以前、毎週日曜日の礼拝で語られた「使徒の働き」からの全77回分のメッセージをアップロードしました。「使徒の働き」は、「ルカの福音書」の後編として書かれたものですが、福音がどのようにしてエルサレムからユダヤ、サマリヤ、および地の果てまで広がっていったかがわかると思います。使徒の働きを通して聖霊の働きを学び、私たちもキリストの証人とさせていただきましょう。
投稿者: otawara-1
使徒の働き28章30~31節 「聖霊によって、大胆に」
投稿日: 投稿者: otawara-1
きょうは使徒の働きの一番最後のところから、「聖霊によって、大胆に」というタイトルでお話したいと思います。30節、31節には、
「こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」
とあります。教会の誕生から始まって初代教会がどのようにユダヤとサマリヤ、および地の果てまだ福音を宣べ伝えてきたのかを描いてきたルカは、実に淡々とした調子で終わっています。これがあまりにもあっけないので、おそらくルカはこれに続く書簡を書こうとしていたが何らかの事情があって書けなかったのだとか、いや実際は書いたのだけれども、それがどこかに紛失したにちがいないという人たちもいます。
しかし、それがあまりにも淡々としているからといって、その理由をいろいろと詮索したり、それに何かをつけたそうとする必要はありません。むしろあるがままに読んでいかなければなりません。事実、この箇所をよく見てみると、この中にルカが本当に伝えたかったことが十分に表されているのではないかと思います。それは何かというと、「神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた」ということです。つまり、ペテロやパウロをはじめ、この使徒の働きに登場してきた人たちが宣べ伝えてきたものは何だったのか、誰がその主人公だったのかということです。それは「神の国」であり、「主イエス・キリスト」であったということです。ここにはそのことがよくまとめられていると思うのです。ですから私たちはこの使徒の働きの最後のところから、パウロがどのように神の国の福音を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えたのかについて、みことばそのものから学んでいきたいと思うのです。
それは次の三つにまとめることができると思います。第一のことは、「こうして」です。「こうして」とはどうしてでしょうか。それは聖霊によってということです。第二のことは、たずねて来る人たちをみな迎えてです。第三のことは、大胆に、少しも妨げられることなくです。こうしてパウロはローマでの満二年の間、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えたのです。
Ⅰ.こうして(30)
まず第一のことは、「こうして」です。「こうして」とはどうしてでしょうか。 使徒の働きの中には、「こうして」ということばが随所に記されてきました。そして、このことばが記されている所ではいつも、初代教会がどのようにして生まれ、どのようにして形成され、またどのように発展していったのか、さらにはその教会を通して、どのように世界宣教のわざが進められていったのかということが明らかにされていました。そして、この使徒の働きの最後にもまた「こうして」ということばで締めくくられているのです。ですから、このところの「こうして」とは、単に前に起こった出来事を受けての「こうして」ではなく、この使徒の働き1章の最初のところから記されてきたすべての内容を受けての「こうして」なのです。では、どうしてなのでしょうか。どのようにして福音が世界の中心であるローマまで伝えられたのでしょうか。それは聖霊の力によって、キリストの証人たちを通して実現したということです。1章8節をご覧ください。ここには、
「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
とあります。この箇所は、使徒の働き全体の鍵になることばです。このみことばを中心に、どのように福音がエルサレムからユダヤサマリヤ、および地の果てまで宣べ伝えられていったのかを、使徒の働きは描いているのです。そして、このところによるとそれは、「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき」であると教えられています。聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けるのです。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てまでキリストの証人となることができるのです。決して人間の努力や力によるのではありません。ただ聖霊なる神の力によってのみそれができるのです。福音を宣べ伝える人間には限界がありますが、その働きの主なる聖霊には限界はありません。聖霊は無限なる方なのです。この聖霊の働きによって福音はエルサレム、ユダヤとガリラヤ、および地の果てまで伝えられてきたのだということを、ルカは私たちに伝えたかったのです。ルカは、その前の書にあたるルカの福音書で、「イエスが行い始め、教え始められたすべてのことについて書き」ましたが、それに続くこの後の書では、その天に挙げられたイエスが聖霊を通し、教会を通して成された御業について記したのです。ですからこの書の主題はパウロではなく、主イエス・キリストであり、使徒の働きではなく、聖霊の働きだったのです。
実に、教会は聖霊によって建て上げられていくのであって、福音宣教のわざも聖霊によって行われていくのです。アメリカにサドルバックという有名な教会がありますが、その教会の牧師であるリック・ウォーレンは、「Purpose Driven Church」という本の中で、牧会をするということが、教会を建て上げるということがどういうことなのかについて次のように言っています。
「牧会というのは海でサーフィンをする人のようだ。彼は自分で波をつくることはできないけれども、向かってくる波に乗ることはできる。このように、聖霊様の波をよく見極めて、その波に乗ることが成功する牧会だ。」
リック・ウォーレンは、教会は聖霊様のみわざによって成長していくものであって、私たちはその聖霊様の風を起こすことはできませんが、聖霊様が起こすその風を注意深く見極め、待ち望み、そして、それを見た時にそれにうまく乗ることが肝心だと言ったのです。教会を成長させるのは聖霊様ご自身だからです。
聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けるのです。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、キリストの証人になることができるのです。そういう意味では、この使徒の働きはまだ終わっていません。「地の果て」がまだ残されているからです。それは現在も続いている、現在進行形なのです。2007年の統計によると、日本でさえ教会のない市町村が全国に1,500以上もあるると言われています。この日本には福音が伝わっていない「地の果て」がまだまだたくさん残されているのです。そういう人たちにいったい私たちはどうやってこの神の国と主イエス・キリストを宣べ伝えいくことができるのでしょうか。「こうして」です。すなわち、聖霊の力によってです。であれば私たちは、この聖霊様に満たされることと、この聖霊様が働かれることの妨げとならないように注意しなければなりません。決して人間的にならないで、神の聖霊が自由に働かれるように、その道を整えていくことを心がけなければなりません。
イエス様は「風はその思いのままに吹く」(ヨハネ3:8)と言われました。文語訳では「風は己が好む所に吹く」と訳されています。「風」とは聖霊のことです。聖霊には人格(ペルソナ)があって、好みがあります。その好むところに吹くというのです。聖霊のいないクリスチャンはいませんが、それは必ずしも聖霊が喜んでいるという意味ではありません。ですからパウロはエペソ人への手紙の中で、「聖霊を悲しませてはいけません」(エペソ4:30)と書き送っているのです。聖霊が悲しまれることがある。そのような時、聖霊に満たされることはできないのです。
大川従道という有名な牧師先生がいらっしゃいますが、「万物の終わりが近づけり」という説教の中で、赤裸々なお証を語っておられます。大川先生は日曜日に何回説教されるのでしょうか、朝から晩まで説教されるともう夜には疲れきり、コカ・コーラとするめを買ってきて、奥様を相手に信徒さんの悪口を言うのが楽しみだったそうです。
「あの人はしゃべることしゃべること。ありゃ、口から生まれてきたんだね。」「今の若者はしつけがなってないね。親の顔が見たい」
そんなことを言いながら、コカ・コーラを飲むと美味しいというのです。ほら「スカッとさわやかコカ・コーカ」ってあるでしょ。一日中説教して一生懸命頑張ったんだから、せめて日曜の夜くらいは悪口でも言わせてもらわなければ・・・と、それを正当化していたそうです。
ところがある日、そのことを聖霊様によって示されました。そういう人でも神様の愛してやまない人であるということ、その人もまた必要な人としてこの教会においてくださったいるということを。それで大川先生はそのことを悔い改めました。聖霊様は人格をもっておられ、人を裁くことがお嫌いであることに気づかされたのです。それはいけないことだから、もうどんなことがあっても、人をさばかない牧師になりますと祈られたのです。そしたら教会がものすごく祝福されたそうです。大川先生はその中で次のように言っておられます。
「祝福の原点は何でしょうか。「裁き合わない」ということです。神様がくださった人生を裁き合わないことです。牧師は信徒を裁かない。信徒は牧師を裁かない。信徒同士は裁き合わない。教会同士も裁き合わない。教派同士も裁き合ってはいけません。聖霊は、私たちが裁き合うことを忌み嫌われます。あなたが生涯さばき合わないと決心したら、あなたの人生は必ず祝福されます。神様は知恵のある方で、永遠をすべて見通しておられます。まず神様を裁いてはいけません。「神様、何を言ってるんですか」とあなたが裁いてどうするんですか。中には自分を裁いている人がいます。「私ってなんてダメなんだろう」といつも考えています。これはまじめな人に多いのです。私もそうでした。自分をいつも裁いていました。もっと自分を正しく愛さなければなりません。そして、自分を愛するように隣人を愛しましょう。人を受け入れるのです。「風は己が好む所に吹く。」日本の教会になぜリバイバルが起こらないのか。それは裁き合っているからです。赦し合い、愛し合うことをしないからです。もし、それができたなら、聖霊はそこに働かれると信じます。裁き合わずに赦し合い、愛し合おうではありません。」(「風は己が好む所に吹く」P147-148」)
昨年の末に、この県北の牧師たちの食事会がありましたが、そこで宣教師訓練センターの奥山先生がメッセージをしてくださいました。その中で先生がこれまでご自分の信仰生活を通して教えられた二つのことを語ってくださいました。一つは「決して思い煩わない」ということ、そしてもう一つのことは、「決して人を恨まない」ということです。なるほど、奥山先生ほどの立場であられると、いろいろな非難もまた多いことかと思いますが、それでも思い煩わない、人を恨まないということはとても大切なことであり、この聖霊によって生きる道の一つであるということを思わされました。
皆さん、「風はその思いのままに吹く」のです。ですから、その流れを妨げることがないように、いつも聖霊を求め、聖霊が喜ばれる歩みを心がけていきたいものです。こうして神の国を宣べ伝え、主イエスのことを教えることができるからです。
Ⅱ.たずねて来る人たちをみな迎えて(30)
第二のことは、たずねて来る人たちをみな迎えてです。これはどういうことでしょうか。ここには「パウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて」とあります。「満二年の間」というのは、釈放の手続きも含めた拘留期間を指しています。当時のローマの法律によると、告訴した人が十八ヶ月以内に法定に出頭しなければ被告を釈放することになっていました。ですから、ここにパウロが満二年の間、自費で借りた家に住んでいたというのは、あれほど躍起になってパウロを訴えたあのエルサレムのユダヤ教の当局者たちが、自分たちの形成が不利だと見たのか、ローマまでやって来てパウロを告訴することをしなかったということなのです。パウロは無罪を勝ち取った。福音が勝利したということなのです。
しかし、裁判において勝利したものの、この二年の歳月というのは彼にとってとても貴重な時間であったにちがいありません。その歳月はもう戻ってはきません。その時間をこのような形で過ごさなければならないというのは本当に辛いことだったのではないかと思います。先日もアメリカのでえん罪で30年も刑務所に収監されていた人が釈放されたというニュースが流れました。保証金は2億円だそうです。でもどんなにお金をもらっても、30年という人生は戻ってこないのです。それは本当に悲しいことです。
しかし、聖書はそのようには伝えてはいません。ここには、「たずねて来る人たちをみな迎えて」、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えたとあります。「たずねて来た人たちを迎えて」伝道するという態度は、ことばのうえだけを見ると大変消極的なように見えますが、裏を返すと、それはあらゆる機会を用いて福音を伝えたということなのです。確かにこの時のパウロは、鎖につながれた囚人であったために、ユダヤ教の会堂や広場に出て行って伝道することができなかったかもしれません。しかし、そのように出て行けないからといって、腕をこまねいてはいたわけではありませんでした。このような状態でも自分にできることをしていたのです。たとえば、エペソ人への手紙、ピリピ人への手紙、コロサイ人への手紙、あるいはピレモンへの手紙といった彼の手紙のいくつかは、この時に書かれたであろうと考えられていますが、そのような軟禁状態にありながらも、彼は自分にできる証を積極的に行っていたのです。そればかりではありません。ピリピ人への手紙1章12~14節には、次のように記されてあります。
「さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたいと思います。私がキリストのゆえに投獄されている、ということは、親衛隊の全員と、そのほかのすべての人にも明らかになり、また兄弟たちの大多数は、私が投獄されたことにより、主にあって確信を与えられ、恐れることなく、ますます大胆に神のことばを語るようになりました。」
何とそのように捕らわれの身になったことが、かえって福音を前進させることになったというのです。どのように?二年間、番兵が交代で「親衛隊」から派遣され、パウロの身辺の監視に当たりましたが、その番兵が兵営に帰るたびに、パウロから聞いたキリストの話をしたので、やがて親衛隊全員にキリストのことが知れ渡ったばかりか、兄弟たちの大多数が主にあって確信が与えられ、ますます大胆に神のことばを証するようになったのです。アメージングです。ですから「たずねて来た人たちをみな迎えて」というのは、許されたあらゆるチャンスをつかんで働いたということの一つの言い方に過ぎません。パウロはどんなことが起こっても、それを伝道のチャンスととらえて証したのです。
皆さん、ここにはパウロは自費で借りた家に住んで、たずねて来る人たちをみな迎えて、とあります。それは自分の家ではありませんでした。彼はまだ捕らわれの身で、番兵もついていました。ですから、彼には自由があっても自由がないように見えました。でもその借家にはいつも神の祝福がありました。人はみな土地のある家に住みたいという願いがありますが、生涯借家であっても、神の国の祝福がある家はすばらしいのです。どんなに立派な家でも、神の国の祝福がなければ、それは寂しいのです。借家でも、ボロ家でも、入口にはいつも番人がいて、自由がきかなくても、そこにはたずねて来る人が大勢いて、そういう人たちにいつも神の国の福音が宣べ伝えられというのは、大きな祝福なのです。それが借家であろうと持ち家であろうと、たずねて来た人たちをみな迎えて、神の国の福音を伝えることはすばらしい特権なのです。
かつて帝国議会の議長までも務めたクリスチャンの政治家に片岡建吉(1843-1903年)という人がおられましたが、この人はどんなに多忙でも日曜日の礼拝を厳守したことで有名な人です。ただ厳守しただけではありません。好んでは教会の玄関番を買って出て、ためらう新来者たちを優しく、温かく迎えました。後に「私は高知教会の玄関で救われました」という人が、何人もいたそうです。こういう人こそたずねて来る人たちをみな迎えるあかし人なのです。
Ⅲ.少しも妨げられることなく(31)
最後に、パウロは大胆に、少しも妨げられることなく宣べ伝えたというところに注目してみましょう。これはどういうことでしょうか。少しも妨げられることなく伝道できたということは、パウロにとっては奇跡としか言いようのないことでした。これまでの彼の伝道を振り返ってみると、ユダヤでの伝道にしてもアジヤおよびヨーロッパでの伝道にしても、妨害のなかったことはなく、まさに妨害と迫害の連続でした。それが今は、世界にその文化と政治と軍事力を誇るこのローマ帝国の真ん中で、しかも囚人の身でありながら自由に伝道ができていたというのです。それは、福音の勝利を表すことばとして、ふさわしいことばだったのではないでしょうか。原文では、このところは、「神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストを教えた。少しも妨げられることなく。」と、これが一番最後の結びのことばになっているのです。それはどういうことかというと、これを書いたルカが、福音のことばは決してつながれることのないことを示そうとしたのです。つまり、みことばの力と勝利を表したかったのです。それは単に外からの圧力があるかないかということと関係なくです。パウロはそのことを若き伝道者テモテに、次のように書き送りました。
「私は、福音のために、苦しみを受け、犯罪者のようにつながれています。しかし、神のことばは、つながれてはいません。」(Ⅱテモテ2:9)
皆さん、神のことばはつながれることはありません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。どんなに政治的な圧力や束縛があっても、どんなに鎖で縛られ火で焼かれるような状態に置かれても、みことばはつながれることはないのです。ゆえにこの力ある神のみことばを持っている人は、いつ、いかなる時でも、「少しも妨げられることなく」大胆に語ることができるのです。
カール・バルトという神学者は、このみことばの力を「入り込んで打ち壊すもの(inbreakink)」と描写しました。いかに堅固な鉄板や岩があったとしても、神様のみことばは電気ドリルのように、すべてのものを砕いて入り込むことができるのです。福音は偉大な力なのです。何でも砕ける強力な力です。それゆえに人々を回心させ、悪魔の要塞を打ち砕くみわざは、このいのちのみことばにより頼まずには起こりえないのです。神様はこの強力な福音を証するために、私たちを呼んでくださいました。
使徒の働きはここで終わります。しかし、それはまだ終わってはいないのです。それは今日まで続いています。やがて主イエスが再びこの地上に来られるまで続きます。そういう意味では、私たちがこの28章を書き続けていかなければなりません。初代教会が、使徒たちが、そしてパウロが聖霊によって、大胆に神の国と主イエス・キリストを宣べ伝えていったように、私たちもまた聖霊によって大胆に、少しも妨げられることなく、みことばを宣べ伝えていかなければならないのです。私たちは本当に弱く、小さなものですが、このみことばに励まされ、私たちの内に住んでおられる聖霊の力によって、このゆだねられた使命を果たしていく者でありたいと思います。聖霊こそ人を滅びの中から救い出し、罪の奴隷から神の子どもにすることができる方であり、まことのいのちを与えることができる方だからです。
使徒の働き28章16~28節 「神の国をあかしする」
投稿日: 投稿者: otawara-1
新年あけましておめでとうございます。この新しい年の最初の礼拝において開かれているみことばは、この使徒の働き28章16節からのところです。16節には、
「私たちがローマに入ると、パウロは番兵付きで自分だけの家に住むことが許された。」
とあります。ローマに住んでいたクリスチャンたちの温かい出迎えに励まされ、勇気づけられたパウロは、ついにローマに入ることができましたが、そのローマに入ったパウロはどうなったかというと、番兵付きで自分だけの家に住むことが許されました。囚人としてローマに入った彼がこのような待遇を受けるということは、破格なことであったと言えます。その背後にはおそらく、あのローマ総督フェストの好意的な書状(25:26)のほかに、ローマに向かう船旅で九死に一生を得たあの百人隊長の報告があったからではないかと思います。そのパウロがローマに入っていったい何をしたのか。23節を見ると、
「そこで、彼らは、日を定めて、さらに大ぜいでパウロの宿にやって来た。彼は朝から晩まで語り続けた。神の国のことをあかしし、また、モーセの律法と預言者たちの書によって、イエスのことについて彼らを説得しようとした。」
とあります。パウロはこのローマでも神の国のことをあかしし、イエスについてそこにいる人たちを説得しようとしました。そこがローマにおける宣教の拠点となり、精力的に福音を語り続けたのです。
きょうは、このローマで福音を語り続けたパウロの姿から、三つのことをお話したいと思います。第一のことは、ローマにおけるパウロの宣教の姿です。彼は時が良くても悪くても、みことばを語り続けました。第二のことはその結果です。パウロの話を聞いたある人々は彼の語ることを信じましたが、ある人々はそうではありませんでした。福音が語られるところでは必ずこの二つの反応が見られるということです。第三のことは、その原因です。ある人々はなぜ信じないのでしょうか。聖書はこう言うのです。それはその心が鈍くなっているからだ・・・と。
Ⅰ.時が良くても悪くても(17-23)
まず第一に、ローマに到着したパウロはそこで何をしたかを見たいと思います。17~20節までをご覧ください。
「三日の後、パウロはユダヤ人のおもだった人たちを呼び集め、彼らが集まったときに、こう言った。「兄弟たち。私は、私の国民に対しても、先祖の習慣に対しても、何一つそむくことはしていないのに、エルサレムで囚人としてローマ人の手に渡されました。ローマ人は私を取り調べましたが、私を死刑にする理由が何もなかったので、私を釈放しようと思ったのです。ところが、ユダヤ人たちが反対したため、私はやむなくカイザルに上訴しました。それは、私の同胞を訴えようとしたのではありません。このようなわけで、私は、あなたがたに会ってお話ししようと思い、お招きしました。私はイスラエルの望みのためにこの鎖につながれているのです。」
ローマに到着したパウロは、番兵付きながらも自分だけの家に住むことが許されると、三日の後にはユダヤ人のおもだった人たちを招いて、自分がエルサレムでユダヤ人たちによって告発されたことについての弁明と、これまでの裁判のいきさつについて語ります。三日の後といったらまだ旅の疲れが残っていたことでしょう。この時パウロが何歳であったかはわかりませんが、すぐに疲れが抜けるほど若くはなかったはずです。また、荷物の整理やそこでの生活のための必需品を調えるといったこともしなければならなかったに違いありません。それが三日でできたのかどうかはわかりませんが、早速、ローマにいたユダヤ人たちとの接触をはかり、当時ローマ市内に十一もあったと言われるユダヤ教の会堂から主だった人たちを招いて説明したのです。
ここでのパウロの説明は、これまでの彼の語り方と比べると至って控え目で、一貫してユダヤ人の誤解を解こうとする意図が感じられます。パウロは、自分がこのように捕らえられ囚人としてローマにやって来たのは、ユダヤ国民に対しても、先祖の慣習に対してもそむくようなことをしたからではなく、イスラエルの望みのために鎖につながれているのですと語りました。それこそパウロが伝えたい福音の中心的なことだったからです。すなわち、旧約聖書に記されてある「イスラエルの望み」、救い主メシヤが誰であるかということです。その救い主メシヤこそ、ユダヤ人たちによって十字架につけられ、死んで葬られ、三日目に死人の中からよみがえられたナザレのイエス・キリストなのだということです。そのことを宣べ伝えているがゆえに、彼は鎖につながれていたのでした。
さあ、それに対してローマのユダヤ人たちはどのように応答したでしょうか。21~23節です。
「すると、彼らはこう言った。「私たちは、あなたのことについて、ユダヤから何の知らせも受けておりません。また、当地に来た兄弟たちの中で、あなたについて悪いことを告げたり、話したりした者はおりません。私たちは、あなたが考えておられることを、直接あなたから聞くのがよいと思っています。この宗派については、至る所で非難があることを私たちは知っているからです。」そこで、彼らは、日を定めて、さらに大ぜいでパウロの宿にやって来た。彼は朝から晩まで語り続けた。神の国のことをあかしし、また、モーセの律法と預言者たちの書によって、イエスのことについて彼らを説得しようとした。」
パウロの弁明を聞いたユダヤ人たちの反応は、なかなか冷静なものでした。彼らはまず、自分たちはパウロたちのことについてユダヤからは何の知らせも受けていないこと、したがってパウロたちについて悪いことを告げたり、話したりしているような人はいないということ、だから一番いいのは、直接パウロから話しを聞くことだと思っていることを伝えました。もちろん彼らの中には五旬節にエルサレムを巡礼した人もいたはずですから、そうした人たちからパウロのうわさを聞いていたに違いありませんが、そうしたプライベートなうわさ話に耳を傾けるよりは、本人から直接話を聞いた方がよいと判断したのです。これはまことに慎重な態度であったと言えるでしょう。人のうわさを鵜呑みにしないで、直接本人から話を聞いて判断するということの方が正しいことだからです。しかし、そんな彼らの冷静な対応の中に、彼らの本心を垣間見ることができることばが付け加えられています。それは「この宗派については、至る所で非難があることを私たちは知っているからです。」ということばです。彼らはこの宗派について、至る所で非難があることを知っていたのです。なのに、見も知らずのパウロの招きに応じてやって来たのはなぜかというと、このパウロの語るナザレのイエスを首領とする新しい宗派について興味と好奇心があったからなのです。その新しい宗派について、パウロから直接話を聞きたいと思ったのでしょう。そこで彼らは日を定めてさらに大ぜいでパウロのところにやって来ると、そうした人たちに向かってパウロは、朝から晩までみことばを語り続けました。
ここでのパウロの姿というのは、使徒の働きにおけるパウロの宣教の姿の総括とも言えるようなものです。彼は「朝から晩まで」語り続けました。私たちの使う表現では「寝食を忘れて」ということになるでしょうか。寝る暇も惜しんで熱心に語ったのです。それは「モーセの律法と預言者たちの書によって」とありますように、聖書に基づいての宣教でした。そして、その内容は「神の国のこと」、「イエスのことについて」説得するものでした。
これこそ私たちがパウロから学ぶべき宣教の姿です。彼は自分だけの家に住むことが許されたとはいえ、番兵付きという制限の中で、あるいは手か足が鎖に繋がれているという不自由な状態にもかかわらず、みことばを語り続けたのです。Ⅱテモテ4章2節のところでパウロは、若き伝道者であったテモテに宛てて、次のような手紙を書き送りました。
「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」
これがパウロの生き方でした。それは私たちも同じです。私たちの置かれている時は必ずといって良い時ばかりではありません。健全な教えに耳を貸そうとしないばかりか、自分に都合の良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、空想話にそれていくような時代かもしれません。しかし、それがどのような場合であっても慎み、困難に耐えて、みことばを語り続けていかなければならないのです。
もとやくざのKさんは、中学生の頃から非行に走り、暴走族に加わって、とうとうやくざになってしまいましたが、そんなある日イエス様に出会い、救われました。彼は「もっと深く神様を知りたい。そして過去の自分のように歩んでいる人を助けたい」という思いから、献身して神学校に進みました。そのうち証がしたくなってアメリカまで行きそこで証をしたところ、その内容が取り上げられアメリカのテレビ番組のみならず、日本でも放送されたのです。
彼は帰国して神学校の学びに戻りましたが、彼が以前所属していた組織の人で、その番組を見ていた人が、自分たちの顔に泥を塗ったと怒り、彼を捜し始めたのです。まず奥さんが見つかり、続いて子どもたちも見つかると拉致され、とうとう彼も捕らえられてしまいました。まさに、パウロが福音のために鎖につながれたようにです。
その人は「どうやって落とし前をつけてくれるんだ」などと言って彼をおどしましたが、そんな中彼らは、家族みんなで必死になって祈りました。すると不思議なことに、どこからともなく彼らの心に平安がやって来ました。そして、奇跡が起こったのです。あんなに怒っていたやくざが、彼らをそこから解放したのです。その後はいっさい脅迫もなく、多くの人たちが彼を通して救いに導かれているそうです。
私たちもこの福音宣教の務めを果たしていこうとすれば、そこにはいろいろな困難にぶち当たることもありますが、それがどのよう事であっても、みことばを宣べ伝えていかなければならないのです。止めてはいけないのです。それが教会に与えられている使命だからです。
Ⅱ.ある人々は信じたが・・(24)
第二のことは、その宣教の結果です。24節をご覧ください。
「ある人々は彼の語ることを信じたが、ある人々は信じようとしなかった。」
ここにパウロの話を聞いた人々の反応がどうだったのかについて、はっきりと記されています。ある人々は彼の語る事を信じましたが、ある人々は信じようとしませんでした。福音を聞く人々には、必ずこの二つの反応、二つの態度が生じます。すなわち、信じる人々とそうでない人々です。彼らは初め、大勢で連れ立ってやって来ました。そこには一致と交わりがありましたが、パウロの話を聞くうちに、彼らの意見は互いに合わなくなってしまったのです。これは「使徒の働き」の中に一貫して見られてきた反応です。エルサレムでも、ピシデヤのアンテオケでもテサロニケでもベレヤでも、あるいはコリントでもエペソでも、どこででも、受け入れる人たちがいれば、そうでない人たちもいたのです。
このことは、キリストの福音が、聞く人たちをふるいに分けることを現していると言えるでしょう。福音はある人を選び、ある人を捨てる、そういう役割を果たすということです。それは意識的に先入観を捨て、公正にパウロの話を聞こうとしていたローマのユダヤ人でさえ、知らず知らずのうちに二つに分けられていったほど強力なものでした。そのことをルカは福音書の初めのところで、次のように明記しておきました。
「また、シメオンは両親を祝福し、母マリヤに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、また、反対のしるしとして定められています。剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。それは多くの人の心の思いが現れるためです。」(ルカ2:34,35)
この預言の成就をルカは、この第二巻の書である「使徒の働き」の中でも追跡し続けてきたのです。そしてこの書の最後のところで、当時世界の中心であったローマで起こったユダヤ人の分裂を通して、福音が語られるところでは必ずといってよいほど、このような二つの反応があるということを念入りに記録したかったのだと思います。これが福音宣教の現実なのです。それは現代においても同じです。ある人々は信じますが、ある人々は信じようとしません。みんなが信じるということはないのです。ですから、語っても、語っても、なかなか信じてもらえずに落ち込むということもありますが、そういうことで一喜一憂するのではなく、そのような現実の中でも福音を語り続けるものでなければならないのです。しかし、そのような小さな一歩が、やがて世界を変える大きな力になるのです。
考えてみてください。この世界の中心であったローマには、この時にはまだキリストを信じる人の数はそれほどでもありませんでしたが、やがてローマはキリストの御前にひざまずくようになるのです。313年にローマの皇帝コンスタンチヌスがキリスト教を容認すると、390年にはキリスト教を国教として認めるに至るのです。初めは小さな群れでした。ある人々は信じましたが、ある人々は信じないという中にも福音はその中に徐々に浸透していき、やがて国を変えるまでに成長して行ったのです。まさにイエス様が、天の御国はからし種のようだと言われたようにです(マタイ13:31~33)。それは蒔かれた時には小さな種ですが、やがて空の鳥が巣を作るほど大きく成長していくのです。
ですから私たちは、身近な人から福音の種を蒔き続け、たとえその人が信じないからと言ってもがっかりしないで、忠実に、最善を尽くすべきです。そのような中からやがて信じる人々が起こされていき、大きなうねりにつながっていくからです。
Ⅲ.心が鈍くなっている(25-28)
最後に、このような現象が起こる原因について考えてみたいと思うのです。25~28節をご覧ください。
「こうして、彼らは、お互いの意見が一致せずに帰りかけたので、パウロは一言、次のように言った。「聖霊が預言者イザヤを通してあなたがたの父祖たちに語ったことは、まさにそのとおりでした。『この民のところに行って、告げよ。あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、その目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って、立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』ですから、承知しておいてください。神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らは、耳を傾けるでしょう。」
このように、彼らが互いに一致せずに帰りかけると、パウロはイザヤ書の預言を引用して語りました。いったいなぜパウロはこのことばを引用したのでしょうか。このことばは、イザヤ書6章9~10節までのことばからの引用で、イザヤが預言者として召された時に語られたことばです。すなわち、イザヤを神の言葉を伝える預言者として召された主が、彼を遣わすにあたって語られたのがこのことばなのです。率直に言ってそれは実に悲観的なことばだと言えるでしょう。これから遣わされていく伝道者に向かって、「彼らは聞くが悟らない」とか、「見てはいるがわからない」とか、「その心は鈍くなっている」とかと言うのですから・・。パウロがこのような言葉を引用したのは、今まさに彼の目の前で信じようとしないユダヤ人たちというのは、その心が鈍くなっているからだということを伝えるためでした。この「心が鈍い」と訳されたことばは「心が肥え太っている」という意味です。心が肥え太っているというのは、心が豚のように肥え太って自己満足の中に安住しているということです。心に何の飢え渇きも感じず、ニーズも感じないので、求道心も起きないのです。パウロのもとに集まったユダヤ人たちは、先入観を捨て、直接本人から話を聞いて判断しようといたって冷静のようでしたが、実はそのような冷静さというのもまたくにせものでした。自ら飛びついて聞こうとしないかぎり、ニーズが満たされることはないからです。彼らの問題はそこにありました。パウロはこのイザヤ書のことばを引用しながら、彼らが信じようとしないのは、まさにその心が肥え太っているから、鈍いからだということを指摘したかったのです。
皆さん、それは彼らだけのことではなく、私たちも同じです。人が神の救いを信じようとしないのは、その心が鈍くなっているからなのです。自分にはまだ救いは必要がない、まだ自分は神に頼るほど行き詰まっていない、と思っているのです。お腹が満腹の時にどんなに美味しいものを出されても食べたくないように、心が肥えて太っていると救いの必要性も感じないのです。ですからイエス様は、
「心が貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだから。」(マタイ5:3)
と言われました。まさに心を低くして、貧しくして、自分のニーズを率直に認めるのでなければ、救われることはできません。イスラエルの多くの人のように、確かに聞きはしたが、決して悟らないといった心の満腹状態であっては、何にもならないのです。むさぼるように福音の招きを聞き、激しく求めて、神に立ち返らなければなりません。
私たちが受けるべき信仰の訓練とは何でしょうか。この心の貧しさをいつも神様の前に保つということではないでしょうか。律法主義の問題はここにあるのです。律法主義の問題は、神の律法のすべてを守ることなどできないのに、自分は守っているかのように錯覚して高慢になり、他の人のことを非難してしまうことです。もし、私たちが神のみことばの前に立ったらどうなるでしょうか。あのローの書の中でパウロが告白しているように、
「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」(ローマ7:24)
となるはずなのです。私たちはこの新しい年が、心を低くして、主の前に貧しくなり、むさぼるようにして主の救いのことばを聞き、それを激しく求める年でありたいと願います。あの人がどうこうではなく、自分自身がいつも主との関係の中でどうなのかを点検しながら、へりくだって主に求めていく年でありたいと思うのです。そのとき、主は私たちの心をいやしてくださるのです。
使徒の働き28章1~15節 「こうして、ローマに」
投稿日: 投稿者: otawara-1
きょうは、「こうして、ローマに」というタイトルでお話したいと思います。使徒の働きは、キリストの福音がどのようにエルサレムからユダヤ、ガリラヤ、および地の果てにまで宣べ伝えられていったのかという様子が描かれていますが、そのパウロの伝道の最終目的地はローマでした。彼はエルサレムでキリストのことを証したようにローマでもあかししなければなりませんでした。ですから、これを書いたルカは、パウロがどのようにローマに到着したのかということについてかなり多くのスペースを使いこれを描いてきたのです。そして、きょうのところには、ついにそのローマにパウロたちが到着したことが記されてあります。14節のところには、「こうして、私たちはローマに到着した」と書かれてあります。いったい彼らはどのようにローマに到着したのでしょうか。
きょうは、このことについて三つのことをお話したいと思います。第一のことは、そこに力ある主の御業が伴っていたということ、第二のことは、やっぱり忍耐です。パウロがローマに到着するまでに多くの忍耐が必要でした。第三のことは、そこに主にある兄弟姉妹との麗しい交わりがあったということです。
Ⅰ.力ある主の御業(1-10)
まず第一に、そこに力ある主の御業があったということについて見ていきましょう。1~10節までのところですが、まず1節をご覧ください。
「こうして救われてから、私たちは、ここがマルタと呼ばれる島であることを知った。」
前の章で私たちは、パウロ一行を乗せた船がカイザリヤを出航後、嵐に巻き込まれて漂流しましたが、神の奇跡的な守りによって乗員乗客276人全員が救われたことを学びました。そんな彼らがようやくのことで上陸した場所は、イタリヤ半島の南に位置するマルタ島と呼ばれる島でした。この島の高台には現在、片手に聖書を抱えながら、上着をなびかせながら、遙かローマを仰ぎ見ているパウロの彫像が建っているそうです。パウロたちは、いよいよここからローマを目指して進んでいくことになるわけですが、このマルタ島で過ごした三ヶ月の中で、ルカはここで起こった二つの出来事をここに紹介しています。2~10節です。
「島の人々は私たちに非常に親切にしてくれた。おりから雨が降りだして寒かったので、彼らは火をたいて私たちみなをもてなしてくれた。パウロがひとかかえの柴をたばねて火にくべると、熱気のために、一匹のまむしがはい出して来て、彼の手に取りついた。島の人々は、この生き物がパウロの手から下がっているのを見て、「この人はきっと人殺しだ。海からはのがれたが、正義の女神はこの人を生かしてはおかないのだ」と互いに話し合った。しかし、パウロは、その生き物を火の中に振り落として、何の害も受けなかった。島の人々は、彼が今にも、はれ上がって来るか、または、倒れて急死するだろうと待っていた。しかし、いくら待っても、彼に少しも変わった様子が見えないので、彼らは考えを変えて、「この人は神さまだ」と言いだした。さて、その場所の近くに、島の首長でポプリオという人の領地があった。彼はそこに私たちを招待して、三日間手厚くもてなしてくれた。たまたまポプリオの父が、熱病と下痢とで床に着いていた。そこでパウロは、その人のもとに行き、祈ってから、彼の上に手を置いて直してやった。このことがあってから、島のほかの病人たちも来て、直してもらった。それで彼らは、私たちを非常に尊敬し、私たちが出帆するときには、私たちに必要な品々を用意してくれた。」
この島の人々はとても親切な人々で、ずぶ濡れで島に上がって来たパウロたちに、降り出した雨と寒さをしのぐため、火をたいてもてなしてくれたのです。その燃えさかる火は、パウロたちの体を温めてくれただけでなく、疲労困憊していた彼らの心を、どれだけ温めてくれたことでしょう。その火が消えかかっていたのかパウロがひとかかえの柴をたばねて火にくべると、熱気のために、たまりかねた一匹のまむしがはい出して来て、彼の手に取りついたのです。皆さん、まむしってわかりますか。毛虫じゃないのです。これは毒蛇ですから、これに咬まれたら毒が回って死んでしまうのです。ですから島の人々は、まむしがパウロの手からぶらさがっているのを見て、「この人はきっと人殺しだ」と思いました。「ディケ」(Dike)というギリシャの正義の女神を信じていた彼らは、パウロはきっと人殺しだから、神がパウロの罪を罰したのだと思ったのです。幸い海から逃れることはできたけれども、正義の女神はこの人を生かしてはおかないと思ったのです。ところが、パウロがそのまむしを火の中に振り落としても、何の害も受けてていないのを見ると、今度は「この人は神様だ」と言い出しました。何だっていい加減な島民たちですが、いったいなぜルカはこの出来事をここに記したのでしょうか。
この出来事で思い出すのは、復活された主が弟子たちに約束された次のことばです。開いてみましょう。マルコの福音書16章16~18節です。
「信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」
これは、信じる人々に伴うしるしだったのです。しかもそのしるしは何かというと、その後の20節のところに、「そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。」とありますが、復活の主が今も彼らとともに生きて働いておられるという事実を明らかにするものだったのです。このように、福音宣教の使命を果たすためにローマに向かうパウロとともに、実は主もまたともに働いて、みことばに伴うしるしをもって、今も生きて働いておられるということを示そうとしていたのです。
皆さん、これは福音宣教に携わる者として本当に励まされることではないでしょうか。どこを見ても福音の力が見られないこの国の宣教にあって、実は、復活の主が私たちとともに働いて、このみことばが確かなものであるという証拠を示すために、このような偉大なしるしや奇跡を行ってくださるのです。復活の主は今も生きて働いておられるのです。
イギリスを代表する説教者に、ジョージ・ダンカンという方がおられますが、この方は、この箇所から私たちの戦いというのは大きな出来事においてばかりでなく、日常的な出来事の中で出てくるまむしとどう戦うかということが重要なのではないか、と言っておられます。柴をヨッコラショと、火の中にくべることは出れでもできることでしょう。しかし、そうした日常的なことの中にまむしが出てくるのです。そのまむしが私たちにかみついて、私たちの人生をダメにしようとする。この平凡な出来事の中で、どうまむしに対処するかが重要だ・・と。夫婦の間で、親子の間で、この社会の中でこのまむしにかまれることがあるのです。そのような時にどのようにそうした問題に対処したいったらよいのかを祈っていかなければなりません。
さて、みことばに戻りましょう。7節のところには島の首長でポプリオという人が登場します。この首長ポプリオは、パウロたち遭難者たちのことを知ると、自宅に招いて三日間も滞在させ、手厚くもてなしてくれました。たまたまこのポリオという人の父親が、熱病と下痢とで床に着いていたので、パウロはその人のもとに行って祈り、手を置いていやしてやりました。パウロのこのいやしの奇跡は、たちまち島中の評判になり、次々とパウロのところに病人がやって来てはいやされて帰って行きました。その結果、パウロたちはこの島の人々から非常な尊敬を受けるようになり、彼らが出帆するときには、その出帆に必要な品々を用意してくれたというのです。そうした神の力ある業は、復活の主が今も生きて働いておられるという事実を示したばかりでなく、次の伝道への旅立ちの準備にもつながっていったのです。
パウロは行く先々で福音を伝え、神の力を現しました。私たちもパウロのように、どこに行っても神の力を現さなければなりません。それは、このような病人のいやしのために祈るということを通して現されるでしょうし、また、私たちの愛と恵みの生き方を通しても現されます。
ギリシャのテサロニケでは、初代クリスチャンたちの集まりが禁止されましたが、そうした中でもクリスチャンたちは命の危険をかえりみず集まり、迫害に耐えました。このような厳しい状況の中にいるテサロニケのクリスチャンたちに対して、パウロは静かにこのように助言しました。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(Ⅰテサロニケ5:16~18)
このことは、驚くべき信仰のパワーではないでしょうか。クリスチャンは苦しみと不幸のどん底にあってもいつも喜び、絶えず祈り、すべてのことについて感謝することができるのです。それはまむしにかまれても害を受けず、病人に手を置けばいやされると同じくらいの神の力、信仰のパワーです。私たちはどこに行っても、そのような神の力を現していかなければならないのです。
Ⅱ.忍耐して(11-13)
次に、忍耐することの大切さについて見ていきましょう。11~13節をご覧ください。
「三か月後に、私たちは、この島で冬を過ごしていた、船首にデオスクロイの飾りのある、アレキサンドリアの船で出帆した。シラクサに寄航して、三日間とどまり、そこから回って、レギオンに着いた。一日たつと、南風が吹き始めたので、二日目にはポテオリに入港した。」
こうしてついにイタリヤ半島上陸の時が訪れます。マルタ島を出発したパウロ一行は、シチリア島のシラクサ、イタリヤ半島の最南端にあるレギオンを経て、イタリヤ半島のちょうど中程に位置する大きな港町ポテオリに入港します。この旅に同行していたルカが記すパウロの旅日記は、これを読む私たちにあたかもパウロの旅に同行しているような実に生き生きとした様子を描いています。それにしても彼らは、このマルタ島に上陸してからの三ヶ月間というのは、ローマのあるイタリヤ半島を目前にして、どれほどそこに行きたいというはやる気持ちがあったかと思うのです。今すぐにでも海を渡ってローマに行きたいという気持ちもあったでしょう。しかし、彼らはなお三ヶ月の間、冬を越すためにそこに留まって待たなければなりませんでした。
私たちはここに、人生の旅路においても忍耐しなければならない時があるということが教えられます。神の時の支配の中で、しばしば立ち止まらされるときがあるのです。もっと先に進みたいと思っているのに、それがストップさせられるときがあります。どうして神様は道を開いてくださらないのか、どうして先に進ませてくれないのかと思うときがあるのです。しかし、そのようなときにこそ、私たちはこのパウロの姿から忍耐することの大切さを、しっかりと学んでおきたいのです。それは主が御自身のしもべに与えられる大切な訓練の時であり、神の民はしばしばそのような経験を通らせられるということです。たとえば、あのイスラエルもそうでした。彼らは神から約束された地に入るために実に40年にも及ぶ荒野での生活を余儀なくされました。しかし、彼らはその中で信仰とは何なのかということを学びました。その荒野での生活は、実に彼らの信仰の訓練のためだったのです。同じように、時として私たちも先へ、先へ、と進みたい気持ちがあってもなかなか進めない現実に、否定的になったり、つぶやいたり、不平不満を漏らしたくなりますが、実はそういう時にこそ忍耐して、神を見上げ、神に信頼しなければならないのです。ヘブル人への手紙10章36節には次のようにあります。
「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」
現代っ子の一番嫌いな言葉は、忍耐と訓練だそうです。ある小学校の先生が、やがてこのような言葉がなくなる、と言われました。事実なら本当に恐ろしいことです。訓練され、忍耐の出来る人がやがて人生の勝利を得、いざ何か事が起きた時に、その人の訓練されて来た人生が物を言うのです。
まさにアブラハム・リンカーンがそうでした。彼の生涯には、「失敗と不幸」という文字が嫌というほどついて回りました。彼は大小の選挙で、実に七回も落選し、事業でも二回失敗し、借金を返すだけでも、何と十七年の歳月がかかりました。しかし彼は、選挙であろうと事業であろうと失敗してもあきらめず、失敗という障害物を飛石に変えようとする努力を怠りませんでした。まるで起き上がりだるまのように、倒れてもすぐに起き上がり、自分の倒れた場所を振り返っては、失敗した原因を分析する知恵を神様に求めたのです。「ホワイトハウスを祈りの家にした大統領リンカーン」という本の中に、そのような時に彼がしたことについてこう記されてあります。
「私は、選挙で落選したという報告を聞くと、すぐによくレストランに駆け込んだ。そしておなか一杯になるまでおいしい料理を思いっきり食べた。次に理髪店に行って髪をきちんと手入れし、油もたっぷり塗った。これでだれも私を失敗した人だとは思わないだろう。なぜなら、私の足取りは再び力にあふれ、私の声は雷のように力強いから。」(P102)
リンカーンの進んだ道は、失敗と不幸によって数え切れないほど中断しました。しかし最後まであきらめなかったので、歴史上偉大な人物たちに並び、自分の不幸と失敗を幸福の資源とする代表的な人物となることができたのです。
私たちの人生の進み行く道にも、そうした失敗や挫折が、あるいは、なかなか道が開かれないという焦りが、思うように進まないという問題が起こるかもしれませんが、いつでも覚えておきたいことは、神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは、次の二つの文字であるということを。それは「忍耐」です。忍耐のできる人がやがて人生の勝利を得るのです。
Ⅲ.主にある兄弟姉妹との交わり(14-15)
最後に、そこにもう一つのことがあったことを見て終わりたいと思います。それは、主にある兄弟姉妹との交わりです。14,15節をご覧ください。
「ここで、私たちは兄弟たちに会い、勧められるままに彼らのところに七日間滞在した。こうして、私たちはローマに到着した。私たちのことを聞いた兄弟たちは、ローマからアピオ・ポロとトレス・タベルネまで出迎えに来てくれた。パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられた。」
ポテオリに入港したパウロたちは、いよいよ世界の首都ローマの入口に立ちました。彼らは、ここから陸路ローマへ向かいます。そのポテオリで、彼らは主にある兄弟たちと会い、そこで勧められるままに彼らのところに七日間滞在しました。主にある兄弟たちとの会見は、27章3節でパウロたちがカイザリヤを出発してから立ち寄ったシドンでの交わり以来、久しぶりことです。何年かの幽閉と数ヶ月にわたる海上での船の難の後のことでしたから、そうした主にある兄弟たちの暖かい歓迎ともてなしを受けながらの七日間の交わりは、どれほどの喜びであり、また慰めであったに違いありません。特にこの一週間の中には当然、主の日である日曜日も含まれていたでしょうから、彼らはそこで一緒に礼拝をささげたことでしょう。ポテオリからローマまでは約200キロの距離ですが、これからローマに向かおうとしていたパウロにとっては、そうした主にある兄弟たちと心を一つにして祈ることは、どれほど励まされ、力づけられたことかと思います。こうして彼らは、ローマに到着したのです。
パウロたちがローマに向かっているという知らせは、ポテオリの兄弟たちから一足先に入っていたのかわかりませんが、彼らがローマに向かって進んでいると、ローマのクリスチャンたちがその途中のアピオ・ポロという所とトレス・タブレネという所まで出迎えに来てくれたのです。このアピオ・ポロという町はローマから80キロほど離れた所にある町です。トレス・タブレネにしてもローマから53キロも離れたところにある町です。彼らはパウロを出迎えるためにそれだけの道を歩いて来たのです。この主にある兄弟たちの温かい歓迎は、長い間の困難に耐え、それを乗り越えてきたパウロにとった、どれほど感動的なものであったかわかりません。私がパウロだったら、もう号泣きでしょう。ルカは、この時の様子を、「パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられた」と淡々と記しています。かつてパウロはローマの教会に手紙を送り、「あなたがたのところに行くときは、キリストの満ちあふれる祝福をもって行くことと信じています。」(ローマ15:29)と言いましたが、今やその元気はどこに行ってしまったのでしょうか。ローマを目前にしてようやく主のお約束が成就するのを間近にして、心躍るような気持ちがあった反面、言いようのない不安と恐れに苛まれていたのも事実なのです。しかしそんなパウロを神様は孤独にさせるようなことはなさいませんでした。そこに先回りするようにして主にある兄弟たちを備えておられたのです。それがこのことばに現れているのではないでしょうか。
「パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられた。」
この朝私たちは、この主にある兄弟姉妹との交わり、すなわち、教会の交わりが持っている慰めや励ましの大きさを覚えておきたいと思うのです。それは毒を制し、病人をいやす奇跡にもまさるものです。そのような交わりが備えられていたのです。私たちの信仰の旅路も同じです。それは決して一人で歩む旅ではなく、主の恵みと守りが先回りしてそこに愛する兄弟姉妹を備えていてくださり、その麗しい交わりを通して与えられる慰めと励ましによって進んで行く旅なのです。それは困難が待ち受けている道であり、苦しみと迫害の道かもしれません。あるいは忍耐を必要とする道であるかもしれまんが、しかしその道すがら、主は私たちのためにこの上ない励ましと慰めを備えていてくださり、ついにはその旅路の果てである天の御国へと導いてくださるのです。
「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか」(ヘブル12:1)
先にこの道を歩まれた多くの証人たちが私たちを取り囲み、私たちの人生の旅路を励まし、慰め、その旅路を全うさせてくださるのですから、そして、「こうして、ローマに」、こうして天の御国へと主が導いてくださるのですから、その希望にしっかりと目を留めて、それぞれの人生の旅路を、忍耐をもって最後まで走り抜いていくものでありたいと願います。「こうして、ローマに」この一年もようやくしてここまで来れたことを感謝し、新たな年も主の励ましと慰めがあることを信じて、この信仰の旅路を共に進んでいきたいものです。
使徒の働き27章1~44節 「人生の艱難を乗り越える」
投稿日: 投稿者: otawara-1
きょうは「人生の艱難を乗り越える」というタイトルでお話したいと思います。艱難とは、困難に出あって苦しみ悩むことです。私たちの人生ではさまざまな艱難に遭遇することがありますが、このような艱難に直面した時どうやって切り抜けたらよいのでしょうか。きょうはこのことについて三つのことをお話したいと思います。第一のことは、私たちがトラブルに陥る原因についてです。第二のことは、艱難を乗り越える方法についてです。ですから第三のことは、このようにして私たちも艱難を乗り越えましょうということです。
Ⅰ.ユーラクロンという暴風(1-20)
まず第一に、私たちが艱難に陥る原因について見ていきたいと思います。1~20節までのところです。まず1節と2節をご覧ください。
「さて、私たちが船でイタリヤへ行くことが決まったとき、パウロと、ほかの数人の囚人は、ユリアスという親衛隊の百人隊長に引き渡された。私たちは、アジヤの沿岸の各地に寄港して行くアドラミテオの船に乗り込んで出帆した。テサロニケのマケドニヤ人アリスタルコも同行した。」
エルサレムで捕らえられ、カイザリヤに移送されてからはや2年以上の月日が流れ、その間、忍耐強くローマ行きを待ち望んでいたパウロに、ようやくその時が訪れました。ついにそのローマ行きの道が開かれたのです。1節を見ると、ここに21章以来となる「私たち」という言葉が出てきます。これは、この使徒の働きを書いたルカが、この時から再び同行したことを表しているものです。この旅には他に、テサロニケ人のアリスタルコも同行しました。パウロのローマ行きの旅は孤独なものではなく、こうした主にある同労者たちとの祈りと交わりの中で励まされながら進んでいく旅でした。パウロたちが乗り込んだ船は、カイザリヤからシドン、キリキヤ、パンフリヤ、ルキヤと、地中海を陸沿いに進み、やがてアジヤ州のアドラミオという所に向かう船でした。それはちょうど季節が秋から冬にさしかかっていた時で、この季節は地中海が荒れ模様になることで知られていたため、ローマに直行する船がなかったからです。そこでまずルキヤの港ミラまで行き、そこからイタリヤを圣由して北アフリカのアレキサンドリヤに向かう船に乗り換え、そこからローマを目指そうと思ったのです。6節にそのことが書いてあります。この船は北アフリカのアレキサンドリヤとイタリヤ半島の間を穀物を積んで行き来する貿易船で、乗員と乗客276名を乗せることができた大型船であったようです。しかしすでに地中海は冬の荒れた天候に変わりつつあったようで、船はなかなか思うようには進みませんでした。ようやくのことで地中海に浮かぶクレタ島の「良い港」というところまで来たところで足止めを食うことになりました。かなりの日数が経過して、断食の季節もすでに過ぎていたため、もう航海は危険だと判断したパウロは、人々に注意して、こう言いました。10節です。
「皆さん、この航海では、きっと、積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます」
断食の季節というのは、だいたい10月の上旬頃のことです。それがすでに過ぎていたというのですから、おそらくもう11月も近づいていたのでしょう。9月半ばから11月半ばまでは航海には非常に危険な季節であり、それ以後は、冬が終わるまで航海はすべて停止しました。パウロはそのことを考えて、このように忠告したのに、船員たちはそのパウロの忠告を退けて船出してしまったのです。11~13節をご覧ください。
「しかし百人隊長は、パウロのことばよりも、航海士や船長のほうを信用した。
また、この港が冬を過ごすのに適していなかったので、大多数の者の意見は、ここを出帆して、できれば何とかして、南西と北西とに面しているクレテの港ピニクスまで行って、そこで冬を過ごしたいということになった。おりから、穏やかな南風が吹いて来ると、人々はこの時とばかり錨を上げて、クレテの海岸に沿って航行した。」
ここに、私たちが人生のトラブルに陥ってしまう三つの原因が見られます。第一のことは、神のことばよりも専門家たちの意見を信用してしまうことです。11節を見てください。せっかくパウロが、これ以上を航海を続けると後悔するようになる、いや生命にも危害が及ぶようになると忠告したのに、百人隊長は、パウロのことばよりも、航海士や船長たちの言うことのほうを信用しました。当たり前といえば当たり前のことかもしれません。航海士や船長たちは航海の専門家で、より深い知識と経験を持っている人たちですから、そういった人たちの言うことを信用するのは当然なのかもしれません。しかし、そうした専門家たちの意見が必ずしも正しいかというとそうとは限りません。
世の中には、いろいろな考えを持った人たちがたくさんいます。毎週のように、だれかが新しい精神療法を発表したり、新興宗教を始めたりしています。ある人が、「人生の活力の秘訣は、バナナとヨーグルトを食べることにある」というと、別の人は「いや、ストレッチだ」と言うのです。「ストレッチは血液の循環をよくし、身体を健康にする」と。そうかと思うと別の人が「いや、いきいき人生の鍵は、自分たちのセミナーのテープを買うことだ」という人もいるのです。すべての人が自分の考え方を持ち、専門的な意見を持っているかのように見えますが、実際には、専門家たちの見解には間違っていることが多いのです。自分の意見に賛成してくれる専門家が見つかるまで、いろいろな専門家に意見を聞いて回る人もいますが、もし間違った専門家に意見を聞けば、トラブルに巻き込まれ、艱難に遭遇することになってしまうのです。本当に信頼できるのは、完全に正しい意見を持っておられる神だけなのです。
トラブルに陥ってしまう第二の原因は、多数決に従ってしまうことです。12節をご覧ください。ここには、停泊していた港が冬を過ごすのに適していなかったので、大多数の意見はここを出発して、できれば何とかしてクレテ島の反対側に位置するピニクスまで行き、そこで冬を過ごしたいと思ったのです。このように多数決の意見が必ずしも正しいということではありません。多数決の欠点は、多数決が間違っている場合もあるということです。モーセがイスラエルを約束の地に導きだそうとしたとき、大多数の人たちはエジプトに戻りたいと言いました。みんなが言うから正しいとは限りません。この場合も、明らかに大多数の意見は間違っていました。広く行き渡った意見や流行の考え方を取り入れることによって、かえってトラブルに巻き込まれてしまうこともあるのです。しかし、神が言われることに耳を傾けるなら、正しい道を進むことができるのです。
第三の原因は、状況を信頼してしまうことです。13節には、「おりから、穏やかな南風が吹いて来ると、人々はこの時とばかり錨を上げて、クレテの海岸に沿って航行した。」とあります。「この時とばかり」ということばは、下の欄外の注にもありますが、「目的が達せられると思って」という意味のことばです。穏やかな南風が吹いてくると、船員たちは、自分たちの望みがかなったと判断しました。この判断が誤りであったことは後でわかります。どんなに状況が良く思われ、見通しが良くても、神の忠告を無視することは愚かで浅はかなことなのです。たとえ今の状況は良くても、嵐の中へ船を漕ぎ出していることもあるからです。ある人はこう思うでしょう。「自分の下した判断は絶対に間違っていない。なぜなら、自分はその判断にとても満足しているからだ」と。しかし、そうした自分の感情もしばしば私たちを欺くことがあるのです。もし神が「待ちなさい」と言われたら、港で待つべきであります。そうでないと、船出した後で、状況が望ましくないものに変わってしまうかもしれないからです。
14節、15節を見てください。案の定、彼らが船出するとまもなく、ユーラクロンという暴風が陸から吹き下ろしてきて、船はそれに巻き込まれ、進むことができなくなってしまい、漂流してしまったとあります。そして「積荷を捨て始め」(18節)、「船具までも投げ捨て」(19節)、「最後の望みも今や絶たれようとしていた」(20節)、希望までも捨ててしまったのです。絶望的になりました。
皆さんは今、どのような状況に置かれているでしょうか。先週、先月、あるいは昨年以来、前からも後ろからも問題が襲って来て、どうにもならないような状況が続いているかもしれません。彼らと同じように絶望的な心境になっているかもしれません。しかし、決して希望を捨てないでください。船乗りたちが希望を捨てたのは、神に望みを置かなかったからなのです。神がすべてを支配しておられるということを忘れてしまったからなのです。彼らは、神が、全く望みのないような状況の中にさえも希望を与えることのできる方であることを忘れていたのです。絶望的に思えるような中にあっても、もし神を見上げ、神に信頼するなら、絶望は希望に変わるのです。
Ⅱ.元気を出しなさい(21-26)
それがパウロのとった方法でした。ですから第二のことは、そのような絶望的な状況に置かれた時、私たちはどうしたら良いかについて見たいと思います。21~26節までをご覧ください。
「だれも長いこと食事をとらなかったが、そのときパウロが彼らの中に立って、こう言った。「皆さん。あなたがたは私の忠告を聞き入れて、クレテを出帆しなかったら、こんな危害や損失をこうむらなくて済んだのです。しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです。昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」
このような危機的な状況の中で、パウロは船員たちとは全く正反対の反応を見せました。船員たちが絶望的になり、もはや最後の望みも絶たれようとしていたとき、そんな彼らに向かって、「元気を出しなさい」「恐れてはいけません」と、彼らを励ますのでした。パウロは、暴風が吹き荒れ、荒波を受けて漂流を続ける船の上でも冷静さを保ち、揺るぎない確信を持っていました。危機に瀕してもなお、勇気を失ってはいませんでした。彼の心を動じさせるものは何もなかったのです。いったい彼はどうしてそんなに堂々としていることができたのでしょうか。ここにはそのために三つの理由があったことがわかります。
第一のことは、神が共におられるという確信を持っていたことです。23節と24節をご覧ください。
「昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました。『恐れてはいけません。・・」
この箇所から教えられることは、どんな嵐も私たちを神の目から覆い隠すことはできないということです。私たちには神のお姿が見えなくても、神は私たちを見ておられます。たとえ何万㌔も離れているように感じようとも、実際に神は私たち共におられ、私たちを守っていてくださるのです。神は、人格を持った神の代理人である御使いを通して、「わたしはあなたと共にいる。嵐の中に浮かぶ小舟の中にいてもあなたを見守っている」とパウロに語られたのです。聖書の中には、そのような神の約束がたくさん出ています。たとえば、ヘブル人への手紙13章5節には、「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」とありますし、マタイの福音書の最後28章20節のところにも、「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」とあります。また、ヨハネの福音書14章16節のところにも、「 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。」とあります。
聖書は繰り返し繰り返し、私たちがどこにいようとも神が私たちと共にいてくださると教えています。そして、神が私たちと共にいてくださるならば、私たちが何かを一人で切り抜けなければならないということはありません。どんなに苦しいところを通らされていても、神は私たちとともにいてくださるのです。
以前にも紹介したことがありますが、マーガレット・F・パワーズが書いた「あしあと」という詩は、この事実をよく思い出させてくれます。
ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、
あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
わたしと語り合ってくださると約束されました。
それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
ひとりのあしあとしかなかったのです。
いちばんあなたを必要としたときに、
あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
わたしにはわかりません。」
主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。
わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。
ましてや、苦しみや試みの時に。
あしあとがひとつだったとき、
わたしはあなたを背負って歩いていた。」
皆さん、主はいつも私たちとともにいてくださる方なのです。どんなことがあっても、見捨てたり、見離したりすることはありません。ですから私たちは、この方に心から信頼することができるのです。
二つ目にパウロは、神の目的を確信していました。24節をご覧ください。ここには、「こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』」とあります。神はパウロに、「わたしはあなたの人生に計画を持っている。あなたが今、この船に乗っているのは偶然ではない。ある目的のためにわたしがあなたをこの船に乗せたのだ。わたしがあなたの人生に持っている目的は、あなたが今経験している嵐をはるかに超えたところにある」と言われたのです。
クリスチャンは、ある意味での「運命」というものを信じています。人の誕生にはさまざまな事情があるにせよ、偶然に生まれて来た人など一人もいません。みな何らかの特別な目的を持って生まれて来たのです。神は、私たちの人生に対してその特別の目的とご計画を持っておられるのです。ですから、たとえその人生に激しい嵐が吹き付けようとも、それは目的の実現に向けた一時的な停滞でしかありません。もし私たちがこの神のご計画を自ら拒むのでなければ、私たちの人生に対する神の究極的なご計画を変えることができるものは何一つ存在しないのです。そしてその神のご計画というものは、今私たちが直面している問題を超えたところにあるのです。ですから、私たちが見なければならないのはこの神の目的なり、計画なのであって、直面している問題にではないのです。そうでないと、あの船員たちのように何もかも捨て、あてもなくさまよってしまうことになってしまうのです。そして、その先にあるのは何かというと絶望です。ひとたび目標を失ってしまうと、私たちは、自分が何のために生きているのかがわからなくなり、目的もなくたださまよってしまうことになってしまうのです。
危機的な状況の中でもパウロが確信を持ち続けることができた第三の理由は、彼が神の約束をしっかりと握りしめていたことです。25節をご覧ください。ここには、「ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。」とあります。主がパウロに告げられたこととは何でしょうか。それは前の節に記されてあるように、「あなたは必ずカイザルの前に立つ」ということです。それはあの23章11節のところで語られた主の約束でもありました。
「その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない」と言われた。
パウロはこの約束のみことばを握りしめていたので、嵐と漂流という絶望的な状況の中にあっても、恐れと不安の中にある人々に向かって、「恐れてはならない」「元気を出しなさい」と語りかけることができたのです。この神の約束は決して破られることはありません。たとえ嵐が吹き付けようと、荒波にもまれようと、消えてしまうものではないのです。必ず実現するのです。
私たちクリスチャンがこの世に生かされていることの大切な使命の一つは、このことではないでしょうか。どんなに厳しい危機的な状況に絶たされても、この神の臨在と神の目的、神の約束を信じて、希望を抱き続けることです。
「約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。」(ヘブル10:23)
そしてただ希望を告白するだけでなく、その希望に立って、先の見えない不安にとらわれ、絶望の淵に立たせられている人に向かって「さあ、元気を出してください」と慰め、励ましを与えなければなりません。しかもそれは何の根拠もない空元気でも、単なる一時的な気休めでもない、確かな主の約束に基づいた励ましであり慰めであります。私たちにはそのような希望と力が与えられているのです。
Ⅲ.人生の艱難を乗り越えて(27-44)
ですから第三のことは、こうやって人生の艱難を乗り越えましょうということです。27~44節までのところを見てみましょう。まず27~29節をご覧ください。
「十四日目の夜になって、私たちがアドリヤ海を漂っていると、真夜中ごろ、水夫たちは、どこかの陸地に近づいたように感じた。水の深さを測ってみると、四十メートルほどであることがわかった。少し進んでまた測ると、三十メートルほどであった。どこかで暗礁に乗り上げはしないかと心配して、ともから四つの錨を投げおろし、夜が明けるのを待った。」
さて、この漂流の結末はどうなったでしょうか。27節をみると、14日目の夜になって、アドリヤ海を漂っていましたが、水夫たちはどこかの陸地に近づいているように感じました。そして水深を測ってみると、40メートルであることがわかりました。もう少し進んでまた測ると、30メートルであることがわかりました。それはこの危機的な状況からの脱出を意味していました。しかしそのように水深がだんだんと浅くなるとまた別の心配も生まれました。どこかの暗礁に乗り上げはしないかという心配です。真夜中に船が暗礁に乗り上げたら、船が座礁してしまいます。そこで彼らは、「ともから四つの錨を投げおろし、夜が明けるのを待」つことにしました。もう以前の彼らとは違います。パウロの確信に満ちた励ましによって、自分たちがどうしたらいいのかを冷静に考えることができるようになり、適切な行動をしました。彼らは錨をおろして、夜が明けるのを待ったのです。自分の思い、考えによって判断して行動するのではなく、神の真実の上に錨をおろし、夜が明けるのを待ったのです。それがどうして正しい判断であったかは、その後どうなったかを見ればわかります。39節には、夜が明けて光が差し込んで来たとき、どこの陸地かわかりませんでしたが、砂浜のある入り江が目に留まったので、そこに船を乗り入れることにしました。船は浅瀬に乗り上げて座礁してしまいましたが、それでももう陸にも近かったので、276人全員が無事に陸地まで泳いでたどり着くことができたのです。主がパウロに約束された通りにです。
私たちの人生に嵐が吹き荒れるとき、それを乗り越えるために重要なことは、どこに錨をおろすのかということです。嵐に遭ったときの最も安全な方法は、神の上に錨をおろすことです。詩篇125篇1節に、
「主に信頼する人々はシオンの山のようだ。ゆるぐことなく、とこしえにながらえる。」
とあるように、神に信頼し、神の上に錨をおろすなら、どんな嵐の中にあっても揺るぎない確信を持つことができるでしょう。どんな嵐も、私たちと神との間をさえぎることはできないのです。神が共におられることを信じ、神が私たちの人生に目的を持っておられること、そして、みことばの約束が与えられていることを忘れないでください。もしかすると皆さんにも今、ユーラクロンのような嵐が吹きつけているかもしれません。しかし、それがどんな嵐であろうとも、必ずそれを乗り越えることができるのです。無事に陸地にたどり着くことができるのです。この神に信頼して人生の荒波を乗り越えていきたいものです
使徒の働き26章24~32節 「信仰の決断」
投稿日: 投稿者: otawara-1
きょうは「信仰の決断」のために何が必要なのかについてお話したいと思います。今お読みした聖書の箇所はアグリッパ王に語ったパウロの弁明に対して、ローマの総督フェストと、アグリッパ王の態度が記されてあるところです。パウロの弁明は、弁明というよりも、弁明という名を借りた伝道説教でした。3節のところでパウロは、「どうか、私の申し上げることを、忍耐をもってお聞きくださるよう、お願いします。」と言って話を始めましたが、それは23節をもってクライマックスを迎えます。すなわち、「キリストは苦しみを受けること、また、死者の中からの復活によって、この民と異邦人とに最初に光を宣べ伝える、」ということです。パウロのメッセージの中心は、キリストの十字架と復活でした。しかも、これは天からの啓示によるものでした。その啓示によってパウロは、旧約聖書に記されていたメシヤ、すなわち救い主は、この十字架と復活のキリストでなければならないということがわかったのです。パウロはそのことを、自分の過去の生き方から始めて丁寧に説明したのです。
さて、その話を聞いたアグリッパ王は、どのように応答したでしょうか。きょうはこのアグリッパ王と総督フェスト、それからパウロのことばから、信仰の決断のために必要な三つのことをお話したいと思います。第一のことは、真理に従うという姿勢です。ほかの人がやっているかどうかといった物差しではなく、あくまでもそれが真理であるかどうかを考え、それが真理ならば周りが何と言っても従うという姿勢が大切なのです。第二のことは、幼子のように素直に信じるということです。そして第三のことは、神の恵みに目を留めることです。
Ⅰ.まじめな真理のことば(24-25)
まず第一に、真理に従うということについて見ていきたいと思います。24~25節ををご覧ください。
「パウロがこのように弁明していると、フェストが大声で、「気が狂っているぞ。パウロ。博学があなたの気を狂わせている」と言った。するとパウロは次のように言った。「フェスト閣下。気は狂っておりません。私は、まじめな真理のことばを話しています。」
パウロの伝道説教のような弁明が佳境にさしかかろうとしていたその時、突然フェストが大声で叫びました。「気が狂っているぞ。パウロ。博学があなたの気を狂わせている・・」と。この時パウロはフェストに語っていたのではなく、アグリッパ王に語っていたのですから、このように途中でことばをさしはさむということは筋違いであり、失礼なことであるのに、彼はなぜこんなことを言ったのでしょうか。パウロが語っていたことが理解できなかったからです。パウロが語っていることが理解できなかったので、その復活について辛抱強く聞いているのが辛かったのだ思います。ローマ人であったフェストにとって、復活それ自体が別次元のような話でした。ですから彼は、パウロの博学が彼の気を狂わせていると言ったのです。本当は自分が理解できないのが問題なのに、彼はそれをパウロのせいにしました。パウロが異常なことを言っているので理解できない・・と。これが人間の姿です。人は自分が理解できないことは、人のせいにするのです。自分の中に問題があって理解できないでいるのに、自分が理解できないのは、その内容が難しいからだとか、それを語っている人がまともでないからだと、ほかの人のせいにしようとするのです。しかし本当の問題は、ほかのだれかとか、ほかのどこかにあるのではなく自分自身にあるのに、それを認めたくないのです。
それに対してパウロは何と言ったでしょうか。25節、パウロは次のように言いました。「フェスト閣下。気は狂っておりません。私は、まじめな真理のことばを話しています。」パウロは、自分が気違いだなんて思っていませんでした。もちろん、だれも自分が気違いだなんて思っている人はいないでしょう。しかし彼にはそのように言える根拠がありました。それは彼が、「まじめな真理のことば」を話していたことです。「まじめな」ということばは(ソーフロスュネー)、「気が狂った」とか「異常」に対する「正常」のことで、「正気な」とか「健全な」という意味のことばです。パウロが話していたことはフェストにとっては異常なことばのようだったかもしれませんが、正常で、健全な真理のことばでした。一般的に人は、それが意味のない風習であってもみんながやっているのにやらないと、異常だとか、変な人だというレッテルを貼りたがります。そういうおかしな物差しを持っているのです。ですから、「氏神のお祭りの寄付を断るなんて、それでも日本人ですか」なんて言われるのです。
私が福島にいたとき、町内会の方が氏神のお札を配るために来られました。家は教会ですよ。なのに「これ、お札です。千円ですが、よろしくお願いします」と持って来られたのです。何と言ってお断りしようかと悩みましたが、「私の家はキリスト教なのでお札はいらないんです。申し訳ありません。」と言ってお断りしました。しかし、そのように言ってもなかなか理解してくれません。「キリスト教というのは頭がおかしいんだ。氏神様に寄付できないって言うんだから・」と言うのです。でも頭がおかしいのは氏神様なんです。なぜなら、信仰は自由だと憲法でもちゃんと唱っているではないですか。なのに氏神様に寄付を強要するとしたら、それこそ憲法違反ではないですか。
そもそも日本では行動の基準が正しいかどうかということではなく「長いものに巻かれろ」式の考えにあるのであって、みんながやってることをしないことがおかしいと考えられているところにあるのです。
しかし、クリスチャンは違います。みんながやっているかどうかではなく、それが真理であるかどうかが問われるのです。それが真理で、正しいことだから従う、それがクリスチャンの行動の基準です。真理でなかったら、どうしてそれが安全だと言えるでしょうか。イエス様はこのように言われました。マタイの福音書7章13,14節です。
「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」
滅びに至る門は大きく、その道は広いのです。そして、そこから入って行く人が多いのです。しかし、みんながやっているからそれが必ずしも正しいとは限りません。いのちに至る門は小さく、その道は狭いのです。それを見いだす者はまれです。しかし、真理こそ人を救うのです。たとえ多くの人からそっぽを向かれ、囚人のくせに何を言うのかとあざ笑われても、真理は洋の東西を問わず、動くことのないものなのです。たとえ囚人服を着ている者が語ろうが、真理は真理なのです。身分や地位や人数の多さによって真理が決まるのではありません。真理は、それがほんとうに人を救うのかによって確かめられるものです。
「福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」(ローマ1:16)
これこそほんとうの真理であり、私たちが信じるに価するまじめなことば、健全なことばなのです。パウロが語ったのはこの真理のことばだったのです。そして私たちが信仰の決断をするために求められることは、これが真理のことばであるならばこれに従うという姿勢です。
Ⅱ.私をキリスト者にしようとしている(26-28)
第二のことは幼子のように、素直な心で信じるということです。26~28節をご覧ください。
「王はこれらのことをよく知っておられるので、王に対して私は率直に申し上げているのです。これらのことは片隅で起こった出来事ではありませんから、そのうちの一つでも王の目に留まらなかったものはないと信じます。アグリッパ王。あなたは預言者を信じておられますか。もちろん信じておられると思います。」
するとアグリッパはパウロに、「あなたは、わずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている」と言った。」
フェストからの横合いが入り話が一時中断しましたが、パウロはここに再びアグリッパ王に向かって話し始めます。「王はこれらのことをよく知っておられるので、王に対して私は率直に申し上げているのです。」と。パウロは何とかアグリッパ王に信じてほしいのです。そこで、このイエス・キリストの十字架と復活の出来事がどのようなものなのかを説明します。すなわち、それは片隅で起こった出来事ではなく、だれもが知っている出来事であって、そのうちの一つでも王の目に留まらなかったものはないと言いました。イエス・キリストが十字架で死んで、三日目に復活したということは歴史的な事実であって、だれもが知っていることなのです。それは決してキリスト教会が作り上げた神話などではありません。そうした事実から目をそらすということは、自分の生活が崩れていくことになりかねません。なぜなら、私たちの生活というのは、そうした事実の上に成り立っているからです。決して雲の上を歩くようなものではないのです。ですから、そうした事実を受け入れるということは無理なことでなく、自然なことなのです。むしろ受け入れない方がおかしいのです。
そればかりではありません。パウロは続けてこう言うのです。27節、「アグリッパ王よ。あなたは預言者を信じておられますか。もちろん信じていると思います。」ここからパウロは、少しずつ核心部分に入ろうとしています。アグリッパ王がユダヤ人であることを十分承知の上で、そのユダヤ人が人生のよりどころとしている旧約聖書を取り上げ、そこに記されてあることばを信じているはずだと迫るのです。いったいパウロは何を言いたかったのでしょうか。パウロが言いたかったことは、もし彼が旧約聖書をちゃんと信じているのなら、キリストが復活するということも信じるはずであって、信じないという方がおかしいということです。パウロはアグリッパ王が信じていた旧約聖書という共通の土台の上に、自らの論理を展開していこうとしているのです。
これにはアグリッパ王も参りました。もし信じていないと言えば、正統的なユダヤ教徒とは言えなくなり、王としての地位にもひびが入りますし、そうかと言ってそれを受け入れると言えば、パウロの言っているキリストの福音を受け入れざるを得なくなるからです。アグリッパ王は何と言ったらいいか悩みました。悩んだ末にこう言ったのです。28節です。
「するとアグリッパはパウロに、「あなたは、わずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている」と言った。」
アグリッパ王はなぜこのように答えたのでしょうか。「わずかなことば」には*印がついておりますが、下の欄外を見るとここには注意書きが記されてあって、「短い時間で」とあります。ですから、この「わずかなことば」というのがことば数が少ないということなのか、時間的に短いということなのかははっきりわかりません。しかし、29節のところでパウロが「ことばが少なかろうが、多かろうが・・」と言っていることから考えると、どうもことば数が足りない、説明不足であるという意味かのように感じられます。しかし、ことば数が少ないということは時間的にも短いということなので、その両方の意味を含んで言われているのではないかと思います。つまり、「そんなわずかなことばで、短い時間で、簡単に説き伏せようとするのか」ということでしょう。それはアグリッパ王のプライドから生じた反感の気持ちでした。俺はそんなに単純な人間ではない。そう簡単に信じてたまるかといった彼の気持ちが見え隠れしています。しかしその反面、そのわずかなことばで、短い時間でキリスト者になりそうだった、思わず心が動いたというのも事実でしょう。それが彼の正直な思いでした。しかし、アグリッパ王が抱えている様々なもの、たとえば、彼の地位とか、社会的な立場とか、他の人への影響とか、王としてのメンツとか、そうしたものが彼の心を押し戻して、自分の心を打ち消すかのように、「そんなことばで簡単に信じではだめだ」という思いがわき上がってきたのではないかと思います。
私たちの周りには、意外とこのような方が多くいらっしゃいます。いろいろと話を聞くとなるほどと納得させられるところはあっても、そんなに簡単に信じたのでは軽い人間ではないかと思われるのが嫌で、もっと長い時間をかけなければならないと思ってしまうのです。そして少しでも信じそうになると、自分の置かれている立場とか、周りの人たちへの影響といった現実が、信じようとする心を押し戻して、自分の心を打ち消すかのようなことを言うのです。たとえば、「まだ聖書のことがよくわからないから、もっと勉強してから信じます」とか、「まあ、だんだんと、少しずつ勉強します」というふうにです。しかし、短時間であろうと、少しのことばであろうと、簡単なやり方であろうと、クリスチャンになれないことはないのです。入信の方法は人によってみな違うのであって、イエス様を信じたいと思ったらそれを単純に、素直に受け入れることが大切なのです。単純に信じるということはそれだけ軽い人間であるということではなく、それだけ心が素直であるということの証拠です。なぜなら、素直に信じられるかどうかはその人の罪の頑固さいかんにあるからです。なかなか信じて、受け入れられないという人は、罪のためにそれだけ心がかたくなになっているだけなのです。
マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書は比較的似たような内容を記録しているので共感福音書と呼ばれていますが、その三つの福音書に共通して記録されてある出来事があります。それは、あるときイエス様にさわっていただこうと人々がその幼子たちをみともとに連れて来た時の話です。それを見た弟子たちはしかりました。とても忙しい先生を煩わせてはいけないと思っての配慮だったのでしょう。しかしイエス様はこのように言われました。
「子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。」
(ルカ18:16~18)
皆さん、神の国はこのような者たちのものです。幼子のように、素直に受け入れる心がないと入れないです。
またヘブル人への手紙4章7節には、「きょう、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。」とあります。もし御声を聞くなら、心をかたくなにしてはいけないのです。皆さんはいかがですか。福音のことばを聞くとき、どのようにそれを受け止めているでしょうか。アグリッパ王のように、「あなたはわずかなことばで、わたしをキリスト者にしようとしている」とごまかしますか。あるいは、あのアテネのアレオパゴスでパウロが語った時、それを聞いた人たちが「このことについては、またいつか聞くことにしよう」と言って相手にしなかったような態度を取るでしょうか。あるいはついちょっと前に出てきた前総督のペリクスとその妻のドルシラのように、「今は帰ってよい。おりを見て、また呼び出そう」と言ったように、いたずらに時間を延期するでしょうか。信仰において一番肝心なことは、信仰を一般論として語ったり、論じたり、いいかげんな避難を浴びせたり、だれかを批判したりすることによって、このまじめな問題をごまかしたり、延期したりするのではなく、それを自分の問題として受け取り、まじめに向き合うことです。そして、心をかたくなにしないで、幼子のように単純に、素直に受け入れることなのです。
Ⅲ.神の恵みに目を留める(29)
第三のことは、神の恵みに目を留めるということです。29節をご覧ください。「あなたは、わずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている」というアグリッパに対して、パウロは何と言ったでしょうか。彼は次のように言いました。
「ことばが少なかろうと、多かろうと、私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです。」
これは非常に大胆なことばだと思います。鎖につながれた囚人パウロが、王や総督を前にして、「ことばが少なかろうと、多かろうと関係ない。私が願っていることは、鎖は別として、みんな私のようになることだ」と言い切っているからです。私たちはなかなか「私のようになってください」なんて口が割けても言えません。昔から「でもクリ」「へそくり」「こそくり」などと、クリスチャンに対して言われます。「それでもクリスチャン」、「これこそクリスチャン」、果たして自分はどちらだろうかと思ったりもしますが、「これこそクリスチャン」と言える人はそんなにいないのではないでしょうか。しかしパウロは大胆にも、「私のようになってください」と言うのです。いったい彼はなぜそのように言うことができたのでしょうか。それは彼が模範的なクリスチャン、模範的な伝道者、模範的な人格者だったからではないのです。そうではなく、彼が「私のようになってください」とか「私にならう者になってください」と言うことができたのは、まさにここでアグリッパ王を前にして語ったあの光の経験があったからなのです。つまり、キリストを迫害していた者がキリストを宣べ伝える者に、サタンの支配にいた者がキリストの支配の中に生かされる者になったという、その恵みの事実があったからなのです。そうした感謝以外の何ものでもありません。こんな私が、こんな罪深い私が、それでもこうして救われて、光の中を生かされている。その喜びと感謝です。それがパウロをして「私のようになってください」と言わしめていたのです。
かつて奴隷船の船長だったジョン・ニュートンは、奴隷たちを運んでアフリカから英国に戻る途中に大嵐に会い、命からがら助かったとき、二つの事実がよくわかったと言います。一つは、自分がどんなに汚れた者であるかということ、そしてもう一つのことは、そんな汚れた自分を救うのに、神がどんなにあわれみ深い方であるかということです。そして彼はその出来事から数年後に奴隷船の船長の仕事を辞め、パウロのようにキリストの福音を伝える伝道者になりました。そして、神の恵みがどれほど大きいのかを自らの体験を通して語ったのです。それが「アメージング・グレース」です。
弁護士になるために東京で勉強していたある方がクリスチャンになり、やがて献身することになりました。あるとき彼はそのことを両親に告げるために帰省しました。そして、自分がどのように救われたのかを打ち明けたのです。何とか親に理解してもらおうと必死で話したのですが、彼が弁護士になることを夢見ていた両親は顔色を変えてしまいました。父親は興奮して「でたらめ言うな!そんな作り話!」と怒鳴り、母親からは「気でも狂ったのか?」となじられました。
そんなある日のデボーションで、親の気持ちを少しも思いやっていなかった自分に気づかされ、悔い改めて、両親に手紙を書きました。これまで自分を育ててくれたことへの感謝。両親を愛しているにもかかわらず、期待を裏切ってしまったことへの謝罪。しかしこの決心を翻すことはできないこと。そして、最後にこう書き添えました。「私はイエス・キリストを信じて罪赦され、自分の心と人生に本当の自由と喜びを得ることができました。お父さん、お母さんにもこの喜びを得てほしい。いや、すべての人に得て欲しい。そのための働きを生涯の仕事にしたいと思ったのです。いつかきっと理解していただける日が来ると信じています。」手紙を投函した翌日、父親から電話がありました。「手紙、ありがとう。何度も読ませてもらったよ。君の言いたいことはよくわかった。その道で頑張りなさい!」こうして彼の献身がきっかけとなり、30年近く教会から離れていた父親の信仰も回復されていったのまでした。
「わたしのようになってください」それは救われた者の切なる願いではないでしょうか。驚くほどの神の恵みを体験させていただいた者として、そのように変えられた喜びと感謝が、そのような恵みの事実が、このようなことを言わしめたのです。
皆さんはどうですか。アグリッパ王のように自分のプライドが邪魔をしたり、周りの目が気になったり、本当は心の中で信じたいのに、それらのことが足を引っ張ってなかなか信仰の決断に踏み切れないという方がおられるかもしれません。けれどもそのようなことの理由で、このすばらしい恵みから遠ざかろうとするのは賢明な判断とは言えません。パウロを見れば鎖につながれていてもその恵みにいた方が幸いであることははっきりと分かります。これは闇から光へ、死からいのちへ、滅びからいのちへと移される大きな決断なのです。その決断の時は今です。
「確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」(Ⅱコリント6:2)
この決断の時を逃すことなく、光の招きに応じて救いの恵みにあずかっていただきたいと切に願ってやみません。
使徒の働き26章1~23節 「天からの啓示にそむかず」
投稿日: 投稿者: otawara-1
きょうは「天からの啓示にそむかず」というタイトルでお話したいと思います。今読んでいただいた箇所は、アグリッパ王の前におけるパウロの弁明が記されてあるところです。アグリッパ王とその妹のベルニケがローマの総督フェストを訪れた時フェストがパウロの話を持ち出すと、アグリッパ王が是非ともパウロの話を聞きたいと申し出たので、彼の前にパウロが連れて来られたのです。この弁明の中でパウロが言いたかったことは何だったのでしょうか。19,20節をご覧ください。
「こういうわけで、アグリッパ王よ、私は、この天からの啓示にそむかず、ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤの全地方に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと宣べ伝えて来たのです。」
パウロが言いたかったことは、このことではなかったかと思うのです。それは、パウロがなぜ彼がキリストの福音を宣べ伝えてきたのかということです。それは天からの啓示だったからです。ですからパウロはこの天からの啓示にそむかず、ダマスコにいる人々をはじめ、ユダヤ地方にいる人々にも、さらには、異邦人に至るまで、すべての人に悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと宣べ伝えてきたのです。
きょうは、この「天からの啓示にそむかず」ということについて、三つのことをお話したいと思います。まず第一のことは、とげのついた棒をけることは痛いことであるということです。第二のことは、ではパウロが受けた天からの啓示とはどんなものだったのでしょうか。第三のことは、だからこの天からの啓示にそむかずにということです。
Ⅰ.とげのついた棒をけることは痛い(1-14)
まず第一に、とげのたいた棒をけることは痛いことだということについて見ていきたいと思います。1節から14節までのところに注目していただきたいと思います。まず1節から3節のまでをご覧ください。
「すると、アグリッパがパウロに、「あなたは、自分の言い分を申し述べてよろしい」と言った。そこでパウロは、手を差し伸べて弁明し始めた。「アグリッパ王。私がユダヤ人に訴えられているすべてのことについて、きょう、あなたの前で弁明できることを、幸いに存じます。特に、あなたがユダヤ人の慣習や問題に精通しておられるからです。どうか、私の申し上げることを、忍耐をもってお聞きくださるよう、お願いいたします。」
まずパウロはアグリッパ王に対して、自分がユダヤ人に訴えられていることについて弁明できることを幸いに存じます、と礼儀正しく、丁寧に語り出します。それは彼の中に、このことが福音をあかしできる絶好の機会であるという思いがあったからでしょう。使徒9章15節には、パウロがダマスコ途上で回心した時に、主がアナニヤを通して語られたことがが記されてあります。
「しかし、主はこう言われた。「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。」
このことばのとおりに、今やパウロは、アグリッパ王の前でキリストをあかしする機会が与えられたのです。それは主がアナニヤを通して語られた預言の通りでした。鎖につながれた囚人であろうが、興味本位からの尋問であろうが、それが福音を語る機会になるのであれば、パウロにとって「幸い」なことだったのです。それはパウロだけのことではありません。私たちも同じです。私たちも時としてつまらぬ誤解や中傷を受けたり迫害にあったりすることがありますが、それがどんなことであれ福音を宣べ伝える機会としてとらえることができたら、どんなに幸いなことかと思うのです。
さて、このような感謝を述べた後で、パウロが語った弁明とはどんなものだったのでしょうか。4節から11節までのところです。
「では申し述べますが、私が最初から私の国民の中で、またエルサレムにおいて過ごした若いときからの生活ぶりは、すべてのユダヤ人の知っているところです。
彼らは以前から私を知っていますので、証言するつもりならできることですが、私は、私たちの宗教の最も厳格な派に従って、パリサイ人として生活してまいりました。そして今、神が私たちの父祖たちに約束されたものを待ち望んでいることで、私は裁判を受けているのです。私たちの十二部族は、夜も昼も熱心に神に仕えながら、その約束のものを得たいと望んでおります。王よ。私は、この希望のためにユダヤ人から訴えられているのです。神が死者をよみがえらせるということを、あなたがたは、なぜ信じがたいこととされるのでしょうか。以前は、私自身も、ナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきだと考えていました。そして、それをエルサレムで実行しました。祭司長たちから権限を授けられた私は、多くの聖徒たちを牢に入れ、彼らが殺されるときには、それに賛成の票を投じました。
また、すべての会堂で、しばしば彼らを罰しては、強いて御名をけがすことばを言わせようとし、彼らに対する激しい怒りに燃えて、ついには国外の町々にまで彼らを追跡して行きました。」
パウロがまずアグリッパ王に申し上げたかったことは、自分が、王もよく承知しているユダヤ教の党派の中でも最も厳格だと言われているパリサイ派に属し、その教えに従って生活してきたという事実です。それはすべてのユダヤ人が知っていることです。ところが、妙なことに、パウロがこのパリサイ派の教えに従い、先祖たちが得たいと望んでいた約束のもののことで訴えられているのです。その約束のものとは何でしょうか。それはイスラエルの12部族が、夜も昼も熱心に神に仕えながら得たいと望んでいたもので、死者の復活のことです。8節をご覧ください。
「神が死者をよみがえらせるということを、あなたがたは、なぜ信じがたいこととされるのでしょうか。」
それは確かにユダヤ人であるなら、サドカイ人たちのような一部の人たちを除いてみな望んでいたものでした。にもかかわらず、あのナザレ人イエスが復活したという知らせの前には、たちまちつまずいてしまったのです。
不思議ですね。死者の復活という希望を待ち望んでいた彼らが、いざイエスが復活したとなると受け入れられなかっただけでなく、そのように主張する人たちに激しく敵対したというのですから。
それはパウロ自身も同じでした。9節、彼も「以前は、ナザレのイエスの名に強硬に敵対すべきだと考えていました。」いや考えただけではありません。10節、「それをエルサレムで実行しました。」どんなふうに?「祭司長たちから権限を授けられたパウロは、多くの聖徒たちを牢に入れ、その人たちが殺される時には、それに賛成の票を投じました。」それだけではありませんよ。11節、「また、すべての会堂で、しばしば彼らを罰しては、強いて御名をけがすことばを言わせようとし、彼らに対する激しい怒りに燃えて、ついには国外の町々にまで彼らを追跡して行」ったのです。
あれほど死者の復活を信じ、その希望を待ち望んでいたパウロでしたが、ほんとうにイエスが復活したと聞くと、その事実を否定しただけでなく、そうした教えにつまずき、激しく反発したのです。彼は頭ではそう信じていましたが、いざそれがほんとうに起こったということを聞くと、納得することができなかったのです。なぜでしょうか?それは彼の中にある一つの思いこみがあったからです。すそれは十字架です。十字架につけられて死んだイエスがメシヤであるはずがないという思いこみです。というのは、旧約聖書には、「木にかけられる者はのろわれたものである」(申命記21:23,ガラテヤ3:13)と書かれてあるからです。神にのろわれて死んだはずのイエスが復活したということを、どうやって信じろというのか。確かに旧約聖書には、そのようなことが預言されていました(イザヤ53章4~6節など)が、まさかメシヤに限ってそんなことがあるはずがないと思い込んでいたのです。
皆さん、ここにキリストのつまずきがあります。しかしここにこそ、キリストの福音もあるのです。なぜなら、苦しみとのろいを受けて私たちの身代わりとなり、そしていのちへとよみがえってくださったからこそ、死者の復活がほんとうの希望に変わるからです。これは不条理なことのようですが、しかし、このキリストの不条理を信じなければ、私たちのような者が希望を持つということは、それこそ成り立たないものなのです。
デンマークに、キルケゴールという哲学者がいましたが、彼は、こんな言葉を残しています。
「キリスト教には大きなつまずき(十字架と復活のこと)がある。もしも、キリスト教が十字架と復活を言わなかったならば、良い教えだと人は集まって来るかもしれない。けれども、そこには救いはない。キリスト教の救いというのは、このつまずきの前に人間が粉々にされて、謙虚になって、そのつまずきを信じることによって乗り越えさせていただくものだからである。分かることによって乗り越えるのではない。粉々に打ち砕かれて、自分とは何と無知な者であるかということが分かって、このつまずきは乗り越えられるのだ。」
ある意味で理解できないことや、私たちの頭で説明できないことは、とてもいらいらすることですが、神のことばがそう言っている以上、私たちは幼子のようにへりくだって自分のプライドを捨てて、主の前にひざまずいて信じること、それ以外に救いの道はないのです。
そんなパウロが砕かれる出来事が起こります。彼がダマスコに向かっていた途中、その復活の主イエスに出会ったのです。12節から14節です。
「このようにして、私は祭司長たちから権限と委任を受けて、ダマスコへ出かけて行きますと、その途中、正午ごろ、王よ。私は天からの光を見ました。それは太陽よりも明るく輝いて、私と同行者たちとの回りを照らしたのです。私たちはみな地に倒れましたが、そのとき声があって、ヘブル語で私にこう言うのが聞こえました。『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。』」
ダマスコ途上でのパウロの回心物語の記述は、9章、22章に続いてこれで3回目です。しかし、それぞれそれが語られたときの対象や背景が違うので、その内容も微妙に違っていることに気づきます。その一つがこのところには、復活の主イエスがヘブル語でパウロに語りかけたことばが記されてあることです。これは今までの回心物語には記されていなかったことでした。それは、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。」ということばです。これはいったいどういう意味でしょうか。
この表現は、牛を仕事に追いやる時に使ったとげのあるむちのことです。農夫は牛に鋤(すき)を付け畑を耕しますが、その時農夫は、牛のうしろから左手で操縦して歩かせます。その際に右手には、2,3メートルもあるこの「とげのついた棒」を持ちました。そして牛が立ち止まったり脱線したりするとこの棒でたたいたのです。牛がが生意気に反抗して、「なんだ!この棒は!」なんて言って(言いませんが・・)その棒を蹴ると、「あ、痛い~」ということになるわけです。しょせん牛は、農夫の意のままに歩かせられることになります。この時、イエス様がサウロに、「とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ」と言われたのは、どんなにパウロがいきり立って神に反抗し、キリスト教を迫害しても、それは結局、とげのついた棒をけることと同じだというのです。痛い傷を受けるばかりで、罪に沈むばかりだというのです。
それはまさにパウロが19節のところで言っている「天からの啓示にそむく」ことなのです。とげのついた棒をけることは、あなたにとって痛いことなのです。私たちはこれまで何度かそのような経験があるのではないでしょうか。「とげのついた棒」をけってでも、「我が道を行く」と、自分のやりたいように、進みたいようにと進んだということが・・。その結果はどうだったでしょうか。傷いたり、痛んだりと、かえって不幸になったりしたのではないでしょうか。とげのつい棒をけることは痛いことなのです。そうしたことはほんとうに自分を幸福にはしません。神様には神様のみこころがあり、私たちを歩ませたい道があるのだということを覚え、その道を歩むことが人間にとっての本来の姿であり、一番自然で、一番幸福なことなのです。では、その道とはどんな道なのでしょうか。
Ⅱ.天からの啓示(15-18)
第二のことは、パウロに与えられた天からの啓示、神の道について見ていきたいと思います。15節から18節までをご覧ください。まず15節をご覧ください。
「私が、『主よ。あなたはどなたですか』と言いますと、主がこう言われました。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」
パウロが、「主よ。あなたはどなたですか」と言うと、主はこう言われました。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」と。これはいったいどういうことでしょうか。パウロにとってナザレのイエスが神の子だの、救い主(キリスト)だのと言うことは神を冒涜することであり、絶対に許せないことでした。だからこそ彼はダマスコにまでやって来て、イエスをそのように主張する者たちを縛り上げ、処罰しようと思ったのです。なのに、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」と言うのです。これは彼が理解していたことが決定的に誤りであったことを示すものでした。ナザレのイエスが神の子、キリストであるはずがないと思っていたのに、そのイエスが実は神の子であったというのです。それは彼がどのように考えても理解できることではありませんでした。それは天からの啓示だったのです。
「啓示」とは、カーテンを開いて隠れていた物を示すことです。自分の探求ではどうしてものぞき込めない神秘を、神からの一方的な恵みによって示していただくことです。人の考えでも、超自然的な哲学によっても、あるいはパリサイ派の神学によってもわからなかったことが、この「天からの啓示」によって、わからせていただいたのです。パウロにとってはこれまで、イエスが神の子であるということを理解することができませんでした。彼の頭でどんなに考えても、そうした理解は生まれてこなかったし、福音の本質についても的外れの理解しか得られませんでした。そうした彼の理解を決定的に変えたのは何か。そう「天からの啓示」だったのです。その主がこのように言われたのです。16節から18節です。
「起き上がって、自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたが見たこと、また、これから後わたしがあなたに現れて示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らの罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』」
ここには9章や22節にはなかった主イエスのことばが記録されています。それは復活の主がパウロに現れた理由と、さらにはその目的です。復活の主イエスがパウロに現れなさったのはいったいどうしてだったのでしょうか。それは彼のメシヤについての理解を正すということだけではありませんでした。そのようにメシヤについての理解を正すと同時に、彼が見たこと、経験したこと、あるいは、これから主が彼に示そうとしていることについての証人として、人々のところに遣わすためだったのです。それは何のためでしょうか?それは、彼らの目が開かれ、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らの罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためです。
これがパウロに示された天からの啓示でした。ですから、パウロの正しい福音の理解と伝道に対する情熱というのは、決して人間的な熱心さによってもたらされたものではないのです。それは一方的な天からの啓示によって示されたものなのです。
このことは、私たちの救いや伝道についても言えることではないでしょうか。私たちが自分の頭でどんなにあがいてみても、正しい福音の理解は得られません。正しい福音の理解は、天からの光に突然出会い、地に倒される時から始まるのです。それまで生きるよりどころとしてきた古い考えや思想、自我にまみれた古い生活習慣というものが、この天からの啓示によって一瞬のうちに倒されることによってもたらされるのです。聖書ではそのことを何というかというと「砕かれる経験」と言います。
かつてヤコブは神の祝福をいただくために、この経験をしなければなりませんでした。それは創世記32章に記されてあります。兄エサウが出迎えるという知らせを聞いて不安で不安で眠れぬ夜を過ごすのです。その時彼は一晩中神との格闘を経験しました。彼はもものつがいを打たれ足を引きずらなければならなくなりましたが、その経験が彼を真の意味で神の器に変えたのです。このように、神の祝福を新しく体験するためには、自分自身が自己破産し砕かれなければならないのです。
イエス様はニコデモに対して、「人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ3:3)と言われました。「人は新しく生まれなければ、神の国を見る」ことはできないのです。この「新しく」ということばは「上から」という意味です。人は「上から」生まれなければ神の国を見ることはできないのです。
パウロは「上から」、つまり「天から」の圧倒的な力と啓示によって生まれ変わり、そして新しく生きる方向を見いだしたのです。また、彼の伝道に対するあれほどの熱心さも同じです。私たちも上からの恵みと力によって生まれるのでなければ、新しく生まれることはできません。上から示されたものでなければ熱心に伝道することができないのです。
Ⅲ.天からの啓示にそむかず(19-23)
ですから第三のことは、天からの啓示にそむかないでということです。19節から23節までをご覧ください。
「こういうわけで、アグリッパ王よ、私は、この天からの啓示にそむかず、ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤの全地方に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと宣べ伝えて来たのです。そのために、ユダヤ人たちは私を宮の中で捕らえ、殺そうとしたのです。こうして、私はこの日に至るまで神の助けを受け、堅く立って、小さい者にもあかしをしているのです。そして、預言者たちやモーセが後に起こるはずだと語ったこと以外は何も話しませんでした。すなわち、キリストは苦しみを受けること、また、死者の中から復活によって、この民と異邦人とに最初に光を宣べ伝える、ということです。」
ですからパウロは、この天からの啓示にそむかず、ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤの全地方に、さらには異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと宣べ伝えてきたのです。パウロの伝道の根拠は、この「天からの啓示」によるものだったのです。彼の生涯における転換は、熟慮に熟慮を重ねた結果もたらされたのではありません。それはただ天からの啓示によるものでした。また、彼がダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々にも、またユダヤの全地方に、さらには異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと宣べ伝えてきたのは、それが天からの啓示だったからなのです。彼はその天からの啓示にそむくこともできまましたが、そむかないで、その道に従うことを選択したのです。
皆さん、ここが重要です。この天からの啓示というのは、それに従うこともできれば、そむくこともできます。イエス様は、「とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ」と言われましたが、「けることができない」とは言われませんでした。けったら痛いですが、けることもできるわけです。つまり、天からの啓示は、「そむかずに」信じて従うか、それとも「ける」かといった選択は、私たちにゆだねられているのです。パウロはそむかないで従いました。皆さんはどうでしょうか。もし傷ついたり、痛みを受けたりしたくなければけるのをやめて、この「天からの啓示にそむか」ないという決心をしなければなりません。信じて、罪の赦しをいただき、わがままな歩みではなく、御国の福音に生きる必要があります。それは一見、不自由なように見えるかもしれません。今までの自分なりの考え方を捨てたり、わがままな生き方ではなく、教会という交わりの中で生きるわけですから。しかし、その棒こそ、実は私たちを一番幸せにしてくれるものなのです。天からの啓示にそむかず、ただ神が示してくださる道を、ただひたすらに進む行く者でありたいと思います。
最近、勝本正實(かつもと まさみ)という牧師が書かれた「病める社会の、病める教会」という本を読みました。これは深刻な問題を抱えやんでいる社会の闇の中で、主の群れである教会が輝くための秘訣を探るというものですが、「1%の壁を越えられない理由」という項目があり、とても考えさせられました。
「これは多くの教会が悩み、努力している課題である。江戸末期から今日まで、多くの人々の人生と財が注ぎ込まれ、祈りがささげられてきた。宣教師も牧師も信徒も、いいかげんな伝道をしてきたわけではない。にもかかわらず、日本のクリスチャン人口は1%の壁を越えることができない。信じる人が与えられても、去っていく人もいる。信仰を持つ人が少ない理由が問われると同時に、信仰から離れていく人が多い理由についても問われる必要がある。まず信仰を持つ人が少ない理由について考えてみよう。
①宗教に関心がない人が多いことが考えられる。
②世の中には楽しみや興味をそそるものが多くある。
③日本は仏教や神道が根を張っていて、キリスト教を必要としない。
④キリスト教の信仰内容である唯一神や道徳性の厳しさが避けられている。
⑤日本人は多重信仰であり、キリスト教のみの考え方を嫌う。
⑥教会の存在がまだ日本人には縁遠い所である。
⑦せっかく教会に来られても魅力に欠ける。
・・・(信仰から離れていく人が多い理由についてはカット)
以上挙げた理由は、私たちが身近な人で見聞きしたことであり、本などで記されている理由である。
いくつかの理由が重なって信仰に進めない、信仰から離れてしまうことが起こっているだろう。しかし私は、最も大きな理由は、私たちの外にではなく、私たち自身の内面にあるのではないかと思っている。それは「愛」の問題である。私たちの愛には打算がある。それは世の中の人も同様である。愛が際だつということは、それがキリストの愛、犠牲的な愛へと近づくことである。それがないと心に響かない。たとえ、信仰に入りにくい理由が種々あっても、私たちの愛、祈り、証がそれを上回るなら、人は信仰に価値を見いだし得るのではないか。
また信仰から離れようとする人があっても、私たちが愛が深い者であれば、つまずかせたり、他人事のように知らないふりをしたりできないのではないか。これは私たち自身の内面を問われることである。だから、別の理由をつけて自分とは直接関係がないことのように考えてしまうのではないかと思える。
クリスチャンの愛は、未信者の愛にまさっているのだろうか。愛することは犠牲の伴うことであるため、私たちにはしんどいことでもある。キリストは一人を追い求められるが、教会はその思いを受け止めきれないで、自分のことに心を向けているのが一番の理由ではないかと思える。」(p.105~108)
1%の壁、それはまさにこの天からの啓示に従うかそむくかということにかかっているのではないでしょうか。愛することは犠牲が伴うことですし、しんどいことですが、私たちにはそのような使命が与えられているのです。この天からの啓示にそむかずにこれに従っていくときに、やがてこの壁が崩されていくのではないでしょうか。それは私たち一人一人の信仰の決断にかかっているのです。
使徒の働き25章13~27節 「イエスは生きている」
投稿日: 投稿者: otawara-1
きょうは「イエスは生きている」というタイトルでお話をしたいと思います。きょうのところは、ユダヤの王アグリッパとその妹であるベルニケが、ローマの総督フェストを表敬訪問した時の話です。アグリッパというのは名前は「リッパ」ですが、全然そういうことはありません。この人物は、カイザリヤの隣接地で、当時ローマ皇帝ネロの保護国であったカルプスの王でした。イエス・キリストが馬小屋でお生まれになった時、二歳以下の男の子が皆殺しにされたという有名な話がありますが、それは彼の曽祖父(そうそふ:ひいおじいさん)のヘロデ大王によって為されたことでした。また、バプテスマのヨハネの首を切ったのは彼の叔父に当たるヘロデ・アンテパスです。そして、使徒の働き12章に出てくるヤコブを剣で殺したのは彼の父ヘロデ・アグリッパ1世でした。彼の父は神に栄光を帰することをしなかったので、虫にかまれて死にました。ですからこのアグリッパ王とはヘロデ・アグリッパ2世のことですが、キリスト教とは切っても切り離せない人物でした。そのアグリッパがフェストのところにやって来たのです。その内容はこれまで記されてきたことの繰り返しのようですが、ルカはなぜかこの話を事細かに記しました。いったい彼はなぜこの話をここに記したのでしょうか。それは19節に表されていることを伝えたからではないかと思います。
「ただ、彼と言い争っている点は、彼ら自身の宗教に関することであり、また、死んでしまったイエスという者のことで、そのイエスが生きているとパウロは主張しているのでした。」
つまり「死んでしまったイエス」を、パウロが「そのイエスが生きている」と主張していたということを伝えたかったのではないかと思います。なぜなら、それは福音の中心的なメッセージだからです。いやそれは単なるメッセージだけでなく、それを信じて生きているクリスチャンにとっては喜ばしい希望であり、その人の人生を根本的に変革する力になるからです。
きょうはこの「イエスは生きている」ということについて三つのことをお話したいと思います。第一のことは、イエスは復活し今も生きておられるということです。第二のことは、このメッセージは私たちの生き方を根本的に変えるということです。ですから第三のことは、この復活の信仰に生きましょうということです。
Ⅰ.イエスは生きている(13-19)
まず第一に、イエスは生きておられるということを見ていきましょう。13~19節までのところをご覧ください。アグリッパ王とベルニケがフェストを表敬訪問すると、フェストは自分のもとに捕らえられて長く獄中生活をしたいたパウロの一件を持ち出して次のように言いました。14節からのところです。
「ペリクスが囚人として残して行ったひとりの男がおります。私がエルサレムに行ったとき、祭司たちとユダヤ人の長老たちとが、その男のことを私に訴え出て、罪に定めるように要求しました。そのとき私は、『被告が、彼を訴えた者の面前で訴えに対して弁明する機会を与えられないで、そのまま引き渡されるということはローマの慣例ではない』と答えておきました。そういうわけで、訴える者たちがここに集まったとき、私は時を移さず、その翌日、裁判の席に着いて、その男を出廷させました。訴えた者たちは立ち上がりましたが、私が予期していたような犯罪についての訴えは何一つ申し立てませんでした。ただ、彼と言い争っている点は、彼ら自身の宗教に関することであり、また、死んでしまったイエスという者のことで、そのイエスが生きているとパウロは主張しているのでした。」
囚人パウロについてフェストがアグリッパ王に対して語る事情説明は、これまで23章から25章にかけて見てきた様子の繰り返しとも言えるものですが、この中でフェストは、前任者ペリクスがパウロの裁判を延期してやる気のない態度を見せたのに対して、自分はそうではないと強調します。着任早々時を移さずこの問題の処理にあたってきたからです。しかし、ここで彼らが訴えていたことはフェストが予期していたようなことではなく彼ら自身の宗教に関することであり、また、死んでしまったイエスという者のことで、そのイエスが生きているとパウロが主張していることでした。
私たちはこれまで、たとえば、23章6節や24章15節のところなどで、「死者の復活という望み」についての論争を見てきましたが、それは何のことだったのかというと、イエスの復活のことを指していたのです。つまり、イエスは復活して今も生きているということを念頭にパウロはずっと語っていたのです。なぜこのことが重要だったのかというと、もしそれが事実であればパウロが主張していたことが真実であり、イエスが神の子、救い主であるという決定的な証拠となるからです。死んで終わりならそれまでのことです。しかし、死んで復活したということなると、神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったということであり、それは旧約聖書に預言されていたとおりのことになるのですから、イエスこそメシヤであることの決定的な裏付けにもなるわけです。それだけでなく、それは私たちの生き方にも大きな影響を及ぼすことになるのです。
それこそルカがこの使徒の働きの中で言いたかったことなのでしないでしょうか。私たちはこれまでこの使徒の働きの中でペテロやパウロのメッセージを見てきましたが、その中心は何だったのかというと、キリストはよみがえられ、生きておられるということです。「キリストはよみがえられて、また死なれた」というのではなく、「よみかせえられて、この二千年間、ずっと生きておられる」ということです。
たとえば、2章31節のところにはペンテコステの日のペテロの説教が記されてありますが、その時ペテロは何といったかというとこうです。「神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。」
また、3章にはペテロとヨハネが「美しの門」のところで生まれながら足のきかない人をいやされた話があります。ペテロとヨハネが宮に入ろうとするとその男は施しを求めたので、彼らはその男を見つめてこう言いました。「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストによって、歩きなさい。」(3:6)そして彼の右手を取って立たせると、たちまちのうちに足とくるぶしが強くなって、躍り上がってまっすぐに立ち、歩き出したのです。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮に入って行きました。いったいどうしてこのようなことが起こるのでしょうか。主イエスが生きておられるからです。主イエスは私たちの罪のために十字架にかかって死なれましたが、三日目によみがえられました。その主イエスの御名がこの人をいやし、強くし、立たせてくださったのです。ですから、使徒たちは、このようにあかししました。4章33節です。
「使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。」
十字架につけられたあのイエスは、よみがえって今ここにおられる。キリストはよみがえられたのだ」というのが、使徒たちのメッセージの中心だったのです。そして、それはパウロも主張していたことであり、現代の私たちが伝えるべきメッセージの中心でもあるのです。イエス・キリストを信じる信仰、それは、二千年前の出来事をただ研究することではなく、よみがえって今もここにおられるキリストと人格的な交わりをすること、そのイエスを経験することにあるのです。
皆さんは、「偉大な生涯の物語」という映画をご覧になられたことがあるでしょうか。長い4時間くらいの映画です。この映画には、すごい俳優さんたちがたくさん出てきます。たとえば、ジョン・ウェインという西部劇の大スターやパット・ブーンという大スターです。パット・ブーンは、復活の墓の所にいる天使の役で、台詞はたった一言、「あなたがたはなぜ生きている方を死人の中で探すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。」と言うだけです。彼は名前のごとく、パッと出て来て、パッと終わるのです。私の家内もパットです。しかし、彼は後で、「自分は今までいろいろな映画に出て、いろんなことを台詞でしゃべったが、あの台詞ほどすばらしいものはなかった」と言ったそうです。「あなたがたはなぜ生きている方を死人の中から探すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。よみがえられて今も生きておられるのです。」まさにクリスチャンとして、これほどすばらしい台詞はありません。パウロが主張したのは、この復活の主イエスだったのです。
Ⅱ.復活の信仰は人生を変える(20-21)
第二のことは、この信仰は私たちの生き方を変えるということです。20~21節をご覧ください。イエスは復活して生きていると主張するパウロに対して、フェストはどのような態度を取ったでしょうか。
「このような問題をどう取り調べたらよいか、私には見当がつかないので、彼に『エルサレムに上り、そこで、この事件について裁判を受けたいのか』と尋ねたところが、パウロは、皇帝の判決を受けるまで保護してほしいと願い出たので、彼をカイザルのもとに送る時まで守っておくように、命じておきました。」
イエスは生きているというパウロの主張に対して、フェストはこう言いました。「このような問題をどう調べたらよいか、私には見当がつかないので、彼に「エルサレムに上り、そこで、この事件について裁判を受けたいか」と尋ねました。」しかしこれは嘘です。これは25章9節のことですが、あの時フェストがパウロにエルサレムに上り、そこでこの事件について裁判を受けることを願うかと尋ねたのは、それはこの問題をどうしたらよいかわからなかったからではなく、ある一つの魂胆があったからです。それはユダヤ人の歓心を買うということです。すなわち、フェストは、ユダヤ人との関係が悪化することを恐れ、彼らの歓心を買おうとしてこのような提案をしたのです。ユダヤ人たちとの関係が悪化したら、自分の立場が危うくなると思ったのでしょう。パウロをエルサレムに連れて行き、そこで裁判を受けさせることによって、ユダヤ人たちの好意を得られると考えたのです。しかしパウロがそれを断り、カイザルに上訴すると、今度はそのために書き送る書類作成に大あわてです。26,27節をご覧ください。
「ところが、彼について、わが君に書き送るべき確かな事がらが一つもないのです。それで皆さんの前に、わけてもアグリッパ王よ、あなたの前に、彼を連れてまいりました。取り調べをしてみたら、何か書き送るべきことが得られましょう。
囚人を送るのに、その訴えの個条を示さないのは、理に合わないと思うのです。」
この「わが君」というのはカイザルのことです。フェストはカイザルのことを「わが君」と呼んでいます。これは私たちが「主イエス・キリスト」というときの「主」と呼ぶのと同じことばです。これはかつてローマ皇帝アウグストやテベリオらが、これは神の称号だから自分が使うのは辞退すると言ったほどのことばで、宗教的称号でした。つまりフェストにとってカイザルは神だったのです。カイザルを神のように恐れていたのでした。いつの時代でもこの世においては同じです。人との関係が悪化することを恐れ、そうした人たちの歓心を買おうと躍起になったり、自分の立場を守ろうと働いたりするのです。
しかし、クリスチャンは違います。イエスが復活して今も生きておられると証言するクリスチャンは、そのように人々の関心を買おうとしたり、次々と代わる総督や大祭司、皇帝を恐れたりはしません。それが神のみこころだと確信したなら、何年かかっても一貫して、前進していくことを願い、一歩もたじろぐことなく、不動の心でみこころに向かって進んでいくのです。ローマだったらローマへ、イスパニヤだったらイスパニヤへ、ただキリストのご用のために生きることを願うのです。なぜ?なぜなら、キリストは復活して、今も生きておられると信じているからです。イエスが復活したのであれば、やがて来る審判の時にも、主が正しくさばいてくださいます。私たちはその審判に備えて、神の前にも、人の前にも、責められるところのない良心を持って生きられたなら、それで十分なのです。その他の何も恐れる必要はありません。ですから、イエスが復活したと信じることは、私たちの信仰においても、生活においても、将来の見通しについても、根本的な大変革をもたらすのです。
最近、とても感動的な証を聞きました。一人の元イスラム教徒の証です。彼女の名前はハワ・アシュメッドといいます。彼女は女学校の寮にいた時に、キリスト教の一枚のトラクトを見てクリスチャンになる決心をしました。イスラム教徒が他の宗教を信じるというのはかなり大変なことです。とりわけ彼女のお父さんはイスラム教の指導者でした。赦されるはずがありません。
最初はむちで打ったり、なぐったりして信仰を捨てさせようとしましたが、彼女は頑として信仰を捨てませんでした。最後は、一族の恥だと言うことで仕方なく、彼女を殺すことになりました。電気いすに座らせ、コードを電源に差し込みました。ところが、電気が来ないのです。それで、コードを代えてまた差し込むのですが、また電気が来ないのです。結局、4回も試しましたが、電気はつながりませんでした。それで、お父さんとお兄さんは、あきらめて彼女を真っ裸にして、「二度と帰って来るな」と言って追い出したのです。近所の人々は、彼女が美しい真っ白な衣に覆われて、走って逃げて行ったと証言しています。彼女は、今EHCという団体の伝道者として働いています。
キリストは十字架につけられて死なれましたが三日目によみがえられました。そして、今日も聖霊をとおして働いておられます。私たちの人生に、いつも共にいてくださるのです。
Ⅲ.復活の信仰に生きる(23-24)
ですから第三のことは、復活の信仰に生きましょうということです。23節をご覧ください。
「こういうわけで、翌日、アグリッパとベルニケは、大いに威儀を整えて到着し、千人隊長たちや市の首脳者たちにつき添われて講堂に入った。そのとき、フェストの命令によってパウロが連れて来られた。」
こういうわけで、その翌日、アグリッパとベルニケは、千人隊長たちや市の首脳者たちに付き添われて講堂に入りました。この時の彼らの装いに注目してください。ここには「大いに威儀を整えて」とあります。この「威儀」ということばは、ギリシャ語の「ファンタジー」ということばで、夢や幻のような華麗さを表す時に使われることばです。彼らは堂々たる行列を従えて、まさに大名行列のような華やかさで、講堂に入ったのです。
それに対してパウロはどうだったでしょうか。「そのとき、フェストの命令によってパウロが連れて来られ」ましたが、それは見る影もない囚人の姿だったでしょう。けれども、このパウロこそがここでの主役でした。なぜなら、このことによってかつてイエス様が預言したことが成就することになったからです。
「 しかし、これらのすべてのことの前に、人々はあなたがたを捕らえて迫害し、会堂や牢に引渡し、わたしの名のために、あなたがたを王たちや総督たちの前に引き出すでしょう。」(ルカ21:12)
主イエスは、この世の終わりの時、人々はあなたがたを捕らえて迫害すると言われました。キリストの名のために、あなたがたを王たちや総督たちの前に引き出すでしょう、と言われました。その約束が今ここに成就したのです。言い換えるならそれは、復活して今も生きておられる主イエスが導いてくださった事であり、この福音をあかしする絶好の機会でもあったということです。鎖につながれた囚人としてであろうが、興味本位からの尋問であろうが、それが福音を語る機会となるのであれば、パウロにとってそれは幸いなことだったのです。すべてのことが主の御手の中にあり、復活の主イエスが導いておられることだと信じて、この復活の信仰に生きる者でありたいと思うのです。パウロはこのように言っています。
「私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです」(Ⅱコリント4:8~10)
イエスが生きておられるから、このような苦しみの続く日々においても窮することなく、行きづまることなく歩んでいくことができる。イエスが生きておられるから、見捨てられず、倒されず、滅びることなく生きていくことができる。ある方がこのところからクリスチャンはノックダウンされることはあってもノックアウトされることはないと言われましたが、まさにそうです。倒されても、滅びることはないのです。イエスのいのちに与った者たちは、このような生き方ができるのです。それは復活のイエスが、今も生きて私たちを支えていてくださるからです。まさにルカがこのところで伝えたかったことは、イエスは生きていると主張するパウロの姿ではなく、そのように主張するパウロを通してまさにイエスが今生きておられるという事実そのものだったのではないでしょう。この生きておられる主イエスに支えられながら、私たちはこの信仰に堅く立って歩んで行く者でありたいと思います。
使徒の働き25章1~12節 「この道を歩む」
投稿日: 投稿者: otawara-1
きょうは「この道を歩む」というタイトルでお話したいと思います。先週のところで私たちは、パウロが総督ペリクスによって裁判を受けたことを学びました。その裁判が未決のまま二年間も放置されていましたが、その間、ローマ総督の交代が行われました。新しく総督としてやって来たのはポルキオ・フェストです。フェストは州の総督として着任すると、三日後にカイザリヤからエルサレムに上り、ユダヤ教の祭司長や長老たちにあいさつをします。すると彼らからまたしてもパウロについての訴えがなされました。フェストは、パウロはカイザリヤに拘置しているし、自分はまもなく出発する予定なので、もしパウロに対して何らかの訴えがあるのなら、カイザリヤまで下って来て、そこで告訴しなさいと言いました。すると案の定、彼らはカイザリヤまでやって来てパウロを訴えたので、総督はパウロに出廷を求めました。そこで行われたのがこの裁判です。この裁判を通して私たちは、主の道を歩むパウロの信仰から、三つのことを学びたいと思います。
第一のことは、ユダヤ人の歓心を買おうとしたフェストの姿です。彼は、真理や正義がどうこうというよりも、自分の立場で何が得策なのかという点ですべてを判断しました。第二のことは、それに対してパウロの態度です。彼は、カイザルに上訴する道を選択しました。第三のことは、だからこの道に歩みましょうということです。
Ⅰ.ユダヤ人の歓心を買おうと(1-9)
まずはじめに、ユダヤ人の歓心を買おうとしたフェストの態度を見ていきましょう。7~9節をご覧ください。
「パウロが出て来ると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちは、彼を取り囲んで立ち、多くの重い罪状を申し立てたが、それを証拠立てることはできなかった。しかしパウロは弁明して、「私は、ユダヤ人の律法に対しても、宮に対しても、またカイザルに対しても、何の罪も犯してはおりません」と言った。ところが、ユダヤ人の歓心を買おうとしたフェストは、パウロに向かって、「あなたはエルサレムに上り、この事件について、私の前で裁判を受けることを願うか」と尋ねた。」
フェストに出廷を命じられたので、パウロが法廷に出て行くと、エルサレムから下って来たユダヤ人たちは、彼を取り囲んで立ち、多くの重い罪状を申し立てました。彼らは別に事新しい事実を述べているわけではなく、二年前の訴えを蒸し返したにすぎません。それは第一にユダヤ人の律法に違反したということ、第二に神殿を汚したということ、そして第三に皇帝に反逆したということです。そのことについてパウロは、すでに何の罪も犯していないと弁明に努めてきましたが、ここでも同じようにきっぱりと弁明しました。ですから、彼らは何も証拠立てることはできませんでした。
このような裁判の流れから言えば、普通なら嫌疑不十分ということでパウロへの訴えは却下され即日釈放となるのですが、そこから事情が急転回します。両者の言い分を聞いていたフェストが、パウロに向かって、「あなたはエルサレムに上り、この事件について、私の前で裁判を受けることを願うか」と尋ねたのです。これまで好意的とは言えなくても、ある程度公平に裁判を続け、ユダヤ人の訴えに何の根拠もないことを知っていたはずのフェストが、ここに来てパウロの身柄をエルサレムに移そうというのです。本来、ローマ法による裁判であればこのカイザリヤで処理されるべきです。そのためにパウロもわざわざこのカイザリヤまでやってきたはずです。なのになぜ彼はこのようなことを言ったのでしょうか。
この使徒の働きを書いたルカは、それはフェストが「ユダヤ人の歓心を買おうとして」いたからだと説明しています。すなわち、総督として新しく赴任してきたフェストは、ユダヤ人との関係が悪化することを恐れ、彼らの歓心を買おうとしてこのような提案をしたのです。ユダヤ人指導者と対立したら、政治的致命傷になりかねないと思ったのでしょう。自分自身の立場を擁護するためには、ユダヤ人議会の好意を得ていた方が得策だと考えたのです。ですからエルサレムに行って、そこで裁判を受けさせることによって、ユダヤ人の面目というものを保とうとしたわけです。やはり権力者といえども、人々へのこういった特別な気遣いが必要だったのかと思うと、人間の思惑がうごめくこの世の現実というものをまざまざと見せつけられます。前任者のペリクスもそうでした。24章27節には、彼が「ユダヤ人に恩を売ろうとして」パウロを牢につないだまま二年間放置したとあります。一面非常に高圧的に大上段に構える反面、絶えず人の歓心を買おうとして民衆におもねるのが、古今東西を問わず為政者によく見られる姿勢です。彼らは真理や正義がどうこういうよりも、自分の立場にとって何が一番得策なのかということですべてを判断するのです。このようなペリクスやフェストのように、ユダヤ人の人気取りとローマへの点数稼ぎや出世だけを考えている人たちが、神のしもべてあるパウロの命を左右する権威を持っていたというのは、危険この上ないことですが、彼らに見られるこのような姿こそ実はこの世の流れであり、私たち人間に見られる習性でもあるのです。
Ⅱ.カイザルに上訴します(10-11)
それに対してパウロはどうだったでしょうか。次に、信仰に生きたパウロの姿を見ていきたいと思います。10~11節をご覧ください。
「すると、パウロはこう言った。「私はカイザルの法廷に立っているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。あなたもよくご存じのとおり、私はユダヤ人にどんな悪いこともしませんでした。もし私が悪いことをして、死罪に当たることをしたのでしたら、私は死をのがれようとはしません。しかし、この人たちが訴えていることに一つも根拠がないとすれば、だれも私を彼らに引き渡すことはできません。私はカイザルに上訴します。」
「あなたはエルサレムに上り、この事件について、私の前で裁判を受けることを願うか」とフェストから尋ねられると、パウロはフェストの提案をきっぱりと断り、大胆にもその裁定を不服としてカイザルに上訴すると言いました。カイザルに上訴するというのは、つまりローマまで行って、ローマ皇帝による裁判を希望するということです。これは今日でいう最高裁判のことです。ローマ市民であったパウロにはカイザルの前での裁判を受ける権利はありましたが、どうしてそのように言ったのでしょうか。おそらくパウロがカイザルに上訴したのは、次の三つの理由があったからだと思われます。
その一つの理由は、いくらフェストの立ち会いのもとであるとはいえ、エルサレムに差し戻されたのでは、公正な判決が下されるとは思えなかったからでしょう。それは主イエスが受けた裁判を見ても、あるいはパウロ自身が立ち会ったあのステパノの裁判を見てもわかります。それがどのようなものになるのかを、パウロは予測していたのだと思います。ですからここで彼は、「私はカイザルの法廷に立っているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です」と言っているのです。
もう一つの理由は、良心の問題です。もし悪いことをして、死罪に当たることをしたのなら、死を逃れようとは思いません。しかし、この人たちがパウロを訴えていることに一つの根拠もないとしたら、だれも自分を罪に定めることはできないという確信があったのです。もし、自分のしてきたことが間違いであったというなら、それは自分が宣べ伝えてきた福音そのものが否定されることになり、ひいてはその福音を宣べ伝えるために召し出してくださった神を否定することになってしまうのです。そのようなことは、どんなことがあっても認めることができませんでした。彼はそれだけいつも、誰に対しても真剣に、真実に、確信をもってこの福音宣教の使命を果たしてきたのです。つまり彼は今神の御前での良心にかけて、自らの命を差し出す覚悟をもって一人ここに立っているのです。
1521年4月、宗教改革者マルチン・ルターは、異端の疑いをかけられてヴォルムスの国会に召喚された時、そこに積み上げられた自らの著書を舞えに、それまで彼が主張した自説の撤回を迫られました。それを拒めば破門され処刑されるという絶体絶命のピンチの中で、彼はこう言ったのです。「私は聖書と明白な理性とに基づいて説得されない限り、自説を取り消すことはできない。私は教皇と教会会議の権威を認めない。なぜなら彼らは互いに矛盾しているからである。私の良心は神にとらえられている。私は何も取り消すことはできないし、また取り消そうとは思わない。私が良心に背くことは正しくないからであり、また危険なことだからである。私はここに立つ。私はこうするほかない。神よ、私を助け給え。アーメン。」
これはまさにこの時のパウロに通じるものがあります。神の御前でどうなのかという、良心から来る自由であります。神の御前の良心にかけて、それが正しいことであるならば、たとえそれによって命を失うようなことがあったとしても、私はここに立つという、そういう思いがパウロの中にあったのです。そして、そのような良心の自由にある人は、恐れから解放され、大胆さと勇気を持つことができるのです。パウロは自分の利益のために弁護したのではなく、真理とみことばのために自分を弁護したのです。ですからこれほど大胆に、これほど堂々としていることができたのです。まさにイエス様が「真理はあなたがたを自由にする」(ヨハネ8:32)と言われたとおりです。
パウロがカイザルに上訴したもう一つの理由は、彼が何としてもローマに行かなければならないと思っていたからです。パウロは、ローマ市民として自分が行使できる法律上の最後の手段を用い、ローマの法廷、すなわちカイザルによる裁判を受けると訴えました。このことによって、主がパウロに与えてくださったあの使命、すなわち23章11節のみことば、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない」というみことばが、成就していくのです。パウロは、このみことばの約束を固く信じていたのです。もしエルサレムに戻って行ったら、それは神の計画遂行に逆行することになってしまいます。神のみこころは、彼がローマに行くことです。ですから彼は再びローマの市民権を生かして皇帝への上訴に踏み切ったのです。二年にも及ぶ獄中生活にあっても、パウロが絶望せず、投げやりにならず、あきらめず、忍耐強くじっと耐えることかできたのは、この使命があったからです。彼はその約束を固く信じていたのです。
あのナチスのユダヤ人絶滅のための強制収容所から奇跡的に帰還したヴィクトール・フランクルは、「夜と霧」の中で、あのような想像を絶するような過酷な境遇の中にあって、最後まで生き伸びることができた人は希望を持っていた人たちであったという趣旨のことを書いています。崇高な使命と希望を持っていた者が最後まで生きながらえたというのです。それは決して安易に法則化することのできないことですが、しかしそこに込められた一つの原則を受け取ることはできるのではないかと思います。それは希望と使命、しかも崇高な、すなわち私たちの心を上へと向けさせる希望と、上からゆだねられ、託されている使命、それが人を究極的な困難の中にあってもなお生きながらえさせる力になるということです。パウロは、そのようにして神から与えられた希望と使命をひたすら待ち望んでいたので、のような過酷な状況の中でも忍耐し、釈放されるという安易な道を選ばないで、カイザルに上訴することを選んだのです。
翻って私たちの信仰のあり方を思います。確かに私たちの信仰の歩みもパウロと同じように多くの困難に取り囲まれ、四方八方から苦しめられることの連続です。この状況から抜け出したい、もっと楽に歩みたい。少々の信仰の妥協をしても、原則を曲げてでも、その取引に応じてしまいたいという思いに駆られることがあります。しかし、本当にそれで良いのでしょうか。いったい私たちはどこに立っているのかを、立ち止まって神の御前での良心に問いかけ、みことばが示している希望と使命をもう一度しっかりと受け取り直してみなければなりません。そこでこそ私たちは神の真実と自分の置かれている場所を知り、信仰の大きな飛躍を遂げていくことができるのではないでしょうか。何があっても退けない場所、何があっても私はここに立っていると言える場所が、私たちにはあるのではないでしょうか。パウロはこの約束、この希望に生きていたのです。
Ⅲ.この道を歩む(12)
ですから第三のことは、この道に歩みましょうということです。12節をご覧ください。
「そのとき、フェストは陪席の者たちと協議したうえで、こう答えた。「あなたはカイザルに上訴したのだから、カイザルのもとへ行きなさい。」
パウロが「カイザルに上訴します」と言うと、フェストは陪席の者たちと協議したうえで、「あなたはカイザルに上訴したのだから、カイザルのもとへ行きなさい」と言いました。フェストにしてみたら、この事件は、宗教問題の絡んだユダヤ人の動向を左右するものなので、皇帝に判断をゆだねて、その処理責任を逃れようとしたのだと思います。こうしてパウロに与えられた主の約束は、その実現に無形大きく展開していくことになったのです。
もしこの上訴が許可されなかったらどうなっていたでしょうか。パウロのその後の運命だけでなく、ローマの伝道、ひいてはキリスト教の初期の歴史が大きく変わっていたことでしょう。カイザリヤからエルサレムに戻ることになっていたとしたら、途中で闇討ちにあったりして命を落としていたかもしれません。そうではなくても裁判での死刑は確定的なことだったでしょう。そうなれば、ローマを根拠地とした彼の「地の果てまで」の伝道はどうなったでしょうか。しかし、神はご自分の計画を遂行するために、世の権力者たちを動かし、歴史の方向を曲げてくださったのです。政治、裁判、軍事の支配権を手中に収めていた総督の、ユダヤ人の歓心を買おうとした策略も実現しませんでした。ユダヤ教社会の地位を独占し、その特権を自分たちのいいように用いようと躍起になっていた祭司長や指導者たちの執念もついに実りませんでした。かなえられのはというと、監禁状態にあって手も足も出ない、一見哀れに見える囚人パウロの祈りだけだったのです。私たちはこの世にあって、何一つ持ち合わせていない無力な者であっても、神が私たちの味方であるなら、だれよりも強大な者なのです。この神の真理に立ち、この道に歩む者を、神はこのように導いてくださるのです。
時として私たちは、あのペリクスやフェストのように、真理や正義がどうこういうよりも、自分の立場にとって何が一番得策なのかですべてを判断してしまうことがあります。自分に都合のいいように行動しがいがちですが、あくまでも神のみこころに立ち、主が喜ばれる道を歩む者でありたいと思うのです。
あるクリスチャンの証を聞きました。この方がある夏に北海道の伝道に行かれた時のことです。そこに牧場主の方で、とても忠実に仕え、一年を通じて聖日の礼拝を守り続けておられる方がいました。しかし、牧場をしながら聖日を守るということはかなり大変なことらしいのです。それがどれだけ大変なのかは当人じゃないとわからないと思いますが、それでもある日の光景を見て、その大変さを深く知らされたというのです。
その夏の北海道はとても寒い夏で長雨が続き、冬場のためにサイロに入れておく干し草の刈り取りのタイミングがギリギリにっていました。ですからそれぞれの牧場主は天気が晴れた時を見計らって、そのタイミングで干し草を刈り取ることにしていました。それを逃すと草がダメになってしまうというのです。そして週末からようやく天気がよくなり、土曜日の夕方から晴れ間がのぞくようになり、翌日の日曜日にはすっきり晴れ渡ったので、周辺の牧場では一斉にトラクターが走り回り草の刈り取りが始まりましたが、やがて礼拝の時間になると、いつものようにその兄弟が礼拝にやってきました。その日を逃すと刈り取りができなくなってしまいます。それでも兄弟は教会の礼拝に来たのです。
礼拝の間も外ではトラクターの走る音がずっと鳴り響いていて、礼拝後には周辺の牧場ではきれいに刈り取りが終わっていました。礼拝にやって来た兄弟は午後に刈り取りをすのかと思っていましたが、昼過ぎになって急に天気が悪くなってきたのです。そして空が暗くなってきたかと思ったら雨が降り始め、雨脚がどんどん強くなっていきました。いったいどうするのかと心配しつつ、この方々が隣町で行われる集会に出かけようと車に乗って向かっていた時のことです。その兄弟の牧場の脇を通りかかりました。窓から外を眺めていると、なんと降りしきる雨の中を、カッパを着込んだその兄弟が一人黙々と草を刈っていたのです。もう回りの牧場はきれいに草が刈り取られている中、彼一人だけが雨の中を走り回っていたのです。当たり前のように礼拝に集い、そして雨の中を一人黙々と仕事をしていたのです。
それは彼が立っているところがどこなのか、何を拠り所としているのかを雄弁に物語っていました。それは決して勇敢な華々しいことではなく、実に淡々としたいつもの礼拝生活、信仰生活でありますが、その中に彼の生き様というのが如実に現されていたと思うのです。それは神を第一にして、神のみこころに歩む姿です。それこそお使いを頼まれた幼子が小銭をぎゅっと握りしめて、教えられた道を脇目もそれずに走って行くように、彼もまた神様から示された道を、神のみこころに従って一心に走り続けていたのです。
私たちも置かれているところは違っても、どこにいても、ただ神が示してくださる道を脇目も触れずにひたすらに進み行く者でありたいと思うのです。そして主ご自身が「もういいよ。もう十分だ。あなたは走るべき行程を走り尽くした」と言われるまで、ひたすらこの道を進んで行きたいと思います。主が最善に導いてくださると信じて・・・。
使徒の働き24章1~27節 「やがて来る審判」
投稿日: 投稿者: otawara-1
きょうは、「やがて来る審判」というタイトルでお話したいと思います。今お読みした箇所は、パウロがローマの総督ペリクスの前で受けた審判(裁判)の様子が記されてあるところです。1節には、
「五日の後、大祭司アナニヤは、数人の長老およびテルトロという弁護士といっしょに下って来て、パウロを総督に訴えた。」
とあります。ユダヤ人たちからの暗殺を免れたパウロは、エルサレムからカイザリヤに護送されてきましたが、その際、23章30節にありますように、ローマの千人隊長ルシヤは、総督ペリクスに「訴える者たちには、閣下の前で彼のことを訴えるように言い渡しておきました」と手紙を書き送りましたが、そのとおりに、五日の後に、大祭司アナニヤは、数人の長老およびテルトロという弁護士といっしょに下って来て、パウロを総督に訴えたのであります。
きょうは、この総督ペリクスの前での裁判を通して、いかなる状況にあってもクリスチャンが採るべき態度について三つのことを学んでいきたいと思います。まず第一のことは、クリスチャンはののしられてもののしり返さないということです。第二のことは、人間にはこの地上での審判の他に死後に審判が受けるように定められているので、その審判に備えて生きましょうということです。そして第三のことは、どんなことがあってもすべてを主にゆだねてということです。
Ⅰ.ののしられても、ののしり返さず(2-9)
まず第一に、ののしられても、ののしり返さないということについて見ていきたいと思います。2~9節をご覧ください。ここには、パウロに対するテルトロの訴えが記されてあります。2~4節です。
パウロが呼び出されると、ユダヤ人側の弁護士として雇われたテルトロが、パウロを訴えます。彼はまず「ペリクス閣下。閣下のおかげで、私たちはすばらしい平和を与えられ、また、閣下のご配慮で、この国の改革が進行しておりますが、その事実をあらゆる面において、また至る所で認めて、私たちは心から感謝しております。」と適当なお世辞を並べます。なぜそれがお世辞だと言えるのかというと、彼らはペリクスのことをそのようには見ていなかったからです。それは27節に彼が総督の座から降りるようになったとありますが、それはユダヤ人の暴動がきっかけだったからです。つまり、彼らはペリクスに対していい気持ちなんて全然持っていなかったのに少しでも裁判を有利に進めようと、ペリクスの歓心を買うとしたのです。
そのテルトロがパウロについて訴えたことは、次のことでした。5~6節です。
「この男は、まるでペストのような存在で、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている者であり、ナザレ人という一派の首領でございます。この男は宮さえもけがそうとしましたので、私たちは捕らえました」
テルトロの訴えによると、パウロの罪状は次の三つの点にありました。まず第一に、「この男は、まるでペストのような存在で、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている者である」ということです。ペストのような存在というのは、放っておくとどんどん人々の間に伝染していく病気のような者だという意味です。それはパウロ自身の影響というよりも、彼が宣べ伝えていた福音の影響力がいかに大きかったかを表しています。それほどにパウロが語っていた福音の言葉は人々の間に浸透し、広がっていったのです。ローマ人への手紙1章16節に、「福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」とありますが、福音は人を全く新しい人に変える力があるのです。それはからし種のように、蒔かれた時には他のどんな種よりも小さいようですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほど大きくなるのです。(マタイ13:31,32)。それは「世界中で・・騒ぎを起こしている」と言われるほどの広がりを持っているのであります。
それにしても「ペストのような存在」とはひどい言葉です。俗っぽい言葉で言えば「バイキンマン」でしょう。そのように言われて傷つき、自殺した人までいるほど辛辣な言葉です。裁判では検察や弁護人はそれを聞いている裁判官や裁判員の情に訴え、できるだけ相手に対して悪いイメージを与えることが必要なのでしょうが、テルトロはパウロを「ペストのような存在」という言葉を使って、彼がいかにびとい人間であるかのような印象を与えようとしたのです。「ペットのような存在」じゃなくて、「ペストのような存在」です。ペットならかわいいのですが、ペストは最悪です。テルトロはパウロを「ペストのような存在」だと言ったのです。
それから、テルトロが訴えた第二の点は、パウロが「ナザレという一派の首領である」ということでした。ユダヤ教徒は、イエスを軽蔑して「ナザレ人」と呼んでいましたが、そのナザレ人イエスを救い主として信じる一派、ナザレ派の最高リーダーだというのです。総督は、こうした偽メシヤ運動がどんなに危険な狂信的政治運動を引き起こすかを知っていましたから、このように言えば、総督も放っておくことはしないだろうと考えたのだと思います。
そして第三の点は、この男は宮さえも汚そうとしたということでした。これは21章28,29節の出来事です。彼らはパウロが神殿に入って行ったとき、異邦人トロピモを中に連れ込んだのではないかと思い込みパウロに手をかけて捕らえたのですが、実際にはそうではありませんでした。ユダヤ人たちがそのように勝手に思い込んだだけです。彼らの誤解です。にもかかわらずそのように訴えたのは、宮に関係していたサドカイ人たちがローマ政府の協力者であったことから、このように訴えることによって、裁判が自分たちに有利に展開するのではないかという計算があったからです。
このようにテルトロは、このパウロという人物が、ローマ人にとってもユダヤ人にとっても、また政治的にも宗教的にも危険であると強調しました。神の前にも、人の前にも、全く正しく生きていると信じていたパウロにとって、このように訴えられたことは、どんなに苦しかったことかと思います。自分はただ神のみこころに従って神の福音を伝えているだけなのに、ペストのような存在だの、騒ぎを起こしていると言われたり、宮さえも汚していると言われたのではたまったものではありません。その心はズタズタに引き裂かれ、煮えたぎる怒りで一杯だったのではないかと思います。そして、このようなことは私たちにもよくあることなのです。Ⅱテモテ3:12には、「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」とあります。キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者には、大なり小なりの苦しみが伴うのです。問題は、そのような攻撃を受けた時、私たちはどうしたらいいのか、どうあるべきなのかということです。Ⅰペテロ2章19,20節には次のように勧められています。
「人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。」
ここには、もし人が不当な苦しみを受けることがあっても、悲しみをこらえるなら、それを堪え忍ぶなら、神に喜ばれるとあります。人がもし不当な苦しみを受けるようなことがあったら、忍耐することが神の喜びであるというのです。いったいどうやって忍耐することができるのでしょうか。いつもそのことが頭から離れることなく、怒りがこみ上げてくるというのに、どうやってそれに耐えろというのでしょうか。そのような時はイエス様のことを思い出してください。ですから続くⅠペテロ2章22節からのところには、次のように進められているのです。
「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」(Ⅰペテロ2:22~24)
キリストは、その足跡に従うようにと、模範を残されたのです。ですから、もし人が、不当な苦しみを受けるようなことがあってもイエス様のことを思い出せばいいのです。本来ならば裁かれても仕方ないようなこの私が、神の恵みによって、キリストの十字架の購いによって罪赦された者であるということを覚えるとき、不思議なことですが、その人を赦せるようになるのです。私たちの心がいやされることを経験することができるのです。あの奴隷船の船長だったジョン・ニュートンは、この驚くべき神の恵みに触れたとき、「Amazing Grace!」と叫びましたが、私たちもこのキリストの十字架による神の恵みに触れるとき、「Amazing Grace!」「何とすばらしい恵みなんだろう」と言って、悲しみをこらえることができるようになるのです。プラス伝道者の書7章には次のようにも勧められています。21,22節です。
「人の語ることばにいちいち心を留めてはならない。あなたのしもべがあなたをのろうのを聞かないためだ。あなた自身も他人を何度ものろったことを知っているからだ。」
これはどういうことかというと、もし皆さんが不当だと思えるような苦しみを受けることがあっても、そのことにいちいち心に留めてはいけないということです。なぜなら、そののろいを聞かないためです。また、意外に皆さん自身も人のことをののしっているんだから、人のことはあまり言えないよというわけです。ですから、正しすぎてはいけないし、知恵がありすぎてもいけません。逆に、悪すぎても、愚かすぎてもだめです。一つをつかみ、もう一つを手放さないのがいいのです。神を恐れる人は、この両方を会得しているのです。(伝道者7:16~18)つまり、そのような苦しみに遭ったときに悲しみをこらえる秘訣は、イエス様のことを思い出し神の恵みに浸ることと、あまり自分を正しいとしないということなのです。
Ⅱ.やがて来る審判に備えて(10-21)
次にパウロの弁明を見ていきましょう。10-21節までをご覧ください。テルトロの訴えが終わると、総督ペリクスに促されて弁明に立ったパウロは、テルトロが取り上げた三つの点に対して、一つ一つ反駁していきます。まず第一点目の、彼が世界中のユダヤ人の間で騒ぎを起こしているということに対しては、11~13節のところで、お調べになればわかることですが、自分は決して騒ぎを起こしてローマの平和を乱すような者ではないと反論します。事実、彼がエルサレムに上ったのは礼拝のためであって、暴動を起こすためではありませんでした。神殿の中で騒ぎを起こしたのはむしろユダヤ人たちの方です。しかも彼がエルサレムに上ってから、まだ12日しかたっていませんから、そんな騒ぎを起こす余裕さえもありませんでした。
第二の告訴理由である彼がナザレ人という一派の首領であるということに対しては、14節のところで次のように反論しました。「しかし、私は、彼らが異端と呼んでいるこの道に従って、私たちの先祖の神に仕えていることを、閣下の前で承認いたします。私は、律法にかなうことと、預言者たちが書いていることとを全部信じています。」
パウロは、自分がナザレ人という一派の首領であるかどうかについては言及しませんでしたが、自分は確かにこのナザレのイエス・キリストを信じる者たちの群れに属しているとはっきりと認めた上で、しかし、ユダヤ人たちに異端と見られているこの一派がどういうものなのかについては、これが決して異端的な者たちではなく、むしろこの者たちこそ旧約聖書の律法にかなっている者たちであって、本当の意味で先祖の神に仕えている者たちであると言いました。
そして第三の告訴理由である宮を汚しているということについては17~21節に記されてありますが、自分は決して宮を汚すようなことはしておらず、むしろユダヤ教の律法の教えに従って礼拝のために神殿に上って行ったにすぎないと、ユダヤ人たちの訴えをことごとく打ち消しました。そして、そもそもこの問題は純粋にユダヤ教の復活という教理を巡るパリサイ派とサドカイ派の対立から起こったものであるのだから、もしそうであるならば、ローマの法廷で争うこと自体がおかしいと主張するのでした。
このようにユダヤ人たちの訴えはパウロの弁明によってことごとく退けられていくのですがその中でも特に注目したいのは、パウロが16節で語っていることです。ここでパウロは、
「そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、と最善を尽くしています。」
と言っています。このことは既に23章1節のところでも言及してきたことです。「兄弟たち。私は今日まで、全くきよい良心をもって、神の前に生活して来ました。」と。この「良心」という言葉は、もともと「一緒に」という言葉と、「知る」という言葉が組み合わされてできた言葉で、「共に知る」という意味です。ほかの人はだれも知らなくても、自分とともにおられる神が見て、神が知っておられるという意味です。神と一緒に自分の心を神が見られて、そこにやましさがないこと、それが「良心」です。パウロはいつも、この良心を保つように最善を尽くしてきたのです。人間は、時として自分さえもごまかしかねません。ましてや他人の目をごまかすことなど朝飯前でしょう。しかし、人間の目をごまかすことはできても、すべてを見通しておられる神の目をごまかすことはできません。その神がコンピューターよりも正確に、私たちの心を知っていてくださる。その神の前に歩んできたというのです。このように言える人が、いったいどれだけいるでしょうか。自分では良心的に生きていると思っていてもそこにともに見ておられる神がいなければ、結局のところそれは自分たちの満足と自己中心的な良心でしかないのです。パウロはいつも、神の前にも、人の前にも責められるところのない良心を保つように、と最善を尽くしました。ですから、この後の24節のところで、ペリクスがユダヤ人の妻ドルシラを連れて来て、彼からキリスト・イエスを信じる信仰について話しを聞こうとしたときも、パウロが語ったことは何だったかというと、正義と節制とやがて来る審判でした。なぜなら、彼らが不義の結婚をしていたからです。ドルシラがあまりにも美しいからと、その時他人の妻であったドルシラを、ペリクスは横取りして妻にしたのです。そのことを見逃しませんでした。相手がだれであろうとも正しいことは正しいこと、間違っていることは間違っていることと、はっきりと主張したのです。そのことが自分にどのような不利益をもたらされるかといった計算を一切せず、神の前でどうなのかということを考えながら生きてきたのです。それがクリスチャンの生き方なのです。
それにしてもなぜパウロは、そのような生き方ができたのでしょうか。それは彼の中で、この地上の審判とは別の審判を意識していたからではないでしょうか。その審判とは何でしょうか。それは25節にある「やがて来る審判」です。ヘブル人への手紙9章27節に、
「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」
とあります。人間には、一度死ぬことと、死後にさばきを受けることが定まっています。その死後のさばきのことです。この地上でのさばきは、一つの法廷でも、原告と被告の言い分を証拠、証人として次々に調べ、さらに、地方裁判所から高等裁判所へ、そして最高裁判所へと舞台を移していきますが、最後の裁判は、永遠の世界におけるたった一度のさばきです。みながいっせいに被告人となり、神の前に立つ時がやってきます。そして、右と左に、羊と山羊に、救いと滅びに、天国と地獄に分けられるのです。そういう時がやって来ます。パウロはそのやがて来る最後の審判に備えて生きていたので、いつもこの神の前に責められることがないようにと最善を尽くしていたのです。
皆さんはいかがですか。この地上での審判を逃れることができても、いつか必ず神の前での審判を受ける時がやってきます。聖書はそのようにはっきりと言っています。この神のさばきに耐えられる人がいったいいるでしょうか。いません。ただ神の子イエス・キリストの十字架の購いを信じた人だけが、価なしに義と認められるのです。この神の救いを受け入れ、やがて来る審判に備えてください。それが神が私たち人間にもっとも願っておられることなのです。
ペリクスとドルシラはどうだったでしょうか。25節をご覧ください。パウロが正義と節制とやがて来る審判とを論じたとき、ペリクスは恐れを感じ、「今は帰ってよい。おりを見て、また呼び出そう」と言いました。人はしばしば、ペリクスのように、伝道に対して、「おりを見て」と言います。「またいつか」と言うのです。しかし、この救われるためのキリストの福音に対して、「おりを見て」とか「またいつか」ということはできません。なぜなら、これは時間的な問題ではなく、人事として聞くか、我が事として聞くかという問題だからです。やがて来る審判とか、最後の審判というと、いかにもまだまだ先のことであるかのようですが、実は、義人も悪人も必ず復活するので、だれひとり逃れることのできないさばきなのです。このさばきに備える唯一の道は、今、私たちの前に差し出されている神の救いを受け入れること以外にはありません。神の救いであるイエス・キリストを素直に信じてください。そして、やがて来る審判に備えようではありませんか。
トマス・ア・ケンピスは「キリストにならいて」という本の中で、次のように言っています。「あのさばきの日、すなわちだれも自分を弁護してくれる人を見いだすことができず、各自が自分を弁護するのに大あわてをするさばきの日のために、なぜ、あなたは自らを備えようとしないのですか?」
この神の法廷の前に良心に恥じないように備えることだけが、すべての人に必要なことなのです。
Ⅲ.すべてを主にゆだねて(22-23)
最後に、この審判の結果を見て終わりたいと思います。ユダヤ人テルトロの巧妙な訴えに対して、パウロは心を込めてその弁明に努めましたが、果たしてその結果、どうなったでしょうか。22~23節をご覧ください。
「しかしペリクスは、この道について相当詳しい知識を持っていたので、「千人隊長ルシヤが下って来るとき、あなたがたの事件を解決することにしよう。」と言って、裁判を延期した。そして百人隊長に、パウロを監禁するように命じたが、ある程度の自由を与え、友人たちが世話をすることを許した。」
何ということでしょうか。パウロの必死の弁明にもかかわらず、ペリクスは判決を遅らせ、裁判を延期しました。そして百人隊長に、パウロを監禁するように命じました。いったいペリクスはどうしてこのようなことをしたのでしょうか。22節をみると、その理由が書かれてあります。それは「ペリクスは、この道について相当詳しい知識を持っていた」からです。ペリクスはこの道について相当詳しい知識を持っていたので、パウロがローマをひっくり返そうとしているような危険人物ではないことくらいちゃんと知っていたので、ある程度の自由を与え、監禁することにしたのです。そして悪いことに彼は、これを自分の利得を得る手段として用いようと考えました。パウロからお金をもらいたいという下心があったり、ユダヤ人たちに恩を売るために利用しようと思ったのです。まことに神を恐れぬふととき者です。27節には、何とそれが二年間も続いたとあります。当初は一時的な拘留のつもりだったのが、結局このカイザリヤで二年間も過ごすことになりました。もうローマ行きは時間の問題だと思っていたパウロにとって、この二年間の足止めは決して短いものではなかったはずです。いったいどうしてこんなことになるのでしょうか。
確かにローマ行きを切望していたパウロにとって、このカイザリヤでの二年間というものは長い試練の時だったに違いありません。しかし、パウロにとって、いやもっと長い目で見たら教会にとって、実はこの二年間というのはとても有意義で貴重な時だったのです。というのは、獄中書簡と呼ばれているパウロの手紙は、この時に書かれたのではないかと言われているからです。獄中書簡というのは、エペソ、ピリピ、コロサイ、ピレモン書です。仮にそうでないとしても、少なくても彼の深遠な思想、彼の神学体系は、間違いなくここで練られたことは確かです。これは私たちの人生にも度々起こることです。どう見ても遠回りで、無駄であるかのようにしか見えないそのような時を、神は最善に導いておられるのです。であれば、私たちはすべてを支配し、導いておられる神にすべてをゆだねて進むべきではないでしょうか。
アメリカのインディアナン州ルイズビルという町に、カーネル・サンダースという方がおられました。彼はその町のバプテスト教会に通うクリスチャンでしたが、どんな商売をしてもうまくいかず、60を過ぎても貧乏のどん底で苦労しておられました。しかし、どんな時でもあきらめず、神に信頼し、感謝して生きていました。そして65を過ぎた頃に、美味しいフライドチキンを作る術を見いだしたのです。それは今は全米はおろか、全世界に知られるケンタッキーフライドチキンになりました。
神のなさることには「時」があります。それがいつなのかはわかりませんが、神はご自身のご計画に従って導いておられるのです。ですから、そのみことばの約束を信じて、たとえ今はそうでなくても、必ず神が導いてくださると信じて、その時を待ち望もうではありませんか。キリストの十字架に信頼し、神の前にも、人の前にも責められるところのない良心を保つようにと最善を尽くし、すべてを神にゆだねてその「時」を待ち望むなら、そこに必ずそこに神が働いてくださるのです。いついかなるときもこの原則に立って歩んでいきたいものです。