イザヤ55:1-5 レジュメ

イザヤ書55:1~5  「ただで恵みを受けよ」                  No.87

Ⅰ.渇いている者は出て来い(1) 

 主のしもべは十字架と復活によって救いの御業を成し遂げてくださった。ここでは、その御業に対する応答が求められている。その応答とは何か?「渇いている者はみな、水を求めて出て来い。」(1)という招きに応答して出て行くことである。ここでは水だけではない。穀物も、ぶどう酒も、乳も、金を払わないでただで受けよ、と言われている。それは霊的にも物質的にも私たちにいのちと喜びをもたらしてくれるものである。「来る」ことがなければ何も始まらない。神が私たちに向かって開口一番おっしゃられることは、「来なさい」ということである。それはただ遠くから見つめることではない。神について研究することでもない。もし、あなたが疲れているなら、重荷を負っているなら、主のもとに来なければならない。そうすれば、主があなたを休ませてくださる。あなたが本当の祝福にあずかりたいのならば、どんな用事があろうと、どんなことをしていても、ひとまずそれを脇に置いて、主のもとに来なければならないのである。

Ⅱ.良い物を食べよ(2)

それなのに、「なぜ、あなたがたは、食料にもならない物のために金を払い、腹を満たさない物のために労するのか。わたしに聞き従い、良い物を食べよ。そうすれば、あなたがたは脂肪で元気づこう。」(2)「食料にもならない物」とか「腹を満たさない物」とは、神ご自身以外のものである。主のもとに出て行くのではなく、この世のもので満たされようと追い求めている。けれども、この世のものは決して私たちのお腹を満たすことはできない。だから、良い物を食べなければならない。「良い物」とは救いのみことばのことである。人はパンだけで生きているのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによって生きている。これこそ私たちを真に満たしてくれるものである。私たちはこの救いのみことばに信頼し、自分の置かれた絶望的な状況を乗り越えなければならない。そうすれば、あなたは脂肪で元気づくことになる。「脂肪」とは「最上のもの」という意味である。あなたが神とそのみことばに信頼するなら、神はあなたをすべての良いもので満ち溢れさせてくださる。

Ⅲ.あなたがたは生きる(3~5)

そればかりではない。ここには、「耳を傾け、わたしのところに出て来い。聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。」(3a)とある。もし神のもとに出て、神のみことばに聞き従うなら、あなたは生きることになる。これは肉体的に生きるということではない。永遠のいのちが与えられるということである。もしあなたが神を信じるなら、永遠に生きることになる。たとえ肉体的に死んでも、その霊は永遠に生きる。しかし、クリスチャンでない人はそうではない。死んだらまた死ぬ。死が二回ある。肉体的な死と、霊的な死である。霊的な死とは第二の死とも言われ(黙示録20:14)、永遠に燃える火の池の中に投げ込まれることを指している。しかし、クリスチャンは一度しか死ぬことはない。そしてたとえ肉体的に死んでも永遠のいのちが与えられ、天国で主とともにいつまでも生きることになる(黙示録21:27)のである。

その保証は何か。それはダビデと結ばれた愛の契約である。「わたしはあなたがたととこしえの契約、ダビデへの変わらない愛の契約を結ぶ。」(3b)それはダビデの行いによるものではなく、神の一方的な恵みの契約である。ただへりくだって神の前に出、神が与えてくださる恵みをうけることによってもたらされる救いである。それがダビデ契約であり、その子孫からお生まれになられたイエス・キリストによって実現した。これほど確かな保証がどこにあろうか。それは私たちの行いとは全く関係なく、一方的に神の恵みによって与えられるものだからである。

あなたは、このように価なしに味わうことができる神の恵みを、信仰をもって受け入れておられるだろうか。それともまだ食料にもならない物のために金を払い、腹を満たさない物のために労しているだろうか。もしあなたが神のもとに出て、神に聞き従うなら、あなたは生きる。あなたも神からの救いの招きに応答して、神がただで与えてくださる祝福を受けていただきたい。