Ⅰサムエル記7章

サムエル記第一7章から学びます。

 

Ⅰ.主にのみ仕えなさい(1-4)

 

まず、1~4節までをご覧ください。

「キルヤテ・エアリムの人々は来て、主の箱を運び上げ、丘の上のアビナダブの家に運んだ。そして、主の箱を守るために彼の息子エルアザルを聖別した。箱がキルヤテ・エアリムにとどまった日から長い年月がたって、二十年になった。イスラエルの全家は主を慕い求めていた。サムエルはイスラエルの全家に言った。「もしあなたがたが、心のすべてをもって主に立ち返るなら、あなたがたの間から異国の神々やアシュタロテを取り除きなさい。そして心を主に向け、主にのみ仕えなさい。そうすれば、主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出してくださいます。」イスラエル人は、バアルやアシュタロテの神々を取り除き、主にのみ仕えた。」

 

主の箱がベテ・シェメシュに戻って来たとき、ベテ・シェメシュの住人はそれを見て非常に喜びました。しかし、彼らはしてはならないことをしてしまいました。それは、主の箱の中を見るということです。それで主は、民のうちの70人を、それはベテ・シェメシュの人口の5%にあたる人々ですが、激しく打たれました。しかし、彼らは自分たちの問題を悔い改めるよりも、それを他の地に追いやることによって解決を図ろうとしました。それで彼らはキルヤテ・エアリムの住民に使者を遣わし、「下って来て、運び上げてください。」と言いました。

 

するとキルヤテ・エアリムの人々は来て、主の箱を運び上げ、丘の上のアビナダブの家に運びました。そこはキルアテ・エアリムで一番高い所でした。彼らはベテ・シェメシュの人々が犯した間違いから学んでいたようです。そこに主の箱を安置しました。そして主の箱を守るために彼の息子エルアザルを聖別したのです。これは、祭司として聖別したということではなく、人々が主の箱に対して不敬虔な行為をすることがないように監視させたということです。

 

キルヤテ・エアリムに主の箱がとどまってから20年が経ちました。それはダビデ王の時代まで続きますから、実際はおよそ100年ということになります。この間イスラエルはペリシテ人によって苦しめられてきました。そして彼らの中にはペリシテ人の神々や異国の神々を礼拝する者たちもいました。しかし、そのような中でイスラエル人たちの中に霊的飢え渇きが生まれていました。2節をご覧ください。ここには「イスラエルの全家は主を慕い求めていた。」とあります。

 

そのとき、サムエルがイスラエルの全家に言いました。「もしあなたがたが、心のすべてをもって主に立ち返るなら、あなたがたの間から異国の神々やアシュタロテを取り除きなさい。そして心を主に向け、主にのみ仕えなさい。そうすれば、主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出してくださいます。」

ここからサムエルの公の活動が始まります。彼は士師たちの時代と預言者たちの時代の中間にあって、その橋渡し役を果たしました。イスラエルの民は直ちにその勧めに応答し、バアルやアシュタロテの神々を取り除きました。バアルはカナン人の神で、雨と雷を支配し、豊穣をもたらす神とされていました。また、アシュタロテはバアルの妻で、愛と戦争の神であり、やはり豊穣をもたらす神です。サムエルの勧めは、こうした異国の神々を取り除き、主に心を向け、主にのみ仕えなさいということでしたが、イスラエルの民は、そのことばに応答したのです。

 

神のみことばに心から従うとき、主なる神との本当の関係を持つことができます。どんなに表面的に、あるいは形式的に宗教的行為を行っていても、主との関係は生まれません。主との本当の関係は、自分の生活のど真ん中から、自分と神との間に立ちはだかっているものを取り除くことから始まります。どんなに大きな集会に行っても、どんなに大声で賛美をささげても、家の中で罪を犯していたら何の意味もありません。何時間もの賛美よりも、家の中での一言の悔い改めて祈り、神のみことばをいただいて自分を変えるほうが有効なのです。  それにしても、彼らがこのようになるまでに20年という年月がかかりました。このような期間の中で彼らの心が徐々に溶かされてきたのでしょう。私たちも、表面的な信仰ではなく、こうした深く、人格の奥にまで探ってくださる御霊の働きを通して心が溶かされ、霊的飢え渇きが起こるように祈らなければなりません。

 

Ⅱ.エベン・エゼル(5-12)

 

次に5~12節をご覧ください。

「サムエルは言った。「全イスラエルを、ミツパに集めなさい。私はあなたがたのために主に祈ります。」彼らはミツパに集まり、水を汲んで主の前に注ぎ、その日は断食した。彼らはそこで、「私たちは主の前に罪ある者です」と言った。こうしてサムエルはミツパでイスラエル人をさばいた。イスラエル人がミツパに集まったことをペリシテ人が聞いたとき、ペリシテ人の領主たちはイスラエルに向かって上って来た。イスラエル人はこれを聞いて、ペリシテ人を恐れた。イスラエル人はサムエルに言った。「私たちから離れて黙っていないでください。私たちの神、主に叫ぶのをやめないでください。主が私たちをペリシテ人の手から救ってくださるようにと。」サムエルは、乳離れしていない子羊一匹を取り、焼き尽くす全焼のささげ物として主に献げた。サムエルはイスラエルのために主に叫んだ。すると主は彼に答えられた。サムエルが全焼のささげ物を献げていたとき、ペリシテ人がイスラエルと戦おうとして近づいて来た。しかし主は、その日ペリシテ人の上に大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱したので、彼らはイスラエルに打ち負かされた。イスラエルの人々は、ミツパから出てペリシテ人を追い、彼らを討ってベテ・カルの下にまで行った。サムエルは一つの石を取り、ミツパとエシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、「ここまで主が私たちを助けてくださった」と言った。」

 

サムエルは全イスラエルをミツパに招集しました。ミツパはエルサレムの北10㎞に位置する町で、ベニアミン族の領地にありました。ミツパは、イスラエル人たちがしばしば集まるところでした。士師の時代から、イスラエル人が国民的な集会を招集する場所として用いられていたようです。たとえば、イスラエルがアモン人と戦うとき、このミツパに陣を敷きました(10:17)。また、イスラエルで女が強姦され殺害されるという恥ずべきことが行ったとき、どうすれば良いかを話し合うためにこのミツパに集まりました(20:1)。

 

全イスラエルはミツパに集まると、水を汲んで主の前に注ぎ、断食しました。彼らはそこで、「私たちは主の前に罪ある者です。」と言いました。どういうことでしょうか。彼らは罪を告白し、悔い改めたのです。サムエルをとおして神のみことばが語られたとき、聖霊によって彼らの心に罪が示され、それを告白したのです。これらの行為は、主の前にへりくだっていることを示しています。聖霊の働きによって民の中に霊的飢え渇きが起こされ、サムエルをとおして神のことばが語られたとき、そこに悔い改めが起こりました。彼らは心をかたくなにせず、神ことばに応答したのです。これがリバイバルの第一歩です。

 

イスラエル人がミツパに集まったということをペリシテ人が聞いたとき、ペリシテの領主たちはイスラエルに向かって上って来ました。それを戦争の準備と見たので、先制攻撃を仕掛けてきたのです。リバイバルが起こると、サタンの攻撃も激しくなります。それまでは安心して眠っていたサタンが、主の民が飢え渇いて主を求めるようになると、とたんにそれを阻害しようとして躍起になるのです。

これを聞いたイスラエル人は恐れ、「私たちから離れて黙っていないでください。私たちの神、主に叫ぶのをやめないでください。主が私たちをペリシテ人の手から救ってくださるようにと。」熱心にとりなしの祈りを捧げるように願い求めました。

 

するとサムエルはその願いに答え、乳離れしていない子羊を一匹取り、全焼のいけにえとして主に捧げて祈りました。それは祈りというよりも叫びでした。すると主は彼に答えてくださいました。そして、サムエルがいけにえを捧げていたちょうどその時、イスラエルに対するペリシテの攻撃が始まりましたが、主はペリシテ人の上に大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱したので、彼らはイスラエルに打ち負かされてしまいました。

 

イスラエルの人々は、ミツパから出てペリシテ人を追い、彼らを討ってガテ・カルの下にまで行きましたが、サムエルはそこで一つの石を取り、それをミツパとエシュンの間に置き、それにエベン・エゼルという名を付けました。意味は、「主はここまで私たちを助けてくださった」です。つまり、「助け石」です。ペリシテ人に対する勝利は、主の勝利でした。サムエルはそのことを忘れないために、また主に感謝を表すために記念の石を置いたのです。この「エベン・エゼル」という言葉は、代々神の民が解放を経験する時に語る合言葉のようなものなります。私たちはどうでしょうか。主が与えてくださった勝利を記念して主に感謝を表しているでしょうか。パウロは、「神は、それほど大きな死の危険から私たちを救い出してくださいました。これからも救い出してくださいます。私たちはこの神に希望を置いています。」(Ⅱコリント1:10)と言って、ここに将来の希望と確信を置いています。私たちもエベン・エゼルの石を置きましょう。そして、神への感謝とともに、この神に将来の希望と確信を置こうではありませんか。

 

Ⅲ.取り戻された平和(13-17)

 

その結果はどうなったでしょうか。13-17節をご覧ください。

「ペリシテ人は征服され、二度とイスラエルの領土に入って来なかった。サムエルの時代を通して、主の手がペリシテ人の上にのしかかっていた。ペリシテ人がイスラエルから奪い取っていた町々は、エクロンからガテまでが、イスラエルに戻った。イスラエルはペリシテ人の手から、その領土を解放した。そのころ、イスラエルとアモリ人の間には平和があった。サムエルは、一生の間、イスラエルをさばいた。彼は年ごとに、ベテル、ギルガル、ミツパを巡回し、これらすべての聖所でイスラエルをさばき、ラマに帰った。そこに自分の家があり、そこでイスラエルをさばいていたからである。彼はそこに主のために祭壇を築いた。」

 

その結果、ペリシテ人は征服され二度とイスラエルの領土に入って来ませんでした。そして、ペリシテ人がイスラエルから奪い取っていた町々は、エクロンからガテまでが、イスラエルに取り戻されました。サムエルが生きている間、ペリシテ人との戦いが止みました。再開されるのは、サウル王の時代に入ってからです。そればかりでなく、イスラエルはアモリ人との間にも平和がありました。アモリ人とは、イスラエルの東側に住む人たちです。つまり、東の国境地帯も平和であったということです。この時期イスラエルは西のペリシテ人とも、東のアモリ人とも戦う必要がない平和な時代を過ごすことができたのです。

 

ミツパでのリバイバル(宗教改革)は主を喜ばせ、結果としてイスラエルに平和をもたらしました。「恵みとまことによって、咎は赦され、主を恐れることによって、人は悪を離れる。主が人の行いを喜ぶとき、敵さえもその人と和らがせる。」(箴言16:6-7)こうした平和はどこからもたらされるのでしょうか。それは、主との平和によってです。恵みとまことによって、咎は許され、主を恐れることによって、人は悪から離れ、それを主が喜ばれるとき、そこに主の平和がもたらされるのです。すべてはミツパでのリバイバルから始まっているのです。私たちも目の前の問題が問題なのではなく、主との関係がどうなのかが問われています。イスラエル人が主の前にひざまずき、主の前に悔い改めたとき、そこに主の喜びがあり、主が彼らを祝福したように、私たちも主の前にへりくだり、罪を悔い改め、主にのみ仕えるとき、私たちにもこうした祝福がもたらされるのです。

 

サムエルは、一生の間、イスラエルをさばきました。これは、サムエルの生涯のまとめです。彼は生涯現役を貫きました。彼は年ごとにベテル、ギルガル、ミツパを巡回し、これらすべての聖所でイスラエルをさばきました。つまり、イスラエルの民が難問題を抱えて彼のもとにやって来たとき、

それを解決したということです。これら三つの町には、預言者のための学校が設立されました。巡回して後、彼はラマにある家に帰り、そこでもイスラエルをさばいていました。ラマは彼の出身地です。彼の両親もその町の出身でした。彼はレビ族の出身でもあったので、そこで祭壇を築き、祭司としていけにえを捧げました。ラマに祭壇が築かれたのは、幕屋があったシロの町が破壊されてから、エルサレムがイスラエルの都となるまでの間です。私たちもサムエルのように生涯信仰の現役者として、自分に与えられた使命と役割を果たしたいものです。