「祈りの確信」

基礎の学び2回目は、「祈りの確信」の学びでした。

「あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。」(ヨハネ16:24)

私たちが信仰生活を続ける上で受けるもう一つの攻撃は、祈りの効果に疑いを持たせることです。祈っても無駄だ、祈っても何も変わらないと、神に祈ることを止めてしまいます。しかし、神に祈るなら神は答えてくださいます。なぜなら、神は私たちの父であられるからです。自分の子どもがパンを下さいと言うときに、石を与えるような父はいません。魚をくださいというのに、蛇を与えるような父もいません。父親は自分の子どものためには良い物を与えることを知っています。とすれば、なおのこと、天におられる父なる神が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょうか。必ず良いものを与えてくださいます。「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけだし、たたく物には開かれます。」(マタイ7:7~8)

大胆に祈り求め、祈りが答えられるという喜びを体験していきましょう。

基礎の学びが始まりました!

信仰の基礎の学びIがスタートしました。基礎の学びIでは、5つの確信について学びます。救いの確信、祈りの確信、勝利の確信、赦しの確信、導きま確信です。今回はその第一回目で、救いの確信を学びました。

「そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。」(Iヨハネ5:11-12)

イエス様を信じてもさまざまな試練に直面するとき、信仰が揺るがされることがあります。自分はイエス様を信じ、受け入れても、本当に救われているのかどうか不安に思うことがあるのです。こうした不安を克服する方法は、神のみことばに信頼することです。自分がどう思うのかではなく、神がどのように約束しておられるのかを知り、その約束に信頼することなのです。この約束に基づいて、イエス様は、今私の心の中にいてくださり、永遠のいのちを与えてくださっていることを確信することができます。この学びでは鍵になる聖句を暗記することになっています。あなたもこのIヨハネ5:11-12のみことばを暗記して、救いの確信を持ちましょう。

 

レビ記14章1~32節のメッセージをアップロードしました!

今週の祈祷会の聖書の学び、レビ記14章1~32節のメッセージをアップロードしました。ここには、ツァラアトに冒された人がきよめられるにはどうしたらいいのかについて教えられています。ここから、イエス・キリストの十字架の血によって罪から贖われたクリスチャンの信仰の歩みとはどのようなものなのかがわかります。聖書を開きながら神のことばをお聞きください。

イザヤ書54章11~17節のメッセージをアップロードしました!

今週の礼拝のみことば、イザヤ書54章11~17節までのメッセージをアップロードしました。一昨日からの積雪と停電により不安な夜を過ごされた方もおられたかと思いますが、「義によって堅く立つ」とのメッセージをいただき感謝しました。私たちの人生には本当に不安なことが絶えませんが、だれもキリスト・イエスにある神の愛から引き離すものはありません。この神の愛と救いによって、私たちは神の平安と力をいただくことができます。そのことを確認できたメッセージでした。

イザヤ書54章1~10節のメッセージをアップロードしました!

毎週の礼拝で語られているイザヤ書からのメッセージをアップロードしました。今回はイザヤ書54章1~10節までのみことばです。「あなたの天幕を広げよ」という神からのチャレンジと、どんなことがあっても神の愛は変わらないというメッセージです。聖書を開きながら、みことばの恵みを味わってください。

「使徒の働き」からのメッセージをアップロードしました!

以前、毎週日曜日の礼拝で語られた「使徒の働き」からの全77回分のメッセージをアップロードしました。「使徒の働き」は、「ルカの福音書」の後編として書かれたものですが、福音がどのようにしてエルサレムからユダヤ、サマリヤ、および地の果てまで広がっていったかがわかると思います。使徒の働きを通して聖霊の働きを学び、私たちもキリストの証人とさせていただきましょう。