Ⅰサムエル記28章

今日は、サムエル記第一28章から学びたいと思います。

Ⅰ.アキシュの護衛に任命されたダビデ(1-2)

まず、1~2節をご覧ください。「そのころ、ペリシテ人はイスラエルと戦おうとして、軍隊を召集した。アキシュはダビデに言った。「承知してもらいたい。あなたと、あなたの部下は、私と一緒に出陣することになっている。」ダビデはアキシュに言った。「では、しもべがどうするか、お分かりになるでしょう。」アキシュはダビデに言った。「では、あなたをいつまでも、私の護衛に任命しておこう。」

「そのころ」とは、前回見たように、ダビデがガテ王アキシュのところに身を寄せていたころです。ダビデはサウルを恐れ、ペリシテ人の地に逃れていました。その間約1年4か月、ダビデはアキシュから信頼してもらうために、「今日は、ユダのネゲブを襲いました」とか、「今日は、エラフメエル人のネゲブを襲いました」とか、虚偽の報告をしていました。実際には、イスラエルの町を襲うようなことはしていませんでした。

しかし、そんなダビデにとって困ったことが起こりました。ペリシテ人がイスラエルと戦おうとして、軍隊を招集したのです。アキシュがダビデに、自分と一緒に出陣してほしいと言うと、ダビデはあいまいな返答をしました。「では、しもべがどうするか、お分かりになるでしょう。」と表面ではアキシュに従っているかのように装いながら、心の中では「どうしたら良いものか」と悩んでいたのです。アキシュの要請を断れば、自分のいのちが危うくなります。かといって、イスラエルと戦うことなど、決してできません。どうしたらいいかわかりませんでした。身から出た錆です。彼は神のみこころに背き、自分の判断によってペリシテ人の地に逃れてきました。そのつけが回ってきたのです。アキシュは、ダビデの答えを自分に都合が良いように解釈し、彼を護衛に任じました。この話は29章に続きます。ですから、その後どうなったかについては、29章で学びたいと思います。

Ⅱ.霊媒する女(3-19)

次に、3-8節前半をご覧ください。「サムエルはすでに死に、全イスラエルは彼のために悼み悲しみ、彼を彼の町ラマに葬っていた。一方、サウルは国内から霊媒や口寄せを追い出していた。ペリシテ人は集まって、シュネムに来て陣を敷いた。サウルは全イスラエルを召集して、ギルボアに陣を敷いた。サウルはペリシテ人の陣営を見て恐れ、その心は激しく震えた。サウルは【主】に伺ったが、【主】は、夢によっても、ウリムによっても、預言者によってもお答えにならなかった。サウルは家来たちに言った。「霊媒をする女を探して来い。私が彼女のところに行って、彼女に尋ねてみよう。」家来たちはサウルに言った。「エン・ドルに霊媒をする女がいます。サウルは変装して身なりを変え、二人の部下を連れて行った。彼らは夜、女のところにやって来た。」

ペリシテ人は集まってシュネムに来て陣を敷きました。シュネムは、カルメル山から東方に約24㎞、ガリラヤ湖の南西約30㎞にある町です。一方、サウルは、シュネムの南にあるギルボア山に陣を敷きました。ギルボア山は、イズレエルの南東にある位置518mの山です。彼らはイズレエルを挟んでにらみあっていたわけですが、サウルはペリシテの陣営を見て非常に恐れ、その心は激しく震えました。圧倒的な数の兵士がいたからでしょう。サウルはどうしたら良いかわかりませんでした。サムエルはすでに死んでいました。そこで彼は主に伺いましたが、主は、夢によっても、ウリムによっても、預言者たちによってもお答えになりませんでした。それもそのはずです。神のみこころに背き、自分のことだけを考えてダビデを殺そうとしたのですから。御霊の導きや、神の御声など聞こえるわけがありません。

そこでサウルは、とんでもない行動に出ました。何と霊媒をする女を探させたのです。霊媒とは、死人の霊を呼び出して未来の出来事や、ものごとの吉凶を語らせることです。霊媒はモーセの律法によって禁じられていました(レビ記19:31、申命記18:11)。霊媒や口寄せがいるなら、男でも女でも、必ず殺されなければなりませんでした(申命記20:27)。それでサウルは、国内から霊媒や口寄せを追い出していたのです。それなのに今、自分が国内から追い出したその霊媒をする女を探しに行かせたのです。

すると家来たちはエン・ドルに霊媒をする女を見つけました。そこでサウルは変装して身なりを変え、二人の部下を連れてエン・ドルに行きました。ちょっと前には主に伺ったかと思ったら、今度は霊媒です。結局のところ、彼の信仰とはうわべだけのもので、自分のために神を利用する信仰だったのです。そのような者の祈りに主が応えるはずがありません。

私たちも、ややもするとサウルのように自分に都合のいい神を求めていることがあるのではないでしょうか。ですから、物事が自分の思うように進んでいる時にはあたかも神に信頼しているかのように見えても、そうでないと手のひらを返したような言動をとってしまうのです。実際には神に従っているのではなく、自分に神を従わせているのです。神は、それのような者の祈りに答えられません。私たちは神を利用するのではなく、神を愛し神に従う者でありたいと思います。

8節後半から14節をご覧ください。「彼らは夜、女のところにやって来た。サウルは言った。「私のために霊媒によって占い、私のために、私が言う人を呼び出してもらいたい。」女は彼に言った。「あなたは、サウルがこの国から霊媒や口寄せを断ち切ったことをご存じのはずです。それなのに、なぜ、私のいのちに罠をかけて、私を殺そうとするのですか。」サウルは【主】にかけて彼女に誓って言った。「【主】は生きておられる。このことにより、あなたが咎を負うことは決してない。」女は言った。「だれを呼び出しましょうか。」サウルは言った。「私のために、サムエルを呼び出してもらいたい。」女はサムエルを見て大声で叫んだ。女はサウルに言った。「あなたはなぜ、私をだましたのですか。あなたはサウルですね。」王は彼女に言った。「恐れることはない。何を見たのか。」女はサウルに言った。「神々しい方が地から上って来るのを見ました。」サウルは彼女に尋ねた。「どのような姿をしておられるか。」彼女は言った。「年老いた方が上って来られます。外套を着ておられます。」サウルは、その人がサムエルであることが分かって、地にひれ伏し、拝した。」

そこでサウルは変装し、夜の間に、すなわち、誰にも気づかれないように女の下に行きました。そして、霊媒によって、自分が言う人を呼び出してもらいたいと頼みました。女は、自分が罠をかけられているのではないかと警戒していましたが、サウルが主にかけて誓ったので、彼の願いを受け入れることにしました。

彼女が、「だれを呼び出しましょうか。」と言うと、サウルは「サムエルを呼び出してもらいたい」と言いました。それで彼女がサムエルを呼び出すと、彼女は驚いてしまいました。本物のサムエルが出てきたからです。どういうことでしょうか。霊媒師は死者の霊を呼び出してその霊と交信しますが、霊媒師が呼び出しているのは、死者を装った悪霊です。ですから、霊媒師とは、霊媒の霊が宿る者のことを言うわけです。しかし、ここでは、通常では起こり得ない事が起こりました。本物のサムエルの霊が出てきたのです。女は驚いて、大声で叫びました。また、彼女は依頼人がサウルであることに気付き、「あなたはなぜ、私をだましたのですか。」と言いました。まさか目の前にいる人物がサウル本人であるとはな考えられなかったのです。サウルはかつてこの国から霊媒や口寄せをみな追い出した本人ですから。

驚きを隠し得ない女にサウルが、「恐れることはない。何が見えるか」と尋ねると、「神々しい方が、地から上って来るのを見ました。」と答えました。「神々しい方」とは、サムエルのことです。「地から上ってくる」とあるのは、旧約時代において聖徒はみな「よみ(シェオール)」にくだり、天に入ることを待っている状態だったからです。「シェオール」とは、死んだ者すべてが行く場所で、最終的な神のさばきを待っている所です。イエス様がこの世に来られ十字架で死なれよみにくだられたとありますが、その時、よみにいた神を信じた聖徒たちを天に上げられました。ですから、ここではまだ地から出てきたのです。サウルは、サムエルが生きていたときには、その助言に従おうとしませんでしたが、サムエルが死ぬと、律法の掟を破ってまでサムエルと語ろうとしたのです。全く「あまのじゃく」です。私たちもサウルのようにならないように気を付けましょう。主に従うのは「いつか」ではなく「今」なのです。

サウルは、その人がサムエルであることに気付き、地にひれ伏して拝みました。霊媒師によって現れたサムエルは何と言ったでしょうか。15-19節をご覧ください。「サムエルはサウルに言った。「なぜ、私を呼び出して、私を煩わすのか。」サウルは言った。「私は困りきっています。ペリシテ人が私を攻めて来るのに、神は私から去っておられます。預言者によっても、夢によっても、もう私に答えてくださらないのです。それで、私がどうすればよいか教えていただくために、あなたをお呼びしました。」サムエルは言った。「なぜ、私に尋ねるのか。【主】はあなたから去り、あなたの敵になられたのに。【主】は、私を通して告げられたとおりのことをなさったのだ。【主】は、あなたの手から王位をはぎ取って、あなたの友ダビデに与えられた。あなたが【主】の御声に聞き従わず、主の燃える御怒りをもってアマレクを罰しなかったからだ。それゆえ、【主】は今日、このことをあなたにされたのだ。【主】は、あなたと一緒にイスラエルをペリシテ人の手に渡される。明日、あなたもあなたの息子たちも、私と一緒になるだろう。【主】は、イスラエルの陣営をペリシテ人の手に渡されるのだ。」」

こうした霊媒師の働きの背後には悪霊の働きがあり、悪霊が霊媒師に入り、死者のふりをして語るのですが、ここでは本物のサムエルの霊が現われて語りました。これは神の働きによるものです。サムエルはサウルに「なぜ、私を呼び出して、私を煩わすのか。」と言いました。先ほども申し上げたように、旧約聖書の時代には、人は死ぬとみな「よみ」に行きました。そこは、聖徒たちが行くところと悪人たちが行くところに分けられていました。聖徒たちが行くところは神がともにいる平安な場所だったのでしょう。サムエルはそこから呼び出されたものですから、「なぜ私を煩わせるのか」と抗議したのです。

それでサウルは、自分が困りきっていることを説明します。ペリシテ人が攻めて来ているのに、神が預言者によっても、夢によっても、自分に答えてくださらないので、自分はどうすればよいのかを教えてもらうために呼んだのだと。

それに対してサムエルは、確かに主は彼から去られたこと、そして、主はサムエルを通して語られたように、サウルから王位をはぎ取って、ダビデに与えられたことを告げます。それはなぜか。サウルが主の御声に聞き従わなかったからです。ここでは具体的に一つの事例が取り上げられています。それは主の燃える御怒りをもってアマレクを罰しなかったことです。これは15章にあった出来事です。主はサウルにアマレクを討ち、そのすべてのものを聖絶するようにと命じられましたが、サウルは、アマレクの王アガクと、肥えた羊や牛の最も良いもの、子羊とすべての最も良いものを惜しんで、これらを聖絶しませんでした。つまらない値打ちのないものだけを聖絶したのです(Ⅰサムエル15:9)。彼は主の命令に従うふりをしながら、結局は、自分の思いを優先させました。それゆえ主は、イスラエルと一緒にサウルとサウルの息子たちを、明日、ペリシテ人の手に渡されると宣言されたのです。

サムエルが生きていた時にはその助言をひたすら無視し続けてきたサウルでしたが、サムエルが死ぬと熱心にその助言を求めるようになります。しかし、サウルが受けた助言は助言どころか、自分の死を予告するおそろしい神からのさばきの宣告でした。神のさばきは、ある日突然びっくりするようなかたちでやって来るのではありません。日々の生活の中で、神は私たちに語りかけ、悔い改めを迫っておられます。それなのにそれを無視し続けるとしたら、そこに神のさばきがくだるのは当然のことではないでしょうか。日々の生活の中で主の御声を聞き、それに応答して悔い改めて主のみもとに立ち返りたいと思います。

Ⅲ.悔い改めるのに遅すぎることはない(20-25)

最後に、20-25節をご覧ください。「すると、サウルはただちに地面に倒れて棒のようになり、サムエルのことばにおびえた。しかも、その日一昼夜、何も食べていなかったので、力は失せていた。女はサウルのところに来て、サウルが非常におじ惑っているのを見て彼に言った。「あなたのはしためは、あなたが言われたことに聞き従いました。私はいのちをかけて、あなたが言われたことばに従いました。今度はあなたが、このはしためが申し上げることをお聞きください。パンを少し差し上げます。それをお食べください。お帰りのとき、元気になられるでしょう。」サウルはこれを断って、「食べたくない」と言った。しかし、彼の家来も女もしきりに勧めたので、サウルはその言うことを聞き入れて地面から立ち上がり、床の上に座った。女の家に肥えた子牛がいたので、彼女は急いでそれを屠り、また、小麦粉を取って練り、種なしパンを焼いた。それをサウルと家来たちの前に差し出すと、彼らは食べた。そしてその夜、彼らは立ち去った。」

すると、サウルはサムエルのことばにおびえ、地面に倒れて棒のようになりました。しかも、その日一日何も食べていなかったので、力は失せてしまいました。それを見た霊媒の女は、再びサウルのもとに来て、彼に食事を取らせました。彼女が食事を用意したのは、サウルの哀れな姿を見てかわいそうに思ったからでしょう。しかしそればかりでなく、彼女自身のためでもありました。もしサウルが彼女の家で死んだとなれば、彼女は霊媒をしたことを追及され、死刑にされてしまうからです。

サウルは初めこれを断わり「食べたくない」と言いましたが、彼の家来もしきりに勧めたので、彼らの言うことを聞き入れて食べることにしました。それは肥えた子牛と種なしパンという豪華なものでした。サウルとその家来たちはそれを食べて元気になり、その夜戦場へと立ち去って行きました。

サウルは、自分が死ぬという神からの宣告を聞いておびえて地面に倒れ、棒のようになりましたが、彼は悔い改めることも、神のあわれみを求めることもしませんでした。彼は最後まで利己的な人間でした。もし彼が悔い改めて神に立ち返っていたらどうなっていたでしょう。もしかしたら、事態は変わっていたかもしれません。彼の生涯はそういうことの繰り返しでした。神は、どんな罪人の祈りでも聞いてくださいます。十字架の上で主イエスに赦しを求めた罪人は、「きょう、あなたは私とともにパラダイスにいます。」との罪の赦しの宣言を受けました。最後まで神のあわれみにすがり、熱心に悔い改めましょう。愛と恵みに富んだ神は、必ずその祈りを聞いて赦してくださいます。「神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた悔いた心。神ょ。あなたは、それをさげすまれません。」(詩篇51:17)
悔い改めるのに遅すぎることはありません。もしあなたが神の御声を聞くならその時が、あなたが悔い改める時なのです。