エズラ記2章

 

 エズラ記2章から学びます。

 Ⅰ.エルサレムに帰還した人々(1-58)

まず、1~58節をご覧ください。「1 バビロンの王ネブカドネツァルがバビロンに引いて行った捕囚の民で、その捕囚の身から解かれてエルサレムとユダに上り、それぞれ自分の町に帰ったこの州の人々は次のとおりである。2 彼らは、ゼルバベル、ヨシュア、ネヘミヤ、セラヤ、レエラヤ、モルデカイ、ビルシャン、ミスパル、ビグワイ、レフム、バアナと一緒に帰って来た。イスラエルの民の人数は次のとおりである。3 パルオシュ族、二千百七十二人。4 シェファテヤ族、三百七十二人。5 アラフ族、七百七十五人。6 ヨシュアとヨアブの二族からなるパハテ・モアブ族、二千八百十二人。7 エラム族、一千二百五十四人。8 ザト族、九百四十五人。9 ザカイ族、七百六十人。10 バニ族、六百四十二人。11 ベバイ族、六百二十三人。12 アズガデ族、一千二百二十二人。13 アドニカム族、六百六十六人。14 ビグワイ族、二千五十六人。15 アディン族、四百五十四人。16 ヒゼキヤ族、すなわちアテル族、九十八人。17 ベツァイ族、三百二十三人。18 ヨラ族、百十二人。19 ハシュム族、二百二十三人。20 ギバル族、九十五人。21 ベツレヘム人、百二十三人。22 ネトファの人々、五十六人。23 アナトテの人々、百二十八人。24 アズマウェテ人、四十二人。25 キルヤテ・アリム人とケフィラ人とベエロテ人、七百四十三人。26 ラマ人とゲバ人、六百二十一人。27 ミクマスの人々、百二十二人。28 ベテルとアイの人々、二百二十三人。29 ネボ人、五十二人。30 マグビシュ族、百五十六人。31 別のエラム族、一千二百五十四人。32 ハリム族、三百二十人。33 ロデ人とハディデ人とオノ人、七百二十五人。34 エリコ人、三百四十五人。35 セナア人、三千六百三十人。36 祭司は、ヨシュアの家系のエダヤ族、九百七十三人。37 イメル族、一千五十二人。38 パシュフル族、一千二百四十七人。39 ハリム族、一千十七人。40 レビ人は、ホダウヤ族のヨシュアとカデミエルの二族、七十四人。41 歌い手は、アサフ族、百二十八人。42 門衛の人々は、シャルム族、アテル族、タルモン族、アクブ族、ハティタ族、ショバイ族、合計百三十九人。43 宮のしもべたちは、ツィハ族、ハスファ族、タバオテ族、44 ケロス族、シアハ族、パドン族、45 レバナ族、ハガバ族、アクブ族、46 ハガブ族、シャルマイ族、ハナン族、47 ギデル族、ガハル族、レアヤ族、48 レツィン族、ネコダ族、ガザム族、49 ウザ族、パセアハ族、ベサイ族、50 アスナ族、メウニム族、ネフシム族、51 バクブク族、ハクファ族、ハルフル族、52 バツルテ族、メヒダ族、ハルシャ族、53 バルコス族、シセラ族、テマフ族、54 ネツィアハ族、ハティファ族。55 ソロモンのしもべたちの子孫は、ソタイ族、ソフェレテ族、ペルダ族、56 ヤアラ族、ダルコン族、ギデル族、57 シェファテヤ族、ハティル族、ポケレテ・ハ・ツェバイム族、アミ族。58 宮のしもべたちと、ソロモンのしもべたちの子孫は、合計三百九十二人。」

ここには、バビロンからエルサレムに帰還した人々の名簿が記されてあります。1章1節には、「ペルシャの王キュロスの第一年に、エレミヤによって告げられた主のことばが成就するために、主はペルシャの王キュロスの霊を奮い立たせた。」とありますが、そのように主の働きかけによってエルサレムへの帰還が実現しました。神はまさにみこころを成し遂げられる方なのです。1節に「この州の人々」とありますが、これはこの捕らえられていたユダの人々のことです。ユダはペルシャの行政区である州のひとつでした。エズラは、この帰還民たちをいくつかのグループに分けて書き記しています。

まず、11名の宗教的・政治的リーダーたちです。「彼らは、ゼルバベル、ヨシュア、ネヘミヤ、セラヤ、レエラヤ、モルデカイ、ビルシャン、ミスパル、ビグワイ、レフム、バアナと一緒に帰って来た。」(2節)

ネヘミヤ記7章7節には、12名の名前が上げられていますが、エズラ記には、そのうち「ナハマニ」の名前が抜けています。おそらく、写本の段階で抜けてしまったのでしょう。極めて珍しいケースです。ですから、本来は12名であったと思われます。

「ゼルバベル」は、政治的指導者で、行政の長として働きました。この総督ゼルバベルについては、ゼカリヤも、6章11節にも記されてあります。「ヨシュア」は、当時の大祭司です。総督ゼルバベルとともに神殿再建の指導者として立てられました。「ネヘミヤ」は、ネヘミヤ記を書いたネヘミヤとは別の人物です。というのは、ネヘミヤがエルサレムに帰還するのは、この時から90年後のことだからです。「モルデカイ」も、エステル記のモルデカイとは別の人物です。エステル記の物語は、エズラ記から60年後の出来事ですから。

3~20節には、氏族ごとの人数が記されてあります。それは18の氏族、合計15,604名です。21~35節には、町や村ごとの人数が記されてあります。ユダとベニヤミン族の中にある町です。その合計は、8,540名です。36~39節は、祭司の人数です。合計で、4,289名。40~42節には、レビ人の人数、その数は、341名です。43~58節には、宮に仕える歌うたいや門衛などの氏族の人数が記されており、その数は、392名です。

Ⅱ.系図のない人々(59-63)

しかし、次の人々は、自分たちの先祖の家系と血統がイスラエル人であったかどうかを証明できませんでした。59~63節をご覧ください。「59 次の人々はテル・メラフ、テル・ハルシャ、ケルブ、アダン、イメルから引き揚げて来たが、自分たちの先祖の家系と血統がイスラエル人であったかどうかを証明できなかった。60 デラヤ族、トビヤ族、ネコダ族、六百五十二人。61 祭司の子孫の中では、ホバヤ族、ハ・コツ族、バルジライ族。このバルジライは、ギルアデ人バルジライの娘の一人を妻にしたので、その名で呼ばれていた。62 これらの人々は自分たちの系図書きを捜してみたが、見つからなかったので、彼らは祭司職を果たす資格がない者とされた。63 そのため総督は彼らに、ウリムとトンミムを使える祭司が起こるまでは、最も聖なるものを食べてはならないと命じた。」

ここには、自分たちの先祖の家系と血統がイスラエル人であるかどうか証明できなかった者たちについて記されてあります。すなわち、デラヤ族、トビヤ族、ネコダ族の合計652人です。

祭司の子孫のうちにも、系図がなかったため祭司職を証明できない者たちがいました。すなわち、ホバヤ族、ハ・コツ族、バルジライ族です。このバルジライは、ギルアデ人バルジライの娘の一人を妻にしたので、その名で呼ばれていました。彼らは、自分たちの系図書きを捜してみましたが見つからなかったので、祭司職を果たす資格がない者とみされたのです。それで総督は、ウリムとトンミムを使える祭司が起こるまでは最も聖なるものを食べてはならないと命じました。「最も聖なるもの」とは、ささげものの中から祭司が受け取る分」のことです。また、ウリムとトンミムとは大祭司の胸に付ける二つの石のことで、神のみこころを判断するために用いられました。それによって彼らが本当の祭司であるかどうかを神に伺いを立て判別したのです。

Ⅲ.自発的なささげ物(64-70)

「64 全会衆の合計は四万二千三百六十人であった。65 このほかに、彼らの男女の奴隷が七千三百三十七人いた。また、彼らには男女の歌い手が二百人いた。66 彼らの馬は七百三十六頭。らばは二百四十五頭。67 らくだは四百三十五頭。ろばは六千七百二十頭であった。
  68 一族のかしらの中のある者たちは、エルサレムにある【主】の宮に着いたとき、神の宮を元の場所に建てるために、自分から進んでささげ物をした。69 彼らは自分たちの財力に応じて、工事資金として金六万一千ダリク、銀五千ミナ、祭司の長服百着を献げた。70 こうして、祭司、レビ人、民のある者たち、歌い手、門衛、宮のしもべたち、すなわち、全イスラエルは自分の元の町々に住んだ。」

全集団の合計は、42,360名でした。でも、このエズラ記2章に記されている人数を合計すると、29818名になります。この違いから、このエズラ記の記述は虚構だと主張する学者もいますが、そういうことではありません。この違いは、統計の取り方の違いです。おそらく全集団の合計には、婦人や子供たちが含まれていたのでしょう。また、北の10部族の中から帰還した人たちもいたものと思われます。あるいは、系図のない祭司たちの数もここに含まれていたのかもしれません。こういう人たちを全部含めると、42,360名であったということです。

ここで大切なのは、これらの人たちはエルサレムで神殿を再建するためにバビロンで慣れ親しんだ地を捨てた人々であったということです。それは、当時バビロンに住んでいたユダヤ人の総数からすれば少数派でした。多くのイスラエルの人々は捕虜であったとはいえ、50年以上も定住し、ある意味で自分たちの生活が出来上がったバビロンにとどまりました。彼らは、安全と富を保障してくれる現状の生活に満足し、神が与えてくださった約束の地を捨てたのです。そのような人たちの中にあって、神が約束してくださったことを信じ、それに応答した人たちがいたのです。新しい環境に飛び込むことは勇気を要したことでしょう。でもこの人たちはその思い越しを上げて、あえてはるか数千キロも離れた地に出て行ったのです。そういう冒険的な旅をした人たちの記録なのです。

確かに、そのような人たちがいなければ、物事が進まないことがあります。誰かが道を拓かなければなりません。私はこれまで何回か開拓伝道に取り組んだことがありますが、まさに開拓伝道はその一つでしょう。だれかが始めなければ道が開かないことがあります。一歩先を進んで行かなければならないことがあるのです。彼らはその一歩先を進んで行ったのです。

そればかりではありません。68節には「一族のかしらの中のある者たちは、エルサレムにある【主】の宮に着いたとき、神の宮を元の場所に建てるために、自分から進んでささげ物をした。」とあります。一族のかしらの中のある者たちは、進んでささげものをしました。その金額は、工事資金として金六万一千ダリク、銀五千ミナ、祭司の長服百着でした。これは金256キロ、銀3トンです。それに祭司の長服100着ですから、莫大な金額でした。これでけのものをささげたのです。ある意味手弁当で工夫し、自分たちにできることから始めていったのです。そんな人たちが物事のきっかけを作っていったのです。そして神はそうした一歩を祝福されたのです。

それにしても、ここに自分の出身地、名前が記されているのを見た読者たちは、どれほど感動したことでしょうか。私たちの名はどこに記されてあるでしょうか。主イエスは「ただあなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」(ルカ10:20)と言われました。私たちの名は天に書き記されています。神の恵みに応答し、天に名が記されてあることを喜びましょう。

エズラ記1章

 

 

 今日からエズラ記の学びに入ります。今日はエズラ記1章です。

 Ⅰ.主によって霊を奮い立たせられたキュロス(1)

まず、1節をご覧ください。「1 ペルシアの王キュロスの第一年に、エレミヤによって告げられた【主】のことばが成就するために、【主】はペルシアの王キュロスの霊を奮い立たせた。王は王国中に通達を出し、また文書にもした。」

エズラ記は、イスラエルの民がバビロン捕囚を終えてエルサレムに帰って来た時の記録です。前538年、ペルシャの王キュロスはバビロン帝国を征服しました。彼の最初の事業は、バビロンで捕虜となっていたイスラエルの民を解放することでした。それはキュロス王の第一年のことでした。エレミヤによって告げられた主のことばが成就するために、主はペルシャの王キュロスの霊を奮い立たせました。エレミヤによって告げられた主のことばとは、バビロンに捕えられていたユダの民が、七十年後にそこから解放されてエルサレムに帰還するという約束です。エレミヤ29章10節にこうあります。「まことに、【主】はこう言われる。『バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。」

エレミヤは、バビロン捕囚は70年で終わることを預言していました。この1節だけを見ると、まるでキュロス王がイスラエルの神を信じていたかのような印象を受けますが、そうではありません。彼はバビロンのマルドゥーク神を中心に多神教の神を信じていました。そんな彼がイスラエルの民の帰還と神殿の再建を許したのは、政治的目的のためでした。つまり、ペルシャ帝国の周りに強力な国を配置し、防衛力を高めようとしたのです。しかし、結果的にそれがこのエレミヤによって語られた主のことばが成就することになりました。これは、主の力によるものだったのです。

それにしても、主は異国の王の霊を奮い立たせ、ご自身のみことばが成就するために用いられたというのはすごいことです。どうしてこのようなことがおこったのでしょうか。その背後には、預言者ダニエルなど信仰の勇者たちがいたことがわかります。ダニエルは第一次バビロン捕囚の時(前605年)にバビロンに連れて行かれましたが、バビロンからペルシャの時代に変わると、このキュロス王の治世に栄え(ダニエル6:28)、用いられていました。彼は、預言者エレミヤにあった主のことばによって、エルサレムの荒廃の帰還が満ちるまでの年数が七十年であるみことばを、文書によって知っていました(ダニエル9:2)。また、勿論、彼は旧約聖書に精通していましたから、エレミヤからさらに100年前に活躍していた預言者イザヤのことばも知っていたでしょう。そこには、エルサレムの神殿再建のためにキュロスという人物を用いるということが名指して預言されていたことも知っていました。イザヤ44章24~28節です。「24 あなたを贖い、あなたを母の胎内で形造った方、【主】はこう言われる。「わたしは万物を造った【主】である。わたしはひとりで天を延べ広げ、ただ、わたしだけで、地を押し広げた。25 わたしは易者のしるしを打ち壊し、占い師を狂わせ、知恵ある者を退けて、その知識を愚かにする。26 主のしもべのことばを成就させ、使者たちの計画を成し遂げさせる。エルサレムについては『人が住むようになる』と言い、ユダの町々については『町々は再建され、その廃墟はわたしが復興させる』と言う。27 淵については『干上がれ。わたしはおまえの豊かな流れを涸らす』と言う。28 キュロスについては『彼はわたしの牧者。わたしの望むことをすべて成し遂げる』と言う。エルサレムについては『再建される。神殿はその基が据えられる』と言う。」

すごいですね、キュロスの時代から遡ること150年も前に、主はイザヤを通してこのように語っておられたのです。

それは同じイザヤ書45章1~8節にも記されてあります。「1 【主】は、油注がれた者キュロスについてこう言われる。「わたしは彼の右手を握り、彼の前に諸国を下らせ、王たちの腰の帯を解き、彼の前に扉を開いて、その門を閉じさせないようにする。2 わたしはあなたの前を進み、険しい地を平らにし、青銅の扉を打ち砕き、鉄のかんぬきをへし折る。3 わたしは秘められている財宝と、ひそかなところに隠された宝をあなたに与える。それは、わたしが【主】であり、あなたの名を呼ぶ者、イスラエルの神であることをあなたが知るためだ。4 わたしのしもべヤコブのため、わたしが選んだイスラエルのために、わたしはあなたを、あなたの名で呼ぶ。あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに肩書きを与える。5 わたしが【主】である。ほかにはいない。わたしのほかに神はいない。あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに力を帯びさせる。6 それは、日の昇る方からも西からも、わたしのほかには、だれもいないことを、人々が知るためだ。わたしが【主】である。ほかにはいない。7 わたしは光を造り出し、闇を創造し、平和をつくり、わざわいを創造する。わたしは【主】、これらすべてを行う者。8 天よ、上から滴らせよ。雲よ、義を降らせよ。地よ、開け。天地が救いを実らせるように。正義をともに芽生えさせよ。わたしは【主】。わたしがこれを創造した。」

ここには、キュロスのことが「油注がれた者」と言われています。主はバビロンを滅ぼしイスラエルをその束縛から解放するために、彼が誕生するはるか前から彼を選び、ご自身の計画を実行する使命を与えておられたのです。

ダニエルは、こうした主の預言を知っていて、それをキュロスに知らせていたのだと思われます。主は歴史の中でこのような器を用意し、ご自身の目的を遂行するために用いておられたのです。それは私たちも同じです。エペソ1章4節には、「すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。」とあるように、私たちも世界の基の置かれる前から、救いに選ばれていたのです。それは、この歴史の中で、神から与えられている使命を成し遂げるためです。

いずれにせよ、神は人の心を奮い立たせたり、変えたりすることがおできになられる方です。ですから、今どのような状況に置かれていていたとしても、それに動揺したり失望したりする必要はありません。神は歴史さえも支配しておられるお方だからです。そして、その歴史をご自身の目的に向かって導いておられるのです。ですから、この歴史さえも支配しておられる神を認め、神に信頼して生きることです。神は約束されたことを忘れずに必ず実行してくださる誠実なお方であり、エレミヤによって語られた預言が成就するように時代を動かされたお方であるとしっかり受け止めなければなりません。バビロンに捕虜となっていた人たちの中でいったいだれがこのようなことを考えていた人がいたでしょうか。国を再興するという神の約束を聞かされてはいても、それが現実になるとはだれも考えられなかったでしょう。しかし、神はキュロスの霊を奮い立たせ、キュロスに必要なものを支援するようにと働きかけ、そのようにしてイスラエルの民に希望を与えられました。ですから、私たちはこの誠実な主に信頼し、この方を見上げて、平安を得たいと思うのです。

Ⅱ.キュロスの布告の内容(2-4)

では、このキュロスの布告とはどのような内容でしょうか。2~4節をご覧ください。「2 「ペルシアの王キュロスは言う。『天の神、【主】は、地のすべての王国を私にお与えくださった。この方が、ユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てるよう私を任命された。3 あなたがた、だれでも主の民に属する者には、その神がともにいてくださるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、【主】の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。4 あとに残る者たちはみな、その者を支援するようにせよ。その者がどこに寄留しているにしても、その場所から、その土地の人々が、エルサレムにある神の宮のために進んで献げるものに加え、銀、金、財貨、家畜をもってその者を支援せよ。』」」

ここでキュロスは、イスラエルの神を「天の神」と呼んでいます。それは彼がこの神を信じていたからではありません。先に申し上げたように、彼は多神教の神々を受け入れていました。そんな彼がここでイスラエルの神を「天の神」と呼んだのは、イザヤやエレミヤが預言した主のことばを聞いた時、少なからず彼の中に、イスラエルの神に対する畏敬の念が生じたからでしょう。イスラエルの神こそ天地を創造した方であり、その神によって自らがバビロンを滅ぼし、バビロンに捕囚となっている主の民をエルサレムに帰還させる使命が与えられているという意識が芽生えていたのです。それでも彼の中には、このイスラエルの神はエルサレムにおられる神であるという意識から離れることはできませんでした。それで彼は、このイスラエルの神、主のために宮を建てること、神殿再建の事業を進めたのです。それは、神殿がイスラエルの民にとって宗教的要であり、主を礼拝することがすべての働きの土台になることだったからです。

 その働きに参与したのは、「主の民に属する者」でした。主の民に属する者には、神がともにいてくださり、神殿再建の業を進めていくようにというのです。あとに残る者たちはどうでしょうか。「あとに残る者たち」はみな、その者たちを支援しなければなりませんでした。すなわち、その土地の人々が、エルサレムにある神の宮のために進んでささげるものに加え、銀、金、財貨、家畜をもってその者たちを支えなければならなかったのです。彼らはなぜあとに残ったのでしょうか。なぜエルサレムに帰還することを選ばなかったのか。それぞれいろいろな事情があったのでしょう。帰りたくても帰れないとか、ずっと住み慣れた地にいる方が安定した生活をすることができると判断したのかもしれません。むしろ、住み慣れたバビロンの地から帰ることを選択する方が困難だったと思います。バビロンに連れて行かれた時は10歳くらいの年齢だった人はもう80~90歳になっていました。「帰れ」と言われても無理です。そこに定住した方がよっぽど楽なのです。それで、彼らはそこに残り、ささげものをもって支えなければならなかったのです。

このようにあとに残ってささげ物をしたことは素晴らしいことですが、彼らがバビロンに留まったのは必ずしもほめられたことではありません。彼らはバビロンでの生活に慣れ、物質的にも裕福になっていたので、冒険をしたくなかったのでしょうが、その後、彼らがエステル記にあるような危機的な状況を迎えることになったことを思う時、神の御心から離れた生活は非常に危険なものとなるということがわかります。神の御心の内を歩むことこそ、もっとも安全な道なのです。

Ⅲ.イスラエルの民の応答(5-11)

こうしたキュロス王の布告に対して、イスラエルの民はどのように応答したでしょうか。5~11節をご覧ください。「5 そこで、ユダとベニヤミンの一族のかしらたち、祭司たち、レビ人たちは立ち上がった。エルサレムにある【主】の宮を建てるために上って行くように、神が彼ら全員の霊を奮い立たせたのである。6 彼らの周りの人々はみな、銀の器、金、財貨、家畜、選りすぐりの品々、そのほか進んで献げるあらゆる物をもって彼らを力づけた。7 キュロス王は、ネブカドネツァルがエルサレムから持ち出して、自分の神々の宮に置いていた【主】の宮の器を運び出させた。8 ペルシアの王キュロスは財務官ミテレダテに命じてこれを取り出し、その数を確かめさせ、ユダの首長シェシュバツァルに渡した。9 その数は次のとおりであった。金の皿三十、銀の皿一千、香炉二十九、10 金の鉢三十、予備の銀の鉢四百十、その他の器一千。11 金や銀の用具は全部で五千四百あった。捕囚の民がバビロンからエルサレムに上ることを許されたとき、シェシュバツァルはこれらの物をみな一緒に携えて上った。」

それに対して、まず立ち上がったのはユダとベニヤミンの一族のかしらたち、祭司たち、レビ人たちでした。これらの人たちは、宗教的指導者たちでした。宗教的な指導者たちが立ち上がったということです。さらに、ユダとベニヤミンの一族のかしらたち、すなわち長老たちです。ユダとベニヤミン族は、バビロンによって捕囚に連れて行かれた部族です。かつて神殿があったエルサレムを中心に生きていた人たちです。そのかしらたちが立ち上がったのです。

いったいどうして彼らは立ち上がったのでしょうか。ここにも、「エルサレムにある主の宮を建てるために上って行くように、神が彼らを全員の霊を奮い立たせたのである。」とあります。エルサレムにある主の宮を建てるために上って行くように、神が彼ら全員の霊を奮い立たせたからです。それを神の御心と受け止めた人たちということです。彼らはその霊を奮い立たせられて、実際にその働きに携わっていったのです。主の御業は、このようにその霊を奮い立たせられた人たちによって成し遂げられていくのです。財貨があったらからではありません。信仰があったからです。

さらに彼らの周りにいた人々もみな、銀の器、金、財貨、家畜、選りすぐりの品々、そのほか進んで献げるあらゆる物をもって彼らを力づけました。これは、自分自身は行かないけれども、捧げものをもって協力した人々です。こうして彼らは各々にふさわしい役割を担って、一致してことに当たって行ったということです。

その結果、どんなことが起こったでしょうか。その時、キュロス王もまた、自分の神が身の宮に置いていた主の宮の器を運び出させ、それをもって彼らを援助しました。これは、バビロンの王ネブカドネツァルがエルサレムから持ち出して自分の神が身の宮に置いていたものですが、それを取り出して彼らに与え、彼らの必要に応えたのです。

キュロスが財務官ミテレダテに命じてその数を調べさせたところ、金や銀の用具は全部で5,400もありました。莫大な金額です。彼らの信仰に神がキュロスの心に働きかけ、それだけの援助がなされたのです。私はかつて福島で開拓伝道をしたとき、会堂建設に取り組んだことがありました。本当にわずかなメンバーでどうやって会堂を建設することができるのか想像もつきませんでしたが、主によってその霊を奮い立たせられた人たちが自分の手にあるものを進んでささげたとき、素晴らしい主の御業を拝することができました。立派な会堂が与えられたのです。私は思いました。教会堂はお金があればできるのではない。信仰によって建て上げられるのだと。

彼らはそれをユダの首長シェシュバツァルに渡しました。シェシュバツァルという人物については、バビロンに連れて行かれたユダの王エホヤキンの息子ではないかとか、ペルシャの役人の一人だという説、また、その後に登場する総督ゼルバベルではないかという説などがありますが、個人的にはゼルバベルと同一人物ではないかと考えています。いずれにせよ、捕囚の民がバビロンからエルサレムに上ることを許されたとき、シェシュバツァルはこれらの物をみな一緒に携え上りました。 このように、ユダの民がバビロンからエルサレムに帰還し、そこで神殿を再建するという主の御業は、主によってその霊を奮い立たせた足せられた人たちによって成し遂げられて行きました。そのために主は、異邦人の王さえも用いられたのです。それは今も同じです。私たちが主の御業を成し遂げていくために必要なのは、主によってその霊を奮い立たせていただくことです。その時、私たちが想像もできなかったような大いなる主の御業を見ることができるようになります。主がそこに働かれるからです。私たちもこの置かれた時代、この場所で、主の御業を成し遂げていくために、主によってその霊を奮い立たせていただきましょう。そして、そのためにダニエルのようにみことばの約束をしっかりと握り締め、祈り続ける者でありたいと思います。