Ⅱ列王記23章

 Ⅱ列王記23章から学びます。

 Ⅰ.ヨシヤ王の宗教改革(1-27)

まず、1~3節をご覧ください。「1 王は使者を遣わして、ユダとエルサレムのすべての長老たちを彼のところに集めた。2 王は、ユダのすべての人々、エルサレムのすべての住民、祭司と預言者、および下の者から上の者まで、すべての民とともに【主】の宮に上り、【主】の宮で見つかった契約の書のことばをすべて彼らに読み聞かせた。3 それから王は柱のわきに立ち、【主】の前に契約を結び、【主】に従って歩み、心を尽くし、いのちを尽くして主の命令と証しと掟を守り、この書物に記されているこの契約のことばを実行することを誓った。民もみなこの契約に加わった。」

ヨシヤの宗教改革が続きます。彼は使者を遣わして、ユダとエルサレムのすべての長老たちを集めました。そして、ユダのすべての人々とともに主の宮に上り、主の宮で見つかった契約の書のことばをすべて彼らに読み聞かせました。ここで重要なことは、彼はユダの長老たちだけでなく、ユダのすべての人々に契約の書のことばを聞かせたことです。彼はユダのすべての民がみことばを聞く必要があると強く感じたのです。牧師、役員、リーダーだけでなく、教会のすべての人がみことばを聞かなければなりません。教会の中心は神のみことばなのです。それなのに、教会は神のみことばを聞くよりも、どうしたら居心地の良い教会でいられるかを求める傾向があります。教会が教会であるために必要なことは、ただ神のみことばを聞き、それに従うことなのです。

ヨシュアはユダのすべての民に契約の書を読み聞かせるだけで終わりませんでした。彼は、主の宮の柱のわきに立ち、主の前に契約を結び、主に従って歩み、心を尽くし、いのちを尽くして主の命令と証と掟を守り行うことを誓いました。すると民もみなこの契約に加わりました。

次に、4~14節をご覧ください。「4 王は大祭司ヒルキヤと次席祭司たち、および、入り口を守る者たちに命じて、バアルやアシェラや天の万象のために作られた祭具をことごとく【主】の神殿から運び出し、エルサレムの郊外、キデロンの野でそれらを焼き、その灰をベテルへ持って行った。5 彼はまた、偶像に仕える祭司たちを取り除いた。ユダの王たちが任命して、ユダの町々やエルサレム周辺の高き所で犠牲を供えていた祭司たちである。バアルや太陽や月や星座や天の万象に犠牲を供える者たちも取り除いた。6 彼はまた、アシェラ像を【主】の宮からエルサレム郊外のキデロンの谷に運び出し、それをキデロンの谷で焼いた。それを粉々に砕いて灰にし、その灰を共同墓地にまき散らした。7 さらに、【主】の宮の中にあった神殿男娼の家を打ち壊した。そこでは、女たちがアシェラ像のために覆いを織っていた。8 彼はユダの町々から祭司たちをみな連れて来て、祭司たちが犠牲を供えていたゲバからベエル・シェバに至るまでの高き所を汚し、門にあった高き所を打ち壊した。それは町の長ヨシュアの門の入り口にあり、町の門に入る人の左側にあった。9 高き所の祭司たちは、エルサレムの【主】の祭壇に上ることはなかったが、その兄弟たちの間で種なしパンを食べていた。10 彼はベン・ヒノムの谷にあるトフェトを汚し、だれも、自分の息子や娘に火の中を通らせてモレクに献げることのないようにした。11 それから、ユダの王たちが太陽に献納した馬を、【主】の宮の入り口、前庭にある宦官ネタン・メレクの部屋のそばから取り除き、太陽の車を火で焼いた。12 王は、ユダの王たちがアハズの屋上の部屋の上に造った祭壇と、マナセが【主】の宮の二つの庭に造った祭壇を、そこから外して打ち壊し、砕いた。そうして、その灰をキデロンの谷に投げ捨てた。13 王は、エルサレムの東、破壊の山の南にあった高き所を汚れたものとした。これは、イスラエルの王ソロモンが、シドン人の忌むべき女神アシュタロテ、モアブの忌むべき神ケモシュ、アンモン人の忌み嫌うべき神ミルコムのために築いたものであった。14 また、石の柱を打ち砕き、アシェラ像を切り倒し、その場所を人の骨で満たした。」

それから、ヨシヤ王は大祭司ヒルキヤと次席祭司たち、および、入口を守る者たちに命じて、バアルやアシェラや天の万象のために作られた器物をことごとく主の本堂から運び出させ、エルサレムの郊外、キデロンの野でそれを焼き、その灰をベテルへ持って行かせました(4節)。彼はまた、偶像に仕える祭司たちも取り除きました(5節)。さらに、アシェラ像を主の宮からエルサレム郊外のキデロンの谷に運び出し、それらをキデロンの谷で焼きました(6節)。それを粉々に砕いては灰にし、その灰を共同墓地にまき散らしました。灰を共同墓地にまき散らすという行為は、その偶像を完全に使い物にさせなくするということです。さらに、主の宮の中にあった神殿男娼の家を打ち壊しました(7節)。さらに彼は、ユダの町々にあった高き所を打ち砕きました(8節)。ゲバからベエル・シェバに至るまでとは、ゲバというのはユダの北端にある町であり、ベエル・シェバは南端の町ですから、ユダ全体を行き巡って、ということです。そこにある高き所を打ち壊したのです。また、ベン・ヒノムの谷にあるトフェテを汚し(10節)、だれも、自分の息子や娘に火の中を通らせてモレクに献げることのないようにしました。それから、ユダの王たちが太陽に献納した馬を、主の宮の入り口、前庭にある宦官ネタン・メレクの部屋のそばから取り除き、太陽の車を火で焼きました(11節)。

彼は歴代の王たち(アハズ、マナセ、ソロモン、ヤロブアム)が作った異教の祭壇(12節)、エルサレムの東、破壊の山の南にあった高き所を汚れたものとしました(13節)。これは、イスラエルの王ソロモンが、シドン人の忌むべき女神アシュタロテ、モアブの忌むべき神ケモシュ、アンモン人の忌み嫌うべき神ミルコムのために築いたものでした。彼は偶像礼拝を初めに導入させたソロモン王の時の偶像にまでさかのぼって、改革をしようとしたのです。また、石の柱を打ち砕き、アシェラ像を切り倒し、その場所を人の骨で満たしました(14)。人の骨で満たしたとは、もう礼拝物として使用できないようにしたということです。

ヨシヤ王の宗教改革は徹底していました。こうしたことを行うにはかなり勇気が要ったことと思います。長年の伝統や遺物になっていたものを徹底的に破壊したのですから。それは彼が主のみことば通りに実行しようとしたからです。確かにヨシヤの目的は崇高なものでした。でもそれを実現する手段が必ずしも知恵あるものだったとは言えません。というのは、彼は説得や崇高な人格がもたらす影響力によってではなく、暴力的な方法によって偶像礼拝を一掃しようとしたからです。外からの強制では、内面を変えることはできません。心の一新のためには、神のあわれみと、聖霊の働きが必要なのです。

ヨシヤ王の宗教改革は北王国のサマリアにまでも及びました15~20節をご覧ください。「15 さらに彼は、ベテルにある祭壇と、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムが造った高き所、すなわち、その祭壇も高き所も打ち壊し、さらに高き所を焼いて粉々に砕いて灰にし、アシェラ像も焼いた。16 ヨシヤが振り向くと、山の中に墓があるのが見えた。そこで彼は人を遣わしてその墓から骨を取り出し、それを祭壇の上で焼き、祭壇を汚れたものとした。かつて、神の人がこのことを預言して叫んだ【主】のことばのとおりであった。17 ヨシヤは言った。「あそこに見える石碑は何か。」すると、町の人々は彼に答えた。「ユダから出て来て、あなたがベテルの祭壇に対してされたこれらのことを預言した神の人の墓です。」18 王は言った。「そのままにしておけ。だれも彼の骨を移してはならない。」そこで人々は彼の骨を、サマリアから出て来たあの預言者の骨と一緒にそのままにしておいた。19 ヨシヤはまた、イスラエルの王たちが造って主の怒りを引き起こした、サマリアの町々の高き所の宮もすべて取り除き、彼がベテルでしたのと全く同じことを、それらに対しても行った。20 彼は、そこにいた高き所の祭司たちをみな、祭壇の上で屠り、その祭壇の上で人の骨を焼いた。こうして、彼はエルサレムに帰った。」

北イスラエルと言えば、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムが造った金の子牛礼拝が有名ですが、彼はその祭壇も高き所も打ち壊し、粉々に砕いて灰にし、アシェラ像も焼きました。

16節には、ヨシヤが振り向くと、山の中に墓があるのが見えたとあります。そこで彼は人を遣わしてその墓から骨を取り出し、それを祭壇の上で焼き、祭壇を汚れたものとしました。これは約350年前、ヤロブアムに対して神の人が預言した言葉の成就でした。ユダから来た神の人は、ヨシヤという実名まで挙げて、この祭壇が汚されることを宣言したのです(1列王13:2)。その神のことばが、その通りに成就しました。

17節と18節をご覧ください。ここにもⅠ列王記13章の預言の成就が見られます。あの神の人がユダに帰るときに、主から、どこも寄り道をしてはいけないと命じられていましたが、ベテルに住む老預言者が彼をだまして、自分の家に連れて来ました。けれども、この不従順によって神の人は獅子に殺されましたが、その老預言者は彼の死を悲しみ、同じところに自分も埋葬されることを望みました。その神の人の墓です。その預言の通りに、彼の骨はサマリアから出てきたあの老預言者と一緒にそのままそこに置かれます(Ⅰ列王13:31-32)。

19,20節には、「ヨシヤはまた、イスラエルの王たちが造って主の怒りを引き起こした、サマリアの町々の高き所の宮もすべて取り除き、彼がベテルでしたのと全く同じことを、それらに対しても行った。彼は、そこにいた高き所の祭司たちをみな、祭壇の上で屠り、その祭壇の上で人の骨を焼いた。」とあります。高き所で偶像礼拝を導いていた祭司たちをみな祭壇の上で屠り、その祭壇の上で人の骨を焼いた。すなわち、死刑にしました。

ヨシヤの宗教改革は実に徹底していました。しかし、ここで少し疑問に残るのは、彼はなぜユダの宗教改革にとどまらず北イスラエルの宗教改革まで行ったのかということです。また、当時北イスラエルはアッシリヤの支配にあったのに、どうして彼はこれを行うことができたのかということです。これについては、モーセの律法には、北イスラエルも南ユダの区別はなく一つのイスラエルとして語られているのですから、みことばの通りにしようとすれば北イスラエルの改革を行おうとするのも当然のことだったのでしょう。

それにしても、アッシリヤの支配下の中で彼はどのようにしてこのような改革を実行することができたのでしょうか。それは、歴史はすでに、アッシリヤからバビロンに移っていたからです。バビロンが大きくなり、アッシリヤが小さくなっていきます。実に、ヨシヤの存命中に、アッシリヤはバビロンとの戦いに敗れ、紀元前612年その首都ニネベが滅びます。ですから、この地域におけるアッシリヤの支配がかなり弱められていたのです。

21~23節をご覧ください。ヨシヤ王の宗教改革のクライマックスは、過ぎ越しの祭りの復活でした。「21 王は民全体に次のように命じた。「この契約の書に記されているとおり、あなたがたの神、【主】に、過越のいけにえを献げよ。」22 実に、さばきつかさたちがイスラエルをさばいた時代以来、イスラエルの王たちとユダの王たちのどの時代にも、このような過越のいけにえが献げられたことはなかった。23 ただ、ヨシヤ王の第十八年に、エルサレムでこの過越のいけにえが【主】に献げられただけであった。」

ヨシヤは、イスラエルの国民的な霊的生活の要であった、過越の祭りを復活させました。「さばきつかさたちがイスラエルをさばいた時代」とは、士師の時代のことです。それ以来、過越の祭りが全く行われなかったということではなく、確かにそれからも行われてはいましたが、その重要な祭りが軽視されていたということです。ヨシヤは士師記に登場したどの王たちよりも厳密に、モーセの律法の命令に従って過越しの祭りを守ろうとしたのです。

どうして彼はこれほどの宗教改革を行うことができたのでしょうか。24節と25節に、その理由が述べられています。「24 さらにヨシヤは、霊媒、口寄せ、テラフィム、偶像、それに、ユダの地とエルサレムに見られるすべての忌むべき物も除き去った。こうして、彼は祭司ヒルキヤが【主】の宮で見つけた書物に記されている律法のことばを実行した。25 ヨシヤのようにモーセのすべての律法にしたがって、心のすべて、たましいのすべて、力のすべてをもって【主】に立ち返った王は、彼より前にはいなかった。彼の後にも彼のような者は、一人も起こらなかった。

聖書の記者は、「ヨシヤのようにモーセのすべての律法にしたがって、心のすべて、たましいのすべて、力のすべてをもって【主】に立ち返った王は、彼より前にはいなかった。彼の後にも彼のような者は、一人も起こらなかった。」と彼を評価しています。それはヨシヤが神との契約の書と出会ったからです。彼が王になってから18年間、契約の書に出会うまで、宮の偶像は放置されたままでした。しかし、契約の書を読むことで、それが罪であることを悟らされたのです。主のことばに心を開く時に聖霊が働くからです。心から悔い改め、主の御心に応じようとするところに、新しいいのちのわざが生じます。悔い改めの連続が、私たちの新しい信仰生活を形作ることになるのです。

Ⅱ.それにもかかわらず(26-27)

次に、26~27節をご覧ください。「26 それにもかかわらず、マナセが引き起こした主のすべての怒りのゆえに、【主】はユダに向けて燃やした激しい怒りを収めようとはされなかった。27 【主】は言われた。「わたしがイスラエルを除いたのと同じように、ユダもわたしの前から除く。わたしが選んだこの都エルサレムも、わたしの名を置くと言ったこの宮も、わたしは退ける。」

ヨシヤ王の徹底した宗教改革にも関わらず、主はなぜユダに向けて燃やされた激しい怒りを収めようとされなかったのでしょうか(26節)。それは、マナセが引き起こした罪があまりにも大きかったからです。それに対する主のすべての怒りのゆえに、主はユダに向けて燃やした激しい怒りを収めようとしませんでした。どういうことですか? マナセが引き起こした罪があまりにも大きかったので、民はもはや悔い改めることさえできなない状態まで来ていたということです。ヨシヤは最善を尽くしましたが、もはや一人の王のリバイバルによって回復できるような状態ではなかったのです。それで主はイスラエルを除いたのと同じように、ユダもご自身の前から取り除くと宣言されたのです。これは具体的にはバビロンに滅ぼされるということです。バビロン捕囚という出来事です。

これは丁度今礼拝の説教でエレミヤ書を学んでいるのでわかりますが、それさえも神の計画の中にあることでした。それはわざわいではなく、平安を与える計画であり、将来と希望を与えるものだったのです。なぜなら、そのことによって彼らは真に悔い改め、その先にある回復を見るようになるからです。それは終末に起こることの預言でもあります。「こうしてイスラエルはみな救われる」(ローマ11:26)とありますが、どのようにしてイスラエルはみな救われるのでしょうか。「こうして」です。彼らが悔い改めないで主を拒絶し続けることで、世の終わりに7年間の大患難が襲うことになります。その苦難の中で彼らは再臨のメシヤこそ、自分たちの先祖たちが突き刺して殺したナザレのイエスであることを知り、胸をたたいて悔い改めるようになります。こうして、イスラエルはみな救われるのです。そして、「あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたの神となる。」(エレミヤ30:22)という神との約束が実現することになるのです。誰がそのようなことを考えることができるでしょうか。そのようなことは誰も考えることなどできないことです。しかし、神はできるのです。神は私たち人間と約束されたことは必ず守られる方だからです。

もともと人間が良いことをしたからといって、神は罪の結果を帳消しにすることはありません。人間が良いことをすれば神は喜び、悪いことをすれば悲しまれる、ということはあるでしょう。でも神は人間の態度に一々左右されながら歴史を導かれるお方ではありません。むしろご自身の最終計画を進められる中で、人間のありようをご覧になり、介入し、あわれみを注がれる方なのです。神が終末の裁きの計画を変えることはありません。しかし滅びに向かう人類の歩みの中で、個々の悔い改めがなされる時に、そこにあわれみを注ぎ、祝福を注いでくださるのです。だからといって、私たちは何もしなくても良い、ということではありません。ヨシヤのように心からへりくだり、心を尽くして主に仕えることができます。その中で、もう修復不能と思われるような中で、神は回復の希望をもたらしてくださるのです。あなたはもう一度建て上げられるのです。

Ⅲ.主のことばに対する柔軟さ(28-30)

最後に、28~30節を見て終わります。ここには、ヨシヤのもう一つの特筆すべき出来事が記されてあります。それは、彼が神のことばに逆らって自らの命を落としたという出来事です。

「28 ヨシヤについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。29 彼の時代に、エジプトの王ファラオ・ネコが、アッシリアの王のもとに行こうと、ユーフラテス川を目指して上って来た。そこで、ヨシヤ王は彼を迎え撃ちに行ったが、ファラオ・ネコはメギドで彼に出会った際、彼を殺した。30 ヨシヤの家来たちは、彼の遺体を戦車に載せ、メギドからエルサレムに運んで、彼の墓に葬った。その国の民は、ヨシヤの子エホアハズを選んで油を注ぎ、彼の父に代えて王とした。」

ヨシヤの時代に、エジプトの王ファラオ・ネコが、アッシリアの王のもとに行こうと、ユーフラテス川を目指して上って来時のことです。彼はファラオ・ネコを迎え撃ちに出て行くと、メギドで彼に出会ったファラオ・ネコは、彼を殺したのです。なぜ彼はそのような終わり方をしたのでしょうか。

この戦いは、BC609年頃、エジプトの王ファラオ・ネコが、カルケミシュでバビロンの王ナボポラッサルとの戦いのために出て来た時のことです。ヨシヤは、バビロン軍に挑戦しようとその途上にあったネコの軍隊を迎撃しようとした。Ⅱ歴代誌を読むと、エジプトの王ネコは目標はユダではなくバビロンなのだから、この戦いから手を引くようにとヨシヤに警告をしていました(35:21)。それなのにどうして彼はそこから手を引かなかったのか?神のみこころを第一とするヨシヤが、どうして「神の御口から出たネコのことばに聞こうとしなかった」(Ⅱ歴代35:22)のでしょうか?

二つの理由が考えられます。第一のことは、これは主のあわれみによるということです。覚えておられますか、主の宮で律法の書が見つかった時、彼は心を痛めて主の前にへりくだり、自分の衣を引き裂いて、主の前で泣いたのを。その時主もまた彼の願いを聞き入れると言って、次のように言われました。22章20節です。

「それゆえ、見よ、わたしはあなたを先祖たちのもとに集める。あなたは平安のうちに自分の墓に集められる。あなたは自分の目で、わたしがこの場所にもたらす、すべてのわざわいを見ることはない。』」彼らはそれを王に報告した。」

ユダの罪があまりにも大きいので、もはや主は彼らに対する激しい怒りを収めようとはされませんでした。それがバビロン捕囚です。主はヨシヤに対して、彼が主の前にへりくだり、自分の衣を引き裂いて、主の前で泣いたので、主がこの場所、エルサレムにもたらすすべてのわざわいを見ることがないようにしてくださったのです。ヨシヤがエジプトの王ファラオ・猫との戦いで死んだのはB.C.609年のことでしたが、ユダがバビロンによって捕囚とされた出来事は、その後大きく分けて3回にわたって行われました。B.C.605年、B.C.597年、B.C.586年です。ですから、ヨシヤはこのみことばの約束のとおり、自分の目でエルサレムにもたらされるすべてのわざわいを見ることなく死ぬことができました。これは主のあわれみによるのです。

もう一つの理由は、神のことばに対する受け止め方の問題です。確かに彼は徹底的に神のことばに従いました。しかし、神のことば、聖書通りにいきさえすればよいというのではありません。聖書を読み、主が語られることを聞くことが大切なのです。いうなら、彼の問題は聖書信仰という立場よりも、主の御言葉に対する柔軟さが欠落していたということです。聖書どおりに生きさえすればよいというのではありません。大切なのは、聖書を読み主が語っておられることを聞き、そのことばに応答して生きることなのです。