ヘブル11章32節 「信仰によって生きた人々」

きょうは、「信仰によって生きた人々」とタイトルでお話しします。このヘブル人への手紙11章には、信仰によって生きた人々のことが取り上げられていますが、きょうのところにはこのシリーズの締めくくりとして六人の名前を挙げられています。その六人とはギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、そしてサムエルです。実際にはその後に預言者たちについても言及されていますから、もっと多くの人々が挙げられていることになりますが、とりあえず名前として取り上げられているのはこの六人です。いったいなぜ彼らの名前が挙げられているのでしょうか。

 

時代的な順序で言うならバラク、ギデオン、エフタ、サムソン、サムエル、ダビデという順序になりますが、ここにはそれとは違った順序で取り上げられています。おそらく、この手紙の著者は、時代的な順序を念頭に置いて名前を挙げたのではなく、信仰に生きた人たちにもいろいろなタイプの人たちがいて、そういういろいろなタイプを取り上げたかったのではないかと思います。

 

それでは、これらの人たちがどのように信仰に歩んだのかを見ていきたいと思います。

 

Ⅰ.ギデオン-臆病者でも

 

まず、最初に出てくるのはギデオンです。皆さん、ギデオンという人についてご存知でしょうか。聖書を無料で学校や病院に贈呈している団体がありますが、その団体の名前は「国際ギデオン協会」と言って、この人から取られました。信仰の勇士であったギデオンのように勇ましく主に仕えようという思いが伝わってきす。しかし、聖書をよく見ると、彼は最初から勇士であったわけではありません。ギデオンについては旧約聖書の士師記6章に記されてありますが、4節には、彼はミデヤン人の襲撃を恐れ、酒ぶねの中で、隠れるようにして小麦を打っていた、とあります。そんな彼に、ある日、主の使いが現われてこう告げるのです。「勇士よ。主があなたといっしょにおられる。」(士師6:4)これは、あなたは勇士なのだから、立ち上がってこれを迎え討ちなさいという意味です。しかし、彼はそれを素直に受け入れることができず、「主よ、もしあなたが私たちと一緒におられるなら、いったいどうしてこのようなことが起こるのでしょう。あなたは私たちとともにはおられません。あなたは私たちを捨てて、私たちをミデヤンの手に渡されたのです。」(同6:13)と答えました。

そんな彼に主は、「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。あたしがあなたを遣わすのではないか。」(同6:14)と告げるのですが、彼は尻込みして、なかなか従うことができませんでした。そして、だったらしるしを見せてくださいと、しるしを求めたのです。

 

最初は、彼が持って来た供えものを、主の使いが手にしていた杖の先を伸ばして触れると、たちまち岩から火が燃え上がって焼き尽くすというものでした(士師6:19-21)。

それでも確信がなかった彼は、次に、打ち場に刈り取った一頭分の羊の毛の上にだけ露が落ちて濡れるようにし、土全体はかわいた状態になっていたら、そのことで、主が自分を遣わしておられることがわかりますと言うと、主はそのようにしてくださいました(士師6:36-38)。

けれども、それでも確信がなかった彼は、もう一回だけ言わせてくださいと、今度は逆に土全体に露が降りるようにして、羊の毛だけはかわいた状態にしてくださいと言うと、主はそのようにしてくださいました(6:39-40)。

 

このようにして彼は、主の勇士に変えられ、わずか三百人で、ミデヤン人とアマレク人の連合軍十三万五千人を打ち破ることができました。初めは臆病で疑い深かった彼を、幼い子の手を引いて引き上げてくれる両親のように引き上げてくださり、信仰の勇者となることができたのです。

 

皆さんの中にギデオンのような臆病な人がいますか。しかし、そんな人でも変えられます。信仰の勇士になることができるのです。もしあなたが、確かに主は生きておられると確信しそのみことばに従うなら、信仰によって勇士となり多くの敵を打ち破ることができるようになるのです。

 

Ⅱ.バラク-優柔不断な人でも

 

次に出てくるのはバラクです。バラクについての言及は士師記4章にありますが、ちょっと優柔不断な人でした。当時、イスラエルはカナンの王ヤビンという人の支配下にあって苦しめられていました。その将軍はシセラという人でしたが、彼は圧倒的な戦力を誇り、イスラエルは彼の前に何も成す術がありませんでした。

 

ところが、ある時、当時イスラエルを治めていた女預言者デボラに、タボル山に進軍して、このシセラの大軍と戦うように、わたしは彼らをあなたの手に渡す(士師4:6-7)とう主のことばありました。それで彼女はそれをバラクに告げるのです。

 

するとバラクはどうしたかというと、女預言者デボラに、「もしあなたが私といっしょに行ってくださるなら、行きましょう。しかし、もしあなたが私といっしょに行ってくださらないなら、行きません。」(士師4:8)と答えるのです。何とも、もじもじした男です。行くのか、行かないのかはっきりしない、まさに優柔不断な男だったのです。

 

するとデボラは、「私は必ずあなたといっしょに行きます。けれども、あなたが行こうとしている道では、あなたは光栄を得ることはできません。主はシセラをひとりの女の手に渡されるからです。」(士師4:9)と告げました。私はあなたといっしょには行くけれど、主は別の方法でシセラと倒すというのです。それはひとりの女の手によってだというのです。それで彼は、ゼブルンとナフタリから1万人を引き連れて、タボル山に進軍したのです。

 

これはちょっと不思議です。確かにデボラは彼といっしょに行くと約束しましたが、そこで栄光を受けるのはバラクではなく「ひとりの女」だというのに、彼は進軍したからです。この「ひとりの女」とは、この後でシセラのこめかみに鉄のくいを刺し通したヤエルという人です。彼女はバラクとの戦いで追い詰められたシセラが彼女の家に水を求めて立ち寄ったとき、熟睡していた彼のところに近づいて、彼のこめかみに鉄のくいを刺し通したのです。それで彼女は栄光を受けたのです。栄光を受けたのはバラクではなくこの女性でした。にもかかわらずバラクは進軍したのです。なぜでしょうか。

 

それは彼が信仰によってそのように決断したからです。普通だったらこのようなことを言われたら、「だったら、や~めた。骨折り損のくたびれもうけだわ」と言って止めるところですが、彼はそうではありませんでした。それでも彼は出て行ったのです。それは彼が自分の栄誉ではなく、主とその民イスラエルの勝利をひたすら求めていたからなのです。ここではその信仰が称賛されているのです。本来ならこんな優柔不断な男のことなどどうでもいいことですが、それでも彼のことが取り上げられているのは、こ

うした彼の信仰が評価されていたからなのです。皆さん、どんなに優柔不断な人でも、信仰によって生きるなら主はその人を大きく評価してくださるのです。

 

Ⅲ.サムソン-破天荒な人でも

 

次に取り上げられているのはサムソンです。サムソンについては皆さんもよくご存じかと思います。彼はロバのあご骨で千人のペリシテ人を打ち殺したが、最後はそのペリシテ人に捕らえられて目をえぐられ、足には青銅の足かせをかけられ牢の中で臼をひかせられるという苦しみを味わいました。しかし、その牢の中で悔い改めると再び聖霊が激しく彼に下り、ペリシテ人の神ダゴンの神殿の柱を引き抜いて、そこにいた三千人のペリシテ人を打ち殺しました。その数は生きていた時に殺した敵の数よりも、多かったと言われています。

 

しかし、ここに信仰の勇者としてこのサムソンのことが取り上げられていることには、全く違和感がないわけではありません。というのは、彼の生活にはかなりいかがわしいところがあったからです。彼はナジル人として、生まれた時から神のために聖別された者であったのに、異教徒であったペリシテ人と結婚したり、売春婦であったデリラという女性と夜を過ごすなど、破天荒な生活をしていたからです。そんな彼でもここに信仰の勇者として取り上げられているのは、神の民イスラエルの敵であったペリシテを打ち倒すという神の御心の実現に向かって、生涯をかけて戦い抜いたからです。

 

かつてはヤクザの世界に身を置いていた人が神の福音を聞き、悔い改めてイエス様を信じた人たちの話を聞いたことがあります。彼らは、イエス様を信じる前はいわゆる全うな道から外れ、破天荒な生き方をしていた人たちでしたが、しかし、イエス様がその罪を赦してくださったことを知ると罪を悔い改め、「親分はイエス様」と言って、自分のいのちをかけて主を証するようになりました。彼らは反社会的勢力として一般の社会からつまはじきにされてもおかしくないような人たちでしたが、イエス様を信じたことで全く新しい人に変えられ、神の御心の実現のために生涯をかけて戦う者へとなりました。

 

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(Ⅱコリント5:17)

 

このような人たちの姿をみるとき、たとえどのような背景がある人でも信仰の勇者として用いられることがわかります。考えてみると、サムソンのことについて書かれてある箇所をみると、その随所に、「主の霊が激しく彼の上に降って」(士師14:6、19)とありますが、どんな人でも主の霊が臨むとき、その人は神の器として聖霊の力を受け、神の御心の実現のために大きく用いられるのです。

 

Ⅳ.エフタ-軽率な人でも

 

次に取り上げられているのはエフタです。エフタについては士師記11章に記されてありますが、彼はギルアデという父親と遊女との間に生まれた子どもです。そのため正妻の子どもたちによって家から追い出され、ごろつきどもと略奪をしていました。そんな彼がイスラエルの檜舞台に登場したのは、当時イスラエルにアモン人が攻撃しかけてきたときでした。そのとき、イスラエルの長老たちは、あのエフタなら何とかしてくれるかもしれないと、彼のもとに人をやって、自分たちを助けてくれるようにと頼むのです。過去のことでイスラエルを恨んでいたエフタはすぐには応じようとしませんでしたが、長老たちの切なる要請に応じて、アモン人と戦うことになりました。その時、エフタは主に誓ってこう言いました。「もしあなたが確かにアモン人を私の手に与えてくださるなら、私がアモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出てくる、その者を主のものといたします。」(11:30-31)こうして彼は出陣し、アモン人の大軍を打ち破って家に帰ってみると、何とその時最初に彼を出迎えたのは、彼のたった一人の娘でした。まさか彼の一人娘が出てくるなどとは夢にも思わなかったでしょう。それで彼は相当悩んだことと思いますが、それでも彼は、その誓いのとおりに自分の一人娘を主にささげたのです。彼は最初の誓いを最後まで貫いたのです。

 

ここで彼が自分の一人娘を主にささげたということが、いけにえとしてささげたということなのか、それとも主の働きのために結婚をせずに一生を過ごさせたということなのかについては見解が分かれるところですが、いずれにせよ、彼がここで信仰の勇者として取り上げられているのは、彼が主に誓ったことを最後まで誠実に履行したからなのです。もちろん、彼がイスラエルを導いてアモン人の大軍から民を救ったということも信仰の勇者として数えられていることの一因ではありますが、それ以上に、一度、神に対して誓った約束を最後までやり遂げたところに、彼の信仰の真骨頂が見られるのです。

 

時として私たちも軽率に主の前に誓うものの、自分の都合が悪くなるとそれを簡単に破ってしまうことがあります。誓約を守るということ、約束を果たすということはそれほど大変なことなのです。たとえば、結婚式の誓いにしても、常に相手を愛し、敬い、助けて変わることなく、その健やかなる時も、病める時も、富める時も、貧しき時もいのちの日の限り堅く節操を守ることを誓いますかと問われ、「はい、誓います。」と誓ったものの、実際に結婚してみると、「こんなはずじゃなかった。」と、いとも簡単に誓いから解かれようとします。そんなことなら初めから誓約などしない方がいいのに、それでも私たちが誓うのは、そこまでしても大切にしたいという思いがあるからです。

 

それは結婚だけではなく、私たちの信仰生活も同じです。ある意味で私たちの信仰生活はイエス様との結婚と同じです。イエス様が花婿であり、私たちはその花嫁です。聖書には教会がキリスト花嫁として描かれています。ですから、イエス様を信じた時どんなことがあってもあなたを愛し、あなたに従いますと誓ったはずなのに、私たちは自分に都合が悪くなると、いとも簡単にそこから解かれようとします。それは私たちに共通する弱さでもあるのです。

 

けれども、このエフタは違いました。彼は神に誓ったその誓いを、最後まで誠実に果たしました。その信仰が称賛されているのです。

 

Ⅴ.ダビデ-罪を犯しても

 

次に登場するのはダビデです。ダビデについてはもう説明がいらないくらい有名な人物です。彼はイスラエルの王であり、信仰の王でもありました。彼はいつも主に信頼し、その小さな体であるにもかかわらず、ペリシテの巨人ゴリヤテを石投げ一つで倒しました。そんな信仰の王であったダビデですが、実のところ、彼にも弱さがなかったわけではありません。彼の生涯における最大の汚点は、王の権力を笠に着た姦淫の罪と、それをもみ消そうとして犯した殺人の罪でした。どんなに偉そうに見える人にも弱さがないわけではありません。どんなに完全に見えるような人にも欠点はあるのです。しかし、ダビデの偉大さは、そのような弱さや欠点、罪や汚れがあっても、へりくだって神の御前に悔い改めたことです。彼は預言者ナタンによってその罪を指摘された時、自分の権力を笠に着て、それをごまかそうとしませんでした。彼は王の権力によって預言者ナタンの直言を退け、彼を処刑にすることさえできないわけではありませんでしたが、そのことばを受け入れ、神の御前に罪を悔い改めました。これは、そのときダビデが歌った詩です。

「神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪をぬぐい去ってください。どうか、私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。」(詩篇51:1-2)

 

皆さん、このとき彼はイスラエルの王ですよ。王ともあろう者が自分の罪を認め、それを告白し、悔い改めるということは、王のメンツにかかわることでしたが、彼は王としてのメンツも何もかも捨てて、神の御前にへりくだったのです。それが彼の本当の意味での偉大さだったのです。

 

Ⅵ.サムソン-人はうわべを見る

 

最後に登場するのはサムエルです。彼は最後の士師として、また、祭司として、預言者として偉大な神の働きをしました。聖書を見る限り、彼は非の打ちどころがないほど完璧な人物として描かれていますが、そんなサムエルでも弱点がなかったわけではありません。彼の弱さはどんなところであったかというと、うわべで人を判断するという点でした。それは彼がサウルに代わるイスラエルの王を立てるとき、エッサイの家に生きましたが、長男のエリアブを見たとき、「確かに、主の前で油注がれる者だ」と思い、そうしようとしましたが、主は、そうではないと仰せられました。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」(Ⅰサムエル16:7)と仰せられたのです。それでエッサイはその弟アビナダブ、シャマと進ませましたが、彼らも主が選んでいる器ではありませんでした。主が選んでおられたのは七人兄弟の一番末の弟でダビデでした。彼はまだ小さく羊の世話をしていましたが、彼が連れて来られたとき、主は、彼に油を注げと言われたので、サムエルはダビデに油を注いで王としたのです。

 

このようにサムエルとて弱点はありましたが、それにもかかわらず、ここに信仰の勇者として彼が名を連ねているのは、そのような中にあってもイスラエルの民を終始信仰によって指導し、エルサレムの神殿がペリシテ人によって破壊され、イスラエルの中心であった神の箱が奪われても、弱り果てたイスラエルの心を奮起させようと必死に取り組んだからです。神の箱がペリシテ人のものになっても、神はなおもイスラエルの民とともにおられることを示し、それを取り戻した時にはそれを人里離れた遠いところに置き、イスラエルの民の心が神の箱にではなく、神ご自身に向けられるように指導しました。

 

このように、サムエルはイスラエルの民の心がいつも主に向けられるように指導しました。預言者として、神の命令に背き自分勝手な道を進もうとするイスラエルに神のことばを語り、主に従うようにと励ますことは大変だったと思いますが、それでも彼は忍耐して、その働きを全うしました。それは、彼が信仰によって歩んでいたからです。その信仰が評価されたのです。

 

このように、彼らは生きていた時代や背景も違い、また、性格もいろいろでしたが、どの時代、どのようなタイプの人であっても、共通していたのは、信仰によって生きていたということです。それはここに名を連ねている人もいれば、いない人もいます。そうした多くの人たちが含まれているのです。それが良い時であれ、悪い時であれ、彼らはひたすら神に信頼し、信仰によって生きたのです。

 

それは私たちにも求められていることです。私たちの置かれているこの時代は良い時か、悪い時か、良い時もあれば、悪い時もあるかもしれません。しかし、それがどんな時であっても、私たちもまた信仰によって生きていこうではありませんか。ですから、聖書は私たちにこう告げるのです。ヘブル人への手紙12章1節です。

「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。」

 

信仰の旅は、決してひとりぼっちではありません。あなただけがこの信仰の戦いをしているのではないのです。神に誠実を尽くした偉大な聖人たちや無名な信仰者たちが手本となって、私たちを励ましてくれています。彼らが今、天の御国にいることも私たちの励ましです。ですから、私たちも信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないで、神に従った人たちに背中を押されながら、信仰の歩みを続けていくことができるのです。