Ⅱ列王記19章

 今日は、Ⅱ列王記19章から学びます。

 Ⅰ.ユダの王ヒゼキヤ(1-13)

まず、1~7節をご覧ください。「1 ヒゼキヤ王はこれを聞くと衣を引き裂き、粗布を身にまとって【主】の宮に入った。2 彼は、宮廷長官エルヤキム、書記シェブナ、年長の祭司たちに粗布を身にまとわせて、アモツの子、預言者イザヤのところに遣わした。3 彼らはイザヤに言った。「ヒゼキヤはこう言っております。『今日は、苦難と懲らしめと屈辱の日です。子どもが生まれようとしているのに、それを産み出す力がないからです。4 おそらく、あなたの神、【主】は、ラブ・シャケのすべてのことばを聞かれたことでしょう。彼の主君、アッシリアの王が、生ける神をそしるために彼を遣わしたのです。あなたの神、【主】は、お聞きになったそのことばをとがめられます。あなたは、まだいる残りの者のために祈りの声をあげてください。』」5 ヒゼキヤ王の家来たちがイザヤのもとに来たとき、6 イザヤは彼らに言った。「あなたがたの主君にこう言いなさい。『【主】はこう言われる。あなたが聞いたあのことば、アッシリアの王の若い者たちがわたしをののしった、あのことばを恐れるな。7 今、わたしは彼のうちに霊を置く。彼は、あるうわさを聞いて、自分の国に引き揚げる。わたしはその国で彼を剣で倒す。』」」

1節の「これを聞くと」とは、18章に記されていたアッシリアの王セナケリブの使者であるラブ・シャケの脅しのことばです。それを聞いたヒゼキヤは、着ていた衣を引き裂き、粗布をまとって主の宮に入りました。これは深い悲しみと悔い改めを表しています。そして、宮廷長官エルヤキム、書記シェブナ、年長の祭司たちに荒布を身にまとわせて、アモツの子、預言者イザヤのところに遣わしました。彼らはイザヤにこう言いました。「ヒゼキヤはこう言っております。『今日は、苦難と懲らしめと屈辱の日です。子どもが生まれようとしているのに、それを産み出す力がないからです。 おそらく、あなたの神、主は、ラブ・シャケのすべてのことばを聞かれたことでしょう。彼の主君、アッシリアの王が、生ける神をそしるために彼を遣わしたのです。あなたの神、主は、お聞きになったそのことばをとがめられます。あなたは、まだいる残りの者のために祈りの声をあげてください。」(3-4)

「子どもが生まれようとしているのに、それを生み出す力がない」のです。直訳では「子どもが産道に入ったのに、生み出す力がない」ということです。つまり、陣痛の激しい痛みが続いているのに、赤ちゃんが出てこないということです。このままでは死を待つしかありません。それが、ヒゼキヤが直面していた状態でした。ユダにはアッシリアをはね返すだけの力がありませんでした。でも、主はラブ・シャケが言い放った侮辱的なことばを聞かれ、それをとがめられるはずです。だから、まだいる残りの者のために祈りをささげてほしいというのです。「まだいる残りの者」とは、アッシリアの攻撃に耐えて今もエルサレムに残っている住民たちのことです。アッシリアはエルサレムの周辺を攻撃し、残すはエルサレムだけという状態になっていました。イザヤはエルサレムに住んでいたので、ヒゼキヤはそのイザヤに使いを送りとりなしの祈りを要請したのです。

それを聞いたイザヤは何と言ったでしょうか。6~7節をご覧ください。イザヤは彼らにこう言いました。「あなたがたの主君にこう言いなさい。『主はこう言われる。あなたが聞いたあのことば、アッシリアの王の若い者たちがわたしをののしった、あのことばを恐れるな。今、わたしは彼のうちに霊を置く。彼は、あるうわさを聞いて、自分の国に引き揚げる。わたしはその国で彼を剣で倒す。』」

イザヤは、まずヒゼキヤが聞いたアッシリアの王の若い者たちが語った、あのことばを恐れるなと言われました。なぜなら、主がアッシリアの王のうちに霊を置くからです。彼はあるうわさを聞いて自分の国に引き揚げることになります。この「あるうわさ」とは、9節の「今、彼はあなたと戦うために出て来ている」との知らせのことではないかと思います。このうわさを聞いたセナケリブはエルサレムを慌ててエルサレムを降伏させるためにヒゼキヤを脅迫するようになるからです。結局、その夜、主の霊がアッシリアの陣営で18万5千人を打ち殺したので、彼は陣をたたんで自分の国に引き揚げることになります。そして、彼はそこで剣で倒れることになるのです。

ヒゼキヤが危機に直面したときに最初にしたことは、神殿に入って祈ることでした。彼は自らが祈っただけでなく、イザヤにもとりなしの祈りを要請しました。それは彼が神に信頼していたからです。それは私たちにも求められていることです。私たちが危機に直面したときに最初にすべきことは、主の前に出て祈ることです。なぜなら、義人の祈りが働くと大きな力があるからです。ヤコブ5章16節には、「ですから、あなたがたは癒されるために、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、働くと、大きな力があるからです。」とありますが、義人の祈りが働くと大きな力があります。私たちは罪深い者ですが、そんな者でも主イエスを信じたことで罪が赦されました。主の前に義人とされたのです。ですから、私たちが互いに罪を言い表して祈るなら、神はその祈りに応えてくださるのです。

8~13節をご覧ください。「8 ラブ・シャケは退いて、リブナを攻めていたアッシリアの王と落ち合った。王がラキシュから移動したことを聞いていたからである。9 王は、クシュの王ティルハカについて、「今、彼はあなたと戦うために出て来ている」との知らせを聞くと、再び使者たちをヒゼキヤに遣わして言った。10 「ユダの王ヒゼキヤにこう伝えよ。『おまえが信頼するおまえの神にだまされてはいけない。エルサレムはアッシリアの王の手に渡されないと言っているが。11 おまえは、アッシリアの王たちがすべての国々にしたこと、それらを絶滅させたことを確かに聞いている。それでも、おまえだけは救い出されるというのか。12 私の先祖は、ゴザン、ハラン、レツェフ、またテラサルにいたエデンの人々を滅ぼしたが、その国々の神々は彼らを救い出したか。13 ハマテの王、アルパデの王、セファルワイムの町の王、ヘナやイワの王はどこにいるか。』」。

ラブ・シャケは、エルサレムの城壁の外に宿営し、ヒゼキヤから降伏の言葉が届くのを待っていましたが、そうこうしているうちに、ラキシュに本営を置いていたアッシリアの王セナケリブがリブナに移動し、そこで戦っていることを聞き、エルサレムから退いてリブナに移動し、そこでセナケリブと落ち合いました。

アッシリアの王セナケリブは、クシュ(エチオピア)の王ティルハカが彼と戦うために出て来ているという知らせを聞くと、再び使者たちをヒゼキヤに遣わして降伏するように迫ります。7節の「今、わたしは彼のうちに霊を置く」と言われた主のことばが、成就し始めます。セナケリブが再び使者たちをヒゼキヤに遣わしたのは、その知らせを聞いて慌てたからです。ただちにエルサレムを降伏させるために、ヒゼキヤを脅迫したのです。

彼がヒゼキヤに伝えたことは、彼が信頼する神にだまされてはいけないということでした。彼は、何らかの方法でイザヤがヒゼキヤに語った言葉を聞いていたのでしょう。イザヤは、エルサレムはアッシリアの王の手に渡されないと言っているが、そんなことはない。アッシリアの王がすべての国々にしたこと、それらを絶滅させてことを聞いているが、それと同じようにエルサレムも滅びることになると。それらの国々の神々が彼らを救い出すことができなかったように、イスラエルの神もユダを救い出すことはできないと言ったのです。

アッシリアの王セナケリブの愚かさは、イスラエルの神を偶像と同列に置いたことでした。そうした偶像が彼らを救い出せなかったのは当然です。詩篇115篇4~8節にはこうあります。「4 彼らの偶像は銀や金で、人の手のわざである。5 口があっても語れず、目があっても見えない。6 耳があっても聞こえず、鼻があってもかげない。7 手があってもさわれず、足があっても歩けない。のどがあっても声をたてることもできない。8 これを造る者も、これに信頼する者もみな、これと同じである。」(詩篇115:4-8)

でも、イスラエルの神、主はそのようなものではありません。主は、この天地を創られた創造主です。主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむことも、眠ることもありません。主は、すべてのわざわいからあなたを守り、あなたのたましいを守られます。主はあなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られます。

セナケリブはそれを知りませんでした。一見すると、事態は悪化しているかのように見えるかもしれませんが、その時が来ると、主はご自身の御業を現わしてくださいます。その時と方法は主にゆだねなければなりません。主はご自身を待ち望む者に、大いなる御業を見せてくださるのです。

Ⅱ.ヒゼキヤの祈り(14-19)

それに対してヒゼキヤはどのように対応したでしょうか。14~19節をご覧ください。「15 ヒゼキヤは【主】の前で祈った。「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、【主】よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。16 【主】よ。御耳を傾けて聞いてください。【主】よ。御目を開いてご覧ください。生ける神をそしるために言ってよこしたセンナケリブのことばを聞いてください。17 【主】よ。アッシリアの王たちが、国々とその国土を廃墟としたのは事実です。18 彼らはその神々を火に投げ込みました。それらが神ではなく、人の手のわざ、木や石にすぎなかったので、彼らはこれを滅ぼすことができたのです。19 私たちの神、【主】よ。どうか今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、【主】よ、あなただけが神であることを知るでしょう。」」

ヒゼキヤは、アッシリアの王セナケリブの手紙を受け取ると、主の宮に上って行き、それを主の前に広げ、主の前で祈りました。彼が頼みとするのは、主だけでした。彼は、主のもとに自分の思い煩い、不安、恐れを持っていったのです。ピリピ4章6節には、「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」とありますが、私たちも思い煩い、不安、恐れがあるとき、それを主のもとにもっていかなければなりません。

ヒゼキヤはまず主に呼びかけてこう祈りました。「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。」(15)

「ケルビム」とは、至聖所に置かれた契約の箱の蓋の上に置かれた天使のことです。主はそこに臨在されると言われました。ですから、ヒゼキヤはケルビムの上に出しておられるイスラエルの神、主よ、と呼び掛けたのです。

そして彼は、「ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です」と告白しました。なぜなら、イスラエルの神は天地の造り主であり、地のすべての王国の神であられるからです。

そして彼は現状を訴えてこう祈りました。16~18節です。「主よ。御耳を傾けて聞いてください。主よ。御目を開いてご覧ください。生ける神をそしるために言ってよこしたセンナケリブのことばを聞いてください。主よ。アッシリアの王たちが、国々とその国土を廃墟としたのは事実です。彼らはその神々を火に投げ込みました。それらが神ではなく、人の手のわざ、木や石にすぎなかったので、彼らはこれを滅ぼすことができたのです。」

ヒゼキヤはここでアッシリアの王セナケリブが諸国の国々とその国土を廃墟にしたことを認めています。しかしそれができたのは、それらは人の手によって造られた偶像にすぎないからです。だから彼らはこれを滅ぼすことができました。でも、イスラエルの神、主はそうではありません。イスラエルの神、主はそうした偶像とは違い、その人を造られた造り主であられます。

その上で彼は、19節でこう訴えるのです。「私たちの神、主よ。どうか今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、主よ、あなただけが神であることを知るでしょう。」

これは解放を求める祈りです。と同時に、神の栄光が現わされることを願う祈りでもあります。

このように、ヒゼキヤは危機に直面したときそれを主のもとにもって行き、自分が信頼している神がどのようなお方なのかを認め、表現し、呼び掛け、自分が置かれている現状を訴えて、そこからの解放を求めて祈りました。もちろん、その目的は主の栄光が現わされることです。私たちも問題に直面したら、それを主のもとにもって行き、偉大な主の御名を呼び求め、自分の置かれた現状をありのままに申し上げ、そこからの解放を求めて祈らなければなりません。そのとき主は、天でその祈りを聞き答えてくださいます。主は耳を傾けて聞かれ、目を開いてご覧になり、私たちを問題から解放してくださるのです。

Ⅲ.祈りの答え(20-37)

ヒゼキヤが祈った祈りはどのように答えられたでしょうか。20~37節をご覧ください。まず31節までをお読みします。「20 アモツの子イザヤはヒゼキヤのところに人を送って言った。「イスラエルの神、【主】はこう言われる。『あなたがアッシリアの王センナケリブについて、わたしに祈ったことを、わたしは聞いた。』21 【主】が彼について語られたことばは、このとおりである。『処女である娘シオンはおまえを蔑み、おまえを嘲る。娘エルサレムはおまえのうしろで頭を振る。22 おまえはだれをそしり、だれをののしったのか。だれに向かって声をあげ、高慢な目を上げたのか。イスラエルの聖なる者に対してだ。23 おまえは使者たちを通して、主をそしって言った。「多くの戦車を率いて、私は山々の頂に、レバノンの奥深くへ上って行った。そのそびえる杉の木と美しいもみの木を切り倒し、その果ての高地、木の茂った園にまで入って行った。24 私は井戸を掘って、他国の水を飲み、足の裏でエジプトのすべての川を干上がらせた」と。25 おまえは聞かなかったのか。遠い昔に、わたしがそれをなし、大昔に、わたしがそれを計画し、今、それを果たしたことを。それで、おまえは城壁のある町々を荒らして廃墟の石くれの山としたのだ。26 その住民は力失せ、打ちのめされて恥を見て、野の草や青菜、育つ前に干からびる屋根の草のようになった。27 おまえが座るのも、出て行くのも、おまえが入るのも、わたしはよく知っている。わたしに向かっていきり立つのも。28 おまえがわたしに向かっていきり立ち、おまえの安逸がわたしの耳に届いたので、わたしはおまえの鼻に鉤輪を、口にくつわをはめ、おまえを、もと来た道に引き戻す。』29 あなたへのしるしは、このとおりである。『今年は、落ち穂から生えたものを食べ、二年目は、それから生えたものを食べ、三年目は、種を蒔いて刈り入れ、ぶどう畑を作ってその実を食べる。30 ユダの家の中の逃れの者、残された者は下に根を張り、上に実を結ぶ。31 エルサレムから残りの者が、シオンの山から、逃れの者が出て来るからである。万軍の【主】の熱心がこれを成し遂げる。』」

ヒゼキヤの祈りに対する応答は、イザヤを通して送られました。主は開口一番、「あなたがアッシリアの王セナケリブについて、わたしに祈ったことを、わたしは聞いた。」と言われました。これは、ヒゼキヤにとってどれほど大きな励ましだったかと思います。

「処女である娘シオン」とは、エルサレムがまだ一度も敵に征服されたことがないことを示しています。この処女である娘シオンは、エルサレムを征服する前に撤退することを余儀なくされるアッシリアの王セナケリブの後ろ姿を見ながら、頭を振ってあざけるようになります。それは彼がそしり、ののしったのが、イスラエルの聖なる方に対してだからです。

彼はレバノンやエジプトに自分の力で勝利したと豪語していますが、それは主が大昔に計画し今それを果たしたのであって、そのことを彼が知らなかっただけのことです。主がそれを許されたので、セナケリブは城壁のある町々を荒らして廃墟の石くれの山としたのに、その主に向かっていきり立つとは、傲慢にもほどがあります。それで主は彼の鼻に鉤輪を、口にくつわをはめ、もとに道に引き戻すのです。

29~31節は、セゼキヤに対して語られた主のことばです。すばらしい約束がヒゼキヤに伝えられます。それは、「今年は、落ち穂から生えたものを食べ、二年目は、それから生えたものを食べ、三年目は、種を蒔いて刈り入れ、ぶどう畑を作ってその実を食べる。」(29)ということです。

これは、アッシリアは撤退するが、ユダは生き延びるようになるというメッセージです。そのしるしは何でしょうか?そのしるしは、一年目は、落ち穂から生えたものを食べ、二年目は、またそれから生えたものを食べ、三年目は、種を蒔いて刈り入れ、ぶどう畑を作ってその実を食べることができるということでした。エルサレムの周囲にある46もの城壁のある町々が滅ぼされ土地はかなり荒廃するため、すぐに収穫は望めません。最初は落ち穂から拾って食べ、二年目も同じです。しかし、三年目になると自分で蒔いた種から収穫できるようになります。最初はそれほど収穫を期待することはできませんが、徐々に回復していき、やがて安定した生活ができるようになるというのです。これが神の原則です。最初は何もありません。落ち穂から拾って食べなければなりません。しかし、徐々に実を結ぶようになるのです。

そのためには、下に根を張らなければなりません。30節には、「ユダの家の逃れの者、残された者は下に根を張り、上に実を結ぶ。」とあります。これは、ユダの町々はアッシリアによって滅ぼされますが、神は残りの民を残してくださり、この民によってユダを回復させ、やがて増え広がるようにしてくださるという約束です。それを支えているものは何でしょうか?根です。下にしっかりと根を張ってこそ、上に実を結ぶことができます。ですから、ここに「ユダの家の逃れの者、残された者は、下に根を張り、上に実を結ぶ」とあるのです。

1992年、箱根駅伝で優勝した山梨学院大の上田監督は、「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ」と言いました。私もこの言葉が好きです。山梨学院大学は創部6年目に箱根駅伝に出場すると、15位から11位、7位、4位、2位と順位を上げて行き、そしてこの年優勝にまで上り詰めることができました。その背後には、どれほどの練習と、実としては現れない下積みの期間があったことかと思います。確かに、やればすぐに成果が現れるというわけではありませんが、上に実が結ばない時でも、黙って手をこまねいているのではなく、見えない大地の下深くに、下へ下へと根を伸ばせというのです。根を張らずして実はなりません。実は目に見えますが、根は外から見えません。ややもすると、私たちはたちどころに成果が現れるものを求めがちですが、大地にしっかりと根を張るというプロセスなしには実は結ぶことはできません。下に根を張ってこそ上に実を結ぶことができるのです。あなたにとって今成すべきことは何でしょうか?私たちにとってしなければならないことは下に根を張ることです。そうすれば、上に実を結ばせてくださいます。

31節には、「万軍の主の熱心がこれを成し遂げる」とあります。どういうことでしょうか。このようなイスラエルの回復は一方的な主の恵みによるということです。あなたの熱心ではありません。あなたの努力によるのでもありません。あなたがあれをしたから、これをしたからでもないのです。それはただ神の恵みによるのです。万軍の主の熱心によります。ですから、私たちはただこの神の約束を信じて、忍耐しつつ、へりくだって、忠実に主の御業に励まなければなりません。下に根を張っていかなければならないのです。そうすれば、やがて時が来て、実を結ばせていただける。回復させていただくことができるのです。

最後に、32~37節をご覧ください。「32 それゆえ、アッシリアの王について、【主】はこう言われる。『彼はこの都に侵入しない。また、ここに矢を放たず、これに盾をもって迫らず、塁を築いてこれを攻めることもない。33 彼は、もと来た道を引き返し、この都には入らない──【主】のことば──。34 わたしはこの都を守って、これを救う。わたしのために、わたしのしもべダビデのために。』」35 その夜、【主】の使いが出て行き、アッシリアの陣営で十八万五千人を打ち殺した。人々が翌朝早く起きて見ると、なんと、彼らはみな死体となっていた。36 アッシリアの王センナケリブは陣をたたんで去り、帰ってニネベに住んだ。37 彼が自分の神ニスロクの神殿で拝んでいたとき、その息子たち、アデラメレクとサルエツェルは、剣で彼を打ち殺した。彼らはアララテの地へ逃れ、彼の子エサル・ハドンが代わって王となった。」

アッシリアの王セナケリブについての預言です。セナケリブはエルサレムに侵入することも、矢を放つこともありません。これ(エルサレム)に盾をもって迫ることがなければ、塁を築いてこれを攻めることもありません。彼は、もと来た道を引き返し、神の都エルサレムに入ることはないのです。それは主がこの都を守って、これを救うからです。それは主ご自身の栄光のためであり、ダビデに与えた約束のゆえでもあります。

すると、それがその通り実現します。その夜、主の使いが出て行き、アッシリアの陣営で十八万五千人を打ち殺しました。それでアッシリアの王セナケリブは陣をたたんで去り、返ってアッシリアの首都ニネベに住んだのです。そして、彼が自分の神ニスロクの宮で礼拝していたとき、彼の二人の息子によって暗殺されてしまいました。皮肉なことに、セナケリブの神ニスロクは、彼を救うことができませんでした。主が言われた通りになりました。主が語られたことは必ず成就します。そのことを堅く信じて、忍耐して主の時を待ち望みたいと思います。

イザヤ11章1~9章「エッサイの根株から新芽が生え」

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今日は、アドヘント(待降節)の第1週です。キリストはある日突然生まれたのではなく、その誕生は昔から旧約聖書の中に預言されていました。たとえば、預言者イザヤは、紀元前700年ごろに活躍した預言者ですが、キリストの誕生を700年も前に預言していました。キリストの誕生以前にどこで生まれるのか、どのようにして生まれるのか、どこから出てくるのか、その名は何かなど、全ての事を詳しく預言していたのです。そして、その一つが今日の個所です。今日はこのイザヤ書11章からご一緒に学びたいと思います。

Ⅰ.若枝から出るメシヤ(1)

まず1節をご覧ください。ここには、「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。」とあります。

イザヤは、やがて来られるメシヤはエッサイの根株から出ると預言しました。エッサイとは、ダビデの父親の名前です。息子のダビデは非常に有名な王様でしたが、エッサイはそうではありませんでした。エッサイという名前を聞いて「おお、あれがあのエッサイか」と感動する人は、おそらく一人もいなかったでしょう。せいぜいご近所の人が知っているという程度でした。「ダビデのことは知っているけれども、エッサイのことはえっさい(一切)知らない」という感じでした。それなのに預言者イザヤは、そのエッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶと言いました。どういうことでしょうか?これには二つの意味があります。

一つは、やがて来られるメシヤはへりくだった救い主であるということです。エッサイの仕事は羊飼いでした。当時、羊飼いというのは社会的に身分の低い人たちの仕事と考えられていました。ですから、エッサイの根株から新芽が生えというのは、多少なりとも見下げられた表現だったのです。しかし、イザヤはダビデの根株から新芽が生えとは言わないで、エッサイの根株から新芽が生え、と言いました。どうせなら有名な人の名前を使った方が効果的なのに、そうではなく名もない羊飼いのエッサイの名前を使いました。それは、やがて来られるメシヤがダビデの家系から生まれるみどり子でありながら、そのようにへりくだった状態で生まれて来られるということを示すためだったのです。

もう一つの理由は、エッサイがダビデの父親の名前だと申し上げましたが、やがて来られるメシヤはダビデの家系から生まれることを伝えたかったからです。エッサイの子であるダビデ王が築いたユダ王国はその後子孫によって受け継がれて行きますが、やがて神の審判によってダビデ王朝は切り倒されて根株のようになりますが、その根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ、すなわち、メシア(救い主)が生まれるというのが、この1節で語られている預言が意味していることです。

ダビデ王朝について言えば、実はその国は永遠に続くという約束が神から与えられていました。Ⅱサムエル記7章16節にこうあります。「あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」

しかし、実際の歴史はそうではありませんでした。ダビデの家と王国はB.C.586年にバビロンによって滅ぼされてしまいます。

では、ダビデに告げられた約束は嘘だったのでしょうか?神はダビデに約束してくだったことを反故にされてしまったのでしょうか?そうではありません。確かに目に見えるダビデ王朝は滅ぼされましたが、この神の約束はダビデの血を引くメシヤ、イエス・キリストによって成就したのです。それはエレミヤ書22章で学んだ通りです。神はヨセフの系図からではなくマリヤの系図を通して、このダビデの血を引くメシヤの誕生を実現してくださいました。それがイエス・キリストです。ですから、あなたの家とあなたの王国は、あなたの前に確かなものとなり、あなたの王座はとこしえに堅く立つという神の約束は、イエス・キリストによって成就することになるのです。

すばらしいですね。このことから、神は約束に忠実な方であるということを知ることができます。

ところで、イザヤはそのエッサイの家から新芽が生え、とは言いませんでした。そうではなく彼は、「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ」と言いました。これはどういうことでしょうか。

「根株」とは「切株」のことです。このことをよく表現しているのが10章33,34節です。ここには、「見よ、万軍の主、主が恐ろしい勢いで枝を切り払われる。丈の高いものは切り倒され、そびえたものは低くなる。主は林の茂みを鉄の斧で切り倒し、レバノンは力強い方によって倒される。」(10:33-34)とあります。

これは、当時世界を治めていたアッシリア帝国に対するさばきの預言です。アッシリアは、周囲の国を次々と征服し、大帝国として栄えていました。それは神の道具として神がそのように用いたからなのに、何を血迷ったのか道具としての自分の立場を忘れ、高ぶってしまったので、神はアッシリアよりも強力な国バビロン帝国を興してアッシリアをも滅ぼそうとしたのです。万軍の主が、恐ろしい勢いで枝を切り払われます。主は林の茂みを鉄の斧で切り倒し、レバノンは力強い方によって倒されます。まさに切り倒された株、切株です。それはアッシリアだけでなくユダも同じです。主に背き続けたユダもアッシリア同様切り倒されることになります。しかし、違いがあります。それは何かというと、神はそこに「残りの者」を残してくださるということです。その残りの者は、力ある神に立ち返るようになるということです。それが10章20~22節で言われていることです。「その日になると、イスラエルの残りの者、ヤコブの家の逃れの者は、もう二度と自分を打つ者に頼らず、イスラエルの聖なる方、主に真実をもって頼る。残りの者、ヤコブの残りの者は、力ある神に立ち返る。たとえ、あなたの民イスラエルが海の砂のようであっても、その中の残りの者だけが帰って来る。壊滅は定められ、義があふれようとしている。」

そしてそのような人達の末裔からメシヤが生まれるのです。それがここで言われていることです。神はエッサイの根株から新芽を生えさせ、その根から若枝が出て実を結ぶようにしてくださるのです。

皆さん、ここに希望があります。切り倒されて切株しか残っていないような中で、だれもが絶望している時に、誰もが期待していないような中で、神の救いが現れるのです。もう何の望みもないと思われるような中に、神の救いが始まるのです。それが新芽であり、若枝なるメシヤ、救い主イエス・キリストです。

ところで、この「若枝」という言葉ですが、これはやがて来られるメシヤのことを表しています。これはヘブル語では「ネイツァー」と言いますが、「ナザレ」の語源になった言葉です。マタイ2章23節に「そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「彼はナザレ人と呼ばれる」と語られたことが成就するためであった。」とありますが、これはこのイザヤ11章1節の預言が成就したということを示しているのです。この預言がナザレのイエスによって成就したのです。来るべきメシヤはエッサイの根株から生える若枝として実を結ぶのです。メシヤはナザレ人と呼ばれるのです。そこには四つの意味があります。

第一に、それは王として来られるメシヤを表していました。エレミヤ23章5節に、「見よ、その時代が来る。─主のことば─そのとき、わたしはダビデに一つの正しい若枝を起こす。彼は王となって治め、栄えて、この地に公正と義を行う。」とありますが、これはやがて来るメシヤが王であられることを示しています。その「若枝」、メシヤは、王となって治めるのです。

第二に、それはしもべとして来られるメシヤを表しています。ゼカリヤ3章8節には、「聞け、大祭司ヨシュアよ。あなたも、あなたの前に座している同僚たちも。彼らはしるしとなる人たちだ。見よ、わたしはわたしのしもべ、若枝を来させる。」ここでは「若枝」のことが「しもべ」と言われています。神はご自身のしもべ、若枝を来させるのです。

第三に、それは人としてのメシヤです。ゼカリヤ6章12節にこうあります。「彼にこう言え。『万軍の主はこう言われる。見よ、一人の人を。その名は若枝。彼は自分のいるところから芽を出し、主の神殿を建てる。」ここでは、この「若枝」のことが「一人の人」と言われています。

第四に、それは神としてのメシヤです。イザヤ4章2節には「その日、主の若枝は麗しいものとなり、栄光となる。地の果実はイスラエルの逃れの者にとって、誇りとなり、輝きとなる。」とあります。ここでは、この「若枝」のことが「主の若枝」と言われています。それは神としての若枝のことです。それは麗しいものとなり、栄光となります。地の果実はイスラエルの逃れの者にとって、誇りとなり、輝きとなるのです。

このように主の若枝には四つの意味があります。それはちょうど新約聖書にある四つの福音書が、それぞれマタイの福音書が王としてのイエスを、マルコの福音書はしもべとしてのイエスを、ルカの福音書は人としてのイエスを、そしてヨハネの福音書が神としてのイエスを表しているように、やがて来られるメシヤは王の王として、人々に仕えるしもべとなって人間の姿をとり十字架で死なれるまことの神であることを表しているのです。それは私たちを罪から救うためでした。全く罪のない神ご自身が、人となられ十字架に掛かって死んでくださいました。キリストは、エッサイの根株から出る新芽として、その根から出た若枝としてこの世に来てくださったのです。

皆さん、ここに救いがあります。もしかするとあなたの人生は切り倒され、何も残っていないかのような根株のような状態かもしれません。しかし、神はその根株からも新芽を生えさせ、若枝を出させ、実を結ぶようにしてくださいました。どんなに切り倒され、さげすまれても、神は決してあなたを見捨てるようなことはなさいません。必ず回復させてくださるのです。

Ⅱ.若枝にとどまる主の霊(2-5)

次に、この若枝の性質について見ていきたいと思います。2~5節をご覧ください。2節には、「2 その上に主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、思慮と力の霊、主を恐れる、知識の霊である。」とあります。「主の霊」とは神の霊のこと、聖霊のことです。「それは知恵と悟りの霊、思慮と力の霊、主を恐れる、知識の霊である」とあるように、「七つの霊」として表現されています。それは主の霊であり、知恵と悟りの霊であり、思慮と力の霊であり、主を恐れる、知識の霊です。これは七つの霊があるということではなく、一つの聖霊に七つの働きがあるということです。「七」というのは聖書では完全数を表していますから、御霊は完全な方であるということを表していることもわかります。そして、イエス・キリスト、救い主、メシヤには、この主の霊、神の御霊に待たされた方でした。

イエスはルカ4章18~19節で、このように言われました。「主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、目の見えない人には目の開かれることを告げ、虐げられている人を自由の身とし、主の恵みの年を告げるために。」

また、ヨハネ3章34節には、「神が遣わした方は、神のことばを語られる。神が御霊を限りなくお与えになるからである。」と言われました。イエスは神の霊に満たされたお方でした。

また、この方には「知恵と悟りの霊、思慮と力の霊、主を恐れる、知識の霊」がありました。それは3~5節に「この方は主を恐れることを喜びとし、その目の見るところによってさばかず、その耳の聞くところによって判決を下さず、正義をもって弱い者をさばき、公正をもって地の貧しい者のために判決を下す。口のむちで地を打ち、唇の息で悪しき者を殺す。 正義がその腰の帯となり、真実がその胴の帯となる。」とある通りです。

人間は目に見えるところによってしばしば判断し、内に隠された問題や真理を見失ってしまう間違いを犯しますが、主はそのような方ではありません。表面に現れたものではなく、私たちの心を見られるからのです。また、聞きかじりの知識ではなくて、物事の本質によって判断されるからです。

たとえば、イエスのもとに姦淫の現場で捕らえられた女が連れて来られたとき、律法学者とパリサイ人は、モーセの律法には、こういう女を石打にするように命じているが、あなたは何と言われますか、という問いに、イエスはこう言われました。「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい。」(ヨハネ8:7)

すると、年長者たちから始まり、一人、また一人と去って行き、女とイエスだけが残されたとき、イエスは彼女にこう言われました。「わたしもあなたにさばきをくださない。行きなさい。これからは、決して罪を犯してはなりません。」ヨハネ8:11

イエスはなぜそのように言われたのでしょうか?それはその女の心を見られたからです。人はうわべを見るが、主は心を見られます。この女は自分の罪にうちひしがれ、もうさばかれても当然、とんでもないことをしてしまった、取り返しのつかないことをしてしまった、罪に定められ石で打ち殺されてもしょうがないという思いを持っていたでしょう。それを十分承知のうえで、彼女は必死になって主のあわれみを求めたのです。主はその心を見られたのです。イエスは、その目の見えるところでさばかず、その耳の聞こえるところで判決を下されませんでした。それが私たちの主イエス・キリストです。

その一方で、いつまでも踏みにじられている人たち、弱い者、地の貧しい者たち、しいたげられている人たちがいますが、そういう人たちには、正義と公正をもって正しくさばいてくださいます。主が来られる時、主はこれを実現してくださいます。これこそ、ほんとうの希望ではないでしょうか。

Ⅲ.メシヤの支配(6-9)

最後に、このメシヤによってもたらされる王国がどのようなものであるかを見て終わりたいと思います。6~9節までをご覧ください。「6 狼は子羊とともに宿り、豹は子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜がともにいて、小さな子どもがこれを追って行く。7 雌牛と熊は草をはみ、その子たちはともに伏し、獅子も牛のように藁を食う。8 乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子は、まむしの巣に手を伸ばす。9 わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、滅ぼさない。【主】を知ることが、海をおおう水のように地に満ちるからである。」

ここにメシヤによってもたらされる王国がどのようなものであるかが描写されています。それは一言でいえば「平和な世界」です。羊と狼、子やぎと豹が共に戯れ、小さな子どもが牛やライオンを追って行きます。乳飲み子がコブラと戯れ、まむしの巣に手を伸ばすのです。そんなことをしたら危ないじゃないですか、と心配される方がおられるかもしれませんが、大丈夫です。主が支配する王国は、このような平和の国ですから。まるで地球全体がエデンの園のような状態に回復されるのです。この時代には弱肉強食の動物界に完全な平和が訪れることになります。そもそもアダムとエバが罪を犯す前は、弱肉強食などありませんでした。動物たちはみな草を食べていたのです。牛も、熊も、獅子も、みんな草を食べていました。草を食べるのはうさぎだけではありません。大きな熊もそうです。今でもパンダは竹を食べていますが、それは今に始まったことではありません。ずっと昔からそうなのです。それが変わったのは人間が罪を犯し、その罪の影響が人類ばかりではなく、こうした動物界をはじめ自然界全体に及んだからです。そうした世界に、完全な平和がもたらされるのです。

これは文字通りにはキリストが再臨された後の千年王国の時に実現するものです。しかしその本質である愛が支配する世界は、私たちがこの平和の王であられる主イエスを信じるとき、その瞬間に、私たちの中に始まるのです。どうしてですか?それは9節にあるように、主を知ることが、海をおおう水のように地に満ちるからです。9節をご一緒に読みましょう。「主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。」(9)

すばらしい御言葉ですね。「主を知ることが、海をおおう水のように地を満たすからである。」主を知ることとは、主を信じることと言っても良いでしょう。主を知ることが、主を信じる人たちが、海をおおう水のようにこの地を満たすとき、このような平和が訪れるのです。

ですから、大切なのは「主を知る」ということです。これは今年の教会の年間テーマでしたね。主を知るとは表面的に知るということではなく、主がどのような方なのかを深く知るということです。やがて世の終わりにもたらされる千年王国では、この主を知る知識がこの地を満たします。主が支配される千年間の平和な時代がやってくるのです。

しかし、それは千年王国においでだけではありません。それは既にもたらされているのです。もしあなたが主を知るなら、このメシヤによって支配される目に見えない千年王国が、私たちの心を支配し、神の平和があなたの心を満たすようになります。ルカ17章20~21には、パリサイ人たちが神の国はいつ来るのかという質問に対して、イエスはこう言われました。「神の国は、目に見える形で来るものではありません。『見よ、ここだ』とか、『あそこだ』とか言えるようなものではありません。見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」

神の国はあなたがたのただ中にあるのです。ですから、イエス・キリストがいつ来られるかということよりも、いつ来られても大丈夫なように、このメシヤなるキリストを信じて、罪を赦していただき、主の再臨に備えておくことが大切なのです。それが主を知るということです。その時、神の平和があなたの心と思いを満たすでしょう。

あなたは、このエッサイの根株から出る新芽、その根から出る若枝を迎える準備が出来ていますか。主はあなたを罪から救うために今から約二千年前にこの世に来てくださいました。そして十字架で死なれ、三日目によみがえられ、天に昇り、全能の父なる神の右に着座されました。あなたの救いの御業を完成してくださったのです。あなたがこのイエスを救い主として信じて受け入れるなら、神の国はあなたの中にあります。あなたは主のご支配の中で完全な愛と平和を受けることができます。そして、主が再び来られるとき、文字通り千年王国において、この愛と平和を生きることになるのです。あなたも、あなたのために来られたメシヤ、救い主、イエス・キリストを信じて、主の来臨に備えてください。これこそ本当のクリスマスの喜びと希望なのです。

エレミヤ27章1~22節「神の時がある」

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きょうは、エレミヤ書27章からお話します。タイトルは、「神の時がある」です。私たちは、自分の欲しいものがあると、すぐにでも欲しいと願います。けれども、すべてのことに神の時があります。その時を待つことが大切です。そうするなら、ちょうど良い時に神は与えてくださいます。きょうは、そのことについて語っておられる主のことばを聞きたいと思います。

Ⅰ.縄とかせを作り、あなたの首に付けよ(1-8)

まず、1~8節をご覧ください。「1 ユダの王、ヨシヤの子のエホヤキムの治世の初めに、【主】からエレミヤに次のようなことばがあった。2 【主】は私にこう言われた。「あなたは縄とかせを作り、それをあなたの首に付けよ。3 そうして、エルサレムのユダの王ゼデキヤのところに来る使者たちによって、エドムの王、モアブの王、アンモン人の王、ツロの王、シドンの王に伝言を送り、4 彼らがそれぞれの主君に次のことを言うように命じよ。『イスラエルの神、万軍の【主】はこう言われる。あなたがたは主君にこう言え。5 わたしは、大いなる力と伸ばした腕をもって、地と、地の面にいる人と獣を造った。わたしは、わたしの目にかなった者に、この地を与える。6 今わたしは、これらすべての地域をわたしのしもべ、バビロンの王ネブカドネツァルの手に与え、野の生き物も彼に与えて彼に仕えさせる。7 彼の地に時が来るまで、すべての国は、彼とその子と、その子の子に仕える。しかしその後で、多くの民や大王たちが彼を自分たちの奴隷にする。8 バビロンの王ネブカドネツァルに仕えず、またバビロンの王のくびきに首を差し出さない国や王国があれば、わたしは剣と飢饉と疫病をもってその民を罰し──【主】のことば──彼の手で彼らを皆殺しにする。」

1節に「ユダの王、ヨシヤの子のエホヤキムの治世の初めに」とありますが、これは写本に書き写す際の間違いです。正しくは下の欄外の説明にあるように、「ゼデキヤ」の治世です。聖書は誤りがない神のことばですが、それは原本において誤りがないという意味で、このように非常に稀ですが写本において間違うことがあります。特に、エレミヤ書は年代順に書かれたわけではないので、書き写す際に間違えたのではないかと考えられています。なぜそこがゼデキヤなのかというと、前後の文脈をみるとわかりますが、ゼデキヤということばが何回も出てくるので、そのように読むのが自然だからです。

ゼデキヤは南王国ユダの最後の王です。彼が王の時にユダは滅ぼされバビロンの捕囚にされます。そのゼデキヤの治世の初めに、主からエレミヤに次のようなことばがありました。2節です。「あなたは縄とかせを作り、それをあなたの首に付けよ」これは13章に「行って亜麻布の帯を買い、それを腰に締めよ」という命令がありましたが、それと同じように、エレミヤに行動によって預言を行なわせるものです。かせとは、二頭の牛の首にかけて農作業などをさせるくびきのことです。横木ですね。そこに縄を付けたものです。勿論、普通はそんなものを付けて歩いている人はいません。そんなものを首につけていたら、頭がおかしいのではないかと思われるでしょう。でも主はそのように命じられたのです。それによって主がご自分の思いを伝えるためです。その思いとはどんな思いでしょうか。

その思いが、3節から8節で具体的に語られます。それはユダと周辺諸国はバビロンの王ネブカドネツァルによって滅ぼされ、首にかせをかけられるようになるということです。すなわち、バビロン捕囚の民となるということです。しかしゼデキヤはエレミヤのことばを嫌って受け入れませんでした。3節にあるように、エドム、モアブ、アンモン、ツロ、シドンという5つの国々と軍事同盟を結んでバビロンに対抗しようとしたのです。彼はエレミヤのことばを信じようとしませんでした。バビロンによって滅ぼされるなんてあり得ない。自分たちは神の民である。「これは主の宮、主の宮、主の宮だ」。だれも手を出すことはできないといった偽りの預言者たちのことばに騙されて、周辺諸国と手を組んでバビロンに対抗しようとしたのです。

でもそれは実に愚かなことでした。なぜなら、もう既にバビロン捕囚が始まっていたからです。バビロン捕囚は全部で3回行われましたが、既に第二回目が完了していました。もうすぐ三回目の捕囚が行われようとしていました。それはB.C.586年に起こることですが、エルサレムは完全に滅ぼされ、ユダの民は捕囚の民としてバビロンに連れて行かれることになります。それなのにゼデキヤは、その前のエホヤキンという王がバビロンの捕囚になると、バビロンによって擁立された王であるにも関わらず、ネブカドネツァルに反逆して、このような外交ルートを作ってバビロンに対抗しようとしたのです。だから主はエレミヤを通して、そのようなことをしても無駄であること、バビロンの王のくびきに服するようにと伝えるために、エレミヤにこのような格好をさせたのです

それはいつまでもということではありません。7節に「彼の地に時が来るまで」とあります。「彼の地」とはバビロンのことを指しています。それはバビロンに時が来るまでのことです。それまですべての国は彼とその子と、その子の子に仕えますが、その後で多くの民や大王たちが彼を自分たちの奴隷にします。どういうことかというと、その子とはネブカドネツァルの子のエビル・メロダク(Ⅱ列王25:27)のことで、そしてその子の子とはベルシャツァルのことでが、その子の子であるベルシャツァルまでの70年間は、すべての国がバビロンの奴隷となってバビロンに仕えることになりますが、その後は、多くの民や大王たちが、逆に彼を自分たちの奴隷にするということです。果たして、それがこの通りになります。バビロンの王ベルシャツァルは、メディヤとペルシャの連合軍との戦いに敗れ、彼らに服することになるのです。ここに書かれてあるとおりです。

いずれにしても、神の時があります。神の時が来たら、そのことがわかります。それまでは我慢しなければなりません。それまで耐え忍んでください。そうするなら、神はあなたに祝福をもたらしてくださいます。

メソジスト運動の創始者であるジョン・ウェスレーは有名ですが、彼はオックスフォード大学で学ぶと、最初は英国国教会の聖職者となりました。オックスフォード大学在学中に信仰熱心な友人たちとともに「ホーリー・クラブ」というクラブを作ると、これが「メソジスト」と呼ばれ、その後のメソジスト派の名前となっていきました。彼は、弟のチャールズ・ウェスレーやホイットフィールドとともに、英国にリバイバルをもたらす器となります。そのウェスレーの日記を見ると、その働きが必ずしも順調ではなかったことがわかります。
  5月5日(日)午前、聖アンナ教会で説教する。もう二度と来なくてよい、と言われる。午後、聖ヨハネ教会で説教する。執事の一人に、「出て行け、ここに近寄るな!」と言われる。
  5月12日(日)午前、聖ユダ教会で説教する。あそこにも、もう行かれない。午後、聖ジョージ教会で説教する。またつまみ出される。
  5月19日(日)午前、聖ペテロ教会で説教する。執事が特別会議を開き、私は招かれざる客だ、と言い渡される。午後、路傍で説教する。路傍からも追い出される。
  5月6日(日)午前、野原で説教する。説教中に野原に放たれた雄牛に追いかけまわされて、走って逃げる。
  6月2日(日)、町はずれで説教する。道路から立ち退かされる。午後の集会、放牧地で説教する。なんと1万人もの人が来る!
(Bob Hartman, Plugged In Used by Permission from Preaching Today.com)

ジョン・ウェスレーは、実に忍耐深い伝道者でした。どんなに人々に無視され、拒絶されても、神を信じてあきらめませんでした。そして、神の時が来た時、神はそれを祝福に変えてくださいました。

ゼデキヤは、この神の時を見分けることができませんでした。8節に、「バビロンの王ネブカドネツァルに仕えず、またバビロンの王のくびきに首を差し出さない国や王国があれば、わたしは剣と飢饉と疫病をもってその民を罰し──【主】のことば──彼の手で彼らを皆殺しにする。」とありますが、彼はバビロンに仕えず、バビロンに首を差し出さなかったので、彼の息子は虐殺され、彼自身も目をえぐり取られて殺されてしまうことになってしまいました。ここに警告されているとおりです。

主イエスは、パリサイ人たちやサドカイ人たちが、天からのしるしを見せてほしいと求められた時、こう言われました。「「夕方になると、あなたがたは『夕焼けだから晴れる』と言い、朝には『朝焼けでどんよりしているから、今日は荒れ模様だ』と言います。空模様を見分けることを知っていながら、時のしるしを見分けることはできないのですか。」(マタイ16:2-3)
  「時のしるしを見分けることができないのですか」。時のしるしを見分けることができないと、この時のゼデキヤのようになってしまいます。今がどういう時なのかをしっかり見分けなければなりません。そのためには、いつもイエス様と親しく交わっている必要があります。日々のディボーションを通して自分の置かれている状況がどういう時なのかを見分け、神の時を待ち望みたいと思います。

Ⅱ.にせ預言者に聞き従ってはならない(9-18)

第二のことは、だから、にせ預言者に聞き従ってはならないということです。9~11節をご覧ください。「9 だから、あなたがたは、バビロンの王に仕えることはないと言っているあなたがたの預言者、占い師、夢見る者、卜者、呪術者に聞き従ってはならない。10 彼らは、あなたがたに偽りを預言しているからだ。それで、あなたがたは自分たちの土地から遠くに移され、わたしはあなたがたを追い散らして、あなたがたは滅びることになる。11 しかし、バビロンの王のくびきに首を差し出して彼に仕える国を、わたしはその土地にとどまらせる──【主】のことば──。こうして、人々はその土地を耕し、そこに住む。』」

だからエレミヤは、偽りの預言をしている者たちのことばを聞き従ってはならないと警告しています。彼らは自分たちに都合の良いことばかり主張していました。14節にあるように、「バビロンの王に仕えることはできない」と語っていたのです。なぜ彼らはそのように語っていたのでしょうか。それは、彼らがエレミヤのさばきの預言を聞いた時、神のことばに信頼しないで自分の感情、自分の思いに支配されていたからです。危機に直面したとき、感情的になるか、それとも、神のことばに信頼するかによって、正反対の結果が生じます。にせ預言者たちはエレミヤのことばを聞いて感情的になり、神のみこころに反する預言を語りましたが、そのような反応はただ滅びをもたらすだけでした。大切なのは感情的になることではなく、神のことばに信頼することです。

では、このときの神のことば、神のみこころは何だったのでしょうか。それは11節にあるように、バビロンの王に仕えることでした。11節をご一緒に読みましょう。
  「しかし、バビロンの王のくびきに首を差し出して彼に仕える国を、わたしはその土地にとどまらせる──【主】のことば──。こうして、人々はその土地を耕し、そこに住む。」
  バビロンの王のくびきに首を差し出して彼に仕えるとは、バビロンの捕囚の民となることです。そうすれば、主はその土地にとどまらせてくださいます。これが彼らのすべきことでした。自分がとどまりたいところにとどまるのではなく、神がとどまらせたいところにとどまらなければなりません。自分が行きたいところに行くのではなく、神が行かせたいところに行かなければなりません。そうすれば、主はその土地にとどまらせてくださいます。新改訳第三版ではこの「とどまらせる」を「いこわせる」と訳しています。「その土地にいこわせる」と。それが私たちに求められていることです。そこにいこいがあります。それは、具体的にはバビロンの王のくびきに首を差し出すことです。バビロンの捕囚の民となることです。しかし、にせ預言者たちは反対のことを語っていました。そこにいこいはないと。あくまでも反バビロン同盟を組んでバビロンと戦うべきだと。バビロンの王に仕えることはできないし仕えるべきではない。あくまでも徹底抗戦すべきだと語っていたのです。でも神のみことばに逆らうなら、その身にわざわいを招くことになります。

16~18節をご覧ください。ここでは、祭司とすべての民に向けてメッセージが語られています。「16 私はまた、祭司たちとこの民全体に向かって語った。「【主】はこう言われる。あなたがたは、『見よ、【主】の宮の器は、バビロンから今すぐにも戻される』とあなたがたに預言している、あなたがたの預言者のことばに聞き従ってはならない。彼らはあなたがたに偽りを預言しているのだ。17 彼らに聞き従ってはならない。バビロンの王に仕えて生きよ。どうして、この都が廃墟になってよいであろうか。18 もし彼らが預言者であるなら、もし彼らに【主】のことばがあるなら、彼らは、【主】の宮、ユダの王の宮殿、またエルサレムに残されている器がバビロンに持って行かれないよう、万軍の【主】にとりなしをするはずだ。」

バビロンによって持ち去られた神殿の器について、にせ預言者たちは、祭司とユダの民のすべてに向かって偽りを預言していました。それらはすぐにバビロンから戻されると。でもそれはただの気休めのことばにすぎない偽りのことばでした。返還されるどころかさらに奪われる危機に直面していたからです。というのは、これが語られたのは第二回目のバビロン捕囚の直後(B.C.597年)でしたが、B.C.586年の第三回目の捕囚、これが最後の捕囚となりますが、この時エルサレムは完全に廃墟となり、そのすべてがバビロンにもって行かれることになるからです。ですから、もし彼らが真の預言者ならば、逆にそういうことがないように、主にとりなすはずなのにそういうことをせず、ただ自分たちに都合が良いこと、耳障りの良いことを語り、神の真理のことばを語りませんでした。でもたとえそれが心地よいことば、慰めのことばであっても、そういう偽りの預言に聞き従ってはなりません。

聖書には、世の終わりが近くなると、こうした偽りの預言をする者がたくさん現れるようになるとあります。イエス様は、マタイ24:11で「偽預言者が大勢現れて、多くの人を惑わします。」と言われました。まさに今はそういう時ではないでしょうか。聖書のことばを私的に解釈し、自分に都合が良いように語って多くの人を惑わす偽預言者が大勢現れています。

苫小牧福音教会牧師の水草修治先生は、「神を愛するための神学講座」という本を書いておられますが、その中で、主イエスが話された偽預言者の特徴を次のようにまとめておられます。
  1.偽預言者は表面的には羊のように見えるが、中身は狼のように貪欲である。彼らは「私は偽預言者です」とは自己紹介しない。表面的にはとても良い人である。「こういう者たちは偽使徒、人を欺く働き人であり、キリストの使徒に変装しているのです。しかし、驚くには及びません。サタンでさえ光の御使いに変装します。ですから、サタンのしもべどもが義のしもべに変装したとしても、大したことではありません。彼らの最後は、その行いにふさわしいものとなるでしょう。」(2コリント12:13-15)

2.偽預言者は主イエスの名によって預言し、主イエスの名によって悪霊を追い出し、主イエスの名によって奇跡を行い、そういう行いが自分が真の預言者である証拠であると思っている。つまり偽預言者は教えの正しさよりも、ある種の霊的体験を優先する。イエスの名によって不思議なことをし、霊的体験を与えてくれるからといって、それが本物の預言者とはかぎらないから、むしろ警戒すべきである。教理よりも体験を重んじがちなタイプの信者は欺かれる。

3.偽預言者は、「悪い実」「不法」を行う。すなわち、彼らは表面的には「羊のなり」をしてよい人なのだが、注意深くその行動を見ると、「悪い実」をみのらせている。「悪い実」とはガラテヤ書で言えば「肉のわざ」である。「肉のわざは明らかです。すなわち、淫らな行い、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のものです。以前にも言ったように、今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。このようなことをしている者たちは神の国を相続できません。」(ガラテヤ5:19-21)

4.偽預言者は世の終わり(携挙・再臨)が何年何月何日に来ると予言する。だが主イエスは言われた。「天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。」(マタイ24:35,36)

5.偽預言者による世の終わりの預言を信じた人は落ち着きを失ってしまうが、正しく聖書の終末預言を学んだ人は、神を愛し隣人を愛する落ち着いた生活をする。主が再び来られたときに、主のもとに引き上げられるのは、その日をあらかじめ知って騒ぎ立てている人ではなく、神を愛し隣人を愛し、地道に落ち着いた生活をしている人である。「また、私たちが命じたように、落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くことを名誉としなさい。」(1テサロニケ4:11)

実に、的を得た指摘だと思います。世の終わりになると、こういう預言者がはびこるようになります。ですから、私たちも注意しなければなりません。自分にとって都合が良いこと、心地よいこと、耳障りの良いことばではなく、神が語っておられる神のことばを聞かなければなりません。

Ⅲ.この場所に戻す(19-22)

最後に、19~22節をご覧ください。ここに真の預言者であるエレミヤのすばらしい預言のことばが記されてあります。

このようにバビロンに運ばれた神殿の器とエルサレムに残された器に付いて、エレミヤはこう預言します。19~22節をご覧ください。「19 まことに万軍の【主】は、神殿の柱、『海』、車輪付きの台、また、この都に残されているほかの器について、こう言われる。20 ──これらの物は、バビロンの王ネブカドネツァルがユダの王、エホヤキムの子エコンヤ、およびユダとエルサレムのすべてのおもだった人々をエルサレムからバビロンへ引いて行ったときに、奪い取らなかったものである──21 まことに、イスラエルの神、万軍の【主】は、【主】の宮とユダの王の宮殿とエルサレムに残された器について、こう言われる。22 『それらはバビロンに運ばれて、わたしがそれを顧みる日まで、そこにある──【主】のことば──。そしてわたしはそれらを携え上り、この場所に戻す。』」

19~20節には、バビロンに奪われずエルサレムに残された神殿の器について記録されています。「神殿の柱」とは、神殿の玄関に立てられた2本の青銅の柱のことです。「海」とは、鋳物でできた円形の器のこと。そこに海のようにたくさんの水がためられていました。「車輪付きの台」とは、洗盤を載せる青銅の台のことです。これらの物は、バビロンの王ネブカドネツァルがユダの王とエルサレムのおもだった人たちをバビロンへ引いて行ったときに、奪い取りませんでした。そのままエルサレムに残されたのです。それらのものは、バビロンへ持ち去られ、主が顧みる日まで、そこにとどめ置かれることになりますが、主はこれらの物をこの場所に戻してくださいます。

これが真の預言者のことばです。確かにエルサレム神殿は崩壊し、そこにあったすべての物はバビロンに奪い去られますが、主が顧みられる日に、これらの物をこの場所に戻してくださいます。真の預言者は良いことばかり預言するわけではありません。彼らの罪の結果、受けなければならない神のさばきを語りますが、同時に主の慰めと希望も語るのです。主が顧みられる時に、主は必ず戻してくださると。

エレミヤは、ユダの民がバビロンに捕囚とされて行く中で、やがて主がそれらをこの場所に戻すという希望のメッセージを語ったのです。それは今ではありません。それは主がそれを顧みる日まで、そこにあります。しかし、その日が満ちるとき、主はユダの民がそれらを携えて、この場所に戻すようにしてくださいます。すばらしい約束ですね。バビロンの支配は一時的であり、その期間が過ぎるとき、それは70年間ですが、バビロンに捕えられていた民が、これらの物を携えてエルサレムに帰ってくるようになるというのです。この預言は、確かに捕囚の70年後に成就しました(B.C.536年)。エズラ記1章に、そのとおりに成就したことが記録されてあります。

ここでエレミヤが預言したとおり、バビロンの王ネブカドネツァルがエルサレムから持ち出して、自分の神々の宮に置いていた主の宮の器が、運び出されました。この預言を聞いた祭司たちは、どんなに励まされたことでしょうか。将来の神殿の回復が約束されたからです。ですから、私たちは希望を失ってはなりません。必ず、神の約束が成就する時が来るからです。それは今ではないかもしれません。しかし、すべてのことに神の時があります。神のなさることは時にかなって美しいのです。神に信頼しましょう。神に信頼してこの時を待ち望みましょう。そうするなら、神は必ずあなたの人生にも良いことをしてくださいますから。

Ⅱ列王記18章

 今日は、Ⅱ列王記18章から学びます。

 Ⅰ.ユダの王ヒゼキヤ(1-8)

まず、1~8節をご覧ください。「1 イスラエルの王エラの子ホセアの第三年に、ユダの王アハズの子ヒゼキヤが王となった。2 彼は二十五歳で王となり、エルサレムで二十九年間、王であった。彼の母の名はアビといい、ゼカリヤの娘であった。3 彼は、すべて父祖ダビデが行ったとおりに、【主】の目にかなうことを行った。4 高き所を取り除き、石の柱を打ち砕き、アシェラ像を切り倒し、モーセが作った青銅の蛇を砕いた。そのころまで、イスラエル人がこれに犠牲を供えていたからである。これはネフシュタンと呼ばれていた。5 彼はイスラエルの神、【主】に信頼していた。彼の後にも前にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった。6 彼は【主】に堅くつき従って離れることなく、【主】がモーセに命じられた命令を守った。7 【主】は彼とともにおられた。彼はどこへ出て行っても成功を収めた。彼はアッシリアの王に反逆し、彼に仕えなかった。8 彼はペリシテ人を討ってガザにまで至り、見張りのやぐらから城壁のある町に至るその領土を打ち破った。」

イスラエルの王ホセアの第三年に、ユダの王アハズの子ヒゼキヤが王になりました。北イスラエルは、このホセアが王の時アッシリアの捕囚となります。ですから、ヒゼキヤは北王国が滅びた時の南ユダの王でした。彼は25歳で王となり、エルサレムで29年間治めました。彼について特筆すべきことは、彼は、すべて父祖ダビデが行ったとおりに、主の目にかなうことをおこなったということです。彼は高き所を取り除き、石の柱を打ち砕き、アシェラ像を切り倒し、モーセが造った青銅の蛇を砕きました。歴代のユダの王も比較的善い王で主の目にかなうことを行なっていましたが、高き所は取り除きませんでした。けれどもヒゼキヤは違います。彼は高き所も取り除きました。そして父アハズ王が導入させた異教の神々の像を打ち壊しました。それだけではありません。かつて、モーセが作った青銅の蛇を打ち砕いたのです。この青銅の蛇は「ネフシュタン」と呼ばれていたものですが、これはイスラエルの民が荒野の旅をしていた時、水がないことやいつもマナばかり食べていることについて不平を鳴らしたとき、主が怒られ彼らに燃える蛇を送られましたが、そこから救われるためにモーセが作り、旗ざおの上に掲げたものです。「かまれた者はみな、それを仰ぎ見ると生きる」と。(民数記21:5~9)それ以来、イスラエルの民はこれを偶像化し、犠牲を供えていました。ヒゼキヤは、青銅の蛇も砕いたのです。

かつて祝福をもたらしたものでも、それを偶像化すると信仰の妨げになってしまうことがあります。それがいかによいものであっても、それを神以上に大切にするなら、それは偶像礼拝となり、霊的成長を妨げてしまいます。私たちの生活の中で、そのようなものがないかどうか吟味しなければなりません。

5節と6節をご覧ください。彼はイスラエルの神、主に信頼していました。彼の後にも前にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいませんでした。彼は主に堅くつき従って離れることなく、主がモーセに命じられた命令を守りました。

ヒゼキヤは、南ユダの王たちの中で最もすばらしい王でした。なぜ彼が最もすばらしい王だったと言えるのでしょうか。どういう点が彼のすばらしい点だったのでしょうか。それは彼がイスラエルの神、主に信頼していたという点においてです。これは、他の王たちとの能力的な比較ではなく、信仰の面での比較です。ヒゼキヤは、何よりも、イスラエルの神、主への信頼を第一にした王だったのです。

彼は、6節にあるように、主に堅くつき従って離れることなく、主がモーセに命じられた命令を守りました。彼は、他の王たちのように晩年になって自分の信仰を放棄するようなことをせず、最後までモーセの律法を守り続けました。それは、この後に出てくるアッシリアの王セナケリブの脅しにも屈せない彼の態度や、神殿の修理や再建(Ⅱ歴代29:3~36)、過越しの祭りや他の祭りの実行(Ⅱ歴代30:1~27)、種々の宗教改革(Ⅱ歴代31:2~21)に表れています。

主はそのようなセゼキヤの信仰を祝福し、主は彼とともにおられ、彼がどこへ出て行っても成功を収めさせました。まず彼はアッシリアの王に反逆し、彼に仕えることをしませんでした。これはすごいことです。彼の父のアハズ王は親アッシリア政策をとっていたからです。でも彼はアッシリアに仕えることを拒みました。近隣諸国と同盟関係を結び、アッシリアに対抗したのです。
  また彼は、ペリシテ人を討ってガザにまで至り、見張のやぐらから城壁のある町に至るその領土を打ち破りました。これはどういうことかというと、彼の父アハズ王の時代に、ペリシテ人はユダの町々をいくつか奪っていましたが、ヒゼキヤはそれを奪還したということです。ガザはペリシテの地の最南端の町ですので、彼の征服はペリシテ全土に及んだことが分かります。

ヒゼキヤは、私たちの手本のような人物です。彼は神を恐れ、神の命令を実行しました。私たちもそのような者であるように目指しましょう。その人は肉体的にも霊的にも、主の大いなる祝福を受けるのです。


Ⅱ.ヒゼキヤの試練(9-16)

次に、9~16節をご覧ください。12節までを読みます。「9 ヒゼキヤ王の第四年、イスラエルの王エラの子ホセアの第七年に、アッシリアの王シャルマネセルがサマリアに攻め上って来て、これを包囲し、10 三年後にこれを攻め取った。すなわち、ヒゼキヤの第六年、イスラエルの王ホセアの第九年に、サマリアは攻め取られた。11 アッシリアの王はイスラエル人をアッシリアに捕らえ移し、彼らをハラフと、ゴザンの川ハボルのほとり、またメディアの町々に定住させた。12 これは、彼らが彼らの神、【主】の御声に聞き従わず、その契約を破り、【主】のしもべモーセが命じたすべてのことに聞き従わず、これを行わなかったからである。」

「サマリア」は、北イスラエルの首都です。ヒゼキヤの治世の第四年に、アッシリアの王シャルマネセルがサマリアに攻め上って、これを包囲し、三年後に攻め取りました。このことは既に17:1~6で見てきたとおりです。ここで再び取り上げられているのは、これがヒゼキヤにとっても重要な意味を持つ出来事だったからです。つまり、アッシリアの王はユダにも進出してきたということです。

13~16節をご覧ください。「13 ヒゼキヤ王の第十四年に、アッシリアの王センナケリブが、ユダのすべての城壁のある町々に攻め上り、これを取った。14 ユダの王ヒゼキヤは、ラキシュのアッシリアの王のところに人を遣わして言った。「私は過ちを犯しました。私のところから引き揚げてください。あなたが私に課せられるものは何でも負いますから。」そこで、アッシリアの王はユダの王ヒゼキヤに、銀三百タラントと金三十タラントを要求した。15 ヒゼキヤは、【主】の宮と王宮の宝物倉にある銀をすべて渡した。16 そのとき、ユダの王ヒゼキヤは、自分が【主】の神殿の扉と柱に張り付けた金を剥ぎ取り、これをアッシリアの王に渡した。」

北王国を滅ぼしたのはアッシリアの王サルゴン2世でしたが、サルゴンが死ぬと、息子のセナケリブが王位を継承しました。そのセナケリブが、ヒゼキヤ王の第十四年にユダのすべての城壁のある町々に攻め上り、これを取りました。残るはエルサレムだけとなりました。セナケリブは、エルサレムに攻め上るために、ペリシテの地に近いラキシュに本営を置きました。包囲されたことを知ったヒゼキヤは、降伏したほうが良いと判断して、そのことを、ラキシュにいるセナケリブに伝えます。そこで、セナケリブが要求してきた通りの金銀を、主の宮と王宮の中にあるものから取って支払いました。セナケリブが要求してきたものは、銀300タラント(約11トン)と金30タラント(約1トン)でした。代価を支払って平和を買い取るのは、決して賢明なこととは言えません。敵は、一度味を占めると、二度も、三度も、要求してくるようになるからです。信仰者と悪魔の戦いも同じです。最初に妥協すると、その流れが続くことになります。

Ⅲ.セナケリブの脅迫(17-37)

それが、17~37節に見られるセナケリブの脅迫です。まず27節までをご覧ください。「17 アッシリアの王は、タルタン、ラブ・サリス、およびラブ・シャケを、大軍とともにラキシュからエルサレムのヒゼキヤ王のところへ送った。彼らはエルサレムに上って来た。彼らは上って来ると、布さらしの野への大路にある、上の池の水道のそばに立った。18 彼らが王に呼びかけたので、ヒルキヤの子である宮廷長官エルヤキム、書記シェブナ、およびアサフの子である史官ヨアフは、彼らのところに出て行った。19 ラブ・シャケは彼らに言った。「ヒゼキヤに伝えよ。大王、アッシリアの王がこう言っておられる。『いったい、おまえは何に拠り頼んでいるのか。20 口先だけのことばが、戦略であり戦力だというのか。今おまえは、だれに拠り頼んでいるのか。私に反逆しているが。21 今おまえは、あの傷んだ葦の杖、エジプトに拠り頼んでいるが、それは、それに寄りかかる者の手を刺し貫くだけだ。エジプトの王ファラオは、すべて彼に拠り頼む者にそうするのだ。22 おまえたちは私に「われわれは、われわれの神、【主】に拠り頼む」と言う。その主とは、ヒゼキヤがその高き所と祭壇を取り除いて、ユダとエルサレムに「エルサレムにあるこの祭壇の前で拝め」と言った、そういう主ではないか。23 さあ今、私の主君、アッシリアの王と賭けをしないか。もし、おまえのほうで乗り手をそろえることができるのなら、おまえに二千頭の馬を与えよう。24 おまえは戦車と騎兵のことでエジプトに拠り頼んでいるが、私の主君の最も小さい家来である総督一人さえ追い返せないのだ。25 今、私がこの場所を滅ぼすために上って来たのは、【主】を差し置いてのことであろうか。【主】が私に「この国に攻め上って、これを滅ぼせ」と言われたのだ。』」26 ヒルキヤの子エルヤキムとシェブナとヨアフは、ラブ・シャケに言った。「どうか、しもべたちにはアラム語で話してください。われわれはアラム語が分かりますから。城壁の上にいる民が聞いているところでは、われわれにユダのことばで話さないでください。」27 ラブ・シャケは彼らに言った。「私の主君がこれらのことを告げに私を遣わされたのは、おまえの主君や、おまえのためだろうか。むしろ、城壁の上に座っている者たちのためではないか。彼らはおまえたちと一緒に、自分の糞を食らい、自分の尿を飲むようになるのだ。」」

セナケリブは、ヒゼキヤが差し出した貢ぎ物で満足することなく、完全な服従を要求してきました。セナケリブは3人の大使を大軍とともに派遣し、エルサレムに送りました。彼らはエルサレムに上って来ると、布さらしの野への大路にある上の池の水道のそばに立ちました。これはギホンの泉から荒野に向かって水が流れる場所で、洗濯場になっていました。城壁のすぐ外に位置しており、とても賑やかな場所です。

彼らはヒゼキヤに呼び掛けましたが、ヒゼキヤは直接対応することをせず、3人の代理人を送り、彼らと交渉させました。すなわち、ヒルキヤの子である宮廷長官のエルヤキム、書記のシェブナ、およびアサフの子である史官ヨアフです。

アッシリアの大使のラブ・シャケは、エルサレムの住民にもわかるような言葉で、脅迫の言葉を告げます。それが19~25節の言葉です。その強調点は、彼らの王セナケリブの偉大さです。彼はまずヒゼキヤが拠り頼んでいるものがいかに無力なものであるかを示します。その一つが「あの傷んだ葦の杖」であるエジプトです。そんなのにより頼んでも無駄だというのです。これは正しい分析です。

次に彼が指摘したのは、「われわれの神、主に拠り頼む」ことについてです。彼は、ヒゼキヤが高き所を取り除いて、偶像礼拝を一掃したことを知っていました。そんな無慈悲で排他的な神にいったいどんな力があるというのかというのです。彼はヒゼキヤの宗教改革をこのように非難したのです。

その上で彼は、アッシリアの王と賭けをしないかと提案します。それは、ヒゼキヤが乗り手をそろえることができるなら、アッシリアの王が二千頭の馬を与えるというものでした。それはユダがエジプトに期待したのは、馬を提供してくれることだったからです。どんなに馬をそろえても、乗り手がいなければ何の意味もありません。いや、アッシリアの総督の一人さえも追い返させないだろうというのです。

そして彼はこう結論付けるのです。「今、私がこの場所を滅ぼすために上って来たのは、主を差し置いてのことであろうか。主が私に「この国に攻め上って、これを滅ぼせ」と言われたのだ。」これは衝撃的な言葉です。アッシリア軍がエルサレムに上って来たのは、主のみこころによるものだというのですから。これは全くあり得ないことではありませんが、ラブ・シャケの巧みな誘導による言葉です。「主」によるものであると聞いたら、ユダの民が激しく動揺するからです。


  それを聞いたヒゼキヤの使者のエルヤキムとシェブナとヨアブは、住民にわかるユダの言葉ではなく、アラム語で話してほしいと要請します。高等教育を受けた高官たちはアラム語を理解することができたので、アラム語で話してほしいと言ったのです。住民に分かられると都合が悪かったからです。

するとラブ・シャケはその要求をはねつけました。なぜなら、彼がこのようなことを話すのは彼らのためではなく、むしろ住民たちのためだったからです。エルサレムを陥落させるためには、住民の戦闘意欲を砕く必要があったのです。エルサレムが包囲されて一番苦しむのは住民です。その時には自分の排泄物まで食べるようになるからです。

ラブ・シャケのことばはあまりにも傲慢でした。神の民を侮辱することは神の御名を侮辱することと同じことだからです。このような者には神のさばきが下ることを覚えておかなければなりません。そして、たとえどんなに脅されても、主に信頼する者は失望させられることはないと信じて、主に拠り頼み続けなければなりません。

最後に、28~37節までをご覧ください。「28 ラブ・シャケは突っ立って、ユダのことばで大声で叫んで、こう告げた。「大王、アッシリアの王のことばを聞け。29 王はこう言っておられる。『ヒゼキヤにごまかされるな。あれは、おまえたちを私の手から救い出すことができないからだ。30 ヒゼキヤは、「【主】が必ずわれわれを救い出してくださる。この都は決してアッシリアの王の手に渡されることはない」と言って、おまえたちに【主】を信頼させようとするが、そうはさせない。』31 ヒゼキヤの言うことを聞くな。アッシリアの王はこう言っておられるからだ。『私と和を結び、私に降伏せよ。そうすれば、おまえたちはみな、自分のぶどうと自分のいちじくを食べ、自分の井戸の水を飲めるようになる。32 その後私は来て、おまえたちの国と同じような国におまえたちを連れて行く。そこは穀物と新しいぶどう酒の地、パンとぶどう畑の地、オリーブの木と蜜の地である。おまえたちが生き延びて死ぬことのないようにするためである。たとえヒゼキヤが、「【主】はわれわれを救い出してくださる」と言って、おまえたちをそそのかしても、ヒゼキヤに聞き従ってはならない。33  国々の神々は、それぞれ自分の国をアッシリアの王の手から救い出しただろうか。34 ハマテやアルパデの神々は今、どこにいるのか。セファルワイムやヘナやイワの神々はどこにいるのか。彼らはサマリアを私の手から救い出したか。35 国々のすべての神々のうち、だれが自分たちの国を私の手から救い出したか。【主】がエルサレムを私の手から救い出せるとでもいうのか。』」36 民は黙って、彼に一言も答えなかった。「彼に答えるな」というのが、王の命令だったからである。37 ヒルキヤの子である宮廷長官エルヤキム、書記シェブナ、アサフの子である史官ヨアフは、自分たちの衣を引き裂いてヒゼキヤのもとに行き、ラブ・シャケのことばを告げた。」


  しかし、ラブ・シャケは聞き入るどころか、ますます声を大きくし、今度は、一般民衆に対して告げて、彼らの心がヒゼキヤから離れるように仕向けます。彼は、ヒゼキヤに従ってアッシリアと戦うよりは、降参して自分の命を救うほうが良いと説得します。もしアッシリアの王と和を結び、幸福するなら、おまえたちはみな、自分のぶどうと自分のいちじくを食べ、自分の井戸の水を飲めるようになると。これは大きな誘惑です。「自分のぶどうと自分のいちじくを食べ」とか、「自分の井戸の水を飲む」とは、食べる物、飲む物に困らないようにさせてあげるぞという意味です。

「その後私は来て、おまえたちの国と同じような国におまえたちを連れて行く。」とは、アッシリアの征服方法です。原住民を他の地域に移住させ、そこで生活させることです。そのようにすることで、アッシリアに反逆させる力を削ぐ狙いがありました。しかし、そこで彼らは穀物とぶどう酒、パン、オリーブと蜜が味わえるようになると誘惑しているのです。

それゆえ、ヒゼキヤにそそのかされて死ぬよりは、自分の命を大切にした方が良いというのです。なかなか説得力がありますね。

「国々のすべての神々のうち、だれが自分たちの国を私の手から救い出したか。主エルサレムを私の手から救い出せるとでもいうのか。」というのは、それぞれの国で「神、神、といっているが、どの神がアッシリアの王の手から救い出すことができるというのか。どの神も無力ではないか、という問いかけです。これは、エルサレムの住民を不安に陥れるには十分な力を持っています。

私たちも、このような責めを心の中のささやきで、あるいは、実際の声として聞くことがあります。イエス・キリストを信じていても、問題は解決しないばかりか、状況はもっと悪くなっている。神に拠りすがることに、いったいどんな意味があるのかと。

このような言葉に騙されないようにしましょう。ラブ・シャケの言葉は、悪魔的なものです。「あなたがたは、悪魔である父から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと思っています。悪魔は初めから人殺しで、真理に立っていません。彼のうちには真理がないからです。悪魔は、偽りを言うとき、自分の本性から話します。なぜなら彼は偽り者、また偽りの父だからです。しかし、このわたしは真理を話しているので、あなたがたはわたしを信じません。」(ヨハネ8:44-45)悪魔の言葉ではなくイエスの言葉、真理の言葉に耳を傾けなければなりません。

「民は黙って、彼に一言も答えなかった。「彼に答えるな」というのが、王の命令だったからである。」

ラブ・シャケは城壁の上に集まっていた民に大声で語りかけましたが、何の反応もありませんでした。それは「彼に答えるな」というのが、ヒゼキヤ王の命令だったからです。これは賢い判断です。敵の目的は、民の心を煽ることです。自分の議論の中に、相手を引き込みたいことです。しかしその手に乗るな、とヒゼキヤは戒めたのです。それでも民は激しく動揺し、議論し合ったことでしょう。ラブ・シャケのことばには、なるほどと思わせるものが多く含まれていたからです。けれども、そのような時こそ黙する必要があります。そこに神の救いがあるからです。ダビデは詩篇62:1~2でこう言っています。「私のたましいは、黙ってただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。神こそわが岩、わが救い、わがやぐら。私は決して揺るがされない。」

私たちも黙って主を待ち望みましょう。私たちの救いは神から来るからです。神こそわが岩、わが救い、わがやぐら、私は決して揺るがされることはないからです。

エレミヤ26章1~24節「たとえ、どんなことがあっても」

きょうは、エレミヤ書26章全体から、「たとえ、どんなことがあっても」というタイトルでお話します。エレミヤ書の通読をマラソンにたとえるなら、折り返し地点を通過し、ゴールを目指して復路に入ったあたりが、この26章から29章です。マラソンではこのあたりが一番苦しい地点ですが、エレミヤ書もこのあたりに試練の頂点ともいえる出来事が集められています。エレミヤはいろいろな迫害を受けます。それこそ死に直面するような迫害を、です。それはエレミヤだけではありません。私たちもそのような苦難を受けることがあります。そのような時、いったいどうしたらそれを乗り越えることができるのでしょうか。今日は、エレミヤが死の危機を乗り越えた出来事を通して、そのことをご一緒に学びたいと思います。

Ⅰ.エレミヤの苦難(1-11)

まず、1~11節をご覧ください。6節までをお読みします。「1 ユダの王、ヨシヤの子エホヤキムの治世の初めに、【主】から次のようなことばがあった。2 【主】はこう言われた。「【主】の宮の庭に立ち、【主】の宮に礼拝しに来るユダのすべての町の者に、わたしがあなたに語れと命じたことばを残らず語れ。一言も省くな。3 彼らがそれを聞いて、それぞれ悪の道から立ち返るかもしれない。そうすればわたしは、彼らの悪い行いのために彼らに下そうと考えていたわざわいを思い直す。4 彼らに言え。『【主】はこう言われる。もし、あなたがたがわたしに聞き従わず、あなたがたの前に置いたわたしの律法に歩まず、5 あなたがたに早くからたびたび遣わしてきた、わたしのしもべである預言者たちのことばに聞き従わないなら──実際、あなたがたは聞き従わなかった──6 わたしはこの宮をシロのようにし、この都を地上のすべての国々の、ののしりの的とする。』」」

ユダの王エホヤキムの治世の初めに、主からエレミヤに主のことばがありました。これはB.C.609年のことです。25:1をご覧ください。ここには、ユダの王、ヨシヤの子のエホヤキムの第四年とあります。年代が遡っていることがわかります。エレミヤ書は年代順に書かれているわけではないので、そのことを注意して読まなければなりません。そのエホヤキムの治世の最初の年に、エレミヤに主のことばがありました。それは、主の宮の庭に立ち、主の宮に礼拝しに来るすべての町の者に、主が語れと命じたことばを語れということでした。イスラエルでは、成人男性は、年に3回エルサレムに上るように律法で命じられていました。それは過越の祭り、七週の祭り(五旬節)、仮庵の祭りの3回です。おそらく、エレミヤはそのいずれかの祭りの期間にこのメッセージを語ったのでしょう。そのメッセージの内容は、3節から6節にあるように、このメッセージを聞いてもしそれぞれ悪の道から立ち返るなら、彼らの悪い行いのために彼らに下そうと考えていたわざわいを思い直すが、そうでなければ、神のさばきが下るというものでした。しかし、残念ながら彼らは聞き従いませんでした。それで主はこの宮をシロのようにし、この都を地上のすべての国々の、ののしりの的とすると言われました。

「この宮」とはエルサレム神殿のことです。そのエルサレム神殿をシロのようにするというのは、かつてサムエルの時代、このシロには神の幕屋がありましたが、ペリシテ人との戦いに敗れた時、神の箱が奪われてしまいました。神の箱は神の臨在の象徴です。その神の箱がないということは廃墟を意味していました。そこにどんなに立派な神殿があっても、どんなにすばらしい宗教儀式が執り行われても、神の臨在がなければ何の意味もありません。かつてシロがそうだったように、このエルサレム神殿もそのようになるというのです。

それを聞いた祭司と預言者と民全体は、どのように反応したでしょうか。7~11節をご覧ください。「7 祭司と預言者と民全体は、エレミヤがこのことばを【主】の宮で語るのを聞いた。8 【主】が民全体に語れと命じたことをみな、エレミヤが語り終えたとき、祭司と預言者とすべての民は彼を捕らえて言った。「あなたは必ず死ななければならない。9 なぜ、この宮がシロのようになり、この都がだれも住む者のいない廃墟となると、【主】の名によって預言したのか。」そこで、民全体は【主】の宮のエレミヤのところに集まった。10 これらのことを聞いてユダの首長たちは、王の宮殿から【主】の宮に上り、【主】の宮の新しい門の入り口で座に着いた。11 祭司たちと預言者たちは、首長たちと民全体に次のように言った。「この者は死刑に当たる。彼がこの都に対して、あなたがたが自分の耳で聞いたとおりの預言をしたからだ。」」

彼らはただちにエレミヤを捕らえ、彼を攻撃しました。彼らはエレミヤをにせ預言者だと判断し、律法の規定に従って処刑しなければならないと思いました。それでエレミヤに「あなたは必ず死ななければならない」と言ったのです。それにしても、すごい脅しですね。「あなたは必ず死ななければならない」というのは。私は礼拝で説教した後、聴衆から「あなたは必ず死ななければならない」と言われたことはありません。もし言われたらどういうリアクションをしたらいいかわかりません。まだそこまで言われたことがないのでわかりませんが、相当ビビルのではないかと思います。たまにメールで脅されることがあります。「何で講壇から私のことを語ったんですか。」と。私は講壇から個人のことを語ることはありませんが、その時のメッセージを聞いたその人が、そのように感じられたのでしょう。「どうして講壇から私を攻撃したんですか。」私は決してその人のことを攻撃したことなどないのに、気の弱い私はそう聞いただけでシューンとなってしまいます。神のことばを忠実に語れば語るほど、必ずといってよいほど脅しがかかるのです。そんな脅しにひるむようであってはならないと思うのですが、ついついひるんでしまいます。ましてエレミヤの場合は、逮捕されて面と向かって言われたのですから、相当ビビッたのではないかと思います。でも彼はそれで黙ったかというとそうではなく、全く口をつむぐこともなく語り続けました。すごいですね。彼の気迫を感じます。

10節をご覧ください。これらのことを聞いたユダの首長たちは、王の宮殿から主の宮に上り、主の宮の新しい門の入り口で座に着きました。「新しい門」というのは、現代の裁判所のようなところです。そこでは政治や行政も行われていましたが、法廷にもなりました。ユダの指導者たちは、そこで尋問しようとしたのです。彼らはユダの首長たちの前で、エレミヤは死刑に値すると主張しました。

エレミヤにとってはどうみても不利な状況でした。周りの者たちはみな彼の敵でした。誰一人味方する者はいませんでした。もし皆さんがエレミヤの立場だったらどういう心境だったでしょうか。それは、決して容易なことではなかったと思います。エレミヤも相当脅えたのではないかと思いますが、その後のところを見ると彼のメッセージは全然変わっていないのがわかります。全くひるんでいないのです。一貫していました。どうして彼はこのような状況の中でも恐れなかったのでしょうか。それは、彼には神の約束のことばが与えられていたからです。1:7~8をご覧ください。彼が預言者として召しを受けた時に語られた主のことばです。エレミヤは自分は若くて、何をどう語ったらいいのかわかりませんというと、主は彼に次のように言われました。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすすべてのところへ行き、わたしがあなたに命じるすべてのことを語れ。彼らの顔を恐れるな。わたしがあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。──【主】のことば。」
  一見、エレミヤはたった一人、被告人席に立たされているかのようでした。でも、その傍らには主が立っておられました。そしてすべてが悪い方にしか向いていない状況の中で弁護者として彼を助け、その状況を打開し、そこから救い出してくださるという約束を与えてくださったのです。
  1:19にもこのような約束が与えられていました。「彼らはあなたと戦っても、あなたに勝てない。わたしがあなたとともにいて、──【主】のことば──あなたを救い出すからだ。」
  神がともにおられるならば、神が私たちの見方であるなら、だれが敵対できるでしょうか。誰もできません。神があなたとともにいて、あなたを救い出してくださるからです。

神は私たちを迫害に遭わせないとは言っておられません。神は私たちを試練に遭わせない、苦難に遭わせないとは約束しません。神が約束しておられることは、たとえあなたが迫害に直面しても、試練のただ中にあったとしても、苦難の悲劇のどん底にいたとしても、あなたとともにいるということです。あなたともにいて、あなたを助け出されるということです。これが神の約束です。エレミヤはこの神の約束を信じることができたので、「あなたは必ず死ななければならない」と脅されても、ひるまずに大胆に神のことばを語り続けることができたのです。いくら罵声を浴びても、いくら脅迫されても、自分にはイエスがともにいて救い出してくださる。ひるむ必要はない。だってイエスが共にいるんだから。エレミヤはこの約束を信じ、神にすべてをゆだねていたのです。
イエスがいるから 明日は怖くない
because we have Jesus we’re not afraid of tomorrow
イエスがいるから恐れは消え
because we have Jesus all fears disappear
イエスがいるから人生は素晴らしい
because we have Jesus our life is wonderful
彼に全てを委ねたいまは
now that we surrendered everything to him
(「イエスがいるから」  詞・曲:Gloria & William J. Gaither)

それは私たちも同じです。私たちもエレミヤのようにすべてを敵に回し四面楚歌に置かれてしまったかのように思える時があります。でも、どんなに孤独でも、あなたは独りぼっちではないということを知っていただきたいと思います。イエスは「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)と言われました。イエスは世の終わりまで、いつもあなたと共にいてくださいます。その約束を信じなければなりません。

Ⅱ.エレミヤの弁明(12-19)

第二に、12~19節をご覧ください。15節までをご覧ください。「12 エレミヤは、すべての首長と民に告げた。「【主】が、この神殿とこの都に対して、あなたがたの聞いたすべてのことばを預言するよう、私を遣わされたのです。13 さあ今、あなたがたの生き方と行いを改め、あなたがたの神、【主】の御声に聞き従いなさい。そうすれば、【主】も、あなたがたに語ったわざわいを思い直されます。14 このとおり、私自身はあなたがたの手の中にあります。私を、あなたがたの目に良いと思うよう、気に入るようにしなさい。15 ただ、もしあなたがたが私を殺すなら、あなたがた自身が咎なき者の血の責任を、自分たちと、この都と、その住民に及ぼすのだということを、はっきり知っておきなさい。なぜなら、本当に【主】が私をあなたがたのもとに送り、これらすべてのことばをあなたがたの耳に語らせたのですから。」

裁判の席でエレミヤは、自らの行動の弁明として、彼がそのように語るのは、神ご自身がそのように預言するよう、自分を遣わされたからだと言いました。その上で彼は、もし悔い改めるなら、神は彼らに語られたわざわいを思い直されるであろうと伝えます。これはエレミヤの一貫したメッセージです。どんなに脅されても彼のメッセージは変わりませんでした。ブレることがなかったのです。すごいですね。エレミヤはいのちの危険を顧みず、ずっと一貫したメッセージを語ったのですから。さらに彼は、自分を殺すなら殺してもよいが、罪のない者を殺すようなことがあるとしたら、その血の責任を負わなければならないと言いました。どうしてエレミヤはこのように言うことができたのでしょうか。それは彼が自分のいのちを完全に神にゆだねていたからです。彼は、自分のいのちは自分の手の中にはないという自覚をもっていました。それはすべて神の御手の中にあると。だから、すべてを神にゆだねたのです。具体的には、裁判官の手に自分のいのちをゆだねました。なぜなら、この裁判官を立てたのは神ご自身であられるからです。それがエレミヤの理解であり、パウロの理解であり、聖書が教えておられることです。ローマ13:1にこうあります。「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。」。勿論、例外はあります。もし上に立つ権威が信仰に抵触することを無理やり強制するようなことがあれば、断固として拒絶すべきです。たとえば、上に立つ権威がイエス・キリストを否定しなさい、というようなことがあるとしたら、それに従うことはできません。あるいは、キリスト教を捨ててしまえと言うようなことがあるとしたら、それに従うことはできません。それに対しては「人に従うより、神に従うべきです。」(使徒5:29)の原則を適用すべきです。しかし、そうでない限り、私たちは上に立つ権威に従うべきです。なぜなら、神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。だからエレミヤは自分のいのちを裁判官の手にゆだねたのです。それが神にゆだねるということだからです。

その結果、どうなったでしょうか。16~19節をご覧ください。「16 すると、首長たちと民全体は、祭司たちと預言者たちに言った。「この人は死刑に当たらない。彼は私たちの神、【主】の名によって、私たちに語ったのだから。」17 それで、この地の長老たちの何人かが立って、民全体に言った。18 「かつてモレシェテ人ミカも、ユダの王ヒゼキヤの時代に預言して、ユダの民全体にこう語ったことがある。万軍の【主】はこう言われる。シオンは畑のように耕され、エルサレムは瓦礫の山となり、神殿の山は木々におおわれた丘となる。19 そのとき、ユダの王ヒゼキヤとユダのすべては彼を殺しただろうか。ヒゼキヤが【主】を恐れ、【主】に願ったので、【主】も彼らに語ったわざわいを思い直されたではないか。ところが、私たちはわが身に大きなわざわいを招こうとしている。」」

すると首長たちと民全体は、「この人は死刑にあたらない。」と言いました。なぜなら、エレミヤが自分の神、主の名によって語ったのだからです。彼らは訳のわからないことを言っています。彼らは、エレミヤの迫力に圧倒されたのでしょう。皮肉なことに彼らは、エレミヤが主の名によって語る真の預言者であることを認めました。そればかりか、その地の長老たちの幾人かが立って、モレシェテ人ミカについて、かつてイスラエルの歴史に起こった出来事を引用し、エレミヤの無罪を主張したのです。

この「モリシェテ人ミカ」とは、ミカ書を書いたミカです。ミカは預言者イザヤと同時代の預言者で、エレミヤよりも約100年前の預言者です。そのミカが神のメッセージを取り次いだとき、当時ユダの王であったヒゼキヤが悔い改めました。そのメッセージは18節にありますが、「万軍の【主】はこう言われる。シオンは畑のように耕され、エルサレムは瓦礫の山となり、神殿の山は木々におおわれた丘となる。」というものです。そのときヒゼキヤとユダのすべての民はミカを殺したかというとそういうことはなく、むしろ主を恐れ、主に願ったので、主も彼らに語ったわざわいを思い直されました。つまり、ユダとエルサレムは、アッシリアの王セナケリブによる侵略を免れることができました。

このような長老たちの発言は、聖書の中の他の個所にも見られます。たとえば、使徒5章には、律法の教師でガマリエルという人の助言が記されてあります。イエスの弟子たちが、神はイエスをよみがえらせたと語ったとき、パリサイ人たちやサドカイ人たちは怒り狂い、彼らを殺そうとした時、このガマリエルが立ち上がり、少し以前に起きたテウダの事件を取り上げて、彼が自分をあたかもメシアであるかのように標榜し、四百人もの人たちが従ったが、結局のところ彼は殺され、従った者たちもみな散らされて跡形もなくなったように、もしそれが人間から出たものなら自滅するでしょうから、放っておくがいい。でも、それが神から出たものなら、彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすると、それによって神に敵対する者になってしまうかもしれない。だから、もう少し様子を見た方がいいと言ったのです。すると当時のユダヤ教の指導者たちも賛同して、「あなたのおっしゃるとおり」となり、殺すことを思い止まらせました。

エレミヤの時代のこの地の長老たちも同じです。遡ること100年も前に起こった出来事を例に取り上げて、エレミヤを殺すことに反対したのです。エレミヤのいのちは、歴史から学ぶ人々によって救い出されました。と同時に、ユダの民もまた、重大な罪を犯すことから救い出されました。

このように歴史から学ぶことは重要なことです。歴史から学ばない人は同じ失敗を繰り返すことになります。勿論、自分の経験からも学ぶことができますが、それは限られたものでしかありません。しかし、人類の歴史からは本当に多くのことを学ぶことができます。そして聖書こそ、その人類の歴史が記録されてある書です。ですから聖書を学ぶなら、多くの益を受けることができます。聖書にはたくさんの失敗談と、それをどのように乗り越えてきたかについて記されてあるからです。しかし、聖書を見ると人間の罪や過ち、汚れ、失敗、醜さなど、赤裸々な人間の姿が記されてあります。いったいどうしてそんなに赤裸々な人間の姿が記されてあるのでしょうか。それは私たちにとって半面教師となるためです。そして、そこから多くのことを学ぶことができるからです。新約聖書にもそうあります。旧約聖書は教訓として与えられていると。先ほどのシロのこともそうでしたね。聖書に記されて歴史を見ると、私たちはどうあるべきなのかが見えてきます。そこから得られた知識は、現代の問題を解決するヒントになります。きょうのエレミヤ書の個所も、エレミヤがかつて神のことばを語ったときに捕らえられ、殺されそうになったときどうしたのか、どのように乗り越えたのかという歴史上の出来事から教えられているわけですが、これが現代を生きる私たちの知恵、力、助け、励まし、ヒントになるのです。

Ⅲ.そこに神の助けがある(20-24)

その聖書の歴史が終える第三のことは、そこに神の助けがあるということです。20~24節をご覧ください。「20 【主】の御名によって預言している人がもう一人いた。キルヤテ・エアリム出身のシェマヤの子ウリヤで、彼はこの都とこの地に対して、エレミヤのことばすべてと同じような預言をしていた。21 エホヤキム王、すべての勇士、首長たちは、彼のことばを聞いた。王は彼を殺そうとしたが、ウリヤはこれを聞いて恐れ、エジプトへ逃げて行った。22 そこで、エホヤキム王は人々をエジプトに遣わした。すなわち、アクボルの子エルナタンに人々を随行させて、エジプトに送った。23 彼らはウリヤをエジプトから導き出し、エホヤキム王のところに連れて来たので、王は彼を剣で打ち殺し、その屍を共同墓地に捨てさせた。24 しかし、シャファンの子アヒカムはエレミヤをかばい、エレミヤが民の手に渡されて殺されることのないようにした。」

ここに「ウリヤ」という預言者のことが取り上げられています。彼はエレミヤと同じ時代に活躍した預言者です。彼もまた主の御名によって預言していた預言者で、エレミヤとすべて同じような預言をしていました。つまり、エレミヤは独りぼっちではなかったということです。少なくてもウリヤという同じメッセージを語っていた預言者がいました。他にも無名の人がいたかもしれません。私たちもついつい自分ばかりと思ってしまうことがあります。家族の中でも自分だけかクリスチャンです。学校のクラスの中でも自分だけがクリスチャン。職場でもクリスチャンは自分だけです。そして、だからだれからも理解されないし、むしろ(うと)まれ、嫌われていると思ってしまうのです。でも、あなただけが一人で戦っているわけではないということを知ってほしいと思います。エレミヤも、自分だけがという思いがあったと思いますが、実際は彼と同じことを語っていた預言者がいたのです。エリヤの時代そうでしたね。彼も主の預言者は自分だけだと思っていましたが、主はバアルに膝をかがめず、バアルに口づけしなかった者たち七千人をイスラエルの中に残しておられました。

このように、神が残しておられる民がいるということを知っていただきたいと思います。あなたは一人じゃないのです。あなただけが辛い思いをしているわけではない。あなたには神の家族が与えられています。そのことを忘れないでください。自分だけが特別だと思ってはいけません。むしろそれが普通です。クリスチャンであれば、必ず苦難があります。イエスも言われました。「世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」(ヨハネ16:33)主イエスにあって敬虔に生きようと思う者はみな、迫害を受けるのです。これが普通です。あなただけが特別なのではありません。あなたと同じように、バアルに膝をかがめない人七千人がいるのです。主はそういう人たちをちゃんと用意しておられるのです。

ところで、このウリヤですが、いったい何のために彼のことがここに記されてあるのでしょうか。21~23節を見ると、彼はエレミヤのように主のことばをストレートに語っていましたが、エホヤキム王がそれを聞いた時彼を殺そうとしたので、彼はエジプトに逃れました。すると、エホヤキム王は人々をエジプトに遣わし、彼を殺しました。一方エレミヤはどうかというと、同じメッセージを語りましたが殺されませんでした。その違いは何でしょうか。それは、エレミヤはエルサレムにとどまったのに対して、ウリヤはエジプトに逃れたということです。どういうことでしょうか。ここで言わんとしていることは、ウリヤは怖くなって逃げたので殺されたということではありません。逃げたからといって必ずしも殺されるとは限らないからです。たとえば、エリヤがそうでした。彼も逃げましたが、彼は殺されませんでした。ですから、逃げた者は負け犬だから殺されるということではないのです。ここで言わんとしていることは、私たちのいのちは主の御手の中にあるということです。そして、主に従う者を、主はご自身の御使いをもって守ってくださるということです。ウリヤの場合、本来は助かるいのちが助からなかったということではありません。エレミヤの場合は、このような形では殺されなかったのは、そこに神の別のご計画があったからなのです。エレミヤにはエレミヤの召しがあったということです。だから、エレミヤとウリヤを比較して、どちらが正しくてどちらが間違っているのか、どちらがすぐれていて、どちらが劣っているのかという話ではないのです。わかることは、そこに神のご計画があったということです。いいえ、私たちのすべての出来事の背後には、神の御手が働いているのです。

それが24節で言われていることです。ここには「しかし、シャファンの子アヒカムはエレミヤをかばい、エレミヤが民の手に渡されて殺されることのないようにした。」とあります。エレミヤの場合、彼が生き延びて神のご計画を果たすために、シャファンの子アヒカムを備えてくださいました。シャファンの子アヒカムがエレミヤをかばい、エレミヤが民の手に渡されて殺されることがないようにしたのです。調べてみるとシャファンはエホヤキムの父ヨシヤ王の時代に書記官を務めました。また彼は祭司の一人であっと言われています(Ⅰ列王22:14)。そしてヨシヤ王の時代に破壊されていたエルサレム神殿の修復をしますが、その修復作業にも携わりました。つまり、シャファンという人物はとても敬虔な人であったのです。その息子のアヒカムがエレミヤを助けました。勿論、エレミヤはヨシヤ王の時代の預言者でしたから、当然シャファンとも面識があったでしょう。非常に綿密なつながりがありました。だからこそ、その息子のアヒカムがいのちを張ってまでエレミヤを助けたのです。だれもがエレミヤの敵だったのに、アヒカムはいのちを張って自分が盾となってエレミヤを守ったのです。

こういう人が、あなたにも与えられています。あなたにもアヒカムが与えられています。あなたのためにいのちを張ってくれる人。そういう人がいるのです。だったら何を恐れる必要があるでしょうか。何を心配しているのですか。あなたがどんなに恐ろしい状況にあっても、神はあなたとともにいてあなたを救い出してくださいます。その方法はいろいろですが、このようにアヒカムを与えて救い出してくださるのです。
  パウロは、Ⅱコリント1:10でこう言っています。「神は、それほど大きな死の危険から私たちを救い出してくださいました。これからも救い出してくださいます。私たちはこの神に希望を置いています。」
  これは私たちの告白でもあります。パウロは、自分の経験として神が救ってくださると信じていました。だから、これからも救い出してくださると信じることができ、この神に希望を置くことができたのです。

あなたはどうですか。あなたはどこに希望を置いていますか。神は、それほど大きな危険からもあなたを救い出してくださった。だからこれからも救い出してくださると信じることができるのです。エレミヤもそうでした。神は死の危険からも自分を救い出してくださったという経験を通して、この神に希望を置いたのです。それは私たちも同じです。私たちもいろいろな患難や苦難が襲ってくるでしょう。まさに私たちの人生の海にはさまざまな嵐が襲ってきます。でも神はその危険から救い出してくださいます。この神に希望を置いて、エレミヤのように神から与えられた使命を、大胆に、力強く担っていきたいと思います。

Ⅱ列王記17章

 今日は、Ⅱ列王記17章から学びます。

 Ⅰ.アッシリア捕囚(1-23)

まず、1~6節をご覧ください。「1 ユダの王アハズの第十二年に、エラの子ホセアがサマリアでイスラエルの王となり、九年間、王であった。2 彼は【主】の目に悪であることを行ったが、彼以前のイスラエルの王たちのようではなかった。3 アッシリアの王シャルマネセルが攻め上って来た。そのとき、ホセアは彼に服従して、貢ぎ物を納めた。4 しかし、アッシリアの王はホセアの謀反に気がついた。ホセアがエジプトの王ソに使者たちを遣わし、アッシリアの王には年々の貢ぎ物を納めなかったからである。そこで、アッシリアの王は彼を捕らえて牢獄につないだ。5 アッシリアの王はこの国全土に攻め上り、サマリアに攻め上って、三年間これを包囲した。6 ホセアの第九年に、アッシリアの王はサマリアを取り、イスラエル人をアッシリアに捕らえ移し、彼らをハラフと、ゴザンの川ハボルのほとり、またメディアの町々に住まわせた。」

話は再び北イスラエルに移ります。ユダの王アハズの第十二年に、エラの子ホセアがサマリアでイスラエルの王となり、九年間、治めました。彼は主の目の前に悪を行いましたが、彼以前の北イスラエルの王たちのようではありませんでした。どういうことかというと、彼以前の王たちのように、ネバテの子ヤロブアムの道を歩まなかったということです。当時の政治状況が極めて深刻であったため、そういう余裕がなかったのでしょう。というのは、3節にあるように、アッシリアの王シャルマネセルが攻め上って来ていたからです。そのときホセアは彼に服従して貢ぎ物を治めましたが、その裏でエジプトの王ソと連携して、アッシリアに対抗しようとしていました。このことに気付いたアッシリアの王シャルマネセルは激怒し、彼を捕らえて牢獄につなぎました。

その後、アッシリアの王は北イスラエルの首都サマリアに攻め上り、3年間これを
包囲しました。そしてホセアの治世の第九年にアッシリアの王はサマリアを完全に攻め取りました。そしてイスラエル人をアッシリアに捕え移し、彼らをバラフとゴザンの川ハボルのほとり、またメディアの町々に住まわせました。アッシリア捕囚です。アッシリアの政策は、サマリアの住民を他国に移住させ、別の民族をそこに移り住まわせることによって、彼らがアッシリアに反抗する力がなくなるようにすることでした。

北王国はB.C.931~721年まで約200年間存在しましたが、ここに完全に消滅することになりました。いったいこのようになってしまったのでしょうか。次の7~12節を見るとその理由がわかります。「7 こうなったのは、イスラエルの子らが、自分たちをエジプトの地から連れ上り、エジプトの王ファラオの支配下から解放した自分たちの神、【主】に対して罪を犯し、ほかの神々を恐れ、8 【主】がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の風習、イスラエルの王たちが取り入れた風習にしたがって歩んだからである。9 イスラエルの子らは、自分たちの神、【主】に対して、正しくないことをひそかに行い、見張りのやぐらから城壁のある町に至るまで、すべての町に高き所を築き、10 すべての小高い丘の上や、青々と茂るどの木の下にも石の柱やアシェラ像を立て、11 【主】が彼らの前から移された異邦の民のように、すべての高き所で犠牲を供え、悪事を行って【主】の怒りを引き起こした。12 【主】が彼らに「このようなことをしてはならない」と命じておられたのに、彼らは偶像に仕えたのである。」

彼らがこのようになったのは、彼らが自分たちをエジプトから解放してくださった主に対して罪を犯し、主がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の風習、イスラエルの王たちが取り入れた風習にしたがって歩んだからです。最後の王ホセアは、エジプトに援助を求めました。なんという皮肉でしょうか。700年以上も前にそこを脱出したエジプトに救いを求めたのです。

彼らは、自分たちの神、主に対して、正しくないことをひそかに行いとあるように、全面的に主から離れていたわけではありませんでした。主を礼拝することと並行して、これらのことを行ったのです。9節の「すべての町に高き所を築き」とは、偶像礼拝の場所のことです。彼らはすべての町に高き所を築き、石の柱やアシェラ像を立て、主が彼らの前から移された異邦の民のように、すべての高き所で犠牲を供え、悪事を行って主の怒りを引き起こしたのです。主が彼らに「このようなことをしてはならない」と命じておいたにもかかわらず、です。

主はどのように彼らに語られたのでしょうか。13節には、「主はすべての預言者とすべての先見者を通して」とあります。主は預言者と先見者をイスラエルとユダに送り、悪の道から立ち返るように、そして主の定めと掟を守るようにと伝えました。つまり、これは以前から警告されていたこであるということです。滅びは突如として襲ってくるのではありません。彼らには何度も悔い改めの機会が与えられていましたが、彼らが預言者たちの警告を無視し続けたので、最終的に滅びが彼らを襲ったのです。今が恵みの時、今が救いの日です。「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。」(ヘブル3:7-8)のです。

16節と17節をご覧ください。ここには、彼らが仕えた空しいもの、主が倣ってはならないと命じられた、周囲の異邦の民の偶像がどのようなものであったのかが記されてあります。「16 彼らの神、【主】のすべての命令を捨て、自分たちのために、鋳物の像、二頭の子牛の像を造り、さらにアシェラ像を造り、天の万象を拝み、バアルに仕えた。17 また、自分たちの息子や娘たちに火の中を通らせ、占いをし、まじないをし、【主】の目に悪であることを行うことに身を任せ、主の怒りを引き起こした」

彼らはまず自分たちのために鋳物の像、二頭の金の子牛の像を造り、それをダンとベテルに置いて拝みました(Ⅰ列王12:28~29)。これがヤロブアムの罪です。また、サマリアにアシェラ像を立てました。アシェラとはカナン人の豊穣の女神です。さらに彼らは、天の万象を拝み、バアルに仕えました。バアルも豊穣の神です。アシェラは女神ですが、バアルは男神です。周囲の異邦の民が拝んでいたポピュラーな偶像でした。彼らはそれも取り入れたのです。また彼らは、自分の子どもたちを人身供養のためにささげるようなことまでしました(Ⅱ列王16:3、申命18:10)

そこで、主はイスラエルに対して激しく怒り、彼らを取り除かれたのです。ただユダの部族だけが残りました。つまり彼らが取り除かれたのは、彼らの不信仰の故であったということです。不信仰と罪は、今も私たちを神から遠ざけるものです。すみやかに悔い改めて、神のもとに立ち返らなければなりません。

次に、19~23節までをご覧ください。「19 ユダも、彼らの神、【主】の命令を守らず、イスラエルが取り入れた風習にしたがって歩んだ。20 そのため【主】はイスラエルのすべての子孫を蔑み、彼らを苦しめ、略奪者たちの手に渡し、ついに彼らを御前から投げ捨てられた。21 主がイスラエルをダビデの家から引き裂かれたとき、彼らはネバテの子ヤロブアムを王としたが、ヤロブアムはイスラエルを【主】に従わないように仕向け、そうして彼らに大きな罪を犯させた。22 イスラエルの人々は、ヤロブアムが行ったすべての罪に歩み、それから離れなかったので、23 【主】は、そのしもべであるすべての預言者を通して告げられたとおり、ついにイスラエルを御前から除かれた。こうして、イスラエルは自分の土地からアッシリアに引いて行かれた。今日もそのままである。」

それは北王国イスラエルだけでなく、南ユダ王国も同じです。彼らも、彼らの神、主の命令を守らず、イスラエルが取り入れた風習に従って歩んだので、彼らもまた御前から投げ捨てられることになります。ユダもまた捕囚の憂き目にあったということです。バビロン捕囚のことです。列王記の著者は、バビロン捕囚後にこの記録を書いているので、ユダもイスラエルと同じ道を辿ったことを伝えているわけです。

主はダビデ王朝を引き裂き、それをヤロブアムに与えました。しかし、ヤロブアムはイスラエルを主に従わないように仕向け、金の子牛を礼拝させました。それ以来、イスラエルの民はその罪から離れなかったので、主が預言者を通して告げられたとおり、ついにイスラエルを御前から取り除かれたのです。イスラエルは自分の土地からアッシリアに引いて行かれることになっりました。今日もそのままであるとは、列王記の著者がこれを書いている時点で、イスラエルのアッシリア捕囚が続いているということです。彼らは、エジプトの奴隷の状態から解放され、約束の地に導かれ、聖なる国民とされたのに、神に反逆することによって、これらの祝福を失ってしまったのです。

Ⅱ.アッシリア捕囚の結果(24-33)

次に、24~33節をご覧ください。「24 アッシリアの王は、バビロン、クテ、アワ、ハマテ、そしてセファルワイムから人々を連れて来て、イスラエル人の代わりにサマリアの町々に住まわせた。こうして、彼らはサマリアを占領して、その町々に住んだ。25 彼らはそこに住み始めたとき、【主】を恐れなかったので、【主】は彼らの中に獅子を送り込まれた。獅子は彼らの何人かを殺した。26 彼らはアッシリアの王に次のように報告した。「あなたがサマリアの町々に移した諸国の民は、この土地の神についての慣わしを知りません。それで、神が彼らのうちに獅子を送り込みました。今、獅子が彼らを殺しています。彼らがこの土地の神についての慣わしを知らないからです。」27 そこで、アッシリアの王は次のように命じた。「おまえたちがそこから捕らえ移した祭司の一人を、そこに連れて行け。行かせて、そこに住まわせ、その土地の神についての慣わしを教えさせよ。」28 こうして、サマリアから捕らえ移された祭司の一人が来てベテルに住み、どのようにして【主】を礼拝するべきかを教えた。29 しかし、それぞれの民は、それぞれ自分たちの神々を造り、サマリア人が造った高き所の宮にそれを安置した。それぞれの民は自分が住む町々でそのようにした。30 バビロンの人々はスコテ・ベノテを造り、クテの人々はネルガルを造り、ハマテの人々はアシマを造り、31 アワ人はニブハズとタルタクを造り、セファルワイム人はセファルワイムの神々、アデラメレクとアナメレクに自分たちの子どもを火で焼いて献げた。32 彼らは【主】を礼拝したが、自分たちの中から高き所の祭司たちを自分たちで任命し、この祭司たちが彼らのために高き所の宮で祭儀を行った。33 彼らは【主】を礼拝しながら、同時に、自分たちが移される前にいた国々の慣わしによって、自分たちの神々にも仕えていた。」

アッシリア捕囚が行われた結果、どうなったでしょうか。アッシリアの占領政策は、占領地の優秀な人材をアッシリアに連行し、人口が減少した占領地にアッシリア人を送り込むというものでした。こうすることによってそこで雑婚が生まれ、将来における復讐行為を防ぐことができるからです。アッシリアの人たちは、バビロン、クテ、アワ、ハマテ、セファイルワイムから人々を連れて来て、イスラエル人の代わりにサマリアの町々に住ませました。

しかし、そうしたサマリア人たちがイスラエルの町々に住み始めたとき、彼らは主を恐れなかったので、主は彼らの中に獅子を送り込まれました。それで、獅子が彼らの何人かを殺したのです。そこで彼らはアッシリアの王にそのことを報告しました。するとアッシリアの王は、彼らがサマリアから捕え移した祭司の中からひとりを選び、サマリアに送り返すようにと命じました。

こうして、サマリアに捕らえ移された祭司の一人が来てベテルに住み、どのようにして主を礼拝すべきかを教えましたが、それぞれの民は、それぞれ自分たちのために神々を造り、サマリア人が造った高き所の宮にそれを安置しました。それぞれの民は自分が住む町々でそのようにしました。バビロンの人々はスコテ・ベノテを造り、クテの人々はネルガルを造り、ネルガルとはバビロンの偶像です。ハマテの人々はアシマを造り、アワの人はニブハズとタルタクを造り、セファルワイムの人はセファルワイムの神々、アデラメレクとアナメレクに自分たちの子どもを火で焼いてささげました。つまり、サマリアが多神教と混合宗教の地になってしまったということです。サマリアに移住した雑多な民が、それぞれの神々と習慣を持ち込んだからです。おそらくサマリアから捕え移された祭司の一人がベテルに住み、どのようにして主を礼拝すべきかを教えたとき、ヤハウェ礼拝と金の子牛礼拝が混合した宗教を教えたのではないかと考えられます。というのは、このベテルにはあのヤロブアムが造った金の子牛が置かれていたからです。

その結果、どうなりましたか。32~33節をご覧ください。「32 彼らは【主】を礼拝したが、自分たちの中から高き所の祭司たちを自分たちで任命し、この祭司たちが彼らのために高き所の宮で祭儀を行った。33 彼らは【主】を礼拝しながら、同時に、自分たちが移される前にいた国々の慣わしによって、自分たちの神々にも仕えていた。」

主を礼拝しながら、自分たちが移される前にいた国々の慣わしに従って、自分たちの神々を礼拝するというスタイルが生まれました。つまり、イスラエルの神、主を、もうひとりの神として、すでにある神々のリストに加えるようなことが起こったのです。しかし、これはモーセの律法で厳しく禁じられていることでした。十戒の第一戒には、「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」とあります。これが容易に破られることになってしまったのです。このことは、私たち日本人にも言えることです。聖書の神、真の神を信じていても、それが既にある土着の宗教の一つに加えられる形で信じていることがあるからです。しかし、聖書が教えていることは、まことの神は唯一であって、その神以外に神々があってはならないということです。真の神だけを信じ、この神に仕えなければなりません。

ところで、この個所にはサマリア人の起源について記されてあります。サマリア人は、人種的にはイスラエル人と中近東の諸民族の混血によって誕生したため、ユダヤ人からは偏見の目で見られるようになりました。ヨハネの福音書4章にあるサマリアの女の話は、こうしたことが背景にあります。ユダヤ人がサマリア人と付き合いをしなかったのは、サマリア人が人種的に混血族だったからです。しかし、イエスはそのサマリア人を愛されました。そしてイエスの愛は、サマリア人だけでなく極東の地に住む私たち日本人の上にも注がれているのです。

Ⅲ.主だけを恐れなければならない(34-41)

最後に、34~41節見て終わりたいと思います。「34 彼らは今日まで、以前の慣わしのとおりに行っている。彼らは【主】を恐れることはなく、【主】がイスラエルと名をつけたヤコブの子たちに命じられた、掟や定めや律法や命令のとおりに行うこともない。35 【主】はイスラエル人と契約を結び、次のように命じられた。「ほかの神々を恐れてはならない。これを拝み、これに仕えてはならない。これにいけにえを献げてはならない。36 大きな力と、伸ばされた腕をもって、あなたがたをエジプトの地から連れ上った【主】だけを恐れ、主を礼拝し、主にいけにえを献げなければならない。37 主があなたがたのために書き記した掟と定めと律法と命令をいつも守り行わなければならない。ほかの神々を恐れてはならない。38 わたしがあなたがたと結んだ契約を忘れてはならない。ほかの神々を恐れてはならない。39 あなたがたの神、【主】だけを恐れなければならない。主はすべての敵の手からあなたがたを救い出される。」40 しかし、彼らは聞かず、以前の彼らの慣わしのとおりに行った。41 このようにして、これらの民は【主】を礼拝すると同時に、彼らの刻んだ像にも仕えた。その子たちも、孫たちも、その先祖たちがしたとおりに行った。今日もそうである。」

「彼ら」とは、アッシリアの王によってサマリアに移された諸国の民のことです。彼らはこの列王記が記されている時点で、以前の慣わしに従っていました。彼らは主を恐れることはなく、主が定めた掟や定めに従うこともありませんでした。

一方、主はイスラエルの民とは契約を結ばれました。それは、ほかの神々を拝みこれに仕えてはいけないということです。これにいけにえをささげてもいけません。彼らを大いなる力と、伸ばされた腕をもって、エジプトの地から連れ上った主だけを恐れ、主にだけ仕えなければなりません。そうすれば、主はすべての敵から彼らを救い出されると。しかし、残念ながら彼らはその主の命令に聞き従わず、以前の慣わしに従いました。つまり主を礼拝すると同時に、彼らの刻んだ像にも仕えたのです。それは彼らだけではありません。その子たちも、孫たちも同じです。その先祖がしたとおりに行いました。

彼らには真の意味で主への畏れがありませんでした。もしあれば、刻んだ像に仕えることはできなかったはずです。彼らの主への礼拝は、形式的なものにすぎませんでした。混合宗教の悪影響は、それいたら何世代にもわたって続くことになります。私たちも悪の種を蒔くのではなく、信仰の継承を自分の代から始めていきたいと思います。

エレミヤ25章15~38節「憤りのぶどう酒の杯」

エレミヤ書25章に入ります。今日は1~14節から「70年の終わりに」というタイトルでお話します。12節にありますね、「70年の終わりに」。「七十年の終わりに、わたしはバビロンの王とその民を──【主】のことば──またカルデア人の地を、彼らの咎のゆえに罰し、これを永遠に荒れ果てた地とする。」
  ユダの民は、主のことばに聞き従わなかったのでバビロンの王に七十年間仕えることになります。しかし、その七十年の終わりに、主はバビロンを滅ぼし、これを永遠に荒れ果てた地とします。そして代わりに世界を治めたペルシャ帝国の王キュロスによって、ユダの民は約束の地に帰還することになるのです。主が預言者を通して語られた通りです。それは期間限定の捕囚でした。70年の終わりに、主はご自身が語られたとおり、彼らが元いた場所に帰らせるのです。確かに苦難、困難があっても、その先をしっかり見ている人は幸いです。その先にある回復と希望を見つめて離れない人は、どんな苦難に遭っても堅く立ち続けることができるからです。今日は、そのことを考えながら、この個所を読んでいきましょう。

Ⅰ.しきりに語りかけたのに(1-7)

まず、1~7節をご覧ください。1節には「ユダの王、ヨシヤの子エホヤキムの第四年、バビロンの王ネブカドネツァルの元年に、ユダの民全体についてエレミヤにあったみことば。」とあります。
  ユダの王、ヨシヤの子エホヤキムの第四年とは、B.C.605年のことです。この年にネブカドネツァルがバビロンの王に即位しました。その元年に、主がエレミヤを通して、ユダとエルサレムの民全体に語られたことばがこれです。24:1には、「バビロンの王ネブカドネツァルが、ユダの王、エホヤキムの子エコンヤと、ユダの高官たち、職人、鍛冶をエルサレムから捕え移してバビロンに連れて行ったあとのこと」とありますが、それはB.C.597年のことでしたから、ここでは時代が遡っていることがわかります。年代順で言えば、この25章は21章の前に来る内容ですが、それがどういうわけか、ここに納められているのです。

エレミヤは、その年に主が語られたことばをユダの民全体とエルサレムの全住民に語りました。その内容は3~7節にあることです。「3 「ユダの王、アモンの子ヨシヤの第十三年から今日まで、この二十三年間、私に【主】のことばがあり、私はあなたがたに絶えず、しきりに語りかけたのに、あなたがたは聞かなかった。4 また、【主】はあなたがたに、主のしもべである預言者たちを早くからたびたび遣わされたのに、あなたがたは聞かず、聞こうと耳を傾けもしなかった。5 主は言われた。『さあ、それぞれ悪の道から、あなたがたの悪い行いから立ち返り、【主】があなたがたと先祖たちに与えた土地に、いつまでも、とこしえに住め。6 ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝んではならない。あなたがたが手で造った物によって、わたしの怒りを引き起こしてはならない。そのようにすれば、わたしも、あなたがたにわざわいを下さない。7 しかし、あなたがたはわたしに聞き従わなかった──【主】のことば──。そして、あなたがたは手で造った物でわたしの怒りを引き起こし、身にわざわいを招いた。』」

ヨシヤ王の治世の第十三年とは、B.C.627年のことです。エレミヤはその年に預言者として召され、主が語られることばを語り続けてきました。その期間、何と23年間です。彼は23年もの間、主がユダの民に語られることばを絶えず、しきりに語りかけてきたのです。それなのに、彼ら聞きませんでした。それはどういう内容だったかというと、5節と6節にあるように、いたってシンプルなものでした。それは、それぞれ悪の道から立ち返り、主が彼らの先祖たちに与えた土地に、いつまでも、とこしえまでも住むように、というものでした。ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝んではならないと。ただ神を愛し、神のみことばに従って歩むようにという、実にシンプルなメッセージでした。

しかし、彼らはそのエレミヤが語る主のことばを聞きませんでした。エレミヤが23年間もしきりに語りかけたのに、だれも彼の話に耳を傾けなかったのです。だれも彼の招きに応えようとしませんでした。収穫はゼロだったわけです。それはエレミヤにとってどれだけ忍耐を要したことかと思います。私は牧会を始めて40年になりましたが、もしだれも聞いてくれなかったら、恐らく続けることができなかったのではないかと思います。だれも信じなかったら、や~めた!となっていたと思います。でもエレミヤはそうではありませんでした。彼は23年間も語り続け、だれも彼の語ることばに耳を傾けようとしなくても語り続けました。たとえ目に見える収穫がなくても、たとえ目に見える成果がなくても、彼は語り続けたのです。しきりに語りたけました。それは実際のところは神が語りかけておられたことでした。神がエレミヤを通して語っておられたのです。だれも聞かなくても、だれもご自身に立ち返らなくても、神はずっと語り続けてくだったのです。神は本当に忍耐深く、あわれみ深い方ですね。新聖歌188番に「救い主は待っておられる」という讃美歌がありますが、救い主はずっと待っておられるのです。あなたが心の戸を開くのを、ずっとずっと待っておられる。それこそ23年間どころじゃない、もっともっと長い間待っておられるのです。そう思うと、感動で胸が熱くなります。こんな自分勝手で罪深い者のために、神はしきりに語りかけ、忍耐してずっと待っておられるのです。

神が私たちに願っておられることは、私たちが聞き従うことです。聞き従うことはいけにえにまさります。それなのに彼らは聞き従いませんでした。この「聞かなかった」ということばに注目してください。ここには「聞かなかった」とか、「耳を傾けなかった」ということばが繰り返して出てきます。それが強調されているのです。8節にも「聞き従わなかった」ということばがあります。皆さん、イスラエルの歴史は、一言で言えば、神への反逆の歴史です。あなたの歴史はどうでしょうか。あなたの生活はどうでしょうか。あなたの人生はどうですか。しきりに神が語りかけているのに聞かないということはないでしょうか。いつも聖霊に逆らっている歴史、逆らっている毎日、逆らっている人生であるということはないでしょうか。

リビングライフというディボーションの月刊誌の中に、韓国のキム・ウォンテという牧師が書いたエッセイが掲載されていました。
  サハラ砂漠の西側には「サハラの中心」と呼ばれる小さな町があり、多くの旅行客がこの町を訪問しようと砂漠を訪れるそうです。しかし、レビンという人がこの町に来る前までは、その町は全く開放されていない立ち遅れた場所でした。町の人々は一度も砂漠を出たことがありませんでした。何もない砂漠から出ようと試みましたが、一度も成功できませんでした。レビンは町から抜け出せない理由を尋ねると、返ってくる答えはすべて同じでした。「どこに向かって歩いても、出発した場所に戻って来てしまうのです。」
  そこでそれが本当かどうかを試すために、レビンは北に向かって歩き始めました。すると三日で砂漠を抜け出すことができたのです。では、なぜ町の人々は抜け出すことができなかったのか。次にレビンは町の青年を一人連れて、青年が行く方向について行きました。昼も夜も歩き、11日目には再び町に戻ってきました。ついに、レビンはその町の人々が砂漠を抜け出せない理由を見つけました。何だと思いますか。誰も北極星を知らなかったのです。レビンは前回の実験に参加した青年に、昼間は十分休んで、夜になったら北極星の後についていくようにと言いました。その青年がレビンの言葉通りにすると、3日で砂漠を抜け出すことかできたのです。後日、青年は砂漠の開拓者となり、開拓地の中心には彼の銅像が立てられました。その銅像にはこのような文字が刻まれているそうです。「新しい人生は、方向をしっかりと見つけた時に始まる!」

皆さん、これは私たちの人生にも言えることではないでしょうか。新しい人生は、方向をしっかりと見つけた時に始まります。私たちの歴史は、イスラエルの民のように神への反逆の歴史です。神がしきりに語りかけているのに聞こうとしないで逆らい続けています。でもそんな不従順な道から立ち返り、神のもとに帰れば、いつでも神は私たちに触れてくださり、赦し、もう一度神の子どもとして歩めるように回復してくださいます。あなたに求められていることは、主のみことばに聞き従うことです。主が遣わされた預言者たち、主の働き人たちの権威を認めて、彼らが伝えることばに耳を傾けて従うことなのです。新しい人生は、方向をしっかり見つけた時に始まります。私たちはその方向を軌道修正し、神に立ち返り、神のことばに従って歩んでいるかどうかを点検しなければなりません。そうすれば、あなたは神の取り扱いを受け、神にしかできない御業があなたの内になされ、あなたは良いものに変えられるのです。

Ⅱ.70年のバビロン捕囚(8-11)

次に、8~11節をご覧ください。エレミヤが主のことばを絶えず、しきりに語りかけたのに、それを聞かなかったユダの民に対して、主はどうなさるでしょうか。「8 それゆえ、万軍の【主】はこう言われる。『あなたがたがわたしのことばに聞き従わなかったから、9 見よ、わたしは北のすべての種族を呼び寄せる──【主】のことば──。わたしのしもべ、バビロンの王ネブカドネツァルを呼び寄せて、この国とその住民、その周りのすべての国々を攻めさせ、これを聖絶して、恐怖のもと、嘲りの的、永遠の廃墟とする。10 わたしは彼らから楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声、ひき臼の音と、ともしびの光を消し去る。11 この地はすべて廃墟となり荒れ果てて、これらの国々はバビロンの王に七十年仕える。」

主のばに聞き氏は違わなユダの民に対して、主はバビロンの王ネブカドネツァルを呼び寄せ、その国とその住民、その周りのすべての国々を攻めさせて、これを聖絶し、恐怖のもと、嘲りの的、永遠の廃墟とします。その結果、10節にあるように、それまで普通になされていた日常の営みがすべて消えてしまうことになります。楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声、ひき臼の音と、ともしびの光が消えてしまうことになるのです。ひき臼の音とは、結婚して料理を作る時、包丁でまな板を叩きますよね、その音です。それはまさに平和な暮らしのシンボルですが、その音が消えてしまうのです。現代風に言うならば、電子レンジの「チン」でしょうか。それとも電子ジャーの「ピー、ピー、ピー」でしょうか。その音が聞こえなくなってしまうのです。バビロンによってそうした平和な生活が破壊されてしまうからです。
  また、ここには「ともしびの光を消し去る」とあります。どういうことでしょうか。これは部屋を明るく照らしていた電気が消えて暗くなってしまうということです。もうそこに住んでいる人はいなくなります。そこはすっかり廃屋となってしまうのです。それは彼らが主のことばに聞き従わなかったからです。その結果、バビロンの王ネブカデネツァルに70年間仕えることになります。

ところで、9節にはバビロンの王ネブカデネツァルのことが「わたしのしもべ」と呼ばれています。4節にも「主のしもべである預言者たち」とありますね。主の預言者であれば「主のしもべ」と言われても納得できますが、異教の王、しかもユダの民を虐殺するような悪辣で非道な者が神のしもべと呼ばれていることには少なからず抵抗を覚える人もいるのではないでしょうか。いったいこれはどういうことでしょうか。確かにダニエル書4章を見ると、ネブカドネツァルはダニエルを通してダニエルが信じていた真の神を信じ、この神をあがめ、賛美し、ほめたたえるようになります。そういう意味では、確かに彼は神のしもべであったと言えるでしょう。でもここで彼が「わたしのしもべ」と呼ばれているのはそういう意味ではなく、あくまでも神のさばきを実行する道具、お尻叩き棒として「主のしもべ」と呼ばれているのです。ということはどういうことかというと、主なる神の支配はこうした異教の指導者にも及ぶということです。神は、こうした異教の指導者さえも用いてまでも、ご自身の民を懲らしめられるのです。それは彼らが主のことばに聞き従わなかったからです。神のみこころは5節にあるように、いつでも、とこしえに、彼らが約束の地に住むことだったのに、そんな神のみこころを踏みにじり、神のことばに聞き従わないことを選んだために、自らにわざわいを招いてしまったのです。その神の懲らしめ、神のさばきの道具の一つが、バビロンの王ネブカドネツァルだったのです。そういう意味で彼は「主のしもべ」と呼ばれているのです。

それはユダの民だけに言えることではありません。私たちにも言えることです。もし私たちが口先では「神様愛します」「あなたをあがめます」と言いながら、心にたくさんの偶像を抱え、神がしきりにみことばを語りかけてもそれを全く無視し背信に背信を重ねるなら、神はご自身のしもべバビロンの王ネブカドネツァルを呼び寄せてあなたを攻めさせ、これを聖絶し、恐怖のもと、嘲りの的、永遠の廃墟とするのです。神はありとあらゆるものを道具として、ご自身に背く神の民を懲らしめられるのです。そういう意味では、今あなたが抱えている苦しみも、その結果であると言えるかもしれません。
  でも、安心してください。あなたのその苦しみは、あなたが神に愛されているという証拠でもあるのですから。それは、あなたが神の子どもであることの証拠でもあるのです。そうでなかったら、懲らしめや訓練を与えることはなさいません。神はあなたを愛しておられるのでむちを加えられるのです。へブル12:5~6にこのように書いてあり通りです。「わが子よ、主の訓練を軽んじてはならない。主に叱られて気落ちしてはならない。主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子に、むちを加えられるのだから。」

だから、悲観しないでください。だから、私はもうだめだと思わないでください。私にはもう希望がないと言わないでください。あなたが素直になって神のことばに聞き従うなら、あなたは神の御取り扱いを受け、義という平安の実を結ぶことになるからです。

Ⅲ.70年の終わりに(12~14)  

最後に、12~14節をご覧ください。「12 七十年の終わりに、わたしはバビロンの王とその民を──【主】のことば──またカルデア人の地を、彼らの咎のゆえに罰し、これを永遠に荒れ果てた地とする。13 わたしは、この地の上にわたしが語ったすべてのことばを実現させる。それは、エレミヤが万国について預言したことで、この書に記されているすべての事柄である。14 多くの国々と大王たちは彼らを奴隷にして使い、わたしも彼らに、その行いに応じ、その手のわざに応じて報いる。』」

ここに「70年の終わりに」とあります。バビロンは、イスラエルを懲らしめる道具として神に用いられますが、そのバビロンも70年の終わりには、彼らの咎のゆえに罰せられ、永遠に荒れ果ててしまうことになります。一時は権勢を振るったバビロンも、創造主なる神のことばに聞き従わなければさばかれることになるのです。そして主はバビロンの次に、世界を治めたペルシャの王キュロスの霊を奮い立たせ、ユダの民をエルサレムへ帰還させる道を開かれます(エズラ1:1-4)。主はユダの民ばかりでなく、すべての国民、すべての国を治めておられるお方なのです。

ところで、ここには「70年の終わりに」とありますが、これはユダの民がバビロンで捕囚の生活を送るのは70年間であると預言されているのです。それは期間限定の捕囚であったということです。この期間限定というのがいいですね。季節は秋ですが、この秋限定のスイーツが販売されています。期間限定のマロンケーキとか、期間限定のさつまいもドーナッツとか、なんだかスイーツばかりですけれども、私は甘いものが大好きなので、この期間限定のスイーツが大好きです。そしてここにも期間限定が登場します。ユダの民がバビロンに捕えられる期間です。それが70年と定められていたのです。それがいつまでなのかわからないとお先真っ暗になってしまいますが、主は本当に優しい方ですね。捕囚という悲劇が起こる前に、その期間をちゃんと定めておられたのですから。70年間です。これはユダの民にとってどんなに大きな希望だったかと思います。確かに70年という年月は途方もない年月ですが、それはいつまでも続くものではない、その先には回復がある、希望があるという約束は、彼らにとって大きな励ましとなったに違いありません。

ところで、皆さん、この70年という期間がどのようにして定められたかご存知ですか。ある人は、この「7」が完全数であり、「10」も完全数なので、これは神のさばきの完全さと徹底さを表している象徴的な数字だと考えていますが、そうではありません。これは、律法の書に予め定められていた期間でした。Ⅱ歴代誌36:21を開いてください。ここにはこうあります。「これは、エレミヤによって告げられた【主】のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためであった。その荒廃の全期間が七十年を満たすまで、この地は安息を得た。」
  イスラエルの民が約束の地に入ってから490年間ずっと破り続けてきた掟がありました。それがこの安息年の定めです。それはレビ記25章にありますが、7年ごとに農地を休ませなければならないという規定です。それなのに彼らは約束の地に入ってから490年の間、ずっとこれを破り続けてきたのです。それで神は490年を7年で割った年数、すなわち70年間をバビロン捕囚の期間として定められたのです。この規定を破ればどうなるかということを、この中で定めておられたわけです。ですからこれは人の思い付きでも、偶然その期間になったというのでもなく、予め神が定めておられた期間だったのです。

でも、だれもこの70年間というエレミヤの預言を信じていませんでした。ただ捕囚の民としてバビロンに連れて来られたという悲惨な現実を呪うばかりでした。しかしそんな中でこのエレミヤの預言に目を留め、信じ、しっかりと待ち望んでいた人物がいました。ダニエルです。ダニエル書を書いたダニエルです。ダニエルは、第一次バビロン捕囚の時(B.C.605)にネブカドネツァル王によってバビロンに連れて行かれました。その後、バビロンはメド・ペルシャ帝国によって滅ぼされメド・ペルシャの時代になりますが、ダニエルはそこでもペルシャの王たちに仕えました。そのダニエルに、このエレミヤのことばが大きな影響を与えたのです。ダニエル書9:2にはこうあります。「すなわち、その治世の第一年に、私ダニエルは、預言者エレミヤにあった【主】のことばによって、エルサレムの荒廃の期間が満ちるまでの年数が七十年であることを、文書によって悟った。」

捕囚の民としてバビロンにいたダニエルは、ペルシャの王ダレイオスがカルデア人の国の王となったその元年、預言者エレミヤにあった主のことばによって、エルサレムの荒廃の期間が70年であることを悟ったのです。それが今、私たちが見ているエレミヤ書25:11~12のみことばです。彼は私たちが今、見ている同じエレミヤ書の箇所を見ていたのです。そこで彼はその期間が70年であることを悟り、そのメッセージをしっかりと心に留めて、その期間をずっと待ち続けたのです。これは期間限定の懲らしめであるということ、国が滅亡したかなたに希望があるということ、回復があるということを信じたのです。だからダニエルはどんな迫害に遭っても堅く信仰に立ち続けることができたのです。たとえライオンの穴の中に投げ入れられても、です。神のことばによってその先が見えていたからです。

これは私たちにも言えることです。私たちの人生にもいろいろな苦しみや困難があるでしょう。でもみことばによってそれがどういうことなのかを悟り、その先にあるものをしっかりと見つめるなら、そこにどんな苦難があってもそれを乗り越えることができます。パウロは、「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。」(ローマ8:18)と言っています。確かに、将来に希望を持っている人は、試練を乗り越えることができるのです。ダニエルがみことばによって今まさに自分がそこにいることを知り、奮い立ったように、私たちもみことばによって自分がいる場所を知り、それがどういうことなのかを悟るなら、どんな境遇にあっても奮い立つことができるのです。

その代表的な聖句を見て終わりたいと思います。エレミヤ29:10~14です。「10 まことに、【主】はこう言われる。『バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。11 わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──【主】のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。12 あなたがたがわたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに耳を傾ける。13 あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。14 わたしはあなたがたに見出される──【主】のことば──。わたしは、あなたがたを元どおりにする。あなたがたを追い散らした先のあらゆる国々とあらゆる場所から、あなたがたを集める──【主】のことば──。わたしはあなたがたを、引いて行った先から元の場所へ帰らせる。』」

この29:11は非常に有名な箇所です。この聖句がどのような文脈で語られているのかというと、この70年の期間限定が満ちる時、彼らを約束の地に帰らせるという神のご計画がいかに将来と希望を与えるものなのかを伝えることの中で語られたことでした。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだと。あなたもこの神のご計画を知るなら、それがわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたに将来と希望を与えるためのものであることを知ることかできるのです。そして、たとえ試練の中にあっても神のことばは必ず成ると信じて、将来に希望を持つことができるのです。その人の信仰は、生きて働くからです。

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Ⅱ列王記16章

 

 今日は、Ⅱ列王記16章から学びます。

 Ⅰ.主の目にかなうことを行わなかったアハズ(1-4)

まず、1~4節をご覧ください。「1 レマルヤの子ペカの第十七年に、ユダの王ヨタムの子アハズが王となった。2 アハズは二十歳で王となり、エルサレムで十六年間、王であった。彼はその父祖ダビデとは違って、彼の神、【主】の目にかなうことを行わず、3 イスラエルの王たちの道に歩み、【主】がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の、忌み嫌うべき慣わしをまねて、自分の子どもに火の中を通らせることまでした。4 彼は高き所、丘の上、青々と茂るあらゆる木の下でいけにえを献げ、犠牲を供えた。」

北イスラエル王ペカの第17年に、ユダの王ヨタムの子アハズが王となりました。それは、B.C.735年です。アハズは20歳で王となり、エルサレムで16年間治めました。しかし彼はその父祖ダビデと違って、彼の神、主の目にかなうことを行いませんでした。彼はイスラエルの王たちの道に歩み、主がイスラエルの前から追い払われた異邦の民のも忌むべき慣わしをまねて、自分の子どもに火の中を通らせることまでしました。彼は高き所、丘の上で、青々と茂るあらゆる木の下でいけにえを献げ、犠牲を供えたのです。自分の子どもたちに火の中を通らせるというのは、カナン人の偶像礼拝の一形態です。それはモレクという神の礼拝でした。青々と茂るあらゆる木の下でいけにえを献げ、犠牲を供えたとは、国中の至るところで偶像礼拝を行ったということです。その程度があまりにもひどかったので、列王記の著者は「青々と茂るあらゆる木の下で」と誇張法を用いてこのように表現したのです。

これまでのユダの王たちの主な特徴は、ダビデの道に歩み、主の目に正しいことを行なったが高き所は取り除かなかった、ということでしたが、このアハズ王は違います。彼は北イスラエルの王たちと同じように、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムのすべての罪を行ったように、異邦の民の、忌み嫌うべき慣わしをまねて、主の目にかなう道とは反対のことを行ったのです。

ここには、「主がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の、忌むべき慣わしをまねて」とあります。このような異邦の民の慣わしをまねてはならないことは、彼らが約束の地に入る前からモーセを通して語られていたことでした。申命記7:1~3にはこうあります。「1 あなたが入って行って所有しようとしている地に、あなたの神、【主】があなたを導き入れるとき、主は、あなたよりも数多くまた強い七つの異邦の民、すなわち、ヒッタイト人、ギルガシ人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、およびエブス人をあなたの前から追い払われる。2 あなたの神、【主】が彼らをあなたに渡し、あなたがこれを討つとき、あなたは彼らを必ず聖絶しなければならない。彼らと何の契約も結んではならない。また、彼らにあわれみを示してはならない。3 また、彼らと姻戚関係に入ってはならない。あなたの娘をその息子に嫁がせたり、その娘をあなたの息子の妻としたりしてはならない。」

彼らが約束の地に導き入れられた時には、必ず彼らを聖絶しなければなりませんでした。何の契約も結んではいけなかったのです。彼らにあわれみを示してもいけませんでした。勿論、婚姻関係に入ってもいけませんでした。なぜなら、彼らは息子たちを主から引き離し、ほかの神々に仕えさせるからです。ですから、彼らを根絶やしにしなければならなかったのです。それなのに彼らはその地の異邦の民を追い払うどころか彼らの忌むべき慣わしをまねて、自分の子どもたちに火の中を通らせるようなことをしました。妥協したのです。このように、神の命令に背いて妥協すると、悲惨な結果を招いてしまうことになります。

パウロはコロサイ3:5で「ですから、地にあるからだの部分、すなわち、淫らな行い、汚れ、情欲、悪い欲、そして貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝です。」と言っています。こうした偶像礼拝と関わりを持つなではなく、殺してしまいなさいと言うのです。捨て去らなければならないのです。そのようなものを残しておくなら、そのようなものに妥協するなら、アハズのように霊的堕落を招き、悲惨な結果を招いてしまうことになるからです。

Ⅱ.アッシリアにより頼んだアハズ(5-9)

次に、5~9節をご覧ください。「5 そのころ、アラムの王レツィンと、イスラエルの王レマルヤの子ペカが、戦いのためにエルサレムに上って来て、アハズを包囲したが、攻め切れなかった。6 このとき、アラムの王レツィンはエイラトをアラムに復帰させ、ユダの人々をエイラトから追い払った。ところが、エドム人がエイラトに来て、そこに住みついた。今日もそのままである。7 アハズは使者たちをアッシリアの王ティグラト・ピレセルに遣わして言った。「私はあなたのしもべであり、あなたの子です。どうか上って来て、私を攻めているアラムの王とイスラエルの王の手から救ってください。」8 アハズが【主】の宮と王宮の宝物倉にある銀と金を取り出して、それを贈り物としてアッシリアの王に送ったので、9 アッシリアの王は彼の願いを聞き入れた。アッシリアの王はダマスコに攻め上り、これを取り、その住民をキルへ捕らえ移した。彼はレツィンを殺した。」

そのころのことです。アハズに一つの問題が起こります。何とアラムの王レツィンとイスラエルの王ペカが、戦いのためにエルサレムに上って来たのです。なぜアラムの王レツィンとイスラエルの王ペカがアハズと戦うためにエルサレムに上ってきたのかというと、アッシリアが台頭し、アラムを攻めて来ていたからです。それでアラムとイスラエルはアッシリアに対抗するために同盟を結びアッシリアに対抗しようとしたのですが、それに南ユダも加わるようにとけしかけたのです。でもアハズは加わろうとしなかったので、ユダに戦いをしかけたのです。おそらくアハズは、アラムや北イスラエルほどアッシリアの脅威を感じていなかったのでしょう。むしろ、融和策を取った方が賢明だと思ったのです。それでアラムの王のレツィンとイスラエルの王のペカはエルサレムのアハズのところに攻めてきましたが、攻め切れませんでした。

イザヤ7:2を見ると、この時のアハズの心境が描かれています。アラムがエフライムと組んだという知らせがもたらされた時、彼の心は林の木々が風にゆらぐように揺らいだ、とあります。それで彼はアッシリアの王ティグラト・ピレセルに使いを送って援助を求めたのです。実はその時主がイザヤを彼のもとに遣わして、「気を確かに持ち、落ち着いていなさい。恐れてはならない。あなたは、これら二つの煙る木切れの燃えさし、アラムのレツィンとレマルヤ子(ペカ)の燃える怒りに、心を弱らせてはならない。」と語るのですが、アハズはその動揺を抑えようと、アッシリアに助けを求めて問題を打開しようとしたのです。

これが人間の考えることです。人は何か問題が起こると、その場しのぎの解決や対策を講じようとします。ちょうどコンビニでインスタント食品を買うように、その場しのぎの神々を手に入れようとするのです。しかしそれは一時的な解決をもたらしてくれるかもしれませんが、ほんとうの解決にはなりません。ユダはアッシリアに助けを求めることでその場の危機をしのぐことができたかもしれませんが、後でほんとうの危機がやって来ることになります。「昨日の友が今日の敵」というようなことが起こります。何とそのアッシリアによって脅かされることになるわけです。アハズはアッシリアと同盟を結ぶことで、確かにつじつまが合ったかのように見えますが、そのつけは30年後に大きく膨らんで返ってくることになるのです。B.C.701年にアッシリアの王セナケリブがエルサレムにやって来てこれを包囲し、陥落させる寸前にまで追い込むことになるのです。

アハズはアッシリアの王への贈り物として、神殿と王宮にあった銀と金を送りました。つまりアハズは自ら進んでアッシリアの従属国となることを選んだのです。その結果どなりましたか。アッシリアの王は彼の願いを聞き入れ、アラムの首都であるダマスコに攻め入り、これを取り、その住民をキルへ捕え移しました。そして彼はレツィンを殺しました。すなわち、B.C.732年にアラムが、またB.C.722年にはサマリアが滅ぼされます。ユダの王アハズにとっては「してやったり」という気持ちだったでしょう。自分が思っていたとおりになったわけですから。アラムとイスラエルの攻撃という難局を乗り越えることができました。でも、それは真の解決ではありませんでした。イザヤ9:5~8を見ると、この時アハズが主をないがしろにしてアッシリアにより頼んだことを責めておられます。先ほども申し上げたように、やがてユダはそのアッシリアによって苦しめられることになるのです。それは、ユダの王アハズが主をないがしろにして、アッシリアにより頼んだからです。

Ⅲ.アハズの霊的堕落(10-20)

アッシリアに援助を求めたアハズの行為は愚かなことでしたが、そのことで彼はとんでもないことをしでかします。10~16節をご覧ください。「10 アハズ王は、アッシリアの王ティグラト・ピレセルに会うためダマスコに行ったとき、ダマスコにある祭壇を見た。アハズ王は、祭壇の図面とその模型を、詳細な作り方と一緒に祭司ウリヤに送った。11 祭司ウリヤは、アハズ王がダマスコから送ったものとそっくりの祭壇を築いた。祭司ウリヤは、アハズ王がダマスコから帰って来るまでに、そのようにした。12 王はダマスコから帰って来た。その祭壇を見て、王は祭壇に近づき、その上に上った。13 彼は全焼のささげ物と、穀物のささげ物を焼いて煙にし、注ぎのささげ物を注ぎ、自分のための交わりのいけにえの血をこの祭壇に振りかけた。14 【主】の前にあった青銅の祭壇は、神殿の前から、すなわち、この祭壇と【主】の神殿の間から動かし、この祭壇の北側に置いた。15 それから、アハズ王は祭司ウリヤに次のように命じた。「朝の全焼のささげ物と夕方の穀物のささげ物、また、王の全焼のささげ物と穀物のささげ物、この国の民全体の全焼のささげ物と穀物のささげ物、ならびにこれらに添える注ぎのささげ物を、この大いなる祭壇の上で焼いて煙にせよ。また全焼のささげ物の血といけにえの血は、すべてこの祭壇の上に振りかけなければならない。青銅の祭壇は、私が伺いを立てるためのものとする。」16 祭司ウリヤは、すべてアハズ王が命じたとおりに行った。」

アハズ王は、アッシリアの王ティグラト・ピレセルに遭うためにダマスコに行きました。これはアハズがティグラト・ピレセルを表敬訪問したということです。自分たちの窮地を救ってくれたアッシリアに感謝の意を伝えようとしたのです。そこで彼が見たものは、巨大な祭壇でした。これは勿論、異教の祭壇です。アラムのものである可能性もありますが、おそらくアッシリアのものでしょう。彼はその祭壇を見て感動しました。そしてどうしたかというと、その祭壇の図面と模型を、詳細な作り方と一緒にエルサレムにいる祭司ウリヤに送りました。それと同じものを制作するためです。何と愚かなことでしょうか。アッシリアに援助を求めること自体愚かなことですが、そのアッシリアの神々を自分たちのところに導入しようとするのはもっと愚かなことです。おそらく彼はアッシリアの祭壇を見て、そのすばらしさに、それと同じ祭壇を作れば自分たちも強くなれるに違いないと思ったのでしょう。何とも安易な考えです。彼はさっそくその図面と模型を、作り方と一緒に祭司ウリヤに送りました。

それを受け取った祭司ウリヤはどうしたかというと、アハズ王がダマスコから帰って来る前にそれとそっくりの祭壇を築きました。アハズ王もアハズ王ですが、祭司ウリヤもウリヤです。それがいかに愚かなことかを考えずに、ただアハズ王の言うことに従ったのですから。当時の祭司がいかに堕落していたかがわかります。

アハズ王はダマスコから帰って来ると、その祭壇を見て、祭壇に近づき、その上に上りました。そこでいけにえをささげたということです。彼は全焼のいけにえと、穀物のささげ物を焼いて煙にし、注ぎのささげ物を注ぎ、自分のための交わりのいけにえの血をその祭壇に振りかけました。そして、元からあった祭壇は、新しい祭壇の北側に移動させられました。

これは、とてつもない背教です。祭壇でのささげものは祭司しか行なうことができませんでした。それなのに、ここではアハズ自らがささげ物をささげています。礼拝は本来、神に対してなされるものですが、彼はそれを自分の益のために利用したのです。また、主によって命じられて造った青銅の祭壇は、その新しく造られた異教の祭壇によって、横に追いやってしまいました。つまり、異教の祭壇よりも価値が劣るものとみなしたということです。

アハズ王がやったことはとんでもない礼拝の逸脱行為ですが、ややもすると私たちもこれと同じような過ちを犯してしまうことがあります。主を礼拝するための祭壇が自分の目的を達成するために利用することがあるとしたら、このアハズと何ら変わらないことをしていることになります。自分の礼拝が純粋なものになっているかどうかを吟味しなければなりません。

15~16節ご覧ください。「15それから、アハズ王は祭司ウリヤに次のように命じた。「朝の全焼のささげ物と夕方の穀物のささげ物、また、王の全焼のささげ物と穀物のささげ物、この国の民全体の全焼のささげ物と穀物のささげ物、ならびにこれらに添える注ぎのささげ物を、この大いなる祭壇の上で焼いて煙にせよ。また全焼のささげ物の血といけにえの血は、すべてこの祭壇の上に振りかけなければならない。青銅の祭壇は、私が伺いを立てるためのものとする。」16 祭司ウリヤは、すべてアハズ王が命じたとおりに行った。」

アハズは祭司ウリヤに命じて、朝の全焼のささげものと夕方の穀物のささげ物と夕方の穀物のささげ物、また、王の全焼のささげ物と穀物のささげ物、この国の民全体の全焼のささげ物と穀物のささけげ物を持って来るようにと命じました。そこで主にいけにえをささげるためです。彼は自分が偶像礼拝の罪を犯しただけでなく、ユダの国のすべてのいけにえを偶像礼拝にするように仕向けたのです。ユダの人々が持ってくるものはみな、アハズが自分の趣味でこしらえた、自分勝手な神にささげられたのです。そして、主の祭壇は伺いを立てるために、つまり、占いのために用いられることになりました。

それに対して祭司ウリヤはどうしたかというと、それが主のみこころに反するものであることを知りながら、すべてアハズ王が命じたとおりに行いました。これが主の命令に従うのであればすばらしいことですが、偶像礼拝を推進するためのものでしたから、とんでもない従順であったと言えます。

最後に、17~20節をご覧ください。「17 アハズ王は、車輪付きの台の鏡板を切り離し、その台の上から洗盤を外し、またその下にある青銅の牛の上から「海」も降ろして、それを敷き石の上に置いた。18 彼は、宮の中に造られていた安息日用の覆いのある通路も、外側の王の出入り口も、アッシリアの王のために【主】の宮から取り除いた。19 アハズが行ったその他の事柄、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。20 アハズは先祖とともに眠りにつき、先祖とともにダビデの町に葬られた。彼の子ヒゼキヤが代わって王となった。」

ソロモンが建てた神殿の説明書には、動物のいけにえを洗うための10の洗盤がありました。それは車輪付きで、移動可能のものでした。また、非常に大きい、青銅の洗盤もありました。牛や海が装飾されている洗盤です。アハズはこれらを移動させたり、取り除いたりしました。なぜこのようなことをしたのかはわかりません。ただここに「アッシリアの王のために主の宮から取り除いた」とありますので、それはアッシリアの王のためであったこと間違いありません。

人はここまで堕落するのかと思ってしまいますが、けれどもこれが人間の現実なのです。このことはクリスチャンと言えども起こり得ることです。ペテロは、その手紙の中でこう言っています。「20 主であり、救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れから逃れたのに、再びそれに巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪くなります。21 義の道を知っていながら、自分たちに伝えられた聖なる戒めから再び離れるよりは、義の道を知らなかったほうがよかったのです。22 「犬は自分が吐いた物に戻る」、「豚は身を洗って、また泥の中を転がる」という、ことわざどおりのことが、彼らに起こっているのです。」(Ⅱペテロ:20-22)

これは決して他人事ではありません。主であり、救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れから逃れたのに、再びそれに巻き込まれて打ち負かされることがあります。アハズが経験したように、林の木々が風にゆらぐように揺らぐことがあります。そのような時、主ではなく主以外のものにより頼むことがあるとしたら、私たちもアハズのように堕落してしまうことがあるということです。そうならないために必要なことは何か。ペテロが彼の手紙の最後のところで言っていることが重要ではないかと思います。すなわち、「私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。」(Ⅱペテロ3:18)

私たちの心が林の木々が揺らぐように揺らぐ時、それでも信仰に堅く立ち続けることができるのは私たちの考えや力によるのではなく、一方的な主の恵みによります。私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長すること、それがどんな時でも主により頼むために必要なこと、信仰から信仰へと進むために必要なことなのです。

エレミヤ25章1~14節「70年の終わりに」

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エレミヤ書25章に入ります。今日は1~14節から「70年の終わりに」というタイトルでお話します。12節にありますね、「70年の終わりに」。「七十年の終わりに、わたしはバビロンの王とその民を──【主】のことば──またカルデア人の地を、彼らの咎のゆえに罰し、これを永遠に荒れ果てた地とする。」
  ユダの民は、主のことばに聞き従わなかったのでバビロンの王に七十年間仕えることになります。しかし、その七十年の終わりに、主はバビロンを滅ぼし、これを永遠に荒れ果てた地とします。そして代わりに世界を治めたペルシャ帝国の王キュロスによって、ユダの民は約束の地に帰還することになるのです。主が預言者を通して語られた通りです。それは期間限定の捕囚でした。70年の終わりに、主はご自身が語られたとおり、彼らが元いた場所に帰らせるのです。確かに苦難、困難があっても、その先をしっかり見ている人は幸いです。その先にある回復と希望を見つめて離れない人は、どんな苦難に遭っても堅く立ち続けることができるからです。今日は、そのことを考えながら、この個所を読んでいきましょう。

Ⅰ.しきりに語りかけたのに(1-7)

まず、1~7節をご覧ください。1節には「ユダの王、ヨシヤの子エホヤキムの第四年、バビロンの王ネブカドネツァルの元年に、ユダの民全体についてエレミヤにあったみことば。」とあります。
  ユダの王、ヨシヤの子エホヤキムの第四年とは、B.C.605年のことです。この年にネブカドネツァルがバビロンの王に即位しました。その元年に、主がエレミヤを通して、ユダとエルサレムの民全体に語られたことばがこれです。24:1には、「バビロンの王ネブカドネツァルが、ユダの王、エホヤキムの子エコンヤと、ユダの高官たち、職人、鍛冶をエルサレムから捕え移してバビロンに連れて行ったあとのこと」とありますが、それはB.C.597年のことでしたから、ここでは時代が遡っていることがわかります。年代順で言えば、この25章は21章の前に来る内容ですが、それがどういうわけか、ここに納められているのです。

エレミヤは、その年に主が語られたことばをユダの民全体とエルサレムの全住民に語りました。その内容は3~7節にあることです。「3 「ユダの王、アモンの子ヨシヤの第十三年から今日まで、この二十三年間、私に【主】のことばがあり、私はあなたがたに絶えず、しきりに語りかけたのに、あなたがたは聞かなかった。4 また、【主】はあなたがたに、主のしもべである預言者たちを早くからたびたび遣わされたのに、あなたがたは聞かず、聞こうと耳を傾けもしなかった。5 主は言われた。『さあ、それぞれ悪の道から、あなたがたの悪い行いから立ち返り、【主】があなたがたと先祖たちに与えた土地に、いつまでも、とこしえに住め。6 ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝んではならない。あなたがたが手で造った物によって、わたしの怒りを引き起こしてはならない。そのようにすれば、わたしも、あなたがたにわざわいを下さない。7 しかし、あなたがたはわたしに聞き従わなかった──【主】のことば──。そして、あなたがたは手で造った物でわたしの怒りを引き起こし、身にわざわいを招いた。』」

ヨシヤ王の治世の第十三年とは、B.C.627年のことです。エレミヤはその年に預言者として召され、主が語られることばを語り続けてきました。その期間、何と23年間です。彼は23年もの間、主がユダの民に語られることばを絶えず、しきりに語りかけてきたのです。それなのに、彼ら聞きませんでした。それはどういう内容だったかというと、5節と6節にあるように、いたってシンプルなものでした。それは、それぞれ悪の道から立ち返り、主が彼らの先祖たちに与えた土地に、いつまでも、とこしえまでも住むように、というものでした。ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝んではならないと。ただ神を愛し、神のみことばに従って歩むようにという、実にシンプルなメッセージでした。

しかし、彼らはそのエレミヤが語る主のことばを聞きませんでした。エレミヤが23年間もしきりに語りかけたのに、だれも彼の話に耳を傾けなかったのです。だれも彼の招きに応えようとしませんでした。収穫はゼロだったわけです。それはエレミヤにとってどれだけ忍耐を要したことかと思います。私は牧会を始めて40年になりましたが、もしだれも聞いてくれなかったら、恐らく続けることができなかったのではないかと思います。だれも信じなかったら、や~めた!となっていたと思います。でもエレミヤはそうではありませんでした。彼は23年間も語り続け、だれも彼の語ることばに耳を傾けようとしなくても語り続けました。たとえ目に見える収穫がなくても、たとえ目に見える成果がなくても、彼は語り続けたのです。しきりに語りたけました。それは実際のところは神が語りかけておられたことでした。神がエレミヤを通して語っておられたのです。だれも聞かなくても、だれもご自身に立ち返らなくても、神はずっと語り続けてくだったのです。神は本当に忍耐深く、あわれみ深い方ですね。新聖歌188番に「救い主は待っておられる」という讃美歌がありますが、救い主はずっと待っておられるのです。あなたが心の戸を開くのを、ずっとずっと待っておられる。それこそ23年間どころじゃない、もっともっと長い間待っておられるのです。そう思うと、感動で胸が熱くなります。こんな自分勝手で罪深い者のために、神はしきりに語りかけ、忍耐してずっと待っておられるのです。

神が私たちに願っておられることは、私たちが聞き従うことです。聞き従うことはいけにえにまさります。それなのに彼らは聞き従いませんでした。この「聞かなかった」ということばに注目してください。ここには「聞かなかった」とか、「耳を傾けなかった」ということばが繰り返して出てきます。それが強調されているのです。8節にも「聞き従わなかった」ということばがあります。皆さん、イスラエルの歴史は、一言で言えば、神への反逆の歴史です。あなたの歴史はどうでしょうか。あなたの生活はどうでしょうか。あなたの人生はどうですか。しきりに神が語りかけているのに聞かないということはないでしょうか。いつも聖霊に逆らっている歴史、逆らっている毎日、逆らっている人生であるということはないでしょうか。

リビングライフというディボーションの月刊誌の中に、韓国のキム・ウォンテという牧師が書いたエッセイが掲載されていました。
  サハラ砂漠の西側には「サハラの中心」と呼ばれる小さな町があり、多くの旅行客がこの町を訪問しようと砂漠を訪れるそうです。しかし、レビンという人がこの町に来る前までは、その町は全く開放されていない立ち遅れた場所でした。町の人々は一度も砂漠を出たことがありませんでした。何もない砂漠から出ようと試みましたが、一度も成功できませんでした。レビンは町から抜け出せない理由を尋ねると、返ってくる答えはすべて同じでした。「どこに向かって歩いても、出発した場所に戻って来てしまうのです。」
  そこでそれが本当かどうかを試すために、レビンは北に向かって歩き始めました。すると三日で砂漠を抜け出すことができたのです。では、なぜ町の人々は抜け出すことができなかったのか。次にレビンは町の青年を一人連れて、青年が行く方向について行きました。昼も夜も歩き、11日目には再び町に戻ってきました。ついに、レビンはその町の人々が砂漠を抜け出せない理由を見つけました。何だと思いますか。誰も北極星を知らなかったのです。レビンは前回の実験に参加した青年に、昼間は十分休んで、夜になったら北極星の後についていくようにと言いました。その青年がレビンの言葉通りにすると、3日で砂漠を抜け出すことかできたのです。後日、青年は砂漠の開拓者となり、開拓地の中心には彼の銅像が立てられました。その銅像にはこのような文字が刻まれているそうです。「新しい人生は、方向をしっかりと見つけた時に始まる!」

皆さん、これは私たちの人生にも言えることではないでしょうか。新しい人生は、方向をしっかりと見つけた時に始まります。私たちの歴史は、イスラエルの民のように神への反逆の歴史です。神がしきりに語りかけているのに聞こうとしないで逆らい続けています。でもそんな不従順な道から立ち返り、神のもとに帰れば、いつでも神は私たちに触れてくださり、赦し、もう一度神の子どもとして歩めるように回復してくださいます。あなたに求められていることは、主のみことばに聞き従うことです。主が遣わされた預言者たち、主の働き人たちの権威を認めて、彼らが伝えることばに耳を傾けて従うことなのです。新しい人生は、方向をしっかり見つけた時に始まります。私たちはその方向を軌道修正し、神に立ち返り、神のことばに従って歩んでいるかどうかを点検しなければなりません。そうすれば、あなたは神の取り扱いを受け、神にしかできない御業があなたの内になされ、あなたは良いものに変えられるのです。

Ⅱ.70年のバビロン捕囚(8-11)

次に、8~11節をご覧ください。エレミヤが主のことばを絶えず、しきりに語りかけたのに、それを聞かなかったユダの民に対して、主はどうなさるでしょうか。「8 それゆえ、万軍の【主】はこう言われる。『あなたがたがわたしのことばに聞き従わなかったから、9 見よ、わたしは北のすべての種族を呼び寄せる──【主】のことば──。わたしのしもべ、バビロンの王ネブカドネツァルを呼び寄せて、この国とその住民、その周りのすべての国々を攻めさせ、これを聖絶して、恐怖のもと、嘲りの的、永遠の廃墟とする。10 わたしは彼らから楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声、ひき臼の音と、ともしびの光を消し去る。11 この地はすべて廃墟となり荒れ果てて、これらの国々はバビロンの王に七十年仕える。」

主のことばに聞き従わなかったユダの民に対して、主はバビロンの王ネブカドネツァルを呼び寄せ、その国とその住民、その周りのすべての国々を攻めさせて、これを聖絶し、恐怖のもと、嘲りの的、永遠の廃墟とします。その結果、10節にあるように、それまで普通になされていた日常の営みがすべて消えてしまうことになります。楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声、ひき臼の音と、ともしびの光が消えてしまうことになるのです。ひき臼の音とは、結婚して料理を作る時、包丁でまな板を叩きますよね、その音です。それはまさに平和な暮らしのシンボルですが、その音が消えてしまうのです。現代風に言うならば、電子レンジの「チン」でしょうか。それとも電子ジャーの「ピー、ピー、ピー」でしょうか。その音が聞こえなくなってしまうのです。バビロンによってそうした平和な生活が破壊されてしまうからです。
  また、ここには「ともしびの光を消し去る」とあります。どういうことでしょうか。これは部屋を明るく照らしていた電気が消えて暗くなってしまうということです。もうそこに住んでいる人はいなくなります。そこはすっかり廃屋となってしまうのです。それは彼らが主のことばに聞き従わなかったからです。その結果、バビロンの王ネブカデネツァルに70年間仕えることになるのです。

ところで、9節にはバビロンの王ネブカデネツァルのことが「わたしのしもべ」と呼ばれています。4節にも「主のしもべである預言者たち」とありますが、主の預言者であれば「主のしもべ」と言われても納得できますけれども、異教の王、しかもユダの民を虐殺するような悪辣で非道な者が神のしもべと呼ばれていることには少なからず抵抗を覚える人もいるのではないでしょうか。いったいこれはどういうことでしょうか。確かにダニエル書4章を見ると、確かにネブカドネツァルはダニエルを通してダニエルが信じていた真の神を信じ、この神をあがめ、賛美し、ほめたたえるようになります。そういう意味では彼も神のしもべと言えるでしょう。でもここで彼が「わたしのしもべ」と呼ばれているのはそういう意味ではなく、あくまでも神のさばきを実行する道具、お尻叩き棒として「主のしもべ」と呼ばれているのです。ということはどういうことかというと、主なる神の支配はこうした異教の指導者にも及ぶということです。神は、こうした異教の指導者さえも用いてまでも、ご自身の民を懲らしめられるのです。それは彼らが主のことばに聞き従わなかったからです。神のみこころは5節にあるように、いつでも、とこしえに、彼らが約束の地に住むことだったのに、そんな神のみこころを踏みにじり、神のことばに聞き従わなかったため、自らにわざわいを招いてしまったのです。その神の懲らしめ、神のさばきの道具の一つが、バビロンの王ネブカドネツァルだったのです。そういう意味で彼は「主のしもべ」と呼ばれているのです。

それはユダの民だけに言えることではありません。私たちにも言えることです。もし私たちが口先では「神様愛します」「あなたをあがめます」と言いながら、心にたくさんの偶像を抱え、神がしきりにみことばを語りかけてもそれを全く無視して背信に背信を重ねるなら、神はご自身のしもべバビロンの王ネブカドネツァルを呼び寄せてあなたを攻めさせ、これを聖絶し、恐怖のもと、嘲りの的、永遠の廃墟とするのです。神はありとあらゆるものを道具として、ご自身に背く神の民を懲らしめられるのです。そういう意味では、今あなたが抱えている苦しみも、その結果であるのかもしれません。
  でも、安心してください。あなたのその苦しみは、あなたが神に愛されているという証拠でもあるのですから。それは、あなたが神の子どもであることの証拠でもあるのです。そうでなかったら、懲らしめや訓練を与えることはなさいません。神はあなたを愛しておられるのでむちを加えられるのです。へブル12:5~6にこのように書いてあり通りです。「わが子よ、主の訓練を軽んじてはならない。主に叱られて気落ちしてはならない。主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子に、むちを加えられるのだから。」

だから、悲観しないでください。だから、私はもうだめだと思わないでください。私にはもう希望がないと言わないでください。あなたが素直になって神のことばに聞き従うなら、あなたは神の御取り扱いを受け、義という平安の実を結ぶようになるからです。

Ⅲ.70年の終わりに(12~14)  

最後に、12~14節をご覧ください。「12 七十年の終わりに、わたしはバビロンの王とその民を──【主】のことば──またカルデア人の地を、彼らの咎のゆえに罰し、これを永遠に荒れ果てた地とする。13 わたしは、この地の上にわたしが語ったすべてのことばを実現させる。それは、エレミヤが万国について預言したことで、この書に記されているすべての事柄である。14 多くの国々と大王たちは彼らを奴隷にして使い、わたしも彼らに、その行いに応じ、その手のわざに応じて報いる。』」

ここに「70年の終わりに」とあります。バビロンは、イスラエルを懲らしめる道具として神に用いられますが、そのバビロンも70年の終わりには、彼らの咎のゆえに罰せられ、永遠に荒れ果ててしまうことになります。一時は権勢を振るったバビロンも、創造主なる神のことばに聞き従わなければさばかれることになるのです。そして主はバビロンの次に世界を治めたペルシャの王キュロスの霊を奮い立たせ、ユダの民をエルサレムへ帰還させる道を開かれます(エズラ1:1-4)。主はユダの民ばかりでなく、すべての国民、すべての国を治めておられるお方なのです。

ところで、ここには「70年の終わりに」とありますが、これはユダの民がバビロンで捕囚の生活を送るのは70年間であると預言されているのです。それは期間限定の捕囚であったということです。この期間限定というのがいいですね。今、季節は秋ですが、この秋限定のスイーツが販売されています。期間限定のマロンケーキとか、期間限定のさつまいもドーナッツとか、なんだかスイーツばかりですけれども、甘いものが好きな私はこの期間限定のスイーツが大好きです。そしてここにも期間限定が登場します。ユダの民がバビロンに捕えられる期間です。それが70年と定められていたのです。それがいつまでなのかわからないとお先真っ暗になってしまいますが、主は本当に優しい方ですね。捕囚という悲劇が起こる前に、その期間をちゃんと定めておられたのですから。70年間です。これはユダの民にとってどんなに大きな希望であったかと思います。確かに70年という年月は途方もない年月ですが、それはいつまでも続くものではない、その先には回復がある、希望があるという約束は、彼らにとって大きな励ましとなったに違いありません。

ところで、皆さん、この70年という期間がどのようにして定められたかご存知ですか。ある人は、この「7」が完全数であり、「10」も完全数なので、これは神のさばきの完全さと徹底さを表している象徴していると考えていますが、そうではありません。これは、律法の書に予め定められていた期間でした。Ⅱ歴代誌36:21を開いてください。ここにはこうあります。「これは、エレミヤによって告げられた【主】のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためであった。その荒廃の全期間が七十年を満たすまで、この地は安息を得た。」
  イスラエルの民が約束の地に入ってから490年間ずっと破り続けてきた掟がありました。それがこの安息年の定めです。それはレビ記25章にありますが、7年ごとに農地を休ませなければならないという規定です。それなのに彼らは約束の地に入ってから490年の間、ずっとこれを破り続けてきました。それで神は490年を7年で割った年数、すなわち70年間をバビロン捕囚の期間として定められたのです。この規定を破ればどうなるかということを、この中で定めておられたわけです。ですからこれは人の思い付きでも、偶然その期間になったというのでもなく、神が予め定めておられた期間だったのです。

でも、だれもこの70年間というエレミヤの預言を信じていませんでした。ただ捕囚の民としてバビロンに連れて来られたという悲惨な現実を呪うばかりでした。しかしそんな中でこのエレミヤの預言に目を留め、信じ、しっかりと待ち望んでいた人物がいました。ダニエルです。ダニエル書を書いたダニエルです。ダニエルは、第一次バビロン捕囚の時(B.C.605)にネブカドネツァル王によってバビロンに連れて行かれました。その後、バビロンはメド・ペルシャ帝国によって滅ぼされメド・ペルシャの時代になりますが、ダニエルはそこでもペルシャの王たちに仕えました。そのダニエルに、このエレミヤのことばが大きな影響を与えたのです。ダニエル書9:2にはこうあります。「すなわち、その治世の第一年に、私ダニエルは、預言者エレミヤにあった【主】のことばによって、エルサレムの荒廃の期間が満ちるまでの年数が七十年であることを、文書によって悟った。」

捕囚の民としてバビロンにいたダニエルは、ペルシャの王ダレイオスがカルデア人の国の王となったその元年、預言者エレミヤにあった主のことばによって、エルサレムの荒廃の期間が70年であることを悟ったのです。それが今、私たちが見ているエレミヤ書25:11~12のみことばです。彼は私たちが今、見ている同じエレミヤ書の箇所を見ていたのです。そこで彼はその期間が70年であることを悟り、そのメッセージをしっかりと心に留めて、その期間をずっと待ち続けたのです。これは期間限定の懲らしめであるということ、国が滅亡したかなたに希望があるということ、回復があるということを信じたのです。だからダニエルはどんな迫害に遭っても信仰に堅く立ち続けることができたのです。たとえライオンの穴の中に投げ入れられても、です。神のことばによってその先が見えていたからです。

これは私たちにも言えることです。私たちの人生にもいろいろな苦しみや困難があるでしょう。でもみことばによってそれがどういうことなのかを悟り、その先にあるものをしっかりと見つめるなら、そこにどんな苦難があってもそれを乗り越えることができます。パウロは、「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。」(ローマ8:18)と言っています。確かに、将来に希望を持っている人は、試練を乗り越えることができるのです。ダニエルがみことばによって今まさに自分がそこにいることを知り、奮い立ったように、私たちもみことばによって自分がいる場所を知り、それがどういうことなのかを悟るなら、どんな境遇にあっても奮い立つことができるのです。

その代表的な聖句を見て終わりたいと思います。エレミヤ29:10~14です。「10 まことに、【主】はこう言われる。『バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。11 わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──【主】のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。12 あなたがたがわたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに耳を傾ける。13 あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。14 わたしはあなたがたに見出される──【主】のことば──。わたしは、あなたがたを元どおりにする。あなたがたを追い散らした先のあらゆる国々とあらゆる場所から、あなたがたを集める──【主】のことば──。わたしはあなたがたを、引いて行った先から元の場所へ帰らせる。』」

この29:11は非常に有名な箇所です。この聖句がどのような文脈で語られているのかというと、この70年の期間限定が満ちる時、彼らを約束の地に帰らせるという神のご計画がいかに将来と希望を与えるものなのかを伝えることの中で語られたことでした。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだと。あなたもこの神のご計画を知るなら、それがわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたに将来と希望を与えるためのものであることを知ることかできるのです。そして、たとえ試練の中にあっても神のことばは必ず成ると信じて、将来に希望を持つことができるのです。その人の信仰は、生きて働くからです。

Ⅱ列王記15章

 今日は、Ⅱ列王記15章から学びます。

 Ⅰ.ユダの王アザルヤ(1-7)

まず、1~7節をご覧ください。「1 イスラエルの王ヤロブアムの第二十七年に、ユダの王アマツヤの子アザルヤが王となった。2 彼は十六歳で王となり、エルサレムで五十二年間、王であった。彼の母の名はエコルヤといい、エルサレム出身であった。3 彼は、すべて父アマツヤが行ったとおりに、【主】の目にかなうことを行った。4 ただし、高き所は取り除かれなかった。民はなおも、その高き所でいけにえを献げたり、犠牲を供えたりしていた。5 【主】が王を打たれたので、彼は死ぬ日までツァラアトに冒された者となり、隔離された家に住んだ。王の子ヨタムが宮殿を管理し、民衆をさばいた。6 アザルヤについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。7 アザルヤは彼の先祖とともに眠りについた。人々は彼をダビデの町に先祖とともに葬った。彼の子ヨタムが代わって王となった。」

話は、再び南ユダになります。イスラエルの王がヤロブアムの時、その27年目に、アマツヤの子アザルヤが南ユダの王となりました。彼の別名は「ウジヤ」と言い、ユダの王たちの中では善王に数えられています。彼は16歳で王となりました。というのは、彼の父アマツヤが北イスラエルとの戦いに敗れ連行されていたからです。アザルヤは、その時に王に即位しました。それは、B.C.767年のことです。

彼は、すべて父アマツヤが行ったとおりに、主の目にかなうことを行いました。しかし、父アマツヤ同様、高きところは取り除きませんでした。高き所とは、偶像礼拝が行われていた場所のことです。そこを破壊せず放置しておいたのです。そのため民はなおも、その高き所でいけにえを捧げたり、犠牲を供えたりしていました。これは、律法に違反していたということです。モーセの律法では、主が定められた場所以外でいけにえを捧げることが禁じられていました(申命記12:2~7)。それをことごとく破壊しなければならなかったのにしませんでした。偶像礼拝のために用いたものを、神を礼拝するために用いることはできません。けれどもアザルヤは、それを取り除かなかったのです。これは私たちにも言えることです。私たちも過去の罪と決別しなければなりません。その上に信仰を築き上げることはできないからです。

その結果、アザルヤはどうなったでしょうか。5節には、「【主】が王を打たれたので、彼は死ぬ日までツァラアトに冒された者となり、隔離された家に住んだ。王の子ヨタムが宮殿を管理し、民衆をさばいた。」とあります。彼は主に打たれてツァラアトに冒されました。ツァラアトは重い皮膚病で、汚れているとされていたので、社会から隔離されなければなりませんでした。彼は隔離された家で生活することを余儀なくされたのです。それで息子のヨタムと共同で統治することになりました。それは10年間続くことになります。これは神のさばきによるものでした。最終的に彼は先祖たちとともに眠りにつき、その遺体は、ダビデの町の王たちの墓に葬られました。

アザルヤはユダの王たちの中で最も影響力のあった王のひとりです。彼の働きによってユダは領地を拡大することができました。主なる神の祝福を受けたのです。にもかかわらず、最終的に彼はツァラアトに冒されて隔離された生活を強いられました。いったい何が問題だったのでしょうか。そのような祝福の陰に高慢という落とし穴があったのです。箴言16:18には、「高慢は破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。」私たちはこのアザルヤの失敗から学び、どんな時も主の御前にへりくだって歩みたいと思います。

Ⅱ.北イスラエルの王たちと第一次アッシリア捕囚(8-31)

次に、8~31節をご覧ください。ここには、ユダの王アザルヤの時代に北イスラエルの王たちはどうであったかが記録されています。北イスラエルでは、謀反が繰り返され、王たちが目まぐるしく交代し、ついにはアッシリアによって滅ぼされてしまうことになります。「8 ユダの王アザルヤの第三十八年に、ヤロブアムの子ゼカリヤがサマリアでイスラエルの王となり、六か月の間、王であった。9 彼は先祖たちがしたように、【主】の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。10 ヤベシュの子シャルムは、彼に対して謀反を企て、民の前で彼を打ち殺し、彼に代わって王となった。11 ゼカリヤについてのその他の事柄は、『イスラエルの王の歴代誌』にまさしく記されている。12 【主】がかつてエフーに告げられたことばは、「あなたの子孫は四代までイスラエルの王座に着く」ということであったが、はたして、そのとおりになった。13 ヤベシュの子シャルムは、ユダの王ウジヤの第三十九年に王となり、サマリアで一か月間、王であった。14 ガディの子メナヘムは、ティルツァから上ってサマリアに至り、ヤベシュの子シャルムをサマリアで打ち、彼を殺して、彼に代わって王となった。15 シャルムについてのその他の事柄、彼が企てた謀反は、『イスラエルの王の歴代誌』にまさしく記されている。16 そのとき、メナヘムはティルツァから出て、ティフサフとその住民、その領地を討った。彼らが城門を開かなかったので、その中のすべての妊婦たちを打ち殺して切り裂いた。17 ユダの王アザルヤの第三十九年に、ガディの子メナヘムがイスラエルの王となり、サマリアで十年間、王であった。18 彼は【主】の目に悪であることを行い、一生の間、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。19 アッシリアの王プルがこの国に来たとき、メナヘムは銀千タラントをプルに与えた。プルの援助によって、王国を強くするためであった。20 メナヘムは、イスラエルのすべての有力者にそれぞれ銀五十シェケルを供出させ、これをアッシリアの王に与えたので、アッシリアの王は引き返し、この国にとどまらなかった。21 メナヘムについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。22 メナヘムは先祖とともに眠りにつき、その子ペカフヤが代わって王となった。23 ユダの王アザルヤの第五十年に、メナヘムの子ペカフヤがサマリアでイスラエルの王となり、二年間、王であった。24 彼は【主】の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。25 彼の侍従、レマルヤの子ペカは、彼に対して謀反を企て、サマリアの王宮の高殿で、ペカフヤとアルゴブとアルエを打ち殺した。ペカには五十人のギルアデ人が加わっていた。ペカはペカフヤを殺し、彼に代わって王となった。26 ペカフヤについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのことは、『イスラエルの王の歴代誌』にまさしく記されている。27 ユダの王アザルヤの第五十二年に、レマルヤの子ペカがサマリアでイスラエルの王となり、二十年間、王であった。28 彼は【主】の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。29 イスラエルの王ペカの時代に、アッシリアの王ティグラト・ピレセルが来て、イヨン、アベル・ベテ・マアカ、ヤノアハ、ケデシュ、ハツォル、ギルアデ、ガリラヤ、ナフタリの全土を占領し、その住民をアッシリアへ捕らえ移した。30 そのとき、エラの子ホセアはレマルヤの子ペカに対して謀反を企て、彼を打ち殺して、ウジヤの子ヨタムの第二十年に、彼に代わって王となった。31 ペカについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのことは、『イスラエルの王の歴代誌』にまさしく記されている。」

ここから、アザルヤすなわちウジヤがユダで王であったときの、イスラエルの王について書かれています。謀反から謀反へ、短い期間しか王たちは統治しませんでした。アザルヤの第三十八年に北イスラエルの王となったのは、ヤロブアムの子ゼカリヤでしたが、その治世はわずか六か月でした。それは彼が先祖たちがしたように、主の目の前に悪であることを行ったからです。彼はイスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかったからです。彼はヤベシュの子シャロムの謀反によって殺されます。それでシャロムが、彼に代わって王になりました。

ここで注目したいことは、それはかつて主がエフーに告げた通りであったということです。12節に、そのことが記されてあります。主はエフーに「あなたの子孫は四代までイスラエルの王座に着く」(Ⅱ列王10:30)と告げられましたが、はたして、そのとおりになったのです。彼はアハブ家の者たちに対して主が心に定めたことをことごとく行いましたが、その後、ヤロブアムの道を歩んだことによって、神の祝福がとどめられてしまったのです。それで彼(エフー)に告げられた通り、彼の子孫は四代目までイスラエルの王座に着くことができましたが、その後、家系が途絶えてしまったのです。ゼカリヤはその王朝の四代目の王だったのです。

謀反を企てたヤベシュの子シャルムは、ユダの王ウジヤの第三十九年に王となりましたが、その治世はわずか一か月でした。ガディの子メナヘムによって殺されてしまったからです。これは北王国の歴史では2番目に短い記録です。最短は、ジムリの7日間です(Ⅰ列王16:15~20)。シャルム王朝は北王国では第六番目の王朝でしたが、彼一代で終わりました。

彼の後に王となったのは、シャルムを暗殺したメナヘムでした。メナヘムはティルツァから出て、ティサフとその住民、その領地を打ち、その中のすべての妊婦たちを打ち殺して切り裂くということをしました。ティサフの住民は彼を王として認めず、城門を閉じて抵抗姿勢を示したからです。それでメナヘムはこの町を攻撃し、徹底的に破壊したのです。それにしても自国民の妊婦を切り裂くなんて何とも残忍な男です。彼がこのような残忍な行為に及んだのは、抵抗する可能性のある他の町々を恐れされるためでした。今でも北朝鮮などでは公開処刑が行われていますが、同じようなことです。

メナヘムは、イスラエルの王となると、サマリアで十年間王として治めました。彼は主の目の前に悪であることを行い、一生の間、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れませんでした。

19節と20節をご覧ください。ここにⅡ列王記では初めてアッシリアについての言及があります。「アッシリアの王プルがこの国に来たとき、メナヘムは銀千タラントをプルに与えた。プルの援助によって、王国を強くするためであった。メナヘムは、イスラエルのすべての有力者にそれぞれ銀五十シェケルを供出させ、これをアッシリアの王に与えたので、アッシリアの王は引き返し、この国にとどまらなかった。」

「アッシリアの王プル」とは、ティグラテ・ピレセル3世(Ⅱ列王15:29)のことです。当時、イスラエルに敵対していたシリアの力が弱くなり、代わりにアッシリアが台頭しつつありました。そのアッシリアが北王国に侵入して来たのです。それでメナヘムはどうしたかというと、アッシリアに犯行するのではなく、アッシリアの援助によって自らの統治を強くしようと考えました。それで彼はアッシリアの王プルに銀一千タラントを与えました。メナヘムはこれを、イスラエルのすべての有力者に銀五十シェケルを供出させることによって集めました。この五十シェケルというのは、当時アッシリアで奴隷ひとりの価格とされていた額です。そのことは、イスラエルの民がアッシリアの奴隷となったことを象徴しているかのようでした。真の神に仕えない人は、やがて別のものの奴隷となります。私たちはキリストにあって自由にされた者です。私たちが使えるのは真の王であり神であられるイエス・キリストだけであることを覚え、この方だけに仕えましょう。貢物を受けたプルは、満足してアッシリアに引き返し、北王国にとどまりませんでした。

メナヘムが死んだ後でイスラエルの王となったのは、その子ペカフヤでした。彼はユダの王アザルヤの第五十年にサマリアで王となり、2年間、北王国を治めました。彼は主の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れませんでした。北王国の後半の王たちは、力によって王座に着いた者たちばかりですが、ペカフヤの場合は例外で、王位を父メナヘムから継承しました。しかし、彼の治世は二年間という短い期間で終わりました。彼もまた、謀反によって暗殺されたからです。

彼を殺したのは、彼の侍従、レマルヤの子ペカです。ペカは彼に対して謀反を企て、サマリアの王宮の高殿で、ペカフヤとアルゴブとアルエを打ち殺しました。侍従とは、軍の司令官のことです。彼にはヨルダン川の東岸から来て加わった50人の部下がいました。彼らとともにペカフヤを打ったのです。「サマリアの王宮の高殿」は砦のようになっており、町の中では最も安全な場所ですが、彼はそこで殺されました。どんなに安全と思われる場所であっても、神から離れたら限界があります。ペカフヤの問題も、主の目の前に悪であることを行ったことです。神から離れたらどんなに安全だと思われる砦でも危険です。真の安全は、ただ全能者であられる神イエス・キリストの御翼の陰に宿ることです。

ペカフヤの後に北王国の王となったのは、彼を暗殺したペカです。ペカはサマリアでイスラエルの王になると、20年間イスラエルを治めました。彼もまた、彼以前の王たちと同じように、ネバテの子ヤロブアムの罪から離れることはありませんでした。

29節と30節をご覧ください。このイスラエルの王ペカの時代に、アッシリアのティグラト・ピレセルが来て、イヨン、アベル・ベテ・マアカ、ヤノアハ、ケデシュ、ハツォル、ギルアデ、ガリラヤ、ナフタリの全土を占領し、その住民をアッシリアへ捕らえ移しました。第一次アッシリア捕囚です。B.C.734年のことです。サマリアの町は残っていましたが、次の王ホセアの時にサマリアも陥落し、北イスラエルは完全に滅びてしまうことになります。ここまで、イスラエルが悪を繰り返し、謀反に謀反を重ね、神に立ち返ることがなかったからです。

このとき、エラの子ホセアはペカに対して謀反を企て、彼を撃ち殺し、彼に代わって王になりました。そのホセアも後にアッシリアによって滅ぼされ、北王国は完全に滅んでしまうことになります。B.C.722年のことです。

悲しいことですが、主を立ち返ることをせず悪に悪を重ねる民は、滅びの道をたどるしかありません。今からでも決して遅くはありません。神は悔い改めてご自身の下に立ち返る者を赦し、受け入れてくださいます。悔い改めることの重要性とどこまでも忍耐してそれを待っておられる神の恵みを改めて覚えさせられます。

Ⅲ.信仰を試す神からのテスト(32-38)

最後に、32~38節をご覧ください。「32 イスラエルの王レマルヤの子ペカの第二年に、ユダの王ウジヤの子ヨタムが王となった。33 彼は二十五歳で王となり、エルサレムで十六年間、王であった。彼の母の名はエルシャといい、ツァドクの娘であった。34 彼は、すべて父ウジヤが行ったとおりに、【主】の目にかなうことを行った。35 ただし、高き所は取り除かれなかった。民はなおも、高き所でいけにえを献げたり、犠牲を供えたりしていた。彼は【主】の宮の上の門を建てた。36 ヨタムが行ったその他の事柄、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。37 そのころ、【主】はアラムの王レツィンとレマルヤの子ペカを、ユダに対して送り始められた。38 ヨタムは先祖とともに眠りにつき、先祖とともにその父ダビデの町に葬られた。彼の子アハズが代わって王となった。」

イスラエルの王レマルヤの子ペカの第二年に、ユダの王ウジヤの子ヨタムが王となりました。ウジヤ王は52年間という長い間ユダを治めました。その後に王となったのがウジヤの子ヨタムです。彼は25歳で王になると、エルサレムで16年間、王でした。

彼はすべて父ウジヤが行ったとおりに、主の目にかなうことを行いましたが、高き所は取り除くことができませんでした。それで民はなおも、高き所でいけにえを捧げたり、犠牲をささげたりしていました。つまり、偶像礼拝の場をそのまま容認したということです。偶像礼拝はそれほど民の心に沁みついていたということです。それを取り除くことは並大抵のことではありません。それはヨタムに限ったことではありません。私たちの心の偶像を取り除くことも容易いことではありません。神の力が無ければ決して取り除くことはできません。神の力、聖霊の力をいただいて、心の偶像を取り除きましょう。

このヨタムが行った良い業の一つは、「主の宮の上の門を建てた」ということです。それは神殿の北の門を再建したということです。これは主を礼拝することを促すための行われた工事でした。彼は数々の良い業を行いましたが、肝心なことが抜けていたら、それらのことはすべてむなしいものになります。それは神を第一にして生きることです。神を愛し、神に信頼し、神に従うこと。これに勝る良い業はありません。主が求めておられることは、主に聞き従うことだからです。彼はこの肝心なことが抜けていたので、彼の良い業も何の意味もありませんでした。

37節をご覧ください。「そのころ、【主】はアラムの王レツィンとレマルヤの子ペカを、ユダに対して送り始められた。」

「そのころ」とは、ヨタムとその子アハズの治世のころのことです。南王国は、北方からの攻撃に悩まされていました。アラムの王レツィンと北王国の王のペカが、ユダに圧力をかけていたのです。彼らは南王国を味方につけて、アッシリアに対抗しようとしていたのです。ユダの王たちは困難な決断を迫られていました。アラムの王レツィンと北王国の王ペカの同盟に参加してアッシリアと戦うか、それとも逆に、アッシリアの援助を受けて、レツィンとペカの同盟国と戦うかです。37節には、これはユダに対して主が送り始められたことであるとあります。すなわち、主が期待していたのはそのどちらでもなく、ただ主だけに信頼して歩むことでした。すなわち、地上の権力に頼るのではなく、ただ主だけに信頼することです。そうです、こうした北からの脅威は、ユダの王の信仰を試す主からのテストだったのです。それは主が私たちにも送っておられるものです。こうした信仰の試練に会うとき、あなたはどのように対処していますか。試練の時こそ信仰の真価が問われます。人間的な考え、肉の思いで決断するのではなく、ただ神を見上げ、神に信頼しましょう。それが神が喜ばれる道であり、真に私たちが守られる道なのです。