士師記20章

士師記20章からを学びます。まず1節から16章までをご覧ください。

 

Ⅰ.ミツパでの会合(1-16)

 

「そこで、イスラエルの子らはみな出て来た。ダンからベエル・シェバ、およびギルアデの地に及ぶその会衆は、一斉にミツパの主のもとに集まった。民全体、イスラエルの全部族のかしらたちが、神の民の集会に参加した。剣を使う歩兵も四十万人いた。ベニヤミン族は、イスラエルの子らがミツパに上って来たことを聞いた。イスラエルの子らは、「このような悪いことがどうして起こったのか、話してください」と言った。殺された女の夫であるレビ人は答えた。「私は側女と一緒に、ベニヤミンに属するギブアに行き、一夜を明かそうとしました。すると、ギブアの者たちが私を襲い、夜中に私のいる家を取り囲み、私を殺そうと図りましたが、彼らは私の側女に暴行を加えました。それで彼女は死にました。そこで私は側女をつかみ、彼女を切り分け、それをイスラエルの全相続地に送りました。これは、彼らがイスラエルの中で淫らな恥辱となることを行ったからです。さあ、あなたがたすべてのイスラエルの子らよ。今ここで、意見を述べて、相談してください。」そこで、民はみな一斉に立ち上がって言った。「私たちは、だれも自分の天幕に帰らない。だれも自分の家に戻らない。今、私たちがギブアに対してしようとすることはこうだ。くじを引いて、向かって行こう。 私たちは、イスラエルの全部族について、百人につき十人、千人につき百人、一万人につき千人を選んで、兵たちのための食糧を持たせよう。そしてベニヤミンのギブアに行かせ、ベニヤミンがイスラエルで犯したこのすべての恥ずべき行いに対して、報復させよう。」こうして、イスラエルの人々はみな団結し、一斉にその町に集まった。 イスラエルの人々は、ベニヤミンを除き、剣を使う者四十万人を召集した。彼らはみな戦士であった。」

 

「そこで」とは、19章で起こった出来事を受けてのことです。イスラエルに、これまで見たことも、聞いたこともないような事件が起こりました。ベニヤミン族のギブアの人たちが、そこに泊まったレビ人のそばめを犯し、夜通し朝まで暴行を加え、夜が明けるころに彼女を解放したのです。それでそばめは死んでしまいました。そのレビ人は自分の家に着くと、死んだそばめの体を12の部分に分け、それをイスラエル全土に送りました。それを見た者はみな、「イスラエルの子らがエジプトの地から上って来た日から今日まで、このようなことは起こったこともなければ、見たこともない。このことをよく考え、相談し、意見を述べよ。」と言いました。「それで」です。

 

それで、イスラエルの子らはみな、一斉にミツパの主のもとに集まり、問題解決のために話し合いました。「ミツパ」は、ベニヤミン族の領地のエフライムとの北境にある町です。そこにイスラエルの全部族から、剣を使う兵士40万人が集まったのです。

イスラエルの子らが、そばめを殺されたレビ人に、「どうしてこのような悪ことが起こったのか」と聞くと、そばめを殺されたレビ人は、ギブアに滞在した日の夜に起こった出来事について説明しました。そして、「さあ、あなたがたすべてのイスラエルの子らよ。今ここで、意見を述べて、相談してください。」と言いました。非は確かにギブアの住民にありました。しかし、この会話をよく見ると、彼は自分のそばめを外に放り出したことについてはいっさい触れていません。自分に都合の悪いことは伏せておきたいというのが人間の本性なのでしょう。

 

それに対してイスラエルの民はみな一斉に立ちあがり、一致団結してギブアに立ち向かい、彼らを報復させることを決定しました。彼らは、ベニヤミン族に対して、ギブアにいるあのよこしまな者たちを渡すように要請します。イスラエルは、悪い行いをした者だけ除き去ろうとしたのです。しかし、ベニヤミン族は、自分たちの同胞イスラエルの子らの言うことを聞こうとしませんでした。それどころか、イスラエルの子らと戦おうとして町々から出てきたのです。その数は剣を使う者26,000人と、そのほかに、ギブアの住民から700人の精鋭が招集されました。ここにイスラエル40万人と、ベニヤミン族26,700人との戦いが勃発したのです。

 

これは予想外の展開でした。イスラエルとしては戦いを避けるためにギブアにいるあのよこしまな者たちを渡すようにと要請しましたが、まさかベニヤミン族との戦いに発展するとは思っていなかったのです。これは最悪の事態でした。この事態を避ける道はなかったのでしょうか。もしイスラエル人たちがもう少し時間をかけて話し合ったなら、別な展開になっていたかもしれません。けれども、イスラエルの人たちは、明らかに相手が悪いという思いがありました。ですから、ギブアに向かって立ち向かい、報復させようという思いがあったのです。自分を義として性急にことを運ぶのは危険です。伝道者の書7章16節にはこうあります。

「あなたは正しすぎてはならない。自分を知恵のありすぎる者としてはならない。なぜ、あなたは自分を滅ぼそうとするのか。」

私たちも自分には何の非もなく悪いのは相手であると思うと、このような態度になりがちです。そうではなく、自分も罪赦された罪人であることを自覚して、同じ目線で話し合いに臨む必要があります。

 

Ⅱ.主の戦い(18-35)

 

次に、18節から35節までをご覧ください。

「イスラエルの子らは立ち上がって、ベテルに上り、神に伺った。「私たちのうち、だれが最初に上って行って、ベニヤミン族と戦うべきでしょうか。」主は言われた。「ユダが最初だ。」朝になると、イスラエルの子らは立ち上がり、ギブアに対して陣を敷いた。イスラエルの人々はベニヤミンとの戦いに出て行き、彼らと戦うためにギブアに対して陣備えをした。ベニヤミン族はギブアから出て来て、その日、イスラエルのうち二万二千人を滅ぼした。しかし、イスラエルの人々の軍勢は奮い立って、最初の日に陣を敷いた場所で、再び戦いの備えをした。イスラエルの子らは上って行って、主の前で夕方まで泣き、主に伺った。「再び、同胞ベニヤミン族に近づいて戦うべきでしょうか。」主は言われた。「攻め上れ。」そこで、イスラエルの子らは次の日、ベニヤミン族に向かって行ったが、ベニヤミンも次の日、ギブアから出て来て彼らを迎え撃ち、再びイスラエルの子らのうち一万八千人をその場で殺した。これらの者はみな、剣を使う者であった。イスラエルの子らはみな、こぞってベテルに上って行って泣き、そこで主の前に座り、その日は夕方まで断食をし、全焼のささげ物と交わりのいけにえを主の前に献げた。イスラエルの子らは主に伺った──当時、神の契約の箱はそこにあり、また当時、アロンの子エルアザルの子ピネハスが、御前に仕えていた──イスラエルの子らは言った。「私はまた出て行って、私の同胞ベニヤミン族と戦うべきでしょうか。それとも、やめるべきでしょうか。」主は言われた。「攻め上れ。明日、わたしは彼らをあなたがたの手に渡す。」そこで、イスラエルはギブアの周りに伏兵を置いた。三日目にイスラエルの子らは、ベニヤミン族のところに攻め上り、先のようにギブアに対して陣備えをした。ベニヤミン族は、この兵たちを迎え撃つために出て、町からおびき出された。彼らは、一方はベテルに、もう一方はギブアに至る大路で、この前のようにこの兵たちを討ち始め、イスラエルのうちの約三十人が野で剣に倒れた。ベニヤミン族は「彼らは最初の時と同じように、われわれの前に打ち負かされる」と考えた。しかし、イスラエルの子らは「さあ、逃げよう。そして彼らを町から大路におびき出そう」と言った。イスラエルの人々はみな、持ち場から立ち上がって、バアル・タマルで陣備えをした。一方、イスラエルの伏兵たちは、自分たちの持ち場、マアレ・ゲバから躍り出た。こうして、全イスラエルの精鋭一万人がギブアに向かって進んだ。戦いは激しかった。ベニヤミン族は、わざわいが自分たちに迫っているのに気づかなかった。主がイスラエルの前でベニヤミンを打たれたので、イスラエルの子らは、その日、ベニヤミンの二万五千百人を殺した。これらの者はみな、剣を使う者であった。」

 

するとイスラエルの子らは立ちあがって、ベテルに上って行き、そこで神に伺いました。「私たちのうち、だれが最初に上って行って、ベニヤミンと戦うべきでしょうか。」すると主は言われました。「ユダが最初だ。」ユダ族にはかつてカレブという勇者がいました。また、最初の士師として立てられたオテニエルもそうです。このユダ族の出身でした。ですから、信仰の勇士であったユダ族こそ最初に上っていく部族としてふさわしかったのでしょう。しかし、最初の日、イスラエルのうち22,000人が戦死してしまいました。

 

翌日、イスラエルの軍勢は奮い立って、最初の日に陣を敷いた場所で、再び戦いの備えをします。彼らは上って行って、主の前で夕方まで泣き、主に伺いを立てて言いました。「再び、同族ベニヤミン族に近づいて戦うべきでしょうか。」彼らは同胞を相手に戦わなければならないことに不安を感じていたのでしょう。できれば避けて通りたいところです。けれども、主の答えは、「攻め上れ。」でした。そこで彼らは次の日、ベニヤミン族に向かって行きましたが、ベニヤミン族もギブアから出て来て彼らを迎え撃ったので、再びイスラエルの子らのうちに18,000人の犠牲者が出ました。これらはみな、剣を使う戦士たちでした。

 

そこでイスラエルの民はどうしたでしょうか。彼らはみな、こぞってベテルに上って行って泣き、そこで主の前に座って、夕方まで断食をし、全焼のいけにえと交わりのいけにえを主の前に献げました。今度はミツパではなく、場所がベテルに移っています。ベテルはミツパの北東約5㎞のベニヤミンの領地にある町です。ここは、かつてヤコブがエサウから逃れて叔父のラバンの所に行く途中石を枕にして一夜を過ごしたところです。どうしてベテルに上って行ったのかというと、神の契約の箱がそこにあったからです。シロから移っていたのでしょう。また当時、アロンの子エルアザルの子ピネハスが、御前に仕えていました。ここに神の幕屋があったということです。ですから、彼らは主のもとに行って礼拝をささげ、断食して祈りながら、主のみこころを求めたのです。泣きながら。

 

このような祈りを、主はないがしろにされることはありません。ユダの王ヒゼキヤは、病気にかかって死にかけていたとき、「あなたは死ぬ。直らない。」(イザヤ38:1)と死の宣告を受けましたが、彼は主のもとに行き泣きながら祈ると、その祈りが聞かれ、彼の寿命に15年が加えられました。さらに、ユダをアッシリヤの手から救い出し、エルサレムの町を守るという約束まで与えられました。私たちも困難な時に主の前に行き、心を注ぎ出して祈るなら、主はその祈りに答えてくださいます。

 

最近、このイザヤ書のメッセージを見た方からメールがありました。

「ディボーションがイザヤ書で難しかったのでネットで検索したところ、こちらのページのメッセージを読みました。凄い恵まれました。ヒゼキヤの祈りです。壁に当たった時に神のあわれみで救われた時のことを思い出しました。好きになった女性は、既に他の人と結婚が決まっていました。ただただ毎日、誰もいない教会で神と自分とひたすら向き合いました。自分の思いを神の御前に正直に打ち明けました。何日か経ったクリスマスの日に、彼女と偶然出会わせ、彼女に自分の思いを伝えました。今では、子どもも3人産まれ、毎週家族5人で日曜日に教会へ通っております。今の妻が当時の彼女です。」

 

この方は、人生の壁にぶつかった時、神のあわれみを求めて祈った結果、神の奇跡的な御業を体験したのです。このイスラエルの民も一度ならず二度までも戦いに敗れ、神の導きがどこにあるのかわからなかったとき、主の前に出て、心を注いで祈りました。「私はまた出て行って、私の同胞ベニヤミン族と戦うべきでしょうか。それとも、やめるべきでしょうか。」

すると、主はこう言われました。「攻め上れ。明日、わたしは彼らをあなたがたの手に渡す。」それで、イスラエルはギブアの周りに伏兵を置きました。

三日目のことです。イスラエルの子らは、ベニヤミン族のところに攻め上り、先のようにギブアに対して陣備えをしました。今度は、敵をおびき出す作戦を取り、ついにベニヤミン族の兵士25,000人が剣に倒れました。

 

35節には、「主がイスラエルの前でベニヤミンを打たれたので、イスラエルの子らは、その日、ベニヤミンの二万五千百人を殺した。」とあります。これは、主の戦いでした。主がベニヤミンをさばくための戦いであったということです。神の民であっても、自分の罪を悔い改めなければ、このベニヤミン族のように滅ぼされてしまうことになります。しかし、もし自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての不義から私たちをきよめてくださいます。(Ⅰヨハネ1:9)なぜなら、その罪に対する神の怒りは、御子イエスの上に向けられたからです。大切なのは、私たちがどこまでも頑なになるのではなく、主の御声を聞いて悔い改めることです。へブル4章7節に、「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。」とあるとおりです。まだ安息は残されています。その安息に入るために、今日、もし御声を聞くなら、心を頑なにせず、従順になって、主に聞き従う者になろうではありませんか。

 

Ⅲ.救われるため(36-48)

 

最後に、36節から48節を見て終わります。

「ベニヤミン族は、自分たちが打ち負かされたのを見た。イスラエルの人々はベニヤミンに陣地を明け渡した。それは、ギブアに向けて備えていた伏兵を信頼したからであった。伏兵は急いでギブアを襲った。伏兵はその勢いに乗って、町中を剣の刃で討った。イスラエルの人々と伏兵の間には合図が決められていて、町からのろしが上がったら、イスラエルの人々が引き返して戦うことになっていた。ベニヤミンが攻撃を始めて、剣に倒れる者が約三十人、イスラエルの人々の中に出たとき、彼らは「きっと前の戦いの時と同じように、彼らはわれわれに打ち負かされるに違いない」と考えた。のろしが煙の柱となって町から上り始めた。ベニヤミンがうしろを振り向くと、見よ、町全体が煙となって天に上っていた。そこへイスラエルの人々が引き返して来たので、ベニヤミンの人々はわざわいが自分たちに迫っているのを見て、うろたえた。彼らはイスラエルの人々の前から逃れて荒野の方へ向かったが、戦いは彼らに追い迫り、町々から出て来た者も合流して彼らを殺した。イスラエルの人々はベニヤミンを包囲して追いつめ、メヌハから、東の方の、ギブアの向こう側まで踏みにじった。こうして、ベニヤミンの一万八千人が倒れた。これらはみな、力ある者たちであった。またほかの者は荒野の方に向かってリンモンの岩まで逃げたが、イスラエルの人々は、大路でそのうちの五千人を討ち取り、なお残りをギデオムまで追いかけて、二千人を打ち倒した。 その日、ベニヤミンの中で倒れた者は剣を使う者たち合わせて二万五千人で、彼らはみな、力ある者たちであった。しかし、六百人の者は荒野の方に向かってリンモンの岩に逃げ、四か月の間、リンモンの岩にとどまった。イスラエルの人々は、ベニヤミン族のところへ引き返し、無傷のままだった町も家畜も、見つかったものをすべて剣の刃で討ち、また見つかったすべての町に火を放った。」

 

ベニヤミン族は、自分たちが打ち負かされたのを見ました。ギブアの町にイスラエル軍の伏兵が入って、そこにいる者を打ちまくり、のろしを上げたのです。ベニヤミン族はイスラエルの人々の前から逃れて荒野の方へ向かいましたが、戦いは彼らに追い迫り、町々から出て来た者も合流して彼らを殺しました。こうして、ベニヤミンの18,000人が倒れました。これらはみな、力ある者たちでした。またほかの者は荒野の方に向かってリンモンの岩まで逃げましたが、イスラエルの人々は、大路でそのうちの5,000人を討ち取り、なお残りをギデオンまで追いかけて、二千人を打ち倒しました。結局、その日、ベニヤミンの中で倒れた者は剣を使う者たち合わせて25,000人で、彼らはみな、力ある者たちでした。しかし、600人の者は荒野の方に向かってリンモンの岩に逃げ、四か月の間、リンモンの岩にとどまったので、イスラエルの人々は、ベニヤミン族のところへ引き返し、無傷のままだった町も家畜も、見つかったものをすべて剣の刃で討ち、また見つかったすべての町に火を放ちました。

 

これは、ヨシュアがエリコに対して行ったのと同じです。「聖絶」です。かつてはカナン人に対して行われた「聖絶」が、今度は12部族の一つであるベニヤミン族に対して行われたのです。なぜそこまでする必要があったのでしょうか。このように行うことが本当に正しかったのでしょうか。21章15節には、「民はベニヤミンのことで悔やんでいた。主がイスラエルの部族の間を裂かれたからである」とあります。そうです、これは主から出たことでした。たとえ神の民であったとしても、神に背いて罪を犯すなら、このような神のさばきがあることを覚えておかなければなりません。

 

しかし、それは世が神様によって裁かれるのとは大きな違いがあります。パウロは、信者が裁かれることについてこう言っています。「私たちがさばかれるとすれば、それは、この世とともにさばきを下されることがないように、主によって懲らしめられる、ということなのです。」(Ⅰコリント11:32)」つまり、確かに懲らしめはあるけれども、それは罪に定めるためではなく、むしろ世と共に罪に定められることのないようにするためです。つまり、懲らしめによって罪から離れて救われるためなのです。

 

パウロは、コリントの教会で、父の妻を妻にしている者に対してどうすべきなのかについて次のように述べています。「現に聞くところによれば、あなたがたの間には淫らな行いがあり、しかもそれは、異邦人の間にもないほどの淫らな行いで、父の妻を妻にしている者がいるとのことです。 それなのに、あなたがたは思い上がっています。むしろ、悲しんで、そのような行いをしている者を、自分たちの中から取り除くべきではなかったのですか。私は、からだは離れていても霊においてはそこにいて、実際にそこにいる者のように、そのような行いをした者をすでにさばきました。すなわち、あなたがたと、私の霊が、私たちの主イエスの名によって、しかも私たちの主イエスの御力とともに集まり、そのような者を、その肉が滅ぼされるようにサタンに引き渡したのです。それによって彼の霊が主の日に救われるためです。」(Ⅰコリント5:1-5)

パウロは、一般の人々よりひどい不品行を犯していたコリントの人たちをサタンに引き渡しました。問題は、それは何のためであったかということです。ここには、「それによって彼の霊が主の日に救われるためです。」とあります。その証拠に、コリント人への第二の手紙で、悲しみで押しつぶされそうになっているこの兄弟を、教会が赦し、受け入れるように勧めています(Ⅱコリント2:3-11)。これが、兄弟が罪を犯した時に教会が取るべき態度です。確かにそれは悲しいことですが、教会が考えなければならないことはその人をさばくことではなく、どうしたら救われるのかということです。そのためには時には懲らしめも必要となりますが、それは、それによって彼の霊が主の日に救われるためであるということを十分理解して行わなければなりません。

 

いずれにせよ、こうした問題が神の民の中に起こるのは悲しいことです。いったいどこに問題があったのでしょうか。この士師記の最後の所にはこうあります。「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた。」これが問題です。イスラエルに王がいないということです。だから、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていました。これが問題です。私たちはこのようなことがないように、まず主イエス様を私たちの心にお迎えし、この方を王としなければなりません。そして、自分の目に正しいことではなく、主の目に正しいことを求めなければなりません。いつも主のみこころにかなった歩みができるように、日々、主ご自身を求めましょう。