エレミヤ25章1~14節「70年の終わりに」

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エレミヤ書25章に入ります。今日は1~14節から「70年の終わりに」というタイトルでお話します。12節にありますね、「70年の終わりに」。「七十年の終わりに、わたしはバビロンの王とその民を──【主】のことば──またカルデア人の地を、彼らの咎のゆえに罰し、これを永遠に荒れ果てた地とする。」
  ユダの民は、主のことばに聞き従わなかったのでバビロンの王に七十年間仕えることになります。しかし、その七十年の終わりに、主はバビロンを滅ぼし、これを永遠に荒れ果てた地とします。そして代わりに世界を治めたペルシャ帝国の王キュロスによって、ユダの民は約束の地に帰還することになるのです。主が預言者を通して語られた通りです。それは期間限定の捕囚でした。70年の終わりに、主はご自身が語られたとおり、彼らが元いた場所に帰らせるのです。確かに苦難、困難があっても、その先をしっかり見ている人は幸いです。その先にある回復と希望を見つめて離れない人は、どんな苦難に遭っても堅く立ち続けることができるからです。今日は、そのことを考えながら、この個所を読んでいきましょう。

Ⅰ.しきりに語りかけたのに(1-7)

まず、1~7節をご覧ください。1節には「ユダの王、ヨシヤの子エホヤキムの第四年、バビロンの王ネブカドネツァルの元年に、ユダの民全体についてエレミヤにあったみことば。」とあります。
  ユダの王、ヨシヤの子エホヤキムの第四年とは、B.C.605年のことです。この年にネブカドネツァルがバビロンの王に即位しました。その元年に、主がエレミヤを通して、ユダとエルサレムの民全体に語られたことばがこれです。24:1には、「バビロンの王ネブカドネツァルが、ユダの王、エホヤキムの子エコンヤと、ユダの高官たち、職人、鍛冶をエルサレムから捕え移してバビロンに連れて行ったあとのこと」とありますが、それはB.C.597年のことでしたから、ここでは時代が遡っていることがわかります。年代順で言えば、この25章は21章の前に来る内容ですが、それがどういうわけか、ここに納められているのです。

エレミヤは、その年に主が語られたことばをユダの民全体とエルサレムの全住民に語りました。その内容は3~7節にあることです。「3 「ユダの王、アモンの子ヨシヤの第十三年から今日まで、この二十三年間、私に【主】のことばがあり、私はあなたがたに絶えず、しきりに語りかけたのに、あなたがたは聞かなかった。4 また、【主】はあなたがたに、主のしもべである預言者たちを早くからたびたび遣わされたのに、あなたがたは聞かず、聞こうと耳を傾けもしなかった。5 主は言われた。『さあ、それぞれ悪の道から、あなたがたの悪い行いから立ち返り、【主】があなたがたと先祖たちに与えた土地に、いつまでも、とこしえに住め。6 ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝んではならない。あなたがたが手で造った物によって、わたしの怒りを引き起こしてはならない。そのようにすれば、わたしも、あなたがたにわざわいを下さない。7 しかし、あなたがたはわたしに聞き従わなかった──【主】のことば──。そして、あなたがたは手で造った物でわたしの怒りを引き起こし、身にわざわいを招いた。』」

ヨシヤ王の治世の第十三年とは、B.C.627年のことです。エレミヤはその年に預言者として召され、主が語られることばを語り続けてきました。その期間、何と23年間です。彼は23年もの間、主がユダの民に語られることばを絶えず、しきりに語りかけてきたのです。それなのに、彼ら聞きませんでした。それはどういう内容だったかというと、5節と6節にあるように、いたってシンプルなものでした。それは、それぞれ悪の道から立ち返り、主が彼らの先祖たちに与えた土地に、いつまでも、とこしえまでも住むように、というものでした。ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝んではならないと。ただ神を愛し、神のみことばに従って歩むようにという、実にシンプルなメッセージでした。

しかし、彼らはそのエレミヤが語る主のことばを聞きませんでした。エレミヤが23年間もしきりに語りかけたのに、だれも彼の話に耳を傾けなかったのです。だれも彼の招きに応えようとしませんでした。収穫はゼロだったわけです。それはエレミヤにとってどれだけ忍耐を要したことかと思います。私は牧会を始めて40年になりましたが、もしだれも聞いてくれなかったら、恐らく続けることができなかったのではないかと思います。だれも信じなかったら、や~めた!となっていたと思います。でもエレミヤはそうではありませんでした。彼は23年間も語り続け、だれも彼の語ることばに耳を傾けようとしなくても語り続けました。たとえ目に見える収穫がなくても、たとえ目に見える成果がなくても、彼は語り続けたのです。しきりに語りたけました。それは実際のところは神が語りかけておられたことでした。神がエレミヤを通して語っておられたのです。だれも聞かなくても、だれもご自身に立ち返らなくても、神はずっと語り続けてくだったのです。神は本当に忍耐深く、あわれみ深い方ですね。新聖歌188番に「救い主は待っておられる」という讃美歌がありますが、救い主はずっと待っておられるのです。あなたが心の戸を開くのを、ずっとずっと待っておられる。それこそ23年間どころじゃない、もっともっと長い間待っておられるのです。そう思うと、感動で胸が熱くなります。こんな自分勝手で罪深い者のために、神はしきりに語りかけ、忍耐してずっと待っておられるのです。

神が私たちに願っておられることは、私たちが聞き従うことです。聞き従うことはいけにえにまさります。それなのに彼らは聞き従いませんでした。この「聞かなかった」ということばに注目してください。ここには「聞かなかった」とか、「耳を傾けなかった」ということばが繰り返して出てきます。それが強調されているのです。8節にも「聞き従わなかった」ということばがあります。皆さん、イスラエルの歴史は、一言で言えば、神への反逆の歴史です。あなたの歴史はどうでしょうか。あなたの生活はどうでしょうか。あなたの人生はどうですか。しきりに神が語りかけているのに聞かないということはないでしょうか。いつも聖霊に逆らっている歴史、逆らっている毎日、逆らっている人生であるということはないでしょうか。

リビングライフというディボーションの月刊誌の中に、韓国のキム・ウォンテという牧師が書いたエッセイが掲載されていました。
  サハラ砂漠の西側には「サハラの中心」と呼ばれる小さな町があり、多くの旅行客がこの町を訪問しようと砂漠を訪れるそうです。しかし、レビンという人がこの町に来る前までは、その町は全く開放されていない立ち遅れた場所でした。町の人々は一度も砂漠を出たことがありませんでした。何もない砂漠から出ようと試みましたが、一度も成功できませんでした。レビンは町から抜け出せない理由を尋ねると、返ってくる答えはすべて同じでした。「どこに向かって歩いても、出発した場所に戻って来てしまうのです。」
  そこでそれが本当かどうかを試すために、レビンは北に向かって歩き始めました。すると三日で砂漠を抜け出すことができたのです。では、なぜ町の人々は抜け出すことができなかったのか。次にレビンは町の青年を一人連れて、青年が行く方向について行きました。昼も夜も歩き、11日目には再び町に戻ってきました。ついに、レビンはその町の人々が砂漠を抜け出せない理由を見つけました。何だと思いますか。誰も北極星を知らなかったのです。レビンは前回の実験に参加した青年に、昼間は十分休んで、夜になったら北極星の後についていくようにと言いました。その青年がレビンの言葉通りにすると、3日で砂漠を抜け出すことかできたのです。後日、青年は砂漠の開拓者となり、開拓地の中心には彼の銅像が立てられました。その銅像にはこのような文字が刻まれているそうです。「新しい人生は、方向をしっかりと見つけた時に始まる!」

皆さん、これは私たちの人生にも言えることではないでしょうか。新しい人生は、方向をしっかりと見つけた時に始まります。私たちの歴史は、イスラエルの民のように神への反逆の歴史です。神がしきりに語りかけているのに聞こうとしないで逆らい続けています。でもそんな不従順な道から立ち返り、神のもとに帰れば、いつでも神は私たちに触れてくださり、赦し、もう一度神の子どもとして歩めるように回復してくださいます。あなたに求められていることは、主のみことばに聞き従うことです。主が遣わされた預言者たち、主の働き人たちの権威を認めて、彼らが伝えることばに耳を傾けて従うことなのです。新しい人生は、方向をしっかり見つけた時に始まります。私たちはその方向を軌道修正し、神に立ち返り、神のことばに従って歩んでいるかどうかを点検しなければなりません。そうすれば、あなたは神の取り扱いを受け、神にしかできない御業があなたの内になされ、あなたは良いものに変えられるのです。

Ⅱ.70年のバビロン捕囚(8-11)

次に、8~11節をご覧ください。エレミヤが主のことばを絶えず、しきりに語りかけたのに、それを聞かなかったユダの民に対して、主はどうなさるでしょうか。「8 それゆえ、万軍の【主】はこう言われる。『あなたがたがわたしのことばに聞き従わなかったから、9 見よ、わたしは北のすべての種族を呼び寄せる──【主】のことば──。わたしのしもべ、バビロンの王ネブカドネツァルを呼び寄せて、この国とその住民、その周りのすべての国々を攻めさせ、これを聖絶して、恐怖のもと、嘲りの的、永遠の廃墟とする。10 わたしは彼らから楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声、ひき臼の音と、ともしびの光を消し去る。11 この地はすべて廃墟となり荒れ果てて、これらの国々はバビロンの王に七十年仕える。」

主のことばに聞き従わなかったユダの民に対して、主はバビロンの王ネブカドネツァルを呼び寄せ、その国とその住民、その周りのすべての国々を攻めさせて、これを聖絶し、恐怖のもと、嘲りの的、永遠の廃墟とします。その結果、10節にあるように、それまで普通になされていた日常の営みがすべて消えてしまうことになります。楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声、ひき臼の音と、ともしびの光が消えてしまうことになるのです。ひき臼の音とは、結婚して料理を作る時、包丁でまな板を叩きますよね、その音です。それはまさに平和な暮らしのシンボルですが、その音が消えてしまうのです。現代風に言うならば、電子レンジの「チン」でしょうか。それとも電子ジャーの「ピー、ピー、ピー」でしょうか。その音が聞こえなくなってしまうのです。バビロンによってそうした平和な生活が破壊されてしまうからです。
  また、ここには「ともしびの光を消し去る」とあります。どういうことでしょうか。これは部屋を明るく照らしていた電気が消えて暗くなってしまうということです。もうそこに住んでいる人はいなくなります。そこはすっかり廃屋となってしまうのです。それは彼らが主のことばに聞き従わなかったからです。その結果、バビロンの王ネブカデネツァルに70年間仕えることになるのです。

ところで、9節にはバビロンの王ネブカデネツァルのことが「わたしのしもべ」と呼ばれています。4節にも「主のしもべである預言者たち」とありますが、主の預言者であれば「主のしもべ」と言われても納得できますけれども、異教の王、しかもユダの民を虐殺するような悪辣で非道な者が神のしもべと呼ばれていることには少なからず抵抗を覚える人もいるのではないでしょうか。いったいこれはどういうことでしょうか。確かにダニエル書4章を見ると、確かにネブカドネツァルはダニエルを通してダニエルが信じていた真の神を信じ、この神をあがめ、賛美し、ほめたたえるようになります。そういう意味では彼も神のしもべと言えるでしょう。でもここで彼が「わたしのしもべ」と呼ばれているのはそういう意味ではなく、あくまでも神のさばきを実行する道具、お尻叩き棒として「主のしもべ」と呼ばれているのです。ということはどういうことかというと、主なる神の支配はこうした異教の指導者にも及ぶということです。神は、こうした異教の指導者さえも用いてまでも、ご自身の民を懲らしめられるのです。それは彼らが主のことばに聞き従わなかったからです。神のみこころは5節にあるように、いつでも、とこしえに、彼らが約束の地に住むことだったのに、そんな神のみこころを踏みにじり、神のことばに聞き従わなかったため、自らにわざわいを招いてしまったのです。その神の懲らしめ、神のさばきの道具の一つが、バビロンの王ネブカドネツァルだったのです。そういう意味で彼は「主のしもべ」と呼ばれているのです。

それはユダの民だけに言えることではありません。私たちにも言えることです。もし私たちが口先では「神様愛します」「あなたをあがめます」と言いながら、心にたくさんの偶像を抱え、神がしきりにみことばを語りかけてもそれを全く無視して背信に背信を重ねるなら、神はご自身のしもべバビロンの王ネブカドネツァルを呼び寄せてあなたを攻めさせ、これを聖絶し、恐怖のもと、嘲りの的、永遠の廃墟とするのです。神はありとあらゆるものを道具として、ご自身に背く神の民を懲らしめられるのです。そういう意味では、今あなたが抱えている苦しみも、その結果であるのかもしれません。
  でも、安心してください。あなたのその苦しみは、あなたが神に愛されているという証拠でもあるのですから。それは、あなたが神の子どもであることの証拠でもあるのです。そうでなかったら、懲らしめや訓練を与えることはなさいません。神はあなたを愛しておられるのでむちを加えられるのです。へブル12:5~6にこのように書いてあり通りです。「わが子よ、主の訓練を軽んじてはならない。主に叱られて気落ちしてはならない。主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子に、むちを加えられるのだから。」

だから、悲観しないでください。だから、私はもうだめだと思わないでください。私にはもう希望がないと言わないでください。あなたが素直になって神のことばに聞き従うなら、あなたは神の御取り扱いを受け、義という平安の実を結ぶようになるからです。

Ⅲ.70年の終わりに(12~14)  

最後に、12~14節をご覧ください。「12 七十年の終わりに、わたしはバビロンの王とその民を──【主】のことば──またカルデア人の地を、彼らの咎のゆえに罰し、これを永遠に荒れ果てた地とする。13 わたしは、この地の上にわたしが語ったすべてのことばを実現させる。それは、エレミヤが万国について預言したことで、この書に記されているすべての事柄である。14 多くの国々と大王たちは彼らを奴隷にして使い、わたしも彼らに、その行いに応じ、その手のわざに応じて報いる。』」

ここに「70年の終わりに」とあります。バビロンは、イスラエルを懲らしめる道具として神に用いられますが、そのバビロンも70年の終わりには、彼らの咎のゆえに罰せられ、永遠に荒れ果ててしまうことになります。一時は権勢を振るったバビロンも、創造主なる神のことばに聞き従わなければさばかれることになるのです。そして主はバビロンの次に世界を治めたペルシャの王キュロスの霊を奮い立たせ、ユダの民をエルサレムへ帰還させる道を開かれます(エズラ1:1-4)。主はユダの民ばかりでなく、すべての国民、すべての国を治めておられるお方なのです。

ところで、ここには「70年の終わりに」とありますが、これはユダの民がバビロンで捕囚の生活を送るのは70年間であると預言されているのです。それは期間限定の捕囚であったということです。この期間限定というのがいいですね。今、季節は秋ですが、この秋限定のスイーツが販売されています。期間限定のマロンケーキとか、期間限定のさつまいもドーナッツとか、なんだかスイーツばかりですけれども、甘いものが好きな私はこの期間限定のスイーツが大好きです。そしてここにも期間限定が登場します。ユダの民がバビロンに捕えられる期間です。それが70年と定められていたのです。それがいつまでなのかわからないとお先真っ暗になってしまいますが、主は本当に優しい方ですね。捕囚という悲劇が起こる前に、その期間をちゃんと定めておられたのですから。70年間です。これはユダの民にとってどんなに大きな希望であったかと思います。確かに70年という年月は途方もない年月ですが、それはいつまでも続くものではない、その先には回復がある、希望があるという約束は、彼らにとって大きな励ましとなったに違いありません。

ところで、皆さん、この70年という期間がどのようにして定められたかご存知ですか。ある人は、この「7」が完全数であり、「10」も完全数なので、これは神のさばきの完全さと徹底さを表している象徴していると考えていますが、そうではありません。これは、律法の書に予め定められていた期間でした。Ⅱ歴代誌36:21を開いてください。ここにはこうあります。「これは、エレミヤによって告げられた【主】のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためであった。その荒廃の全期間が七十年を満たすまで、この地は安息を得た。」
  イスラエルの民が約束の地に入ってから490年間ずっと破り続けてきた掟がありました。それがこの安息年の定めです。それはレビ記25章にありますが、7年ごとに農地を休ませなければならないという規定です。それなのに彼らは約束の地に入ってから490年の間、ずっとこれを破り続けてきました。それで神は490年を7年で割った年数、すなわち70年間をバビロン捕囚の期間として定められたのです。この規定を破ればどうなるかということを、この中で定めておられたわけです。ですからこれは人の思い付きでも、偶然その期間になったというのでもなく、神が予め定めておられた期間だったのです。

でも、だれもこの70年間というエレミヤの預言を信じていませんでした。ただ捕囚の民としてバビロンに連れて来られたという悲惨な現実を呪うばかりでした。しかしそんな中でこのエレミヤの預言に目を留め、信じ、しっかりと待ち望んでいた人物がいました。ダニエルです。ダニエル書を書いたダニエルです。ダニエルは、第一次バビロン捕囚の時(B.C.605)にネブカドネツァル王によってバビロンに連れて行かれました。その後、バビロンはメド・ペルシャ帝国によって滅ぼされメド・ペルシャの時代になりますが、ダニエルはそこでもペルシャの王たちに仕えました。そのダニエルに、このエレミヤのことばが大きな影響を与えたのです。ダニエル書9:2にはこうあります。「すなわち、その治世の第一年に、私ダニエルは、預言者エレミヤにあった【主】のことばによって、エルサレムの荒廃の期間が満ちるまでの年数が七十年であることを、文書によって悟った。」

捕囚の民としてバビロンにいたダニエルは、ペルシャの王ダレイオスがカルデア人の国の王となったその元年、預言者エレミヤにあった主のことばによって、エルサレムの荒廃の期間が70年であることを悟ったのです。それが今、私たちが見ているエレミヤ書25:11~12のみことばです。彼は私たちが今、見ている同じエレミヤ書の箇所を見ていたのです。そこで彼はその期間が70年であることを悟り、そのメッセージをしっかりと心に留めて、その期間をずっと待ち続けたのです。これは期間限定の懲らしめであるということ、国が滅亡したかなたに希望があるということ、回復があるということを信じたのです。だからダニエルはどんな迫害に遭っても信仰に堅く立ち続けることができたのです。たとえライオンの穴の中に投げ入れられても、です。神のことばによってその先が見えていたからです。

これは私たちにも言えることです。私たちの人生にもいろいろな苦しみや困難があるでしょう。でもみことばによってそれがどういうことなのかを悟り、その先にあるものをしっかりと見つめるなら、そこにどんな苦難があってもそれを乗り越えることができます。パウロは、「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。」(ローマ8:18)と言っています。確かに、将来に希望を持っている人は、試練を乗り越えることができるのです。ダニエルがみことばによって今まさに自分がそこにいることを知り、奮い立ったように、私たちもみことばによって自分がいる場所を知り、それがどういうことなのかを悟るなら、どんな境遇にあっても奮い立つことができるのです。

その代表的な聖句を見て終わりたいと思います。エレミヤ29:10~14です。「10 まことに、【主】はこう言われる。『バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。11 わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──【主】のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。12 あなたがたがわたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに耳を傾ける。13 あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。14 わたしはあなたがたに見出される──【主】のことば──。わたしは、あなたがたを元どおりにする。あなたがたを追い散らした先のあらゆる国々とあらゆる場所から、あなたがたを集める──【主】のことば──。わたしはあなたがたを、引いて行った先から元の場所へ帰らせる。』」

この29:11は非常に有名な箇所です。この聖句がどのような文脈で語られているのかというと、この70年の期間限定が満ちる時、彼らを約束の地に帰らせるという神のご計画がいかに将来と希望を与えるものなのかを伝えることの中で語られたことでした。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだと。あなたもこの神のご計画を知るなら、それがわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたに将来と希望を与えるためのものであることを知ることかできるのです。そして、たとえ試練の中にあっても神のことばは必ず成ると信じて、将来に希望を持つことができるのです。その人の信仰は、生きて働くからです。

Ⅱ列王記15章

 今日は、Ⅱ列王記15章から学びます。

 Ⅰ.ユダの王アザルヤ(1-7)

まず、1~7節をご覧ください。「1 イスラエルの王ヤロブアムの第二十七年に、ユダの王アマツヤの子アザルヤが王となった。2 彼は十六歳で王となり、エルサレムで五十二年間、王であった。彼の母の名はエコルヤといい、エルサレム出身であった。3 彼は、すべて父アマツヤが行ったとおりに、【主】の目にかなうことを行った。4 ただし、高き所は取り除かれなかった。民はなおも、その高き所でいけにえを献げたり、犠牲を供えたりしていた。5 【主】が王を打たれたので、彼は死ぬ日までツァラアトに冒された者となり、隔離された家に住んだ。王の子ヨタムが宮殿を管理し、民衆をさばいた。6 アザルヤについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。7 アザルヤは彼の先祖とともに眠りについた。人々は彼をダビデの町に先祖とともに葬った。彼の子ヨタムが代わって王となった。」

話は、再び南ユダになります。イスラエルの王がヤロブアムの時、その27年目に、アマツヤの子アザルヤが南ユダの王となりました。彼の別名は「ウジヤ」と言い、ユダの王たちの中では善王に数えられています。彼は16歳で王となりました。というのは、彼の父アマツヤが北イスラエルとの戦いに敗れ連行されていたからです。アザルヤは、その時に王に即位しました。それは、B.C.767年のことです。

彼は、すべて父アマツヤが行ったとおりに、主の目にかなうことを行いました。しかし、父アマツヤ同様、高きところは取り除きませんでした。高き所とは、偶像礼拝が行われていた場所のことです。そこを破壊せず放置しておいたのです。そのため民はなおも、その高き所でいけにえを捧げたり、犠牲を供えたりしていました。これは、律法に違反していたということです。モーセの律法では、主が定められた場所以外でいけにえを捧げることが禁じられていました(申命記12:2~7)。それをことごとく破壊しなければならなかったのにしませんでした。偶像礼拝のために用いたものを、神を礼拝するために用いることはできません。けれどもアザルヤは、それを取り除かなかったのです。これは私たちにも言えることです。私たちも過去の罪と決別しなければなりません。その上に信仰を築き上げることはできないからです。

その結果、アザルヤはどうなったでしょうか。5節には、「【主】が王を打たれたので、彼は死ぬ日までツァラアトに冒された者となり、隔離された家に住んだ。王の子ヨタムが宮殿を管理し、民衆をさばいた。」とあります。彼は主に打たれてツァラアトに冒されました。ツァラアトは重い皮膚病で、汚れているとされていたので、社会から隔離されなければなりませんでした。彼は隔離された家で生活することを余儀なくされたのです。それで息子のヨタムと共同で統治することになりました。それは10年間続くことになります。これは神のさばきによるものでした。最終的に彼は先祖たちとともに眠りにつき、その遺体は、ダビデの町の王たちの墓に葬られました。

アザルヤはユダの王たちの中で最も影響力のあった王のひとりです。彼の働きによってユダは領地を拡大することができました。主なる神の祝福を受けたのです。にもかかわらず、最終的に彼はツァラアトに冒されて隔離された生活を強いられました。いったい何が問題だったのでしょうか。そのような祝福の陰に高慢という落とし穴があったのです。箴言16:18には、「高慢は破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。」私たちはこのアザルヤの失敗から学び、どんな時も主の御前にへりくだって歩みたいと思います。

Ⅱ.北イスラエルの王たちと第一次アッシリア捕囚(8-31)

次に、8~31節をご覧ください。ここには、ユダの王アザルヤの時代に北イスラエルの王たちはどうであったかが記録されています。北イスラエルでは、謀反が繰り返され、王たちが目まぐるしく交代し、ついにはアッシリアによって滅ぼされてしまうことになります。「8 ユダの王アザルヤの第三十八年に、ヤロブアムの子ゼカリヤがサマリアでイスラエルの王となり、六か月の間、王であった。9 彼は先祖たちがしたように、【主】の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。10 ヤベシュの子シャルムは、彼に対して謀反を企て、民の前で彼を打ち殺し、彼に代わって王となった。11 ゼカリヤについてのその他の事柄は、『イスラエルの王の歴代誌』にまさしく記されている。12 【主】がかつてエフーに告げられたことばは、「あなたの子孫は四代までイスラエルの王座に着く」ということであったが、はたして、そのとおりになった。13 ヤベシュの子シャルムは、ユダの王ウジヤの第三十九年に王となり、サマリアで一か月間、王であった。14 ガディの子メナヘムは、ティルツァから上ってサマリアに至り、ヤベシュの子シャルムをサマリアで打ち、彼を殺して、彼に代わって王となった。15 シャルムについてのその他の事柄、彼が企てた謀反は、『イスラエルの王の歴代誌』にまさしく記されている。16 そのとき、メナヘムはティルツァから出て、ティフサフとその住民、その領地を討った。彼らが城門を開かなかったので、その中のすべての妊婦たちを打ち殺して切り裂いた。17 ユダの王アザルヤの第三十九年に、ガディの子メナヘムがイスラエルの王となり、サマリアで十年間、王であった。18 彼は【主】の目に悪であることを行い、一生の間、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。19 アッシリアの王プルがこの国に来たとき、メナヘムは銀千タラントをプルに与えた。プルの援助によって、王国を強くするためであった。20 メナヘムは、イスラエルのすべての有力者にそれぞれ銀五十シェケルを供出させ、これをアッシリアの王に与えたので、アッシリアの王は引き返し、この国にとどまらなかった。21 メナヘムについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。22 メナヘムは先祖とともに眠りにつき、その子ペカフヤが代わって王となった。23 ユダの王アザルヤの第五十年に、メナヘムの子ペカフヤがサマリアでイスラエルの王となり、二年間、王であった。24 彼は【主】の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。25 彼の侍従、レマルヤの子ペカは、彼に対して謀反を企て、サマリアの王宮の高殿で、ペカフヤとアルゴブとアルエを打ち殺した。ペカには五十人のギルアデ人が加わっていた。ペカはペカフヤを殺し、彼に代わって王となった。26 ペカフヤについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのことは、『イスラエルの王の歴代誌』にまさしく記されている。27 ユダの王アザルヤの第五十二年に、レマルヤの子ペカがサマリアでイスラエルの王となり、二十年間、王であった。28 彼は【主】の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。29 イスラエルの王ペカの時代に、アッシリアの王ティグラト・ピレセルが来て、イヨン、アベル・ベテ・マアカ、ヤノアハ、ケデシュ、ハツォル、ギルアデ、ガリラヤ、ナフタリの全土を占領し、その住民をアッシリアへ捕らえ移した。30 そのとき、エラの子ホセアはレマルヤの子ペカに対して謀反を企て、彼を打ち殺して、ウジヤの子ヨタムの第二十年に、彼に代わって王となった。31 ペカについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのことは、『イスラエルの王の歴代誌』にまさしく記されている。」

ここから、アザルヤすなわちウジヤがユダで王であったときの、イスラエルの王について書かれています。謀反から謀反へ、短い期間しか王たちは統治しませんでした。アザルヤの第三十八年に北イスラエルの王となったのは、ヤロブアムの子ゼカリヤでしたが、その治世はわずか六か月でした。それは彼が先祖たちがしたように、主の目の前に悪であることを行ったからです。彼はイスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかったからです。彼はヤベシュの子シャロムの謀反によって殺されます。それでシャロムが、彼に代わって王になりました。

ここで注目したいことは、それはかつて主がエフーに告げた通りであったということです。12節に、そのことが記されてあります。主はエフーに「あなたの子孫は四代までイスラエルの王座に着く」(Ⅱ列王10:30)と告げられましたが、はたして、そのとおりになったのです。彼はアハブ家の者たちに対して主が心に定めたことをことごとく行いましたが、その後、ヤロブアムの道を歩んだことによって、神の祝福がとどめられてしまったのです。それで彼(エフー)に告げられた通り、彼の子孫は四代目までイスラエルの王座に着くことができましたが、その後、家系が途絶えてしまったのです。ゼカリヤはその王朝の四代目の王だったのです。

謀反を企てたヤベシュの子シャルムは、ユダの王ウジヤの第三十九年に王となりましたが、その治世はわずか一か月でした。ガディの子メナヘムによって殺されてしまったからです。これは北王国の歴史では2番目に短い記録です。最短は、ジムリの7日間です(Ⅰ列王16:15~20)。シャルム王朝は北王国では第六番目の王朝でしたが、彼一代で終わりました。

彼の後に王となったのは、シャルムを暗殺したメナヘムでした。メナヘムはティルツァから出て、ティサフとその住民、その領地を打ち、その中のすべての妊婦たちを打ち殺して切り裂くということをしました。ティサフの住民は彼を王として認めず、城門を閉じて抵抗姿勢を示したからです。それでメナヘムはこの町を攻撃し、徹底的に破壊したのです。それにしても自国民の妊婦を切り裂くなんて何とも残忍な男です。彼がこのような残忍な行為に及んだのは、抵抗する可能性のある他の町々を恐れされるためでした。今でも北朝鮮などでは公開処刑が行われていますが、同じようなことです。

メナヘムは、イスラエルの王となると、サマリアで十年間王として治めました。彼は主の目の前に悪であることを行い、一生の間、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れませんでした。

19節と20節をご覧ください。ここにⅡ列王記では初めてアッシリアについての言及があります。「アッシリアの王プルがこの国に来たとき、メナヘムは銀千タラントをプルに与えた。プルの援助によって、王国を強くするためであった。メナヘムは、イスラエルのすべての有力者にそれぞれ銀五十シェケルを供出させ、これをアッシリアの王に与えたので、アッシリアの王は引き返し、この国にとどまらなかった。」

「アッシリアの王プル」とは、ティグラテ・ピレセル3世(Ⅱ列王15:29)のことです。当時、イスラエルに敵対していたシリアの力が弱くなり、代わりにアッシリアが台頭しつつありました。そのアッシリアが北王国に侵入して来たのです。それでメナヘムはどうしたかというと、アッシリアに犯行するのではなく、アッシリアの援助によって自らの統治を強くしようと考えました。それで彼はアッシリアの王プルに銀一千タラントを与えました。メナヘムはこれを、イスラエルのすべての有力者に銀五十シェケルを供出させることによって集めました。この五十シェケルというのは、当時アッシリアで奴隷ひとりの価格とされていた額です。そのことは、イスラエルの民がアッシリアの奴隷となったことを象徴しているかのようでした。真の神に仕えない人は、やがて別のものの奴隷となります。私たちはキリストにあって自由にされた者です。私たちが使えるのは真の王であり神であられるイエス・キリストだけであることを覚え、この方だけに仕えましょう。貢物を受けたプルは、満足してアッシリアに引き返し、北王国にとどまりませんでした。

メナヘムが死んだ後でイスラエルの王となったのは、その子ペカフヤでした。彼はユダの王アザルヤの第五十年にサマリアで王となり、2年間、北王国を治めました。彼は主の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れませんでした。北王国の後半の王たちは、力によって王座に着いた者たちばかりですが、ペカフヤの場合は例外で、王位を父メナヘムから継承しました。しかし、彼の治世は二年間という短い期間で終わりました。彼もまた、謀反によって暗殺されたからです。

彼を殺したのは、彼の侍従、レマルヤの子ペカです。ペカは彼に対して謀反を企て、サマリアの王宮の高殿で、ペカフヤとアルゴブとアルエを打ち殺しました。侍従とは、軍の司令官のことです。彼にはヨルダン川の東岸から来て加わった50人の部下がいました。彼らとともにペカフヤを打ったのです。「サマリアの王宮の高殿」は砦のようになっており、町の中では最も安全な場所ですが、彼はそこで殺されました。どんなに安全と思われる場所であっても、神から離れたら限界があります。ペカフヤの問題も、主の目の前に悪であることを行ったことです。神から離れたらどんなに安全だと思われる砦でも危険です。真の安全は、ただ全能者であられる神イエス・キリストの御翼の陰に宿ることです。

ペカフヤの後に北王国の王となったのは、彼を暗殺したペカです。ペカはサマリアでイスラエルの王になると、20年間イスラエルを治めました。彼もまた、彼以前の王たちと同じように、ネバテの子ヤロブアムの罪から離れることはありませんでした。

29節と30節をご覧ください。このイスラエルの王ペカの時代に、アッシリアのティグラト・ピレセルが来て、イヨン、アベル・ベテ・マアカ、ヤノアハ、ケデシュ、ハツォル、ギルアデ、ガリラヤ、ナフタリの全土を占領し、その住民をアッシリアへ捕らえ移しました。第一次アッシリア捕囚です。B.C.734年のことです。サマリアの町は残っていましたが、次の王ホセアの時にサマリアも陥落し、北イスラエルは完全に滅びてしまうことになります。ここまで、イスラエルが悪を繰り返し、謀反に謀反を重ね、神に立ち返ることがなかったからです。

このとき、エラの子ホセアはペカに対して謀反を企て、彼を撃ち殺し、彼に代わって王になりました。そのホセアも後にアッシリアによって滅ぼされ、北王国は完全に滅んでしまうことになります。B.C.722年のことです。

悲しいことですが、主を立ち返ることをせず悪に悪を重ねる民は、滅びの道をたどるしかありません。今からでも決して遅くはありません。神は悔い改めてご自身の下に立ち返る者を赦し、受け入れてくださいます。悔い改めることの重要性とどこまでも忍耐してそれを待っておられる神の恵みを改めて覚えさせられます。

Ⅲ.信仰を試す神からのテスト(32-38)

最後に、32~38節をご覧ください。「32 イスラエルの王レマルヤの子ペカの第二年に、ユダの王ウジヤの子ヨタムが王となった。33 彼は二十五歳で王となり、エルサレムで十六年間、王であった。彼の母の名はエルシャといい、ツァドクの娘であった。34 彼は、すべて父ウジヤが行ったとおりに、【主】の目にかなうことを行った。35 ただし、高き所は取り除かれなかった。民はなおも、高き所でいけにえを献げたり、犠牲を供えたりしていた。彼は【主】の宮の上の門を建てた。36 ヨタムが行ったその他の事柄、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。37 そのころ、【主】はアラムの王レツィンとレマルヤの子ペカを、ユダに対して送り始められた。38 ヨタムは先祖とともに眠りにつき、先祖とともにその父ダビデの町に葬られた。彼の子アハズが代わって王となった。」

イスラエルの王レマルヤの子ペカの第二年に、ユダの王ウジヤの子ヨタムが王となりました。ウジヤ王は52年間という長い間ユダを治めました。その後に王となったのがウジヤの子ヨタムです。彼は25歳で王になると、エルサレムで16年間、王でした。

彼はすべて父ウジヤが行ったとおりに、主の目にかなうことを行いましたが、高き所は取り除くことができませんでした。それで民はなおも、高き所でいけにえを捧げたり、犠牲をささげたりしていました。つまり、偶像礼拝の場をそのまま容認したということです。偶像礼拝はそれほど民の心に沁みついていたということです。それを取り除くことは並大抵のことではありません。それはヨタムに限ったことではありません。私たちの心の偶像を取り除くことも容易いことではありません。神の力が無ければ決して取り除くことはできません。神の力、聖霊の力をいただいて、心の偶像を取り除きましょう。

このヨタムが行った良い業の一つは、「主の宮の上の門を建てた」ということです。それは神殿の北の門を再建したということです。これは主を礼拝することを促すための行われた工事でした。彼は数々の良い業を行いましたが、肝心なことが抜けていたら、それらのことはすべてむなしいものになります。それは神を第一にして生きることです。神を愛し、神に信頼し、神に従うこと。これに勝る良い業はありません。主が求めておられることは、主に聞き従うことだからです。彼はこの肝心なことが抜けていたので、彼の良い業も何の意味もありませんでした。

37節をご覧ください。「そのころ、【主】はアラムの王レツィンとレマルヤの子ペカを、ユダに対して送り始められた。」

「そのころ」とは、ヨタムとその子アハズの治世のころのことです。南王国は、北方からの攻撃に悩まされていました。アラムの王レツィンと北王国の王のペカが、ユダに圧力をかけていたのです。彼らは南王国を味方につけて、アッシリアに対抗しようとしていたのです。ユダの王たちは困難な決断を迫られていました。アラムの王レツィンと北王国の王ペカの同盟に参加してアッシリアと戦うか、それとも逆に、アッシリアの援助を受けて、レツィンとペカの同盟国と戦うかです。37節には、これはユダに対して主が送り始められたことであるとあります。すなわち、主が期待していたのはそのどちらでもなく、ただ主だけに信頼して歩むことでした。すなわち、地上の権力に頼るのではなく、ただ主だけに信頼することです。そうです、こうした北からの脅威は、ユダの王の信仰を試す主からのテストだったのです。それは主が私たちにも送っておられるものです。こうした信仰の試練に会うとき、あなたはどのように対処していますか。試練の時こそ信仰の真価が問われます。人間的な考え、肉の思いで決断するのではなく、ただ神を見上げ、神に信頼しましょう。それが神が喜ばれる道であり、真に私たちが守られる道なのです。