今日は、列王記第一2章から学びます。
Ⅰ.ダビデの遺言(1-12)
まず1~12節をご覧ください。4節までをお読みします。「1 ダビデの死ぬ日が近づいたとき、彼は息子のソロモンに次のように命じた。2 「私は世のすべての人が行く道を行こうとしている。あなたは強く、男らしくありなさい。3 あなたの神、主への務めを守り、モーセの律法の書に書かれているとおりに、主の掟と命令と定めとさとしを守って主の道に歩みなさい。あなたが何をしても、どこへ向かっても、栄えるためだ。4 そうすれば、主は私についてお告げになった約束を果たしてくださるだろう。すなわち『もし、あなたの息子たちが彼らの道を守り、心を尽くし、いのちを尽くして、誠実にわたしの前に歩むなら、あなたには、イスラエルの王座から人が断たれることはない』。」
ダビデの死ぬ日が近づきました。それで彼は息子のソロモンに遺言を残します。その内容は、まず強く、男らしくあれということでした。これはかつてモーセがヨシュアに告げた内容に似ています(申命記31:23、ヨシュア1:1~9)。ソロモンはま若く、経験もなかったので、彼を力づける必要があったのです。
次にダビデが語ったのは、モーセの律法の書に書かれてあるとおりに、主の命令を守り、主の道に歩みなさいということでした。それはソロモンが何をしても、またどこへ行っても、栄えるためです。詩篇1篇の中に、主のおしえを喜びとする人は、水路のそばに植えられた木のようで、何をしても栄えるとあります(詩篇1:1~3)。これはダビデ自身の経験でもありました。
また、そうすれば、主がダビデに告げてくださった約束を果たしてくださるからです。その約束とは、Ⅱサムエル7章12~13節にあるダビデ契約のことです。「12 あなたの日数が満ち、あなたが先祖とともに眠りにつくとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。13 彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」
ダビデの家系からメシヤが出ることは、この契約によって保証されました。神の約束は真実で、そのまま信じるに値するものです。ソロモンにはモーセの律法に従うという責務が与えられましたが、新約の時代に生きる私たちにとってそれは、キリストの律法に従うという責務です。それは新しい戒めです。「わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。」(ヨハネ13:34-35)
キリストに愛され、キリストによって罪赦された者として、キリストの愛に心から従い、キリストの新しい戒めを守り行う者でありたいと思います。
次に、5~9節をご覧ください。「5 また、あなたはツェルヤの子ヨアブが私にしたこと、すなわち、彼がイスラエルの二人の軍の長、ネルの子アブネルとエテルの子アマサにしたことを知っている。ヨアブは彼らを虐殺し、平和なときに戦いの血を流し、自分の腰の帯と足のくつに戦いの血をつけたのだ。6 だから、あなたは自分の知恵にしたがって行動しなさい。彼の白髪頭を安らかによみに下らせてはならない。7 しかし、ギルアデ人バルジライの子たちには恵みを施してやり、彼らをあなたの食卓に連ならせなさい。彼らは、私があなたの兄弟アブサロムの前から逃げたとき、私の近くに来てくれたのだから。8 また、あなたのそばに、バフリム出身のベニヤミン人ゲラの子シムイがいる。彼は、私がマハナイムに行ったとき、非常に激しく私を呪った。だが、彼は私を迎えにヨルダン川に下って来たので、私は主にかけて、『おまえを剣で殺すことはない』と彼に誓った。9 しかし今は、彼を咎のない者としてはならない。あなたは知恵の人だから、どうすれば彼の白髪頭を血に染めてよみに下らせられるかが分かるだろう。」」
ダビデの遺言の続きです。ここでダビデは3人の人物の取り扱いについて語っています。それはツェルヤの子ヨアブと、ギルアデ人バルジライ、そしてバフリム出身のベニヤミンゲラの子シムイです。どうして遺言の中で彼らについて述べているのかというと、その中の2人は悪人ですが、彼らを野放しにすれば、ソロモンによって継がれる王国が危険にさらされる恐れがあったからです。
まずツェルヤの子ヨアブですが、彼は平和なときに戦いの血を流し、自分の腰の帯と足のくつに戦いの血をつけました。彼は、サウルの子でイスラエル王国の第2代の王であったイシュボシェテの将軍アブネルを殺しました(Ⅱサムエル2:12~32,3:22~30)。アブネルはダビデと契約を結び、ダビデの側に付いたにもかかわらずです(Ⅱサムエル3章)。ヨアブはまた、将軍職を追われた時には次に将軍となったアマサを殺して将軍の座に復帰しました(Ⅱサムエル20:4~10,23)。またアブサロムが謀反を起こした時には、ダビデの命令に背いてアブサロムを殺害しました(Ⅱサムエル8:1~15)。ヨアブは、平和なときに戦いの血を流し、自分の腰の帯と足のくつに戦いの血をつけました。その責任を取られることになったのです。
一方、ギルアデ人バルジライには、恵みを施してやらなければなりません。それは、ダビデがアブサロムの前から逃げたとき、ダビデの近くに来て助けてくれたからです(Ⅱサムエル17:27~29)。ダビデはその恩に報いアブサロムの死後、このバルジライに対して一緒にエルサレムに来てくれませんかと頼みましたが、彼は高齢であり、故郷で死にたいと言って断わりました。それで彼の子キムハムがダビデと一緒にエルサレムに行きました。ダビデはこのようにバルジライと約束したので、その約束を果たすべくソロモンに命じたのです。
もう一人はベニヤミン人ゲラの子シムイです。彼はダビデがマハナイムに行ったとき、非常に激しくダビデを呪いました。しかし彼はダビデを迎えにヨルダン川まで下って来たので、主にかけて彼を剣で殺すことはしないと誓いました(Ⅱサムエル16:5~13,19:16~23)。そのためダビデは自ら手を下すことをせず、その処置をソロモンに委ねたのです。もし彼をそのまま放置するなら、必ず同じことを繰り返すでしょう。だからソロモンに、あなたの知恵によって行動するようにと言ったのです。
このように、ダビデは過去の出来事をよく覚えており、自分の語ったことばを忠実に果たそうとしています。それは裏を返せば、私たちも主の命令に従い、主の道に歩まなければならない、ということです。やがてその報いを受けることになります。それはすぐにではないかもしれませんが、その行いに応じてさばかれる時がやってくるのです。
かくして、ソロモンはダビデからの遺言を受け取りました。ソロモンはその統治の最初の段階から難題が課せられました。ソロモンが神の知恵と聞き分ける心を必要としたのもうなずけます。複雑な人間関係の中で生きている私たちも、神からの知恵が必要です。あなたは自分の知恵にしたがって行動しなさい。神様からの知恵が与えられるように、熱心に祈り求めましょう。
このようにして、ダビデは先祖とともに眠りにつきます。10~12節です。「10 こうして、ダビデは先祖とともに眠りにつき、ダビデの町に葬られた。11 ダビデがイスラエルの王であった期間は四十年であった。ヘブロンで七年治め、エルサレムで三十三年治めた。12 ソロモンは父ダビデの王座に就き、その王位は確立した。」
ここで、ダビデは先祖たちと眠りにつき、とあります。これはダビデが死んだことを表しています。しかしそれは一時的な眠りでしかありませんでした。ダビデには復活の希望があったのです。私たちもまた、キリストにあって同じ希望が与えられています。クリスチャンの死は絶望で終わるものではないのです。
こうしてダビデは死んで、ダビデの町に葬られました。これはエルサレムのことです。当時のエルサレムはまだ小さな町で、ダビデの町と呼ばれていたのです。ダビデは40年間王としてイスラエルを治めました。ダビデは恐ろしい罪を犯したこともありましたが、基本的には神に忠実に歩みました。それはⅠ列王記15章5節を見るとわかります。ここには「それは、ダビデが主の目にかなうことを行い、ヒッタイト人ウリヤのことのほかは、一生の間、主が命じられたすべてのことからそれなかったからである。」とあります。
私たちも罪ある者ですが、このダビデのように主の目にかなうことを行い、主にこのように評価される一生を送らせていただきたいと思います。
Ⅱ.アドニヤの愚かな願い(13-25)
次に13~25節をご覧ください。18節までをお読みします。「13 あるとき、ハギテの子アドニヤがソロモンの母バテ・シェバのところにやって来た。バテ・シェバは「平和なことで来たのですか」と尋ねた。彼は「平和なことです」と答えて、14 さらに言った。「お話ししたいことがあるのですが。」すると彼女は言った。「話してごらんなさい。」15 彼は言った。「ご存じのように、王位は私のものでしたし、イスラエルはみな私が王になるのを期待していました。それなのに、王位は転じて、私の弟のものとなりました。主によって彼のものとなったからです。16 今、あなたに一つのお願いがあります。断らないでください。」バテ・シェバは彼に言った。「話してごらんなさい。」17 彼は言った。「どうかソロモン王に頼んでください。あなたからなら断らないでしょうから。王がシュネム人の女アビシャグを、私に妻として与えてくださるように。」18 そこで、バテ・シェバは「いいでしょう。私から王にあなたのことを話します」と言った。」
あるとき、ハギテの子アドニヤがソロモンの母バテ・シェバのところにやって来ました。アドニヤは1章で見たようにダビデの四男でソロモンの兄に当たる人物ですが、まだダビデが王様であったとき「私が王になる」と言って野心を抱いた人物でした。そのときは、預言者ナタンとソロモンの母が必死にダビデに訴えたので、ダビデはソロモンを王に任じました。本来であればアドニヤは殺されても致し方なかったのですが、ソロモンのあわれみによって許されたのです。ソロモンはこう言いました。「彼が立派な人物であれば、その髪の毛一本も地に落ちることはない。」(1:52)しかしアドニヤはここで、バテ・シェバに愚かな願い事をしました。それは、ソロモン王に頼んでシュネムの女アビシャグを、自分の妻として与えてくれるように頼んでほしい、ということでした。
シュネム人の女アビシャクは、ダビデが老齢のときに彼に仕えるために連れて来られた若い女性です。1章4節には、「この娘は非常に美しかった。」とあります。しかし、彼女はダビデの側室でした。その女を妻にするということは、王位を狙っていることを意味していました。アブサロムが、屋上でダビデの側めたちのところに入ったのはそのためでした(Ⅱサムエル16:22)。それは、アブサロムが王位をダビデから奪い取ったことを、公に示す行為だったのです。
不思議なことは、それを聞いたバテ・シェバがそれを好意的に受け止めていることです。彼女はアドニヤの話を聞いたとき「いいでしょう。私から王にあなたのことを話します。」(18)と答えています。なぜ彼女はアドニヤの陰謀に気付かなかったのでしょうか。多くの注解者たちは、彼女はお人好しで、人の心を読めない女性であったからだと考えています。しかし王位継承をめぐるこれまでの彼女の動きを見ると、彼女は決して鈍感な女性ではなかったことが分かります。また、彼女自身がダビデの妻でもあったので、そうした陰謀に気付かないはずがありません。おそらく彼女は自分の子ソロモンが王位を継承したことで、安心していたのでしょう。気の緩みが生じていたのだと思います。まさかいのちを救われたアドニヤが、そのような暴挙に出るとは考えもしなかったのでしょう。
19~25節をご覧ください。「19 バテ・シェバは、アドニヤのことを話すために、ソロモン王のところに行った。王は立ち上がって彼女を迎え、彼女に礼をして、自分の王座に座った。王の母のために席が設けられ、彼女は王の右に座った。20 彼女は言った。「あなたに一つの小さなお願いがあります。断らないでください。」王は彼女に言った。「母上、その願い事を聞かせてください。断ることはしませんから。」21 彼女は言った。「シュネム人の女アビシャグを、あなたの兄アドニヤに妻として与えてやってください。」22 ソロモン王は母に答えた。「なぜ、アドニヤのためにシュネム人の女アビシャグを願うのですか。彼は私の兄ですから、彼のためには王位を願ったほうがよいのではありませんか。彼のためにも、祭司エブヤタルやツェルヤの子ヨアブのためにも。」23 ソロモン王は主にかけて次のように誓った。「アドニヤがこういうことを言ってもなお自分のいのちを失わなかったなら、神がこの私を幾重にも罰せられるように。24 主は生きておられる。主は私を父ダビデの王座に就かせて、私を堅く立て、約束どおり私のために家を建ててくださった。アドニヤは今日殺されなければならない。」25 こうしてソロモン王は、エホヤダの子ベナヤを遣わしてアドニヤを討ち取らせたので、彼は死んだ。」
バテ・シェバが、アドニヤのことを話すためにソロモン王のところに行くと、ソロモンは立ち上がって彼女を迎え、深々と彼女に礼をして、自分の王座に座りました。彼女はアドニヤの願いをそのままソロモンに伝えると、ソロモンは激怒しました。ダビデとアビシャグの間には肉体関係はありませんでしたが、彼女はダビデの側室となっていたので、その彼女を求めるということは王位を求めることと等しいことだったからです。ソロモンは彼の陰謀を見抜き、アドニヤを打ち取らせたので、彼は死にました。ソロモンは、父ダビデの存命中はアドニヤを殺すことを控えていました。それなのに彼はそのことを忘れ、依然として陰謀を企てたのは全く愚かなことです。ソロモンの知恵と彼の愚かさは、実に対照的です。私たちは愚かさを捨てて、神からの知恵によって歩まなければなりません。
Ⅲ.祭司エブヤタルとヨアブ、シムイ(26-46)
最後に26~46節を見たいと思います。ここには、ダビデの遺言の中に出てきた注意すべき2人の人物と祭司エブヤタルの処刑について記されてあります。まず祭司エブヤタルです。26~27節をご覧ください。「26 それから、王は祭司エブヤタルに言った。「アナトテの自分の地所に帰れ。おまえは死に値する者だが、今日はおまえを殺さない。おまえは私の父ダビデの前で神である主の箱を担ぎ、父といつも苦しみをともにしたからだ。」27 こうして、ソロモンはエブヤタルを主の祭司の職から追放した。シロでエリの家族について語られた主のことばは、こうして成就した。」
それから、ソロモン王は祭司エブヤタルに言いました。アナトテの自分の地所に帰るようにと。彼はアドニヤが王位を狙ったとき、その動きに賛同したので、アドニヤが処刑されたとき一緒に処刑することもできましたが、そのようにはしませんでした。それは。彼が父ダビデの前で神である主の箱を担ぎ、父ダビデといつも苦しみをともにしていたからです。
こうして彼は主の祭司職から追放されました。これは、シロでエリの家族について語られた主のことばが成就するためでした。これは、Ⅰサムエル記2章31~33節にある内容です。それは、エリの子孫から祭司が出ることはなくなるという預言でした。エブヤタルは、エリの家系に属する祭司だったのです。この祭司エブヤタルの追放によって、シロで語られたエリに関する預言は完全に成就しました。ここにこのことが記されてあるのは、神のことばの確かさを伝えるためです。このことは、列王記が進展していくに従って、ますますあきらかにされていきます。私たちも、神が語られたことばは必ず実現するという信仰に立って、神に従って行きたいと思います。
次はヨアブです。28~35節をご覧ください。「28 この知らせがヨアブのところに伝わった。ヨアブはアブサロムにはつかなかったが、アドニヤについていたのである。ヨアブは主の天幕に逃げ、祭壇の角をつかんだ。29 ソロモン王に「ヨアブが主の天幕に逃げて、今、祭壇の傍らにいる」という知らせがあった。するとソロモンは、「行って彼を討ち取れ」と命じて、エホヤダの子ベナヤを遣わした。30 ベナヤは主の天幕に入って、彼に言った。「王がこう言われる。『外に出よ。』」彼は「いや、ここで死ぬ」と言った。ベナヤは王にこのことを報告した。「ヨアブはこう私に答えました。」31 王は彼に言った。「彼が言ったとおりにせよ。彼を討ち取って葬れ。こうして、ヨアブが理由もなく流した血の責任を、私と、私の父の家から取り除け。32 主は、彼が流した血を彼の頭に注ぎ返される。彼は自分よりも正しく善良な二人の者に討ちかかり、剣で虐殺したからだ。彼は私の父ダビデが知らないうちに、イスラエルの軍の長である、ネルの子アブネルと、ユダの軍の長である、エテルの子アマサを虐殺したのだ。33 二人の血は永遠にヨアブの頭と彼の子孫の頭に注ぎ返され、ダビデとその子孫、および、その家と王座には、とこしえまでも主から平安があるように。」34 エホヤダの子ベナヤは上って行き、彼を打って殺した。ヨアブは荒野にある自分の家に葬られた。35 王はエホヤダの子ベナヤを彼の代わりに軍団長とした。また、王は祭司ツァドクをエブヤタルの代わりとした。」
「この知らせ」とは、エブヤタルが祭司職から追放されたという知らせです。これがヨアブのところに伝わると、ヨアブは主の天幕に逃げ、祭壇の角をつかみました。それはかつてアドニヤがやったように処罰から免れるためです。しかし彼は、死刑を免れることはできませんでした。殺人者にはこの規定は適用されないからです。ソロモンはエホヤダの子ベナヤを遣わして、彼を討ち取るように命じました。ところがヨアブは神殿の外に出ようとしなかったので、ベナヤはソロモンからの許可を得て、その場で彼を討ち取りました。そして、荒野にある自分の家に葬られました。
ヨアブが処刑されたのはなぜでしょうか。それは彼が理由もなく人の血を流したからです。その責任を、自分と自分の父の家から取り除き、彼の頭に返すためでした。具体的には、彼は自分よりも正しい善良な2人に討ちかかり、剣で虐殺しました。善良な2人の人とは、イスラエルの将軍アブネルとユダの将軍アマサのことです。ヨアブは彼らをダビデが知らないうちに殺害しました。
このようにしてヨアブ処刑され、ヨアブに代わってベナヤを軍団長にしました。また、祭司ツァドクをエブヤタルの代わりにしました。それはソロモンが王として治めていく上でダビデが危惧していたことでしたが、このことによってソロモンの治世が安定していきました。
それにしても、ヨアブの流した血は、ヨアブの頭に注ぎ返されるとは恐ろしいことです。私たちも、自分の犯した罪の代価を要求される時が来ます。しかし幸いなことに、私たちの場合は御子イエスがその代価を十字架で返してくださいました。イエス様は十字架の上で「完了した」(ヨハネ19:30)と言われましたが、それはそのことです。それゆえ、御子イエスを信じる者の罪の代価が、その頭に返されることはありません。イエス様がその代価を受けてくださいましたから。主イエスの尊い贖いの恵みに感謝しましょう。
ダビデが危惧していたもう1人の人物がいました。それはシムイです。彼は、サウルの家の一族で、ダビデがアブサロムの反乱で逃れたとき、激しい言葉をもってダビデを罵倒しました(Ⅱサムエル6:5~13)。しかし、ダビデが王としてエルサレムに戻って来たとき、ダビデを迎えにヨルダン川まで迎えに来たので、ダビデは主にかけて、剣で彼を殺すことはないと誓っていました。そのシムイです。36~46節をご覧ください。「36 王は人を遣わしてシムイを呼び寄せ、彼に言った。「エルサレムに自分の家を建て、そこに住むがよい。だが、そこからどこへも出てはならない。37 出て行ってキデロンの谷を渡った日には、おまえは必ず死ななければならないと覚悟しておけ。おまえの血の責任はおまえ自身の頭上に降りかかるのだ。」38 シムイは王に言った。「よろしゅうございます。しもべは王様のおっしゃるとおりにいたします。」このようにしてシムイは、何日もの間エルサレムに住んだ。
39 それから三年たったころ、シムイの二人の奴隷が、ガテの王マアカの子アキシュのところへ逃げた。シムイに「あなたの奴隷たちが今、ガテにいる」という知らせがあったので、40 シムイはすぐ、ろばに鞍を置き、奴隷たちを捜しにガテのアキシュのところへ行った。シムイは行って、奴隷たちをガテから連れ戻した。41 シムイがエルサレムからガテに行って帰って来たことが、ソロモンに知らされた。42 すると、王は人を遣わし、シムイを呼び出して言った。「私はおまえに、主にかけて誓わせ、『おまえが出て、どこかへ行った日には、おまえは必ず死ななければならないと覚悟しておけ』と警告しておいたではないか。すると、おまえは私に『よろしゅうございます。従います』と言った。43 それなのになぜ、主への誓いと、私がおまえに命じた命令を守らなかったのか。」44 王はまたシムイに言った。「おまえは心の中で、自分が私の父ダビデに対して行ったすべての悪をよく知っているはずだ。主はおまえの悪をおまえの頭に返される。45 しかし、ソロモン王は祝福され、ダビデの王座は主の前でとこしえまでも堅く立つ。」46 王はエホヤダの子ベナヤに命じた。ベナヤは出て行ってシムイを討ち取り、シムイは死んだ。こうして、王国はソロモンによって確立した。」
ソロモンはシムイを、エルサレムに閉じ込めておくことにしました。そこから出るようなことがあったら必ず死ななければならないと警告しました。「キデロンの谷」とは、エルサレムの東側にある谷のことです。そこを渡るというのは、自分の故郷に帰ることを意味していました。そうなれば、謀反の可能性が高くなります。それで、そのキデロンの谷を渡ることがあれば必ず死ななければならないと、命じたのです。
シムイはそれに同意し、何日もの間エルサレムに住みました。しかしそれから3年が経ったころ、彼の二人の奴隷が、ガテの王アキシュのところへ逃げたのです。それでシムイは行って、奴隷たちをガテから連れ戻しました。これは命令違反です。そのことがソロモンに知らされると、ソロモンは人を遣わしてシムイを呼び出して討ち取ったので、彼は死にました。
なぜシムイはソロモンの命令を破ったのでしょうか。考えられるのは、ガテはエルサレムから南西に40㎞ほど離れたところにあるペリシテの町です。シムイがソロモンから命じられたのは、エルサレムの旧市街地の東に位置するキデロンの谷を渡ってはならないということでした。ガテとキデロンの谷があるのは反対の方向です。それゆえ、シムイはそのことがソロモンの命令に背いているとは思わなかったのでしょう。
しかしそれは、ソロモンの命令の精神に違反していました。シムイにはそのことがわからなかったのです。彼の中にはどこか、自分がソロモンよりも知恵があると思っていたのかもしれません。自分の立場をわきまえていませんでした。そして何よりも大きな理由は、46節に「こうして、王国はソロモンによって確立した」とあるように、ソロモンの王国が確立するためだったのです。いわばそれは、神のご計画が遂行するためだったのです。
こうしてソロモンは、不安定要因であった危険人物を取り除き、平和を確立することができました。これらのすべては、主の公正とあわれみと正義に基づいて行なわれました。ソロモンという名前の意味は、「平和」です。ソロモンが王になることによって、これまで戦いが続いていたイスラエルに平和が確立されました。これはやがて来られる主イエス・キリストの型でした。主イエスこそ、神との平和によって、真の平和をもたらことができる方です。そしてこの方が再臨される時、主はご自身に反抗するすべての者を取り除き、従順な者たちを御国の中に入れてくださるのです。平和の御国を確立されるのです。
猶予はあります。神はひとりも滅びることを願わず、すべての人が悔い改めることを願っておられます。神は忍耐深い方であり、ご自分のさばきをすぐに下すことをされず、悔い改めるのを待っておられるのです。しかし、タイムリミットがあります。いつまでも待たれるというわけではありません。必ずさばきの時がやって来ます。ですから今、自分がどうしなければいけないかを決めなければなりません。私たちはキリストに従い、その平和を享受する者でありたいと思います。