出エジプト記12章

きょうは、出エジプト記12章から学びます。エジプトに、すでに9つのわざわいが下りました。そしてここに第10番目のわざわい、最後のわざわいが下ろうとしています。それは前の章において宣告されていましたが、エジプトの初子という初子はみな死ぬというものでした。しかし、イスラエル人は、そのわざわいを免れます。それを示したものが過越しの祭りと呼ばれるもので、旧約聖書にも、新約聖書にも、イスラエルの祭りの中ではこの祭りが一番多く出てきます。それだけ重要な祭りであるといえます。今回は、この過越しの祭りについて学んでいきましょう。

 

Ⅰ.過越の祭り(1-14)

 

まず1節から14節までを見ていきましょう。1節と2節をご覧ください。

「主はエジプトの地でモーセとアロンに言われた。「この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ。」

この月がイスラエルの国にとって1年の最初の月になります。この月とは、ユダヤ暦の「アビブの月」のことです。バビロン捕囚以降は、この月は「ニサンの月」と呼ばれるようになります。「アビブの月」も「ニサンの月」も、同じ月のことです。現代の暦では、3月か4月になります。なぜこの月が年の最初の月となるのでしょうか。それは、この月がイスラエルの国の始まりとなるからです。彼らは長い間エジプトに捕らえられており、自分たちの国がありませんでした。しかし、主はそこからご自分の民を解放し、約束の地へと導かれます。その最初の月がこの月なのです。ですから、ここから始めなければなりません。

 

さらに主はこのように命じられました。3節から5節をご覧ください。

「この月の十日に、それぞれが一族ごとに羊を、すなわち家ごとに羊を用意しなさい。もしその家族が羊一匹の分より少ないのであれば、その人はすぐ隣の家の人と、人数に応じて取り分けなさい。一人ひとりが食べる分量に応じて、その羊を分けなければならない。:5 あなたがたの羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。それを子羊かやぎのうちから取らなければならない。」

ニサンの月の10日に、家族ごとに羊を用意します。その家族の人数が羊1匹の分より少ない場合は、隣の家の人と分かち合わなければなりません。すなわち、一人ひとりが食べる分量に応じて、その羊を分けなければなりません。

 

その羊は、傷のない1歳の雄でなければなりません。それを子羊かやぎのうちから取らなければなりませんでした。つまり、完全なものでなければならなかったということです。神へのいけにえは、傷や欠陥があってはならないのです。それは、私たちの罪のためのいけにえであるからです。Ⅰペテロ1:18-19には、「ご存じのように、あなたがたが先祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない子羊のようなキリストの、尊い血によったのです。」とあります。私たちの主は罪のない完全ないけにえでした。だからこそ、神にささげることができたのです。

 

6節から11節までをご覧ください。

「あなたがたは、この月の十四日まで、それをよく見守る。そしてイスラエルの会衆の集会全体は夕暮れにそれを屠り、 その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と鴨居に塗らなければならない。そして、その夜、その肉を食べる。それを火で焼いて、種なしパンと苦菜を添えて食べなければならない。生のままで、または、水に入れて煮て食べてはならない。その頭も足も内臓も火で焼かなければならない。それを朝まで残してはならない。朝まで残ったものは燃やさなければならない。あなたがたは、次のようにしてそれを食べなければならない。腰の帯を固く締め、足に履き物をはき、手に杖を持って、急いで食べる。これは主への過越のいけにえである。」

 

その羊をこの月の14日まで、すなわち、ニサンの月の14日まで、よく見守ります。なぜなら、その間に傷やしみがついてはいけなかったからです。それは、よく吟味することが必要でした。そしてイスラエルの民の全会衆は集まって、夕暮れにそれをほふり、その血を取り、羊を食べる家々の日本の門柱と鴨に塗らなければなりませんでした。

これは大体午後3時から日没までの間ということになります。日没になると、ユダヤの暦ではそこから一日が始まりますから、その前にほふったということになれます。ですからイエス様が十字架で死なれたのは、この14日のことだったのです。その日の夕暮れにそれをほふり、その血を取り、羊を食べる家々の日本の門柱と鴨に塗らなければなりませんでした。

 

ここで重要なのは血を取ることと、それを家の門柱と鴨に塗ることでした。なぜなら、血を流すことがなければ、罪の赦しはないからです(へブル9:22)。これが、永遠の昔から、神が人を救われる時に用いられる方法でした。覚えていらっしゃいますか。たとえば、アダムとエバが罪を犯した時に彼らはいちじくの葉を綴り合わせたもので腰の覆いを作りましたが、そんな彼らのために神は、皮の衣を作って着せられました(創世記3:21)。なぜ皮の衣だったのでしょうか。それは、神様は彼らの罪を覆うために血を要求されたからです。皮の衣を作るには動物をほふり、皮をはがさなければなりません。当然、そこに血が流れます。この血が要求されたのです。

 

アダムとエバの最初の子どもはカインとアベルでしたが、カインは神がアベルのささげたささげものを受け入れましたが自分のささげものを受け入れなかったことで怒り、弟アベルを殺してしまいました。人類最初の殺人事件です。いったいなぜ神はアベルのささげものを受け入れられたのにカインのささげものを受け入れなかったのでしょうか。それは、アベルは自分の羊の中から、しかも最良のものをささげたのに対して、カインはそうではなかったからです。彼は地の作物の中から神にささげました。しかし、神が求めておられたのは動物でした。なぜなら、そこに血が流されなければならなかったからです。そのことは後でレビ記17:11に出てきますが、いのちとして贖いのするのは血だからです。血を注ぎ出すことがなければ罪の赦しはありません。これが、永遠の昔から神が人の罪を贖うために計画しておられた方法だったのです。ですから、イエス様は十字架にかかって死んでくださったのです。それは、イエス様が動物の血ではなく、ご自分の血によって、私たちが神に受け入れられるようになるためです。その血を取り、それを二本の門柱と鴨居に塗ることによって、すなわち、イエス様が流された血を私たちの心に塗ること(信じること)によって、私たちに対する神のさばきが過ぎ越すためです。この命令どおり血を塗る徒、十字架が2本連なったような形になります。

 

そして、その夜、その肉を食べます。日没から、すなわち、翌日に入ってから過越の食事が始まります。食べ方も定められていました。まずその肉を食べました。その肉は火で焼かなければなりませんでした。生のままや、水で煮るという方法は許されません。その頭も足も内蔵も火で焼かなければなりません。これは、献身は全的なものでなければならないことを象徴しています。それを種なしパンと苦菜を添えて食べなければなりませんでした。パン種の入っていないパンを食べるのは、出エジプトの夜、急いでいたのでパンを発酵させる時間がなかったことを思い出すためです。また、苦菜を添えるのは、エジプトでの奴隷の状態での苦みと汗を思い出すためです。

もし残ったものがあれば、朝まで残しておいてはなりませんでした。それらをすべて火で焼かなければならなかったのです。なぜなら、翌日に同じものを食するようなことがあってはならなかったからです。これはイスラエルがエジプトからあがなわれたことを表す特別の食事だったのです。

 

過越しの食事の仕方にも決まりがありました。それは腰の帯を固く締め、足に履き物をはき、手に杖を持って、急いで食べるということでした。まるで立ち食いそば屋のような景色です。これは主が「旅立て」と言われたら、すぐに従えるように準備しておくためです。ちなみに、約束の地に入ったユダヤ人たちは、横になって過越しの食事をするようになります。それは、自分たちが自由の身になったことを表しているからです。

 

12節から14節までをご覧ください。

「その夜、わたしはエジプトの地を巡り、人から家畜に至るまで、エジプトの地のすべての長子を打ち、また、エジプトのすべての神々にさばきを下す。わたしは主である。その血は、あなたがたがいる家の上で、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたのところを過ぎ越す。わたしがエジプトの地を打つとき、滅ぼす者のわざわいは、あなたがたには起こらない。 この日は、あなたがたにとって記念となる。あなたがたはその日を主への祭りとして祝い、代々守るべき永遠の掟として、これを祝わなければならない。」  イスラエル人たちが過越しの食事をしている時に、主はエジプトの地を巡り、さばきを下します。そのさばきとは、エジプトの地のすべての初子を打つ、というものでした。その中には、人の初子も家畜の初子も含まれていました。さらに主は、エジプト人のすべての神々にさばきをくだされます。しかし主は、イスラエル人の家々を通り越されます。なぜなら、その血がしるしとなるからです。「その血は、あなたがたがいる家の上で、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたのところを過ぎ越す。わたしがエジプトの地を打つとき、滅ぼす者のわざわいは、あなたがたには起こらない。」(13)この聖句から「過越しの祭り」という言葉が生まれました。主は、血を見て過ぎ越されるのです。本来であれば、神のさばきは、エジプト全地に対するものでした。それゆえ、イスラエル人も本来ならエジプト人と同じように滅びなければならなかったのですが、彼らにはそのさばきが下りませんでした。それは彼らが何か良い民族だからではありません。ただ、血によってのみ、さばきが通り越したのです。これは、何回強調しても強調しすぎることのない、大切な真理です。私たちの中には、何一つ救われるべき理由はありません。さばかれる原因はすべて持っていますが、救われる理由は私たちの側には何一つありません。ただ、キリストの血によって救われたのです。
Ⅱ.種なしパンの祭り(15-20)

 

次に15節から20節までをご覧ください。 「七日間、種なしパンを食べなければならない。その最初の日に、あなたがたの家からパン種

を取り除かなければならない。最初の日から七日目までの間に、種入りのパンを食べる者は、みなイスラエルから断ち切られるからである。また最初の日に聖なる会合を開き、七日目にも聖なる会合を開く。この期間中は、いかなる仕事もしてはならない。ただし、皆が食べる必要のあるものだけは作ることができる。 あなたがたは種なしパンの祭りを守りなさい。それは、まさにこの日に、わたしがあなたがたの軍団をエジプトの地から導き出したからである。あなたがたは永遠の掟として代々にわたって、この日を守らなければならない。最初の月の十四日の夕方から、その月の二十一日の夕方まで、種なしパンを食べる。七日間はあなたがたの家にパン種があってはならない。すべてパン種の入ったものを食べる者は、寄留者でも、この国に生まれた者でも、イスラエルの会衆から断ち切られる。 あなたがたは、パン種の入ったものは、いっさい食べてはならない。どこでも、あなたがたが住む所では、種なしパンを食べなければならない。」

過越しの祭りに続いて、種なしパンの祭りに関する規定が続きます。過越しの祭りは1日だけで

すが、種なしパンの祭りは7日間続きます。小羊がほふられる14日の次の日、つまり過越の祭り

の次の日から、7日間祝われます。この二つの祭りは密接につながっているので、しばしば一つの

祭りとして祝われます。新約聖書の時代には、この8日間をまとめて「種なしパンの祝い」と呼ば

れていました。(ルカ22:1)なぜこれが種なしパンの祭りと呼ばれるのかというと、この祭りの期間は、

パン種を入れないパンを食べなければならないからです。それは、エジプトから出ることは緊急を

要していたので、パン種を発酵させる時間的余裕がなかったからです。もしこれを食べる者があれ

ば、イスラエルから断ち切られました。これはイスラエルの共同体から断ち切られることを、すなわ

ち死を意味していました。それだけ深い意味が、このパン種の中には含まれていたのです。

 

第一日目と第八日目に聖なる会合を開きました。この期間中は、いかなる仕事もしてはなりま

せんでした。ただし、料理だけは別です。なぜいかなる仕事もしてはいけなかったのでしょうか。それは、神が贖いのわざを成し遂げてくださったからです。天地創造において、神が天地創造のみわざを完成されたとき7日目を安息日として祝福したように、神の贖いの業を完成したその後の7日間を、主の安息の時としなければならなかったのです。そのことは17節にこう記されてあるとおりです。「あなたがたは種なしパンの祭りを守りなさい。それは、まさにこの日に、わたしがあなたがたの軍団をエジプトの地から導き出したからである。あなたがたは永遠の掟として代々にわたって、この日を守らなければならない。」 かくして、イスラエル人たちは過越しの祭り同様、主が彼らをエジプトから贖い出したことの記念として、これを永遠に守り行うようになりました。

 

いったいこのことは私たちにどんなことを教えているのでしょうか。パウロはコリント第一5:6-8で

こういっています。「あなたがたが誇っているのは、良くないことです。わずかなパン種が、こねた

粉全体をふくらませることを、あなたがたは知らないのですか。新しいこねた粉のままでいられる

ように、古いパン種をすっかり取り除きなさい。あなたがたは種なしパンなのですから。私たちの過

越の子羊キリストは、すでに屠られたのです。ですから、古いパン種を用いたり、悪意と邪悪のパ

ン種を用いたりしないで、誠実と真実の種なしパンで祭りをしようではありませんか。」

パン種は、罪や不正を表しています。パンを作るときに、イースト菌のはいったパンの一部を残

します。そしてそれを新しい粉のかたまりに混ぜると、粉全体をふくらませます。そしてそこからまた一部種ありパンを残しておくと、他の新しい粉と混ぜて、全体をふくらませることができます。したがって、わずかなパン種で、全体をふくまらせることができるのです。罪も、わずかな罪で死をもたらすことができるほど、広がるものです。ですから、パウロはコリントのクリスチャンに、パン種のない生活をすることを勧めているのです。なぜなら、すでに過越しの子羊がほふられたからです。これは、過越の小羊イエス・キリストが流された血によって、罪が取り除かれ、完全に清められた者とされたことを意味しています。ですから、パンに種があってはならないのです。この勧めは、過越しの祭りの後には種なしパンの祭りが来ることを前提に語られています。私たちは過越しのキリストを信じて罪が赦されたのですから、種なしパンの祭りを実践しなければならないのです。

Ⅲ.過越しの祭りの実行(21-28)

モーセは、主が語られた過越しの祭りを実行するためにそれをイスラエルの長老たちに告げます。21節から28節をご覧ください。

「それから、モーセはイスラエルの長老たちをみな呼び、彼らに言った。「さあ、羊をあなたがたの家族ごとに用意しなさい。そして過越のいけにえを屠りなさい。ヒソプの束を一つ取って、鉢の中の血に浸し、その鉢の中の血を鴨居と二本の門柱に塗り付けなさい。あなたがたは、朝までだれ一人、自分の家の戸口から出てはならない。主はエジプトを打つために行き巡られる。しかし、鴨居と二本の門柱にある血を見たら主はその戸口を過ぎ越して、滅ぼす者があなたがたの家に入って打つことのないようにされる。あなたがたはこのことを、あなたとあなたの子孫のための掟として永遠に守りなさい。あなたがたは、主が約束どおりに与えてくださる地に入るとき、この儀式を守らなければならない。あなたがたの子どもたちが『この儀式には、どういう意味があるのですか』と尋ねるとき、あなたがたはこう答えなさい。『それは主の過越のいけにえだ。主がエジプトを打たれたとき、主はエジプトにいたイスラエルの子らの家を過ぎ越して、私たちの家々を救ってくださったのだ。』」すると民はひざまずいて礼拝した。こうしてイスラエルの子らは行って、それを行った。主がモーセとアロンに命じられたとおりに行った。」

 

イスラエルの民は、家族ごとに過越しのいけにえをほふり、ヒソプの束を一つ取って、それを鉢の血に浸し、その鉢の中の血を鴨居と二本の門柱に塗り付けなければなりませんでした。後にヒソプは、罪をきよめる象徴となりました。ダビデがバテ・シェバと姦淫の罪を犯した時、「ヒソプで私の罪を除いてください。そうすれば私はきよくなります。私を洗ってください。そうすれば私は雪よりも白くなります。」(詩篇51:7)と言っています。私たちの罪を清めるのは、キリストの血なのです。  彼らは朝まで、自分の家の戸口から出てはなりませんでした。なぜなら、外では主がエジプトを打つために行き巡っておられるからです。主は敷居と二本の門柱にある血を見たら、その戸口を過ぎ越すので、滅ぼす者が彼らの家に入って彼らを打つことはありません。これは彼らとその子孫が永遠に守るべき祭りとなります。つまり、イスラエルの民が、約束の地に入った時、その祭りを世々限りなく行わなければならないということです。その時子どもたちが「この儀式には、どういう意味があるのですか」と尋ねるなら、「これは主の過越しのいけにえだ」と、その意味を彼らに教えなければなりません。

 

すると民はどうしたでしょうか。「すると民はひざまずいて礼拝した。こうしてイスラエルの子らは行って、それを行った。主がモーセとアロンに命じられたとおりに行った。」

すばらしいですね。彼らはひざまずいて礼拝しました。そして、神の命じられたとおりに行ないました。イスラエルの民は、神からの命令を信じ、そのとおりに行ったので、死から救われました。私たちも、神が命じたとおり、キリストの福音を信じたので、滅びから救われました。大切なのは、神が命じたことを信じ、そのとおり行うことです。  Ⅳ.出エジプト(29-36)

 

次に29節から36節までをご覧ください。

「真夜中になったとき、主はエジプトの地のすべての長子を、王座に着いているファラオの長子から、地下牢にいる捕虜の長子に至るまで、また家畜の初子までもみな打たれた。その夜、ファラオは彼の全家臣、またエジプト人すべてとともに起き上がった。そして、エジプトには激しく泣き叫ぶ声が起こった。それは死者のいない家がなかったからである。彼はその夜、モーセとアロンを呼び寄せて言った。「おまえたちもイスラエル人も立って、私の民の中から出て行け。おまえたちが言うとおりに、行って主に仕えよ。おまえたちが言ったとおり、羊の群れも牛の群れも連れて出て行け。そして私のためにも祝福を祈れ。」エジプト人は民をせき立てて、その地から出て行くように迫った。人々が「われわれはみな死んでしまう」と言ったからである。」

 

いよいよ第十番目のわざわいが下されます。これが最後のわざわいです。それはエジプト中に深い衝撃と悲しみをもたらしました。真夜中になって、主は、エジプトの地のすべての初子を、王座に着いているファラオの長子から、地下牢にいる捕虜の長子に至るまで、また家畜の初子までみな打たれたのです。それでエジプトのすべての家が何らかの被害を受けました。その結果、エジプト中に激し嘆き叫びが起こりました。

 

それでファラオはついに降参しました。彼はその夜、モーセとアロンを呼び寄せて、エジプトから出て行くように、行って主に仕えるようにと言いました。そればかりではありません。モーセとアロンが言うように、羊の群れも牛の群れも連れて行くように、そして、自分たちのために祈れと言いました。それはファラオだけではありませんでした。エジプトの民も同様でした。彼らもイスラエルの民をせき立てて、この地から出て行くようにと迫ったのです。このままでは自分たちは死んでしまうと思ったからです。

 

「それで民は、パン種を入れないままの生地を取り、こね鉢を衣服に包んで肩に担いだ。イスラエルの子らはモーセのことばどおりに行い、エジプトに銀の飾り、金の飾り、そして衣服を求めた。主はエジプトがこの民に好意を持つようにされたので、エジプト人は彼らの求めを聞き入れた。」(34-36)

それで、イスラエルの民は、パン種を入れないままの生地を取り、こね鉢を衣服に包んで肩に担ぎました。これは、彼らが練り粉をパン種を入れないまま取り、こね鉢を衣服に包み、肩に担いだということです。それは時間がなかったからです。また、彼らはエジプトを出てから数日間、種なしパンを食べなければなりませんでした。そればかりではありません。彼らは、モーセのことばのとおりに、エジプトに銀の飾り、金の飾り、そして衣服を求めました。これはイスラエルが後に荒野で導かれそこで幕屋を建設する際の資材となりました。

 

エジプト人は、イスラエルの民の要求に快く応じました。これまでの両者の関係を考えると、これは驚くべきことです。なぜエジプト人は快く応じたのでしょうか。それは何よりも、その背後に主の働きがあったからです。また、イスラエル人がすみやかにエジプトを出ることを、エジプト人が願ったからです。主への恐れが彼らをこのような行動へと駆り立てたのです。しかし、この出来事の最も特筆すべきことは、これが、かつて神がアブラハムに語られたことの成就であったということです。創世記15:14には、「しかし、彼らが奴隷として仕えるその国を、わたしはさばく。その後、彼らは多くの財産とともに、そこから出て来る。」とあります。その500年以上経ってから、その預言が成就しました。それは、神はご自分が語られたことは必ず成就させる真実な方であることを表しています。それゆえ、私たちが今どんなに辛い状況に置かれているとしても、主は、いつまでも私たちがそこにいることをお許しにはなりません。必ずそこから解放してくだいます。ですから、もし今自分が不当に扱われていると感じている人がいれば、このことを思い出しましょう。神はあなたのすべてをご覧になっておられ、あなたの行為に豊かに報いてくださいます。

 

Ⅴ.寝ずの番をされる主(37-42)

 

いよいよイスラエルの民はエジプトを出て行きます。37節から42節までをご覧ください。

「イスラエルの子らはラメセスからスコテに向かって旅立った。女、子どもを除いて、徒歩の壮年男子は約六十万人であった。さらに、入り混じって来た多くの異国人と、羊や牛などおびただしい数の家畜も、彼らとともに上った。彼らはエジプトから携えて来た生地を焼いて、種なしのパン菓子を作った。それにはパン種が入っていなかった。彼らはエジプトを追い出されてぐずぐずしてはいられず、また自分たちの食糧の準備もできなかったからである。イスラエルの子らがエジプトに滞在していた期間は、四百三十年であった。四百三十年が終わった、ちょうどその日に、主の全軍団がエジプトの地を出た。それは、彼らをエジプトの地から導き出すために、主が寝ずの番をされた夜であった。それでこの夜、イスラエルの子らはみな、代々にわたり、主のために寝ずの番をするのである。」

 

イスラエル人は、ラメセスから、スコテに向かって旅立ちました。人数は、幼子を除いて、徒歩の壮年の男子だけで約六十万人です。ものすごい人数です。女と子どもを加えたら、おそらく200万人は超えていたでしょう。ヤコブがエジプトに入ったときはわずか70人です。でも、そのときヤコブは神の約束を信じました。神の約束は確かに実現されましたが、ヤコブはその信仰のゆえに、大いなる報いを天において受けているのです。  エジプトを出たのは、イスラエル人だけではありませんでした。多くの入り混じって来た外国人と、羊や牛などの非常に多くの家畜も、彼らとともに上りました。というのは、片親がイスラエル人の人、イスラエルと同じく奴隷になっていたセム系の民族であったと思われます。彼らはこの混乱に乗じてイスラエル人といっしょにエジプトを脱出しました。

この入り混じって来た外国人たちは、やがて問題を起こすようになります。民数記11:4-5には、彼らは激しい欲望にかられ、イスラエル人も彼らに釣られて、「ああ、肉が食べたい。エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。きゅうりも、すいか、にら、たまねぎ、にんにくも。」と言いました。このため、神は激しい疫病で彼らを打たれました。彼らはイスラエル人たちと目的を共有しませんでした。価値観や使命感を共有できない人たちと共に進むことは危険なことです。最初はよくても、逆風が吹き始めると、彼らは不平不満を言うようになります。自分がどのような人たちと協力関係に入ろうとしているのかを、もう一度吟味する必要があります。彼らはエジプトから携えて来た練り粉を焼いて、パン種の入れていないパン菓子を作りました。それにはパン種が入っていませんでした。というのは、彼らは、エジプトで追い出されて、ぐずぐずしてはおられず、また自分たちの食料の準備も出来ていなかったからです。

 

イスラエル人がエジプトに滞在していた期間は430年でした。430年が終わったとき、ちょうどその日に、主の全集団はエジプトの国を出ました。モーセがこのように書くことができたのは、エジプトに入った年月を、誰かが記録し、それを覚え、指折り数えていた人がいたからでしょう。イスラエルの民のほぼ全員が失望と不信仰の中にあっても、神の約束を信じ続けていた人々がいたのです。神のわざは、このように人たちによって前進するのです。神はご自身の約束を覚えておられます。まだ祈りが応えられなくとも、神は必ずご自身の約束を実現してくださると信じて、信仰によって歩みましょう。

 

それにしても、エジプトから出るのになぜこんなにも時間がかかったのでしょうか。わかりません。ただ、モーセというリーダーが登場するためにも、80年という年月を要しました。神の器ができるためには時間がかかるのです。でもそれは、神の約束が否であるということではありません。神の約束は必ず実現します。ですから、それがまだ起こっていなくても、神が約束したことは必ず実現すると信じて前進しましょう。そうすれば、驚くべき神のみわざを体験するようになるのです。

 

42節をご覧ください。

「それは、彼らをエジプトの地から導き出すために、主が寝ずの番をされた夜であった。それでこの夜、イスラエルの子らはみな、代々にわたり、主のために寝ずの番をするのである。」

 

この夜、主は寝ずの番をされました。それは、そこに主の特別な守りがあったということです。それゆえ、イスラエル人は、代々にわたり、主のために寝ずの番をするのです。つまり、子々孫々と過越しの祭りを守るということです。「主はあなたの足をよろけさせずあなたを守る方はまどろむこともない。見よイスラエルを守る方はまどろむこともなく眠ることもない。」(詩篇121:3-4)主は、私たちのために寝ずの番をされます。それゆえ、たとえ今の状況が受け入れられない、喜ぶことができないようなものでも、そこに主の守りがあることを信じて、感謝しようではありませんか。

 

Ⅵ.過越しに関する追加規定(43-51)

 

最後に、43節から51節までをご覧ください。 「主はモーセとアロンに言われた。「過越に関する掟は次のとおりである。異国人はだれも、これ

にあずかってはならない。しかし、金で買われた奴隷はだれでも、あなたが割礼を施せば、これに

あずかることができる。居留者と雇い人は、これにあずかってはならない。これは一つの家の中で

食べなければならない。あなたは家の外にその肉の一切れでも持ち出してはならない。また、そ

の骨を折ってはならない。イスラエルの全会衆はこれを行わなければならない。もし、あなたのとこ

ろに寄留者が滞在していて、主に過越のいけにえを献げようとするなら、その人の家の男子はみ

な割礼を受けなければならない。そうすれば、その人は近づいてそれを献げることができる。彼は

この国に生まれた者と同じになる。しかし無割礼の者は、だれもそれを食べてはならない。このお

しえは、この国に生まれた者にも、あなたがたの間に寄留している者にも同じである。」

イスラエルの子らはみな、そのように行った。主がモーセとアロンに命じられたとおりに行った。 まさにこの日に、主はイスラエルの子らを、軍団ごとにエジプトの地から導き出された。」  過越しの規定に関する追加規定です。追加規定が書かれたのは、多くの外国人が入り混じって来たからでしょう。基本的に、外国人はだれも食べる事はできませんでした。けれども 奴隷は割礼を施せば食べることができました。居留者(短期滞在者)と雇い人は、これに与ることができませんでした。これは、神の民となった者だけが、あずかることができました。

 

また、過越しのいけにえは、一つ家で食べなければなりませんでした。肉の一切れでも家の外に持ち出してはなりません。その骨を折ってはなりませんでした。これは詩篇34:20でメシヤ預言として引用されています。すなわち、それはイエス・キリストの十字架を預言していました。そしてそれは、ヨハネ19:33の「イエスのところに来ると、すでに死んでいるのが分かったので、その脚を折らなかった。」によって成就しました。

 

もし、寄留者が滞在していて、主に過越しのいけにえをささげようとするなら、その家の男子はみな割礼を受けなければなりませんでした。そうすれば、その人は近づいてささげることができました。彼はこの国に生まれた者と同じとなるからです。しかし無割礼の者は、だれもそれを食べてはなりませんでした。旧約の時代でも、信仰を持つなら異邦人でも招かれていたのです。すなわち、主はすべての人が救われることを願っておられたということです。

 

このように、イスラエル人が過越しの食事を行うのは、彼らが主の圧倒的なみわざによってエジプトから救い出されたことを記念するためでした。同じようにクリスチャンは、キリストが私たちを罪から贖ってくださるために十字架で死んでくださったことを記念するために聖餐式を行っています。それが主の定められた礼典でした。私たちは、そのことによって神の愛と恵みを思い出すことができます。神は、すべての人が救われて真理を知るようになることを願っています。すなわち、心に割礼を受けることを望んでおられるのです。私たちの救いのために主イエスが成し遂げてくださった救いのみわざを覚えて感謝しましょう。