Ⅱ列王記5章

 

 今回は、Ⅱ列王記5章から学びます。

 Ⅰ.ナーマンの癒し(1-14)

まず、1~14節までをご覧ください。7節までをお読みします。「1 アラムの王の軍の長ナアマンは、その主君に重んじられ、尊敬されていた。それは、主が以前に、彼を通してアラムに勝利を与えられたからであった。この人は勇士であったが、ツァラアトに冒されていた。2 アラムはかつて略奪に出たとき、イスラエルの地から一人の若い娘を捕らえて来ていた。彼女はナアマンの妻に仕えていた。3 彼女は女主人に言った。「もし、ご主人様がサマリアにいる預言者のところに行かれたら、きっと、その方がご主人様のツァラアトを治してくださるでしょう。」4 そこで、ナアマンはその主君のところに行き、イスラエルの地から来た娘がこれこれのことを言いました、と告げた。5 アラムの王は言った。「行って来なさい。私がイスラエルの王に宛てて手紙を送ろう。」そこで、ナアマンは、銀十タラントと金六千シェケルと晴れ着十着を持って出かけた。6 彼はイスラエルの王宛ての次のような手紙を持って行った。「この手紙があなたに届きましたら、家臣のナアマンをあなたのところに送りましたので、彼のツァラアトを治してくださいますように。」7 イスラエルの王はこの手紙を読むと、自分の衣を引き裂いて言った。「私は殺したり、生かしたりすることのできる神であろうか。この人はこの男を送って、ツァラアトを治せと言う。しかし、考えてみよ。彼は私に言いがかりをつけようとしているのだ。」」

アラム(シリア)の王ナアマンの話です。ナアマンはアラムの王の将軍で、その主君から重んじられていました。それは彼が勇士であって、以前彼を通してアラムに勝利をもたらしていたからです。ここには、その勝利は「主が以前、彼を通して」与えられたものであったと記されてあります。主が彼を選び、彼とともにあったので、彼は勝利を得ることができたのです。それは主が彼を選び、彼の癒しも計画しておられたからです。

しかし、そんなナアマンですが、「ツァラ―ト」に冒されていました。「ツァラ―ト」は重い皮膚病で、イスラエルではツァラートの患者は隔離されなければなりませんでしたが、アラムではそうではありませんでした。彼はこのことでどれほど心を痛めていたことでしょうか。人々に認められて、何一つ不自由ない生活を送っていたにもかかわらず、自分ではどうすることもできない弱さや痛みを抱えていたのです。私たちも同じです。表面的には有能で一生懸命働いていて、何一つ不自由のない生活をしているようでも、こうした弱さを抱えながら生きています。

ところで、彼の家に一人の若い娘がいて、彼の妻に仕えていました。彼女は、かつてアラムが略奪に出たとき、イスラエルの地から連れて来られた娘です。その娘はある日、女主人にエリシャのことを伝えました。3節です。「もし、ご主人様がサマリアにいる預言者のところに行かれたら、きっと、その方がご主人様のツァラアトを治してくださるでしょう。」

彼女には、エリシャを通してこのツァラートが癒されるという信仰がありました。この信仰が、ナアマンの癒しにつながっていくことになります。このような若い娘でも、主によって大きく用いられる器になることができるのです。

そのことがナアマンの耳に入ると彼は主君のところへ行き、この娘から聞いたことを伝えました。するとアラムの王は有能な将軍を病で失うことは一大損失と考えたのか、ナアマンがイスラエルに行くことを許可しただけでなく、イスラエルの王に宛てて手紙を書き送りました。それは6節にあるように、「この手紙があなたに届きましたら、家臣のナアマンをあなたのところに送りましたので、彼のツァラアトを治してくださいますように。」という内容のものでした。この時のアラムの王はベン・ハダド2世(B.C860-841)ですが、この時点ではイスラエルの王ヨラムと良好な関係を維持していました。それでナアマンは、銀10タラント、金6千シェケル、晴れ着10着を持って出かけて行きました。銀10タラントとは340㎏です。金6千シェケルは68.4㎏です。相当な重さ、相当な額の贈り物です。これを150㎞も離れたサマリアまで運ぶのは大変なことだったと思います。ナアマンはツァラートの癒しのためにそれ相応の贈り物を用意して、イスラエルに敬意を払おうとしたのです。それほど癒されたかったということです。

それに対して、イスラエルの王ヨラムはどのように対応したでしょうか。7節です。イスラエルの王は、自分がナアマンを癒さなければならないと勘違いしたのか、これは再びイスラエルを攻めてくる言いがかりではないかと疑いました。彼は、ナアマンの妻の女奴隷のイスラエル人の少女と違って、預言者エリシャのことが思い浮かびませんでした。神の働きを受け入れようとしない人は、ヨラムのように神の働きを見ることができません。取るに足りない娘が発した信仰の言葉が、二つの王国の運命を大きく揺さぶることになります。私たちの主は、小さき者の信仰を大いに祝福してくださる方なのです。

次に、8~14節までをご覧ください。「8 神の人エリシャは、イスラエルの王が衣を引き裂いたことを聞くと、王のもとに人を遣わして言った。「あなたはどうして衣を引き裂いたりなさるのですか。その男を私のところによこしてください。そうすれば、彼はイスラエルに預言者がいることを知るでしょう。」9 こうして、ナアマンは馬と戦車でやって来て、エリシャの家の入り口に立った。10 エリシャは、彼に使者を遣わして言った。「ヨルダン川へ行って七回あなたの身を洗いなさい。そうすれば、あなたのからだは元どおりになって、きよくなります。」11 しかしナアマンは激怒して去り、そして言った。「何ということだ。私は、彼がきっと出て来て立ち、彼の神、主の名を呼んで、この患部の上で手を動かし、ツァラアトに冒されたこの者を治してくれると思っていた。12 ダマスコの川、アマナやパルパルは、イスラエルのすべての川にまさっているではないか。これらの川で身を洗って、私がきよくなれないというのか。」こうして、彼は憤って帰途についた。13 そのとき、彼のしもべたちが近づいて彼に言った。「わが父よ。難しいことを、あの預言者があなたに命じたのでしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。あの人は『身を洗ってきよくなりなさい』と言っただけではありませんか。」14 そこで、ナアマンは下って行き、神の人が言ったとおりに、ヨルダン川に七回身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。」

エリシャは、ヨラム王が動揺して衣を引き裂いたと聞いて、王のもとに人を遣わして言いました。「あなたはどうして衣を引き裂いたりなさるのですか。その男を私のところによこしてください。そうすれば、彼はイスラエルに預言者がいることを知るでしょう。」

エリシャは、自分が責任を持って癒すので、彼はイスラエルに預言者がいることを知るようになるだろうと言いました。

それでナアマンは馬と戦車でやって来て、エリシャの家の入口に立ちました。するとエリシャは彼に使いをやってこう言わせました。「ヨルダン川へ行って七回あなたの身を洗いなさい。そうすれば、あなたのからだは元どおりになって、きよくなります。」

何ということでしょう。はるばるアラムからやって来たというのに、しかもそれ相応の贈り物まで持って来たというのに、自分に会おうともしないというのは。あまにも失礼だ。しかも、その治療法はとんでもない。ヨルダン川へ行って七回身を洗うというのは。

これを聞いたナアマンは激怒し、そこを去りました。彼が激怒したのは、エリシャ自身が出て来てきよめの儀式をしてくれると思ったのにそうではなかったこと、そしてそれがあまりも失簡単すぎると思ったからです。彼は英雄だったので、英雄にふさわしい治療を期待していました。それなのに、ヨルダン川に行って7回身を洗えというのですから。だったら故郷のアマナやパルパルの川の方がましじゃないか。プライドの高かったナアマンには、信仰による単純な癒しを受け入れることができなかったのです。

それは私たちの救いにも言えることです。神様が同様の単純な方法で赦しを与えようとすると、ナアマンのような反応をする人々がいます。イエス・キリストを信じるだけで救われるというのは重みが足りないと感じるのです。でもナアマンがツァラートを癒していただくために必要だったことは、彼がへりくだって神のあわれみを受け入れることです。神のことばを受け入れて、ただ信じるならば救われるのです。

今週の礼拝は受難週のメッセージで、ルカ23章からお話しましたが、あの一人の犯罪人が救われたのはどうしてでしょうか。彼がへりくだってイエス様に「あなたが御国にお着きになる時には、どうか私を思い出してください。」と言ったからです。彼は十字架に磔にされていましたから、彼には何もすることかできませんでした。彼に出来ることは、救ってくださいと神に懇願することしかなかったのです。するとイエスは感動をもってこう言われました。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカ23:43)

彼に出来ることはただ、イエスが救うことができる方であると信じ、そのイエスにすがることだけだったのです。その結果、彼は救われました。「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」と、イエスから救いの約束を得ることが出来たのです。

ナアマンは憤って帰途につくと、彼のしもべたちが近づいて来て、彼に言いました。「わが父よ。難しいことを、あの預言者があなたに命じたのでしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。あの人は『身を洗ってきよくなりなさい』と言っただけではありませんか。」このしもべは冷静でした。ヨルダン川に行って7回洗うということは何でもないことです。しもべは知っていました。主君ナアマンのことを。そして、もっと難しいことをエリシャが命じたら、あなたはそれをやろうとしたでしょう、と言ったのです。簡単なことができずに、難しいことだったらやろうとする。それが私たち人間の持っている性質です。簡単なことでは救われないと思っているのです。救われるためにはもっとハードなことをしなければならないと。ナアマンはそういうことを期待していました。でもエリシャが言ったことは実にシンプルなことでした。ヨルダン川に行って7回身を洗うだけです。

ナアマンはよい家来を持ったものです。彼はそのことばを聞くと反省し、家来たちの助言を聞き入れます。彼は下って行き、神の人エリシャが言ったとおり、ヨルダン川に7回身を浸しました。これが信仰です。信仰とは、主が言われているとおりに信じて聞き従うことです。すると彼はどうなりましたか。すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなりました。主は彼を癒しただけでなく、彼の皮膚を幼子のようにすべすべした肌に作り変えたのです。それはヨルダン川の水に癒す力があったからではありません。それは、ナアマンが預言者を通して語られた主のことばを信じたからです。彼は信仰によっていやされたのです。この「7回」という数字は、それを物語っています。聖書の中で「7」は完全数、または神のことを表わしています。彼が神のことばを受け入れて7回浸ったことで、彼は癒しの恵みを受けることができたのです。そうです、神のことばに力があります。その神のことばを受け入れ、それに従う人は何と幸いでしょうか。

Ⅱ.ナアマンの感謝(15-19)

次に、15~19節をご覧ください。「15 ナアマンはその一行の者すべてを連れて神の人のところに引き返して来て、彼の前に立って言った。「私は今、イスラエルのほか、全世界のどこにも神はおられないことを知りました。どうか今、あなたのしもべからの贈り物を受け取ってください。」16 神の人は言った。「私が仕えている主は生きておられます。私は決して受け取りません。」ナアマンは、受け取らせようとしてしきりに勧めたが、神の人は断った。17 そこでナアマンは言った。「それなら、どうか二頭のらばに載せるだけの土をしもべに与えてください。しもべはこれからはもう、主以外のほかの神々に全焼のささげ物やいけにえを献げません。18 どうか、主が次のことについてしもべをお赦しくださいますように。私の主君がリンモンの神殿に入って、そこでひれ伏すために私の手を頼みにします。それで私もリンモンの神殿でひれ伏します。私がリンモンの神殿でひれ伏すとき、どうか、主がこのことについてしもべをお赦しくださいますように。」19 エリシャは彼に言った。「安心して行きなさい。」そこでナアマンは彼から離れ、かなりの道のりを進んで行った。」

癒されたナアマンは、感謝に溢れてエリシャのもとに引き返してきました。これは決して短い距離ではありません。ヨルダン川からエリシャがいたサマリアまでは約40㎞もありました。それほど彼は感謝に満ち溢れていたということです。その距離をもろともせずに引き返してきたのですから。エリシャのもとに引き返して来たナアマンは彼の前に立つとこう言いました。「私は今、イスラエルのほか、全世界のどこにも神はおられないことを知りました。どうか今、あなたのしもべからの贈り物を受け取ってください。」

これはナアマンの信仰告白です。この奇跡は、神の視点からは、このナアマンの信仰を引き出すためのものだったのです。アラムの将軍ナアマンといったら異邦人です。その異邦人でもイスラエルの神に従うなら救われるということを示していたのです。

ルカ4章27節には、「また、預言者エリシャのときには、イスラエルにはツァラアトに冒された人が多くいましたが、その中のだれもきよめられることはなく、シリア人ナアマンだけがきよめられました。」とあります。イスラエルにはツァラアトに冒されて人が多くいましたが、きよめられたのはそのイスラエル人ではなく、異邦人であったナアマンだけでした。なぜ?イスラエルには信仰がなかったからです。ナアマンにはありました。イスラエルの民はバアル礼拝に走っていましたが、ナアマンはイスラエルの神、主への信仰を告白しました。なんとい皮肉でしょうか。これは何を意味しているのかというと、たとえ異邦人であっても、ヤハウェを信じる者はみな救われるということです。信仰によって、神の救いの中に加えられるのです。それは日本人である私たちも同じです。日本人であっても、イスラエルの主ヤハウェを信じるなら救われるのです。主は新約時代だけでなく、旧約時代からすでにご自分のわざを示しておられたのです。

ナアマンは感謝のしるしに贈り物を差し出しましたが、エリシャはそれを拒否しました。なぜでしょうか。エリシャはこのように言っています。「私が仕えている主は生きておられます。私は決して受け取りません。」エリシャは、それが神の働きであって、神の働きはこの世のそれと違い仕事の報酬であるかのようにお金を受け取ってはいけないことを知っていたからです。それは神の働き人が報酬を得てはならないということではありません。聖書には、「「穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない」、また「働き手が報酬を受けることは当然である」」(Ⅰテモテ5:18)と言われているように、ある意味それは当然のことなのです。しかしそれを当然であるかのように受けることは神の働き人としてふさわしいものではありません。それでエリシャは、ナアマンが受け取らせようとしてしきりに勧めましたが断ったのです。

そこでナアマンは一つのことをエリシャに願いました。それは二頭のらばに乗せられるだけの土を与えてほしいということでした。これは祭壇を築くための土です。彼はヤハウェへの祭壇を築くためにイスラエルの土でないとだめだと思っていたのです。すべてのものは信仰によってきよめられるから(ローマ14:23)です。別にシリアの土を用いても構わなかったのですが、彼はイスラエルの土にこだわっていました。イスラエルの神、主だけにいけにえをささげるために。

しかし、そのように言いながら彼は、突拍子のないようなことをエリシャに告げています。それは18節にあるように、彼の主君がリモンの神殿に入って、そこでひれ伏すために自分の手を必要としますが、自分がリモンの神殿でひれ伏すとき、それを赦してほしいということです。「リモン」とは、雨と雷を司る偶像です。そのリモンの神殿に入るとき、それは自分の職務としてやっていることだけなので、礼拝するわけではないから、身をかがめることを赦してほしいというのです。

するとエリシャは何と言いましたか。エリシャはこう言いました。「安心して行きなさい。」どういうことでしょうか。旧約聖書を見る限り、たとえそれが礼拝するわけではないとしても、偶像にひれ伏してもいいという箇所はどこにもありません。むしろ神は聖なる方であって、その聖なる方にならって分離することを命じておられます。偶像礼拝に陥らないように。それなのに、ここでエリシャはたとえそれが職務の一つであるとは言え、「安心して行きなさい。」とナアマンがリンモンの神殿でひれ伏すことを許しているかのように受け取れます。これはどういうことでしょうか。どの訳を見ても同じです。どの聖書も「安心して行きなさい。」「Go in peace」と訳しています。

バイブルナビには、このように解説しています。

「ナアマンはどうして異教の偶像の前で身をかがめる行為を許されたのだろうか。ナアマンは、リンモン神を礼拝する許可ではなく、王が身をかがめるとき、立ち座りの介助をする義務を果たす許可を求めたのである。別名ハダドとしても知られるダマスコの神リンモンは、雨と雷の神として信じられていた。同時代のほとんどの人間と異なり、ナアマンは神の御力に対し鋭い意識を持っていることを示した。神を国が拝む偶像の一つに加えるのではなく、彼は唯一神がおられると認めた。ナアマンは、他の神々を礼拝しようとしなかった。この一点においてのみ許しを求めたナアマンの行為は、多くの偶像を拝み続けていたイスラエル人とは対照的である。」

確かに、ここでエリシャが許したのは、ナアマンがアラムの王ハダドが立ったり座ったりするのを介助する許可を与えたということでしょう。しかし、たとえ彼の主人のこととは言え、それを手助けすること自体受け入れられないことです。

フレデリック・ファーラー(1831-1903年、聖公会の司祭)はこう述べています。

「エリシャの助言を誤解してはならない。彼は、異教の教えの影響が残っているこの新改宗者に、無制限の自由を約束したわけではない。ナアマンが置かれていた状況は、どんなイスラエル人の状況とも異なる。彼は改宗して1日しか経ってない。それも「生煮え」の改宗者に過ぎない。ナアマンのように、一貫して偶像礼拝に関わって来た人に、多くを要求することはできない。それまで慣れ親しんできた習慣や伝統のすべてを放棄するようにナアマンに迫ることは、余りにも唐突過ぎる。それは、無分別な無益な要求であり、彼に不可能な自己犠牲を迫るものである。最善の方法は、彼がリモン礼拝の不毛さを自ら体験できるように導いてやることである。それでも、リンモンの神殿で偶像を礼拝してはならないという原則だけは、不変である。」

ここでフレデリック・ファーラーが言っていることは、ナアマンの信仰は情報不足もあってまだ未熟なものであったということです。そのナアマンにそれまで慣れ親しんできた習慣や伝統のすべてを放棄するように迫ることは余りにも唐突過ぎることであり、無分別な要求であるということです。彼にとって必要なことは、リンモン礼拝の不毛さを自ら体験できるように導いてやることであり、やがてナアマン自身が、いかに行動すべきかを判断する必要があったということです。そういう点ではナアマンが置かれていた状況を考えると、これはギリギリの許可だったのではないかと思われます。

しかし、ここで注目していただきたいことは、このエリシャのことばです。彼はここで「安心して行きなさい。」と言っていますが、これはナアマンのこの行為を許可したとかしないということではなく、ただ「神があなたと共にあるように」と言ったのです。いわゆる、「シャローム」と言ったのです。それはあなたが判断することです。確かに神の原則は変わりません。リンモンの神殿で礼拝してはならないという原則だけは、不変です。その原則を踏まえた上で、彼がどう判断するのか、それはあなたが決めることであって、重要なのは、神があなたとともにおられるということ。神の平安とともに行くように、ということです。つまり、エリシャは彼の判断にゆだねたのです。たとえ、今そうであっても、イスラエルの神、主がどのような方であるかを知るようになれば、自ずとどうすれば良いかはわかって来るでしょう。偶像を礼拝してはならないという原則だけは変わらないが、何よりも重要なことは神とともにあること、神の平安をもって出て行くことです。そう言いたかったのではないでしょうか。

これはきわめて現実的で知恵に満ちた答えでした。この日本という異教社会に住む私たちもナアマンのような問題を抱えることがありますが、同じような問題で悩んでいる人に対してどのような助言をすべきかを、神様から知恵をいただきながら聖書の原則に立ってしっかりと対応していきたいと思います。

Ⅲ.ゲハジの貪欲(20-27)

最後に、20~27節をご覧ください。「20 そのとき、神の人エリシャに仕える若者ゲハジはこう考えた。「何としたことか。私の主人は、あのアラム人ナアマンが持って来た物を受け取ろうとはしなかった。主は生きておられる。私は彼の後を追いかけて、絶対に何かをもらって来よう。」21 ゲハジはナアマンの後を追いかけて行った。ナアマンは、うしろから駆けて来る者を見つけると、戦車から降りて彼を迎え、「何か変わったことでも」と尋ねた。22 そこで、ゲハジは言った。「変わったことはありませんが、私の主人は私を送り出してこう言っています。『たった今、エフライムの山地から、預言者の仲間の二人の若者が私のところにやって来たので、どうか、銀一タラントと晴れ着二着を彼らに与えてやってください。』」23 するとナアマンは、「ぜひ、二タラントを取ってください」と言ってしきりに勧め、二つの袋に入れた銀二タラントと、晴れ着二着を自分の二人の若者に渡した。そこで彼らはそれを背負ってゲハジの先に立って進んだ。24 ゲハジは丘に着くと、それを二人の者から受け取って家の中にしまい込み、彼らを帰らせたので、彼らは去って行った。25 彼が家に入って主人の前に立つと、エリシャは彼に言った。「ゲハジ。おまえはどこへ行って来たのか。」彼は答えた。「しもべはどこへも行っていません。」26 エリシャは彼に言った。「あの人がおまえを迎えに戦車から降りたとき、私の心はおまえと一緒に歩んでいたではないか。今は金を受け、衣服を受け、オリーブ油やぶどう畑、羊や牛、男女の奴隷を受ける時だろうか。27 ナアマンのツァラアトは、いつまでもおまえとおまえの子孫にまといつく。」ゲハジはツァラアトに冒され、雪のようになって、エリシャの前から去って行った。」

すると、エリシャに仕えていたゲハジは考えました。エリシャはナアマンが持って来た物を何も受け取ろうとしなかった。では、自分が行って、何かをもらって来よう。そしてナアマンの後を追いかけて行き彼に追い着くと、「何か変わったことでも」と尋ねるナアマンに、彼は嘘を言いました。22節です。「変わったことはありませんが、私の主人は私を送り出してこう言っています。『たった今、エフライムの山地から、預言者の仲間の二人の若者が私のところにやって来たので、どうか、銀一タラントと晴れ着二着を彼らに与えてやってください。』」ゲハジは自分の主人エリシャの名を使って、嘘をついたのです。

するとナアマンは、銀1タラントと晴れ着2着という要求に対して、銀2タラントと晴着2着を与えました。ゲハジが求めた額は、ナアマンが用意していたものに比べると控え目ですが、それでも大金です。これを手に入れたら、一生楽に暮らしていけます。結局ナアマンは、その倍の額と晴着2着をゲハジに与え、財宝を運ぶ2人の若者まで提供しました。

ゲハジは家に帰って来ると、それを二人の若者から受け取って家の中にしまい込み、彼らを帰らせました。そして、彼が家の中に入りエリシャの前に立つと、エリシャは彼にどこに行っていたのかと尋ねました。彼は「しもべはどこにも行っていません。」と嘘をつきました。二回目の嘘です。これは嘘の上塗りです。人は一度嘘つくとその嘘を隠すために他の嘘もついてしまうことになります。けれども、エリシャは知っていました。彼がどこに行って来たのかを。エリシャはこう言いました。

「今は金を受け、衣服を受け、オリーブ油やぶどう畑、羊や牛、男女の奴隷を受ける時だろうか。」

「オリーブ油やぶどう畑、羊や牛、男女の奴隷」は、ゲハジが手に入れた銀で買おうと思っていたものです。その結果、彼に神のさばきが下りました。ナアマンのツァラートが、いつまでもゲハジと彼の子孫にまといつくことになる、と告げられたのです。そしてそのことばの通り、ゲハジはツァラートに冒され、雪のようになって、エリシャの前から去って行きました。

ここでは、エリシャとゲハジが対比されています。エリシャは、神の器として神の恵みを分かち合い、人から見返りを受けるのではなく、ただ主に仕えるしもべであったのに対して、ゲハジは神の栄光を、自分の欲望のために奪い取ろうとしました。このように、神のしもべにも2種類のタイプの人がいます。あなたはどちらのタイプのしもべですか。私たちは神のことばへの信頼と従順によって、エリシャのように神の恵みを分かち合うしもべでありたいと思います。

Ⅱ列王記4章

 

 今回は、Ⅱ列王記4章から学びます。

 Ⅰ.空の器の満たし(1-7)

まず、1~7節までをご覧ください。「1 預言者の仲間の妻の一人がエリシャに叫んで言った。「あなたのしもべである私の夫が死にました。ご存じのように、あなたのしもべは主を恐れていました。ところが、債権者が来て、私の二人の子どもを自分の奴隷にしようとしています。」2 エリシャは彼女に言った。「何をしてあげようか。私に話しなさい。あなたには、家の中に何があるのか。」彼女は答えた。「はしためには、家の中に何もありません。ただ、油の壺一つしかありません。」3 すると、彼は言った。「外に行って、近所の皆から、器を借りて来なさい。空の器を。それも、一つや二つではいけません。4 家に入ったら、あなたと子どもたちの背後の戸を閉めなさい。そしてすべての器に油を注ぎ入れなさい。いっぱいになったものは、わきに置きなさい。」5 そこで、彼女は彼のもとから去って行き、彼女と子どもたちが入った背後の戸を閉めた。そして、子どもたちが次々と自分のところに持って来る器に油を注ぎ入れた。6 器がどれもいっぱいになったので、彼女は子どもの一人に言った。「もっと器を持って来なさい。」その子どもが彼女に、「もう器はありません」と言うと、油は止まった。7 彼女が神の人に知らせに行くと、彼は言った。「行ってその油を売り、あなたの負債を払いなさい。その残りで、あなたと子どもたちは暮らしていけます。」

ここからエリシャの預言活動が続きます。これらを読んで行くと気づくことは、エリヤに願ったとおり、エリヤの霊の二倍の分け前がエリシャに与えられていることです。エリヤの霊の二倍の分け前とは、エリヤが持っていた霊の二倍ということではなく、エリヤに働いていた同じ霊をエリヤ以上にという意味です。ですから、ここにはエリヤが行なった奇蹟と似たような出来事がいくつか出てきますが、エリヤとは異なる、対照的な奇蹟も見ることになります。

1節をご覧ください。預言者の仲間の妻の一人が、やもめとなりました。彼女の夫は借金を残して死んだため、債権者がやって来て彼女の二人の子どもを奴隷にしようとしていました。そこで彼女はそれをエリシャに訴えました。当時は、福祉制度がなく、母子家庭に対する生活保護もなく、やもめはひどく貧しい状況に陥りました。そして当時は、借金を払わない代わりに、このように奴隷になることが習慣としてあったのです。

それで、エリシャは彼女に言いました。「何をしてあげようか。私に話しなさい。あなたには、家の中に何があるのか。」

すると彼女は言いました。「はしためには、家の中に何もありません。ただ、油の壺一つしかありません。」

「油」とは、オリーブ油のことです。この油は粉に混ぜてパンを焼いたり、燈火用に使ったりするものですが、その油を入れる壺が一つしかありませんでした。家の中に油の壺が一つしかないというのは、極貧の家庭であったことを表しています。

するとエリシャはこう言いました。3~4節です。「外に行って、近所の皆から、器を借りて来なさい。空の器を。それも、一つや二つではいけません。 家に入ったら、あなたと子どもたちの背後の戸を閉めなさい。そしてすべての器に油を注ぎ入れなさい。いっぱいになったものは、わきに置きなさい。」

どういうことでしょうか。外に行って空の器を借りて来て、そのすべての器に油を注ぐようにというのです。いったい何のためにこんなことをしなければならないのでしょうか。そんなことをしていったい何になるというのでしょう。だれもがそう思うでしょう。しかし、彼女には主のことば、エリシャのことばに従うことが求められていました。彼女が集める器の数が、そのまま彼女の信仰の量なのです。家の戸を閉めるというのは、この奇跡が公にではなく私的空間で行われたとを示しています。ここがエリヤの時と違う点です。エリヤの場合は公になされましたが、エリシャの場合は個人的なレベルでなされました。

そこで、彼女は彼のもとから去って行き、彼女と子どもたちが入った背後の戸を閉めると、子どもたちが次々と自分のところに持って来る器に油を注ぎ入れました。そして、器がどれもいっぱいになったので、彼女が子どもの一人に「もっと器を持って来なさい。」と言いましたが、子供が「もう器はありません」と言うと、油がピタッと止まりました。これを霊的にも言えることです。主は私たちに生ける水である神の御霊を注いでくださると約束されましたが、渇いた心を持って主の御許に行くなら満たされますが、そうでないとピタッと止まります。満たされません。私たちの器に神の聖霊を満たしていただくためには、「もっと、もっと満たしてください」と、渇いた心をもって主の御前に進み出なければなりません。良い意味で霊的に貪欲になる必要があるのです。

彼女がエリシャに知らせに行くと、彼は「行ってその油を売り、あなたの負債を払いなさい。その残りで、あなたと子供は暮らしていけます。」と言いました。この一家は負債から解放されただけでなく、将来の糧まで得ることができました。このようにエリシャの奇跡はエリヤのそれと異なり、個人的なレベルで具体的な必要を抱えている貧しい人たちに対してなされたのです。イエスさまの成された奇跡に非常に似ています。

Ⅱ.シュネムの女(8-17)

次に8~17節をご覧ください。「8 ある日、エリシャがシュネムを通りかかると、そこに一人の裕福な女がいて、彼を食事に引き止めた。それ以来、エリシャはそこを通りかかるたびに、そこに寄って食事をするようになった。9 女は夫に言った。「いつも私たちのところに立ち寄って行かれるあの方は、きっと神の聖なる方に違いありません。10 ですから、屋上に壁のある小さな部屋を作り、あの方のために寝台と机と椅子と燭台を置きましょう。あの方が私たちのところに来られるたびに、そこを使っていただけますから。」

ある日、エリシャはそこに来て、その屋上の部屋に入って横になった。12 彼は若者ゲハジに言った。「ここのシュネムの女を呼びなさい。」ゲハジが呼ぶと、彼女はゲハジの前に立った。13 エリシャはゲハジに言った。「彼女にこう伝えなさい。『本当に、あなたはこのように、私たちのことで一生懸命骨折ってくれたが、あなたのために何をしたらよいか。王か軍の長に、何か話してほしいことでもあるか』と。」彼女はそれにこう答えた。「私は私の民の間で、幸せに暮らしております。」14 エリシャが「では、彼女のために何をしたらよいだろうか」と言うと、ゲハジは言った。「彼女には子がなく、それに、彼女の夫も年をとっています。」15 エリシャが、「彼女を呼んで来なさい」と言ったので、ゲハジが彼女を呼ぶと、彼女は入り口のところに立った。16 エリシャは言った。「来年の今ごろ、あなたは男の子を抱くようになる。」すると彼女は言った。「いいえ、ご主人様。神の人よ、このはしために偽りを言わないでください。」17 しかし、この女は身ごもり、エリシャが彼女に告げたとおり、翌年のちょうどそのころに男の子を産んだ。」

先程は、貧しいやもめの女で、ふたりの子どもを持っていましたが、ここではそれとは対照的に、裕福で夫はいますが、子どものいない女です。

ある日、エリシャがシュネムを通りかかると、そこに一人の裕福な女がいて、彼を食事に引き留めました。「シュネム」は新改訳2017の地図には載っておりませんが第三版には載っていて、イズレエルの北10㎞に位置しています。おそらくエリシャは、サマリヤ、イズレエルのエリアを巡回していたのでしょう。それ以来、エリシャはそこを通りかかるたびに、そこに寄って食事をするようになりました。その婦人は霊的に感受性が豊かな人だったのか、ある時夫にこんな提案をしました。それは10節にあるように、エリシャのために屋上に壁のある小さな部屋を作り、彼のために寝台と机と椅子と燭台を置き、エリシャがそこに来るたびに使ってもらいましょうということでした。主に対する彼女の献身が、主のしもべに対する親切となって表れたのです。

ある日、エリシャがやって来て、その屋上の部屋に入って横になると、エリシャは若者ゲハジに、シュネムの女を呼んで来るように言いました。彼はそのシュネムの女の親切に報いたいと思ったのです。エリシャがゲハジを通して彼女に、「あなたのために何をしたらよいか。王か軍の長に、何か話してほしいことでもあるか」と尋ねると、彼女は「私は私の民の中で、しあわせに暮らしております。」と答えました。何もありませんということです。どうせなら、折角の機会なんだから、「じゃ、これをしてもらえますか」と言えばいいのにと私なら思いますが、彼女はすべてが神の恵みと受け止め、もう十分に与えられておりますと答えました。謙虚ですね。彼女はどこまで謙虚で美しい心を持っていました。

そこでエリシャは彼女にではなくゲハジに尋ねると、ゲハジは、彼女には子どもがないことを伝えます。それに、彼女の夫も年をとっていました。彼女は主に祝福されて、何の不自由もないように見えましたが、実は、心の奥底では痛みを抱えていたのです。不妊であったという痛みです。ここからわかることは、人は一見不自由でないように見えても、何らかの欠乏や葛藤を抱えているということです。もしかすると、いくら神の人であるとはいえ、この悩みを彼に言っても無駄だと思ったのかもしれません。

そこでエリシャがゲハジを通して彼女を呼ぶと、彼女は入り口の所に立ちました。するとエリシャは彼女にこう言いました。「来年の今ごろ、あなたは男の子を抱くようになる。」

すると彼女は言いました。「いいえ、ご主人様。神の人よ、このはしために偽りを言わないでください。」あまりにも調子のいいことを言わないでくださいということです。しかし、翌年のちょうどそのころ、彼女はエリシャの言葉どおりに男の子を生みました。

子を産まない胎が命を産み出しました。神には不可能なことはありません。この誕生は私たちが経験する霊的誕生のひな型でもあります。また、私たちが想像もつかないほどの神の大いなる御業です。人にはできなくても、神にはどんなことでもできるのです。

ところが、その子供が大きくなって、ある日、刈り入れをする者たちと一緒にいる、父のところに出て行ったとき事件が起こります。18~28節をご覧ください。「18 その子が大きくなって、ある日、刈り入れをする者たちと一緒にいる、父のところに出て行ったとき、19 父親に、「頭が、頭が」と言った。父親は若者に、「この子を母親のところに抱いて行ってくれ」と命じた。20 若者はその子を抱き、母親のところに連れて行った。この子は昼まで母親の膝の上に休んでいたが、ついに死んでしまった。21 彼女は屋上に上がって、神の人の寝台にその子を寝かせ、戸を閉めて出て行った。22 彼女は夫に呼びかけて言った。「どうか、若者一人と、雌ろば一頭を私のために出してください。私は急いで神の人のところに行って、すぐに戻って来ますから。」23 すると彼は、「どうして、今日あの人のところに行くのか。新月祭でもなく、安息日でもないのに」と言ったが、彼女は「かまいません」と答えた。24 彼女は雌ろばに鞍を置き、若者に命じた。「手綱を引いて進みなさい。私が命じなければ、手綱を緩めてはいけません。」25 こうして彼女は出かけて、カルメル山の神の人のところへ行った。神の人は、遠くから彼女を見つけると、若者ゲハジに言った。「見なさい。あのシュネムの女があそこに来ている。26 さあ、走って行って彼女を迎え、言いなさい。『あなたは無事ですか。あなたのご主人は無事ですか。お子さんは無事ですか』と。」彼女はそれにこう答えた。「無事です。」27 それから彼女は山の上にいる神の人のところに来て、彼の足にすがりついた。ゲハジが彼女を追い払おうと近寄ると、神の人は言った。「そのままにしておきなさい。彼女の心に悩みがあるのだから。主はそれを私に隠し、まだ私に知らせておられないのだ。」28 彼女は言った。「私がご主人様に子どもを求めたでしょうか。この私にそんな気休めを言わないでくださいと申し上げたではありませんか。」」

急に頭に痛みを覚え「頭が、頭が」と言いました。父親は若者に「急いでこの子を母親のところに抱いて行ってくれ」と命じると、若者はその子を抱き、母親のところに連れて行きました。そして、母親の膝の上に休んでいましたが、ついに死んでしまいました。死因が何であったかはわかりません。ある学者は日射病ではないかと考えています。

すると彼女は屋上に上がって、神の人エリシャの寝台にその子を寝かせると、戸を閉めて出て行きました。どういうことでしょうか。彼女はまだ諦めていなかったということです。エリシャなら癒すことができると思ったのです。それで若者一人と雌ろば一頭を用意してもらうように夫に呼びかけました。すると夫は、「どうして、今日あの人のところに行かなければならないのか。新月祭でもなく、安息日でもないのに」と言いました。夫は無理だと思ったのでしょう。彼はエリシャのことを宗教的行事程度にしか見ていなかったのです。すると彼女は「それでもかまいません」と言って、出かけて行きました。長々と説明して、時間を無駄にしたくなかったからです。

彼女は雌ろばに鞍を置くと、若者に命じて言いました。「手綱を引いて進みなさい。私が命じなければ、手綱を緩めてはいけません。」(24)シュネムからエリシャがいたカルメル山までは、片道約30㎞です。彼女はそこまで手綱を緩めることなく、急いで行きました。ここに彼女の必死さがよく表れています。「どうして、今日あの人のところに行くのか」とのん気に構えていた夫とは雲泥の差です。

エリシャは遠くから彼女を見つけると、若者ゲハジに、彼女と夫、そして子とでもの安否を尋ねるようにと言いました。「あなたは無事ですか。あなたのご主人は無事ですか。お子さんは無事ですか」彼女は「無事です」と答えていますが、実際は無事ではありません。どうしてこのように答えたのかというと、やはり時間を無駄にしたくなかったからです。彼女が夫に「かまいません」と答えたように、ここでも「無事です」と答えたのです。それだけ時間がなかったということ、それだけ切羽詰まっていたということです。

それから彼女はカルメル山の上にいたエリシャのところに来ると、彼の足にすがりつきました。ゲハジは彼女を追い払おうとしましたが、エリシャは「そのままにしておきなさい」と言いました。彼女が深い悲しみに襲われていると思ったからです。ただし、その悲しみがどのようなものであるかは、まだ知らされていませんでした。

彼女はその問題について告げる前に、「私がご主人様に子どもを求めたでしょうか。この私にそんな気休めを言わないでくださいと申し上げたではありませんか。」(28)と言いました。エリシャはそのことばを聞いて、息子に何らかの危機的状況にあることを悟りました。なぜなら、それは子が与えられて死ぬぐらいなら、初めから与えなかったほうが良かったのではないかという意味のことだったからです。それでエリシャはすぐに彼女の家に向かいます。

ここでの主役はシュネムの女、あの母親です。彼女は信仰の人でした。その信仰は、神の人エリシャに会うまで沈黙を守るという形で表現されています。彼女は、自分が直面している問題を、神の視点から解決しようとしたのです。私たちにこのような信仰があるでしょうか。

次に、29~37節をご覧ください。「29 そこでエリシャはゲハジに言った。「腰に帯を締め、手に私の杖を持って行きなさい。たとえだれかに会っても、あいさつしてはならない。たとえだれかがあいさつしても、答えてはならない。そして、私の杖をあの子の頭の上に置きなさい。」30 その子の母親は言った。「主は生きておられます。あなたのたましいも生きています。私は決してあなたを離しません。」エリシャは立ち上がり、彼女の後について行った。31 ゲハジは二人より先に行って、その杖を子どもの頭の上に置いたが、何の声もなく、何の応答もなかった。そこで引き返してエリシャに会い、「子どもは目を覚ましませんでした」と報告した。32 エリシャが家に着くと、その子は寝台の上に死んで横たわっていた。33 エリシャは中に入り、戸を閉めて、二人だけになって主に祈った。34 それから、寝台の上に上がり、その子の上に身を伏せ、自分の口をその子の口の上に、自分の目をその子の目の上に、自分の両手をその子の両手の上に重ねて、その子の上に身をかがめた。すると、その子のからだが温かくなってきた。35 それからエリシャは降りて、部屋の中をあちらこちらと歩き回り、また寝台の上に上がり、子どもの上に身をかがめると、子どもは七回くしゃみをして目を開けた。36 彼はゲハジを呼んで、「あのシュネムの女を呼んで来なさい」と言った。ゲハジが彼女を呼んだので、彼女はエリシャのところに来た。そこでエリシャは、「あなたの子どもを抱き上げなさい」と言った。37 彼女は入って来て彼の足もとにひれ伏し、地にひれ伏した。そして、子どもを抱き上げて出て行った。」

最初エリシャは、ゲハジに自分の杖を持たせてシュネムに派遣しようしました。杖は権威の象徴です。しかし、その子の母親が、「主は生きておられます。あなたのたましいも生きています。私は決してあなたを離しません。」と言いました。それはエリシャに対する絶対的な信頼を表しています。それでエリシャは立ち上がり、彼女の後について行きました。

ゲハジは二人より先に行って、その杖を子どもの頭の上に置きましたが、子どもは目を覚ましませんでした。ゲハジはそこを引き返してエリシャに会うと、そのことを伝えます。そして、エリシャが家に着くと、その子は寝台の上に死んでいました。

エリシャは中に入り、戸を閉めて、二人だけになって主に祈りました。祈りに集中するためです。これもイエス様に似ていますね。それから、子どもの体の上に身を伏せて祈り続けると、子どもの体が温かくなってきました。それからエリシャは下に降りたり、部屋をあちこちと歩き回り、また寝台の上に上がり、子どもの上に身をかがめると、子どもは七回くしゃみをして目を開けました。この「七」という数字は完全数ですが、これが主なる神の奇跡であることを表しています。

エリシャは母親を呼ぶと、その子を母親に返しました。彼女はエリシャ足元にひれ伏し、地にひれ伏しました。そして、子どもを抱き抱えて出て行きました。「彼の足元にひれ伏し」とは、エリシャへの感謝を示しています。また、地にひれ伏しとは、主に感謝と礼拝をささげたということです。この奇跡はシュネムの女の信仰に対する神からの答えだったのです。イエスさまの言葉を借りるなら、「あなたの信仰が、救ったのです」(マルコ10:52)でしょう。彼女は、エリシャが聖なる神の人であることを認めて、この人の祈りによっていやされるという信仰を持っていました。だから、引き下がらず、ゲハジのあいさつや、ゲハジが持っていった杖では直らないと言い張ったのです。このように、いやしや奇蹟には、双方の信仰が要求されることが多いです。いやすことができる方と、いやされると信じる信仰です。私たちはどれだけ主に信頼して祈っているでしょうか。主は癒す力を持っておられます。大切なのは、私たちが主は癒すことができると信じて祈ることなのです。

Ⅲ.毒を取り除いたエリシャ(38-44)

最後に38~44節をご覧ください。まず、41節までをお読みします。「38 エリシャがギルガルに帰って来たとき、この地に飢饉が起こった。預言者の仲間たちが彼の前に座っていたので、彼は若者に命じた。「大きな釜を火にかけ、預言者の仲間たちのために煮物を作りなさい。」39 彼らの一人が食用の草を摘みに野に出て行くと、野生のつる草を見つけたので、そのつるから野生の瓜を前掛けにいっぱい取って帰って来た。そして、彼はそれを煮物の釜の中に刻んで入れた。彼らはそれが何であるかを知らなかった。40 彼らは皆に食べさせようとして、これをよそった。皆はその煮物を口にするやいなや、こう叫んだ。「神の人よ、釜の中に毒が入っています。」彼らは食べることができなかった。41 エリシャは言った。「では、麦粉を持って来なさい。」彼はそれを釜に投げ入れて言った。「これをよそって、この人たちに食べさせなさい。」そのときにはもう、釜の中には悪い物はなくなっていた。」

エリシャがギルガルに帰って来たとき、この地に飢饉が起こりました。そこには預言者の仲間たちがいたので、エリシャはその仲間たちに食事を提供しようと思って、若者ゲハジに命じました。煮物を作るようにと。預言者の仲間の一人が、野草を見つけ、その実をたくさん持ち帰ったので、彼はそれを刻んで釜の中に入れました。しかし、それは毒のある実でした。皆はその煮物を口にするやいなや、「神の人よ、釜の中に毒が入っています」と叫びました。するとエリシャは麦粉を持って来させ、それを釜の中に入れました。すると釜の中には悪い物はなくなっていました。

この奇跡は、エリシャの働きを象徴するものでした。イスラエルの民は主に背きバアル礼拝に走ったので、霊的ききんを経験しました。バアル礼拝は、霊的死をもたらす「毒」でした。エリシャはその「毒」を取り除き、イスラエルの民に真の霊的糧をもたらそうと献身的に主に仕えたのです。私たちが食する霊的糧の中に毒が入っているようならば、聖霊によってそれを取り除いていただきましょう。

42~44節をご覧ください。「42 ある人がバアル・シャリシャから、初穂のパンである大麦のパン二十個と、新穀一袋を、神の人のところに持って来た。神の人は「この人たちに与えて食べさせなさい」と命じた。43 彼の召使いは、「これだけで、どうして百人もの人に分けられるでしょうか」と言った。しかし、エリシャは言った。「この人たちに与えて食べさせなさい。主はこう言われる。『彼らは食べて残すだろう。』」44 そこで、召使いが彼らに配ると、彼らは食べて残した。主のことばのとおりであった。」

預言者の仲間たち百人に、大麦のパン二十個と一袋の新穀によって、満腹になるほど食事を与える、という奇蹟です。彼の召使は、「これだけで、どうやって百人もの人にわけられるでしょうか」と言いました。するとエリシャは「この人たちに与えて食べさせなさい。」と言いました。主がこう言われるからです。「彼らは食べて残すだろう。」そこで召使いが彼らに配ると、彼らは食べて残しました。主が言われた通りでした。

このことからどんなことが学べるでしょうか。これに似た奇跡をイエス様も行いました。しかし、イエス様の場合はもっと大きな規模で行われました。五つのパンと二匹の魚によって男だけで五千人の空腹を満たされたのです。すなわち、私たちが信頼すべきお方は、イエス・キリストの父なる神だけであるということです。バアルの神は豊穣の神でしたが、バアルは彼らの必要を満たすことができませんでした。彼らの必要を満たすことができるのは真の神だけです。私たちは、私たちの必要を満たしてくださるイエス・キリストの父なる神だけに信頼しましょう。

Ⅱ列王記3章

 今回は、Ⅱ列王記3章から学びます。

 Ⅰ.イスラエルの王ヨラムとユダの王ヨシャファテの失敗(1-12)

まず、1~12節までをご覧ください。3節までをお読みします。「1 アハブの子ヨラムは、ユダの王ヨシャファテの第十八年に、サマリアでイスラエルの王となり、十二年間、王であった。2 彼は主の目に悪であることを行ったが、彼の父母ほどではなかった。彼は、父が作ったバアルの石の柱を取り除いた。3 しかし彼は、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪に執着し、それから離れることがなかった。」

ユダの王ヨシャファテの第18年に、北イスラエルの王アハブの子ヨラムが王になりました。ヨラムはアハブの2番目の息子です。1章に長男のアハズヤのことが記録されてありました。彼は屋上の部屋の欄干から落ちて重体に陥り、エクロンの神バアル・ゼブブに伺いを立てましたが、結局エリヤの預言の通り死にました。その後を継いだのが弟のヨラムです。彼は北イスラエルを12年間治めました。そのヨラムについての言及がここに記されてあります。

2節によると、彼は主の目に悪であることを行ったが、彼の父母ほどではなかったとあります。彼の父母はアハブとイゼベルで、北イスラエル王国史上最悪の王でした。イスラエルにバアル礼拝を導入したからです。ヨラムはそれほど悪くはありませんでした。でも主の目に悪であることを行いました。彼は父アハブが導入したバアル信仰を排除しましたが、北イスラエル王国の初代の王であったヤロブアムの罪から離れなかったからです。つまり、バアル礼拝を排除しましたが、金の子牛を神とする信仰は捨てなかったということです。彼は父母の最期を見て、自分なりに考えるところがあったのでしょう。それで外面的にはバアル像を取り除き、体裁を整えましたが、自分の内側にある偶像を取り去りませんでした。でも大切なのは体裁を整えることではなく内側が変えられることです。なぜなら、神との関係は外側からではなく内側から築き上げられるものだからです。それは聖霊の働きによってのみ可能なことなのです。そして、イエス・キリストを信じる時、その変化が起こります。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。」(Ⅱコリント5:17)とある通りです。イエス・キリストを信じ、ご聖霊の働きによって、日々私たちの心を変えていただきましょう。

次に、4~8節までをご覧ください。「4 さて、モアブの王メシャは羊を飼っていて、子羊十万匹と、雄羊十万匹分の羊毛をイスラエルの王に貢ぎ物として納めていた。5 しかしアハブが死ぬと、モアブの王はイスラエルの王に背いた。6 そこで、ヨラム王はその日にサマリアを出発し、すべてのイスラエル人を動員した。7 そして、ユダの王ヨシャファテに人を遣わして言った。「モアブの王が私に背きました。私と一緒にモアブに戦いに行ってくれませんか。」ユダの王は言った。「行きましょう。私とあなたは一つ、私の民とあなたの民は一つ、私の馬とあなたの馬は一つです。」8 そして言った。「どの道を上って行きましょうか。」するとヨラムは、「エドムの荒野の道を」と答えた。」

アハブの子ヨラムの時代に、モアブの王がイスラエルに背きました。アハブ王の時代に北王国イスラエルの隷属国家となったモアブは、毎年、いやいやながら貢物を収めていましたが、アハブ王が死ぬと、ここぞとばかり、イスラエルに背いたのです。アハブの後継者となったアハズヤはモアブに対して何の手も打ちませんでしたが、その弟のヨラムは、モアブ制圧するために直ちにイスラエル軍を動員しました。

ヨラムはその際にユダの王ヨシャファテに人を遣わして、一緒にモアブとの戦いに行ってくれるように要請しました。するとヨシァファテは何と答えましたか。7節です。彼はこう言いました。「行きましょう。私とあなたは一つ、私の民とあなたの民は一つ、私の馬とあなたの馬は一つです。」(7)

彼は調子に乗るタイプの人間でした。頼まれると何も考えずに「あいよ」と受け入れてしまう人間だったのです。これが初めてではありません。これは2回目です。最初はⅠ列王記22章4節にありますが、彼はイスラエル王アハブに協力してアラムとの戦いに参戦した際、殺されかけたことがありました。ヨシャファテはここで再び同じ失敗を繰り返しているのです。人は一度失敗しても懲りないで、同じ失敗を繰り返してしまうということです。わかっちゃいるけどついつい調子に乗ってしまうのです。しかし神は、そんな彼の愚かな失敗を用いてさえ奇跡を行い、ご自身の栄光を現わされます。それがこの後で見るエリシャの奇跡です。神は人の失敗さえも用いてご自身の栄光を現わすことがおできになる方なのです。このようにして見ると、パウロがローマ11章33節で語ったことばが心に響いてきますね。

「ああ、神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう。神のさばきはなんと知り尽くしがたく、神の道はなんと極めがたいことでしょう。」

神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょうか。神はすべてのことを働かせて益としてくださいます。私たちも失敗や過ちを繰り返すような愚かな者ですが、神の知恵と知識の富の深さに信頼し、神にすべてをゆだねたいと思います。

その神の御業がどのようなものだったかを見ていきましょう。ヨシァファテが「どの道を上って行きましょうか。」と言うと、ヨラムは「エドムの荒野の道を」と答えました。死海の北側からモアブに入ることもできますが、ヨラムは南側のルートであるエドムの荒野を通る道を選びました。

9~12節までをご覧ください。「9 こうして、イスラエルの王は、ユダの王とエドムの王と一緒に出かけたが、七日間も回り道をしたので、陣営の者と、後について来る動物たちのための水がなくなった。10 イスラエルの王は、「ああ、主がこの三人の王を呼び集めたのは、モアブの手に渡すためだったのだ」と言った。11 ヨシャファテは言った。「ここには、主のみこころを求めることができる主の預言者はいないのですか。」すると、イスラエルの王の家来の一人が答えた。「ここには、シャファテの子エリシャがいます。エリヤの手に水を注いだ者です。」12 ヨシャファテが、「主のことばは彼とともにあります」と言ったので、イスラエルの王と、ヨシャファテと、エドムの王は彼のところに下って行った。」

こうして、イスラエルの王は、ユダの王とエドムの王と一緒に出かけて行きましたが、七日間も回り道をしたので、水がなくなってしまいました。乾燥地帯では、これは非常に危険なことです。するとイスラエルの王(ヨラム)は、主につぶやき嘆いて言いました。「ああ、主がこの三人の王を呼び集めたのは、モアブの手に渡すためだったのだ」

おもしろいですね、彼は自分の考えによって計画を立てて動いて来たはずなのに、困難に遭遇するとそれを神のせいにしています。それは不信者の特徴です。

そんなイスラエルの王ヨラムと違い、ユダの王ヨシァファテには信仰が残っていました。彼もまた主のみこころを求めることなく行軍を開始しましたが、それでも困難に遭遇した時に、主に助けを求めました。彼は「ここには、主のみこころを求めることができる預言者はいないのですか」(11)と言っています。

するとイスラエルの王の家来の一人が、シャファテの子でエリシャという人がいること、そして彼はあの預言者エリヤの手に水を注いだ人物だと言うと、「主のことばは彼とともにあります」と言って、イスラエルの王と、ヨシャファテと、エドムの王の3人はエリシャのところへ下って行きました。「エリヤの手に水を注いだ」というのは、エリヤに仕えた者という意味です。どうしてここにエリシャがいたのかはわかりません。当時は、預言者や占い師たちが軍隊に同行するのが一般的でしたので、それでエリシャも彼らに同行していたものと思われます。「主のことばは彼とともにある」とは、彼が真の預言者であるという意味です。通常は、預言者が王の前に出てくるものですが、ここでは王たちが彼のもとに下って行きました。それだけエリシャの権威が高く評価されていたということです。

ここに一つの対比が見られます。すなわち、主に拠り頼む者とそうでない者人です。ヨラムとヨシャファテは困難に遭遇した時右往左往しましたが、エリシャは全く動じませんでした。常に主のみこころを求めながら生きる人は、風に揺らぐ葦のようではなく、どんな強風でも動じない大木のように生きることができるのです。

Ⅱ.エリシャの預言(13-19)

次に13~19節をご覧ください。「13 エリシャはイスラエルの王に言った。「私とあなたの間に何の関わりがあるでしょうか。あなたの父の預言者たちや、母の預言者たちのところに行かれたらよいでしょう。」すると、イスラエルの王は彼に言った。「いや、モアブの手に渡すために、この三人の王を呼び集めたのは、主だ。」14 エリシャは言った。「私が仕えている万軍の主は生きておられます。もし私がユダの王ヨシャファテの顔を立てるのでなければ、私は決してあなたに目も留めず、あなたに会うこともしなかったでしょう。15 しかし今、竪琴を弾く者をここに連れて来てください。」竪琴を弾く者が竪琴を弾き鳴らすと、主の手がエリシャの上に下り、16 彼は次のように言った。「主はこう言われます。『この涸れた谷にはたくさんの水がたまる。』17 主がこう言われるからです。『風を見ず、大雨を見なくても、この涸れた谷には水があふれる。あなたがたも、あなたがたの家畜も、動物もこれを飲む。』18 これは主の目には小さなことです。主はモアブをあなたがたの手に渡されます。19 あなたがたは、城壁のある町々、立派な町々をことごとく打ち破り、すべての良い木を切り倒し、すべての水の源をふさぎ、すべての良い畑を石をもって荒らすでしょう。」

すると、エリシャはイスラエルの王に言いました。「私とあなたの間に何の関わりがあるでしょうか。あなたの父の預言者たちや、母の預言者たちのところに行かれたらよいでしょう。」と。

あなたの父母の預言者たちとは、バアルの預言者たちのことです。つまり、私はあなたと何の関係もないのだから、何か尋ねたければバアルの預言者たちの所へ行って助けを求めればいい、という意味です。

するとイスラエルの王はとんでもないことを言います。自分たちをモアブの手に渡すために呼び集めたのは主であると。主がそんなひどいことをするはずがないじゃないですか。それは身から出た錆、全部自分たちの考えに従って行動した結果です。それなのに、こんなことになったのは主のせいだと責任をなすりつけるのはひどい話です。

それでエリシャは、イスラエルの王に関わることを避けたかったのですが、ヨシャファテ王の顔を立てるために、すなわち、ヨシァファテ王への敬意のゆえに、この問題に介入しようと言いました。どのように介入するのでしょうか。

彼は、琴を弾く者を連れて来るようにと言います。そしてその琴を弾く者が竪琴を弾き鳴らすと、主の手がエリシャに下り、こう言いました。「16主はこう言われます。『この涸れた谷にはたくさんの水がたまる。』17 主がこう言われるからです。『風を見ず、大雨を見なくても、この涸れた谷には水があふれる。あなたがたも、あなたがたの家畜も、動物もこれを飲む。』18 これは主の目には小さなことです。主はモアブをあなたがたの手に渡されます。19 あなたがたは、城壁のある町々、立派な町々をことごとく打ち破り、すべての良い木を切り倒し、すべての水の源をふさぎ、すべての良い畑を石をもって荒らすでしょう。」」

どういうことでしょうか。涸れた谷に超自然的に水が溜まるということです。風を見なくても、大雨を見なくても、この涸れた谷には水が溢れるようになるので、兵士たちも家畜も、動物もこれを飲むようになります。新改訳第3版では、「主はこう仰せられる。『この谷にみぞを掘れ。みぞを掘れ。』」と訳しています。新共同訳聖書もそうです。英語のNKJVもそうです。谷が涸れているのですからみぞを掘る必要などありませんが、神の御業をより印象付けるためにその涸れた谷にみぞを掘るようにと言うのです。主がその涸れた谷を水で溢れさせてくださるからです。人には水を創り出すことはできませんが、神が与えてくださる水を受け取るためのみぞを掘ることはできます。同じように、私たちは主が私たちの器を水で溢れさせてくださるために整えなければなりません。

しかし、これが主のなさりたい最終的なゴールなのではありません。これは主の目には小さなことです。主の成さりたい最終ゴールは、モアブを彼らの手に渡されることです。それが本当に成されることを示すために、主はこの涸れた谷を水で満たされる奇跡を見せてくださったのです。20節を見ると、エリシャが言ったように、エドムの方から水が流れて来て、その地は水で満たされました。

Ⅲ.モアブの敗北 (20-27)

最後に、20~27節をご覧ください。「20 朝になって、ささげ物を献げるころ、なんと、水がエドムの方から流れて来て、この地は水で満たされた。21 モアブ人はみな、王たちが自分たちを攻めに上って来たことを聞いた。よろいを着けることができる者はすべて呼び集められ、国境の守備に就いた。22 翌朝早く起きてみると、太陽が水の面を照らしていた。モアブ人は、向こう側の水が血のように赤いのを見て、23 こう言った。「これは血だ。きっと王たちが切り合って、同士討ちをしたに違いない。さあ今、モアブよ、分捕りに行こう。」24 彼らがイスラエルの陣営に攻め入ると、イスラエルは立ってモアブ人を討った。モアブ人はイスラエルの前から逃げた。イスラエルは攻め入って、モアブ人を討った。25 さらに、彼らは町々を破壊し、すべての良い畑にだれもが石を投げ捨てて石だらけにし、すべての水の源をふさぎ、すべての良い木を切り倒した。ただキル・ハレセテにある石だけが残ったが、その町も石を投げる者たちが取り囲み、これを打ち破った。26 モアブの王は、戦いが自分に不利になっていくのを見て、剣を使う者七百人を引き連れ、エドムの王のところに突き入ろうとしたが、果たせなかった。27 そこで、彼は自分に代わって王となる長男を取り、その子を城壁の上で全焼のささげ物として献げた。このことのゆえに、イスラエル人に対する激しい怒りが起こった。そこでイスラエル人は、そこから引き揚げて、自分の国へ帰って行った。」

朝になると、水がエドムの方から流れて来て、その地が水で満たされました。主の奇跡が起こったのです。モアブ人たちはみな、イスラエルの王、ユダの王、エドムの王たちが自分たちを攻めに上って来たことを聞くと、可能な限りの兵士を動員して、エドムとモアブの国境地帯に軍を配備しました。翌朝、彼らが早く起きてみると、太陽が水の面を照らしていましたが、モアブ人たちは向こう側の水が血のように赤いのを見て、それはきっと王たちが切り合って、同士討ちをしたに違いないと思い、分捕りに行こうと言いました。すなわち、戦死した兵士たちから武器を略奪すべきだと判断して、戦いの準備のないまま敵陣に突入したのです。その結果、イスラエルは立ってモアブ人を討ったので、モアブ人はイスラエルの前から逃げ去りました。イスラエルは攻め入ってモアブを討ったので、イスラエルの大勝利に終わりました。さらにイスラエルは町々を破壊し、すべての良い畑にだれもが石を投げ捨てて石だらけにし、すべての水の源をふさぎ、すべての良い木を切り倒しました。モアブの王は、戦いが自分たちに不利になっていくのを見て、兵士700人を引き連れ、エドムの王のところに突き入ろうとしましたが、果たせませんでした。

それでモアブの王はどうしたたかというと、自分に代わって王となる長男を取り、その子を城壁の上で全焼のささげ物として献げました。全く忌まわしいことです。モアブの王は最後の抵抗を試みて精鋭部隊をエドムに送り込もうとしましたが、失敗しました。けれども、イスラエル人を撤退させるのに、結果的に効果的な方法を取りました。それは自分の息子を、モアブの神ケモシュにささげることです。そうすることで、イスラエルに対する激しい怒りが起こることになるからです。人間の生贄は、当時、異教の中ではごく普通に行なわれていましたが、それがイスラエルが原因であるとなると、そこには激しい怒りが引き起こされることになります。結局、イスラエル人は、そこから撤退し、自分の国へ帰って行くことになりました。その怒りがいわば抵抗勢力となったのです。また、それが城壁の上で行なわれたことで、イスラエル人がそれを見て嫌悪感を持ったこともその理由です。

しかし、そうした忌まわしい嫌悪感を抱くような偶像礼拝を見せられながら、イスラエルはその後、そうした偶像礼拝にどっぷりと浸かるようになります。このようなことが私たちにもあるのではないでしょうか。そうした状況に陥ることがないように、主のみこころは何か、何が良いことで正しいことなのかを知り、主のみこころに歩ませていだきましょう。

Ⅱ列王記2章

 Ⅱ列王記2章から学びます。

 Ⅰ.エリヤの昇天(1-14)

まず、1~5節までをご覧ください。「1 主がエリヤを竜巻に乗せて天に上げようとされたときのこと、エリヤはエリシャを連れてギルガルから出て行った。2 エリヤはエリシャに「ここにとどまっていなさい。主が私をベテルに遣わされたから」と言った。しかしエリシャは言った。「主は生きておられます。あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」こうして、彼らはベテルに下って行った。3 すると、ベテルの預言者の仲間たちがエリシャのところに出て来て、彼に言った。「今日、主があなたの主人をあなたから取り上げられることを知っていますか。」エリシャは、「私も知っていますが、黙っていてください」と答えた。4 エリヤは彼に「エリシャ、ここにとどまっていなさい。主が私をエリコに遣わされたから」と言った。しかし彼は言った。「主は生きておられます。あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」こうして、彼らはエリコにやって来た。5 するとエリコの預言者の仲間たちがエリシャに近づいて来て、彼に言った。「今日、主があなたの主人をあなたから取り上げられることを知っていますか。」エリシャは、「私も知っていますが、黙っていてください」と答えた。」

主がエリヤを竜巻に乗せて天に上げようとされたときのことです。エリヤはエリシャを連れてギルガルから出て行きました。ギルガルという地名については、エリコの北東5㎞に位置しているギルガルなのか、それともベテルから北西に15㎞にあるギルガルなのかはっきりわかりません。しかし、2節でエリヤが「主が私をベテルに遣わされたから」と言っていることを考えると、ベテルから北西に15㎞に位置しているギルガルのことではないかと思われます。エリヤはエリシャを連れて、そのギルガルから出て行きました。

するとエリヤはエリシャに「ここにとどまっていなさい。主が私をベテルに遣わされたから」と言いました。「ここ」とは「ギルガル」のことです。エリヤがエリシャをギルガルに残そうとしたのは、彼が着いて来るかどうかを試すためだったのでしょう。するとエリシャは、「主は生きておられます。あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」と答えました。それで彼らは二人でベテルに下って行きました。エリシャがエリヤから離れたくなかったのは、エリヤが天に召される前に祝福を受けたかったからです。

 すると、ベテルの預言者の仲間たちがエリシャのところにやって来て、彼にこう言いました。「きょう、主があなたの主人をあなたから取り上げられることを知っていますか。」

彼らは預言者学校の仲間たちでした。当時イスラエルには、各地に預言者の学校がありました。そこで多くの若者たちが、預言者としての職業に就くための訓練を受けていたのです。彼らは、エリヤとかエリシャのような大預言者のもとに集まり、預言者になるための学びをしていました。彼らはそうした所での訓練を通して、神が語る預言のことばをキャッチできるようになっていたのです。その仲間たちがエリヤがその日に召されることを知っていて、それをエリシャに伝えたのです。

するとエリシャは、「私も知っていますが、黙っていてください。」と答えました。どうしてでしょうか。エリシャは、その話題に触れたくなかったからです。彼は、エリヤが天に召される前に祝福を受けたかったので、彼から一時も離れたくなかったのです。

するとエリヤは、今度は主が私をエリコに遣わされたと言い、エリシャには、ここにとどまっていなさいと言いました。エリシャをベテルに残して、自分はエリコに向かうとしたのです。するとエリシャは、「いやです、私は付いて行きます。決してあなたから離れません。」と言ってエリコにやって来ました。しかし、そこでもベテルの預言者たちが言ったように、エリコの預言者たちも同じことをエリシャに言いました。するとエリシャは再び答えました。「私も知っていますが、黙っていてください。」彼は何としてもエリヤから祝福を受けたかったのです。

何としても神から祝福を受けようとするエリシャの態度は、私たちクリスチャンの模範でもあります。イエス様は、「7 求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。8 だれでも、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれます。」(マタイ7:7-8)と言われました。私たちの主は求める者には与えてくださる方です。主は私たちがエリシャのように必死になって主に祈り求めることを願っておられるのです。

次に、6~14節をご覧ください。「6 エリヤは彼に「ここにとどまっていなさい。主が私をヨルダンへ遣わされたから」と言った。しかし彼は言った。「主は生きておられます。あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」こうして、二人は進んで行った。7 一方、預言者の仲間たちのうち五十人は、行って遠く離れて立った。二人がヨルダン川のほとりに立ったとき、8 エリヤは自分の外套を取り、それを丸めて水を打った。すると、水が両側に分かれたので、二人は乾いた土の上を渡った。9 渡り終えると、エリヤはエリシャに言った。「あなたのために何をしようか。私があなたのところから取り去られる前に求めなさい。」するとエリシャは、「では、あなたの霊のうちから、二倍の分を私のものにしてください」と言った。10 エリヤは言った。「あなたは難しい注文をする。しかし、私があなたのところから取り去られるとき、あなたが私を見ることができれば、そのことはあなたにかなえられるだろう。できないなら、そうはならない。」11 こうして、彼らがなお進みながら話していると、なんと、火の戦車と火の馬が現れ、この二人の間を分け隔て、エリヤは竜巻に乗って天へ上って行った。12 エリシャはこれを見て、「わが父、わが父、イスラエルの戦車と騎兵たち」と叫び続けたが、エリヤはもう見えなかった。彼は自分の衣をつかみ、それを二つに引き裂いた。13 それから、彼はエリヤの身から落ちた外套を拾い上げ、引き返してヨルダン川の岸辺に立った。14 彼は、エリヤの身から落ちた外套を取って水を打ち、「エリヤの神、主はどこにおられるのですか」と言った。エリシャが水を打つと、水が両側に分かれ、彼はそこを渡った。」

次にエリヤはヨルダン川に向かいます。以前と同じように「ここにとどまっていなさい。主が私をヨルダンへ遣わされたから。」と言うと、エリシャも同じように「主は生きておられます。あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」答えました。これが三度目です。エリヤは、エリシャが自分にとって楽な道を選ぶのか、それともエリヤから祝福を受けるために苦労の多い道を選ぶのかの選択を迫ったのです。もちろんエリシャはエリヤについて行く道を選びます。それで二人は一緒にヨルダンに行きました。

しかし、今回はこれまでとは違います。預言者の仲間たちのうち50人が、行って遠く離れて立ちました。この50人は、エリコから着いて来た若い預言者たちです。彼らはエリヤの最期を見届けようとしてやってきたのです。

するとどうでしょう。二人がヨルダン川のほとりに立ったとき、エリヤは自分の外套を取り、それを丸めて水を打ちました。するとヨルダン川の水が両側に分かれたので、二人はその乾いた土の上を渡りました。あの紅海の水が湧かれた時と同じです(出エジプト14:21-22)。また、ヨシュアがヨルダン川の水をせき止めた時と同じです(ヨシュア3:14-16)。ということは、ここでエリヤとエリシャはモーセとヨシュアの型として捉えることができます。この出来事を目撃した50人の預言者たちは、イスラエルをエジプトから導き出した主が今も生きていて、イスラエルにおられることを確信したことでしょう。それは今日も同じです。この神は今も生きておられます。この神に信頼する人は幸いです。今も偉大な神の力を目の当たりにできるからです。

ヨルダン川を渡り終えると、エリヤがエリシャに言いました。「あなたのために何をしようか」するとエリシャは、「では、あなたの霊のうちから、二倍の分を私のものにしてください。」と言いました。どういうことでしょうか。

エリシャが、ここまで食らいついてエリヤを離れなかった理由が、ここで明らかにされました。それはエリヤの霊のうちから二倍の分を自分のものにしてほしかったからです。これはエリヤの霊の力の二倍の力という意味ではありません。これは、神の御霊がエリヤを通して働かれていたように、いやそれ以上に自分にも働いてくださるように、という願いです。つまり、預言者たちの中で自分がエリヤの後継者になれるようにということです。

それに対してエリヤは何と言いましたか。10節です。「あなたは難しい注文をする。しかし、私があなたのところから取り去られるとき、あなたが私を見ることができれば、そのことはあなたにかなえられるだろう。できないなら、そうはならない。」なぜこれが難しい注文なのでしょうか。なぜなら、だれが後継者になるかは主が決められることだからです。しかしエリヤは、自分が天に上げられるのを見ることができるなら、そうなるだろうと答えました。つまり、エリシャがそれを見たら、それが、彼が後継者に選ばれたしるしであるというのです。

こうして、彼らがなお進みながら話していると、なんと、火の戦車と火の馬が現れ、この二人の間を分け隔て、エリヤは竜巻に乗って天へ上って行きました。この「火の戦車」は単数形ですから1台の戦車です。それに対して「火の馬」は複数形ですから数匹の馬ということになります。この火の戦車と火の馬が現れて、エリヤとエリシャの間を分け隔て、エリヤは竜巻に乗って天へ上って行きました。

聖書の中で死を経ないで天に上げられたのは、エノクとこのエリヤだけです。これは何を意味しているのかというと、携挙に与る新約時代のクリスチャンの姿です。Ⅰテサロニケ4章13~18節には、このようにあります。「13 眠っている人たちについては、兄弟たち、あなたがたに知らずにいてほしくありません。あなたがたが、望みのない他の人々のように悲しまないためです。14 イエスが死んで復活された、と私たちが信じているなら、神はまた同じように、イエスにあって眠った人たちを、イエスとともに連れて来られるはずです。15 私たちは主のことばによって、あなたがたに伝えます。生きている私たちは、主の来臨まで残っているなら、眠った人たちより先になることは決してありません。16 すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、17 それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。18 ですから、これらのことばをもって互いに励まし合いなさい。」

クリスチャンは死んで終わりではありません。イエス様が再臨される時に復活し、一気に天に引き上げられることになります。生きている人は死ぬことがなく天に携え挙げられるのです。エリヤが死ぬことなく天に上げられたのはこの型を示していたのです。そうです、クリスチャンは死んで終わりではありません。死んでも生きる永遠のいのちが与えられているのです。そういう意味では、クリスチャンのこの地上での生涯は、天国への旅の備えであると言えるのです。

エリシャはこれを見ると、「わが父、わが父、イスラエルの戦車と騎兵たち」と叫び続けましたが、エリヤはもう見えませんでした。すると彼は自分の衣をつかみ、それを二つに引き裂きました。エリシャが「わが父、わが父」と叫んだのは、エリヤが彼の霊的な父であったからです。それはまた、エリヤが預言者たちのリーダーであったことも示しています。その父を失った悲しみが「わが父、わが父」ということばに表れているのです。

「イスラエルの戦車と騎兵たち」とは、当時、戦車と馬が最強の武器であったことを考えると、エリヤは主に用いられた最強の器であったということです。確かに彼は、バアルとの戦いにおいて勝利した最強の預言者でした。

エリヤが自分の着物を二つに引き裂いたのは、それが悲しみを表現していたからです。また、新たにエリヤの身から落ちた外套を身にまとう準備ともなりました。彼はその外套を拾い上げると引き返してヨルダン川の岸辺に立ち、水を打ちました。そして「エリヤの神、主はどこにおられるのですか」と言って水を打つと、水が両側に分かれました。すなわち、エリヤの神はここにいるということです。エリシャがエリヤの後継者として選ばれたのです。エリシャがエリヤの預言者としての働きを完全に継承したということです。

人は去って行きますが、主の働きは継承します。先日、M牧師の葬儀に参列しました。M牧師は救われて67年、牧会生活63年の生涯を終えて天に変えられました。1月29日(日)の礼拝で説教され、その日の役員会で後任の牧師を決めると、翌日、膵炎胆石症で倒れられ、その翌日に天に凱旋されました。まさかその翌々日に召されると誰が想像することができたでしょう。しかし、M師が去ってもその働きは継続していきます。私たちの人生は一時的なものですが、永遠に価値あることのために労することができるなら、真に幸いではないでしょうか。

Ⅱ.エリヤの霊がエリシャにとどまっている(15-18)

次に15~18節をご覧ください。「15 エリコの預言者の仲間たちは、遠くから彼を見て、「エリヤの霊がエリシャの上にとどまっている」と言って、彼を迎えに行き、地にひれ伏して礼をした。16 彼らはエリシャに言った。「しもべたちのところに五十人の力ある者がいます。どうか彼らにあなたのご主人を捜しに行かせてください。主の霊がエリヤを運んで、どこかの山か谷に投げたかもしれません。」するとエリシャは、「行かせてはいけません」と言った。17 しかし、彼らがしつこく彼に願ったので、ついにエリシャは、「行かせなさい」と言った。そこで、彼らは五十人を送り出した。彼らは三日間捜したが、エリヤを見つけることができなかった。18 彼らは、エリコにとどまっていたエリシャのところへ帰って来た。エリシャは彼らに言った。「行かないようにと、あなたがたに言ったではありませんか。」」

エリコの預言者の仲間たちは、遠くから彼を見て、「エリヤの霊がエリシャの上にとどまっている」と言って、彼を迎えに行き、地にひれ伏して礼をしました。彼らはヨルダン川西岸、遠くから一部始終を見ていました。彼らは、エリシャがエリヤの外套でヨルダン川の水を打ったとき、川の水が両側に分かれるのを見て、エリシャがエリヤの後継者であることを理解しました。それで.エリシャのところに向かえを行き、地にひれ伏して礼をしたのです。エリシャに敬意を表すためです。

彼らはエリシャに、自分たちのところに力のある50人の者がいるので、エリヤを捜しに行かせてほしいとエリシャに言いました。エリヤが主の霊によってどこかに運ばれたと思ったからです。エリシャは、エリヤが主によって天に上げられたことを知っていたので、「行かせてはなりません」と言いましたが、彼らがしつこく願うので、しょうがなくエリシャは折れて、彼らに「行かせなさい」と言いました。

ここは面白いところです。彼らはエリシャをエリヤの後継者であると認めながらも、エリシャのことばを聞き入れず自分たちの考えを優先させています。私たちも主こそ神であると認めながらも、主のことばを聞き入れず自分の考えを優先させていることがあるのではないでしょうか。それはこのエリコの預言者の仲間たちと同じです。

結局、三日間捜してもエリヤは見つかりませんでした。それで彼らはエリコにとどまっていたエリシャのところに帰ってきました。彼らがエリシャのことばに耳を傾けなかった結果です。

この出来事を通して、エリコの預言者たちは、自分たちがいかに未熟で傲慢であったかを学んだことでしょう。これ以降彼らは、エリヤの後継者としてのエリシャの権威を認め、さらに信頼を置くことになります。自らの未熟さと傲慢さに気付き、教えられやすい心を育てる人は幸いです。

Ⅲ.エリコの水の癒しと熊にかき裂かれたベテルの青年たち(19-25)

最後に19~25節をご覧ください。「19 さて、この町の人々はエリシャに言った。「あなた様もご覧のとおり、この町は住むのには良いのですが、水が悪く、この土地は流産を引き起こします。」20 するとエリシャは言った。「新しい皿に塩を盛って、私のところに持って来なさい。」人々は彼のところにそれを持って来た。21 エリシャは水の源のところに行って、塩をそこに投げ込んで言った。「主はこう言われる。『わたしはこの水を癒やした。ここからは、もう、死も流産も起こらない。』」22 こうして水は良くなり、今日に至っている。エリシャが言ったことばのとおりである。23 エリシャはそこからベテルへ上って行った。彼が道を上って行くと、その町から小さい子どもたちが出て来て彼をからかい、「上って来い、はげ頭。上って来い、はげ頭」と言ったので、24 彼は向き直って彼らをにらみつけ、主の名によって彼らをのろった。すると、森の中から二頭の雌熊が出て来て、子どもたちのうち四十二人をかき裂いた。25 こうして彼は、そこからカルメル山に行き、そこからさらに、サマリアに帰った。」

この町とは「エリコ」の町のことです。彼らはエリシャのところに来て、「この町は住むのには良いのですが、水が悪く、この土地は流産を引き起こします。」と言いました。エリシャの噂が町中に知れ渡っていたからです。そこで町の人たちがエリシャのところにやって来て相談しました。

この「流産」という言葉ですが、新共同訳聖書では「土地は不毛です」と訳しています。水質が悪かったので、作物が育たない不毛の地になっていたのです。もしこれが「流産」であるとすれば、主に家畜の流産であったと考えられます。

するとエリシャは、「新しい皿に塩を盛って、私のところに持って来なさい。」と言って持って来させると、水の源のところに行って、塩をそこに投げ込んで言いました。「主はこう言われる。『わたしはこの水を癒やした。ここからは、もう、死も流産も起こらない。』」すると水は良くなり、エリヤが言ったとおり、死も流産も無くなりました。

塩を盛るのは、もちろん塩に効用があるからではありません。このようなデモンストレーションを通して、主が奇蹟を行なわれることを人々に示したのです。イエス様が生まれつきの盲人の目を癒された時もそうです。つばきを地面にかけそれで粘土をつくると、それを盲人の目に塗られました。それと同じです。主はその方法を採らなくても癒すことができましたが、あえてこのようにして癒されました。そのようにして水を癒されたのです。

エリコの水が生活に不毛をもたらしていたことと、バアル礼拝が霊的不毛をもたらしていることの間には相関関係があります。癒されたエリコの水は、主が憐れみ深い方であり、バアルよりも力あるお方であることを示していました。私たちの人生を支えておられるのはだれでしょう。この力ある神です。私たちはバアルのような目に見える偶像ではなく、ただ力ある神に信頼しようではありませんか。

エリシャはそこからベテルへと上って行きましたが、彼が道を上って行くと、その町から小さい子どもたちが出て来て、エリシャをからかい、「上って来い、はげ頭。上って来い、はげ頭。」と言いました。するとエリシャは彼らをにらみつけ、主の名によって彼らをのろうと、森の中から二匹の雌熊が出て来て、子どもたちのうち42人をかき裂いてしまいました。

この箇所を読んでいて戸惑うのは、小さな子どもから「はげ頭」とからかわれたくらいで殺してしまうというのは、ちょっと行き過ぎではないかということです。

この「小さい子ども」と訳されたことばは必ずしも小学生低学年のような小さな子どものことではなく、幼児から青年までを指す幅広い言葉です。英語のKJVでは「some youths」と訳しています。10代の子どもたちです。おそらく彼らはバアルの預言者たちの卵たちだったのでしょう。ベテルは金の子牛礼拝の中心地であったからです。大人数であったことから組織的にエリシャをからかったことがわかります。

また、「上って来い、はげ頭。上って来い、はげ頭。」は、新共同訳聖書では「はげ頭、上って行け。はげ頭、上って行け」と訳しています。「上って来い」と「上って行け」では大きな違いがあります。「上って行け」となると、あのエリヤのように天に上って行くことを指していることになります。ですからこれは、「もしお前が本当に主の預言者であるなら、エリヤがしたように天に上ってみよ、はげ頭よ。」ということなのです。彼らは単に人をからかったのではなく、主の預言者を侮ったのです。これは主に対する侮りなのです。その結果、熊にかき裂かれてしまうことになりました。それは神の裁きでした。神への冒涜に対する神の裁きだったのです。つまり、神を敬い、神に従う者は神から祝福を受け、神に逆らい、神に敵対する者は、神からのろいを受けるということです。エリコの人々はエリシャを敬ったので神から祝福を受けましたが、ベテルの青年たちはエリシャをからかったので、神からのろいを受けることになってしまいました。異なった態度が、異なった結果をもたらすということです。ここではその対比して描かれていたのです。ですから、私たちは神を侮るのではなく神を敬う者に、神に逆らうのではなく神に従う者にならなければならないのです。

Ⅱ列王記1章

 

 

 

 列王記第二の学びに入ります。今日は1章から学びます。

 Ⅰ.アハズヤの病気(1-4)

まず、1~4節までをご覧ください。「1 アハブの死後、モアブがイスラエルに背いた。2 アハズヤは、サマリアにあった彼の屋上の部屋の欄干から落ちて重体に陥った。彼は使者たちを遣わし、「行って、エクロンの神、バアル・ゼブブに、私のこの病が治るかどうか伺いを立てよ」と命じた。3 そのころ、主の使いがティシュベ人エリヤに告げた。「さあ、上って行って、サマリアの王の使者たちに会い、彼らにこう言え。『あなたがたがエクロンの神、バアル・ゼブブに伺いを立てに行くのは、イスラエルに神がいないためか。4 それゆえ、主はこう言われる。あなたは上ったその寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ。』」そこでエリヤは出て行った。」

前回、Ⅰ列王記の最後の章を学びましたが、その中で北イスラエルの王アハブが死んだことを学びました。それは、主が語られたことばのとおりでした。そのアハブの死後、北イスラエルを治めたのはアハブの子のアハズヤでした。アハズヤについては、Ⅰ列王記22章51節から53節までに記録されてあるので、本来であればそれに続けた方が良かったのですが、ここでプッリツと切れた形になっています。それは、もともと列王記第一と第二は、ヘブル語聖書では一つの書でしたが、それが15世紀になってギリシャ語聖書ややラテン語聖書の影響を受けてここで分割してしまったからです。でも元々は一つになっています。ではなぜここで分割してしまったのか。おそらく同じ大きさの巻物に均一に治めるためだったのでしょう。もしⅠ列王記22章50節かⅠ列王記1章18節で分割されていたら、アハズヤの治世をその途中で二つに分けるという不自然さはなかったかと思われます。

ですから、1節に「アハブの死後、モアブがイスラエルに背いた」とありますが、この記述も唐突に感じるのです。本来ならⅠ列王記22章53節とⅡ列王記1章1節はつながっているからです。

かつてモアブはイスラエルを支配していましたが、ダビデによって征服されました。その後一時的に独立した期間もありましたが、オムリとアハブの時代に再び制圧されていました。その結果、モアブはイスラエルに多額の税を納めるようになっていましたが、アハブが死んでアハズヤの時代になったとき、モアブはイスラエルに背いたのです。それは彼らが、アハブよりもアハズヤが弱い王であると判断したからでしょう。もしかすると、アハズヤが欄干から落ちて重体に陥ったことも関係していたかもしれません。このように考えるとつながりが見えてきます。

彼は、サマリアにあった彼の屋上の部屋の欄干から落ちて重体になりました。「欄干」とは、バルコニーの手すりのことです。おそらく彼は、屋上に設置してあったバルコニーから落ちて地面にたたきつけられたのでしょう。彼は相当の傷を負ったものと思われます。それで彼はどうしたかというと、使者たちを遣わして、エクロンの神、バアル・ゼブブに、この病が治るかどうか伺いを立てました。エクロンとは、サマリアから南西に65㎞ほど離れたペリシテ人の町です。なぜアハズヤはイスラエルの神ではなく「バアル・ゼブブ」に癒しを求めたのでしょうか。

このエクロンの神「バアル・ゼブブ」の、本当の名前は「バアル・ゼブル」です。意味は「命の主」です。しかし、ユダヤ人たちはその名を揶揄して「バアル・ゼブブ」と呼びました。その意味は「(はえ)の主」です。イエス様の時代には、この偶像神がサタンの象徴となっていました。それが「ベルゼブル」です。それはサタンを指していました。ここでアハズヤはこのエクロンの神「バアル・ゼブル」に癒しと助けを求めたのです。

それは、前回学んだⅠ列王記22章52~53節に、彼の生涯について「52 彼は主の目に悪であることを行い、彼の父の道と彼の母の道、それに、イスラエルに罪を犯させた、ネバテの子ヤロブアムの道に歩んだ。53 彼はバアルに仕え、それを拝み、彼の父が行ったのと全く同じように行って、イスラエルの神、主の怒りを引き起こした。」とあったように、彼は父アハブの影響を受け、バアル礼拝に深くかかわっていたからです。ですから、いざという時に彼が求めたのはイスラエルの神、主ではなく、このバアル・ゼブルだったのです。また、それまでに主の預言者たちが偶像礼拝の罪を糾弾していたことも、主に伺いを立てることを躊躇させていたのかもしれません。いずれにせよ、彼はイスラエルの神、主ではなく、エクロンの神バアル・ゼブブに伺いを立てました。

そのころ、主の使いがティシュベ人エリヤに現れて、こう告げました。「さあ、上って行って、サマリアの王の使者たちに会い、彼らにこう言え。『あなたがたがエクロンの神、バアル・ゼブブに伺いを立てに行くのは、イスラエルに神がいないためか。それゆえ、主はこう言われる。あなたは上ったその寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ。』」

かつて、アハブがナボテのぶどう畑を奪い取りに行こうとしたとき、エリヤに主のことばがあったように(Ⅰ列王記21:17)、アハズヤの悪に対しても、主がエリヤに告げられたのです。それは、アハズヤの偶像礼拝に対する裁きは死であるということでした。彼はその寝台から起き上がることはできません。必ず死ぬことになります。これが主の使いがエリヤに告げたことでした。それでエリヤは出て行きました。

それにしても、「アハズヤ」という名前は「主が支えてくださるもの」という意味です。しかし、彼は「主」ではなく「バアル・ゼブブ」を求めました。バアル・ゼブブをはじめ、偶像には私たちを救う力はありません。それは田んぼの中のかかしにすぎません。そんなものに頼るのは愚かなことです。私たちの救いは主から来ます。詩篇121篇3~8節には、次のようにあります。
「3 主はあなたの足をよろけさせずあなたを守る方はまどろむこともない。4 見よ イスラエルを守る方はまどろむこともなく眠ることもない。5主はあなたを守る方。主はあなたの右手をおおう陰。6 昼も日があなたを打つことはなく夜も月があなたを打つことはない。7 主はすべてのわざわいからあなたを守りあなたのたましいを守られる。8 主はあなたを行くにも帰るにも今よりとこしえまでも守られる。」

私たちの救い、私たちの助け、私たちの癒しは主から来ます。主が私たちを支えてくださると信じ、主にのみ信頼しましょう。

Ⅱ.天から下って来た火(5-10)

次に5~10節をご覧ください。「5 使者たちがアハズヤのもとに戻って来たので、彼は「なぜおまえたちは帰って来たのか」と彼らに尋ねた。6 彼らは答えた。「ある人が私たちに会いに上って来て言いました。『自分たちを遣わした王のところに帰って、彼にこう告げなさい。主はこう言われる。あなたが人を遣わして、エクロンの神、バアル・ゼブブに伺いを立てるのは、イスラエルに神がいないためか。それゆえ、あなたは上ったその寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ。』」7 アハズヤは彼らに尋ねた。「おまえたちに会いに上って来て、そんなことを告げたのはどんな男か。」8 彼らが「毛衣を着て、腰に革の帯を締めた人でした」と答えると、アハズヤは「それはティシュベ人エリヤだ」と言った。9 そこでアハズヤは、五十人隊の長を、その部下五十人とともにエリヤのところに遣わした。隊長がエリヤのところに上って行くと、そのとき、エリヤは山の頂に座っていた。隊長はエリヤに言った。「神の人よ、王のお告げです。下りて来てください。」10 エリヤはその五十人隊の長に答えて言った。「私が神の人であるなら、天から火が下って来て、あなたとあなたの部下五十人を焼き尽くすだろう。」すると、天から火が下って来て、彼とその部下五十人を焼き尽くした。」

アハズヤは、使者たちが予定よりも早く帰ってきたので驚き、その理由を尋ねます。「なぜおまえたちは帰って来たのか。」すると使者たちは答えました。「ある人が私たちに会いに上って来て言いました。『自分たちを遣わした王のところに帰って、彼にこう告げなさい。主はこう言われる。あなたが人を遣わして、エクロンの神、バアル・ゼブブに伺いを立てるのは、イスラエルに神がいないためか。それゆえ、あなたは上ったその寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ。』」(6)

それを聞いたアハズヤは、その男はどんな人だったかと尋ねると、彼らは、「毛衣を着て、腰に革の帯を締めた人でした」と答えました。それを聞いたアハズヤはすぐにピンときました。「それはティシュベ人エリヤだ」と。毛皮を来て、腰に皮の帯を締めていたのは、イスラエルに悔い改めを説いた預言者の姿でした。エリヤはアハズヤの父と母であるアハブとイゼベルに悔い改めを説いてきた主の預言者でした。

そこでアハズヤはエリヤを捉えようと、50人隊の長を、その部下50人とともにエリヤのところに遣わしました。するとエリヤは山の頂に座っていましたが、隊長は彼に何と言いましたか?「神の人よ、王のお告げです。下りて来てください。」と言いました。何とも優しい言葉ですね。日本語では優しく訳していますが、実際は違います。実際には命令調でした。「王の命令だ。すぐに降りて来い」といったニュアンスです。

するとエリヤは彼に答えてこう言いました。「私が神の人であるなら、天から火が下って来て、あなたとあなたの部下五十人を焼き尽くすだろう。」するとそのようになりました。天から火が下って来て、彼とその部下50人を焼き尽くしたのです。

興味深いのは、50人隊の長が、「王の命令だ、下りて来い」と言った「下りてこい」と、「天から火が下りてきた」の「下りてきた」が同じ言葉であることです。英語はどちらもcome downという言葉です。王の全権を携えている使者が、神の全権を携えている預言者によって、さばかれているのです。天から火が下ったのは、カルメル山で天から火が下って来たのと同じ奇跡が起こったということです(Ⅰ列王18:20-40)。

つまり、アハズヤが従うべきお方はバアル・ゼブブではなく、イスラエルの神、主であるということです。それは私たちにも言えることです。私たちが従うべきお方は、イエス・キリストの父なる神のみです。自分が今何に頼っているかをもう一度吟味しましょう。

Ⅲ.アハズヤの死(11-18)

最後に11~18節をご覧ください。「11 王はまた、もう一人の五十人隊の長を、その部下五十人とともにエリヤのところに遣わした。隊長はエリヤに言った。「神の人よ、王がこう言われます。急いで下りて来てください。」12 エリヤは彼らに答えた。「私が神の人であるなら、天から火が下って来て、あなたとあなたの部下五十人を焼き尽くすだろう。」すると、天から神の火が下って来て、彼とその部下五十人を焼き尽くした。 13 王はまた、第三の五十人隊の長と、その部下五十人を遣わした。この三人目の五十人隊の長は上って行き、エリヤの前にひざまずき、懇願して言った。「神の人よ、どうか私のいのちと、このあなたのしもべ五十人のいのちをお助けください。14 ご承知のように、天から火が下って来て、先の二人の五十人隊の長とそれぞれの部下五十人を、焼き尽くしてしまいました。今、私のいのちをお助けください。」15主の使いがエリヤに「彼と一緒に下って行け。彼を恐れてはならない」と言ったので、エリヤは立って、彼と一緒に王のところに下って行き、16 王に言った。「主はこう言われる。『あなたが使者たちをエクロンの神、バアル・ゼブブに伺いを立てに遣わしたのは、イスラエルにみことばを伺う神がいないためか。それゆえ、あなたは上ったその寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ。』」17 王は、エリヤが告げた主のことばのとおりに死んだ。そしてヨラムが代わって王となった。それはユダの王ヨシャファテの子ヨラムの第二年のことであった。アハズヤには息子がいなかったからである。18 アハズヤが行ったその他の事柄、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。」

アハズヤは再びエリヤのもとに部隊を遣わします。もう一人の50人隊の長を、その部下50人とともにエリヤのところに遣わしたのです。ただ前回と違うことは、今回はさらに「急いで下りて来てください」と言っている点です。前回よりももっと強く言っています。でも結果は同じでした。50人隊の長とその部下50人は、天から下って来た神の火によって焼き尽くされてしまいました。

それでアハズヤはまた50人隊長と、その部下50人を遣わしました。これで3回目です。しかし、この3人目の50人隊の長はそれまでの長と違い、エリヤの前にひざまずくと、懇願してこう言いました。13節です。「神の人よ、どうか私のいのちと、このあなたのしもべ五十人のいのちをお助けください。ご承知のように、天から火が下って来て、先の二人の五十人隊の長とそれぞれの部下五十人を、焼き尽くしてしまいました。今、私のいのちをお助けください。」

彼はエリヤが神の人であることを認め、恵みが与えられるように懇願したのです。それゆえ、彼と50人の部下のいのちが助かりました。これは私たちにも言えることです。私たちのいのちが助けられるのは、私たちがただ謙遜になって、主の前にひれ伏し、「私のいのちを助けてください」と懇願することによってのみなのです。

この時、主の使いがエリヤに「彼といっしょに降りていけ。彼を恐れてはならない。」と言われたので、エリヤは立って、彼と一緒にアハズヤのところに下って行き、臆することなく、主のことばを伝えました。16節です。「主はこう言われる。『あなたが使者たちをエクロンの神、バアル・ゼブブに伺いを立てに遣わしたのは、イスラエルにみことばを伺う神がいないためか。それゆえ、あなたは上ったその寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ。』」

すごいですね。アハズヤ王を目の前にして、彼の不信仰を責め、死のさばきを宣告したのですから。すると、エリヤが告げた主のことばのとおりに、アハズヤは死にました。主が語られたことは必ず成就します。カルメル山の戦いの後、エリヤの信仰は揺らいでいましたが、ここでは完全に立ち直っています。エリヤの信仰を支えた主は、私たちの信仰も支えてくださいます。

アハズヤの死後、ヨラムが代わって王となりました。アハズヤには息子がいなかったからです。アハズヤに対する神の裁きは、息子がいなかったことにも表れています。その治世も2年間と短いものでした。それは彼が主の目に悪であることを行い、彼の父の道と彼の母の道、それに、イスラエルに罪を犯させた、ネバテの子ヤロブアムの道に歩んだからです。そして、イスラエルの神、主ではなく、エクロンの神バアル・ゼブブに、仕え、それを拝み、イスラエルの神、主の怒りを引き起こしたからです。つまり、「アハズヤ」(主が支えてくださるもの)ではなかったからです。この教訓から学びましょう。私たちは偶像ではなく主にのみ仕え、主にささえていただくものとなりたいと思います。