士師記20章

士師記20章からを学びます。まず1節から16章までをご覧ください。

 

Ⅰ.ミツパでの会合(1-16)

 

「そこで、イスラエルの子らはみな出て来た。ダンからベエル・シェバ、およびギルアデの地に及ぶその会衆は、一斉にミツパの主のもとに集まった。民全体、イスラエルの全部族のかしらたちが、神の民の集会に参加した。剣を使う歩兵も四十万人いた。ベニヤミン族は、イスラエルの子らがミツパに上って来たことを聞いた。イスラエルの子らは、「このような悪いことがどうして起こったのか、話してください」と言った。殺された女の夫であるレビ人は答えた。「私は側女と一緒に、ベニヤミンに属するギブアに行き、一夜を明かそうとしました。すると、ギブアの者たちが私を襲い、夜中に私のいる家を取り囲み、私を殺そうと図りましたが、彼らは私の側女に暴行を加えました。それで彼女は死にました。そこで私は側女をつかみ、彼女を切り分け、それをイスラエルの全相続地に送りました。これは、彼らがイスラエルの中で淫らな恥辱となることを行ったからです。さあ、あなたがたすべてのイスラエルの子らよ。今ここで、意見を述べて、相談してください。」そこで、民はみな一斉に立ち上がって言った。「私たちは、だれも自分の天幕に帰らない。だれも自分の家に戻らない。今、私たちがギブアに対してしようとすることはこうだ。くじを引いて、向かって行こう。 私たちは、イスラエルの全部族について、百人につき十人、千人につき百人、一万人につき千人を選んで、兵たちのための食糧を持たせよう。そしてベニヤミンのギブアに行かせ、ベニヤミンがイスラエルで犯したこのすべての恥ずべき行いに対して、報復させよう。」こうして、イスラエルの人々はみな団結し、一斉にその町に集まった。 イスラエルの人々は、ベニヤミンを除き、剣を使う者四十万人を召集した。彼らはみな戦士であった。」

 

「そこで」とは、19章で起こった出来事を受けてのことです。イスラエルに、これまで見たことも、聞いたこともないような事件が起こりました。ベニヤミン族のギブアの人たちが、そこに泊まったレビ人のそばめを犯し、夜通し朝まで暴行を加え、夜が明けるころに彼女を解放したのです。それでそばめは死んでしまいました。そのレビ人は自分の家に着くと、死んだそばめの体を12の部分に分け、それをイスラエル全土に送りました。それを見た者はみな、「イスラエルの子らがエジプトの地から上って来た日から今日まで、このようなことは起こったこともなければ、見たこともない。このことをよく考え、相談し、意見を述べよ。」と言いました。「それで」です。

 

それで、イスラエルの子らはみな、一斉にミツパの主のもとに集まり、問題解決のために話し合いました。「ミツパ」は、ベニヤミン族の領地のエフライムとの北境にある町です。そこにイスラエルの全部族から、剣を使う兵士40万人が集まったのです。

イスラエルの子らが、そばめを殺されたレビ人に、「どうしてこのような悪ことが起こったのか」と聞くと、そばめを殺されたレビ人は、ギブアに滞在した日の夜に起こった出来事について説明しました。そして、「さあ、あなたがたすべてのイスラエルの子らよ。今ここで、意見を述べて、相談してください。」と言いました。非は確かにギブアの住民にありました。しかし、この会話をよく見ると、彼は自分のそばめを外に放り出したことについてはいっさい触れていません。自分に都合の悪いことは伏せておきたいというのが人間の本性なのでしょう。

 

それに対してイスラエルの民はみな一斉に立ちあがり、一致団結してギブアに立ち向かい、彼らを報復させることを決定しました。彼らは、ベニヤミン族に対して、ギブアにいるあのよこしまな者たちを渡すように要請します。イスラエルは、悪い行いをした者だけ除き去ろうとしたのです。しかし、ベニヤミン族は、自分たちの同胞イスラエルの子らの言うことを聞こうとしませんでした。それどころか、イスラエルの子らと戦おうとして町々から出てきたのです。その数は剣を使う者26,000人と、そのほかに、ギブアの住民から700人の精鋭が招集されました。ここにイスラエル40万人と、ベニヤミン族26,700人との戦いが勃発したのです。

 

これは予想外の展開でした。イスラエルとしては戦いを避けるためにギブアにいるあのよこしまな者たちを渡すようにと要請しましたが、まさかベニヤミン族との戦いに発展するとは思っていなかったのです。これは最悪の事態でした。この事態を避ける道はなかったのでしょうか。もしイスラエル人たちがもう少し時間をかけて話し合ったなら、別な展開になっていたかもしれません。けれども、イスラエルの人たちは、明らかに相手が悪いという思いがありました。ですから、ギブアに向かって立ち向かい、報復させようという思いがあったのです。自分を義として性急にことを運ぶのは危険です。伝道者の書7章16節にはこうあります。

「あなたは正しすぎてはならない。自分を知恵のありすぎる者としてはならない。なぜ、あなたは自分を滅ぼそうとするのか。」

私たちも自分には何の非もなく悪いのは相手であると思うと、このような態度になりがちです。そうではなく、自分も罪赦された罪人であることを自覚して、同じ目線で話し合いに臨む必要があります。

 

Ⅱ.主の戦い(18-35)

 

次に、18節から35節までをご覧ください。

「イスラエルの子らは立ち上がって、ベテルに上り、神に伺った。「私たちのうち、だれが最初に上って行って、ベニヤミン族と戦うべきでしょうか。」主は言われた。「ユダが最初だ。」朝になると、イスラエルの子らは立ち上がり、ギブアに対して陣を敷いた。イスラエルの人々はベニヤミンとの戦いに出て行き、彼らと戦うためにギブアに対して陣備えをした。ベニヤミン族はギブアから出て来て、その日、イスラエルのうち二万二千人を滅ぼした。しかし、イスラエルの人々の軍勢は奮い立って、最初の日に陣を敷いた場所で、再び戦いの備えをした。イスラエルの子らは上って行って、主の前で夕方まで泣き、主に伺った。「再び、同胞ベニヤミン族に近づいて戦うべきでしょうか。」主は言われた。「攻め上れ。」そこで、イスラエルの子らは次の日、ベニヤミン族に向かって行ったが、ベニヤミンも次の日、ギブアから出て来て彼らを迎え撃ち、再びイスラエルの子らのうち一万八千人をその場で殺した。これらの者はみな、剣を使う者であった。イスラエルの子らはみな、こぞってベテルに上って行って泣き、そこで主の前に座り、その日は夕方まで断食をし、全焼のささげ物と交わりのいけにえを主の前に献げた。イスラエルの子らは主に伺った──当時、神の契約の箱はそこにあり、また当時、アロンの子エルアザルの子ピネハスが、御前に仕えていた──イスラエルの子らは言った。「私はまた出て行って、私の同胞ベニヤミン族と戦うべきでしょうか。それとも、やめるべきでしょうか。」主は言われた。「攻め上れ。明日、わたしは彼らをあなたがたの手に渡す。」そこで、イスラエルはギブアの周りに伏兵を置いた。三日目にイスラエルの子らは、ベニヤミン族のところに攻め上り、先のようにギブアに対して陣備えをした。ベニヤミン族は、この兵たちを迎え撃つために出て、町からおびき出された。彼らは、一方はベテルに、もう一方はギブアに至る大路で、この前のようにこの兵たちを討ち始め、イスラエルのうちの約三十人が野で剣に倒れた。ベニヤミン族は「彼らは最初の時と同じように、われわれの前に打ち負かされる」と考えた。しかし、イスラエルの子らは「さあ、逃げよう。そして彼らを町から大路におびき出そう」と言った。イスラエルの人々はみな、持ち場から立ち上がって、バアル・タマルで陣備えをした。一方、イスラエルの伏兵たちは、自分たちの持ち場、マアレ・ゲバから躍り出た。こうして、全イスラエルの精鋭一万人がギブアに向かって進んだ。戦いは激しかった。ベニヤミン族は、わざわいが自分たちに迫っているのに気づかなかった。主がイスラエルの前でベニヤミンを打たれたので、イスラエルの子らは、その日、ベニヤミンの二万五千百人を殺した。これらの者はみな、剣を使う者であった。」

 

するとイスラエルの子らは立ちあがって、ベテルに上って行き、そこで神に伺いました。「私たちのうち、だれが最初に上って行って、ベニヤミンと戦うべきでしょうか。」すると主は言われました。「ユダが最初だ。」ユダ族にはかつてカレブという勇者がいました。また、最初の士師として立てられたオテニエルもそうです。このユダ族の出身でした。ですから、信仰の勇士であったユダ族こそ最初に上っていく部族としてふさわしかったのでしょう。しかし、最初の日、イスラエルのうち22,000人が戦死してしまいました。

 

翌日、イスラエルの軍勢は奮い立って、最初の日に陣を敷いた場所で、再び戦いの備えをします。彼らは上って行って、主の前で夕方まで泣き、主に伺いを立てて言いました。「再び、同族ベニヤミン族に近づいて戦うべきでしょうか。」彼らは同胞を相手に戦わなければならないことに不安を感じていたのでしょう。できれば避けて通りたいところです。けれども、主の答えは、「攻め上れ。」でした。そこで彼らは次の日、ベニヤミン族に向かって行きましたが、ベニヤミン族もギブアから出て来て彼らを迎え撃ったので、再びイスラエルの子らのうちに18,000人の犠牲者が出ました。これらはみな、剣を使う戦士たちでした。

 

そこでイスラエルの民はどうしたでしょうか。彼らはみな、こぞってベテルに上って行って泣き、そこで主の前に座って、夕方まで断食をし、全焼のいけにえと交わりのいけにえを主の前に献げました。今度はミツパではなく、場所がベテルに移っています。ベテルはミツパの北東約5㎞のベニヤミンの領地にある町です。ここは、かつてヤコブがエサウから逃れて叔父のラバンの所に行く途中石を枕にして一夜を過ごしたところです。どうしてベテルに上って行ったのかというと、神の契約の箱がそこにあったからです。シロから移っていたのでしょう。また当時、アロンの子エルアザルの子ピネハスが、御前に仕えていました。ここに神の幕屋があったということです。ですから、彼らは主のもとに行って礼拝をささげ、断食して祈りながら、主のみこころを求めたのです。泣きながら。

 

このような祈りを、主はないがしろにされることはありません。ユダの王ヒゼキヤは、病気にかかって死にかけていたとき、「あなたは死ぬ。直らない。」(イザヤ38:1)と死の宣告を受けましたが、彼は主のもとに行き泣きながら祈ると、その祈りが聞かれ、彼の寿命に15年が加えられました。さらに、ユダをアッシリヤの手から救い出し、エルサレムの町を守るという約束まで与えられました。私たちも困難な時に主の前に行き、心を注ぎ出して祈るなら、主はその祈りに答えてくださいます。

 

最近、このイザヤ書のメッセージを見た方からメールがありました。

「ディボーションがイザヤ書で難しかったのでネットで検索したところ、こちらのページのメッセージを読みました。凄い恵まれました。ヒゼキヤの祈りです。壁に当たった時に神のあわれみで救われた時のことを思い出しました。好きになった女性は、既に他の人と結婚が決まっていました。ただただ毎日、誰もいない教会で神と自分とひたすら向き合いました。自分の思いを神の御前に正直に打ち明けました。何日か経ったクリスマスの日に、彼女と偶然出会わせ、彼女に自分の思いを伝えました。今では、子どもも3人産まれ、毎週家族5人で日曜日に教会へ通っております。今の妻が当時の彼女です。」

 

この方は、人生の壁にぶつかった時、神のあわれみを求めて祈った結果、神の奇跡的な御業を体験したのです。このイスラエルの民も一度ならず二度までも戦いに敗れ、神の導きがどこにあるのかわからなかったとき、主の前に出て、心を注いで祈りました。「私はまた出て行って、私の同胞ベニヤミン族と戦うべきでしょうか。それとも、やめるべきでしょうか。」

すると、主はこう言われました。「攻め上れ。明日、わたしは彼らをあなたがたの手に渡す。」それで、イスラエルはギブアの周りに伏兵を置きました。

三日目のことです。イスラエルの子らは、ベニヤミン族のところに攻め上り、先のようにギブアに対して陣備えをしました。今度は、敵をおびき出す作戦を取り、ついにベニヤミン族の兵士25,000人が剣に倒れました。

 

35節には、「主がイスラエルの前でベニヤミンを打たれたので、イスラエルの子らは、その日、ベニヤミンの二万五千百人を殺した。」とあります。これは、主の戦いでした。主がベニヤミンをさばくための戦いであったということです。神の民であっても、自分の罪を悔い改めなければ、このベニヤミン族のように滅ぼされてしまうことになります。しかし、もし自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての不義から私たちをきよめてくださいます。(Ⅰヨハネ1:9)なぜなら、その罪に対する神の怒りは、御子イエスの上に向けられたからです。大切なのは、私たちがどこまでも頑なになるのではなく、主の御声を聞いて悔い改めることです。へブル4章7節に、「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。」とあるとおりです。まだ安息は残されています。その安息に入るために、今日、もし御声を聞くなら、心を頑なにせず、従順になって、主に聞き従う者になろうではありませんか。

 

Ⅲ.救われるため(36-48)

 

最後に、36節から48節を見て終わります。

「ベニヤミン族は、自分たちが打ち負かされたのを見た。イスラエルの人々はベニヤミンに陣地を明け渡した。それは、ギブアに向けて備えていた伏兵を信頼したからであった。伏兵は急いでギブアを襲った。伏兵はその勢いに乗って、町中を剣の刃で討った。イスラエルの人々と伏兵の間には合図が決められていて、町からのろしが上がったら、イスラエルの人々が引き返して戦うことになっていた。ベニヤミンが攻撃を始めて、剣に倒れる者が約三十人、イスラエルの人々の中に出たとき、彼らは「きっと前の戦いの時と同じように、彼らはわれわれに打ち負かされるに違いない」と考えた。のろしが煙の柱となって町から上り始めた。ベニヤミンがうしろを振り向くと、見よ、町全体が煙となって天に上っていた。そこへイスラエルの人々が引き返して来たので、ベニヤミンの人々はわざわいが自分たちに迫っているのを見て、うろたえた。彼らはイスラエルの人々の前から逃れて荒野の方へ向かったが、戦いは彼らに追い迫り、町々から出て来た者も合流して彼らを殺した。イスラエルの人々はベニヤミンを包囲して追いつめ、メヌハから、東の方の、ギブアの向こう側まで踏みにじった。こうして、ベニヤミンの一万八千人が倒れた。これらはみな、力ある者たちであった。またほかの者は荒野の方に向かってリンモンの岩まで逃げたが、イスラエルの人々は、大路でそのうちの五千人を討ち取り、なお残りをギデオムまで追いかけて、二千人を打ち倒した。 その日、ベニヤミンの中で倒れた者は剣を使う者たち合わせて二万五千人で、彼らはみな、力ある者たちであった。しかし、六百人の者は荒野の方に向かってリンモンの岩に逃げ、四か月の間、リンモンの岩にとどまった。イスラエルの人々は、ベニヤミン族のところへ引き返し、無傷のままだった町も家畜も、見つかったものをすべて剣の刃で討ち、また見つかったすべての町に火を放った。」

 

ベニヤミン族は、自分たちが打ち負かされたのを見ました。ギブアの町にイスラエル軍の伏兵が入って、そこにいる者を打ちまくり、のろしを上げたのです。ベニヤミン族はイスラエルの人々の前から逃れて荒野の方へ向かいましたが、戦いは彼らに追い迫り、町々から出て来た者も合流して彼らを殺しました。こうして、ベニヤミンの18,000人が倒れました。これらはみな、力ある者たちでした。またほかの者は荒野の方に向かってリンモンの岩まで逃げましたが、イスラエルの人々は、大路でそのうちの5,000人を討ち取り、なお残りをギデオンまで追いかけて、二千人を打ち倒しました。結局、その日、ベニヤミンの中で倒れた者は剣を使う者たち合わせて25,000人で、彼らはみな、力ある者たちでした。しかし、600人の者は荒野の方に向かってリンモンの岩に逃げ、四か月の間、リンモンの岩にとどまったので、イスラエルの人々は、ベニヤミン族のところへ引き返し、無傷のままだった町も家畜も、見つかったものをすべて剣の刃で討ち、また見つかったすべての町に火を放ちました。

 

これは、ヨシュアがエリコに対して行ったのと同じです。「聖絶」です。かつてはカナン人に対して行われた「聖絶」が、今度は12部族の一つであるベニヤミン族に対して行われたのです。なぜそこまでする必要があったのでしょうか。このように行うことが本当に正しかったのでしょうか。21章15節には、「民はベニヤミンのことで悔やんでいた。主がイスラエルの部族の間を裂かれたからである」とあります。そうです、これは主から出たことでした。たとえ神の民であったとしても、神に背いて罪を犯すなら、このような神のさばきがあることを覚えておかなければなりません。

 

しかし、それは世が神様によって裁かれるのとは大きな違いがあります。パウロは、信者が裁かれることについてこう言っています。「私たちがさばかれるとすれば、それは、この世とともにさばきを下されることがないように、主によって懲らしめられる、ということなのです。」(Ⅰコリント11:32)」つまり、確かに懲らしめはあるけれども、それは罪に定めるためではなく、むしろ世と共に罪に定められることのないようにするためです。つまり、懲らしめによって罪から離れて救われるためなのです。

 

パウロは、コリントの教会で、父の妻を妻にしている者に対してどうすべきなのかについて次のように述べています。「現に聞くところによれば、あなたがたの間には淫らな行いがあり、しかもそれは、異邦人の間にもないほどの淫らな行いで、父の妻を妻にしている者がいるとのことです。 それなのに、あなたがたは思い上がっています。むしろ、悲しんで、そのような行いをしている者を、自分たちの中から取り除くべきではなかったのですか。私は、からだは離れていても霊においてはそこにいて、実際にそこにいる者のように、そのような行いをした者をすでにさばきました。すなわち、あなたがたと、私の霊が、私たちの主イエスの名によって、しかも私たちの主イエスの御力とともに集まり、そのような者を、その肉が滅ぼされるようにサタンに引き渡したのです。それによって彼の霊が主の日に救われるためです。」(Ⅰコリント5:1-5)

パウロは、一般の人々よりひどい不品行を犯していたコリントの人たちをサタンに引き渡しました。問題は、それは何のためであったかということです。ここには、「それによって彼の霊が主の日に救われるためです。」とあります。その証拠に、コリント人への第二の手紙で、悲しみで押しつぶされそうになっているこの兄弟を、教会が赦し、受け入れるように勧めています(Ⅱコリント2:3-11)。これが、兄弟が罪を犯した時に教会が取るべき態度です。確かにそれは悲しいことですが、教会が考えなければならないことはその人をさばくことではなく、どうしたら救われるのかということです。そのためには時には懲らしめも必要となりますが、それは、それによって彼の霊が主の日に救われるためであるということを十分理解して行わなければなりません。

 

いずれにせよ、こうした問題が神の民の中に起こるのは悲しいことです。いったいどこに問題があったのでしょうか。この士師記の最後の所にはこうあります。「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた。」これが問題です。イスラエルに王がいないということです。だから、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていました。これが問題です。私たちはこのようなことがないように、まず主イエス様を私たちの心にお迎えし、この方を王としなければなりません。そして、自分の目に正しいことではなく、主の目に正しいことを求めなければなりません。いつも主のみこころにかなった歩みができるように、日々、主ご自身を求めましょう。

士師記19章

士師記19章からを学びます。まず1節から14章までをご覧ください。

Ⅰ.側女(そばめ)の取り戻し(1-15)

「イスラエルに王がいなかった時代のこと、一人のレビ人が、エフライムの山地の奥に寄留していた。この人は、側女として、ユダのベツレヘムから一人の女を迎えた。ところが、その側女は彼を裏切って、彼のところを去り、ユダのベツレヘムにある自分の父の家に行って、そこに四か月間いた。夫は、若い者と一くびきのろばを連れて、彼女の後を追って出かけた。彼女の心に訴えて連れ戻すためであった。彼女が夫を自分の父の家に入れたとき、娘の父は彼を見て、喜んで迎えた。 娘の父であるしゅうとが引き止めたので、彼はしゅうとのもとに三日間とどまった。こうして、彼らは食べて飲んで夜を過ごした。四日目になって、彼が朝早く、立ち上がって出発しようとすると、娘の父は婿に言った。「パンを一切れ食べて元気をつけ、その後で出発しなさい。」そこで、二人は座って、ともに食べて飲んだ。娘の父はその人に言った。「ぜひ、もう一晩泊まることにして、楽しみなさい。」その人が立ち上がって出発しようとすると、しゅうとが彼にしきりに勧めたので、彼はまたそこに泊まって一夜を明かした。五日目の朝早く、彼が出発しようとすると、娘の父は言った。「ぜひ、元気をつけて、日が傾くまでゆっくりしていきなさい。」そこで、二人は食事をした。その人が、自分の側女と若い者を連れて出発しようとすると、娘の父であるしゅうとは彼に言った。「ご覧なさい。もう日が暮れかかっています。どうか、もう一晩お泊まりなさい。もう日も傾いています。ここに泊まって楽しみ、明日の朝早く旅立って、あなたの天幕に帰ればよいでしょう。」その人は泊まりたくなかったので、立ち上がって出発し、エブスすなわちエルサレムの向かい側までやって来た。鞍をつけた一くびきのろばと、側女が一緒であった。彼らがエブスの近くに来たとき、日はすっかり傾いていた。そこで、若い者は主人に言った。「道を外れてあのエブス人の町に向かい、そこで一夜を明かすことにしたらいかがでしょう。」彼の主人は言った。「私たちは、イスラエル人ではない異国人の町には立ち寄らない。さあ、ギブアまで進もう。」彼はまた若い者に言った。「さあ、ギブアかラマのどちらかの地に着いて、そこで一夜を明かそう。」彼らは進んで行ったが、ベニヤミンに属するギブアの近くまで来たとき、日が沈んだ。彼らはギブアに行って泊まろうとして、そこに立ち寄り、町に入って広場に座った。彼らを迎えて家に泊めてくれる者は、だれもいなかった。」

1節に再び、「イスラエルに王がいなかった時代のこと」とあります。私たちは、既に17章と18章においてミカの家とダン族に起こった出来事を通して、当時のイスラエルがどれほど混乱していたかを学びました。イスラエルは、神の目にかなったことではなく自分の目に正しいと思うことを行った結果、そこには不法がはびこりました。ここには、イスラエルに王がいなかった時代、イスラエルがどれほど混戦していたのかを、もう一つの不道徳な事件を取り上げて紹介しています。

この時代がいつの時代なのかははっきりわかりませんが、20章28節には、「また当時、アロンの子エルアザルの子ピネハスが、御前に仕えていた」とありますから、時代的にはヨシュアの死後間もなくのこと、つまり士師記の時代の初期に起こった出来事です。前にも述べたように、17章からは士師記の付録部分で、時間的な順序にはなっておりません。士師記の時代がどういう時代だったのかを示すために、その特徴的な出来事をピックアップして記録しているのです。

一人のレビ人が、エフライムの山地に寄留していました。彼は定められた場所に住まないで、放浪者、寄留者となっていたということです。彼は側目として、ユダのベツレヘムから一人の女を迎えましたが、その側女は彼を裏切って、彼のところを去り、ユダのベツレヘムにある自分の父の家に帰ってしましいました。新改訳第三版では、「彼をきらって」とあります。彼はきらわれたのです。なぜ嫌われていたのかはわかりません。彼の性格に問題があったのか、あるいは、彼が正妻を大切にし、彼女を卑しめるような態度をしたのか、はっきりわかりません。ただわかることは、こうした側女の存在は、いろいろな問題を引き起こすということです。ただここには、「側女は彼を裏切って」とありますので、単に男女関係のもつれというよりは、一方的にこのそばめに問題があったのかもしれません。いずれにせよ、彼女は彼をきらって実家に帰ってしまいました。そして、そこに四カ月間いました。

そこで、夫のレビ人は、若い者と一くびきのろばを連れて、彼女の後を追って出かけて行きました。彼女の心に訴えて連れ戻すためです。ここに、夫の並々ならぬ執念がうかがえます。和解は思ったよりもスムーズに進み、娘の父親は、彼を見ると喜んで迎え入れました。そして、何日もの間祝宴が開いたのです。娘の父であるしゅうとが引き止めるので、彼はそこに三日間もとどまることになりました。中東では客をもてなすという習慣があったので、しかもそれが自分の娘の夫でしたから、いつまでもいっしょにいたいと思ったのでしょう。四日目も行こうとしましたが、「ぜひ、もう一晩泊まることにして、楽しみなさい。」と、しきりに勧められたので、仕方なくそこに泊まって一夜を明かした。

そして、五日目の朝に彼が出発しようとすると、例のごとく娘の父親が、「ぜひ、元気をつけて、日が傾くまでゆっくりしていきなさい。」と言うので、二人は食事するのですが、そうこうしているうちに夕方になってしまいました。そこでしゅうとは、「ご覧なさい。もう日が暮れかかっています。どうか、もう一晩お泊まりなさい。もう日も傾いています。ここに泊まって楽しみ、明日の朝早く旅立って、あなたの天幕に帰ればよいでしょう。」(9)と言うのですが、さすがにこれ以上は泊まりたくないと、立ち上がって、出発しました。もう既に夕方になっていましたが・・・。

彼はベツレヘムからエフライムへと向かう途中、エブスすなわちエルサレムの向かい側までやって来ましたが、異国人の町には泊まりたくなかったので、ギブアかラマのどちらかまで進み、そこで一夜を明かそうと考えました。ベツレヘムからエルサレムまでは7㎞です。2時間ほどの道のりですから、体力的にもきつくなってくる頃でしたし、日もすっかり傾いていましたから、できればそこに泊まればと思いましたが異国人の町には泊まりたくなかったので、ギブアまで進んで行くことにしました。エルサレムが異国人の町であるというのは不思議な感じがするかもしれませんが、ベニヤミン族が彼らを追い出せなかったので、当時そこにはエブス人が住んでいたのです(士師1:21)。そこで彼はさらに6キロほど北に行ったギブアに泊まることにしました。

ところが、彼らがギブアに泊まろうとして、そこに立ち寄り、広場に座っていても、彼らを迎えて家に泊めてくれる人はいませんでした。これは当時の習慣からすると異常なことでした。とういうのは、旅人をもてなすことは当時の人たちにとってはとても大切なことであったからです。どうして彼らは受け入れなかったのでしょうか。1節に、「イスラエルに王がいなかった時代」とあります。人々は、それぞれめいめいが自分の目に正しいと思うことを行っていたからです。神のことばが何と言っているかということよりも、自分がどう考えるかを優先していました。その結果、旅人をもてなすという大切なことがおろそかにされていたのです。

Ⅱ.ギブアの人たちの邪悪な行い(16-26)

それは旅人をもてなすということだけではありません。人々が神のみこころではなく、自分の目に正しいと思うことを行った結果、もっとひどいことが起こりました。それが次の16節から21節までにあります。

「そこへ、夕暮れになって畑仕事から帰る一人の老人がやって来た。この人はエフライムの山地の人で、ギブアに寄留していた。この土地の人々はベニヤミン族であった。目を上げて、町の広場にいる旅人を見たとき、この老人は「どちらへ行かれますか。どこから来られたのですか」と尋ねた。 その人は彼に言った。「私たちはユダのベツレヘムから、エフライムの山地の奥まで旅を続けていのです。私はその奥地の者で、ユダのベツレヘムまで行って来ました。今、主の家へ帰る途中ですが、だれも私を家に迎えてくれる人がいません。ろばのためには、藁も飼葉もあり、また、私とこの女、しもべどもと一緒にいる若い者のためには、パンも酒もあります。足りない物は何もありません。」老人は言った。「安心なさい。足りない物はすべて私に任せなさい。ただ、広場で夜を過ごしてはいけません。」こうして老人は彼を自分の家に連れて行き、ろばに飼葉をやった。彼らは足を洗って、食べて飲んだ。

彼らが楽しんでいると、なんと、町の男たちで、よこしまな者たちが、その家を取り囲んで戸をたたき続け、家の主人である老人に言った。「おまえの家に来たあの男を引き出せ。あの男を知りたい。」そこで、家の主人であるその人は、彼らのところに出て行って言った。「それはいけない、兄弟たちよ。どうか悪いことはしないでくれ。あの人が私の家に入った後で、そんな恥ずべきことはしないでくれ。ここに処女の私の娘と、あの人の側女がいる。今、二人を連れ出すから、彼らを辱めて、あなたがたの好きなようにしなさい。しかしあの人には、そのような恥ずべきことをしないでくれ。」しかし、男たちは彼に聞こうとしなかった。そこで、その旅人は自分の側女をつかんで、外にいる彼らのところへ出した。彼らは彼女を犯して、夜通し朝まで暴行を加え、夜が明けるころに彼女を放した。夜明け前に、その女は自分の主人がいるその人の家の戸口に来て、明るくなるまで倒れていた。」

そこへ、夕暮れになって畑仕事から帰る一人の老人がやって来ました。この人はエフライムの山地の人で、ギブアに寄留していましたが、この土地の人々はベニヤミン族でした。つまり、彼はこのギブアに一時的に寄留していたのです。この老人は、町の広場にいた旅人を見つけると声をかけ、彼らの事情を聞くと、「安心しなさい。」と言って、自分の家に連れて行き彼らをもてなします。広場で夜を過ごしてはほしくなかったからです。そこには、よこしまな者たちがいたからです。

案の定、彼らがこの老人の家で楽しんでいると、その町の男たちで、よこしまな者たちがやって来て、その家を取り囲み、戸をたたきつけてこう言いました。

「おまえの家に来たあの男を引き出せ。あの男を知りたい。」

「知りたい」というのは、性的な関係を持つことを意味します。つまり、この町のよこしまな者たちは、老人の家の客となったレビ人との性的な関係を求め迫ったということです。彼らは男色の罪に陥っていました。これは、創世記19章に出てくるあのソドムの事件によく似ています。ソドムで行われていたことが、当時の神の民イスラエルの中でも行われていたのです。

そこで、この老人はどうしたでしょうか。23節をご覧ください。その家の主人であるその人は、彼らのところに出て行き、「それはいけない、兄弟たちよ。どうか悪いことはしないでくれ。あの人が私の家に入った後で、そんな恥ずべきことはしないでくれ。」と言いました。そして、客を出す代わりに自分の処女の娘と、その客であるレビ人の側目を差し出すから、あの客には、そのようなことはしないでほしいと懇願しました。どうしてそんなことを言ったのでしょうか?それは、自分の家の客となった者はどんな犠牲を払ってでも守るという当時の習慣があったからです。けれども、この老人がしたことは、聖書が認めていた限界をはるかに超えることでした。

しかし、男たちは彼に聞こうとしませんでした。そこでレビ人は、まるで子犬でも掴むように自分の側女をつかんで外にいる彼らのところに差し出しました。人間の尊厳など全くありません。すると、彼らはその側女を犯して、朝まで夜通し暴行を加えました。「暴行を加える」とは、「ひどい目に会わせる」とか、「なぶり者にする」という意味です。旧約聖書にはこの箇所以外に6回用いられていますが、性的行為と関係して用いられているのはここだけです。この女にとってはまさに生き地獄でした。このようなことが、神の民イスラエル(ベニヤミン)で行われていたのです。

Ⅲ.これまで見たこともない悪事(27-30)

27節から30節までをご覧ください。

「彼女の主人は、朝起きて家の戸を開け、出発しようとして外に出た。見ると、そこに自分の側女である女が、手を敷居にかけて家の入り口で倒れていた。彼は女に「立ちなさい。さあ行こう」と言ったが、何の返事もなかった。そこで、その人は彼女をろばに乗せ、立って自分のところへ向かって行った。彼は自分の家に着くと、刀を取り、自分の側女をつかんで、その肢体を十二の部分に切り分け、イスラエルの全土に送った。それを見た者はみな、「イスラエルの子らがエジプトの地から上って来た日から今日まで、このようなことは起こったこともなければ、見たこともない。このことをよく考え、相談し、意見を述べよ」と言った。」

暴行の嵐の夜が過ぎ、朝になるのを待って、レビ人が恐る恐る戸を開けて見ると、そこに側女か死んでいました。彼は、彼女が死んだとは思っていなかったのか、「立ちなさい。さあ行こう」と言いましたが、何の返事もなかったので、彼女をろばに乗せ、自分のところへ帰って行きました。

彼は自分の家に着くと、刀を取り、自分の側女の死体を12の部分に切り分け、イスラエルの各部族へ送りました。死体を12に切り分けたということは、その一部がベニヤミン族にも送られたということです。このレビ人は、ベニヤミン族にも怒りを共有してほしいと思ったのでしょう。

このレビ人の行為は、全イスラエルに大きな反響を巻き起こしました。それを見た者はみな、「イスラエルの子らがエジプトの地から上って来た日から今日まで、このようなことは起こったこともなければ、見たこともない。このことをよく考え、相談し、意見を述べよ」(30)と言いました。これは、イスラエルがエジプトの地から上って来た日から今日まで、見たことがないような邪悪な事件でした。想像するだけでもゾッとします。それほど凄惨な事件でした。このようなことが神の民イスラエルの中で起こっていたのです。

けれども、それはイスラエルだけではなく、私たちにも起こり得ることです。王がいない時代とは、神の教えを忘れた時代のことです。神の教えではなく、自分の思いで生きている時代のことです。現代はまさにそのような時代ではないでしょうか。そのような時代の中でクリスチャンも翻弄され、神から離れてしまうことさえあります。神の教えよりも自分の思いが優先されると、神から離れてしまうだけでなく、堕落の一途をたどることになるのです。このベニヤミン族のような邪悪な行いに発展しないとも限りません。

ですから、私たちはイエス・キリストの十字架の贖いを信じて新しく生まれた者として、いつも神の教えにとどまっていなければなりません。問題は、あなたが何を信じているかということです。イエス様を信じていると言っても、単にイエス様は奇跡を行う偉大な方であるとか、その教えがすばらしいとか、人格的な模範であると信じるのではなく、そのイエスが私のために十字架にかかって死なれ、私たちの罪を贖ってくださったと信じなければなりません。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。神が私たちの内に住んでくださいます。そうすれば、自ずと変えられていくはずです。神の御心に喜んで従いたいと思うようになります。これが信仰のすべてです。これがなかったら、どんなに洗礼を受けていても、どれだけ長い間教会に来ているとは言っても、いつ主から離れて行くようなことになってもおかしくありません。このベニヤミン族のように主の御心とは全くかけ離れた状態になることも起こり得るのです。ですから、私たちはまずイエスとの関係を再確認しなければなりません。そして、主の御心からズレることがないように、絶えず主と一つになることを求めていかなければならないのです。

イエス様は言われました。「わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。」キリストにとどまり、キリストのいのちをいただいて、いつもキリストに従って歩ませていただきましょう。

士師記18章

士師記18章からを学びます。1節から10章までをご覧ください。まず6節までをお読みします。

 

Ⅰ.ダン部族の偵察隊(1-10)

 

「そのころ、イスラエルには王がいなかった。ダン部族は、自分たちが住む相続地を求めていた。イスラエルの諸部族の中にあって、その時まで彼らには相続地が割り当てられていなかったからであった。そこでダン族は、彼らの諸氏族全体の中から五人の者を、ツォルアとエシュタオルから勇士たちを派遣し、土地を偵察して調べることにした。彼らは五人に言った。「行って、あの地を調べなさい。」五人はエフライムの山地にあるミカの家まで行って、そこで一夜を明かした。ミカの家のそばに来たとき、彼らはあのレビ人の若者の声に気づいた。そこで、彼らはそこに立ち寄り、彼に言った。「だれがあなたをここに連れて来たのですか。ここで何をしているのですか。ここに何の用事があるのですか。」彼は、ミカがこれこれのことをして雇ってくれたので、ミカの祭司になったのだ、と言った。彼らは言った。「どうか神に伺ってください。私たちのしているこの旅が、成功するかどうかを知りたいのです。」その祭司は彼らに言った。「安心して行きなさい。あなたがたのしている旅は、主がお認めになっています。」

 

1節に再び、「そのころ、イスラエルには王がいなかった。」とあります。17章において、王がいな

かった時代、イスラエルがどのような状態であったかを見ました。それは「混乱」でした。何をしているのかわからないと状態でした。彼らはそれぞれが自分の目に正しいと見えることを行っていました。自分では正しいと思うことであっても、実際には神のみこころから外れたことを平気で行っていたのです。前回はそれをミカという人物から見ましたが、今回はダン族の堕落から見えます。

 

1節には、「ダン部族は、自分たちが住む相続地を求めていた。イスラエルの諸部族の中にあって、その時まで彼らには相続地が割り当てられていなかったからであった。」とあります。ヨシュア記を見ると、ダン部族にはすでに相続地が割り当てられていたことがわかります。(ヨシュア19:40-48)それなのにここに、ダン部族には相続地が割り当てられていなかったとはどういうことなのでしょうか。それは、彼らに与えられた相続地はペリシテ人が住む地中海沿岸の地域だったので、その地を征服することができないでいたということです。相続地はあくまでも神からの約束であって、実際には自分たちでその地を征服しなければなりませんでした。しかし、彼らにはそれができないでいました。それで彼らは別の場所に相続地を得るために、5人の偵察隊を派遣して候補地を探らせたのです。すると彼らは、エフライムの山地にあるミカの家まで行って、そこに泊まりました。

 

彼らがミカの家のそばに来たとき、あのレビ人の若者の声に気づきました。以前どこかで会い面識があったのでしょうか、すぐにあのレビ人の声だと気付きました。彼らは、この若者がミカの家の祭司になっていることを知ると、自分たちの旅が成功するかどうか、神に伺ってほしいと頼みます。神の幕屋が設置されたシロが近くにあったにもかかわらず、彼らは大祭司を通してお伺いを立てることを無視し、このレビ人に尋ねたのです。

 

するとミカの祭司は彼らに言いました。「安心して行きなさい。あなたがたのしている旅は、主がお認めになっています。」これも、いい加減な答えでした。なぜなら、主は彼らがしているこの旅を認めていなかったからです。主が願っておられたのはその地の住人を追い払うことであり、他に土地を求めることではありませんでした。彼はアロンの直系ではありませんでしたから、元々祭司の資格がなかったというのが問題ですが、祭司であったとしても、その務めは人々のしていることを神の名によって認めることではありません。ここにも一つの混乱が見られます。神の名によって人々の願望を宗教的に認めようとする肉の性質が現れています。

 

次に7節から10節までをご覧ください。

「五人の者たちは進んで行ってライシュに着き、そこの住民が安らかに住んでいて、シドン人の慣わしにしたがい、平穏で安心しきっているのを見た。この地には足りないものは何もなく、彼らを抑えつける者もいなかった。彼らはシドン人から遠く離れていて、そのうえ、だれとも交渉がなかった。五人の者たちが、ツォルアとエシュタオルの身内の者たちのところに帰って来ると、身内の者たちは彼らに、どうだったか、と尋ねた。彼らは言った。「さあ、彼らに向かって攻め上ろう。私たちはその土地を見たが、実にすばらしい。あなたがたはためらっているが、ぐずぐずせずに進んで行って、あの地を占領しよう。あなたがたが行くときは、安心しきった民のところに行けるのだ。しかもその地は広々としている。神はそれをあなたがたの手に渡してくださった。その場所には、地にあるもので欠けているものは何もない。」」

 

その5人の者たちは北に進んで行きライシュに着きました。ライシュはヘルモン山の南側の麓付近にあります。そこの住民は安らかに住んでいて、どことも軍事同盟を結んでいる様子もなく、戦う用意もなかったので、征服するには最適であるように見えました。そこで彼らは、ツォルアとエシュタオルの身内の者たちのところに帰って来ると、「あの地を占領しよう」と報告しました。それは彼らが安心しきっているというだけの理由ではありませんでした。その地は実にすばらしく、広々としており、何と言っても、神がそれをあなたがたの手に渡してくださったというのがその理由でした。

 

しかし、ここにも誤解がありました。神がその地を与えてくださったというのは勝手な思い込みにすぎず、神から出た信仰の戦いはヨシュアによって割り当てられた地を占領することだったからです。ですから、このダン部族の戦いは、彼らの不信仰によってもたらされた勝手な戦いにすぎませんでした。状況が良いからといってそれが必ずしも神の御心であるとは限りません。信仰の土台がしっかりしていなければ、結局のところ、それは信仰の誤解で終わってしまうことになるのです。

 

Ⅱ.混乱(11-20)

 

次に11節から20節までをご覧ください。

「そこで、ダンの氏族の者六百人は、武具を着けてツォルアとエシュタオルを出発し、上って行って、ユダのキルヤテ・エアリムに宿営した。それゆえ、その場所は今日に至るまで、マハネ・ダンと呼ばれている。それはキルヤテ・エアリムの西部にある。彼らはそこからさらにエフライムの山地へと進み、ミカの家に着いた。ライシュの地を偵察に行っていた五人は、身内の者たちに告げた。「これらの建物の中にエポデやテラフィム、彫像や鋳像があるのを知っているか。今、あなたたちは何をすべきか分かっているはずだ。」そこで、彼らはそこに行き、あのレビ人の若者の家、ミカの家に来て、彼の安否を尋ねた。武具を着けた六百人のダンの人々は、門の入り口に立っていた。 あの地を偵察に行った五人の者たちは上って行き、そこに入り、彫像とエポデとテラフィムと鋳像を取った。祭司は、武具を着けた六百人の者と、門の入り口に立っていた。これら五人がミカの家に入り、彫像とエポデとテラフィムと鋳像を取ったとき、祭司は彼らに言った。「何をしているのですか。」彼らは祭司に言った。「黙っていなさい。手を口に当てて、私たちと一緒に来て、私たちのために父となり、また祭司となりなさい。あなたは一人の人の、家の祭司となるのと、イスラエルで部族また氏族の祭司となるのと、どちらがよいのか。」祭司の心は躍った。彼はエポデとテラフィムと彫像を取り、この人々の中に入って行った。彼らは向きを変え、子ども、家畜、家財を先頭にして進んで行った。」

 

そこで、ダン族の者600人は、武具を着けてツォルアとエシュタオルを出発し、上って行って、ユダのキルヤテ・エアリムに宿営しました。彼らは、部族の先鋒として群れの先頭に立っていたのでしょう。そして、そこからさらにエフライムの山地にあるミカの家に到着しました。そして、先にライシュを偵察に行った5人の者が、ミカの家にエポデやテラフィム、彫像や鋳造があることを告げると、全員でそこに上って行き、それらを略奪しました。これらの物は、元々ミカが母親から盗んだ銀によって作られたものですが、今度はそれが他の人の手によって盗まれてしまったのです。何とも皮肉な結果です。それにしてもダン族もイスラエル部族の一つです。その部族がこんな偶像を略奪していったい何になるというのでしょうか。彼らは、ミカの家にあった偶像に心を魅かれていたのです。これが自分たちのお守りになると思っていました。まことの神を信じている者にとっては考えられないことですが、こういうことが起こるのです。

 

そればかりではありません。彼らは祭司をもミカから奪いました。祭司も祭司です。「あなたは一人の人の、家の祭司となるのと、イスラエルで部族また氏族の祭司となるのと、どちらがよいのか」と尋ねられると、「祭司の心は踊った」とあります。ミカの家にいるときはお金に引き寄せられましたが、今度は栄誉に引き寄せられました。部族や氏族の祭司になることができる、という言葉に魅かれたのです。それでこの祭司は、主人を裏切り、エポデとテラフィムと彫像を盗み、彼らの中に入って行きました。

 

何が起こっているのかさっぱり理解できません。すべてが混乱しています。人の手で作った偶像が、自分たちを守ってくれるはずがありません。それなのに、ダン族の者たちはこれらの偶像に心がひかれていましたし、祭司も祭司で、地位や名誉に心がひかれ、主人ミカを裏切ったばかりか、そこにあった偶像を盗みました。この祭司は、所詮雇われた祭司にすぎません。彼は裏切り者で、盗人でした。すべてが混乱しています。異常事態です。いったい何が問題だったのでしょうか。それは、「イスラエルには王がいなかった」ことです。それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていたことです。彼らはイスラエルの神を捨てていたのではありません。自分たちでは信じていたつもりでした。しかし、神の御言葉に聞かなかった結果、カナンの神々を礼拝するという混合宗教に陥っていたのです。しかし、これは何もイスラエルの民だけのことではありません。私たちにも言えることです。私たちも神の御言葉に聞き従うのではなければ、自分の目に良いと見えることを行うようになり、同じような過ちに陥ってしまうことになります。

 

Ⅲ.ダン族がもたらした不幸(21-31)

 

最後に、21節から31節までを見て終わりたいと思います。まず21節から26節までをご覧ください。

「彼らは向きを変え、子ども、家畜、家財を先頭にして進んで行った。彼らがミカの家からかなり離れたころ、ミカは近所の家の者たちを集めて、ダン族に追いついた。彼らがダン族に呼びかけると、ダンの人々は振り向いて、ミカに言った。「あなたはどうしたのだ。人を集めたりして。」ミカは言った。「あなたがたは、私が造った神々と、それに祭司を奪って行きました。私のところには何が残っているでしょうか。私に向かって『どうしたのだ』と言うとは、いったい何事です。」ダン族はミカに言った。「あなたの声が私たちの中で聞こえないようにしなさい。そうしないと、気の荒い連中があなたがたに討ちかかり、あなたは、自分のいのちも、家族のいのちも失うだろう。」こうして、ダン族は去って行った。ミカは、彼らが自分よりも強いのを見てとり、向きを変えて自分の家に帰った。」

 

「彼ら」とはダン族のことです。彼らは向きを変え、子ども、家畜、家財を先頭にして進んで行きました。するとミカは、近所の家の者たちを集めて、ダン族のあとを追います。彼らはダン族に呼びかけますが、多勢に無勢です。逆に脅しをかけられ、そのまま引き下がるしかありませんでした。これはミカの罪に対する神のさばきです。ミカが所有していた偶像は、そもそも彼が母親から盗んだ銀によって造られた物でした。その偶像が、今度は他人に盗まれてしまったのです。人は種を蒔けば、その刈り取りをするようになります。神を恐れない人の人生は、結局のとこ、このような結果を招くことになるのです。

 

彼は、この事件からどんなことを学んだでしょうか。もし彼がこれをきっかけに真の神に立ち帰ったなら、この出来事は彼にとっては幸いであったと言えるでしょうが、もし何も学ぶことがなかったとしたら、それこそ悲劇です。誰でも失敗は付きものです。大切なのは、そこから何を学ぶかということです。その失敗から学び、真の神に立ち帰りましょう。

 

最後に、27節から31節までをご覧ください。

「彼らは、ミカが造った物とミカの祭司とを奪い、ライシュに行って、平穏で安心しきっている民を襲い、剣の刃で彼らを討って、火でその町を焼いた。だれも救い出す者はいなかった。その町はシドンから遠く離れていて、そのうえ、だれとも交渉がなかったからである。その町はベテ・レホブの近くの平地にあった。彼らは町を建てて、そこに住んだ。彼らは、イスラエルに生まれた自分たちの先祖ダンの名にちなんで、その町にダンという名をつけた。しかし、その町の名は、もともとライシュであった。さて、ダン族は自分たちのために彫像を立てた。モーセの子ゲルショムの子ヨナタンとその子孫が、その地の捕囚のときまで、ダン部族の祭司であった。こうして、神の宮がシロにあった間中、彼らはミカの造った彫像を自分たちのために立てていた。」

 

彼らは、ミカが造った物とミカの祭司とを奪うと、ライシュに行って、その民を襲い、剣の刃で彼らを討って、火でその町を焼きました。その町はシドンから遠く離れていたため、誰も助けてくれなかったので、簡単に征服することができました。それで彼らは町を建て、そこに住みました。彼らは、その町の名を自分たちの先祖ダンの名にちなんで「ダン」という名をつけました。これがイスラエル12部族の北限の所有地となります。この時以来、全イスラエルを指すときに「ダンからベエル・シェバまで」という表現が使われるようになりました。

 

彼らはそこに自分たちのために彫像を立てました。恐らく神の宮も建て、そこに彫像を安置したことでしょう。31節には、「こうして、神の宮がシロにあった間中、彼らはミカの造った彫像を自分たちのために立てていた。」とあります。神の宮はシロに設置されるはずでしたが、この時以来、このダンにも設置されました。そして、後にイスラエルが南北に分裂すると、北王国イスラエルの王ヤロブアムは、このダンとベテルに金の子牛を置くようになります。ヤロブアムは、ダン部族が彫像を立てた場所に金の子牛を置いたのです。それは、北王国がB.C.722年にアッシリア帝国によって滅ぼされるまで続きます。彼らは、ミカの家にあった偶像を手に入れたことは神の祝福だと思っていましたが実はそうではなく、逆にそれが彼らを束縛するもとになりました。このようなことが私たちにも起こります。祝福だと思っていたことが、災いの原因になることがあります。そういうことがないように、常に御言葉に聞き従い、神のみこころを求めて歩みましょう。

士師記17章

士師記17章からを学びます。この17章から21章までの箇所は、この士師記のあとがきです。私たちはこれまで士師の時代にどんなことが行われてきたかを学んできましたが、その間に起こった典型的な出来事を取り上げてまとめられています。その特徴は何かというと、6節にあるように、「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた。」ということです。その時代がどのような時代であったのかを見ていきたいと思います。

 

Ⅰ.自分の息子の一人を祭司にしたミカ(1-6)

 

「エフライムの山地の出で、その名をミカという人がいた。彼は母に言った。「銀千百枚が盗まれたとき、あなたはのろいの誓いをされ、私の耳にもそのことを言われました。実は、その銀は私が持っています。私がそれを盗んだのです。」すると母は言った。「主が私の息子を祝福されますように。」彼が母にその銀千百枚を返したとき、母は言った。「私は自分の手でその銀を聖別して、主に献げていました。自分の子のために、それで彫像と鋳像を造ろうとしていたのです。今は、それをあなたに返します。」彼が母にその銀を戻したので、母は銀二百枚を取って銀細工人に与えた。銀細工人はそれで彫像と鋳像を造った。こうして、それはミカの家にあった。このミカという人には神の宮があった。彼はエポデとテラフィムを作り、その息子の一人を任命して、自分の祭司としていた。そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた。」

 

まず、1節から6節までをご覧ください。エフライムの山地の出身で、ミカという名の人がいまし

た。ミカというのは、「誰が主のようであろうか」という意味ですが、彼はその名とは裏腹に主に反した行動を取ります。彼は母から銀1,100枚を盗みました。しかし、その母ののろいの言葉を聞いて恐ろしくなったのか、「実は、その銀は私が持っています」と告白し、それを母に返しました。こうしたのろいの誓いは、呪われた人の上に留まるとされていたからです。

 

すると彼の母が、このように言いました。「主が私の息子を祝福されますように。」どういうことで

すか。自分の銀を盗んだ息子を祝福してくれるようにと祈るとは・・。ここに一つの混乱が見られます。自分の息子がお金を盗んだのであれば、たとえ息子がそれを告白したとしても、「なんでこんなことをしたのか。このようなことはしてはならない」と叱るが親でしょう。それなのに彼女は、「主が私の息子を祝福してください」と言ったのです。普通ではありません。

 

そればかりではありません。息子が母親にその銀1,100枚を返すと、母はその銀を主に献げ、その中から銀200枚を取り、自分の息子のために彫像と鋳像を作るのです。「彫像」とは、へブル語で「ペセル」という言葉から派生した言葉ですが、それは「彫る」とか「刻む」という意味です。おそらく、木や石や青銅などを彫って作った偶像のことでしょう。「鋳像」とは、へブル語で「マッセーカー」という言葉から派生した言葉で、「地金を注ぐ」という意味があります。つまり、鉄や青銅、錫(すず)、鉛、アルミニウムなどの金属を溶かし、鋳型に流し込んで作られた偶像のことです。出エジプト記34章17節には、「あなたは、自分のために鋳物の神々を造ってはならない。」と、禁じられています。それは明らかに十戒で禁じられていた「偶像を作ってはならない」に違反することでした。

 

さら5節には、「このミカという人には神の宮があった。」とあります。これも律法に違反しています。というのは、神の宮は、主が命じられた場所に置かなければならなかったからです。この当時は、それはシロという場所にありました。

 

それだけではありません。彼はまた、エポデとテラフィムを作り、その息子の一人を祭司に任命していました。エポデとは祭司用の服のことです。またテラフィムとは家の守護神のことです。これも律法に違反しています。祭司は、アロンの家系から選ばれなければならず、だれもが勝手になれるというものではありませんでした。

 

これらのことからどういうことが言えるでしょうか。6節です。「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた。」確かに彼らは自分の目で良いと思えることを行っていましたが、それが必ずしも正しいことであるとは限りませんでした。それが神のみこころに反していることもありました。というか、かなり外れていたことがわかります。彼らは決してイスラエルの神、主を捨てたわけではありませんでした。しかし、彼らの信仰はいつしかカナンの習慣に迎合し、神の民としてのあり方から大きくズレてしまっていたのです。その原因はどこにあったのでしょうか。

 

ここには、「そのころ、イスラエルには王がなく」とあります。民を導く指導者がいなかったからです。それで彼らは、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていたのです。神の指導者がいない民は、実に悲惨であることがわかります。常に聖書から神のみこころを語り、民を導く羊飼いがいないということは混乱を招くことになります。日本にも無牧の教会がたくさんありますが、無牧であるというだけでなく、たとえ牧師がいたとしても、その牧師が正しく神のみことばを語り、群れを導くことができるように祈らなければなりません。

 

Ⅱ.祭司を雇ったミカ(7-13)

 

次に7節から13節までをご覧ください。

「ユダのベツレヘム出身で、ユダの氏族に属する一人の若者がいた。彼はレビ人で、そこに寄留していた。その人はユダの町ベツレヘムを出て、寄留する所を求めて旅を続け、エフライムの山地にあるミカの家まで来たのだった。ミカは彼に言った。「あなたはどこから来たのですか。」彼は答えた。「私はユダのベツレヘムから来たレビ人です。私は寄留する所を求めて、旅をしているのです。」そこでミカは言った。「私と一緒に住んで、私のために父となり、また祭司となってください。あなたに毎年、銀十枚と、衣服一そろいと、食糧を差し上げます。」するとこのレビ人は同意した。 このレビ人は心を決めてミカと一緒に住むことにした。この若者はミカの息子の一人のようになった。ミカがこのレビ人を任命したので、この若者は彼の祭司となり、ミカの家にいた。そこで、ミカは言った。「今、私は、主が私を幸せにしてくださることを知った。レビ人が私の祭司になったのだから。」」

 

7節は、少しわかりずらいかと思います。ここに「ユダのベツレヘム出身で、ユダの氏族に属する一人の若者」とありますが、彼はユダ族の人ではありません。というのは、その後に、「彼はレビ人で、そこに寄留していた」とあるからです。レビ人は、イスラエルに相続地を持っていませんでした。神ご自身が彼らの相続地であったからです。彼らに与えられていたのは住む町と放牧地だけでした。ですから、この「ユダのベツレヘム出身で、ユダの氏族に属する」というのは、ユダのベツレヘムに居住していたレビ族出身の人という意味です。彼は滞在する所を求めて、ユダの町であるベツレヘムを出て、旅を続けていました。そして、エフライムの山地にあるミカの家までやって来たのです。

 

するとミカは、彼がベツレヘムから来たレビ人であることを知ると、「私と一緒に住んで、私のために父となり、また祭司となってください。」と懇願しました。この「父」というのは、その家の主人ということではなく、霊的導き手という意味です。そして、その対価として提示したのは、毎年、銀10枚と、衣服一そろいと、それに食料を差し上げるということでした。つまり、生活費が支給されるということです。

 

すると、このレビ人はミカの申し出に同意し、彼の家で一緒に住むようになりました。そして、ミカの息子の一人のようになりました。するとミカは何と言っていますか。13節です。彼はこう言いました。「今、私は、主が私を幸せにしてくださることを知った。レビ人が私の祭司になったのだから。」これはどういうことでしょうか?

 

これまでは、ミカの息子の一人が祭司を務めていましたが、今や本物の祭司がミカの個人的な祭司になったということです。それで喜んでいるのです。しかも、それは主からの祝福であると勝手に思い込みました。しかし、これは大きな誤解でした。レビ人だからというだけで、祭司になれるわけではないからです。祭司になることができるのは、レビ族の中でもアロンの家系から出る者だけでした。

 

レビ族とは、ヤコブの第三番目に生まれた息子レビから始まっている一族です。レビ族は神にとって特別な存在でした。つまり、彼らは神のために聖別された部族であったのです。そのため、神はレビ族の各氏族(ゲルション族、ケハテ族、メラリ族)に聖所の務めを果たすという重要な務めを与えられました。そして、それぞれの氏族に専門の任務を与えたのです。すなわち、ゲルション族には、聖所の幕に関する部分(天幕のおおい、会見と入口の垂れ幕、幕と幕をつなぐひもなど)の管理と運搬、ケハテ族には、聖所にある器具の一切(契約の箱、机、燭台、祭壇、それらに関する用具など)の管理と運搬、メラリ族には、聖所を支える部分(板、横木、柱、台座、釘など)です。各氏族に与えられた任務はそれぞれ独立したものであり、他の部族の任務を兼用したり、替ったりすることは許されませんでした。それぞれが専門職として割り当てられたのです。

 

祭司とレビ人はもともと同じ族長レビから派生していますが、祭司とその職は、レビの二番目の息子であるケハテから生まれた最初の子であるアロンの家系から出た者たちで、いわば、特別職でした。祭司たちはすべてアロンの家系で世襲制でした。祭司たちは会見の天幕における礼拝を実際に取り仕切っていく者たちでした。

 

この祭司と聖所に仕えるレビ人との関係は、レビ人が祭司に仕える立場でした。つまりレビ人は祭司の指導の管理下にあったのです。礼拝を取り仕切る祭司のもとで仕える存在、それがレビ人たちでした。民数記3章5~7節で神はモーセに次のように告げています。

「主はモーセに告げられた。「レビ部族を進み出させ、彼らを祭司アロンに付き添わせて、仕えさせよ。彼らは会見の天幕の前で、アロンに関わる任務と全会衆に関わる任務に当たり、幕屋の奉仕をしなければならない。」

 

レビ人は神に仕え、祭司に仕え、そしてイスラエルの人々に仕える者たち(奉仕者)だったのです。また、彼らが祭司職にかかわることは一切許されませんでした。3章10節には「あなたは、アロンとその子らを任命して、その祭司の職を守らせなければならない。資格なしにこれに近づく者は殺されなければならない。」とあります。それほどに祭司職は特別な職であったのです。

 

それなのにミカは、自分勝手に神の宮を設置し、そこに偶像を安置して、さらに資格のないレビ人を祭司に任命しました。こうしたことは、主の目には忌むべきことでしたが、ミカはそれを主からの祝福だと勘違いしたのです。

 

いったいどうしてこのようなことが起こったのでしょうか。続く18章1節をご覧ください。ここにも

出てきます。「そのころ、イスラエルには王がいなかった。」それで、彼らは自分の目で良いと見えることを行っていたからです。このことは6節でも言われていたことです。このことが何度も繰り返して記されています。この士師記の著者は、このミカの行為が、士師時代の無法状態を表す良い例としてあげているのです。イスラエル人の信仰は、祭司制度の混乱にまで及んでいたのです。

 

しかし、これは何も当時のイスラエル人だけの問題ではありません。現代の私たちクリスチャンにも問われていることです。自分の目に良いと見えることを行っている人は、すなわち、勝手な信仰生活をしている人は、偶然にも良いことがあると、それを神からの祝福を受けている証拠だと受け止めて喜びますが、それはただの勘違いであり、聖書信仰とは相入れないものなのです。そのような信仰は、遅かれ早かれ、神のさばきをその身に招くようになり、結局、信仰からも離れてしまうことになります。こんなはずではなかったのに・・・と。

次の18章を見るとわかりますが、やがてミカもそのさばきを受けることになります。自分が雇った祭司に裏切られ、彼が所有していた偶像が奪われてしまうことになるのです。彼が母親から盗んだ銀によって作られた偶像が、今度は他の人の手によって盗まれるというのは、何とも皮肉な話です。私たちはそういうことがないように、自分の目に良いと見えることではなく、神の目に良いと見えることを求めましょう。主のみこころは何か、何が良いことで神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えましょう。そのためにはよく聖書のことばを学び、主のみこころを求めましょう。自分の中にミカのように都合の良い信仰はないかどうか、吟味しましょう。

士師記16章

士師記16章からを学びます。まず1節から3節までをご覧ください。

 

Ⅰ.ガザに下ったサムソン(1-3)

 

「サムソンはガザへ行き、そこで遊女を見つけて、彼女のところに入った。 「サムソンがここにやって来た」と、ガザの人々に告げる者があったので、彼らはそこを取り囲み、町の門で一晩中、彼を待ち伏せた。彼らは「明け方まで待ち、彼を殺そう」と言って、一晩中鳴りを潜めていた。サムソンは真夜中まで寝ていたが、真夜中に起き上がり、町の門の扉と二本の門柱をつかんで、かんぬきごと引き抜き、それを肩に担いで、ヘブロンに面する山の頂に運んで行った。」

 

サムソンはガザへ行き、そこで遊女を見つけて、彼女のところに入りました。ガザはペリシテ人

の町の中で最大の町です。つまり、彼はペリシテ人の中心にいたということになります。それは、ペリシテ人全体を敵に回したことを意味していました。彼はそこで遊女を見つけて、彼女のところに入りました。彼は以前もペリシテ人の女に惹かれて結婚しましたが、今度はただのペリシテ人ではありません。遊女です。これは彼がナジル人だからということだけでなく、だれにとっても罪であることは明らかです。それは、彼の霊性がそこまで堕ち、罪に対して無感覚になっていたことを表しています。

 

すると、「サムソンがここにやって来た」と、ガザの人々に告げる者があったので、ガザの人々は、

サムソンを捕らえるために、町の門で一晩中、待ち伏せますが、サムソンは真夜中に起き上がり、町の門の扉と二本の門柱を引き抜いて、それを肩にかつぎヘブロンに面する山の頂まで運んで行きました。これはどういうことかというと、当時、戦いに勝利した軍が、敵の門の扉を運び去るという習慣があったので、サムソンはここで勝利を宣言したということです。それにしても、ガザからヘブロンまでの距離は約60㎞もありました。標高差は約900mです。その距離を彼は重い扉を担いで歩いたのです。

 

サムソンは本当に問題の多い人物でしたが、神はこのような器を用いてご自身の御業を行われたことを見ると驚ろかされます。私たちもサムソンのように罪深く、弱い者ですが、そんな者でも神は用いて、ご自身の御業を成さろうとしておられることをしっかりと受け止めたいと思います。。

 

Ⅱ.ペリシテ人に捕らえられたサムソン(4-21)

 

次に、4節から21節までをご覧ください。まず9節までをお読みします。

「その後、サムソンは、ソレクの谷にいる女を愛した。彼女の名はデリラといった。ペリシテ人の領主たちが彼女のところに来て、言った。「サムソンを口説いて、彼の強い力がどこにあるのか、またどうしたら私たちが彼に勝ち、縛り上げて苦しめることができるかを調べなさい。そうすれば、私たちは一人ひとり、あなたに銀千百枚をあげよう。」

そこで、デリラはサムソンに言った。「どうか私に教えてください。あなたの強い力はどこにあるのですか。どうすればあなたを縛って苦しめることができるのでしょうか。」サムソンは言った。「もし、まだ干していない七本の新しい弓の弦で私を縛るなら、私は弱くなり、並みの人のようになるだろう。」そこで、ペリシテ人の領主たちは、干していない七本の新しい弓の弦を彼女のところに持って来たので、彼女はそれでサムソンを縛り上げた。彼女は、待ち伏せる者を奥の部屋に置いておき、「サムソン、ペリシテ人があなたを襲って来ます」と言った。しかし、サムソンはまるで麻の撚り糸が火に触れて切れるように、弓の弦を断ち切った。こうして、彼の力の源は知られなかった。」

 

その後、サムソンはソレクの谷にいる女を愛しました。名前は「デリラ」です。「ソレクの谷」は、サムソンの故郷ツォルアや国境の町ベテ・シェメシュ、またペリシテ人の町ティムナなどがあるところです。しかし、これ以降の話の展開から判断すると、デリラはやはりペリシテの女であったと考えられます。

 

サムソンがデリラの家にいることを知ったペリシテの領主たちは、デリラにサムソンを口説いて、彼の力の秘密がどこにあるかを調べてほしいと、一つの提案を持ちかけます。それは、もし彼女が調べることができたら、ペリシテの領主一人一人から銀1,100枚を受け取るというものでした。ペリシテ人の領主は5人いましたので、合計で銀5,500枚となります。イスカリオテのユダがイエスを売った代価は銀30枚でしたから、それを考えると、デリラが受け取る報酬は考えられないほど膨大な額でした。つまり、デリラは神に目がくらんだのです。お金のためなら平気で夫を裏切るような女でした。そんな女性を愛したサムソンは本当に愚かです。

 

そこで、デリラはサムソンに言いました。6節です。「どうか私に教えてください。あなたの強い力はどこにあるのですか。どうすればあなたを縛って苦しめることができるのでしょうか。」

するとサムソンは、「もし、まだ干していない七本の新しい弓の弦で私を縛るなら、私は弱くなり、並みの人のようになるだろう。」と答えました。これは嘘です。でも全くの嘘かというとそうではありません。「まだ干していない7本の新しい弓の弦」とは、生乾きの動物の腸のことで、ナジル人にとっては汚れた物でした。ですから、それで縛れば弱くなるというのは、彼からナジル人としての本質を取り去ることができれば自分は弱くなるということを意味していました。ですから、全くの嘘ではなく、わからないであろうヒントが含まれていたのです。それから、7本の新しい弓の弦ですが、彼の髪の毛は7房になっていたことを考えると、髪の毛にその秘密があるということなので、これもまた全くの嘘ではありません。

 

でも、これは非常に危険なやり取りでした。彼はその危険な道を歩み始めていたのです。私たちにもこのようなことがあるのではないでしょうか。この程度なら大丈夫だろうと気持ちから失敗を招いてしまうことがあります。罪と戯れることがないように、そうした道を歩き始めていることに気づいたら、すぐに軌道修正しなければなりません。

 

しかし、幸いにも、彼の力の源は知られることはありませんでした。ペリシテ人の領主たちが、まだ干していない7本の新しい弓の弦で彼を縛り上げましたが、「サムソン、ペリシテ人があなたを襲ってきます」とデリラが言うと、彼はまるで麻の撚り糸が火に触れて切れるように、断ち切ったのです。

 

するとデリラはどうしたでしょうか。次に、10節から12節までをご覧ください。

「デリラはサムソンに言った。「まあ、あなたは私をだまして?をつきましたね。今度こそ、どうしたらあなたを縛れるか教えてください。」サムソンは言った。「もし、仕事に使ったことのない新しい綱で、私をしっかり縛るなら、私は弱くなり、並みの人のようになるだろう。」そこで、デリラは新しい綱を取って、それで彼を縛り、「サムソン、ペリシテ人があなたを襲って来ます」と言った。奥の部屋には待ち伏せしている者がいた。しかし、サムソンは腕からその綱を、糸のように断ち切った。

 

デリラは、サムソンが嘘をついたことを知り、さらにサムソンに食い下がります。そこでサムソンは言いました。

「もし、仕事に使ったことのない新しい綱で、私をしっかり縛るなら、私は弱くなり、並みの人のようになるだろう。」

「仕事に使ったことのない新しい綱」とは、汚れた物に使ったことのない新しい綱という意味です。ここにも、ナジル人である彼の特質を取り去れば、力がなくなるというヒントが隠されています。

そこで、デリラは新しい綱を取って、それで彼を縛ますが、デリラが、「サムソン、ペリシテ人があなたを襲って来ます」と言うと、彼はその綱を、まるで糸のように立ち切ってしまいました。

 

すると、デリラはどうしたでしょうか。彼女は、以前にも増してサムソンに懇願します。13節と14節です。

「デリラは、またサムソンに言った。「今まで、あなたは私をだまして?をついてきました。どうしたらあなたを縛れるか、私に教えてください。」サムソンは、「もしおまえが機の経糸と一緒に私の髪の毛七房を織り込み、機のおさで締めつけておくならば」と言った。彼女は機のおさで締めつけて言った。「サムソン、ペリシテ人があなたを襲って来ます。」すると、サムソンは眠りから覚めて、機のおさと機の経糸を引き抜いた。」

 

サムソンは、「機の縦糸と一緒に髪の毛七房を折込み、それを機のおさで締め付けておくならば」と言いました。そこでデリラがそのようにして再び「サムソン、ペリシテがあなたを襲ってきます。」と言うと、今度も彼はいとも簡単に、機のおさと機の縦糸を引き抜いてしまいました。それも嘘だったのです。しかし、サムソンは、徐々に危険の深みに足を踏み入れていることがわかります。その答えの中には、髪の毛に秘密が隠されていると述べているからです。このように、堕落というのは徐々に進行していきます。サムソンの失敗も、徐々に進行していきました。

 

機の経糸も嘘であるということがわかると、デリラは泣き落としにかかります。15節から17節をご覧ください。

「彼女はサムソンに言った。「あなたの心が私にはないのに、どうして『おまえを愛している』と言えるのでしょう。あなたはこれで三回も私をだまして、あなたの強い力がどこにあるのか教えてくださいませんでした。あなたはこれで三回も私をだまして、あなたの強い力がどこにあるのか教えてくださいませんでした。」こうして、毎日彼女が同じことばでしきりにせがみ、責め立てたので、彼は死ぬほど辛かった。ついにサムソンは、自分の心をすべて彼女に明かして言った。「私の頭には、かみそりが当てられたことがない。私は母の胎にいるときから神に献げられたナジル人だからだ。もし私の髪の毛が剃り落とされたら、私の力は私から去り、私は弱くなって普通の人のようになるだろう。」」

これはサムソンにとってとてもきつい状況でした。自分の妻に泣かれることほど男にとって辛いことはないからです。奥さんの立場の方で、夫を何とか口説きたいと思うなら、このデリラのようにすると言いのです。彼がどれほど辛かったかは、16節のことばを見るとわかります。ここには、「こうして、毎日彼女が同じことばでしきりにせがみ、責め立てたので、彼は死ぬほどつらかった。」とあります。サムソンにとってはかなりのプレッシャーでした。

 

そこで彼はついに、自分の心をすべて彼女に明かしてしまいました。すなわち、彼がナジル人であって、もし髪の毛が剃り落とされたら、彼の力は去り、弱くなって普通の人のようになるということを伝えたのです。なぜなら、髪の毛を剃り落とすということは彼がナジル人ではなくなり、主からの力を受けられなくなるということを意味していたからです。それは彼の不従順が外面的に現れた瞬間でした。これまでも彼は不従順な歩みをしてきましたが、これによって主との関係が最終的に断絶することになってしまったのです。いったいどこに問題があったのでしょうか。すべてはデリラという女性を愛したことから始まりました。罪の誘惑の根を早いうちに立ち切らなかったことが、悲劇的な結果を招くことになってしまったのです。

 

自分の力の秘密を明かしたサムソンはどうなってしまったでしょうか。18節から22節までをご覧ください。

「デリラは、サムソンが自分の心をすべて明かしたことが分かったので、こう言って、人を遣わし、ペリシテ人の領主たちを呼び寄せた。「今度こそ上って来てください。サムソンは心をすべて私に明かしました。」ペリシテ人の領主たちは、彼女のところに上って来たとき、その手に銀を持って来た。彼女は膝の上でサムソンを眠らせ、人を呼んで彼の髪の毛七房を剃り落とさせた。彼女は彼を苦しめ始め、彼の力は彼を離れた。彼女が「サムソン、ペリシテ人があなたを襲って来ます」と言ったとき、彼は眠りから覚めて、「今度も前のように出て行って、からだをひとゆすりしてやろう」と言った。彼は、主が自分から離れられたことを知らなかった。ペリシテ人は彼を捕らえ、その両目をえぐり出した。そして彼をガザに引き立てて行って、青銅の足かせを掛けてつないだ。こうしてサムソンは牢の中で臼をひいていた。しかし、サムソンの髪の毛は、剃り落とされてからまた伸び始めた。」

 

デリラは、サムソンの秘密のすべてをペリシテの領主たちに明かすと、彼らから約束の銀を受け取ります。そして、サムソンを膝の上で眠らせると、人を呼んで彼の髪の毛七房を切り落とさせました。眠りから覚めたサムソンは、これまでのようにペリシテ人たちを蹴散らそうとしましたが、すでに神の力は彼から離れ去っていました。それで彼はペリシテ人に捕らえられ、両目をえぐり出され、ガザに連れて行かれました。そこで彼は、青銅の足かせをつけて牢につながれました。そこで彼が行っていたことは、臼をひく仕事です。それは婦人のする仕事でした。あの怪力を持ったサムソンが青銅の足かせをかけられ、婦人の労働に服したのです。これは、サムソンにとって最大の屈辱でした。

 

このようなサムソンの悲劇はどのようにして引き起こされたのかというと、彼からその力が取り去られたことによります。私たちクリスチャンも神に反抗し、罪の道を歩み続けるなら、そして、その罪を悔い改めないなら、神の力、聖霊が取り去られることがあるということを覚えておかなければなりません。もし自分から聖霊が取り去られたことに気づいていないなら、それこそ最大の悲劇です。

 

Ⅲ.再び髪が伸び始めたサムソン(22-31)

 

しかし、それですべてが終わったわけではありません。そこに回復の道もあるということを知らなければなりません。最後に22節から31節までを見て終わります。

「しかし、サムソンの髪の毛は、剃り落とされてからまた伸び始めた。さて、ペリシテ人の領主たちは、自分たちの神ダゴンに盛大ないけにえを献げて楽しもうと集まり、そして言った。「われわれの神は、敵サムソンをわれわれの手に渡してくださった。」民はサムソンを見たとき、自分たちの神をほめたたえて言った。「われわれの神は、われわれの敵を、われわれの手に渡してくださった。この国を荒らして、われわれ大勢を殺した者を。」彼らは上機嫌になったとき、「サムソンを呼んで来い。見せ物にしよう」と言って、サムソンを牢から呼び出した。彼は彼らの前で笑いものになった。彼らがサムソンを柱の間に立たせたとき、サムソンは自分の手を固く握っている若者に言った。「私の手を放して、この神殿を支えている柱にさわらせ、それに寄りかからせてくれ。」神殿は男や女でいっぱいであった。ペリシテ人の領主たちもみなそこにいた。屋上にも約三千人の男女がいて、見せ物にされたサムソンを見ていた。サムソンは主を呼び求めて言った。「神、主よ、どうか私を心に留めてください。ああ神よ、どうか、もう一度だけ私を強めてください。私の二つの目のために、一度にペリシテ人に復讐したいのです。」

サムソンは、神殿を支えている二本の中柱を探り当て、一本に右手を、もう一本に左手を当てて、それで自らを支えた。サムソンは、「ペリシテ人と一緒に死のう」と言って、力を込めてそれを押し広げた。すると神殿は、その中にいた領主たちとすべての民の上に落ちた。こうして、サムソンが死ぬときに殺した者は、彼が生きている間に殺した者よりも多かった。彼の身内の者や父の家の者たちがみな下って来て、彼を引き取り、ツォルアとエシュタオルの間にある父マノアの墓に運び上げて葬った。サムソンは二十年間イスラエルをさばいた。」

 

22節のことばはおもしろいですね。サムソンの髪の毛は、剃り落とされましたがまた伸び始めました。これはどんなことを表しているのかというと、彼がナジル人としての立場を回復したということです。神に反逆して罪を犯したらそれですべてが終わってしまうというわけではありません。髪の毛は再び伸び始めるのです。神の力、神の聖霊を取り戻す唯一の道は、罪の悔い改めと、神への立ち返りです。それによって、私たちも再びナジル人としての立場を回復することができます。この神の恵み深さを思い出し、今自らの罪を悔い改めて神に立ち返りましょう。信仰によって神の赦しと力を受け取りましょう。

 

さて、ナジル人としての立場を回復したサムソンは、その後どのように歩んだでしょうか。23節からの箇所には、ペリシテ人たちが、サムソンを捕らえたことを自分たちの神ダゴンに感謝するために、宴会を開いた様子が記録されてあります。そこにはペリシテの領主と、多くの男女が集っていました。彼らはサムソンを見せ物にしようと牢から呼んできました。

するとサムソンは自分の手を握っている若者に、宮を支えている2本の中柱に寄りかからせてくれと頼みます。神殿は男や女でいっぱいでした。屋上にも3,000人の男女がいて、見せ物にされていたサムソンを見ていました。

その時です。サムソンは主を呼び求めて祈りました。「神、主よ、どうか私を心に留めてください。ああ神よ、どうか、もう一度だけ私を強めてください。私の二つの目のために、一度にペリシテ人に復讐したいのです。」そして、二本の中柱を探り当て、力を込めて押し広げると、神殿が崩れ落ち、その中にいたペリシテの領主たちと民が死にました。それはサムソンがそれまでに殺した者よりも多い数でした。

 

サムソンの人生は波乱に満ちた人生でした。どんな強敵にも打ち勝つことができた彼が、最も弱い女性に負けました。また、ナジル人として聖別されていた彼が、触れてはならない獅子の死体の中から蜂蜜を取って食べたことで、神の祝福を失いました。しかし、どんなに欠点の多い器であっても、主はご自身のご計画のために彼を用いられました。へブル11章32には、「これ以上、何を言いましょうか。もし、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、またダビデ、サムエル、預言者たちについても語れば、時間が足りないでしょう。」とあります。信仰に生きた人たちの中に、彼の名前が刻まれているのです。彼の生き方を見る限り、彼が信仰の人ということにはとても抵抗があるかもしれませんが、そんな彼についてこのように記されているのです。それは、彼がどんなに神に背き、罪の中を歩んでも、髪の毛が再び伸びてきたからであり、言うならば、彼はナジル人として神に選ばれた者であったからです。

 

私たちもサムソンのように罪の中に陥ることもありますが、それでもその罪を悔い改めるなら、再びナジル人として回復することができます。それは私たちの力ではありません。神がそのように選んでおられたからです。神のナジル人として、私たちも生まれるずっと前から神によって選ばれたいたことを思い、いつも悔い改めて、神の道を歩ませていただきましょう。

士師記15章

士師記15章からを学びます。まず1節から8節までをご覧ください。

 

Ⅰ.サムソンの怒り(1-8)

 

「しばらくたって、小麦の刈り入れの時に、サムソンは子やぎを一匹持って自分の妻を訪ね、「私の妻の部屋に入りたい」と言ったが、彼女の父は入らせなかった。

彼女の父は言った。「私は、あなたがあの娘を嫌ったのだと思って、あなたの客の一人に与えた。妹のほうがきれいではないか。あれの代わりに妹をあなたのものにしてくれ。」

サムソンは彼らに言った。「今度、私がペリシテ人に害を加えても、私は潔白だ。」

それからサムソンは出て行って、ジャッカルを三百匹捕らえた。そして、たいまつを取り、尾と尾をつなぎ合わせて、二本の尾の間にそれぞれ一本のたいまつをくくり付けた。

彼はそのたいまつに火をつけ、それらのジャッカルをペリシテ人の麦畑の中に放し、束ねて積んである麦から、立ち穂、オリーブ畑に至るまで燃やした。

ペリシテ人たちは言った。「だれがこんなことをしたのか。」すると彼らは「あのティムナ人の婿サムソンだ。あの人が彼の妻を取り上げて、客の一人にやったからだ」と言った。ペリシテ人は上って来て、彼女とその父を火で焼いた。

サムソンは彼らに言った。「おまえたちがこういうことをするなら、私は必ずおまえたちに復讐する。その後で、私は手を引こう。」

サムソンは彼らの足腰を打って、大きな打撃を与えた。それから、彼は下って行って、エタムの岩の裂け目に住んだ。」

 

「しばらくたって」とは、14章の出来事からしばくたってということです。サムソンは、ペリシテの娘

が気に入りティムナに下って行って彼女と結婚しましたがその祝宴でした謎かけに失敗し、怒りに燃えて自分の父の家に帰って行きました。その間サムソンの妻はどうなったかというと、彼につき添った客の一人のものとなってしまいました。それからしばらくたってのことです。

 

小麦の刈り入れの時に、サムソンは子やぎ一匹を持って自分の妻の家を訪ね、「私の妻の部屋に入りたい」と言いました。これには「通い婚」という制度が背景にあります。アラブ人の間では、今日でもこの通い婚を実行している人たちがいるそうです。この通い婚では、通って来る夫はみやげ物を持ってくるのが習わしとなっています。サムソンがここで子やぎ一匹を持ってきたというのも、そのためでした。

 

しかし、彼女の父はサムソンを家の中へ入らせませんでした。なぜなら、サムソンが自分の父の家に帰ったとき、娘を別の男に与えてしまったからです。それで、彼女の父は、代わりに妹を妻にしてくれないかと頼みましたが、サムソンは激怒して、「今度、私がペリシテ人に害を加えても、私は潔白だ。」と言いました。

 

それで彼はどうしたかというと、ジャッカル三百匹を捕らえ、たいまつを取り、尾と尾をつなぎ合わせて、その間にたいまつをくくり付け、麦畑の中に放ちました。それで、積んである麦から、立ち穂、オリーブ畑に至るまで、すべて燃え尽きてしまいました。これは、ペリシテ人にとって大打撃となりました。

 

それでペリシテ人たちは怒り、だれがこんなことをしたのかと言うと、ティムナ人の婿であるサムソンだということがわかりましたが、その矛先をサムソンではなく、サムソンの妻と父に向け、彼らを火で焼いてしまったのです。

 

するとサムソンは、「おまえたちがこういうことをするなら、私は必ずおまえたちに復讐する。その後で、私は手を引こう。」と言って、今度は、妻とその父を焼き殺した人々を殺しました。何とも悲しい結末です。いったい何がこのような結果を招いてしまったのでしょうか。

 

サムソンの妻の父は、サムソンを裏切ることで災難を免れようとしましたが、結果的にはサムソンを裏切ったために、その災難を受けることになってしまいました。また、ペリシテの人たちも、それがサムソンの妻とその夫のためだとわかると、彼らを火で焼いて殺してしまったことで、彼らもまた災難を受けることになってしまいました。しかし、これらの出来事は、もとはと言えば神に選ばれたナジル人のサムソンが、その神の命令に背いたことに原因があったのです。彼は神の命令に背いて異邦人と結婚したかと思えば、ナジル人であることを自覚していたのにぶどうの実を食べたり、汚れたものに近づいたりしました。もとはといえば、すべてサムソンが招いた悲劇だったのです。

 

人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになるということです(ガラテヤ6:7)。箴言22章8節、9節には、次のようにあります。

「不正を蒔く者はわざわいを刈り取る。こうして彼への激しい怒りのむちは終わる。善意の人は祝福を受ける。自分のパンを貧しい者に与えるからだ。」

不正の種を蒔く者はわざわいを刈り取ります。反対に、善意の人は祝福を受けます。人は種を蒔けば、その刈り取りをするようになるのです。良い種を蒔けば、良い実を刈り取り、悪い種を蒔けば、悪い実を刈り取るようになります。

サムソンも、サムソンの妻とその父も、そしてペリシテ人たちも、みな悪い種を蒔きました。その結果、悪い実を結んだのです。あなたは、どのような種を蒔いているでしょうか。不正の種を蒔く者ではなく、善意の種を蒔きましょう。神のみことばに従って、正しい道を歩ませていただこうではありませんか。

 

Ⅱ.ろばのあご骨で三千人を打ち殺したサムソン(9-18)

 

次に、9節から18節までをご覧ください。まず13節までをお読みします。

「ペリシテ人が上って来て、ユダに向かって陣を敷き、レヒを侵略したとき、ユダの人々は言った。「なぜおまえたちは、私たちを攻めに上って来たのか。」彼らは言った。「われわれはサムソンを縛って、彼がわれわれにしたように、彼にもしてやるために上って来たのだ。」

そこで、ユダの人々三千人がエタムの岩の裂け目に下って行って、サムソンに言った。「おまえは、ペリシテ人がわれわれの支配者であることを知らないのか。おまえはどうしてこんなことをしてくれたのか。」サムソンは言った。「彼らが私にしたとおり、私は彼らにしたのだ。」

彼らはサムソンに言った。「われわれはおまえを縛って、ペリシテ人の手に渡すために下って来たのだ。」サムソンは言った。「あなたがたは私に討ちかからないと誓いなさい。」

彼らは答えた。「決してしない。ただおまえをしっかり縛って、彼らの手に渡すだけだ。われわれは決しておまえを殺さない。」こうして、彼らは二本の新しい綱で彼を縛り、その岩から彼を引き上げた。」

 

人は種を蒔けば、その刈り取りをするようになるというみことばの原則が、今度はサムソンに適用されます。サムソンがペリシテ人たちに大きな打撃を与えると、ペリシテ人たちが上って来て、ユダに向かって陣を敷きました。レヒはユダ族の領地にあった町です。

 

レヒの人々は、ペリシテ人たちが上って来た理由がサムソンにあることを知り、エタムの岩の裂け目にいたサムソンのところに下って行きますが、ここには三千人でやって来たとあります。なぜこれほど大勢の人たちでやって来たのでしょうか。サムソンは何も持たずに獅子を引き裂いた人です。これだけの人がいれば、どんなに力のあるサムソンでも捕らえることができると思ったのでしょう。

しかし、それだけいればペリシテ人と戦うこともできたはずです。あのギデオンは、主の勇士300人でミデヤン人と戦って勝利しました。それなのに彼らは、それほどの人がいてもペリシテ人と戦おうとしまなかったのです。なぜでしょうか。11節で彼らは、「ペリシテ人がわれわれの支配者であることを知らないのか」(11)と言っていますが、ペリシテ人を倒せると思っていなかったからです。つまり、彼らは主が彼らを救ってくださるということを信じていなかったということです。そのような信仰がなかったのです。

 

私たちも主が救いを与えてくださる方であるということをわきまえていないと、ギデオンのような偉大な主の御業を見ることができないばかりか、このようにかえって神に用いられている器に敵対することで、結果的に主の働きそのものを阻むことになってしまうことがあります。彼らはペリシテに支配されていても、主がそこから解放してくださると信じなければならなかったのです。

 

レヒの人々がそのことをサムソンに言うと、彼は自分に討ちかからないことを条件に、彼らの言うことを受け入れました。それは、同胞のイスラエル人を殺したくなかったからです。こうして、彼は二本の新しい綱で縛られ、ペリシテ人に引き渡されました。

 

ペリシテ人に引き渡されたサムソンはどうなったでしょうか。14節から17節までをご覧ください。

「サムソンがレヒに来たとき、ペリシテ人は大声をあげて彼に近づいた。すると、主の霊が激しく彼の上に下り、彼の腕に掛かっていた綱は火のついた亜麻糸のようになって、その縄目が手から解け落ちた。

サムソンは真新しいろばのあご骨を見つけ、手を伸ばして取り、それで千人を打ち殺した。サムソンは言った。「ろばのあご骨で、山と積み上げた。ろばのあご骨で、千人を打ち殺した。」こう言い終わると、彼はそのあご骨を投げ捨てた。彼はその場所を、ラマテ・レヒと名づけた。 」

 

サムソンの姿を見たペリシテ人たちは、大声を上げて喜びました。戦わずして、サムソンを捕らえることができたからです。しかし、彼らはサムソンが神のナジル人であることを理解していませんでした。彼には全能の主の力が与えられていたのです。その主の霊が激しく彼の上に下ったので、彼を縛っていた綱は火のついた亜麻糸のようになって、焼け落ちてしまいました。すると、サムソンは真新しいろばのあご骨を見つけ、手を伸ばして取り、それで千人のペリシテ人を打ち殺しました。いったいこの力はどこから来たのでしょうか。この力は彼の内側から来たのではなく、神から来たものでした。主の霊が激しく彼の上に下ったので、彼はろばのあご骨で千人の敵を打ち殺すことができたのです。

 

これは、私たちにも言えることです。たとえ、私たちを縛るものがあっても、主の霊があなたに下るなら、その縄目は焼け落ちてしまいます。主の霊はあなたを開放し、自由にすることができるのです。さらに、取るに足りない「ろばのあご骨」のような私たちを用いて、神の敵を打ち破ることができるのです。使徒1章8節には、「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」とあるとおりです。

 

あなたを縛っているものがありますか。この新しい一年が、主の聖霊が臨み、敵に勝利する一年とさせていただきましょう。ユダの人々のようにただ敵の言うままになるのではなく、自らを神にささげ、主の勝利を得させていただこうではありませんか。

 

Ⅲ.エン・ハ・コレ(18-20)

 

最後に、18節から20節を見て終わりたいと思います。

「そのとき、彼はひどく渇きを覚え、主を呼び求めて言った。「あなたは、しもべの手で、この大きな救いを与えてくださいました。しかし今、私は喉が渇いて死にそうで、無割礼の者どもの手に落ちようとしています。」

すると、神はレヒにあるくぼんだ地を裂かれたので、そこから水が出た。サムソンは水を飲んで元気を回復し、生き返った。それゆえ、その名はエン・ハ・コレと呼ばれた。それは今日もレヒにある。こうして、サムソンはペリシテ人の時代に二十年間イスラエルをさばいた。」

 

「そのとき」とは、サムソンがろばのあご骨でペリシテ人千人を撃ち殺したときのことです。サムソンはひどく渇きを覚えました。なぜなら、ユダの人々はサムソンによって助け出されたのに、彼に援助の手を差し伸べようとしなかったからです。そこで彼は、主を呼び求めて言いました。彼は、このペリシテに対する勝利が、主によってもたらされたものであることをよく認識していました。それなにいま喉が渇いて死にそうであり、このままではペリシテ人と戦うことができなくなり、彼らの手に落ちることになってしまうと訴えているのです。

 

すると、神はその祈りにただちに答え、レヒにあるくぼんだ地を裂かれたので、そこから水が出ました。サムソンはその水を飲んで元気を回復し、生き返りました。それゆえ、その名は「エン・ハコレ」と呼ばれました。その意味は、「呼ばわる者の泉」です。

 

皆さん、主は呼ばわれる者の泉です。詩篇34篇6~8節には、「この苦しむ者が呼ぶと主は聞かれすべての苦難から救ってくださった。主の使いは主を恐れる者の周りに陣を張り彼らを助け出される。味わい見つめよ。主がいつくしみ深い方であることを。幸いなことよ。主に身を避ける人は。」とあります。

これは、すべてのクリスチャンに与えられている祝福の約束です。私たちが叫ぶ時、主は必ず聞いてくださるのです。あなたは今何に渇いていますか。あなたが主に叫ぶなら、主はその叫びを聞かれ、すべての苦しみから救ってくださいます。主は主を恐れる者の周りに陣を張り、あなたを助け出してくださるのです。このみことばに信頼して、この新しい年も、主に叫び求めましょう。そして、主がどれほどいつくしみ深い糧であるかを味わい、主に身を避ける一年とさせていただきましょう。

士師記14章

士師記14章からを学びます。まず1節から4節までをご覧ください。

 

Ⅰ.ペリシテ人の娘を気に入ったサムソン(1-4)

 

「サムソンは、ティムナに下って行ったとき、ペリシテ人の娘で、ティムナにいる一人の女を見た。

彼は上って行って、父と母に告げた。「私はティムナで一人の女を見ました。ペリシテ人の娘です。今、彼女を私の妻に迎えてください。」

父と母は言った。「あなたの身内の娘たちの中に、また、私の民全体の中に、女が一人もいないとでも言うのか。無割礼のペリシテ人から妻を迎えるとは。」

サムソンは父に言った。「彼女を私の妻に迎えてください。彼女が気に入ったのです。」

彼の父と母は、それが主によることだとは知らなかった。主は、ペリシテ人と事を起こす機会を求めておられたのである。そのころ、ペリシテ人がイスラエルを支配していた。」

 

サムソンは、ティムナに下って行き、そこでペリシテの娘をみそめます。サムソンが住んでいた

のはダン族のツォルアという山地の町でしたが、ペリシテ人の町ティムナは、目と鼻の先にありました。ですから、サムソンはその町に下って行ったのですが、そこで美しい一人の女を見たのです。サムソンはその娘を見て、ひとめぼれしてしまいました。それで、彼は自分の父と母に告げて言いました。「私はティムナで一人の女を見ました。ペリシテの娘です。今、彼女を私の妻に迎えてください。」(2)

 

するとサムソンの両親は、「あなたの身内の娘たちの中に、また、私の民全体の中に、女が一

人もいないとでも言うのか。無割礼のペリシテ人から妻を迎えるとは。」(3)と言いました。それは明らかにモーセの律法に違反していたからです。モーセの律法には、異邦の民と姻戚関係に入ってはならないとあります。申命記7章3節には、「あなたの娘をその息子に嫁がせたり、その娘をあなたの息子の妻としたりしてはならない」とあります。なぜなら、「彼らは自分たちの神々と淫行をし、自分たちの神々にいけにえを献げ、あなたを招く」(出エジプト34:15)ようになるからです。ペリシテ人は割礼を受けていませんでした。また、ダゴンという偶像を礼拝していました。ですから、彼の両親が反対したのは当然のことです。しかも彼はナジル人として聖別された人でした。そのような人が異邦人と結婚するなど考えられませんでした。

 

しかし、サムソンは彼の願いを取り下げようとはしませんでした。「彼女を私の妻に迎えてください。彼女が気に入ったのです。」(3)と、頑として受け入れなかったのです。何だか幼子がただをこねているみたいですね。いったいこのことどういうことだったのか、4節には次のようにあります。

「彼の父と母は、それが主によることだとは知らなかった。主は、ペリシテ人と事を起こす機会を求めておられたのである。そのころ、ペリシテ人がイスラエルを支配していた。」

 

どういうことでしょうか?これは、サムソンの思いが正しかったということではありません。明らかに彼は過ちを犯そうとしていました。しかし主はその過ちさえも用いて、ご自身の計画を実現させようとしておられたのです。つまりサムソンを用いてイスラエルをペリシテ人から救おうとしておられたのです。

 

このように神は、人の頑なさや自己中心的な態度さえもご自身の計画を実現させるために用いられることがあるのです。それはちょうどヤコブの子たちが弟ヨセフをエジプトに売り渡した時と同じです。彼らがやったことは明らかに悪でしたが、神はそれをヤコブの家族を救うために用いてくださいました。ですから、サムソンの思いが正しかったということではなく、神はそれを許容されたということです。

 

だからと言って、神の恵みとあわれみを試すようなことをしてはいれません。ただ過去において失敗した経験がある人は、主がそのことさえも益としてくださると信じて主の御名をあがめ、神のみこころに歩まなければなりません。神は、私たちの失敗さえも良き目的のために用いてくださる方なのです。「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」(ピリピ2:13)

 

Ⅱ.獅子を引き裂いたサムソン(5-9)

 

次に5節から9節までをご覧ください。

「サムソンは彼の父と母とともにティムナに下り、ティムナのぶどう畑にやって来た。すると見よ、一頭の若い獅子が吼えたけりながら彼に向かって来た。

このとき、主の霊が激しく彼の上に下ったので、彼はまるで子やぎを引き裂くように、何も手に持たず獅子を引き裂いた。サムソンは自分がしたことを父にも母にも告げなかった。

サムソンは下って行って、その女と話した。サムソンは彼女が気に入った。しばらくたってから、サムソンは彼女を妻にしようと戻って行った。あの獅子の死骸を見ようと、脇道に入って行くと、なんと、獅子のからだに蜜蜂の群れがいて、蜜があった。

彼はそれを両手にかき集めて、歩きながら食べた。彼は自分の父母のところに行って、それを彼らに与えたので、彼らも食べた。その蜜を獅子のからだからかき集めたことは、彼らには告げなかった。」

 

サムソンは、彼の父と母とともにティムナに下って行きました。その女と会うためです。そしてぶどう畑にやって来たとき、一頭の若い獅子が彼に襲いかかりました。この時は父と母は一緒ではなかったようです。後のところに、彼はこのことを父と母に告げなかったとありますから・・。

すると、主の霊が激しく彼の上に下ったので、彼はまるで子やぎを引き裂くように、獅子を引き裂きました。何も手に持たずして、です。しかし、サムソンはそれを自分の両親に告げませんでした。なぜでしょうか。なぜなら、彼はナジル人として聖別されていたからです。このナジル人については前回学びましたが、三つのことが禁止されていました。その一つは、ぶどう酒や強い酒を飲んではならないということでした。しかし彼はティムナに下ったとき、ぶどう畑にやって来ました。何のためですか?ぶどうの実を食べるためでしょう。しかし、それはナジル人として禁じられていたことでした。ですから、彼はそのことを両親に告げなかったのです。そして、サムソンは下って行って、その女と話をしました。すると彼はもっと彼女が気に入りました。

 

それから、しばらくたってからのことです。サムソンは彼女を妻にしようとティムナに戻って来ました。「しばらくたってから」とは、この時からしばらくたってという意味です。サムソンはツォアルの自分の家に戻っていたのでしょう。それからしばらくたって、彼は彼女を妻にしようと戻って来たのです。

 

そのとき、サムソンはあの獅子の死骸がどうなっているのか見ようと、脇道に入って行くと、なんと、獅子のからだに蜂蜜の群れが巣を作っていました。するとその中に密があったので、彼はそれをかき集めて、歩きながら食べました。そのときそこに両親はいませんでしたので、自分の両親のところに行ってそれを与えたので、彼らも食べました。彼は、それが獅子の死体から集めたものであることは告げませんでした。なぜでしょうか。ここも彼がナジル人として神に聖別された者であることと関係があります。ナジル人として禁止されていたもう一つのことは、汚れたものに近づいてはならないということでした。死体に近づいてはならなかったのです。しかし、彼はそれを無視して蜜を食べました。それがバレないように、そのことを父母には内緒にしたのです。

 

こうやって見ると、彼は早くも神の命令に背いていたことがわかります。一度ならず二度も・・。彼がぶどう畑にやって来たとき、一頭の若い獅子が彼に襲いかかったのは、このことを思いださせるためだったのでしょう。しかし、主の霊が激しく彼の上に下ったので、彼はまるで子やぎを引き裂くように、獅子を引き裂いてしまいました。彼にそれができたのは、彼がナジル人であるがゆえにそのような力が与えられていたのに、そのナジル人の誓いを簡単に破ってしまったのです。いったいなぜ彼は神の命令に背いてしまったのでしょうか。

 

勿論、彼はそのことを十分自覚していたでしょう。しかし彼の行動は、自分の思いとは全く別のことをしていました。これはサムソンばかりでなく、私たちもよく経験することです。

パウロは、このことをローマ人への手紙7章15節で次のように言っています。

「私には、自分のしていることが分かりません。自分がしたいと願うことはせずに、むしろ自分が憎んでいることを行っているからです。

そして、そんな自分の姿を嘆き、「私は本当にみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」(同7:24)と叫びました。それはパウロだけではなく、私たちも同じではないでしょあうか。私たちはイエスを信じ、イエスに結び合わされた者として、神に聖別された者であるにもかかわらず、ここでサムソンがしているように、平気で神のみこころに背くようなことをしてしまいます。その結果、パウロのように、「私は本当にみじめな人間です。」と叫んでいるような者です。サムソンも同じでした。彼はわかっちゃいるけど止められなかったのです。彼は、自分がしたいことではなく、したくない悪を行っていたのです。

 

いったいどうしたら良いのでしょうか。どこにその解決の鍵があるのでしょうか。パウロは続く7章25節からのところで、その解決を見出しました。それはイエス・キリストです。イエス・キリストにあるいのちの御霊の原理です。

「私たちの主イエス・キリストを通して、神に感謝します。こうして、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法が、罪と死の律法からあなたを解放したからです。 肉によって弱くなったため、律法にできなくなったことを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪深い肉と同じような形で、罪のきよめのために遣わし、肉において罪を処罰されたのです。それは、肉に従わず御霊に従って歩む私たちのうちに、律法の要求が満たされるためなのです。肉に従う者は肉に属することを考えますが、御霊に従う者は御霊に属することを考えます。肉の思いは死ですが、御霊の思いはいのちと平安です。なぜなら、肉の思いは神に敵対するからです。それは神の律法に従いません。いや、従うことができないのです。 肉のうちにある者は神を喜ばせることができません。しかし、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉のうちにではなく、御霊のうちにいるのです。もし、キリストの御霊を持っていない人がいれば、その人はキリストのものではありません。キリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、御霊が義のゆえにいのちとなっています。イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられるご自分の御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだも生かしてくださいます。」(ローマ7:25-8:11)

そうです、私たちの混乱した状態から私たちを救うことができるのは、イエス・キリストのいのちの御霊でしかありません。もし神の御霊が私たちのうちに住んでおられるなら、私たちは肉のうちにではなく、御霊のうちにいるのです。そして、この御霊が、私たちの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。ですから、私たちにとって必要なことは、神の御霊によって生きることです。そうすれば、肉の欲求を満足させることはありません。サムソンの問題はいのちの御霊によってではなく、自分の肉の欲求に従って行動したことだったのです。

 

Ⅲ.謎かけ(10-20)

 

最後に、10節から終わりまでを見て終わりたいと思います。まず14節までをご覧ください。

「彼の父がその女のところに下って来たとき、サムソンはそこで祝宴を催した。若い男たちはそのようにするのが常だった。人々はサムソンを見て、客を三十人連れて来た。彼らはサムソンに付き添った。

サムソンは彼らに言った。「さあ、あなたがたに一つの謎をかけよう。もし、あなたがたが七日の祝宴の間に、それを見事に私に解き明かし、答えを見つけることができたなら、あなたがたに亜麻布三十着と晴れ着三十着を差し上げよう。もし、それを解き明かすことができなければ、あなたがたが私に、亜麻布の衣服三十着と晴れ着三十着を差し出すことにしよう。」彼らは言った。「謎をかけなさい。われわれは聞こう。」

そこで、サムソンは彼らに言った。「食らうものから食べ物が出た。強いものから甘い物が出た。」彼らは三日たっても、その謎を解き明かすことができなかった。」

 

サムソンの父がその女のところに下って来たとき、彼はそこで七日間祝宴を催しました。ペリシテ人たちは、サムソンに三十人の客を連れて来ました。そのようにすることが常だったからです。それで彼らはサムソンに付き従いました。

 

するとサムソンは、彼らに謎かけをします。これは古代ギリシャの習慣です。ペリシテ人たちはギリシャ系の民族だったので、このような習慣があったのです。謎かけというのは楽しいですね。私もよく孫と「なぞなぞクイズ」をやります。「花子さんのお母さんには四人の娘がいました。春子、夏子、秋子、さて、もう一人の娘の名前は何でしょう?」答えは「冬子」ではありません。「花子」です。こういう「なぞなぞ」をよくします。

サムソンが出した謎かけとはどういうものであったかというと、「食らうものから食べ物が出た。強いものから甘い物が出た。」いったいこれは何だ!というものでした。そして、彼らのやる気を引き出すためか、彼は正解者には豪華な賞品を約束します。それは亜麻布三十着と晴れ着三十着です。もし彼らが祝宴の七日の間に、その答えを見つけることができたら、これらを差し上げるというのです。通常、謎かけというのは、論理的に考えれば答えが見つかるものですが、サムソンのなぞかけは本人しかわからないものでした。ですから、どんなに豪華な賞品を出しても決して問題にはならないはずでした。むしろ、それは彼にとって好都合でした。なぜなら、もし、それを説き明かすことができなければ、逆に彼らからそれらを受けることができたからです。

 

すると彼らは「いいでしょう。謎をかけなさい。われわれは聞こう」と言って、その謎かけにチャレンジすることにしました。しかし、三日たっても、その謎を解き明かすことができませんでした。それて彼らはどうしたかというと、彼の妻を利用して答えを引き出そうとします。

 

15節から20節までをご覧ください。

「七日目になって、彼らはサムソンの妻に言った。「おまえの夫を口説いて、あの謎をわれわれに明かしなさい。そうしないと、火でおまえとおまえの父の家を焼き払ってしまうぞ。おまえたちはわれわれからはぎ取ろうとして招待したのか。そうではないだろう。」

そこで、サムソンの妻は夫に泣きすがって言った。「あなたは私を嫌ってばかりいて、私を愛してくださいません。あなたは私の同族の人たちに謎をかけて、それを私に明かしてくださいません。」サムソンは彼女に言った。「見なさい。私は父にも母にもそれを解き明かしてはいないのだ。おまえに解き明かさなければならないのか。」

彼女は祝宴が続いていた七日間、サムソンに泣きすがった。七日目になって、彼女がしきりにせがんだので、サムソンは彼女に明かした。それで、彼女はその謎を自分の同族の人たちに明かした。

町の人々は、七日目の日が沈む前にサムソンに言った。「蜂蜜よりも甘いものは何か。雄獅子よりも強いものは何か。」すると、サムソンは彼らに言った。「もし、私の雌の子牛で耕さなかったなら、あなたがたは私の謎を解けなかっただろうに。」

そのとき、主の霊が激しくサムソンの上に下った。彼はアシュケロンに下って行って、そこの住民を三十人打ち殺し、彼らからはぎ取って、謎を明かした者たちにその晴れ着をやり、怒りに燃えて父の家に帰った。サムソンの妻は、彼に付き添った客の一人のものとなった。」

 

彼らはいくら考えてもわからなかったので、サムソンの妻に脅しをかけ、その謎の秘密を探らせます。「おまえの夫を口説いて、あの謎をわれわれに明かしなさい。そうしないと、火でおまえとおまえの父の家を焼き払ってしまうぞ。おまえたちはわれわれからはぎ取ろうとして招待したのか。そうではないだろう。」

 

そこで、サムソンの妻は夫に泣きすがります。妻にこんなふうにされたら、答えない訳にはいきません。私などはこんなふうにされなくても答えてしまうでしょう。サムソンは非常に悩みますが、彼女は祝宴が続いた七日間、ずっとサムソンに泣きすがったので、ついにその秘密を彼女に明かしてしまいました。彼女はそれを同族のペリシテ人たちに明かすと、彼らは、七日目の日が沈む前にサムソンに言いました。

「蜂蜜よりも甘いものは何か。雄獅子よりも強いものは何か。」(18)

「食らうものから食べ物が出」の「食らうもの」とは「獅子」のこと、「強いものから甘い物か出た」の「甘い物」とは「蜂蜜」のことでした。

 

すると、サムソンは彼らに言いました。「もし、私の雌の子牛で耕さなかったなら、あなたがたは私の謎を解けなかっただろうに。」(18)

「私の雌の子牛」とは、サムソンの妻のことです。つまり、サムソンの妻が教えてくれなかったら、この謎を解けなかっただろう、ということです。

 

サムソンは、ペリシテ人の別の町アシユケロンに下って行き、そこの住民三十人を打ち殺し、彼らから着物をはぎ取とって、謎を解いた者たちに与えました。そして、彼は怒りに燃えて父の家に帰ると、その女の父は、他の男に娘をやってしまいました。

 

子やぎを引き裂くように素手で獅子を引き裂いたサムソンでしたが、たった一人の女の口説きによって、墓穴を掘ってしまったのです。いったい何が問題だったのでしょうか。それは、彼が神のみこころに反して、無割礼のペリシテ人から妻を迎えたことです。そして、そのペリシテ人たちを軽々しく挑発してしまったことです。彼は神のナジル人であり、主の霊が彼とともにあったのに、その主のみこころを求めて歩まなかったのです。

 

私たちも神のナジル人として神にささげられた者であっても、サムソンのようにすぐに神のみこころに背いてしまう者ですが、一方的な神の恵みによって救われた者として、常に神の御言葉を通してみこころを求め、みこころにかなった歩みができるように求めていきたいと思います。

士師記13章

士師記13章からを学びます。まず1節から7節までをご覧ください。

 

Ⅰ.マノアとその妻(1-7)

 

「イスラエルの子らは、主目に悪であることを重ねて行った。そこで主は四十年間、彼らをペリシテ人の手に渡された。

さて、ダンの氏族に属するツォルア出身の一人の人がいて、名をマノアといった。彼の妻は不妊で、子を産んだことがなかった。

主の使いがその女に現れて、彼女に言った。「見よ。あなたは不妊で、子を産んだことがない。しかし、あなたは身ごもって男の子を産む。今後あなたは気をつけよ。ぶどう酒や強い酒を飲んではならない。汚れた物をいっさい食べてはならない。見よ。あなたは身ごもって男の子を産む。その子の頭にかみそりを当ててはならない。その子は胎内にいるときから、神に献げられたナジル人だから。彼はイスラエルをペリシテ人の手から救い始める。」

その女は夫のところに行き、次のように言った。「神の人が私のところに来られました。その姿は神の使いのようで、たいへん恐ろしいものでした。私はその方がどちらから来られたか伺いませんでした。その方も私に名をお告げになりませんでした。けれども、その方は私に言われました。『見よ。あなたは身ごもって男の子を産む。今後、ぶどう酒や強い酒を飲んではならない。汚れた物をいっさい食べてはならない。その子は胎内にいるときから死ぬ日まで、神に献げられたナジル人だから』と。」

 

イスラエル人は、再び主の目の前に罪を行いました。それで主は40年間、彼らをペリシテ人の

手に渡されました。ペリシテ人は地中海に面している地域に住んでいた民族で、イスラエルの地においてもガザやアシュケロンなど、沿岸地域に住んでいました。そのペリシテ人の手に渡されたのです。しかも、40年の長きに渡ってです。これは、預言者サムエルがペリシテ人に勝利する時まで続きます(Ⅰサムエル7章)。サムソンが士師として活躍するのは20年間ですが、それはペリシテ人による圧政の期間の間に入る出来事です。

 

ところで、ダン族に属するマノアという人がいました。彼の妻は不妊の女で、子を産んだことがありませんでした。当時は、子どもがいないということを神の呪いと受け止められていたので、そのことは彼らにとってとても悲しい出来事でした。

 

そんな彼女に、ある日主の使いが現れて、男の子を産む、と告げました。それゆえ、ぶどう酒や強い酒を飲んだり、汚れた物をいっさい食べないように気を付けよ、と告げたのです。また、その子の頭にかみそりを当ててはならない、とも言いました。なぜなら、その子は胎内にいるときから、神に献げられたナジル人であるからです。彼はイスラエルをペリシテ人の手から救い始めるというのです。

 

ナジル人とは、「聖別されたもの」という意味です。民数記6章1~8節には、このナジル人について、次のように記されてあります。

「主はモーセに告げられた。 「イスラエルの子らに告げよ。男または女が、主のものとして身を聖別するため特別な誓いをして、ナジル人の誓願を立てる場合、その人は、ぶどう酒や強い酒を断たなければならない。ぶどう酒の酢や強い酒の酢を飲んではならない。また、ぶどう汁をいっさい飲んではならない。ぶどうの実の生のものも、干したものも食べてはならない。ナジル人としての聖別の全期間、彼はぶどうの木から生じるものはすべて、種も皮も食べてはならない。

彼がナジル人としての聖別の誓願を立てている間は、頭にかみそりを当ててはならない。主のものとして身を聖別している期間が満ちるまで、彼は聖なるものであり、頭の髪の毛を伸ばしておかなければならない。

主のものとして身を聖別している間は、死人のところに入って行ってはならない。父、母、兄弟、姉妹が死んだ場合でも、彼らとの関わりで身を汚してはならない。彼の頭には神への聖別のしるしがあるからである。ナジル人としての聖別の全期間、彼は主に対して聖なるものである。」

 

ここにはナジル人に対して、三つの命令が与えられています。一つは、ぶどう酒や強い酒を飲んではならないということ、二つ目に、ナジル人としての聖別の誓願を立てている間は、頭にかみそりをあててはならないということ、そして三つ目のことは、死人のところに入って行き、身を汚してはならないということです。ぶどう酒や強い酒を飲んではならないというのは、生活の楽しみを自発的に断ち、神への献身を表明することを表していました。また、頭にかみそりをあてないというのは、そのことで軽蔑されるようなことがあっても、神への献身のゆえにどのような軽蔑をも甘んじて受けることを表していました。当時の人は前髪を短く刈っていたので、ナジル人の誓願をすることで前髪が伸び、人々から軽蔑されるということもありました。しかし、どんなに軽蔑されても、神に献身した者はそれさえも甘んじて受けなければならなかったのです。そして、死体に近づくことは、汚れを避けることを意味していました。たとえそれが肉親であっても、死体に近づいて身を汚すことは許されませんでした。その厳格さは、大祭司と同等のものでした。一般の祭司でさえ、肉親の死体に近づくことは許されていたのです。(レビ記21:1-4,10-11)

このナジル人の誓願には、一定期間で終わるものと、終生の誓願とがありましたが、サムソンは終生のナジル人でした。しかし、彼の父母も一定期間ナジル人として生きることが求められたのです。

 

聖書の中には、生まれながらのナジル人が3人います。このサムソンと預言者サムエル(Ⅰサムエル1:11)、そして、バプテスマのヨハネ(ルカ1:15)です。彼らは、主のために聖別された僕としての人生を歩みました。そして、主イエスもこのナジル人としての生涯を歩まれました。主イエスは、この世から分離し、父なる神に完全に従うことによって、聖別された生涯を歩まれたのです。そして、そのイエスを信じ、イエスにつながり、イエスに従う私たちにも、霊的には、このナジル人とされたのです。ですから、クリスチャンはみな、ナジル人として生きることが求められているのです。

 

パウロはⅡコリント6章14~18節で、次のように言っています。

「不信者と、つり合わないくびきをともにしてはいけません。正義と不法に何の関わりがあるでしょう。光と闇に何の交わりがあるでしょう。キリストとベリアルに何の調和があるでしょう。信者と不信者が何を共有しているでしょう。神の宮と偶像に何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神がこう言われるとおりです。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らから離れよ。──主は言われる──汚れたものに触れてはならない。そうすればわたしは、あなたがたを受け入れ、わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる。──全能の主は言われる。」」

ここで勧められていることは、まさにこのナジル人として生きなさいということです。それはこの世から隔離された修道院のような生活をしなさいということではありません。この世にいながらも、この世のものではなく、神のものとして、この世と分離して生きなさいということです。それは主イエスがこの世から分離し、父なる神に完全に従ったように生きるということです。なぜなら、私たちはこの世から救い出され、神のものとされたものだからからです。神のものとされた者は、この世にあっても神のものとして聖別し、世の光、地の塩として生きていかなければならないのです。

 

Ⅱ.マノアに現れた主の使い(8-14)

 

次に8節から14節までをご覧ください。

「そこで、マノアは主に願って言った。「ああ、主よ。どうか、あなたが遣わされたあの神の人を再び私たちのところに来させ、生まれてくる子に何をすればよいか教えてください。」

神はマノアの声を聞き入れられた。それで神の使いが再びこの女のところに来た。彼女は畑に座っていて、夫マノアは彼女と一緒にはいなかった。

この女は急いで走って行き、夫に告げた。「早く来てください。あの日、私のところに来られたあの方が、また私に現れました。」

マノアは立ち上がって妻の後について行き、その人のところに行って尋ねた。「この女にお話しになった方はあなたなのですか。」その人は言った。「わたしだ。」

マノアは言った。「今にも、あなたのおことばは実現するでしょう。その子のための定めと慣わしはどのようなものでしょうか。」

主の使いはマノアに言った。「わたしがこの女に言ったすべてのことに気をつけなければならない。ぶどうからできる物はいっさい食べてはならない。ぶどう酒や、強い酒も飲んではならない。汚れた物はいっさい食べてはならない。わたしが彼女に命じたことはみな守らなければならない。」

 

それで、女は夫のところに行き、そのことを告げると、マノアは、主に願って言いました。「ああ、主よ。どうか、あなたが遣わされたあの神の人を再び私たちのところに来させ、生まれてくる子に何をすればよいか教えてください。」

マノアは妻の報告を聞き、主に願って言いました。神が遣わされた神の人を再び遣わして、生まれてくる子に何をすれば良いか教えてくれるように・・・と。

 

すると、神はマノアの祈りを聞かれたので、神の使いが再び彼の妻のところに来ました。その時マノアは彼女と一緒にいなかったので、彼女はすぐに夫を呼びに行き、その人のもとに連れて来ました。おもしろいですね。マノアが懇願したのに、神の使いはまたマノアのところではなく妻のところにやって来ました。また、マノアが妻に連れられてその神の人のところへ行ったとき、その神の使いが言ったことは、以前彼の妻に告げたことを繰り返しただけでした。つまり、「わたしが彼女に命じたことはみな守らなければならない。」(13)ということだけだったのです。なぜでしょうか?それはその必要がなかったからです。神のみこころはすでにマノアの妻に告げられました。彼にとって必要だったことは、そのことに聞き従うことだったのです。

 

時として、私たちも、既に与えられている御言葉で満足できず、もっと先のことや新しいことを知りたいと願うことがありますが、大切なのは、先のことが見えなくても、新しい情報が示されなくても、今与えられていることに感謝し、目の前に示されたことを忠実に行っていくことなのです。そうすれば、次にすべきことが示されるようになるでしょう。

 

Ⅲ.わたしの名は不思議(15-25)

 

次に、15節から23節までをご覧ください。

「マノアは主の使いに言った。「私たちにあなたをお引き止めできるでしょうか。あなたのために子やぎを料理したいのですが。」

主の使いはマノアに言った。「たとえ、あなたがわたしを引き止めても、わたしはあなたの食物は食べない。もし全焼のささげ物を献げたいなら、それは主に献げなさい。」マノアはその方が主の使いであることを知らなかったのである。

そこで、マノアは主の使いに言った。「お名前は何とおっしゃいますか。あなたのおことばが実現しましたら、私たちはあなたをほめたたえたいのです。」

主の使いは彼に言った。「なぜ、あなたはそれを聞くのか。わたしの名は不思議という。」

そこでマノアは、子やぎと穀物のささげ物を取り、それを岩の上で主に献げた。主のなさる不思議なことを、マノアとその妻は見ていた。

炎が祭壇から天に向かって上ったとき、主】使いは祭壇の炎の中を上って行った。マノアとその妻はそれを見て、地にひれ伏した。

主の使いは再びマノアとその妻に現れることはなかった。そのときマノアは、その人が主の使いであったことを知った。

マノアは妻に言った。「私たちは必ず死ぬ。神を見たのだから。」

妻は彼に言った。「もし私たちを殺そうと思われたのなら、主は私たちの手から、全焼のささげ物と穀物のささげ物をお受けにならなかったでしょう。また、これらのことをみな、私たちにお示しにならなかったでしょうし、今しがた、こうしたことを私たちにお告げにならなかったはずです。」

 

マノアとその妻は、その時点でも主の使いが誰なのかを理解していませんでした。彼らはその人を預言者のひとりだと思っていたのです。そこで、その人をもてなしたいと思い、彼らの家に留まってもらうようにお願いしました。しかし、その人は、たとえ留まっても、食事のもてなしは受けないと断りました。そして、もし全焼のささげ物を献げたいなら、主に献げなさい、と命じたのです。

 

するとマノアは、その人に名前を尋ねました。「お名前は何とおっしゃいますか。」彼としては、このことが成就したら、預言者としてその人をほめたたえようと思ったのでしょう。

すると、主の使いは、「なぜ、あなたはそれを聞くのか。わたしの名は不思議という。」と言いました。「不思議」という名前は不思議な名前です。しかし、それはその人物が神であることを指していました。というのは、不思議を行うことができるのは神だからです。神は不思議な方です。そして、その不思議を千年以上も後にご自身の御子イエス・キリストを通して表してくださいました。まさに、神のなさった最高・最大の「不思議」は神の御子が人となってこの世に来られ、その十字架の御業によって救いの道が開いてくださったことです。

預言者イザヤはそのことを前もって預言し、やがて来られるメシヤがどのような方であのかをこう告げました。「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。」。(イザヤ9:6)

 

そして、主はマノアとその妻に不思議な御業を見せてくださいました。マノアが主の使いに言われるとおり子やぎと穀物のささげ物を取り、それを岩の上で主に献げると、炎が祭壇(岩)から出てきて捧げ物を焼き尽くしたかと思ったら、主の使いが天に向かって上って行ったのです。それで、マノアとその妻は地にひれ伏しました。自分たちは死ぬのではないかと思ったのです(出エジプト記33:20)

 

しかし、マノアの妻は、こう言いました。「もし私たちを殺そうと思われたのなら、主は私たちの手から、全焼のささげ物と穀物のささげ物をお受けにならなかったでしょう。また、これらのことをみな、私たちにお示しにならなかったでしょうし、今しがた、こうしたことを私たちにお告げにならなかったはずです。」

それはそうです。彼らを殺すつもりであれば、彼らがささげた全焼のいけにえをお受けになられるはずはありません。主が全焼のいけにえをお受けになられたというのは、主が彼らの祈りが聞かれたことを示していました。ですから、マノアの妻の言っているこは正しいのです。妻の方が霊的な目が開かれていました。

 

私たちもクリスチャンになってからでも、このように神のさばきを恐れてしまうことがあります。けれども、神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためです。(ヨハネ3:17)もし神が私たちを滅ぼすつもりなら、私たちに御子を与えられるはががありません。神は私たちを救い、私たちに永遠のいのちを与えるために、御子を与えてくださいました。私たちは、御子にあって、神の御救いに入れていただいたのです。この神の愛を受け取り、安心して主の道を歩ませていただきましょう。

 

最後に24節と25節をご覧ください。

「この女は男の子を産み、その子をサムソンと名づけた。その子は大きくなり、主は彼を祝福された。主の霊は、ツォルアとエシュタオルの間の、マハネ・ダンで彼を揺り動かし始めた。」

 

主の使いの言ったとおり、マノアの妻は男の子を産み、その子を「サムソン」と名づけました。「サムソン」という名前は、「太陽」という意味の言葉から来ています。いわば、「太陽の子」という意味です。それはまた、彼の使命を象徴している名前でもありました。彼はイスラエルの民をペリシテ人の圧政から救い出す太陽となるからです。主が彼を祝福してくださったので、彼は大きく成長して行きました。それは肉体的にというだけでなく、知的にも、霊的にも、です。そして、彼が大きく成長して行ったとき、主の霊が彼を揺り動かしました。「マハネ・ダン」とは、「ダンの陣営」という意味です。主はダンの陣営で、彼を揺り動かし始めたのです。

 

このサムソンの姿には、いくつかの点でイエス・キリストとの類似点があります。たとえば、その出産が通常とは違っていたという点です。サムソンの母は不妊の女でしたが、主の助けによって男の子を身ごもりました(ルカ1:34-35)。そして、主イエスの母マリヤも処女でしたが、いと高き方の力、聖霊の力によって男の子を宿しました。また、サムソンは「太陽の子」という意味の名前でしたが、イエス・キリストは、「すべての人を照らすまことの光」(ヨハネ1:9)と呼ばれました。さらに、サムソンが主の祝福を受けて成長したように、主イエスも、神の恵みがその上にあったので、成長し、強くなり、知恵に満ちて行きました(ルカ2:40)。そして何よりも、サムソンも主イエスも、主の霊に揺り動かされて活動されました。つまり、サムソンは来るべきメシヤのひな型であったのです。私たちも、主の霊に揺り動かされ、主の霊に満たされて、神から与えられた使命を全うさせていただけるように祈りましょう。

士師記12章

士師記12章からを学びます。まず1節から7節までをご覧ください。

 

Ⅰ.エフライム人との内紛(1-7)

 

「エフライム人が集まってツァフォンへ進んだとき、彼らはエフタに言った。「なぜ、あなたは進んで行ってアンモン人と戦ったとき、一緒に行くように私たちに呼びかけなかったのか。あなたの家をあなたもろとも火で焼き払おう。」

エフタは彼らに言った。「かつて、私と私の民がアンモン人と激しく争ったとき、私はあなたがたに助けを求めたが、あなたがたは彼らの手から私を救ってくれなかった。あなたがたが救ってくれないことが分かったので、私はいのちをかけてアンモン人のところへ進んで行った。そのとき、主は彼らを私の手に渡されたのだ。なぜ、あなたがたは今日になって、私のところに上って来て、私と戦おうとするのか。」

エフタはギルアデの人々をみな集めてエフライムと戦った。ギルアデの人々はエフライムを打ち破った。これは、エフライムが「あなたがたはエフライムからの逃亡者だ。ギルアデ人はエフライムとマナセのうちにいるべきだ」と言ったからである。

ギルアデ人はさらに、エフライムに面するヨルダン川の渡し場を攻め取った。エフライムの逃亡者が「渡らせてくれ」と言うとき、ギルアデの人々はその人に、「あなたはエフライム人か」と尋ね、その人が「そうではない」と答えると、その人に、「『シボレテ』と言え」と言い、その人が「スィボレテ」と言って、正しく発音できないと、その人を捕まえてヨルダン川の渡し場で殺した。こうしてそのとき、四万二千人のエフライム人が倒れた。

エフタはイスラエルを六年間さばいた。ギルアデ人エフタは死んで、ギルアデの町に葬られた。

 

エフタがアンモン人との戦いを終えると、エフライム人がツァフォンに進み、エフタに詰め寄って来てこう言いました。「なぜ、あなたは進んで行ってアンモン人と戦ったとき、一緒に行くように私たちに呼びかけなかったのか。あなたの家をあなたもろとも火で焼き払おう。」

彼らの不満は、エフタがアンモン人と戦う際になぜ自分たちに声をかけなかったのかということでした。エフライム族は、マナセ族とともにヨセフ族から枝分かれした部族です。そのエフライム族が、どうしてここでエフタに不満を述べたのでしょうか。それは彼らには、自分たちこそ卓越した部族であるという自負心があったからです。その自負心が高ぶりとなって表面化することがたびたびありました。

 

たとえば、ヨシュア記17章14節のところには、土地の分割の際にヨシュアに詰め寄り、「あなたはなぜ、私たちにただ一つのくじによる相続地、ただ一つの割り当て地しか分けてくださらないのですか。これほどの数の多い民になるまで、主が私を祝福してくださったのに。」と言っています。自分たちは主に祝福された特別な部族だと主張したわけです。それに対してヨシュアは、「あなたが数の多い民であるなら、森に上って行って行きなさい。そこでペリジ人やれふぁいむ人の地を切り開くがよい。エフライムの山地はあなたには狭すぎるのだから。」(ヨシュア17:15)と答えました。ヨシュアが言ったことはもっともなことでした。そんなに主に祝福された者であるなら、そんなに数の多い民であるなら、自分たちで切り開けばいいではないか。それなのに、そのことでつべこべ言っているのは、彼ら自身の中に問題があるからではないかと諫めたわけです。

 

また、士師記8章1節でも、ギデオンがミディアン人との戦いを終えた後に彼のところに詰め寄り、「あなたは私たちに何ということをしたのか。ミディアン人と戦いに行くとき、私たちに呼びかけなかったとは。」(8:1)と激しく責めました。この時はギデオンが彼らをなだめ、平和的な解決を図りましたが、今回は違います。エフタは強硬な姿勢で対応しました。

 

2節と3節をご覧ください。そうしたエフライム人のことばに対して、かつてエフタがアンモン人と戦った際に、エフライム族に呼びかけたものの、彼らが出て来なかったからだと語り、自分を脅迫するのは筋違いだと反論します。そして、ギルアデの人々をみな集めてエフライムと戦い、彼らを打ち破ったのです。それは、エフライムが、「あなたがたはエフライムからの逃亡者だ。ギルアデ人はエフライムとマナセのうちにいるべきだ」と言ったからです。エフライムは、ギルアデ人のことを侮辱して、逃亡者呼ばわりしました。それは、異母兄弟たちから追い出され、逃亡者となった経験があったエフタにとっては断じて受け入れられることではなく、逆に彼の神経を逆なですることになりました。

 

ついに、あってはならない部族間の内紛が勃発しました。ギルアデの人々は、エフライムに面するヨルダン川の渡し場を攻め取り、エフライムの逃亡者が「渡らせてくれ」と言うとき、その人がエフライム人かどうかを方言によって見分け、もしエフライム人ならその場で殺しました。すなわち、その人に「『シボレテ』と言え」と言い、その人が「スィボレテ」と言って、正しく発音できないと、その人を捕まえてヨルダン川の渡し場で殺したのです。こうして四万二千人のエフライム人が倒れました。

 

元はと言えば、エフライム人の高ぶりがこの悲劇の原因でした。箴言16章18節に、「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。」とあります。心の高慢は、隣人との間に争いを生み、やがてその人を滅ぼしていくようになります。あなたはどうでしょうか。隣人との間に平和がありますか。もし争いがあるとしたら、あなたの中にエフライムのような自負心や高ぶりがあるからかもしれません。へりくだって.自分の心を点検してみましょう。

 

Ⅱ.9番目の士師イブツァン(8-10)

 

次に8節から10節までをご覧ください。ここには、9番目の士師でイブツァンのことが記されてあります。

「彼の後に、ベツレヘム出身のイブツァンがイスラエルをさばいた。彼には三十人の息子がいた。また、彼は三十人の娘を自分の氏族以外の者に嫁がせ、息子たちのために、よそから三十人の娘たちを妻に迎えた。彼は七年間イスラエルをさばいた。イブツァンは死んで、ベツレヘムに葬られた。」

 

「イブツァン」という名前の意味は「速い」です。その名に相応しく、彼についての言及はわずか3節だけです。彼はベツレヘムの出身で、三十人の息子と、三十人の娘がいました。それだけ彼は裕福であり、権力を持っていたということでしょう。しかし、何と言っても彼の特徴は、その三十人の娘たちを自分の氏族以外の者に嫁がせ、自分の息子たちのためには、よそから三十人の娘たちを迎えたという点です。なぜこんなことをしたのでしょうか。彼は、息子と娘たちを他の氏族と結婚させることによって争いを回避し、平和を確保しようとしたのです。いわば、それは政略結婚だったのです。このようなことは日本の戦国時代ではよく行われていたことでしたが、当時の士師たちの間では珍しいことでした。彼はこのようなことによって氏族の結束を強めようと思ったのかもしれません。

 

Ⅲ.10番目の士師エロンと11番目の士師アブドンの時代(11-15)

 

最後に、10番目の士師エロンと11番目の士師アブドンを見て終わります。11節から15節までをご覧ください。

「彼の後に、ゼブルン人エロンがイスラエルをさばいた。彼は十年間イスラエルをさばいた。ゼブルン人エロンは死んで、ゼブルンの地アヤロンに葬られた。

彼の後に、ピルアトン人ヒレルの子アブドンがイスラエルをさばいた。彼には四十人の息子と三十人の孫がいて、七十頭のろばに乗っていた。彼は八年間イスラエルをさばいた。ピルアトン人ヒレルの子アブドンは死んで、アマレク人の山地にあるエフライムの地ピルアトンに葬られた。」

 

エロンについての言及はもっと短いです。彼については、彼がゼブルン人で、十年間イスラエルをさばいたということ、そして、ゼブルンの地アヤロンに葬られたということだけです。つまり、彼の出身地と士師としてさばいた期間、そして葬られた場所だけです。

 

そして、彼の後に登場するのはピルアトン人ヒレルの子アブドンについての言及も同じで、彼についてもその出身地と生活、そしてさばいた年数、葬られた場所しか記されてありません。

「ピルアトン」とは「丘の頂」という意味で、エフライムにあった町です。ですから、彼はエフライムの出身でした。彼には四十人の息子と三十人の孫がいて、七十頭のろばに乗っていたとあります。当時ろばは高貴な人が乗る動物でしたので、ここから彼は非常に裕福で、社会的地位が高かった人物であったことがわかります。彼が士師としてさばいたのは8年間という短い期間でした。しかし、それは平和と繁栄の時代だったのです。

 

このエロン、アブトンがイスラエルをさばいたのはわずか18年間という短い期間でしたが、それは10章1~5節で見てきたトラやヤイルの時代のように、平和と繁栄の時代でした。それはトラとヤイルの時のように特記すべきことが少ない平凡な日々の積み重ねであったかもしれませんが、それこそが神の恵みだったのです。それは何よりも神が与えてくださった秩序の中で、互いに神を見上げ、神とともに歩んだということの表れでもあります。何気ない当たり前の平凡な日々中に隠されている主の恵みに目を留める者でありたいと思います。そして、そのような中で一生を終えこの世を去っていく人こそ、本当に幸いな人生を歩んだ人と言えるのです。あなたにとっての幸いな人生とは、どのような人生でしょうか。

士師記11章

士師記11章からを学びます。まず1節から11節までをご覧ください。

 

Ⅰ.第8番目の士師エフタ(1-11)

 

「さて、ギルアデ人エフタは勇士であったが、彼は遊女の子であった。エフタの父親はギルアデであった。ギルアデの妻も、男の子たちを産んだ。この妻の子どもたちが成長したとき、彼らはエフタを追い出して、彼に言った。「あなたはほかの女の息子だから、私たちの父の家を継いではならない。」そこで、エフタは兄弟たちのところから逃げて行き、トブの地に住んだ。エフタのもとには、ならず者が集まっていて、彼と一緒に出入りしていた。

それからしばらくして、アンモン人がイスラエルに戦争を仕掛けてきた。アンモン人がイスラエルに戦争を仕掛けてきたとき、ギルアデの長老たちはトブの地からエフタを連れ戻そうと出かけて行き、エフタに言った。「来て、私たちの首領になってください。そしてアンモン人と戦いましょう。」

エフタはギルアデの長老たちに言った。「あなたがたは私を憎んで、父の家から追い出したではないか。苦しみにあったからといって、今なぜ私のところにやって来るのか。」すると、ギルアデの長老たちはエフタに言った。「だからこそ、今、私たちはあなたのところに戻って来たのです。あなたは私たちと一緒に行き、アンモン人と戦って、私たちギルアデの住民すべてのかしらになってください。」

エフタはギルアデの長老たちに言った。「もしあなたがたが私を連れ戻してアンモン人と戦わせ、主が彼らを私に渡してくださったなら、私はあなたがたのかしらとなろう。」ギルアデの長老たちはエフタに言った。「主が私たちの間の証人となられます。私たちは必ずあなたの言われるとおりにします。」エフタがギルアデの長老たちと一緒に行き、民が彼を自分たちのかしらとし、首領としたとき、エフタは自分が言ったことをみな、ミツパで主の前に告げた。

 

ギデオンの子アビメレクの死後、イスラエルを救うために立ちあがったのは、イッサカル人、ドドの子プワの息子トラでした。彼について聖書は多くを語っていませんが、彼は23年間イスラエルをさばきました。それは平凡な日々の積み重ねであったかもしれませんが、そうした平凡な中にも主の恵みがあったのです。

 

そして次に立ちあがったのがギルアデ人ヤイルでした。彼は非常に裕福で、権力がありましたが、何といっても彼がギルガルから出たということが、彼の特質すべきことでした。ギルアデはヨルダン川の東側の地にあり、早くに異教化していった地です。そんなギルアデから士師が出たということは、主はそのような人たちをも忘れていなかったことを示しています。イスラエルは彼によって22年間、平和な時代を過ごしました。

しかし、彼が死ぬと、イスラエルはめいめい主に背き、主の目の前に悪を行いました。それはこれまでのバアルやアシュタロテといった神々に加え、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々、アンモンの神々、ペリシテの神々と、カナンの住民が拝んでいたほとんどすべての神々に仕えるという異常なほどの背きでした。

 

そんなイスラエルに主はあきれかえり、彼らが悔い改めて主に立ち返り、主に叫んでも、「わたしはこれ以上あなたがたを救わない」(10:13)と言われたほどでした。しかし、彼らが真に悔い改めたとき、すなわち、彼らの中から異国の神々を取り除いて主に仕えたとき、主は彼らの苦しみを見るのが忍びなくなり、彼らを救われました。そのために用いられたのがギルアデ人「エフタ」です。彼は八番目の士師となります。

 

1節を見ると、彼の生い立ちについて記されてありますが、彼は遊女の子でした。父親のギルアデ゙には妻がおり、彼女は男の子たちを産んだので、その子どもたちが成長したとき、エフタを追い出したので、彼は兄弟たちのところから逃げてトブの地に住みました。彼の周りにはならず者が集まっていましたが、これが彼らに戦闘の経験を与えました。彼らは生活のために敵の領土に侵入し、食物や生活の必需品などを略奪していたからです。

 

人は、その人自身の生き方や生活によって評価されるべきであって、両親の地位や家系によって判断されるべきではありません。そういう意味で、エフタは不幸な取り扱いを受けましたが、主はそんなエフタをイスラエルの士師としてお立てくださいました。それは、その人の生き方はその人の家柄や両親の地位とは全く関係ないことを示すためでもあったのです。

 

さて、アンモン人がイスラエルに戦争をしかけてきたとき、ギルアデの長老たちはトブの地からエフタを連れ戻そうと出かけて行きました。彼らは、この戦いに勝利するためには、強力なリーダーが必要であると感じていたからです。

エフタは当初、その申し出に反発しました。「あなたがたは私を憎んで、父の家から追い出したではないか。それなのに、苦しみにあったからと言って、今なぜ私のところにやってくるのか。」と。しかし、彼はギルアデの長老たちのお詫びの言葉を聞いて怒りを鎮めました。そして、もし主が彼らを自分に渡してくれたのなら、自分がギルアデ人のかしらになることを条件に、アンモン人との戦いに出て行くことを了承しました。

 

もしエフタが命がけでアンモン人と戦い、ギルアデ゙人を救うことができたなら、彼がギルアデ人のかしらになることは当然のことです。なぜなら、彼は命をかけてたたかったのだからです。それは主イエスにおいても言えることです。主イエスは私たちのために命を捨ててくださいました。罪人の救い主となられたのです。であれば、このイエスによって救われた者が、この方を主(かしら)として受け入れるのは当然のことです。あなたは、あなたの救い主を主(かしら)として仰いでおられるでしょうか。

 

Ⅱ.アンモン人との戦い(12-28)

 

次に12節から28節までをご覧ください。

「エフタはアンモン人の王に使者たちを遣わして言った。「あなたは私とどういう関わりがあるのですか。私のところに攻めて来て、この国と戦おうとするとは。」

すると、アンモン人の王はエフタの使者たちに答えた。「イスラエルがエジプトから上って来たとき、アルノン川からヤボク川、それにヨルダン川に至るまでの私の土地を取ったからだ。今、これらの地を穏やかに返しなさい。」

エフタは再びアンモン人の王に使者たちを遣わして、こう言った。「エフタはこう言う。イスラエルはモアブの地も、アンモン人の地も取ってはいない。イスラエルはエジプトから上って来たとき、荒野を通って葦の海まで歩き、それからカデシュまで来た。そこでイスラエルはエドムの王に使者たちを遣わして言った。『どうか、あなたの国を通らせてください』と。ところが、エドムの王は聞き入れなかった。同様にモアブの王にも使者たちを遣わしたが、彼も受け入れなかったので、イスラエルはカデシュにとどまった。それから荒野を行き、エドムの地とモアブの地を迂回し、モアブの地の東まで来て、アルノン川の対岸に宿営した。しかし、モアブの領土には入らなかった。アルノンはモアブの国境だったからだ。そこでイスラエルは、ヘシュボンの王で、アモリ人の王シホンに使者たちを遣わして言った。『どうか、あなたの国を通らせて、目的地に行かせてください』と。しかし、シホンはイスラエルを信用せず、その領土を通らせなかったばかりか、兵をみな集めてヤハツに陣を敷き、イスラエルと戦った。イスラエルの神、主が、シホンとその兵全員をイスラエルの手に渡されたので、イスラエルは彼らを打ち破った。そしてイスラエルは、その地方に住んでいたアモリ人の全地を占領した。こうしてイスラエルは、アルノン川からヤボク川まで、および荒野からヨルダン川までのアモリ人の全領土を占領したのだ。今すでに、イスラエルの神、主が、ご自分の民イスラエルの前からアモリ人を追い払われたというのに、あなたはその地を取ろうとしている。あなたは、あなたの神ケモシュがあなたに占領させようとする地を占領しないのか。私たちは、私たちの神、主が、私たちの前から追い払ってくださる者の土地をみな占領するのだ。今、あなたはモアブの王ツィポルの子バラクよりもまさっているだろうか。彼はイスラエルと争ったり、戦ったりしたことがあったか。

イスラエルが、ヘシュボンとそれに属する村々、アロエルとそれに属する村々、アルノン川の川岸のすべての町に三百年間住んでいたのに、なぜあなたがたは、その間にそれを取り戻さなかったのか。私はあなたに罪を犯していないのに、あなたは私に戦いを挑んで、私に害を加えようとしている。審判者であられる主が、今日、イスラエル人とアンモン人の間をさばいてくださるように。」

しかし、アンモン人の王はエフタが送ったことばを聞き入れなかった。」

 

エフタはアンモン人の王に使者を遣わして、「あなたは私とどういうかかわりがあるのですか。私のところに攻めて来て、この国と戦おうとするとは。」と問いかけました。

するとアンモン人の王はエフタの使者たちに答えます。イスラエルがエジプトから上って来たとき、アルノン川からヤボク川、それにヨルダン川に至るまでの土地を取ったからだと。その地を今すぐ、穏やかに返しなさい・・と。巻末の地図をご覧いただくとわかりますが、アルノン川とは死海に向かって流れている川で、ヤボク川とはその北にありヨルダン川に流れている川です。その間に、ルベン族とガド族の相続地がありますが、イスラエルはその土地を取ったからだ、と訴えているのです。

 

そこでエフタは再びアンモン人の王に使者たちを遣わし、歴史を回顧して、モーセに率いられてイスラエルが戦ったのは、アモリ人の二人の王シホンとオグであって、アンモン人やモアブ人、エドム人ではなかったと告げています。彼らがイスラエルを信用せず、その領土を通らせなかったので、仕方なく戦わざるを得ませんでしたが、イスラエルの神、主が、シホンとその兵全員をイスラエルの手に渡されたので、イスラエルは彼らを打ち破ることができたため、その地方に住んでいたアモリ人の全域、すなわち、アルノン川からヤボク川まで、および荒野からヨルダン川までのアモリ人の全領土を占領するようになったのです。だから、それはアンモン人とは全く関係のない話なのです。

 

このようにしてみると、エフタはイスラエルの民の歴史に精通していたことがわかります。つまり、モーセの律法をよく学んでいたということです。神は、幼子のような素直な信仰を喜ばれますが、決して、無知であることを望んではおられません。ペテロ第一3章15節には、「むしろ、心の中でキリストを主とし、聖なる方としなさい。あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい。」とあります。私たちも、信仰に関する質問を受けた時、自らの信じる内容を順序立てて説明できるようにしておきたいものです。

 

エフタの説明はこれだけで終わりません。彼は、イスラエルの神、主がアモリ人の王シホンとその勢力を追い払われたのであって、アンモン人がその地を奪い返そうとするのは間違いであること、それに25節を見ると、モアブの王ツィポルの子バラクでさえ、イスラエルと戦うことを断念したというのに、それよりも劣るアンモン人が戦いを挑んでくるなんて考えられない。そんな無茶なことはすべきではない、と言いました。

 

さらに、26節と27節には、イスラエルがカナンに定住して以来、ヨルダンの東側の地に三百年も住んでいたのだから、もしアンモン人に不満があったのなら、なぜもっと早く申し立てて、土地を取り戻さなかったのか、今になって無理難題を投げかけてくるのはおかしいではないか、と言うのです。

 

こうしたエフタの順序立てた説明を聞いても、アンモン人の王は聞き入れませんでした。どうしてでしょうか。それは、主なる神への挑戦であったからです。心を頑なにし、神の警告や説得に耳を傾けようとしない人は、愚か者です。このような人は、必ず自らが下す愚かな判断の刈り取りをするようになります。あなたは、どうでしょうか。心を柔らかくして、神のことばを聞いているでしょうか。

 

Ⅲ.エフタの誓願(29-40)

 

次に、29節から40節までをご覧ください。

「主の霊がエフタの上に下ったとき、彼はギルアデとマナセを通り、ギルアデのミツパを経て、そしてギルアデのミツパからアンモン人のところへ進んで行った。

エフタは主に誓願を立てて言った。「もしあなたが確かにアンモン人を私の手に与えてくださるなら、私がアンモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る者を主のものといたします。私はその人を全焼のささげ物として献げます。」こうして、エフタはアンモン人のところに進んで行き、彼らと戦った。主は彼らをエフタの手に渡された。彼はアロエルからミニテに至るまでの二十の町、またアベル・ケラミムに至るまでを非常に激しく討ったので、アンモン人はイスラエル人に屈服した。

エフタがミツパの自分の家に帰ると、なんと、自分の娘がタンバリンを鳴らし、踊りながら迎えに出て来ているではないか。彼女はひとり子で、エフタには彼女のほかに、息子も娘もなかった。エフタは彼女を見るや、自分の衣を引き裂いて言った。「ああ、私の娘よ、おまえは本当に私を打ちのめしてしまった。おまえは私を苦しめる者となった。私は主に向かって口を開いたのだから、もう取り消すことはできないのだ。」

すると、娘は父に言った。「お父様、あなたは主に対して口を開かれたのです。口に出されたとおりのことを私にしてください。主があなたのために、あなたの敵アンモン人に復讐なさったのですから。」娘は父に言った。「このように私にさせてください。私に二か月の猶予を下さい。私は山々をさまよい歩き、自分が処女であることを友だちと泣き悲しみたいのです。」

エフタは、「行きなさい」と言って、娘を二か月の間、出してやったので、彼女は友だちと一緒に行き、山々の上で自分が処女であることを泣き悲しんだ。

二か月が終わって、娘は父のところに帰って来たので、父は誓った誓願どおりに彼女に行った。彼女はついに男を知らなかった。イスラエルではしきたりができて、年ごとに四日間、イスラエルの娘たちは出て行って、ギルアデ人エフタの娘のために嘆きの歌を歌うのであった。」

 

 

主の霊がエフタに下った時、彼はギルアデとマナセを通り、ギルアデのミツパを経て、そしてギルアデのミツパからアンモン人のところへ進んで行きました。その時彼は誓願立てて言いました。誓願とは何でしょうか。誓願とは、神に誓いをたて、事の成就を願うことです。30節、31節をご覧ください。

「もしあなたが確かにアンモン人を私の手に与えてくださるなら、私がアンモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る者を主のものといたします。私はその人を全焼のささげ物として献げます。」

すると主はエフタの願いどおり彼らをエフタの手に渡されました。問題は、エフタがミツパの自分の家に帰った時です。なんと、自分の娘がタンバリンを鳴らし、踊りながら迎えに出て来たのです。彼女はひとり子で、エフタには彼女のほかに、息子も娘もいませんでした。その彼女が家から最初に出てきたのです。

エフタは唖然としました。なぜなら、彼は、自分がアンモン人のところから無事に帰ることができたのなら、自分の家の戸口から自分を迎えに出てくるものを、全焼のいけにえとして主にささげると誓ったからです。娘をささげるということは、娘が子を産まなくなるということであり、それは自分の名が絶えることを意味していました。これは私たちが想像する以上の呪いでした。エフタは彼女を見るや、自分の衣を引き裂いて、嘆きました。

 

いったいなぜ彼はそのような誓願をしてしまったのでしょうか。おそらく、自分が家に帰ったとき、自分の家の戸口から迎えに出てくるのは自分のしもべたちの内のだれかだと思ったのでしょう。まさか娘が出てくるとは思わなかったのです。それに、アンモン人との戦いは激しさを増し、何としても勝利を得たいという気持ちが、性急な誓いという形となって出てきたのでしょう。

 

こうした性急な誓いは後悔をもたらします。また、神へ誓いは、神に何かをしていただくためではなく、すでに受けている恵みに対する応答としてなされるべきです。ですから、エフタの請願は、信仰の表れというよりは、むしろ彼が抱いていた不安の表れにすぎなかったのです。

 

このように軽々しく誓うことが私たちにもあります。それが自分の力ではどうすることもできないと思うような困難に直面したとき、「神様助けてください。もし神様がこの状況を打開してくださるのなら、私の・・・をささげます」というようなことを言ってしまう傾向があるのです。イエス様は「誓ってはいけません。」と言われました。誓ったのなら、それを最後まで果たさなければなりません。果たすことができないのに誓うということは、神との契約を破ることであり、神の呪いを招くことになってしまいます。エフタは自分の直面している困難な状況を、誓願を通して乗り越えようとしましたが、軽々しく誓うべきではなかったのです。

 

ところで、旧約聖書の律法によれば、この時エフタは娘をささげなくても良かったはずです。というのは、申命記12章31節には、「あなたの神、主に対して彼らのように礼拝してはならない。彼らは主が憎むあらゆる忌み嫌うべきことをその神々に行い、自分たちの息子、娘を自分たちの神々のために火で焼くことさえしたのである。」とあるからです。

 

ではどうすれば良かったのでしょうか。そこで律法では、もし人間そのものをささげたいのであれば、その評価額として金銭を神殿にささげるようにと定められていたのです。それはレビ記27章1~8節にはこのようにあります。

「主はモーセにこう告げられた。 「イスラエルの子らに告げよ。人が人間の評価額にしたがって主に特別な誓願を立てるときには、その評価額を次のとおりにする。二十歳から六十歳までの男子なら、その評価額は聖所のシェケルで銀五十シェケル。女子なら、その評価額は三十シェケル。 五歳から二十歳までなら、その男子の評価額は二十シェケル、女子は十シェケル。一か月から五歳までなら、男子の評価額は銀五シェケル、女子の評価額は銀三シェケル。六十歳以上なら、男子の評価額は十五シェケル、女子は十シェケル。その人が落ちぶれていて評価額を払えないなら、その人を祭司の前に立たせ、祭司が彼の評価をする。祭司は誓願をする者の能力に応じて彼を評価する。」

 

それなのに、エフタが娘をささげたのはどうしてなのでしょうか。それは、彼が無知であったか、頑なであったかのどちらかです。彼は戦いについて、イスラエルの神が戦ってくださることをよく知っていました。またイスラエルの歴史もよく知っていました。彼は神への信仰と、神のことばである律法をきちんと持っていました。それなのに彼が娘を神にささげたのは、聖書の知識が足りなかったからか、彼の心が頑なだったからかのどちらかであった考えられます。

 

結局彼女はどうなったでしょうか。彼女は二か月の猶予をもらい、自分の友達と一緒に山へ行き、自分が処女であることを嘆き悲しみました。そして、二か月が終わって、父のところに帰ったとき、エフタは誓った請願のとおりに彼女に行いました。

 

ここにエフタは誓願のとおりに娘に行ったとありますが、誓願のとおりとはどういうことでしょう?二つの解釈があります。一つは、彼女は文字通り全焼のいけにえとして殺されたということ、そしてもう一つは、彼女は終生幕屋で仕えるために主に捧げられたということです。どちらが正しいかはわかりません。しかし、37節以降の娘の言動を見ると、処女であることを悲しんだということが強調されてあるので、終生神の幕屋で仕えるために主にささげられたと考えられます。それにこれが「主の霊がエフタの上に降ったとき」(29)に立てられた誓願であることや、モーセの律法自体が、人間のいけにえを禁じているということから考えても、主がそのようないけにえを喜ばれるはずがないからです。

しかし、この士師時代の混迷していた時代のことを考えると、やはり文字通り全焼のいけにえとしてささげられたと考えるのが自然だと思います。それは神が喜ばれることではありませんでしたが、エフタは神に誓ったとおりに彼女を全焼のいけにえとしてささげたのです。

 

しかし、いずれにせよ、エフタは勢いに任せて安易に神に誓ったことは確かです。その結果、彼は後悔することになりました。私たちは、自ら発する言葉に注意し、いつも主の言葉に従って生きる者とさせていただきましょう。