「雪のように白く」 N02
はじめに
イザヤは、神に反逆を重ねるイスラエル(ユダ)に対して叱責のメッセージを語ることから始めた。それはすべての問題の根源が神との関係にあるからだ。しかし、叱責のメッセージだけではない。彼は、そのような罪を赦して余りあるほどの神の恵みについても語った。
Ⅰ.聞き従うことはいけにえにまさる(10-17)
神はイスラエルを「ソドムの首領たち」とか、「ゴモラの民」と呼んだ。それほどに彼らの信仰は退廃していたからである。彼らは多くいけにえをささげていたが、それはただ形だけのものであった。神が求めていたものは信仰である。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」(Iサムエル15:22)
Ⅱ.雪のように白く(18)
そんな形だけの信仰であったイスラエルだが、神は和解の道を提示された。それは悔い改めである。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くする。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようにする。」人の心はどれほど罪深いものか。パウロはローマ人への手紙の中で詩篇のことばを引用して次のように語った。「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある者はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益なものとなった。善を行う人はいない。ひとりもいない。彼らののどは、開いた墓であり、彼らはその舌で欺く。彼らのくちびるの下には、まむし毒があり、彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。彼らの足は血を流すのに速く、彼らの道には破壊と悲惨がある。彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」(3:10-18)
それほど罪に汚れた人間であっても、もし悔い改めるなら、神はその罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださる。(Iヨハネ1:9)これが福音である。
Ⅲ.だから悔い改めて(19-20)
だから悔い改めなければならない。悔い改めて、救い主イエスを信じなければならないのである。もし悔い改めて主が喜ばれる道を歩むなら、主はその人を祝福してくださる。もし拒むなら、剣にのみこまれる。選択は二つに一つしかない。真ん中はない。すべては私たちの選択にかかっているのである。生まれながらの人間はなかなか神の前に出ようとしない。自分の力、自分の努力で間に合わせようとするのだ。しかし、人間の力では天まで届くことはない。ただ神が与えてくださった救い主イエスを信じることによってのみ、罪が赦されるのである。
まとめ(自分に適用してみましょう!)
・あなたは、神に聞き従う信仰がありますか?あなたが陥りやすい形式的な信仰の行いは何ですか。その原因を神との関係に見出していますか?
・神の前で悔い改めるべき罪がありますか?「雪のように白くする」という神の約束を受け入れていますか?
・ 犠牲が伴っても、従順の道、祝福の道を歩もうと決意していますか?