エレミヤ5章1~19節「義人はいない、一人もいない」

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エレミヤ書5章に入ります。きょうは、エレミヤ5章1~19節のみことばから、「義人はいない、一人もいない」というタイトルでお話します。これは有名な聖書のみことばの一つです。使徒パウロもローマ書の中で詩篇14篇、並びに53篇を引用し、「義人はいない。一人もいない。」(ローマ3:10)と述べています。この世には何十億という人がいますが、神の目にかなう正しい人は一人もいません。それゆえ、私たちは自分もまたその罪人の一人であることを自覚して、イエス様によって与えられる神の義をまとい、イエス様の御声に聞き従う者でありたいと思います。

きょうはこのことについて、三つのことをお話します。第一に、義人はいない、一人もいないということです。第二のことは、神を求めない者に対する神の訴えです。そして第三に、そのような者に対する神のさばきの実行です。

Ⅰ.義人はいない、一人もいない(1-55)

まず、1~5節までをご覧ください。「1 「エルサレムの通りを行き巡り、さあ、見て知るがよい。その広場を探し回って、もしも、だれか公正を行う、真実を求める者を見つけたなら、わたしはエルサレムを赦そう。2 彼らが、主は生きておられる、と言うからこそ、彼らの誓いは偽りなのだ。」3 「主よ、あなたの目は真実に届かないのでしょうか。あなたが彼らを打たれたのに、彼らは痛みもしませんでした。絶ち滅ぼそうとされたのに、彼らは懲らしめを受けることを拒みました。彼らは顔を岩よりも硬くして、立ち返ることを拒みました。」4 私は思った。「彼らは、卑しい者たちにすぎない。しかも愚かだ。主の道も、自分の神のさばきも知らない。5 だから、身分の高い者たちのところへ行って、その人たちと語ろう。彼らなら、主の道も、自分の神のさばきも知っているから」と。ところが彼らもみな、くびきを砕き、かせを断ち切っていた。」

1節、2節は、エレミヤに対する神のことばです。神はエレミヤに、エルサレムの通りを行き巡り、見て来るように、探して来るようにと言っています。何を見て来るのでしょうか。何を探して来るのでしょうか。そこに公正を行う、真実を求める人がいるかどうかを、です。「公正を行う、真実を求める人」とは、神の目にかなった人のことです。単にいい人であるとか、優しい人であるというのではなく、聖書の基準に従って生きている人、神の目にかなった正しい人のことです。

彼らは口先では「主は生きておられる」と言っていました。これは4章2節にも出てきましたが、そこには中身が伴っていませんでした。ただ口先だけの、偽りの誓いにすぎなかったのです。「偽り」ということばは「真実」の反対語で、「空っぽ」という意味です。つまり、彼らの誓いは空っぽだったのです。口では信じてはいると言っていましたが、行動が伴っていませんでした。主が求めておられたのはそのような空っぽの信仰ではなく、中身が伴った信仰です。そのような人が1人でもいれば、主はその人のゆえに、エルサレムのすべての人を赦そうと言われたのです

この話で思い出すのは、創世記18章のところで、神がアブラハムに告げられたことばです。ソドムとゴモラの罪は非常に大きいので、それを見た主は彼らを滅ぼすと仰せになられました。それでアブラハムは、必死にとりなします。そこに甥のロトが住んでいたからです。それでアブラハムはこう言うのです。「あなたは本当に、正しい者を悪い者とともに滅ぼし尽くされるのですか。もしかすると、その町の中に正しい人が50人いるかもしれません。あなたは本当に彼らを滅ぼし尽くされるのですか。その中にいる50人の正しい者のために、その町をお許しにならないのですか。」(創世記18:23-24)

すると主は、「もしソドムで、わたしが正しい者を50人、町の中に見つけたら、その人たちのゆえにその町のすべてを赦そう。」(創世記18:26)と言われました。

じゃ45人だったらどうですか、30人だったら、20人だったら、10人だったら・・・と、その数を少なくしていきます。値切るように神様と交渉するわけです。おそらく、ロトの家族だけでも10人位はいたので、10人位にしておけば大丈夫だろうと思ったのでしょう。すると主は言われました。もし10人でも、そこに正しい者がいけば、滅ぼさない、と。

しかし、結局、ソドムとゴモラは滅ぼされてしまいました。10人もいなかったのです。でもきょうのところには10人どころじゃありません。1人です。もしもそこに公正と真実を求める正しい人が1人でもいたら、その人のゆえにエルサレムを赦そうと言われたのです。つまり、神様はどこまでも愛の神様であるということです。たった1人でもそこに正しい人がいれば赦してくださる。そしてその1人を最後まであきらめずに捜してくださるのです。本当に小さな可能性まで見出そうとされるのです。

そうしてエレミヤは町に行きました。その結果どうだったでしょうか?3節をご覧ください。「主よ、あなたの目は真実に届かないのでしょうか。あなたが彼らを打たれたのに、彼らは痛みもしませんでした。絶ち滅ぼそうとされたのに、彼らは懲らしめを受けることを拒みました。彼らは顔を岩よりも硬くして、立ち返ることを拒みました。」

顔を岩よりも硬くしてというのはおもしろい表現でするね。日本語にもありますね、堅い表情ということばが。表情は私たちの意志とか思いが表れる場所です。別のことばで言うと、信仰が顔に出ていたということです。神様との関係が顔に出ていました。頑なな顔です。カチカチで、堅い顔になっていました。神様から悔い改めるようにと懲らしめを受けても、受け入れませんでした。堅い甲羅で覆われたアルマジロのように、顔を硬くして、立ち返ることを拒んだのです。人が深刻な病気をして、命からがら助かった人が、その病気の前と後で生活が激変したという人は、だいたい10人に1人くらいしかいないそうです。ここでも、イスラエルは神様から深刻なさばきを受けても全然変わらず、跳ね返してしまうだけでした。神様のさばきが悔い改めの機会とならなかったのです。

いったいどうしてでしょうか。エレミヤは考えました。4~5節をご覧ください。「4私は思った。「彼らは、卑しい者たちにすぎない。しかも愚かだ。主の道も、自分の神のさばきも知らない。5 だから、身分の高い者たちのところへ行って、その人たちと語ろう。彼らなら、主の道も、自分の神のさばきも知っているから」と。ところが彼らもみな、くびきを砕き、かせを断ち切っていた。」

エレミヤは、自分がいくら探しても正しい人を見つけることができなかったのは、卑しい者たちの中から探していたからだと思いました。もっと身分の高い人たちのところへ行って探せば、きっと見つかるはずだと。なぜなら、彼らなら、主の道も、自分の神のさばきも知っているはずだからです。この「主の道」とか「神のさばき」とはいうのは類似語で、神のことばのことを意味しています。貧しい者たちは、仕事とか食べることで忙しくて、神のことばを学んでいる暇がないのだから、主の道を知らないのも無理もないでしょう。でも身分の高い人たちならお金に余裕があるのでそんなに働かなくてもいいし、その分聖書を学ぶことができます。だから神様のこと、神様の道を知っているに違いない。そう思ったのです。実際、エルサレムには神のことばを学ぶ学校があったそうです。そういうところでは祭司とか、預言者とか、レビ人たちが学んでいました。そういう人たちならきっと知っているに違いないと考えたのです。

結果はどうだったでしたか?5節の後半をご覧ください。ここには「ところが彼らもみな、くびきを砕き、かせを断ち切っていた。」とあります。「くびき」とか「かせ」というのは、神の教えとか、律法、聖書のことです。それは、神の民が成長していくうえで欠かすことができないものでした。イエス様も「わたしのくびを負って、わたしから学びなさい。」(マタイ11:29)と言われました。この「くびき」のことです。しかしユダの民はこのくびきを砕き、かせを断ち切ってしまいました。ないがしろにしたのです。

このようにユダの民は、神の民であるにもかかわらず、意識的に、また無意識的に神の教えを無視して、神に逆らっていました。そこには公正と真実を求める人は一人もいなかったのです。それはユダの民、イスラエルだけのことではありません。私たちも同じです。公正と真実を求める人は一人もいません。神の目にかなう正しい人はだれもいないのです。先ほども申し上げましたが、このことを使徒パウロは詩篇のことばを引用してこう言いました。「義人はいない。一人もいない。悟る者はいない。神を求める者はいない。すべての者が離れて行き、だれもかれも無用の者となった。善を行う者はいない。だれ一人いない。」(ローマ3:10-12)

ノーマン・ビンセント・ピール牧師が書いた「聞かれない祈り」という本の中で、こんな逸話が紹介されています。

ピール牧師がまだ少年だったころ、彼は1本の大きくて真黒なシガレットを拾いました。彼は、面白半分に、路地裏に隠れてそのシガレットに火をつけました。味は悪かったのですが、なんとなく大人になったような気がしました。

ところが、近づいてくる父親の姿が目に入りました。彼は急いでシガレットをうしろに隠し、平静を装いました。

父親の感心を他のことに向けるために、彼はサーカスの宣伝が載った大きな広告板を指さしました。

「お父さん、行っていい?この町にサーカスが来たら、行こうよ。」

父親の答えは、ピール少年にとって、一生忘れられない教訓となりました。

父親は静かな声で、しかし、威厳を込めてこう言いました。

「息子よ。不従順の煙がくすぶっている間は、決して願い事をしてはいけないよ。」

皆さん、おわかりでしょうか。私たちは、この少年のように不従順の煙がくすぶらせているのに、「主は生きておられる」と平気で誓いますが、そのような偽りの誓いのゆえに、神のさばきを受けることになります。「すべての人が罪を犯したので、神からの栄誉を受けることはでき」(ローマ3:23)とあるように、すべての人が罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができないのです。それはあなたも例外ではありません。義人はいない。一人もいないのです。それが私たちの姿です。

Ⅱ.神の告訴状(6-13)

それゆえ、彼らに神のさばきが宣告されます。6~13節をご覧ください。6節には「そのため、森の獅子が彼らを殺し、荒れた地の狼が彼らを荒らす。豹が彼らの町々をうかがい、町から出る者をみなかみ裂く。彼らは背くことが多く、その背信がすさまじいからだ。」とあります。

「森の獅子」とか「荒れ地の狼」、「豹」とは、バビロン軍のことを指しています。意識的であろうが、無意識的であろうが、神に背いたイスラエルの民に対して、神はバビロン軍を送り、侵略させるというのです。

このような神のさばきに対して、中には、「えっ、神様はそんなに厳しい方なんですか、「神は愛です」と聖書に書いてあるじゃないですか。それは嘘なんですか」と言う方がいるかもしれません。しかし、そうじゃないんです。神様は赦したいのです。しかし、神の民であるユダがそれを拒んだのです。それが7~13節で語られていることです。いわばこれは神様の告訴状です。

「7 「これでは、どうして、あなたを赦すことができるだろうか。あなたの子らはわたしを捨て、神でないものによって誓っていた。わたしが彼らを満ち足らせると、彼らは姦通し、遊女の家で身を傷つけた。8 彼らは、肥え太ってさかりのついた馬のように、それぞれ隣の妻を慕っていななく。9 これらについて、わたしが罰しないだろうか。──主のことば──このような国に、わたしが復讐しないだろうか。10 ぶどう畑の石垣に上り、それをつぶせ。ただ、根絶やしにしてはならない。そのつるを除け。それらは主のものではないからだ。11 実に、イスラエルの家とユダの家は、ことごとくわたしを裏切った。──主のことば──12 彼らは主を否定してこう言った。『主は何もしない。わざわいは私たちを襲わない。剣も飢饉も、私たちは見ない』と。13 預言者たちは風になり、彼らのうちにみことばはない。彼らはそのようにされればよい。」」

「これでは」というのは、神が警告を与えたにもかかわらず、それでもかたくなって拒み、なおも罪を犯し続けるというのでは、ということです。甚だしいにも程があると。これでは、どうして、あなたを赦すことができるだろうか。できません。これは、裏を返せば赦したいということの表れでもあります。神様は赦したいのです。助けたいのです。でも彼らの側でそれを受け入れようとしません。むしろ、悪に悪を重ねるようなことをしたのです。

7節から、その悪が具体的に挙げられています。まず、彼らは神を捨て、神ではないものによって誓っていました。これは偶像礼拝のことです。このようにまず、神を礼拝するということが破壊されました。それでも恵みをもって彼らを満ち足らせると、今度は姦淫を犯し、遊女の家で身体を傷つけました。これは文字通り姦通したということと、霊的に姦通した、すなわち偶像礼拝を行ったということの両方を含んでいます。というのは、こうした偶像礼拝には、肉体的姦淫が伴っていたからです。

さらに8節をご覧ください。ここには「肥え太ってさかりのついた馬のように、それぞれ隣の妻を慕っていななく。」とあります。「いななく」とは、馬が声高く鳴くことです。「ヒヒ~ン」。それは発情した状態を指しています。理性を失って、完全に情欲と欲望に支配された状態のことです。もうどうにもとまりません。これは十戒の中にある「あなたの隣人の家を欲してはならない。あなたの隣人の妻、男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを欲してはならない。」(出エジプト20:17)を破る罪です。このように、神様との縦の関係が壊れると、人間同士の横の関係が壊れることになります。ですから、9節で主はこう言われるのです。「これらについて、わたしは罰しないだろうか」。このような国に、わたしが復讐しないだろうか。」どうして罰しないでおられるだろうか。復讐しないでおられるだろうか。それはできない、というのです。どこまでもかたくなになって神に背き、罪を犯し続けるならば、神様は罰せずにはおられないのです。罰したくなくても、罰するしかないわけです。それは神様からしたら不本意なことです。なぜなら、神は一人も滅びることなく、すべての人が救われることを望んでおられるからです。Ⅰテモテ2章4節にこうあります。「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。」でも、神の慈愛を無視し、悔い改めずに罪を犯し続けるなら、そうせずにはいられないという、神様の悲痛な思いが伝わってきます。

続く10節にはぶどう畑のたとえが出てきます。この「ぶどう畑」とは、イスラエルのことを指しています。このぶどう畑の石垣に上り、それをつぶせ、というのです。これを命じておられるのは神様です。神様はぶどう畑であるイスラエルの石垣に上り、それをつぶすようにと、バビロンに命じておられるのです。その理由が11節にあります。イスラエルの家とユダの家が、ことごとく主を裏切ったからです。イスラエルの家とは北イスラエル王国のことであり、ユダの家とは、南ユダ王国のことです。北王国イスラエルは既に滅ぼされていました。B.C.722年のことです。アッシリヤ帝国によって滅ぼされました。そして、それが今南ユダ王国にも語られているのです。この後B.C586年に、彼らもバビロンに滅ぼされてしまうことになります。それは、彼らがことごとく神様を裏切ったからです。神様は真剣に彼らに向き合っておられたのに、彼らは自分たちのしていることを深刻に受け止めませんでした。

それは12節を見るとわかります。彼らは主を否定してこう言いました。「主は何もしない。わざわいは私たちを襲わない。剣も飢饉も、私たちは見ない。」

どういうことでしょうか。どんなに主が警告を与えても、それをまともに受け止めようとしなかったということです。そんなことはない、主は何もしないと、高を括って(たかをくくって)いたのです。

そればかりではありません。13節には「預言者たちは風になり、彼らのうちにみことばはない。彼らはそのようにされればよい。」とあります。「風になり」とは実体がないということです。預言者たちの存在はあってないようなものだというのです。この12節と13節のことばは、エレミヤが預言者として何回も聞かされて来た、自分が体験してきたことばでした。彼が預言者として神のことばを語っても、民の方は「なに、預言者か、あいつらは風みたいなもんだ」と馬鹿にしていたのです。それはこのエレミヤが預言のことばを語った時代、それはヨシヤ王の時代ですが、政治的には強大なアッシリヤ帝国の力が弱まっていて、ユダは比較的に平穏だった時代でした。だから民はエレミヤのことばを真剣に受け止めなかったのです。風のように流していたわけです。しかし、神様は侮られるような方ではありません。神のことばが無に帰することは決してないのです。神のことばは必ず成し遂げられるのです。

アメリカの有名なリバイバリストであったD・L・ムーディーは、イエス様を信じて生まれ変わり、最初のうちは喜びに満たされていましたが、しばらくすると生まれ変わった喜びはなくなり、世の楽しみを求め始めるようになりました。そこで彼は山に登って一週間の断食祈祷をして、恵みに満たされて山から下りてきました。しかし、その恵みもしばらくすると消えてしまいました。彼はひどく落胆し、「主よ、私は捨てられた者です」と嘆きました。そんなある日、聖書を読んでいると「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです」(ローマ10:17)というみことばに目が留まりました。その瞬間、彼の心が熱くなりました。「私は聖書を読んでいなかった。だから信仰が育たず、成熟できなかったんだ。」その時から彼は聖書を一生懸命に読みました。すると、彼の生活が変わり変わり始めました。罪と世のことが消え去り、神を求めるようになり、心が聖霊に満たされていったのです。

信仰生活の基本は、神が生きておられると信じることです。そして、その神のことばに生きることなのです。神のみことばに満たされると、みことばが生きて働き、その人を変えていきます。神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通します。そして、そのみことばに従うとき、私たちの生活が変えられていきます。イスラエルの問題はここにありました。みことばを聞きませんでした。主のことばを否定していたのです。つまり、みことばがなかったのです。自分の思いのままに、勝手気ままに生きていました。その結果、神のさばぎか彼らに臨んだのです。神が生きておられると信じるなら、神の御前で生きるようになり、罪を捨てる人生へと導かれていきます。そして、すべてのことにおいて神を認める信仰は、みことばを毎日黙想して従う生活に現れるのです。

Ⅲ.イスラエルを攻める遠くから来る一つの国(14-19)

最後に、14~19節をご覧ください。しかし、主は侮られる方ではありません。「主は何もしない」と言っている間に、民は自分の頭の上に神の怒りを積み上げていました。そして、ついに神の堪忍袋の緒が切れる時がやってきます。神様がみことばで語られた通り、民に対するさばきが実行に移されます。14節には「それゆえ、万軍の神、主はこう言われる。「あなたがたがこのようなことを言ったので、見よ、わたしはあなたの口にあるわたしのことばを火とする。この民は薪となり、火は彼らを焼き尽くす。」とあります。

ユダの民がそのようなことを言ったので、主はエレミヤの口から出ることばを火炎放射器のように、彼らに浴びせます。それは火となり、この民を(たきぎ)として彼らを焼き尽くすのです。それは神様による神の民への徹底したさばきです。具体的にはバビロンが襲ってくるわけです。それが15~17節にあります。「イスラエルの家よ。見よ。わたしはあなたがたを攻めるために、遠くの地から一つの国を来させる。──主のことば──それは古くからある国、昔からある国、その言語をあなたは知らず、何を話しているのか聞き取れない国。その矢筒は開いた墓のよう。彼らはみな勇士たち。彼らは、あなたの収穫とパンを食らい、あなたの息子と娘を食らい、羊の群れと牛の群れを食らい、ぶどうといちじくを食らい、あなたが拠り頼む城壁のある町々を剣で打ち破る。」

神様は神の民をさばくために、外国を道具として用いられるわけです。「古くからある国」とか「昔からある国」とはバビロン帝国のことです。この時は新バビロニア帝国でしたが、それは昔からありました。旧バビロニア帝国です。その起源は、創世記11章のあのバベルの塔にまで遡ります。「バベル」とは実は「バビロン」のことです。人類はここから地の全面に散らされていきました。ですから、歴史は古いのです。ユダの民はその言語を知りません。何を話しているのか聞き取れない国、それがバビロンです。主はイスラエルを攻めるために、この外国のバビロンを用いられるのです。

「その矢筒は開いた墓のよう」とあります。その放つ矢によって確実に死ぬということです。つまり、バビロン軍の破壊力を表しているわけです。それはスピーディーで、パワフルで、すべてを食い尽くすいなごのようです。17節には「食らい」ということばが4回も繰り返して用いられています。「彼らは、あなたの収穫とパンを食らい、あなたの息子と娘を食らい、羊の群れと牛の群れを食らい、ぶどうといちじくを食らい、」まさにいなごが穀物を食い尽くすように彼らはすべてを食らい、エルサレムを廃墟とするのです。

まさにモーセが警告した通りです。モーセは約束の地に入るイスラエルの民に対して、もし彼らが主の御声に聞き従わず、モーセが彼らに命じた、主のすべての命令と掟を守り行わなければ、すべてのわざわいが彼らに臨み、彼らをとらえると言いましたが(申命記28:15)、その通りになったのです。

18~19節をご覧ください。ここには、「18 しかし、その日にも──主のことば──わたしはあなたがたを滅ぼし尽くすことはない。」とあります。19『われわれの神、武捨は、何の報いとして、これらすべてのことを私たちにしたのか』と尋ねられたら、あなたは彼らにこう言え。『あなたがたが、わたしを捨て、自分の地で異国の神々に仕えたように、あなたがたは自分の地ではない地で、他国の人に仕えるようになる。』」とあります。

「主は、何の報いとして、こんなことを私たちにしたのか」それは、彼らの神、主を捨てて、異国の神々に仕えたからです。それは神様の問題ではなく、身から出た錆なのです。 自業自得ということです。

18節のことばは、10節にもありましたが、滅ぼし尽くすこときしないという約束です。そのような徹底した神のさばきの中にも、神は残りの民を残してくださるという約束です。ここに希望があります。絶望的に見えますが、ここにかすかな希望が残されているのです。神は、ユダが絶滅することを赦されたのではありません。敵の攻撃に、一定の制限を設けられました。それはすでに4章27節でも語られていました。「まことに、主はこう言われる。「全地は荒れ果てる。ただし、わたしは滅ぼし尽くしはしない」。5章10節もそうです。ここでも同じことを語っておられます。神様は、アブラハムの約束のゆえに、イスラエルのすべてを滅ぼし尽くすことはなさいません。そこに残りの者、レムナントを残してくださるのです。神様は真実な方です。約束したことを最後まで守ってくださいます。みことばに「私たちが真実でなくても、キリストは常に真実である」(Ⅱテモテ2:13)とある通りです。

きょうのところをまとめると、エルサレムには主を求める正しい人が一人もいませんでした。義人はいない、一人もいなかったのです。その結果、神は遠くの地から一つの国を越させ、彼らに破壊と混乱をもたらしました。それは今日の私たちの社会にも言えることではないでしょうか。表面的には平静を装っていても、いつ崩壊してもおかしくない状態にあります。第三次世界大戦も起こるのではないかという不安も現実的になっています。いったいどこに問題があるのでしょうか。その根本的な原因は、神を恐れないことです。神を認めない、神を求めないことです。きょうの聖書のことばでいうなら、公正と真実を求めないということです。表面的に神様を信じているというだけでなく、心から神を恐れ、神のことばに従っていないことが問題なのです。その結果、このような悲惨を招いているのです。今私たちに求められているのは、自分が罪人であるということを認めて神に立ち返り、神の義と神の真実に生きることです。「23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」(ローマ3:23-24)とある通りです。

「大草原の小さな家」という番組があります。皆さんの中にも好きてよく観ていたという方も多いのではないでしょうか。その中にこんな話がありました。舞台は19世紀のアメリカ西部の開拓された小さな田舎町です。そこに小さな教会がありました。人口も少ない小さな町なので、ウイークデイは子どもたちの学校にもなっていました。

ある日曜日の礼拝が終わった時、牧師が一つの提案をしました。それは教会の入り口に鐘を付けたらどうかということでした。教会に集まっている人たちは喜んで提案を受け入れました。すると、その教会に雑貨屋を営んでいる婦人がいるのですが、ご婦人が、「じゃ、私が全額寄付します。」と言ったのです。隣町に負けないような立派な鐘を付けましょうと言うのです。その代わり、私が寄付をしたというプレートを下に付けてください」言いました。こういうことがよくあります。皆さんだったらどうしますか。しかし、その発言で教会真っ二つに割れてしまいました。せっかく寄付してくれるというんだから助かるじゃないかという人と、いや、教会にそんな寄付した人の名前を刻むなんて滅相もないという人の意見で、喧々諤々となってしまったのです。その結果、教会が半分くらいになってしまいました。牧師はその責任を感じて辞任することになってしまいました。

果たして、その教会にジョーンズさんという話すことができない障害を持っている方がいましたが、彼はその話を聞くと村中の子どもたちを集め、家の中にある鉄製のものを持ってくるようにと言いました。もちろん、話すことができないので黒板に書いて指示したわけですが。彼の仕事は鋳物師で、鉄を溶かしてやかんとか鍋とかを作る仕事でした。すると、子どもたちは自分の家にある物をジョーンズさんのところに持ってきました。それでジョーンズさんは鐘を作ったのです。

牧師が辞任のあいさつをする日です。どこからか鐘の音が聞こえてきました。それは小さな町全体に響き渡る音でした。大人たちはびっくりして音のする方向に走って行くと、教会の上に鐘が付いていてジョーンズさんが紐を引いて鐘を鳴らしていたのです。大人たちは何となく気付いていたんですが、自分たちの家から鉄の物が無くなった理由がやっとわかりました。そして子供たちが喜ぶ姿を見て、自分たちの過ちを認めたのです。

私はこの話を見て、それは私たちにも言えることではないかと思いました。こうした問題の根底にあるのは、自分の姿が見えないことにあります。自分は正しいと思い込んでいるのです。でも、きょうのみことばで言うなら、義人はいない、一人もいないのです。神様の前に正しい人など誰もいません。しかし、聖書が言うのは、ただ一人の正しい人がおられるということです。それがイエス・キリストです。イエス様だけが公正と真実を求めて、ひたすらそこに生き抜いてくださいました。この方が勝ち取ってくださった正しさを、私たちは身にまとうことが許されています。会堂の入り口に高く掲げられたこのジョーンズさんの鐘が、和解の調べを告げたように、十字架につけられたイエス様から私たちは、和解のことばを聞くことができるのです。イエス様は十字架の上からこう言われました。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分からないからです。」(ルカ23:34)

私たちは、自分でも知らないうちに、また知りながら、罪を重ねて生きています。しかしそれを全部知った上で赦してくださった方がおられます。罪で死に、罪で滅ぼし尽くしかねなかった私たちを救ってくださったイエス様、このイエス様の御声を私たちは聞き、これを信じ従っていきたいと思うのです。そのような人こそ、神の目には正しい人、真実な人なのです。

Ⅰ列王記6章

 今日は、列王記第一6章から学びます。

 Ⅰ.神殿の構造(1-10)

まず1節から10節までをご覧ください。「1 イスラエル人がエジプトの地を出てから四百八十年目、ソロモンがイスラエルの王となってから四年目のジブの月、すなわち第二の月に、ソロモンは主の家の建築に取りかかった。2 ソロモン王が主のために建てた神殿は、長さ六十キュビト、幅二十キュビト、高さ三十キュビトであった。3 神殿の本殿の前に付く玄関は、長さが神殿の幅と同じ二十キュビト、幅が神殿の前で十キュビトであった。4 神殿には格子を取り付けた窓を作った。5 さらに、神殿の壁に、すなわち神殿の壁の周り、本殿と内殿の周りに、脇屋を建て巡らした。こうして階段式の脇間を周りに作った。6 脇屋の一階は幅五キュビト、二階は幅六キュビト、三階は幅七キュビトであった。それは、神殿の外周りの壁に段を作り、神殿の壁を梁で支えずにすむようにするためであった。7 神殿が建てられたとき、石切り場で完全に仕上げられた石で建てられたので、工事中、槌や斧や、いかなる鉄の道具の音も、いっさい神殿の中では聞こえなかった。8 二階の脇間に通じる入り口は神殿の右側にあり、螺旋階段で二階に、また二階から三階に上るようになっていた。9 ソロモンは神殿を建て、これを完成させるにあたって、神殿の屋根を杉材でできた雨水溝の列でおおった。10 神殿の側面に脇屋を建て巡らし、その各階の高さは五キュビトにして、これを杉材で神殿に固定させた。」

前回は、ソロモンがツロの王ヒラムに神殿のための杉材を調達してくれるように頼み、両国の間に契約を結んだということを学びました。ここから、いよいよ神殿の建設が始まります。まず、その神殿の構造です。ソロモンが主の家の建築に取りかかったのはソロモンがイスラエルで王となってから4年目のジフの月、すなわち第二の月のことでした。それはイスラエルがエジプトを出てから480年目のことでした。ということは、ソロモンの治世は紀元前971年から931年までであることがわかっているので、この神殿の建設は紀元前966年頃であったということになります。ソロモンは王になってから比較的に短期間の内にこの神殿建設に取りかかったことになります。ちなみに、その480年前にイスラエルがエジプトを出たとあるので、出エジプトの出来事は紀元前1445年頃であったということがわかります。

2節には神殿のサイズが記されてあります。それは長さ60キュビト、幅20キュビト、高さ30キュビトです。1キュビトは約44センチなので、長さ26.4メートル、幅8.8メートル、高さ12メートルです。面積は232平米(70.4坪)ですから、それほど大きな建物ではありません。教会の建物が1階と2階を合わせて約65坪ですから、2階の部分を下に持って来た大きさとほぼ同じ大きさとなります。神殿はかつての幕屋と同じ形をしていますが、寸法はちょうど2倍になっています。

http://www.geocities.jp/gaironweb/picmatop.htmlより転載)

3節から5節までをご覧ください。ここにはその構造が記されてあります。 本殿の前には玄関が付けられました。長さは神殿の幅と同じ20キュビト(8.8メートル)、幅は神殿の前方に10キュビト(4.4メートル)です。また、神殿には格子を取り付けた窓を作りました。なぜ窓が取り付けられたのかというと、幕屋の場合は通気性が良かったので必要ありませんでしたが、神殿はそうでなかったので換気が必要だったからです。神殿の周りには3階建ての脇屋を建て巡らしました。これは祭司たちの部屋のために、また礼拝に必要な物を保管するための倉庫として使用されました。興味深いのは6節にあるように、神殿の壁を梁で支えずにすむような構造になっていたことです。梁で支えなかったら構造上の強度が弱くなってしまいます。それなのに梁で支えなくてもよいようにしたのは、それぞれのパーツがしっかりと組み合わされていたからです。エペソ人への手紙4章16節に「キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。」とありますが、まさに神の家、神殿はあらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされて建てられていったのです。

7節には、「神殿が建てられたとき、石切り場で完全に仕上げられた石で建てられたので、工事中、槌や斧や、いかなる鉄の道具の音も、いっさい神殿の中では聞こえなかった。」とあります。神殿の骨格の材料となる石が、建築現場で仕上げられることなく、すでに石切り場で完全に仕上げられていたということです。どうしてでしょうか。日本の住宅会社でもよく、家を建てるときに、すでにそれぞれの部分が組み立てられていて、それを現場でただ組み合わせるという建築方法を取り入れる会社がありますが、まさにそれと同じです。神殿で使われる石も、寸法通り、正確に、すでに石切り場で仕上げられており、現場ではただ組み立てられるだけになっていたのです。そうすることによって神殿の内部では工事の音が一切聞こえませんでした。神が臨在され、神がみことばを語られる場所として、そこは静かに保たれなければならなかったのです。主イエスが朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに出かけて行き、そこで祈っておられた(マルコ1:35)のも同じです。イエス様は静かな場所を求めておられました。勿論、物理的にそうでない所にも主はおられますが、もし主と深い交わりを持ちたいと願うなら、物理的にも、内面的にも静かさが求められるのです。

7節をご覧ください。ソロモンは神殿を建て、これを完成させるにあたって、神殿の屋根を杉材でできた雨水溝の列でおおいました。また脇屋も杉材で固定しました。杉材がふんだんに使われたのです。それは、幕屋(移動式の天幕)が暫定的な礼拝の場として与えられていたのに対して、神殿が恒久的な礼拝の場として与えられていたからです。それは、神が恒久的に彼らと共におられることの保証となりました。それは私たちにも言えることです。新約の時代に生きている私たちは、神の聖霊が与えられています。それは、救いの保証でもあります。聖霊は、私たちが御国を受けていることの保証(エペソ1:14)であり、恒久的に神が私たちと共におられることの保証なのです。

Ⅱ.神からの警告と励まし(11-13)

そのような神殿建設の真只中にあって、主はソロモンにこのように次のように言われました。11~13節です。「11 そのとき、ソロモンに次のような主のことばがあった。12 「あなたが建てているこの神殿のことであるが、もし、あなたがわたしの掟に歩み、わたしの定めを行い、わたしのすべての命令を守り、これによって歩むなら、わたしはあなたについてあなたの父ダビデに約束したことを成就しよう。13 わたしはイスラエルの子らのただ中に住み、わたしの民イスラエルを捨てることはしない。」」

どういうことでしょうか?神殿建設は確かに大事業ですが、もし本来の神の意図を見失ってしまうことがあるとしたら、何の意味もなくなるということです。とかく私たちは立派な神殿を建築すれば、神の臨在と栄光が現わされると思いがちですが、そうではないと、神は釘を刺しておられるのです。

ソロモンは、イスラエルの繁栄は、神との契約関係の上に成り立っていることを知らなければなりませんでした。つまり彼は主の掟に歩み、主の定めを行い、主のすべての命令を守り、これに歩まなければならなかったのです。もしそうであれば、主はダビデに約束したことを成就してくださいます。ダビデに約束したこととは、あのⅡサムエル記7章13節にあることばです。それは「彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」ということです。「わたしはイスラエルの子らのただ中に住み、わたしの民イスラエルを捨てることはしない。」という約束です。この約束の成就は、ソロモンがいかに神との契約関係に忠実に歩むかどうかにかかっていたのです。残念ながら、ソロモンは晩年多くの妻によって偶像礼拝に走り、この命令を守りませんでした。その結果、王国は息子レハムアムの時代に南北に分裂するようになります。

私たちはここから大切な教訓を学びます。それは、こうした祝福と繁栄の陰には落とし穴があるということです。傲慢という落とし穴です。神殿建設という祝福の真只中で主がソロモンにこれを語られたのは、そうした落とし穴に注意するようにとの警告だったのです。はたして自分は神のことばに留まっているかどうか、神の掟に歩み、神の定めを行い、神のすべての命令を守り、神のうちに留まっているかどうかを、吟味しなければならないのです。自分ではそう思っていても、神のみこころからかなり離れているということも少なくないからです。

Ⅲ.神が喜ばれる神殿(14-38)

次に、神殿の内装を見ましょう。14~22節をご覧ください。「14 こうして、ソロモンは神殿を建て、これを完成させた。15 彼は神殿の内側の壁を杉の板でおおい、神殿の床から天井の壁に至るまで、内側を板でおおった。なお神殿の床は、もみの板でおおった。16 それから、彼は神殿の奥の部分二十キュビトを、床から天井の壁に至るまで杉の板でおおった。このようにして、彼は神殿に内殿、すなわち至聖所を設けた。17 神殿の手前側の本殿は四十キュビトであった。18 神殿内部の杉の板には、瓢?模様と花模様が浮き彫りにされていて、すべては杉の板で、石は見えなかった。19 内殿は神殿内部の奥に、主の契約の箱を置くために設けた。20 内殿の内部は、長さ二十キュビト、幅二十キュビト、高さ二十キュビトで、純金でこれをおおった。さらに杉材の祭壇も純金でおおった。21 ソロモンは神殿の内側を純金でおおい、内殿の前に金の鎖を渡し、これに金をかぶせた。22 神殿全体を隅々まで金でおおい、内殿に関わる祭壇も全体を金でおおった。」

(http://meigata-bokushin.secret.jp/)より転載

こうして、ソロモンは神殿を建て、これを完成させました。彼は神殿の内側の壁を杉の板でおおい、神殿の床から天井の壁に至るまで、内側をすべて板でおおいました。神殿の床には、もみの板が使われました。石材が隠れるようにしたのです。その杉の板には、ひょうたんの模様と花の模様が浮き彫りにされていました。その上に金をかぶせました。神殿全体を隅々まで金でおおったのです。

19節には、さらに神殿内部の奥に、主の契約の箱を置くために内殿(至聖所)を設けました。サイズは長さ20キュビト、幅20キュビト、高さ20キュビトの立方体で、そこにも杉の板が張られ、その上に純金がかぶせられました。そこは、主の栄光が現わされる所だからです。

23~28節をご覧ください。「23 内殿の中にオリーブ材で二つのケルビムを作った。その高さは十キュビトであった。24 ケルビムの一方の翼は五キュビト、もう一方の翼も五キュビト。翼の端から翼の端までは十キュビトであった。25 もう片方のケルビムも十キュビトあり、両方のケルビムは全く同じ寸法、同じ形であった。26 片方のケルビムの高さは十キュビト、もう片方のケルビムも同じであった。27 ケルビムは神殿内部に置かれた。ケルビムは翼を広げていて、片方のケルビムの翼は一方の壁に届き、もう片方のケルビムの翼はもう一方の壁に届き、また両者の翼は神殿の真ん中に届いて、翼と翼が触れ合っていた。28 ソロモンはこのケルビムに金をかぶせた。」

内殿の中にオリーブ材で二つのケルビムを作りました。ケルビムは、神の栄光のそばで仕える天使です。彼らは契約の箱を守る役割を果たしていました。ケルビムの単数形はケルブですが、一つのケルブは高さが10キュビト、翼の端から翼の端までも10キュビトでした。その2つのケルビムが並んで翼を広げると、片方のケルビムの翼は一方の壁に届き、もう片方のケルビムの翼はもう一方の壁に届きました。また両者の翼は神殿の真ん中に届いて、翼と翼が触れ合っていました。ソロモンはこのケルビムにも金をかぶせた。

どうしてソロモンはケルビムを作ったのでしょうか。それは神の命令だったからです。神は幕屋の建設にあたり、二つの金のケルビムを作るようにと命じられていました(出エジプト25:18)。それは、そこが最も重要な場所であったからです。そこには十戒が書かれた2枚の2枚の石の板が収められた契約の箱がありました。そしてその上に「宥めの蓋」がありました。そこは神の宥めがなされるところ、贖いの血が注がれるところでした。そこに年に一度だけ大祭司が入り民の罪の贖いをしました。雄牛ややぎをほふり、その血を取って、それをこの宥めの蓋の上に注いだのです。主はそこでモーセと会見し、ご自身のことばを語ると仰せになられました(出25:20-22))。すなわち、そこは神が臨在される場所だったのです。

私たちも、神が命じられた方法によって準備するなら、神はそこにご自身の栄光を現わしてくださいます。新約の時代に生きる私たちの場合は、それはイエス・キリストのことです。私たちはイエス・キリストを通して神に近づき、神と会見することができるのです。

「こういうわけで、兄弟たち。私たちはイエスの血によって大胆に聖所に入ることができます。」(へブル10:19)

次に、29~38節をご覧ください。「29 神殿の四方のすべての壁には、奥の間も外の間も、ケルビムとなつめ椰子の木と花模様の浮き彫りを彫った。30 神殿の床は、奥の間も外の間も金でおおった。31 ソロモンは内殿の入り口を、オリーブ材の扉と五角形の戸口の柱で作った。32 その二つのオリーブ材の扉に、ケルビムとなつめ椰子の木と花模様の浮き彫りを彫り、金でおおった。ケルビムとなつめ椰子の木の上に金を張り付けたのである。33 同じように、本殿の入り口にも四角形のオリーブ材で戸口の柱を作った。34 また、もみの木で二つの扉を作った。片方の扉の二枚の戸は折り畳み戸、もう片方の扉の二枚の戸も折り畳み戸であった。35 ケルビムとなつめ椰子の木と花模様を彫り付け、その彫り物の上に、ぴったりと金を張り付けた。36 それからソロモンは、切り石三段と杉の角材一段の仕切りで内庭を造った。37 第四年のジブの月に、主の宮の礎を据え、38 第十一年のブルの月、すなわち第八の月に、神殿のすべての部分が設計どおりに完成した。七年かけて建てたのである。」

神殿の「奥の間と外の間」とは、至聖所と聖所のことです。その壁には、ケルビムの彫刻となつめ椰子の木と花模様の彫刻が施されました。さらに、神殿の床は、金でおおわれました。非常に豪華で華麗な意匠です。ソロモンがいかにこの神殿の建設に心血を注いだかがわかります。

聖所と至聖所を区切る扉は、オリーブ材で作られました。幕屋の時は、垂れ幕と幕によって仕切られていましたが、ここでは柱と扉です。その扉にもケルビムとなつめ椰子の木と花模様の彫刻が施され、金でおおいました。また、戸口には五角形の柱が作られました。同じように、本殿の入り口にも四角形のオリーブ材で戸口の柱を作り、もみの木で2つの扉を作りました。それから、神殿の周りに内庭を作りました。外庭よりも切り石三段分、高く作っています。

このようにして、ソロモンは主の家を完成させました。それが37~38節にあることです。「第四年のジブの月に、主の宮の礎を据え、第十一年のブルの月、すなわち第八の月に、神殿のすべての部分が設計どおりに完成した。七年かけて建てたのである。」

神殿が完成するのに7年かかりました。厳密には7年半です。この神殿はこれ以降、バビロンによって破壊されるまで(B.C.586年)四百年間立ち続けることになります。バビロン捕囚以降、ソロモンの建造物で再建されるのは、神殿だけです。その本質は、神が住まわれる、神が臨在それる場所、神を礼拝する場所です。礼拝の中心は、それまでの粗末な幕屋から豪華な神殿に代わりました。これは大きな祝福ですが、その本質を失うと信仰が形骸化する危険があります。神殿がそこにあるというだけに安住するようになるのです。

しかし新約時代では、神はキリストを信じる者の心に住まわれると聖書は教えています。私たちは神の宮(Ⅰコリント3:16)、聖霊の宮(Ⅰコリント6:19)なのです。聖霊の宮である私たちは、神の栄光を現すことが求められているのです。それはキリストとの生ける関係から生まれるものです。Ⅰペテロ2章2節には次のように勧められています。「あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります。」とあります。
私たちも聖なる石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げましょう。これこそ、神が喜ばれ、神がご自身の栄光を現わしてくださる真の神の家、神殿なのです。

ヨハネ21章1~14節「さあ、朝の食事をしなさい」

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主の御名を賛美します。本日はイースター礼拝です。復活の主を共に礼拝できることを感謝します。全世界はいま闇の中にありますが、このキリストの復活のメッセージが暗闇の中にある人たちの光となることを祈ります。今日は、ヨハネの福音書21章から「さあ、朝の食事をしなさい」という題でお話しします。

Ⅰ.私は漁に行く(1-3)

まず1~3節をご覧ください。「その後、イエスはティベリア湖畔で、再び弟子たちにご自分を現された。現された次第はこうであった。2 シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、そして、ほかに二人の弟子が同じところにいた。3 シモン・ペテロが彼らに「私は漁に行く」と言った。すると、彼らは「私たちも一緒に行く」と言った。彼らは出て行って、小舟に乗り込んだが、その夜は何も捕れなかった。」

イエス様は、ユダヤ人たちのねたみによって十字架に付けられて死なれ、墓に葬られました。しかし、キリストを墓の中に閉じ込めておくことはできませんでした。キリストは、聖書が示す通りに、三日目に死人の中からよみがえられました。復活によって、ご自身が神の御子、救い主であることを公に示されたのです。そして40日にわたり弟子たちにご自身を現わされ、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きておられることを示されました。

イエス様が最初にご自身を現わされたのは、マグダラのマリアに対してでした。20章1節には、週の初めの日、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓にやって来たとあります。何のためでしょうか。イエスの遺体に香油を塗るためです。ところが墓へ行ってみると、墓から石が取りのけられてありました。よみがえられたのです。でもイエスのからだがありませんでした。マリアが途方に暮れて泣いていると、復活の主が彼女に現れ「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」と言われました。彼女は、それを園の管理者だと思いましたが、やがて、それが愛する主イエスだということがわかりました。彼女はそのことを弟子たちに告げると、弟子たちにはたわごとのように思われました。しかし、その日の午後、エマオに向かっていた二人の弟子たちに現われると、その日の夕方には、ユダヤ人を恐れて戸に鍵をかけて集まっていた弟子たちのところに現われてくださいました。イエス様が手と脇腹を彼らに示されると、「弟子たちは主を見て喜んだ。」(20:20)とあります。

しかしそこに、12弟子の1人でデドモと呼ばれるトマスがいませんでした。彼は疑い深い人で、ほかの弟子たちが「私たちは主を見た」と言っても、「私は決して信じません。その手に釘の跡を見て、そこに指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません。」(20:25)と言いました。本当に疑い深い人ですね。私たちの回りにもそういう人たちが結構いるのではないでしょうか。いや、私たちもかつてはそうでした。見ないと信じない。

しかし、その1週間後のことですが、弟子たちが集まっていたところに、再び主が現れてくださいました。今度はトマスも一緒でした。そしてトマスに「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。」(20:27)と言われました。するとトマスは、「私の主、私の神よ。」と言ってひれ伏し、主を礼拝しました。主はそんな彼にこう言われました。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる者は幸いです。」(20:29)見ないで信じる人は幸いです。

きょうの箇所はその後の出来事です。その後、イエスはティベリア湖畔で再び弟子たちにご自分を現われてくださいました。ティベリア湖とはガリラヤ湖のことです。ティベリア湖とは、ガリラヤ湖のローマ風の呼び方なのです。そこで主は再び弟子たちにご自分を現われてくださったのです。その現わされた次第はこうです。

舞台は、エルサレムからガリラヤに移っています。なぜ弟子たちはこの時ガリラヤ湖にいたのでしょうか。主がそのように言われたからです。「ガリラヤに行くように。そこであなたがたに会う」(マタイ28:10)と。

ガリラヤ湖は彼らの故郷でした。彼らは、このガリラヤ湖で漁をしながら生計を立てていました。そこは彼らが小さい頃から慣れ親しんだ場所だったのです。しかし3年半ほど前に、イエス様から「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」(マタイ4:19)と言われ、すべてを捨ててイエス様に従って行きました。ところが、イエス様は十字架に付けられて死んでしまいました。それで彼らは完全に望みを失ってしまったのです。これまで主として、先生として仰いできたイエス様が死んでしまったのですから。しかし、イエス様は三日目によみがえられました。その復活された主イエスが彼らに現われ、ガリラヤに行くようにと言われたのです。

2節をご覧ください。そこにいたのは、シモン・ペテロとデドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナの出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、そして、ほかに二人の弟子がいました。おそらく一人はペテロの兄弟アンデレでしょう。そしてもう一人はナタナエルを誘ったピリポではないかと思います。とにかく全部で7人です。彼らはかつて漁をしていたガリラヤ湖畔にいたのです。

すると、シモン・ペテロが彼らに「私は漁に行く」と言いました。なぜ彼はこのように言ったのでしょうか。わかりません。ある学者は、このときペテロは伝道者としての生活をやめ、元の仕事に戻ろうとしていたのではないかと言っています。また他の人は、いや、その日の食料を求めて漁に行っただけだという人もいます。はっきりしたことはわかりません。しかし彼がそのように言うと、他の弟子たちも「私たちも一緒に行く」と言いました。一つだけ確かなことは、このとき彼らは無力で、みじめな状態であったということです。なぜなら、自分の仕事まで捨てて従って行ったイエスが十字架につけられて死んでしまったのですから。いったい今までのことは何だったのか、そういう思いに駆られていたのではないかと思います。そして、自分たちの最も得意な領域で自分たちの存在というものを確かめたのではないでしょうか。それが「私は漁に行く」という言葉に現れたのだと思います。彼らはもともと漁師でしたから、これが自分の本業だと思ったのでしょう。ちょうど牧師が以前の仕事のことを思い出して懐かしむ姿に似ているかもしれません。それがうまくいなかいと元の仕事に戻りたいと、牧師なら一度や二度思うことがあります。「人間をとる漁師にしよう」と言われてイエス様について行ったのは良かったけれども、その結果がこれです。「これこそ自分のライフワークだ」と、以前の状態に引き戻されたのだと思います。

結果はどうでしたか?3節後半をご覧ください。「彼らは出て行って、小舟に乗り込んだが、その夜は何も捕れなかった。」収穫ゼロです。漁をするには一番いい時間であったはずです。彼らは漁のプロでしたから、そんなことくらい百も承知でした。それなのに何も捕れなかったのです。なぜでしょうか?漁から離れていた3年半の間にすっかり腕が鈍ってしまったからではありません。それは彼らの本来の仕事ではなかったからです。彼らの本来の仕事は何ですか?人間をとる漁師です。それなのにそれを見ないかのようにして、自分の思いと自分の力で何とかしようとしたのです。その結果がこれだったのです。

ここからどんなことを学ぶことができるでしょうか?神のみこころから離れた努力は空しいということです。努力をすることは大切なことです。聖書にも「勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。」(ローマ12:11)とあります。箴言には、怠けないで、勤勉であるようにと勧められています。勤勉に働くことによって家族を養うことができます。世の光、地の塩としての役割を果たすことができます。しかしそれがどんなに良いことでも優先順位を間違えると、それは神に喜ばれません。ペテロは何も悪いことをしたわけではありません。漁に行くこと自体は良いことですし、熱心に働くことは悪いことではありません。しかし、彼に対する神の使命は、魚をとることはなく人間をとる漁師になるということでした。これが彼に対する神のみこころだったのです。それなのに彼は、神のみこころではなく自分の思い、肉の力を優先しました。その結果がこれだったのです。

私たちも神のみことばに従わないと、以前の生活に逆戻りしやすくなります。自分の力が、肉の力が働きやすくなるのです。だんだん祈らなくなります。神に信頼するよりも自分で頑張ろうとするのです。自分のやりたいことを、自分のやりたいときに、自分のやりたいようにやろうとするわけです。神のみこころを求めるのではなく、「私はやります」となるのです。ここでペテロは「私は漁に行く」と言いましたが、それと同じようになるのです。神様が何を願っておられるのかではなく、あくまでも「私」がしたいと思うこと、私の思いが強くなるのです。たから日曜日ごとに教会に来て主を礼拝することが重要なのです。そこで自分が拠って立っているもの、自分が信頼しているものが何であるのかを確認することができるからです。漁に行くこと自体は問題ではありません。でも彼に求められていたのは漁に行くことではなく、イエス様のことばに従って待つことだったのです。彼は主のことばに従わないで自分で判断して物事を決め、自分の力でやり遂げようとしました。主のことばに従わないと祈らなくなり、自分の判断で物事を決め、自分の力でやり遂げようとするようになります。

その結果、どうでしたか?夜通し働きましたが、何も捕れませんでした。空振りに終わってしまいました。こんなに頑張っているのになぜ?優先順位が間違っていたのです。人生の優先順位を間違えると、実を結ぶことができません。イエス様が言われたことばを思い出します。「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。」(ヨハネ15:5)イエス様を離れては何もすることはできません。その夜は何も捕れませんでした。それはこの時の弟子たちの心を象徴していたかのようです。イエス様を離れては実を結ぶことはできません。しかし、そんな暗い夜にも明るい朝がやって来ます。

Ⅱ.湖に飛び込んだペテロ(4-8)

4~8節をご覧ください。「4 夜が明け始めていたころ、イエスは岸辺に立たれた。けれども弟子たちには、イエスであることが分からなかった。5 イエスは彼らに言われた。「子どもたちよ、食べる魚がありませんね。」彼らは答えた。「ありません。」6 イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れます。」そこで、彼らは網を打った。すると、おびただしい数の魚のために、もはや彼らには網を引き上げることができなかった。7 それで、イエスが愛されたあの弟子が、ペテロに「主だ」と言った。シモン・ペテロは「主だ」と聞くと、裸に近かったので上着をまとい、湖に飛び込んだ。8 一方、ほかの弟子たちは、魚の入った網を引いて小舟で戻って行った。陸地から遠くなく、二百ペキスほどの距離だったからである。」

弟子たちは夜通し漁をしたのに何も捕れませんでした。その夜が明け始めていたころ、イエス様は岸辺に立っておられましたが、弟子たちにはそれがイエス様だとはわかりませんでした。見てはいましたが、わからなかったのです。なぜでしょうか?もしかすると弟子たちは湖の上にいたので、遠くてよく見えなかったのかもしれません。しかしそれは距離が遠かったからではありません。距離以上に彼らの心が遠く離れていたからです。だから主を見ていても、それが主だとわからなかったのです。

でも感謝ですね。そんな弟子たちにイエス様の方から声をかけてくださいました。「子どもたちよ、食べる魚がありませんね。」それに対して弟子たちは答えました。「ありません。」ここで弟子たちは、自分の弱さというか、無力さを素直に認めています。しかし、そのように素直に認めたとき、彼らに新しい道が開かれました。どういう道でしょうか。それはイエス様の恵みに生きる道です。6節をご覧ください。イエス様は彼らにこう言われました。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れます。」これが主のことばです。「舟の右側に網を打ちなさい。」舟の右側に打てって、もうとっくりやりましたよ。夜通しやったんです。でも何も捕れませんでした。今さらやっても無駄です。捕れるはずがありません。と弟子たちは言いませんでした。彼らは一言も反論せず、ただ主が言われたとおりにしました。

するとどうでしょう。おびただしい数の魚のために、もはや彼らには網を引き揚げることができませんでした。ガリラヤ湖は魚の豊富な淡水湖です。魚が群れをなして湖面近くに現れるとき、水面は、遠くから見ると夕立にたたかれたように波立って見えたといいます。まさにそんな光景だったかもしれません。おびただしい数の魚のために、もはや彼らには引き上げることができませんでした。7人の侍ならぬ7人の漁師でも引き上げることができないほどの大漁だったのです。自分の力で頑張った時には100%力を出し切ってもだめだったのに、主のことばに従い、主が言われたとおりにしたとき、想像することもではないほどの大漁が与えられたのです。

イエス様はこう言われました。「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:30)まず神の国とその義とを第一に求めることです。そうすれば、それに加えてすべてのものが与えられます。聖書はそう約束しています。私たちは自分の必要を満たそうとあくせくしていますけれども、空回りしないように注意しなければなりません。第一のことを第一にしなければなりません。第一のことを第一にするなら、あとのことは主が満たしてくださいます。これが、聖書が約束している聖書の原則です。

それでイエスに愛されたあの弟子が、ペテロに「主だ」と言いました。イエスが愛されたあの弟子とは、これを書いているヨハネのことです。彼は自分のことをみるとき、主に愛されている者であるというイメージを持っていました。これは正しいセルフイメージではないでしょうか。他の人があなたをどのように見るかではなく、神があなたをどのように見ておられるかということです。ヨハネは自分のことを、イエスが愛された者とみていました。私たちも同じです。確かに罪だらけな者です。同じ失敗を繰り返すような愚かな者ですが、そんな者を主は愛してくださったのです。私は、あなたは、主に愛された者なのです。

そのヨハネが、「主だ」と言いました。どうして彼はそのように言ったのでしょうか?ここには「それで」とあります。「それで」とは、その様子を見て、ということです。おびただしい数の魚のためにもはや彼らには網を引き上げることができなかったのを見て、「主だ」と叫んだのです。なぜでしょうか。なぜなら、彼の中に決して忘れ得ぬ一つの記憶が一気によみがえってきたからです。それはルカの福音書5章にある出来事です。イエス様がペテロの舟に乗ると、「深みに漕ぎ出して、網を下して魚を捕りなさい。」(ルカ5:4)と言われました。しかし、彼らは夜通し働きましたが、何一つ捕れませんでした。でも、おことばですからと、網を下してみると、おびただしい数の魚が入り、網が破れそうになったのです。あの出来事です。感受性の鋭いヨハネは、この二つの出来事の関連性というものを瞬時に分析し、結論を下したのです。「主だ」と。

それを聞いたペテロはどのように反応したでしょうか?彼は「主だ」と聞くと、すぐに湖に飛び込みました。おもしろいですね。ヨハネは、この二つの関連性を瞬時に分析してそのように結論づけましたが、ペテロは何も考えないで湖に飛び込みました。ペテロは理性よりも感性、感覚で生きるような人間でした。ですから「主だ」と聞いただけで、からだが反応したのです。本当に純粋で、行動的な人でした。すぐに反応しました。何だか自分の姿を見ているようです。どうして彼はすぐに飛び込んだのでしょうか。一刻も早く主のもとに行こうと思ったからです。舟は陸地から二百ペキスほどの距離でした。二百ペキスとは100m足らずです。下の欄外の説明には「約90メートル」とあります。そのくらいの距離だったらもう少し待っても良かったのに、彼は待てませんでした。なぜ?確かに彼は行動的な人間でしたが、それ以上に主を愛していたからです。90メートルほど舟が進むのを待つことができなかったのです。一刻も早く主のもとに行きたかった。そういう思いが、こうした行動となって現われたのです。しかし彼は裸だったので、上着をまとって飛び込みました。これもおもしろいですね。普通は反対です。泳ぐ時は上着を脱ぎます。でも彼は上着を着て飛び込みました。主にお会いするのに、せめて身なりだけでも整えようと思ったのでしょう。そばにあった上着まとうと、急いで湖に飛び込んだのです。

皆さん、これが愛です。愛とはこういうものなのです。距離など関係ありません。後先の計算もしません。とにかく飛び込むのです。とにかくそばに行きたい。とにかくそばにいたいのです。あれから40年・・・、皆さんも40年前はそのような経験をしたことがあるのではないでしょうか。主を愛する思いが、ペテロをこのような行動に駆り立てたのです。

あなたはどうですか?ペテロのような主への燃える愛があるでしょうか。冷静に分析することも必要でしょう。客観的に考えることも大切です。でも、分析だけで終わってしまうことがないように、客観的に考えるだけで終わることがないようにしたいですね。それが主だとわかったら、ペテロのようにとにかく飛び込むという情熱も必要です。主は、私たちがそのような愛を持つことを願っておられます。特に愛が冷えている現代においてはなおさらのことです。ペテロのように熱心に主を愛する者でありたいと思います。

Ⅲ.さあ、朝の食事をしなさい(9-14)

さあ、彼らが陸地に上がると、どんな光景が待っていたでしょうか。9~14節をご覧ください。「9 こうして彼らが陸地に上がると、そこには炭火がおこされていて、その上には魚があり、またパンがあるのが見えた。10 イエスは彼らに「今捕った魚を何匹か持って来なさい」と言われた。11 シモン・ペテロは舟に乗って、網を陸地に引き上げた。網は百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったのに、網は破れていなかった。12 イエスは彼らに言われた。「さあ、朝の食事をしなさい。」弟子たちは、主であることを知っていたので、だれも「あなたはどなたですか」とあえて尋ねはしなかった。13 イエスは来てパンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。14 イエスが死人の中からよみがえって、弟子たちにご自分を現されたのは、これですでに三度目である。」

弟子たちが岸に上がると、そこには炭火が起こされていました。そこで魚とパンが焼かれていたのです。それはイエス様が用意してくださったものでした。イエス様がバーベキューをして待っていてくださったのです。その魚とパンはどこから来たのでしょうか?それは弟子たちが捕ったものではありません。彼らが来る前に用意してあったのですから。それはイエス様が用意してくださったものです。イエス様ご自身がどこかで魚をとって来て、彼らのために用意してくださったのです。

すると、イエス様は彼らに「今捕った魚を何匹か持って来なさい」と言われました。何のためでしょうか?イエス様があらかじめ用意してくださった魚に、彼らがとって来た魚を何匹か加えるためです。それでペテロは舟に乗って、網を陸地に引き上げました。すると、魚は網には何匹ありましたか?153匹です。網は153匹の大きな魚でいっぱいでした。おもしろいですね、ここには魚の数まで詳細に記録されています。なぜ153匹という数字が記録されているのでしょうか。ある人たちは、この153という数字が何かを象徴していたと考えています。たとえば、153という数字1から17までを足した数で、すべて3で割り切れる数の最終点であることから、これはイエスにつながる人々、すなわち、救われる人たちの数を暗示していたのではないかと考えています。すなわち、イエスによって救われる人々は全体の3分の1の数の人たちだというのです。でも、それは読み込み過ぎです。ここで言わんとしていることはそういうことではありません。これを書いたヨハネは、これを生涯忘れることができない数字として記録したのです。あのノアの箱舟の虹が人類への神の約束を思い起こさせるように、いくつかの具体的な数字をもって、確かに私は主にお会いしたという事実を、心に深く刻み付けようとしたのです。そういう意味では、8節の「二百ペキス」もそうです。わざわざ「二百ペキス」と書かなくても、比較的近くまで来たという表現でも良かったはずです。あまり離れていなかったとか。でもあえてこのように書き記したのは、確かに主はよみがえられて、自分たちに会ってくださったということを、その心に深く刻み込もうとしたからなのです。

Ⅰヨハネ1章1節でヨハネ自身が、「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、自分の目で見たもの、じっと見つめ、自分の手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて」と言っているとおりです。これは、いのちのことばであられるイエス・キリストについて彼が自分で聞いたもの、自分の目で見た者、じっと見つめ、自分の手でさわったものなのです。確かに主はよみがえられたのです。14節に「イエスが死人の中からよみがえって、弟子たちにご自身を現わされたのは、これですでに三度目である。」とありますが、これはイエス様が死人の中からよみがえられて、三度目に弟子たちに現われてくださった出来事として、彼が自分で経験したことを、確信をもって伝えたかったのです。ですから、この「153匹の大きな魚でいっぱいであった」というのは、「ほら、見てください。そこには153匹の大きな魚があったんですよ。これは紛れもない事実です。」と言わんばかりです。そうしたヨハネの息づかいが聞こえて来そうです。

もう一つ重要なのは、それほどたくさんの魚でいっぱいだったのに、網は破れていなかったということです。どういうことでしょうか?それは、弟子たちが「私は漁に行く」「私たちも一緒に行く」と言って夜通し働きましたが何も捕れなかったことと対比されています。すなわち、彼らがイエスに従ったとき多くの収穫を見たということです。しかも、収穫したものは少しも漏れていませんでした。それはあのルカの福音書5章で経験したことと同じです。イエスが言われたとおりに網を下すと、おびただしい数の魚が入り、網は破れそうになれましたが、破れませんでした。そうです、イエス様のことばに従うとき、多くの収穫がもたらされるだけでなく、その網は破れないのです。主が支えておられるからです。これが主に従う者にもたらされる祝福です。

そればかりではありません。ヨハネはここに一つの重要な出来事を記録しています。それは、復活したイエスが、弟子たちを食事に招いてくださったという事です。12節をご覧ください。「イエスは彼らに言われた。『さあ、朝の食事をしなさい。』」

一緒に食事をするということは、それが親しい関係であることを表しています。弟子たちは、主のことばに従いませんでした。以前の生活に戻ろうとしていました。彼らが求めていたのは食べること、自分の生活を守ることでした。それで自分の力で頑張って漁に出ましたが、結果は惨憺(さんたん)たるものでした。何も捕れなかったのです。けれども主が約束されたとおりに彼らに現れてくださり、彼らが主のことばに従ったとき、豊かな収穫を見させてくださいました。そればかりでなく、彼らのために朝食まで用意してくださったのです。そして「さあ、朝の食事をしなさい。」と招いてくださいました。ここではイエス様がウエイターのようになって弟子たちに給仕してくださっています。パンと魚を焼いて、自らがそれを取り、彼らに与えられたのです。

これが私たちの主イエスです。このことによって主は、彼らを受け入れておられるということをはっきり示してくださいました。そのことは彼らもよく理解したことでしょう。イエス様との親しい交わりが回復したのです。

あなたはどうですか?イエス様との交わりを回復しているでしょうか。イエス様と共に食事をしていますか。親しく交わっているでしょうか。敵対関係があると親しく交わることができません。でも主は本当に優しい方です。愛のお方です。なかなか主に従えない、そんな私たちのために自ら歩み寄ってくださり、朝食を用意して待っていてくださいます。そして「さあ、朝の食事を食べよう」と招いてくださるのです。そのために主は自ら十字架にかかって死なれ、三日目によみがえってくださいました。私たちを神から引き離す罪を赦し、神との平和、永遠のいのちを与えるためです。親しい交わりを回復するためには神との平和を持たなければなりません。すなわち、自分の罪を赦してもらわなければなりません。「御子イエスの血は、すべての罪から私たちをきよめてくださいます」(Ⅰヨハネ1:7)。このことを覚えてください。そして、もしあなたが今神から離れているならば、御子イエスのもとに来てください。主は喜んであなたを赦してくださいます。赦されることによって、神と親しい交わりを回復することができるのです。

昨日、S姉の家を訪問しました。86歳になるお父さんが月曜日に特別老人ホームに入所することになったので、その前にもう一度イエス様のことをお話してもらいたいということでした。もう一度ということは以前にも何度か訪問してお話させていただいたことがあるということです。しかしその時は薬が効いていたためか、私を無視していたのかわかりませんが、話しかけてもすぐに眠ってしまう状態でしたので、よくお話することができませんでした。仕方がなかったので、その時にはイエス様のお話をして帰りましたが、姉妹として入所するにあたりきちんとイエス様のお話を聞いてほしかったのです。

約束の時間に伺いましたがお父さんはデイサービスに行っていて留守でした。もう少しで帰宅するというので、姉妹とお話をしながら「お父さんに天国のお話をしてもいいですか」と確認したら、「ええ、是非。最近「死ぬ、死ぬ」と叫んでいるので、地獄に行くと思っているんだと思います。だから、イエス様を信じるようにお話していただけだと思います。イエス様を信じて、同じお墓に入るということを確認したいのです。」と言われました。「お墓のことならその後でもいいんじゃないですか」と言うと、「いや、きちんと父親の確認を取ってきたいのです。」というので、「わかりました」と私も覚悟を決めました。

するとお父さんがデイサービスから帰って来られました。「きょうはお父さんにキリストのお話をしてくれると、私が行っている教会の牧師さんが来てくれたから、お話聞いてない」と言うと、車いすに乗ってキッチンに連れて来られました。するとテーブルをそばに置いて、私のためにお父さんの左側に椅子を置いてくれました。左の耳が聞こえるので、あえてそのように配置してくれたのです。

私は心の中で主に祈りながら、「お父さん、デイサービスはどうでしたか。気持ちよかったでしょ。きょうは暖かかったし、お風呂に入れたから。お顔がキュキュッとしてますよ。」と言うと、わかったんでしょうね、にこっとして「ニコっときょうはあったかかったから」と言われました。「ところで、お父さん、お父さんはこれから先のことで不安なことはないですか。私はS妹が行っているキリスト教会の牧師なんですが、お父さんにもぜひ天国に行ってほしいと思ってるんです。どうしたら行けるかわかりますか。天国に行くにはイエス様を信じなければなりません。イエス様は神様なのに今から二千年前に私たちと同じような姿でこの世に生まれてくださり、何も悪いことをしなかったのに十字架で死んでくださいました。それはお父さんの悪い心、罪の身代わりのためです。でも三日目によみがえってくださいました。だから、このイエス様を信じるとお父さんのすべての罪が赦されて、天国に行くことができるんです。お父さんもイエス様を信じて天国に行きましょう。」と言うと、じっと私の顔を見て、ウンともツンともしませんでした。するとS姉妹がお父さんの耳元で、「お父さん、わかった?お父さんはいつも地獄に行くと言ってるでしょ。でもキリストを信じると、キリストが十字架にかかってお父さんの罪をかぶってくれたから、地獄に行かなくてもいいの。天国の行くの。そして私と同じお墓に入るんだよ。信じようね。わかった?」と言うと、「わかった!」とはっきり言われました。ハレルヤ!それで私は、「まことに、まことにあなたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持っています。」(ヨハネ6:47)と宣言して祈りました。祈り終えるとS姉の目は真っ赤になっていました。認知がひどく何もわからないと思ったお父さんが、はっきりと信じて救われたからです。主の深いあわれみに心から感謝します。

そして主は、毎朝、あなたも朝の食事に招いておられます。その招きに応答して、主とともに心の朝食をとりましょう。これは、イエスが死人の中からよみがえって、弟子たちにご自分を現わされた三度目の出来事でした。確かに主はよみがえられたのです。主は今も生きておられます。すべては主の御手にあります。私たちのために復活してくださり、親しい交わりを回復してくださった主に心から感謝します。

Ⅰ列王記5章

 今日は、列王記第一5章から学びます。

 Ⅰ.ツロのヒラムへの要請(1-6)

 まず1節から6節までをご覧ください。「1 さて、ツロの王ヒラムは、ソロモンが油注がれて、彼の父に代わって王となったことを聞いて、自分の家来たちをソロモンのところへ遣わした。ヒラムはダビデと常に友情を保っていたからである。2 そこで、ソロモンはヒラムのもとに人を遣わして言った。3「ご存じのように、私の父ダビデは、周りからいつも戦いを挑まれていたため、主が彼らを私の足の裏の下に置かれるまで、私の父の神、主の御名のために神殿を建てることができませんでした。4 しかし今や、私の神、主は、周囲の者から私を守って安息を与えてくださり、敵対する者もなく、わざわいを起こす者もありません。5 今私は、私の神、主の御名のために神殿を建てようと思っています。主が私の父ダビデに、『わたしがあなたの代わりに王座に就かせるあなたの子、彼がわたしの名のために家を建てる』と言われたとおりです。6 どうか、私のために、レバノンから杉を切り出すように命じてください。私の家来たちも、あなたの家来たちと一緒に働きます。私はあなたの家来たちに、あなたが言われるとおりの賃金を払います。ご存じのように、私たちの中にはシドン人のように木を切ることに熟練した者がいませんから。」」

ソロモンが油注がれてイスラエルの王となったことを聞いたツロの王ヒラムは、自分の家来たちをソロモンのところへ遣わしました。ヒラムは、ソロモンの父ダビデと常に友情を保っていたからです。Ⅱサムエル5章11節には、ダビデが王宮を建築する際、ヒラムはそのために必要な杉材や木工、石工を送り、助けていたことが記されてあります。ヒラムがソロモンのところへ人を送ったのは、ソロモンがダビデに代わって王に即位したことを祝福し、父ダビデの時と同じように両国の間に平和な関係を維持するためでした。

するとソロモンはヒラムのもとに人を遣わして言いました。「ご存じのように、私の父ダビデは、周りからいつも戦いを挑まれていたため、主が彼らを私の足の裏の下に置かれるまで、私の父の神、主の御名のために神殿を建てることができませんでした。しかし今や、私の神、主は、周囲の者から私を守って安息を与えてくださり、敵対する者もなく、わざわいを起こす者もありません。今私は、私の神、主の御名のために神殿を建てようと思っています。主が私の父ダビデに、『わたしがあなたの代わりに王座に就かせるあなたの子、彼がわたしの名のために家を建てる』と言われたとおりです。」(3-5)彼はこのチャンスを生かし、神殿建設の準備を始めようとしたのです。それでソロモンはヒラムのもとに人を遣わして、神殿建設のためのレバノン杉を切り出すように、また、その杉材を切る熟練した職人も送ってくれるようにと願い出ました。勿論、そのための賃金はきちんと支払うつもりでした。

ここで注目すべきことは、ソロモンが「今私は、私の神、主の御名のために神殿を建てようと思っています。主が私の父ダビデに、『わたしがあなたの代わりに王座に就かせるあなたの子、彼がわたしの名のために家を建てる』と言われたとおりです。」(5)と言っていることです。ソロモンが神殿を建設しようと思ったのは、主の御名のゆえであったことです。それは主が彼を祝福してくださったからでも、自分の政治的な力を誇るためでもありませんでした。主の御名のため、主の御名が崇められるためだったのです。おそらく彼は神がダビデに告げられた約束(ダビデ契約)を知っていたのでしょう。Ⅱサムエル7章11~13節のところで主はダビデにこう言われました。「主はあなたに告げる。主があなたのために一つの家を造る、と。あなたの日数が満ち、あなたが先祖とともに眠りにつくとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」この約束に従って彼は、主の家、神殿を建設しようと思ったのです。つまり彼は、主のみこころが成ることを求めていたということです。

これまで私たちはソロモンの知恵がいかにすばらしいものであるかを見てきましたが、その知恵のすばらしさはどこから出ていたのかというと、ここから来ていたことがわかります。すなわち彼は、神のみこころ(計画)を求め、それに生きようとしていたということです。

私たちが抱く動機もまた、ここになければなりません。神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで神に受け入れられることなのかを知り、それを行うということです。つまり、みこころを知り、みこころを行うということです。そのためには、心の一新によって自分を変えなければなりません。

パウロは、ローマ12章1~2節でこう言っています。「ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようにしなければならないのです。この「この心を新たにする」という言葉のギリシャ語は「メタモルフィゾー」という語で、意味は芋虫が蝶に変わる過程を指しています。私たちが自分の分を果たしつつ、積極的に自分の思いを一新していく一方で、誰か他の人に変革してもらうという意味が含まれています。つまり、私たちがこの世の方法ではなく、キリストの方法で心の思いを変革していくならば、神である聖霊が私たちを次第にキリストに似た者に変えてくださるということです。そして、神のみこころが何かを知ることができるのです。つまり、神のことばである聖書に従い、自分自身の思いを聖霊に明け渡すことによってできるということです。そうでないと、いつまで経っても自分を変えることはできません。いつも自分の思いが中心となっているので、神様に変えていただくことができないからです。私たちはいつも自分を主に明け渡し、神のみこころは何か、何が良いことで神に喜ばれるのかをわきまえ知るために、神のことばと聖霊によって心を一新し、神のみこころに生きる者となりましょう。

Ⅱ.ヒラムの応答(7-12)

さて、そのソロモンの要請に対して、ヒラムはどのように応答したでしょうか。7~12節をご覧ください。「7 ヒラムはソロモンの申し出を聞いて、大いに喜んで言った。「今日、主がほめたたえられますように。主は、この大いなる民を治める、知恵のある子をダビデにお与えになった。」8 ヒラムはソロモンのもとに人を遣わして言った。「あなたが言い送られたことを聞きました。私は、杉の木材ともみの木材なら、何なりとあなたのお望みどおりにいたしましょう。9 私の家来たちは、それをレバノンから海へ下らせます。私はそれをいかだに組んで、海路、あなたが指定される場所まで送り、そこでそれを解かせましょう。それを受け取ってください。それから、あなたは私の一族に食物を与えて、私の望みをかなえてください。」10 こうしてヒラムは、ソロモンに杉の木材ともみの木材を、彼が望むだけ与えた。11 ソロモンはヒラムに、その一族の食糧として、小麦二万コルと上質のオリーブ油二十コルを与えた。ソロモンは、これだけの物を毎年ヒラムに与えた。12 主は約束どおり、ソロモンに知恵を授けられた。ヒラムとソロモンとの間には平和が保たれ、二人は契約を結んだ。」

ソロモンの申し出を聞いたヒラムは、大いに喜びました。そして、イスラエルの神をほめたたえて言いました。「今日、主がほめたたえられますように。主は、この大いなる民を治める、知恵のある子をダビデにお与えになった。」(7)

ここで注目すべきことは、ヒラムがイスラエルの主をほめたたえていることです。彼がどれほどイスラエルの主を知っていたのかはわかりませんが、おそらく、ダビデとソロモンを通して主のすばらしさを知っていたのでしょう。もしかすると、彼も主を信じていたのかもしれません。

ヒラム知恵のある王でした。彼はソロモンが王位に着いたことを、神がダビデに与えた約束の成就であると見ていたのです。そこで彼は、ソロモンに人を遣わして言いました。それは、杉の木材ともみの木材なら、何なりとソロモンが望むとおりにするということでした。そしてそれをレバノンから海へ下らせ、いかだに組んで、海路、イスラエルに送り届けるというものでした。また、賃金の支払いについては、賃金ではなく、ヒラム一族に食料を与えてほしいということでした。

それでソロモンはヒラム一族の食料として、小麦2万コル、上質のオリーブ油20コルを、毎年ヒラムに与えました。脚注の説明にあるように1コルは230リットルですから、2万コルの小麦とは4,600トンにもなります。10トントラックで460台分にもなります。それに上質のオリーブは20コルですから4,600リットルとなります。2リットルのペットボトルで2,300本分です。これは相当の食糧です。ソロモンはそれだけの食料を、ヒラムの一族に与えたのです。

こうしてヒラムとソロモンの間には平和が保たれ、二人は契約を結びました。すばらしいですね、ソロモンに知恵があったので平和があり、そして契約が結ばれたのです。知恵はこのように平和をもたらします。争いところには、知恵が欠けています。ヤコブの手紙の中にこう書いてあります。「しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。」(ヤコブ3:17-18)上からの知恵の特質の一つが平和なのです。このような義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれるのです。

ビジネス・コンサルタントのデイビッド・ホルセイガーは、その著「信頼の力」の中で、こう言っています。「お金ではなく、信頼関係こそ、ビジネスと人生における真の貨幣である。」信頼関係こそ、ビジネスと人生においていかに重要であるかがわかります。それを崩すことは簡単ですが、建て上げるのは容易なことではありません。義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。私たちは争いをもたらすのではなく、平和をつくる人になるために、平和の種を蒔く者でなければなりません。それは上からの知恵、神の知恵によるのです。

Ⅲ.神殿建設(13-18)

最後に、13~18節までをご覧ください。「13 ソロモン王は全イスラエルから役務者を徴用した。役務者は三万人であった。14 ソロモンは、彼らを一か月交代で一万人ずつレバノンに送った。一か月はレバノンに、二か月は家にいるようにした。役務長官はアドニラムであった。15 ソロモンには荷を担ぐ者が七万人、山で石を切り出す者が八万人いた。16 そのほか、ソロモンには工事の監督をする長が三千三百人いて、工事に携わる民を指揮していた。17 王は、切り石を神殿の礎に据えるために、大きな石、高価な石を切り出すように命じた。18 ソロモンの建築者たち、ヒラムの建築者たち、そしてゲバル人たちは石を切り、神殿を建てるために木材と石材を準備した。」

ソロモンは、神殿を建設するために全イスラエルから役務者を徴用しました。このときに担当したのが、4章に登場した役務長官アドニラムです。役務者は全部で3万人でした。ソロモンはそれを3組に分け、1か月交代で1万人ずつレバノンに送りました。すなわち、1か月間はレバノンにいるようにし、残りの2か月間は家にいるようにしたのです。ここにも彼の知恵がいかんなく発揮されています。こうした徴用は一般民衆の不平や不満を買う政策ですが、イスラエルの民が暴動を起こさずに役務に就くことができるように、こうした配慮をしたのです。それもまたソロモンの知恵に基づくものでした。

また、ソロモンには荷を担ぐ者7万人、山で石を切り出す者8万人がいました。これは切り出された木材や石を運ぶ人たちです。相当の数の人夫が必要でした。9章20~21節には「イスラエル人ではない、アモリ人、ヒッタイト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の生き残りの民すべて、すなわち、この地に残されていた人々、イスラエル人が聖絶できなかった人々の子孫を、ソロモンは強制労働に徴用した。今日に至るまで、そうである。」とあるので、これらの人たちは、

おそらく、イスラエルにいた奴隷たちだったと思われます。そのほか、工事の監督をする者が3千3百人もいました。

神殿のための木材と石材を準備したのは、ソロモンの建築者たち、ヒラムの建築者たち、ゲバルの建築者たちでした。ゲバルとは、ツロよりもさらに100㌔ほど北に上った地域のことです。そういう人たちが一丸となって神殿建設に当たったのです。

しかし、こうした一大事業には、ある種の危険も伴うものです。たとえそれが主のための働きであったとしても、過剰なまでの規模と栄華を求めるなら、民の負担は耐えがたいものとなり、やがて内側から崩壊を招いてしまうことがあります。私たちも主の御名のためにという事業が、いつしか自分の欲望を満たすものであったり、自分の名誉のためであったりすると、崩壊を招いてしまうことになります。たとえば、会堂建設はその一つです。主の家、主の栄光のためにと始めたプロジェクトが、いつしか人間的になってしまうということがよくあります。そしてそれが原因で教会に混乱を招いてしまうということがあるのです。それが人間の愚かさの一面でもあるわけですが、そういうことがないように、外側の見えるものではなく、見えないものにしっかりと目を留めていかなければなりません。パウロはⅡコリント4章18節でこのように言っています。「私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。」

神の国は、見えるものではなく、見えないものです。それは永遠に続くものなのです。それゆえ、たとえそれが主の御名のためであったとしても、その本質は見えないものであることを覚えつつ、そうしたものに惑わされることがないように注意しなければなりません。主が与えてくださる神の家を心から喜び感謝しつつ、且、バランスを持ってみこころに歩むことを求めていきたいと思います。

エレミヤ4章19~31節「エレミヤの苦悩」

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きょうは、エレミヤ書の4章後半部分から、神のことばを取り次ぎたいと思います。タイトルは「エレミヤの苦悩」です。19節に「私のはらわた、私のはらわたよ、私は悶える。」とあります。はらわたが煮えくり返るということばはありますが、はらわたが悶えるとは、聞いたことがありません。エレミヤは、それほど苦悶したわけです。なぜなら、ユダに対する神のさばきが心臓にまで達していたからです。それは彼らが悔い改めなかったからです。4章18節にあるように、彼らの生き方と彼らの行いが、彼らの身に滅びを招いたのです。そのことをユダの民に告げなければならなかったエレミヤの心境は、いかばかりであったかと思います。

 

きょうは、このエレミヤの苦悩について三つのポイントでお話したいと思います。第一に、エレミヤの苦悩は、はらわたが引き裂かれるような激しいものであったということです。第二のことは、その神のさばきの結果、そこにあったのはただの絶望だけでした。第三のことは、だから神に立ち返れ、ということです。この神のさばきから救うことができるのは、主イエス・キリストだけです。

Ⅰ.私のはらわた、私のはらわたよ(19-22)

まず、19節から22節までをご覧ください。「19 私のはらわた、私のはらわたよ、私は悶える。私の心臓の壁よ、私の心は高鳴り、私は黙っていられない。私のたましいが、角笛の音と戦いの雄叫びを聞いたからだ。20 破滅に次ぐ破滅が知らされる。まことに、地のすべてが荒らされる。突然、私の天幕が、一瞬のうちに私の幕屋が荒らされる。21 いつまで私は旗を見て、角笛の音を聞かなければならないのか。22「実に、わたしの民は鈍く、わたしを知らない。愚かな子らで悟ることがない。悪事を働くことには賢く、善を行うことを知らない。」

ユダの不従順に対する神のさばきは、バビロンという国を用いて彼らをさばくというものでした。それを示されたエレミヤは、こう叫びました。「私のはらわた、私のはらわたよ、私は悶える。私の心臓の壁よ、私の心は高鳴り、私は黙っていられない。」

ドキッとしますね。はらわたに向かって叫ぶのですから。「はらわた」とは、「腹のわた(曲)」のことで、わたは、綿あめの綿ではなく、曲がりくねって入り込んだ所を言います。百科事典を見ると、それが転じて大腸と小腸を総称し、さらに転じて内臓の総称としても用いられるようになったとありますた、と百科事典にあります(小学館 日本大百科全書)。それは、人間の感情の中心があるところという意味です。日本語にも「はらわたがちぎれる」とか、「はらわたが煮えくり返る」ということばがありますが、それは、耐えがたいほどの悲しみを覚えるとか、言いようがないほど腹が立つという意味で、耐えがたい苦しみ、耐えがたい悲しみ、耐えがたい怒りを表しているわけです。ここには「悶える」とありますので、耐えがたいほど苦悩したということです。なぜエレミヤはそれほど悶えたのでしょうか?19節後半にあります。ユダに対する角笛の音と戦いの雄叫びを聞いたからです。どういうことでしょうか?それはバビロン軍によってエルサレムに破滅がもたらされるということです。エレミヤはそれを聞いたとき、はらわたが引き裂かれるような思いになったのです。

エレミヤの愛国心、そして祖国の滅亡を告げられた悲しみは、いかばかりだったかと思います。ロシアがウクライナに侵攻したことで多くのウクライナ人が祖国を追われました。日本にも数名の避難民が逃れてきましたが、テレビの画面から伝わってくるのは、慣れ親しんだウクライナの土地から出なければならない悲しみでした。これはウクライナだけのことではありません。いつ、いかなる時にこのような事が起こるかわからないのです。もし2011年3月11日に東日本大震災が発生するということがわかっていたら、私たちも必死になって警告を発したのではないでしょうか。でもだれ一人耳を傾けてくれないのです。それがこの時エレミヤが体験したことでした。彼は悔い改めなければユダの国は滅びると聞いたとき、はらわたが悶え、黙っていられなかったのです。

使徒パウロも同じことを経験しました。彼は同胞のユダヤ人がイエス・キリストを拒否し、イエス・キリストの福音を信じようとしないのを見て、このように言いました。「私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。私は、自分の兄弟たち、肉による自分の同胞のためなら、私自身がキリストから引き離されて、のろわれた者となってもよいとさえ思っています。」(ローマ9:2-3)

パウロは、同胞のユダヤ人がイエス・キリストを信じないで、神に敵対しているのを見て、大きな悲しみがあると言ったのです。それは、ここでエレミヤが「私は悶える」と言っていることと同じです。はらわたが引き裂かれるほど悲しかったのです。痛みがありました。そしてそのためには、自分自身がキリストかせ引き離されて、神にのろわれた者となってもよいとさえ思っていたのです。それは、神は一人も滅びることを願わず、すべての人が救われて真理を知るようになることを願っておられることを知っていたからです。

あなたはどうでしょうか。羊飼いのいない羊のように弱り果てている隣人を見て、どのような思いを抱いているでしょうか。エレミヤは、「私のはらわた、私のはらわたよ。私は悶える。私の心臓の壁よ、私の心は高鳴り、私は黙っていられない。」と叫びました。イエス様も、そのような群衆を見て、羊飼いのいない羊のような彼らを、深くあわれまれました。はらわたが引き裂かれるほどの悲しみを持っておられたのです。

それは、私たちも同じです。神様を信じないで自分勝手に生きている人を、聖書では罪人と言っていますが、罪ある人は永遠の滅びを招くと本気で知ったなら、黙ってなどいられないはずです。エレミヤと同じように「私のはらわた、私のはらわたよ、私は悶える」と、叫ばずにはいられないはずなのです。

スティーブン・スピルバーグ監督の映画「シンドラーのリスト」の最後のシーンで、シンドラーが自分の指輪などの貴重品を見ながらこう叫びます。「ああ、これでもう一人の命を救うことができたのに・・・。」シンドラーは自分の身分を利用してナチスから多くのユダヤ人を救ったにもかかわらず、さらに多くの人を救えなかったことを後悔して涙を流したのです。

エレミヤも、ユダが神に背き続けた結果彼らにもたらされる神のさばき、具体的にはバビロンに滅ぼされるということですが、その宣告を示された時、もう黙ってなどいられませんでした。彼のはらわたは激しく引き裂かれました。「私のはらわた、私のはらわたよ、私は悶える」と言って、嘆いたのです。これこそ、神のさばきの宣告を示された者の自然な応答ではないでしょうか。

エレミヤは、このような悲しい啓示をいつまで受けなければならないのかと神に問いかけます。21節には、「いつまで私は旗を見て、角笛の音を聞かなければならないのか。」とあります。結果的に彼は40年間も語り続けることになるわけですが、この時点では直接的な答えはありません。しかし、別の形で答えが返ってきました。22節です。「実に、わたしの民は鈍く、わたしを知らない。愚かな子らで悟ることがない。悪事を働くことには賢く、善を行うことを知らない。」

主は、この愚かな者たちを「わたしの民」と呼ばれています。このようななじるお言葉というか、責めるお言葉の中にも、神の彼らに対する愛を、愛するがゆえに引き裂かれているお心を読むことができます。この中には、父なる神の涙が見え隠れしているのです。新約聖書には、イエス様もまた、ユダヤ人たちの愚かさを嘆いて、このように語っておられます。「人々はあなたがたを会堂から追放するでしょう。実際、あなたがたを殺す者がみな、自分は神に奉仕していると思う時が来ます。彼らがそういうことを行うのは、父もわたしも知らないからです。」(ヨハネ16:2-3)

私たちの回りには、父なる神も、主イエスも知らないために、愚かな人生を歩んでいる人が多くいます。そのため、悪事を働くことには賢く、善を行うことを知らないのです。そして、その身にさばきを招いているのです。その人たちの救いのために、祈らなければなりません。

Ⅱ.私が見ると(23-28)

次に、23節から28節までをご覧ください。「23 私が地を見ると、見よ、茫漠として何もなく、天を見ると、その光はなかった。24 私が山々を見ると、見よ、それは揺れ動き、すべての丘は震えていた。25 私が見ると、見よ、人の姿はなく、空の鳥もみな飛び去っていた。26 私が見ると、見よ、豊かな地は荒野となり、町々は主の前で、その燃える怒りによって打ち壊されていた。27 まことに、主はこう言われる。「全地は荒れ果てる。ただし、わたしは滅ぼし尽くしはしない。28 このため地は喪に服し、上の天は暗くなる。わたしが語り、企てたからだ。わたしは悔いず、やめることもしない。」」

バビロン軍の侵略によって、ユダに激しいさばきが下されます。ここには、その惨状が語られています。ここには、「私が見ると」ということばが何回も繰り返されています。23節には「私が地を見ると」とあります。また「天を見ると」とあります。24節にも「私が山々を見ると」、25節にも「私が見ると」、26節にも「私が見ると」とあります。何回も「私が見ると」と繰り返して出てくるのです。なぜでしょうか?これを語っているのはエレミヤです。エレミヤはバビロンの侵略によってユダがどうなったのかを見て、それを具体的に伝えようとしたのです。

エレミヤが見たのは、まず地と天でした。彼が地を見ると、そこは茫漠として何もありませんでした。天を見ると、そこに光はありませんでした。山々を見ると、それは揺れ動き、すべての丘が震えていました。つまり、神のさばきが下った時の状態が、天地が創造される以前の混沌とした状態にたとえられているのです。創世記1章2節には、「地は茫漠として何もなく、闇が大水の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。」とあります。これと同じ状態です。茫漠としていました。「茫漠」とは、混沌としている状態のことを言います。何もないのではありません。ありましたが混沌としていたのです。ですから、新改訳聖書第2版では「地は形がなく、何もなかった。」と訳しましたが、新改訳聖書第3版からは「茫漠」と訳すようにしました。新改訳2017でもそうです。「地は茫漠として何もなく」と訳してあります。この「茫漠」ということばはあまり使わないので、新改訳2017の翻訳を担当した先生に、「もう少しわかりやすいことばを使っていただけないでしょうか。」とお願いしたら、「そうですね、検討します」というご返事でした。「でも、これは何もなかったということではないので」という説明でした。それで2017が出版された時にどうなったか楽しみに見たら、やはり「茫漠」となっていたのでがっかりしました。

ちなみに、尾山令仁先生が訳されたびっくりするほどよくわかる創造主訳聖書は、ここを次のように訳しています。「地球とは言っても、まだ形が無く、混沌としており、真暗闇で、液状であり、創造主の聖霊は、あたかも雌鳥がその翼を広げてひなをはぐくんでいるかのように、その上を覆っていた。」(創世記1:2)すばらしいですね。原文の意味はこういう意味です。地は形がなく、混沌として、真暗闇で、液状であり。その創造主訳聖書はエレミヤ4章23節をどのように訳しているかというと、こう訳しています。「私が地上を見ると、もうそこには何も無く、天を見ても、そこには光しかなかった。」何も無かったとは、何の形もなかったということではなく、地の上は踏みにじられてもう何もないような状態であったということです。これも正しいと思います。そういう意味です。いずれにせよ、ここで言いたかったことは、地と天は、もう跡形もないくらい破壊されたということです。

次にエレミヤは、カメラがズームインしたかのように、ひとりの人間もいなくなり、空の鳥も飛び去った状態を描いています。25節です。さらにエレミヤは、あの乳と蜜が流れる豊かな地は荒野となり、町々は、打ち壊されているのを見ました。つまり、そこに見たのは絶望であったということです。悔い改めない者にもたらされる結末は、恐れと絶望なのです。それは主の燃える怒りによってもたらされたものです。28節には「わたしが語り、企てたからだ。わたしは悔いず、やめることもしない」とあります。この「語り」、「企て」、「悔いず」、「やめることはしない」という四つの動詞は、それが確実に起こる事を示しています。

しかし、このところをよく見ると、そのようなさばきの中に、救いの希望も語られていることがわかります。27節をご覧ください。「まことに、主はこう言われる。「全地は荒れ果てる。ただし、わたしは滅ぼし尽くしはしない。」どういうことでしょうか?これは、全地は荒れ果てるが、滅ぼし尽くされることはないということです。つまり、ユダの民がすべて滅ぼし尽くされるわけではないということです。残された者がいるのです。これを英語で「レムナント」と言います。意味は、「イスラエルの残れる者たち」です。これは、イスラエル民族全体の中にあって真の信仰を持っていた少数の人たちのことです。「真のイスラエル」、「霊的イスラエル」とも呼ばれます。今日のレムナントはメシヤニック・ジューと呼ばれている人たちです。イスラエルのすべてが滅ぼし尽くされるわけではありません。主は、アブラハムと交わした約束のゆえに、ご自身の民を完全に滅ぼすことはなさらないのです。イスラエルに対する神の選びと召命は、決して変わることはありません。ここに希望があります。神の約束は絶対に変わらないということです。

このイスラエルの民全体と「残れる者」の関係について、メシアニック・ジューを代表するラビの一人、アーノルド・フルクテンバウム博士は次のように述べています。

「ユダヤ人全体の中には、いつの時代も信仰ある者が必ずいる。その人々をイスラエルの残れる者(レムナント)という。つまり、全体としてのイスラエルと、残れる者としてのイスラエルと、二種類のイスラエルがあるのだ。両者は民族的には同一だが、霊的には異なる。過去の歴史において、人数の多少はあったとしても、残れる者がいなかったことは決してない・・」

使徒パウロも、イスラエルには二種類あると指摘しています(ローマ書9:6参照)。すなわち、全体としてのイスラエル(民族的なイスラエル)と残れる者であるイスラエル(信仰あるイスラエル)です。また、ローマ9:27ではイザヤを引用して「たといイスラエルの子どもたちの数は砂のようであっても、救われるのは、残された者である」とあり、「それと同じように今も、恵みの選びによって残された者がいます。」(11:5)と述べています。

ですから、現在の「残れる者」であるイエスをメシアと信じ従うユダヤ人(メシアニック・ジュー)が、ユダヤ人の1%しかいないとしても、神がユダヤ人全体を捨てられたことにはなりません。決してなくなることはないのです。」(ドット・モアヘッド著「聖書で学ぶ『約束の地』という小冊子17~18頁より引用、2012.8発行、イーグレープ出版)

すごいですね。神様の救いのご計画は。また、イスラエルに対する賜物と召命は。それはイスラエルに対してだけではなく、私たちに対する約束でもあります。主は私たちにこう約束してくださいました。「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。」(マタイ4:13)最後まで耐え忍ぶ人は救われるのです。

私たちの置かれている状況を見てください。今回のロシアのウクライナ侵攻ばかりでなく、先日も震度5強の地震がありました。一昨年からのコロナウイルスはまだ収束していません。いつ、何が起こるかわかりません。一寸先は闇みです。人間関係は破綻し、家族が、社会がバラバラになっています。いったい何が問題なのでしょうか。それは私たちが神に背いたから、神のさばきを受けているからだと聖書は言っています。これは産みの苦しみの始まりにすぎません。これからますますひどくなっていきます。そして患難時代を迎えることになります。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われるのです。私たちもこの残りの者です。神の賜物と召命は変わることはありません。私たちはこの神の救いの計画をしっかりと理解し、さばきの中にも神のあわれみがあると信じて、そこにある神の愛と慰めのメッセージをしっかりと受け止めて、最後まで耐え忍び、神に信頼して歩む者でありたいと思います。

Ⅲ.神に立ち返れ29-31)

ですから、第三のことは、神に立ち返れということです。29節から31節までをご覧ください。「29 騎兵と射手の雄叫びに、町中の人は逃げ去り、草むらに入り、岩によじ登った。すべての町が捨てられ、そこに住む人はいない。30 踏みにじられた女よ、あなたはいったい何をしているのか。緋の衣をまとい、金の飾りで身を飾りたて、目を塗って大きく見せたりして。美しく見せても無駄だ。恋人たちはあなたを嫌い、あなたのいのちを取ろうとしている。31 まことに、私は、産みの苦しみにある女のような声、初子を産む女のようなうめき、娘シオンの声を聞いた。彼女はあえぎ、手を伸ばして言う。「ああ、私は殺す者たちの前で疲れ果てた。」」

実際に、どのように神の審判が下るのか。ここには、騎兵と射手の雄叫びに、町中の人は逃げ去り、草むらに入り、岩によじ登った、とあります。すべての町が捨てられ、そこに住む人は一人もいなくなるのです。「踏みにじられた女」とはユダのことです。その時彼らは何をしていましたか。彼らは緋の衣をまとい、金の飾りで身を飾りたて、目を大きく見せたりして、美しく見せようとしていました。どういうことでしょうか。「緋の衣」とは、高級ブランド品のドレスのことです。「目を塗って大きく見せる」とは、化粧をして美しく見せようとすることです。つまり、ここではユダの姿が、緋の衣や化粧で自分を飾り立てる遊女にたとえているのです。この遊女はかつての恋人たち、つまりバビロンに()びを売って助かろうとしますが、そんなことをしても無駄です。その滅びから免れることはできません。恋人たちはあなたを嫌い、あなたのいのちを取ろうとするからです。

結局のところ、彼らはバビロンの攻撃によって、悲惨な状況に陥ることになります。それが、31節にあることです。「まことに、私は、産みの苦しみにある女のような声、初子を産む女のようなうめき、娘シオンの声を聞いた。彼女はあえぎ、手を伸ばして言う。「ああ、私は殺す者たちの前で疲れ果てた。」

ここでは、ユダの姿が二つのたとえで表現されています。一つは初子を産む女のようなうめきで、もう一つは、敵の手によって殺される者の姿です。「殺す者たち」とは、バビロン軍のことを指しています。その攻撃によって気力さえも失ってしまうほどの、何もかも空しくなってしまうような状態になるということです。まさに廃人同然のようになるのです。

これが罪のもたらす結果です。ですから、いつまでも罪の中にとどまっていてはいけない。神の忍耐を軽んじて、神に背き、自分が好むように、自分の好き勝手に生きるということではいけないのです。もしそういうことがあるとしたら、このイスラエルやユダのように、神のさばきを受けてしまうことになります。そして、そのような状態から自力で救われようとしてもできません。だから、神に立ち返らなければならないのです。もっと具体的に言うならば、神の救いを受け入れなければなりません。それは、私たちの救い主イエス・キリストです。私たちを罪から解放できるのは、イエス・キリストだけです。ローマ5章9節にこうあります。「ですから、今、キリストの血によって義と認められた私たちが、この方によって神の怒りから救われるのは、なおいっそう確かなことです。」

キリストの血によって義と認められた私たちが、この方によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことなのです。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。ですから、あなたがキリストを通して神に立ち返るなら、あなたは義と認められ、この神の怒りから救われることができるのです。キリストを通して、神に立ち返りましょう。そして、神の怒りから救われたことを感謝しようではありませんか。

私は小さい頃から口笛が下手で、あまりうまく吹くことができませんが、無意識に口笛を吹いたり、口ずさむときがあります。最もよく口ずさむ賛美は、新聖歌268番です。

  1. 悲しみ尽きざる 憂き世にありても 日々主と歩めば 御国のここちす 
    ハレルヤ 罪とが消されしわが身は いずくにありとも 御国のここちす
  2. かなたの御国は 御顔のほほえみ 拝する心の 中にも建てらる
    ハレルヤ 罪とが消されしわが身は いずくにありとも 御国のここちす
  3. 山にも谷にも 小屋にも宮にも 日々主と住まえば 御国のここちす
    ハレルヤ 罪とが消されしわが身は いずくにありとも 御国のここちす

この世を歩んでいると、誰でもさまざまな苦しみを味わいます。しかし、人間のまことの苦しみと不幸は、外側からの環境によって生まれるものではありません。それは私たちの中に神がおられないために生まれるのです。

悲しみの多いこの世では、高い山、荒野、粗末な家などが、私たちにとって不幸と苦しみになることがあります。しかし、この聖歌の歌詞のように罪の荷を降ろし、主とともに歩むなら、それはどこにあっても御国となるのです。

この世の多くの苦しみと悩みが私たちを不幸にするのではありません。私たちの心にイエス・キリストがおられないから、不幸になるのです。

しかし、イエス・キリストの血によって義と認められるなら、どんなに不幸のように見えても、さながら天国のようになります。聖霊によって、神の愛があなたの心に注がれるからです。このキリストを通して神に立ち返りましょう。これが、私たちが神の怒りから救われる唯一の道です。このキリストによって、私たちは高らかに神を賛美し、神に感謝をささげようではありませんか。

エレミヤ4章5~18節「心を洗いきよめよ」

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 きょうは、エレミヤ書4章5節から18節までのみことばから「心を洗いきよめよ」というタイトルでお話します。前回は、その前の1節から4節までのところから「心の包皮を取り除け」というメッセージでしたね。神から離れたイスラエルに向かって主は、「背信の子らよ、立ち返れ。」と語りました。そうすれば、主はあなたの背信を癒そうと。それで前回の箇所では、もし主に帰るというのなら、わたしのもとに帰れ、と言われたのです。主に立ち返るとはどういうことなのかを、「もし」ということばを用いて説明されたわけです。そしてそれは口先だけの悔い改めではなく、真実な悔い改めが求められるということでした。ただ表面的でうわべだけのものではなく、心から「主は生きておられる」と告白することが求められていたのです。

そのためには、三つのことが求められていました。一つは3節にあるように、「耕地を開拓せよ。」ということでした。耕地というのは、かたくなな心のことでしたね。その耕地に鍬とか鋤を入れて柔らかくしなければなりません。なぜなら、そのようにカチカチと凝り固まった心にどんなに種をまいても実を結ぶことはないからです。種が育つためにはまず、心の耕地を耕さなければなりません。

第二のことは、「茨の中に種を蒔くな」ということでした。茨の中に種を蒔いたらどうなりますか。どんなに芽が出ても成長することができません。茨がそれをふさいでしまうからです。ですから、茨の中に種を蒔いてはなりません。

そして第三のことは、「主のために割礼を受け、心の包皮を取り除け」ということでした。割礼とは男性の性器の先端を覆っている皮を切り取ることです。ユダヤ人は、自分たちが神の民であることのしるしとして、生まれて8日目にこの割礼を受けました。しかし、ここで言われているのはただの割礼ではなく「心の割礼」のことでした。「外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上のからだの割礼が割礼ではないからです。かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による心の割礼こそ割礼だからです。」(ローマ2:28-29)大切なのは、心に割礼を受けるということ、御霊による心の割礼です。すなわち、彼らの心に焦点が当てられていたのです。

きょうの箇所はその続きです。きょうの箇所でも、彼らの心に光が当てられています。14節には「エルサレムよ。救われるために、悪から心を洗いきよめよ。」とあります。「いつまで、自分のうちによこしまな思いを宿らせているのか。」と。神のことばを聞いたのなら、あなたの心を洗いきよめなければならない、というのです。

きょうはこのことについて3つのポイントでお話したいと思います。第一のことは、そのためには、身を慎み、目を覚ましていなければなりません。そうでないと、あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っているからです。

第二のことは、神が何と言っておられるのかをよく聞き分けなければなりません。そうでないと、偽りの教えに騙されてしまい、滅びを招いてしまうことになるからです。

第三のことは、その滅びから救われるために、悪から心を洗いきよめよ、ということです。

 Ⅰ.身を慎み、目を覚ましていなさい(5-9)

まず、5節から9節までをご覧ください。「5「ユダに告げ、エルサレムに聞かせて言え。国中に角笛を吹け。大声で叫べ。『集まれ。城壁のある町に逃れよう』と。6シオンに向けて旗を掲げよ。自分の身を守れ。立ち止まるな。わたしが北からわざわいを、大いなる破滅をもたらすからだ。7獅子はその茂みから立ち上がり、国々を滅ぼす者はその国から出て来る。あなたの地を荒れ果てさせるために。あなたの町々は滅び、住む者はいなくなる。」8このことのために、粗布をまとって悲しみ嘆け。主の燃える怒りが、私たちから去らないからだ。9「その日には-主のことば-王の心や、高官たちの心は萎え、祭司は唖然とし、預言者はたじろぐ。」」

ユダに対するさばきの宣言です。「角笛を吹く」とは、危険が迫っていることを示しています。「城壁のある町に逃れよう」とは、城壁など防備のある町に逃れるようというということです。エルサレム以外のユダの町々に住む人々に、侵入して来る敵の軍隊に備えて、防備のある町々に避難するようにと呼び掛けられているのです。なぜなら、北からわざわいが、大いなる破滅が襲い掛かって来るからです。それは神がもたらしたものでした。「北から」とは、バビロンのことを指しています。7節には「獅子」とありますが、それはバビロンのことを象徴しています。「獅子はその茂みから立ち上がり、国々を滅ぼす者はその国から出てくる。」そうです、バビロンがやって来てユダに襲いかかり、破滅をもたらそうとしていたのです。それはユダの民が、預言者を通して語られた神のことばを聞いても、神に立ち返らなかったからです。それで主の燃える怒りが、彼らに向けられたのです。その日には、王の心や、高官たちの心は萎え、祭司は唖然とし、預言者はたじろぐことになります。

その神のさばきから逃れる唯一の道は何でしょうか。8節には「このことのために、粗布をまとって悲しみ嘆け。」とあります。つまり、罪を悔い改めて神に立ち返ることです。それなのに彼らには、そのようにしませんでした。彼らには、そのような信仰が欠如していたのです。

新約聖書には、サタンが獅子にたとえられています。Ⅰペテロ5章8節には、「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」とあります。敵である悪魔に勝利する秘訣は、「身を慎み、目をさましている」こと、つまり、信仰の目をさましていることです。そうでないと、獅子がユダを食い尽くしたように、霊的な獅子である悪魔があなたを食い尽くしてしまうことになります。あなたは、神のことばによって養われていますか。神のことばが聞こえているでしょうか。

先週もC-BTE(教会主体の神学教育)が持たれましたが、前回はテトスの手紙1章から学びましたが、そこには、パウロが開拓したクレテの教会を破壊する者たちがいました。彼らは反抗的な者、無益な話をする者であり、人を惑わす者たちで、恥ずべき利益を得るために、教えてはならないことを教え、いくつかの家々をことごとく破壊していました(テトス1:10-11)。彼らは神を知っていると公言していましたが、行いでは否定していたのです(同1:16)。そういう者たちが家々に入り込むとどうなるでしょうか。家々が破壊されてしまうことになります。夫婦関係に亀裂が生じ、家族はバラバラになり、教会が破壊されてしまうことになります。なぜなら、家族は教会を構成している最小単位だからです。それがバラバラになれば、当然それを構成している教会の共同体も崩壊してしまうことになります。特に初代教会では、家々が教会でしたから、その家々が破壊されるということは、教会が破壊されることにつながっていったのです。ですから、夫婦とか家族というのはとっても大切なのです。しかし、その夫婦なり家族に関する教えが、神のことばに従った健全なものではなく、この世の考え方やこの世の教えに従ったものであるなら、知らないうちに家々が崩壊していくことになります。

ですから、神のことばである主の教え、健全な教えを聞いて、それに養われていないと、霊的獅子である悪魔に食い尽くされてしまうことになります。いつの間にか信仰から離れ、この世にどっぷりと浸かった状態に陥ってしまうのです。ですから、注意しなければなりません。いつも身を慎み、目を覚ましていなければならないのです。私たちの心を見張っていなければなりません。

 Ⅱ.神のことばを聞き分ける(10-13)

第二のことは、神が何と言っておられるのかをよく聞き分けなければならないということです。10節から13節までをご覧ください。10節をお読みします。「10 私は言った。「ああ、神、主よ。まことに、あなたはこの民とエルサレムを完全に欺かれました。『あなたがたには平和が来る』と言われたのに、剣が私たちの喉に触れています。」」

「私」とは、エレミヤのことです。エレミヤは、ここで主に言っています。「あなたはこの民とエルサレムを完全に欺かれました。」なぜなら、「あなたがたには平和が来る」と言われたのに、平和どころか剣が喉に触れているからです。どういうことでしょうか。

「あなたがたには平和が来る」と言ったのは偽預言者たちです。ここも二重の『』になっています。これは、当時の偽預言者たちが語っていた言葉です。そのメッセージを信じた結果、欺かれることになってしまいました。それは主なる神が悪かったのではなく民が悪かったからです。神はエレミヤを通して、神に立ち返らないとさばきが来ると宣告していたのに、ユダの民はそれを受け入れませんでした。聞きたくなかったのです。耳障りが悪いからです。そしてそれとは反対の偽預言者たちの言葉を信じました。「自分たちは大丈夫、神のさばきなんか来ないから」「侵略なんてされることはない、自分たちは要塞のあるエルサレムで平和に暮らすことができる」と、まんまと騙されていたのです。

彼らが聞きたかったのはさばきのメッセージではなく、救いのメッセージ、平和のメッセージでした。ですから、どんなに悔い改めて神に立ち返れと言われても、そうでないと神のさばきを免れることはできないと聞いても、そうした言葉には耳を塞ぎ、「あなたがたには平和がくる」という偽預言者たちの語るメッセージを喜び、受け入れていました。つまり、問題は彼らの不信仰にあったのです。

それは彼らだけではなく、私たちにも言えることです。人は皆、こうした偽りの平安や表面的な気休めの言葉を求めています。家内安全、商売繁盛、といった現世的な利益とか、病気が癒される、人間関係が良くなるといった言葉を求めているのです。それ自体は悪いことではありません。でももっと本質的なものを見ていないと、このユダの民のように欺かれてしまうことになります。もっと本質的なものとは何かというと、神との関係です。永遠のいのちです。神との関係がないのに、いくら「平和だ、平和だ」と言っても、それは表面的なものにすぎません。どんなに健康であっても、どんなに問題が解決しても、神との関係がなかったら地獄です。何にもなりません。でも、たとえ病気であっても、たとえ貧しくても、たとえ問題があっても、神を信じ、イエス・キリストを救い主と信じている人はどんなに幸いでしょうか。最終的に、神の国、天国に行くことを知っているのですから。皆さん、騙されてはいけません。「平安だ、平安だ」という言葉に簡単に飛びついてはいけないのです。あまりにも簡単にそうしたものに飛びつくと、今さえ良ければいいという生き方になってしまい、必ず失望することになってしまいます。まず天を定めることです。そこから上下左右のバランスをとっていくのです。これが生け花の基本だと、以前誰かから聞いたことがあります。まず天を定めて、現在を見ていくのです。神のみこころは何か、何が良いことで神に受け入れられることなのかを求め、心の一新によって自分を変えることです。そうすれば偽りの言葉に騙されることはありません。

11節から13節までをご覧ください。「11 そのとき、この民とエルサレムに告げられる。「荒野にある裸の丘から、熱風は、娘であるわたしの民の方に吹く。ふるい分けるためでも、より分けるためでもない。12 それよりも、もっと激しい風が、わたしのために吹いて来る。今や、わたしが彼らにさばきを下す。」13 見よ、それは雲のように上って来る。その戦車はつむじ風のよう。その馬は鷲よりも速い。ああ、私たちは荒らされる。」

そのとき、この民とエルサレムに、主のことばが告げられました。それはユダに対して、もっと激しい神のさばきが下されるということでした。それが「熱風」という言葉で表されています。「熱風」とは、砂漠から吹いてくる「シロッコ」と呼ばれる夏の季節風のことです。この「熱風」が、娘である神の民イスラエルの方に吹くのです。何のためですか?これはふるい分けるためでも、より分けるためでもありません。脱穀のようにもみ殻をふるい分ける時にも風が用いられますが、そのようにふるい分けるためでも、より分けるためでもありません。それよりも、もっと激しい風が、神のために吹くのです。それは、神が彼らにさばきを下すための風で、彼らを滅ぼすためのものでした。この熱風は、いったん吹けばすべての植物を枯らしてしまいます。それは戦車のつむじ風のようで、その馬は鷲よりも早いのです。鷲よりも早いのですから、相当早い馬です。それは誰のことでしょうか?それは北からのわざわい、バビロンのことです。バビロンがやって来て、ユダを激しく滅ぼし尽くすのです。それが彼らの目前まで迫っていました。なぜなら、彼らが悔い改めなかったからです。偽りの預言者たちのことばに騙されて不信仰に陥っていたからです。

今から4年前に天に召された世界的な伝道者ビリー・グラハム師は、1989年のゴードン・コンウェル神学校の設立記念礼拝のメッセージの中で、次のように言いました。

「世の中には、これは常に正しいと言えるものと、これは常に正しくないと言えるものがある。この単純な事実を、私たちは見失ってしまった。つまり、私たちは判断基準を失ってしまったのだ。この国には、自分たちの生活を防御するための論理的哲学がない。それゆえ、何かが起きなければ、私たちの生活はより重大な危機に陥るだろう。その何かというのは、霊的リバイバルである。」(ビリー・グラハム,クリスチャニティトゥデイより)

私たちに求められているのは、この「霊的リバイバル」です。神に立ち返ることです。神のことばに生きることです。私たちが聖書に書かれてあることを知らなければ、いとも簡単に、聖書とは違うメッセージを信じてしまうことになります。その結果、私たちの心が神から離れてしまうのです。神を信じていると思っていても、いつの間にか、それとは違う方向へ進んでいくことになります。そこには、神との親しい交わりはありません。

ですから、私たちは注意しなければなりません。自分に都合がいい、耳障りがいいことばではなく、神のことばを聞かなければならないのです。神は何とおっしゃっているのかを聞き、それに従わなければなりません。そうでないと熱風が吹いて来てすべてを枯らしてしまうことになります。

 Ⅲ.悪から心を洗いきよめよ14-18)

 ですから、第三のことは、救われるために、悪から心を洗いきよめよ、ということです。14節から18節までをご覧ください。「エルサレムよ。救われるために、悪から心を洗いきよめよ。いつまで、自分のうちによこしまな思いを宿らせているのか。15 ああ、ダンから告げる声がある。エフライムの山からわざわいを告げ知らせている。

4:16 国々に語り告げよ。さあ、エルサレムに告げ知らせよ。包囲する者たちが遠くの地から来て、ユダの町々に対して、ときの声をあげる。17 彼らは畑の番人のように、ユダを取り囲む。それは、ユダがわたしに逆らったからだ。-主のことば-18 あなたの生き方と、あなたの行いが、あなたの身にこれを招いたのだ。これはあなたへのわざわいで、なんと苦いことか。もう、あなたの心臓にまで達している。」」

 それゆえ、主なる神は、ユダの人々が救われるために、主の前に悔い改めるように、そして「悪から心を洗いきよめよ」と命じています。

「心を洗う」とはどういうことでしょうか。それは心を入れ替えるということではありません。心を洗うことは、自力ではできないのです。ですから、心を洗うためには、心を神に向け、神に洗ってもらわなければなりません。

旧約聖書に出てくるダビデは、主なる神によって心を洗われるという経験をしました。詩篇51篇7節で、彼はこう言っています。「ヒソプで私の罪を除いてください。そうすれば私はきよくなります。私を洗ってください。そうすれば私は雪よりも白くなります。」

「ヒソプ」とは、壁や岩などに生えるシソ科の植物です。モーセの律法の中に、過越の祭りでほふった小羊の血をそのヒソプの束によって、鴨居と門柱につけるように命じられていました(出エジプト12:22)。ですから、ヒソプで私の罪を除いてくださいというのは、その小羊の血によって、きよめてくださいということです。そうすれば、雪よりも白くなります。これは真っ白になるということです。完全に洗いきよめていただくことができるのです。預言者イザヤはこう言いました。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。」(イザヤ1:18)主がきよめてくだされば、雪よりも白くなることができます。心を洗いきよめることができるのです。

また、彼はこうも言っています。「神よ。私にきよい心を造り、揺るがない霊を私のうちに新しくしてください。」(詩篇51:10)きよい心を造り、揺るがない霊を与えてくださるのは、神なのです。

いったい神はどのように私たちの心を洗いきよめてくださるのでしょうか。それは小羊の血を心に塗ることによって、すなわち、神の御子イエス・キリストを心に信じることによってです。Ⅰヨハネ1章7節にこうあります。「もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。」御子イエスの血が、すべての罪から私たちをきよめてくださいます。ですから、聖書はこう言うのです。「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」(Ⅰヨハネ1:9)

もしあなたが自分の罪を告白するなら、神は真実な方ですから、その罪を赦し、すべての悪から洗いきよめてくださいます。ハレルヤ!何という約束でしょうか。私たちも日々神に背き、罪を犯す者ですが、私たちが御子イエスに向くなら、そして、自分の罪を告白するなら、主はその罪を赦し、すべての悪からきよめてくださるのです。

アメリカに有名な伝道者で、リバイバリストであったチャールズ・フィニーという人がいました。最初に「リバイバル」という言葉を使った人で、「最初のアメリカ人リバイバリスト」と呼ばれている人です。

彼がある町で伝道していた時のことです。人相の悪い男に「今晩、わしの店まで来てくれ」と言われました。彼は恐る恐る彼の店に行ってみると、急にピストルを取り出して言いました。「昨晩あんたの言ったことは本当か。」

「どんなことを言いましたか。」

「キリストの血がすべての罪からきよめると言ったさ。」

「それは私のことばではなく、神のことばです。」

「実は、この酒場にある秘密のギャンブルの部屋で、わしは多くの男を最後の1ドルまでもふんだくり、ある者は自殺に追いやった。こんな男でも、神は赦してくれるのか。」

「そうです、すべての罪はキリストの血によってきよめられます。」

「ちょっと待ってくれ。支払いができない奴は、殺し屋を雇い、このピストルで殺させた。こんな男でも、神は赦してくれるのか。」

「私に言えるのは、聖書には、すべての罪が赦されると書いてあるということだけです。」

「ちょっと待ってくれ。通りの向こうの大きな家に、わしの妻と子供たちがいる。ところがわたしはこの16年間、妻をののしり続けてきた。先日は幼い娘をストーブのそばに押し倒し、やけどを負わせた。こんな男でも神は赦してくれるのか。」

すると、フィニーは立ち上がり、その男の手を握りました。そして、こう言いました。「これまで聞いたことのない恐ろしい話を聞きました。しかし聖書には、キリストの血がすべての罪を赦し、きよめると書いてあります。」

すると、その男は言いました。「それを聞いて安心した。」

翌朝、太陽が昇るころ、その男は立ち上がって自宅に帰りました。そして自分の部屋に幼い娘を呼び、ひざに乗せて「パパはおまえを、心から愛しているよ」と言いました。何事が起こったのかと不審に思って中を覗いていた妻の頬に、涙が流れ落ちました。彼はその妻を呼ぶとこう言いました。「昨晩、今まで聞いたことのない、すばらしい話を聞いた。キリストの血は、すべての罪からきよめると・・・」そして彼は酒場を閉め、その町にとって大の恩恵者になったのです。

キリストの血は、どんな罪でも赦し、きよめ、私たちを神と和解させます。キリストの愛はどんな人でもその人の内側から変え、神の平安で満たしてくれるのです。

ですから、もしあなたが神に帰るのなら、キリストのもとに行かなければなりません。そして救われるために、悪から心を洗いきよめていただかなければならないのです。いつまで、自分のためによこしまな思いを宿らせているのですか。今日、もし御声を聞くなら、あなたの心をかたくなにしないでください。主イエスの血によって、あなたの心をきよめていただきたいのです。

15節には、「ああ、ダンから告げる声がある。エフライムの山からわざわいを告げ知らせている。」とあります。「ダン」とは、北イスラエルの最北端にある町です。「エフライムの山」とは、南ユダの最北端にある山です。ですから、これは全イスラエルに告げ知らせよということです。イスラエルのすべての人に悔い改めるようにと勧告されているのです。いや、イスラエルばかりではありません。16節には「国々に語り告げよ。」とあります。それは異教の国々も含むすべての国々のことです。すべての国の、すべての人に対して勧められているのです。何を?悔い改めることです。救われるために悪から心を洗いきよめることです。そうでないと、包囲する者たちがやって来て、ユダの町々に対して、ときの声をあげるようになります。あなたを包囲する者たちがやって来て、あなたを滅ぼしてしまうことになるのです。

それは神に原因があるからではありません。18節にあるように、「あなたの生き方と、あなたの行いが、あなたの身にこれを招いた」のです。神が好んでしているわけではないのです。あなたの生き方と、あなたの行いが、これをあなたの身に招きました。これは、神に背いた生き方、神に背いた行いのことです。聖書では、これを罪と呼んでいます。罪とは的はずれ、神という的を外した生き方、行いです。言い換えると、それは自己本位の生き方のことです。これがあなたの身にわざわいをもたらすのです。それはあなたの心臓にまで達しているとあります。それは文字通り、健康にもよくありません。罪はあなたの心と体を蝕むのです。その行き着くところは死です。「罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ6:23)

罪の報酬は死です。しかし、神がくださる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。このようなすばらしい賜物を与えてくださった主に心から感謝します。ですから、もしあなたがまだこの賜物を受けていなのであれば、どうか今、自分の罪を認め、神に立ち返ってください。あなたのために十字架で死なれ、三日目によみがえられた救い主イエス・キリストを信じてください。そうすれば、あなたの罪は赦され、すべての悪から心をきよめていただくことができます。

ユダの民は、「自分の心を見つめるように」という神からの語りかけを、真摯に受け止めませんでした。その結果、エレミヤがこの預言を語ってから20年後に、結局バビロン捕囚の憂き目にあいました。罪を犯す根源である心を点検しましょう。そして、キリストによってすべての悪から心を洗いきよめていただき、救いの恵み、永遠のいのちをいただき、神とともに新しい人生を歩ませていただきましょう。

Ⅰ列王記4章

 今日は、列王記第一4章から学びます。

 Ⅰ.ソロモンの高官たち(1-19)

 まず1節から6節までをご覧ください。「1 こうして、ソロモン王は全イスラエルの王となった。2 彼の高官たちは次のとおり。ツァドクの子アザルヤは祭司、3 シシャの子たちのエリホレフとアヒヤは書記、アヒルデの子ヨシャファテは史官、4 エホヤダの子ベナヤは軍団長、ツァドクとエブヤタルは祭司、5 ナタンの子アザルヤは政務長官、ナタンの子ザブデは祭司で王の友、6 アヒシャルは宮廷長官、アブダの子アドニラムは役務長官。」

こうして、ソロモン王は全イスラエルの王となりました。「こうして」とは、3章にあったように、ソロモンが主から「あなたに何を与えようか。願え。」(3:6)と言われたとき、彼が自分ために長寿を願わず、富みを願わず、敵のいのちさえも願わず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、その知恵と判断の心ばかりでなく、彼が願わなかったもの、たとえば、富みとか誉といったものまで与えられました。彼が生きている限り、彼に並ぶものは一人もいなかったほどです。

その彼の知恵と判断力がどれほど優れたものであったのかを示す逸話が、3章後半にありました。まさに大岡越前みたいな裁きをしました。いや、大岡越前さえもその足元に及ばないほどのさばきでした。それは、母親の情に訴えるものでした。

今回は、その知恵が行政においても発揮されていたことが示されています。どんな知恵があっても、それを発揮することができないと意味がありません。ロシアのウクライナ侵略はまさにその例です。プーチン大統領を恐れて側近のだれもプーチンを止めることができません。プーチンは行政においても、知恵がないことを露骨に表しました。しかし、ソロモンは違います。それは王になると、優れた高官たちを任命しました。

まずツァドクの子アザルヤです。彼は祭司です。彼はツァドクの子であるとありますが、孫です。他に4節には、「ツァドクとエブヤタルは祭司」とありますが、おそらくこれは名誉的な称号でしょう。というのは、この二人はダビデの時代に祭司として仕えていましたが、ツァドクは、ソロモンを支持したので引き続き大祭司職に留まったものの、エブヤタルはアドニヤを支持したので、罷免させられていたからです(2:27)。

3節には、シシャの子たちのエリホレフとアヒヤは書記とあります。書記は非常に重要な職責でした。行政、貿易、軍隊などあらゆる国政に関わる記録を担当したのです。

そしてヨシャファテは史官です。「史官」とは、書記の補佐官のことです。王の日課を記録する役目がありました。彼は、王国の歴史に関する正式な文書を残しました。

そしてエホヤダの子ベナヤが軍団長でした。アドニヤに仕えていたヨアブを処刑するようにソロモンが命じたのが、このベナヤでした(2:25)。

次にナタンの子アザルヤは政務長官です。ナタンとは、ダビデがバテ・シェバと姦淫を行った時、そのことをダビデに告げた預言者です。彼はダビデとソロモンに仕えました。それで彼の二人の息子たちは、政府高官に抜擢されたのでしょう。そのうちの一人アザルヤは政務長官でした。そしてもう一人のザブデは祭司で、王の友となりました。父ナタンと同じような立場です。

次に、アヒシャルは宮廷長官とあります。宮廷長官とは、宮廷内を司る長のことです。英語のNKJVでは、「over the household」と訳しています。宮廷全体を司る人のことです。また、アブダの子アドニラムは、役務長官でした。役務長官とは、国のプロジェクトのために人々を借り出させて労役を課すところの執行者です。彼は、後に、神殿建設に貢献するようになります。膨大な数の役務者を徴用しますが、民の間で不評を買い、ソロモンの子レハブアムの時代に民から石打ちに会い、殺されます(12:18)。

次に7節から19節までをご覧ください。「7 ソロモンは、イスラエル全土に十二人の守護を置いた。彼らは王とその一族に食糧を納めた。一年に一か月分の食糧を各自が納めることになっていたのである。8 彼らの名は次のとおり。エフライムの山地にはフルの子。9 マカツ、シャアルビム、ベテ・シェメシュ、エロン・ベテ・ハナンにはデケルの子。10 アルボテにはヘセデの子。彼はソコと、ヘフェルの全地を任されていた。11 ドルの全高地にはアビナダブの子。ソロモンの娘タファテが彼の妻であった。12 タアナク、メギド、またイズレエルの下ツァレタンのそばのベテ・シェアンの全域、ベテ・シェアンからアベル・メホラ、ヨクメアムの向こうまでの地には、アヒルデの子バアナ。13 ラモテ・ギルアデにはゲベルの子。彼はギルアデにあるマナセの子ヤイルの町々と、バシャンにあるアルゴブの地域で、城壁と青銅のかんぬきを備えた六十の大きな町を任されていた。14 マハナイムにはイドの子アヒナダブ。15 ナフタリにはアヒマアツ。彼も、ソロモンの娘バセマテを妻としていた。16 アシェルとベアロテにはフシャイの子バアナ。17 イッサカルにはパルアハの子ヨシャファテ。18 ベニヤミンにはエラの子シムイ。19 アモリ人の王シホンとバシャンの王オグの領地であったギルアデの地には、ウリの子ゲベル。彼は、その地で唯一の守護であった。」

これだけ膨大な領土を治めるには、行政の組織化が必要となります。そこで彼は、王国を12の行政区に分割し、それぞれの行政区に守護(行政官)を置きました。ここに、その12人の行政官の名前があげられています。15節に出ている「アヒマアツ」以外は、ここにしか登場しません。ソロモンは彼らに徴税の任務を課し、それを王宮に納めさせました。それは膨大な量でした(22-28)。しかし、ここにも彼の知恵がいかんなく発揮されています。それは、「一年に一か月分の食料を治めることになっていた」(7)ということです。つまり、年に一か月間だけ、食料を納めたということです。であれば、行政官たちは、必死になって働いたことでしょう。

この行政区域は、良く見るとかつてから存在していた部族ごとの領土の境界線とは必ずしも一致していません。どうして一致していないのかというと、これによって部族間の敵対感情を和らげようとしたからです。

また、守護(行政官)の中には、ソロモンの義理の息子が二人含まれています。11節の「アビナダブ」と、15節の「アヒマアツ」です。どうして彼は義理の息子を登用したのでしょうか。それは、このように彼らを配置することで、不穏な動きを見張ろうと考えたからではないかと思います。

ソロモンは、過去の貢献度を考慮して人材を登用しましたが、ここでは、能力に応じて行政区の割り当てをしました。実に見事な判断です。それは神の視点からは、神がソロモンを祝福するために、必要な人材を用意しておられたということです。これもまた、神がダビデと交わした約束のゆえであり、ソロモンが主を心から愛し、主のみこころに歩もうとしていたからです。主のみこころにかなった歩をするなら主が祝福してくださると信じて、みこころに歩みたいと思います。

Ⅱ.王国の繁栄(20-28)

次に20節から28節までをご覧ください。「20 ユダとイスラエルの人々は海辺の砂のように多くなり、食べたり飲んだりして、楽しんでいた。21 ソロモンは、あの大河からペリシテ人の地、さらにエジプトの国境に至る、すべての王国を支配した。これらの王国は、ソロモンの一生の間、貢ぎ物を持って来て彼に仕えた。22 ソロモンの一日分の食糧は、上質の小麦粉三十コル、小麦粉六十コル。23 それに、肥えた牛十頭、放牧の牛二十頭、羊百匹。そのほか、雄鹿、かもしか、のろ鹿、そして肥えた鳥であった。24 これはソロモンが、あの大河の西側、ティフサフからガザまでの全土、すなわち大河の西側のすべての王たちを支配し、周辺のすべての地方に平和があったからである。25 ユダとイスラエルは、ソロモンの治世中、ダンからベエル・シェバに至るまでのどこでも、それぞれ自分のぶどうの木の下や、いちじくの木の下で安心して暮らした。26 ソロモンは、戦車用の馬のために馬屋四万、騎兵一万二千を持っていた。27 守護たちはそれぞれ自分の当番月に、ソロモン王、およびソロモン王の食卓に連なるすべての者たちのために食糧を納め、不足させなかった。28 また彼らは、引き馬や早馬のために、それぞれ割り当てにしたがって、所定の場所に大麦と藁を持って来た。」

その結果、ソロモンの王国は繁栄の時代を迎えます。ここには、それがどれほどの繁栄であっかが記されてあります。まずユダとイスラエルの人数です。それは、海辺の砂のように多くなりました。戦時には人口は増えないので、それは戦争のない平和な時代であったことを表しています。それだけ多くの人々が、食べたり、飲んだりして、楽しんでいたのです。

また、ソロモンが支配した領土は、「あの大河からペリシテ人の地、さらにエジプトの国境に至る、すべての王国」でした。それは、神がアブラハムに約束されたことでした(創世記15:18-21)。それが成就したのです。実際支配したのはダンからベエル・シェバまで(25)でしたが、その影響力はすべての地域に及んだのです。

これらの国々は、ソロモンの一生の間、貢物を持って来て彼に仕えたので、相当の量であったと推察されます。

それが22節から28節までに記されてあることです。ソロモンの一日分の食料は、上質の小麦粉三十コル、小麦粉六十コル。それに、肥えた牛十頭、放牧の牛二十頭、羊百匹。そのほか、雄鹿、かもしか、のろ鹿、そして肥えた鳥でした。上質の小麦粉三十コルは6,300リットルです。小麦粉六十コルは、その二倍の12,600リットルです。別に彼がこれらのものを一人で食べていたということではありません。いくら大食いファイターでも無理でしょう。これだけ食べるのは。宮廷で仕えていた人数がどれだけいたかはわかりませんが、いずれにせよ、膨大な量です。ソロモンは、宮廷で仕える人たちのために日々の食料を提供したのです。

これはソロモンが、大河の西側、ティフサフからガザまでの全土、すなわち、大河の西側のすべての王たちを支配し、周辺のすべての地方に平和があったからできたのです。これまでは敵に囲まれ、あるときは従属し、絶えず戦わなければいけない状態でしたが、今は、ぶどうやいちじくの木の下で、つまり城壁によって囲まれる必要がなく、安心して暮らすことができました。

そればかりではありません。ソロモンは、戦車用の馬のために馬屋四万、騎兵一万二千を持っていました。抑止力としての軍隊も持っていたということです。しかし、この点は必ずしも主のみこころにかなっていたとは言えません。というのは、申命記(モーセの律法)には、「王は、決して自分のために馬を増やしてはならない。」(申命記17:16)とあるからです。ついでに言うなら、「自分のために多くの妻を持って、心がそれることがあってはならない。自分のために銀や金を過剰に持ってはならない。」(申命記17:15)ともありました。それなのに彼は、この三点セットをすべて手に入れていたのです。

何を言いたいのかというと、そのような繁栄の陰にはこうした危険もあるということです。それがもし与えられたものであるのならいいのですが、自らがそれを欲して手に入れようとするなら、そこには崩壊の危険も隠れているということです。

それは私たちにも言えることです。実は私たちにとって一番危ないのは、私たちが苦しい時よりも、満ち足りた時です。そうした状況に置かれると、いつつしか高慢になって神の言うことを聞こうとせず、自分が神になったかのように錯覚するからです。ですから、繁栄の中にあっても、神の民としての生き方を忘れないように注意しなければなりません。主を恐れることこそ、知恵の始まりなのです。

Ⅲ.ソロモンの知恵(29-34)

最後に29節から34節までをご覧ください。「29 神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心を与えられた。30 ソロモンの知恵は、東のすべての人々の知恵と、エジプト人のすべての知恵にまさっていた。31 彼は、どの人よりも、すなわち、エズラフ人エタンや、マホルの息子たちのヘマン、カルコル、ダルダよりも知恵があった。そのため、彼の名声は周辺のすべての国々に広まった。32 ソロモンは三千の箴言を語り、彼の歌は千五首もあった。33 彼は、レバノンにある杉の木から、石垣に生えるヒソプに至るまでの草木について語り、獣、鳥、這うもの、そして魚についても語った。34 彼の知恵のうわさを聞いた世界のすべての王たちのもとから、あらゆる国の人々が、ソロモンの知恵を聞くためにやって来た。」

ソロモンの知恵は、行政力と経済力だけではなく、学問にも用いられました。「29神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心を与えられた。30 ソロモンの知恵は、東のすべての人々の知恵と、エジプト人のすべての知恵にまさっていた。」

「東のすべての人々」とは、アッシリヤやバビロンの人々のことを指しています。彼の知恵は、アッシリヤやバビロンの人々やエジプトのすべての知恵にまさっていました。

ソロモンは三千の箴言、格言ですね、これを語り、歌は千五百もありました。聖書の中に収められている箴言には、952の格言があるそうです。ですから、ソロモンが語った箴言の三分の一が聖書に収められた、ということになります。彼の歌は聖書には一つだけ「雅歌」があります。昨年、礼拝で学びました。すばらしい歌でしたね。それは花婿の花嫁に対する愛の歌でしたが、そこにはキリストとその花嫁である教会の愛の歌が暗示されていました。しかも、その最後がすばらしかったですね。覚えていますか。「マラナ・タ」でした。来臨を待望する教会の祈りが預言されていました。このような歌は他に例をみません。ものすごい歌でした。ある人が、「格言を一つでも良いから作ってみなさい。いかに難しいかお分かりになるでしょう。」と言いました。その人は自分の数十年の生涯の中で、たった一つの格言しか作ることができなかったそうです。でも、ソロモンは三千も語ったのです。

また、レバノンにある杉の木から、石垣に生えるヒソプに至るまでの草木について語り、獣、鳥、這うもの、そして魚についても語りました。なんと、彼は植物学と生物学にもすぐれていたのです。まさに百科事典のような人です。動く百科事典です。

以前、私が福島で牧会していたとき、アメリカのフィラデルフィアから来たパウエル宣教師夫妻と3年間一緒に働いたことがあります。その夫のダン先生は、とにかく何でも知っているのです。「・・について知っていますか」というと、「それは・・」と言って説明し始めるのです。何でも知っているので、私たちは彼に「動く百科事典」というあだ名をつけました。何でも知っています。しかし、この時のソロモンの知恵は、ダン先生もその足元にも及ばないほどのものでした。周辺諸国の王たちが、そのうわさを聞いて「聞いてみたい」と言って尋ねてくるほどだったからです。後に現在のサウジアラビア、シェバから女王が、ソロモンの知恵を聞きにやって来ます。

いったいどうしソロモンは、これほどの繁栄を手にすることができたのでしょうか。一つには、神の約束がソロモンにおいて成就したからです。たとえば、創世記12章1~9節には、神がアブラハムと契約したことが記されてありますが、それが、ソロモンにおいて成就したのです。また、Ⅱサムエル7章7~17節には、ダビデ契約がありますが、それはダビデの子が世継ぎとなり、平和の約束が実現するということでした。それが成就したのです。

もう一つのことは、神がソロモンに「あなたに何を与えようか。願え。」(3:5)と言われたとき、彼は知恵と判断力求めた結果、神はそれに加えて、彼が願わなかったもの、すなわち、富も誉れも与えると約束してくださいました。ですから、これらのものはすべて神の約束とご計画に基づいて与えられたものなのです。

それゆえ、ソロモンに与えられた課題は、その恵みにどのように応答して生きるかということでした。この疑問に答える形で列王記の記述は続いていきます。そして、ソロモンの人生が私たちに教えていることは、繁栄は時として罠になるということです。このことは、私たちにとっても大きな教訓となります。私たちはいつも主を前に置いて、へりくだり、主を愛し、主の戒めに従って歩む者でありたいと思います。

エレミヤ4章1~4節「心の包皮を取り除け」

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エレミヤ書4章に入ります。きょうは、4節の「主のために割礼を受け、心の包皮を取り除け」というみことばから、「心の包皮を取り除け」というタイトルでお話します。「包皮を取り除く」とは、イスラエルの民が先祖からの教えとして継承してきた割礼のことです。創世記17章10、11節に、こうあります。「10次のことが、わたしとあなたがたとの間で、またあなたの後の子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中の男子はみな、割礼を受けなさい。11 あなたがたは自分の包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたとの間の契約のしるしとなる。」

これは、神がアブラハムに語られた約束のことばです。彼らの中の男子はみな、生まれて8日目に割礼を受けなければなりませんでした。割礼とは、男性の性器の先端を覆っている皮を切り取ることですが、それが神の民であることのしるしだったわけです。

しかしここではただの割礼を受けるようにと言われているのではありません。心の割礼、心の包皮を取り除け、と言われているのです。心に焦点が当てられているのです。

イエス様は、律法の中で一番重要な戒めは、心を尽くして、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛することだと言われました。しかし、心が包皮で覆われていると、心から神を愛することができません。ですから、心を覆っている包皮を切り取らなければならない、取り除かなければならないのです。

きょうは、このことについて三つのことをお話します。第一のことは、信仰には真実な行いが伴うということです。もし神に立ち返るというのならば、悔い改めにふさわしい実を結ばなければなりません。第二に、そのためには心を開墾しなければならないということです。茨の中に種を蒔いてはなりません。そのような種は、決して実を結ぶことはできないからです。第三のことは、主のために割礼を受け、心の包皮を取り除けということです。

 Ⅰ.もし帰るのなら(1-2)

まず1~2節をご覧ください。「1 「イスラエルよ、もし帰るのなら、-主のことば-わたしのもとに帰れ。もし、あなたが忌まわしいものをわたしの前から取り除き、迷い出ないなら、2 また、あなたが真実と公正と義によって『主は生きておられる』と誓うなら、国々は主によって互いに祝福し合い、互いに主を誇りとする。」」

ここには、「もし」ということばが繰り返して書かれてあります。1節には「イスラエルよ、もし帰るのなら」とありますし、また、「もし、あなたが忌まわしいものをわたしの前から取り除き、迷い出ないなら」とあります。また、2節には「もし」ということばはありませんが、「『主は生きておられ』と誓うなら、」というのは、「もし、誓うなら」ということです。ですからここには3回も、「もし」ということばが使われているのです。

なぜでしょうか。なぜ「もし」ということばを繰り返して使っているのでしょうか。それは、主がイスラエルに口先だけの悔い改めではなく、真実な悔い改めを求めておられたからです。確かにこのエレミヤの時代、南ユダ王国はヨシヤ王が宗教改革を行ったりと、表面的には神に立ち返ったかのように見えましたが、それはあくまでも表面的なもので、実際にはそうではなかったのです。まだ偶像礼拝が続けられていました。神殿で主なる神を礼拝していたかと思ったら、一方では偶像礼拝もしていました。つまり彼らの悔い改めは、実に表面的なもの、形式的なものにすぎなかったのです。

ですから主は、「イスラエルよ、もし帰るなら、わたしのもとに帰れ。」と言っているのです。主のもとに帰るということがどういうことなのかを、この「もし」ということばを使って具体的に示そうとされたのです。本当に神のもとに立ち返るというのなら、具体的な行動で示せというのです。神殿で礼拝をしていれば神に立ち返ったということではありません。口先で「主よ、愛します」とか、「主を賛美します」と言っても、そこに心が伴っていなければ、それは本当の賛美ではありません。悔い改めるというのなら、ことばだけではなく、行動によって示さなければならないのです。2節に「真実と公正と義によって『主は生きておられると誓うなら』」とありますが、それはそのことを表しています。ただ表面的に、うわべだけの信仰ではなく、真実と公正と義によって、心から「主は生きておられる」と告白することが求められるのです。なぜなら、人はうわべを見るが、主は心を見られるからです(Ⅰサムエル16:7)。

この『主は生きておられる』ということばですが、二重の『』になっています。これは文の途中だからということではなく、当時の決まり文句であったことを表しています。この後でエレミヤ書を見ていくとわかりますが、やたらめった出てきます。それは本当にすばらしい信仰の告白なのに、そのように告白していながら、まるで主が死んでいるかのように生きているとしたら、何の意味もありません。それはただうわべだけの信仰となってしまいます。それはたましいを離れたからだのように、死んだものなのです。

新約聖書のヤコブ書には、そのことについてこのように言っています。「たましいを離れたからだが、死んだものであると同様に、行いのない信仰は、死んでいるのです。」(ヤコブ2:26)行いのない信仰は死んでいるのです。それはたましいを離れたからだと同じなのです。死ぬとは、からだからたましいが離れることです。それと同じように、信仰に行いが伴っていなかったら、その信仰は死んでいるのです。それは行いがなければ救われないということではありません。私たちが罪から救われるのは私たちの行いによるのではなく、一方的な神の恵みによるものです。私たちの罪のために十字架で死んでくださったイエス・キリストを、私たちの救い主として信じるだけで救われるのです。しかし、本当にそのように信じたのであれば、当然そこには良い行いがついてくるものです。それが無いとしたら、それはたましいを離れたからだのように死んでいることになります。

これは、バプテスマのヨハネが強調していたことです。ヨハネは、バプテスマを受けようとしていて出て来た群衆にこう言いました。「7まむしの子孫たち。だれが、迫り来る怒りを逃れるようにと教えたのか。8 それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの父はアブラハムだ』という考えを起こしてはいけません。言っておきますが、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができるのです。9 斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木はすべて切り倒されて、火に投げ込まれます。」(ルカ3:7-9)

ドキッとしますね。「まむしの子孫たち」と呼ばれたら。「だれが、迫り来る御怒りから逃れるようにと教えたのか」と迫って来るんですから。そうならないように、悔い改めて出て来ているんじゃないですか。それなのに、「まむしの子孫たち」呼ばわりはひどい!と言いたくなります。

でも、ここでバプテスマのヨハネが言いたかったことは、「悔い改めにふさわしい実を結びなさい」ということでした。自分たちはアブラハムの子孫だ、神の民だと言っても、それにふさわしい実を結ばなければ、そんな木は切り倒されてしまうというのです。よく「私はクリスチャンホームで生まれ育ちました」とか、「親も、またその親も、みんなクリスチャンでした」という方がおられますが、すばらしいですね。それは本当に神様の恵みです。しかし、たとえクリスチャンホームに生まれて来たからといっても、それで自動的にクリスチャンになるわけではありません。イエス様がニコデモに言われたように、「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」のです、ですから、たとえクリスチャンホームに生まれて来ても、そこに真の悔い改めがなければ、悔い改めにふさわしい実を結ばなければ、切り倒されて、火に投げ込まれることになるのです。

では、悔い改めにふさわしい実を結ぶとは、どういうことなのでしょうか。ヨハネは具体的にこう述べています。「11「下着を二枚持っている人は、持っていない人に分けてあげなさい。食べ物を持っている人も同じようにしなさい。」12 取税人たちもバプテスマを受けにやって来て、ヨハネに言った。「先生、私たちはどうすればよいのでしょうか。」13 ヨハネは彼らに言った。「決められた以上には、何も取り立ててはいけません。」14 兵士たちもヨハネに尋ねた。「この私たちはどうすればよいのでしょうか。」ヨハネは言った。「だれからも、金を力ずくで奪ったり脅し取ったりしてはいけません。自分の給料で満足しなさい。」」(ルカ3:11-14)

どういうことでしょうか。下着を二枚持っている人は、持っていない人に分けてあげるとか、食べ物を持っている人も同じようにしなさいというのは。つまり、神のみことばに生きるということです。神のみことばに従って生きなさい、ということです。「もし帰るのなら」、本当に神に立ち返るというのなら、あなたの心から偶像を取り除き、真実と公正と義によって、「主は生きておられる」と誓わなければならないのです。言い換えるなら、それは「心から悔い改める」ということです。真実な悔い改めは、水と御霊によって新しく生まれるという心の変革によってもたらされ、それは必ず行動という見える形で表されるのです。

2節後半の「国々は主によって互いに祝福し合い、互いに主を誇りとする。」とは、異邦人の救いのことです。イスラエルが本当に神に立ち返るなら、その祝福は異邦人にまで及び、異邦人も救いに導かれるという大きな祝福をもたらすようになるのです。この預言はまだ成就していません。なぜなら、イスラエル人はまだ本当に悔い改めていないからです。救い主イエス・キリストを信じていません。でもこれは必ず起こります。世の終わりになると、イスラエル人が自分の胸を打って悲しみ、イエス・キリストを信じるようになるのです。主はそのために「残りの者」を残しておられるのです。彼らによってイスラエルがイエスを信じるためです。そして、異邦人の満ちる時、イスラエルはみな救われるのです。パウロはそのことをローマ人への手紙9章から11章までのところで展開していますが、特に11章25節のところでそれを「奥義」として語っています。すばらしいですね。神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう。神の救いのご計画はこのようにして成し遂げられるのです。

であれば、私たちはその奥義を知らされている者として、真実と公正と義によって「主は生きておられる」と誓わなければなりません。主は死んでおられるのではなく生きておられるということを、行いと真実をもって告白しなければなりません。あなたが、もし本当に主に立ち返るというのなら、主のもとに帰らなければならないのです。

Ⅱ.耕地を開拓せよ(3)

第二のことは、ではそのためにはどうしたらよいかということです。3節をご覧ください。「まことに、主はユダとイスラエルにこう言われる。「耕地を開拓せよ。茨の中に種を蒔くな。」

「耕地」とは、何も生えていない処女地のことです。その「耕地を開拓せよ」というのです。「開拓せよ」という言葉は、「砕く」という意味のことばです。かたくなになった心の耕地に(くわ)とか(すき)を入れて柔らかく耕すようにということです。なぜなら、そうしたカチカチと凝り固まったところにどんなに種をまいても実を結ぶことはないからです。そういう意味では「開拓せよ」というよりも、「開墾せよ」の方がわかりやすいですね。開墾して心を耕さなければなりません。

まだ上の娘が幼稚園の頃でした。「こどもチャレンジ」の付録に「植物の種を蒔こう」というのがありました。それで家庭菜園をすることになったのですが、私は野菜を育てたことがなかったので、どうやって育てたらいいかわかりませんでした。そんな時、どこからか「だったらかぼちゃがいい」という声を聞きました。「かぼちゃならバカでも育つ」と。だったら私でも大丈夫かと思い、ルンルンしながらかぼちゃの種を植えたのですが、一向に芽が出てきませんでした。どうしてかなぁと思ってある人に聞いたところ、「そんなところに植えちゃだめだ」と言われました。そんなとこというのは玄関のちょうど前のところでした。あと植える場所がなかったのです。

私たちは福島で教会を開拓した時、6畳二間と4畳半の借家で始めましたが、子供が生まれるとそこが狭くなったので、近くに中古の一軒家を購入しました。しかし、駐車場をなるべく広く取りたかったので、空いている土地のほとんどをコンクリートにしたのです。それで土の部分は限られていました。ちょうど玄関の前に2~3坪の土地があったのでそこに植えたのです。

子供のシャベルで土を掘り、種を植えて土を被せました。そしてジョウロで水をあげながら、かぼちゃができるのを楽しみにしていました。しかし、一向に芽が出てこない。「バカでも育つ」と言ったのに、全然育ちません。あれっ、どうしたんだろうと思って、ある人に聞いたところ、「それじゃだめだ!」と言うのです。ちゃんと土を耕して種を植えないと、バカでも育つかぼちゃでも育たない・・と。そうなんです。まず土を耕さなければなりません。鍬とか鋤まではいかなくても、土が柔らかくなるまで耕さなければならないのです。考えてみたら、そこは玄関の真ん前で、みんなの足で踏み固められた所でした。しかも硝子の破片とか金属片などが混ざっている土でした。そんな所で育つはずがありません。種が育つにはまず良い土地でなければならないのです。

私はすっかり自信を無くしてしまい、こういうことは私には向いてないと、それ以来、畑はやらないことにしました。

これは霊的にも言えることです。みことばの種が育つには、まず心を耕さなければなりません。堅い心を柔らかくして、みことばの種が成長するようにしなければならないのです。これは具体的には、神のみことばを聞く時には、心を柔らかくして、素直に心に受け入れなければならないということです。へブル3章7~8節にこうあります。「ですから、聖霊が言われるとおりです。「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。」聖霊があなたの心に鍬を入れ、鋤を入れて耕してくださいます。みことばの種を受け入れることができるように。それなのに私たちは罪が指摘されるとそれを拒む傾向があります。砕かれたくないのです。でもそのままではいくら種を蒔いても育ちません。不毛のままです。ですから、もしあなたが御声を聞くなら、心をかたくなにしないで、聖霊の導きに従わなければなりません。

これが預言者エレミヤに与えられていた使命でした。1章10節を振り返ってみましょう。エレミヤが預言者として召命を受けたとき、主はその目的をこのように言われました。「見なさい。わたしは今日、あなたを諸国の民と王国の上に任命する。引き抜き、引き倒し、滅ぼし、壊し、建て、また植えるために。」

建てるためには壊されなければなりません。植えるためには鍬を入れて、また鋤を入れて耕さなければならないのです。その堅い土を砕かなければなりません。なぜ?そうでないと植えられないからです。その結果、滅んでしまうことになります。だから、人々がどんなに嫌でも、エレミヤは伝えなければならなかったのです。彼らの心を耕すためです。

同じように、聖霊は今も私たちに語っておられます。それはあなたの耳に痛いことかもしれません。厳しく感じるかもしれない。でもそのようにして聖霊があなたの心を耕しておられるのです。ですから、「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。」のです。耕地を開拓せよ。あなたは心を開拓しなければなりません。神のみことばを受け入れることができるように、開墾しなければならないのです。

また、ここには「茨の中に種を蒔くな。」とあります。茨の中に種を蒔くとはどういうことでしょうか。茨の中に種を蒔くとは、種が芽を出して成長しようとしても茨がそれをふさぐので成長できないということです。それはどんな茨でしょうか。イエス様は、種まきのたとえの中でそれを教えてくれました。それはこの世の思い煩いや富の惑わしなどです。そのような心だと、それが心を塞ぐので実を結ぶことができません。ですから、「耕地を開拓せよ。茨の中に種を蒔くな。」と言われるのです。

あなたの心はどのような畑、どのような土地でしょうか。道端のように人々の足で踏み固められたような堅い土ですか。それとも、岩地のように薄い土地ですか。あるいは、いばらのようにこの世の思い煩いと富の惑わしでふさがれているような畑でしょうか。耕地を開拓せよ。茨の中に種を蒔くな。あなたの心を耕して、良い畑となって、神のみことばの種を受け入れ、多くの実を結ぶものでありたいと思います。

 Ⅲ.心の包皮を取り除け4)

第三のことは、心の包皮を取り除け、ということです。4節をご覧ください。「ユダの人とエルサレムの住民よ。主のために割礼を受け、心の包皮を取り除け。そうでないと、あなたがたの悪い行いのゆえに、わたしの憤りが火のように出て燃え上がり、消す者もいないだろう。」

悔い改めのもう一つの要素は、主のために割礼を受け、神のもとに帰るということです。ここには、「主のために割礼を受け、心の包皮を取り除け。」とあります。これは心の割礼のことです。

「割礼」については先ほどお話したように、イスラエルの民が神の民であることのしるしとして、生まれて8日目に必ず割礼を受けなければならないものでした。それは男性の性器の先端を覆っている皮を切り取るというものです。イスラエルの民は皆、必ずこの割礼を受けなければならなかったのです。

しかしここで言われているのは、そうした肉体的、外見的な割礼のことではなく、心の割礼のことです。確かに彼らは肉体的には割礼を受けていたかもしれませんが、心においてはそうではありませんでした。表面的にはユダヤ教の儀式を行い、神殿礼拝を行っていましたが、その心は神から遠く離れていたのです。それはちょうど私たちがバプテスマを受け、毎週礼拝を守り、献金もし、奉仕をしていても、心が神から離れているのと同じです。ですから、主は「ユダの人とエルサレムの住民よ。主のために割礼を受け、心の包皮を取り除け。」と言われたのです。大切なのは心に割礼を受けることです。

パウロはこのことをローマ人への手紙2章28~29節でこのように言っています。「外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上のからだの割礼が割礼ではないからです。かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による心の割礼こそ割礼だからです。」とあります。皆さん、わかりますか。たとえ外見上からだに割礼を受けていたとしても、それが本当の意味での割礼ではありません。大切なのは、心に割礼を受けるということ、御霊による心の割礼なのです。実に「心の包皮を取り除く」とは、この神の御霊による心の割礼を受けるということです。もし心が包皮で覆われているとどうなるでしょうか。霊的な事柄に鈍感になります。何を言われてもピンときません。心に割礼を受けていないので、心が肉で覆われていると、メッセージを聞いてもわからないのです。

先週フレミング先生がメッセージで語っていたのは、このことです。聞いてもわかりません。悟ることができないのです。心が肉で覆われているからです。イエス様の時代にもそういう人たちがいました。イエス様が「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。」(ヨハネ6:53)と言うと、弟子たちのうちのある者はこう言いました。「これはひどい話だ。たれが聞いていられるだろう。」(ヨハネ6:60)

何が問題だったのでしょうか。心が肉で覆われていたことです。心に割礼を受けていないと、そんな人食いなんて恐ろしい話で聞いていられないとか、トンチンカンなことを言ってしまうのです。だから、心の包皮を取り除かなければなりません。心に割礼を受けている人は、確かに聖書のメッセージは難しいかもしれませんが、ピンときます。「ああ、本当に私は罪深い人間だなぁ。でも、イエス様がこんな私の罪も赦してくださるんだ。本当に感謝します!」と。聖霊が教えてくださるからです。不思議ですね。まだバプテスマを受けたばかりの人でも、いや、まだ受けていなくても、イエス様を信じ、もっとイエス様のことを知りたいと願っている人にはわかるんです。そして、少しづつ変えられていきます。イエス様の似姿に。

ピリピ人への手紙3章2~3節を開いてください。ここでパウロは心に割礼を受けている人の特徴を、このように語っています。「2 犬どもに気をつけなさい。悪い働き人たちに気をつけなさい。肉体だけの割礼の者に気をつけなさい。3 神の御霊によって礼拝し、キリスト・イエスを誇り、肉に頼らない私たちこそ、割礼の者なのです。」

その人はまず、神の御霊によって礼拝します。つまり、うわべだけの、形式的な礼拝ではなく、神を愛し、神を喜び、心から神を礼拝するのです。イエス様はサマリヤの女とお話をされた時、「神は霊ですから、神を礼拝する人は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」(ヨハネ4:24)と言われました。それはこのことです。第二にその人は、人間的なものを誇るのではなくキリスト・イエスを誇ります。第三にその人は、肉に頼らないで神に頼ります。

デレク・プリンスという以前、東アフリカにある大学の学長をしておられ、その後、伝道者になった方ですが、彼はその大学にいた優れたアスリートたちを前にこう言いました。「君たちは自分がとても強く元気だと思っているだろうが、ほんの小さな一匹のマラリア蚊に刺されると、24時間以内に震えが襲って来るだろう。あなたは震え、熱に苦しみ、事実上何もできなくなるだろう。たった一匹の小さな虫がすべてを変えてしまうことがあり得るのです。」(Derek Prince Ministries Japan)

本当にそうですよね。私たちはどんなに自分の肉体を誇っても、たった一匹の蚊に刺されるだけで死んでしまうこともあるのです。それほど脆弱な者でしかないのです。けれども、私たちを造られた方、私たちの主イエスは、私たちのために十字架で死なれ、三日目によみがえられました。この方は死に勝利され今も生きておられる救い主であられます。私たちが頼りとするのは、この主イエス・キリストです。

あなたは何を頼りとしていますか。神の御霊によって礼拝し、キリスト・イエスを誇り、肉に頼らない私たちこそ、割礼の者なのです。「外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上のからだの割礼が割礼ではないからです。かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による心の割礼こそ割礼だからです。」外見上がどうかということではなく、心に割礼を受けているかどうかが問われています。「耕地を開拓せよ。茨の中に種を蒔くな。」「主のために割礼を受け、心の包皮を取り除け。」心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神を愛しましょう。これが、神が私たち一人一人に求めておられる真実な悔い改めなのです。

Ⅰ列王記3章

 今日は、列王記第一3章から学びます。

 Ⅰ.あなたに何を与えようか。願え(1-5)

 まず1~5節をご覧ください。「1 ソロモンはエジプトの王ファラオと姻戚の関係を結んだ。彼はファラオの娘をめとり、ダビデの町に連れて来て、自分の家と主の家、およびエルサレムの周りの城壁を築き終えるまで、そこにとどまらせた。2 当時はまだ、主の御名のために家が建てられていなかったので、民はただ、高き所でいけにえを献げていた。3 ソロモンは主を愛し、父ダビデの掟に歩んでいた。ただし、彼は高き所でいけにえを献げ、香をたいていた。4 王はいけにえを献げようとギブオンへ行った。そこが最も重要な高き所だったからである。ソロモンはそこの祭壇の上で千匹の全焼のささげ物を献げた。5 ギブオンで主は夜の夢のうちにソロモンに現れた。神は仰せられた。「あなたに何を与えようか。願え。」」

ソロモンの治世は、エジプトの王ファラオの娘を妻とすることから始まりました。これは政略結婚です。異教の娘と結婚することについては、申命記7章3~4節で禁じられていました。その理由は、異教徒と結婚することによって惑わされ、まことの神から離れてしまうことになるからです。しかし、ソロモンはこうしたことには無頓着でした。結局彼は、最後は神から離れ、外国の神々を拝むようになってしまいます。しかし、ここでのポイントは彼が異教の娘と結婚したかどうかということではなく、このことがきっかけとなってエジプトと和平条約が結ばれたということ、そして、自分の家と主の家、城壁が築き上げられていったことです。

2節には「高き所でいけにえを献げていた」とありますが、この「高き所」とは偶像礼拝のことではありません。主なる神を礼拝していたところです。このときはまだ主を礼拝するための神殿がなかったので、民は高きところで主を礼拝していたのです。しかし、牛や羊ややぎを幕屋の祭壇においてささげなければなりませんでした(レビ17:2-3)。このような点では確かにソロモンは妥協したり、足りないところもありましたが、彼は父ダビデのように神を愛し、神とともに歩んでいました。そのように、たとえ不完全な状態でも主を愛していたソロモンに、主はご自分の恵みを施してくださいました。

それが4節にあることです。ソロモンはある日いけにえを献げるためにギブオンに行きました。ギブオンは、エルサレムから北東に12㎞にあるベニヤミンの地にある町です。そこが最も重要な高き所だったからです。そこでソロモンは、主の祭壇の上に千頭の全焼のいけにえを献げました。これはソロモンの神への愛と献身を表しています。

すると、その夜主がギブオンで夢のうちにソロモンに現れ、こう仰せられました。「あなたに何を与えようか。願え。」どういうことでしょうか。ソロモンは、信仰的には足りないところがありましたが、純粋に神を愛し、神とともに歩んでいたので、主はご自身を現わしてくださったのです。神の前に忠実に歩む者を、神は祝福してくださるのです。

Ⅱ.ソロモンの願い(6-15)

それに対して、ソロモンは何と答えたでしょうか。6節から15節までをご覧ください。9節までをお読みします。「6 ソロモンは言った。「あなたは、あなたのしもべ、私の父ダビデに大いなる恵みを施されました。父があなたに対し真実と正義と真心をもって、あなたの御前に歩んだからです。あなたはこの大いなる恵みを父のために保ち、今日のように、その王座に着いている子を彼にお与えになりました。7 わが神、主よ。今あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし私は小さな子どもで、出入りする術を知りません。8 そのうえ、しもべは、あなたが選んだあなたの民の中にいます。あまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど大勢の民です。9 善悪を判断してあなたの民をさばくために、聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、この大勢のあなたの民をさばくことができるでしょうか。」

ソロモンが主に願ったのは、善悪を判断して神の民をさばくために、聞き分ける心を与えてほしいということでした。なぜでしょうか。なぜなら、自分がこのように王になることができたのは、父ダビデのゆえに与えられた神の恵みのゆえであるからです(6)。また、彼は小さな者にすぎず、出入りする術を知らなかったからです(7)。すなわち、彼は王としての自分の力量が不足しているということです。彼はそれことを認めていました。そして、そのうえ彼が治めようとしていた民は神の選びの民であり、しかもその数はあまりにも多くて、数えることができないほどなので、それほどの民をさばくためには、それなりの判断力が必要だと思ったからです(8)。すばらしいですね。彼は利己的な願いを脇に置き、神の民の祝福を優先させました。

それに対して主は、何と言われたでしょうか。10節から15節までをご覧ください。「10 これは主のみこころにかなった。ソロモンがこのことを願ったからである。11 神は彼に仰せられた。「あなたがこのことを願い、自分のために長寿を願わず、自分のために富を願わず、あなたの敵のいのちさえ願わず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を願ったので、12 見よ、わたしはあなたが言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに、知恵と判断の心を与える。あなたより前に、あなたのような者はなく、あなたの後に、あなたのような者は起こらない。13 そのうえ、あなたが願わなかったもの、富と誉れもあなたに与える。あなたが生きているかぎり、王たちの中であなたに並ぶ者は一人もいない。14 また、あなたの父ダビデが歩んだように、あなたもわたしの掟と命令を守ってわたしの道に歩むなら、あなたの日々を長くしよう。」15 ソロモンが目を覚ますと、見よ、それは夢であった。彼はエルサレムに行き、主の契約の箱の前に立って、全焼のささげ物を献げ、交わりのいけにえを献げ、すべての家来たちのために祝宴を開いた。」

10節には、「これは主のみこころにかなった」とあります。そして、彼が自分のために長寿を願わず、自分のために富を願わず、敵のいのちさえも願わず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を願ったので、主は彼の願いを受け入れられ、彼に知恵と判断の心を与えると言われました。そればかりか、彼が願わなかったもの、富も誉れも与えると約束されました。さらに、もし彼が、ダビデが歩んだように、主の掟と命令を守って主の道に歩むなら、彼の日を長くしよう、と言われました。すなわち、長寿を全うするということです。つまり、ソロモンは主の御心にかなった祈りをすることができたので、主はそれを受け入れられたばかりか、それに加えて多くの祝福を与えてくださると約束されたのです。

ヨハネの手紙第一の中にこのような約束があります。「何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。」(Ⅰヨハネ5:14)何事でも神のみこころにかなう祈りをするなら、神は聞いてくださる。これこそ神に対する私たちが抱いている確信なのです。

先週の礼拝後に教会の総会が行われ、新年度の活動について話し合いが持たれました。その中で私は、教会の駐車場のために祈りましょうと提案すると、Kさんから、駐車場のためだけでなく礼拝堂のためにもお祈りした方が良いのではないでしょうかという提案がありました。私はそれを聞いて、それは神様のみこころだと思いました。英語の礼拝やキッズのミニストリーなどを考えると、今の場所はかなり狭くなりました。もっと広い場所が必要です。しかし、現状を考えると経済的にはかなり厳しく、会堂建設の話を出すのは難しいのではと思い、そこまでは提案しませんでした。せめて教会に来る人が安心して駐車できるスペースを確保出来たらと思ったのです。しかし、駐車場に限らず主のみこころを求めていくことは大切なことです。今すぐにということではありません。まずそのために祈ることから始めていこうと思ったのです。

私たちは、どちらかというと、現状を見て「できる」とか「できない」と判断しがちですが、大切なのはそれが神のみこころであるかどうかということです。何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信なのです。

ソロモンはなぜそのような祈りをすることができたのでしょうか。いったいどうしたらソロモンのように神のみこころにかなった祈りをすることができるのでしょうか。その鍵は、3節と10節にあると思います。

3節には、「ソロモンは主を愛し、父ダビデの掟に歩んでいた。ただし、彼は高き所でいけにえを献げ、香をたいていた。」とあります。また15節には「ソロモンが目を覚ますと、見よ、それは夢であった。彼はエルサレムに行き、主の契約の箱の前に立って、全焼のささげ物を献げ、交わりのいけにえを献げ、すべての家来たちのために祝宴を開いた。」とあります。

これを見ると、ソロモンが霊的に強められ、主への献身度が高められたことがわかります。3節の時点で彼は、確かに主を愛し、父ダビデの掟に歩んでいましたが、まだ高き所でいけにえを献げていました。しかし、彼が夢によってご自身のみこころを示されると、エルサレムの、主の契約の箱の前に立って、全焼のささげ物と、交わりのいけにえを献げました。主の契約の箱とは、主の臨在の象徴です。エルサレムの主の家で、主の前で礼拝をささげたのです。つまり、彼は主を愛し、主の前で主を礼拝する中で信仰が強められ、献身度が高められていったのです。そのような中で主は彼にご自身のみこころを示されたのです。

先日、近藤先生が、月に1度の礼拝でのメッセージのご奉仕のために準備している中で、主が先生に触れてくださり励ましとなっていると話されましたが、それは本当だと思います。私自身、礼拝や祈祷会のためにメッセージを準備する中で主が触れてくださり、深く教えられています。毎週の礼拝ではそのような中から神のことばが語られるのです。聖霊がお一人お一人の心に触れてくださるのは当然のことです。確かに、一人で聖書を読んだり祈ったりする中でも主は語ってくださいますが、であれば、そのような人たちが集まって心を一つにして礼拝する中で、主がご自身のみこころを示してくださるのは当然のことではないでしょうか。

ですから、私たちが神のみこころを知り、みこころにかなった祈りをするためには、ソロモンのように主を愛し、心を尽くして主を礼拝することが求められるのです。そうすれば主は私たちにご自身の思いを示してくださり、御心にかなった祈りができるようになるのです。

Ⅲ.ソロモンのさばき(16-28)

最後に、16~28節をご覧ください。「16 そのころ、二人の遊女が王のところに来て、その前に立った。17 その一人が言った。「わが君、お願いがございます。実は、私とこの女とは同じ家に住んでいますが、私はこの女と一緒に家にいるとき、子を産みました。18 私が子を産んで三日たつと、この女も子を産みました。家には私たちのほか、だれも一緒にいた者はなく、私たち二人だけが家にいました。19 ところが、夜の間に、この女の産んだ子が死にました。この女が自分の子の上に伏したからです。20 この女は夜中に起きて、このはしためが眠っている間に、私のそばから私の子を取って自分の懐に寝かせ、死んだ自分の子を私の懐に寝かせました。21 朝、私が子どもに乳を飲ませようとして起きると、どうでしょう、その子は死んでいるではありませんか。朝、その子をよく見てみると、なんとまあ、その子は私が産んだ子ではありませんでした。」22 すると、もう一人の女が言った。「いいえ、生きているのが私の子で、死んでいるのがあなたの子です。」先の女は言った。「いいえ、死んだのがあなたの子で、生きているのが私の子です。」女たちは王の前で言い合った。23 そこで王は言った。「一人は『生きているのが私の子で、死んだのがあなたの子だ』と言い、また、もう一人は『いや、死んだのがあなたの子で、生きているのが私の子だ』と言う。」24 王が「剣をここに持って来なさい」と言ったので、剣が王の前に差し出された。25 王は言った。「生きている子を二つに切り分け、半分をこちらに、もう半分をそちらに与えよ。」26 すると生きている子の母親は、自分の子を哀れに思って胸が熱くなり、王に申し立てて言った。「わが君、お願いです。どうか、その生きている子をあの女にお与えください。決してその子を殺さないでください。」しかしもう一人の女は、「それを私のものにも、あなたのものにもしないで、断ち切ってください」と言った。27 そこで王は宣告を下して言った。「生きている子を初めのほうの女に与えよ。決してその子を殺してはならない。彼女がその子の母親である。」28 全イスラエルは、王が下したさばきを聞いて、王を恐れた。神の知恵が彼のうちにあって、さばきをするのを見たからである。」

そのような時、二人の遊女が彼のところにやって来ました。ある問題についてさばいてほしいと思ったからです。その問題とは、二人は同じ家に住んでいて、それぞれ三日の差で子を産みましたが、片方の女が夜の間に自分の子の上に伏したために死んでしまったのです。するとその女が、死んだ子をまだ生きている自分の子と取り替えたというのです。これは判断を下すのが非常に難解な事件でした。今の時代のようにD.N.A.鑑定ができればすぐに明らかになりますが、そのようなものが無い時代です。しかも、彼らの他にだれも証人がいませんでした。こうした物的証拠がない中で、ソロモンは正義のさばきを行わなければならなかったのです。これは、ソロモンの知恵がどれほどすばらしいものであったのかを証明するために書かれたものです。いったい彼はどのようにしてこの難題を解決したのでしょうか。

ソロモンは、「剣をここに持って来なさい」と命じると、生きている子どもを剣で二つに切り分け、それぞれの女が半分ずつ取るように命じました。すると生きている子の母親は、自分の子を哀れに思い、その子をもう一方に女に与えてくださいとお願いしました。決してその子を殺さないでくださいと。しかしもう一方の女は、それを自分のものにも、他の女のものにもしないで、断ち切ってくださいと言いました。

するとソロモンは、その生きている子を初めのほうの女に与えるようにと言いました。決してその子を殺してはならないと。彼女がその子の母親だからです。つまり、ソロモンは母性本能と人間としての情を理解して、この難解な問題を解決したのです。本当の母親ならば、自分の手から子どもがいなくなることよりも、子どもの命を大事にするでしょう。この本能を利用してどちらが本当の母親なのかを見極めたのです。これは非常に知恵ある、公正な判断でした。

このさばきを見た全イスラエルは、王を恐れました。なぜなら、神の知恵が彼のうちにあって、さばきをするのを見たからです。これは、ソロモンの王国が確立したことを意味しています。ヤコブ1章5節に「あなたがたのうちに、知恵に欠けている人がいるなら、その人は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。そうすれば与えられます。」とあります。私たちに必要なのはこの神の知恵です。

私たちの教会では、毎週日曜日に3つの教会で4回の礼拝が行われていますが、私はそのいずれの週報も書いています。週報の中のお知らせや報告などを書くのは簡単かと思いますが、そうでもありません。書いてみるとわかりますが、ことば使いや伝え方、タイミングを間違えると大変なことになります。本当に小さなことですが、教会全体に与える影響は大きいのです。教会はいつも変化していますから、それに応じて一人一人に配慮し、丁寧に書かなければなりません。ですから、全体の状況を的確に把握してないと書けないのです。それを毎週4枚描き続けるのは簡単なことではありません。そのためには知恵が必要です。上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。

私たちには、この知恵が必要なのです。もし知恵に欠けている人がいるなら、その人は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神に求めましょう。そうすれば与えられます。あなたは何を願っていますか。それが主のみこころにかなった願いであるなら、主は聞いてくださいます。主のみこころにかなった祈りと願いをするために、ますます主を愛し、心から主に従い、愛する兄弟姉妹とともに、主の前で主に礼拝をささげましょう。

 

 

Ⅰ列王記2章

 今日は、列王記第一2章から学びます。

 Ⅰ.ダビデの遺言(1-12)

 まず1~12節をご覧ください。4節までをお読みします。「1 ダビデの死ぬ日が近づいたとき、彼は息子のソロモンに次のように命じた。2 「私は世のすべての人が行く道を行こうとしている。あなたは強く、男らしくありなさい。3 あなたの神、主への務めを守り、モーセの律法の書に書かれているとおりに、主の掟と命令と定めとさとしを守って主の道に歩みなさい。あなたが何をしても、どこへ向かっても、栄えるためだ。4 そうすれば、主は私についてお告げになった約束を果たしてくださるだろう。すなわち『もし、あなたの息子たちが彼らの道を守り、心を尽くし、いのちを尽くして、誠実にわたしの前に歩むなら、あなたには、イスラエルの王座から人が断たれることはない』。」

ダビデの死ぬ日が近づきました。それで彼は息子のソロモンに遺言を残します。その内容は、まず強く、男らしくあれということでした。これはかつてモーセがヨシュアに告げた内容に似ています(申命記31:23、ヨシュア1:1~9)。ソロモンはま若く、経験もなかったので、彼を力づける必要があったのです。

次にダビデが語ったのは、モーセの律法の書に書かれてあるとおりに、主の命令を守り、主の道に歩みなさいということでした。それはソロモンが何をしても、またどこへ行っても、栄えるためです。詩篇1篇の中に、主のおしえを喜びとする人は、水路のそばに植えられた木のようで、何をしても栄えるとあります(詩篇1:1~3)。これはダビデ自身の経験でもありました。

また、そうすれば、主がダビデに告げてくださった約束を果たしてくださるからです。その約束とは、Ⅱサムエル7章12~13節にあるダビデ契約のことです。「12 あなたの日数が満ち、あなたが先祖とともに眠りにつくとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。13 彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」

ダビデの家系からメシヤが出ることは、この契約によって保証されました。神の約束は真実で、そのまま信じるに値するものです。ソロモンにはモーセの律法に従うという責務が与えられましたが、新約の時代に生きる私たちにとってそれは、キリストの律法に従うという責務です。それは新しい戒めです。「わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。」(ヨハネ13:34-35)

キリストに愛され、キリストによって罪赦された者として、キリストの愛に心から従い、キリストの新しい戒めを守り行う者でありたいと思います。

次に、5~9節をご覧ください。「5 また、あなたはツェルヤの子ヨアブが私にしたこと、すなわち、彼がイスラエルの二人の軍の長、ネルの子アブネルとエテルの子アマサにしたことを知っている。ヨアブは彼らを虐殺し、平和なときに戦いの血を流し、自分の腰の帯と足のくつに戦いの血をつけたのだ。6 だから、あなたは自分の知恵にしたがって行動しなさい。彼の白髪頭を安らかによみに下らせてはならない。7 しかし、ギルアデ人バルジライの子たちには恵みを施してやり、彼らをあなたの食卓に連ならせなさい。彼らは、私があなたの兄弟アブサロムの前から逃げたとき、私の近くに来てくれたのだから。8 また、あなたのそばに、バフリム出身のベニヤミン人ゲラの子シムイがいる。彼は、私がマハナイムに行ったとき、非常に激しく私を呪った。だが、彼は私を迎えにヨルダン川に下って来たので、私は主にかけて、『おまえを剣で殺すことはない』と彼に誓った。9 しかし今は、彼を咎のない者としてはならない。あなたは知恵の人だから、どうすれば彼の白髪頭を血に染めてよみに下らせられるかが分かるだろう。」」

ダビデの遺言の続きです。ここでダビデは3人の人物の取り扱いについて語っています。それはツェルヤの子ヨアブと、ギルアデ人バルジライ、そしてバフリム出身のベニヤミンゲラの子シムイです。どうして遺言の中で彼らについて述べているのかというと、その中の2人は悪人ですが、彼らを野放しにすれば、ソロモンによって継がれる王国が危険にさらされる恐れがあったからです。

まずツェルヤの子ヨアブですが、彼は平和なときに戦いの血を流し、自分の腰の帯と足のくつに戦いの血をつけました。彼は、サウルの子でイスラエル王国の第2代の王であったイシュボシェテの将軍アブネルを殺しました(Ⅱサムエル2:12~32,3:22~30)。アブネルはダビデと契約を結び、ダビデの側に付いたにもかかわらずです(Ⅱサムエル3章)。ヨアブはまた、将軍職を追われた時には次に将軍となったアマサを殺して将軍の座に復帰しました(Ⅱサムエル20:4~10,23)。またアブサロムが謀反を起こした時には、ダビデの命令に背いてアブサロムを殺害しました(Ⅱサムエル8:1~15)。ヨアブは、平和なときに戦いの血を流し、自分の腰の帯と足のくつに戦いの血をつけました。その責任を取られることになったのです。

一方、ギルアデ人バルジライには、恵みを施してやらなければなりません。それは、ダビデがアブサロムの前から逃げたとき、ダビデの近くに来て助けてくれたからです(Ⅱサムエル17:27~29)。ダビデはその恩に報いアブサロムの死後、このバルジライに対して一緒にエルサレムに来てくれませんかと頼みましたが、彼は高齢であり、故郷で死にたいと言って断わりました。それで彼の子キムハムがダビデと一緒にエルサレムに行きました。ダビデはこのようにバルジライと約束したので、その約束を果たすべくソロモンに命じたのです。

もう一人はベニヤミン人ゲラの子シムイです。彼はダビデがマハナイムに行ったとき、非常に激しくダビデを呪いました。しかし彼はダビデを迎えにヨルダン川まで下って来たので、主にかけて彼を剣で殺すことはしないと誓いました(Ⅱサムエル16:5~13,19:16~23)。そのためダビデは自ら手を下すことをせず、その処置をソロモンに委ねたのです。もし彼をそのまま放置するなら、必ず同じことを繰り返すでしょう。だからソロモンに、あなたの知恵によって行動するようにと言ったのです。

このように、ダビデは過去の出来事をよく覚えており、自分の語ったことばを忠実に果たそうとしています。それは裏を返せば、私たちも主の命令に従い、主の道に歩まなければならない、ということです。やがてその報いを受けることになります。それはすぐにではないかもしれませんが、その行いに応じてさばかれる時がやってくるのです。

かくして、ソロモンはダビデからの遺言を受け取りました。ソロモンはその統治の最初の段階から難題が課せられました。ソロモンが神の知恵と聞き分ける心を必要としたのもうなずけます。複雑な人間関係の中で生きている私たちも、神からの知恵が必要です。あなたは自分の知恵にしたがって行動しなさい。神様からの知恵が与えられるように、熱心に祈り求めましょう。

このようにして、ダビデは先祖とともに眠りにつきます。10~12節です。「10 こうして、ダビデは先祖とともに眠りにつき、ダビデの町に葬られた。11 ダビデがイスラエルの王であった期間は四十年であった。ヘブロンで七年治め、エルサレムで三十三年治めた。12 ソロモンは父ダビデの王座に就き、その王位は確立した。」

ここで、ダビデは先祖たちと眠りにつき、とあります。これはダビデが死んだことを表しています。しかしそれは一時的な眠りでしかありませんでした。ダビデには復活の希望があったのです。私たちもまた、キリストにあって同じ希望が与えられています。クリスチャンの死は絶望で終わるものではないのです。

こうしてダビデは死んで、ダビデの町に葬られました。これはエルサレムのことです。当時のエルサレムはまだ小さな町で、ダビデの町と呼ばれていたのです。ダビデは40年間王としてイスラエルを治めました。ダビデは恐ろしい罪を犯したこともありましたが、基本的には神に忠実に歩みました。それはⅠ列王記15章5節を見るとわかります。ここには「それは、ダビデが主の目にかなうことを行い、ヒッタイト人ウリヤのことのほかは、一生の間、主が命じられたすべてのことからそれなかったからである。」とあります。

私たちも罪ある者ですが、このダビデのように主の目にかなうことを行い、主にこのように評価される一生を送らせていただきたいと思います。

Ⅱ.アドニヤの愚かな願い(13-25)

次に13~25節をご覧ください。18節までをお読みします。「13 あるとき、ハギテの子アドニヤがソロモンの母バテ・シェバのところにやって来た。バテ・シェバは「平和なことで来たのですか」と尋ねた。彼は「平和なことです」と答えて、14 さらに言った。「お話ししたいことがあるのですが。」すると彼女は言った。「話してごらんなさい。」15 彼は言った。「ご存じのように、王位は私のものでしたし、イスラエルはみな私が王になるのを期待していました。それなのに、王位は転じて、私の弟のものとなりました。主によって彼のものとなったからです。16 今、あなたに一つのお願いがあります。断らないでください。」バテ・シェバは彼に言った。「話してごらんなさい。」17 彼は言った。「どうかソロモン王に頼んでください。あなたからなら断らないでしょうから。王がシュネム人の女アビシャグを、私に妻として与えてくださるように。」18 そこで、バテ・シェバは「いいでしょう。私から王にあなたのことを話します」と言った。」

あるとき、ハギテの子アドニヤがソロモンの母バテ・シェバのところにやって来ました。アドニヤは1章で見たようにダビデの四男でソロモンの兄に当たる人物ですが、まだダビデが王様であったとき「私が王になる」と言って野心を抱いた人物でした。そのときは、預言者ナタンとソロモンの母が必死にダビデに訴えたので、ダビデはソロモンを王に任じました。本来であればアドニヤは殺されても致し方なかったのですが、ソロモンのあわれみによって許されたのです。ソロモンはこう言いました。「彼が立派な人物であれば、その髪の毛一本も地に落ちることはない。」(1:52)しかしアドニヤはここで、バテ・シェバに愚かな願い事をしました。それは、ソロモン王に頼んでシュネムの女アビシャグを、自分の妻として与えてくれるように頼んでほしい、ということでした。

シュネム人の女アビシャクは、ダビデが老齢のときに彼に仕えるために連れて来られた若い女性です。1章4節には、「この娘は非常に美しかった。」とあります。しかし、彼女はダビデの側室でした。その女を妻にするということは、王位を狙っていることを意味していました。アブサロムが、屋上でダビデの側めたちのところに入ったのはそのためでした(Ⅱサムエル16:22)。それは、アブサロムが王位をダビデから奪い取ったことを、公に示す行為だったのです。

不思議なことは、それを聞いたバテ・シェバがそれを好意的に受け止めていることです。彼女はアドニヤの話を聞いたとき「いいでしょう。私から王にあなたのことを話します。」(18)と答えています。なぜ彼女はアドニヤの陰謀に気付かなかったのでしょうか。多くの注解者たちは、彼女はお人好しで、人の心を読めない女性であったからだと考えています。しかし王位継承をめぐるこれまでの彼女の動きを見ると、彼女は決して鈍感な女性ではなかったことが分かります。また、彼女自身がダビデの妻でもあったので、そうした陰謀に気付かないはずがありません。おそらく彼女は自分の子ソロモンが王位を継承したことで、安心していたのでしょう。気の緩みが生じていたのだと思います。まさかいのちを救われたアドニヤが、そのような暴挙に出るとは考えもしなかったのでしょう。

19~25節をご覧ください。「19 バテ・シェバは、アドニヤのことを話すために、ソロモン王のところに行った。王は立ち上がって彼女を迎え、彼女に礼をして、自分の王座に座った。王の母のために席が設けられ、彼女は王の右に座った。20 彼女は言った。「あなたに一つの小さなお願いがあります。断らないでください。」王は彼女に言った。「母上、その願い事を聞かせてください。断ることはしませんから。」21 彼女は言った。「シュネム人の女アビシャグを、あなたの兄アドニヤに妻として与えてやってください。」22 ソロモン王は母に答えた。「なぜ、アドニヤのためにシュネム人の女アビシャグを願うのですか。彼は私の兄ですから、彼のためには王位を願ったほうがよいのではありませんか。彼のためにも、祭司エブヤタルやツェルヤの子ヨアブのためにも。」23 ソロモン王は主にかけて次のように誓った。「アドニヤがこういうことを言ってもなお自分のいのちを失わなかったなら、神がこの私を幾重にも罰せられるように。24 主は生きておられる。主は私を父ダビデの王座に就かせて、私を堅く立て、約束どおり私のために家を建ててくださった。アドニヤは今日殺されなければならない。」25 こうしてソロモン王は、エホヤダの子ベナヤを遣わしてアドニヤを討ち取らせたので、彼は死んだ。」

バテ・シェバが、アドニヤのことを話すためにソロモン王のところに行くと、ソロモンは立ち上がって彼女を迎え、深々と彼女に礼をして、自分の王座に座りました。彼女はアドニヤの願いをそのままソロモンに伝えると、ソロモンは激怒しました。ダビデとアビシャグの間には肉体関係はありませんでしたが、彼女はダビデの側室となっていたので、その彼女を求めるということは王位を求めることと等しいことだったからです。ソロモンは彼の陰謀を見抜き、アドニヤを打ち取らせたので、彼は死にました。ソロモンは、父ダビデの存命中はアドニヤを殺すことを控えていました。それなのに彼はそのことを忘れ、依然として陰謀を企てたのは全く愚かなことです。ソロモンの知恵と彼の愚かさは、実に対照的です。私たちは愚かさを捨てて、神からの知恵によって歩まなければなりません。

Ⅲ.祭司エブヤタルとヨアブ、シムイ(26-46)

最後に26~46節を見たいと思います。ここには、ダビデの遺言の中に出てきた注意すべき2人の人物と祭司エブヤタルの処刑について記されてあります。まず祭司エブヤタルです。26~27節をご覧ください。「26 それから、王は祭司エブヤタルに言った。「アナトテの自分の地所に帰れ。おまえは死に値する者だが、今日はおまえを殺さない。おまえは私の父ダビデの前で神である主の箱を担ぎ、父といつも苦しみをともにしたからだ。」27 こうして、ソロモンはエブヤタルを主の祭司の職から追放した。シロでエリの家族について語られた主のことばは、こうして成就した。」

それから、ソロモン王は祭司エブヤタルに言いました。アナトテの自分の地所に帰るようにと。彼はアドニヤが王位を狙ったとき、その動きに賛同したので、アドニヤが処刑されたとき一緒に処刑することもできましたが、そのようにはしませんでした。それは。彼が父ダビデの前で神である主の箱を担ぎ、父ダビデといつも苦しみをともにしていたからです。

こうして彼は主の祭司職から追放されました。これは、シロでエリの家族について語られた主のことばが成就するためでした。これは、Ⅰサムエル記2章31~33節にある内容です。それは、エリの子孫から祭司が出ることはなくなるという預言でした。エブヤタルは、エリの家系に属する祭司だったのです。この祭司エブヤタルの追放によって、シロで語られたエリに関する預言は完全に成就しました。ここにこのことが記されてあるのは、神のことばの確かさを伝えるためです。このことは、列王記が進展していくに従って、ますますあきらかにされていきます。私たちも、神が語られたことばは必ず実現するという信仰に立って、神に従って行きたいと思います。

次はヨアブです。28~35節をご覧ください。「28 この知らせがヨアブのところに伝わった。ヨアブはアブサロムにはつかなかったが、アドニヤについていたのである。ヨアブは主の天幕に逃げ、祭壇の角をつかんだ。29 ソロモン王に「ヨアブが主の天幕に逃げて、今、祭壇の傍らにいる」という知らせがあった。するとソロモンは、「行って彼を討ち取れ」と命じて、エホヤダの子ベナヤを遣わした。30 ベナヤは主の天幕に入って、彼に言った。「王がこう言われる。『外に出よ。』」彼は「いや、ここで死ぬ」と言った。ベナヤは王にこのことを報告した。「ヨアブはこう私に答えました。」31 王は彼に言った。「彼が言ったとおりにせよ。彼を討ち取って葬れ。こうして、ヨアブが理由もなく流した血の責任を、私と、私の父の家から取り除け。32 主は、彼が流した血を彼の頭に注ぎ返される。彼は自分よりも正しく善良な二人の者に討ちかかり、剣で虐殺したからだ。彼は私の父ダビデが知らないうちに、イスラエルの軍の長である、ネルの子アブネルと、ユダの軍の長である、エテルの子アマサを虐殺したのだ。33 二人の血は永遠にヨアブの頭と彼の子孫の頭に注ぎ返され、ダビデとその子孫、および、その家と王座には、とこしえまでも主から平安があるように。」34 エホヤダの子ベナヤは上って行き、彼を打って殺した。ヨアブは荒野にある自分の家に葬られた。35 王はエホヤダの子ベナヤを彼の代わりに軍団長とした。また、王は祭司ツァドクをエブヤタルの代わりとした。」

「この知らせ」とは、エブヤタルが祭司職から追放されたという知らせです。これがヨアブのところに伝わると、ヨアブは主の天幕に逃げ、祭壇の角をつかみました。それはかつてアドニヤがやったように処罰から免れるためです。しかし彼は、死刑を免れることはできませんでした。殺人者にはこの規定は適用されないからです。ソロモンはエホヤダの子ベナヤを遣わして、彼を討ち取るように命じました。ところがヨアブは神殿の外に出ようとしなかったので、ベナヤはソロモンからの許可を得て、その場で彼を討ち取りました。そして、荒野にある自分の家に葬られました。

ヨアブが処刑されたのはなぜでしょうか。それは彼が理由もなく人の血を流したからです。その責任を、自分と自分の父の家から取り除き、彼の頭に返すためでした。具体的には、彼は自分よりも正しい善良な2人に討ちかかり、剣で虐殺しました。善良な2人の人とは、イスラエルの将軍アブネルとユダの将軍アマサのことです。ヨアブは彼らをダビデが知らないうちに殺害しました。

このようにしてヨアブ処刑され、ヨアブに代わってベナヤを軍団長にしました。また、祭司ツァドクをエブヤタルの代わりにしました。それはソロモンが王として治めていく上でダビデが危惧していたことでしたが、このことによってソロモンの治世が安定していきました。

それにしても、ヨアブの流した血は、ヨアブの頭に注ぎ返されるとは恐ろしいことです。私たちも、自分の犯した罪の代価を要求される時が来ます。しかし幸いなことに、私たちの場合は御子イエスがその代価を十字架で返してくださいました。イエス様は十字架の上で「完了した」(ヨハネ19:30)と言われましたが、それはそのことです。それゆえ、御子イエスを信じる者の罪の代価が、その頭に返されることはありません。イエス様がその代価を受けてくださいましたから。主イエスの尊い贖いの恵みに感謝しましょう。

ダビデが危惧していたもう1人の人物がいました。それはシムイです。彼は、サウルの家の一族で、ダビデがアブサロムの反乱で逃れたとき、激しい言葉をもってダビデを罵倒しました(Ⅱサムエル6:5~13)。しかし、ダビデが王としてエルサレムに戻って来たとき、ダビデを迎えにヨルダン川まで迎えに来たので、ダビデは主にかけて、剣で彼を殺すことはないと誓っていました。そのシムイです。36~46節をご覧ください。「36 王は人を遣わしてシムイを呼び寄せ、彼に言った。「エルサレムに自分の家を建て、そこに住むがよい。だが、そこからどこへも出てはならない。37 出て行ってキデロンの谷を渡った日には、おまえは必ず死ななければならないと覚悟しておけ。おまえの血の責任はおまえ自身の頭上に降りかかるのだ。」38 シムイは王に言った。「よろしゅうございます。しもべは王様のおっしゃるとおりにいたします。」このようにしてシムイは、何日もの間エルサレムに住んだ。

39 それから三年たったころ、シムイの二人の奴隷が、ガテの王マアカの子アキシュのところへ逃げた。シムイに「あなたの奴隷たちが今、ガテにいる」という知らせがあったので、40 シムイはすぐ、ろばに鞍を置き、奴隷たちを捜しにガテのアキシュのところへ行った。シムイは行って、奴隷たちをガテから連れ戻した。41 シムイがエルサレムからガテに行って帰って来たことが、ソロモンに知らされた。42 すると、王は人を遣わし、シムイを呼び出して言った。「私はおまえに、主にかけて誓わせ、『おまえが出て、どこかへ行った日には、おまえは必ず死ななければならないと覚悟しておけ』と警告しておいたではないか。すると、おまえは私に『よろしゅうございます。従います』と言った。43 それなのになぜ、主への誓いと、私がおまえに命じた命令を守らなかったのか。」44 王はまたシムイに言った。「おまえは心の中で、自分が私の父ダビデに対して行ったすべての悪をよく知っているはずだ。主はおまえの悪をおまえの頭に返される。45 しかし、ソロモン王は祝福され、ダビデの王座は主の前でとこしえまでも堅く立つ。」46 王はエホヤダの子ベナヤに命じた。ベナヤは出て行ってシムイを討ち取り、シムイは死んだ。こうして、王国はソロモンによって確立した。」

ソロモンはシムイを、エルサレムに閉じ込めておくことにしました。そこから出るようなことがあったら必ず死ななければならないと警告しました。「キデロンの谷」とは、エルサレムの東側にある谷のことです。そこを渡るというのは、自分の故郷に帰ることを意味していました。そうなれば、謀反の可能性が高くなります。それで、そのキデロンの谷を渡ることがあれば必ず死ななければならないと、命じたのです。

シムイはそれに同意し、何日もの間エルサレムに住みました。しかしそれから3年が経ったころ、彼の二人の奴隷が、ガテの王アキシュのところへ逃げたのです。それでシムイは行って、奴隷たちをガテから連れ戻しました。これは命令違反です。そのことがソロモンに知らされると、ソロモンは人を遣わしてシムイを呼び出して討ち取ったので、彼は死にました。

なぜシムイはソロモンの命令を破ったのでしょうか。考えられるのは、ガテはエルサレムから南西に40㎞ほど離れたところにあるペリシテの町です。シムイがソロモンから命じられたのは、エルサレムの旧市街地の東に位置するキデロンの谷を渡ってはならないということでした。ガテとキデロンの谷があるのは反対の方向です。それゆえ、シムイはそのことがソロモンの命令に背いているとは思わなかったのでしょう。

しかしそれは、ソロモンの命令の精神に違反していました。シムイにはそのことがわからなかったのです。彼の中にはどこか、自分がソロモンよりも知恵があると思っていたのかもしれません。自分の立場をわきまえていませんでした。そして何よりも大きな理由は、46節に「こうして、王国はソロモンによって確立した」とあるように、ソロモンの王国が確立するためだったのです。いわばそれは、神のご計画が遂行するためだったのです。

こうしてソロモンは、不安定要因であった危険人物を取り除き、平和を確立することができました。これらのすべては、主の公正とあわれみと正義に基づいて行なわれました。ソロモンという名前の意味は、「平和」です。ソロモンが王になることによって、これまで戦いが続いていたイスラエルに平和が確立されました。これはやがて来られる主イエス・キリストの型でした。主イエスこそ、神との平和によって、真の平和をもたらことができる方です。そしてこの方が再臨される時、主はご自身に反抗するすべての者を取り除き、従順な者たちを御国の中に入れてくださるのです。平和の御国を確立されるのです。

猶予はあります。神はひとりも滅びることを願わず、すべての人が悔い改めることを願っておられます。神は忍耐深い方であり、ご自分のさばきをすぐに下すことをされず、悔い改めるのを待っておられるのです。しかし、タイムリミットがあります。いつまでも待たれるというわけではありません。必ずさばきの時がやって来ます。ですから今、自分がどうしなければいけないかを決めなければなりません。私たちはキリストに従い、その平和を享受する者でありたいと思います。