エズラ記5章から学びます。
Ⅰ.預言者ハガイとゼカリヤ(1-2)
神殿再建工事は、サマリヤ人の妨害によって、ペルシャの王クセルクセス王の時代からダレイオスの治世の第二年まで、約16年間(B.C536~520)中断していました。そのような状況下で、ハガイとゼカリヤという2人の預言者が登場し、工事の再開を促しました。彼らは、ユダとエルサレムにいるユダヤ人に対して、自分たちの上におられるイスラエルの神の御名によって預言しました。その預言の内容はハガイ書とゼカリヤ書を見ればわかりますが、神のことばによって民を教え、励ましたのです。工事が中止に追い込まれた最大の原因はサマリア人による妨害でしたが、もっと深刻な問題は、そのことによって民の中にやる気が失せていたことです。そこでハガイとゼカリヤは神のことばによって彼らを励まし、勇気付けたのです。
ハガイは、民が神殿よりも自分の生活を建て直すことに熱心だったのを見て、「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住むべきだろうか。」(ハガイ1:4)と言いました。
ゼカリヤは、神殿建設は主から出たことであり、異邦人の王はそのために用いられているにすぎないと語りました。さらに、工事の完成は主の霊によると、以下のように預言しました。「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」と万軍の主は仰せられる。」(ゼカリヤ4:6)
そこで、シェアルティアルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアは立ち上がり、エルサレムにある神の宮を建て始めました。神殿がなければ、モーセ契約を実行することができないからです。それが彼らの優先事項だったのです。
クリリスチャン生活にも優先事項があります。それは、祈りとみことばです。定期的な礼拝を守り、日々のデボーションを大切にし、祈りの生活を重視すること、これこそクリスチャンにとっての本質的なことであり、最優先事項です。私たちはまずこれに取り組まなければなりません。
ここには、「神の預言者たちが一緒にいて彼らを助けた。」とありますが、これもすごいですね。ゼカリヤとハガイはただみことばによって民を励ましたのではないのです。自らも一緒に汗を流して神殿建設に取り組んだのです。それは彼らがその働きに優れていたからではないでしょう。何としてもこの神殿を建て上げなければならないという神からの召しを受け、自分も少しでも役に立ちたいという思いがあったからでしよう。
Ⅱ.神の守り(3-5)
次に、3~5節をご覧ください。「3 そのような時期に、ユーフラテス川西方の総督タテナイと、シェタル・ボゼナイと、その同僚たちが彼らのところにやって来て、こう言った。「この宮を建て、この城壁を修復せよとの命令をだれがあなたがたに下したのか。」4 そしてまた、「この建物を建てている者たちの名は何というのか」と尋ねた。5 しかし、ユダヤ人の長老たちの上には彼らの神の目が注がれていたので、このことがダレイオスに報告されて、さらにこのことについての返事の手紙が来るまで、彼らの工事を中止させることができなかった。」
そのような時です。ユーフラテス川西方の総督タテナイと、シェタル・ボゼナイと、その同僚たちが彼らのところにやって来て、「この宮を建て、この城壁を修復せよとの命令をだれがあなたがたに下したのか。」と言いました。また、「この建物を建てている者たちの名は何というのか」と尋ねました。総督タテナイというのは、ペルシャ帝国内のシリア・パレスチナ地区を管轄する行政官です。シェタル・ボズナイは、総督タテナイの補佐官だったのではないかと考えられています。彼らはエルサレムで起こっていることに関心を示さずにはいられませんでした。というのは、彼らの役割は、そこで起こっている状況を把握して、それを王に伝えることだったからです。恐らく、彼らはこの工事が大規模な反乱に発展する恐れがあると判断したのでしょう。それで彼らのところにやって来て尋問したのです。
しかし、彼らは工事を中止させることができませんでした。このような妨害にもかかわらず、工事は続けられたのです。なぜでしょうか。それは、ユダヤ人の長老たちの上に彼らの神の目が注がれていたからです。つまり、神がこの工事を見守っておられたからです。エズラ記とネヘミヤ記には、このような表現がたびたび出てきます。(エズラ7:6,9,28,8:18,22,31,ネヘ:8,18。その結果、彼らがペルシャの王ダリヨスに手紙を書きその返事が来るまで、工事は続けられたのです。
これは私たちも同じです。どんなに試練が襲ってきても神の守りと助けは常に用意されています。あなたの上には全能の神の目と義の右の手が備えられているのでする。であれば、私たちは信仰の目を上げてこの神の守りがあることを信じようではありませんか。
Ⅲ.ダリヨス王への手紙(5:6-17)
次に、6~17節までをご覧ください。「6 ユーフラテス川西方の総督タテナイと、シェタル・ボゼナイと、その同僚のユーフラテス川西方にいる知事たちが、ダレイオス王に送った書状の写しは次のとおりである。7 彼らが王に送った報告には次のように書かれていた。「ダレイオス王に全き平安がありますように。8 王にお知らせいたします。私たちはユダ州に行き、あの大いなる神の宮に行ってみましたが、それは大きな石で建てられていて、壁には木材が組まれていました。その工事は彼らの手で着々と進められ、順調に行われています。9 そこで、私たちはその長老たちに尋ねて、彼らに次のように言いました。『この宮を建て、この城壁を修復せよとの命令をだれがあなたがたに下したのか。』10 私たちはまた、あなたにお知らせするために彼らにその名を尋ねました。それは、彼らの先頭に立っている者の名を書き記すためでした。11 すると、彼らは次のように私たちに返事をしました。『私たちこそは天と地の神のしもべであり、ずっと昔から建っていた宮を建て直しているのです。それはイスラエルの大王が建てて、完成させたものです。12 しかし、私たちの先祖が天の神を怒らせたので、神は彼らを、カルデア人であるバビロンの王ネブカドネツァルの手に渡されました。彼はこの宮を破壊し、民を捕らえてバビロンに移したのです。13 しかし、バビロンの王キュロスの第一年に、キュロス王はこの神の宮を建て直すよう命令を下しました。14 キュロス王はまた、ネブカドネツァルがエルサレムの神殿から持ち出して、バビロンの神殿に運んで行った神の宮の金や銀の器を、バビロンの神殿から取り出し、自分が総督に任命したシェシュバツァルという名の者にそれを渡しました。15 そして、シェシュバツァルに、これらの器を携えて行ってエルサレムの神殿に納め、神の宮を元の場所に建て直せと言いました。16 そこで、このシェシュバツァルは来て、エルサレムの神の宮の礎を据えました。その時から今に至るまで建築が続いていますが、まだ完成していません。』17 ですから、王様、もしもよろしければ、エルサレムにあるこの神の宮を建てるために、キュロス王からの命令が下ったのが事実かどうか、あのバビロンにある王室書庫をお調べください。そして、このことについての王のご判断を私たちにお伝えください。」
総督タテナイと補佐役のシェタル・ボゼナイたちは、ダレイオス王に手紙を書き送ります。その内容は7節以降にあるように、「あの大いなる神の宮」の建設が着々と進んでいるということでした。彼らがここでユダヤ人の神を「あの大いなる神」と呼んでいるのは驚きです。彼らの中にも、ユダヤ人の神がユダ州における主要な神であるという認識があったのでしょう。それは大きな石で建てられていて、壁には木材が組まれていました。
そこで彼らはその長老たちに、何の権威によってそれをしているのか、工事の責任者は誰かと尋ねると、彼らはこれまでのいきさつを話ししました。それが11~16節の内容です。ここで注目すべき点は、彼らは自分たちを「天と地のしもべ」(11)と呼んでいる点です。つまり、ペルシャのしもべではなく、真の神のしもべであるというのです。そして、その神の命令によって、昔から建てられていた神殿を再建しているのだと。それは自分たちがこの真の神に背いたためにバビロンの王ネブカドネツァルの手によって破壊されてしまったからです。
しかし、神はそれで終わりではなかった。何とペルシャの王キュロスの心を動かし、この宮の再建のためにネブカドネツァルがエルサレムの神殿から持ち出して、バビロンの神殿に運んで行った神の宮の金や銀の器を、バビロンの神殿から取り出し、自分が総督に任命したシェシュバツァルという者にそれを渡したのです。つまり、それはペルシャの行政のお墨付きであるというのです。だから、それが本当なのかどうか、つまり、エルサレムにあるこの神の宮を建てるためにキュロス王からの命令が下ったのが事実であるかどうかを調べてほしい。そう返事をしたのです。
ここでユダヤの長老たちが自分たちの先祖たちの失敗から立ち直ろうとしていることがわかります。彼らは自分たちのことを「真の神のしもべ」と呼んでいます。彼らはペルシャのしもべではなく、「真の神のしもべ」なのです。だから、その真の神のしもべとして、神の命令に従って神殿を再建しているのだという認識がありました。あなたはどうでしょうか。あなたは誰のしもべですか。私たちは真のイエス・キリストによって罪贖われ、罪から解放された者として、主イエスのしもべでする。であれば、私たちも私たちは真の神のしもべとしてイエスのみこころに歩むことが求められているのではないでしょうか。