Ⅱ列王記12章

 今回は、Ⅱ列王記12章から学びます。

 Ⅰ.高き所を取り除かなかったヨアシュ(1-3)

まず、1~3節をご覧ください。「12:1 ヨアシュはエフーの第七年に王となり、エルサレムで四十年間、王であった。彼の母の名はツィブヤといい、ベエル・シェバ出身であった。12:2 ヨアシュは、祭司エホヤダが彼を教えた間、いつも【主】の目にかなうことを行った。12:3 ただし、高き所は取り除かれなかった。民はなおも、その高き所でいけにえを献げたり、犠牲を供えたりしていた。」

ヨアシュは、エフーが北王国で治めていた第七年目に南王国の王となり、エルサレムで40年間治めました。彼の父はアハズヤで、母はツィブヤです。彼女はベエル・シェバの出身でした。

ヨアシュは、祭司エホヤダが彼を教えていた間は、いつも主の目にかなうことを行いましたが、彼は、エホヤダの養育から離れてからは変わってしまいます。しかし、エホヤダが教えていた間でも問題がありました。それは、高き所は取り除かなかったということです。「高き所」とは偶像礼拝が行われていた場所です。それは必ずしも彼らが偶像礼拝を行っていたということではありません。彼らはヤハウェーなる神を礼拝していましたが、その高き所で礼拝していたのです。それは明らかにモーセの律法に違反することでした。というのは、申命記12章2~7節、13~14節には、全焼のささげ物を自分勝手な場所で献げないように気をつけなさいとあるからです。彼らは全部族のうちから選ばれる一つの場所、すなわち、エルサレムの神殿で献げものをしなければならなかったのに、この高き所でいけにえをささげることが習慣になっていました。そしてそれを変えられずにいたのです。おそらく、彼は高き所が存在することをさほど問題視していなかったのでしょう。伝統的に、南王国の王たちは高き所を軽く扱ってきたので、ヨアシュも同じような対応をしたのだと思います。

このようなことは、私たちクリスチャンにも見られることです。昔からのしきたりや習慣、言い伝えといったものを取り入れたまま、それをなかなか変えられずにいる場合があります。それらが心の深くに入り込んでいるので、それを変えることが難しいです。けれども、本当に神の方法で礼拝をささげたいと思うなら、それを変えなければなりません。パウロはローマ12章1~2節でこう言っています。

「ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

この世と調子を合わせてはいけません。神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで神に受け入れられることなのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなければならないのです。

Ⅱ.神殿の修復(4-16)

次に、4~16節をご覧ください。「12:4 ヨアシュは祭司たちに言った。「【主】の宮に献げられる、聖別された金のすべて、すなわち、それぞれに割り当てを課せられた金や、自発的に【主】の宮に献げられる金のすべては、12:5 祭司たちが、それぞれ自分の担当する者から受け取りなさい。神殿のどこかが破損していれば、その破損の修繕にそれを充てなければならない。」12:6 しかし、ヨアシュ王の第二十三年になっても、祭司たちは神殿の破損を修理しなかった。12:7 ヨアシュ王は、祭司エホヤダと祭司たちを呼んで、彼らに言った。「なぜ、神殿の破損を修理しないのか。もう、あなたがたは、自分の担当する者たちから金を受け取ってはならない。神殿の破損にそれを充てなければならないからだ。」12:8 祭司たちは、民から金を受け取らないことと、神殿の破損の修理に責任を持たないことに同意した。12:9 祭司エホヤダは、一つの箱を取り、そのふたに穴を開け、それを祭壇のわき、【主】の宮の入り口の右側に置いた。こうして、入り口を守る祭司たちは、【主】の宮に納められる金をみな、そこに入れた。12:10 箱の中に金が多くなるのを確認すると、王の書記と大祭司は上って来て、それを袋に入れ、【主】の宮に納められている金を計算した。12:11 こうして、勘定された金は、【主】の宮で工事をしている監督者たちの手に渡された。彼らは、それを【主】の宮を造る木工と建築する者たち、12:12 石工、石切り工に支払い、また、【主】の宮の破損修理のための木材や切り石を買うために支払った。つまり、金は神殿修理のための出費のすべてに充てられた。12:13 ただし、【主】の宮のための銀の皿、芯取りばさみ、鉢、ラッパなど、いかなる金の用具、銀の用具も、【主】の宮に納められる金で作られることはなかった。12:14 その金は、工事する者たちに渡され、彼らはそれと引き替えに【主】の宮を修理したからである。12:15 また、工事する者に支払うように金を渡した人々が精算を求められることはなかった。彼らが忠実に働いていたからである。12:16 代償のささげ物の金と、罪のきよめのささげ物の金は、【主】の宮に納められず、祭司たちのものとなった。」

ヨアシュ王の最大の貢献は、神殿を修復したことです。これは列王記に出てくる最初の修復です。ヨアシュ王は、そのために主の宮に献げられるお金を充てようとしました。聖別された金のすべて、すなわち、それぞれに割り当てを課せられた金とは、登録されたすべての人が献げる献金のことです。出エジプト記30章11~16節には、それは半シェケルと定められていました。また、自発的に主の宮に献げられる金とは、レビ記27章が規定する特別な誓願を立てた者たちの献げた金のことです。当初、ヨアシュはそのお金で神殿の修復工事をしようと考えていました。それを担ったのは祭司たちです。

ところが、ヨアシュ王の23年になっても、祭司たちは神殿の破損を修理しませんでした。つまり、これらの金では、祭司やレビ人の生活を賄い、神殿での礼拝を維持するだけで精一杯で、神殿の破損か所を修理する余剰金は出なかったのです。それでヨアシュは新しい計画を立て、このプロジェクトから祭司たちを除外しました。

7節に着目してください。ヨアシュは、祭司エホヤダと祭司たちを呼んでそのことを告げました。祭司エホヤダは、彼の霊的な親でもあります。そのエホヤダに命じるほど彼は王として、また霊の人として成長していたことがわかります。彼は7歳で王となり、これはその23年目のことですから、この時彼は30歳だったことがわかります。彼はエホヤダの養育から離れ、霊的な事柄においても識別力を働かせるほど成熟していたのです。

その新しい計画が9節に記されてあります。「祭司エホヤダは、一つの箱を取り、そのふたに穴を開け、それを祭壇のわき、【主】の宮の入り口の右側に置いた。こうして、入り口を守る祭司たちは、【主】の宮に納められる金をみな、そこに入れた。」

要するに、エホヤダは、献金箱を設けることによって宮の修繕のための特別献金枠を設けました。その結果どうなったでしょうか。そうしたら、人々からどんどん金を入れたので、箱がいっぱいになりました。それで、箱の中に金が多くなると、王の書記官と大祭司は上って来て、それを箱から取り出して袋に入れ、主の宮に納められているかを計算しました。

こうして勘定された金は、主の宮で工事をしている監督者たちの手に渡されました。監督者たちはその金を、宮で働く木工や建築師たち、石工や石切り工たちに賃金として支払いました。 ただし、主の宮に納められる金で、主の宮のために銀の皿、心切りばさみ、鉢、ラッパなど、すべての金の器、銀の器を作ることはありませんでした。また、工事する者に支払うように金を渡した人々と、残高を勘定することもしませんでした。彼らが忠実に働いていたからです。すばらしいですね。忠実な者たちが働いていたので、公の会計報告をしなくても安心だったのです。エペソ6章7節には、「人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。」とあるように、何事も主に仕えるように心を込めて、忠実に仕えるよう心掛けたいと思います。

Ⅲ.ヨアシュの死(17-21)

最後に、17~21節をご覧ください。「12:17 そのとき、アラムの王ハザエルが上って来てガテを攻め、これを取った。さらに、ハザエルはエルサレムを目指して攻め上った。12:18 ユダの王ヨアシュは、自分の先祖であるユダの王ヨシャファテ、ヨラム、アハズヤが聖別して献げたすべての物、および自分自身が聖別して献げた物、【主】の宮と王宮の宝物倉にあるすべての金を取って、アラムの王ハザエルに送った。するとハザエルはエルサレムから去って行った。12:19 ヨアシュについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。12:20 ヨアシュの家来たちは立ち上がって謀反を起こし、シラに下って行くヨアシュをベテ・ミロで打ち殺した。12:21 彼の家来シムアテの子ヨザバデとショメルの子エホザバデが彼を討ったので、彼は死んだ。人々は彼をダビデの町に先祖とともに葬った。彼の子アマツヤが代わって王となった。」

そのとき、アラムの王ハザエルが上って来てガテを攻め、これを取りました。ハザエルはさらにエルサレムを目指して攻め上って来ました。このハザエルについては、8章で見たように、主君ベン・ハダデを殺して王となりました。それはエリシャが預言した通りでした。その時エリシャは、彼が残虐な仕打ちをイスラエルに対して行なうことを預言しましたが、果たしてそれが今、実現することになります。彼はイスラエルを攻め、さらにユダにまで攻めて来ました。ガテは、イスラエル南部の沿岸地域にある町で、ペリシテ人の町として有名なところでした。ハザエルはそこを攻め、今度はエルサレムを目指して攻め上って来たのです。

それに対してヨアシュはどのように対応したでしょうか。18節をご覧ください。「ユダの王ヨアシュは、自分の先祖であるユダの王ヨシャファテ、ヨラム、アハズヤが聖別して献げたすべての物、および自分自身が聖別して献げた物、【主】の宮と王宮の宝物倉にあるすべての金を取って、アラムの王ハザエルに送った。するとハザエルはエルサレムから去って行った。」

なんとヨアシュは、自分たちの神である主(ヤハウェ)に敵からの救いを祈り求めるのではなく、主の宮にある金をかすめ奪い、それをハザエルに贈り、和平を求めました。霊的堕落です。エルサレムの財宝を手に入れたハザエルは、そのまま去って行きました。

2歴代誌24章には、ヨアシュがどのように堕落したかその経緯が書かれています。祭司エホヤダが死ぬと、ヨアシュはユダの高官たちの影響を受け、アシェラ像とその他の偶像を礼拝するようになりました。それで主は彼と高官たちに預言者たちを送りましたが、ヨアシュと高官たちはそれを無視しました。最後に、祭司エホヤダの子ゼカリヤが立ち上がり、偶像礼拝の罪を糾弾しますが、ヨアシュはそのゼカリヤを石打にして殺すのです。

いったいなぜヨアシュは、このように堕落してしまったのでしょうか?幼い頃から非常に霊的な環境の中に育てられ、大人になってからも霊的な改革を行なっていたのに、どうしてこんなにも堕落してしまったのでしょうか?一言でいえば、「高ぶり」が大きな原因の一つでした。これはヨアシュだけでなく、他のユダの王たちも言えることですが、最初のころは、主に対して熱心だったけれども、主が国を繁栄させ力を増し加えてくださるにしたがって、主ではなく自分を誇るようになり、自分の力でこの国が成り立っているのだと考えるようになったのです。北王国イスラエルでは完全に主から離れているという問題がありましたが、南ユダでは、その霊的な力が逆に仇となって、主の前におけるへりくだりを忘れてしまうという問題があったのです。

それは私たちにも言えることです。私たちも自分が信仰に歩んでいると思うあまり、いつの間にか高慢になり、神さまの恵みに拠り頼み、必死にあわれみを請う謙虚さを失ってしまう危険があります。私たちはいつも、自分が主のみを自分の分け前としているのか、それとも、主に関する霊的環境に満足して、それに依存してしまっているかを吟味してみる必要があります。主を愛する牧者がいること、互いに愛する兄弟がいること、健全な教会形成なされていること、立派な会堂が与えられていることといった霊的な環境ではなく、ただ主のみを自分の分け前とし、日々、その新しいあわれみにすがっているかが問われているのです。

そんなヨアシュの最後はどうだったでしょうか。20節をご覧ください。「ヨアシュの家来たちは立ち上がって謀反を起こし、シラに下って行くヨアシュをベテ・ミロで打ち殺した。」

彼は彼の家来たちの謀反によって殺されてしまいます。手を下したのは、シムアテの子ヨザバデとショメルの子エホザバデです。この謀反自体は悪です。しかし、それを招いたのはヨアシュ本人でした。正義に支配された王のところに謀反は起こりません。みなが平和に暮らすことができるからです。支配者や指導者が道をそれますと、必ずこのような混乱が生じることになるのです。

21節には、「人々は彼をダビデの町に先祖とともに葬った。」とありますが、彼は王たちの墓には葬られませんでした。2歴代誌24章25節には、「人々は彼をダビデの町に葬ったが、王たちの墓には葬らなかった。」とあります。なぜなら、彼は神のさばきを受けて死んだからです。

何ということでしょう。彼は神殿の修復工事に情熱を燃やすほど信仰的な王でしたが、最後は、神殿の財宝を敵に与えても痛みを感じない王になっていました。人生の最後を信仰者として生きるのはなんと難しいことでしょうか。日々、クリスチャンとしての自分の立ち位置を確認しながら歩まなければなりません。