エレミヤ5章1~19節「義人はいない、一人もいない」

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エレミヤ書5章に入ります。きょうは、エレミヤ5章1~19節のみことばから、「義人はいない、一人もいない」というタイトルでお話します。これは有名な聖書のみことばの一つです。使徒パウロもローマ書の中で詩篇14篇、並びに53篇を引用し、「義人はいない。一人もいない。」(ローマ3:10)と述べています。この世には何十億という人がいますが、神の目にかなう正しい人は一人もいません。それゆえ、私たちは自分もまたその罪人の一人であることを自覚して、イエス様によって与えられる神の義をまとい、イエス様の御声に聞き従う者でありたいと思います。

きょうはこのことについて、三つのことをお話します。第一に、義人はいない、一人もいないということです。第二のことは、神を求めない者に対する神の訴えです。そして第三に、そのような者に対する神のさばきの実行です。

Ⅰ.義人はいない、一人もいない(1-55)

まず、1~5節までをご覧ください。「1 「エルサレムの通りを行き巡り、さあ、見て知るがよい。その広場を探し回って、もしも、だれか公正を行う、真実を求める者を見つけたなら、わたしはエルサレムを赦そう。2 彼らが、主は生きておられる、と言うからこそ、彼らの誓いは偽りなのだ。」3 「主よ、あなたの目は真実に届かないのでしょうか。あなたが彼らを打たれたのに、彼らは痛みもしませんでした。絶ち滅ぼそうとされたのに、彼らは懲らしめを受けることを拒みました。彼らは顔を岩よりも硬くして、立ち返ることを拒みました。」4 私は思った。「彼らは、卑しい者たちにすぎない。しかも愚かだ。主の道も、自分の神のさばきも知らない。5 だから、身分の高い者たちのところへ行って、その人たちと語ろう。彼らなら、主の道も、自分の神のさばきも知っているから」と。ところが彼らもみな、くびきを砕き、かせを断ち切っていた。」

1節、2節は、エレミヤに対する神のことばです。神はエレミヤに、エルサレムの通りを行き巡り、見て来るように、探して来るようにと言っています。何を見て来るのでしょうか。何を探して来るのでしょうか。そこに公正を行う、真実を求める人がいるかどうかを、です。「公正を行う、真実を求める人」とは、神の目にかなった人のことです。単にいい人であるとか、優しい人であるというのではなく、聖書の基準に従って生きている人、神の目にかなった正しい人のことです。

彼らは口先では「主は生きておられる」と言っていました。これは4章2節にも出てきましたが、そこには中身が伴っていませんでした。ただ口先だけの、偽りの誓いにすぎなかったのです。「偽り」ということばは「真実」の反対語で、「空っぽ」という意味です。つまり、彼らの誓いは空っぽだったのです。口では信じてはいると言っていましたが、行動が伴っていませんでした。主が求めておられたのはそのような空っぽの信仰ではなく、中身が伴った信仰です。そのような人が1人でもいれば、主はその人のゆえに、エルサレムのすべての人を赦そうと言われたのです

この話で思い出すのは、創世記18章のところで、神がアブラハムに告げられたことばです。ソドムとゴモラの罪は非常に大きいので、それを見た主は彼らを滅ぼすと仰せになられました。それでアブラハムは、必死にとりなします。そこに甥のロトが住んでいたからです。それでアブラハムはこう言うのです。「あなたは本当に、正しい者を悪い者とともに滅ぼし尽くされるのですか。もしかすると、その町の中に正しい人が50人いるかもしれません。あなたは本当に彼らを滅ぼし尽くされるのですか。その中にいる50人の正しい者のために、その町をお許しにならないのですか。」(創世記18:23-24)

すると主は、「もしソドムで、わたしが正しい者を50人、町の中に見つけたら、その人たちのゆえにその町のすべてを赦そう。」(創世記18:26)と言われました。

じゃ45人だったらどうですか、30人だったら、20人だったら、10人だったら・・・と、その数を少なくしていきます。値切るように神様と交渉するわけです。おそらく、ロトの家族だけでも10人位はいたので、10人位にしておけば大丈夫だろうと思ったのでしょう。すると主は言われました。もし10人でも、そこに正しい者がいけば、滅ぼさない、と。

しかし、結局、ソドムとゴモラは滅ぼされてしまいました。10人もいなかったのです。でもきょうのところには10人どころじゃありません。1人です。もしもそこに公正と真実を求める正しい人が1人でもいたら、その人のゆえにエルサレムを赦そうと言われたのです。つまり、神様はどこまでも愛の神様であるということです。たった1人でもそこに正しい人がいれば赦してくださる。そしてその1人を最後まであきらめずに捜してくださるのです。本当に小さな可能性まで見出そうとされるのです。

そうしてエレミヤは町に行きました。その結果どうだったでしょうか?3節をご覧ください。「主よ、あなたの目は真実に届かないのでしょうか。あなたが彼らを打たれたのに、彼らは痛みもしませんでした。絶ち滅ぼそうとされたのに、彼らは懲らしめを受けることを拒みました。彼らは顔を岩よりも硬くして、立ち返ることを拒みました。」

顔を岩よりも硬くしてというのはおもしろい表現でするね。日本語にもありますね、堅い表情ということばが。表情は私たちの意志とか思いが表れる場所です。別のことばで言うと、信仰が顔に出ていたということです。神様との関係が顔に出ていました。頑なな顔です。カチカチで、堅い顔になっていました。神様から悔い改めるようにと懲らしめを受けても、受け入れませんでした。堅い甲羅で覆われたアルマジロのように、顔を硬くして、立ち返ることを拒んだのです。人が深刻な病気をして、命からがら助かった人が、その病気の前と後で生活が激変したという人は、だいたい10人に1人くらいしかいないそうです。ここでも、イスラエルは神様から深刻なさばきを受けても全然変わらず、跳ね返してしまうだけでした。神様のさばきが悔い改めの機会とならなかったのです。

いったいどうしてでしょうか。エレミヤは考えました。4~5節をご覧ください。「4私は思った。「彼らは、卑しい者たちにすぎない。しかも愚かだ。主の道も、自分の神のさばきも知らない。5 だから、身分の高い者たちのところへ行って、その人たちと語ろう。彼らなら、主の道も、自分の神のさばきも知っているから」と。ところが彼らもみな、くびきを砕き、かせを断ち切っていた。」

エレミヤは、自分がいくら探しても正しい人を見つけることができなかったのは、卑しい者たちの中から探していたからだと思いました。もっと身分の高い人たちのところへ行って探せば、きっと見つかるはずだと。なぜなら、彼らなら、主の道も、自分の神のさばきも知っているはずだからです。この「主の道」とか「神のさばき」とはいうのは類似語で、神のことばのことを意味しています。貧しい者たちは、仕事とか食べることで忙しくて、神のことばを学んでいる暇がないのだから、主の道を知らないのも無理もないでしょう。でも身分の高い人たちならお金に余裕があるのでそんなに働かなくてもいいし、その分聖書を学ぶことができます。だから神様のこと、神様の道を知っているに違いない。そう思ったのです。実際、エルサレムには神のことばを学ぶ学校があったそうです。そういうところでは祭司とか、預言者とか、レビ人たちが学んでいました。そういう人たちならきっと知っているに違いないと考えたのです。

結果はどうだったでしたか?5節の後半をご覧ください。ここには「ところが彼らもみな、くびきを砕き、かせを断ち切っていた。」とあります。「くびき」とか「かせ」というのは、神の教えとか、律法、聖書のことです。それは、神の民が成長していくうえで欠かすことができないものでした。イエス様も「わたしのくびを負って、わたしから学びなさい。」(マタイ11:29)と言われました。この「くびき」のことです。しかしユダの民はこのくびきを砕き、かせを断ち切ってしまいました。ないがしろにしたのです。

このようにユダの民は、神の民であるにもかかわらず、意識的に、また無意識的に神の教えを無視して、神に逆らっていました。そこには公正と真実を求める人は一人もいなかったのです。それはユダの民、イスラエルだけのことではありません。私たちも同じです。公正と真実を求める人は一人もいません。神の目にかなう正しい人はだれもいないのです。先ほども申し上げましたが、このことを使徒パウロは詩篇のことばを引用してこう言いました。「義人はいない。一人もいない。悟る者はいない。神を求める者はいない。すべての者が離れて行き、だれもかれも無用の者となった。善を行う者はいない。だれ一人いない。」(ローマ3:10-12)

ノーマン・ビンセント・ピール牧師が書いた「聞かれない祈り」という本の中で、こんな逸話が紹介されています。

ピール牧師がまだ少年だったころ、彼は1本の大きくて真黒なシガレットを拾いました。彼は、面白半分に、路地裏に隠れてそのシガレットに火をつけました。味は悪かったのですが、なんとなく大人になったような気がしました。

ところが、近づいてくる父親の姿が目に入りました。彼は急いでシガレットをうしろに隠し、平静を装いました。

父親の感心を他のことに向けるために、彼はサーカスの宣伝が載った大きな広告板を指さしました。

「お父さん、行っていい?この町にサーカスが来たら、行こうよ。」

父親の答えは、ピール少年にとって、一生忘れられない教訓となりました。

父親は静かな声で、しかし、威厳を込めてこう言いました。

「息子よ。不従順の煙がくすぶっている間は、決して願い事をしてはいけないよ。」

皆さん、おわかりでしょうか。私たちは、この少年のように不従順の煙がくすぶらせているのに、「主は生きておられる」と平気で誓いますが、そのような偽りの誓いのゆえに、神のさばきを受けることになります。「すべての人が罪を犯したので、神からの栄誉を受けることはでき」(ローマ3:23)とあるように、すべての人が罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができないのです。それはあなたも例外ではありません。義人はいない。一人もいないのです。それが私たちの姿です。

Ⅱ.神の告訴状(6-13)

それゆえ、彼らに神のさばきが宣告されます。6~13節をご覧ください。6節には「そのため、森の獅子が彼らを殺し、荒れた地の狼が彼らを荒らす。豹が彼らの町々をうかがい、町から出る者をみなかみ裂く。彼らは背くことが多く、その背信がすさまじいからだ。」とあります。

「森の獅子」とか「荒れ地の狼」、「豹」とは、バビロン軍のことを指しています。意識的であろうが、無意識的であろうが、神に背いたイスラエルの民に対して、神はバビロン軍を送り、侵略させるというのです。

このような神のさばきに対して、中には、「えっ、神様はそんなに厳しい方なんですか、「神は愛です」と聖書に書いてあるじゃないですか。それは嘘なんですか」と言う方がいるかもしれません。しかし、そうじゃないんです。神様は赦したいのです。しかし、神の民であるユダがそれを拒んだのです。それが7~13節で語られていることです。いわばこれは神様の告訴状です。

「7 「これでは、どうして、あなたを赦すことができるだろうか。あなたの子らはわたしを捨て、神でないものによって誓っていた。わたしが彼らを満ち足らせると、彼らは姦通し、遊女の家で身を傷つけた。8 彼らは、肥え太ってさかりのついた馬のように、それぞれ隣の妻を慕っていななく。9 これらについて、わたしが罰しないだろうか。──主のことば──このような国に、わたしが復讐しないだろうか。10 ぶどう畑の石垣に上り、それをつぶせ。ただ、根絶やしにしてはならない。そのつるを除け。それらは主のものではないからだ。11 実に、イスラエルの家とユダの家は、ことごとくわたしを裏切った。──主のことば──12 彼らは主を否定してこう言った。『主は何もしない。わざわいは私たちを襲わない。剣も飢饉も、私たちは見ない』と。13 預言者たちは風になり、彼らのうちにみことばはない。彼らはそのようにされればよい。」」

「これでは」というのは、神が警告を与えたにもかかわらず、それでもかたくなって拒み、なおも罪を犯し続けるというのでは、ということです。甚だしいにも程があると。これでは、どうして、あなたを赦すことができるだろうか。できません。これは、裏を返せば赦したいということの表れでもあります。神様は赦したいのです。助けたいのです。でも彼らの側でそれを受け入れようとしません。むしろ、悪に悪を重ねるようなことをしたのです。

7節から、その悪が具体的に挙げられています。まず、彼らは神を捨て、神ではないものによって誓っていました。これは偶像礼拝のことです。このようにまず、神を礼拝するということが破壊されました。それでも恵みをもって彼らを満ち足らせると、今度は姦淫を犯し、遊女の家で身体を傷つけました。これは文字通り姦通したということと、霊的に姦通した、すなわち偶像礼拝を行ったということの両方を含んでいます。というのは、こうした偶像礼拝には、肉体的姦淫が伴っていたからです。

さらに8節をご覧ください。ここには「肥え太ってさかりのついた馬のように、それぞれ隣の妻を慕っていななく。」とあります。「いななく」とは、馬が声高く鳴くことです。「ヒヒ~ン」。それは発情した状態を指しています。理性を失って、完全に情欲と欲望に支配された状態のことです。もうどうにもとまりません。これは十戒の中にある「あなたの隣人の家を欲してはならない。あなたの隣人の妻、男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを欲してはならない。」(出エジプト20:17)を破る罪です。このように、神様との縦の関係が壊れると、人間同士の横の関係が壊れることになります。ですから、9節で主はこう言われるのです。「これらについて、わたしは罰しないだろうか」。このような国に、わたしが復讐しないだろうか。」どうして罰しないでおられるだろうか。復讐しないでおられるだろうか。それはできない、というのです。どこまでもかたくなになって神に背き、罪を犯し続けるならば、神様は罰せずにはおられないのです。罰したくなくても、罰するしかないわけです。それは神様からしたら不本意なことです。なぜなら、神は一人も滅びることなく、すべての人が救われることを望んでおられるからです。Ⅰテモテ2章4節にこうあります。「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。」でも、神の慈愛を無視し、悔い改めずに罪を犯し続けるなら、そうせずにはいられないという、神様の悲痛な思いが伝わってきます。

続く10節にはぶどう畑のたとえが出てきます。この「ぶどう畑」とは、イスラエルのことを指しています。このぶどう畑の石垣に上り、それをつぶせ、というのです。これを命じておられるのは神様です。神様はぶどう畑であるイスラエルの石垣に上り、それをつぶすようにと、バビロンに命じておられるのです。その理由が11節にあります。イスラエルの家とユダの家が、ことごとく主を裏切ったからです。イスラエルの家とは北イスラエル王国のことであり、ユダの家とは、南ユダ王国のことです。北王国イスラエルは既に滅ぼされていました。B.C.722年のことです。アッシリヤ帝国によって滅ぼされました。そして、それが今南ユダ王国にも語られているのです。この後B.C586年に、彼らもバビロンに滅ぼされてしまうことになります。それは、彼らがことごとく神様を裏切ったからです。神様は真剣に彼らに向き合っておられたのに、彼らは自分たちのしていることを深刻に受け止めませんでした。

それは12節を見るとわかります。彼らは主を否定してこう言いました。「主は何もしない。わざわいは私たちを襲わない。剣も飢饉も、私たちは見ない。」

どういうことでしょうか。どんなに主が警告を与えても、それをまともに受け止めようとしなかったということです。そんなことはない、主は何もしないと、高を括って(たかをくくって)いたのです。

そればかりではありません。13節には「預言者たちは風になり、彼らのうちにみことばはない。彼らはそのようにされればよい。」とあります。「風になり」とは実体がないということです。預言者たちの存在はあってないようなものだというのです。この12節と13節のことばは、エレミヤが預言者として何回も聞かされて来た、自分が体験してきたことばでした。彼が預言者として神のことばを語っても、民の方は「なに、預言者か、あいつらは風みたいなもんだ」と馬鹿にしていたのです。それはこのエレミヤが預言のことばを語った時代、それはヨシヤ王の時代ですが、政治的には強大なアッシリヤ帝国の力が弱まっていて、ユダは比較的に平穏だった時代でした。だから民はエレミヤのことばを真剣に受け止めなかったのです。風のように流していたわけです。しかし、神様は侮られるような方ではありません。神のことばが無に帰することは決してないのです。神のことばは必ず成し遂げられるのです。

アメリカの有名なリバイバリストであったD・L・ムーディーは、イエス様を信じて生まれ変わり、最初のうちは喜びに満たされていましたが、しばらくすると生まれ変わった喜びはなくなり、世の楽しみを求め始めるようになりました。そこで彼は山に登って一週間の断食祈祷をして、恵みに満たされて山から下りてきました。しかし、その恵みもしばらくすると消えてしまいました。彼はひどく落胆し、「主よ、私は捨てられた者です」と嘆きました。そんなある日、聖書を読んでいると「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです」(ローマ10:17)というみことばに目が留まりました。その瞬間、彼の心が熱くなりました。「私は聖書を読んでいなかった。だから信仰が育たず、成熟できなかったんだ。」その時から彼は聖書を一生懸命に読みました。すると、彼の生活が変わり変わり始めました。罪と世のことが消え去り、神を求めるようになり、心が聖霊に満たされていったのです。

信仰生活の基本は、神が生きておられると信じることです。そして、その神のことばに生きることなのです。神のみことばに満たされると、みことばが生きて働き、その人を変えていきます。神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通します。そして、そのみことばに従うとき、私たちの生活が変えられていきます。イスラエルの問題はここにありました。みことばを聞きませんでした。主のことばを否定していたのです。つまり、みことばがなかったのです。自分の思いのままに、勝手気ままに生きていました。その結果、神のさばぎか彼らに臨んだのです。神が生きておられると信じるなら、神の御前で生きるようになり、罪を捨てる人生へと導かれていきます。そして、すべてのことにおいて神を認める信仰は、みことばを毎日黙想して従う生活に現れるのです。

Ⅲ.イスラエルを攻める遠くから来る一つの国(14-19)

最後に、14~19節をご覧ください。しかし、主は侮られる方ではありません。「主は何もしない」と言っている間に、民は自分の頭の上に神の怒りを積み上げていました。そして、ついに神の堪忍袋の緒が切れる時がやってきます。神様がみことばで語られた通り、民に対するさばきが実行に移されます。14節には「それゆえ、万軍の神、主はこう言われる。「あなたがたがこのようなことを言ったので、見よ、わたしはあなたの口にあるわたしのことばを火とする。この民は薪となり、火は彼らを焼き尽くす。」とあります。

ユダの民がそのようなことを言ったので、主はエレミヤの口から出ることばを火炎放射器のように、彼らに浴びせます。それは火となり、この民を(たきぎ)として彼らを焼き尽くすのです。それは神様による神の民への徹底したさばきです。具体的にはバビロンが襲ってくるわけです。それが15~17節にあります。「イスラエルの家よ。見よ。わたしはあなたがたを攻めるために、遠くの地から一つの国を来させる。──主のことば──それは古くからある国、昔からある国、その言語をあなたは知らず、何を話しているのか聞き取れない国。その矢筒は開いた墓のよう。彼らはみな勇士たち。彼らは、あなたの収穫とパンを食らい、あなたの息子と娘を食らい、羊の群れと牛の群れを食らい、ぶどうといちじくを食らい、あなたが拠り頼む城壁のある町々を剣で打ち破る。」

神様は神の民をさばくために、外国を道具として用いられるわけです。「古くからある国」とか「昔からある国」とはバビロン帝国のことです。この時は新バビロニア帝国でしたが、それは昔からありました。旧バビロニア帝国です。その起源は、創世記11章のあのバベルの塔にまで遡ります。「バベル」とは実は「バビロン」のことです。人類はここから地の全面に散らされていきました。ですから、歴史は古いのです。ユダの民はその言語を知りません。何を話しているのか聞き取れない国、それがバビロンです。主はイスラエルを攻めるために、この外国のバビロンを用いられるのです。

「その矢筒は開いた墓のよう」とあります。その放つ矢によって確実に死ぬということです。つまり、バビロン軍の破壊力を表しているわけです。それはスピーディーで、パワフルで、すべてを食い尽くすいなごのようです。17節には「食らい」ということばが4回も繰り返して用いられています。「彼らは、あなたの収穫とパンを食らい、あなたの息子と娘を食らい、羊の群れと牛の群れを食らい、ぶどうといちじくを食らい、」まさにいなごが穀物を食い尽くすように彼らはすべてを食らい、エルサレムを廃墟とするのです。

まさにモーセが警告した通りです。モーセは約束の地に入るイスラエルの民に対して、もし彼らが主の御声に聞き従わず、モーセが彼らに命じた、主のすべての命令と掟を守り行わなければ、すべてのわざわいが彼らに臨み、彼らをとらえると言いましたが(申命記28:15)、その通りになったのです。

18~19節をご覧ください。ここには、「18 しかし、その日にも──主のことば──わたしはあなたがたを滅ぼし尽くすことはない。」とあります。19『われわれの神、武捨は、何の報いとして、これらすべてのことを私たちにしたのか』と尋ねられたら、あなたは彼らにこう言え。『あなたがたが、わたしを捨て、自分の地で異国の神々に仕えたように、あなたがたは自分の地ではない地で、他国の人に仕えるようになる。』」とあります。

「主は、何の報いとして、こんなことを私たちにしたのか」それは、彼らの神、主を捨てて、異国の神々に仕えたからです。それは神様の問題ではなく、身から出た錆なのです。 自業自得ということです。

18節のことばは、10節にもありましたが、滅ぼし尽くすこときしないという約束です。そのような徹底した神のさばきの中にも、神は残りの民を残してくださるという約束です。ここに希望があります。絶望的に見えますが、ここにかすかな希望が残されているのです。神は、ユダが絶滅することを赦されたのではありません。敵の攻撃に、一定の制限を設けられました。それはすでに4章27節でも語られていました。「まことに、主はこう言われる。「全地は荒れ果てる。ただし、わたしは滅ぼし尽くしはしない」。5章10節もそうです。ここでも同じことを語っておられます。神様は、アブラハムの約束のゆえに、イスラエルのすべてを滅ぼし尽くすことはなさいません。そこに残りの者、レムナントを残してくださるのです。神様は真実な方です。約束したことを最後まで守ってくださいます。みことばに「私たちが真実でなくても、キリストは常に真実である」(Ⅱテモテ2:13)とある通りです。

きょうのところをまとめると、エルサレムには主を求める正しい人が一人もいませんでした。義人はいない、一人もいなかったのです。その結果、神は遠くの地から一つの国を越させ、彼らに破壊と混乱をもたらしました。それは今日の私たちの社会にも言えることではないでしょうか。表面的には平静を装っていても、いつ崩壊してもおかしくない状態にあります。第三次世界大戦も起こるのではないかという不安も現実的になっています。いったいどこに問題があるのでしょうか。その根本的な原因は、神を恐れないことです。神を認めない、神を求めないことです。きょうの聖書のことばでいうなら、公正と真実を求めないということです。表面的に神様を信じているというだけでなく、心から神を恐れ、神のことばに従っていないことが問題なのです。その結果、このような悲惨を招いているのです。今私たちに求められているのは、自分が罪人であるということを認めて神に立ち返り、神の義と神の真実に生きることです。「23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」(ローマ3:23-24)とある通りです。

「大草原の小さな家」という番組があります。皆さんの中にも好きてよく観ていたという方も多いのではないでしょうか。その中にこんな話がありました。舞台は19世紀のアメリカ西部の開拓された小さな田舎町です。そこに小さな教会がありました。人口も少ない小さな町なので、ウイークデイは子どもたちの学校にもなっていました。

ある日曜日の礼拝が終わった時、牧師が一つの提案をしました。それは教会の入り口に鐘を付けたらどうかということでした。教会に集まっている人たちは喜んで提案を受け入れました。すると、その教会に雑貨屋を営んでいる婦人がいるのですが、ご婦人が、「じゃ、私が全額寄付します。」と言ったのです。隣町に負けないような立派な鐘を付けましょうと言うのです。その代わり、私が寄付をしたというプレートを下に付けてください」言いました。こういうことがよくあります。皆さんだったらどうしますか。しかし、その発言で教会真っ二つに割れてしまいました。せっかく寄付してくれるというんだから助かるじゃないかという人と、いや、教会にそんな寄付した人の名前を刻むなんて滅相もないという人の意見で、喧々諤々となってしまったのです。その結果、教会が半分くらいになってしまいました。牧師はその責任を感じて辞任することになってしまいました。

果たして、その教会にジョーンズさんという話すことができない障害を持っている方がいましたが、彼はその話を聞くと村中の子どもたちを集め、家の中にある鉄製のものを持ってくるようにと言いました。もちろん、話すことができないので黒板に書いて指示したわけですが。彼の仕事は鋳物師で、鉄を溶かしてやかんとか鍋とかを作る仕事でした。すると、子どもたちは自分の家にある物をジョーンズさんのところに持ってきました。それでジョーンズさんは鐘を作ったのです。

牧師が辞任のあいさつをする日です。どこからか鐘の音が聞こえてきました。それは小さな町全体に響き渡る音でした。大人たちはびっくりして音のする方向に走って行くと、教会の上に鐘が付いていてジョーンズさんが紐を引いて鐘を鳴らしていたのです。大人たちは何となく気付いていたんですが、自分たちの家から鉄の物が無くなった理由がやっとわかりました。そして子供たちが喜ぶ姿を見て、自分たちの過ちを認めたのです。

私はこの話を見て、それは私たちにも言えることではないかと思いました。こうした問題の根底にあるのは、自分の姿が見えないことにあります。自分は正しいと思い込んでいるのです。でも、きょうのみことばで言うなら、義人はいない、一人もいないのです。神様の前に正しい人など誰もいません。しかし、聖書が言うのは、ただ一人の正しい人がおられるということです。それがイエス・キリストです。イエス様だけが公正と真実を求めて、ひたすらそこに生き抜いてくださいました。この方が勝ち取ってくださった正しさを、私たちは身にまとうことが許されています。会堂の入り口に高く掲げられたこのジョーンズさんの鐘が、和解の調べを告げたように、十字架につけられたイエス様から私たちは、和解のことばを聞くことができるのです。イエス様は十字架の上からこう言われました。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分からないからです。」(ルカ23:34)

私たちは、自分でも知らないうちに、また知りながら、罪を重ねて生きています。しかしそれを全部知った上で赦してくださった方がおられます。罪で死に、罪で滅ぼし尽くしかねなかった私たちを救ってくださったイエス様、このイエス様の御声を私たちは聞き、これを信じ従っていきたいと思うのです。そのような人こそ、神の目には正しい人、真実な人なのです。

Ⅰ列王記6章

 今日は、列王記第一6章から学びます。

 Ⅰ.神殿の構造(1-10)

まず1節から10節までをご覧ください。「1 イスラエル人がエジプトの地を出てから四百八十年目、ソロモンがイスラエルの王となってから四年目のジブの月、すなわち第二の月に、ソロモンは主の家の建築に取りかかった。2 ソロモン王が主のために建てた神殿は、長さ六十キュビト、幅二十キュビト、高さ三十キュビトであった。3 神殿の本殿の前に付く玄関は、長さが神殿の幅と同じ二十キュビト、幅が神殿の前で十キュビトであった。4 神殿には格子を取り付けた窓を作った。5 さらに、神殿の壁に、すなわち神殿の壁の周り、本殿と内殿の周りに、脇屋を建て巡らした。こうして階段式の脇間を周りに作った。6 脇屋の一階は幅五キュビト、二階は幅六キュビト、三階は幅七キュビトであった。それは、神殿の外周りの壁に段を作り、神殿の壁を梁で支えずにすむようにするためであった。7 神殿が建てられたとき、石切り場で完全に仕上げられた石で建てられたので、工事中、槌や斧や、いかなる鉄の道具の音も、いっさい神殿の中では聞こえなかった。8 二階の脇間に通じる入り口は神殿の右側にあり、螺旋階段で二階に、また二階から三階に上るようになっていた。9 ソロモンは神殿を建て、これを完成させるにあたって、神殿の屋根を杉材でできた雨水溝の列でおおった。10 神殿の側面に脇屋を建て巡らし、その各階の高さは五キュビトにして、これを杉材で神殿に固定させた。」

前回は、ソロモンがツロの王ヒラムに神殿のための杉材を調達してくれるように頼み、両国の間に契約を結んだということを学びました。ここから、いよいよ神殿の建設が始まります。まず、その神殿の構造です。ソロモンが主の家の建築に取りかかったのはソロモンがイスラエルで王となってから4年目のジフの月、すなわち第二の月のことでした。それはイスラエルがエジプトを出てから480年目のことでした。ということは、ソロモンの治世は紀元前971年から931年までであることがわかっているので、この神殿の建設は紀元前966年頃であったということになります。ソロモンは王になってから比較的に短期間の内にこの神殿建設に取りかかったことになります。ちなみに、その480年前にイスラエルがエジプトを出たとあるので、出エジプトの出来事は紀元前1445年頃であったということがわかります。

2節には神殿のサイズが記されてあります。それは長さ60キュビト、幅20キュビト、高さ30キュビトです。1キュビトは約44センチなので、長さ26.4メートル、幅8.8メートル、高さ12メートルです。面積は232平米(70.4坪)ですから、それほど大きな建物ではありません。教会の建物が1階と2階を合わせて約65坪ですから、2階の部分を下に持って来た大きさとほぼ同じ大きさとなります。神殿はかつての幕屋と同じ形をしていますが、寸法はちょうど2倍になっています。

http://www.geocities.jp/gaironweb/picmatop.htmlより転載)

3節から5節までをご覧ください。ここにはその構造が記されてあります。 本殿の前には玄関が付けられました。長さは神殿の幅と同じ20キュビト(8.8メートル)、幅は神殿の前方に10キュビト(4.4メートル)です。また、神殿には格子を取り付けた窓を作りました。なぜ窓が取り付けられたのかというと、幕屋の場合は通気性が良かったので必要ありませんでしたが、神殿はそうでなかったので換気が必要だったからです。神殿の周りには3階建ての脇屋を建て巡らしました。これは祭司たちの部屋のために、また礼拝に必要な物を保管するための倉庫として使用されました。興味深いのは6節にあるように、神殿の壁を梁で支えずにすむような構造になっていたことです。梁で支えなかったら構造上の強度が弱くなってしまいます。それなのに梁で支えなくてもよいようにしたのは、それぞれのパーツがしっかりと組み合わされていたからです。エペソ人への手紙4章16節に「キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。」とありますが、まさに神の家、神殿はあらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされて建てられていったのです。

7節には、「神殿が建てられたとき、石切り場で完全に仕上げられた石で建てられたので、工事中、槌や斧や、いかなる鉄の道具の音も、いっさい神殿の中では聞こえなかった。」とあります。神殿の骨格の材料となる石が、建築現場で仕上げられることなく、すでに石切り場で完全に仕上げられていたということです。どうしてでしょうか。日本の住宅会社でもよく、家を建てるときに、すでにそれぞれの部分が組み立てられていて、それを現場でただ組み合わせるという建築方法を取り入れる会社がありますが、まさにそれと同じです。神殿で使われる石も、寸法通り、正確に、すでに石切り場で仕上げられており、現場ではただ組み立てられるだけになっていたのです。そうすることによって神殿の内部では工事の音が一切聞こえませんでした。神が臨在され、神がみことばを語られる場所として、そこは静かに保たれなければならなかったのです。主イエスが朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに出かけて行き、そこで祈っておられた(マルコ1:35)のも同じです。イエス様は静かな場所を求めておられました。勿論、物理的にそうでない所にも主はおられますが、もし主と深い交わりを持ちたいと願うなら、物理的にも、内面的にも静かさが求められるのです。

7節をご覧ください。ソロモンは神殿を建て、これを完成させるにあたって、神殿の屋根を杉材でできた雨水溝の列でおおいました。また脇屋も杉材で固定しました。杉材がふんだんに使われたのです。それは、幕屋(移動式の天幕)が暫定的な礼拝の場として与えられていたのに対して、神殿が恒久的な礼拝の場として与えられていたからです。それは、神が恒久的に彼らと共におられることの保証となりました。それは私たちにも言えることです。新約の時代に生きている私たちは、神の聖霊が与えられています。それは、救いの保証でもあります。聖霊は、私たちが御国を受けていることの保証(エペソ1:14)であり、恒久的に神が私たちと共におられることの保証なのです。

Ⅱ.神からの警告と励まし(11-13)

そのような神殿建設の真只中にあって、主はソロモンにこのように次のように言われました。11~13節です。「11 そのとき、ソロモンに次のような主のことばがあった。12 「あなたが建てているこの神殿のことであるが、もし、あなたがわたしの掟に歩み、わたしの定めを行い、わたしのすべての命令を守り、これによって歩むなら、わたしはあなたについてあなたの父ダビデに約束したことを成就しよう。13 わたしはイスラエルの子らのただ中に住み、わたしの民イスラエルを捨てることはしない。」」

どういうことでしょうか?神殿建設は確かに大事業ですが、もし本来の神の意図を見失ってしまうことがあるとしたら、何の意味もなくなるということです。とかく私たちは立派な神殿を建築すれば、神の臨在と栄光が現わされると思いがちですが、そうではないと、神は釘を刺しておられるのです。

ソロモンは、イスラエルの繁栄は、神との契約関係の上に成り立っていることを知らなければなりませんでした。つまり彼は主の掟に歩み、主の定めを行い、主のすべての命令を守り、これに歩まなければならなかったのです。もしそうであれば、主はダビデに約束したことを成就してくださいます。ダビデに約束したこととは、あのⅡサムエル記7章13節にあることばです。それは「彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」ということです。「わたしはイスラエルの子らのただ中に住み、わたしの民イスラエルを捨てることはしない。」という約束です。この約束の成就は、ソロモンがいかに神との契約関係に忠実に歩むかどうかにかかっていたのです。残念ながら、ソロモンは晩年多くの妻によって偶像礼拝に走り、この命令を守りませんでした。その結果、王国は息子レハムアムの時代に南北に分裂するようになります。

私たちはここから大切な教訓を学びます。それは、こうした祝福と繁栄の陰には落とし穴があるということです。傲慢という落とし穴です。神殿建設という祝福の真只中で主がソロモンにこれを語られたのは、そうした落とし穴に注意するようにとの警告だったのです。はたして自分は神のことばに留まっているかどうか、神の掟に歩み、神の定めを行い、神のすべての命令を守り、神のうちに留まっているかどうかを、吟味しなければならないのです。自分ではそう思っていても、神のみこころからかなり離れているということも少なくないからです。

Ⅲ.神が喜ばれる神殿(14-38)

次に、神殿の内装を見ましょう。14~22節をご覧ください。「14 こうして、ソロモンは神殿を建て、これを完成させた。15 彼は神殿の内側の壁を杉の板でおおい、神殿の床から天井の壁に至るまで、内側を板でおおった。なお神殿の床は、もみの板でおおった。16 それから、彼は神殿の奥の部分二十キュビトを、床から天井の壁に至るまで杉の板でおおった。このようにして、彼は神殿に内殿、すなわち至聖所を設けた。17 神殿の手前側の本殿は四十キュビトであった。18 神殿内部の杉の板には、瓢?模様と花模様が浮き彫りにされていて、すべては杉の板で、石は見えなかった。19 内殿は神殿内部の奥に、主の契約の箱を置くために設けた。20 内殿の内部は、長さ二十キュビト、幅二十キュビト、高さ二十キュビトで、純金でこれをおおった。さらに杉材の祭壇も純金でおおった。21 ソロモンは神殿の内側を純金でおおい、内殿の前に金の鎖を渡し、これに金をかぶせた。22 神殿全体を隅々まで金でおおい、内殿に関わる祭壇も全体を金でおおった。」

(http://meigata-bokushin.secret.jp/)より転載

こうして、ソロモンは神殿を建て、これを完成させました。彼は神殿の内側の壁を杉の板でおおい、神殿の床から天井の壁に至るまで、内側をすべて板でおおいました。神殿の床には、もみの板が使われました。石材が隠れるようにしたのです。その杉の板には、ひょうたんの模様と花の模様が浮き彫りにされていました。その上に金をかぶせました。神殿全体を隅々まで金でおおったのです。

19節には、さらに神殿内部の奥に、主の契約の箱を置くために内殿(至聖所)を設けました。サイズは長さ20キュビト、幅20キュビト、高さ20キュビトの立方体で、そこにも杉の板が張られ、その上に純金がかぶせられました。そこは、主の栄光が現わされる所だからです。

23~28節をご覧ください。「23 内殿の中にオリーブ材で二つのケルビムを作った。その高さは十キュビトであった。24 ケルビムの一方の翼は五キュビト、もう一方の翼も五キュビト。翼の端から翼の端までは十キュビトであった。25 もう片方のケルビムも十キュビトあり、両方のケルビムは全く同じ寸法、同じ形であった。26 片方のケルビムの高さは十キュビト、もう片方のケルビムも同じであった。27 ケルビムは神殿内部に置かれた。ケルビムは翼を広げていて、片方のケルビムの翼は一方の壁に届き、もう片方のケルビムの翼はもう一方の壁に届き、また両者の翼は神殿の真ん中に届いて、翼と翼が触れ合っていた。28 ソロモンはこのケルビムに金をかぶせた。」

内殿の中にオリーブ材で二つのケルビムを作りました。ケルビムは、神の栄光のそばで仕える天使です。彼らは契約の箱を守る役割を果たしていました。ケルビムの単数形はケルブですが、一つのケルブは高さが10キュビト、翼の端から翼の端までも10キュビトでした。その2つのケルビムが並んで翼を広げると、片方のケルビムの翼は一方の壁に届き、もう片方のケルビムの翼はもう一方の壁に届きました。また両者の翼は神殿の真ん中に届いて、翼と翼が触れ合っていました。ソロモンはこのケルビムにも金をかぶせた。

どうしてソロモンはケルビムを作ったのでしょうか。それは神の命令だったからです。神は幕屋の建設にあたり、二つの金のケルビムを作るようにと命じられていました(出エジプト25:18)。それは、そこが最も重要な場所であったからです。そこには十戒が書かれた2枚の2枚の石の板が収められた契約の箱がありました。そしてその上に「宥めの蓋」がありました。そこは神の宥めがなされるところ、贖いの血が注がれるところでした。そこに年に一度だけ大祭司が入り民の罪の贖いをしました。雄牛ややぎをほふり、その血を取って、それをこの宥めの蓋の上に注いだのです。主はそこでモーセと会見し、ご自身のことばを語ると仰せになられました(出25:20-22))。すなわち、そこは神が臨在される場所だったのです。

私たちも、神が命じられた方法によって準備するなら、神はそこにご自身の栄光を現わしてくださいます。新約の時代に生きる私たちの場合は、それはイエス・キリストのことです。私たちはイエス・キリストを通して神に近づき、神と会見することができるのです。

「こういうわけで、兄弟たち。私たちはイエスの血によって大胆に聖所に入ることができます。」(へブル10:19)

次に、29~38節をご覧ください。「29 神殿の四方のすべての壁には、奥の間も外の間も、ケルビムとなつめ椰子の木と花模様の浮き彫りを彫った。30 神殿の床は、奥の間も外の間も金でおおった。31 ソロモンは内殿の入り口を、オリーブ材の扉と五角形の戸口の柱で作った。32 その二つのオリーブ材の扉に、ケルビムとなつめ椰子の木と花模様の浮き彫りを彫り、金でおおった。ケルビムとなつめ椰子の木の上に金を張り付けたのである。33 同じように、本殿の入り口にも四角形のオリーブ材で戸口の柱を作った。34 また、もみの木で二つの扉を作った。片方の扉の二枚の戸は折り畳み戸、もう片方の扉の二枚の戸も折り畳み戸であった。35 ケルビムとなつめ椰子の木と花模様を彫り付け、その彫り物の上に、ぴったりと金を張り付けた。36 それからソロモンは、切り石三段と杉の角材一段の仕切りで内庭を造った。37 第四年のジブの月に、主の宮の礎を据え、38 第十一年のブルの月、すなわち第八の月に、神殿のすべての部分が設計どおりに完成した。七年かけて建てたのである。」

神殿の「奥の間と外の間」とは、至聖所と聖所のことです。その壁には、ケルビムの彫刻となつめ椰子の木と花模様の彫刻が施されました。さらに、神殿の床は、金でおおわれました。非常に豪華で華麗な意匠です。ソロモンがいかにこの神殿の建設に心血を注いだかがわかります。

聖所と至聖所を区切る扉は、オリーブ材で作られました。幕屋の時は、垂れ幕と幕によって仕切られていましたが、ここでは柱と扉です。その扉にもケルビムとなつめ椰子の木と花模様の彫刻が施され、金でおおいました。また、戸口には五角形の柱が作られました。同じように、本殿の入り口にも四角形のオリーブ材で戸口の柱を作り、もみの木で2つの扉を作りました。それから、神殿の周りに内庭を作りました。外庭よりも切り石三段分、高く作っています。

このようにして、ソロモンは主の家を完成させました。それが37~38節にあることです。「第四年のジブの月に、主の宮の礎を据え、第十一年のブルの月、すなわち第八の月に、神殿のすべての部分が設計どおりに完成した。七年かけて建てたのである。」

神殿が完成するのに7年かかりました。厳密には7年半です。この神殿はこれ以降、バビロンによって破壊されるまで(B.C.586年)四百年間立ち続けることになります。バビロン捕囚以降、ソロモンの建造物で再建されるのは、神殿だけです。その本質は、神が住まわれる、神が臨在それる場所、神を礼拝する場所です。礼拝の中心は、それまでの粗末な幕屋から豪華な神殿に代わりました。これは大きな祝福ですが、その本質を失うと信仰が形骸化する危険があります。神殿がそこにあるというだけに安住するようになるのです。

しかし新約時代では、神はキリストを信じる者の心に住まわれると聖書は教えています。私たちは神の宮(Ⅰコリント3:16)、聖霊の宮(Ⅰコリント6:19)なのです。聖霊の宮である私たちは、神の栄光を現すことが求められているのです。それはキリストとの生ける関係から生まれるものです。Ⅰペテロ2章2節には次のように勧められています。「あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります。」とあります。
私たちも聖なる石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げましょう。これこそ、神が喜ばれ、神がご自身の栄光を現わしてくださる真の神の家、神殿なのです。

ヨハネ21章1~14節「さあ、朝の食事をしなさい」

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主の御名を賛美します。本日はイースター礼拝です。復活の主を共に礼拝できることを感謝します。全世界はいま闇の中にありますが、このキリストの復活のメッセージが暗闇の中にある人たちの光となることを祈ります。今日は、ヨハネの福音書21章から「さあ、朝の食事をしなさい」という題でお話しします。

Ⅰ.私は漁に行く(1-3)

まず1~3節をご覧ください。「その後、イエスはティベリア湖畔で、再び弟子たちにご自分を現された。現された次第はこうであった。2 シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、そして、ほかに二人の弟子が同じところにいた。3 シモン・ペテロが彼らに「私は漁に行く」と言った。すると、彼らは「私たちも一緒に行く」と言った。彼らは出て行って、小舟に乗り込んだが、その夜は何も捕れなかった。」

イエス様は、ユダヤ人たちのねたみによって十字架に付けられて死なれ、墓に葬られました。しかし、キリストを墓の中に閉じ込めておくことはできませんでした。キリストは、聖書が示す通りに、三日目に死人の中からよみがえられました。復活によって、ご自身が神の御子、救い主であることを公に示されたのです。そして40日にわたり弟子たちにご自身を現わされ、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きておられることを示されました。

イエス様が最初にご自身を現わされたのは、マグダラのマリアに対してでした。20章1節には、週の初めの日、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓にやって来たとあります。何のためでしょうか。イエスの遺体に香油を塗るためです。ところが墓へ行ってみると、墓から石が取りのけられてありました。よみがえられたのです。でもイエスのからだがありませんでした。マリアが途方に暮れて泣いていると、復活の主が彼女に現れ「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」と言われました。彼女は、それを園の管理者だと思いましたが、やがて、それが愛する主イエスだということがわかりました。彼女はそのことを弟子たちに告げると、弟子たちにはたわごとのように思われました。しかし、その日の午後、エマオに向かっていた二人の弟子たちに現われると、その日の夕方には、ユダヤ人を恐れて戸に鍵をかけて集まっていた弟子たちのところに現われてくださいました。イエス様が手と脇腹を彼らに示されると、「弟子たちは主を見て喜んだ。」(20:20)とあります。

しかしそこに、12弟子の1人でデドモと呼ばれるトマスがいませんでした。彼は疑い深い人で、ほかの弟子たちが「私たちは主を見た」と言っても、「私は決して信じません。その手に釘の跡を見て、そこに指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません。」(20:25)と言いました。本当に疑い深い人ですね。私たちの回りにもそういう人たちが結構いるのではないでしょうか。いや、私たちもかつてはそうでした。見ないと信じない。

しかし、その1週間後のことですが、弟子たちが集まっていたところに、再び主が現れてくださいました。今度はトマスも一緒でした。そしてトマスに「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。」(20:27)と言われました。するとトマスは、「私の主、私の神よ。」と言ってひれ伏し、主を礼拝しました。主はそんな彼にこう言われました。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる者は幸いです。」(20:29)見ないで信じる人は幸いです。

きょうの箇所はその後の出来事です。その後、イエスはティベリア湖畔で再び弟子たちにご自分を現われてくださいました。ティベリア湖とはガリラヤ湖のことです。ティベリア湖とは、ガリラヤ湖のローマ風の呼び方なのです。そこで主は再び弟子たちにご自分を現われてくださったのです。その現わされた次第はこうです。

舞台は、エルサレムからガリラヤに移っています。なぜ弟子たちはこの時ガリラヤ湖にいたのでしょうか。主がそのように言われたからです。「ガリラヤに行くように。そこであなたがたに会う」(マタイ28:10)と。

ガリラヤ湖は彼らの故郷でした。彼らは、このガリラヤ湖で漁をしながら生計を立てていました。そこは彼らが小さい頃から慣れ親しんだ場所だったのです。しかし3年半ほど前に、イエス様から「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」(マタイ4:19)と言われ、すべてを捨ててイエス様に従って行きました。ところが、イエス様は十字架に付けられて死んでしまいました。それで彼らは完全に望みを失ってしまったのです。これまで主として、先生として仰いできたイエス様が死んでしまったのですから。しかし、イエス様は三日目によみがえられました。その復活された主イエスが彼らに現われ、ガリラヤに行くようにと言われたのです。

2節をご覧ください。そこにいたのは、シモン・ペテロとデドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナの出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、そして、ほかに二人の弟子がいました。おそらく一人はペテロの兄弟アンデレでしょう。そしてもう一人はナタナエルを誘ったピリポではないかと思います。とにかく全部で7人です。彼らはかつて漁をしていたガリラヤ湖畔にいたのです。

すると、シモン・ペテロが彼らに「私は漁に行く」と言いました。なぜ彼はこのように言ったのでしょうか。わかりません。ある学者は、このときペテロは伝道者としての生活をやめ、元の仕事に戻ろうとしていたのではないかと言っています。また他の人は、いや、その日の食料を求めて漁に行っただけだという人もいます。はっきりしたことはわかりません。しかし彼がそのように言うと、他の弟子たちも「私たちも一緒に行く」と言いました。一つだけ確かなことは、このとき彼らは無力で、みじめな状態であったということです。なぜなら、自分の仕事まで捨てて従って行ったイエスが十字架につけられて死んでしまったのですから。いったい今までのことは何だったのか、そういう思いに駆られていたのではないかと思います。そして、自分たちの最も得意な領域で自分たちの存在というものを確かめたのではないでしょうか。それが「私は漁に行く」という言葉に現れたのだと思います。彼らはもともと漁師でしたから、これが自分の本業だと思ったのでしょう。ちょうど牧師が以前の仕事のことを思い出して懐かしむ姿に似ているかもしれません。それがうまくいなかいと元の仕事に戻りたいと、牧師なら一度や二度思うことがあります。「人間をとる漁師にしよう」と言われてイエス様について行ったのは良かったけれども、その結果がこれです。「これこそ自分のライフワークだ」と、以前の状態に引き戻されたのだと思います。

結果はどうでしたか?3節後半をご覧ください。「彼らは出て行って、小舟に乗り込んだが、その夜は何も捕れなかった。」収穫ゼロです。漁をするには一番いい時間であったはずです。彼らは漁のプロでしたから、そんなことくらい百も承知でした。それなのに何も捕れなかったのです。なぜでしょうか?漁から離れていた3年半の間にすっかり腕が鈍ってしまったからではありません。それは彼らの本来の仕事ではなかったからです。彼らの本来の仕事は何ですか?人間をとる漁師です。それなのにそれを見ないかのようにして、自分の思いと自分の力で何とかしようとしたのです。その結果がこれだったのです。

ここからどんなことを学ぶことができるでしょうか?神のみこころから離れた努力は空しいということです。努力をすることは大切なことです。聖書にも「勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。」(ローマ12:11)とあります。箴言には、怠けないで、勤勉であるようにと勧められています。勤勉に働くことによって家族を養うことができます。世の光、地の塩としての役割を果たすことができます。しかしそれがどんなに良いことでも優先順位を間違えると、それは神に喜ばれません。ペテロは何も悪いことをしたわけではありません。漁に行くこと自体は良いことですし、熱心に働くことは悪いことではありません。しかし、彼に対する神の使命は、魚をとることはなく人間をとる漁師になるということでした。これが彼に対する神のみこころだったのです。それなのに彼は、神のみこころではなく自分の思い、肉の力を優先しました。その結果がこれだったのです。

私たちも神のみことばに従わないと、以前の生活に逆戻りしやすくなります。自分の力が、肉の力が働きやすくなるのです。だんだん祈らなくなります。神に信頼するよりも自分で頑張ろうとするのです。自分のやりたいことを、自分のやりたいときに、自分のやりたいようにやろうとするわけです。神のみこころを求めるのではなく、「私はやります」となるのです。ここでペテロは「私は漁に行く」と言いましたが、それと同じようになるのです。神様が何を願っておられるのかではなく、あくまでも「私」がしたいと思うこと、私の思いが強くなるのです。たから日曜日ごとに教会に来て主を礼拝することが重要なのです。そこで自分が拠って立っているもの、自分が信頼しているものが何であるのかを確認することができるからです。漁に行くこと自体は問題ではありません。でも彼に求められていたのは漁に行くことではなく、イエス様のことばに従って待つことだったのです。彼は主のことばに従わないで自分で判断して物事を決め、自分の力でやり遂げようとしました。主のことばに従わないと祈らなくなり、自分の判断で物事を決め、自分の力でやり遂げようとするようになります。

その結果、どうでしたか?夜通し働きましたが、何も捕れませんでした。空振りに終わってしまいました。こんなに頑張っているのになぜ?優先順位が間違っていたのです。人生の優先順位を間違えると、実を結ぶことができません。イエス様が言われたことばを思い出します。「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。」(ヨハネ15:5)イエス様を離れては何もすることはできません。その夜は何も捕れませんでした。それはこの時の弟子たちの心を象徴していたかのようです。イエス様を離れては実を結ぶことはできません。しかし、そんな暗い夜にも明るい朝がやって来ます。

Ⅱ.湖に飛び込んだペテロ(4-8)

4~8節をご覧ください。「4 夜が明け始めていたころ、イエスは岸辺に立たれた。けれども弟子たちには、イエスであることが分からなかった。5 イエスは彼らに言われた。「子どもたちよ、食べる魚がありませんね。」彼らは答えた。「ありません。」6 イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れます。」そこで、彼らは網を打った。すると、おびただしい数の魚のために、もはや彼らには網を引き上げることができなかった。7 それで、イエスが愛されたあの弟子が、ペテロに「主だ」と言った。シモン・ペテロは「主だ」と聞くと、裸に近かったので上着をまとい、湖に飛び込んだ。8 一方、ほかの弟子たちは、魚の入った網を引いて小舟で戻って行った。陸地から遠くなく、二百ペキスほどの距離だったからである。」

弟子たちは夜通し漁をしたのに何も捕れませんでした。その夜が明け始めていたころ、イエス様は岸辺に立っておられましたが、弟子たちにはそれがイエス様だとはわかりませんでした。見てはいましたが、わからなかったのです。なぜでしょうか?もしかすると弟子たちは湖の上にいたので、遠くてよく見えなかったのかもしれません。しかしそれは距離が遠かったからではありません。距離以上に彼らの心が遠く離れていたからです。だから主を見ていても、それが主だとわからなかったのです。

でも感謝ですね。そんな弟子たちにイエス様の方から声をかけてくださいました。「子どもたちよ、食べる魚がありませんね。」それに対して弟子たちは答えました。「ありません。」ここで弟子たちは、自分の弱さというか、無力さを素直に認めています。しかし、そのように素直に認めたとき、彼らに新しい道が開かれました。どういう道でしょうか。それはイエス様の恵みに生きる道です。6節をご覧ください。イエス様は彼らにこう言われました。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れます。」これが主のことばです。「舟の右側に網を打ちなさい。」舟の右側に打てって、もうとっくりやりましたよ。夜通しやったんです。でも何も捕れませんでした。今さらやっても無駄です。捕れるはずがありません。と弟子たちは言いませんでした。彼らは一言も反論せず、ただ主が言われたとおりにしました。

するとどうでしょう。おびただしい数の魚のために、もはや彼らには網を引き揚げることができませんでした。ガリラヤ湖は魚の豊富な淡水湖です。魚が群れをなして湖面近くに現れるとき、水面は、遠くから見ると夕立にたたかれたように波立って見えたといいます。まさにそんな光景だったかもしれません。おびただしい数の魚のために、もはや彼らには引き上げることができませんでした。7人の侍ならぬ7人の漁師でも引き上げることができないほどの大漁だったのです。自分の力で頑張った時には100%力を出し切ってもだめだったのに、主のことばに従い、主が言われたとおりにしたとき、想像することもではないほどの大漁が与えられたのです。

イエス様はこう言われました。「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:30)まず神の国とその義とを第一に求めることです。そうすれば、それに加えてすべてのものが与えられます。聖書はそう約束しています。私たちは自分の必要を満たそうとあくせくしていますけれども、空回りしないように注意しなければなりません。第一のことを第一にしなければなりません。第一のことを第一にするなら、あとのことは主が満たしてくださいます。これが、聖書が約束している聖書の原則です。

それでイエスに愛されたあの弟子が、ペテロに「主だ」と言いました。イエスが愛されたあの弟子とは、これを書いているヨハネのことです。彼は自分のことをみるとき、主に愛されている者であるというイメージを持っていました。これは正しいセルフイメージではないでしょうか。他の人があなたをどのように見るかではなく、神があなたをどのように見ておられるかということです。ヨハネは自分のことを、イエスが愛された者とみていました。私たちも同じです。確かに罪だらけな者です。同じ失敗を繰り返すような愚かな者ですが、そんな者を主は愛してくださったのです。私は、あなたは、主に愛された者なのです。

そのヨハネが、「主だ」と言いました。どうして彼はそのように言ったのでしょうか?ここには「それで」とあります。「それで」とは、その様子を見て、ということです。おびただしい数の魚のためにもはや彼らには網を引き上げることができなかったのを見て、「主だ」と叫んだのです。なぜでしょうか。なぜなら、彼の中に決して忘れ得ぬ一つの記憶が一気によみがえってきたからです。それはルカの福音書5章にある出来事です。イエス様がペテロの舟に乗ると、「深みに漕ぎ出して、網を下して魚を捕りなさい。」(ルカ5:4)と言われました。しかし、彼らは夜通し働きましたが、何一つ捕れませんでした。でも、おことばですからと、網を下してみると、おびただしい数の魚が入り、網が破れそうになったのです。あの出来事です。感受性の鋭いヨハネは、この二つの出来事の関連性というものを瞬時に分析し、結論を下したのです。「主だ」と。

それを聞いたペテロはどのように反応したでしょうか?彼は「主だ」と聞くと、すぐに湖に飛び込みました。おもしろいですね。ヨハネは、この二つの関連性を瞬時に分析してそのように結論づけましたが、ペテロは何も考えないで湖に飛び込みました。ペテロは理性よりも感性、感覚で生きるような人間でした。ですから「主だ」と聞いただけで、からだが反応したのです。本当に純粋で、行動的な人でした。すぐに反応しました。何だか自分の姿を見ているようです。どうして彼はすぐに飛び込んだのでしょうか。一刻も早く主のもとに行こうと思ったからです。舟は陸地から二百ペキスほどの距離でした。二百ペキスとは100m足らずです。下の欄外の説明には「約90メートル」とあります。そのくらいの距離だったらもう少し待っても良かったのに、彼は待てませんでした。なぜ?確かに彼は行動的な人間でしたが、それ以上に主を愛していたからです。90メートルほど舟が進むのを待つことができなかったのです。一刻も早く主のもとに行きたかった。そういう思いが、こうした行動となって現われたのです。しかし彼は裸だったので、上着をまとって飛び込みました。これもおもしろいですね。普通は反対です。泳ぐ時は上着を脱ぎます。でも彼は上着を着て飛び込みました。主にお会いするのに、せめて身なりだけでも整えようと思ったのでしょう。そばにあった上着まとうと、急いで湖に飛び込んだのです。

皆さん、これが愛です。愛とはこういうものなのです。距離など関係ありません。後先の計算もしません。とにかく飛び込むのです。とにかくそばに行きたい。とにかくそばにいたいのです。あれから40年・・・、皆さんも40年前はそのような経験をしたことがあるのではないでしょうか。主を愛する思いが、ペテロをこのような行動に駆り立てたのです。

あなたはどうですか?ペテロのような主への燃える愛があるでしょうか。冷静に分析することも必要でしょう。客観的に考えることも大切です。でも、分析だけで終わってしまうことがないように、客観的に考えるだけで終わることがないようにしたいですね。それが主だとわかったら、ペテロのようにとにかく飛び込むという情熱も必要です。主は、私たちがそのような愛を持つことを願っておられます。特に愛が冷えている現代においてはなおさらのことです。ペテロのように熱心に主を愛する者でありたいと思います。

Ⅲ.さあ、朝の食事をしなさい(9-14)

さあ、彼らが陸地に上がると、どんな光景が待っていたでしょうか。9~14節をご覧ください。「9 こうして彼らが陸地に上がると、そこには炭火がおこされていて、その上には魚があり、またパンがあるのが見えた。10 イエスは彼らに「今捕った魚を何匹か持って来なさい」と言われた。11 シモン・ペテロは舟に乗って、網を陸地に引き上げた。網は百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったのに、網は破れていなかった。12 イエスは彼らに言われた。「さあ、朝の食事をしなさい。」弟子たちは、主であることを知っていたので、だれも「あなたはどなたですか」とあえて尋ねはしなかった。13 イエスは来てパンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。14 イエスが死人の中からよみがえって、弟子たちにご自分を現されたのは、これですでに三度目である。」

弟子たちが岸に上がると、そこには炭火が起こされていました。そこで魚とパンが焼かれていたのです。それはイエス様が用意してくださったものでした。イエス様がバーベキューをして待っていてくださったのです。その魚とパンはどこから来たのでしょうか?それは弟子たちが捕ったものではありません。彼らが来る前に用意してあったのですから。それはイエス様が用意してくださったものです。イエス様ご自身がどこかで魚をとって来て、彼らのために用意してくださったのです。

すると、イエス様は彼らに「今捕った魚を何匹か持って来なさい」と言われました。何のためでしょうか?イエス様があらかじめ用意してくださった魚に、彼らがとって来た魚を何匹か加えるためです。それでペテロは舟に乗って、網を陸地に引き上げました。すると、魚は網には何匹ありましたか?153匹です。網は153匹の大きな魚でいっぱいでした。おもしろいですね、ここには魚の数まで詳細に記録されています。なぜ153匹という数字が記録されているのでしょうか。ある人たちは、この153という数字が何かを象徴していたと考えています。たとえば、153という数字1から17までを足した数で、すべて3で割り切れる数の最終点であることから、これはイエスにつながる人々、すなわち、救われる人たちの数を暗示していたのではないかと考えています。すなわち、イエスによって救われる人々は全体の3分の1の数の人たちだというのです。でも、それは読み込み過ぎです。ここで言わんとしていることはそういうことではありません。これを書いたヨハネは、これを生涯忘れることができない数字として記録したのです。あのノアの箱舟の虹が人類への神の約束を思い起こさせるように、いくつかの具体的な数字をもって、確かに私は主にお会いしたという事実を、心に深く刻み付けようとしたのです。そういう意味では、8節の「二百ペキス」もそうです。わざわざ「二百ペキス」と書かなくても、比較的近くまで来たという表現でも良かったはずです。あまり離れていなかったとか。でもあえてこのように書き記したのは、確かに主はよみがえられて、自分たちに会ってくださったということを、その心に深く刻み込もうとしたからなのです。

Ⅰヨハネ1章1節でヨハネ自身が、「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、自分の目で見たもの、じっと見つめ、自分の手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて」と言っているとおりです。これは、いのちのことばであられるイエス・キリストについて彼が自分で聞いたもの、自分の目で見た者、じっと見つめ、自分の手でさわったものなのです。確かに主はよみがえられたのです。14節に「イエスが死人の中からよみがえって、弟子たちにご自身を現わされたのは、これですでに三度目である。」とありますが、これはイエス様が死人の中からよみがえられて、三度目に弟子たちに現われてくださった出来事として、彼が自分で経験したことを、確信をもって伝えたかったのです。ですから、この「153匹の大きな魚でいっぱいであった」というのは、「ほら、見てください。そこには153匹の大きな魚があったんですよ。これは紛れもない事実です。」と言わんばかりです。そうしたヨハネの息づかいが聞こえて来そうです。

もう一つ重要なのは、それほどたくさんの魚でいっぱいだったのに、網は破れていなかったということです。どういうことでしょうか?それは、弟子たちが「私は漁に行く」「私たちも一緒に行く」と言って夜通し働きましたが何も捕れなかったことと対比されています。すなわち、彼らがイエスに従ったとき多くの収穫を見たということです。しかも、収穫したものは少しも漏れていませんでした。それはあのルカの福音書5章で経験したことと同じです。イエスが言われたとおりに網を下すと、おびただしい数の魚が入り、網は破れそうになれましたが、破れませんでした。そうです、イエス様のことばに従うとき、多くの収穫がもたらされるだけでなく、その網は破れないのです。主が支えておられるからです。これが主に従う者にもたらされる祝福です。

そればかりではありません。ヨハネはここに一つの重要な出来事を記録しています。それは、復活したイエスが、弟子たちを食事に招いてくださったという事です。12節をご覧ください。「イエスは彼らに言われた。『さあ、朝の食事をしなさい。』」

一緒に食事をするということは、それが親しい関係であることを表しています。弟子たちは、主のことばに従いませんでした。以前の生活に戻ろうとしていました。彼らが求めていたのは食べること、自分の生活を守ることでした。それで自分の力で頑張って漁に出ましたが、結果は惨憺(さんたん)たるものでした。何も捕れなかったのです。けれども主が約束されたとおりに彼らに現れてくださり、彼らが主のことばに従ったとき、豊かな収穫を見させてくださいました。そればかりでなく、彼らのために朝食まで用意してくださったのです。そして「さあ、朝の食事をしなさい。」と招いてくださいました。ここではイエス様がウエイターのようになって弟子たちに給仕してくださっています。パンと魚を焼いて、自らがそれを取り、彼らに与えられたのです。

これが私たちの主イエスです。このことによって主は、彼らを受け入れておられるということをはっきり示してくださいました。そのことは彼らもよく理解したことでしょう。イエス様との親しい交わりが回復したのです。

あなたはどうですか?イエス様との交わりを回復しているでしょうか。イエス様と共に食事をしていますか。親しく交わっているでしょうか。敵対関係があると親しく交わることができません。でも主は本当に優しい方です。愛のお方です。なかなか主に従えない、そんな私たちのために自ら歩み寄ってくださり、朝食を用意して待っていてくださいます。そして「さあ、朝の食事を食べよう」と招いてくださるのです。そのために主は自ら十字架にかかって死なれ、三日目によみがえってくださいました。私たちを神から引き離す罪を赦し、神との平和、永遠のいのちを与えるためです。親しい交わりを回復するためには神との平和を持たなければなりません。すなわち、自分の罪を赦してもらわなければなりません。「御子イエスの血は、すべての罪から私たちをきよめてくださいます」(Ⅰヨハネ1:7)。このことを覚えてください。そして、もしあなたが今神から離れているならば、御子イエスのもとに来てください。主は喜んであなたを赦してくださいます。赦されることによって、神と親しい交わりを回復することができるのです。

昨日、S姉の家を訪問しました。86歳になるお父さんが月曜日に特別老人ホームに入所することになったので、その前にもう一度イエス様のことをお話してもらいたいということでした。もう一度ということは以前にも何度か訪問してお話させていただいたことがあるということです。しかしその時は薬が効いていたためか、私を無視していたのかわかりませんが、話しかけてもすぐに眠ってしまう状態でしたので、よくお話することができませんでした。仕方がなかったので、その時にはイエス様のお話をして帰りましたが、姉妹として入所するにあたりきちんとイエス様のお話を聞いてほしかったのです。

約束の時間に伺いましたがお父さんはデイサービスに行っていて留守でした。もう少しで帰宅するというので、姉妹とお話をしながら「お父さんに天国のお話をしてもいいですか」と確認したら、「ええ、是非。最近「死ぬ、死ぬ」と叫んでいるので、地獄に行くと思っているんだと思います。だから、イエス様を信じるようにお話していただけだと思います。イエス様を信じて、同じお墓に入るということを確認したいのです。」と言われました。「お墓のことならその後でもいいんじゃないですか」と言うと、「いや、きちんと父親の確認を取ってきたいのです。」というので、「わかりました」と私も覚悟を決めました。

するとお父さんがデイサービスから帰って来られました。「きょうはお父さんにキリストのお話をしてくれると、私が行っている教会の牧師さんが来てくれたから、お話聞いてない」と言うと、車いすに乗ってキッチンに連れて来られました。するとテーブルをそばに置いて、私のためにお父さんの左側に椅子を置いてくれました。左の耳が聞こえるので、あえてそのように配置してくれたのです。

私は心の中で主に祈りながら、「お父さん、デイサービスはどうでしたか。気持ちよかったでしょ。きょうは暖かかったし、お風呂に入れたから。お顔がキュキュッとしてますよ。」と言うと、わかったんでしょうね、にこっとして「ニコっときょうはあったかかったから」と言われました。「ところで、お父さん、お父さんはこれから先のことで不安なことはないですか。私はS妹が行っているキリスト教会の牧師なんですが、お父さんにもぜひ天国に行ってほしいと思ってるんです。どうしたら行けるかわかりますか。天国に行くにはイエス様を信じなければなりません。イエス様は神様なのに今から二千年前に私たちと同じような姿でこの世に生まれてくださり、何も悪いことをしなかったのに十字架で死んでくださいました。それはお父さんの悪い心、罪の身代わりのためです。でも三日目によみがえってくださいました。だから、このイエス様を信じるとお父さんのすべての罪が赦されて、天国に行くことができるんです。お父さんもイエス様を信じて天国に行きましょう。」と言うと、じっと私の顔を見て、ウンともツンともしませんでした。するとS姉妹がお父さんの耳元で、「お父さん、わかった?お父さんはいつも地獄に行くと言ってるでしょ。でもキリストを信じると、キリストが十字架にかかってお父さんの罪をかぶってくれたから、地獄に行かなくてもいいの。天国の行くの。そして私と同じお墓に入るんだよ。信じようね。わかった?」と言うと、「わかった!」とはっきり言われました。ハレルヤ!それで私は、「まことに、まことにあなたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持っています。」(ヨハネ6:47)と宣言して祈りました。祈り終えるとS姉の目は真っ赤になっていました。認知がひどく何もわからないと思ったお父さんが、はっきりと信じて救われたからです。主の深いあわれみに心から感謝します。

そして主は、毎朝、あなたも朝の食事に招いておられます。その招きに応答して、主とともに心の朝食をとりましょう。これは、イエスが死人の中からよみがえって、弟子たちにご自分を現わされた三度目の出来事でした。確かに主はよみがえられたのです。主は今も生きておられます。すべては主の御手にあります。私たちのために復活してくださり、親しい交わりを回復してくださった主に心から感謝します。

Ⅰ列王記5章

 今日は、列王記第一5章から学びます。

 Ⅰ.ツロのヒラムへの要請(1-6)

 まず1節から6節までをご覧ください。「1 さて、ツロの王ヒラムは、ソロモンが油注がれて、彼の父に代わって王となったことを聞いて、自分の家来たちをソロモンのところへ遣わした。ヒラムはダビデと常に友情を保っていたからである。2 そこで、ソロモンはヒラムのもとに人を遣わして言った。3「ご存じのように、私の父ダビデは、周りからいつも戦いを挑まれていたため、主が彼らを私の足の裏の下に置かれるまで、私の父の神、主の御名のために神殿を建てることができませんでした。4 しかし今や、私の神、主は、周囲の者から私を守って安息を与えてくださり、敵対する者もなく、わざわいを起こす者もありません。5 今私は、私の神、主の御名のために神殿を建てようと思っています。主が私の父ダビデに、『わたしがあなたの代わりに王座に就かせるあなたの子、彼がわたしの名のために家を建てる』と言われたとおりです。6 どうか、私のために、レバノンから杉を切り出すように命じてください。私の家来たちも、あなたの家来たちと一緒に働きます。私はあなたの家来たちに、あなたが言われるとおりの賃金を払います。ご存じのように、私たちの中にはシドン人のように木を切ることに熟練した者がいませんから。」」

ソロモンが油注がれてイスラエルの王となったことを聞いたツロの王ヒラムは、自分の家来たちをソロモンのところへ遣わしました。ヒラムは、ソロモンの父ダビデと常に友情を保っていたからです。Ⅱサムエル5章11節には、ダビデが王宮を建築する際、ヒラムはそのために必要な杉材や木工、石工を送り、助けていたことが記されてあります。ヒラムがソロモンのところへ人を送ったのは、ソロモンがダビデに代わって王に即位したことを祝福し、父ダビデの時と同じように両国の間に平和な関係を維持するためでした。

するとソロモンはヒラムのもとに人を遣わして言いました。「ご存じのように、私の父ダビデは、周りからいつも戦いを挑まれていたため、主が彼らを私の足の裏の下に置かれるまで、私の父の神、主の御名のために神殿を建てることができませんでした。しかし今や、私の神、主は、周囲の者から私を守って安息を与えてくださり、敵対する者もなく、わざわいを起こす者もありません。今私は、私の神、主の御名のために神殿を建てようと思っています。主が私の父ダビデに、『わたしがあなたの代わりに王座に就かせるあなたの子、彼がわたしの名のために家を建てる』と言われたとおりです。」(3-5)彼はこのチャンスを生かし、神殿建設の準備を始めようとしたのです。それでソロモンはヒラムのもとに人を遣わして、神殿建設のためのレバノン杉を切り出すように、また、その杉材を切る熟練した職人も送ってくれるようにと願い出ました。勿論、そのための賃金はきちんと支払うつもりでした。

ここで注目すべきことは、ソロモンが「今私は、私の神、主の御名のために神殿を建てようと思っています。主が私の父ダビデに、『わたしがあなたの代わりに王座に就かせるあなたの子、彼がわたしの名のために家を建てる』と言われたとおりです。」(5)と言っていることです。ソロモンが神殿を建設しようと思ったのは、主の御名のゆえであったことです。それは主が彼を祝福してくださったからでも、自分の政治的な力を誇るためでもありませんでした。主の御名のため、主の御名が崇められるためだったのです。おそらく彼は神がダビデに告げられた約束(ダビデ契約)を知っていたのでしょう。Ⅱサムエル7章11~13節のところで主はダビデにこう言われました。「主はあなたに告げる。主があなたのために一つの家を造る、と。あなたの日数が満ち、あなたが先祖とともに眠りにつくとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」この約束に従って彼は、主の家、神殿を建設しようと思ったのです。つまり彼は、主のみこころが成ることを求めていたということです。

これまで私たちはソロモンの知恵がいかにすばらしいものであるかを見てきましたが、その知恵のすばらしさはどこから出ていたのかというと、ここから来ていたことがわかります。すなわち彼は、神のみこころ(計画)を求め、それに生きようとしていたということです。

私たちが抱く動機もまた、ここになければなりません。神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで神に受け入れられることなのかを知り、それを行うということです。つまり、みこころを知り、みこころを行うということです。そのためには、心の一新によって自分を変えなければなりません。

パウロは、ローマ12章1~2節でこう言っています。「ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようにしなければならないのです。この「この心を新たにする」という言葉のギリシャ語は「メタモルフィゾー」という語で、意味は芋虫が蝶に変わる過程を指しています。私たちが自分の分を果たしつつ、積極的に自分の思いを一新していく一方で、誰か他の人に変革してもらうという意味が含まれています。つまり、私たちがこの世の方法ではなく、キリストの方法で心の思いを変革していくならば、神である聖霊が私たちを次第にキリストに似た者に変えてくださるということです。そして、神のみこころが何かを知ることができるのです。つまり、神のことばである聖書に従い、自分自身の思いを聖霊に明け渡すことによってできるということです。そうでないと、いつまで経っても自分を変えることはできません。いつも自分の思いが中心となっているので、神様に変えていただくことができないからです。私たちはいつも自分を主に明け渡し、神のみこころは何か、何が良いことで神に喜ばれるのかをわきまえ知るために、神のことばと聖霊によって心を一新し、神のみこころに生きる者となりましょう。

Ⅱ.ヒラムの応答(7-12)

さて、そのソロモンの要請に対して、ヒラムはどのように応答したでしょうか。7~12節をご覧ください。「7 ヒラムはソロモンの申し出を聞いて、大いに喜んで言った。「今日、主がほめたたえられますように。主は、この大いなる民を治める、知恵のある子をダビデにお与えになった。」8 ヒラムはソロモンのもとに人を遣わして言った。「あなたが言い送られたことを聞きました。私は、杉の木材ともみの木材なら、何なりとあなたのお望みどおりにいたしましょう。9 私の家来たちは、それをレバノンから海へ下らせます。私はそれをいかだに組んで、海路、あなたが指定される場所まで送り、そこでそれを解かせましょう。それを受け取ってください。それから、あなたは私の一族に食物を与えて、私の望みをかなえてください。」10 こうしてヒラムは、ソロモンに杉の木材ともみの木材を、彼が望むだけ与えた。11 ソロモンはヒラムに、その一族の食糧として、小麦二万コルと上質のオリーブ油二十コルを与えた。ソロモンは、これだけの物を毎年ヒラムに与えた。12 主は約束どおり、ソロモンに知恵を授けられた。ヒラムとソロモンとの間には平和が保たれ、二人は契約を結んだ。」

ソロモンの申し出を聞いたヒラムは、大いに喜びました。そして、イスラエルの神をほめたたえて言いました。「今日、主がほめたたえられますように。主は、この大いなる民を治める、知恵のある子をダビデにお与えになった。」(7)

ここで注目すべきことは、ヒラムがイスラエルの主をほめたたえていることです。彼がどれほどイスラエルの主を知っていたのかはわかりませんが、おそらく、ダビデとソロモンを通して主のすばらしさを知っていたのでしょう。もしかすると、彼も主を信じていたのかもしれません。

ヒラム知恵のある王でした。彼はソロモンが王位に着いたことを、神がダビデに与えた約束の成就であると見ていたのです。そこで彼は、ソロモンに人を遣わして言いました。それは、杉の木材ともみの木材なら、何なりとソロモンが望むとおりにするということでした。そしてそれをレバノンから海へ下らせ、いかだに組んで、海路、イスラエルに送り届けるというものでした。また、賃金の支払いについては、賃金ではなく、ヒラム一族に食料を与えてほしいということでした。

それでソロモンはヒラム一族の食料として、小麦2万コル、上質のオリーブ油20コルを、毎年ヒラムに与えました。脚注の説明にあるように1コルは230リットルですから、2万コルの小麦とは4,600トンにもなります。10トントラックで460台分にもなります。それに上質のオリーブは20コルですから4,600リットルとなります。2リットルのペットボトルで2,300本分です。これは相当の食糧です。ソロモンはそれだけの食料を、ヒラムの一族に与えたのです。

こうしてヒラムとソロモンの間には平和が保たれ、二人は契約を結びました。すばらしいですね、ソロモンに知恵があったので平和があり、そして契約が結ばれたのです。知恵はこのように平和をもたらします。争いところには、知恵が欠けています。ヤコブの手紙の中にこう書いてあります。「しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。」(ヤコブ3:17-18)上からの知恵の特質の一つが平和なのです。このような義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれるのです。

ビジネス・コンサルタントのデイビッド・ホルセイガーは、その著「信頼の力」の中で、こう言っています。「お金ではなく、信頼関係こそ、ビジネスと人生における真の貨幣である。」信頼関係こそ、ビジネスと人生においていかに重要であるかがわかります。それを崩すことは簡単ですが、建て上げるのは容易なことではありません。義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。私たちは争いをもたらすのではなく、平和をつくる人になるために、平和の種を蒔く者でなければなりません。それは上からの知恵、神の知恵によるのです。

Ⅲ.神殿建設(13-18)

最後に、13~18節までをご覧ください。「13 ソロモン王は全イスラエルから役務者を徴用した。役務者は三万人であった。14 ソロモンは、彼らを一か月交代で一万人ずつレバノンに送った。一か月はレバノンに、二か月は家にいるようにした。役務長官はアドニラムであった。15 ソロモンには荷を担ぐ者が七万人、山で石を切り出す者が八万人いた。16 そのほか、ソロモンには工事の監督をする長が三千三百人いて、工事に携わる民を指揮していた。17 王は、切り石を神殿の礎に据えるために、大きな石、高価な石を切り出すように命じた。18 ソロモンの建築者たち、ヒラムの建築者たち、そしてゲバル人たちは石を切り、神殿を建てるために木材と石材を準備した。」

ソロモンは、神殿を建設するために全イスラエルから役務者を徴用しました。このときに担当したのが、4章に登場した役務長官アドニラムです。役務者は全部で3万人でした。ソロモンはそれを3組に分け、1か月交代で1万人ずつレバノンに送りました。すなわち、1か月間はレバノンにいるようにし、残りの2か月間は家にいるようにしたのです。ここにも彼の知恵がいかんなく発揮されています。こうした徴用は一般民衆の不平や不満を買う政策ですが、イスラエルの民が暴動を起こさずに役務に就くことができるように、こうした配慮をしたのです。それもまたソロモンの知恵に基づくものでした。

また、ソロモンには荷を担ぐ者7万人、山で石を切り出す者8万人がいました。これは切り出された木材や石を運ぶ人たちです。相当の数の人夫が必要でした。9章20~21節には「イスラエル人ではない、アモリ人、ヒッタイト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の生き残りの民すべて、すなわち、この地に残されていた人々、イスラエル人が聖絶できなかった人々の子孫を、ソロモンは強制労働に徴用した。今日に至るまで、そうである。」とあるので、これらの人たちは、

おそらく、イスラエルにいた奴隷たちだったと思われます。そのほか、工事の監督をする者が3千3百人もいました。

神殿のための木材と石材を準備したのは、ソロモンの建築者たち、ヒラムの建築者たち、ゲバルの建築者たちでした。ゲバルとは、ツロよりもさらに100㌔ほど北に上った地域のことです。そういう人たちが一丸となって神殿建設に当たったのです。

しかし、こうした一大事業には、ある種の危険も伴うものです。たとえそれが主のための働きであったとしても、過剰なまでの規模と栄華を求めるなら、民の負担は耐えがたいものとなり、やがて内側から崩壊を招いてしまうことがあります。私たちも主の御名のためにという事業が、いつしか自分の欲望を満たすものであったり、自分の名誉のためであったりすると、崩壊を招いてしまうことになります。たとえば、会堂建設はその一つです。主の家、主の栄光のためにと始めたプロジェクトが、いつしか人間的になってしまうということがよくあります。そしてそれが原因で教会に混乱を招いてしまうということがあるのです。それが人間の愚かさの一面でもあるわけですが、そういうことがないように、外側の見えるものではなく、見えないものにしっかりと目を留めていかなければなりません。パウロはⅡコリント4章18節でこのように言っています。「私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。」

神の国は、見えるものではなく、見えないものです。それは永遠に続くものなのです。それゆえ、たとえそれが主の御名のためであったとしても、その本質は見えないものであることを覚えつつ、そうしたものに惑わされることがないように注意しなければなりません。主が与えてくださる神の家を心から喜び感謝しつつ、且、バランスを持ってみこころに歩むことを求めていきたいと思います。