Ⅱ列王記17章

 今日は、Ⅱ列王記17章から学びます。

 Ⅰ.アッシリア捕囚(1-23)

まず、1~6節をご覧ください。「1 ユダの王アハズの第十二年に、エラの子ホセアがサマリアでイスラエルの王となり、九年間、王であった。2 彼は【主】の目に悪であることを行ったが、彼以前のイスラエルの王たちのようではなかった。3 アッシリアの王シャルマネセルが攻め上って来た。そのとき、ホセアは彼に服従して、貢ぎ物を納めた。4 しかし、アッシリアの王はホセアの謀反に気がついた。ホセアがエジプトの王ソに使者たちを遣わし、アッシリアの王には年々の貢ぎ物を納めなかったからである。そこで、アッシリアの王は彼を捕らえて牢獄につないだ。5 アッシリアの王はこの国全土に攻め上り、サマリアに攻め上って、三年間これを包囲した。6 ホセアの第九年に、アッシリアの王はサマリアを取り、イスラエル人をアッシリアに捕らえ移し、彼らをハラフと、ゴザンの川ハボルのほとり、またメディアの町々に住まわせた。」

話は再び北イスラエルに移ります。ユダの王アハズの第十二年に、エラの子ホセアがサマリアでイスラエルの王となり、九年間、治めました。彼は主の目の前に悪を行いましたが、彼以前の北イスラエルの王たちのようではありませんでした。どういうことかというと、彼以前の王たちのように、ネバテの子ヤロブアムの道を歩まなかったということです。当時の政治状況が極めて深刻であったため、そういう余裕がなかったのでしょう。というのは、3節にあるように、アッシリアの王シャルマネセルが攻め上って来ていたからです。そのときホセアは彼に服従して貢ぎ物を治めましたが、その裏でエジプトの王ソと連携して、アッシリアに対抗しようとしていました。このことに気付いたアッシリアの王シャルマネセルは激怒し、彼を捕らえて牢獄につなぎました。

その後、アッシリアの王は北イスラエルの首都サマリアに攻め上り、3年間これを
包囲しました。そしてホセアの治世の第九年にアッシリアの王はサマリアを完全に攻め取りました。そしてイスラエル人をアッシリアに捕え移し、彼らをバラフとゴザンの川ハボルのほとり、またメディアの町々に住まわせました。アッシリア捕囚です。アッシリアの政策は、サマリアの住民を他国に移住させ、別の民族をそこに移り住まわせることによって、彼らがアッシリアに反抗する力がなくなるようにすることでした。

北王国はB.C.931~721年まで約200年間存在しましたが、ここに完全に消滅することになりました。いったいこのようになってしまったのでしょうか。次の7~12節を見るとその理由がわかります。「7 こうなったのは、イスラエルの子らが、自分たちをエジプトの地から連れ上り、エジプトの王ファラオの支配下から解放した自分たちの神、【主】に対して罪を犯し、ほかの神々を恐れ、8 【主】がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の風習、イスラエルの王たちが取り入れた風習にしたがって歩んだからである。9 イスラエルの子らは、自分たちの神、【主】に対して、正しくないことをひそかに行い、見張りのやぐらから城壁のある町に至るまで、すべての町に高き所を築き、10 すべての小高い丘の上や、青々と茂るどの木の下にも石の柱やアシェラ像を立て、11 【主】が彼らの前から移された異邦の民のように、すべての高き所で犠牲を供え、悪事を行って【主】の怒りを引き起こした。12 【主】が彼らに「このようなことをしてはならない」と命じておられたのに、彼らは偶像に仕えたのである。」

彼らがこのようになったのは、彼らが自分たちをエジプトから解放してくださった主に対して罪を犯し、主がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の風習、イスラエルの王たちが取り入れた風習にしたがって歩んだからです。最後の王ホセアは、エジプトに援助を求めました。なんという皮肉でしょうか。700年以上も前にそこを脱出したエジプトに救いを求めたのです。

彼らは、自分たちの神、主に対して、正しくないことをひそかに行いとあるように、全面的に主から離れていたわけではありませんでした。主を礼拝することと並行して、これらのことを行ったのです。9節の「すべての町に高き所を築き」とは、偶像礼拝の場所のことです。彼らはすべての町に高き所を築き、石の柱やアシェラ像を立て、主が彼らの前から移された異邦の民のように、すべての高き所で犠牲を供え、悪事を行って主の怒りを引き起こしたのです。主が彼らに「このようなことをしてはならない」と命じておいたにもかかわらず、です。

主はどのように彼らに語られたのでしょうか。13節には、「主はすべての預言者とすべての先見者を通して」とあります。主は預言者と先見者をイスラエルとユダに送り、悪の道から立ち返るように、そして主の定めと掟を守るようにと伝えました。つまり、これは以前から警告されていたこであるということです。滅びは突如として襲ってくるのではありません。彼らには何度も悔い改めの機会が与えられていましたが、彼らが預言者たちの警告を無視し続けたので、最終的に滅びが彼らを襲ったのです。今が恵みの時、今が救いの日です。「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。」(ヘブル3:7-8)のです。

16節と17節をご覧ください。ここには、彼らが仕えた空しいもの、主が倣ってはならないと命じられた、周囲の異邦の民の偶像がどのようなものであったのかが記されてあります。「16 彼らの神、【主】のすべての命令を捨て、自分たちのために、鋳物の像、二頭の子牛の像を造り、さらにアシェラ像を造り、天の万象を拝み、バアルに仕えた。17 また、自分たちの息子や娘たちに火の中を通らせ、占いをし、まじないをし、【主】の目に悪であることを行うことに身を任せ、主の怒りを引き起こした」

彼らはまず自分たちのために鋳物の像、二頭の金の子牛の像を造り、それをダンとベテルに置いて拝みました(Ⅰ列王12:28~29)。これがヤロブアムの罪です。また、サマリアにアシェラ像を立てました。アシェラとはカナン人の豊穣の女神です。さらに彼らは、天の万象を拝み、バアルに仕えました。バアルも豊穣の神です。アシェラは女神ですが、バアルは男神です。周囲の異邦の民が拝んでいたポピュラーな偶像でした。彼らはそれも取り入れたのです。また彼らは、自分の子どもたちを人身供養のためにささげるようなことまでしました(Ⅱ列王16:3、申命18:10)

そこで、主はイスラエルに対して激しく怒り、彼らを取り除かれたのです。ただユダの部族だけが残りました。つまり彼らが取り除かれたのは、彼らの不信仰の故であったということです。不信仰と罪は、今も私たちを神から遠ざけるものです。すみやかに悔い改めて、神のもとに立ち返らなければなりません。

次に、19~23節までをご覧ください。「19 ユダも、彼らの神、【主】の命令を守らず、イスラエルが取り入れた風習にしたがって歩んだ。20 そのため【主】はイスラエルのすべての子孫を蔑み、彼らを苦しめ、略奪者たちの手に渡し、ついに彼らを御前から投げ捨てられた。21 主がイスラエルをダビデの家から引き裂かれたとき、彼らはネバテの子ヤロブアムを王としたが、ヤロブアムはイスラエルを【主】に従わないように仕向け、そうして彼らに大きな罪を犯させた。22 イスラエルの人々は、ヤロブアムが行ったすべての罪に歩み、それから離れなかったので、23 【主】は、そのしもべであるすべての預言者を通して告げられたとおり、ついにイスラエルを御前から除かれた。こうして、イスラエルは自分の土地からアッシリアに引いて行かれた。今日もそのままである。」

それは北王国イスラエルだけでなく、南ユダ王国も同じです。彼らも、彼らの神、主の命令を守らず、イスラエルが取り入れた風習に従って歩んだので、彼らもまた御前から投げ捨てられることになります。ユダもまた捕囚の憂き目にあったということです。バビロン捕囚のことです。列王記の著者は、バビロン捕囚後にこの記録を書いているので、ユダもイスラエルと同じ道を辿ったことを伝えているわけです。

主はダビデ王朝を引き裂き、それをヤロブアムに与えました。しかし、ヤロブアムはイスラエルを主に従わないように仕向け、金の子牛を礼拝させました。それ以来、イスラエルの民はその罪から離れなかったので、主が預言者を通して告げられたとおり、ついにイスラエルを御前から取り除かれたのです。イスラエルは自分の土地からアッシリアに引いて行かれることになっりました。今日もそのままであるとは、列王記の著者がこれを書いている時点で、イスラエルのアッシリア捕囚が続いているということです。彼らは、エジプトの奴隷の状態から解放され、約束の地に導かれ、聖なる国民とされたのに、神に反逆することによって、これらの祝福を失ってしまったのです。

Ⅱ.アッシリア捕囚の結果(24-33)

次に、24~33節をご覧ください。「24 アッシリアの王は、バビロン、クテ、アワ、ハマテ、そしてセファルワイムから人々を連れて来て、イスラエル人の代わりにサマリアの町々に住まわせた。こうして、彼らはサマリアを占領して、その町々に住んだ。25 彼らはそこに住み始めたとき、【主】を恐れなかったので、【主】は彼らの中に獅子を送り込まれた。獅子は彼らの何人かを殺した。26 彼らはアッシリアの王に次のように報告した。「あなたがサマリアの町々に移した諸国の民は、この土地の神についての慣わしを知りません。それで、神が彼らのうちに獅子を送り込みました。今、獅子が彼らを殺しています。彼らがこの土地の神についての慣わしを知らないからです。」27 そこで、アッシリアの王は次のように命じた。「おまえたちがそこから捕らえ移した祭司の一人を、そこに連れて行け。行かせて、そこに住まわせ、その土地の神についての慣わしを教えさせよ。」28 こうして、サマリアから捕らえ移された祭司の一人が来てベテルに住み、どのようにして【主】を礼拝するべきかを教えた。29 しかし、それぞれの民は、それぞれ自分たちの神々を造り、サマリア人が造った高き所の宮にそれを安置した。それぞれの民は自分が住む町々でそのようにした。30 バビロンの人々はスコテ・ベノテを造り、クテの人々はネルガルを造り、ハマテの人々はアシマを造り、31 アワ人はニブハズとタルタクを造り、セファルワイム人はセファルワイムの神々、アデラメレクとアナメレクに自分たちの子どもを火で焼いて献げた。32 彼らは【主】を礼拝したが、自分たちの中から高き所の祭司たちを自分たちで任命し、この祭司たちが彼らのために高き所の宮で祭儀を行った。33 彼らは【主】を礼拝しながら、同時に、自分たちが移される前にいた国々の慣わしによって、自分たちの神々にも仕えていた。」

アッシリア捕囚が行われた結果、どうなったでしょうか。アッシリアの占領政策は、占領地の優秀な人材をアッシリアに連行し、人口が減少した占領地にアッシリア人を送り込むというものでした。こうすることによってそこで雑婚が生まれ、将来における復讐行為を防ぐことができるからです。アッシリアの人たちは、バビロン、クテ、アワ、ハマテ、セファイルワイムから人々を連れて来て、イスラエル人の代わりにサマリアの町々に住ませました。

しかし、そうしたサマリア人たちがイスラエルの町々に住み始めたとき、彼らは主を恐れなかったので、主は彼らの中に獅子を送り込まれました。それで、獅子が彼らの何人かを殺したのです。そこで彼らはアッシリアの王にそのことを報告しました。するとアッシリアの王は、彼らがサマリアから捕え移した祭司の中からひとりを選び、サマリアに送り返すようにと命じました。

こうして、サマリアに捕らえ移された祭司の一人が来てベテルに住み、どのようにして主を礼拝すべきかを教えましたが、それぞれの民は、それぞれ自分たちのために神々を造り、サマリア人が造った高き所の宮にそれを安置しました。それぞれの民は自分が住む町々でそのようにしました。バビロンの人々はスコテ・ベノテを造り、クテの人々はネルガルを造り、ネルガルとはバビロンの偶像です。ハマテの人々はアシマを造り、アワの人はニブハズとタルタクを造り、セファルワイムの人はセファルワイムの神々、アデラメレクとアナメレクに自分たちの子どもを火で焼いてささげました。つまり、サマリアが多神教と混合宗教の地になってしまったということです。サマリアに移住した雑多な民が、それぞれの神々と習慣を持ち込んだからです。おそらくサマリアから捕え移された祭司の一人がベテルに住み、どのようにして主を礼拝すべきかを教えたとき、ヤハウェ礼拝と金の子牛礼拝が混合した宗教を教えたのではないかと考えられます。というのは、このベテルにはあのヤロブアムが造った金の子牛が置かれていたからです。

その結果、どうなりましたか。32~33節をご覧ください。「32 彼らは【主】を礼拝したが、自分たちの中から高き所の祭司たちを自分たちで任命し、この祭司たちが彼らのために高き所の宮で祭儀を行った。33 彼らは【主】を礼拝しながら、同時に、自分たちが移される前にいた国々の慣わしによって、自分たちの神々にも仕えていた。」

主を礼拝しながら、自分たちが移される前にいた国々の慣わしに従って、自分たちの神々を礼拝するというスタイルが生まれました。つまり、イスラエルの神、主を、もうひとりの神として、すでにある神々のリストに加えるようなことが起こったのです。しかし、これはモーセの律法で厳しく禁じられていることでした。十戒の第一戒には、「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」とあります。これが容易に破られることになってしまったのです。このことは、私たち日本人にも言えることです。聖書の神、真の神を信じていても、それが既にある土着の宗教の一つに加えられる形で信じていることがあるからです。しかし、聖書が教えていることは、まことの神は唯一であって、その神以外に神々があってはならないということです。真の神だけを信じ、この神に仕えなければなりません。

ところで、この個所にはサマリア人の起源について記されてあります。サマリア人は、人種的にはイスラエル人と中近東の諸民族の混血によって誕生したため、ユダヤ人からは偏見の目で見られるようになりました。ヨハネの福音書4章にあるサマリアの女の話は、こうしたことが背景にあります。ユダヤ人がサマリア人と付き合いをしなかったのは、サマリア人が人種的に混血族だったからです。しかし、イエスはそのサマリア人を愛されました。そしてイエスの愛は、サマリア人だけでなく極東の地に住む私たち日本人の上にも注がれているのです。

Ⅲ.主だけを恐れなければならない(34-41)

最後に、34~41節見て終わりたいと思います。「34 彼らは今日まで、以前の慣わしのとおりに行っている。彼らは【主】を恐れることはなく、【主】がイスラエルと名をつけたヤコブの子たちに命じられた、掟や定めや律法や命令のとおりに行うこともない。35 【主】はイスラエル人と契約を結び、次のように命じられた。「ほかの神々を恐れてはならない。これを拝み、これに仕えてはならない。これにいけにえを献げてはならない。36 大きな力と、伸ばされた腕をもって、あなたがたをエジプトの地から連れ上った【主】だけを恐れ、主を礼拝し、主にいけにえを献げなければならない。37 主があなたがたのために書き記した掟と定めと律法と命令をいつも守り行わなければならない。ほかの神々を恐れてはならない。38 わたしがあなたがたと結んだ契約を忘れてはならない。ほかの神々を恐れてはならない。39 あなたがたの神、【主】だけを恐れなければならない。主はすべての敵の手からあなたがたを救い出される。」40 しかし、彼らは聞かず、以前の彼らの慣わしのとおりに行った。41 このようにして、これらの民は【主】を礼拝すると同時に、彼らの刻んだ像にも仕えた。その子たちも、孫たちも、その先祖たちがしたとおりに行った。今日もそうである。」

「彼ら」とは、アッシリアの王によってサマリアに移された諸国の民のことです。彼らはこの列王記が記されている時点で、以前の慣わしに従っていました。彼らは主を恐れることはなく、主が定めた掟や定めに従うこともありませんでした。

一方、主はイスラエルの民とは契約を結ばれました。それは、ほかの神々を拝みこれに仕えてはいけないということです。これにいけにえをささげてもいけません。彼らを大いなる力と、伸ばされた腕をもって、エジプトの地から連れ上った主だけを恐れ、主にだけ仕えなければなりません。そうすれば、主はすべての敵から彼らを救い出されると。しかし、残念ながら彼らはその主の命令に聞き従わず、以前の慣わしに従いました。つまり主を礼拝すると同時に、彼らの刻んだ像にも仕えたのです。それは彼らだけではありません。その子たちも、孫たちも同じです。その先祖がしたとおりに行いました。

彼らには真の意味で主への畏れがありませんでした。もしあれば、刻んだ像に仕えることはできなかったはずです。彼らの主への礼拝は、形式的なものにすぎませんでした。混合宗教の悪影響は、それいたら何世代にもわたって続くことになります。私たちも悪の種を蒔くのではなく、信仰の継承を自分の代から始めていきたいと思います。