イザヤ54:1-10 レジュメ

「あなたの天幕を広げよ」                  No.85

Ⅰ.あなたの天幕の場所を広げよ(1~3) 

 苦難のしもべの預言に続いて、その苦難のしもべによってもたらされる「回復の約束」が語られる。神に捨てられたようであったイスラエルが回復し、大いなる喜びと期待に胸を膨らませて祖国に戻り、国を再建するようになる。「子を産まない不妊の女よ。喜び歌え。産みの苦しみを知らない女よ。喜びの歌声をあげて叫べ。夫に捨てられた女の子どもは、夫のある女の子どもよりも多いからだ。」(1-2)それゆえ、彼らは自分たちの天幕の場所を広げなければならない。彼らの住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし、綱を長くし、鉄のくいを強固にしなければならない。(2)右と左にふえ広がり、彼らの子孫が、国々を所有して、荒れ果てた町々を人の住む所とするからだ。(3)

これは、民族としてのイスラエルだけに約束されていることではない。救い主イエス・キリストを信じ神の義とされた者たち、すなわち、霊的イスラエルであるキリストの教会にも約束されていることである。やがて神は、イエス・キリストを信じて救われる者たちをふやしてくださる。それゆえ、私たちは天幕の場所を広げ、鉄のくいを強固にしなければならない。そうなってからでは遅い。必ずそのようになるのだから、それに備えて準備しておかなければならないのである。

Ⅱ.あなたは恥をみない(4~6)

4節には、「恐れるな。あなたは恥をみない。」とある。彼らは自分たちの若かったころの恥を忘れ、やもめの時代のそしりを、もう思い出すことはない。なぜなら、主が彼らを贖われたからである。ここには主のことを「あなたの夫」(5)と言われている。「あなたの夫はあなたを造った者」と。その名は万軍の主であられる方が、彼らを贖ってくださる。だから、彼らは恐れることはないのである。彼らはかつて夫に捨てられた、心に悲しみのある女と呼ばれていたが、今はそうではない。今は若い時の妻のように、変わらぬ愛をもって見て下さる。神との婚姻関係を破り勝手に背を向けたイスラエルを、夫である神は、「若い時の妻をどうして見捨てられようか」(6)と言って、受け入れてくださるのである。私たちは不真実でも、神は常に真実である。神はご自身を否むことがないからだ。神はどんなことがあっても、最後まで見捨てるようなことはなさらない。

Ⅲ.永遠に変わらない愛(7~10)

それだけではない。ここには、「わたしはほんのしばらくの間、あなたを見捨てたが、大きなあわれみをもって、あなたを集める。怒りがあふれて、ほんのしばらく、わたしの顔をあなたから隠したが、永遠に変わらぬ愛をもって、あなたをあわれむ」(7-8)とある。神の愛はこれからも変わることがない。神は永遠の愛をもってあわれんでくださるのである。。神が無限であるように、神のあわれみも尽きることはない。その計り知れないあわれみの中に、私たちも置かれているのである。

神の愛は、私たちがしばしば耳にする「もしも」の愛ではない。もしも、あなたに才能があるなら、もしも、あなたにお金があるなら、もしも、あなたが健康なら、もしも、あなたが言うことを聞くなら愛するという、条件付きの愛ではない。神の愛は「にもかかわらず」の愛である。たとえ、あなたが罪を犯しても、たとえ、あなたが失敗しても、たとえ、あなたの性格が悪くても、たとえ、あなたに能力がなくても、たとえ、あなたの容姿がひどくても、そのようなこととは全く関係なく、無条件で愛してくださる。それが十字架で血を流して死んでくださったキリストの愛である。この十字架のキリストの血潮のゆえに、あなたは無条件の愛されている。まさに雑草のような者に注がれる神の豊かな恵みである。あなたはこのような愛で愛されている。だから、どんな困難や絶望的な状況にあっても落ち込むことなく、いつまでも変わらない希望を喜び歌うことができるのである。「たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。」(10)ここに慰めを得る人は幸いである。

あなたが今悩んでおられることは何か。仕事のこと、学校のこと、家庭のことで苦しんでいるかもしれない。しかし、あなたはイエス・キリストを信じ、バプテスマを受けたことで、この神との契約の中に入れられた。たとい山々が動いても、丘が移るようなことがあっても、神の変わらぬ愛はあなたから移ることはない。ここに希望をもって、神の慰めを受ける者でありたい。