「慰めのメッセージ」 N057
Ⅰ.慰めよ 慰めよ(1-2)
イザヤ書はここから後半部分が始まる。前半はイスラエルに対する主のさばきが語られていたが、後半からは雰囲気がガラッと変わりイスラエルに対する慰めと希望が語られる。その慰めのメッセージとはどのようなものか?「その労苦は終わり、その咎は贖われた。そのすべての罪に引き替え、二倍のものを主の手から受けたと。」(2)いうものである。「労苦」と訳された言葉は「戦い」とも訳される言葉である。戦いのような毎日だった生活が終わり、その咎が報われるときがやって来る。ここには「二倍のものを主から受ける」とある。これは「折り重ねる」という言葉から来ている。支払いが終わった借金の明細が半分に折られ顧客のドアにピンで留めることである。半分と半分がちょうど対応するように罪に対する償いが完全に支払われたことを意味している。これまであなたを責め立てていた債務証書は完全に無効にされた。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘付けにされたのである。キリストは十字架で死なれる時「テテレスタイ」と言われた。意味は「完了した」である。あなたの罪に対する負債は完済された。あなたはもう罪に悩む必要はない。ここにはその罪の赦しの豊かさが語られているのである。これはグッド・ニュースではないか。これが慰めのメッセージなのである。
Ⅱ.荒野で呼ばわる者の声(3-5)
罪赦された者は、主の道を整えなければならない。これは主が通られる道である。かつて王が旅する時にはその行く先々に先遣隊を遣わし、道を整えた。道幅が広げられ、すべての谷は埋められ、山や丘は削られて低くされ、平らにされた。あなたを罪から救ってくださった王の王、主の主であられるイエスが、エルサレムに来られる。あなたの道は整えられているだろうか。劣等感や自己憐憫、敗北感といった思いで谷底のように沈んではいないだろうか。あるいは、プライドや傲慢といった山や丘で高くなっていないだろうか。もしそうであるなら谷は埋められ、山は削られて平らにしなければならない。
ところで、この「荒野に呼ばわる者の声」は、新約聖書でも引用されている。それはバプテスマのヨハネのことだ。彼はイエスが生まれる半年前に現れ、悔い改めのバプテスマを説いた。その風貌とメッセージはまさに旧約聖書の預言者そのもので、人々は彼こそキリストではないかと思ったが、ヨハネは「私は、預言者イザヤが言ったように「主の道をまっすぐにせよ」と荒野で叫んでいる声です。」(ヨハネ1:23)と答えた。それがヨハネのミニストリーであった。そしてそれは私たちのミニストリーでもある。私たちはヨハネと同じように荒野で叫ぶ者の声でなければならない。声は自分を見せたり、何か派手なことをする必要はない。ただイエスのことを分かち合えばいいのだ。しかしイエスは、「女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした。」(マタイ11:11)と言われた。もしあなたが荒野の声になるなら、あなたも偉大な者になることができる。荒野の声となって再び来られるイエスのために心を整えるなら、あなたもイエスからすぐれた者と言っていただけるのである。
Ⅲ.神のことばは永遠に立つ(6-8)
第三の慰めのメッセージは、「すべての人は草、その栄光は、みな野の花のようだ。」(6)ということである。いったいなぜこれが慰めのメッセージなのか。なぜなら、この現実をしっかりと受け止め、それを額面通りに受け止めるなら、あなたはその先のものを求め、そこに希望を置いて生きるようになるからである。多くの人たちは草や花なのに、いつまでもゴージャスな花を咲かせようと躍起になっている。健康を保とうとあれやこれやと走り回り、疲れ果てている。もちろん、健康を管理することは大切なことである。美に関心を払わないで汚い格好で一日過ごせと言っているのではない。そういうことに気を配ることは大切なことであるが、そうしたことにあまりにも気がとらわれていると、祝福を失ってしまうことになる。「エントロピーの法則」という宇宙の法則がある。これは形あるものは崩れるというものであるが、世と世にあるものはすべて滅んでいく。だから、そのようなものにばかりとらわれていると、そのようなものに人生のすべてをかけているとしたら、虚しい結果に終わってしまうことになる。そうしたものによっては決して慰めを得ることはできないのだ。
しかし、ここに永遠に変わらないものがある。それは神と神のことばである。もしあなたが変わることがない神のことばに信頼して生きるなら、決して失望することはない。主イエスは言われた。「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)あなたは絶対に見捨てられたり、見放されたりすることはない。主は約束をたがえることはないからだ。この神のことばに信頼して歩んで欲しい。そこに真の慰めがあるのである。
まとめ(自分に適用してみましょう!)
・あなたはまだ自分の罪で悩んでいませんか。あなたの労苦は終わり、咎は償われたと信じていますか。
・あなたの心は再び来られる主イエスのために整えられていますか。あなたの心の道は谷にように低くなっていますか。それとも山や丘のように高くなっていますか。考えてみましょう。
・あなたは目に見えるものに躍起になってはいませんか。あなたの人生で大切にしているものは何ですか。