Ⅰサムエル記16章

今回は、サムエル記第一16章から学びます。

Ⅰ.いつまで悲しんでいるのか(1-5)

まず、1~5節までをご覧ください。
「1 主はサムエルに言われた。「いつまであなたはサウルのことで悲しんでいるのか。わたしは彼をイスラエルの王位から退けている。角に油を満たせ。さあ、わたしはあなたをベツレヘム人エッサイのところに遣わす。彼の息子たちの中に、わたしのために王を見出したから。」2 サムエルは言った。「どうして私が行けるでしょうか。サウルが聞いたら、私を殺すでしょう。」主は言われた。「一頭の雌の子牛を手にし、『主にいけにえを献げるために来ました』と言い、3 エッサイを祝宴に招け。わたしが、あなたのなすべきことを教えよう。あなたはわたしのために、わたしが言う人に油を注げ。」4 サムエルは主がお告げになったとおりにして、ベツレヘムにやって来た。町の長老たちは身震いしながら彼を迎えて言った。「平和なことでおいでになったのですか。」5 サムエルは言った。「平和なことです。主にいけにえを献げるために来ました。身を聖別して、一緒に祝宴に来てください。」そして、サムエルはエッサイと彼の息子たちを聖別し、彼らを祝宴に招いた。

サムエルは、サウルのことで悲しんでいました。なぜなら、サウルが主の命令に背き、アマレク人の王アガグと、肥えた羊や牛の最も良いものを惜しみ、これらを聖絶しなかったからです。それで彼はイスラエルの王位から退けられることが決定的となりました。サムエルはそのことを悲しんでいました。自分が王として油を注いだ人物が退けられるのですから当然のことでしょう。しかし、そんなサムエルに主は、「いつまであなたはサウルのことで悲しんでいるのか。わたしは彼をイスラエルの王位から退けている。角に油を満たせ。さあ、わたしはあなたをベツレヘム人エッサイのところに遣わす。彼の息子たちの中に、わたしのために王を見出したから。」と言われました。確かにサウルのことは悲しかったでしょう。しかし、それもまた主が成されたことなのです。いつまでも悲しんでいてはいけません。向きを変えて出発しなければなりませんでした。「角に油を満たせ」とは、新しい王に油を注いで即位させるようにということです。イスラエルでは預言者と祭司、王が即位する際に油を注ぎました。サムエルが油を注ぐべき新しい王はどこにいるのでしょうか。それはベツレヘム人エッサイのところでした。主は彼の息子たちの中から、主のための新しい王を用意しておられました。

それを聞いたサムエルは、とても恐れました。そんなことをしたら、サウルの耳に届いて、殺されてしまうと思ったのです。しかし主は、そんなサムエルに「一頭の雌の子牛を手にし、『主にいけにえを献げるために来ました』と言い、エッサイを祝宴に招け。」と言われました。あとは、何をすべきかを教えてくださるというのです。サムエルは主のために、主が選んでおられる者に油を注がなければなりませんでした。

それでサムエルは、主がお告げになったとおりにベツレヘムに行きました。するとどうでしょう。町の長老たちは身震いしながら彼を迎えました。イスラエルの預言者がやって来るなんて考えられないことであったからです。というのは、当時、預言者は常日頃から訓戒と叱責のために巡回していたからです。また、普通は礼拝者がいけにえを携えて祭司、または預言者のところへ行きますが、ここでは逆に預言者がわざわざいけにえを携えてやって来たからです。ですから町の人たちは、自分たちが何か大きな過ちを犯したのではないかと心配したのです。それで恐る恐る尋ねました。「平和なことのためにおいでになったのですか。」するとサムエルは、平和のために来たことを告げ、エッサイと彼の息子たちを聖別して彼らを祝宴に招きました。

Ⅱ.神に選ばれた人ダビデ(6-13)

6節から13節までをご覧ください。
「6 彼らが来たとき、サムエルはエリアブを見て、「きっと、主の前にいるこの者が、主に油を注がれる者だ」と思った。7 主はサムエルに言われた。「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」8 エッサイはアビナダブを呼んで、サムエルの前に進ませた。サムエルは「この者も主は選んでおられない」と言った。9 エッサイはシャンマを進ませたが、サムエルは「この者も主は選んでおられない」と言った。10 エッサイは七人の息子をサムエルの前に進ませたが、サムエルはエッサイに言った。「主はこの者たちを選んでおられない。」11 サムエルはエッサイに言った。「子どもたちはこれで全部ですか。」エッサイは言った。まだ末の子が残っています。今、羊の番をしています。」サムエルはエッサイに言った。「人を遣わして、連れて来なさい。その子が来るまで、私たちはここを離れないから。」12 エッサイは人を遣わして、彼を連れて来させた。彼は血色が良く、目が美しく、姿も立派だった。主は言われた。「さあ、彼に油を注げ。この者がその人だ。」13 サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真ん中で彼に油を注いだ。主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。サムエルは立ち上がってラマへ帰って行った。」

彼らが来たとき、サムエルが最初に見たのは長男のエリアブでした。「エリアブ」という名前は、「神は父」という意味です。サムエルは彼を見たとき、「きっと、主の前にいるこの者が、主に油注がれる者だ。」と思いました。しかし、その判断は間違っていました。確かに彼はサウルのように背が高く、容貌が優れた者でしたが、主が選んでおられたのは彼ではありませんでした。なぜなら、主は人が見るようには見ないからです。人はうわべを見るが、主は心を見られます。不思議ですね。サムエルほどの人物でも、外見にとらわれるという弱さがありました。
次に、サムエルのところに連れて来られたのは次男のアビナダブでした。「アビナダブ」という名前の意味は、「わが父は気高い」です。でも、主は彼も選んでおられませんでした。次に連れて来られたのはシャンマです。「シャンマ」という名前の意味は明確にはわかりませんが、下の脚注の説明には「シムア」のことではないかとも考えられており、もし「シムア」という名前であれば「うわさ」という意味になります。「うわさの人」とか「評判の良い人」という意味でしょうか。しかし、主は彼も選んではいませんでした。こうしてエッサイは七人の息子をサムエルの前に進ませましたが、いずれも主が選んでおられる人物ではありませんでした。

そこでサムエルはエッサイに尋ねました。「こどもたちはこれで全部ですか。」するとエッサイは、「まだ末の子が残っています。今、羊の番をしています。」と言いました。エッサイには息子が八人いたんですね。末の息子とは、この八番目の息子のことです。しかし、エッサイは彼をサムエルのもとに連れて来ませんでした。まさか、羊の番をしているような一番末の息子を、神が選んでいる者だとは思えなかったからです。ですから、このエッサイのことばには、「まだ末の子が残っていますが、彼は羊の番をしているような者だから・・・」といったニュアンスがありました。しかし、サムエルはエッサイに言いました。「人を遣わして、連れて来なさい。その故が来るまで、私たちはここを離れないから。」
そして、その子がサムエルの所に連れて来られると、主はサムエルに言われました。「さあ、彼に油を注げ。この者がその人だ。」それでサムエルは、油の角を取り、兄弟たちの真中で彼に油を注ぎました。

その日以来、主の霊がこの末の息子ダビデの上に激しく下りました。それでサムエルは立ち上がって、ラマにある自分の家に帰って行きました。ダビデはすでに主を信じる信仰者でした。すなわち、聖霊による救いの体験をしていました。しかし、彼は油注ぎを受けると、主の霊が激しく彼に下りました。これは、使命を全うするために必要な聖霊の力が与えられたということです。それは王としての知恵、力、判断力、信仰のことでしょう。

いったいなぜダビデだったのでしょうか。わかりません。確かに彼がサムエルのところに連れて来られた時、彼は血色が良く、目が美しく、姿も立派だったとあります(12)。しかし、父親の目では他の兄弟には劣っているように見え、無視されているような存在でした。しかし、神はそんなダビデを選んでおられたのです。神の選びは本当に不思議です。人の目には劣っているような小さな者、取るに足りない者でも、ご自身のために選び、用いてくださるのです。それは、私たちの救いについても言えることです。神は本当に罪深い私たちをご自身の子として選び、恵みを注いでくださいました。パウロはこの神の選びについてこのように言っています。「26兄弟たち、自分たちの召しのことを考えてみなさい。人間的に見れば知者は多くはなく、力ある者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。27 しかし神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました。28 有るものを無いものとするために、この世の取るに足りない者や見下されている者、すなわち無に等しい者を神は選ばれたのです。」(Ⅰコリント1:26-28)
私たちも、外面的にはこの世から評価されないような存在かもしれませんが、イエス・キリストにあって神に選ばれた者です。選ばれた証拠として、聖霊による証印が押されています。神の霊に導かれる人は誰でも、神の子どもです。ちなみに「ダビデ」という名前の意味は、「愛された者」という意味です。ダビデは、神に愛された者でした。私たちも神に愛された者、神の恵みを受けた者であることを感謝しましょう。

Ⅲ.竪琴を弾く者(14-23)

次に、14節から23節までをご覧ください。
「さて、主の霊はサウルを離れ去り、主からの、わざわいの霊が彼をおびえさせた。15 サウルの家来たちは彼に言った。「ご覧ください。わざわいをもたらす、神の霊が王をおびえさせています。16 わが君。どうか御前におりますこの家来どもに命じて、上手に竪琴を弾く者を探させてください。わざわいをもたらす、神の霊が王に臨むとき、その者が竪琴を手にして弾くと、王は良くなられるでしょう。」17 サウルは家来たちに言った。「私のために上手な弾き手を見つけて、私のところに連れて来なさい。」18 家来の一人が答えた。「ご覧ください。ベツレヘム人エッサイの息子を見たことがあります。弦を上手に奏でることができ、勇士であり、戦士の出です。物事の判断ができ、体格も良い人です。主が彼とともにおられます。」19 サウルは使いをエッサイのところに送って、「羊とともにいるあなたの息子ダビデを、私のところによこしなさい」と言った。20 エッサイは、ろば一頭分のパンと、ぶどう酒の皮袋一つ、子やぎ一匹を取り、息子ダビデの手に託してサウルに送った。21 ダビデはサウルのもとに来て、彼に仕えた。サウルは彼がたいへん気に入り、ダビデはサウルの道具持ちとなった。22 サウルはエッサイのところに人を遣わして、「ダビデを私に仕えさせなさい。気に入ったから」と言った。23 神の霊がサウルに臨むたびに、ダビデは竪琴を手に取って弾いた。するとサウルは元気を回復して、良くなり、わざわいの霊は彼を離れ去った。」
主に背を向けたサウルと、油注ぎを受けたダビデの差は、大きいものがありました。ダビデの上には主の霊が激しく下りましたが、同じ主の霊はサウルを離れ去り、悪い霊、わざわいの霊が彼をおびえさせました。そこでサウルの家来たちが、竪琴を弾く者を探させましょうと提案しました。わざわいをもたらす霊が王に臨むとき、竪琴の音を聞くと状態が良くなると思ったのです。いわゆる「音楽療法」です。竪琴の音が悪霊に対して効果を発揮するということではなく、琴の音によってサウルのたましいが穏やかになるということです。ここには、「主からのわざわいの霊」とか、「わざわいをもたらす、神の霊」とありますが、これはどういうことでしょうか。わざわいをもたらす霊とは悪霊のことですが、それが「主からの」と言われているのは、悪霊の働きでさえも主が支配しておられ、主のお許しがなければ働くことはできないという意味です。サウルは、家来たちの提案を受け入れました。そして自分のために上手な弾き手を見つけて、連れて来るようにと命じました。たまたま家来たちの中にダビデのことを知っている者がいて、サウルに推薦しました。その家来はダビデのことを、「弦を上手に奏でることができ」、「勇士であり」、「戦士の出です」と言っています。また、「物事の判断ができ」、「体格も良く」、「主が彼とともにおられます」と言っています。ダビデはまだ幼くて戦いに出たことがありませんでしたが、羊飼いとして羊を守るために、ライオンや熊などの野獣と戦って勝利していたので、戦士と思われていたのでしょう。何よりも主が彼とともにおられるということが見えるほど、信仰に満ち溢れていたのでしょう。

サウルは使いをエッサイのところに送り、ダビデを王宮に召し抱えたので、ダビデはサウルの下で仕えることになりました。するとサウルはダビデをとても気に入ったので、彼はサウルの道具持ちとなりました。道具持ちとは、文字通り王の道具(武具)を運ぶ者のことですが、それはまた宮中の王の近くにて王を警護する近衛兵でもありました。兵士にとっては非常に名誉なことでした。

わざわいの霊がサウルに臨むたびに、ダビデは竪琴を手に取って弾きました。するとサウルは元気を回復して、良くなり、わざわいの霊は彼を離れ去りました。いったいなぜ神はサウルにわざわいをもたらす霊を送られたのか、なぜダビデがサウルのもとで仕えるようになったのでしょうか。ダビデが次の王として油注ぎを受けていることは、サウルはまだこの時点では知りませんでした。彼はただ「琴を奏でる者」として宮廷に住むようになりましたが、それはまた、彼が次の王になるための備えの時でもありました。かつてモーセがイスラエルをエジプトから救い出し、約束の地カナンに導くためのリーダーとして備えるために、彼がエジプトの王宮で育てられ、後にミデアンの地で40年間過ごすような経験が与えられたのも、後に彼がイスラエルを救うリーダーとして立てられていくための備えの時だったのです。時として私たちも、いったいなぜ自分はこんなことをしなければならないのかと思うことがありますが、「すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。」(ピリピ2:14)とあるように、神はすべてのことを働かせて益としてくださるばかりか、神ご自身の栄光のために私たちを用いるためであることを覚え、すべてのことをつぶやかず、疑わずに行う者でありたいと思います。そして、私たちの人生においても不思議なことをなさる主の御名をほめたたえようではありませんか。

ヨハネ13章21~30節「暗闇から光へ」

 ヨハネの福音書の続きです。この箇所には、イスカリオテのユダの裏切りについて記されてあります。きょうは、この箇所から「暗闇から光へ」というタイトルで話しします。

Ⅰ.心が騒いだイエス(21)

まず、21節をご覧ください。
「イエスは、これらのことを話されたとき、心が騒いだ。そして証しされた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。あなたがたのうちの一人が、わたしを裏切ります。」

「これらのこと」とは、その前のところでイエスが語られたことです。18節を見ると、イエスは旧約聖書のことばを引用して、「わたしのパンを食べる者が、わたしに向かってかかとをあげます。」と言われました。「かかとを上げる」とは裏切るという意味です。イエス様はユダが裏切ることを前もって語られたのです。これらのことを話されたときイエスは、心が騒ぎました。なぜ騒いだのでしょうか。それは、イスカリオテのユダが自分を裏切るということを知っておられたからです。いや、ユダが裏切るだけでなく、そのことを悔い改めなかったからです。その結果、彼が永遠に滅びてしまうことを思うといたたまれなかったのです。その心の深い部分で霊の憤りを感じ、心が騒がずにはいられませんでした。

イエスは弟子たちを愛しておられました。当然、ユダのことも最後まで愛しておられました。そして彼の足さえも洗ってくださいました。イエスはこれまで何度もご自身を裏切る者がいると警告し、悔い改めを促してこられました。ヨハネは、このユダの裏切りについて、イエスが3度も語られたことを記録しています。たとえば、6章では「わたしがあなたがた12人を選んだのではありません。しかし、あなたがたのうちの一人は悪魔です。」(ヨハネ6:70)と言われました。これはイスカリオテ・ユダのことです。イエスは、ユダのことを指してこう言われたのです。
また、この13章10節には、主が弟子たちの足を洗われた時「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身がきよいのです。あなたがたはきよいのですが、皆がきよいわけではありません。」(13:10)と言われました。これはユダのことです。ユダはきよめられていませんでした。
さらに、先ほども申し上げたように、18節でも旧約聖書のことばを引用して、「わたしのパンを食べている者が、わたしに向かって、かかとを上げます」と書いてあることは成就する、と言われました。
このように、イエスは弟子たちの中にご自分を裏切る者がいるということを何度も語り、悔い改めるように促してきたのに、彼はそれを受け入れませんでした。3年余りイエスのそばにいてずっと親しく交わってきた者たちの中に、自分を裏切る者がいるということはどんな悲しかったことでしょう。そして何よりもそのことを悔い改めず、その結果永遠に滅びてしまうことを思うと、心を騒がせずにはいられなかったのです。
それでこう言われました。「まことに、まことに、あなたがたに言います。あなたがたのうちの一人が、わたしを裏切ります。」
これで4度目です。「まことに、まことに」とは、本当に重要なことを語られる時に使われる言葉です。それは、ユダに対して、今からでも遅くはない。だから何とか悔い改めてほしいという、主の痛いほどの思いが込められていたことがわかります。

それは、このユダだけに言えることではありません。私たちにも同じです。大切なのは、何をしたかではなく、何をしなかったかです。私たちもすぐに主を裏切るような弱い者であり罪深い者ですが、それでももし、自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。そのことを忘れてはなりません。そして罪が示されたなら、悔い改めなければならないのです。そうすれば、主は赦してくださいます。今からでも決して遅くはありません。もし、あなたに罪があるなら、ユダのように頑(かたくな)にならないで悔い改めましょう。

Ⅱ.イエスの懐で(22-25)

次に、22~25節をご覧ください。22節には「弟子たちは、だれのことを言われたのか分からず当惑し、互いに顔を見合わせていた。あなたがたのうちの一人が、わたしを裏切ります。」とあります。マタイ26:22には、「弟子たちはたいへん悲しんで、一人ひとりイエスに「主よ、まさか私ではないでしょう」と言い始めた。」とありますが、彼らは大変ショックでした。まさか自分のことではないだろうと、自分さえも疑ったほどです。

23節、24節を見てください。それで、弟子の一人がイエスの胸のところで横になっていたので、ペテロは彼に、だれのことを言われたのかを尋ねるように合図をしました。どういうことかというと、これは最後の晩餐でのことですが、最後の晩餐とは言っても、当時はレオナルド・ダヴィンチの絵にあるようにテーブルを囲んで皆が椅子に座って食べていたわけではありません。当時はコの字型のテーブルに左ひじを付いて横になり、右手で食べました。テーブルを囲み左から2番目に主人が座りました。一番左、すなわち、主人の右側に座っていたのはヨハネです。主人の右側には、主人が最も信頼する人が座ることになっていました。それがヨハネだったのです。また、主人の左側はゲスト席となっていましたが、そこに座っていたのがイスカリオテのユダでした。そこから弟子たちが順に座り、イエス様から一番左の端に座っていたのがシモン・ペテロだったのです。彼はテーブルをぐるっと回って、向かい側の一番しもべの席にいました。ですから、ヨハネから見るとヨハネは向かい側にいたので、お互いに顔をよく見ることができたのです。そこでペテロはヨハネに、口パクだったか、あるいは目くばせによってかはわかりませんが合図をしました。こんなふうに・・・。「だれのことをいわれたのか聞いて・・・」ヨハネはどこにいましたか?ヨハネはイエス様の右側にいました。右側で横になっていたので、ちょうどイエス様の胸の辺りで横になっているように見えたのです。

イエス様の右に座るというのは、イエス様に最も信頼された者であるという証です。そのことをヨハネはこう言っています。「イエスが愛しておられた弟子である。」別にイエス様は彼だけを愛しておられたわけではありません。弟子たちみんなを愛しておられました。いや、弟子たちばかりでなく、私たちすべての人を愛しておられました。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(3:16)
イエス様はみんなを愛しておられます。それなのに彼は、自分のことを、イエスが愛しておられた弟子であると言っているのです。このように言える人は幸いです。なぜなら、そこに真の平安を得ることができるからです。そうでしょ、もし自分がだれからも愛されていないと感じていたら不安になってしまいます。また、あの人から憎まれ、この人から嫌われていると思ったら悲しくなってしまいます。ヨハネは、自分はイエス様に特別に愛されている、深く愛されていると思っていました。でもそれはヨハネだけではありません。すべての人に言えることです。ただ彼はそのように実感することができました。なぜでしょうか。それは単に彼がイエスの右側に座っていたからというだけでなく、イエスの愛がどのようなものであるかをよく知っていたからです。彼はこう言っています。
「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(Ⅰヨハネ4:9-10)
どこに愛があるんですか。ここにあります。神がそのひとり子をこの世に遣わし、私たちの罪のために、宥めのささげ物として死んでくださったことにあるのです。神は、私たちが愛される資格があるから愛したのではありません。そうでなくても、そうでないにもかかわらず愛してくださいました。あれができる、これができるから愛してくださったのではありません。もしそうだとしたら、それができなくなったらもう愛される資格はなくなってしまうことになります。でも、神の愛はそういうものではありません。私たちがまだ神を知らなかった時、神のみこころではなく自分勝手に生きていた時、聖書ではそれを罪と言っていますが、そんな罪人であったにもかかわらず、愛してくださいました。

聖書に、放蕩息子のたとえ話があります。ある人に二人の息子がいました。弟のほうが父に、「お父さん、財産の分け前を私にください」と言いました。それで、父は財産を二つに分けてやりました。すると、それから何日もたたないうちに、弟息子は、すべてのものをまとめて遠い国に旅立ちました。そして、そこで放蕩して、財産を湯水のように使ってしまいました。何もかも使い果たした後でその地方に大飢饉が起こり、彼は食べることに困り果ててしまいました。いったいどうしたら良いものか・・・。そこで彼はある人のところに身を寄せると、その人は彼を畑に送って、豚の世話をさせました。彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどでしたが、だれも彼に与えてはくれませんでした。
その時、はっと我に返った彼は、父のところに行ってこう言おうと決心します。「お父さん、私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。」
すると父親はどうしましたか。息子が立ち上がって、父のもとに向かうと、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、何度も口づけしました。息子が父親に、「お父さん、私は天に対して罪を犯し、あなたに対して罪を犯しました。もうあなたの子どもと呼ばれる資格はありません。」と言うと、父親は彼に一番良い着物を着させ、手に指輪をはめさせ、足にくつを履かせました。そして肥えた子牛を引いて来てほふり、食べてお祝いしたのです。

この父親は天の神様の姿です。そして、弟息子は、私たち人間、一人一人のことです。私たちは神から愛される資格などありませんでした。むしろ、神に反逆し、自分勝手に生きていました。それにもかかわらず神はあわれんでくださり、赦してくださいました。救われるはずのない私たちを救ってくださったのです。救ってくださっただけでなく、ずっとその愛で愛してくださいます。私たちがどんなに罪を犯しても、神のもとに立ち返るなら、神は赦してくだるのです。神の愛は変わることがありません。私たちはそんな愛で愛されているのです。これが私たちキリストを信じた者たち、クリスチャンです。

ヨハネはそこに座っていました。座っていたというか、横たわっていました。それはちょうどイエス様の懐に抱かれているようでした。彼はイエス様の心臓の音を聞いたと言われていますが、まさに彼はイエス様の心臓の音が聞こえるくらい、イエスのそばにいました。彼はそのように自覚していたのです。そこに彼の安心感がありました。

あなたはどうですか。イエス様の心臓の音を聞いていますか。イエス様のハートが届いていますか。だれも自分のことなんか愛してくれないと思っていませんか。みんな自分を嫌っていると思っていませんか。そう思うと人間関係が非常に難しくなります。だれからも愛されていないと感じることがあっても、イエス様はあなたを愛しておられます。あなたもイエスの心臓の音を聞くべきです。あなたがいるべき所は、イエス様の胸元なのです。そこでイエスの愛を感じ、安心感を持っていただきたいと思うのです。

Ⅲ.暗闇から光へ(26-30)

最後に、26節から30節までをご覧ください。26節には、「イエスは答えられた。「わたしがパン切れを浸して与える者が、その人です。」それからイエスはパン切れを浸して取り、イスカリオテのシモンの子ユダに与えられた。」とあります。イエスは、「わたしがパン切れを浸して与える者が、その人です。」と言われましたが、その後のところを見てもわかるように、それでも弟子たちには、それがだれのことを言っているのかがわかりませんでした。というのは、当時の習慣では、このように過越の食事において、パン切れを浸して渡すという行為は、主人がゲストをもてなしたり、給仕したり、親しみを示すものであったからです。ですから、だれもイエスがしていることを見て、ユダがイエスを裏切ろうとしているとは思わなかったのです。ということはどういうことかと言うと、イエスは最後の最後まで、ほかの弟子たちにはわからないように、彼の罪をみんなの前であばき出すようなことをせず、しかも本人には分かるような方法で、悔い改めを迫る愛の訴えをし続けておられたということです。イエスは最後まで彼をあわれみ、愛と恵みを示されたのです。

しかし、彼はイエスの御言葉に耳を貸そうとはしませんでした。27節をご覧ください。ここには、「ユダがパン切れを受け取ると、そのとき、サタンが彼に入った。すると、イエスは彼に言われた。「あなたがしようとしていることを、すぐしなさい。」」とあります。すごい言葉です。「サタンがはいった」どういうことでしょうか。どんな人でも主の愛の訴えを拒み続けるなら、自分では意識していないかもしれませんが、そこに巧妙なサタンの働きがあって、その働きに支配されてしまうのです。勿論、クリスチャンにサタンが入ることはありません。なぜなら、クリスチャンには神の聖霊が入っているからです。Ⅰヨハネ4:4には、「子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。」とあります。私たちのうちにおられる方は、これは神の御霊、聖霊のことですが、この方は、この世にいるあの者よりも力があるので、入ることができないのです。しかし、主の愛を拒み続け、聖霊を受けなければ、サタンに支配される、すなわち、サタンが入ることがあるのです。ユダは主の愛と恵みを完全に拒んで、パン切れだけを受け取りました。そのとき、サタンが彼に入ったのです。サタンは最初、彼の思いに働きかけました。2節には「夕食の間のこと、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうという思いを与えていた。」とあります。そして、この最後の晩餐において、主の最後の愛の訴えがなされましたがユダがそれを拒んだことで、サタンが彼に入ったのです。

ですから、イエスは彼にこう言われたのです。「あなたがしようとしていることを、すぐしなさい。」もうこれ以上、望みはないということです。彼はイエスよりもサタンを選んでしまったからです。主が彼を見捨てられたので彼が悪魔の道を選んだのではありません。彼が主の愛を最後まで拒んだので、その結果、見捨てられることになってしまったのです。このことは、私たちにも言えることです。主は何度も、悔い改めなければ危険であること、そのままでは最後の裁きに会わなければならないということを、手を変え、品を変え、繰り返して語っておられます。ユダの場合のように直接的にではなくとも、ある時には聖書を通して、ある時にはクリスチャンの友人を通して語り掛けてくださっています。そのようにして悔い改めのチャンスを与えてくだっているのです。しかし、それを永久になさるわけではありません。後ろの扉が閉ざされる時がやって来るのです。ですから、もしあなたがその愛の訴えを頑なに拒み続けるなら、あなたは自分で悪魔を選び取ってしまうことになるのです。そして、もはや救いの望みは完全に断たれてしまうことになります。

それが30節にあることです。ここには、「ユダはパン切れを受けると、すぐに出て行った。時は夜であった。」とあります。ほかの弟子たちは、ユダが裏切るために出て行ったとは思いませんでした。というのは、彼は会計係だったので、イエスが彼に「祭りのために必要な物を買いなさい」とか、「貧しい人々に何か施しをするように」とかと言われたのだと思っていたからです。しかし、そうではありませんでした。彼はイエスを裏切るために出て行ったのです。彼が出て行った時、外はどうなっていましたか?時は夜でした。新改訳第三版では、「すでに夜であった。」とあります。すでに夜であったとは言っても、過越の食事は夕食ですから、夜であるのは当然です。それなのに、ここにわざわざ「時は夜であった」とあるのは、それが単に時間的な状況を伝えたかったからではなく、彼の心の状態、彼の心の闇を強調したかったからなのです。イエスは最後までユダを愛し、悔い改める機会を与えておられたのに、彼は出て行きました。外はすでに夜だったのです。夜は不安です。でも、どんな不安や恐れがあっても必ず朝がやって来ます。朝太陽が昇ると、あれほど不安だった夜が、嘘のようにすべてが消えて行きます。でも想像してみてください。朝が来ない夜というのを。太陽が昇って来ない朝を。繰る日も繰る日も真っ暗闇です。それがずっと続くとしたらどうでしょうか。恐ろしいですね。でもそれがキリストから離れた人の状態です。キリストから出て行ってしまった人の状態なのです。そこは永遠に光を見ない暗闇の世界です。そこで泣いて歯ぎしりすると、聖書は言っています。そこで永遠を過ごさなければなりません。

しかし、キリストを信じた人は違います。その暗闇から光の中に移されます。コロサイ1:13~14に、このように書かれてあります。
「御父は、私たちを暗闇の力から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。この御子にあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。」
神は私たちを暗闇の力から解放して、愛する御子のご支配の中に、光の中に移してくださいました。どのように移してくださったのですか?「この御子にあって」です。この御子にあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。イエス・キリストにあって、私たちは罪の赦し、永遠のいのちをいただいたのです。

あなたはどうですか?まだ暗闇の中にいませんか。もう生きる望みもない。何を頼っていいのかわからない。今まで望みだと思っていたものが消えてしまった。いったいこれから何を頼って生きていけばいいのか。この世が作り出す望みはそんなものです。得たと思ったらすぐに消えてしまいます。しかし、神は私たちに生ける望みを与えてくださいました。神はそのひとり子をこの世に遣わし、あなたの罪の身代わりとして、そして私の罪の身代わりとして十字架で死んでくださり、三日目によみがえられました。この方がイエス・キリストです。キリストは、死の恐怖に打ちひしがれていた人たちを解放し、罪の奴隷として、これはやってはいけないとわかっていてもついつい行い、みじめになっている私たちをそこから救ってくださいます。自分ではどうすることもできない悪の支配にあって、そこから解放してくださいます。この方にあって私たちは、罪の赦し、永遠のいのちを受けることができるのです。暗闇から光へと移されるのです。

ただ移されるというだけではありません。ずっとその光の中を歩むことができます。イエスは「水浴した者は、足以外は洗う必要はありません。」(13:10)と言われました。水浴した者は、風呂に入ったら、足以外は洗う必要はありません。全身がきよいからです。足だけ洗ってもらえばいいのです。これは毎日です。私たちの足は汚れます。だから、毎日洗ってもらう必要があります。罪があると祈ることができなくなります。しかし、水浴した者は、足以外は洗う必要はありません。全身がきよいからです。もう光の中へ移されたからです。罪を思い出させる涙の夜は去り、笑みと感謝の朝を生きることができるのです。

きょうは、この後で美香姉とあかね姉のバプテスマ式が行われます。それは、主イエス・キリストにあって贖い、すなわち、罪の赦しを得ていることを表しています。暗闇の力から救い出され、愛する御子のご支配の中に移されました。もう闇の中ではなく、光の中を歩むのです。

私たちも同じです。私たちも、キリストにあって贖い、すなわち、罪の赦しをいただきました。もはや闇があなたを支配することはありません。私たちは光の中を歩むのです。どんなことがあっても、主はあなたを見捨てたり、見離したりはしません。あなたはイエス様に愛された者、イエス様の懐に抱かれた者なのです。後は、足だけ洗えばいい。日々汚れた足を洗ってもらい、聖霊によって日々きよめられながら、栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられていきましょう。

出エジプト記22章

 今回は、出エジプト記22章から学びます。

 Ⅰ.他人の所有物の侵害に関する定め(1-15)

まず1節から15節までをご覧ください。4節までをお読みします。
「1 人が牛あるいは羊を盗み、これを屠るか売るかした場合、牛一頭を牛五頭で、羊一匹を羊四匹で償わなければならない。2 もし盗人が抜け穴を掘って押し入るところを見つけられ、打たれて死んだなら、 打った者に血の責任はない。3 もし日が昇っていれば、血の責任は打った者にある。盗みをした者は必ず償いをしなければならない。もし盗人が何も持っていなければ、盗みの代償としてその人自身が売られなければならない。4 もしも、牛であれ、ろばであれ、羊であれ、盗んだ物が生きたままで彼の手もとにあるのが確認されたなら、それを二倍にして償わなければならない。」

 人がもし牛とか羊を盗み、その盗んだ牛や羊をすでに殺したり打ってしまった場合、どうしたらいいのでしょうか。その場合は、牛一頭につき牛五頭をもって、羊一匹につき羊四匹をもって償わなければなりませんでした。当時、家畜は大切な財産だったからです。もしも、牛であれ、ろばであれ、羊で荒れ、盗んだ物が生きたままその人の手もとにあるのが確認されたら、それを二倍にして償わなければなりませんでした(4)。ルカ19:8でザアカイが、「主よ、ご覧ください。私は財産の半分を貧しい人たちに施します。だれかから脅し取った物があれば、四倍にして返します。」と言っているのは、盗んだ羊を返す時の額です。

では、盗みをした者はどうなるでしょう。もし盗人が抜け穴を掘って押し入るところを見つけられ、打たれて死んでも、打った者に血の責任はありませんでした(2)。ここに「抜け穴」とありますが、当時の家は泥土造りの家で、簡単に壁に穴を開けて入り込むことができました。そのような盗人がだれで、どのような状態なのかを判別することができないため、夜間であれば、たとえ相手を殺したとしても許されたのです。しかし、日中はいのちを奪ってはいけませんでした。もし日が昇っていれば、血の責任は打った者にありました。昼間であれば、単なる盗人であることが分かるはずなので、殺すことまでする必要はないからです。それは過剰防衛と見なされました。いずれにせよ、盗みをした者は必ず償いをしなければならず、もし償う物がなければ自分自身を売らなければなりませんでした。

5節をご覧ください。ここには、「人が畑あるいはぶどう畑で家畜に牧草を食べさせるとき、 放った家畜が他人の畑を食い荒らした場合、 その人は自分の畑の最良の物と、 ぶどう畑の最良の物をもって償いをしなければならない。」とあります。
当時は隣地との地境がはっきりしていなかったために、自分の家畜に牧草を食べさせようと放つと、家畜が地境を越えて隣地の畑に行き、それを食い荒らすことがありました。その時にはどのように償ったら良いのかということです。その時には、その人は自分の畑の最良の物と、 ぶどう畑の最良の物をもって償いをしなければなりませんでした。ここでは「最良のものをもって償うように」と言われています。自分のベストをもって、誠意をもって賠償しなさいということです。「これは動物がやったことだから仕方がない」と開き直ったり、家畜がやったことで自分には何の関係もありません」といった言い訳をしないで、誠意をもって償いをすべきなのです。そうすれば、トラブルはそれ以上に発展することはありません。これは、非常に知恵のある教えではないでしょうか。

 6節をご覧ください。ここには、「また、火が出て茨に燃え移り、積み上げた穀物の束、刈られていない麦穂、あるいは畑を焼き尽くした場合、その火を出した者は必ず償いをしなければならない。」とあります。火災を起こすことによって、他人の収穫物を焼いて損害を与えてしまった場合はどうすれば良いかということです。その場合も、償いをしなければなりませんでした。それが不注意によるものであっても、その責任を問われました。

 次に、7~15節をご覧ください。
 「人が金銭あるいは物品を隣人に預けて保管してもらい、それがその人の家から盗まれた場合、もしその盗人が見つかったなら、盗人はそれを二倍にして償わなければならない。8 もし盗人が見つからないなら、その家の主人は神の前に出て、彼が隣人の所有物に決して手を触れなかったと誓わなければならない。9 所有をめぐるすべての違反行為に関しては、それが、牛、ろば、羊、上着、またいかなる紛失物についてであれ、一方が『これは自分のものだ』と言うなら、 その双方の言い分を神の前に持ち出さなければならない。そして、神が有罪と宣告した者は、それを二倍にして相手に償わなければならない。10 人が、ろば、牛、羊、またいかなる家畜でも、隣人に預けてその番をしてもらい、それが死ぬか、負傷するか、連れ去られるかしたが、目撃者がいない場合、11 隣人の所有物に決して手を触れなかったという主への誓いが、双方の間になければならない。その持ち主はこれを受け入れなければならない。隣人は償いをする必要はない。12 しかし、もしも、それが確かにその人のところから盗まれたのであれば、その持ち主に償いをしなければならない。13 もしも、それが確かに野獣にかみ裂かれたのであれば、証拠としてそれを差し出さなければならない。かみ裂かれたものの償いをする必要はない。14 人が隣人から家畜を借り、それが負傷するか死ぬかして、その持ち主が一緒にいなかった場合は、必ず償いをしなければならない。
22:15 もし持ち主が一緒にいたなら、償いをする必要はない。しかし、それが賃借りした家畜であれば、 その借り賃は払わなければならない。」

 人が金銭あるいは物品を他人に預けて保管してもらいましたが、それがその人の家から盗まれてしまった場合どうしたら良いのでしょうか。もし盗人が見つかったなら、盗人がそれを二倍にして償えば良かったのですが、問題は盗人が見つからなかったらどうするかということです。当然預かった人に嫌疑がかかるわけです。それで預かった人は、神の前に出て、自分が盗まなかったことをはっきりと誓わなければなりませんでした(8)。「神の前に出て」とは、裁判官の前に出てという意味です。それは、裁判官は神から任されて、さばきを二者の間で行なう存在だからです。当時は神のことばを預かった人、聖職者が民をさばきました。

「所有をめぐるすべての違反行為に関しては」とは、ある人の持ち物について、それが盗品であるという疑いを掛けられた時には、疑った人も疑われた人も神の前に出て、神が罪に定めた者は、二倍にして相手に償わなければなりませんでした。すなわち、不当に盗んだのであれば当然盗んだ物が償いをし、もしもその疑いが誤っていたのであれば、逆に訴えた人が二倍にして相手に償わなければなりませんでした。

他人に預けておいた家畜が損害を受けた場合はどうしたら良いでしょうか。すなわち、隣人に預けてその番をしてもらい、それが死ぬか、負傷するか、連れ去られるかしたが、目撃者がいない場合です。その場合は、預かった人が隣人との所有物、ここでは家畜ですね、それに決して手を触れなかったという誓いをし、その誓いを預けた人が認めた場合には償いの必要がありませんでした(11)。

しかし、もしも、それが確かにその人のところから盗まれたのであれば、その持ち主に償いをしなければなりませんでした(12)。もしもそれが確かに野獣にかみ裂かれたのであれば、証拠としてそれを差し出さなければなりませんでした。その場合は償う必要はありませんでした。

隣人から借りていた家畜が傷ついたり死んでしまった場合はどうしたら良いでしょうか。家畜のレンタルですね。その場合、借り手は償いをしなければなりませんでした(14)。しかし、そこにもし持主が一緒にいたのであれば、償いをする必要はありませんでした(15)。持主も、一緒にいたことで、その責任に預かっていたからです。ただし、その家畜を賃借りしていた場合は、レンタル料は支払わなければなりませんでした。

 Ⅱ.道徳に関する定め

 次に16節から20節までをご覧ください。
「16 人が、まだ婚約していない処女を誘惑し、彼女と寝た場合、その人は必ず、彼女の花嫁料を払って彼女を自分の妻としなければならない。17 もしその父が彼女をその人に与えることを固く拒むなら、その人は処女の花嫁料に相当する銀を支払わなければならない。18 呪術を行う女は生かしておいてはならない。19 動物と寝る者はみな、必ず殺されなければならない。20 ただ主ひとりのほかに、神々にいけにえを献げる者は、聖絶されなければならない。」

 イスラエルでは、婚約を経て結婚に至りました。ですから、婚約を終えると、法的に結婚した者と見なされたのです。「まだ婚約していない娘」とは、まだそういう状態にない処女のことです。人が、まだ婚約していない処女を誘惑し、彼女と寝た場合はどうしたら良いのかということです。その場合は、その人はかならず、彼女の花嫁料(結納金)を払って彼女を自分の妻としなければなりませんでした(16)。しかし、もし彼女の父が「こんな男に大事な娘をやるわけにはいかない」と拒んだら、その人はその処女のために定められた花嫁料を支払わなければなりませんでした。その花嫁料は、銀50シェケルと定められていました(申命記22:29)。

この規定が与えられている目的は、結婚の尊厳を教えるためです。結婚とは、「ふたりは一体となる」ことであり、このようにして肉体関係を持つことは、男と女が一生涯、霊的に、精神的に、また社会的に一組の夫婦として生きていくことの証しだったのです。ですから、肉体関係を持つことと結婚を引き離すことは決してできず、ここで婚前交渉をしたのなら必ずすぐに結婚して、一生涯その人を自分の妻にしなければならなかったのです。

 18節をご覧ください。ここには、「呪術を行う女は生かしておいてはならない。」とあります。呪術とは魔術のことです。オカルトや占いですね。そのようなことをする者は、死刑に定められていました。それは悪霊と直接的に関わることだからです(申命記18:10-11)。神は霊です。神は、霊において人と交わりをすることを願っておられ、もし人が異なる霊と交わりをするなら、霊的姦淫を犯すことになります。そして、悪霊は悪しき霊です。この悪しき霊と交わるなら、悪霊に支配されてしまうことになります。それゆえ、呪術者は死罪に定められたのです。ここに「呪術を行う女」とあるのは、呪術を行うのは主に女性だからです。聖書を見ても、霊媒師の女が多いことがわかります。

19節には、「動物と寝る者はみな、必ず殺されなければならない。」とあります。獣姦とも呼ばれる行為です。当時の異教社会では頻繁に行われていました。それは神が定めた道に背くものであり、死刑に定められていました。

20節には、「ただ主ひとりのほかに、神々にいけにえを献げる者は、聖絶されなければならない。」とあります。

 十戒の中にある、「わたしのほかに、ほかの神々があってはならない」の戒めの適用です。十戒の第一戒を破る偶像礼拝の行為は、カナン人と同じように聖絶されなければなりませんでした。こうした偶像礼拝は、イスラエル人の純粋な信仰に悪影響を与える危険があったからです。

 Ⅲ.社会的弱者を守るための教え(21-27)

21節から27節までには、社会的弱者を守るための教えが書かれています。
「21 寄留者を苦しめてはならない。虐げてはならない。あなたがたもエジプトの地で寄留の民だったからである。22 やもめ、みなしごはみな、苦しめてはならない。23 もしも、あなたがその人たちを苦しめ、彼らがわたしに向かって切に叫ぶことがあれば、わたしは必ず彼らの叫びを聞き入れる。24 そして、わたしの怒りは燃え上がり、わたしは剣によってあなたがたを殺す。あなたがたの妻はやもめとなり、あなたがたの子どもはみなしごとなる。25 もし、あなたとともにいる、わたしの民の貧しい人に金を貸すなら、彼に対して金貸しのようであってはならない。利息を取ってはならない。26 もしも、隣人の上着を質に取ることがあれば、日没までにそれを返さなければならない。27 それは彼のただ一つの覆い、 彼の肌をおおう衣だからである。 彼はほかに何を着て寝ることができるだろうか。 彼がわたしに向かって叫ぶとき、 わたしはそれを聞き入れる。 わたしは情け深いからである。」

 「寄留者」とは、「在留異国人」のことです。在留異国人を苦しめたり、虐げてはなりませんでした。なぜなら、彼らもエジプトの地で寄留者であったからです。その体験は、自分の国にいる異国人を思いやるために用いられるべきなのです。外国に住んでみないとわからない苦しみがあります。私たちも、日本に住む外国人に対して、特別な配慮が求められます。外国人に限らず、新しく来た人、不慣れな人が、教会の交わりにそのまま入って来ることができるような態勢を整えておく必要があります。

22節には、やもめやみなしごに対してどのようにすべきかが教えられています。やも
めとは未亡人のこと、みなしごとは孤児のことです。働き手に先立たれたやもめや、両親に先立たれたみなしごを大切にするのは、イスラエルの律法の大きな特徴です。今のように、女性が働ける職場や、また孤児院などの制度が整っていたわけではありませんから、乞食に近い生活が強いられました。このような人たちに対しては、大切にし、丁重に扱わなければなりませんでした。このような人たちを悩ませる者には必ず神のさばきが下り、彼ら自身がやもめや、みなしごのようになると警告されています。
果たして、私たちの教会はやもめやみなしごに十分な配慮をしているでしょうか。自分のことだけで精いっぱいになってはいないかを吟味しなければなりません。

 25節には、貧しい人にお金を貸す場合にはどうしたら良いかが教えられています。すなわち、彼らにお金を貸すなら、金貸しのようであってはなりませんでした。つまり、彼から利息を取ってはならかったのです。利息を取ることは許されませんでしたが、貸したお金の補償として、着物を質に取ることは許されました。しかし、その場合は、日没までに返さなければなりませんでした。なぜなら、その貧しい人にとっては、その着物が寝具にもなったからです。それを取ってしまったら、何も着るものがありません。それではあまりにも可哀想です。そんなことがあってはなりません。なぜなら、「わたしはあわれみ深いからである。」(27)

 Ⅳ.神に対する義務(28-31)

最後に、神に対して私たちのあるべき態度についてです。28~31節までをご覧ください。
「28 神をののしってはならない。また、あなたの民の族長をのろってはならない。29 あなたの豊かな産物と、あふれる酒とのささげ物を遅らせてはならない。あなたの息子のうち長子は、わたしに献げなければならない。30 あなたの牛と羊についても同様にしなければならない。七日間、その母親のそばに置き、八日目にはわたしに献げなければならない。31 あなたがたは、 わたしにとって聖なる者でなければならない。野で獣にかみ裂かれたものの肉を食べてはならない。それは犬に投げ与えなければならない。」

28節には「神をののしってはならない」とあります。神への畏怖の念を忘れてはならないということです。また、「あなたの民の族長をのろってはならない。」神によって立てられた秩序を重んじて、その権威に従うべきです。なぜなら、それは神によって立てられた権威だからです。ローマ13:1~2には、「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。2 したがって、権威に反抗する者は、神の定めに逆らうのです。逆らう者は自分の身にさばきを招きます。」とあります。最近の新型コロナウイルス感染に対する政府の対応は、少し後手後手に回っている感がありますが、その判断にあたる阿部総理はかなりの重責で疲労困憊しているのではないかと思います。今こそ私たちは阿部総理のために祈り、彼が正しく判断できるように支えなければなりません。

29節と30節はささげものに関する定めです。「29 あなたの豊かな産物と、あふれる酒とのささげ物を遅らせてはならない。あなたの息子のうち長子は、わたしに献げなければならない。30 あなたの牛と羊についても同様にしなければならない。七日間、その母親のそばに置き、八日目にはわたしに献げなければならない。」
あなたの豊かな産物と、あふれる酒とのささげ物を送らせてはなりません。どれくらいの量をささげなければならないのかは、規定されていません。すなわち、自発的にささげるということです。
息子と家畜に関する規定ですが、長子は主のものですから、主にささげなければなりませんでした。つまり、長子が祭司として主に仕えるためにささげられたということです。後にレビ人が祭司として仕えることになりました。これは13:2の再確認です。それは牛と羊も同様でした。男子の初子も、牛と羊の初子も、八日目に主にささげられなければなりませんでした(29-30)。

最後に、野で獣にかみ裂かれたものの肉を食べてよいかどうかの規定です。その肉は食べてはなりませんでした。それは、犬に投げ与えなければならなかったのです。なぜなら、それは汚れていたかです。獣に殺された家畜の肉を食べることは、血のついた肉を食べることとみなされ、神が忌み嫌われることだったのです(レビ17:10-11)。そのような肉を食べて身を汚すようなことをしてはいけませんでした。なぜなら、イスラエルは、神の聖なる国民(19:6)であるからです。
私たちも神に贖われた神の民、聖なる国民です。それゆえ、この世の考えに従って身を汚すようなことをせず、神に喜ばれる聖なる者となることを求めていきたいと思います。

Ⅰサムエル記15章

 今回は、サムエル記第一15章から学びます。

 Ⅰ.アマレク人を聖絶せよ(1-9)

 まず、1~9節までをご覧ください。
「1 サムエルはサウルに言った。「主は私を遣わして、あなたに油をそそぎ、その民イスラエルの王とされた。今、主の言われることを聞きなさい。2 万軍の主はこう仰せられる。『わたしは、イスラエルがエジプトから上って来る途中、アマレクがイスラエルにしたことを罰する。3 今、行って、アマレクを打ち、そのすべてのものを聖絶せよ。容赦してはならない。男も女も、子どもも乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも殺せ。』」4 そこでサウルは民を呼び集めた。テライムで彼らを数えると、歩兵が二十万、ユダの兵士が一万であった。5 サウルはアマレクの町へ行って、谷で待ち伏せた。6 サウルはケニ人たちに言った。「さあ、あなたがたはアマレク人の中から離れて下って行きなさい。私があなたがたを彼らといっしょにするといけないから。あなたがたは、イスラエルの民がすべてエジプトから上って来るとき、彼らに親切にしてくれたのです。」そこでケニ人はアマレク人の中から離れた。7 サウルは、ハビラから、エジプトの東にあるシュルのほうのアマレク人を打ち、8 アマレク人の王アガグを生けどりにし、その民を残らず剣の刃で聖絶した。9 しかし、サウルと彼の民は、アガグと、それに、肥えた羊や牛の最も良いもの、子羊とすべての最も良いものを惜しみ、これらを聖絶するのを好まず、ただ、つまらない、値打ちのないものだけを聖絶した。」

サムエルは再びサウルに対して、神の命令を伝えます。それは、「行って、アマレクを打ち、そのすべてのものを聖絶せよ。」(3)というものでした。サウルはかつてギルガルで神の命令に背きサムエルを待たずに自分で全焼のいけにえをささげたことで、神に退けられることになりました(13:14)。しかし、主はここでもう一度チャンスを与えるようなかたちで、サウルに命じられたのです。それがこの命令でした。

「聖絶」とは、神へのささげ物として、異教の神を拝む者とそれに関する事柄を滅ぼし尽くすことです。それが人であれ、動物であれ、すべてのものを滅ぼし尽くさなければなれませんでした。それにしても、これは一見、あまりにも残酷な命令のように聞こえますが、それはイスラエルのためでもありました。というのは、それは神が、ご自身の民とされたイスラエルが聖なる者として先住民の習慣や誘惑に負けて罪を犯さないようにするための配慮であったからです。しかし、このアマレクの場合、その理由がはっきりしていました。それは2節にあるように、かつてイスラエルがエジプトから上ってくる途中で、アマレクがイスラエルに対して行ったことを、主が覚えておられたからです。申命記25:17~19をご覧ください。ここには、かつてイスラエルがエジプトを出て荒野を旅していた時、アマレク人が彼らを襲ったことが記録されています。しかも彼らは、後ろのほうにいた体力的に弱い人々を背後から襲撃するという卑劣なことを行いました。この時主は、モーセの祈りに応え、ヨシュアを戦いの指導者に立て自分はアロンとフルとともに丘に上って手を上げて祈ることで勝利することができましたが、神はそのことを覚えておられ、あれから400年ほど経った今、アマレク人への罰として彼らを聖絶するようにサウルに命じられたのです。

サウルはテライムに歩兵20万人、ユダの兵士が1万人を呼び集めました。そして、アマレクの町へ行って、谷で待ち伏せしました。しかし、ケニ人たちには、アマレク人のもとを離れるようにと伝えます。それは、彼らがアマレク人と一緒に滅ぼされることがないようにするためです。というのは、彼らはかつてイスラエルがエジプトから上って来たとき、イスラエルに親切にしてくれたからです。ケニ人はモーセの義理の兄弟ホハブの子孫です(民数記10:29)。つまり、モーセと親戚関係にあった民族で、彼らはイスラエルがエジプトから出る際にイスラエルを助けてくれただけでなく、定住後もイスラエルに対して好意的な姿勢を示してきました。(民数記10:29~32)そのためサウルは、彼らに対して善意を示したのです。

サウルは、ハビラからエジプトの東の方、国境にあるシュルに至るまで、アマレクを打ちました。そして、アマレク人の王アガクを生け捕りにし、その民のすべてを剣の刃で聖絶しましたが、アガクと、肥えた羊や牛の最も良いもの、子羊とすべての最も良いものを惜しんで、聖絶しませんでした。ただ、つまらない値打ちのたないものだけを聖絶したのです。なぜでしょうか。もったいないと思ったからです。彼はそんな自分の思いを優先させてしまいました。サウルは表面的には主に従っているようでしたが、実際には自分の思いに従っていのです。それは中途半端な従順でした。このような従順では、主に喜んでいただくことができません。それは占いの罪と同じであり、偶像礼拝の悪と同じなのです。

ちなみに、聖書にはアマレクの存在がしばしば、私たちの肉の象徴として描かれています。肉は殺さなければいけないものです。それを生かしておけばその奴隷となって死に至るようになります。ですから、サウルはとんでもない過ちを犯したのでした。

Ⅱ.主の御声に従うことは全焼のいけにえにまさる(10-23)

次に、10~23節までをご覧ください。
「そのとき、サムエルに次のような主のことばがあった。11 「わたしはサウルを王に任じたことを悔いる。彼はわたしに背を向け、わたしのことばを守らなかったからだ。」それでサムエルは怒り、夜通し主に向かって叫んだ。12 翌朝早く、サムエルがサウルに会いに行こうとしていたとき、サムエルに告げて言う者があった。「サウルはカルメルに行って、もう、自分のために記念碑を立てました。それから、引き返して、進んで、ギルガルに下りました。」13 サムエルがサウルのところに行くと、サウルは彼に言った。「主の祝福がありますように。私は主のことばを守りました。」14 しかしサムエルは言った。「では、私の耳に入るあの羊の声、私に聞こえる牛の声は、いったい何ですか。」15 サウルは答えた。「アマレク人のところから連れて来ました。民は羊と牛の最も良いものを惜しんだのです。あなたの神、主に、いけにえをささげるためです。そのほかの物は聖絶しました。」16 サムエルはサウルに言った。「やめなさい。昨夜、主が私に仰せられたことをあなたに知らせます。」サウルは彼に言った。「お話しください。」17 サムエルは言った。「あなたは、自分では小さい者にすぎないと思ってはいても、イスラエルの諸部族のかしらではありませんか。主があなたに油をそそぎ、イスラエルの王とされました。18 主はあなたに使命を授けて言われました。『行って、罪人アマレク人を聖絶せよ。彼らを絶滅させるまで戦え。』19 あなたはなぜ、主の御声に聞き従わず、分捕り物に飛びかかり、主の目の前に悪を行ったのですか。」20 サウルはサムエルに答えた。「私は主の御声に聞き従いました。主が私に授けられた使命の道を進めました。私はアマレク人の王アガグを連れて来て、アマレクを聖絶しました。21 しかし民は、ギルガルであなたの神、主に、いけにえをささげるために、聖絶すべき物の最上の物として、分捕り物の中から、羊と牛を取って来たのです。」22 するとサムエルは言った。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。23 まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。」

そのとき、主のことばがサムエルに臨みました。それは、サウルを王として任じたことを悔やむというものでした。彼が主に背き、主のことばを守らなかったからです。この「悔やむ」という言葉は、29節にある「悔やむ」とは別の言葉が使われています。29節には、「実に、イスラエルの栄光である方は、偽ることもなく、悔いることもない。この方は人間ではないので、悔いることがない。」とありますが、この「悔やむ」という語は「変更しない」(does not change)という意味ですが、11節の「悔いる」は「悲しむ」(grieve)という意味の語です。ちなみに、35節の「悔やんだ」は「悲しんだ」(mourned)で、11節の「悔いる」と同じ意味の語が使われています。すなわち、主は、サウルを王に任じたことを後悔したのではなく、悲しんだのです。なぜなら、彼は主に背を向け、わたしのことばを守らなかったからです。このことによって、サウルが王位から退けられることが決定的になりました。それでサムエルは怒り、夜通し主に向かって叫びました。彼は、それが無理だと知りながらサウルのためにとりなしの祈りをささげたのです。彼はサウルが王として成功することを心から願っていましたが、それがかないませんでした。

すると、彼のもとに、サウルはカルメルに来て、自分自身のために戦勝記念碑を立てたと報告がありました。それでギルガルにいたサウルのもとに行きました。するとどうでしょう。サウルはサムエルに会うなりこう言いましたか。
「あなたが主に祝福されますように。私は主のことばを守りました。」(13)
それでサムエルが尋ねました。
「では、私の耳に入るあの羊の声、私に聞こえる牛の声は、いったい何ですか。」
するとサウルはその責任をイスラエルの兵士になすりつけ、さらに、最上の家畜を残したのは、主にいけにえを献げるためだと言い逃れをしました。聖絶のものを主にいけにえとして献げること自体、主への冒涜なのに、その言い訳をして逃れようとしまたのです。彼の本心は何だったのでしょうか。最上のものを取っておきたかったのです。それなのに彼は、あたかも主に対して正しい行いをしているかのように装いました。私たちもこのようなことがあるのではないでしょうか。こうした貪欲という隠れた動機を悔い改め、主のみこころに従って正しい行動ができるように祈らなければなりません。

すると、サムエルは、主が彼に伝えたことを知らせました。それは、主がどのようにして彼をイスラエルの王として立てられたのか、また、それにもかかわらず、サウルが主の命令に背き、主の目の前に悪を行ったのかということです。にもかかわらず、サウルは自分の正当性を主張し悔い改めようとしませんでした。彼は主の命令に背いたのに、あくまでも自分は正しいと言い張ったのです。このような人がいますね。だれが見ても間違っていても、どこまでも自分の正しさを主張する人が。自分は正しいことをやっている・・と。

するとサムエルは、旧約聖書の中でも最も重要なことばの一つを語ります。22節と23節です。ご一緒に読みしましょう。
「22 するとサムエルは言った。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。23 まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。」
主は、全焼のいけにえやその他のいけにえよりも、主の御声に聞き従うことを喜ばれます。従順であることはいけにえよりも勝っています。不従順や反逆は、占いの罪や偶像礼拝の罪に等しい重罪です。サウルは主のことばを退けたので、主もサウルを王座から退けました。

私たちも、何かすることで自分の正しさを主張することがあります。ルカの福音書18章には、イエス様がパリサイ人と取税人の祈りについて教えられたことが書かれてあります。パリサイ人は、自分は、ほかの人のようにゆすったり、奪い取ったり、不正なこと、姦淫などをしたことがなく、この取税人のようでないことを感謝しますと祈りました。週に二度は断食し、自分の得ているすべてのものの中から、十分の一をささげていると言いました。
一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に上げようともせず、自分の胸をたたき、「神様、罪人の私をあわれんでください。」と祈りました。どちらが、義と認められて家に帰ったでしょうか。あのパリサイ人ではなく、この取税人でした。なぜなら、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。

まさに私たちもこのパリサイ人のように、自分はこれだけのことをやっていると主張しつつも、その心が神から遠くから離れていることがあります。でも、主が求めておられるのは、どれだけのことをしたかということではなく、私たちの心であり、献身です。私たちはもう一度自らの心を吟味し、主に喜ばれる者となることを求めましょう。

Ⅲ.サウルの後悔(24-35)

最後に24節から終わりまでを見て終わりたいと思います。
「サウルはサムエルに言った。「私は罪を犯しました。私は主の命令と、あなたのことばにそむいたからです。私は民を恐れて、彼らの声に従ったのです。25 どうか今、私の罪を赦し、私といっしょに帰ってください。私は主を礼拝いたします。」26 すると、サムエルはサウルに言った。「私はあなたといっしょに帰りません。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたをイスラエルの王位から退けたからです。」27 サムエルが引き返して行こうとしたとき、サウルはサムエルの上着のすそをつかんだので、それが裂けた。28 サムエルは彼に言った。「主は、きょう、あなたからイスラエル王国を引き裂いて、これをあなたよりすぐれたあなたの友に与えられました。29 実に、イスラエルの栄光である方は、偽ることもなく、悔いることもない。この方は人間ではないので、悔いることがない。」30 サウルは言った。「私は罪を犯しました。しかし、どうか今は、私の民の長老とイスラエルとの前で私の面目を立ててください。どうか私といっしょに帰って、あなたの神、主を礼拝させてください。」31 それで、サムエルはサウルについて帰った。こうしてサウルは主を礼拝した。
32 その後、サムエルは言った。「アマレク人の王アガグを私のところに連れて来なさい。」アガグはいやいやながら彼のもとに行き、「ああ、死の苦しみは去ろう」と言った。33 サムエルは言った。「あなたの剣が、女たちから子を奪ったように、女たちのうちであなたの母は、子を奪われる。」こうしてサムエルは、ギルガルの主の前で、アガグをずたずたに切った。34 サムエルはラマへ行き、サウルはサウルのギブアにある自分の家へ上って行った。35 サムエルは死ぬ日まで、二度とサウルを見なかった。しかしサムエルはサウルのことで悲しんだ。主もサウルをイスラエルの王としたことを悔やまれた。」

サムエルのことばを聞いたサウルは、「私は罪を犯しました。私は主の命令と、あなたのことばにそむいたからです。私は民を恐れて、彼らの声に従ったのです。どうか今、私の罪を赦し、私といっしょに帰ってください。私は主を礼拝いたします。」と言いました。サムエルのことばを聞いたサウルは、表面的には悔い改めているかのように見えますが、これは真の悔い改めではありませんでした。というのは、30節を見ると、彼は「私は罪を犯しました。しかし、どうか今は、私の民の長老とイスラエルとの前で私の面目を立ててください。」と言っているからです。つまり、彼は自分の面目が保たれることを求めていたのです。本当に悔い改めたのであれば、自分のメンツなんてどうでも良かったはずです。砕かれた、悔いた心は、神様との間には他の人のことなど全く入り込まないはずです。彼は神を恐れたのではなく人の顔色を恐れていました。
パウロは、「今、私は人々に取り入ろうとしているのでしょうか。神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、人々を喜ばせようと努めているのでしょうか。もし今なお人々を喜ばせようとしているのなら、私はキリストのしもべではありません。」(ガラテヤ1:10)と言っていますが、私たちはだれに取り入ろうとしているのか、だれを喜ばせようとしているのかを吟味しなければなりません。

サムエルが、「私はあなたと一緒に帰りません。」と言うと、サウルはサムエルの上着の裾をつかんだので、上着が裂けました。これは一つのことを象徴していました。それは、王国が引き裂かれてサウルよりも立派な者に与えられるということです。「この方は人間ではないので、悔やむことがない。」とは、神の決定は覆ることはない(does not change)という意味です。

32節と33節をご覧ください。サムエルは、アマレク人の王アガグを連れて来させると、ずたずたに切り裂きました。これによって主が命じたアマレク人の聖絶が完了したのです。アガグは、自分の命が助かった思い、喜び勇んでやって来ましたが、最後は、自分の蒔いた種の刈り取りをさせられました。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。

その後、サムエルはラマへ行き、サウルはサウルのギブアにある自分の家へ帰りました。これが二人の地上での最後の会見となりました。サムエルは死ぬ日まで、再びサウルを見ることはありませんでしたが、サムエルはサウルのことで悲しんでいました。日夜心を痛めていたのです。

このようにして、サウルの治世は終わりを迎えました。最初は良いスタートを切ったサウルでしたが、最後は失敗で終わりました。神は心を変えたり、悔やまれたりはされませんが、サウルが神から離れたので、神はサウルにゆだねていた計画を変更されたのです。私たちは、神が私たちに与えておられる計画を成就してくださるように、神のみこころに歩む者でありたいと思います。

出エジプト記21章

 きょうは、出エジプト記21章から学びます。1節には、「これらはあなたが彼らの前に置くべき定めである。」とあります。これは「定め」であって、「律法」ではありません。「律法」は、行動の規範としてそれに従わなければならないものですが、「定め」は、国民の生活における秩序を保つために必要なものであり、一種の権利の規定です。この場合の権利というのは、ひとりひとりが他の人に対する関係に関するものです。

 1.奴隷に関する定め(1-11)

 まず2節から6節までをご覧ください。
「2あなたがヘブル人の男奴隷を買う場合、その人は六年間仕えなければならない。しかし七年目には自由の身として無償で去ることができる。3 彼が独身で来たのなら独身で去る。彼に妻があれば、その妻は彼とともに去る。4 彼の主人が彼に妻を与えて、その妻が彼に息子あるいは娘を産んでいたなら、この妻とその子どもたちは主人のものとなり、彼は一人で去らなければならない。5 しかし、もしもその奴隷が『私は、ご主人様と、私の妻と子どもたちとを愛しています。自由の身となって去りたくありません』と明言するようなことがあるなら、6 その主人は彼を神のもとに連れて行く。それから戸または門柱のところに連れて行き、きりで彼の耳を刺し通す。彼はいつまでも主人に仕えることができる。」

 この定めは、まず主人と奴隷の関係についての教えから始まっています。なぜ奴隷についての教えから始まっているのでしょうか。それはイスラエル自身がエジプトの奴隷だったからであり、神の恵みとあわれみによって解放された民だからです。そのことを彼らが思い出し、神のあわれみを覚えるためだったのでしょう。レビ記や申命記には、彼らがかつては奴隷の身分から贖いだされたことを思い出すことによって、奴隷に対して思いやりをもって扱うようにと勧められています(レビ記25:42,申命記15:12-18)。

へブル人の奴隷は身売りされても、六年間仕えたなら、七年目には自由の身として無償で去ることができました(2)。この時主人は、彼らに何も持たせないで去らせることはできませんでした(申命記15:13-14)。七年目に奴隷が解放される時は、独身で来た者は独身で去り、妻があれば、その妻とともに去ることができました。しかし、奴隷の間に主人から妻を与えられた場合は、妻と子供たちを主人のもとに残さなければなりませんでした(4)。いったいなぜ妻と子供を残さなければならなかったのでしょうか。それは、本来奴隷は自分のものを何一つ持っていないのであって、妻子は主人のものであったからです。ですから、その妻子が主人のもとにとどまるのは当然と言えば当然のことですが、ここでは、夫婦、子供がいっしょにいられる方法も残されていたのです。もし夫が一人で去るよりも妻子と共に主人のもとに残ることを望めば、そして、その奴隷が神の御前で、「私は、ご主人様と、私の妻と子どもたちとを愛しています。自由の身となって去りたくありません。」と宣言すれば、彼は自分の妻子のもとにとどまることができました。その時は、戸または門柱のところで、きりで彼の耳を刺し通さなければなりませんでした。それはその宣言のしるしであり、服従を示すためでした。神のもとに連れて行かれたのは、神の御名によってなされる裁判であることを意味していました。その奴隷はそこで自分が自由になる権利を放棄するわけですが、そのことを裁判の法廷において、神の御名にかけて宣言したのです。

7節から11節までをご覧ください。
「7人が娘を女奴隷として売るような場合、その女奴隷は、男奴隷が去る場合のように去ってはならない。8 彼女を自分のものと定めた主人が、彼女を気に入らなくなった場合は、その主人は彼女が贖い出されるようにしなければならない。主人が彼女を裏切ったのだから、異国の民に売る権利はない。9 その主人が彼女を自分の息子のものと定めるなら、彼女を自分の娘のように扱わなければならない。10 その主人が別の女を妻とするなら、先の女への食べ物、衣服、夫婦の務めを減らしてはならない。11 もしこれら三つのことを彼女に行わないなら、彼女は金を払わないで無償で出て行くことができる。」

ここでは、父親が自分の娘を女奴隷として売った場合のことが規定されています。当時、貧しい人は、自分の娘を、経済的な理由から、裕福な人に売るというようなことがありました。その場合、妻のような立場であったのか、家政婦のような立場であったのかはわかりませんが、男奴隷が去る場合のように去らせてはなりませんでした。彼女を自分のものとして定めた主人が、彼女を気に入らなくなった場合は、その主人は彼女を贖い出されるようにしなければなりませんでした。つまり、彼女の親戚によって適切な額で贖い出されるようにしなければならなかったのです。異国の民に得る権利はありませんでした。もしその娘を息子の妻にしていた場合には、自分の娘に対するように扱わなければなりませんでした。またその主人が、その後に別の女を妻とする場合には、先の女に対して、食べ物、衣服、夫婦の務めを減らしてはならず、その義務を全うしなければなりませんでした。もしこれらの三つのことを彼女に行わなければ、彼女は無償で出て行くことができました。

このような定めを見ると、少し受け入れられないような思いを持つ人もいるかもしれませんが、これは律法ではなく定めであるということ、そして、その時代の生活の安定と秩序を保つために定められたものであるということを考えると、そうした昔の時代の規定としては、女の奴隷に対するものとしては、その権利というものによく配慮されているのではないかと思います。

2.殺人者に対する定め(12-17)

 これまでは、人間の自由という問題が取り上げていましたが、ここからはそれよりももっと重要な人間の生命に関する問題が取り上げられています。まず12節から17節までをご覧ください。

「12 人を打って死なせた者は、必ず殺されなければならない。13 ただし、彼に殺意がなく神が御手によって事を起こされた場合、わたしはあなたに、彼が逃れることができる場所を指定する。14 しかし、人が隣人に対して不遜にふるまい、策略をめぐらして殺した場合には、この者を、わたしの祭壇のところからであっても、連れ出して殺さなければならない。15 自分の父または母を打つ者は、必ず殺されなければならない。16 人を誘拐した者は、その人を売った場合も、自分の手もとに置いている場合も、必ず殺されなければならない。17 自分の父や母をののしる者は、必ず殺されなければならない。」

 人まず殺人に対する刑罰の一般的な原則が示されています。それは、「人を打って死なせた者は、必ず殺されなければならない。」ということです。それはすでに十戒の中で、「殺してはならない。」と命じられていたからです。また、創世記9:6にも、「人の血を流す者は、人によって、血を流される。(創世9:6)」とあるように、殺人に対しては、その人のいのちが要求されたからです。それは、人は神のかたちに創造された神聖なものであるという考えに基づいています。

 ただし、その人に殺意がなく神が御手によって事が起こされた場合は、のがれることができる場所が指定されました。殺意がなく神が御手によって事が起こされた場合とは、偶然に人を殺してしまった場合のことです。また、「のがれることができる場所」とは、具体的には「逃れの町」のことです。殺意がなく人を殺してしまった人に対して、その人が逆に復讐によって殺されることがないようにのがれの町を用意してくださったのです。この「のがれの町」は、のちに六つののがれの町として指定されるようになりました。(民数記35:9-15,申命記19:1-13,ヨシュア20)しかし、はっきりとした殺意をもって殺した場合には、どのような場所逃げたとしても、死刑に処せられました。たとえそこが主の祭壇であったとしても、死刑を免れることはできませんでした。

自分の父母を打つ者も、必ず殺されなければなりませんでした。父母を打つだけではありません。ののしる者も、殺されなければなりませんでした(17)。それはすでに十戒において、父母が神の代理人としての立場として立てられているがゆえに尊い存在であるということを学びましたが、その尊さのゆえに、父母に反抗したり、打ったりのろったりするだけでも死刑に処せられたのです。箴言にも、次のような警告が記されてあります。
「自分の父や母をののしる者、そのともしびは、闇が近づくと消える。」(箴言20:20)
「自分の父を嘲り、母への従順を蔑む目は、谷の烏にえぐり取られ、鷲の子に食われる。」(箴言30:17)

ここにはさらに、人を誘拐した者についての刑罰が述べられています。「人を誘拐した者は、その人を売った場合も、自分の手もとに置いている場合も、必ず殺されなければならない。」(16)ここには、その人を売った場合も、自分の手元に置いている場合も、とありますが、イスラエルでは、誘拐された同胞を売り買いすることは許されていなかったので、異邦人に売るために誘拐する者がいたのでしょう。

3.傷害事件 (18-32)

 次は、傷害事件についての定めです。死に至らない場合です。ここでは人による傷害と家畜による傷害のケースが取り上げられています。まず人による傷害のケースです。まず27節までをご覧ください。

「18人が争い、一人が石か拳で相手を打ち、その相手が死なないで床についた場合、19 もし彼が再び起き上がり、杖によって外を歩けるようになれば、打った者は罰を免れる。ただ彼が休んだ分を弁償し、彼が完全に治るようにしてやらなければならない。自分の男奴隷あるいは女奴隷を杖で打ち、その場で死なせた場合、その人は必ず復讐されなければならない。ただし、もしその奴隷が一日か二日生き延びたなら、その人は復讐されてはならない。奴隷は彼の財産だからである。人が人と争っていて、身ごもった女に突き当たり、早産させた場合、重大な傷害がなければ、彼はその女の夫が要求するとおりの罰金を必ず科せられなければならない。彼は法廷が定めるところに基づいて支払う。しかし、重大な傷害があれば、いのちにはいのちを、目には目を、歯には歯を、手には手を、足には足を、火傷には火傷を、傷には傷を、打ち傷には打ち傷をもって償わなければならない。人が自分の男奴隷の片目あるいは女奴隷の片目を打ち、目をつぶした場合、その目の償いとして、その奴隷を自由の身にしなければならない。27 また、自分の男奴隷の歯一本あるいは女奴隷の歯一本を打ち、折ったなら、その歯の償いとして、その奴隷を自由の身にしなければならない。」

 人と争って相手を死なせた場合は12節のみことばが適用されますが、そうでなく傷害を負わせた場合には、罰は免れますが、被害者が仕事を休んだ分を弁償し、傷が完全に治るようにしなければなりませんでした。つまり、治療のための費用を払わなければなりませんでした。これは非常に近代的な教えです。

主人が奴隷を杖で打って死なせた場合はどうでしょう。その場合、主人は必ず復讐されなければならないとあります。恐らく12節にあるように、死刑にされたのでしょう。裁判官の状況判断によって罰せられたのではないかという解釈もあります。
いずれにせよ、これは奴隷の生存権を認めているということであり、当時の近隣諸国では主人が奴隷の生存権に関しても絶対的な権利を持っていたことを考えると、はるかに進んだ定めであったと言えます。

もしも人が争って妊婦を早産させてしまった場合はどうしたらいいのでしょうか。この「早産」ということばは、原文では「子どもが外に出てくること」を意味しています。その場合、子どもの受けた傷に応じて刑罰が加えられました。重大な傷がなければ、その女の夫が要求するとおりの罰金を支払わなければなりませんでした。それは法律に基づいて、裁判が行われました。

しかし、そのことによって重大な傷害があれば、相手の傷に応じて刑罰が加えられました。すなわち、いのちにはいのちを、目には目を、歯には歯を、手には手を、足には足を、火傷には火傷を、傷には傷を、打ち傷には打ち傷をもって償わなければならなかったのです。これは、一見残忍な定めのようですが、当時としては、善良な市民の被害を守り、法律を公平に適用できる定めでした。というのは、一般的に人は、損害を受けたら、さらにひどく、二倍、三倍にして返したくなります。子供のけんかも、大人のけんかも、国家間の争いも、このようにだんだんとエスカレートしいきます。これに対して聖書は、自分が受けた傷以上のものを相手に要求してはならないと告げているからです。しかし、聖書が最も求めていることは、報復することよりも、むしろその人を赦すことであり、善をもって返すことです。
「あなたは復讐してはならない。あなたの民の人々に恨みを抱いてはならない。あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。わたしは主である。」(レビ19:18)
「あなたを憎む者が飢えているなら、パンを食べさせ、渇いているなら、水を飲ませよ。 なぜなら、あなたは彼の頭上に燃える炭火を積むことになり、主があなたに報いてくださるからだ。」(箴言25:21-22)
これは旧約だけではなく新約にも、全体に貫かれた教えです。イエス様も、山上の説教の中で次のように教えられました。
「『目には目を、歯には歯を』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい。あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着も取らせなさい。あなたに一ミリオン行くように強いる者がいれば、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。借りようとする者に背を向けてはいけません。『あなたの隣人を愛し、あなたの敵を憎め』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです。自分を愛してくれる人を愛したとしても、あなたがたに何の報いがあるでしょうか。取税人でも同じことをしているではありませんか。また、自分の兄弟にだけあいさつしたとしても、どれだけまさったことをしたことになるでしょうか。異邦人でも同じことをしているではありませんか。ですから、あなたがたの天の父が完全であるように、完全でありなさい。」(マタイ5:38-48)

また、自分の奴隷の目や歯に傷を負わせた場合には、奴隷を解放しなければなりませんでした。奴隷を虐待しながら苦役を強いることは、神の律法では決して許されていなかったのです。ですから、近代の残酷な奴隷制度の根拠を聖書に求めることなどは、決してできません。

次に、家畜によって傷害を与えてしまったケースを見て終わります。28~32節までをご覧ください。
「28牛が男または女を突いて死なせた場合、その牛は必ず石で打ち殺さなければならない。その肉を食べてはならない。しかし、その牛の持ち主は罰を免れる。29しかし、もし牛に以前から突く癖があり、その持ち主が注意されていたのにそれを監視せず、その牛が男または女を殺したのなら、その牛は石で打ち殺され、その持ち主も殺されなければならない。30 もし彼に償い金が科せられたなら、彼は自分に科せられたとおりに、自分のいのちの贖いの代価を支払わなければならない。31 息子を突いても娘を突いても、この規定のとおりに扱われる。32 もしその牛が男奴隷あるいは女奴隷を突いたなら、牛の持ち主はその奴隷の主人に銀貨三十シェケルを支払い、その牛は石で打ち殺されなければならない。」

もし家畜が角で人を突いて殺してしまった場合には、その家畜は石で殺されなければなりませんでした。石で殺されるということは罪の刑罰を受けることを意味していましたから、その家畜はのろわれ、汚れたものとなるので、食べることは許されませんでした。しかし、その家畜の所有者には罪はありませんでした(28)。

 しかし、その家畜が角で人を突くくせを持っていて、何度もそのことで警告を受けていたにもかかわらず、少しも注意をせず、その家畜をつなぎとめておかなかったために、その家畜が人を突いて殺してしまうようなことがあったら、その家畜もその家畜の主人も殺されなければなりませんでした(29)。

 しかし、もし罰金を支払うことですませてくれるような時には、その要求された金額を支払うことで処理もできました(30)。モーセの律法の中で、死刑の代わりに贖い金が許されています。

 たとえ子供でも、同じように定めは適用されます。ここに再び神が、社会的弱者の人権と尊厳を定めておられることが分かります。奴隷、女性、子供はみな、神によって守られています。

 牛が奴隷を殺した場合でも、その牛はやはり殺されなければなりませんでした。奴隷が一人の人格として認められていたことが、ここでも明確に示されています。そして、牛の持ち主は奴隷の主人に、銀貨三十シュケルを支払わなければなりませんでした。この金額は、イエス・キリストがイスカリオテのユダによって売られ額です。彼がイエスの価値を奴隷の値段としてしか見積っていなかったことがわかります。自由なイスラエル人を贖うには五十シェケルが必要でした。(レビ27:3)
 
4.財産に関する問題(33-36)

「33 人が水溜めのふたを開けたままにしておくか、あるいは、水溜めを掘って、それにふたをせずにおいて、牛やろばがそこに落ちた場合、34 その水溜めの持ち主は償いをしなければならない。彼は家畜の持ち主に金を支払わなければならない。しかし、その死んだ家畜は彼のものとなる。35 ある人の牛が隣人の牛を突いて、その牛が死んだ場合、両者は生きている牛を売って、その金を分け、また死んだ牛も分けなければならない。36 しかし、もしその牛に以前から突く癖があることが分かっていて、その持ち主が監視しなかったのなら、その人は必ず牛を牛で償わなければならない。しかし、その死んだ牛は彼のものとなる。」

人間のいのちの問題から、次に財産の問題に移っていきます。イスラエルにとって家畜は重要な財産でした。その財産、家畜のために水だめが必要でした。そのためにかなり大きな穴が掘られていることがあったのです。その入口はさほど大きくなかったのに、その中はかなり大きく掘られていたので、一度そこに落ちてしまいますと、救い出すことは極めて困難でした。そのため、そのような危険な水だめには、必ずふたをすることになっていましたが、それでも誤って中に落ちてしまうことが少なくありませんでした。その場合井戸の持ち主は、家畜の持ち主にお金を支払い、償いをしなければなりませんでした。その場合、その家畜は、その井戸の持ち主のものとなりました。

また、牛が隣人の牛を突いて死なせた場合は、両者は生きている牛を売って、その金を分け、また死んだ牛も分けなければなりませんでした。しかし、もし以前からその牛に突く癖があることが分かっていて、その牛の持ち主が監視していなかったのなら、その人は必ず牛を牛で償わなければなりませんでした。しかしその代わりに、死んだ牛はその人のものとなりました。

ヨハネの福音書13章16~20節「しもべは主人にまさらず」

前回は、13章の前半部分から、互いに足を洗うことについてお話ししました。主に足を洗ってもらわなければ、主と何の関係も持つことができません。しかし、水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身がきよいからです。つまり、イエス様にきよめていただいた者は、足だけ洗っていただけばいいんですね。足を洗ってもらうとはどういうことでしたか?それは日々の歩みにおいて汚れる罪を悔い改めて、きよめていただくということでした。そのように全身をきよめていただいたということを前提に、互いに足を洗い合いなさいと言われたのです。

きょうは、その後の16節から20節までの箇所から、「しもべは主人にまさらず」という題で、クリスチャンの幸いについてお話ししたいと思います。

Ⅰ.しもべは主人にまさらず(16-17)

まず、16節と17節をご覧ください。
「まことに、まことに、あなたがたに言います。しもべは主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりません。これらのことが分かっているなら、そして、それを行うなら、あなたがたは幸いです。」

「まことに、まことに」という言い回しは、イエス様が重要な真理を語られる時に使われた言葉です。この13章には4回使われていますが、その最初に出てくる場面です。何が重要なのでしょうか。「しもべは主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりません」ということです。どういうことでしょうか?

これは、キリストの弟子とはどのような者であるかを示しています。つまり、キリストの弟子とはしもべであるということです。また、遣わされた者であるということです。何を言おうとしているのかというと、この前のところには、イエスが弟子たちの足を洗われたことが記されてありましたが、「先生」とか「主」とか呼ばれていたイエスがそのようにして仕えたのであれば、主の弟子である私たちはそれ以上ではないということ、つまり、キリストの弟子である私たちはそれ以上に仕えるべきであるということです。

ヨハネ3:26~30には、バプテスマのヨハネの弟子たちが彼のところに来て、イエスがバプテスマを授けていること、そして、皆が彼の方に行っているということを告げたとき、ヨハネが次のように答えたとあります。
「人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることができません。『私はキリストではありません。むしろ、その方の前に私は遣わされたのです』と私が言ったことは、あなたがた自身が証ししてくれます。花嫁を迎えるのは花婿です。そばに立って花婿が語ることに耳を傾けている友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。ですから、私もその喜びに満ちあふれています。あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。」(3:27-30)
人は、天から与えられるものでなければ、何も受けることができません。すばらしいことばですね。自分の置かれた立場も、自分の成すべきことも、すべて天から与えられるのでなければ、何も受けることができないのです。このバプテスマのヨハネのことばは、ここでキリストが言われたことをよく表しています。自分はあくまでしもべにすぎないのであって、遣わされた者でしかありません。天から与えられるのでなければ、何も受けることはできないし、何もすることはできないのです。ですから、しもべは、主人に言いつけられたことを、ただ忠実にこなすだけでいいのです。遣わされた者も、遣わした方のメッセージを語るだけでいい。何か自分の考えを加えたり、自分の意見を加えたり必要はありません。自分の思いや考えで動いたりする立場ではないのです。あくまでも主人の、あるいは遣わされた方の意向にそって動くだけでいいのです。それが「しもべ」です。これが、「しもべは主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりません。」という意味です。私たちは、天から与えられるのでなければ何もできないし、私たちの成し得ることはすべて、神の恵みによるのです。

その中には、主人の言っていることを理解できないこともあるでしょう。でも、今はわからなくても、後でわかるようになります。ですから、しもべがすべきことは、主人が言っていることを理解できるかどうかではなく、理解できてもできなくても、主人に従うことなのです。これがしもべの役割です。ですから、この「しもべは主人にまさらず」というのは、たとえ主人が言われたことがわからなくても、その言われたことに忠実に従わなければならないということです。それがしもべの姿、私たちの立場です。

17節をご覧ください。ここには、「これらのことが分かっているなら、そして、それを行うなら、あなたがたは幸いです。」とあります。「これらのこと」とは何でしょうか。それは、今述べてきたように、しもべは主人にまさらないということです。そのことをわきまえて、主人が言っていることを理解できても、できなくても、それに従うということです。それが分かっているなら、そして、それを行うなら、あなたがたは幸いです。ここでは、ただ知っているというだけでなく、それを行うことの大切さが強調されています。
ヤコブ1:22~25には、「みことばを行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけません。みことばを聞いても行わない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で眺める人のようです。眺めても、そこを離れると、自分がどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめて、それから離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならず、実際に行う人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。」とあります。
みことばを聞くだけでなく、行う人にならなければなりません。こういう人は、その行いによって祝福されるからです。私たちは、行いによって救われたのではありません。キリストの十字架の贖いのゆえに、それを信じる信仰によって救われたのです。救いは、一方的な神の恵みによるのです。しかし、そのように恵みによって救われたのであれば、結果としてそこに必ず行いが伴うはずなのです。そうでないとしたら、神の恵みによって救われるということがどういうことなのかを正しく理解していないか、あるいは、本当の意味で救われてはいないかのどちらかです。これらのことが分かっているなら、そして、それを行うなら、あなたがたは幸いなのです。

この「幸い」ということですが、これはマタイの福音書5章の山上の説教で語られている「幸い」と同じです。「心の貧しい者は幸いです。天の御国は、その人のものだからです。」(マタイ5:3)この「幸い」と同じです。それは単に物事が自分の願い通りになるということではありません。それは、霊的な祝福にあずかることを意味しています。神の祝福を受けることがまことの幸いです。皆さん、幸せって何ですか?一般に幸せというと、たとえば有名な大学に入ることとか、いい人と結婚すること、仕事に成功すること、マイホームを手に入れること、あの資格この資格を手に入れること、健康であること、こういうことが幸せなことだと思っていますが、そうではありません。そうしたものが悪いと言っているのではありませんが、そうしたものがないと幸せになれないと考えていることが間違っているのです。実際に、そのようなものをすべて手に入れても、虚しくなって自殺する人もいます。本当の幸せは神との関係にあります。「神共にいまし」、これが天国です。これが祝福です。まことに幸いな人とは、これらのことが分かっている人、そして、それを行う人です。そういう人こそ幸いな人なのです。

アメリカの有名な伝道者D.L.ムーディーは、このように言いました。「聖書は私たちの情報のためではなく、私たちの変革のために与えられたものである。」聖書はただの情報のために与えられたものではなく、私たち自身が変えられるために与えられたものです。罪人から聖徒に、罪の奴隷からキリストのしもべに、罪人から義人に変えられるために与えられました。私たちがキリストを信じてすべての罪が赦され、しもべは主人にまさらず、という木リスとのことばに従い、それを行うなら、あなたは幸いなのです。

Ⅱ.あなたがたが信じるため(18-19)

次に、18~19節をご覧ください。
「わたしは、あなたがたすべてについて言っているのではありません。わたしは、自分が選んだ者たちを知っています。けれども、聖書に『わたしのパンを食べている者が、わたしに向かって、かかとを上げます』と書いてあることは成就するのです。事が起こる前に、今からあなたがたに言っておきます。起こったときに、わたしが『わたしはある』であることを、あなたがたが信じるためです。」

ここから話の流れが大きく変わります。イエス様はこれまで足を洗うこと、仕えることの意味を語ってきました。そして、それがどういうことなのかがわからなくても、しもべとして主人の言われるとおりにすることが祝福なのだと語られたのです。しかし、ここからはユダの裏切りについて語り始めます。

「わたしは、あなたがたすべてについて言っているのでありません。」というのは、10節、11節でも述べられていたことです。イエスは、水浴した者は足以外に洗う必要はないが、皆がきよいわけではない、と言われました。これは、イスカリオテ・ユダのことを指して言われました。ユダはキリストの弟子でありながら、きよめられていませんでした。彼はイエスに足を洗ってもらいましたが、全身がきよめられていませんでした。うわべだけのきよめ、名ばかりの弟子だったのです。彼はまことの弟子ではありませんでした。6:70でも、彼は悪魔であったと言われています。ですから、彼は他の弟子たちのように全身がきよめられていませんでした。足だけ洗ってもらうだけではだめだったのです。全身洗ってもらわなければなりませんでした。水浴しなければなりませんでした。だれも彼を裏切り者だなんて思っていなかったでしょう。彼は有能な人物でした。他の弟子たちからも一目置かれる存在でした。ですから、この後でイエスが「あなたがたのうちの一人が、わたしを裏切ります。」(13:21)と言っても、だれも彼をその人物だとは思いませんでした。それほど信頼が厚かったのです。しかし、イエスだけは知っていました。ここに、「わたしは、自分が選んだ者たちを知っています。」とあります。けれども、聖書に、「わたしのパンを食べている者が、わたしに向かって、かかとを上げます」と書いてあることが成就するために、この事が起こりました。このこととは、ユダがイエスを裏切るという事です。これは詩篇41:10の引用です。「かかとをあげる」とは、反逆するとか、敵対するという意味です。イエスはご自分が選んだ者たちの中から、自分に向かって反逆する者、裏切る者が出てくることを知っておられたのです。

このことを前提に、イエスは19節でこのようにおっしゃられました。「事が起こる前に、今からあなたがたに言っておきます。起こったときに、わたしが『わたしはある』であることを、あなたがたが信じるためです。」どういうことでしょうか?
「事が起こる前に」とは、ユダがイエスを裏切るという事が起こる前にということです。そのことが起こる前に、そのことを弟子たちに言っておくというのです。何のためでしょうか?それは、その事が起こったとき、わたしが「わたしはある」であることを、あなたがたが信じるためです。また出ました。「わたしは、「わたしはある」というものである。」これは出エジプト記3:14に出てきた言葉で、主がどのような方であるのかを表した言葉です。つまり、主はほかの何ものにも依存しない方、自存の神、全能者であるという意味です。そのことを信じるためです。

こんなことが本当に起こったら大変です。それこそ弟子たちの信仰を揺るがしかねません。そうでしょ、たとえば、教会で何か問題が起こったらどうなるでしょうか。「クリスチャンなのに信じられない」とか、「牧師なのにひどい」とかなりませんか。そのことに動揺して躓いてしまう人もいるでしょう。人の言動や罪、失敗、醜さなどに動揺し、うろたえては教会から離れたり、信仰から離れてしまうことがあります。しかし、ここでは、その事が弟子たちの信仰を揺るがすどころか、むしろ、そのことを通してイエスはどのような方なのか、「わたしはある」というものであることを、弟子たち信じるために用いられると言われたのです。

これはすごいことです。ユダの裏切り行為はショッキングなことであり、そのことだけを見たら信仰が揺れ動いてしまうかもしれませんが、しかし、聖書の御言葉に目を留め、それが旧約聖書の中にちゃんと預言されていたことであったということを知ると、むしろ、そのことによって、ああ、ほんとうにイエス様は神様なんだということを確信し、ますます神に信頼できるようになるのです。ですから、この出来事をどのように捉えるかは大切なことです。それを人間の視点で捉えるのか、神の視点で捉えるのかということです。人間の視点で見たら、何というひどいことをとなるでしょうが、神の視点で捉えるなら、「そういうことだったのか」と、逆に信仰が強められることになるのです。

ですから、どこを見るのか、だれに信頼するのかは、とても重要なことです。もし人を見れば動揺するでしょうが、神を見て、神のことばに耳を傾けるなら、どんなことが起こっても決して失望することはありません。なぜなら、聖書に、主に信頼する者は、決して失望させられることがない、とあるからです。(ローマ10:11)

Ⅰペテロ1:23~25には、「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく朽ちない種からであり、生きた、いつまでも残る、神のことばによるのです。「人はみな草のよう。その栄えはみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは永遠に立つ」とあるからです。これが、あなたがたに福音として宣べ伝えられたことばです。」とあります。
人はみな草のようです。その栄えはみな草の花のようです。ですから、人に信頼すると萎れてしまうことになります。裏切られたり、そのことばでいつも振り回される結果になります。しかし、主のことばはとこしえに変わることがありません。ですから、もしあなたが主のことばに目を留め、それに心を寄せるなら、あなたの心が揺れ動くどころか、むしろ強められることになるでしょう。確かにユダの裏切り行為自体は、あってはならないことです。そのこと自体を正当化されてはなりません。しかし、そのことがすべての人たちの救いにつながっていったということ、そして、神の栄光を現すために用いられたということも事実なのであって、そのことを覚えておかなければなりません。そして、主のことばに目を留め、主に信頼しましょう。そういう人が主から幸いを受けるのです。

Ⅲ.イエスによって遣わされた者(20)

第三に、20節をご覧ください。
「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしが遣わす者を受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。そして、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。」

ここにも「まことに、まことに」という言葉が使われています。ですから、ここでの内容も重要です。それはどんなことかというと、「わたしが遣わす者を受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。そして、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。」ということです。「わたし」とは、勿論イエスご自身のことです。イエスが遣わす者を受け入れる者は、イエスを受け入れるのであり、イエスを受け入れる者は、イエスを遣わされた方、これは父なる神のことですが、その方を受け入れることなのです。イエスはこれまで何度も、ご自分を遣わされた者を受け入れる者は、遣わされた方を受け入れることであると述べてきました。なぜなら、イエスが「わたしと父とは一つです。」(ヨハネ10:30)と言われたように、イエスと父なる神は全く一つであられるからです。ですから、キリストを受け入れる者は、キリストを遣わされた方、父なる神を受け入れる者でもあるのです。しかし、ここでは、キリストを受け入れる者だけでなく、キリストが遣わされた者を受け入れる者は、キリストを受け入れると言っています。そして、キリストを受け入れる者は、キリストを遣わされた方を受け入れることになるのです。

なぜ、このことがそれほど重要なのでしょうか。それは、ここにも私たちがどのような者であるかが示されているからです。すなわち、私たちはキリストによって遣わされた者であるということです。何のために遣わされたのかというと、私たちを通して語られるキリストのことばを通して、それを耳にした人が信じるためです。すなわち、キリストを受け入れる者となるためです。クリスチャンになるためです。そうでないと、その人たちはクリスチャンになることはできません。私たちを通して聖書のことばを聞き、それを教えてもらって、初めて信じることができるのです。イエス様は、この尊い務めを私たちにゆだねてくださったのです。

ローマ10:17には、「ですから、信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。」とあります。信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。美しい夜空を眺めていたら、突然イエス様を信じるようになったというようなことがあるでしょうか?美味しい食事をしていたら、気持ちよくなってイエス様を信じようと思ったというようなことがあるでしょうか?その感情が一時的に盛り上がるということはあるかもしれませんが、それが信仰に結びつくことはありません。なぜなら、信仰は聞くことから始まるからです。そして、聞くことはキリストについてのことばを通して実現するからです。それは、イエス・キリストの十字架と復活という事実に基づいているのです。キリストを信じるためには、キリストについてのことばを聞かなければなりません。その中で聖霊が働いてくださいます。何回聞いてもピンと来ない人が、ある日、ある時、キリストのことばを聞いて「あ、そういうことだったのか」とわかる時があります。それは一方的な聖霊の働きによるのです。私たちはただこのキリストについてのみことばを語らなければなりません。キリストのみことばに出会うなら、そのとき信仰が生まれるからです。

そして、そのためには遣わされなければなりません。ローマ10:14には、「宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。」とあります。みことばを聞くためにはそれを宣べ伝える人が必要です。イエスはこう言われました。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、ご自分の収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」(マタイ9:37-38)と言われました。不思議ですね、全能であられる主が、収穫のためには働き手が必要だと言われたのですから。「わたしはある」と言われたる方が、この福音を伝えるために人を求めておられるのです。そのために主は、私たちを遣わしておられるのです。

近藤先生の書かれた証の中に、先生がどのように救いに導かれたのかが書かれてあります。先生が大学を卒業後高校の音楽の教師として働いていた時、生徒から「人間どうして努力しなくちゃいけないのか」「何のために生きているのか」と聞かれたそうです。その問に答える術がなく、悶々としていた時、人生に何か目標を持ちたいと、死ぬまでに一か国語でもいいから、外国語を話せるようになりたいと、フランス語を学び始め、翌年の夏休みを利用してフランスに行かれました。何気なく散歩していたら教会から流れてきたパイプオルガンの音色に、それまで味わったことのない感銘を受けるのですが、帰国して2学期が始まり、10月頃、風邪をひいて、家庭医の診察を受けました。その医師はクリスチャンの方で、診察の合間に、訪れた患者さんに神様のことをさりげなく語るということをしていたそうです。そして、近藤先生の診察が終わると、「近藤さん、よろしかったお茶でもしていきませんか」と誘ってくださいました。普通ならお断りするところですが、なぜかこの時は受け入れてしまいました。応接間に通されると、奥さんがお茶とお菓子を持ってきて、もてなしてくれました。片付けを終えるとその医師も応接間に入って来て、先生が恐れていたとおり、聖書を開いて、この世界には神様がおられること、そして人間には罪があること、その罪の赦しのためにイエス様が十字架で死なれたことをこくこくと話されたのです。先生はその医師が語っていることをすべて理解したわけではありませんでしたが、フランスで体験したことを彼に話してみると、その医者は「近藤君、神様は近藤君を招いていらっしゃる。聖書を読みなさい。」と勧めてくれました。
その翌日、学校からの帰りに駅前の本屋に行き、新約聖書を入手し、その夜から読み始めると、よく理解できませんでしたが、聖書のことばには力があって、自分が引っ張られていくような感じがしたそうです。それで、その医師が勧めたように教会にも行くようになり、伝道者の書のことばが目に留まり、信仰に導かれたのです。
私はその証を読ませていただきながら、この医師の方すごいなぁと思いました。牧師とか伝道者であれば当然かもしれませんが、自分が遣わされたところ、自分が置かれたところで、良いことを伝える足となったのです。それは、この方が自分はイエス様によってここに遣わされた者であるという使命感をしっかりと持っていたからです。

「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしが遣わす者を受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。そして、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。」
私たちも、主に遣わされた者です。本当に取るに足りない者ですが、そのような者を受け入れる者は、キリストを受け入れるのです。しもべは主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりません。私たちは、しもべにすぎず、遣わされた者であるということを肝に銘じ、主人であられる主の命じられることを、淡々と行う者でありたいと思います。それが主のしもべです。天から与えられるものでなければ、私たちは何もすることができません。すべては主の恵みによるのです。そのように生きる者こそ幸いな者であり、主からの幸いを受ける者なのです。

Ⅰサムエル記14章

 今回は、サムエル記第一14章から学びます。

 Ⅰ.信仰による勝利(1-15)

 まず、1~15節までをご覧ください。
「道具持ちの若者に言った。「さあ、この向こう側のペリシテ人の先陣の方へ行こう。」しかし、ヨナタンは父にそのことを知らせなかった。サウルはギブアの外れで、ミグロンにある、ざくろの木の下に座っていた。彼とともにいた兵は約六百人であった。アヒヤは、エポデを身に着けていた。アヒヤはアヒトブの子で、アヒトブはイ・カボデの兄弟、イ・カボデはピネハスの子、ピネハスは、シロで主の祭司であったエリの子である。兵たちは、ヨナタンが出て行ったことを知らなかった。ヨナタンがペリシテ人の先陣の側に越えて行こうとしていた山峡には、手前側にも、向こう側にも、切り立った岩があって、一方の側の名はボツェツ、もう一方の側の名はセンネといった。一方の岩は北側、ミクマスの側にあり、もう一方の岩は南側、ゲバの側にそそり立っていた。ヨナタンは道具持ちの若者に言った。「さあ、この無割礼の者どもの先陣のところへ渡って行こう。おそらく、主がわれわれに味方してくださるだろう。多くの人によっても、少しの人によっても、主がお救いになるのを妨げるものは何もない。」道具持ちは言った。「何でも、お心のままになさってください。さあ、お進みください。私も一緒に参ります。お心のままに。」ヨナタンは言った。「さあ、あの者どものところに渡って行って、われわれの姿を現すのだ。もし彼らが『おれたちがおまえらのところに行くまで、じっとしていろ』と言ったら、その場に立ちとどまり、彼らのところに上って行かないでいよう。しかし、もし彼らが『おれたちのところに上って来い』と言ったら、上って行こう。主が彼らを、われわれの手に渡されたのだから。これが、われわれへのしるしだ。」二人はペリシテ人の先陣に身を現した。するとペリシテ人が言った。「おい、ヘブル人が、隠れていた穴から出て来るぞ。」先陣の者たちは、ヨナタンと道具持ちに呼びかけて言った。「おれたちのところに上って来い。思い知らせてやる。」ヨナタンは道具持ちに言った。「私について上って来なさい。主がイスラエルの手に彼らを渡されたのだ。」ヨナタンは手足を使ってよじ登り、道具持ちも後に続いた。ペリシテ人はヨナタンの前に倒れ、道具持ちがうしろで彼らを打ち殺した。ヨナタンと道具持ちが最初に討ち取ったのは約二十人で、一ツェメドのおおよそ半分の広さの場所で行われた。そして陣営にも野にも、すべての兵のうちに恐れが起こった。先陣の者、略奪隊さえ恐れおののいた。地は震え、非常な恐れとなった。

ペリシテ人との戦いにおいて、イスラエルは追い詰められていました。招集した三千人の兵士のうち二千四百人はサウルのもとから離れて行き、六百人だけが残っていました。敵はさらに三方向から強力な布陣で攻撃してきました。武器の数も歴然としていました。これでは戦いになりません。そしてサムエルも、サウルが罪を犯したことで怒って去って行きました。このような状況にあったある日、サウルの息子ヨナタンは、道具持ちの若者に言いました。「さあ、この向こう側のペリシテ人の先陣の方へ行こう。」彼は、道具持ちの若者とたった二人だけで、ペリシテ人の先陣のただ中に攻めていこうとしたのです。たった二人で攻めていくなんて無謀です。いったいなぜ彼はそのようにしようと思ったのでしょうか。それは4節を見るとわかります。イスラエル人の側とペリシテ人の側の両方に切り立った岩があったので、ペリシテ人たちはまさかイスラエルがその岩を乗り越えて攻撃してくるとは夢にも思わなかったのです。

それだけではありません。6節にはヨナタンが「さあ、この無割礼の者どもの先陣のところへ渡って行こう。」と言っていますが、「割礼」とは神の民のしるしです。その割礼を受けていない異邦の民に、神の民が打ちのめされるなんて考えられなかったのです。ヨナタンは、「おそらく、主がわれわれに味方してくださるだろう。多くの人によっても、少しの人によっても、主がお救いになるのを妨げるものは何もない。」と言っています。すばらしい信仰です。人数は関係ありません。大勢でも、わずかな人でも、主がお救いになるのを妨げるものは何もありません。問題はだれとともに戦うのかです。主がともに戦うなら、小人数でも勝利することができます。ヨナタンは、主が勝利を与えてくださると信じ、その一歩を踏み出そうとしたのです。

とは言っても、彼は盲目に前進して行くことはありませんでした。もしペリシテ人が「おれたちがおまえらのところに行くまで、じっとしていろ」と言ったら、その場に立ちとどまり、もし彼らが「おれたちのところに上って来い」と言ったら、上って行くことにしたのです。それが、主が彼らを自分たちの手に渡されたことのしるしだと思ったからです。彼は、主の導きを求めて一歩、一歩前進したのです。信仰の冒険は盲目に前進するのではなく、少しずつ、主の導きを確かめながら進むものです。するとペリシテ人の先陣の者たちが、「おれたちのところに上って来い。思い知らせてやる。」と言ったので、彼はこれを主の導きと信じて、出て行くことにしました。

するとどうなったでしょうか。ヨナタンは手足を使って岩をよじ登り、道具持ちもそれに続きました。そしてその日二人は、約二十人を討ち取りました。しかも、それは一くびきの牛が一日で耕す畑のおおよそ半分の場所で行われました。そんな狭い所で、たった二十人しか打ち殺すことができなかったのかと思うかもしれませんが、そのことがペリシテ人全体に与えた影響は計り知れないほどのものがありました。15節をご覧ください。そのことによって、ペリシテの陣営にも、野にも、すべての兵のうちに恐れが生じ、先陣の者、略奪隊さえ恐れおののいたのです。地は震え、非常な恐れとなりました。「非常な恐れとなった」は、直訳では「神の恐れとなった」です。文語訳では「神よりの戦慄(おののき)なりき」と訳しています。ペリシテ人たちが感じた恐れがどのようなものであったのかを見事に描写していると思います。

このことから教えられることは、私たちが主のみこころに従い、信仰の一歩を踏み出すなら、あとは主がすべて行ってくださるということです。二人が討ち殺したのはたった二十人でしたが、主はこの出来事を用いて、ペリシテ人の陣営全体、そして民全体に恐れを起こされました。そして、おまけに地震まで起こしてくださいました。すべてを自分で行なわなければいけないというのは、間違いです。ヨナタンに勝利を与えてくださった主は今も生きていて、信じる者に同じような勝利を与えてくださるのです。

Ⅱ.サウルの反応(16-23)

次に、16~23節までをご覧ください。
「ベニヤミンのギブアでサウルのために見張りをしていた者たちが見ると、大軍は震えおののいて右往左往していた。サウルは彼とともにいる兵に言った。「だれがわれわれのところから出て行ったかを、点呼して調べなさい。」彼らが点呼すると、ヨナタンと道具持ちがいなかった。サウルはアヒヤに言った。「神の箱を持って来なさい。」神の箱は、そのころ、イスラエル人の間にあったからである。サウルが祭司とまだ話している間に、ペリシテ人の陣営の騒動は、ますます大きくなっていった。サウルは祭司に「手を戻しなさい」と言った。サウルと、彼とともにいた兵がみな集まって戦場に行くと、そこでは剣をもって同士討ちをしていて、非常に大きな混乱が起こっていた。それまでペリシテ人について、彼らと一緒に陣営に上って来ていたヘブル人も転じて、サウルとヨナタンとともにいるイスラエル人の側につくようになった。また、エフライムの山地に隠れていたすべてのイスラエル人も、ペリシテ人が逃げたと聞いて、戦いに加わってペリシテ人に追い迫った。その日、主はイスラエルを救われた。そして、戦いはベテ・アベンに移った。

敵の大群が震えおののいて右往左往しているのを見たサウルは、だれが先陣に攻撃を仕掛けたのかを調べ、それがヨナタンと道具持ちであることがわかると、それをどのように受け止めたらいいのかを尋ねるために、祭司アヒヤに神の箱を持ってくるように命じました。神の箱とは、エポデのことです。ですから、口語訳では「エポデをここに持ってきなさい」と訳しています。エポデ、つまり、祭司の胸当てにある二つの石を使って、ペリシテ人と戦うべきなのかどうかを伺おうとしたのです。しかし、サウルが祭司とまだ話をしている間に、ペリシテ人の陣営でうろたえている様子がひどくなっているのが見えたので、主に伺う必要がなくなりました。サウルは祭司に「手を戻しなさい」と言って、即刻戦場に乗り込むことにしました。彼は主のみこころを伺うことなしに戦場に出かけて行きました。ここにも、彼のご都合主義が伺えます。状況が良ければ主の助けを求める必要はないと考えるのは、人間の傲慢です。私たちは、どんな時でも主に祈り、主のみこころを求めて進まなければなりません。

サウルたちが戦場に出かけてみるとどうでしょう。そこでは敵が剣を持って同士討ちをしていました。非常に大きな混乱が起こっていたのです。神からの恐れが、ペリシテ人たちに平常心を失わせていたからです。これまで同胞を裏切ってペリシテ人たちについていたへブル人も再び寝返って、イスラエルの側に付くようになりました。さらに、エフライムの山地に隠れていたすべてのイスラエル人もペリシテ人が逃げたと聞いて、戦いに加わりました。こうしてその日、主はイスラエルを救われたのです。

ヨナタンによって始められた信仰の戦いは、イスラエルの大勝利につながりました。聖書はイスラエルが勝利した理由を、こう述べています。23節、「その日、主はイスラエルを救われた。」と。それは主がもたらされたものでした。主がヨナタンとその道具持ちの信仰に応えてくださり、ペリシテ人に恐れと混乱を起こしてくださったので、勝利することができたのです。すべての良きものは、主からの賜物です。そのことを忘れて高ぶることがないようにしましょう。そして、いつもへりくだって、主に信頼し、主が成してくださることを待ち望む者でありたいと思います。

Ⅲ.愚かな誓い(24-30)

次に24~30節までをご覧ください。
「さて、その日、イスラエル人はひどく苦しんでいた。サウルは、「夕方、私が敵に復讐するまで、食物を食べる者はのろわれよ」と言って、兵たちに誓わせていた。それで兵たちはだれも食物を口にしていなかったのであった。この地はどこでも、森に入って行くと、地面に蜜があった。兵たちが森に入ると、なんと、蜜が滴っていたが、だれも手に付けて口に入れる者はいなかった。兵たちは誓いを恐れていたのである。しかし、ヨナタンは、父が兵たちに誓わせたことを聞いていなかった。彼は手にあった杖の先を伸ばして、蜜蜂の巣に浸し、それを手に付けて口に入れた。すると彼の目が輝いた。兵の一人がそれを見て言った。「あなたの父上は、兵たちに堅く誓わせて、『今日、食物を食べる者はのろわれる』とおっしゃいました。それで兵たちは疲れているのです。」
ヨナタンは言った。「父はこの国を悩ませている。ほら、この蜜を少し口にしたので、私の目は輝いている。もしも今日、兵たちが、自分たちが見つけた敵からの分捕り物を十分食べていたなら、今ごろは、もっと多くのペリシテ人を討ち取っていただろうに。」」

サウルはイスラエルの兵たちに、あることを誓わせていました。それは、「夕方、私が敵に復讐するまで、食物を食べる者はのろわれよ」ということです。彼は、戦いのさなか、厳しい呪いをかけた断食の誓いを民に強要したのです。食事の時間も惜しんで敵を追跡した方がよいと判断したのでしょう。しかし、その結果、イスラエルの民はひどく苦しむことになりました。人間には霊的、精神的必要と同時に、肉体的な必要もあります。私たちは、食事や睡眠、そして適度な休息を必要としているので、こうした必要を無視するとバランスを崩すことにつながります。確かに聖書には祈りのために断食することを教えている箇所がありますが、それも正しい理解のもとに行わないとただの見せかけとなり、自分自身を苦しめるだけで、神に喜ばれないものとなってしまいます。

ヨナタンは、そのことを知りませんでした。それで彼が森の中へ入って行くと、密が滴っていたので、手にあった杖の先を伸ばして、密蜂の巣に浸し、それを手に付けて口に入れました。すると彼の目は輝きました。蜂蜜にある糖分が、元気付けたのです。現在でもスポーツ選手が甘い物を摂取しますが、それはすぐにエネルギーとして消化されるからです。ヨナタンは、その後で、初めて誓いのことを知らされましたが、彼は大いに驚き、父の愚かさを批判しました。これは本当に愚かな誓いです。このような無駄な誓いのために、民は束縛の中に置かれてしまうことになり、ペリシテ人を追跡するという、主の働きが妨げられる結果となってしまいました。しかし、真理はあなたがたを自由にします。キリストにある自由は、このヨナタンのように、主に喜ばれることは何かを知り、それを行うことができるという自由です。私たちにはそのような自由が与えれているのです。

Ⅳ.サウルが築いた祭壇(31-35)

31~35節をご覧ください。
「その日彼らは、ミクマスからアヤロンに至るまでペリシテ人を討った。それで兵たちはたいへん疲れていた。兵たちは分捕り物に飛びかかり、羊、牛、若い牛を取り、その場で屠った。兵たちは血が付いたままで、それを食べた。すると、「ご覧ください。兵たちが血のままで食べて、主に罪を犯しています」と、サウルに告げる者がいた。サウルは言った。「おまえたちは裏切った。今、大きな石を転がして来なさい。」そしてサウルは言った。「兵の中に散って行って、彼らに言いなさい。『それぞれ自分の牛か羊を私のところに連れて来て、ここで屠って食べなさい。血のままで食べて主に罪を犯してはならない。』」兵はみな、その夜、それぞれ自分の手で牛を連れて来て、そこで屠った。サウルは主のために祭壇を築いた。これは、彼が主のために築いた最初の祭壇であった。」

ミクマスからアヤロンに至るまでペリシテ人を討ったイスラエルの兵たちは、断食していたのでたいへん疲れていました。それで、禁止された期間が終わるとすぐに分捕り物に飛びかかり、羊、牛、若い牛を取り、その場で屠って食べました。彼らは血が付いたままで食べました。血を絞り出さないで食べるのは、モーセの律法に違反しています。(レビ17:10-14,申命記12:23-25)サウルの愚かな誓いが、民に罪を犯させる結果をもたらしたのです。そのことがサウルの耳に届くと、彼は大きな石を転がしてくるようにと命じました。何のためですか。それで血を抜いて食べることができるようにするためです。

サウルはそこに主のための祭壇を築きました。これが、彼が築いた最初の祭壇です。彼は祭司ではなかったので、いけにえをささげる資格がありませんでした。それなのに、彼はなぜ祭壇を築いたのでしょうか。それは、祭司に命じてその祭壇の上で罪のためのいけにえをささげるためです。しかし、それは見せかけの祭壇でした。確かに、アブラハムやイサク、ヤコブ、そしてモーセも主のために祭壇を築きましたが、それは主に感謝し、主を礼拝するためでした。たとえば、アブラハムは神から告げられた場所、モリヤの山に祭壇を築き、そこで神から告げられたとおりに息子イサクをささげました。彼はそこで最高のものを神にささげたのです。この祭壇は、「主の山には備えがある」ことを証明する祭壇になりました。主は身代わりの犠牲としての雄羊を用意してくださったので、彼はイサクの代わりにその雄羊を全焼のいけにえとしてささげました。この祭壇は、イエス・キリストの十字架を予表する祭壇ともなりましたが、彼は人生で最大の試練を通して、自らの信仰が真実であることを証明したのです。私たちもこのような祭壇を築こうではありませんか。サウルのような見せかけの祭壇ではなく、アブラムのような真実の祭壇、日々神に感謝し、神を礼拝する祭壇を築きましょう。

Ⅴ.ヨナタンの危機(36-42)

36~42節をご覧ください。
「サウルは言った。「夜、ペリシテ人を追って下り、明け方までに彼らからかすめ奪い、一人も残しておかないようにしよう。」すると兵は言った。「あなたが良いと思うようにしてください。」しかし祭司は言った。「ここで、われわれは神の前に出ましょう。」サウルは神に伺った。「私はペリシテ人を追って下って行くべきでしょうか。彼らをイスラエルの手に渡してくださるのでしょうか。」しかしその日、神は彼にお答えにならなかった。サウルは言った。「民のかしらたちはみな、ここに近寄りなさい。今日、どうしてこの罪が起こったのかを確かめてみなさい。まことに、イスラエルを救う主は生きておられる。たとえ、それが私の息子ヨナタンであっても、必ず死ななければならない。」しかし、民のうちだれも彼に答える者はいなかった。サウルはすべてのイスラエル人たちに言った。「おまえたちは、こちら側にいなさい。私と息子ヨナタンは、あちら側にいることにしよう。」民はサウルに言った。「あなたが良いと思うようにしてください。」」

サウルは、明け方までペリシテ人を追い、絶滅させようと言うと、民は、「あなたが良いと思うようにしてください。」と答えました。敵の分捕り物を食べたからか、彼らに新たな力が湧いてきたのです。しかし、祭司アヒヤは、神の前に出ることを進言しました。それでサウルが神に伺いを立てましたが、その日、神は彼にお答えになりませんでした。サウルは、その原因は神への誓いを破った者がいるからだと思い、その犯人を追及しようとします。すると、ヨナタンが取り分けられました。それでサウルが何をしたのかとヨナタンに問い詰めると、ヨナタンは、例の蜂蜜の事件を告白しました。彼は自分がしたことを一切自己弁護せず、正直に告白しました。皮肉なことに、知っていて罪を犯したサウルが、知らないで罪を犯したヨナタンをさばいていることです。神の権威に反抗的な者ほど、自分の権威に従わない者を厳しく扱うという構図がここに見られます。サウルの傲慢さ、愚かさ、利己的な性格が、ここに至って明らかになります。

サウルは、息子ヨナタンに死刑を宣告しましたが民の激しい抵抗にあったので、ヨナタンの命は救われました。しかし、こういう問題があったため、サウルはペリシテ人を追うことをやめて引き揚げたので、ペリシテ人は自分たちのところへ帰って行きました。敵を攻撃する機会を逃してしまったのです。神から離れた者は、頑迷と愚かさの道を歩むようになります。いつも神のみこころを求め、みこころに歩みましょう。

Ⅵ.サウルの業績(47-52)

最後に、47~52節までをご覧ください。ここには、サウルの統治のまとめが記されてあります。
「さてサウルは、イスラエルの王権を握ってから、周囲のすべての敵と戦った。モアブ、アンモン人、エドム、ツォバの王たち、ペリシテ人と戦い、どこに行っても彼らを敗走させた。彼は勇気を奮って、アマレク人を討ち、イスラエル人を略奪者の手から救い出した。さて、サウルの息子は、ヨナタン、イシュウィ、マルキ・シュア、二人の娘の名は、姉がメラブ、妹がミカルであった。サウルの妻の名はアヒノアムで、アヒマアツの娘であった。軍の長の名はアブネルで、ネルの子でサウルのおじであった。キシュはサウルの父であり、アブネルの父ネルは、アビエルの子であった。サウルの一生の間、ペリシテ人との激しい戦いがあった。サウルは勇気のある者や、力のある者を見つけると、その人たちをみな、召しかかえることにしていた。」

サウルは不従順であったにも関わらず、イスラエルの王権を握ってから、モアブ人、アンモン人、エドム人、ツォバの王たち、ペリシテ人と戦って、勝利を収めました。アマレク人との戦いだけは、他の民族との戦いと区別して書かれています。その理由は、15章になって明らかになりますが、彼の重大な過ちについて述べるためです。

サウルには、3人の息子と2人の娘がいました。ここには書かれてありませんが、実は彼にはもう一人の息子がいました。それがイシュ・ボシェテです(Ⅱサムエル2:8)。彼がサウルの後継者として残される人物です。妻はアヒノアムで、アヒマアツの娘でした。そして、将軍となったのはアブネルです。

サウルの一生の間、ペリシテ人との間に激しい戦いがありました。平安がなかったということです。神から離れた人の人生は、サウルのような人生です。そこには真の平安がありません。しかし、神とともに歩む人は、たとえ戦いがあってもそこに平安があり、将来と希望が溢れています。私たちはサウルのような人生ではなく、神と共に歩む人生を目指して前進していきたいと思います。

ヨハネの福音書13章1~15節「互いに足を洗いなさい」

 きょうは、「互いに足を洗い合いなさい」というタイトルでお話しします。イエス様は、ご自分が十字架で死なれることが近づいているのを知ると、弟子たちとのプライベートな時間を持たれました。それが、この13章から17章まで続く内容です。これはマタイの福音書、マルコの福音書、ルカの福音書の福音書には記録されていない内容です。このヨハネの福音書だけに記されてあります。しかも、ヨハネはそのために実に全体の4分の1のスペースを割いています。この中てイエス様は、最後に弟子たちに何とかして伝えたいことがありました。その一つのことが、互いに足を洗い合いなさいということです。

Ⅰ.最後まで愛されたイエス(1-2)

まず、1節と2節をご覧ください。
「さて、過越の祭りの前のこと、イエスは、この世を去って父のみもとに行く、ご自分の時が来たことを知っておられた。そして、世にいるご自分の者たちを愛してきたイエスは、彼らを最後まで愛された。「夕食の間のこと、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうという思いを入れていた。」

過越の祭りの前のこと、イエスは、この世を去って父のみもとに行く、ご自分の時が来たことを知っておられました。「この世を去って父のみもとに行く」とは、具体的には、十字架で死なれ、三日目によみがえられること、そして、その後天に昇って父なる神の右の座に着かれることを意味しています。ヨハネの福音書ではそれを「ご自分の時」と言っていますが、イエス様は、その時が来たことを知っておられました。そして、世にいる自分の者たちを愛されたイエスは、彼らを最後まで愛されました。新改訳第三版では、「その愛を残るところなく示された」と訳しています。「最後まで」、「残すところなく」という言葉は、下の欄外にあるように、「極みまで」という意味の言葉です。極限まで愛されました。最後の最後まで、とことん愛されたのです。これがイエス様の愛です。イエス様の愛は途中で放棄するようなものではありません。最後の最後まで、とことん愛する愛です。でも、イエス様が愛された弟子たちとはどういう人たちだったでしょうか。彼らはイエス様に愛されるにふさわしい人たちだったでしょうか。いいえ、そうではありませんでした。

たとえば、ルカ9:54には「弟子のヤコブとヨハネが、これを見て言った。「主よ。私たちが天から火を下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」」とあります。「これを見て」とは、サマリヤ人たちがイエス様を受け入れなかったのを見て、ということです。弟子のヤコブとヨハネ、このヨハネとはこのヨハネの福音書を書いているヨハネのことですが、彼らは、サマリヤの人たちがイエス様を受け入れないのを見ると、彼らを焼き滅ぼしましょうかと言ったのです。とても激しい気性です。人を人とも思わない情け容赦ない人たちでした。自分たちを拒絶する者たちがいると、そういう人たちを平気で焼き滅ぼしてしまいたいと思うような人たちだったのです。すぐにカッとなって頭に血が上るような人でした。ですから、彼らにはあだ名がありました。「ボアネルゲ」、「雷の子」です。いつも嫌なこと、気に食わないことがあると、ゴロゴロと雷のようにうなりました。皆さんの中にもそういう人がいるでしょう。自分が受け入れられないと、すぐに「フン」と言ってそっぽを向いてしまうという人が。それだけだったらいいですが、その人を焼き滅ぼしてしまいましょうか、というところまでいくとヤバいです。

ヨハネ1:46には、弟子の一人のナタナエルについて紹介されています。彼は、同じ町の出身であったピリポから「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスです。」と言うのを聞くと、「ナザレから何か良いものが出るだろうか。」(1:46)と言いました。これはイエス様を侮辱した言い方です。ナザレという無名の町からいったいどうして良いものが出るというのか、出るはずないだろう、と皮肉ったのです。

ルカ22:24には、最後の晩餐の席で、弟子たちはあることで議論していたことが記されてあります。それはだれが一番偉いかということです。もうすぐイエス様が十字架に付けられて死なれるという時に、だれが一番偉いかと議論していたのです。

また、ルカ22:31~32には「シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」とあります。イエス様は、ペテロが三度もご自分を否定することを知っていましたが、それにもかかわらず、ペテロの信仰がなくならないように祈られました。そして、彼が立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさいと、言われたのです。

極め付けはこれでしょう。2節に出てくるイスカリオテのユダです。「夕食の間のこと、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうという思いを入れていた。」彼はイエス様を裏切ろうとしていました。「裏切る」という言葉は「引き渡す」という意味の言葉です。彼は銀貨30枚でイエス様を引き渡そうとしていました。これはひどいですね。許されざる行為です。しかし、イエス様はそういう心を知ったうえで愛されました。もし私たちがそういうことを知っていたらどうでしょうか。決して愛すことなどできません。しかし、イエス様は違います。最後の最後まで、とことん愛されました。これがイエスの愛です。これが愛するということなのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛してくださいました。ここに愛があります。なぜイエス様はそんな弟子たちを愛されたのでしょうか。わかりません。しかし、ただ一つだけわかることは、愛するということがどういうことなのかの模範を、実際に示してくださったということです。それが足を洗うという行為です。いったい愛するとはどういうことなのでしょうか。

Ⅱ.愛の模範(3-11)

では次に、3~11節をご覧ください。まず、3~6節までをお読みします。
「イエスは、父が万物をご自分の手に委ねてくださったこと、またご自分が神から出て、神に帰ろうとしていることを知っておられた。イエスは夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水を入れて、弟子たちの足を洗い、腰にまとっていた手ぬぐいでふき始められた。こうして、イエスがシモン・ペテロのところに来られると、ペテロはイエスに言った。「主よ、あなたが私の足を洗ってくださるのですか。」

イエス様は夕食の席から立ちあがると、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれました。それから、たらいに水を入れると、弟子たちの足を洗い、腰にまとっておられた手ぬぐいで拭き始められました。それには、シモン・ペテロもびっくりしました。なぜなら、それは奴隷の仕事、しかも異邦人の奴隷のする仕事だったからです。それは当時、極めて卑しい仕事とされていました。それを「先生」とか「主」とか呼ばれていたイエス様がしたわけですから、その驚き様はどれほどであったかと思います。6節を見ると、シモン・ペテロがこう言っています。「主よ、あなたが私の足を洗ってくださるのですか。」とんでもないです。止めてください。そんなニュアンスが伝わってきます。イエス様が弟子たちの足を洗うというこの行為は、いったいどんな意味があったのでしょうかす。二つの意味がありました。一つは、イエス様は、私たちを罪からきよめてくださるということです。ペテロがイエス様に、「主よ、あなたが私の足を洗ってくださるのですか。」と言うと、イエス様はこう言われました。
「わたしがしていることは、今はわからなくても、後で分かるようになります。」
どういうことでしょうか?今は分からないかもしれませんが、後で分かるようになります。「後で」というのは、イエス様が足を洗い、手ぬぐいで拭かれ、上着を着て、再び席に着かれた時です。これはどういうことかというと、イエス様が十字架で死なれ、三日目によみがえられ、天に昇り、神の右の座に着かれるという救いの御業のことです。そうです、イエス様が弟子たちの足を洗われたこの行為は、このことを象徴していたのです。

イエス様はまずは上着を脱がれました。これは、神としての特権を脱ぎ捨ててこの地上に来てくださったことを表しています。そして、手ぬぐいを取って腰にまとわれました。これは仕える者の姿です。イエス様は、人としての姿をもって現れ、自らを低くし、死にまで、実に十字架の死にまでも従われました。そして、たらに水を入れられました。この「水」はみことばによるきよめの象徴です。というのは、エペソ5:26には、「キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり」とあるからです。また、ヨハネ15:3にも、「あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、すでにきよいのです。」とあります。イエス様は、水の洗いをもって私たちを聖なるものとしてくださいました。そればかりではありません。弟子たちの足を洗うと、腰にまとっておられた手ぬぐいで拭かれました。それは、その働きを完成してくださったということを表しています。ですから、イエス様が弟子たちの足を洗うというこの一連の出来事は、第一義的には、イエス・キリストの十字架と復活の出来事によって、私たちの罪をきよめてくださるということを示していたのです。

そのことをよく表しているのは、ピリピ2:6~11のみことばです。
「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、 ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。」

それは、ペテロがその後で「決して私の足を洗わないでください」と言ったとき、イエス様が「わたしがあなたを洗わなければ、あなたはわたしと関係ないことになります。」と言われことからもわかります。イエス様に足を洗ってもらわなければ、イエス様と何の関係も持つことができません。イエス様が十字架で死なれ、三日目によみがえられるという出来事によってそれを信じる者の罪は赦され聖められるのであって、それがなかったら、何の関係も持つことができないのです。あなたは、イエス様に足を洗っていただきましたか?

ちなみに、ペテロがここで言った「決して私の足を洗わないでください」という言葉ですが、これは強い否定形になっています。「どんなことがあっても」とか、「絶対に」という意味です。「あなたが他の弟子たちに何を成さろうとも、私の足だけは決して洗わないでください。」といったニュアンスです。なぜペテロはそのように言ったのでしょうか。それは、イエス様が弟子たちの足を洗うということがどういうことなのかを全く理解していなかったからです。そんなことあり得ないことです。前代未聞です。絶対に洗わないでくださいと言いました。

しかし、イエス様が「わたしがあなたの足を洗わなければ、あなたはわたしと関係ないことになります」と言われると、今度は、「じゃ、洗ってください。足だけでなく、手も頭も。」と言いました。調子いいですね。「決して洗わないでください」と言ったのに、イエス様がもしわしが洗わなければ・・・・と言われると、今度は、「じゃ、全部洗ってください。足だけでなく、手も頭も・・・と言ったのですから。なぜペテロはこんなことを言ったのでしょうか?実は、何を言ったらいいのかわからなかったのです。そういうタイプの人がいます。何か言わないと気が済まないのですが、何を言ったらいいのかわからないで、何でも言っちゃえみたいな人が。自分もそういうタイプなのでペテロの気持ちがよ~くわかるような気がします。でもペテロは憎めません。なぜなら、ペテロがこのように言ったのは何とかしてイエス様との関係を失いたくない。何とかして持ち続けていたいという思いがあったからでしょ。自分がどんなことをしても、どんなに失敗しても、イエス様から絶対離れたくないという思いがあったのです。そこを評価してあげたいですね。だれも完全な人などいません。みんな失敗だらけです。でも、どんな失敗をしてもイエス様について行きます。その気持ちが大切です。しかし、このペテロの態度には二つの極端が見られます。

一つの極端は、イエス様に足を洗われることを頑なに拒むという極端です。イエス様が彼の足を洗おうとした時、ペテロは、「決して私の足を洗わないでください」と言いました。私たちの周りには、そのように足を洗ってもらうことを極端に拒む人がいます。あなたに足を洗ってもらわなくても結構です。あなたの話など聞きたくありません。そのような話には興味がないのです。自分と関わらないでください。そのように頑なに拒むのです。

一方、このペテロのように、「主よ、足だけでなく、手も頭も洗ってください」という人がいます。これは全面的に依存するタイプの人です。クリスチャンなら、どんな時でも、どんなことでも助けてくれるはずだと、必要以上に要求する人がいるのです。それは愛するとはどういうことかを誤解していることから生じる極端と言えるでしょう。そのような時には、はっきりとNOと言わなければなりません。そうでないと、あなたが疲れ果て、倒れてしまうことになるからです。

このように、汚れた足を洗うということ、イエス様の愛を示すということは簡単なことではありません。その愛を拒む人がいれば、逆に、必要以上に依存する人がいますから。ですから、私たちはその置かれた状況を踏まえながら、本当に主が求めておられることは何なのかを見極めて、イエスさまの愛を示していかなければなりません。

ところで、「主よ、足だけでなく、手も頭も洗ってください」というペテロに対して、イエス様は何と言われたでしょうか。10節をご覧ください。ご一緒に読みたいと思います。
「イエスは彼に言われた。「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身がきよいのです。あなたがたはきよいのですが、皆がきよいわけではありません。」」
どういうことでしょうか。「水浴する」とは、英語の聖書(NKJV)には、「He who is bathed」と訳されています。「bath」はお風呂です。お風呂に入った者です。日本でもお風呂に入るという習慣がありますね。お風呂に入った者は、足以外に洗う必要がありません。なぜなら、全身がきよいからです。足だけでいいのです。なぜ全身がきよいのに、足だけは汚れているのかというと、日本でも昔はそうですが、お風呂が母屋から離れて外にあったので、お風呂から上がって母屋に来るうちに、また汚れてしまことがあるからです。その場合、全身はきよいのですが、足だけが汚れています。だから足だけ洗えばいいのです。これはどういうことかというと、イエス様を信じた者はすでにきよくされているので全身を洗う必要はありませんが、足だけは洗わなければならないということです。その足とは何かというと、日々の歩みのことを指しています。イエス様に全身を洗っていただいた人はすべての罪が赦され、イエス様と関係を持つことができました。しかし、日々の歩みの中で犯してしまう罪のために、イエス様との関係が曇ってしまうことがあります。救いの恵みを失うことはありませんが、イエス様との親しい交わりに陰りが生じることがあるのです。イザヤ59:1-2に、「見よ。主の手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて聞こえないのではない。むしろ、あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。」とあります。あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにするのです。

ですから、私たちはその汚れをきよめていただくために、その時々に犯す罪を悔い改めなければなりません。もちろん、その前にまず全身を洗っていただかなければなりません。そのためにイエス・キリストが上着を脱いで、手ぬぐいを取り、たらいに水を入れて足を洗い、腰にまとっておられた手ぬぐいで拭いてくださいました。そのようにして全身をきよめていただいた者は、つまり、水浴した者は、足以外は洗う必要がないのです。全身がきよいからです。その人は、足だけ洗えばいい。すなわち、日々の歩みの中で犯した個々の罪を悔い改めるだけでいいのです。そうすれば、主はそのすべての罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。私はイエス様を信じてきよめられたのだから、すべての罪が赦されました。ハレルヤ!もう悔い改める必要なんてないの、と言うとしたら、その人は自分自身を欺いていることになります。なぜなら、聖書は、「もし自分に罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており、私たちのうちに真理はありません。」(Ⅰヨハネ1:8)と言っているからです。ですから、イエス様を信じてきよめられた人は全身を洗う必要はありませんが、日々の歩みの中で犯してしまった罪の汚れを、その度、その度洗っていただかなければならないのです。

11節には、「イエスはご自分を裏切る者を知っておられた。それで、「皆がきよいわけではない」と言われたのである。」とあります。イエス様が「皆がきよいわけではない」と言われたのは、イスカリオテのユダのことを指していました。彼はキリストの弟子でしたが、水浴していませんでした。彼はそのようにふるまっていましたが、実際にはそうではありませんでした。何が問題だったのでしょうか。中身がなかったことです。ただ形式的に弟子となっていただけでした。自分にとって何が得であり、何が損なのかという損得勘定ばかり考えていて、悔い改めませんでした。もし彼が心から悔い改めてイエス様に従っていたのであれば、彼も救われていたはずです。足だけ洗えば良かったのです。けれども、彼には真の悔い改めがありませんでした。だから、彼はきよめられていなかったのです。

ペテロも多くの失敗をしました。彼は主を三度も否定するという大きな罪も犯しました。しかし、ペテロとイスカリオテのユダとの決定な違いは、ペテロは真に悔い改めたのに対して、ユダはそうではなかったということです。ペテロも罪を犯しましたが、彼は悔い改めてイエスの十字架と復活による罪の赦しと永遠のいのちを信じましたが、ユダはそうしませんでした。

あなたはどうですか。自分の罪を悔い改め、その罪のためにイエス様が十字架で死んでくださり、三日目によみがえってくださったと信じていますか。信じる者は救われます。全身がきよめられています。あとは、足だけ洗えばいいのです。全身をきよめていただいて、また日々の歩みにおいて犯す数々の罪を悔い改めて、いつも新鮮に主との交わりの中に生きる者でありたいと思います。

Ⅲ.互いに足を洗いなさい(12-15)

ですから、第三のことは、私たちも互いに足を洗わなければならないということです。12~15節をご覧ください。
「イエスは彼らの足を洗うと、上着を着て再び席に着き、彼らに言われた。「わたしがあなたがたに何をしたのか分かりますか。あなたがたはわたしを『先生』とか『主』とか呼んでいます。そう言うのは正しいことです。そのとおりなのですから。主であり、師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのであれば、あなたがたもまた、互いに足を洗い合わなければなりません。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、あなたがたに模範を示したのです。」

イエス様は彼らの足を洗うと、上着を着て再び席に着かれました。これは、先ほども言いましたが、イエスが十字架と復活の御業を成し遂げて天に昇って行かれ、神の栄光の右の座に着かれたことを象徴的に表していました。つまり、イエス様が弟子たちの足を洗われたことの第一の意味は、イエス・キリストの十字架と復活という出来事によって私たちの罪がきよめられるということでした。このことがなければ、また、このようにして罪の贖いを成し遂げてくださったイエス様を信じることがなければ罪の赦しはありません。イエス様と何の関係も持つことができません。つまり、このように私たちを罪から救ってくださるのは、イエス様の他にはいないということです。そのことの上に、主はもう一つの意味を教えてくださいました。それは、イエス様が弟子たちにしたように、私たちもするようにと、模範を示されたということです。つまり、「主であり、師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた、互いに足を洗い合わなければなりません。」(14)ということです。これはどういうことでしょうか。

ローマ・カトリック教会では、この言葉を文字通り解釈しました。すなわち、イエス様が弟子たちの足を洗ったように、自分たちも実際に兄弟姉妹の足を洗わなければならないと受け止めたのです。ですから、ローマ・カトリック教会では、受難週に洗足の儀式として、互いの足を洗い合うという習慣があるのです。それはローマ・カトリックだけでなく、プロテスタントの一部でもそのように解釈して実行している教会があります。しかし、これはそういうことではありません。15節の御言葉を見るとその判断の助けになります。イエス様はここで、「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、あなたがたに模範を示したのです。」と言われました。「わたしがあなたがたにしたと同じことを、あなたがたもするように」とは言われませんでした。つまり、主はご自分がなさったことと同じことをせよと仰せられたのではなく、ご自分がなされたとおりに弟子たちがするようにと模範を示されたのです。

それでは、主がなさったとおりに弟子たちもするようにと示された模範とはどんなことでしょうか。それは、「先生」とか、「主」とか呼ばれている人が、弟子の足を洗われように、へりくだって互いに仕え合いなさいということです。それが愛するということです。ヨハネは、主が弟子たちの足を洗うという出来事を記すにあたり、「世にいるご自分の者たちを愛してきたイエスは、彼らを最後まで愛された。」と書いて、その実例としてこの出来事を記しました。また、この後のところで、主は、この足を洗うということを愛するという言葉に言い換えて、次のように言っています。34節です。「わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」

ですから、ここで主が教えられた実物教育は、主の弟子たちである私たちが主に倣って、愛と謙遜もって仕え合いなさいということだったのです。もう一度繰り返して言いますが、これはキリストの身代わりの十字架の救いということの上にある教えです。このへりくだって互いに愛し合うことができるのは、キリストの救いの恵みに与った者でなければできないということです。生まれながらの人間にはできません。生まれながら人間は、このような要求の前には絶望しかないでしょう。しかし、イエス様の十字架の救いを信じて救われた者は、互いに愛することができます。なぜなら、十字架の救いを通して神の愛を知ったからです。このことは、もし私たちが、「あの人は好かない」とか、「あの人は嫌だ」ということがあっても、そんなことは関係ないということです。なぜなら、神は、神を信じないで敵として歩んでいた私たちさえ愛してくださり、十字架で死んでくださったからです。これが互いに愛し合うことの土台です。これがなかったら、愛し合うことなんてできません。夫婦の関係でも、親子の関係でも、この愛がなかったら無理です。学校でも、職場でも、教会でも、それを根底から支えているのはこの愛なのです。
「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物として御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(Ⅰヨハネ4:9-10)
ここに愛があります。私たちはこの愛を知りました。神がとれほどまでに私たちを愛してくださったのかを知りました。だから、私たちは互いに愛し合うことができるのです。最後の最後まで、その極みにまで、とことん愛することができるのです。最近、ビジネスの世界でもこのようなリーダーが求められています。サーバントリーダーです。仕えるしもべです。リーダーは、仕えるしもべでなければなりません。これはイエス様を信じて神の愛を知った者でなければできません。イエス様の愛を知った者だけが、真の意味でサーバントリーダーになれるのです。

イエス様は、世にいる自分の者を最後まで愛されました。最後の最後まで、その極みまで、とことん愛されました。夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを腰にまとわれ、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗い、腰にまとっておられた手ぬぐいで拭かれました。決して手ぬぐいを投げたりしませんでした。手ぬぐいを投げるというのは、働きを放棄することを意味します。ですから、ボクシングの試合でもうこれ以上は戦えないという時には、セコンドからタオルが投げ込まれるのです。しかし、イエス様は決してタオルを投げませんでした。最後の最後まで、とことん愛してくださいました。私たちは、このイエスの愛を知りました。だから、私たちも互いに愛し合うことができるのです。たとえ、相手の足が臭くても、たとえ、顔をそむけたくなるような足でも、互いにその足を洗わなければならないのです。イエス様が弟子たちの足を洗われたのは、私たちもするようにと、私たちに模範を示すためだったのです。私たちもイエス様によって足を洗っていただきましょう。そして、互いに足を洗い合いましょう。そのようにして、キリストの弟子としての歩みを全うしていきたいと思います。

Ⅰサムエル記13章

 今回は、サムエル記第一13章から学びます。

 Ⅰ.恐れるな(1-7)

 まず、1~7節までをご覧ください。
「サウルは、ある年齢で王となり、二年間だけイスラエルを治めた。サウルは、自分のためにイスラエルから三千人を選んだ。二千人はサウルとともにミクマスとベテルの山地にいて、千人はヨナタンとともにベニヤミンのギブアにいた。残りの兵は、それぞれ自分の天幕に帰した。ヨナタンは、ゲバにいたペリシテ人の守備隊長を打ち殺した。サウルのほうは国中に角笛を吹き鳴らした。ペリシテ人たちは、だれかが「ヘブル人に思い知らせてやろう」と言うのを聞いた。全イスラエルは、「サウルがペリシテ人の守備隊長を打ち殺し、しかも、イスラエルがペリシテ人の恨みを買った」ということを聞いた。兵はギルガルでサウルのもとに呼び集められた。ペリシテ人はイスラエル人と戦うために集まった。戦車三万、騎兵六千、それに海辺の砂のように数多くの兵たちであった。彼らは上って来て、ベテ・アベンの東、ミクマスに陣を敷いた。イスラエルの人々は、自分たちが危険なのを見てとった。兵たちがひどく追いつめられていたからである。兵たちは洞穴や、奥まったところ、岩間、地下室、水溜めの中に隠れた。あるヘブル人たちはヨルダン川を渡って、ガドの地、すなわちギルアデに行った。しかしサウルはなおギルガルにとどまり、兵たちはみな震えながら彼に従っていた。」

サウルは、ある年齢で王となり、2年間だけイスラエルを治めました。新改訳聖書第三版では、「サウルは三十歳で王となり、十二年間イスラエルの王であった。」となっています。どうしてこのように違うのかというと、へブル語本文では数字が欠けていて、サウルがいつ王様になり、何年間イスラエルを治めたのかは、はっきりわからないからです。口語訳では、 「サウルは三十歳で王の位につき、二年イスラエルを治めた。」と訳しています。それは、イスラエルで王になることができたのは30歳になったときであったこと、また、本文には何年間というところが[ ]年となっているからだと思われます。それはこの新改訳2017と同じです。しかし、サウルの治世に起こったことを2年の間の出来事とするのは、無理があります。それで英語の聖書(NKJV)は、「Saul reigned one year; and when he had reigned two years over Israel,」と訳しています。「2年間」ではなく「2年以上」としたのです。これが最も原文に忠実な訳となるでしょう。いずれにせよ、12章と13章との間には、かなりの時間の経過があると考えられます。その間に、海岸平野に居住していたペリシテ人たちは、彼らのいた山地まで進出してきていたのです。

それでサウルは、イスラエルの中から兵を招集し戦いに備えようとしたのです。その数3,000人です。2,000人はサウルととともにミクマスとベテルの山地にいて、1,000人はヨナタンとともにベニヤミンのギブアにいました。ヨナタンとは、サウルの息子です。そのヨナタンがペリシテ人の守備隊長を打ち殺すと、サウルは国中に角笛を吹き鳴らしました。ここに戦いの火ぶたが切って下ろされたのです。それにしてもその後の文が、「ペリシテ人たちは、だれかが「ヘブル人に思い知らせてやろう」と言うのを聞いた。」となっていますが、これがどういう意味なのか通じません。新改訳改訂第3版では、「ヨナタンはゲバにいたペリシテ人の守備隊長を打ち殺した。ペリシテ人はこれを聞いた。サウルは国中に角笛を吹き鳴らし、「ヘブル人よ。聞け」と言わせた。」と訳しています。これならよくわかります。ヨナタンのした行為がきっかけとなって、戦いが始まったわけですが、それでサウルは国中に「へブル人よ。聞け」と言って、彼らを招集したのです。

それに対してイスラエルはどのように応答したでしょうか。全イスラエルは、「サウルがペリシテ人の守備隊長を打ち殺し、しかも、イスラエルがペリシテ人の恨みを買った」ということを聞いて、兵士たちがギルガルでサウルのもとに呼び集められますが、彼らは喜び勇んでやって来たというよりも、仕方なく、恐る恐るやって来たようなニュアンスがあります。それもそのはずです。5節には、ペリシテ人たちも戦うためにやって来ましたが、その数戦車三万、騎兵六千、それに海辺の砂のように数多くの兵たちがいたからです。これでは戦いになりません。それを見たイスラエル人たちは、戦意を喪失し、洞穴や、岩間、地下室、水溜めの中に隠れてしまいました。ある者たちは、ヨルダン川を渡り、東側のガドとギルアデの地に逃げて行きました。サウルはなおギルガルにとどまっていましたが、兵たちはみな震えながら彼に従っていました。

いったいなぜ彼らはペリシテ人たちをこんなにも恐れたのでしょうか。それは彼らが万軍の主を仰ぎ見なかったことです。自分に向かってくる敵の数を見て、またその装備を見て、恐れてしまいました。サウルが王として選ばれた時は、彼が主に信頼していたので主の霊によってアンモン人を打ち破ることができました。しかし、時間の経過とともに、彼らは自分の力に頼るようになっていました。これが問題の原因です。もし彼らがそのような状況に置かれても、主に信頼し、主を仰ぎ見たなら、主の聖霊の力によって恐れを克服することができたでしょう。しかし、彼らが見たのは主ではなく、自分自身、自分の力でした。だから、恐れに苛まれてしまったのです。

あなたはどうですか。あなたは今、恐れの霊、おくびょうの霊に支配されていないでしょうか。「神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました。」(Ⅱテモテ1:7)
聖書には、「恐れるな」という命令が、366回も出てきます。なぜそんなに多く出てくるのでしょうか。それは、私たち人間の心の奥底に、本能的に「恐れ」という感情が宿っているからです。ですから、神は日々の状況を見て恐れてしまう私たちの心を静めるために、毎日毎日「恐れるな」と語りかけておられるのです。罪が赦されて神の子とされた私たちは、日々の歩みの中で、内側から湧いてくる恐れの感情ではなく、神の約束の御言葉に耳を傾けなければなりません。

Ⅱ.待ち切れなかったサウル(8-15)

次に、8~15節までをご覧ください。
「サウルは、サムエルがいることになっている例祭まで、七日間待ったが、サムエルはギルガルに来なかった。それで、兵たちはサウルから離れて散って行こうとした。サウルは、「全焼のささげ物と交わりのいけにえを私のところに持って来なさい」と言った。そして全焼のささげ物を献げた。 彼が全焼のささげ物を献げ終えたとき、なんと、サムエルが来た。サウルは迎えに出て、彼にあいさつした。サムエルは言った。「あなたは、何ということをしたのか。」サウルは答えた。「兵たちが私から離れて散って行こうとしていて、また、ペリシテ人がミクマスに集まっていたのに、あなたが毎年の例祭に来ていないのを見たからです。今、ペリシテ人がギルガルにいる私に向かって下って来ようとしているのに、まだ私は主に嘆願していないと考え、あえて、全焼のささげ物を献げたのです。」サムエルはサウルに言った。「愚かなことをしたものだ。あなたは、あなたの神、主が命じた命令を守らなかった。主は今、イスラエルにあなたの王国を永遠に確立されたであろうに。しかし、今や、あなたの王国は立たない。主はご自分の心にかなう人を求め、主はその人をご自分の民の君主に任命しておられる。主があなたに命じられたことを、あなたが守らなかったからだ。」サムエルは立って、ギルガルからベニヤミンのギブアへ上って行った。サウルが彼とともにいた兵を数えると、おおよそ六百人であった。」

サウルは、戦いの前にいけにえを捧げなければならないことを知っていました。それは、10:8に命じられていたからです。そこには、サウルがサムエルを待つ期間は七日間であると言われていました。しかし、その七日が経っても、サムエルは来ていませんでした。いったいどうしたらよいものか・・・。サムエルが来ていないということで、兵たちはサウルのもとから離れて散って行こうとしていました。事態は刻一刻と深刻な状況になっていきました。そこで、しびれを切られたサウルは、全焼のいけにえと交わりのいけにえをささげるようにと命じました。それをすることは、祭司のみに与えられていた特権でした。しかし、サウルはその役割を自ら果たそうと決意し、全焼のいけにえと交わりのいけにえを持ってこさせて、ささげてしまいました。確かに、約束の七日が過ぎようとしていましたが、実際にはまだ七日が満ちたわけではありませんでした。しかし、彼は待つことができなかったのです。

 ちょうどその時、すなわち、サウルがささげものをささげ終えたとき、何とそこへサムエルがやって来ました。タイミングが悪すぎますね。ギリギリのところです。サウルはそのギリギリのところで待つことができず、主の命令に背きいけにえをささげたところでした。サムエルがやって来たとき、サウルは彼を迎えに出て、あいさつしました。「ああ、どうも、お待ちしていました。」みたいに。サムエルは、サウルがいけにえを捧げたことを見ると、「何ということをしたのか」とそのことを指摘すると、サウルは次のように言いました。
 「兵たちが私から離れて散って行こうとしていて、また、ペリシテ人がミクマスに集まっていたのに、あなたが毎年の例祭に来ていないのを見たからです。今、ペリシテ人がギルガルにいる私に向かって下って来ようとしているのに、まだ私は主に嘆願していないと考え、あえて、全焼のささげ物を献げたのです。」」
 
 彼は自分のしたことを悔い改めもせず、ただ言い訳をしただけでした。彼がまず言ったことは、自分に着いていた兵たちが離れて散っていこうとしていた、ということです。また、ペリシテがミクマスに集まってきたというのに、サムエルは来ていなかったということ、だから、そのような状況の中でペリシテ人がギルガルの自分たちのところに向かって来ていたのだから、主に嘆願するというのはもっともなことではないか。だから、自分はいけにえを捧げたのだ・・と。つまり、彼は自分の罪を悔い改めるどころか、それを正当化したのです。

 それを聞いたサムエルは、こう言いました。13~14節です。
「愚かなことをしたものだ。あなたは、あなたの神、主が命じた命令を守らなかった。主は今、イスラエルにあなたの王国を永遠に確立されたであろうに。しかし、今や、あなたの王国は立たない。主はご自分の心にかなう人を求め、主はその人をご自分の民の君主に任命しておられる。主があなたに命じられたことを、あなたが守らなかったからだ。」
サウルは、主が命じたことを守らなかったので、彼の王国は永遠に確立されることはなく、まだ誰になるかはわかりませんが、主はご自分の心にかなう人を君主として立てられる、と言いました。
サムエルが、ギルガルからギブアに上って行くと、彼とともにいた兵は600人しかいませんでした。当初は3,000人いたのですから、2,400人もの兵士が逃亡したことになります。これではどこから見ても、勝ち目がないのは明らかです。
いったい何が問題だったのでしょうか。待つことができなかったことです。敵が攻めて来るという危機的な状況の中で、神の命令に従わず自分の思いで動いてしまったことです。しかも、そのことについて全く悔い改めるどころか、むしろ言い訳をして自分を正当化しました。これが問題だったのです。

私たちにもこのようなことがあるのではないでしょうか。このような試練に直面すると、神の御言葉よりも、自分の思いや感情で判断してしまうことです。神からの語りかけがないのに、神は私にこう命じておられると早合点して動いてしまうのです。
私たちは新年度の計画しながら動き出していますが、その中で今年の夏サマーチームが来ることについてアメリカにいるネイサン兄とメールで打ち合わせをする中で、彼から次のような内容のメールを受け取りました。
I will also try to make an announcement at church this week about the possibility of doing another summer mission team in Japan. I remain hopeful that many people will want to participate, but we will have to wait and see where the Spirit leads. He always has a way of blowing all of my expectations out of the water. It kind of makes me wonder why I develop all these complicated plans about the future sometimes
彼は、その件について彼の教会でアナウンスするつもりですし、そのために日本に行きたいという人日とが起こされることを確信していますが、しかし、主は最善のご計画をもって導いておられるので、そのために待たなければならない、言いました。すごいですね。自分はそのように願うが、しかし、主のみこころは何なのかを祈って待つという姿勢です。主は最善に導いておられます。だから、そのために待たなければなりません。主が導いておられるのになかなか重い腰を上げずに失敗することもありますが、主が導いていないのにもかかわらず自分で勝手に思い込んで行動し失敗することも少なくありません。主のみこころが何なのかを祈りとみことばの中で確信し、その時を待たなければなりません。

Ⅲ.悲惨な結果(16-23)

最後に、16~23節までをご覧ください。
「サウルと、息子ヨナタン、および彼らとともにいた兵は、ベニヤミンのゲバにとどまっていた。一方、ペリシテ人はミクマスに陣を敷いていた。ペリシテ人の陣営から、三つの組に分かれて略奪隊が出て来た。一つの組はオフラの道を進んでシュアルの地に向かい、一つの組はベテ・ホロンの道を進み、一つの組は荒野の方、ツェボイムの谷を見下ろす国境の道を進んだ。さて、イスラエルの地には、どこにも鍛冶屋を見つけることができなかった。ヘブル人が剣や槍を作るといけない、とペリシテ人が言っていたからであった。イスラエルはみな、鋤や、鍬、斧、鎌を研ぐためにペリシテ人のところへ下って行っていた。鎌や、鍬、三又の矛、斧、突き棒を直すのに、料金は一ピムであった。戦いの日に、サウルやヨナタンと一緒にいた兵のうちだれの手にも、剣や槍はなかった。ただサウルと息子ヨナタンだけが持っていた。ペリシテ人の先陣はミクマスの渡りに出た。」

サウルと、息子ヨナタン、および彼らとともにいた兵は、ベニヤミンのゲバにとどまっていました。一方、ペリシテ人はミクマスに陣を敷いていました。彼らは3組の略奪体を西と北と南に送り、より一層の力をつけていました。

イスラエル人がペリシテ人よりも劣っていたのは、兵士の数だけではありませんでした。武器においても圧倒的な劣勢に置かれていました。時代は、青銅器時代から鉄器時代へと移っていた時です。ペリシテ人の装備は鉄器時代を反映させたものですが、イスラエル人の装備はいまだに青銅器時代のものでした。ペリシテ人たちは鉄器の技術を独占し、イスラエル人に鉄の武器を作らせないようにしました。そればかりか農具の製作も独占し、その修理費のために1ピム、これは3分の2シェケルですが、それほどの高額を要求していました。その結果、イスラエルで剣や槍を持っていたのはサウルとヨナタンくらいで、兵士たちのだれの手にもありませんでした。これでは戦う前から勝敗が決しているようなものです。

サウルは王になった段階で、早急にこの事態を改善する必要がありましたが、彼はそれを放置したままにしていました。そのような状態でペリシテ人との戦いに突入していったのです。無謀と言えば無謀です。ここに、彼の判断の甘さというか、ミスがありました。勿論、それでも主が共におられたのであればそれでも勝利することができたでしょう。しかし、その肝心要の主が離れて行っただけでなく、実際の戦力を見ても、全く勝ち目のない戦いでした。主の命令を守らず、自分の思いや感情で勝手に判断した結果、イスラエル全体に大きな負の影響をもたらすことになったのです。

私たちの置かれている状況も決して安泰ではないかもしれませんが、それがどのような状況であったても、最も重要なのは誰と共に歩むかということです。あなたが主と共に歩むなら、主が勝利をもたらしてくださいます。ですから、主の命令を守り、主のみこころに適った者となり、いつも主とともに歩む者でありたいと思います。

ヨハネの福音書12章37~50節「大きな声で」

 きょうは、「大きな声で」というタイトルでお話しします。44節には、「イエスは大きな声でこう言われた。」とあります。ヨハネの福音書には、イエス様が大声を発せられたということが4回記録されてあります。7:28と7:37、そして11:43とこの箇所です。このように主が大きな声を発せられた時は単にそこにたくさんの徴収がいて、大きな声を出さなければ聞こえなかったからではなく、他に理由がありました。それは、イエス様が神から遣わされた方、メシアであることを、それを聞いていた人たちに信じてほしかったからです。

 ヨハネの福音書は、大きく分けると2つに分けられます。1章から11章までと、12章から終わりの21章までです。しかし、公生涯という観点から分けると、1章から12章までと、13章から終わりまでとなります。これまでは一般群衆やユダヤ人の指導者たちに向かって語られてきましたが、13章からは弟子たちに対して語られます。そういう意味では、この箇所はイエス様の一般の群衆たちに対する最後のメッセージ、最後の勧告となっている箇所です。その最後の勧告においてどうしても信じてほしかった。だからイエスは大きな声で言われたのです。

私たちは日頃、大きな声を出すという習慣があまりありません。大きな声を出すのは何か急を要した時や、緊急の事態が生じた時くらいです。でも、イエス様はご自身が神から遣わされた者であり、ご自身を信じる者には永遠のいのちが与えられるということを知らせるために、また、それを信じてもらうために、大きな声を出されました。私たちも大きな声で宣言しようではありませんか。イエス様を信じる者は、永遠のいのちを持つことができると。きょうは、このことについて三つのポイントでお話ししたいと思います。

Ⅰ.イエスを信じなかった人たち(37-40)

まず、37~40節までをご覧ください。
「イエスがこれほど多くのしるしを彼らの目の前で行われたのに、彼らはイエスを信じなかった。それは、預言者イザヤのことばが成就するためであった。彼はこう言っている。「主よ。私たちが聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕はだれに現れたか。」イザヤはまた次のように言っているので、彼らは信じることができなかったのである。「主は彼らの目を見えないようにされた。また、彼らの心を頑なにされた。彼らがその目で見ることも、心で理解することも、立ち返ることもないように。そして、わたしが彼らを癒やすこともないように。」

イエス様は、「あなたがたに光があるうちに、光の子どもとなるために、光を信じなさい。」(36)と言われると、そこを立ち去り、彼らから身を隠されました。イエス様はこれほど多くのしるしを行われたのに、彼らはイエスを信じなかったからです。奇跡が行われればだれでも信じるのかというと、そうではありません。奇跡が行われても、信じない人はたくさんいます。なぜ彼らは信じなかったのでしょうか。

ヨハネはその理由を、旧約聖書のイザヤ書の預言を引用してこう説明しています。38節、「それは、預言者イザヤのことばが成就するためであった。彼はこう言っている。「主よ。私たちが聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕はだれに現れたか。」「私たちが聞いたこと」とは、神の救いに関する良い知らせのことです。このすばらしい救いの知らせを、いったいだれが信じたでしょうか。だれも信じませんでした。なぜでしょうか?なぜなら、この時のイエスの姿が、彼らが想像していたメシア像とはあまりにもかけ離れていたからです。彼らが信じていたメシアとは、イスラエルを政治的にも、軍事的にも復興してくれる方でした。ローマ帝国の支配から自分たちを解放してくれる政治的メシアです。それなのに、イエスはそうではなかったので、受け入れることができなかったのです。

それはどの時代も同じです。どんなに福音を語っても、人々は信じようとしません。人々が求めているのはいやし、力、栄光、祝福、成功、繁栄といったものだからです。そのような話には魚が餌に飛びつくように飛びつきます。この近くに「幸福の科学」という新興宗教の四番目の総本山と言われている那須精舎がありますが、家の工事をしてくれた工務店の方がその施設の外構工事をしたらしく、「まあ、たまげた」と言っていました。内装は全部、金!どうしたらあんなふうになれるのか・・・と。最近は学校まで作って、教育しているということですが、そのような栄光、繁栄、成功といった幸福には関心があっても、見るかぎりみすぼらしいように見えるものには見向きもしません。みんな去っていきます。

それは驚くことではありません。イエス様が生まれる700年も前に、イザヤという預言者によってちゃんと預言されていたことだからです。いくらイエス様が多くの奇跡を行ったとしてもユダヤ人が信じないのは、そのように予め預言されていたことであり、別に不思議なことではないのです。

でも、いったいなぜ彼らは信じなかったのでしょうか。ヨハネはそのことを説明して、続く40節でこのように言っています。「主は彼らの目を見えないようにされた。また、彼らの心を頑なにされた。彼らがその目で見ることも、心で理解することも、立ち返ることもないように。そして、わたしが彼らを癒やすこともないように。」これもイザヤ書からの引用です。ヨハネはここでイザヤのみことばを引用して、その理由を述べたのです。それは、主が彼らの目を見えないようにされたからです。また、彼らの心を頑なにされました。それは、彼の目が見ることも、心で理解することも、立ち返ることもないためです。どういうことでしょうか。二つの意味があります。

一つは、これが神のご計画であったということです。すなわち、神は私たち異邦人を救うために、ユダヤ人の目を意図的に盲目にされたということです。これはユダヤ人に対する神様の特別な計画でした。私たち異邦人が神によって盲目にされたり、頑なにされたりすることはありません。もし私たち異邦人が盲目にされるということがあるとしたら、それはこの世の神であるサタンがその目をくらませて、福音の輝きを見ることができないようにしているからです(Ⅱコリント4:4)。ですから、これはユダヤ人に限って言える特別なことであって、それは、このように彼らの目が盲目になり、心が頑なにされることによって、福音が異邦人にもたらされるようになるためであったということです。このようなイスラエルの不信仰が、私たち異邦人の救いにつながったのです。これが神のご計画でした。これは驚くべき計画と言えます。これが、ローマ9~11章でパウロが語っていることです。パウロは同胞ユダヤ人の救いのために祈っていました。そのためなら、自分自身がキリストから引き離されて、のろわれたものになっても良いとさえ言ったほどです(ローマ0:3)。それほどにイスラエルの救いのために祈っていましたが、肝心の彼らは、信じようとしませんでした。いったいなぜなのか?パウロはその理由を神から示されました。それは、異邦人の救いの時までであり、そのことによってイスラエルにねたみを引き起こし、その後でイスラエルを救われるということでした。「こうしてイスラエルはみな救われるのです。」(ローマ11:26)「こうして」とは、救いが異邦人にもたらされ、そのことによってイスラエルに救いがもたらされるということです。こうしてイスラエルはみな救われるのです。「神の賜物と召命は、取り消されることがないからです。」(ローマ11:29)何というでしょうか。だれがそのようなことを考えることができるでしょうか。だれもできません。しかし、神にはどんなことでもできるのです。神はイスラエルを救うために、まず異邦人に福音をもたらし、その残りの民を通してイスラエルを救おうと計画しておられたのです。そのために神は、彼らの目を見えないようにされたのです。彼らの心を頑なにされました。

もう一つのことは、この「頑なにされた」というのは、神がそのようにされたということではなく、結果としてそのようになったということです。たとい目覚ましい奇跡が成されようと、真理が語られようと、それに対して素直になろうとしないなら、その人の心は頑なになり、その頑な心のままでいると、遂には神から見捨てられてしまうことがあるということです。その良い例が、出エジプト記に出てくるエジプトの王ファラオです。昔イスラエルがエジプトに捕らえられていたとき、神はモーセを通して彼らを救い出そうと、彼をファラオの所に遣わしました。しかし、ファラオは神のしもべモーセの要求を拒み続けたので、遂には神によって心を頑なにされました(出エジプト9:12,10:1,20,11:10)。それは神がファラオの心を無理矢理に頑なにされたということではありません。神が何度言っても聞かなかったので、神は彼の心を頑ななままにされたということです。それはちょうど言うことを聞かない子供に対して、親が言う言葉のようです。何度言っても子ども言うことを聞かないと、親はこう言うのではないでしょうか。「だったら勝手にしなさい」ここで言われていることはそういうことです。神がファラオの心を頑なにしたという意味です。神がどんなに言ってもどんなに促してもそれを受け入れないと、神はそのままにされ遂には神のあわれみが取り去られてしまうことになるのです。

ですから、もしあなたがどこまでも神に反抗し続けるなら、神はファラオにしたように、あなたの心も頑なにされるのです。「私は天国なんて行きたくない。地獄に行くんだ」と言うなら、そして、それをどうしても曲げないというのなら、神はその意志を何度も確認した上で、遂にはそれを追認せざるを得ないのです。「そうか、わかった。仕方ない」と。神は一人も滅びることを願わず、すべての人が救われることを望んでおられますが、もし私たちが心を頑なしてそれを受け入れず、拒み続けるなら、神はそのことを認めざるを得ないのです。神がそうしたいのではありません。自分でそのように選択したのです。ですから、「そんなはずはない」とか、「そんなのはずるい」というのは子どもじみた言い訳にすぎませんもしあなたが頑なになりたくないと思うなら、神はあなたの思いを尊重して、あなたの心を柔らかくしてくださいます。ですから、一度頑なな思いをもったらもう二度と柔らかな心を持つことはできないということではないのです。今信じられないから、もう二度と信じることができないということではありません。私たちが望みさえすれば、神はいくらでも働いてくださり、私たちの心を柔らかくしてくださいます。私たちの心を清めてくださり、私たちを罪から救ってくださるのです。そうでないと、逆にもっと頑なにされて、信じる機会を完全に失ってしまうことになります。それがここで言われている「主は彼らの心を頑なにされた」ということなのです。

それは、まだイエス様を信じていない人だけのことではなく、すでにイエス様を信じた人たちにも言えることです。神はみことばを通して「こうしなさい」とか、「ああしなさい」と語っておられますが、その言葉を聞く度にそれに従わないでいると、もっと心が頑なになって、次に聞く時には従うのがもっと難しくなります。ですから、私たちはいつも柔らかな心をもって、神のみことばに聞き従うことが求められているのです。

Ⅱ.人からの栄誉よりも、神からの栄誉を(41-43)

次に、41~43節をご覧ください。まず、41節だけをお読みします。「イザヤがこう言ったのは、イエスの栄光を見たからであり、イエスについて語ったのである。」

ヨハネは、イザヤの預言を引いてきて彼らが信じない理由を説明していますが、イザヤがそのように言ったのはどうしてか、その理由をこのように言いました。イザヤが実に言いにくいことをはっきりと言うことができたのは、イエスの栄光を見ていたからであるというのです。どういうことでしょうか。ここでヨハネが引用したのはイザヤ6:10節の御言葉ですが、その前の6:1~4節にこうあります。
「ウジヤ王が死んだ年に、私は、高く上げられた御座に着いておられる主を見た。その裾は神殿に満ち、セラフィムがその上の方に立っていた。彼らにはそれぞれ六つの翼があり、二つで顔をおおい、二つで両足をおおい、二つで飛んでいて、互いにこう呼び交わしていた。「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満ちる。」その叫ぶ者の声のために敷居の基は揺らぎ、宮は煙で満たされた。」

ウジヤ王が死んだのは紀元前740年です。その年にイザヤは預言者としての召しを受けましたが、当然、その時にはまだイエス様は生まれていませんでした。ですから、イザヤが見たのは「高く上げられた御座に着いておられる主」だったのです。それなのに、「イザヤがこう言ったのは、イエスの栄光を見たからであり、イエスについて語ったのである。」とヨハネが言っているのは、この主こそ受肉前のイエスご自身であり、この方がただの人間ではなく、栄光に輝いておられた主であったと、彼が信じていたからです。というのは、ズバリ聖書の中心はイエス・キリストだからです。聖書を通してイエス・キリストを見るなら、そこにイエスの栄光を見ることができますが、そうでないと、イエスの栄光を見ることはできません。そのような信仰は、たとえイエスを信じているとはいっても弱いものであり、何かあるとすぐにぐらついてしまうことになります。この世の力にすぐに屈してしまうのです。その良い例が42~43節に見られる議員たちの信仰です。ここには、「しかし、それにもかかわらず、議員たちの中にもイエスを信じた者が多くいた。ただ、会堂から追放されないように、パリサイ人たちを気にして、告白しなかった。彼らは、神からの栄誉よりも、人からの栄誉を愛したのである。」とあります。

「しかし、それにもかかわらず」とは、その前の節までのところで語られていた内容を受けてのことです。37節には、イエスがこれほど多くのしるしを彼らの目の前で行われたのに、彼らはイエスを信じませんでした。「しかし、それにもかかわらず」です。それにもかかわらず、議員たちの中にもイエスを信じた者が多くいました。この「議員たち」とは、「サンヘドリン」という71人で構成されていたユダヤの最高議会の議員たちのことです。ですから、ユダヤでは超エリートの人たちでした。日本でいえば東大の教授であり、最高裁の判事であり、衆議院の議員であるといった人たちです。そういう議員たちの中にもイエスを信じる者たちが多くいました。あのニコデモはそうでした。また、アリマタヤのヨセフもそうです。そういう人たちが結構いたのです。しかし、そのような人たちの中には、会堂から追放されないように、パリサイ人たちを気にして、信仰を告白しない人たちもいました。どういうことですか?信じてはいたが、告白していなかったということです。つまり、純粋に信じていなかったということです。というのは、人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるからです。ローマ10:9~10には、「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」とあります。皆さん、どうすれば人は救われるのですか。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。心で信じているというだけではだめです。信じているけれど、そのことを誰にも言っていませんというのは違います。私たちが神と証人の前で洗礼、バプテスマを受けるのはそのためです。私たちがイエスを主と信じたら、それを神と人の前に告白する、それが洗礼式です。人の前で証をしたり、水に浸るのは恥ずかしいと感じるかもしれませんが、それは信仰を告白することなのです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるからです

イエス様はマタイ10:32節でこう言われました。「ですから、だれでも人々の前でわたしを認めるなら、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。」この「認める」という言葉のギリシャ語は「告白する」と同じ原語の「ホモロゲオー」です。イエスを人々の前で認めるなら、イエスも父の前でその人を認めてくださいます。すなわち、救われるということです。そうでないと救われません。というのは、この「告白する」ということの反対が「拒否する」とか「否定する」ことだからです。告白しない者は救われません。それは本物の信仰ではないからです。

彼らはイエスを信じたのに、なぜ告白しなかったのでしょうか。ここには「パリサイ人たちを気にして」とありますが、新改訳第三版では「はばかって」と訳しています。口語訳も新共同訳も同じです。「はばかって」です。パリサイ人たちをはばかって、気にして、告白しませんでした。なぜなら、告白しようものなら、会堂から追放されてしまうからです。そのことを恐れたのです。会堂から追放されるということは、ユダヤ社会から締め出されることを意味していました。自分たちの身分や特権、名誉、さらにはこれまで蓄積、家族もみんな失ってしまうことになります。そうなったら生きていくことさえできません。彼らはそのことを恐れたのです。どうして彼らはそのことをそんなに恐れたのでしょうか。それは43節にあるように、神からの栄誉よりも、人からの栄誉を愛していたからです。この「栄誉」と訳されている言葉は「イエスの栄光」と訳された「栄光」と同じ言葉です。彼らはイエスの栄光を見ていたのではなく、自分の栄光を見ていました。だから、人々の目を気にして、公然と信仰の告白ができなかったのです。この世の人々からの目がこわいというのは、人からの栄誉を愛しているからです。そういう人は周囲の人々からよく思われることばかり気にしているので、確かな信仰を持つことが難しいのです。

あなたはどうですか。人からの評判を恐れていませんか。周囲の人々との関係を悪化させたくないと、周囲の人々の目を気にして、それに合わせるようなふるまいをしてはいないでしょうか。人からの栄誉を受けることを願う人は、神からの栄誉を期待することはできません。なぜなら、イエス様はこのように言われたからです。「だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません。」(マタイ6:24)
また、ヤコブの手紙にはこうあります。
「節操のない者たち。世を愛することは神に敵対することだと分からないのですか。世の友となりたいと思う者はだれでも、自分を神の敵としているのです。」(ヤコブ4:4)
「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪人たち、手をきよめなさい。二心の者たち、心を清めなさい。」(ヤコブ4:8)

ですから、私たちはイエスの栄光を見なければなりません。栄光に輝いたイエス・キリストを見るとき、人からの栄誉や、朽ちていくこの世の栄光、この世の栄誉などを求めることの愚かさを、主は分からせてくださいます。

南米エクアドルで宣教したジム・エリオットという宣教師がいます。彼は1956年このエクアドルのアウカ属に伝道している時に、惨殺されました。アウカ族というのはとても戦闘的な民族で、彼と共に4人の宣教師がその時殉教しました。この時ジム・エリオット29歳でした。その彼が書いた日記が発見されましたが、その日記の中にこう書いてありました。「失うことができないものを得るために持ち続けることができないものを手放す者は、愚かな者ではない。」
「失うことができないもの」とは永遠のいのちのことですが、失うことができないものを得るために、この世のものを手放すことができる者は愚かな者ではありません。事実、彼らの殺害に関わった5人のアウカ族のインディアンのうち3人が、その後イエス・キリストを信じて、アウカ族の教会の指導者になりました。
そして、このジム・エリオットが殺された2年後に、彼の妻と幼い娘がアウカ族に伝道するために出かけて行きました。なぜ、アウカ族の人たちは夫を殺したのかを尋ねると、白人は人食い人種だと聞かされていたので、自分たちの身を守るためにそのようにしたということがわかりました。それで妻は彼らを許し、キリストの福音を伝えました。それでアウカ族の人たちはビックリして、奥さんと娘が何かを伝えるためにやって来たというが、それは信じるに値すると、多くの人たちがイエス様を信じました。
生前ジム・エリオットは、「主よ、私を世界のためのささげものとしてください。私の血は、あなたの祭壇の前に流される時に価値あるものとなるのです。」と言っていましたが、まさにその言葉の通りに、彼の流された血が価値あるものとなったのです。それはイエス様が12:24節で語られたことでもありました。「まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」

議員たちは持ち続けることができないものを愛しました。それが人からの栄誉であり、地位や名誉や財産というこの世の物でした。しかし、そのようなものを愛するなら、神を愛することはできません。人からの栄誉ではなく、神からの栄誉を愛するなら、あなたは揺るぎない信仰を持つことができるのです。

Ⅲ.大きな声で(44-50)

最後に44~50節を見たいと思います。
「イエスは大きな声でこう言われた。「わたしを信じる者は、わたしではなく、わたしを遣わされた方を信じるのです。また、わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのです。わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれも闇の中にとどまることのないようにするためです。だれか、わたしのことばを聞いてそれを守らない者がいても、わたしはその人をさばきません。わたしが来たのは世をさばくためではなく、世を救うためだからです。わたしを拒み、わたしのことばを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことば、それが、終わりの日にその人をさばきます。わたしは自分から話したのではなく、わたしを遣わされた父ご自身が、言うべきこと、話すべきことを、わたしにお命じになったのだからです。わたしは、父の命令が永遠のいのちであることを知っています。ですから、わたしが話していることは、父がわたしに言われたとおりを、そのまま話しているのです。」」

ここには、「イエスは大声でこう言われた。」とあります。イエス様がこのように大声で言われるというのは珍しいことで、先ほども申し上げたように、このヨハネの福音書においては4回だけです。そして、これがその最後の箇所となります。いったいなぜ大きな声でいわれたのでしょうか。それは先ほど述べたように、それが重要なことであり、それを聞いていた人たちに何とか理解してほしかったからです。では、その内容とはどのようなものだったのでしょうか。

イエス様はまず、「わたしを信じる者は、わたしではなく、わたしを遣わされた方を信じるのです。また、わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのです。」(44-45)と言われました。イエス様は、これまでもご自分とご自分を遣わされた父なる神が一体であることを述べてこられましたが(8:16,10:30)、ここではそのことをもう一度確認されました。。
また、46節には、「わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれも闇の中にとどまることのないようにするためです。」とありますが、これも8:12や12:35節で語られてきたことです。8:12には、「イエスは再び人々に語られた。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」とあります。また12:35にも「そこで、イエスは彼らに言われた。「もうしばらく、光はあなたがたの間にあります。闇があなたがたを襲うことがないように、あなたがたは光があるうちに歩きなさい。闇の中を歩く者は、自分がどこに行くのか分かりません。」とあります。
また47節の「だれか、わたしのことばを聞いてそれを守らない者がいても、わたしはその人をさばきません。わたしが来たのは世をさばくためではなく、世を救うためだからです。」という言葉も、あの有名なヨハネ3:16を彷彿とさせるものです。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」
さらに、49~50の御言葉も8:26の御言葉と同じです。「わたしには、あなたがたについて言うべきこと、さばくべきことがたくさんあります。しかし、わたしを遣わされた方は真実であって、わたしはその方から聞いたことを、そのまま世に対して語っているのです。」
ですから、ここには真新しいことは特にありません。これまで語ってこられたことを繰り返して語られたのです。なぜなら、彼らはイエスを信じなかったからです。彼らは、イエスがこれほど多くのしるしを行われたのに信じませんでした。そんな彼らの頑なな心を嘆きながら、今、最後にもう一度彼らがイエスの言葉を受け入れるようにと招いておられるのです。

12:36のところで、イエス様は、「自分に光があるうちに、光の子どもとなれるように、光を信じなさい。」と言われました。私たちは、光があるうちに、光がはっきり見えているうちに、光の子どもとなれるように、光を信じなければなりません。
私たちの人生には時があり、波があります。明るい時代があり、暗い時代があります。平穏な時があり、困難な時があります。私たちはさまざまな時の中を生きているのです。もっとも平穏な時、困難の少ない時が、光がある時というわけでもありません。ここで言う「光」というのは、この世の「光」のことではないからです。それは、イエス・キリストのことです。この光があるうちに、光の子どもとなるために、光を信じなければなりません。

光が見えるとか、見えないというのは、一種の状態でしょう。しかし、その光を信じるということは、状態ではなく決断なのです。私たちは、この光を自分のうちにお迎えする。この光と共に歩むという決断をするのです。その信仰の決断をする時に、それが自分の中で積極的な意味を持ってくるようになるのです。

そのチャンスはいつもあるわけではありません。ちょうど電車が向こうからやってくるようなものでしょうか。それが自分の前に来た時に、私たちは無意識であるかも知れませんが、それに乗るか乗らないかの決断をしなければなりません。そこで乗らなければ、電車は自分の前から過ぎ去ってしまいます。次の電車まで待つという決断をすることもあるでしょう。しかしもう来ないかも知れないのです。困難の中でイエス・キリストに救いを求めて、その時は一条の光がそこに見えていた。しかしその困難が過ぎ去った時には、他にもいろんな光が見えてきた。そうすると、逆にイエス・キリストの方の光がくすんで見えなくなってしまった、ということはしばしばあることです。その時を逃してはなりません。確かに「今は恵みの時、今は救いの日です。」(Ⅱコリント6:2)

あなたは、この光を信じましたか。この恵みの時、救いの日に、光であられる主イエス・キリストを信じてください。「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。」(ローマ10:9)
これがイエス様の願いであり、最後の叫びです。イエス様は大きな声で言われました。どうかイエス様の大きな声に信仰をもって応答してください。今こそイエス・キリストを私の救い主として信じる時なのです。