、主がモーセに命じられた命令を守りました。

ヒゼキヤは、南ユダの王たちの中で最もすばらしい王でした。なぜ彼が最もすばらしい王だったと言えるのでしょうか。どういう点が彼のすばらしい点だったのでしょうか。それは彼がイスラエルの神、主に信頼していたという点においてです。これは、他の王たちとの能力的な比較ではなく、信仰の面での比較です。ヒゼキヤは、何よりも、イスラエルの神、主への信頼を第一にした王だったのです。

彼は、6節にあるように、主に堅くつき従って離れることなく、主がモーセに命じられた命令を守りました。彼は、他の王たちのように晩年になって自分の信仰を放棄するようなことをせず、最後までモーセの律法を守り続けました。それは、この後に出てくるアッシリアの王セナケリブの脅しにも屈せない彼の態度や、神殿の修理や再建(Ⅱ歴代29:3~36)、過越しの祭りや他の祭りの実行(Ⅱ歴代30:1~27)、種々の宗教改革(Ⅱ歴代31:2~21)に表れています。

主はそのようなセゼキヤの信仰を祝福し、主は彼とともにおられ、彼がどこへ出て行っても成功を収めさせました。まず彼はアッシリアの王に反逆し、彼に仕えることをしませんでした。これはすごいことです。彼の父のアハズ王は親アッシリア政策をとっていたからです。でも彼はアッシリアに仕えることを拒みました。近隣諸国と同盟関係を結び、アッシリアに対抗したのです。
  また彼は、ペリシテ人を討ってガザにまで至り、見張のやぐらから城壁のある町に至るその領土を打ち破りました。これはどういうことかというと、彼の父アハズ王の時代に、ペリシテ人はユダの町々をいくつか奪っていましたが、ヒゼキヤはそれを奪還したということです。ガザはペリシテの地の最南端の町ですので、彼の征服はペリシテ全土に及んだことが分かります。

ヒゼキヤは、私たちの手本のような人物です。彼は神を恐れ、神の命令を実行しました。私たちもそのような者であるように目指しましょう。その人は肉体的にも霊的にも、主の大いなる祝福を受けるのです。


Ⅱ.ヒゼキヤの試練(9-16)

次に、9~16節をご覧ください。12節までを読みます。「9 ヒゼキヤ王の第四年、イスラエルの王エラの子ホセアの第七年に、アッシリアの王シャルマネセルがサマリアに攻め上って来て、これを包囲し、10 三年後にこれを攻め取った。すなわち、ヒゼキヤの第六年、イスラエルの王ホセアの第九年に、サマリアは攻め取られた。11 アッシリアの王はイスラエル人をアッシリアに捕らえ移し、彼らをハラフと、ゴザンの川ハボルのほとり、またメディアの町々に定住させた。12 これは、彼らが彼らの神、【主】の御声に聞き従わず、その契約を破り、【主】のしもべモーセが命じたすべてのことに聞き従わず、これを行わなかったからである。」

「サマリア」は、北イスラエルの首都です。ヒゼキヤの治世の第四年に、アッシリアの王シャルマネセルがサマリアに攻め上って、これを包囲し、三年後に攻め取りました。このことは既に17:1~6で見てきたとおりです。ここで再び取り上げられているのは、これがヒゼキヤにとっても重要な意味を持つ出来事だったからです。つまり、アッシリアの王はユダにも進出してきたということです。

13~16節をご覧ください。「13 ヒゼキヤ王の第十四年に、アッシリアの王センナケリブが、ユダのすべての城壁のある町々に攻め上り、これを取った。14 ユダの王ヒゼキヤは、ラキシュのアッシリアの王のところに人を遣わして言った。「私は過ちを犯しました。私のところから引き揚げてください。あなたが私に課せられるものは何でも負いますから。」そこで、アッシリアの王はユダの王ヒゼキヤに、銀三百タラントと金三十タラントを要求した。15 ヒゼキヤは、【主】の宮と王宮の宝物倉にある銀をすべて渡した。16 そのとき、ユダの王ヒゼキヤは、自分が【主】の神殿の扉と柱に張り付けた金を剥ぎ取り、これをアッシリアの王に渡した。」

北王国を滅ぼしたのはアッシリアの王サルゴン2世でしたが、サルゴンが死ぬと、息子のセナケリブが王位を継承しました。そのセナケリブが、ヒゼキヤ王の第十四年にユダのすべての城壁のある町々に攻め上り、これを取りました。残るはエルサレムだけとなりました。セナケリブは、エルサレムに攻め上るために、ペリシテの地に近いラキシュに本営を置きました。包囲されたことを知ったヒゼキヤは、降伏したほうが良いと判断して、そのことを、ラキシュにいるセナケリブに伝えます。そこで、セナケリブが要求してきた通りの金銀を、主の宮と王宮の中にあるものから取って支払いました。セナケリブが要求してきたものは、銀300タラント(約11トン)と金30タラント(約1トン)でした。代価を支払って平和を買い取るのは、決して賢明なこととは言えません。敵は、一度味を占めると、二度も、三度も、要求してくるようになるからです。信仰者と悪魔の戦いも同じです。最初に妥協すると、その流れが続くことになります。

Ⅲ.セナケリブの脅迫(17-37)

それが、17~37節に見られるセナケリブの脅迫です。まず27節までをご覧ください。「17 アッシリアの王は、タルタン、ラブ・サリス、およびラブ・シャケを、大軍とともにラキシュからエルサレムのヒゼキヤ王のところへ送った。彼らはエルサレムに上って来た。彼らは上って来ると、布さらしの野への大路にある、上の池の水道のそばに立った。18 彼らが王に呼びかけたので、ヒルキヤの子である宮廷長官エルヤキム、書記シェブナ、およびアサフの子である史官ヨアフは、彼らのところに出て行った。19 ラブ・シャケは彼らに言った。「ヒゼキヤに伝えよ。大王、アッシリアの王がこう言っておられる。『いったい、おまえは何に拠り頼んでいるのか。20 口先だけのことばが、戦略であり戦力だというのか。今おまえは、だれに拠り頼んでいるのか。私に反逆しているが。21 今おまえは、あの傷んだ葦の杖、エジプトに拠り頼んでいるが、それは、それに寄りかかる者の手を刺し貫くだけだ。エジプトの王ファラオは、すべて彼に拠り頼む者にそうするのだ。22 おまえたちは私に「われわれは、われわれの神、【主】に拠り頼む」と言う。その主とは、ヒゼキヤがその高き所と祭壇を取り除いて、ユダとエルサレムに「エルサレムにあるこの祭壇の前で拝め」と言った、そういう主ではないか。23 さあ今、私の主君、アッシリアの王と賭けをしないか。もし、おまえのほうで乗り手をそろえることができるのなら、おまえに二千頭の馬を与えよう。24 おまえは戦車と騎兵のことでエジプトに拠り頼んでいるが、私の主君の最も小さい家来である総督一人さえ追い返せないのだ。25 今、私がこの場所を滅ぼすために上って来たのは、【主】を差し置いてのことであろうか。【主】が私に「この国に攻め上って、これを滅ぼせ」と言われたのだ。』」26 ヒルキヤの子エルヤキムとシェブナとヨアフは、ラブ・シャケに言った。「どうか、しもべたちにはアラム語で話してください。われわれはアラム語が分かりますから。城壁の上にいる民が聞いているところでは、われわれにユダのことばで話さないでください。」27 ラブ・シャケは彼らに言った。「私の主君がこれらのことを告げに私を遣わされたのは、おまえの主君や、おまえのためだろうか。むしろ、城壁の上に座っている者たちのためではないか。彼らはおまえたちと一緒に、自分の糞を食らい、自分の尿を飲むようになるのだ。」」

セナケリブは、ヒゼキヤが差し出した貢ぎ物で満足することなく、完全な服従を要求してきました。セナケリブは3人の大使を大軍とともに派遣し、エルサレムに送りました。彼らはエルサレムに上って来ると、布さらしの野への大路にある上の池の水道のそばに立ちました。これはギホンの泉から荒野に向かって水が流れる場所で、洗濯場になっていました。城壁のすぐ外に位置しており、とても賑やかな場所です。

彼らはヒゼキヤに呼び掛けましたが、ヒゼキヤは直接対応することをせず、3人の代理人を送り、彼らと交渉させました。すなわち、ヒルキヤの子である宮廷長官のエルヤキム、書記のシェブナ、およびアサフの子である史官ヨアフです。

アッシリアの大使のラブ・シャケは、エルサレムの住民にもわかるような言葉で、脅迫の言葉を告げます。それが19~25節の言葉です。その強調点は、彼らの王セナケリブの偉大さです。彼はまずヒゼキヤが拠り頼んでいるものがいかに無力なものであるかを示します。その一つが「あの傷んだ葦の杖」であるエジプトです。そんなのにより頼んでも無駄だというのです。これは正しい分析です。

次に彼が指摘したのは、「われわれの神、主に拠り頼む」ことについてです。彼は、ヒゼキヤが高き所を取り除いて、偶像礼拝を一掃したことを知っていました。そんな無慈悲で排他的な神にいったいどんな力があるというのかというのです。彼はヒゼキヤの宗教改革をこのように非難したのです。

その上で彼は、アッシリアの王と賭けをしないかと提案します。それは、ヒゼキヤが乗り手をそろえることができるなら、アッシリアの王が二千頭の馬を与えるというものでした。それはユダがエジプトに期待したのは、馬を提供してくれることだったからです。どんなに馬をそろえても、乗り手がいなければ何の意味もありません。いや、アッシリアの総督の一人さえも追い返させないだろうというのです。

そして彼はこう結論付けるのです。「今、私がこの場所を滅ぼすために上って来たのは、主を差し置いてのことであろうか。主が私に「この国に攻め上って、これを滅ぼせ」と言われたのだ。」これは衝撃的な言葉です。アッシリア軍がエルサレムに上って来たのは、主のみこころによるものだというのですから。これは全くあり得ないことではありませんが、ラブ・シャケの巧みな誘導による言葉です。「主」によるものであると聞いたら、ユダの民が激しく動揺するからです。


  それを聞いたヒゼキヤの使者のエルヤキムとシェブナとヨアブは、住民にわかるユダの言葉ではなく、アラム語で話してほしいと要請します。高等教育を受けた高官たちはアラム語を理解することができたので、アラム語で話してほしいと言ったのです。住民に分かられると都合が悪かったからです。

するとラブ・シャケはその要求をはねつけました。なぜなら、彼がこのようなことを話すのは彼らのためではなく、むしろ住民たちのためだったからです。エルサレムを陥落させるためには、住民の戦闘意欲を砕く必要があったのです。エルサレムが包囲されて一番苦しむのは住民です。その時には自分の排泄物まで食べるようになるからです。

ラブ・シャケのことばはあまりにも傲慢でした。神の民を侮辱することは神の御名を侮辱することと同じことだからです。このような者には神のさばきが下ることを覚えておかなければなりません。そして、たとえどんなに脅されても、主に信頼する者は失望させられることはないと信じて、主に拠り頼み続けなければなりません。

最後に、28~37節までをご覧ください。「28 ラブ・シャケは突っ立って、ユダのことばで大声で叫んで、こう告げた。「大王、アッシリアの王のことばを聞け。29 王はこう言っておられる。『ヒゼキヤにごまかされるな。あれは、おまえたちを私の手から救い出すことができないからだ。30 ヒゼキヤは、「【主】が必ずわれわれを救い出してくださる。この都は決してアッシリアの王の手に渡されることはない」と言って、おまえたちに【主】を信頼させようとするが、そうはさせない。』31 ヒゼキヤの言うことを聞くな。アッシリアの王はこう言っておられるからだ。『私と和を結び、私に降伏せよ。そうすれば、おまえたちはみな、自分のぶどうと自分のいちじくを食べ、自分の井戸の水を飲めるようになる。32 その後私は来て、おまえたちの国と同じような国におまえたちを連れて行く。そこは穀物と新しいぶどう酒の地、パンとぶどう畑の地、オリーブの木と蜜の地である。おまえたちが生き延びて死ぬことのないようにするためである。たとえヒゼキヤが、「【主】はわれわれを救い出してくださる」と言って、おまえたちをそそのかしても、ヒゼキヤに聞き従ってはならない。33  国々の神々は、それぞれ自分の国をアッシリアの王の手から救い出しただろうか。34 ハマテやアルパデの神々は今、どこにいるのか。セファルワイムやヘナやイワの神々はどこにいるのか。彼らはサマリアを私の手から救い出したか。35 国々のすべての神々のうち、だれが自分たちの国を私の手から救い出したか。【主】がエルサレムを私の手から救い出せるとでもいうのか。』」36 民は黙って、彼に一言も答えなかった。「彼に答えるな」というのが、王の命令だったからである。37 ヒルキヤの子である宮廷長官エルヤキム、書記シェブナ、アサフの子である史官ヨアフは、自分たちの衣を引き裂いてヒゼキヤのもとに行き、ラブ・シャケのことばを告げた。」


  しかし、ラブ・シャケは聞き入るどころか、ますます声を大きくし、今度は、一般民衆に対して告げて、彼らの心がヒゼキヤから離れるように仕向けます。彼は、ヒゼキヤに従ってアッシリアと戦うよりは、降参して自分の命を救うほうが良いと説得します。もしアッシリアの王と和を結び、幸福するなら、おまえたちはみな、自分のぶどうと自分のいちじくを食べ、自分の井戸の水を飲めるようになると。これは大きな誘惑です。「自分のぶどうと自分のいちじくを食べ」とか、「自分の井戸の水を飲む」とは、食べる物、飲む物に困らないようにさせてあげるぞという意味です。

「その後私は来て、おまえたちの国と同じような国におまえたちを連れて行く。」とは、アッシリアの征服方法です。原住民を他の地域に移住させ、そこで生活させることです。そのようにすることで、アッシリアに反逆させる力を削ぐ狙いがありました。しかし、そこで彼らは穀物とぶどう酒、パン、オリーブと蜜が味わえるようになると誘惑しているのです。

それゆえ、ヒゼキヤにそそのかされて死ぬよりは、自分の命を大切にした方が良いというのです。なかなか説得力がありますね。

「国々のすべての神々のうち、だれが自分たちの国を私の手から救い出したか。主エルサレムを私の手から救い出せるとでもいうのか。」というのは、それぞれの国で「神、神、といっているが、どの神がアッシリアの王の手から救い出すことができるというのか。どの神も無力ではないか、という問いかけです。これは、エルサレムの住民を不安に陥れるには十分な力を持っています。

私たちも、このような責めを心の中のささやきで、あるいは、実際の声として聞くことがあります。イエス・キリストを信じていても、問題は解決しないばかりか、状況はもっと悪くなっている。神に拠りすがることに、いったいどんな意味があるのかと。

このような言葉に騙されないようにしましょう。ラブ・シャケの言葉は、悪魔的なものです。「あなたがたは、悪魔である父から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと思っています。悪魔は初めから人殺しで、真理に立っていません。彼のうちには真理がないからです。悪魔は、偽りを言うとき、自分の本性から話します。なぜなら彼は偽り者、また偽りの父だからです。しかし、このわたしは真理を話しているので、あなたがたはわたしを信じません。」(ヨハネ8:44-45)悪魔の言葉ではなくイエスの言葉、真理の言葉に耳を傾けなければなりません。

「民は黙って、彼に一言も答えなかった。「彼に答えるな」というのが、王の命令だったからである。」

ラブ・シャケは城壁の上に集まっていた民に大声で語りかけましたが、何の反応もありませんでした。それは「彼に答えるな」というのが、ヒゼキヤ王の命令だったからです。これは賢い判断です。敵の目的は、民の心を煽ることです。自分の議論の中に、相手を引き込みたいことです。しかしその手に乗るな、とヒゼキヤは戒めたのです。それでも民は激しく動揺し、議論し合ったことでしょう。ラブ・シャケのことばには、なるほどと思わせるものが多く含まれていたからです。けれども、そのような時こそ黙する必要があります。そこに神の救いがあるからです。ダビデは詩篇62:1~2でこう言っています。「私のたましいは、黙ってただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。神こそわが岩、わが救い、わがやぐら。私は決して揺るがされない。」

私たちも黙って主を待ち望みましょう。私たちの救いは神から来るからです。神こそわが岩、わが救い、わがやぐら、私は決して揺るがされることはないからです。

Ⅱ列王記17章

 今日は、Ⅱ列王記17章から学びます。

 Ⅰ.アッシリア捕囚(1-23)

まず、1~6節をご覧ください。「1 ユダの王アハズの第十二年に、エラの子ホセアがサマリアでイスラエルの王となり、九年間、王であった。2 彼は【主】の目に悪であることを行ったが、彼以前のイスラエルの王たちのようではなかった。3 アッシリアの王シャルマネセルが攻め上って来た。そのとき、ホセアは彼に服従して、貢ぎ物を納めた。4 しかし、アッシリアの王はホセアの謀反に気がついた。ホセアがエジプトの王ソに使者たちを遣わし、アッシリアの王には年々の貢ぎ物を納めなかったからである。そこで、アッシリアの王は彼を捕らえて牢獄につないだ。5 アッシリアの王はこの国全土に攻め上り、サマリアに攻め上って、三年間これを包囲した。6 ホセアの第九年に、アッシリアの王はサマリアを取り、イスラエル人をアッシリアに捕らえ移し、彼らをハラフと、ゴザンの川ハボルのほとり、またメディアの町々に住まわせた。」

話は再び北イスラエルに移ります。ユダの王アハズの第十二年に、エラの子ホセアがサマリアでイスラエルの王となり、九年間、治めました。彼は主の目の前に悪を行いましたが、彼以前の北イスラエルの王たちのようではありませんでした。どういうことかというと、彼以前の王たちのように、ネバテの子ヤロブアムの道を歩まなかったということです。当時の政治状況が極めて深刻であったため、そういう余裕がなかったのでしょう。というのは、3節にあるように、アッシリアの王シャルマネセルが攻め上って来ていたからです。そのときホセアは彼に服従して貢ぎ物を治めましたが、その裏でエジプトの王ソと連携して、アッシリアに対抗しようとしていました。このことに気付いたアッシリアの王シャルマネセルは激怒し、彼を捕らえて牢獄につなぎました。

その後、アッシリアの王は北イスラエルの首都サマリアに攻め上り、3年間これを
包囲しました。そしてホセアの治世の第九年にアッシリアの王はサマリアを完全に攻め取りました。そしてイスラエル人をアッシリアに捕え移し、彼らをバラフとゴザンの川ハボルのほとり、またメディアの町々に住まわせました。アッシリア捕囚です。アッシリアの政策は、サマリアの住民を他国に移住させ、別の民族をそこに移り住まわせることによって、彼らがアッシリアに反抗する力がなくなるようにすることでした。

北王国はB.C.931~721年まで約200年間存在しましたが、ここに完全に消滅することになりました。いったいこのようになってしまったのでしょうか。次の7~12節を見るとその理由がわかります。「7 こうなったのは、イスラエルの子らが、自分たちをエジプトの地から連れ上り、エジプトの王ファラオの支配下から解放した自分たちの神、【主】に対して罪を犯し、ほかの神々を恐れ、8 【主】がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の風習、イスラエルの王たちが取り入れた風習にしたがって歩んだからである。9 イスラエルの子らは、自分たちの神、【主】に対して、正しくないことをひそかに行い、見張りのやぐらから城壁のある町に至るまで、すべての町に高き所を築き、10 すべての小高い丘の上や、青々と茂るどの木の下にも石の柱やアシェラ像を立て、11 【主】が彼らの前から移された異邦の民のように、すべての高き所で犠牲を供え、悪事を行って【主】の怒りを引き起こした。12 【主】が彼らに「このようなことをしてはならない」と命じておられたのに、彼らは偶像に仕えたのである。」

彼らがこのようになったのは、彼らが自分たちをエジプトから解放してくださった主に対して罪を犯し、主がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の風習、イスラエルの王たちが取り入れた風習にしたがって歩んだからです。最後の王ホセアは、エジプトに援助を求めました。なんという皮肉でしょうか。700年以上も前にそこを脱出したエジプトに救いを求めたのです。

彼らは、自分たちの神、主に対して、正しくないことをひそかに行いとあるように、全面的に主から離れていたわけではありませんでした。主を礼拝することと並行して、これらのことを行ったのです。9節の「すべての町に高き所を築き」とは、偶像礼拝の場所のことです。彼らはすべての町に高き所を築き、石の柱やアシェラ像を立て、主が彼らの前から移された異邦の民のように、すべての高き所で犠牲を供え、悪事を行って主の怒りを引き起こしたのです。主が彼らに「このようなことをしてはならない」と命じておいたにもかかわらず、です。

主はどのように彼らに語られたのでしょうか。13節には、「主はすべての預言者とすべての先見者を通して」とあります。主は預言者と先見者をイスラエルとユダに送り、悪の道から立ち返るように、そして主の定めと掟を守るようにと伝えました。つまり、これは以前から警告されていたこであるということです。滅びは突如として襲ってくるのではありません。彼らには何度も悔い改めの機会が与えられていましたが、彼らが預言者たちの警告を無視し続けたので、最終的に滅びが彼らを襲ったのです。今が恵みの時、今が救いの日です。「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。」(ヘブル3:7-8)のです。

16節と17節をご覧ください。ここには、彼らが仕えた空しいもの、主が倣ってはならないと命じられた、周囲の異邦の民の偶像がどのようなものであったのかが記されてあります。「16 彼らの神、【主】のすべての命令を捨て、自分たちのために、鋳物の像、二頭の子牛の像を造り、さらにアシェラ像を造り、天の万象を拝み、バアルに仕えた。17 また、自分たちの息子や娘たちに火の中を通らせ、占いをし、まじないをし、【主】の目に悪であることを行うことに身を任せ、主の怒りを引き起こした」

彼らはまず自分たちのために鋳物の像、二頭の金の子牛の像を造り、それをダンとベテルに置いて拝みました(Ⅰ列王12:28~29)。これがヤロブアムの罪です。また、サマリアにアシェラ像を立てました。アシェラとはカナン人の豊穣の女神です。さらに彼らは、天の万象を拝み、バアルに仕えました。バアルも豊穣の神です。アシェラは女神ですが、バアルは男神です。周囲の異邦の民が拝んでいたポピュラーな偶像でした。彼らはそれも取り入れたのです。また彼らは、自分の子どもたちを人身供養のためにささげるようなことまでしました(Ⅱ列王16:3、申命18:10)

そこで、主はイスラエルに対して激しく怒り、彼らを取り除かれたのです。ただユダの部族だけが残りました。つまり彼らが取り除かれたのは、彼らの不信仰の故であったということです。不信仰と罪は、今も私たちを神から遠ざけるものです。すみやかに悔い改めて、神のもとに立ち返らなければなりません。

次に、19~23節までをご覧ください。「19 ユダも、彼らの神、【主】の命令を守らず、イスラエルが取り入れた風習にしたがって歩んだ。20 そのため【主】はイスラエルのすべての子孫を蔑み、彼らを苦しめ、略奪者たちの手に渡し、ついに彼らを御前から投げ捨てられた。21 主がイスラエルをダビデの家から引き裂かれたとき、彼らはネバテの子ヤロブアムを王としたが、ヤロブアムはイスラエルを【主】に従わないように仕向け、そうして彼らに大きな罪を犯させた。22 イスラエルの人々は、ヤロブアムが行ったすべての罪に歩み、それから離れなかったので、23 【主】は、そのしもべであるすべての預言者を通して告げられたとおり、ついにイスラエルを御前から除かれた。こうして、イスラエルは自分の土地からアッシリアに引いて行かれた。今日もそのままである。」

それは北王国イスラエルだけでなく、南ユダ王国も同じです。彼らも、彼らの神、主の命令を守らず、イスラエルが取り入れた風習に従って歩んだので、彼らもまた御前から投げ捨てられることになります。ユダもまた捕囚の憂き目にあったということです。バビロン捕囚のことです。列王記の著者は、バビロン捕囚後にこの記録を書いているので、ユダもイスラエルと同じ道を辿ったことを伝えているわけです。

主はダビデ王朝を引き裂き、それをヤロブアムに与えました。しかし、ヤロブアムはイスラエルを主に従わないように仕向け、金の子牛を礼拝させました。それ以来、イスラエルの民はその罪から離れなかったので、主が預言者を通して告げられたとおり、ついにイスラエルを御前から取り除かれたのです。イスラエルは自分の土地からアッシリアに引いて行かれることになっりました。今日もそのままであるとは、列王記の著者がこれを書いている時点で、イスラエルのアッシリア捕囚が続いているということです。彼らは、エジプトの奴隷の状態から解放され、約束の地に導かれ、聖なる国民とされたのに、神に反逆することによって、これらの祝福を失ってしまったのです。

Ⅱ.アッシリア捕囚の結果(24-33)

次に、24~33節をご覧ください。「24 アッシリアの王は、バビロン、クテ、アワ、ハマテ、そしてセファルワイムから人々を連れて来て、イスラエル人の代わりにサマリアの町々に住まわせた。こうして、彼らはサマリアを占領して、その町々に住んだ。25 彼らはそこに住み始めたとき、【主】を恐れなかったので、【主】は彼らの中に獅子を送り込まれた。獅子は彼らの何人かを殺した。26 彼らはアッシリアの王に次のように報告した。「あなたがサマリアの町々に移した諸国の民は、この土地の神についての慣わしを知りません。それで、神が彼らのうちに獅子を送り込みました。今、獅子が彼らを殺しています。彼らがこの土地の神についての慣わしを知らないからです。」27 そこで、アッシリアの王は次のように命じた。「おまえたちがそこから捕らえ移した祭司の一人を、そこに連れて行け。行かせて、そこに住まわせ、その土地の神についての慣わしを教えさせよ。」28 こうして、サマリアから捕らえ移された祭司の一人が来てベテルに住み、どのようにして【主】を礼拝するべきかを教えた。29 しかし、それぞれの民は、それぞれ自分たちの神々を造り、サマリア人が造った高き所の宮にそれを安置した。それぞれの民は自分が住む町々でそのようにした。30 バビロンの人々はスコテ・ベノテを造り、クテの人々はネルガルを造り、ハマテの人々はアシマを造り、31 アワ人はニブハズとタルタクを造り、セファルワイム人はセファルワイムの神々、アデラメレクとアナメレクに自分たちの子どもを火で焼いて献げた。32 彼らは【主】を礼拝したが、自分たちの中から高き所の祭司たちを自分たちで任命し、この祭司たちが彼らのために高き所の宮で祭儀を行った。33 彼らは【主】を礼拝しながら、同時に、自分たちが移される前にいた国々の慣わしによって、自分たちの神々にも仕えていた。」

アッシリア捕囚が行われた結果、どうなったでしょうか。アッシリアの占領政策は、占領地の優秀な人材をアッシリアに連行し、人口が減少した占領地にアッシリア人を送り込むというものでした。こうすることによってそこで雑婚が生まれ、将来における復讐行為を防ぐことができるからです。アッシリアの人たちは、バビロン、クテ、アワ、ハマテ、セファイルワイムから人々を連れて来て、イスラエル人の代わりにサマリアの町々に住ませました。

しかし、そうしたサマリア人たちがイスラエルの町々に住み始めたとき、彼らは主を恐れなかったので、主は彼らの中に獅子を送り込まれました。それで、獅子が彼らの何人かを殺したのです。そこで彼らはアッシリアの王にそのことを報告しました。するとアッシリアの王は、彼らがサマリアから捕え移した祭司の中からひとりを選び、サマリアに送り返すようにと命じました。

こうして、サマリアに捕らえ移された祭司の一人が来てベテルに住み、どのようにして主を礼拝すべきかを教えましたが、それぞれの民は、それぞれ自分たちのために神々を造り、サマリア人が造った高き所の宮にそれを安置しました。それぞれの民は自分が住む町々でそのようにしました。バビロンの人々はスコテ・ベノテを造り、クテの人々はネルガルを造り、ネルガルとはバビロンの偶像です。ハマテの人々はアシマを造り、アワの人はニブハズとタルタクを造り、セファルワイムの人はセファルワイムの神々、アデラメレクとアナメレクに自分たちの子どもを火で焼いてささげました。つまり、サマリアが多神教と混合宗教の地になってしまったということです。サマリアに移住した雑多な民が、それぞれの神々と習慣を持ち込んだからです。おそらくサマリアから捕え移された祭司の一人がベテルに住み、どのようにして主を礼拝すべきかを教えたとき、ヤハウェ礼拝と金の子牛礼拝が混合した宗教を教えたのではないかと考えられます。というのは、このベテルにはあのヤロブアムが造った金の子牛が置かれていたからです。

その結果、どうなりましたか。32~33節をご覧ください。「32 彼らは【主】を礼拝したが、自分たちの中から高き所の祭司たちを自分たちで任命し、この祭司たちが彼らのために高き所の宮で祭儀を行った。33 彼らは【主】を礼拝しながら、同時に、自分たちが移される前にいた国々の慣わしによって、自分たちの神々にも仕えていた。」

主を礼拝しながら、自分たちが移される前にいた国々の慣わしに従って、自分たちの神々を礼拝するというスタイルが生まれました。つまり、イスラエルの神、主を、もうひとりの神として、すでにある神々のリストに加えるようなことが起こったのです。しかし、これはモーセの律法で厳しく禁じられていることでした。十戒の第一戒には、「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」とあります。これが容易に破られることになってしまったのです。このことは、私たち日本人にも言えることです。聖書の神、真の神を信じていても、それが既にある土着の宗教の一つに加えられる形で信じていることがあるからです。しかし、聖書が教えていることは、まことの神は唯一であって、その神以外に神々があってはならないということです。真の神だけを信じ、この神に仕えなければなりません。

ところで、この個所にはサマリア人の起源について記されてあります。サマリア人は、人種的にはイスラエル人と中近東の諸民族の混血によって誕生したため、ユダヤ人からは偏見の目で見られるようになりました。ヨハネの福音書4章にあるサマリアの女の話は、こうしたことが背景にあります。ユダヤ人がサマリア人と付き合いをしなかったのは、サマリア人が人種的に混血族だったからです。しかし、イエスはそのサマリア人を愛されました。そしてイエスの愛は、サマリア人だけでなく極東の地に住む私たち日本人の上にも注がれているのです。

Ⅲ.主だけを恐れなければならない(34-41)

最後に、34~41節見て終わりたいと思います。「34 彼らは今日まで、以前の慣わしのとおりに行っている。彼らは【主】を恐れることはなく、【主】がイスラエルと名をつけたヤコブの子たちに命じられた、掟や定めや律法や命令のとおりに行うこともない。35 【主】はイスラエル人と契約を結び、次のように命じられた。「ほかの神々を恐れてはならない。これを拝み、これに仕えてはならない。これにいけにえを献げてはならない。36 大きな力と、伸ばされた腕をもって、あなたがたをエジプトの地から連れ上った【主】だけを恐れ、主を礼拝し、主にいけにえを献げなければならない。37 主があなたがたのために書き記した掟と定めと律法と命令をいつも守り行わなければならない。ほかの神々を恐れてはならない。38 わたしがあなたがたと結んだ契約を忘れてはならない。ほかの神々を恐れてはならない。39 あなたがたの神、【主】だけを恐れなければならない。主はすべての敵の手からあなたがたを救い出される。」40 しかし、彼らは聞かず、以前の彼らの慣わしのとおりに行った。41 このようにして、これらの民は【主】を礼拝すると同時に、彼らの刻んだ像にも仕えた。その子たちも、孫たちも、その先祖たちがしたとおりに行った。今日もそうである。」

「彼ら」とは、アッシリアの王によってサマリアに移された諸国の民のことです。彼らはこの列王記が記されている時点で、以前の慣わしに従っていました。彼らは主を恐れることはなく、主が定めた掟や定めに従うこともありませんでした。

一方、主はイスラエルの民とは契約を結ばれました。それは、ほかの神々を拝みこれに仕えてはいけないということです。これにいけにえをささげてもいけません。彼らを大いなる力と、伸ばされた腕をもって、エジプトの地から連れ上った主だけを恐れ、主にだけ仕えなければなりません。そうすれば、主はすべての敵から彼らを救い出されると。しかし、残念ながら彼らはその主の命令に聞き従わず、以前の慣わしに従いました。つまり主を礼拝すると同時に、彼らの刻んだ像にも仕えたのです。それは彼らだけではありません。その子たちも、孫たちも同じです。その先祖がしたとおりに行いました。

彼らには真の意味で主への畏れがありませんでした。もしあれば、刻んだ像に仕えることはできなかったはずです。彼らの主への礼拝は、形式的なものにすぎませんでした。混合宗教の悪影響は、それいたら何世代にもわたって続くことになります。私たちも悪の種を蒔くのではなく、信仰の継承を自分の代から始めていきたいと思います。

Ⅱ列王記16章

 

 今日は、Ⅱ列王記16章から学びます。

 Ⅰ.主の目にかなうことを行わなかったアハズ(1-4)

まず、1~4節をご覧ください。「1 レマルヤの子ペカの第十七年に、ユダの王ヨタムの子アハズが王となった。2 アハズは二十歳で王となり、エルサレムで十六年間、王であった。彼はその父祖ダビデとは違って、彼の神、【主】の目にかなうことを行わず、3 イスラエルの王たちの道に歩み、【主】がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の、忌み嫌うべき慣わしをまねて、自分の子どもに火の中を通らせることまでした。4 彼は高き所、丘の上、青々と茂るあらゆる木の下でいけにえを献げ、犠牲を供えた。」

北イスラエル王ペカの第17年に、ユダの王ヨタムの子アハズが王となりました。それは、B.C.735年です。アハズは20歳で王となり、エルサレムで16年間治めました。しかし彼はその父祖ダビデと違って、彼の神、主の目にかなうことを行いませんでした。彼はイスラエルの王たちの道に歩み、主がイスラエルの前から追い払われた異邦の民のも忌むべき慣わしをまねて、自分の子どもに火の中を通らせることまでしました。彼は高き所、丘の上で、青々と茂るあらゆる木の下でいけにえを献げ、犠牲を供えたのです。自分の子どもたちに火の中を通らせるというのは、カナン人の偶像礼拝の一形態です。それはモレクという神の礼拝でした。青々と茂るあらゆる木の下でいけにえを献げ、犠牲を供えたとは、国中の至るところで偶像礼拝を行ったということです。その程度があまりにもひどかったので、列王記の著者は「青々と茂るあらゆる木の下で」と誇張法を用いてこのように表現したのです。

これまでのユダの王たちの主な特徴は、ダビデの道に歩み、主の目に正しいことを行なったが高き所は取り除かなかった、ということでしたが、このアハズ王は違います。彼は北イスラエルの王たちと同じように、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムのすべての罪を行ったように、異邦の民の、忌み嫌うべき慣わしをまねて、主の目にかなう道とは反対のことを行ったのです。

ここには、「主がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の、忌むべき慣わしをまねて」とあります。このような異邦の民の慣わしをまねてはならないことは、彼らが約束の地に入る前からモーセを通して語られていたことでした。申命記7:1~3にはこうあります。「1 あなたが入って行って所有しようとしている地に、あなたの神、【主】があなたを導き入れるとき、主は、あなたよりも数多くまた強い七つの異邦の民、すなわち、ヒッタイト人、ギルガシ人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、およびエブス人をあなたの前から追い払われる。2 あなたの神、【主】が彼らをあなたに渡し、あなたがこれを討つとき、あなたは彼らを必ず聖絶しなければならない。彼らと何の契約も結んではならない。また、彼らにあわれみを示してはならない。3 また、彼らと姻戚関係に入ってはならない。あなたの娘をその息子に嫁がせたり、その娘をあなたの息子の妻としたりしてはならない。」

彼らが約束の地に導き入れられた時には、必ず彼らを聖絶しなければなりませんでした。何の契約も結んではいけなかったのです。彼らにあわれみを示してもいけませんでした。勿論、婚姻関係に入ってもいけませんでした。なぜなら、彼らは息子たちを主から引き離し、ほかの神々に仕えさせるからです。ですから、彼らを根絶やしにしなければならなかったのです。それなのに彼らはその地の異邦の民を追い払うどころか彼らの忌むべき慣わしをまねて、自分の子どもたちに火の中を通らせるようなことをしました。妥協したのです。このように、神の命令に背いて妥協すると、悲惨な結果を招いてしまうことになります。

パウロはコロサイ3:5で「ですから、地にあるからだの部分、すなわち、淫らな行い、汚れ、情欲、悪い欲、そして貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝です。」と言っています。こうした偶像礼拝と関わりを持つなではなく、殺してしまいなさいと言うのです。捨て去らなければならないのです。そのようなものを残しておくなら、そのようなものに妥協するなら、アハズのように霊的堕落を招き、悲惨な結果を招いてしまうことになるからです。

Ⅱ.アッシリアにより頼んだアハズ(5-9)

次に、5~9節をご覧ください。「5 そのころ、アラムの王レツィンと、イスラエルの王レマルヤの子ペカが、戦いのためにエルサレムに上って来て、アハズを包囲したが、攻め切れなかった。6 このとき、アラムの王レツィンはエイラトをアラムに復帰させ、ユダの人々をエイラトから追い払った。ところが、エドム人がエイラトに来て、そこに住みついた。今日もそのままである。7 アハズは使者たちをアッシリアの王ティグラト・ピレセルに遣わして言った。「私はあなたのしもべであり、あなたの子です。どうか上って来て、私を攻めているアラムの王とイスラエルの王の手から救ってください。」8 アハズが【主】の宮と王宮の宝物倉にある銀と金を取り出して、それを贈り物としてアッシリアの王に送ったので、9 アッシリアの王は彼の願いを聞き入れた。アッシリアの王はダマスコに攻め上り、これを取り、その住民をキルへ捕らえ移した。彼はレツィンを殺した。」

そのころのことです。アハズに一つの問題が起こります。何とアラムの王レツィンとイスラエルの王ペカが、戦いのためにエルサレムに上って来たのです。なぜアラムの王レツィンとイスラエルの王ペカがアハズと戦うためにエルサレムに上ってきたのかというと、アッシリアが台頭し、アラムを攻めて来ていたからです。それでアラムとイスラエルはアッシリアに対抗するために同盟を結びアッシリアに対抗しようとしたのですが、それに南ユダも加わるようにとけしかけたのです。でもアハズは加わろうとしなかったので、ユダに戦いをしかけたのです。おそらくアハズは、アラムや北イスラエルほどアッシリアの脅威を感じていなかったのでしょう。むしろ、融和策を取った方が賢明だと思ったのです。それでアラムの王のレツィンとイスラエルの王のペカはエルサレムのアハズのところに攻めてきましたが、攻め切れませんでした。

イザヤ7:2を見ると、この時のアハズの心境が描かれています。アラムがエフライムと組んだという知らせがもたらされた時、彼の心は林の木々が風にゆらぐように揺らいだ、とあります。それで彼はアッシリアの王ティグラト・ピレセルに使いを送って援助を求めたのです。実はその時主がイザヤを彼のもとに遣わして、「気を確かに持ち、落ち着いていなさい。恐れてはならない。あなたは、これら二つの煙る木切れの燃えさし、アラムのレツィンとレマルヤ子(ペカ)の燃える怒りに、心を弱らせてはならない。」と語るのですが、アハズはその動揺を抑えようと、アッシリアに助けを求めて問題を打開しようとしたのです。

これが人間の考えることです。人は何か問題が起こると、その場しのぎの解決や対策を講じようとします。ちょうどコンビニでインスタント食品を買うように、その場しのぎの神々を手に入れようとするのです。しかしそれは一時的な解決をもたらしてくれるかもしれませんが、ほんとうの解決にはなりません。ユダはアッシリアに助けを求めることでその場の危機をしのぐことができたかもしれませんが、後でほんとうの危機がやって来ることになります。「昨日の友が今日の敵」というようなことが起こります。何とそのアッシリアによって脅かされることになるわけです。アハズはアッシリアと同盟を結ぶことで、確かにつじつまが合ったかのように見えますが、そのつけは30年後に大きく膨らんで返ってくることになるのです。B.C.701年にアッシリアの王セナケリブがエルサレムにやって来てこれを包囲し、陥落させる寸前にまで追い込むことになるのです。

アハズはアッシリアの王への贈り物として、神殿と王宮にあった銀と金を送りました。つまりアハズは自ら進んでアッシリアの従属国となることを選んだのです。その結果どなりましたか。アッシリアの王は彼の願いを聞き入れ、アラムの首都であるダマスコに攻め入り、これを取り、その住民をキルへ捕え移しました。そして彼はレツィンを殺しました。すなわち、B.C.732年にアラムが、またB.C.722年にはサマリアが滅ぼされます。ユダの王アハズにとっては「してやったり」という気持ちだったでしょう。自分が思っていたとおりになったわけですから。アラムとイスラエルの攻撃という難局を乗り越えることができました。でも、それは真の解決ではありませんでした。イザヤ9:5~8を見ると、この時アハズが主をないがしろにしてアッシリアにより頼んだことを責めておられます。先ほども申し上げたように、やがてユダはそのアッシリアによって苦しめられることになるのです。それは、ユダの王アハズが主をないがしろにして、アッシリアにより頼んだからです。

Ⅲ.アハズの霊的堕落(10-20)

アッシリアに援助を求めたアハズの行為は愚かなことでしたが、そのことで彼はとんでもないことをしでかします。10~16節をご覧ください。「10 アハズ王は、アッシリアの王ティグラト・ピレセルに会うためダマスコに行ったとき、ダマスコにある祭壇を見た。アハズ王は、祭壇の図面とその模型を、詳細な作り方と一緒に祭司ウリヤに送った。11 祭司ウリヤは、アハズ王がダマスコから送ったものとそっくりの祭壇を築いた。祭司ウリヤは、アハズ王がダマスコから帰って来るまでに、そのようにした。12 王はダマスコから帰って来た。その祭壇を見て、王は祭壇に近づき、その上に上った。13 彼は全焼のささげ物と、穀物のささげ物を焼いて煙にし、注ぎのささげ物を注ぎ、自分のための交わりのいけにえの血をこの祭壇に振りかけた。14 【主】の前にあった青銅の祭壇は、神殿の前から、すなわち、この祭壇と【主】の神殿の間から動かし、この祭壇の北側に置いた。15 それから、アハズ王は祭司ウリヤに次のように命じた。「朝の全焼のささげ物と夕方の穀物のささげ物、また、王の全焼のささげ物と穀物のささげ物、この国の民全体の全焼のささげ物と穀物のささげ物、ならびにこれらに添える注ぎのささげ物を、この大いなる祭壇の上で焼いて煙にせよ。また全焼のささげ物の血といけにえの血は、すべてこの祭壇の上に振りかけなければならない。青銅の祭壇は、私が伺いを立てるためのものとする。」16 祭司ウリヤは、すべてアハズ王が命じたとおりに行った。」

アハズ王は、アッシリアの王ティグラト・ピレセルに遭うためにダマスコに行きました。これはアハズがティグラト・ピレセルを表敬訪問したということです。自分たちの窮地を救ってくれたアッシリアに感謝の意を伝えようとしたのです。そこで彼が見たものは、巨大な祭壇でした。これは勿論、異教の祭壇です。アラムのものである可能性もありますが、おそらくアッシリアのものでしょう。彼はその祭壇を見て感動しました。そしてどうしたかというと、その祭壇の図面と模型を、詳細な作り方と一緒にエルサレムにいる祭司ウリヤに送りました。それと同じものを制作するためです。何と愚かなことでしょうか。アッシリアに援助を求めること自体愚かなことですが、そのアッシリアの神々を自分たちのところに導入しようとするのはもっと愚かなことです。おそらく彼はアッシリアの祭壇を見て、そのすばらしさに、それと同じ祭壇を作れば自分たちも強くなれるに違いないと思ったのでしょう。何とも安易な考えです。彼はさっそくその図面と模型を、作り方と一緒に祭司ウリヤに送りました。

それを受け取った祭司ウリヤはどうしたかというと、アハズ王がダマスコから帰って来る前にそれとそっくりの祭壇を築きました。アハズ王もアハズ王ですが、祭司ウリヤもウリヤです。それがいかに愚かなことかを考えずに、ただアハズ王の言うことに従ったのですから。当時の祭司がいかに堕落していたかがわかります。

アハズ王はダマスコから帰って来ると、その祭壇を見て、祭壇に近づき、その上に上りました。そこでいけにえをささげたということです。彼は全焼のいけにえと、穀物のささげ物を焼いて煙にし、注ぎのささげ物を注ぎ、自分のための交わりのいけにえの血をその祭壇に振りかけました。そして、元からあった祭壇は、新しい祭壇の北側に移動させられました。

これは、とてつもない背教です。祭壇でのささげものは祭司しか行なうことができませんでした。それなのに、ここではアハズ自らがささげ物をささげています。礼拝は本来、神に対してなされるものですが、彼はそれを自分の益のために利用したのです。また、主によって命じられて造った青銅の祭壇は、その新しく造られた異教の祭壇によって、横に追いやってしまいました。つまり、異教の祭壇よりも価値が劣るものとみなしたということです。

アハズ王がやったことはとんでもない礼拝の逸脱行為ですが、ややもすると私たちもこれと同じような過ちを犯してしまうことがあります。主を礼拝するための祭壇が自分の目的を達成するために利用することがあるとしたら、このアハズと何ら変わらないことをしていることになります。自分の礼拝が純粋なものになっているかどうかを吟味しなければなりません。

15~16節ご覧ください。「15それから、アハズ王は祭司ウリヤに次のように命じた。「朝の全焼のささげ物と夕方の穀物のささげ物、また、王の全焼のささげ物と穀物のささげ物、この国の民全体の全焼のささげ物と穀物のささげ物、ならびにこれらに添える注ぎのささげ物を、この大いなる祭壇の上で焼いて煙にせよ。また全焼のささげ物の血といけにえの血は、すべてこの祭壇の上に振りかけなければならない。青銅の祭壇は、私が伺いを立てるためのものとする。」16 祭司ウリヤは、すべてアハズ王が命じたとおりに行った。」

アハズは祭司ウリヤに命じて、朝の全焼のささげものと夕方の穀物のささげ物と夕方の穀物のささげ物、また、王の全焼のささげ物と穀物のささげ物、この国の民全体の全焼のささげ物と穀物のささけげ物を持って来るようにと命じました。そこで主にいけにえをささげるためです。彼は自分が偶像礼拝の罪を犯しただけでなく、ユダの国のすべてのいけにえを偶像礼拝にするように仕向けたのです。ユダの人々が持ってくるものはみな、アハズが自分の趣味でこしらえた、自分勝手な神にささげられたのです。そして、主の祭壇は伺いを立てるために、つまり、占いのために用いられることになりました。

それに対して祭司ウリヤはどうしたかというと、それが主のみこころに反するものであることを知りながら、すべてアハズ王が命じたとおりに行いました。これが主の命令に従うのであればすばらしいことですが、偶像礼拝を推進するためのものでしたから、とんでもない従順であったと言えます。

最後に、17~20節をご覧ください。「17 アハズ王は、車輪付きの台の鏡板を切り離し、その台の上から洗盤を外し、またその下にある青銅の牛の上から「海」も降ろして、それを敷き石の上に置いた。18 彼は、宮の中に造られていた安息日用の覆いのある通路も、外側の王の出入り口も、アッシリアの王のために【主】の宮から取り除いた。19 アハズが行ったその他の事柄、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。20 アハズは先祖とともに眠りにつき、先祖とともにダビデの町に葬られた。彼の子ヒゼキヤが代わって王となった。」

ソロモンが建てた神殿の説明書には、動物のいけにえを洗うための10の洗盤がありました。それは車輪付きで、移動可能のものでした。また、非常に大きい、青銅の洗盤もありました。牛や海が装飾されている洗盤です。アハズはこれらを移動させたり、取り除いたりしました。なぜこのようなことをしたのかはわかりません。ただここに「アッシリアの王のために主の宮から取り除いた」とありますので、それはアッシリアの王のためであったこと間違いありません。

人はここまで堕落するのかと思ってしまいますが、けれどもこれが人間の現実なのです。このことはクリスチャンと言えども起こり得ることです。ペテロは、その手紙の中でこう言っています。「20 主であり、救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れから逃れたのに、再びそれに巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪くなります。21 義の道を知っていながら、自分たちに伝えられた聖なる戒めから再び離れるよりは、義の道を知らなかったほうがよかったのです。22 「犬は自分が吐いた物に戻る」、「豚は身を洗って、また泥の中を転がる」という、ことわざどおりのことが、彼らに起こっているのです。」(Ⅱペテロ:20-22)

これは決して他人事ではありません。主であり、救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れから逃れたのに、再びそれに巻き込まれて打ち負かされることがあります。アハズが経験したように、林の木々が風にゆらぐように揺らぐことがあります。そのような時、主ではなく主以外のものにより頼むことがあるとしたら、私たちもアハズのように堕落してしまうことがあるということです。そうならないために必要なことは何か。ペテロが彼の手紙の最後のところで言っていることが重要ではないかと思います。すなわち、「私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。」(Ⅱペテロ3:18)

私たちの心が林の木々が揺らぐように揺らぐ時、それでも信仰に堅く立ち続けることができるのは私たちの考えや力によるのではなく、一方的な主の恵みによります。私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長すること、それがどんな時でも主により頼むために必要なこと、信仰から信仰へと進むために必要なことなのです。