Ⅱサムエル記4章

きょうは、Ⅱサムエル記4章から学びたいと思います。

 

Ⅰ.アブネル死後の全イスラエル(1-4)

 

まず、1-4節までをご覧ください。「サウルの子イシュ・ボシェテは、アブネルがヘブロンで死んだことを聞いて、気力を失った。全イスラエルもおじ惑った。サウルの子イシュ・ボシェテのもとに、二人の略奪隊の隊長がいた。一人の名はバアナ、もう一人の名はレカブといって、二人ともベニヤミン族のベエロテ人リンモンの息子であった。ベエロテもベニヤミンに属すると見なされていたのである。ベエロテ人はギタイムに逃げて、そこで寄留者となった。今日もそうである。さて、サウルの子ヨナタンに、足の不自由な息子が一人いた。その子が五歳のときのこと、サウルとヨナタンの悲報がイズレエルからもたらされ、彼の乳母は彼を抱いて逃げた。そのとき、あまりに急いで逃げたので、彼を落としてしまった。そのために足の萎えた者になったのであった。彼の名はメフィボシェテといった。」

 

サウルの子イシュ・ボシェテは、アブネルが死んだことを聞いて、気力を失いました。イシュ・ボシェテを王とし、サウルの家の軍隊を動かしてきたのは、このアブネルだったからです。そのアブネルが死んだことで、サウルの家は大黒柱を失ってしまいました。気力を失ったのはイシュ・ボシェテだけではありません。全イスラエルがそうでした。ここに「全イスラエルもおじ惑った」とあるように、全イスラエルもうろたえたわけです。こうして、サウルの家は崩壊寸前の状態になったのです。

 

2節には、イシュ・ボシェテのもとに、二人の略奪隊の隊長がいた、とあります。一人の名はバアナで、もう一人の名はレカブです。「バアナ」という名前の意味は「悩みの子」、「レカブ」は「騎兵団」です。彼らはサウルと同じベニヤミン族ベエロテ人リンモンの息子たちでした。どうしてここに彼らのことが書かれてあるのかというと、彼らは、アブネルの死をきっかけに陰謀を企てていたからです。それは、この後のところを見るとわかりますが、イシュ・ボシェテを取り除くことで自分たちが利益を得ようとしていたのです。

 

その前に4節をご覧ください。ここには、サウルの子ヨナタンに、足の不自由な息子が一人いたことが記されてあります。誰ですか?そうです、メフィボシェテです。どうしてここに彼のことが記されてあるのでしょうか。それは、イシュ・ボシェテが退けられたとしたら、サウルの家には彼しか残らなかったからです。彼はサウルの孫にあたります。しかし、彼は両足に障害を持っていました。サウルとヨナタンがペリシテ人との戦いにおいてイズレエルで殺された時、彼の乳母が彼を抱いて逃げたのですが、あまりに急いで逃げたため、不注意から彼を落としてしまったのです。そのために足がなえた者となってしまいました。つまり、彼が王位に就く可能性はなくなってしまったわけです。ということは、実質的に残されていたのはイシュ・ボシェテだけということになります。このイシュ・ボシェテを取り除くことができれば、ダビデが統一王国の王となる日が近づくことになります。そのために荷担したのがバアナとレカブだったのです。しかしダビデはあくまでも神の方法によって、神が定めた時に王になろうと決めていました。そのようにして王になることを求めていなかったのです。

 

それは、ダビデがこの後でヨナタンの子メフィボシェテをどのように扱ったかを見るとわかります。彼はメフィボシェテがヨナタンの息子であるという理由で、彼を厚遇するようになります。Ⅱサムエル9:7には、「ダビデは言った。「恐れることはない。私は、あなたの父ヨナタンのゆえに、あなたに恵みを施そう。あなたの父祖サウルの地所をすべてあなたに返そう。あなたはいつも私の食卓で食事をすることになる。」とあります。ここに「あなたの父ヨナタンのゆえに」とありますが、これはかつて彼がヨナタンと交わした友情の契約のゆえにということです。その契約とは、ヨナタンが自らの危険を冒してでもダビデを無事に逃がすという代わりに、彼の恵みをヨナタンの家からとこしえに断つことがないようにというものでした(Ⅰサムエル20:14~16)が、ダビデはその通りに行うのです。

 

ここにダビデの信仰を見ます。自分の思いではなくあくまでも主に従うという姿勢です。それがどのようになるにせよ、神に信頼し、神の方法で、神の定めた時を待っていたのです。箴言19:21には、「人の心には多くの思いがある。しかし、主の計画こそが実現する。」とあります。その主の計画、主のはかりごとを待ち望む者でありたいと思います。

 

Ⅱ.レカブとバアナの蛮行(5-8)

 

5~12節までをご覧ください。「さて、ベエロテ人リンモンの子のレカブとバアナが、日盛りのころ、イシュ・ボシェテの家にやって来た。そのとき、イシュ・ボシェテは昼寝をしていた。彼らはやって来て、小麦を扱う者として家の中まで入り込み、彼の下腹を突いた。レカブとその兄弟バアナは逃げた。すなわち、彼らが家に入ったとき、イシュ・ボシェテが寝室の寝床で寝ていたので、彼らは彼を突き殺して首をはねた。彼らはその首を持って、一晩中アラバへの道を歩いて行った。彼らはイシュ・ボシェテの首をヘブロンのダビデのもとに持って来て、王に言った。「ご覧ください。これは、あなたのいのちを狙っていたあなたの敵、サウルの子イシュ・ボシェテの首です。【主】は今日、わが主、王のために、サウルとその子孫に復讐されたのです。」」

 

それで、レカブとバアナはどうしたでしょうか。5~7節をご覧ください。彼らは、日盛りのころ、イシュ・ボシェテの家にやって来て、彼の下腹を突いて首をはねました。「日盛りのころ」とは「お昼ころ」という意味です。暑い地方では、日盛りのころは昼寝をするのが習慣で、イシュ・ボシェテも昼寝をしていましたが、彼らは、小麦を扱う者であることを装い家の中まで入り込むと、昼寝をしていたイシュ・ボシェテの下腹を突いて殺したのです。それで彼らはどうしたでしょうか。彼らはその首を持って、一晩中アラバへの道を歩いて行きました。すなわち、イシュ・ボシェテの首を、ヘブロンのダビデのもとに持って行ったのです。いったいン彼らはなぜこんなことをしたのでしょうか。

 

8節をご覧ください。彼らはダビデのもとにやって来て、こう言いました。「ご覧ください。これは、あなたのいのちを狙っていたあなたの敵、サウルの子イシュ・ボシェテの首です。主は今日、わが主、王のために、サウルとその子孫に復讐されたのです。」

彼らのこの言葉には、このことをダビデが喜ぶと堅く信じていたことが伺えます。当然、何らかのほうびがもらえるものと期待していたでしょう。

 

Ⅲ.ダビデの対応(9-12)

 

それに対して、ダビデは何と言ったでしょうか。ダビデにこう言いました。9~11節です。「主は生きておられる。主は私のたましいを、あらゆる苦難から贖い出してくださった。かつて私に『ご覧ください。サウルは死にました』と告げて、自分では良い知らせをもたらしたつもりでいた者を、私は捕らえて、ツィクラグで殺した。それが、その良い知らせへの報いであった。まして、この悪者どもが、一人の正しい人を家の中で、しかも寝床の上で殺したとなれば、私は今、彼の血の責任をおまえたちに問い、この地からおまえたちを除き去らずにいられようか。」

 

ダビデはこのような蛮行を歓迎するような人物ではありませんでした。かつて彼は、サウルの王冠と腕輪を持ってサウルの死を告げ知らせに来たアマレク人を処罰したことがありました(1章)が、今回はもっとひどいものでした。一人の正しい人を家の中で、しかも寝床の上で殺したのです。であれば、彼らがその血の責任を負うのは当然のことです。そこでダビデは、若者たちに命じて、彼らを処刑しました。ただ処刑しただけではありません。彼らの遺体は、手と足が切り離され、ヘブロンの池のほとりで木に吊るされたのです。しかし、イシュ・ボシェテの首は、ヘブロンにあるアブネルの墓に丁重に葬られました。

 

ここから、ダビデがどういう人物であったかがわかります。ダビデは徹底してすべてを主にゆだねていました。1章においては、自分のいのちを狙っていたサウルの死でさえ喜ぶどころか、むしろ深く痛み悲しみました。ここでもサウルの子イシュ・ボシェテの死が死んだとき、それを喜ぶどころか、不当な手段でイシュ・ボシェテを殺したレカブとバアナを厳しく処罰しました。ダビデは、自分が手を下さなくても主が正しくさばいてくださると信じていたのです。それなのに、彼らは自分の利益を考え、自分の手を下してしまいました。それはダビデが願っていたこととは全く違っていました。ダビデは、あくまでも主のみこころを求めていたのです。

 

それは、9節を見てもわかります。ここで彼は、「主は生きておられる。主は私のたましいを、あらゆる苦難から贖い出してくださった。」と告白しています。預言者サムエルから油を注がれ、王となるとの預言を受けてからそれが実現するまでに、実にさまざまな苦難がありました。しかし、それがどのような苦難であっても、主はあらゆる苦難から彼を救い出してくださいました。これが彼の信仰です。彼は主がどのような方であるのかを体験として知っていたのです。それはこれからも同じです。これから先も幾多の苦難が待ち構えているでしょう。しかしそれがどんな苦難であっても、主は必ず救い出してくださるという信仰の確信がありました。それゆえ、自分から手を下す必要はなかったのです。彼は、神が用意された方法で、神のみこころなら、あのことをしよう、このことをしようと、すべてを神にゆだね、神のみこころに歩もうとしたのです。

 

これはクリスチャンである私たちにも言えることです。私たちも、日々の生活の中で困難に直面すると、ついつい自分の思いで動いてしまいますが、すべてを神にゆだね、神の解決と神の救いを待ち望みながら歩んでいかなければなりません。「主は生きておられる。主は私のたましいを、あらゆる苦難から贖い出してくださった。」この主は、これからも同じです。この主に信頼して、主のみこころを知り、みこころに歩んでいきたいと思います。

Ⅱサムエル記3章

今日は、Ⅱサムエル3章から学びたいと思います。

 

Ⅰ.ダビデの息子たち(1-5)

 

まず、1-5節までをご覧ください。「サウルの家とダビデの家の間には、長く戦いが続いた。ダビデはますます強くなり、サウルの家はますます弱くなった。ダビデにはヘブロンで子が生まれた。長子はイズレエル人アヒノアムによるアムノン。次男はカルメル人ナバルの妻であったアビガイルによるキルアブ。三男はゲシュルの王タルマイの娘マアカの子アブサロム。四男はハギテの子アドニヤ。五男はアビタルの子シェファテヤ。六男はダビデの妻エグラによるイテレアム。これらの子がヘブロンでダビデに生まれた。」

 

サウルの家とダビデの家の間には、長く戦いが続きました。しかし、ダビデはますます強くなり、サウルの家はますます弱くなりました。その結果、6節以降にあるように、サウルの家の将軍アブネルは、ダビデに和解を申し出るようになります。その前に、ダビデがヘブロンにいる間に生まれた子どもたちの名前が列挙されています。ダビデには6人の息子たちが生まれました。長男はイズレエル人アヒノアムが産んだアムノン、次男はカルメル人アビガイルが産んだギルアブ、三男がゲショルの王タルマイの娘マテカの娘アブシャロム、四男はハギテの子アドニヤ、五男はアビタルの子シェファテヤ、六男がダビデの妻エグラによるイテレアムです。

 

ここで問題になるのは、これら6人の息子たちが、それぞれ別々の母親から産まれていることです。ダビデは以前より妻としていたアヒノアムとアビガイル以外にも、多くの女を妻としていたのです。そして、彼が後にエルサレムに行ってからも、さらに妻を加えるのですが、その結果、家庭内に多くの問題を抱えることになります。後に、アムノンはアブシャロムの妹タマルに恋して悩み、タマルを犯してしまいます。その後、アムノンはタマルに対して激しい憎しみにかられ彼女を追い出してしまいますが、それが原因となって兄アブシャロムがアムノンを殺害するという事件が起こるのです。ここからダビデとアブシャロム親子の葛藤劇が始まります。その原因を作ったのは、ダビデ自身でした。申命記17:17にはモーセを通して「王は、自分のために多くの妻を持って、心がそれることがあってはならない。自分のために銀や金を過剰に持ってはならない。」という律法がありますが、彼はその戒めを守らなかったからです。

 

ダビデも完璧な人間ではありませんでした。ダビデのように神に用いられた器であっても、間違いを犯すことがあるのです。そして、神の御心にかなわない行動をすれば、その刈り取りもすることになります。確かに、当時は王が権力を持つために結婚が利用されることがありました。いわゆる政略結婚です。相手の国と良い関係を持ち、互いに戦うことがないようにするために、その王の娘と結婚して縁戚関係を結ぶのです。しかし、たとえそうであっても、神のみことばに立たなければなりません。人を恐れるとわなにかかります。しかし、主に信頼する者は守られます。人との関係よりも神との関係を優先し、神の御心にしっかりと立つことが求められます。

 

Ⅱ.アブネルの死(6-30)

 

次に、6~30節までを見ていきたいと思います。まず11節までをご覧ください。「サウルの家とダビデの家が戦っている間に、アブネルがサウルの家で勢力を増していた。サウルには、アヤの娘で、名をリツパという側女がいた。イシュ・ボシェテはアブネルに言った。「あなたはなぜ、私の父の側女と通じたのか。」アブネルはイシュ・ボシェテのことばを聞くと、激しく怒って言った。「この私がユダの犬のかしらだとでも言うのか。今日、私はあなたの父サウルの家と、その兄弟と友人たちに真実を尽くして、あなたをダビデの手に渡さないでいる。それなのに今日、あなたは、あの女のことで私をとがめるのか。【主】がダビデに誓われたとおりのことを、もし私がダビデのために果たさなかったなら、神がこのアブネルを幾重にも罰せられるように。それは、サウルの家から王位を移し、ダビデの王座を、ダンからベエル・シェバに至るイスラエルとユダの上に堅く立てるということだ。」イシュ・ボシェテはアブネルを恐れていたので、彼に、もはや一言も返すことができなかった。」

 

サウルの家とダビデの家が戦っている間に、将軍アブネルがサウルの家で勢力を増していました。彼はサウルの息子イシュ・ボシェテを王に立てイスラエル王国の確立を図り、自らを将軍としていました。本当は自らが王になりたかったのでしょう。この後に起こった事件の時に、彼がイシュ・ボシェテに発した言葉からそのことを垣間見ることができます。

 

サウルには、アヤの娘で、リツパというそばめがいましたが、アブネルは彼女と通じたのです。するとイシュ・ボシェテはそのことでアブネルをとがめました。それは単に性的な関係を持ったということではなく、別のことを意味していたからです。当時の中近東では、新しく王になった者は、以前の王のそばめのところに入ることによって、自分が王権を奪い取ったことを人々に示したのです。つまり、アブネルがサウルのそばめに入ったということは、自分が王となったことを宣言しているようなものだったのです。ですから、イシュ・ボシェテが恐れたのは、アブネルが権力を増していったことだったのです。

 

それに対してアブネルは、異常なほど感情的な反応を示しました。彼は激怒し、今まで自分は忠誠の限りを尽くしてきたのになぜ自分を責めるのかと反論しました。さらに、これを契機に、ダビデ支持に回ると宣言しました。彼は知っていたのです。ダビデが神によって選ばれた王であるということを。しかし、彼はイシュ・ボシェテを王に立てて、神が言われたことに反発していました。しかし、イシュ・ボシェテからとがめられたときそれをきっかけに、神の御心に従おうと思ったのです。イシュ・ボシェテは、アブネルのあまりの剣幕に、それ以上一言も言い返すことができませんでした。

 

このアブネルの中に、罪人の典型的な姿が見られます。彼は自分の非を責められると激怒し、自分に都合の良いように方針を変更しました。そもそもイシュ・ボシェテを擁立したのも自分の益になると判断したからです。しかし、それがうまくいないと、今度は簡単に方針を変更しました。彼の行動の動機は、自分の益になるかどうかということでした。私たちは改めてイエス様がゲッセマネの園で祈られた祈りを思い出します。イエス様は、「私の願いではなく、あなたのみこころがなりますように」(ルカ22:42)と祈られました。私たちもイエス様のように、「私の思いではなく、あなたのみこころが成りますように」と祈りたいと思います。

 

次に12~21節をご覧ください。「アブネルはダビデのところに使者を遣わして言った。「この国はだれのものでしょうか。私と契約を結んでください。ご覧ください。私は全イスラエルをあなたに移すのに協力します。」ダビデは言った。「よろしい。あなたと契約を結ぼう。しかし、条件が一つある。それは、あなたが私に会いに来るときは、まずサウルの娘ミカルを連れて来ること、そうでなければ私に会えないということだ。」ダビデはサウルの子イシュ・ボシェテに使者を遣わして言った。「私がペリシテ人の陽の皮百をもってめとった、私の妻ミカルを返していただきたい。」イシュ・ボシェテは人を遣わして、彼女をその夫、ライシュの子パルティエルから取り返した。彼女の夫は泣きながら彼女の後を追ってバフリムまで来たが、アブネルが「行け。帰れ」と言ったので、彼は帰った。アブネルはイスラエルの長老たちと話してこう言った。「あなたがたは、かねてから、ダビデを自分たちの王とすることを願っていた。今、それをしなさい。【主】がダビデについて、『わたしのしもべダビデの手によって、わたしはわたしの民イスラエルをペリシテ人の手、およびすべての敵の手から救う』と言われたからだ。」アブネルはまた、ベニヤミン人とじかに話し合った。それから、アブネルはまた、ヘブロンにいるダビデのところへ行き、イスラエルとベニヤミンの家全体が良いと思っていることを、すべて彼の耳に入れた。アブネルは二十人の部下とともにヘブロンのダビデのもとに来た。ダビデはアブネルとその部下のために祝宴を張った。アブネルはダビデに言った。「私は、全イスラエルをわが主、王のもとに集めに出かけます。彼らがあなたと契約を結び、あなたが、お望みどおりに王として治められるようにいたしましょう。」ダビデはアブネルを送り出し、アブネルは安心して出て行った。」

 

早速、アブネルはダビデに使者を遣わし、契約を結ぶことにしました。全イスラエルをダビデの支配下に移すのに協力すると約束したのです。

ダビデはその申し出を受け入れ契約を結ぼうとしましたが、そのために一つの条件を提示しました。それは、サウルの娘ミカルを連れて来るということでした。ミカルは元々ダビデの妻でしたが、サウルがダビデのことをますます妬ましく思うようになると、彼女を他の男に与えて、ダビデから取り上げてしまったのです。そこでダビデは今、そのミカルを返してくれるように要求したのです。もしミカルが子を産むなら、その子はダビデの家とサウルの家を和解させる人物になるでしょう。まさに平和の子となります。

ダビデのこの願いはイシュ・ボシェテを通して実行に移され、ミカルは別れを惜しむ夫パルティエルからダビデのもとに返されました。ここには「その夫」とありますが、元々はダビデが夫であって、その婚姻関係は解消されてはいなかったので、法的にはまだダビデが正当な夫です。

 

ダビデを全イスラエルの王とするのにあたり、アブネルはイスラエルの長老たちと話をして説得しました。実は、イスラエルの長老たちもダビデを自分たちの王とすることを望んでいました。歴代誌を見ると、ユダ族以外のイスラエルの部族が、次第にダビデになびいていく様子が描かれています。自然にダビデを王とする方向へと向かっていたのです。主がダビデを選ばれ、そして主がイスラエル全体を動かしておられたことがわかります。人は、神の計画に反対するようなことをしますが、そのような人間の試みが空しいことを教えてくれます。御霊の働きによって、主の計画だけが成るのです。

 

アブネルは、ダビデを全イスラエルの王としても良いという約束を取り付けると、20人の部下を引き連れてヘブロンにいるダビデのもとに行き、そのことを伝えました。するとダビデはアブネルを歓迎して祝宴を張りました。それは、ダビデがアブネルの提案を受け入れたということです。身の安全を保証されたアブネルは、安心して帰路に着きました。

 

ダビデは実に平和の人でした。イスラエル王国が弱体化しているなら、武力を行使することもできたはずです。また、ヘブロンに来た敵方の将軍アブネルを暗殺することもできました。しかし彼は、血を流すことを避け、平和の道を選びました。これが、クリスチャンが追い求める道です。へブル14:12には「すべての人との平和を追い求め、また、聖さを追い求めなさい。」とあります。ローマ14:19には「ですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つことを追い求めましょう。」とあります。クリスチャンが追い求めなければならないのはすべての人との平和です。確かにダビデは主が戦うようにと命じられた時は必死に戦いましたが、そうでない時は血を流すことを避けました。私たちは、互いに平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つことを求める者でありたいと思います。

 

22~30節をご覧ください。そうしたダビデの思いとは裏腹に、乱暴で、血を流すのに早い者たちの姿を見ます。ヨアブです。「ちょうどそこへ、ダビデの家来たちとヨアブが略奪から帰り、たくさんの分捕り物を持って来た。しかし、アブネルはヘブロンのダビデのもとにはいなかった。ダビデがアブネルを送り出し、もう安心して出て行っていたからである。ヨアブと、彼とともにいた軍勢がみな帰って来たとき、「ネルの子アブネルが王のところに来たが、王がアブネルを送り出したので、彼は安心して出て行った」とヨアブに知らせる者があった。ヨアブは王のところに来て言った。「何ということをなさったのですか。ご覧ください。アブネルがあなたのところに来たのです。なぜ、彼を送り出して、出て行くままにされたのですか。あなたはネルの子アブネルのことをご存じのはずです。彼はあなたを惑わし、あなたの動静を探り、あなたのなさることを残らず知るために来たのです。」ヨアブはダビデのもとを出てから使者を遣わし、アブネルの後を追わせ、彼をシラの井戸から連れ戻させた。しかし、ダビデはそのことを知らなかった。アブネルはヘブロンに戻った。ヨアブは彼とひそかに話そうと、彼を門の内側に連れ込み、そこで彼の下腹を刺した。こうして、アブネルは、彼がヨアブの弟アサエルの血を流したことのゆえに死んだ。 後になって、ダビデはそのことを聞いて言った。「ネルの子アブネルの血については、私も私の王国も、【主】の前にとこしえまで潔白である。その血は、ヨアブの頭と彼の父の家の全員に降りかかるように。またヨアブの家には、漏出を病む者、皮膚をツァラアトに冒される者、糸巻きをつかむ者、剣で倒れる者、食に飢える者が絶えないように。」ヨアブとその兄弟アビシャイがアブネルを殺したのは、アブネルが彼らの弟アサエルをギブオンでの戦いで殺したからであった。」

 

ちょうどそこへ、ダビデの家来たちとヨアブが略奪から帰り、たくさんの分捕り物を持って来ました。しかし、アブネルはヘブロンのダビデのもとにはいなかったので、アブネルとその軍勢が来たことを知りませんでした。そのことがヨアブの耳に入ったとき、彼は激怒し、ダビデのところに行って抗議しました。その内容は、アブネルが来たのはダビデの動静を探るためであったのに、なぜおめおめと彼を送り出してしまったのかということでした。でも本当の理由は、もしアブネルがダビデに気にいられたら将軍としての自分の地位が危うくなるからであり、また、弟のアサエルが彼によって殺されたので、個人的な恨みがあったからです。このとき、ダビデがどのように応答したかは書いてないのでわかりませんが、恐らくまともに取り合おうとせず、無視したのではないかと思われます。

 

ヨアブは直ちに使者たちを遣わしアブネルの後を追わせ、ダビデには秘密に彼をヘブロンに連れ戻し、彼の下腹を刺して殺害しました。ヨアブにとってこれは弟アサエルが殺されたことへの復讐でした。しかし、これはそれ以上の悪行でした。というのは、アサエルの死は戦場での戦死でしたが、アブネルの死は陰謀による死であったからです。両者の死の内容は明らかに異なりました。ヨアブのやり方は、当然責められるべきものです。

 

また、この悲惨な事件が起こったのはヘブロンという町でのことでしたが、このヘブロンはイスラエルに6つあった「のがれの町」の一つでした。本来なら、このような復讐による殺害から逃れるために設けられた町なのに、その町で暗殺事件が起こってしまったのです。この「のがれの町」は、イエス・キリストを予表していました。地上ののがれの町は完璧な安全を保証してくれるものではありませんが、私たちの救い主イエスは、確かな御手をもって私たちを守ってくださいます。この「のがれの町」に逃げ込むことこそが、私たちに真の慰めと平安をもたらしてくれるのです。それなのに、この「のがれの町」で、このような悲惨な事件が起こったのです。

 

これを聞いたダビデは、このことについては自分と自分の王国も、主の前にとこしえに潔白であることを主張し、その血はヨアブとその家に降りかかるようにと祈りました。また、ヨアブの家には、漏出を病む者、重い皮膚病に冒される者、糸巻をつかむ者、剣で倒れる者、食に飢える者が絶えないようにと祈りました。「糸巻きをつかむ者」とは、「糸巻き」が女性の仕事とされていたことから、女性の仕事しかできない男になるように、すなわち、戦うことができない軟弱な男になるようにという意味です。たとえ剣を手にすることができても、それは必ずしも戦うことができるということではありません。武器を手にすることだけが男らしさではないからです。いずれにせよ、ここでダビデが祈ったのは、そうした呪いがヨアブの家にあるようにということです。彼がやったことは単なる人殺しではなく、悪質な人殺しだったからです。アブネルは残忍な男でした。そういう意味では、彼の死は神の裁きであったとも言えます。と同時に、このヨアブの残忍な行為もまた裁かれるべきものだったのです。

 

このダビデの祈りは、ダビデの死後成就することになります。Ⅰ列王記2:28~34をご覧ください。ソロモンはエホヤダの子ベナヤを遣わし、主の天幕のかたわらで彼を打ち殺しました。それはアブネルを虐殺した報いです。神をあなどってはなりません。罪の行為がそのまま見過ごされることはないのです。私たちは、ヨアブのように乱暴で、すぐに暴力を振るう者ではなく、ダビデのように義と平和を求める者となりましょう。

 

Ⅲ.ダビデの悲しみ(31-39)

 

最後に31~39節までを見て終わりたいと思います。「ダビデは、ヨアブと彼とともにいたすべての兵に言った。「あなたがたの衣を引き裂き、粗布をまとい、アブネルの前で悼み悲しみなさい。」そして、ダビデ王は棺の後をついて行った。彼らはアブネルをヘブロンに葬った。王はアブネルの墓で声をあげて泣き、民もみな泣いた。王はアブネルのために哀歌を歌った。「愚か者が死ぬように、アブネルは死ななければならなかったのか。あなたの手足は縛られず、かせにもつながれずに。不正な者の前に倒れるように、あなたは倒れてしまったのか。」民はみな、さらに続けて彼のために泣いた。民はみな、まだ日のあるうちにダビデに食事をとらせようとしてやって来たが、ダビデはこう誓った。「もし私が、日の沈む前に、パンでもほかの何でも口にすることがあれば、神がこの私を幾重にも罰せられますように。」民はみな、そのことを認めて、それで良いと思った。王のしたことはすべて、民を満足させた。民はみな、そして全イスラエルは、その日、ネルの子アブネルを殺したのは、王から出たことではないことを知った。王は自分の家来たちに言った。「今日、イスラエルで一人の偉大な軍の将が倒れたのを知らないのか。この私は油注がれた王であるが、今日の私は無力だ。ツェルヤの子であるこれらの者たちは、私にとっては手ごわすぎる。【主】が、悪を行う者に、その悪にしたがって報いてくださるように。」

 

アブネルが死ぬと、ダビデは、その死を悼み悲しみました。彼は、ヨアブと彼ともにいたすべての兵に、衣を引き裂き、粗布をまとい、アブネルの前で悼み悲しむように、と命じました。また、自分が先頭に立って、その亡骸をヘブロンに葬りました。そして、アブネルの墓で声をあげて泣いたのです。さらに彼は、アブネルのために哀歌を歌いました。この中でダビデは、アブネルが愚かな者ではなかったこと、手足を縛られた囚人でもなかったこと、それなのに不正な者の手によって倒れたと言っています。

さらにダビデは、日没まで断食しました。民はみな、まだ日があるうちにダビデに食事をとらせようとしましたが、ダビデは、「もし私が、日の沈む前に、パンでもほかの何でも口にすることがあれば、神がこの私を幾重にも罰せられますように。」と言って、一切食べようとしませんでした。

 

このようにしてダビデは、つい最近まで敵であったアブネルの死を悼み悲しんだのです。民はそれを見てどう思ったでしょうか。36節をご覧ください。ここには「民はみな、そのことを認めて、それで良いと思った。王のしたことはすべて、民を満足させた。」とあります。そして、民はみな、それがダビデから出たことではないことをはっきりと知ったのです。ここに、ダビデの知恵があります。上に立つ者は、常に不義に対する怒りと、いのちに対する敬意とを持つ必要があります。ダビデのこの態度は、彼が王にふさわしい人物であることを民全体に認めさせる結果となったのです。

 

ダビデは自分の家来たちに、自分の無力さを漏らしています。ヨアブに対して見せしめ的なことはしましたが、それ以上のことはできなかったからです。本来なら彼を将軍の地位から退けるべきでした。しかし、そのようなことをすれば将来に禍根を残すことになります。それで彼はどうしたかというと、この件に関して主ご自身が介入してくださり、その悪にしたがって報いてくださるようにと祈りました。彼は自分ではどうすることもできないことは、すべて主にゆだねたのです。主が何とかしてくださるという信仰です。私たちの生活の中には、自分ではどうすることもできないことばかりです。でも、神にはどんなことでもおできになります。その神にすべてをゆだねればいいのです。ダビデはまさにどうしようもない自分の無力さを前に、そのすべてを主なる神にゆだねたのです。

Ⅱサムエル記2章

サムエル記第二から学んでいます。今日は、2章から学びたいと思います。

 

Ⅰ.ヘブロンで王として即位したダビデ(1-4a)

 

まず、1-4節前半までをご覧ください。「この後、ダビデは【主】に伺った。「ユダの町のどれか一つへ上って行くべきでしょうか。」【主】は彼に「上って行け」と言われた。ダビデは、「どこに上ればよいでしょうか」と聞いた。主は「ヘブロンに」と言われた。ダビデは、二人の妻、イズレエル人アヒノアムと、カルメル人ナバルの妻であったアビガイルと一緒に、そこに上って行った。ダビデは、自分とともにいた人々を、その家族ごと連れて上った。彼らはヘブロンの町々に住んだ。ユダの人々がやって来て、そこでダビデに油を注ぎ、ユダの家の王とした。」

 

「この後」とは、サウルとヨナタンが死んだ後ということです。ダビデは主に伺いを立てました。「ユダの町のどれか一つに上って行くべきでしょうか。」と。彼は今ペリシテ人の町ツィクラグにとどまっていましたが時期イスラエルの王として選ばれていましたので、サウルが死んだ今次の行動に移る必要がありました。かといって、自分で勝手に判断して動くようなことをしませんでした。どのようにすべきかを求めて、主に伺いを立てたのです。ここにダビデの信仰のすばらしさを見ることができます。自分が次の王であるということがわかっていれば、すぐにでも出て行ってそれを示そうと思いたいところを彼はそのようにはせず、あくまでも主のみこころを求めて祈りました。自分で判断して勝手に動くのではなく、主のみこころを求めたのです。それは私たちの信仰の模範です。私たちはすぐに自分の思い付きや考えで動こうとしますが、まずは神のみこころを求めて祈らなければなりません。

 

おそらくダビデは、ウリムとトンミムによってみこころを求めたでしょう。しかしそれは「イエス」か「ノー」の答えでしか返ってこなかったので、何度も主に伺う必要がありました。彼はまずユダの町のどれか一つに上って行くべきでしょうかと尋ねると、主は「上って行け」と言われたので、次に、では「どこに上って行けばよいでしょうか」と尋ねました。すると、主の答えは「ヘブロンに」でした。なぜヘブロンだったのでしょうか。巻末のイスラエルの地図をご覧いただくと、ヘブロンはユダ部族の中にあって、その中心に位地しているのがわかります。そして、イスラエル民族の父祖アブラハムの墓がある所です。そこでダビデは、二人の妻イズレエル人アヒノアムと、カルメル人ナバルの妻であったアビガイルと一緒に上って行き、そこに住みました。

 

すると、ユダの人々がやって来て、ダビデに油を注ぎ、ユダの家の王としました。これは、預言者サムエルによって油を注がれた時に続く二回目の油注ぎでした(Ⅰサムエル16:13)。しかし、これはあくまでもユダの家における王であって、彼がイスラエル全家の王となるのはまだ先のことです。

この時ダビデは30歳になっていました。サムエルによって油注がれ主の霊の注ぎを受けたのは、彼がまだ幼い少年の時でした。あれから十数年が経ち、あの神の約束が今、実現しようとしていました。このように見ると、神のみわざは一朝一夕で成し遂げられるものではありません。それまで長い間待たなければなりませんでした。そこには多くの困難もありました。しかし、そのような経験を通して神は彼の信仰を養い、人格を磨き、ご自身の器として用いられるように整えてくださったのです。そのためには忍耐が必要でした。

それは、私たちにも言えることです。へブル10:36には「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐です。」とあります。神のみわざは一朝一夕では成し遂げられません。最後まであきらめないで待つことが求められます。教会の建て上げは、まさにそうです。特に日本ではまだその時は来ていません。神の時が来て、人々がこぞって主を求めるようになるまで、忍耐しなければなりません。先ほどお読みしたヘブル10:36の後に何と書いてあるかご存知ですか。こうあります。「もうしばららくすれば、来るべき方が来られる。送れることはない。わたしの義人は信仰によって生きる。もし恐れ退くなら、わたしの心は彼を喜ばない。」(ヘブル10:37-38)すばらしい約束ではありませんか。ですから、私たちは恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者でありたいと思います。

 

Ⅱ.ヤベシュ・ギルアデの人々(4b-7)

 

次に、4節後半から7節までをご覧ください。「ヤベシュ・ギルアデの人々がサウルを葬ったことが、ダビデに知らされたとき、ダビデはヤベシュ・ギルアデの人々に使者たちを遣わし、彼らに言った。「あなたがたが【主】に祝福されるように。あなたがたは、あのような真実を尽くして主君サウルを葬った。今、【主】があなたがたに恵みとまことを施してくださるように。あなたがたがそのようなことをしたので、この私もあなたがたに善をもって報いよう。今、強くあれ。勇気ある者となれ。あなたがたの主君サウルは死んだが、ユダの家は私に油を注いで、自分たちの王としたからだ。」」

 

ヤベシュ・ギルアデの人々のことについて記されてあります。ヤベシュ・ギルアデの人々がサウルを葬ったということが、ダビデに知らされたとき、ダビデはヤベシュ・ギルアデの人々に使者たちを遣わし、彼らを祝福しました。ヤベシュ・ギルアデの人々は、サウルが死んだ後、ペリシテ人が彼の死体をベテ・シャンの城壁にさらしたことを聞いたとき、ヨルダンの東側の地から長い距離を夜通し歩いて、勇気をもってその地域に入り、サウルとヨナタンの死体を取って自分たちのところに運び、そこで丁重に火葬にして葬ったからです。なぜ彼らはそんなことをしたのですか?私たちは既にその学びました。Ⅰサムエル記11章でしたね。アンモン人ナハシュが彼らに攻め入った時、彼らはナハシュに和解を申し入れましたが、ナハシュは一つの条件を提示しました。どんな条件でしたか?なんと彼らの右の目をえぐり取るということでした。そうすれば和解してもいい、と言ったのです。それを聞いたヤベシュ・ギルアデの人たちは嘆き悲しみイスラエルの国中に使いを送って助けを求めたとき、立ち上がったのがサウルだったのです。サウルは主の霊によってアンモン人を討ち破り、ヤベシュ・ギルアデの人たちを救ったのです。彼らはそのサウルの恩を忘れずそれに応じたのです。主に油注がれた主君サウルに対する彼らの態度は実に立派でした。そこでそのことを聞いたダビデは、そんな彼らの行為を取り上げて賞賛したのです。事実、このヤベシュ・ギルアデは北イスラエルの10部族に属する町で、本来ならヘブロンを拠点とするユダとは敵対関係にありましたが、ダビデはそんな彼らに善をもって報いたのです。

 

このように、主の恵みに対して真実な態度で応答することは大切なことです。そのような人はヤベシュ・ギルアデの人たちのように、主から恵みを受けるのです。

ダビデの先祖の中にも、その真実さのゆえに祝福を受けた女性がいます。ルツです。彼女はモアブ人でしたが、ナオミの神、主を信じ、ナオミとともにベツレヘムにやって来て彼女に真実な態度で仕えたので、神は彼女を祝福してくださいました。そこでボアズと出会い、彼と結婚することができただけでなく、やがてその子孫からダビデが生まれ、その系図から救い主が誕生するという救いの系図の中に組み込まれたのです。真実に生きる人こそ、神から祝福を受ける人なのです。

 

Ⅲ.イシュ・ボシェテの即位(8-11)

 

次に、8~11節までをご覧ください。「一方、サウルの軍の長であったネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェテを連れてマハナイムに行き、彼をギルアデ、アッシュル人、およびイズレエル、そしてエフライムとベニヤミン、すなわち全イスラエルの王とした。サウルの子イシュ・ボシェテは、四十歳でイスラエルの王となり、二年間、王であった。しかし、ユダの家だけはダビデに従った。

2:11 ダビデがヘブロンでユダの家の王であった期間は、七年六か月であった。」

 

一方、サウルの軍の長であったネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェテを連れてマハナイムに行き、彼をギルアデ、アッシュル人、およびイズレエル、そしてエフライムとベニヤミン、すなわち全イスラエルの王としました。ペリシテ人との戦いにおいてサウルと3人の息子ヨナタン、アビナダブ・マルキ・シュアは、ギルボア山でペリシテ人に打ち殺されました(Ⅰサムエル31:2)が、イシュ・ボシェテは戦いに行かなかったので難を逃れていたのです。アブネルがイシュ・ボシェテを連れてマナハイムに行ったのは、そこがヨルダン川の東側にありペリシテ人の支配が及んでいなかったからでしょう。

 

これ以降、ダビデの家とサウルの家との間には、長い間戦いが生じることになります。サウルの子イシュ・ボシェテは、40歳でイスラエルの王となり、2年間、王でした。しかし、ユダの家だけはダビデに従いました。ダビデがヘブロンでユダの家の王であった期間は、実に7年6か月に及びます。言い換えると、彼がイスラエルの統一王国の王になるのには、さらに7年半もかかったということです。これはダビデに忍耐が求められたというだけでなく、彼がイスラエルの有能な王として立てられるために必要な神のご計画でもありました。

 

ダビデは、メシヤであられるイエス・キリストの型です。イエスは父なる神からメシヤとしての油注ぎを受けていましたが、イスラエルの民はそれを認めようとしませんでした。ダビデも同じです。彼はイスラエルの王として油注ぎを受けていましたが、イスラエルの民はそれを認めませんでした。しかし、それでもイエスは私たちの救いに対する神のご計画を成し遂げるために、父なる神に従順に従われました。へブル5:7には「キリストは、肉体をもって生きている間、自分を死から救い出すことができる方に向かって、大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ、その敬虔のゆえに聞き入れられました。」とあります。ダビデも同じです。患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出します。この希望は、決して失望に終わることがありません。私たちもダビデのように、たとえ目の前に患難があっても忍耐し、その忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと信じて、神の御霊によって忍耐を身につけさせていただきましょう。忍耐は、まさに御霊によって結ぶことができる実なのです。

 

Ⅳ.イスラエルとユダの戦い(12-32)

 

次に、12~32節をご覧ください。ここにはイスラエルとユダの戦いの様子が記されてあります。まず16節までお読みします。「ネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェテの家来たちと一緒にマハナイムを出て、ギブオンへ向かった。一方、ツェルヤの子ヨアブも、ダビデの家来たちと一緒に出て行った。こうして彼らはギブオンの池のそばで出会った。一方は池の手前側に、もう一方は池の向こう側にとどまった。アブネルはヨアブに言った。「さあ、若い者たちを出し、われわれの前で闘技をさせよう。」ヨアブは言った。「よし、そうしよう。」ベニヤミンの側、すなわちサウルの子イシュ・ボシェテの側から十二人、ダビデの家来たちから十二人が順番に出て行った。彼らは互いに相手の頭をつかみ、相手の脇腹に剣を刺し、一つになって倒れた。それで、その場所はヘルカテ・ハ・ツリムと呼ばれた。それはギブオンにある。」

ネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェテの家来たちといっしょにマハナイムを出て、ギブオンへ向かいました。ユダの地を攻め取るためです。ギブオンはエルサレムの北西9.6㎞に位置するベニヤミンの領地にある町です。ります。そこは、サウルの生まれ故郷、出身地でした。

一方、ツェルヤの子ヨアブも、ダビデの家来たちといっしょに出て行きました。こうして両軍は、ギブオンの池のそばで出会い、にらみ合いが続きました。一方は池の手前側に、もう一方は池の向こう側にとどまりました。

するとアブネルからヨアブに提案が出されました。双方から若い者たちを出して、決闘させようというのです。それぞれ12人の代表戦士が出て、1対1で戦うのですが、ヨアブは愚かにもその提案を受け入れてしまいました。アブネルはこの決闘によって決着を付けようとしたのですが、結果、全面戦争に突入していくことになりました。彼らは互いに相手の頭をつかみ、相手の脇腹に剣を刺し、一つになって倒れました。それで、その場所はヘルカナ・ハ・ツリムと呼ばれるようになりました。意味は「剣の刃の野」です。相手の脇腹に剣を刺して、一つとなって共に倒れた野です。

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アブネルは、人の血を流すことを軽く考えていました。また、ヨアブもヨアブで、その提案を愚かにも受け入れてしまい、多くの血が流される結果となってしまいました。箴言11:17に「誠実な人は自分のたましいに報いを得るが、残忍な者は自分の身にわざわいをもたらす。」とありますが、まさに彼らはその報いを受けることになります。

 

17~24節をご覧ください。「その日、戦いは激しさを極め、アブネルとイスラエルの兵士たちは、ダビデの家来たちに打ち負かされた。そこに、ツェルヤの三人の息子、ヨアブ、アビシャイ、アサエルがいた。アサエルは野のかもしかのように、足が速かった。アサエルはアブネルの後を追った。右にも左にもそれずに、アブネルを追った。アブネルは振り向いて言った。「おまえはアサエルか。」彼は答えた。「そうだ。」 アブネルは彼に言った。「右か左にそれ、若い者の一人を捕らえ、その者からはぎ取れ。」しかしアサエルは、アブネルを追うのをやめず、ほかへ行こうとしなかった。アブネルはもう一度アサエルに言った。「私を追うのはやめ、ほかへ行け。なぜ、私がおまえを地に打ち倒さなければならないのか。どうやって、おまえの兄ヨアブに顔向けができるというのか。」アサエルはなおも拒んで、ほかへ行こうとしなかった。それでアブネルは、槍の石突きで彼の下腹を突いた。槍はアサエルを突き抜けた。アサエルはその場に倒れて、そこで死んだ。アサエルが倒れて死んだ場所に来た者はみな、立ち止まった。」

 

その日、戦いは激しさを極めました。戦いにかったのは、ユダ部族、すなわち、ダビデの家来たちでした。イスラエルの王イシュ・ボシェテの将軍アブネルとイスラエルの兵士たちは、ダビデの家来たちに打ち負かされました。そこに、ツェルヤの3人の息子がいました。ヨアブと、アビシャイと、アサエルです。Ⅰ歴代2:16を見ると、このツェルヤはダビデの姉妹であることがわかります。ですから、この3人はダビデからすると甥に当たります。甥とはいってもダビデは末っ子でしたから、もしかしたら彼らと同年代か、もっと歳を取っていたかもしれません。

 

その中のアサエルは、野のかもしかのように足が速かったので、彼はアブネルの後を追いました。アブネルを殺すことができれば、イスラエル軍、すなわち、イシュ・ボシェテの軍は壊滅状態になると判断したのでしょう。しかし、それが仇となりました。アブネルはアサエルが自分を追って来るのを見ると、自分を追うのをやめて、別の方へ行けと警告しました。戦いでは自分の方がまさっていると思ったのでしょう。将軍ヨアブの兄弟を殺すのは忍びないと思ったのです。しかし、アサエルはアブネルを追うのを止めませんでした。それでアブネルは、槍の石突きで彼の下腹を突きました。それで、アサエルはその場に倒れて死んだのです。

 

あまりにも突然の死でした。彼は足が速いのを誇っていましたが、その長所が彼を死に至らしめることになったのです。自分の力を過信し、警告を無視し続けるなら、悲劇が起こります。私たちが誇るのは足の速さではなく、主の御名と十字架です。詩篇20:7には「ある者は戦車をある者は馬を求める。しかし私たちは私たちの神、主の御名を呼び求める。」とあります。また、ガラテヤ6:14には「しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが、決してあってはなりません。」とあります。

 

あなたは何を誇っていますか。私も足が速く、小学生、中学生、高校生とマラソン大会では常に優勝していたので、すぐにそれを誇りたい気持ちになります。高校生の時には1,500m走で4分17秒の記録を出し、陸上部からも声をかけられたほどです。すぐにこんなことを誇りたがるのが任気です。しかし、私たちが誇るものは戦車でも馬でもなく、自分の足でもなく、私たちの神、主の御名です。また、私たちの主イエス・キリストの十字架です。それ以外に誇りとするものがあってはなりません。私たちはすぐに自分の肉の力を誇ろうとしますが、それが短所や欠点にもなり得るということを覚え、主の力、聖霊の力を求めようではありませんか。

 

次に、24~28節をご覧ください。「しかしヨアブとアビシャイは、アブネルの後を追った。太陽が沈んだとき、彼ら二人はギブオンの荒野への道を通り、ギアハの反対側にあるアンマの丘までやって来た。ベニヤミン人はアブネルに従って集まり、一団となって、一つの丘の頂に立った。アブネルはヨアブに呼びかけて言った。「いつまでも剣が人を食い尽くしてよいものか。その果ては、ひどいことになるのを知らないのか。いつになったら、兵たちに、自分の兄弟たちを追うのをやめて帰れ、と命じるつもりか。」ヨアブは言った。「神は生きておられる。もし、おまえが言い出さなかったなら、確かに兵たちは、明日の朝まで、それぞれ自分の兄弟たちを追うのをやめなかっただろう。」ヨアブは角笛を吹いた。それで兵たちはみな立ち止まり、それ以上イスラエルの後を追わず、戦いを続けることはなかった。」

 

アサエルが殺されたことを知ると、兄弟ヨアブとアビシャイは必死になってアブネルを追いました。そして太陽が沈むころ、彼らはギアハの反対側にあるアンマの丘までやって来ると、ベニヤミン人がアブネルの呼びかけに応じて彼に従って集まり、一団となって、一つの丘の頂に立ちました。そして、アブネルに呼びかけ、これ以上、兄弟同士の戦いを続けてどうするのか、その果ては、互いにひどいことになるだろう。自分たちを追うのをやめて帰れと言ったので、ヨアブはその提案を受け入れ、それ以上イスラエルの後を追うことをしませんでした。

 

29~32節までをご覧ください。「アブネルとその部下たちは、一晩中アラバを通って行った。そしてヨルダン川を渡り、午前中歩き続けてマハナイムに着いた。一方、ヨアブはアブネルを追うのをやめて帰った。兵たちを全部集めてみると、ダビデの家来十九人とアサエルがいなかった。ダビデの家来たちは、アブネルの部下であるベニヤミン人のうち三百六十人を討ち取っていた。彼らはアサエルを運んで、ベツレヘムにある彼の父の墓に葬った。ヨアブとその部下たちは一晩中歩いて、夜明けごろヘブロンに着いた。」

 

双方の死者は、ヨアブの方がダビデの家来19人と兄弟アサエルがいませんでした。一方、アブネルの方はどうだったかとうと、ダビデの家来たちがアブネルの部下であるベニヤミン人のうち360人を討ちトッテいたので、それだけの犠牲者が出ました。戦いを仕掛けたのはアブネルの方でしたが、そのアブネルの方に多数の死者が出たのです。何とも虚しい結果に終わりました。彼はギブオンの池のそばで決闘を呼びかける前に、その果てがどうなるのかを考えなければなりませんでした。

 

私たちも同じです。自分の思いや感情だけで突っ走ると、このような結果を招くことになります。その前に立ち止まって、祈るべきです。そして、神のみこころは何か、何が良いことで完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えるべきなのです。心の一新によって自分を変えるとは、考え方を変えるということです。自分の考えではなく、神の考え、神のみこころに立つ、ということです。そのためには、神のみことばを学び、それがどういうことなのかをよく考えて、その上に立たなければなりません。そうすれば、神の御霊が私たちを正しい判断と正しい方向へと導いてくださいます。そういう意味ではあのダビデのように、いつも主に伺いながら、一歩一歩前進していく必要があります。主のみこころを求めながら、みこころに歩めるように祈りましょう。

Ⅱサムエル記1章

きょうからサムエル記第二に入ります。

 

Ⅰ.アマレク人の報告(1-10)

 

まず、1-10節をご覧ください。「サウルが死んだとき、ダビデはアマレク人を打ち破って帰って来ていた。その後ダビデは二日間、ツィクラグにとどまっていた。すると三日目に、見よ、一人の男がサウルのいた陣営からやって来た。衣は裂け、頭には土をかぶっていた。彼はダビデのところに来ると、地にひれ伏して礼をした。ダビデは言った。「どこから来たのか。」彼は言った。「イスラエルの陣営から逃れて来ました。」ダビデは彼に言った。「状況はどうか。話してくれ。」彼は言った。「兵たちは戦場から逃げ、しかも兵たちの多くの者が倒れて死にました。それに、サウルも、その子ヨナタンも死にました。」

ダビデは、報告をもたらしたその若い者に言った。「サウルとその子ヨナタンが死んだことを、どのようにして知ったのか。」報告をもたらしたその若い者は言った。「私は、たまたまギルボア山にいましたが、見ると、サウルは自分の槍にもたれ、戦車と騎兵が押し迫っていました。サウルが振り返って、私を見て呼びました。私が『はい』と答えると、私に『おまえはだれだ』と言いましたので、『私はアマレク人です』と答えますと、 『さあ、近寄って、私を殺してくれ。激しいけいれんが起こっているが、息はまだ十分あるから』と言いました。私は近寄って、あの方を殺しました。もう倒れて生き延びることができないと分かったからです。私は、頭にあった王冠と、腕に付いていた腕輪を取って、ここに、あなた様のところに持って参りました。」」

 

前回のところで、サウルとその3人の息子たち、そして、イスラエルの兵士たちはギルボア山でペリシテ人との戦いで敗れ、打ち殺されたことを見ました。サウルに至っては自分の道具持ちに彼の剣を抜いて刺し殺してくれるように頼みましたが、道具持ちはそのようにすることを恐れてしなかったので、自分の剣を抜き、その上に倒れ込んで自殺しました。何とも悲しい最期でした。しかし、サウルの生涯のすべてがダメだったというわけではなく、彼は良いことも行ったのでその報いも受けました。それがヤベシュ・ギルアデの人たちによって丁重に葬られたという出来事です。

 

そのサウルが死んだとき、ダビデはアマレク人を打ち破り、ツィケラグに帰って来ていました。アマレク人はダビデたちが留守中にツィケラグを襲い、これを火で焼き払い、そこにいた女たちや子どもたちをみな捕らえ、自分たちのとこへ連れ去って行ったのですが、彼はアマレク人を追って行き、彼らと戦って勝利し、アマレクが奪い取ったものをすべて取り戻したのです。その戦いから帰って二日間ツィケラグにとどまっていましたが、三日目に、一人のアマレク人の男がサウルのいた陣営からダビデのもとにやってきました。彼の衣は裂け、頭には土をかぶっていました。これは、悲しい出来事が起こったということです。

 

ダビデが彼に、「どこから来たのか」と言うと、彼は「イスラエルの陣営から逃れて来ました」と言うので、サウルとヨナタンのことを気にかけていたダビデは、その状況について尋ねました。すると彼は、イスラエルは敗北し、多くの兵たちは戦場から逃げ、倒れて死んだこと、それにサウルとヨナタンも死んだということを報告しました。彼はどのようにしてそのことを知っていたのでしょうか。ダビデは、報告をもたらしたその若い者にそのことを尋ねると、彼は、自分はたまたまギルボア山にいたのだが、サウルが自分の槍にもたれ死にそうになっていたとき、サウルから自分を殺してほしいと言われたので、最後のとどめを刺したと答えました。その証拠にサウルがかぶっていた王冠と、腕につけていた腕輪を取って、ダビデのところに持って来て見せたのです。いったいなぜ彼はそんなことをしたのでしょうか。

 

彼は、次の王となるはずのダビデがサウルの死を喜び、とどめを刺した自分に褒美をくれるのではないかと思ったのです。しかし、次のところを見るとわかりますが、ダビデはサウルの死を喜ぶどころか悲しみました。確かにダビデはこれまでサウルの手から逃れていました。そして神が自分とサウルの間をさばいてくださる、と言っていました。しかし彼は、サウルの死を喜びませんでした。彼はサウルの死を望んでいなかったのです。そのような状況の中でも、すべてを主にゆだねていたからです。主にゆだねるなら、主が最善の時に道を開いてくださると信じていたのです。ここに、このアマレク人との思惑のズレがありました。彼は人間的な思いからきっとダビデがサウルを憎み、彼が殺されたことを喜ぶに違いないと思い、そのことを報告した自分に何らかの報酬が与えられると思いましたが、実際にはその逆でした。そういうことがよくあるのではないでしょうか。聖書を読むとき自分の思いが強すぎて、自分の思いを正当化するかのようにそれを受け止めるも、実際には、神のみこころとズレていたということがよくあります。大切なのは自分の思いではなく、神のみこころは何か、何が良いことで神に受け入れられることなのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えることです。心を変えるとは考え方を変えるということです。神のみことばを神のみことばとして受け入れ、神の考え方に生きることです。ダビデのように、すべてを主にゆだね、主が導いてくださる最善を待ち望むことなのです。

 

Ⅱ.サウルとヨナタンの死を悼み悲しんだダビデ(11-16)

 

次に、11~16節をご覧ください。「ダビデは自分の衣をつかんで引き裂いた。ともにいた家来たちもみな、そのようにした。彼らは、サウルのため、その子ヨナタンのため、また【主】の民のため、イスラエルの家のために悼み悲しんで泣き、夕方まで断食した。サウルらが剣に倒れたからである。ダビデは自分に報告したその若い者に言った。「おまえはどこの者か。」彼は言った。「私はアマレク人で、寄留者の子です。」ダビデは彼に言った。「【主】に油注がれた方に手を下して殺すのを恐れなかったとは、どうしたことか。」ダビデは家来の一人を呼んで言った。「これに討ちかかれ。」彼がその若い者を討ったので、若い者は死んだ。ダビデは若い者に言った。「おまえの血は、おまえの頭上に降りかかれ。おまえ自身の口で、『私は【主】に油注がれた方を殺した』と証言したのだから。」」

 

アマレク人の若者の報告を聞いたダビデはどうしたでしょうか。彼は自分の衣を掴んで引き裂きました。ともにいた家来たちもみな同様にしました。彼らはサウルため、その子ヨナタンのため、また主の民のため、悼み悲しんだのです。彼らは、その死を悼み悲しんで泣き夕方まで断食をしました。このアマレク人が予測していたこととは反対のことでした。なぜダビデはサウルの死を悼み、悲しんだのでしょうか。自分の命を狙ってつき待っていたサウルが死んだのです。「ああ、よかった!これで安心だ」と喜んでも良かったのではないでしょうか。それなのに彼は喜ぶどころか、深く悲しみました。そこには、二つの理由がありました。

 

まず、箴言24:17をご覧ください。ここには「あなたの敵が倒れるとき、喜んではならない。彼がつまずくとき、心躍らせてはならない。」とありますが、ダビデはこのみことばに生きていたのです。あなたの敵が倒れたなら、「ざまあみろ!」と言いたくなるところでしょう。しかし彼はそれが神のみこころでないことを知っていました。主のみこころは、あなたの敵が倒れるとき、喜んではならない、とあるからです。これは私たちクリスチャンにも言えることです。私たちもダビデのように自分の感情に流されて生きるのではなく、主のみことばに生きる者でなければなりません。そういう人は、神からも、人からも認められるようになるのです。

 

もう一つのことは、Ⅰ歴代誌16:22を見るとわかります。そこには、「わたしの油注がれた者たちに触れるな。わたしの預言者たちに危害を加えるな。」とあります。これが神のみこころです。たとえサウルが間違ったことを行なったとしても、彼を引き倒そうとする試みは間違っていることを彼は知っていました。なぜなら、サウルは神に油を注がれた者だからです。神が油注がれた者には、神が立て、神が倒してくださいます。他人が関わるべきことではありません。ですからダビデは、自分から手を下すことは一切しなかったのです。

 

それに対してこのアマレク人はどうでしたか?ダビデが「おまえはどこの者か」と尋ねると、彼は、「私はアマレク人で、寄留者の子です。」と答えています。「寄留者」とは在留異国人ということです。彼はイスラエルにいる在留異国人の子どもであったのです。その真偽はわかりませんが、もしこれが本当だとすれば、彼はサウルのしもべということになります。それなのに、主に油注がれた方に手を下して殺すとはどういうことでしょう。そこでダビデは家来の一人を呼んで、これに討ちかかるように命じました。それは神に背く行為であったからです。

 

ここに、ダビデの徹底した主にゆだねる姿勢を見ることができます。このようなダビデの信仰は、神を知らない異邦人にはなかなか理解できないことです。神を知らない人の判断とクリスチャンの判断とでは本質的に違うからです。しかし、クリスチャンはこの世にいながら、この世のものではありません。クリスチャンは神のものであり、神のみこころに従って生きている者です。それゆえ、クリスチャンの判断とその行動の基準は、神によって動かされるものでなければなりません。日々の生活の中で私たちはどのような基準で生きているのかをもう一度思い直し、神に喜ばれることを選び取っていきたいと思います。

 

Ⅲ.ダビデの哀歌(17-27)

 

最後に、17~27節までを見て終わりたいと思います。ダビデは、サウルのため、また、その子ヨナタンのために哀歌を歌いました。「イスラエルよ、君主はおまえの高き所で殺された。ああ、勇士たちは倒れた。これをガテに告げるな。アシュケロンの通りに告げ知らせるな。ペリシテ人の娘らを喜ばせないために。無割礼の者の娘らが喜び躍ることがないために。ギルボアの山よ。高原の野よ。おまえたちの上に、露は降りるな。雨も降るな。そこでは勇士たちの盾が汚され、サウルの盾に油も塗られなかったからだ。殺された者の血から、勇士たちの脂から、ヨナタンの弓は退くことがなく、サウルの剣も、空しく帰ることがなかった。サウルもヨナタンも、愛される、立派な人だった。生きているときも死ぬときも、二人は離れることはなく、鷲よりも速く、雄獅子よりも強かった。イスラエルの娘たちよ、サウルのために泣け。サウルは、紅の衣を華やかにおまえたちに着せ、おまえたちの装いに金の飾りを着けてくれた。ああ、勇士たちは戦いのさなかに倒れた。ヨナタンはおまえの高き所で殺された。あなたのために私はいたく悲しむ。私の兄弟ヨナタンよ。あなたは私を大いに喜び楽しませ、あなたの愛は、私にとって女の愛にもまさって、すばらしかった。ああ、勇士たちは倒れた。戦いの器は失せた。」

 

「ヤシャルの書」とは、ヨシュア記10章13節に、「これは『ヤシャルの書』に確かに記されている。」とあるように、イスラエルの歌を編集した書物のようです。ヨシュア記の詩は、主がアモリ人をイスラエルの手に渡された時、ヨシュアが歌った歌です。日が沈んでしまうと、彼らを追跡することができなくなるので、ヨシュアは日が沈まないようにと主に祈りました。太陽よ、止まれ!と命じたのです。すると、民がその敵に復讐するまで、日は動かず、月はとどまりました。主がこのような祈りを聞かれたことは、先にもあとにもありません。その詩が記されたのが「ヤシャルの書」です。そのヤシャルの書に、このダビデの哀歌が記されたのです。それは、このことをしっかりと記録することで、ユダの子らに教えるためです。ここには「弓を教えるためのもので」とありますが、この哀歌は「ヤシャルの書」に載せられ、「弓」という名で歌い継がれることになりました。

 

この哀歌は、三つの部分から構成されています。「ああ、勇士たちは倒れた」ということばが、各部分の始まりとなっています。

その最初の部分は、19~24節です。19節の「君主」とは、サウルとヨナタンのことです。そして「おまえの高き所」とはギルボア山のことです。この山はイスラエル人が住んでいるところにある山でしたが、サウルとヨナタンはそこで倒れました。

 

20節の「ガテ」と「アシュケロン」とは、ペリシテの主要な都市のことです。このことをペリシテ人に告げ知らせないようにというのです。なぜなら、そのことを聞いたペリシテ人が喜ぶことになるからです。

 

21節でダビデは、ギルボア山を呪っています。「露は降りるな。雨も降るな」とは、水を提供するな、それを断つようにという意味です。現在でもギルボア山の北側の山腹は植林が行なわれず、はげた状態になっているそうです。それはイスラエル人がそこに植林をしないからです。イスラエルは、荒地に木々を植えていくことによってあの地を豊かにしましたが、そこに植林をしなかった理由は、ダビデのこの哀歌によるものです。

 

22節と23節では、サウルとヨナタンを称えています。サウルとヨナタンは一生涯離れることなくともに戦った立派な戦士であり、だれからも愛されるべき勇士でした。

 

24節には、イスラエルの民にサウルの死を悼み悲しむようにと歌っています。なぜなら、サウルはイスラエルの民に紅の衣を華やかに着せ、彼らの装いに金の飾りを着けてくれたからです。すなわち、物質的祝福を与えるために心を尽くして戦ってくれたからです。

 

25~27節をご覧ください。第二と第三の部分です。ここでダビデは、親友ヨナタンの死を悼んでいます。その生前の愛と友情を思い、「あなたは私を大いに喜び楽しませ、あなたの愛は、私にとって女の愛にもまさって、すばらしかった。」と歌っています。これは、異性との間にある愛とは全く異なった種類の愛です。ですから、これはダビデがそのような性癖があったとか、自分の妻たちとそれほど関係が深くなかったということではありません。それほどにヨナタンとの友情が深かったということです。それは契約に基づいた友情でした。

 

そしてそれは、私たちと神との関係も同じです。神は、キリストの十字架の贖いを信じる者を義と認めてくださいました。そのすべての罪を赦してくださると約束してくだったのです。どんなことがあっても、です。どんなことがあっても、あなたを見捨てたり、見離したりはしません。それは神との契約なのです。ダビデとヨナタンにあった友情の契約は、私たちと神との関係を思い出させてくれます。イエス様もまた、私たちをこよなく愛しておられます。そのような関係にあることは何と幸いなことでしょうか。私たちもダビデがヨナタンとの友情を称えたように、主に愛に感謝し、その愛に心から応答する者でありたいと思います。