Ⅰ列王記12章

今日は、列王記第一12章から学びます。

 Ⅰ.長老たちの助言を退けたレハブアム(1-15)

まず、1~5節までをご覧ください。「1 レハブアムはシェケムに行った。全イスラエルが彼を王とするために、シェケムに来ていたからである。2 ネバテの子ヤロブアムは、まだソロモン王の顔を避けてエジプトに逃れていた間に、レハブアムのことを聞いた。そのとき、ヤロブアムはエジプトに住んでいた。3 人々は使者を遣わして、彼を呼び寄せた。ヤロブアムは、イスラエルの全会衆とともにレハブアムのところに来て言った。4 「あなたの父上は、私たちのくびきを重くしました。今、あなたは、父上が私たちに負わせた過酷な労働と重いくびきを軽くしてください。そうすれば、私たちはあなたに仕えます。」5 するとレハブアムは彼らに、「行け。三日たったら私のところに戻って来るがよい」と言った。そこで民は出て行った。」

ソロモンが死ぬと、その子レハブアムが王となりました。レハブアムはシェケムへ行きました。それは、全イスラエルが彼を王とするためにシェケムに来ていたからです。シェケムはエフライム族の主要な町であり、北の10部族が集合するのに適した場所でした。彼は、北の10部族のプライドを傷つけないように、エルサレムではなく、シェケムを選んだのです。

ネバテの子ヤロブアムは、ソロモン王の顔を恐れてエジプトに逃れていましたが、そのエジプトにいた時に、レハブアムのことを聞きました。ヤロブアムについては11章に記されてあります。彼は、アヒヤという預言者によって、「神がソロモンから国を引き裂き、あなたにイスラエルの10部族を与える。」(11:31)と伝えられていました。しかし、ソロモンが彼を殺そうとしたので、彼はエジプトに逃れ、ソロモンが死ぬまでそこにいました。彼は反乱によって神の預言を成し遂げようとするのではなく、神の導きにゆだねようとしたのです。

しかし、イスラエルの人々がヤロブアムのところに使者を遣わし彼を呼び寄せたので、彼はイスラエルの全会衆とともにレハブアムのところに来て、あることを直訴しました。それは4節にあるように、民のくびきを軽くしてほしいということです。ソロモンの時代、王国の維持のために、民は過剰な負担を強いられていました。その過酷な労働と思いくびきを軽減してほしいと訴えたのです。

それに対してレハブアムは何と答えたでしょうか。「行け。三日経ったら私のところに戻って来るがよい。」と言いました。どういうことでしょうか。彼は即答を避けました。三日というのは、エルサレムから助言者たちを呼び寄せるために必要な日数です。もしこの時、レハブアムが彼らの要請に前向きに応えていたなら、当面の間は分裂を避けることができたでしょう。しかし、レハブアムにはそこまでの知恵がありませんでした。かつてソロモンは主から、「あなたに何を与えようか。願え。」(1列王3:5)と尋ねられたとき、ソロモンは「善悪を判断してあなたの民をさばくために、聞き分ける心をしもべに与えてください。」(1列王3:9)と答えましたが、レハブアムはそうではありませんでした。彼に求められていたのは、この善悪を判断して民をさばく心、知恵の心でした。相手の立場を思いやることのできる人こそ人格者であり、知恵ある人です。それは主を恐れることからもたらされます。ですから、私たちはいつも主を恐れ、主に祈り、主のみこころを歩むことによって主から知恵を与えられ、真の人格者となることを目指しましょう。

次に、6~11節をご覧ください。「6 レハブアム王は、父ソロモンが生きている間ソロモンに仕えていた長老たちに、「この民にどう返答したらよいと思うか」と相談した。7 彼らは王に答えた。「今日、もしあなたがこの民のしもべとなって彼らに仕え、彼らに答えて親切なことばをかけてやるなら、彼らはいつまでも、あなたのしもべとなるでしょう。」8 しかし、王はこの長老たちが与えた助言を退け、自分とともに育ち、自分に仕えている若者たちにこう相談した。9 「この民に何と返答したらよいと思うか。私に『あなたの父上が私たちに負わせたくびきを軽くしてください』と言ってきたのだが。」10 彼とともに育った若者たちは答えた。「『あなたの父上は私たちのくびきを重くしました。けれども、あなたはそれを軽くしてください』と言ってきたこの民には、こう答えたらよいでしょう。彼らにこう言いなさい。『私の小指は父の腰よりも太い。11 私の父がおまえたちに重いくびきを負わせたのであれば、私はおまえたちのくびきをもっと重くする。私の父がおまえたちをむちで懲らしめたのであれば、私はサソリでおまえたちを懲らしめる』と。」」

レハブアムはまず、父ソロモンが生きている間にソロモンに仕えていた長老たちに相談しました。この長老たちは、恐らく、父ソロモンと同年輩だったと思われます。彼らは王国における職制上の長老であり、経験豊かな政治家たちでした。彼らは、民の負担を軽減し、彼らに親切なことばをかけてやるなら、彼らはいつまでも、レハブアムのしもべとなるでしょうと、助言しました。

一方、レハブアムは、自分とともに育ち、自分に仕えている若者たちにも相談しました。当時レハブアムは41歳(14:21)でした。ですから、これらの若者たちも、それくらいの年齢であったと推定されます。すると彼らは、長老たちのそれとは正反対のことを助言しました。民のくびきをもっと重くし、父ソロモンは彼らをむちによって懲らしめたが、あなたはさそりで懲らしめるというようにと助言したのです(10-11)。「私の小指は父の腰よりも太い」というのは、誇張法です。つまり、つまり父ソロモンよりも、もっと偉大だということです。「サソリ」というのは、金属片を埋め込んだむちのことです。奴隷を打つためのものです。それはソロモンのむちより強力で残酷なものでした。彼は自分の偉大さを誇示しようとしたのです。

1ペテロ5:5にこうあります。「同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へり くだる者に恵みを与えられるからです。」川の水が高い所から低い所に流れるように、神の恵みはへりくだった人に注がれます。それなのに彼らは「若さ」ゆえに「自分に出来る」という思いが強くありました。それゆえに彼らは失敗を招くことになります。

12~15節をご覧ください。「12 ヤロブアムとすべての民は、三日目にレハブアムのところに来た。王が「三日目に私のところに戻って来るがよい」と命じたからである。13 王は民に厳しく答え、長老たちが彼に与えた助言を退け、14 若者たちの助言どおりに彼らに答えた。「私の父がおまえたちのくびきを重くしたのなら、私はおまえたちのくびきをもっと重くする。私の父がおまえたちをむちで懲らしめたのなら、私はサソリでおまえたちを懲らしめる。」15 王は民の願いを聞き入れなかった。かつて主がシロ人アヒヤを通してネバテの子ヤロブアムにお告げになった約束を実現しようと、主がそう仕向けられたからである。」

三日目に、ヤロブアムとすべての民は、レハブアムのところに戻ってきました。するとレハブアム王は民に厳しく答え、長老たちの助言を退け、若者たちの助言どおりに伝えました。つまり、レハブアムは彼らの願いを聞き入れなかったのです。彼の問題は、知恵ある助言ではなく、自分が聞きたいことを求めたところにありました。若者たちの助言は彼の願いに合致するものだったので、その助言を受け入れてしまったのです。今、NHKの大河ドラマで「鎌倉殿の13人」を放映していますが、源頼朝の後を受け継いだ頼家の姿に似ています。実際はどうであったかはわかりませんが、あのドラマの中で頼家は、頼朝に仕えた13人の家臣たちではなく、自分と同じ年齢の若い者たちを側近に付け、やりたい放題をして失敗します。それに似ています。長老たちの助言ではなく、自分の言いなりになる若者たちの助言を求めたのです。

しかし、この愚かなレハブアムの決断について、別の視点でその理由が述べられています。それは、「かつて主がシロ人アヒヤを通してネバテの子ヤロブアムにお告げになった約束を実現しようと、主がそう仕向けられたからである。」(15)ということです。王国が分裂するというのは、元々、ソロモンの罪に対する神の裁きだったのです(11:11-13)。それがソロモンの生存中に起こらなかったのは、ダビデ契約のゆえです。王国が分裂することは、すでに預言者アヒヤを通して語られていました。それが今起ころうとしていたのです。すなわち、主がそのように仕向けられたことなのです。

それは、主がこのようなレハブアムによる荒々しい態度を起こさせたという意味ではありません。レハブアムが荒々しい態度を取る選択をしたということです。しかし、初めからレハブアムがこのような態度を取ることを知っておられた主が、積極的にこの選択によって王国を分裂させることを意図しておられたのです。主は悪に対して主権を持っておられるという真理を知ることは大切です。悪をもご自分の計画の遂行のために用いられるのです。

しかし何よりも、ソロモンの罪がこのように尾を引いていることを思うと、罪のおぞましさというものをまざまざと見せつけられます。と同時に、私たちもこのような悲惨を招くことがないように、主に指摘される罪があれば悔い改め、いつも主に喜ばれる者であることを求めていきたいと思います。

Ⅱ.北の10部族の反乱(16-24)

次に、16~20節をご覧ください。「16 全イスラエルは、王が自分たちに耳を貸さないのを見てとった。そこで、民は王にことばを返した。「ダビデのうちには、われわれのためのどんな割り当て地があろうか。エッサイの子のうちには、われわれのためのゆずりの地はない。イスラエルよ、自分たちの天幕に帰れ。ダビデよ、今、あなたの家を見よ。」イスラエルは自分たちの天幕に帰って行った。17 ただし、ユダの町々に住んでいるイスラエルの子らにとっては、レハブアムがその王であった。18 レハブアム王は役務長官アドラムを遣わしたが、全イスラエルは彼を石で打ち殺した。レハブアム王はやっとの思いで戦車に乗り込み、エルサレムに逃げた。19 このようにして、イスラエルはダビデの家に背いた。今日もそうである。20 全イスラエルは、ヤロブアムが戻って来たことを聞いたので、人を遣わして彼を会衆のところに招き、彼を全イスラエルの王とした。ユダの部族以外には、ダビデの家に従う者はいなかった。」

レハブアムが自分たちの要求に耳を貸さないのを見て、民は王にことばを返しました。「ダビデのうちには、われわれのためのどんな割り当て地があろうか。エッサイの子のうちには、われわれのためのゆずりの地はない。イスラエルよ、自分たちの天幕に帰れ。ダビデよ、今、あなたの家を見よ。」

これは、単なる不満の言葉ではなく、戦の叫びです。これは、約40年前にダビデが王として全イスラエルに迎え入れられたとき、イスラエル10部族とユダの人々との間に確執が生じましたが、そのとき、よこしまな者でシェバが語った言葉と同じです(Ⅱサムエル20:1-2)。つまり、北イスラエルの10部族はダビデ王朝に対してずっと不満を抱えていたということです。不当に扱われたという怒りは、そう簡単に消えるものではありません。

この問題を治めるべく、レハブアムは役務長官アドラムを彼らのところへ遣わしましたが、全イスラエルは彼を石で打ち殺してしまいました。それで事の深刻さを理解したレハブアムは、いのちからがらシェケムからエルサレムに逃れました。このようにして、イスラエルはダビデの家に背いたのです。そして、人を遣わしてヤロブアムを招き、彼を全イスラエルの王としました。イスラエルの分裂王国の始まりです。ユダの部族以外はダビデの家に従う者はありませんでした。実際にはベニヤミン族もいましたが、小部族だったので数の内に入っていません。北の10部族によるイスラエルと、南のユダとベニヤミンの2部族に分裂したのです。預言者アヒヤを通して語られた通りです。

ダビデとソロモンが約40年かけて築き上げてきた王国が、数日で崩壊してしまいました。築くのは大変ですが、壊すのは簡単です。愚かな行為は一瞬にしてすべてを壊してしまいます。ここから教訓を学びたいですね。私たちの教会も大田原で開拓して18年が経ちましたが、その間、那須とさくらにも開拓することができました。それはただ主のあわれみによるものですが、そこにどれほどの労苦があったことでしょう。でも壊すのは簡単です。神のみこころに立たないで自分の思いを通すなら、すぐに壊れてしまいます。それは私たちにとって一番残念なことです。教会がみことばの上にしっかりと立てられ、ずっとこの地域で主を証するために、主に従う群れでありたいと思います。

21~24節をご覧ください。「21 レハブアムはエルサレムに帰り、ユダの全家とベニヤミンの部族から選り抜きの戦士十八万を召集し、王位をソロモンの子レハブアムのもとに取り戻すため、イスラエルの家と戦おうとした。22 すると、神の人シェマヤに次のような神のことばがあった。23 「ユダの王、ソロモンの子レハブアム、ユダとベニヤミンの全家、およびそのほかの民に告げよ。24 『主はこう言われる。上って行ってはならない。あなたがたの兄弟であるイスラエルの人々と戦ってはならない。それぞれ自分の家に帰れ。わたしが、こうなるように仕向けたのだから。』」そこで、彼らは主のことばに聞き従い、主のことばのとおりに帰って行った。」

外交交渉に失敗したレハブアムは、エルサレムに返ると、ユダとベニヤミンの部族から選り抜きの戦士18万人を召集し、北の10部族と戦おうとしました。

すると、神の人シェマヤに、神のことばがありました。それは、「上って行ってはならない」ということでした。彼らの兄弟であるイスラエルの人々と戦ってはならないということです。シェマヤは南で活躍した預言者でした。一方、アヒヤは北で活躍した預言者です。いったいなぜ主はシェマヤにこのように告げられたのでしょうか。それは、主がそのように仕向けられたからです。それは偶然の出来事ではなく、主が導かれたことであるということです。それゆえ、彼らの兄弟たちと戦ってはならないのです。

それで彼らは主のことばに従い、主のことばとおりに帰って行きました。レハブアムはもっと早くこのような態度を取っていれば分裂の危機を乗り越えることができたであろうに、高慢にも「私の小指は父の腰よりも太い」なんて言って、自分の思いを通してしまった結果、北と南は分裂することになってしまいました。しかし、このことも主が仕向けられたことでした。これは主が起こされていることなのだから、自分がそれに対して争ってはいけないと、彼は戦いことを止めたのです。このように、あくまでも自分の思いで突き進み状況をさらに悪化させるのではなく、これも主が仕向けられたことだからと、主の御手にゆだねることも大切です。その時、主が憐れんでくださり、最善に導いてくださいますから。

私たちの人生には自分でも予期せぬ出来事が起こりますが、それさえも主が許されたことであって、その背後で主が導いておられると信じて、どうしてそのようなことが起こったのか自分ではわからなくても、すべてを主にゆだねて、主のみこころに歩むことが求められるのです。

Ⅲ.ヤロブアムの恐れ(25-33)

最後に、25~33節をご覧ください。「25 ヤロブアムはエフライムの山地にシェケムを築き直し、そこに住んだ。さらに、彼はそこから出て、ペヌエルを築き直した。26 ヤロブアムは心に思った。「今のままなら、この王国はダビデの家に帰るだろう。27 この民が、エルサレムにある主の宮でいけにえを献げるために上ることになっているなら、この民の心は彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、彼らは私を殺して、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。」28 そこで王は相談して金の子牛を二つ造り、彼らに言った。「もうエルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上った、あなたの神々がおられる。」29 それから彼は一つをベテルに据え、もう一つをダンに置いた。30 このことは罪となった。民はこの一つを礼拝するためダンまで行った。31 それから彼は高き所の宮を造り、レビの子孫でない一般の民の中から祭司を任命した。32 そのうえ、ヤロブアムはユダにある祭りに倣って、祭りの日を第八の月の十五日と定め、祭壇でささげ物を献げた。こうして彼は、ベテルで自分が造った子牛にいけにえを献げた。また、彼が造った高き所の祭司たちをベテルに常駐させた。33 彼は、自分で勝手に考え出した月である第八の月の十五日に、ベテルに造った祭壇でいけにえを献げた。このように、彼はイスラエルの人々のために祭りの日を定め、祭壇でいけにえを献げ、香をたいた。」

北王国の王となったヤロブアムは、エフライムの山地にシェケムを築き直しました。彼はシェケムを北王国の首都に定め、そこを補強し、拡張したのです。さらに、彼はそこから出て、ペヌエルを築き直しました。首都をシェケムからペヌエルに移したということです。シェケムはユダに近すぎると判断したのでしょう。ペヌエルはヨルダン川の東側の山地にあったので、そこなら大丈夫だろうと思い、ペヌエルを再建してそこに移ったのです。実は、ペヌエルに移る前にシェケムからティルツァに移動していたことがわかります(14:17)。ですからシェケム、ティルツァ、そしてペヌエルと移動したのです。そして最終的に、オムリ王の時代に首都をサマリヤに定めます。

そして彼は、イスラエルの民の心を自分に向けさせるために、とんでもないことをします。何と金の子牛を二つ作りました。これは明らかに偶像礼拝です。かつてアロンが金の子牛を作って民に拝ませたとき、イスラエルの民の上に神の怒りがどれほど注がれたのかを、彼は知らなかったのでしょうか(出32章)。また、彼はダンとベテルに神殿を設け、その金の子牛を据えました。それによって民が、エルサレムに上らなくても、宗教的儀式を行うことができるようにしたのです。

さらに彼は、祭司を新しく任命しました。31節をご覧ください。ここには、「それから彼は高き所の宮を造り、レビの子孫でない一般の民の中から祭司を任命した。」とあります。彼が任命した祭司は、一般の民の中から選ばれました。民数記18:1~7には、幕屋で仕えることができる祭司は、アロンの子孫から選ばれることが定められていました。アロンが属していたレビ族はそれを手伝うことができましたが、他の者が携わることはできませんでした。それを一般の民の中から選んだというのは、明らかに律法違反です。それは、祭司は彼らが選んだからではなく、神が選び出されたからです。神の選びと召命がなければ、その人は祭司の務めを行なうことができないのに、彼らはそんなことはお構いなしでした。それは彼らの中に神を恐れる思いがなかったことを表しています。

さらに32節を見ると、祭りの日も変更しました。これは仮庵の祭りです。仮庵の祭りは第七の月の15日に行われますが、ここではそれをそれよりもひと月遅らせた第八の月の15日に、行うようにしたとあります。

いったい彼はなぜこんなことをしたのでしょうか。彼は神様から、北王国の確立を約束されていました(Ⅰ列王11:31,11:37~38)。もし彼がダビデのように主の命令を守るなら、彼の王国は主によって守られ、祝福されたはずです。しかし彼は主のことばに背を向け、不信仰に陥ってしまいました。民が自分から離れてしまうのではないかと恐れたからです。そのような時こそ神に信頼し、すべてを神にゆだねて祈ればいいものを、彼は自分の策略で身の安全を確保しようとしたのです。

このようなことが私たちにもあるのではないでしょうか。私たちの人生にも、仕事や人間関係、将来のことで不安を覚えることがあります。そして、そのようなときこそ神様に信頼すべきなのに、自分で何とかしようとするのです。しかし、そういう時だからこそすべてを主にゆだね、主に信頼して歩まなければなりません。たとえ不安があっても、主の御手に落ちることが最善なのです。人間の不安や恐れがもたらす影響力がどれほど大きいかを知り、愚かな自分の策略を捨て、神の御手にすべてをゆだね、神を信頼して歩みましょう。