これまでサムエル記第一から学んできましたが、きょうはその最後となりました。きょうは31章から学びたいと思います。
Ⅰ.サウルの死(1-7)
まず、1-7節をご覧ください。「ペリシテ人はイスラエルと戦った。そのとき、イスラエルの人々はペリシテ人の前から逃げ、ギルボア山で刺し殺されて倒れた。ペリシテ人はサウルとその息子たちに追い迫って、サウルの息子ヨナタン、アビナダブ、マルキ・シュアを打ち殺した。攻撃はサウルに集中し、射手たちが彼をねらい撃ちにしたので、彼は射手たちのためにひどい傷を負った。サウルは、道具持ちに言った。「おまえの剣を抜いて、それで私を刺し殺してくれ。あの割礼を受けていない者どもがやって来て、私を刺し殺し、私をなぶり者にするといけないから。」しかし、道具持ちは、非常に恐れて、とてもその気になれなかった。そこで、サウルは剣を取り、その上にうつぶせに倒れた。道具持ちも、サウルの死んだのを見届けると、自分の剣の上にうつぶせに倒れて、サウルのそばで死んだ。こうしてその日、サウルと彼の三人の息子、道具持ち、それにサウルの部下たちはみな、共に死んだ。谷の向こう側とヨルダン川の向こう側にいたイスラエルの人々は、イスラエルの兵士たちが逃げ、サウルとその息子たちが死んだのを見て、町々を捨てて逃げ去った。それでペリシテ人がやって来て、そこに住んだ。」
29:1には、イスラエル軍はイズレエルにある泉のほとりに陣を敷いたとありますが、ペリシテ人との戦いで後退しました。ギルボア山は、イズレエル平野の南東に位置しています。そこでイスラエルの人々の大勢の者が刺されて殺されました。
ペリシテ人たちは、特にサウルとその息子たちを狙い撃ちにしました。そして、サウルの息子4人のうち、ヨナタン、アビナダブ、マルチ・シュアの3人を撃ち殺しました。もう一人の息子イシュボシェテ(エシュバアル)は、戦争に参加していなかったので無事でした。
攻撃はサウルに集中し、ペリシテ軍の射手たちが彼を狙い撃ちにしたので、彼はひどい傷を負ってしまいました。このままでは敵になぶりものにされてしまいます。なぶりものにするとは、もてあそび苦しめながら殺すことです。そこで彼はどうしたかというと、部下の道具持ちに、彼の剣で自分を刺し殺すように言いました。しかし、自分の主君を刺し殺すことなどできません。それで道具持ちはそのことを非常に恐れ、手を下しませんでした。するとサウルは彼の剣を取り、その上に身を伏せました。自殺したのです。道具持ちは、サウルが死んだのを見ると、自分も剣の上に身を伏せて、サウルのあとを追って自害しました。こうしてその日、サウルと彼の3人の息子、道具持ち、それにサウルの部下たちはみな、ともに死んだのです。
イズレエルの谷の向こう側、すなわち、北側にいたイスラエルの人々と、ヨルダン川の向こう側にいたイスラエル人々は、イスラエルの兵士たちが逃げ、サウルとその息子たちが死んだのを見ると、町々を捨てて逃げ去りました。それで、ペリシテ人がやって来て、そこに住むようになりました。イスラエルの人々が築いた町々が、敵の手に渡ってしまったのです。
これで、サウルの生涯は幕を閉じます。彼の最初はすばらしいものでした。彼はベニヤミン人で、イスラエルの最も小さな部族の出にすぎませんでしたが、主は彼に油を注いでイスラエルを治める王としました。それなのに彼は主の命じられたことに背き、サムエルを待たずして全焼のささげ物を自分の手で献げたり(13:9)、アマレクとの戦いにおいては聖絶するようにという主の命令に背き、肥えた羊と牛の最も良いものや、子羊とすべての最も良いものを惜しんで聖絶しませんでした。そればかりか、小さな不従順を積み重ね、最後は、主に反抗することが習慣になっていました。彼はそうした罪を犯し続け、最後まで悔い改めませんでした。彼は、自分で蒔いた種の刈り取りをしたのです。それはサウルだけのことではありません。私たちも主に背き、小さな不従順を重ねながら最後まで悔い改めないなら、同じような結果を招いてしまうことになります。
黙示録3章には、主がラオデキアの教会に宛てて書かれた手紙があります。「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現さないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。」(黙示録3:15-18)
このラオデキアの教会の問題は何だったのでしょうか。それは、彼らの信仰が熱くもなく、冷たくもなかったということです。彼らは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知りませんでした。知らなかったというより気付いていなかったのです。ドキッとしますね。まさに私たちは、自分はそんなに富んでいるわけではなくても普通の生活ができているとまあまあのクリスチャンだと思い込んでいる節がありますが、実はそうではありません。ただ自分の姿が見えていないだけなのです。自分がどれほどみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸であるかを知らないだけなのです。もし知っていたら、主の前に胸をたたいて悔い改めたあの取税人のようになるでしょう。
ですから、主はこう言われたのです。「豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現さないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。」
神様は、私たちがサウルのような最期を迎えることを願っていません。今は恵みの時、今は救いの日です。そういうことがないように、恵みの時、救いの日である今、熱心になって悔い改め、主に立ち返ろうではありませんか。あのラオデキアの教会に対して、主はこのように言われました。「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(黙示録3:19)
主イエスの招きにあなたも応答し、あなたも心に主イエスを招き入れましょう。そして、彼とともに食事を、彼も私とともに食事をするという、主イエスとの親しい交わりの中を歩ませていただきましょう。
Ⅱ.ヤベシュ・ギルアデの人たちの手による丁寧な埋葬(8-13)
次に、8~13節をご覧ください。「翌日、ペリシテ人がその殺した者たちからはぎ取ろうとしてやって来たとき、サウルとその三人の息子がギルボア山で倒れているのを見つけた。彼らはサウルの首を切り、その武具をはぎ取った。そして、ペリシテ人の地にあまねく人を送って、彼らの偶像の宮と民とに告げ知らせた。彼らはサウルの武具をアシュタロテの宮に奉納し、彼の死体をベテ・シャンの城壁にさらした。ヤベシュ・ギルアデの住民が、ペリシテ人のサウルに対するしうちを聞いたとき、勇士たちはみな、立ち上がり、夜通し歩いて行って、サウルの死体と、その息子たちの死体とをベテ・シャンの城壁から取りはずし、これをヤベシュに運んで、そこで焼いた。それから、その骨を取って、ヤベシュにある柳の木の下に葬り、七日間、断食した。」
翌日、ペリシテ人たちが、イスラエルの刺し殺された者たちからはぎ取ろうとして戦場にやって来たとき、そこにサウルと3人の息子たちがギルボア山で倒れているのを見つけました。それで彼らはまず、サウル首を切り、彼の武具をはぎ取ります。そして、ペリシテ人の地の隅々にまで人を送り、彼らの偶像の宮と民とに告げ知らせました。というのは、ペリシテ人の勝利は、彼らの神々の勝利でもあったからです。サウルの首は、ダゴンの神殿にさらさることになります(Ⅰ歴代誌10:10)。また、彼の武具は、アシュタロテの神殿に奉納し、首から下の彼の遺体は、ベテ・シャンの城壁にさらされました。ベテ・シャンは、イズレエルから南東に約15㎞にある町です。
そのことを聞いたヤベシュ・ギルアデの人たちは、夜通し歩いてベテ・シャンまで行き、サウルの死体と息子たちの死体を城壁から取り下ろしてヤベシュに帰って来ると、そこで死体を焼きました。そして、ヤベシュにあるタマリスクの木の下に葬り、七日間、断食したのです。ヤベシュ・ギアデは、ヨルダン川の東約10㎞入ったところにあります。ベテ・シャンはヨルダン川の西側約10㎞のところにありますから、彼らは約20㎞の道のりを夜通し歩いて行ったことになります。いったいなぜ彼らはそんなことをしたのでしょうか。
11章を振り返ってみましょう。「その後、アモン人ナハシュが上って来て、ヤベシュ・ギルアデに対して陣を敷いた。ヤベシュの人々はみな、ナハシュに言った。「私たちと契約を結んでください。そうすれば、私たちはあなたに仕えましょう。」そこでアモン人ナハシュは彼らに言った。「次の条件で契約を結ぼう。おまえたちみなの者の右の目をえぐり取ることだ。それをもって全イスラエルにそしりを負わせよう。」ヤベシュの長老たちは彼に言った。「七日の猶予を与えてください。イスラエルの国中に使者を送りたいのです。もし、私たちを救う者がいなければ、あなたに降伏します。」使者たちはサウルのギブアに来て、このことをそこの民の耳に入れた。民はみな、声をあげて泣いた。そこへ、サウルが牛を追って畑から帰って来た。サウルは言った。「民が泣いているが、どうしたのですか。」そこで、みなが、ヤベシュの人々のことを彼に話した。サウルがこれらのことを聞いたとき、神の霊がサウルの上に激しく下った。それで彼の怒りは激しく燃え上がった。彼は一くびきの牛を取り、これを切り分け、それを使者に託してイスラエルの国中に送り、「サウルとサムエルとに従って出て来ない者の牛は、このようにされる」と言わせた。民は【主】を恐れて、いっせいに出て来た。サウルがベゼクで彼らを数えたとき、イスラエルの人々は三十万人、ユダの人々は三万人であった。彼らは、やって来た使者たちに言った。「ヤベシュ・ギルアデの人にこう言わなければならない。あすの真昼ごろ、あなたがたに救いがある。」使者たちは帰って来て、ヤベシュの人々に告げたので、彼らは喜んだ。ヤベシュの人々は言った。「私たちは、あす、あなたがたに降伏します。あなたがたのよいと思うように私たちにしてください。」翌日、サウルは民を三組に分け、夜明けの見張りの時、陣営に突入し、昼までアモン人を打った。残された者もいたが、散って行って、ふたりの者が共に残ることはなかった。そのとき、民はサムエルに言った。「サウルがわれわれを治めるのか、などと言ったのはだれでしたか。その者たちを引き渡してください。彼らを殺します。」 しかしサウルは言った。「きょうは人を殺してはならない。きょう、【主】がイスラエルを救ってくださったのだから。」」(11:1-13)
これは、かつてヤベシュ・ギルアデに対してアンモン人が戦いを挑んで来た時のことです。ヤベシュ・ギルアデの人々は自分たちに勝つ見込みがなかったので和平条約を申し入れますが、アンモン人ハナシュは、無理難題を突き付けてきました。何と右の目をえぐり取ることを条件に契約を結ぼうというのです。右目をえぐり取られるとは、戦うことができなくなることを意味していました。それは非常に屈辱的な要求でした。それで、ヤベシュの長老たちは7日間の猶予をもらい、イスラエル全土にこの状況を伝えて救いを求めたのですが、その時に立ち上がったがサウルだったのです。彼は牛を追っていた畑から帰って来てそのことを聞くと、神の霊によって立ち上がり、イスラエルの全部族を招集してアンモン人と戦い勝利しました。この戦いがきっかけとなって、彼は王としての道を確立していくことになりました。ヤベシュ・ギルアデの人たちは、その時のことを忘れていませんでした。そして、サウルと息子たちの遺骨をその地に葬り、7日間断食して、敬意と哀悼の意を表したのです。
そして、後にユダの家の王となったダビデは、そのことを知って彼らに賛辞と称賛、祝福のことばを贈っています。「ダビデは、自分とともにいた人々を、その家族といっしょに連れて上った。こうして彼らはヘブロンの町々に住んだ。そこへユダの人々がやって来て、ダビデに油をそそいでユダの家の王とした。ヤベシュ・ギルアデの人々がサウルを葬った、ということがダビデに知らされたとき、ダビデはヤベシュ・ギルアデの人々に使いを送り、彼らに言った。「あなたがたの主君サウルに、このような真実を尽くして、彼を葬ったあなたがたに、【主】の祝福があるように。今、【主】があなたがたに恵みとまことを施してくださるように。この私も、あなたがたがこのようなことをしたので、善をもって報いよう。さあ、強くあれ。勇気のある者となれ。あなたがたの主君サウルは死んだが、ユダの家は私に油をそそいで、彼らの王としたのだ。」(Ⅱサムエル2:4-7)
サウルはサウルで、ヤベシュ・ギルアデの人々を敵から救ったことで、彼らの敬意と哀悼の意を受け、彼らも彼らで、そのようにサウルを葬ったことで、ダビデからの賛辞と称賛と祝福を受けたのです。私たちはこの後どうなるかはわかりませんが、わかっていることは、主の前に忠実であった者は同じように祝福されるということです。それゆえ、私たちはどんなことがあっても、神に喜ばれることは何か、すなわち、何が良いことで完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなければなりません。目の前に置かれた一つ一つの出来事を、主のみこころを求めて忠実に行っていく者でありたいと思うのです。良いことであれ、悪いことであれ、人は種を蒔けば、その刈り取りをするようになるのです。