ローマ人への手紙1章8~15節 「返さなければならない負債」

きょうは「返さなければならない負債」というタイトルでお話したいと思います。先週のところで私たちは、パウロがまだ一度も会ったことのないローマのクリスチャンたちに自分を紹介するにあたり、「神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ」と紹介したことを学びました。パウロは、自分がこの福音のために選び分けられた者であるという強い自覚と使命感がありました。このような使命感があったからこそ、彼は本気で福音のために献身することができたのです。

さて、きょうのところは先週に引き続きこの手紙全体の導入の部分ですが、このところでパウロは、自分がなぜローマに行きたかったのか、その理由を述べています。11節を見るとここには、「私があなたがたに会いたいと切に望むのは」とか、13節にも、「何度もあなたがたのところに行こうとした」とか、15節のところにも、「ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。」と記されてあります。いったいパウロはなぜそんなにローマに行きたかったのでしょうか。きょうはそのことから三つのポイントでお話したいと思います。

第一のことは、それは彼らの信仰が全世界に言い伝えられていたからです。第二のことは、互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいと願っていたからです。そして第三のことは、それが返さなければならない負債であると思っていたからです。

Ⅰ.全世界に言い伝えられている信仰(8)

それではまず第一に、それはローマのクリスチャンたちの信仰が全世界に伝えられていたからということから見ていきましょう。8節をご覧ください。

「まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝します。それは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。」

パウロはまずローマのクリスチャンたちのことで、神に感謝しています。それは、彼らの信仰が全世界に言い伝えられていたからです。全世界に言い伝えられていた信仰とはどのような信仰だったのでしょうか。これと同じようなことがテサロニケ人への手紙の中にも記されてあります。Iテサロニケ1章8節です。

「主のことばが、あなたがたのところから出てマケドニヤとアカヤに響き渡っただけでなく、神に対するあなたがたの信仰はあらゆる所に伝わっているので、私たちは何も言わなくてよいほどです。」

ここで言われている信仰とは、彼らの聖い生活ぶりとか、愛に満ちた生活ということではなく、神に対するあなたがたの信仰です。それはどのような信仰かというと、キリスト信仰のことなのです。キリストによって罪から救われ、新しい人生、新しい生活に入れられた者として、そのキリストとともに生きる信仰のことです。パウロはその信仰をガラテヤ人への手紙の中で次のように告白しました。

「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2:20)

この信仰です。ローマのクリスチャンたちは、この信仰に生きていました。皇帝を神としてあがめるローマ帝国の首都にあって、この信仰に生きることはどんなに大変なことだったかと思います。けれども彼らはこの信仰に生き、キリストを立派にあかししていたのです。それはローマ全体から見たなら、ほんの一握りの人々であったかもしれませんが、彼らのそうした不撓不屈(ふとうふくつ:どんな困難に出あっても心がくじけないこと)の信仰は、ほかの地にいるクリスチャンにとって大きな励ましであり、また良い模範となりました。パウロはこのローマのクリスチャンたちがそのような信仰を持つようになったことを神に感謝したのです。    それは昔から神信仰に生きた人たちに共通して見られる信仰でもあります。たとえば、ダニエル書にはシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴという三人の少年たちが登場していますが、彼らはバビロンの王ネブカデネザル王から、もろもろの楽器の音を聞く時には、ひれ伏して、彼が造った像を拝むようにと命じられても、決して拝もうとしませんでした。それによってたとえ火の燃える炉の中に投げ込まれようともです。その時彼らは王に次のように答えました。

「もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」(ダニエル3:17,18)

「しかし、もしそうでなくても・・」というのがすばらしいと思います。私の神は、私の信じている神は、そのような火の燃える炉から救い出すことができますが、たとえそうでなくても、決して金の像を拝むようなことはしない、と言ったのです。彼らは自分たちのいのちに優先する信仰として、どんな状況にあっても揺るがない、神だけに拠り頼む、そのような信仰を持っていたのです。

皆さんはいかがですか。皆さんには、「もし、そうでなくても」という信仰がおありでしょうか。もし自分の思うように進まなくても、もし自分の願いが叶わないとしても、もし、このことによって苦難を受けるようなことがあっても、それでも私は神だけに拠り頼むという信仰がおありでしょうか。

スウェーデンの宣教師デヴィッド・フラッドという人の話を読みました。彼は福音を伝えるために、妻と2歳の息子とともに1921年、アフリカのコンゴに向かいました。飢餓と病気、敵対的な部族の人々の中で困難な働きを続けました。宣教の唯一の実は、一人の幼い少年だけでした。彼はそこで毎週日曜日にその幼い少年に聖書を教えました。そんな中、妻が娘を出産して七日目に世を去ってしまったのです。度重なる困難に疲れ果てていたフラッドは、妻まで失ったことで自暴自棄に陥りました。神に失望し、殉教まで覚悟していた信仰を捨てて、現地の宣教本部に娘を預け、息子だけを連れて本国に戻ったのです。  その後、73歳になった彼は、40年ぶりにはじめて会った娘から驚くべき事実を聞くのです。娘は、父に会いに来る途中、ロンドンのある集会で黒人の牧師に会ったのですが、それがあのコンゴの少年だったのです。その少年は立派に成長して牧師になり、福音の不毛地と言われたコンゴで神に仕える器となったのです。そして今では32カ国に宣教師を送り、11万人ものクリスチャンを誇るまでになりました。父の献身と母の殉教によって、コンゴに新しいいのちがたくさん生まれていたのです。娘が「お父さんのしたことは決して無駄ではなかったのです」という言葉に、フラッドは涙して悔い改めたのでした。  主のために努力したのに、結果が思ったとおりでないとき、私たちは失望します。しかし、たとえそうでなくても、それでもただ神に従うという信仰が重要です。まことの神を信じるなら、あらゆる結果を感謝して受け入れることができるようになるのです。

実にローマのクリスチャンたちにはそのような信仰がありました。この世のこと、この地上のものを求めてやまないこの世の人たちとは違って、神のこと、永遠のことを求めて生きていたのです。そういう原理に生きていた。信仰が生きていたのです。ローマのクリスチャンたちはパウロによって信仰に導かれたわけではありませんでしたが、彼らがそのような信仰を持って歩んでいるというあかしを聞き、そのように導かれた神に感謝をささげると同時に、そういう彼らに何とかして会いたいと願っていたのです。

Ⅱ.ともに励ましを受けるため(9-12)

パウロがローマに行きたかったもう一つの理由は、ともに励ましを受けたかったからです。9~12節をご覧ください。

「私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。」

まだ一度も会ったことのないローマのクリスチャンたちではありますが、パウロはいつも彼らのことを思っていました。どのように?祈りによってです。祈りによって彼は、いつも彼らのことを思い、神のみこころによって、何とかして道が開かれて、彼らのところに行けるようにと願っていたのです。いったいなぜパウロはそんなにも彼らのところに行くことを切望していたのでしょうか。それは11、12節にあるように、御霊の賜物をいくらかでも彼らに分け与えて、彼らの信仰を強くしたかったからです。なぜ彼らの信仰を強くしたかったのでしょう。伝道者、牧師であればそれは当然のことです。そのために自分が用いられるのであれば、喜んでそうしたいと思うのが普通です。しかしパウロの場合はただそのような理由だけではありませんでした。この手紙の終わりの方、15章を見ていただくとわかりますが、どうも彼はもっと遠く西方に、イスパニヤ、今のスペインですね、そこまで福音を宣べ伝えたいと願っていたようです。その宣教の拠点としてこのローマ教会に立ってほしかった。そのために必要だったことは、彼らが福音によってその信仰がしっかりと整えられていることだったのです。なぜなら、福音に力があるからです。福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じるすべての人にとって神の力です。その福音にしっかりととどまっていてほしかった。だからこの手紙を書いたのです。本当なら、ローマまで行って直に会い、顔と顔とを合わせて教えるのに越したことはありません。しかし今はそれができないので、こうやって手紙を書いて彼らを強めようとしているのです。

しかし、パウロがローマに行きたかったのは、そのように彼に与えられた御霊の賜物を分け与えて、彼らを強くするためだけではありませんでした。12節、「というよりも、彼らの間にいて、互いの信仰によって、ともに励ましを受けたかったからなのです。」

皆さん、私たちクリスチャンには、それぞれ御霊の賜物が与えられています。この御霊の賜物についてパウロは、ローマ書12章3~8節のところで次のように言っています。

「私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれをしなさい。」

一つのからだには器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとりが互いに器官なのです。ですから、その与えられた御霊の賜物を、主に喜ばれるように、ほかの人々のために用いていかなければならないのです。パウロには預言の賜物があったでしょう。教える賜物も、勧める賜物も、指導する賜物もあったかもしれません。かといって、彼がオールマイティーであったかというとそうではありません。おそらく、人を励ますという賜物は弱かったのではないかと思います。それはあのバルナバとの激しい反目をみるとわかります。彼らが第二次伝道旅行に出かけて行こうとした時、マルコを連れて行くかどうかで話し合った時、彼らの間に激しい反目が起こりました。先の伝道で途中から戻った者など伝道者としてふさわしくないと主張したパウロと、いや、人はみな弱さがあって完全ということはないんだから、そういう人をも受け入れていく必要があると主張したバルナバとの間に、激しい口論が生じたのです。結局、マルコを連れて行ったのはバルナバでした。パウロはなかなか受け入れることができなかった。もちろん、後でパウロはそのマルコさえも心から許し、受け入れましたが・・・。どちらが正しかったのかというよりも、人にはいろいろな性格や賜物、考え方があるので、そのような違いが生じてくるのです。しかし、それはやはりパウロの度量のなさというか、弱さからくる限界でした。やはり人を励ますという点ではバルナバは優れていたました。とは言ってもみながバルナバだったらいいのかというとそうではありません。バルナバのような人がいて、パウロのような人がいて、それぞれに与えられた賜物を用いることによってともに励ましをうけることが大切なのです。神様は、そのために必要な人材してそれぞれを教会に置いてくださったのです。ですから、それぞれに与えられた賜物を用いて、互いに主に仕えていかなければならないのです。そのためには、自分に与えられている霊的賜物を、ほかの兄弟姉妹に喜んで分け与えようという愛と、自分もまた教えられ、祝福を受ける必要があるということを十分認識し、そうした欠けを補いたいという謙虚さが必要です。この両者のあるところにクリスチャンの交わりがあり、それは大きな恵みをもたらしていくのです。

19世紀のアメリカの偉大なリバイバリスト、D・L・ムーディの周りには、彼を支えた多くの人たちがいました。賛美の奉仕をしたのはサンキという人ですが、この人は生涯ムーディとともに働きました。ムーディーが行く先々で、まずサンキが賛美して人々の心を開き、熱くしました。ムーディとサンキの関係は、まさに同労者の関係でした。またムーディはサンキだけでなく、R・A・トーレイという神学博士をいつも連れて回りました。この人は、それほど説教がすぐれていたわけではありませんでしたが、しっかりとした神学的背景を持っていたので、靴屋から献身し、それほど教育を受けられなかったムーディにとっては、そうした神学的知識で理路整然に文章をまとめ、説教の原稿を作ったり、バイブルスタディの教材を作ったりしてもらえたことは、大きな助けでした。

パウロは、「あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。」と言いました。私たちはこのような励ましを、恵みをみな必要としているのです。お互いに心を開き、このような交わりを持つように励みたいものです。

Ⅲ.返さなければならない負債(13-15)

パウロがどうしてもローマに行きたかった第三の理由は、それが返さなければならない負債だったからです。13~15節までをご覧ください。ここでパウロは、

「兄弟たち。ぜひ知っておいていただきたい。私はあなたがたの中でも、ほかの国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、何度もあなたがたのところに行こうとしたのですが、今なお妨げられているのです。私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。」

と言っています。パウロは、何度もローマに行こうとしましたが、なかなかそれを果たすことができませんでした。なお妨げられていたのです。パウロがこの手紙を書いたのは、第三次伝道旅行でエペソに3年間滞在したのち、マケドニヤ、アカヤを訪れた時でした。コリントに三ヶ月間滞在していた時でした。コリントといったらローマまでひとっ飛びです。もう少しで行けるというところまで来ていましたが、マケドニヤからの献金を携えてエルサレムに行かなければなりませんでした。今なお妨げられているのです。しょうがないから彼はそこで手紙を書いて、隣町ケンクレヤの女執事フィベに託して手紙を送り届けたのです。それにしてもなぜパウロはローマに行くことをそれほど願ったのでしょうか。その理由は14節にあります。

「私は、ギリシャ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。」

パウロはそれを「返さなければならない負債」だと思っていました。「負債」とは、辞書で調べてみると、「他から金銭や物品を借りて、返済の義務を負うこと。また、その借りたもの。借金。債務。」とあります。それは義務なのです。ローマ人やギリシャ人に対して実際に負債を負っていたというのではなく、その人たちに返さなければならない負債を「神に対して」負っていたという意味です。つまり、神がそのことを要求しておられるとパウロは考えていたのです。

パウロはその使命を負債のように感じていました。負債を負っている人なら、あるいはかつて負ったことのある人ならパウロの気持ちがよくわかるのではないでしょうか。それが常に重荷となってのし掛かってまいります。「返さなければならない」というプレッシャーとなって日々全身に重く感じるのです。パウロがローマに行って福音を伝えたいと思ったのは、それは神から与えられた大きな恵みのゆえに、どうしても返さなければならない負債だったのです。

ここに私たちクリスチャンのあるべき姿がよく表されているのではないかと思うのです。つまり、私たちは自分が何をしたいのか、どこに行きたいのかといった個人的な思いからあれをしよう、これをしようと選択して生きているのではなく、神が何をしてほしいのかを知り、それを行っていくことが大切であるということです。そういう基準で生きる(行動する、選択する)ことです。

現代の人は「こうしなければならない」ということを極端に嫌います。代わりに「権利、権利」と、権利ばかりを主張するのです。しかし、すべての状態が自分の都合に合致しなければ喜べないというのは 自己中心的で赤ちゃんのような心の人で、その心を変えなければ、いつまでたっても成長はありませんし、滅びの道から逃れることはできません。すべての事が自分の思うとおりにはいくとは限らないからです。神から与えられた仕事を、神のために、神のお喜びのためにやるという心を持つ時に、大人のような立派なクリスチャンになることができるのです。パウロはそうでした。彼はいつも神のために何が一番良いことなのかを求めて生きました。たとえばコリント第一の手紙9章には、彼は飲み食いする権利、妻を連れて歩く権利、まあ、これは結婚のことですが、それから働きのために報酬を受ける権利があるが、そのような権利を一つも用いなかったと告白しています。なぜでしょうか?より多くの人を獲得するためです。

「私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。」(Iコリント9:19)

彼はすべてのことを福音のためにしたのです。パウロは信仰によって、福音のために何が一番良いのかという選択をしました。それが霊的な大人の考え方です。そのように考えるなら、このような義務は祝福であることがわかるのです。また、そのような務めが私たちに与えられているということは、神がそのような者として私たちを認め、期待しておられるということの裏返しでもあるわけですから、本当に感謝なことなのです。今年のペットの流行は「ホーランドロップ」といううさぎだそうですが、どんなにホーランドロップが癒し系のかわいいうさぎだからといって、そのうさぎに家中を掃除することを期待するでしょうか。しないです。そのようなものとして認めていないからです。家にはかわいいフェレットがいますが、このフェレットに何らかの責任を与えたりするでしょうか。「フェレットちゃん、きょうはおとなしくお留守番しているのよ」なんて言いますか。言いません。そのようなことを期待していないからです。カエルにお買い物を頼みますか?「頼むから美味しい食べ物を買ってきてくれませんか」なんて・・。しません。できないからです。そんなこと言ったら、「もうカ~エル!」なんて言われるでしょう。そのように責任を与えるということは、それができると認めているから与えるのであって、できなかったら与えません。神様は私たちにそのような務めを与えてくださったというのは、そのような者として私たちを見ておられるからなのです。もし私たちが神から与えられた義務と責任をすばらしいものとしてとらえることができれば、一人の人間として、クリスチャンとして、必ず成長していくことになるのです。

パウロは、「私は、ギリシャ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています」と言いました。「ギリシャ人にも未開人にも」とか、「知識のある人にも知識のない人にも」というのは、 世界中のあらゆる人々にという意味です。パウロの関心は、世界中のどこにおいても、この福音を宣べ伝えることでした。それが自分に与えられた使命であり、どうしてもしなければならない負債だと考えたのです。それはパウロだけではありません。私たちも同じです。私たちも同じ負債を負っているのです。私たちはそれほど大きな神の恵みを受けたからです。神の御子をこの世に与え、十字架につけて死なせ、三日目によみがえらせることによって、この方を信じる者はだれでも救われるという道を開いてくださったのです。そのおかげで、私たちはたましいの救いを得ることができました。何と大きな恵みでしょうか。私たちはそれほどの恵みを受けたのならば、その恵みを何らかの形でお返ししたいと思うのが、自然の思いではないでしょうか。パウロはその神の大きな恵みのゆえに、この福音宣教を、どうしても返さなければならない負債を神に負っていると感じていたのです。それは私たちも同じです。私たちも恵みを受けたのです。ですから、これがどうしても返さなければならない負債、いや、それこそ私たちの願いとして受け止めるられるなら、神の国がますます大きく前進していくだけでなく、私たち自身の祝福ともなるのです。

ですからパウロは何とかしてローマに行きたかった。ローマにいる彼らにも、ぜひ福音を伝えたかったのです。私たちもパウロのような情熱をもって、神のみこころに生きることを求めていきたいものです。

ローマ人への手紙1章1~7節 「この福音のために」

きょうからしばらくローマ人への手紙からご一緒に学んでいきたいと思います。あるアメリカ人のアルコール中毒患者が、どうしても酒を断ち切ることができず、病院で二ヶ月以上治療を受けました。その治療期間が終わって退院した帰りに、ある酒場の前を通りかかりました。雀が精米所の前を通り過ぎることができないように、その人に酒の誘惑が強力に襲いかかってきて、そこを通り過ぎることができなくなってしまいました。ところがそのすぐそばに、2ドル30セントで牛乳飲み放題の「牛乳バイキング」の店がありました。そこでこの人はそのお店に入って、満腹になるまで牛乳を飲んで出てきました。そして再び酒場の前を通りかかったときには、もうお酒の誘惑は全く無くなっていました。簡単に通り過ぎることかできたのです。牛乳でお腹が一杯になったからです。

これから学ぼうとしているローマ人への手紙全体のテーマは福音の力です。このアルコール中毒の患者が牛乳に満たされたことでアルコールに勝利したように、私たちは福音の力によって勝利ある人生を送ることができるのです。なぜなら、福音には力があるからです。福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力」(1:16)です。この福音をよく理解し、この福音に堅く立ち、福音によって生きるなら、私たちはみこころにかなった歩みをすることができるのです。

きょうはこの神の福音について三つのことをお話したいと思います。まず第一に、パウロの召命感です。パウロは、この福音のために選び分けられ、使徒として召されたという確信をもっていました。第二のことはこの福音の内容です。それは御子に関することですとあるように、イエス・キリストのことです。そして第三のことは、この福音がもたらされた目的です。それは、あらゆる国の人々の中に信仰の従順をもたらすためでした。それは、この福音であるイエス・キリストによってのみできるということです。

Ⅰ.神の福音のために選び分けられたパウロ(1)    まず第一に、パウロの召命感について見ていきたいと思います。1節をご覧ください。

「神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ。」

新約聖書の中にあるパウロの手紙は全部で十三ありますが、このローマ人への手紙は、その中でもきわめてユニークな手紙です。パウロのほかの手紙はすべて、彼が自分で伝道したか、あるいはパウロの弟子たちが伝道して生まれた教会に宛てて書かれた手紙ですが、このローマ人への手紙だけはそうではないからです。おそらくあのペンテコステの時に回心した人たちがローマに帰って伝道し、そういう人たちによって生まれていたのでしょう。ですから彼らとは一度も会ったことがありませんでしたし、全く面識がありませんでした。それではなぜパウロはローマの教会に手紙を書き送る必要があったのでしょうか。それは、このローマ教会が福音によってしっかりと立っていてほしかったからです。この手紙の後半の方、15章を見ると、どうもパウロはイスパニヤ、今のスペインですね、そこまで行って伝道しようと願っていたようです。その伝道を彼らに担ってほしいと考えていたのです。そのためには彼がローマに行って福音の奥義を語って教え、彼らの信仰を養育するのが一番ですが、今はそれができませんでした。パウロがこの手紙を書いたのは彼が第三次伝道旅行でコリントを訪れ、そこに三ヶ月間滞在した時でしたが、この後で彼はマケドニヤの諸教会から集めた献金をエルサレムに持って行かなければならなかったのです。ローマに行くことも大切なことですが、今は献金を携えてエルサレムに行くことの方がもっと重要なことだったからです。そこで彼はケンクレヤという隣町の女執事フィベにこの手紙を託して届けさせたのです。その手紙の最初のところで彼は、まだ一度も会ったことのないローマのクリスチャンたちに対して、「神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ」と自分を紹介したのです。

「神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ」という表現は、きわめて珍しい言い方です。皆さんがまだ一度も会ったことのない人に手紙を書き送る時に、このような言い方をするでしょうか。ここにはパウロの強い思いと確信がにじみ出ていると思います。それは、自分は福音宣教のために選ばれ、召し出され、存在しているという確信です。だからこそ彼は使徒の働き20章24節のところにあるように、「神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、自分の命は少しも惜しいとは思いません。」と言うことができたのです。これが彼の献身の原動力だったのです。

皆さん、なぜ私たちはこの世に存在しているのでしょうか。私たちは何の目的もなく、意味もなく、ただ偶然に生まれてきたのでしょうか。そうではありません。神様に偶然などあり得ないからです。神様は一羽の雀が地に落ちるのも知っておられ、二十万本以上あると言われている私たちの髪の毛の数まで知っておられる方です。その神様は、私たちひとりひとりの人間に、その人生の目的なり、計画を持っておられるのです。それは何かというと、神の福音を宣べ伝えることです。福音をあかしすること、それが私たちに対する神のみこころなのです。イエス様を信じるすべての人は救いを得ていますが、なぜ神様は私たちをこの地上に置いてくださったのかというと、そこには目的があるからです。その目的とは神の福音を宣べ伝えることなのです。この目的をしっかりと握りしめている人は、どんな誘惑にも決して揺らぐことがありません。そして確信をもって献身することができるのです。この目的意識こそが、人を生かすのです。

昨年も自殺者が3万人を越えました。これで10年以上毎年3万人以上が自殺していることになります。その予備軍を入れたら、その数はものすごい数字になるでしょう。どうしてそんなに多くの方が自殺するのでしょうか。人生の目的がわからないからです。人は明確な目的があればあるほど喜びと使命感がわいてくるのです。人が自殺するのは人生に意味がなく、それが虚無的に感じらるからなのです。虚無感というのはたとえすぐに人を殺さなくても、日ごとに人を蝕んでいきます。その反対に目的意識は人にいのちをもたらし、人を強くするのです。

たとえば、先日、「この日本人がスゴイらしい」というテレビ番組で、核廃絶を世界に訴えた二重被爆者、山口彊(つとむ)さんの生涯が紹介されました。山口さんは1945年8月6日、会社の出張先の広島で被爆し、さらに8月9日、故郷の長崎でも被爆された二重被爆者です。それで左耳の聴力を失い、急性白血病となり、原爆の後遺症に苦しめられますが、被爆に対する偏見や差別などから自分が被爆者であることを隠していました。しかし妻と息子を亡くしたことがきっかけで、自分の命はいったいなぜ生きながらえているのか?自分がここに存在しているのはいったい何のためなのかを考えるようになりました。そして、それはこの核の恐ろしさを世界に訴えるためではないかと、自分が二重被爆者であることを公表するわけです。そして90歳になってからアメリカへ行き、ニューヨークの国連本部で反核、世界平和について訴えたのです。それから被爆をテーマにした映画を観てみたいと、「アバター」で有名な映画監督のジェームズ・キャメロンに手紙を書き送るのです。  すると2008年12月22日に、がんで長崎の病院に入院していた山口さんのもとに、このジェームズ・キャメロン監督がやって来て、やがて核廃絶をテーマにした映画を作ると約束したのです。その映画は「The Last Train from Hiroshima :The Survivors Look Back」というノンフィクションの著書を元にした映画で、この山口さんの体験が重要な部分を占めている映画です。  それにしても90を過ぎてから国連で訴えたり、ジェームズ・キャメロンに手紙を書き送ったりという知恵と力はどこから来たのでしょうか。それは、自分が生きているのはこのためであるという使命感からなのです。その使命感が山口さんを動かしたのです。それは私たちも同じです。

パウロは、自分が神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたという確信を持っていました。明確な目的意識があったのです。それが彼の生きる原動力だったのです。パウロはそのような召命感を持っていたので、すべてのことを犠牲にしても福音のために献身していきたいという思ったのです。それは私たちも同じです。私たちもこの福音のために選び分けられ、このことのために召され、今ここに存在しいるのだということがわかるとき、すべてのことを犠牲にしても、福音のために献身していくことができるようになるのです。

Ⅱ.福音はイエス・キリスト(2-4)

では、その福音とはどのようなものなのでしょうか。第二のことは、その福音の内容についてです。2~4節までをご覧ください。

パウロは自己紹介をしたのち、この手紙の受取人であるローマにいるすべての聖徒たちへ、すなわち7節に進むはずでしたが、ちょっと横道にそれて、とうとうこの手紙の中心主題である神の福音について語り始めました。彼としては、それが言いたくて、言いたくて、ムズムズしていたのでしょう。人は頭にあることを話します。食べ物のことばかり話す人は、いつも食べ物のことばかり考えているからです。人は頭で考え、心で思っていることを話すからです。私は24時間いつも教会のことばかり考えているので、いつも教会のことばかり話します。頭のてっぺんを押されても、横っ腹をつつかれても、足の裏をくすぐられても、その口から出てくるのは「教会」のことです。パウロが考え、パウロが思っていたことは、神の福音のことでした。彼はいつも福音のことばかり考えていたので、自己紹介からその受取人について書き記す間に、横道にそれてしまったのです。それほど彼は福音に心が捕らえられていたのです。しかし、ここではすべてを語りません。食事でいうなら前菜のようなもので、フルコースのメニューのわずかなものだけちらつかせて、フルコースへの関心をかき立てようとしているのです。では、その神の福音とはどのようなものなのでしょうか。

「―この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、 聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。」

それは旧約聖書の預言者たちを通してずっと昔から約束されていたもので、御子に関することです。この御子は、「肉によればダビデの子孫として生まれ、聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神に御子として示された方」です。「肉によれば」というのは人間的に見ればという意味です。つまり、人間的に見れば、この御子は旧約聖書の預言に記されてあるとおりに、ダビデの子孫としてお生まれになられたということです。旧約聖書の預言のとおりに生まれた方です。すなわち、まことの救い主であられるということです。それだけではありません。聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方です。つまりキリストは十字架で死なれましたが、その死から復活されることによってご自身が神であることを証明されたのです。「この方が死につながれていることなどあり得ないからです。」(使徒2:24)つまり、この方は旧約聖書のメシヤの預言の通りに生まれた方であり、死者の中からよみがえられることによって、神の御子であるということをはっきりと示された方、私たちの主イエス・キリストのことなのです。私たちは、この主イエス・キリストによって罪から救われ、喜びと感謝の中を生きることができるのです。これが福音です。いや、このお方こそ福音なのです。

皆さん、福音とは、決して観念やイデオロギーではありません。この生きておられる主イエス・キリストとの交わりなのです。この方にかたく結びついているときのみ、私たちはいのちにあふれた生活をすることができるのであって、それがなかったら福音とは言えないのです。パウロが信じていた福音とは、そのように自らが体験していたものであり、確かな力であり、いのちだったのです。16節のところで彼が、「福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」と言っているのはそういうことです。福音は力なのです。

イエス様は、ピリポ・カイザリヤというところで弟子たちに、「人々はわたしのことを何と言ってるか?」とお尋ねになられました。すると弟子たちは、「ある人は預言者だと言い、ある人はエリヤ、また別の人はほかの預言者だと言っています」と答えました。するとイエス様は何と言われたでしょうか。イエス様はこのように言われたのです。「では、あなたがたはわたしを誰だと言うのか?」他の人々の主張はそのくらいにして、それではあなたがたはわたしを誰だというのかと、彼ら自身の告白を求められたのです。  すると弟子の一人のペテロが言いました。「あなたこそ、生ける神の御子キリストです。」(マタイ16:16)するとイエス様は、ペテロを称賛し、「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです」と言われました。イエス様はほかの人が何と言っているかではなく、あなたは何と言うか、あなた自身の告白を聞くことを願っておられるのです。

しかし、私たちは自分の告白をしません。「ある人の話ですが、イエスを信じると救われるらしいです」とか、「ある人の話ですが、祈ると答えられるそうです」と言うのです。これは福音宣教ではありません。福音宣教とは、自分が見たこと、聞いたこと、体験したことを証することなのです。「イエスが力です。十字架が救いの力です。祈りは必ず答えられます。イエス様だけが唯一の望みです。」とはっきり言えなければならないのです。そのように言える自分の信仰、証がなければなりません。私が信じているイエス様、私が信じている福音、私が体験した福音を証しなければなりません。それが力の源なのです。福音には力があるので、みことばをそのまま読むだけでもすばらしい力がありますが、もっと力があるのはそのみことばを実際に味わっていることを証することです。福音はイエス・キリストであり、単なる観念ではなく、力だからです。

Ⅲ.このキリストによって(5-7)

最後に、このようにパウロがローマの教会に福音を宣べ伝えた目的とその手段についてを見て終わりたいと思います。5-7節をご覧ください。

「このキリストによって、私たちは恵みと使徒の務めを受けました。それは、御名のためにあらゆる国の人々の中に信仰の従順をもたらすためです。あなたがたも、それらの人々の中にあって、イエス・キリストによって召された人々です。―このパウロから、ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように。」

パウロは自己紹介をしながら、横道というか、福音そのものについて少し触れましたが、巧みに話を元に戻し、差出人から宛先へと進めていきます。今ここで紹介した福音の本質とはイエス・キリストであるという話から、このキリストによって、自分が使徒としての務めを受けたのだと結びつけていくのです。ここには「恵みと使徒の務め」とありますが、これは、「恵み、すなわち使徒の務め」という意味で、「使徒の務めという恵み」ということです。パウロは福音そのものである主イエス・キリストによって、この尊い務めをいただいたのです。では、それはいったい何のためでしょうか。それは、御名のためにあらゆる国の人々の中に信仰の従順をもたらすためです。「信仰の従順」とは何でしょうか。「信仰の従順」ということばは、ギリシャ語では「信仰、つまり神への従順」となっています。ですから信仰の従順とは、信仰の内容である神に従う生活のことなのです。パウロが使徒の務めという恵みを受けたのは、あらゆる国の人たちがこの福音を信じ、神の用意してくださった救いを受け入れることによって、神に従う生活ができるようにするためだったのです。それはパウロだけではありません。「あなたがたも」、すなわち、ローマのクリスチャンたちも同じです。いや私たちも同じなのです。なぜなら、私たちも、イエス・キリストによって召された者だからです。私たちも神に愛され、召された者として、パウロのように、あらゆる国の人々に信仰の従順をもたらしていかなければならないのです。どうやってそれができるのでしょうか。ここに「このキリストによって」とあります。「このキリスト」とは、神の福音そのもののことです。ですからこれは、神の福音によってということになります。神の福音によって私たちは、あらゆる国の人々の中に信仰の従順をもたらすことができるのです。それは決して人間の力や方策によってではないのです。

ネヘミヤは、バビロン捕囚からエルサレムに戻ってきたイスラエルの民に何をしたでしょうか。ネヘミヤ記8章を見ると、彼は、主がイスラエルに命じたモーセの律法の書を持って来るように、学者エズラにお願いしました。それを水の門の広場に集まっていた民に、夜明けから真昼まで、朗読したのです。その結果消滅していた仮庵の祭りが復活し、異邦人との婚姻が解消され、安息日を守る運動が徹底され、什一献金が行われるようになり、イスラエルに信仰の変革が起こっていったのです。これがウォーターゲートのリバイバルです。「水の門」ウォーターゲートでのリバイバルです。それはイスラエルが神のみことばに立ち返り、みことばに堅く立つことによってもたらされたものだったのです。。

それは使徒の働きの中に見られる初代教会も同じです。例えば、使徒の働き19章にはパウロがエペソで伝道した時のことが記されてありますが、彼らはパウロを通してみことばを伝えられるとすぐに、魔術を行っていた人々は魔術の本を集めて燃やしてしまいました。その額なんと銀貨5万枚、今の価値で300万円相当だったと言われています。それは彼らが神のみことばを聞いて、それを理解したからなのです。みことばを本当に理解すると、自然と、その行動にも変化が起こってくるのです。

1903年にウェールズで起こったリバイバルもそうでした。神様のみことばに対する覚醒が起こると、劇場や酒場が門を閉ざすようになりました。また工場の労働者たちが盗んだ品物を返しにやって来て、それが山のように積まれるようになったのです。なぜそういうことが起こったのかというと、いつもむちで虐待していた主人たちが、神の恵みを受けてからは慈しみ深くなり、ロバを抱いて涙する人までいたからです。神のみことばによって人々の内側が変革したことが、社会的な改革へとつながっていったのです。

1907年に今の北朝鮮の平壌(ピョンヤン)で起こったリバイバルもそうでした。みことばで目覚めた聖徒たちが日曜日になると一斉に仕事を休んだので、平壌の経済が麻痺してしまったのです。10%の聖徒たちが商店の門を閉めたので、平壌全体が日曜日の主日には一斉に休むようになったのです。クリスチャンが10%になると、社会全体に大きな影響を及ぼすようになるのです。

それまでは少し忍耐が必要です。日本では今のところクリスチャンの人口は全体の1%にも満ちていませんが、これが10%になると、社会全体を変革していく大きなうねりとなるのです。その鍵は何でしょうか。信仰の本質である神の福音です。神の福音に立ち返り、この福音にしっかりと立ち続けることであって、それ以外にはないのです。決して人間的な方法やプログラムによるものではありません。

猪(いのしし)が最も好んで食べる物はどんぐりだそうです。猪はどんぐりに目がなく、夢中になるのです。しかし猪は頭が悪いのか、どんぐりがなくなると、どんぐりが地面から出てくると思って地面を掘り返してしまうのです。もし私たちが猪のことばを知っているとしたら、そんな猪に何とことばをかけてやるでしょうか?「猪君。地面を掘ったってドングリは出て来ないよ。どんぐりは上から落ちてくるの。だからそんなにどんぐりを食べたければ、木の根元を打つか、枝を揺らさないと・・。」このように言ってやるのではないでしょうか。

同じです。コロサイ人への手紙3章1,2節には、「こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右の座を占めておられます。あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。」とあります。何か良い方法はないかと地面を掘ったりするのではなく、天にあるものを求めていかなければなりません。「天にあるものを求めなさい」それが私たちに求められていることなのです。

私たちはこの一年がそのような年でありますようにと祈ります。「このキリストによって」「この神の福音によって」皆さんの心が奮い立たせられる一年でありますように。いつもみことばに立ち返りながら、そこから恵みと力をいただいて、このすばらしい務めを全うしていくことができますように。この教会がこの福音に堅く立ち、キリストの恵みと力によって前進していく教会でありますように。