きょうは、創世記11章の「バベルの塔」から学びたいと思います。
Ⅰ.バベルの塔(1-9)
まず、1-9節をご覧ください。4節までをお読みします。「11:1 さて、全地は一つの話しことば、一つの共通のことばであった。11:2 人々が東の方へ移動したとき、彼らはシンアルの地に平地を見つけて、そこに住んだ。11:3 彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作って、よく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを、漆喰の代わりに瀝青を用いた。11:4 彼らは言った。「さあ、われわれは自分たちのために、町と、頂が天に届く塔を建てて、名をあげよう。われわれが地の全面に散らされるといけないから。」」
1節には、「全地は一つの話しことば、一つの共通のことばであった。」初めは地球上には一つのことばしかありませんでした。それがヘブル語であったのか、アラム語であったのかわかりませんが、全地は一つのことば、一つの話ことばしかなかったのです。それはどういうことを表しているのかというと、誠心生活が一つであったということです。たとえ彼らの中に堕落している者たちがいたとしても、同じことばで、自分の思いと考えを伝えることができたのです。
ところが、それが変わり始める出来事が起こります。2節をご覧ください。「そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。」とあります。このシヌアルの地というのは、10章8~10節に記されてある世の権力者ニムロデの国にありました。ニムロデとは、ハムの子クシュの子どもです。クシュとはエチオピアのことですから、彼らの多くはエジプトへと移住した民族のことですが、このニムロデは違いました。彼は、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住したのです。それはどこかというと、バビロンのことです。その平野に定住したということは、彼らはそこに心の拠り所を得ようとしたのです。ノアの箱舟以来、人々が拠り所としていたのは神のことばであったはずなのに、いつしか彼らは神のことばではなく、そうした地理的優位さを安心の拠り所にするようになっていたのです。ですから、彼らは互いに次のように言ったのです。3~4節です。
「彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにレンガを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。そのうちに彼らはこう言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」
瀝青とはアスファルトのことです。彼らは石の代わりにれんがを、漆喰の代わりにアスファルトを用いるようになりました。アスファルトを用いたり、塔を造ったりすること自体は問題ではありませんが、彼らはそれで自分たちの名をあげようとしたのです。それが問題でした。人間はこうしたアスファルトのようなものを発見し用いたりすると、自分たちの手のわざを誇るようになります。自分が神にでもなったかのように高ぶってしまうのです。「天にまで届く塔」とはそういう意味でしょう。彼らは公然と神を無視し、神に対抗しようとしました。彼らは愚かにも自分たちの力、自分たちの手で、神のさばきを防げるとさえ思ったのです。
神がアダムとエバに、そして、ノアに与えた命令とはどんなことだったでしょうか。創世記1章28節、9章1~2節には、「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地にあるすべてのものを支配せよ。」ということでした。神様は、人間が一箇所に集まって満足することだけを願っておられませんでした。神様のみこころはそのように互いに集まって一つになるだけでなく、そこで励ましと力を受けて全地に満ち、地にあるすべてのものを支配することだったのです。神様は彼らが一箇所に凝り固まって住なら、すぐに神様とそのみこころを忘れてしまうということを知っておられたのです。案の定、彼らはこのシヌアルの地に定住し、そこで次々に文明の力を発見し、生活が便利になって来ると、いつしか自分たちの力を誇るようなってしまいました。しかし、神のみこころは地に満ちることです。もし福音を満たすために出て行こうとしなければ、神様は別の方法でそのように導かれます。あの使徒の働きを見てください。神様のみこころは、エルサレムからユダヤ、サマリヤ、および地の果てまで主の証人になることでした。しかし、彼らはなかなか出ていこうとしませんでした。そこにとどまっていた方が安心感があるからです。わざわざ冒険してまで出て行こうとはしませんでした。その結果、神様はどんなことをされましたか。神様は迫害を与えました。なかなか重い腰をあげない彼らがそうせずにはいられないように迫害を与えて散らされたのです。ピリポはサマリヤに、別の人たちはアンテオケまで進んでいきました。そして、そのアンテオケからパウロとバルナバが全世界に遣わされて行ったのです。14年前に東日本大震災が起こりました。津波によって多くの命が奪われ、原発事故によって各地にさらされていきました。いったいなぜあのような悲惨な災害がおこったのでしょうか。わかりません。ただ一つだけ言えることは、そのことによって散らされた人たちがキリストの証人として、各地へ遣わされて行ったことです。そこには人のすべての考えにまさに神の深いご計画があったのです。
この時もシヌアルの平地で、アスファルトまで作って、れんがも作って、文明がどんどん発達し、生活も安定していく中で、人々はその中にとどまろう、とどまろうという思いがありました。それ自体は問題ではないのですが、そのように内に凝り固まっていくうちに、彼らの考え方や思いも凝り固まってそこから出られなくなってしまっただけでなく、いつしか彼らは自分たちの手のわざを誇るようになり、神様を無視し、自らが神になったかのように高ぶっていたのです。それが問題でした。神様のみこころは一つとなること、そして出て行くことだったのです。それなのに彼らは地の全面に散らされることを受け入れられませんでした。そこにとどまり、頂が天に届く当を建てようとしたのです。
すると神様はどうされたでしょうか?5~7節をご覧ください。「そのとき主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」
バビロンの町と塔が、彼らの思惑通りに進捗していたとき、神は行動を開始されました。神はどんなことでも決して見逃される方ではありません。まさにそのとき、人間が建てた町と塔をご覧になられるために降りて来られたのです。それはこれまでのことを神様が知らなかったということではなく、それまでのすべてのことをご存知であられましたが、神の時が来るまで、待っておられたということです。
町はその面積を増し、塔はその高さを加えつつあり、人々が会心の笑みをもって眺めていたまさにそのとき、突如として神が仰せられました。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」
一致団結するということは、人が何かをする場合とても大切なことですが、その団結が間違ったことのために用いられるとしたそれもまた悲惨なことです。彼らが一つの民、一つのことばで、精神生活が一つであったということはすばらしいことでしたが、それを用いて、神に反逆するとしたら、それほどひどいことはありません。ですから、神はそれができないように立ち上がられたのです。どのように?神様は降って行かれ、彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしたのです。「悪いけど、石を取ってくれる?」「何?」「石」「何?」「石だでば・・・」「もういい。」なんだか私たち夫婦の会話のようです。ことばが通じないというのは辛いところがあります。互いの考えがかみ合わず、行動もすれ違い、その中が大混乱するのです。当然、仕事のつじつまは合わなくなりますし、しまいには怒り出す始末です。そしてついには人間関係が分裂してしまうのです。だからコミュニケーションというのは、とても大切なのです。ことばが通じ合ってもコミュニケーションがうまくいかないと、互いの信頼関係にもひびが入ってきます。そのような結果が生じたのです。神様は彼らのことばを混乱させたので、彼らは互いにことばが通じ合わないようになってしまったのです。
その結果、どうなったでしょうか。8~9節です。「こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。」
彼らはその町を建てるのをやめ、そこから地の全面に散らされて行きました。それは、人間の力がどれほど偉大であっても、神様のさばきを防ぐことはできないということです。神の力はどんな人間の力よりもはるかにまさっているのです。人は事に失敗するまで、このことが本当にわかりません。まさに霊的盲目です。いや、たとえ事に失敗しても、このことに気づく人はあまり多くはいません。大抵は今までやっていたことを止めるだけで、そのことから本当の意味で悟ることは難しいのです。人は神様によって霊のまなこを開いてもらうまでは本当に盲目で、その真意を悟ることができないのです。
それゆえ、その町の名は「バベル」と呼ばれました。「バベル」とは、「神の門」という意味です。バビロンの人たちは、この塔を自分たちの手で天に届くように、自分たちの手で天国に行けるようにと名付けましたが、そうした人間の高慢さを見られた神は彼らのことばを混乱させ、ヘブル語で「混乱する」という意味の「バベル」と呼ばれたのです。
このバベルの塔の話は、私たちに重要な教訓を与えてくれます。それは、人間が一つになるという問題についてです。人間は、しばしば一つにならなければならない必要に迫られます。そして一つになるために多くのことを考えます。また一つの同じ目的のもとに、同じ働きをすれば一つになれると考えますが、それは違います。それこそバベルの塔の建設にほかなりません。私たちが一つになれるのは聖霊によってであって、そうでなかったら必ず失敗することになるのです。人間的に一つになろうとしても、自己中心的な者たちが自分たちで一つになろうとしたら、そこには必ずほころびが生じます。しかし、キリストの十字架によって一つになっていくとき、そこに完全な一致と調和が生まれてくるのです。というのは、神が一つにされるからです。エペソ2:14-16
あのペンテコステの出来事はまさにそのことを物語っているのではないでしょうか。人間は罪によって神に逆らい、人間関係の中に分裂が生じましたが、神様は聖霊によってその分裂を一つにされたのです。一同が聖霊に満たされることによって、一つにされたのです。現代社会におけるイデオロギーを始めとしたあらゆる種類の対立も、聖霊によって一致する以外に真の解決の道はないのです。
Ⅱ.セムの歴史(10-26)
次に10~26節をご覧ください。「11:10 これはセムの歴史である。セムは百歳のとき、アルパクシャデを生んだ。それは大洪水の二年後のことであった。
11:11 セムはアルパクシャデを生んでから五百年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
11:12 アルパクシャデは三十五年生きて、シェラフを生んだ。
11:13 アルパクシャデはシェラフを生んでから四百三年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
11:14 シェラフは三十年生きて、エベルを生んだ。
11:15 シェラフはエベルを生んでから四百三年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
11:16 エベルは三十四年生きて、ペレグを生んだ。
11:17 エベルはペレグを生んでから四百三十年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
11:18 ペレグは三十年生きて、レウを生んだ。
11:19 ペレグはレウを生んでから二百九年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
11:20 レウは三十二年生きて、セルグを生んだ。
11:21 レウはセルグを生んでから二百七年生き、息たち、娘たちを生んだ。
11:22 セルグは三十年生きて、ナホルを生んだ。
11:23 セルグはナホルを生んでから二百年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
11:24 ナホルは二十九年生きて、テラを生んだ。
11:25 ナホルはテラを生んでから百十九年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
11:26 テラは七十年生きて、アブラムとナホルとハランを生んだ。
これはセムの歴史です。この系図を見てまず気がつくことは、5章に記されてある系図と比べてみると、5章の方にはそれぞれの人を「そして彼は死んだ」という悲しいことばで結んでいるのに対して、ここにはそのような「そして彼は死んだ」というようなことばは一切ありません。「生んだ」ということばで終わっています。これはどういうことでしょうか?「生んだ」ということばから考えると、9章1節のところで洪水後のノアに対して神が、「生めよ。ふえよ。地を満たせ。」と言われた神の祝福を思い出します。そうです。この「生んだ」という表現は、神の祝福を表しているのです。そしてこれがバベルの塔の事件の後に記されてあるということは、バベルの人々が神に敵対し強制的に散らされて混乱に陥ったのと異なり、セムの子孫は、神の約束の通りに、そこには秩序があり、順調に増えていったということが示されているのです。あのバベルの時のように「頂きが天に届く塔を建て、名をあげよう」というように、神様よりも自分たちの考え、自分たちの思い、自分たちの手のわざを誇るようになると、そこには混乱が生じてまいりますが、セムの歴史に代表される信仰の道、神に従って生きる人生には、秩序と祝福が生まれるのです。
14節に注目してください。ここには「シェラフは三十年生きて、エベルを生んだ。」とあります。 ここにエベルが生まれます。「エベル」という名は「ヘブル」という語の起源になっている言葉です。すなわち、ここからヘブル人が出ました。しかもこの後10章の系図にはエベルにはペレグとヨクタンという子どもが生まれたことがわかりますが、この11章の系図にはヨクタンのことは記されておらず、ペレグの子レウへとつながっているのです。これはどういうことかというと、この系図は10章の系図とは違い、セムからエベル、そしてアブラハムへとつながっていく系図を示しているのです。すなわち、神の選びがアダムからセツ、ノア、セム、アルパクシャデ、エべル、ペレグ、そしてアブラハムに次第にせばめられている様子が描かれているのです。そして12章からの神の選民の歴史の始まり、アブラハムへとつながっていくわけです。ですから、ここにはそのアブラハム以前の歴史がどうであったのかを、このセムから始まる系図の中に記していたのです。そして、この系図の中に私たちもまたいるのです。今の時代を生きる私たちはみな、選ばれた者の系図の終わりに記録されているのです。自分が救いの歴史の中にいると確信して歩めることは何と幸いなことでしょうか。単に目に見える現象にとらわれることなく、神の国全体の視点の中で生きることができるからです。
Ⅲ.テラの歴史(27-32)
最後にテラの歴史を見ていきましょう。テラと言ってもお寺の寺ではありません。27~32節をご覧ください。「11:27 これはテラの歴史である。テラはアブラム、ナホル、ハランを生み、ハランはロトを生んだ。11:28 ハランは父テラに先立って、親族の地であるカルデア人のウルで死んだ。11:29 アブラムとナホルは妻を迎えた。アブラムの妻の名はサライであった。ナホルの妻の名はミルカといって、ハランの娘であった。ハランはミルカの父、またイスカの父であった。11:30 サライは不妊の女で、彼女には子がいなかった。11:31 テラは、その息子アブラムと、ハランの子である孫のロトと、息子アブラムの妻である嫁のサライを伴い、カナンの地に行くために、一緒にカルデア人のウルを出発した。しかし、ハランまで来ると、彼らはそこに住んだ。11:32 テラの生涯は二百五年であった。テラはハランで死んだ。」
セツから始まった系図はエベル、ペレグと続いてテラまで続きます。ここから12章のアブラハムの生涯が始まります。そういう意味ではこれは「アブラハムの歴史」なのに、ここには「テラの歴史」という表題がつけられているのでしょうか。それはこのアブラハムがテラの子どもであり、彼の家族の中から選ばれた者であるということを描こうとしているからです。アブラハムの生涯において重要なことは彼が最初から特別な家族の中にいたのではなく、異教的なテラの家庭の中からいて、その中から選ばれた者であるということです。それはヨシュア記24章2~節を見るとわかります。テラは他の神々に仕えていたのです。確かにウルとハランは月礼拝の中心地であったと言われています。テラたちはカナンに向かって移住したはずなのにハランに住み着いてしまったというのは、この偶像礼拝と関係があったからではないでしょうか。そうした中から神様はアブラハムを選ばれたのです。そして、やがて約束の地カナンへと導かれた。それがここで言われていることです。アブラハムの信仰の出発点は、こうした異教的な家庭にあったのです。
そういう意味では、私たちもまた最初からキリスト教の環境の中にあったのではなく、アブラハムと同じように偶像に縛られた異教的な背景の中から出た者です。そんな私たちが救われたのはただ神様の一方的な恵み、神様の選びによるものでしかありません。それが信仰の出発点なのです。そのことを覚えながら、そうした虚しい偶像の中から行ける神様に立ち返るようにしてくださった神の恵みに感謝して、神の示される道を歩む者でありたいと思います。