イザヤ66:18-24レジュメ

「永遠をどこで」

イザヤ66:18-24

 Ⅰ.のがれた者たち(18-19)

 イザヤ書の最後の箇所からのメッセージである。ここには、やがて神はすべての国々と種族を集めるので、彼らは来て、神の栄光を見る、とある。「わたしは彼らの中にしるしを置き、彼らのうちののがれた者たちを諸国に遣わす。すなわち、タルシシュ、プル、弓を引く者ルデ、トバル、ヤワン、遠い島々に。これらはわたしのうわさを聞いたこともなく、わたしの栄光も見たことがない。彼らはわたしの栄光を諸国の民に告げ知らせよう。」(19)この「のがれた者たち」とはだれのことなのかわからないが、彼らはこれまで主なる神のうわさを聞いたことも、その栄光を見たこともない諸国の民のところに出ていき、主の栄光を告げ知らせるようになる。

 神はこの尊い働きのために私たちを選んでくださった。そう、この「のがれた者たち」は、私たちのことでもあるのだ。私たちには、「のがれた者」として、すべての国々に主の栄光を告げ知らせる使命が与えられている。あなたはその準備ができているだろうか。主の栄光をすべての民に伝えるために、あなたは主に献身しておられるだろうか。

 Ⅱ.歴史の最終ゴール(20-23)

 「彼らは、すべての国々から、あなたがたの同胞をみな、主への贈り物として、馬、車、かご、騾馬、らくだに乗せて、わたしの聖なる山、エルサレムに連れてくる。」(20)「あなたがたの同胞」も誰のことを指しているのか明確ではない。しかし、のがれた者たちの宣教によって救われた人たちのことであるのは間違いない。彼らは聖なる山に連れて来られる。何のために?礼拝するためである。彼らはエルサレムにやって来て、心を一つにして主を礼拝する。「わたしの造る新しい天と新しい地が、わたしの前にいつまでも続くように、-主の御告げ-あなたの子孫と、あなたがたの名もいつまでも続く。」(22)これは天国の光景である。神が造られる新しい天と新しい地が、神の前にいつまでも続くように、彼らは決して滅ぼされることはない。いつまでも続く。永遠に神をほめたたえる。これが神の民に約束されている勝利の姿である。これが全歴史の最終ゴールだ。すべての人が神の前に来て、礼拝をささげるようになる。私たちはいったい何のために造られたのか?神を礼拝するためである。永遠に神をほめたたえるためなのである。やがてそれが実現する。これが神の民であるクリスチャンに約束されている最後の姿なのだ。

 Ⅲ.永遠をどこで?(15-17)

 しかし、イザヤ書はこれたけで終わってはいない。最後に24節の言葉が加えられている。「彼らは出て行って、わたしにそむいた者たちのしかばねを見る。そのうじは死なず、その火も消えず、それはすべての人に、忌み嫌われる。」これはげヘナ、地獄のことである。イエス様はここから引用して、ゲヘナが実際にある現実の世界であることを示された(マルコ9:47-48)。もしあなたが悔い改めないで、イエスを信じないなら、このゲヘナに投げ込まれる。私たちを救うのはただイエスを救い主として信じ、それを口で告白することによってのみである。そうでなければ地獄に落ちてしまうことになる。そこはうじがわいていて、永遠に消えない火で焼かれる。どんなに苦しくて死にたくても、死ぬこともできない。そこで永遠に苦しみ続けることになる。それが地獄である。

神は私たち人間がひとりも滅びることがないように、この地獄に行くことがないように、ひとり子イエスを送ってくださった。このイエスを信じるなら、だれでも救われる。その人は神が造られた新しい天と新しい地で、永遠に神とともに生きることになる。天国と地獄、あなたはどちらで永遠を過ごしたいか?選択はあなたにゆだねられている。イエス様を信じて、天国で永遠に神とともに生きる者となっていただきたい。