イザヤ1:1-9 レジュメ

「まず主に立ち返ることから」                                                        No1

はじめに

イザヤとは「主は救いである」という意味。イザヤはウジヤ王の死んだ年(B.C.739)~ヒゼキヤ王の統治期間が終わった年(B.C.687)までの53年間預言活動をした。危機的な状況にあっても真の救いは主であることを語った。

Ⅰ.神に背を向けたイスラエル(2-4) 

イザヤのメッセージは神の懲らしめから。神によってご自分の民として選ばれたイスラエルは、神に逆らった。牛はその飼い主を、ろばは持ち主の飼い葉おけを知っているのに、イスラエルは知らなかった。悟らなかった。人生のすべての問題は、人生の究極的な目標である神から離れていることから起こる。まず神との関係の修復から始めていかなければならない。そうでないと、すべてが応急処置に終始してしまうことになる。 

Ⅱ.弱り果てたイスラエル(5-8)

神から離れてしまったイスラエルはどうなったか?頭も心臓も弱り果て、足の裏から頭のてっぺんまで病気になった。健全なところは何一つなく、すべてが傷と、打ち傷だらけになってしまった。しかもだれにも治療してもらえない。また他国の破滅にも似たように荒れ果ててしまった。あたかもぶどう畑の小屋のように、キュウリ畑の小屋のように・・。ちょっとでも雨風にさらされたらすぐに壊れてしまうビニールハウスのように、弱り果て、荒れ果ててしまった。 

.残されたイスラエル(9

そのような中にも主は、残りの者を残してくださった。彼らが完全に滅びるようにはされなかったのである。アッシリヤやバビロンといった国々はそうではなかった。彼らは神にさばかれて完全に破滅した。しかし、イスラエルはそうではなかった。残りの者を残しておられたのである。それは主のあわれみによる。「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。」(哀歌3:22)大切なのは数ではなく信仰。私たちの中に神が認めてくれる信仰があるかどうか、神のみこころに従って歩んでいるかどうかである。どんなことがあっても神様の賜物と召命とは変わることはない。 

まとめ(自分に適用してみましょう!)

・あなたは今、神様とどのような関係にあるでしょうか。神様から離れてはいませんか?もし離れていたら悔い改めて、主に立ち返りましょう。

・主はラオデキヤの教会に、「あなたは、自分は富んでいる。豊かになった。乏しいものは何もないと言って、実は自分はみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸であることを知らない。」(黙示録3:17)と言われました。あなたにとって乏しいものがあるとしたらどんなことでしょうか?

・ あなたの中に数に慰めを求めようとしていることはありませんか?大切なのは数ではなく神に認められる信仰があるかどうかです。あなたの信仰は神に認められる信仰でしょうか。どうしてそのように思いますか?