イザヤ40:9-26 レジュメ  

「見よ、あなたがたの神を」               N058

Ⅰ.力ある神(10-11) 

40章からイスラエルに対する慰めのメッセージが語られている。いったい何が慰めなのか。神ご自身を見上げることである。神がどれほど力強く、あわれみ深い方なのかを知るなら、あなたは慰めを受ける。「見よ。神である主は力をもって来られ、その御腕で統べ治める。見よ。その報いは主とともにあり、その報酬は主の前にある。」(10)。そればかりではない。「主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。」(11)。主の御腕はすべてを統べ治める力強い御腕であると同時に、子羊を引き寄せ、そのふところに抱き寄せてくださる優しい御腕でもあるのだ。私たちの人生には失敗や失望があり、望みがなくなってしまう時があるが、そのような時でも「永遠の腕が下に」(申命記32:27)にあることはどんなに心強いことか。私たちの主はこのような方であることを覚えるとき、私たちは慰めを受ける。

Ⅱ.創造主なる神(12-17)

第二に、あなたの神は創造者なる神である。「だれが、手のひらで水を量り、手の幅で天を推し量り、地のちりを枡に盛り、山をてんびんで量り、丘をはかりで量ったのか。」(12)だれもこの地球にある水を量ることなどできない。ましてこの巨大な宇宙を量ることも、この地球にどれだけの土や砂があるのかを量ることなどできないのである。しかし神は、そうしたものを手のひらに乗せることができる。手の幅に収めることができる。なぜなら、この方は創造者なる神であるからだ。たとえあなたの抱えている問題が山のように大きくても、あるいは巨大な宇宙のように広がっているようでも、神の目から見たら本当にちっぽけなものにすぎない。そのすべての問題は神の御手の中にすっぽりと収まってしまう。神はそれほどパワフルな方である。それがあなたの神なのである。

Ⅲ.比類なき神(18-26) 

第三に、この方は比類なき神である。「あなたがたは、神をだれになぞらえ、神をどんな似姿に似せようとするのか。」(18)。愚かにも人間は、鋳物に金をかぶせ、銀の飾りを作って、いかにもそれが神々しい神であるかのようにする。樹齢何百年という太い杉の木にしめ縄をして、それが神だと本気で拝んだりしている。家内安全、無病息災、商売繁盛と書かれた紙の札が自分を守ってくれると思って大切に拝んでいるのだ。しかし、そんなものはただの紙きれであり、木であり、金属にすぎない。それはただ人間が作ったものにすぎないのだ。そんなものに天地を造られた真の神をなぞらえたり、比べたりすることはできない。この方は地の基を置かれ、天を薄絹のように引き延ばされた方だから。この方はだれとも比べることができない比類なきお方なのである。

それゆえにあなたは、「目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見」(26)なければならない。あなたの人生にどれほど大きな危険や困難があっても、あなたを愛し、あなたを守っておられる方の御腕は限りなく太くて、大きい。この方は天地を造られた創造者なる神である。この神があなたとともにおられ、その義の右の手であなたを守ってくださる。それを知ることが真の慰めなのである。

まとめ(自分に適用してみましょう!)

・目の前の問題のために右往左往していませんか。問題をどのように解決しようとしていましたか。

・偉大な神を見上げることを妨げているものは何ですか。