今日は、列王記第一9章から学びます。
Ⅰ.ソロモンに対する主の約束(1-9)
ソロモンが主の宮と王宮を完成させたとき、主は、かつてギブオンで現れたように(Ⅰ列王3:4~5)、ソロモンに再び現れて言われました。それは、ソロモンが主の前で願った祈りと願いを主は聞かれたということです。主はソロモンが主の名をとこしえに置くために建てた神殿を聖別し、そこにご自身の目と心をいつも置いてくださると言われたのです。これは、神の守りがいつもそこにあるということです。私たちの心が神に向かっているなら、神の目はいつも私たちに注がれているのです。
次に主は、祝福と警告のことばを語ります。まず祝福のことばです。それは、4~5節にあるように、ソロモンが、父ダビデが歩んだように全き心と正直さをもって主の前を歩み、主が命じたことを守り行うなら、彼の王国の王座はイスラエルの上にとこしえに立つということです。
しかし、彼とその子孫が、主に背を向け、主が命じた命令と戒めを守らずに、行ってほかの神々を拝むなら、主が彼らに与えた地の面から断ち切り、主の御名を置くために建てた宮を投げ捨てるということでした。その宮は廃墟となり、そのそばを通る者はみなそれを見て驚き、「いったい主は何のためにこの地とこの宮に、このような仕打ちをされるのだろうか」と言うようになります。私たちは毎週日曜日の礼拝でエレミヤ書から主のメッセージを聞いていますが、この時から約370年後にこのことばが実現することになります。Ⅱサムエル7:11~13にあるダビデ契約は、最終的にはメシヤであるイエスによって成就します。その神の約束を妨害するのは、神の心が変わったからではなく、イスラエルが神に背いたからです。神は常に変わることなく、私たちを見守っておられます。
Ⅱ.ツロの王ヒラムへの贈り物(10-14)
次に、10~14節をご覧ください。「10 ソロモンが主の宮と王宮との二つの家を二十年かけて建て終えたとき、11 ツロの王ヒラムが、ソロモンの要請に応じて、杉の木材、もみの木材、および金を用立てたので、ソロモン王はガリラヤ地方の二十の町をヒラムに与えた。12 ヒラムはツロからやって来て、ソロモンが彼に与えた町々を見たが、彼はそれらが気に入らなかった。13 彼は、「兄弟よ。あなたが私に下さったこの町々は、いったい何ですか」と言った。そのため、これらの町々はカブルの地と呼ばれ、今日に至っている。14 ヒラムは王に金百二十タラントを贈っていた。」
ソロモンが主の宮と王宮との二つの家を二十年かけて建て終えたとき、ソロモンはツロの王ヒラムに、ガリラヤ地方の二十の町を与えました。それはヒラムがこの神殿と王宮の建設のために、ソロモンの要請に応じて、杉の木材、もみの木材、および金を用立てたからです。
ところが、ヒラムはこれらの町々を気に入りませんでした。これらの町々は「カブルの地」と呼ばれ、ないのと同じ、ほとんど価値がない地だったからです。ヒラムはソロモンに120タラントの金を贈っていました。これは膨大な量の金です。ソロモンが与えた町々は、その行為には全く不釣り合いのものだったのです。やがてイエスがこれらの町々に現われ、福音を語られるというのは、興味深いことです。
とはいえ、モーセの律法に照らし合わせるなら、ソロモンがこれらの約束の地を異邦人のヒラムに与えるというのは主のみこころではないことは明らかなことでした。結果的にヒラムがそれを拒否したためそれは実現しませんでしたが、ソロモンは早くも主の掟と定めを破ろうとしていたことがわかります。どんなにすばらしい事業を完成しても、主のことばから離れてしまうなら何の意味もありません。ソロモンの問題は、自分では主に従っていると思っていながらも、このように少しずつすれていることに気付かなかったことです。それは私たちにも言えます。私たちもイエス様に従っていると思っていても、実際のところそうでないことがあります。注意深く主のことばを学び、それに従うことの大切さを教えられます。
Ⅲ.ソロモンの業績(15-28)
最後に、15~28節をご覧ください。ここには、ソロモンの業績がまとめられています。まず15~19節です。「15 ソロモン王は役務者を徴用して次のような事業をした。彼は主の宮と自分の宮殿、ミロとエルサレムの城壁、ハツォルとメギドとゲゼルを築き直した。16 かつてエジプトの王ファラオは、上って来てゲゼルを攻め取り、これを火で焼き、この町に住んでいたカナン人を殺して、ソロモンの妻である自分の娘に結婚の贈り物としてこの町を与えた。17 ソロモンはこのゲゼルを築き直したのである。また、下ベテ・ホロン、18 バアラテ、この地の荒野にあるタデモル、19 ソロモンの所有するすべての倉庫の町々、戦車のための町々、騎兵のための町々、またソロモンがエルサレム、レバノン、および彼の全領地に建てたいと切に願っていたものを建てた。」
まず、ソロモンの建築事業です。彼は役務長官を徴用して、主の宮と自分の宮殿、ミロとエルサレムの城壁、ハツォルとメギドとゲゼルを築き直しました。ミロとは、シオンの山の端に建てられた塔のことではないかと考えられています。また、エルサレムの城壁は、ダビデが急きょ建設してから50年が経過していたので、修復が必要な状態になっていました。
ソロモンはそれらを修復しただけでなく、ハツォルとメギドとゲゼルを築き直しました。この3つの町は、イスラエルを防衛するうえで極めて重要な要塞の町でした。ハツォルはガリラヤ湖の北方の要で、北からの侵略を塞ぎました。メギドはイズレエル平原の西端に位置し、海沿いの道行を支配しました。ゲゼルは、イスラエルの南西に位置し、南からの敵の侵入を防ぎました。このゲゼルは、エジプトの王ファラオが支配していましたが、ファラオの娘がソロモンと結婚したことで、この町をソロモンに贈り物として与えていました。ソロモンはこのゲゼルを築き直したのです。
その他にもソロモンは多くの町々を建設しました。下ベテ・ホロン、バアラテ、タデモル、ソロモンが所有するすべての倉庫の町々、戦車のための町々、騎兵のための町々等です。彼は建てたいと思っていたすべてのものを建設しました。まさにソロモンが栄光に輝いていた時代です。
しかし、ソロモンが本当に主から命じられたことをことごとく行なったのかと言うと、そうではありません。20~24節をご覧ください。「20 イスラエル人ではない、アモリ人、ヒッタイト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の生き残りの民すべて、21 すなわち、この地に残されていた人々、イスラエル人が聖絶できなかった人々の子孫を、ソロモンは強制労働に徴用した。今日に至るまで、そうである。22 しかし、ソロモンはイスラエル人を奴隷にはしなかった。彼らは戦士であり、彼の家来であり、隊長であり、補佐官であり、戦車隊や騎兵隊の長だったからである。23 ソロモンには工事の監督をする長が五百五十人いて、工事に携わる民を指揮していた。24 ファラオの娘が、ダビデの町から、ソロモンが彼女のために建てた家に上って来たとき、ソロモンはミロを建てた。」
ソロモンは、イスラエル人ではない、アモリ人、ヒッタイト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の生き残りの民すべて、すなわち、この地に残されていた人々、イスラエル人が聖絶できなかった人々の子孫を、ソロモンは強制労働に徴用しました。これは、モーセを通して与えられた主の命令から外れています。主の命令は、カナン人などの先住民を聖絶しなければいけないということでしたが、ソロモンはそれらの人々を苦役に課しただけでした。
そればかりではありません。何といっても、彼はエジプトの王ファラオの娘を妻としました。彼女は異邦人ですから、そのような人を妻とすることは主によってかたく禁じられていたのに、彼はそれをも破っていました。破っていたというよりも、深く考えなかったのでしょう。この時点では、異教の妻の悪影響はまだ表面化していませんでしたが、やがてそれが顕著になって現われることになります。11章に入るとソロモンの政略結婚が失敗であったことが明らかになります。ソロモンの栄光の陰には、こうした崩壊の足音が忍び寄っていたのです。
このことは私たちにも言えることです。私たちも自らの信仰を過信し、主の命令に背くことがあると、それが大きなほころびとなってしまいます。小さな失敗、小さな判断のミスが、重大な結果をもたらすことになるのです。ですから、主のみこころから外れたと思ったら、すぐに悔い改めて軌道修正しなければなりません。
最後に、25~28節をご覧ください。「25 ソロモンは、主のために築いた祭壇の上に、一年に三度、全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げ、それらとともに主の前で香をたいた。彼は神殿を完成させた。26 また、ソロモン王は、エドムの地の葦の海の岸辺にあるエイラトに近いエツヨン・ゲベルに船団を設けた。27 ヒラムはこの船団に、自分のしもべで海に詳しい水夫たちを、ソロモンのしもべたちと一緒に送り込んだ。28 彼らはオフィルへ行き、そこから四百二十タラントの金を取って、ソロモン王のもとに運んだ。」
ソロモンは、主のために築いた祭壇の上に、一年に三度、全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げ、それらとともに主の前で香をたきました。年に三度、というのは、おそらく過越の祭り、五旬節、そして仮庵の祭りのイスラエル三大祭りのことでしょう。その時に祭壇でいけにえを、香壇で香をたいたのです。勿論彼自身ささげたのではなく、祭司の手にゆだねてのことです。そういう点でソロモンは、純粋な信仰を持ち、主を愛し、主に従おうとしいたことがわかります。
また、ソロモン王は、エドムの地の葦の海の岸辺にあるエイラトに近いエツヨン・ゲベルに船団を設けました。「エツヨン・ゲベル」は、アカバ湾の北に設けられた港町です。この港町は、イスラエルが海上に出て行くための唯一の門戸でした。ソロモンはここに船団を設けたのです。この船団はツロの王ヒラムの協力によって成り立っていました。彼らはオフィルへ行き、そこから420タラントの金を取って、ソロモンのもとに運びました。これらの金が、ソロモンの事業の資金となったのです。しかし、こうした金が必ずしも祝福をもたらすものではありません。ソロモンのこうした思いは民への重税策にもつながり、それもまた大きな汚点となっていきます。どのような人生が成功をもたらすのかを、ソロモンの成功と失敗を振り返りながら、学びたいと思います。そして、主を恐れることこそ知恵の初めであり祝福の要であることを覚え、主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさみながら歩みましょう。