Ⅱサムエル記13章

 Ⅱサムエル記13章から学びます。

 Ⅰ.アムノンの苦しみ(1-19)

 まず1~7節をご覧ください。「その後のことである。ダビデの子アブサロムに、タマルという名の美しい妹がいた。ダビデの子アムノンは彼女に恋をした。アムノンは、妹タマルのゆえに苦しんで、病気になるほどであった。というのは、彼女が処女であって、アムノンには、彼女に何かをするということはとてもできないと思われたからである。アムノンには、ダビデの兄弟シムアの息子でヨナダブという名の友人がいた。ヨナダブは非常に知恵のある男であった。彼はアムノンに言った。「王子様。なぜ、朝ごとにやつれていかれるのですか、そのわけを話してください。」アムノンは彼に言った。「私は、兄弟アブサロムの妹タマルを愛している。」ヨナダブは彼に言った。「床に伏せて、病気のふりをなさってください。父君が見舞いに来られたら、こう言うのです。『どうか、妹のタマルをよこして、私に食事をとらせるようにしてください。彼女が私の目の前で食事を作って、私はそれを見守り、彼女の手から食べたいのです。』」アムノンは床につき、仮病を使った。王が見舞いに来ると、アムノンは王に言った。「どうか、妹のタマルをよこし、目の前で団子を二つ作らせてください。私は彼女の手から食べたいのです。」ダビデは、タマルの家に人を遣わして言った。「兄さんのアムノンの家に行って、病人食を作ってあげなさい。」」

 「その後」とは、ダビデが預言者ナタンによって罪を指摘されたとき、それを悔い改め、バテ・シェバを正式に妻として迎え入れ、ソロモンを生んだ後ということです。13章26~31節は取り上げませんでしたが、これは11章1節の続きで、ダビデがアンモン人のラバと戦い、この王の町を攻め取った時の様子のことです。彼はその町を攻め取ると、彼らの王の王冠を奪い取り、非常に多くの分捕り物を持ち去りました。そして、その町にいた人々を連れ出して、石ののこぎりや、鉄のつるはし、鉄の斧を使う仕事に着かせ、また、れんがの仕事をさせました。ここまでがダビデの生涯の絶頂期でした。これ以降、ダビデの生涯は坂道を転がり落ちるかのように破滅の一途をたどることになります。12章には、ダビデがバテ・シェバと姦淫をした結果、その生まれた子どもが病気で死にました。次にダビデを襲うのが、家庭内の不和です。近親相姦と兄弟殺しの悲劇です。

 1節には「ダビデの子アブサロムに、タマルという名の美しい妹がいた。ダビデの子アムノンは彼女に恋をしていた。」とあります。3章を振り返ってみましょう。3章2節には、ダビデがヘブロンで王であったときに、イズレエル人アヒノアムから産まれた子がアムノンであることが書かれています。つまりアムノンが、すべてのダビデの息子たちの中で長男でした。次男はカルメル人ナバルの妻アビガイルによって生まれたキルアブです。そして三男が、ゲシェルの王タルマイの娘マアカによって生まれたアブサロム、四男はハギテの子アドニヤ、五男はアビタルの子シェファテヤ、六男がダビデの妻エグラによって生まれたイテレアムです。これらの子は、ダビデがヘブロンにいたときに生まれた子どもたちです。そして、これにエルサレムでバテ・シェバによって生まれた子ソロモンがいました。ここに登場するのは長男のアムノンと、ゲシェルの王タルマイの娘マアカによって生まれた三男のアブサロムです。この異邦人の王の娘マアカは、アブさロムの他に娘タマルを産んでいました。そして、ダビデの長男アムノンが、このタマルに恋をしたのです。

アムノンは、妹タマルのゆえに苦しんで、病気になるほどでした。というのは、彼女が処女であって、アムノンには、彼女に何かをすることはとてもできないと思われたからです。「何かをする」とは、何か手を出したりすることです。そんなことはできないと思いました。というのは、モーセの律法では、男が女と寝ることは、イコールめとることと同じことであったからです。性的な結びつきは、そのまま、霊的、精神的、社会的責任が生じる結婚であると考えられていたのです。しかし、姉妹との結婚は禁止されていました(申命記27:22)。タマルを恋い慕っていたアムノンは、それで病気になるほどでした。恋わずらいです。皆さんも、そういう時があったでしょう。胸がキュンとして苦しいのです。ちょっとだけキュンとする程度ならいいのですが、燃え上がるほどキュンとなると苦しくなります。今週の日曜日は雅歌2章からのメッセージでしたが、2章5節に「私は愛に病んでいるのです。」ありましたね。これはどういう意味ですかと、ある方からメールをいただきましたが、あまりにも愛しているので、体のエネルギーがそれに吸いとられるようで苦しいのです。それほど愛しているということです。ここでは愛ではなく恋ですが、恋の病は苦しいのです。

そのアムノンにダビデの兄弟シムアの息子でヨナダブという従兄弟がいました。彼はアムノンの友人で、非常に知恵のある男でしたが、アムノンが苦しんでいるのを見て、「どうしてそんなに苦しんでいるのですか。そのわけを話してください。」と言いました。アムノンは自分の思いを彼に伝えました。「私は、兄弟アブサロムの妹タマルを愛している。」と。

すると、ヨナダブは何と言いましたか。彼はアムノンに、病気のふりをして床に伏せているようにと言いました。父ダビデ王が見舞いに来たら、妹のタマルに食事を作らせて、自分のところによこしてほしいと。仮病を装ってタマルをおびき寄せればいいと助言したわけです。ヨナダブは非常に知恵のある男でしたが、その知恵を悪のために利用したのです。私たちは、アムノンやヨナダブのように自分の欲望を満たすために知恵を悪用するのではなく、神の栄光のために知恵を用いていかなければなりません。

アムノンは、ヨナダブが言った通りにしました。彼は、自分の欲望を満たすために従兄弟のヨナダブの悪知恵を利用して犯行に及んだのです。しかし、これは本当の愛ではありませんでした。アムノンはタマルを愛していたのではなく、自分を愛していたのです。というのは、愛とは、自分の利益を求めず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに、真理を喜ぶからです(Ⅰコリント13章)。彼はただ、自分の欲望が満たされることしか考えていませんでした。それは、愛ではありません。むしろ、愛には程遠い行為です。

次に、8~14節までをご覧ください。「タマルが兄アムノンの家に行ったところ、彼は床についていた。彼女は生地を取ってそれをこね、彼の目の前で団子を作ってそれをゆでた。彼女は鍋を取り、それを彼の前によそったが、彼は食べることを拒んだ。アムノンが「皆の者をここから出て行かせよ」と言ったので、みなアムノンのところから出て行った。アムノンはタマルに言った。「食事を寝室に持って来ておくれ。私はおまえの手からそれを食べたい。」タマルは、自分が作ったゆでた団子を兄のアムノンの寝室に持って来た。彼女が食べさせようとして、彼に近づくと、彼は彼女を捕まえて言った。「妹よ、おいで。私と寝よう。」彼女は言った。「いけません。兄上。乱暴してはいけません。イスラエルでは、こんなことはしません。こんな愚かなことをしないでください。私は、この汚名をどこに持って行けるでしょうか。あなたも、イスラエルで愚か者のようになるのです。今、王に話してください。きっと、王は私があなたに会うのを拒まないでしょう。」しかし、アムノンは彼女の言うことを聞こうともせず、力ずくで彼女を辱めて、彼女と寝た。」

事は、アムノンが計画した通りに進みました。タマルが彼の家にやって来ると、生地をこねて団子を作り、それをゆでました。それからそれをよそいましたが、彼は食べることを拒み、部屋にいた者たちを全員外に出しました。そして、タマルの手から直接食べたいと、彼女を寝室に呼び寄せました。彼女が食べさせようとして、彼に近づくと、彼は彼女を捕まえて、「妹よ、おいで。私と寝よう。」と迫りました。しかし、タマルは「いけません。兄上。乱暴してはいけません。イスラエルでは、こんなことはしません。こんな愚かなことはしないでください。」と言って拒みました。彼女はモーセの律法を知っていたのです。さらに彼女は、もしこのようなことをしたら、その汚名をどこにも持っていけなくなること、また彼も、イスラエルでいつまでも愚か者と呼ばれるようになることを伝えて、彼の思いをとどまらせようとしました。しかし、残念ながら、アムノンは彼女の言うことを聞こうとせず、力ずくで彼女を辱め、彼女を犯してしまったのです。

その結果、どうなったでしょうか。15~19節をご覧ください。「アムノンは、激しい憎しみにかられて、彼女を嫌った。その憎しみは、彼が抱いた恋よりも大きかった。アムノンは彼女に言った。「起きて、出て行け。」タマルは言った。「それはなりません。私を追い出すなど、あなたが私にしたあのことより、なおいっそう悪いことですから。」しかし、アムノンは彼女の言うことを聞こうともせず、召使いの若い者を呼んで言った。「この女をここから外に追い出して、戸を閉めてくれ。」彼女は、あや織りの長服を着ていた。昔、処女である王女たちはそのような身なりをしていたのである。召使いは彼女を外に追い出し、こうして戸を閉めてしまった。タマルは頭に灰をかぶり、身に着けていたあや織りの長服を引き裂き、手を頭に置いて、泣き叫びながら歩いて行った。」

アムノンはタマルと関係を持つと、激しい憎しみにかられ、彼女を嫌うようになりました。その憎しみは、彼が抱いた恋よりも大きかったのです。アムノンはタマルに言いました。「起きて、出ていけ。」

どういうことでしょうか。あれほど恋い慕っていたのに、いざ関係を持つとそれが憎しみに変わるのです。不思議ですね。しかもその憎しみは、彼が抱いていた恋よりも大きいものでした。彼はタマルのことを思うと病気になるほど恋していたのに、それがそれ以上に憎しみに変わったのです。まったく勝手な男です。でも、これが男というものです。これは、愛ではありませんでした。単なる欲望にすぎなかったのです。作家の有島武郎は「愛は惜しみなく奪う」と言いましたが、それは愛でなく恋です。愛とは惜しみなく与えるものだからです。愛だと思って関係を持った瞬間に彼が激しい憎しみにかられたのは、それは本当の愛でなく自分の欲望を満足させようとする恋にすぎなかったからです。ですから、欲望を満足させた彼は、それまでの恋心よりもさらに激しい憎悪を抱くようになったのです。満たされたら、もう用なしです。情欲によってついさっきまで愛していると言っていた男が、その女を打つことも十分ありえるのです。それが愛だと思い違いをすると大変なことになります。

アムノンはタマルに「起きて、出ていけ。」と言いました。しかし、タマルは「それはできません」と答えています。そんなことをすれば、罪の上に罪を上塗りすることになってしまいます。というのは、モーセの律法には、このように処女を犯した場合必ずめとらなければいけない、とあるからです。その男は一生涯彼女の夫とならなければなりませんでした。しかし、アムノンはそんなタマルの声に耳を貸そうとしませず、彼女を追い出してしまいました。彼女は処女の王女が着るあや織りの長を裂き、手を頭に置いて、泣き叫びながら帰って行きました。

 Ⅱ.アブサロムの復讐(20-22)

次に、20~22節をご覧ください。「彼女の兄アブサロムは彼女に言った。「おまえの兄アムノンが、おまえと一緒にいたのか。妹よ、今は黙っていなさい。彼はおまえの兄なのだ。このことで心配しなくてもよい。」タマルは、兄アブサロムの家で、一人わびしく暮らしていた。ダビデ王は、事の一部始終を聞いて激しく怒った。アブサロムはアムノンに、このことが良いとも悪いとも何も言わなかった。アブサロムは、アムノンが妹タマルを辱めたことで、彼を憎んでいたからである。」

 妹タマルが犯されたことを知り、アブサロムはタマルに「今は黙っていなさい。」と言いました。なぜこのように言ったのでしょうか。もしアムノンを暗殺する好機を狙っていたのであれば、それは秘密裏に決行されたでしょう。しかし、この後のところを見てわかるように、それは秘密裏に決行されたのではなく、王も知り、兄弟たちも臨席している場で正々堂々と行われています。そのように公然と部下たちを動員して殺害するのであれば、いつでも行うことができたでしょう。それなのに、二年間もその時を待ったのは、このアムノンの悪事に対してダビデ王がどのような対処をするのか様子をうかがっていたからです。つまり、王位継承権第一を占めていたアムノンを粛清することで、自分がその王位に着くことを淡々とねらっていたのです。

 しかしダビデは何の行動もとりませんでした。彼は事の一部始終を聞くと激しく怒りましたが、それ以上のことは何もしませんでした。それは、彼がアムノンを咎めれば家庭が崩壊するのではないかと思ったからです。何よりもダビデ自身バテ・シェバとのことがあったので、性的な罪に対して厳しい態度を取ることができなかったのです。

 ここに、彼の家庭環境の複雑さが見られます。それは元はと言えば、彼が神の御心に反して多くの妻を持ったことに原因がありました。それゆえに、こうした複雑な家庭環境が生まれ、様々な問題が生じたのです。そして彼自身の罪、彼自身の弱さもありました。すべての関係の最小単位は夫婦であり、家族です。その関係が壊れると、すべての関係に影響を及ぼすことになります。神のことばに従って夫婦関係、家族関係を構築していかなければなりません。そうでないと、こうした問題に発展していきます。

 ダビデが正しく問題の解決を図らなかった結果、どのようなことが起こったでしょうか。23~27節までをご覧ください。「満二年たって、アブサロムがエフライムの近くのバアル・ハツォルで羊の毛の刈り取りの祝いをしたとき、アブサロムは王の息子たち全員を招いた。アブサロムは王のもとに行き、こう言った。「ご覧ください。このしもべは羊の毛の刈り取りの祝いをすることにしました。どうか、王も家来たちも、このしもべと一緒においでください。」王はアブサロムに言った。「いや、わが子よ。われわれ全員が行くのは良くない。あなたの重荷になってもいけないから。」アブサロムは、しきりに勧めたが、ダビデは行きたがらず、ただ彼に祝福を与えた。アブサロムは言った。「それなら、どうか、私の兄アムノンを私どもと一緒に行かせてください。」王は彼に言った。「なぜ、彼があなたと一緒に行かなければならないのか。」アブサロムがしきりに勧めたので、王はアムノンと王の息子たち全員を彼と一緒に行かせた。」

満2年がたって、アブサロムはアムノン殺害の計画を実行に移します。ダビデ王がアムノンの犯行を聞き激怒しながらも、決して罰しようとしないのを見て、アブサロムは自ら行動を起こします。自分の手でアムノンを殺すことにしたのです。

彼は、羊の毛の刈り取りの祝いをしたとき、王の息子たち全員を招待することにしました。まず王のもとに行き、この羊の毛の刈り取りの祝いに王と家来たちを招きます。しかし、このことでアブサロムに負担になってはならないと、王は行くことを断りました。そこで、では兄アムノンを代理として送ってほしいとしきりに願うと、ダビデは、アムノンと王の息子たち全員を一緒に行かせました。こうしてアブサロムの兄アムノン殺害の舞台が整いました。

28~33節をご覧ください。「アブサロムは、自分に仕える若い者たちに命じて言った。「よく注意して、アムノンが酔って上機嫌になったとき、私が『アムノンを討て』と言ったら、彼を殺せ。恐れてはならない。この私が命じるのではないか。強くあれ。力ある者となれ。」アブサロムの若い者たちは、アブサロムが命じたとおりにアムノンにした。王の息子たちはみな立ち上がって、それぞれ自分のらばに乗って逃げた。彼らがまだ道の途中にいたとき、ダビデのところに、「アブサロムは王のご子息たちを全員殺しました。残された方は一人もいらっしゃいません」という知らせが届いた。王は立ち上がり、衣を引き裂き、地に伏した。傍らに立っていた家来たちもみな、衣を引き裂いた。ダビデの兄弟シムアの子ヨナダブは、証言をして言った。「王様。彼らが王のご子息である若者たちを全員殺したとお思いになりませんように。アムノンだけが死んだのです。それはアブサロムの命令によるもので、アムノンが妹のタマルを辱めた日から、胸に抱いていたことです。今、王様。王子たち全員が殺された、という知らせを心に留めないでください。アムノンだけが死んだのです。」」

アブサロムは、自分に仕えている若い者たちに、アムノンが酔って上機嫌になったとき、自分が「アムノンを打て」と言ったら、彼を殺すようにと命じました。アブサロムの若い者たちは、彼が命じたとおりにアムノンにしました。かくして、アムノンは殺されてしまいました。

 アムノンが殺されたのは、羊の毛の刈り取りをする祝いのときでした。それは、本来は喜びと感謝の日です。喜びと感謝を表すべき場が、虐殺の現場となってしまったのです。これは、神に対する反逆です。さらに彼は、アムノンに酔いが回ったころ、彼を殺すようにと部下たちに命じました。彼は自分の手を下したのではなく、これに部下たちを巻き込んだのです。

 いつまでも憎しみを心に抱いてはなりません。憎しみはやがてこのような悲惨な結果を招くことになります。憎しみから解放される唯一の道は、さばきを主にゆだねることです。ローマ12章19節に、「愛する者たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい。こう書かれているからです。「復讐はわたしのもの。わたしが報復する。」主はそう言われます。」とあります。これが信仰者である私たちが取るべき態度です。それは私たちの力でできることではありません。しかし、主はそんな私たちのためにご自分のいのちを捨ててくださいました。神に敵対していた私たちを赦してくださったイエス・キリストの十字架を見上げるとき、その力が与えられます。十字架の主の恵みを覚えて感謝することが、さばきを主にゆだねる原動力なのです。

 アブサロムの若い者たちが、アブサロムが命じたとおりにアムノンを殺すと、王の息子たちはそれぞれ自分のろばに乗って逃げました。彼らがその道の途中にいたとき、ダビデのところに「アブサロムは王の息子たち全員を殺しました。残された方は一人もいらっしゃいません。」という知らせが届きました。うわさというのは、伝わるのが早いですね。すぐに素早く飛び交います。ダビデは、その知らせを聞くと立ち上がり、衣を引き裂き、地に伏しました。

 そこに、ダビデの兄弟シムアの子ヨナタブがやって来て、証言しました。その内容とは、アブサロムの家来たちが殺したのはダビデの子どもたち全員ではなく、アムノンだけであること、それはアブサロムの命令によるもので、アムノンが彼の妹のタマルを辱めた日からずっと、胸に抱いていたことであるということでした。

 このヨナダブは、タマルを強姦することについてアムノンに悪知恵を入れた人物です。彼はタマル強姦に関してはアムノンと同じ責任を負うべきです。また、アムノンの殺害に関しても、アブシャロムと同じ罪に問われるべきです。それなのに彼はここで、そうしたことには一切触れず、ただアムノンだけが殺されたということをダビデに得意げに報告しています。このような友人は最悪です。損得勘定で動きます。周りのことなどお構いなしです。常に自分の事しか考えません。自分のことだけを考えて行動するのです。箴言13章20節には「箴知恵のある者とともに歩む者は知恵を得る。愚かな者の友となる者は害を受ける。」とあります。ヨナダブのような愚かな者の友となると害を受けることになります。注意が必要です。

Ⅲ.アブサロムの逃亡(34-39)

最後に34~39節をご覧ください。「アブサロムは逃げた。見張りの若者が目を上げて見ると、見よ、うしろの山沿いの道から大勢の人々がやって来るところであった。ヨナダブは王に言った。「ご覧ください。王子たちが来られます。このしもべが申し上げたとおりになりました。」彼が語り終えたとき、見よ、王子たちが来て、声をあげて泣いた。王もその家来たちもみな、非常に激しく泣いた。アブサロムは、ゲシュルの王アミフデの子タルマイのところに逃げた。ダビデは、毎日アムノンの死を嘆き悲しんでいた。アブサロムは、ゲシュルに逃げて行き、三年の間そこにいた。アブサロムのところに向かって出て行きたいという、ダビデ王の願いはなくなった。アムノンが死んだことについて慰めを得たからである。」

他の王の息子たちがらばに乗って、ダビデのところに戻ってきました。そして声をあげて泣きました。王も家来たちもみな、非常に激しく泣きました。ダビデは、毎日アムノンの死を嘆き悲しんでいました。一方、アブシサロムは、ゲシュルの王アミフデの子タルマイのところに逃げました。このゲシュルの王アミフデの子タルマイですが、アブサロムとタマルは、ダビデとこの異邦人ゲシェルの王タルマイの娘マアカとの間に生まれた子どもですから、タルマイはアブサロムにとって祖父にあたります。アブサロムは、祖父のところに逃げて、そこに三年間いたのです。その後、彼はイスラエルに戻りますが、ダビデと再会するのはさらにその2年後になります。

39節は難解な節です。ダビデがアブサロムのところに向かって出て行きたいという願いがなくなったということが、どういうことなのかがわかりません。アブサロムを慕って会いに行くことをやめたのか、アブサロムを憎んで攻めに出て行くのをやめたのかがわからないからです。それは14章1節の「王の心がアブサロムに向いている」ということばで、さらに混乱します。新改訳2017ではこのように訳していますが、第三版では「王がアブシャロムに敵意を抱いている」と訳しているからです。英語の訳では「心配している」とか「慕っている」という訳です。全く反対の意味を伝えています。ここではダビデはアムノンが死んだことについて慰めを得ていたので、アブサロムに対する敵意がなくなったということでしょう。

注目すべきことは、息子に対するダビデの態度です。タマルが強姦されたときもそうでしたが、今回もアブサロムに対して何の対応もしませんでした。これが、後になって問題を作ることになります。子どもに対してどのように対応するかは、親として頭が痛いところですが、少なくとも毅然(きぜん)とした対応が求められます。それができなかったのは、ダビデ自身もまた同じ過ちを犯していたからです。ですから、子どもたちにどのように対応するかということの前に、自分自身が主の前にどのように歩まなければならないのかを教えられ、聖霊の恵みと力によってそれを実行できるように祈らなければなりません。