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いよいよ、エレミヤ書の最後の章となりました。今日の説教のタイトルは「その一生の間、神のことばに聞き従って」です。
まず、51章の最後のところをご覧ください。ここには「これまでが、エレミヤのことばである。」とあります。ここまでがエレミヤのことばです。そしてこの52章はそうではありません。これはエレミヤのことばでなく、エレミヤ以外の誰かによって加筆されたものです。内容は、Ⅱ列王記24章18節~25章30節とほぼ同じです。書かれた時期は31節以降を見ればわかりますが、エホヤキンがバビロンの獄屋から出された後です。いったいなぜこの章がエレミヤ書に加えられたのでしょうか。いろいろな理由が考えられますが一番大きな理由は、これまでエレミヤが語ってきたことが成就したということ、その通りに歴史は動いたということを証明するためです。それが簡潔にまとめられているのです。神のことばは必ず成就します。だからこそ、神のことばは信頼するに値するのです。ですから、私たちは生涯神のことばに聞き従い、私たちに与えられた使命全うさせていただきたいと思うのです。3つのことをお話します。
第一に、ユダの王ゼデキヤの最後です。ゼデキヤの最後は実に悲惨なものでした。どうして彼はそのような最後を迎えたのでしょうか。それは彼が主のことばに聞き従わなかったからです。
第二のことは、エルサレムの最後です。エルサレムがバビロンによって滅ぼされると、主の宮にあった青銅の柱や車輪付きの台などが、根こそぎバビロンに運び込まれました。どうしてこのような記述がエレミヤ書の最後に記されてあるのでしょうか。それはエレミヤによって語られたことが成就したことを示すためです。神のことばは必ず実現するのです。
第三のことは、ユダの王エホヤキンの最後です。彼はバビロンに投降し捕囚の民として連行されましたが、捕え移されて37年目に、バビロンの王エビル・メロダクによって解放され、バビロンで彼とともにいた王たちの位よりも高くされ、その一生の間、いつも王の前で食事をすることができました。どうして彼はそのような扱いを受けたのでしょうか。それは彼が神のことば、エレミヤのことばに従ったからです。主のことばに従った結果、彼は最後に神のあわれみを受けたのです。
まず、1~11をご覧ください。3節までをお読みします。「52:1 ゼデキヤは二十一歳で王となり、エルサレムで十一年間、王であった。彼の母の名はハムタルといい、リブナ出身のエレミヤの娘であった。52:2 彼は、すべてエホヤキムがしたように、【主】の目に悪であることを行った。52:3 実に、エルサレムとユダが主の前から投げ捨てられるに至ったのは、【主】の怒りによるものであった。その後、ゼデキヤはバビロンの王に反逆した。」
ここに、南ユダ最後の王ゼデキヤについて言及されています。南ユダ王国の歴代王図をご覧ください。彼は21歳で王となり、エルサレムで11年間、王でした。彼の母の名は「ハムタル」といい、リブナの出身のエレミヤの娘でした。エレミヤとあるのは、エレミヤ書を書いたエレミヤとは別人です。

(南ユダの歴代王図 (主ノ宮光「聖書資料館」)参照)
彼は、すべてエホヤキム王がしたように、主の目に悪であることを行いました。エホヤキム王はゼデキヤの異母兄弟で、B.C.605年にヨシヤ王がメギドの戦いで戦死するとその王位を継承しましたが、彼は主の目の前に悪を行いました。どれだけの悪を行ったのかについては、25章1~7節を見るとわかります。彼は主の預言者たちを通してしきりに語られた神のことばを聞こうとせず、ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝みました。そのエホヤキムがしたように、ゼデキヤも主の目の前に悪であることを行い、主の怒りを引き起こしたということです。その後、彼はバビロンの王に反逆しました。神のみこころはバビロンの王に降伏することだったのに、彼は主のみこころに背き、バビロンの王に反逆したのです。
ゼデキヤの治世の第九年に、バビロンの王ネブカドネツァルがエルサレムを攻めに来て、これに対して陣を敷き、周囲に塁を築きました。B.C.588年のことです。これがゼデキヤ王の第十一年まで続きました。ですから、エルサレムは約2年半の間バビロン軍によって包囲されたことになります。いわば兵糧攻めにされたわけです。それでエルサレムは飢饉に陥りました。都の中の食料が尽きてしまい、食べ物がなくなってしまったのです。そのとき都は破られました。B.C.586年のことです。
バビロン軍が城壁を打ち破って町に侵入すると、ゼデキヤの側近たちは戦う気力をなくしてしまい、町から逃亡します。王の園と呼ばれるところに脱出口があって、そこから都を出てアラバへの道を行きました。それは死海に抜ける道でしたが、王の後を追っていたカルデアの軍勢によってエリコの草原で捕らえられると、リブラにいたバビロンの王のところへ連れて行かれました。リブラは、エルサレムから北に320キロのところにあります。するとバビロンの王は、ゼデキヤの息子たちを彼の目の前で虐殺し、ユダの首長たちもみなリブラで虐殺しました。さらに、ゼデキヤの目をつぶし、彼を青銅の足かせにつないでバビロンへ連れて行き、彼を死ぬ日まで獄屋に入れたのです。
何と悲惨なことでしょう。どうしてこのような結果になってしまったのでしょうか。それは、ゼデキヤが神のことばに背いてバビロンに降伏しなかったからです。神のみこころは彼がバビロンの捕囚の民となることだったのに、彼はそれを拒みました。もし彼がエレミヤのことばに従って降伏していたら、このようにはならなかったはずです。しかし彼は神のことばに背き、偽預言者のことば従って最後までバビロンに反逆したのです。その結果、このような事態を招いてしまったのです。
確かに、バビロンに反逆することはユダの民の目には悪とは映らなかったでしょう。むしろ、南ユダ王国の独立を願っていた彼らにはすばらしいことだと映ったに違いありません。ですから、バビロンに反逆することはユダの人々の目では悪ではないかのようでしたが、主の目には悪だったのです。
皆さん、このことをよく考えたいと思います。私たちの目には悪ではなくても、主の目には悪であるということがあるのです。私たちは常に、それが主の目にとってどうなのか、それが主の目にとって善なのか悪なのか、正しいことなのか間違っているかを判断しなければなりません。歴史的な経緯がどうであるとか、この世の人たちがどう考えているとかではなく、それが主の目に正しいことなのかどうかを判断しなければならないのです。そうでなければ、それは主の目には悪であり、主の御怒りを引き起こすことになるのです。
ゼデキヤはバビロンの王に反逆しました。なぜそれが主の目に悪だったのでしょうか。なぜなら、主が預言者エレミヤを通してそのように語っておられたのにそれに聞き従わなかったからです。エレミヤは、バビロン捕囚はイスラエルの罪が招いた結果であって避けることはできないのだから、バビロンに逆らわないで主のさばきを甘んじて受けるように、捕囚の民としてそこで主の取り扱いを受けるようにと勧めましたが、ゼデキヤはそれを受け入れませんでした。偽預言者パシュフルのことばに惑わされてバビロンに反逆したのです。その道を選択したのです。
皆さん、私たちの前にも同じような選択肢が置かれています。それは主に従うのか、それとも自分の考えに従うのかという選択です。そのような決断が私たちの日々の生活の中で瞬間、瞬間、問われているのです。そして主は、私たちが死ではなくいのちを、呪いではなく祝福を選ぶことを願っておられます。なぜなら神は、ひとりも滅びることを願わず、すべての人が救われることを望んでおられるからです。あなたはどちらの道を選びますか。主に従い、主に喜ばれる道ですか、それとも、自分が良いと思っている道ですか。人の目に麗しく見える道ですか。私たちは人ではなく、主に喜ばれる道を選びたいと思います。
次に、12~30節をご覧ください。ここにはエルサレムの最後について記されてあります。12~13節には、「52:12 第五の月の十日、バビロンの王ネブカドネツァル王の第十九年のこと、バビロンの王の家来、親衛隊の長ネブザルアダンがエルサレムに来て、52:13 【主】の宮と王宮とエルサレムのすべての家を焼き、そのおもだった建物をことごとく火で焼いた。」とあります。
これはB.C.586年のことです。これもエレミヤが前もって預言していたことでした。38章18節には、「あなたがバビロンの王の首長たちに降伏しないなら、この都はカルデア人の手に渡され、火で焼かれ、あなた自身も彼らの手から逃れることができない。」とあります。その通りになったのです。エルサレムは火で焼かれ、神殿も完全に焼失してしまいました。また、エレミヤのことばを拒んでバビロンに降伏しなかった者たちは虐殺されました。しかし、エレミヤのことばを聞いて素直にバビロンに降伏した者たちはいのちを免れ、特に危害を加えられることなく、バビロンに捕え移されました。貧しい民の一部は残され、ぶどうや農産物を育てる農夫として使われました。そこにバビロン軍が駐在するために食料が必要だったからです。
これはⅠ列王記7章も記されてあることですが、どうしてエレミヤ書の最後にこのような記述があるのでしょうか。はたから見たらどうでもいいような内容のように思えますが、そのようなことがわざわざ最後に記されてあるのです。
ここに出てくる器具はみな神殿で使われていた祭具です。それらには見事な装飾が施されていました。そのほとんどは青銅のものばかりでした。純金や純銀のものはすでにバビロンに運び込まれていたので、最後に残っていた青銅のものが運ばれました。どうしてこのような詳細な記述があるのかというと、28章で見た預言者エレミヤと偽預言者のハナヌヤの論争を思い起こしていただくとわかりますが、どっちが本当の主の預言者かを示すためです。エレミヤは、神殿に残された器具はすべてバビロンに運ばれると預言しましたが、ハナヌヤは何と言いましたか?彼はそうではないと言いました。彼はバビロンに運ばれた器具は2年のうちに戻されると預言したのです(28:3)。どちらが正しかったでしょうか。エレミヤです。エレミヤが預言した通りになりました。そのことを示しているのです。
特筆すべきことは、21節にある2本の青銅の柱です。まさかこんなに大きな物が運ばれるなんてだれも想像できなかったでしょう。21節にはそのサイズが記されてありますが、それは高さが18キュビト、その周囲は12キュビト、その厚さは指4本分で、中は空洞になっていました。1キュビトは44.5センチですから、その高さは約8メートル、周囲は約5メートルになります。相当の大きさです。コンクリ―トの電柱くらいの巨大な柱です。それらがことごとくバビロンに運び入れられたのです。
どうしてそんなに巨大な青銅の柱までも運び込まれたのでしょうか。それは主がそのように言われたからです。たとえそれが非現実的なことでも、人間的な感覚ではあり得ないことのようなでも、主が語られたことは必ず成就するのです。だから私たちも確信をもって、大胆に神のことばを伝えなければなりません。周りの人たちは、クリスチャンは何て馬鹿馬鹿しいことを信じているんだろうと思っているかもしれません。あまりにも非現実的だと。世の終わりが近いとか、世の終わりが来るとその前にクリスチャンは地上から引き挙げられて空中で主イエスと会い、いつまでも主とともにいるようになるとか、荒唐無稽な話をしていると言うでしょう。そんな馬鹿な話はないと。でも神のことばである聖書がそのように言っているのです。たとえ非現実的なことのようであっても主のことばがそのように告げているなら、私たちは主のことばを信じ、その上に立たなければなりません。なぜなら、草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばはとこしえに堅く立つからです。
それはこの歴史を見てもわかります。たとえば、マルコ13章1~2節を開いてみてください。「13:1 イエスが宮から出て行かれるとき、弟子の一人がイエスに言った。「先生、ご覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」13:2 すると、イエスは彼に言われた。「この大きな建物を見ているのですか。ここで、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることは決してありません。」」
これはイエス様が世の終わりについて教えられたことです。イエス様が宮から出て行かれるとき、弟子の一人がこう言いました。「なんとすばらしい石でしょうか。なんとすばらしい建物でしょうか。」するとイエス様はこう言われました。「どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることは決してありません。」積まれたまま残っていることは決してないと言われたのです。まさか、それらの石は600トンもあるんですよ。そんな石が崩されるはずがありません。でもイエス様はこの石が崩されずに、積まれたままで残っていることはないと言われたのです。あり得ません。世界七不思議に数えられた建物ですよ。これが崩されるなんて考えられません。でも実際にイエス様が言われた通りになりました。A.D.70年にローマ帝国によってエルサレム神殿は崩されてしまいました。常識では考えられないことが起こったのです。
それは、私たちへの教訓でもあります。私たちが信じられないようなことでも、神のことばは必ず成就します。ですから、私たちもこの世の常識にとらわれたり、目に見えるもので判断したりしないで、聖書は何と言っているのかを見て、判断しなければなりません。また、世の終わりになるとハナヌヤのような偽預言者が大勢現れるとイエス様も言われましたが、そうした偽預言者に警戒し、必ず聖書の教えに照らし合わせて、その人物と教えを吟味しなければなりません。そのためには、みことばを蓄える必要があります。
28~30節には、捕囚の民の運命について記されてあります。ネブカドネツァルがバビロンに捕え移した民の数の合計は、四千六百人でした。これはⅡ列王記24章14~16節にある数と大分違うことから矛盾しているという人もいますが、これは矛盾ではありません。数え方が違うだけです。エレミヤ書にある数は連行された民の全員の数というよりも、成人男性の実数だったのでしょう。
しかし、それよりも重要なことは、これらの民はエレミヤが語る神のことばを信じてバビロンに降伏し、捕囚の民となったということです。それは見た目には全てを失うことであり、故郷を追われて外国の地に強制移住させられるということですから、幸せな生活を期待することなどはできなかったでしょう。何をされるかわかりません。不安と恐怖でいっぱいだったに違いありません。それでも彼らはエレミヤを通して語られた主のことば聞き従ったのです。
結果はどうでしたか。29章4~7節にこうありました。「29:4 「イスラエルの神、万軍の【主】はこう言われる。『エルサレムからバビロンへわたしが引いて行かせたすべての捕囚の民に。29:5 家を建てて住み、果樹園を造って、その実を食べよ。29:6 妻を迎えて、息子、娘を生み、あなたがたの息子には妻を迎え、娘を嫁がせて、息子、娘を産ませ、そこで増えよ。減ってはならない。29:7 わたしがあなたがたを引いて行かせた、その町の平安を求め、その町のために【主】に祈れ。その町の平安によって、あなたがたは平安を得ることになるのだから。』」
神はバビロンの地で彼らの生活を守ってくださったばかりでなく、もう一度エルサレムに帰ることができるように備えてくださいました。それは70年という期間限定の捕囚だったのです。これがユダの民に対する神の計画だったのです。52章に登場するこの捕囚の民は、神のことばに聞き従ったので、神のあわれみを受けることができたのです。神のあわれみは尽きることはありません。神のことばに聞き従う者に注がれるのです。
最後に、31~34節を見て終わりいたと思います。「52:31 ユダの王エホヤキンが捕らえ移されて三十七年目の第十二の月の二十五日、バビロンの王エビル・メロダクは、即位した年のうちにユダの王エホヤキンを呼び戻して、獄屋から出し、52:32 優しいことばをかけ、バビロンで彼とともにいた王たちの位よりも、彼の位を高くした。52:33 彼は囚人の服を脱ぎ、その一生の間、いつも王の前で食事をした。52:34 彼の生活費は、死ぬ日までその一生の間、日々の分をいつもバビロンの王から支給されていた。」
ここには、ユダの王エホヤキンについて記されてあります。エホヤキンはユダの王エホヤキムの子どもで、ゼデキヤの甥にあたります。彼は18歳でユダの王となりましたが、わずか3ヶ月と10日でバビロンに降伏して捕囚の民となりました。B.C.597年のことです。彼はバビロンに捕え移されると獄屋に幽閉されました。それから11年後のB.C.586年にエルサレムが崩壊したという知らせを聞くのです。もう帰るとこころはない。自分の王宮はありません。それを聞いた彼は意気消沈したことでしょう。もうこのまま一生獄屋で過ごし、日の目を見ることなく、劣悪な環境の中で老いて死んで行くのかと、絶望したに違いありません。
しかし、31節からのところを見てください。37年目の12の月の25日に転機が訪れます。バビロンの王エビル・メロダクが王に即位すると、王はその年のうちにエホヤキンを呼び出して、獄屋から出し、優しいことばをかけて、バビロンで彼とともにいた王たちのどのくらいよりも、彼の位を高くしたのです。そして囚人服を脱がせ、その一生の間、いつも王の前で食事をしたのです。その生活のすべては、死ぬまでその一生の間、バビロンの王から支給されていたのです。何があったのでしょうか。これは破格の厚遇です。獄屋に入れられた37年目というのは、彼が55歳の時でした。それから彼がどれくらい生きたのかわかりませんが、仮に80歳まで生きたとすれば、残りの25年間をそのように暮らすことができたということです。いったい何があったのでしょうか。
ある人は、バビロンの王として新しく即位したこのエビル・メロダクがイスラエルの真の神を信じて回心したのではないかと考えています。彼の父ネブカドネツァルがイスラエルの神を信じて回心していたように、彼もバビロンにいた信仰者たちの影響を受けて回心したのではないかというのです。
またある人は、このエビル・メロダクは一時、父ネブカドネツァルの怒りをかって投獄されたことがありましたが、それが、エホヤキンが幽閉さていた獄中だったのではないかと考えています。そこで彼はエホヤキンと知り合い親しくなっていたので、晴れてエビル・メロダクが王になった時エホヤキンを解放して親切にしてあげたのではないかというのです。
聖書にはその理由が書かれていないので真相はわかりませんが、ただ一つ確信をもって言えることは、エホヤキンはそんなに良い王ではありませんでしたが、エレミヤが語った主のことばに従ってバビロンに降伏し捕囚の民としてバビロンに来たので、神が彼を祝福してくださったということです。このエホヤキンについては既に見てきたように、そんなにいい王ではありませんでした。というよりも、はっきり言って悪い王でした。24章30節には、それゆえ彼は「子を残さず、一生栄えない男」と呼ばれたほどです。彼の子どもは王位を継ぐことはできませんでした。それでダビデ王家はこのエホヤキンをもって絶えてしまうわけです。王族としての血統が絶え普通の人になったのです。その子孫がイエス様の父ヨセフです。マタイ1章にある系図を見るとわかります。そんな彼が55歳になった時、神のあわれみ受けました。なぜ?神のことばに聞き従ったからです。Ⅱ列王記24章12節にこうあります。
「ユダの王エホヤキンは、その母、家来たち、高官たち、宦官たちと一緒にバビロンの王に降伏したので、バビロンの王は、その治世の第八年に、彼を捕虜にした。」
勝ち目のない相手に降伏するのは当然かと思われますが、エホヤキンには選択する権利がありました。最後まで徹底抗戦をしてバビロンに反逆するのか、それともエレミヤを通して語られた主のことばに従ってバビロンに降伏するのかという選択です。ここには「降伏したので」とあります。何気ないことばですが、非常に重要な言葉です。これは彼の人生を左右する決定的なことばでした。彼は手の付けられない悪い王でしたが、バビロンに降伏することを選んだので、主は彼をあわれんでくださったのです。
彼は37年という長きに渡り獄中生活を強いられましたが、37年目にして奇跡が起こりました。その獄屋から釈放されたのです。皆さん、何年かかっても神の約束は必ず成就します。神のことばに聞き従ったからといって、すぐに自分の思うようになるとは限りません。それは時間を要するかもしれない。でもちょうど良い時に、神が引き上げてくださいます。私たちが想像もできないような方法で。
南ユダ最後の王ゼデキヤと比較してください。彼の最後は悲惨なものでした。それは最後まで主のことばに従わなかったからです。しかし、エホヤキンの最後はどうでしたか?全く対照的な終わり方です。彼は37年目の第12の月の25日に、バビロンの王エビル・メロダクに呼び戻され、獄屋から釈放されました。そしてバビロンで彼とともにいた王たちのどのくらいよりも高いくらいに就き、その一生の間、いつも王の前で食事をすることができました。彼の生活費は、死ぬ日まで一生の間、日々の分をいつもバビロンの王から支給されました。なぜ、そんな厚遇を受けることができたのでしょうか?彼が主のことばに聞き従ったからです。
私たちもエホヤキンのように悪い王かもしれません。一生栄えない男という烙印を押されても仕方がないような者です。それにもかかわらず、神のことば、聖書のことばを信じてイエス・キリストを救い主として受け入れただけで、神のあわれみを受けました。まさにエホヤキンの37年目の第12月の25日は、私たちを罪から救い、ご自身の救いに与らせるために、神が人となって来られたクリスマスを象徴するような出来事ではないでしょうか。こんな者でも神のあわれみを受けることができたのです。これが神の計画です。神の計画はエレミヤを通して私たちにはっはりと示されました。それは29章11節にあるように、「それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」
これがあなたに対する神の計画です。だから、たとえあなたの現状がどんなに苦しくても、たとえ自分の思うようにいかないようでも、神は必ずあなたを顧みてくださると信じて、どこまでも神のみことばに従わななければならないのです。そのために37年かかるかどうかほかりませんが、確かなことは、終わってみたら感謝、終わってみたら幸せだったと言える生涯を、主は計画しておられるということです。だからあきらめないでください。あなたも一生、神のみことばに聞き従い、神からの恵みを受ける者であってほしいと思います。これがエレミヤ書全体を通して、神があなたに願っておられることなのです。