士師記の最後の学びとなりました。きょうは21章からを学びます。まず1節から7節までをご覧ください。
Ⅰ.愚かな誓い(1-7)
「イスラエルの人々はミツパで、「私たちはだれも、娘をベニヤミンに妻として与えない」と誓っていた。民はベテルに来て、そこで夕方まで神の前に座り、声をあげて激しく泣いた。彼らは言った。「イスラエルの神、主よ。なぜ、イスラエルにこのようなことが起こって、今日イスラエルから一つの部族が欠けるようになったのですか。」翌日になって、民は朝早く、そこに一つの祭壇を築いて、全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げた。イスラエルの子らは、「イスラエルの全部族のうち、だれが、集団の一員として主のもとに上って来なかったのか」と言った。これは彼らが、ミツパの主のもとに上って来なかった者について、「その者は必ず殺されなければならない」と堅く誓いを立てていたからである。イスラエルの子らは、その同胞ベニヤミンのことで悔やんで言った。「今日、イスラエルから一つの部族が切り捨てられた。あの残った者たちに妻を迎えるには、どうすればよいだろうか。私たちは主によって、自分たちの娘を彼らに妻として与えないと誓ってしまったのだ。」
イスラエルがエジプトの地から上って来た日以来、見たことも、聞いたこともないような事件が起こりました。ベニヤミン領のギブアの町に宿泊していたレビ人の側目が、ギブアのよこしまな者たちに犯され、殺されてしまったのです。彼女の肢体を12の部分に切り分け、それをイスラエル全土に送ると、イスラエルの子らは、ミツパの主のもとに集まり、ベニヤミン族と戦うことを決めました。初めは、ギブアにいるよこしまな者たちを引き渡すようにというだけの要求でしたが、ベニヤミンがそれを拒絶したので、イスラエル人40万の兵士とベニヤミン族2万6千人の兵士との間に戦いが勃発しました。
主がイスラエルの前でベニヤミンを討たれたので、イスラエルの子らは、ベニヤミンの兵士2万5千人を討ち、無傷のままだった町も家畜も、すべて剣の刃で討ち、また見つかったすべての町に火を放ちました。
1節から4節までをご覧ください。このベニヤミンとの戦いの前に、イスラエルの人々はミツパで、一つの誓いを立てていました。それは、「私たちはだれも、娘をベニヤミンに妻として与えない。」というものです。イスラエル人はベニヤミン族との戦いには勝利しましたが、このことで、ベニヤミン族が消滅しかねない現実に悲しくなり、ベテルに来て、そこで神の前に座り、声をあげて激しく泣きました。ベニヤミン族は、女性も子どもも殺されてしまい、残っていたのは男子600人だけでした。しかし、その600人に自分たちの娘たちを妻として与えることはできません。そう誓っていたからです。
これはあのエフタの時の過ちと同じです。エフタは、アンモン人との戦いにおいて、「もしあなたが確かにアンモン人を私の手に与えてくださるなら、私がアンモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る者を主のものといたします。私はその人を全焼のささげ物として献げます。」(士師11:30-31)と誓いを立てました。その誓いのとおりに、エフタがアンモン人を打ち破り家に帰ると、自分の家から出て来たのは、なんと自分のひとり娘でした。それで彼は、その誓った誓願のとおりに彼女に行いました。同じです。あの時、彼はなぜそのような誓願を立ててしまったのでしょうか。
おそらく、自分が家に帰ったとき、自分の家の戸口から迎えに出てくるのは自分のしもべたちの内のだれかだと思ったのでしょう。まさか娘が出てくるとは思わなかったのです。それに、アンモン人との戦いは激しさを増し、何としても勝利を得たいという気持ちが、性急な誓いという形となって表れたのでしょう。
ここでも同じです。ベニヤミン族との激しい戦いによって、イスラエル軍は二度の敗北を喫していました。そのような中で何としても勝利したいという思いが、こうした誓いとなって表れたのです。けれども、こうした神の前での誓いは、一旦誓ったら取り消すことができませんでした。こうした性急な誓いは後悔をもたらします。神へ誓いは、神に何かをしていただくためではなく、すでに受けている恵みに対する応答としてなされるべきですが、エフタにしても、この時のイスラエルにしても、自分たちの中にある不安が、こうした誓いとなって表れたのです。
このように軽々しく誓うことが私たちにもあります。自分の力ではどうすることもできないと思うような困難に直面したとき、「神様助けてください。もし神様がこの状況を打開してくださるのなら、私の・・・をささげます」とか、「自分の娘たちを嫁がせません」というようなことを言ってしまうことがあるのです。イエス様は「誓ってはいけません。」と言われました。誓ったのなら、それを最後まで果たさなければなりません。果たすことができないのに誓うということは、神との契約を破ることであり、神の呪いを招くことになります。イスラエルのこうした誓いは、結局、彼らに後悔をもたらすことになってしまったのです。
Ⅱ.ヤベシュ・ギルアデの娘たち(8-15)
それで彼らはどうしたでしょうか。8-15節までをご覧ください。
「そこで、彼らは「イスラエルの部族のうちで、どの部族がミツパに、主のもとに上って来なかったのか」と言った。見ると、ヤベシュ・ギルアデから陣営に来て、集団に加わっている者は一人もいなかった。民が点呼したところ、ヤベシュ・ギルアデの住民が一人もそこにいなかった。会衆は、一万二千人の勇士をそこに送って命じた。「行って、ヤベシュ・ギルアデの住民を剣の刃で討て。女も子どもも。これは、あなたがたが行うべきことである。すべての男、そして男と寝たことのある女は、すべて聖絶しなければならない。」こうして、彼らはヤベシュ・ギルアデの住民の中から、男と寝たことがなく、男を知らない若い処女四百人を見つけ出した。彼らは、この女たちをカナンの地にあるシロの陣営に連れて来た。そこで全会衆は、リンモンの岩にいるベニヤミン族に人を遣わして、彼らに和解を呼びかけた。そのとき、ベニヤミンが戻って来たので、ヤベシュ・ギルアデの女のうちから生かしておいた女たちを彼らに与えたが、彼らには足りなかった。民はベニヤミンのことで悔やんでいた。主がイスラエルの部族の間を裂かれたからである。」
そこで、イスラエルの子らは、イスラエルの全部族のうち、だれが、集団の一員として主のもとに上って来なかったのかを尋ねます。というのは、彼らは、もう一つの誓いを立てていたからです。それは、ミツパの主のもとに上って来なかったものについて、その者は必ず殺されなければならないというものでした。それで彼らは、ベニヤミンの残りの者たちに妻を迎えるために、その部族の者たちの中から妻として彼らに与えようと考えました。
すると「ヤベシュ・ギルアデ」(ヨルダン川の東岸の町)の者が参戦していなかっことがわかりました。それで彼らは、1万2千人の勇士をそこに送り、その町の住民を剣の刃で聖絶し、その中から男と寝たことがなく、男を知らない若い処女400人を見つけ出し、シロの陣営に連れて帰り、ベニヤミン族に与えました。しかし、ベニヤミンの残りの者は600人でした。連れて来られた娘たちは400人です。200人足りなかったのです。彼らは、自分たちの過ちを何とか埋めようと考えましたが、そうした人間的な方策で埋められるものではないことに気付きませんでした。
Ⅲ.シロの娘たち(16-25)
それで、イスラエルはどうしたでしょうか。最後に16節から25節までをご覧ください。
「会衆の長老たちは言った。「あの残った者たちに妻を迎えるには、どうすればよいか。ベニヤミンのうちから女が根絶やしにされたのだ。」また言った。「ベニヤミンの逃れた者たちに、跡継ぎがいなければならない。イスラエルから部族の一つが消し去られてはならない。しかし、自分たちの娘を彼らに妻として与えることはできない。イスラエルの子らは『ベニヤミンに妻を与える者はのろわれる』と誓っているからだ。」そこで、彼らは言った。「そうだ。毎年、シロで主の祭りがある。」──この町はベテルの北にあって、ベテルからシェケムに上る大路の日の昇る方、レボナの南にある──彼らはベニヤミン族に命じた。「行って、ぶどう畑で待ち伏せして、見ていなさい。もしシロの娘たちが輪になって踊りに出て来たら、あなたがたはぶどう畑から出て、シロの娘たちの中から、それぞれ自分のために妻を捕らえ、ベニヤミンの地に行きなさい。もし、女たちの父か兄弟が私たちに苦情を言いに来たら、私たちはこう言います。『私たちゆえに、彼らをあわれんでやってください。戦争のときに、私たちは彼ら一人ひとりに妻を取らせなかったし、あなたがたも娘を彼らに与えませんでした。もし与えていたなら、今ごろ、あなたがたは責めある者とされていたでしょう』と。」ベニヤミン族はそのようにした。彼らは女たちを自分たちの数にしたがって連れて来た。彼女たちは、彼らが略奪した踊り手たちであった。それから彼らは出かけて、自分たちの相続地に帰り、町々を再建して、そこに住んだ。イスラエルの子らは、そのとき、そこからそれぞれ自分の部族と氏族のもとに戻り、そこからそれぞれ自分の相続地に出て行った。そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた。」
会衆の長老たちは互いに話し合います。ベニヤミンの残りの者たちに妻を迎えるには、どうすれば良いか。このままでは、ベニヤミン族が、イスラエルから消し去られてしまうことになる。でも、自分たちの娘を彼に与えることはできない。この戦いに上って来なかったヤベシュ・ギルアデから連れて来た若い女たちだけでは足りない。
そこで彼らは、毎年、シロで行われる主の祭りに出てくるシロの娘たちの中から、彼らに妻として与えることにしました。ベニヤミン族の男たちがぶどう畑で待ち伏せして、シロの娘たちが輪になって踊りに出て来たら、彼女たちを襲い、ベニヤミンの地に連れて行くようにと命じたのです。この祭りは、おそらく過越しの祭りでしょう。モーセの姉ミリヤムは、出エジプトの際に踊りましたが、それを覚えて踊っていたものと思われます。このように、彼らは娘たちを略奪して、自らの部族の再建に取りかかったのです。
果たしてこれが、この問題の解決にとって最善だったのでしょうか。彼らの性急な誓いが間違っていたことを認めて、罪過のためのいけにえをささげ、神に赦しを乞うことが必要だったのではないでしょう。しかし、彼らは自分たちの誤りを認めて、神の前に悔い改めるよりも、自分たちの手で解決しようと躍起になっていました。すべてが後手に回っています。いったい何が問題だったのでしょうか。
「イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた。」
これがすべての問題の原因です。イスラエルには王がいなかったので、それぞれが自分たちの目に良いと見えることを行っていました。神様の目に良いことではなく、自分たちの目に良いと思われることを行っていたのです。
これは何もイスラエルに限ったことではありません。私たちもイエス・キリストを王としていないと、このようなことが起こってきます。そして、すべてが後手に回ってしまうことになります。私たちが求めなければならないのはこうしたことではなく、神の目に正しいことは何かということです。神の目に正しいことは何か、何が良いことで神に受け入れられるのかということです。そのためには、いつも私たちの心にイエス・キリストを王として迎え、この方の御心に従って生きることです。この士師記全体を通して教えられることは、主をおのれの喜びとせよ、ということです。
「主に信頼し善を行え。地に住み誠実を養え。主を自らの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」(詩篇37:3-5)
主をおのれの喜びとすること、主を第一とし、主に従って生きることが、暗黒の中にあっても光の中をまっすぐに生きる秘訣なのです。
現代はまさに暗黒です。だからこそ、自分の思いや考えではなく、主を王として、おのれの喜びとすることが求められているのではないでしょうか。