Ⅰペテロ5章12~14節 「神の恵みの中に立っていなさい」

 これまで21回にわたり、ペテロの手紙第一を学んできました。きょうは、その最後のメッセージとなります。ペテロは、これまでポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジア、ビデニヤに散って寄留していたクリスチャンたちに対して、試練の向こう側にある救いの喜びを見据えながら、励ましの言葉を語ってきました。その最後のところで彼は、「これが神の真の恵みである」と語り、この恵みの中に、しっかりと立ち続けているようにと勧めるのです。

 Ⅰ.真の神の恵み(12a)

 まず12節の前半をご覧ください。ここには、「私の認めている兄弟シルワノによって、私はここに簡潔に書き送り、勧めをし、これが神の真の恵みであることをあかししました。」とあります。

「シルワノ」とは、使徒の働きにおけるシラスのことです。使徒の働き15章のエルサレム会議では、異邦人キリスト者が割礼を受けなければならないかどうかを議論し、結果として割礼を受けなくても構わないことが決議されたとき、その知らせをパウロやバルナバとともにアンテオケ教会に報告する重要な任務を担ったのが、このシラスです(使徒15:22)。その後、彼はパウロとともに第二次伝道旅行に遣わされ、教会開拓のためにパウロの片腕として働きました。その後、どのような経緯によってかは分かりませんがペテロと行動を共にするようになり、ペテロが信頼した忠実な兄弟となっていたのです。ペテロはここで、この手紙はシルワノによって書き送られたと言っています。この表現は、ペテロが語ったことをシルワノが書き留めたというだけでなく、シルワノが持っていた卓越した信仰と語学の賜物をもって、この手紙が書き記されたということを表しています。おそらく、ペテロが語った要点をシルワノが聞いて、それをまとめたのでしょう。その後でこの手紙を書き終えるにあたり、この12節から終わりまでの最後のあいさつの部分だけを、ペテロが自筆で書き加えたのではないかと考えられています。ですから、11節の終わりに「アーメン」という言葉があるのです。本当はここで終わっていてもよかったのですが、ここからペテロが自筆で、「この手紙はシルワノがいてくれたからこそ、書き送ることができたのだ」と言っているのです。ペテロにとってシルワノは単なる同労者であったと言うだけでなく、なくてはならない信仰の友であり、支えであり、励ましであったことがわかります。

互いに支え合える信仰の友がいるということは、何と素晴らしいことでしょうか。キリストを中心に置いた、互いの愛の励ましは、強い信頼関係で結ばれているがゆえに、大きな益をもたらしてくれます。年齢も、性別も、性格も全く違う者同士がキリストにあって一つとなり、支え合うように導かれ、共に神に仕えることができるというのは、神の恵みと導き以外の何ものでもありません。

それゆえ、神によって導かれた信仰の友を大事にして、人間的な目で見るのではなく、キリストを中心とした霊のつながりを、神が支え合うように導いてくださった友として受け入れることが求められます。

そのシルワノによって書き送られた内容、勧めとはどのようなものだったのでしょうか。ここには、「これが神の真の恵みであることをあかししました」とあります。彼が書き送った内容は、神の真の恵みでした。恵みとは何でしょうか。恵みとは、受けるに値しない者が受ける賜物のことです。言い換えると、自分の力、知恵、才能、意志の強さ、努力、行いによっては得られない、ただ一方的に神からもたらされる恩寵のことです。

ペテロは、この手紙の中で、神の恵みについて9回も言及してきました。それは、この神の恵みに生きることが、キリスト者の生き方の中心であることを示すためです。ペテロが言いたかったことは、一言で言えば、神の恵みだったのです。あなたが強い信仰心をもって頑張って生きるというのではなく、神が一方的に与えてくださったこの神の恵みを味わい、その恵みを喜び、恵みの中を生きることが、信仰生活の中心だと言うのです。それは、夫婦の間でも、また、他のクリスチャン同士でも言える事です。そこに真の尊敬が生まれるのは、相手を「いのちの恵みをともに受け継ぐ者として」(3:7)見ているからです。嫌だなぁと思うこともあるでしょう。何でこんな人と一緒にいなければならないのだろうと嘆くこともあるかもしれません。しかし、私たちは互いに「いのちの恵みをともに受け継ぐ者として召された」ということを思うとき、逆に、そこに愛情とあわれみが溢れてくるのではないでしょうか。

その恵みはまず、私たちを罪の中から救い出してくださった神の救いの御業を通して現されました。神はそのひとり子イエス・キリストをこの世に送り、私たちの罪の身代わりとして十字架で死なれることによって、この方を信じる者を義と認めてくださいました。私たちが何かをしたからではなく、いや何もしないのに、何もできなくても、神の側でそのために必要なすべての代価を支払ってくださったのです。それは恵みではないでしょうか。私たちは、そのようにして救われたのです。それは一方的な神の恵みです。そのことをパウロはこう言っています。

「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、・・あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。・・キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。それは、あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜わる慈愛によって明らかにお示しになるためでした。あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」(エペソ2:1-9)

ここには、「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって」とあります。死んでいる者は何もすることができません。しかし、そんな者を神はあわれんでくださいました。神は、その大きなあわれみのゆえに、罪過と罪との中に死んでいた私たちをキリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。

このことを考える時、今年9月に行われたギターコンサートを思い出します。その中で池田宏里さんが、叔父さんの救いについて証してくれました。この叔父さんは池田さんが8歳でギターを始めた時の師匠で、徹底的にギターテクニックを叩き込んだ人です。そのおかげで、池田さんは15歳でソロデビューし、10代後半で6弦ギターから8弦ギターを弾きこなすまでになりました。ところが、池田さんが20歳の時、パタッと演奏活動を止めてしまうのです。それで20代から30代半ばまで約15年間の空白の時を経るのです。その原因は、この叔父さんにありました。この叔父さんはとにかく身勝手な人で、自分の好きなように生きていた人でした。演奏活動であちこちに行くと、そこでいろいろな女性と関係を持ったりしていましたが、それが自分の母親ともあったことを知り、ショックでギターを止めてしまうのです。
それからしばらく父親の実家の青森でリンゴの収穫の手伝いをしていたのですが、そのお昼休みに弾いていたギターの音を郵便配達の人が聞いて感動し、それが当時ノアという音楽ホールを経営していた奥様に伝わり、それで彼は信仰に導かれるとともに奥様と結婚するのです。しかし、経営していた音楽ホールが行き詰まり上京することになるとそこで新たな出会いが与えられ、東京フィルハーモニーオーケストラをバックに演奏するまでになりました。
一方、自分にギターを教えてくれたあの叔父さんはどうなったかというと、演奏でロシアに行ったときに出会った女性と結婚するも別れ、80歳を過ぎて日本に帰国するのですが、誰も身よりがいないということで池田さんのもとに連絡が入るのです。当初はあんなひどい叔父の面倒なんてみたくないと思いましたが、実際に会ってみると昔の面影がなくとても弱々しいというか情けなく見えたので、面倒をみてやることにしました。
叔父さんを入れる都内の老人施設を片っ端に電話しましたが、どこも空いておらず、ただ偶然にというか、神の導きによって救世軍の施設が空いており、その日だったら入所できるということで、入所させていただきました。
ところが、そこはキリスト教の施設でしょ、だからそこでは毎日礼拝があるわけです。そして、その礼拝に出席しているうちに、何とこの叔父さんがイエス様を信じちゃったのです。あれほどワルをしてきた人なのに、ただ「信じます」と言っただけで、罪から救われたのです。
池田さんはその時こう思ったそうです。「ああ、これがキリスト教の救いなんだ」と。叔父さんがかつてどれほど悪いことをしても、どれだけひどいことをしてきても、その罪を悔い改めてイエス様を信じるだけで救われるのです。これがキリスト教の救いなんです。
叔父さんが召される三日前に、もうすぐサントリーホールでコンサートがあって、何とかそこに来てほしいと思っていましたがそれが叶わなかったので、池田さんが師匠の所に出向いてコンサートをしました。

皆さん、これがキリスト教の救いです。主イエスを自分の罪からの救い主として信じるだけで救われるのです。あなたがこれまでどんなことをしてきたかとか、どんな業績を残してきたかとか、どんなに真面目に生きてきたかということと全く関係なく、自分の罪を悔い改めて、神の救いであられるイエス様を信じるだけで救われるのです。何という恵みでしょうか。

しかし、この神の恵みは、救いの恵みだけにとどまりません。10節には、「あらゆる恵みに満ちた方」とありますように、神は、あらゆる恵みに満ちた方です。ペテロがこのことをあえて強調しているのは、確かに罪の中から救われたことは恵みですが、神の恵みはそれだけにとどまらず、苦しい道を通されることもあれば、悪魔が野放しにされて厳しい戦いを強いられることもあるし、また、いろいろな問題で悩むこともありますが、そうした苦しいことも含めそれらすべてが神の恵みであるということです。

人間は、自分にとって良いと思えることしか恵みと感じ取ることができない身勝手な存在です。しかし、神の恵みは、よいと思えることも、悪いと思えることも、つらいことも、うれしいことも、すべてのことにおいて、示されるものです。なぜなら、神はそうしたすべてのことを働かせて、益としてくださるからです。

前回の祈祷会で、ヨシュア記15章から学びました。そこには、ユダ族がくじでイスラエルの南の地帯を相続地の割り当て地が与えられたことが記されてありました。せっかく最初に相続地の割り当て地を与えられたというのに、一番ひどい所が与えられました。イスラエルは北部によく肥えた緑の地が多く、南部に行けば行くほど岩や砂が多い荒地となっているのです。彼らが引き当てた地は最も環境が悪く、住むのにも適さない、農耕にも適さない、荒地だったのです。おそらく彼らは、「何という貧乏くじを引いてしまったんだ」「運が悪いなあ」と思ったことでしょう。しかし、そのような所であったがゆえに、彼らは偶像崇拝の悪しき影響から免れ宗教的な純粋さを保つことができたのです。北部の肥えた地は、確かに環境的には申し分がありませんでしたが、それに伴って農耕神、豊穣神と呼ばれるバアル宗教がはびこっており、こうした偶像との戦いを強いられることになったたからです。それゆえに、やがてイスラエルの北はアッシリヤに滅ぼされてしまうことになります。
それに対してユダ族は、こうした環境的困難さの故に、唯一の神、ヤハウェ信仰から離れることなく、常に純粋な信仰を保ち続けることができました。それだけではありません。この環境的困難さによって、ユダ族はさらに強くたくましい民族へと育て上げられて行きました。そして南イスラエルは、「南王国ユダ」と呼ばれるまでになったのです。すなわち、このユダ部族が南に住んでいた全部族を代表して呼ばれるほどに、強力な部族になっていったということです。

時として、私たちは、自分が望まない困難な状況に置かれることがありますが、そこにも神のご計画と導きがあるのです。ですから、自らの不遇な状況を嘆いて、「ああ、私は貧乏くじを引かせられた」と言って、自己憐憫になってはいけないのです。むしろ、その所こそ、主が私たちに与えてくださった場所だと信じて、主を賛美しなければなりません。

このように、自分の置かれている状況と全く関係なく、そこに生きて働いておられる神の恵みを覚えて感謝することができるということがクリスチャンに与えられている特権であり、信仰の醍醐味なのです。

新聖歌172番に、「望みも消え行くまでに」という讃美歌がありますが、この中には「数えてみよ、主の恵み」と歌われています。この曲を作曲したEDWIN.O.エクセルという人は、この歌の題を「Count your blessings」と名付けています。「Count your blessings」。文字通り、「あなたに賜った恵みの一つ一つを数えなさい」という意味です。この歌は詩篇103:2の「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」が元になっていますが、この賛美によって、どれほど多くの人が生きる希望を与えられたことでしょう。

その中の一人に、蒲田シオン教会の牧師をされておられた、砂山貞夫牧師の奥様の砂山節子先生という方がおられます。戦前、満州伝道の召命を受けた牧師たち数名が満州に赴きました。砂山貞夫牧師もその一人でした。しかしそれは、凄まじい困難や試練が待ち受ける過酷な道でした。節子夫人は、結婚前は宝塚歌劇団にいたこともある美しい方であったそうです。そんな方が、ご主人の伝道への熱い思いに従って、満州に渡り、伝道困難な熱河省興隆(ねっかしょうこうりゅう)、現在の河北省ですね、その地へと赴いたのです。
その伝道は困難を極めました。着任してから1年半後に、長男の正ちゃんがひどい下痢の末に天に召されました。十分な治療を受けられなかったからです。この時の体験を節子夫人はこう語っています。「興隆教会の最初の一粒の麦として、わが子が召されようとは。…皆で輪になって正の遺骸を興隆の河原で賛美のなかに火葬にふしましたときは、涙が溢れてたまりませんでした」
このような試練の中でも、少しずつ伝道の実が実り、信者が与えられていきました。ところが、戦局が悪化すると、ご主人の砂山牧師が召集され、戦場へと送られて行ったのです。残された節子夫人は女手一つで、娘3人を何とか育てます。
戦後、ご主人の砂山牧師は奇跡的に家族のもとに帰ってきますが、間もなく侵入してきた中国共産党の八路軍(はちろぐん、パーロぐん)によって連れ去られ、行方不明になってしまします。節子夫人は、ご主人の帰りを待って、興隆の地に残り続けました。村の女性たちと一緒にミシンかけ、糸をつむぎ、靴下作りで食いつないでいくという生活でした。「一粒のとうもろこしも、真冬に一かけらの石炭もない」ことがめずらしくなかったということです。
そんな窮乏生活のため、次女が栄養失調のため召されてしまいます。そして、節子夫人自身も栄養失調のため失明してしまうのです。
終戦から8年も経ってから、節子夫人は漸くご主人の帰りを待つことを諦めて、日本に帰る決心をします。日本に戻る引き揚げ船の甲板に立った時、節子夫人は暗澹(あんたん)たる思いに捕らわれたそうです。幼い娘二人を抱え、自分は目が見えなくなってしまった。あぁ、これから私は、一体どうやって生きていけばよいのだろうか。そう思った瞬間、止めどもなく涙が流れたそうです。涙の中で、必死になって祈っていた時、節子夫人の耳に聞こえてきた讃美歌がありました。
それがこの賛美歌でした。「数えよ 主の恵み、数えよ 主の恵み、数えよ 一つずつ、数えてみよ 主の恵み」。
この賛美歌の歌詞が、繰り返して節子夫人の耳に響いてきたのです。
「数えてみよ 主の恵み」。
「そうだ、私は目が見えなくても、まだ耳は聞こえる。口はしゃべることができる。手も、足もある。そして、何よりも私には、イエス・キリストがいてくださるではないか」。
節子夫人は、この賛美歌の歌詞によって、共にいてくださる主の恵みに目を向けることができたのです。そうだ、困難の中にも、主はいつも共にいてくださったではないか。あの時も、そして、あの時も。だから、これからも主は必ず共にいてくださるに違いない。節子夫人の心の中の、不安と恐れの荒波が静まり、平安が訪れました。
その後、日本に帰った節子夫人は、盲学校に学び、卒業後は盲人伝道に広く用いられ、日本中の視覚障害者の方々を励まし、慰めてきたのです。

神の恵みは、私たちを罪から救ってくださったばかりでなく、あらゆる恵みに満ちたものです。これが神の恵みであり、真の恵みです。それはいいことばかりでなく、時には喜び、時には苦しみ、時には耐えがたいと思えるような試練もあるでしょうが、しかし、それらすべてを働かせて益としてくださる恵み、それが神の恵みなのです。ここではそれを「神の真の恵み」と言っています。神の恵みは真実な恵みです。それは朝毎に新しい恵みです。私たちにはそのような恵みがもたらされていることを覚え、この恵みを一つ一つ数えながらこの年も終えたいと思います。

Ⅱ.この恵みの中に立っていなさい(12b)

では、このような神の恵みが与えられている私たちは、どうあるべきでしょうか。
12節後半をご覧ください。ここには、「この恵みの中に、しっかりと立っていなさい」とあります。神の真実な恵みの中に入れられた者は、この恵みの中に、しっかりと立っていなければなりません。

しかし現実には、この恵みの中にしっかりと立っているということがどれだけ困難なことであるかを、私たちは実際の生活の中で嫌というほど経験しています。まず、信仰のゆえの試練です。そのような試練に会うとき、それをこの上もない喜びと思いなさい、と聖書に書かれてあっても、私たちは、ただひたすらそこから逃れることしか考えられません。イエス様を信じているためにこんなに苦しい思いをするのなら、いっそのこと信じることを止めてしまった方がどれほど楽なことか思ってしまうのです。

また、世俗化との戦いもあります。悪魔は絶えず私たちに「現実」という二文字をちらつかせては、信仰に堅く立つことが馬鹿らしいように思わせます。そして、この世にある様々な誘惑を通して信仰をゆがめ、さらに信仰から離れてさせようと襲いかかってくるのです。現代の社会は、特にこうした傾向にあります。

ですから、この恵みの中にしっかり立っていることは容易いことではありません。だからこそ、私たちがしなければならないことは、この恵みの中にとどまっているようにと頑張ることではなく、神の恵みがいかに大きなものであるかを心に止めることです。神は、こんな罪深い者をあわれんでくださって、愛する御子を十字架にまでかけて救ってくださったということを信仰によって心に刻み付け、いつも思い起こさなければなりません。だからこそ、私たちはどのような時にも、信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなければならないのです。

預言者エレミヤは、神のさばきによってユダとエルサレムがバビロンによって滅ぼされた時、その激しい苦しみの中で、こう言いました。
「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝毎に新しい。「あなたの真実は力強い。主こそ、私の受ける分です」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。」(哀歌3:22-24)
エレミヤが、神のさばきのただ中でも、主を待ち望むことができたのは、彼に降り注がれている主の恵みの大きさを知っていたからです。主のあわれみは決して尽きることがないという信仰があったからです。それは朝毎に新しいということを体験していたからなのです。

それは私たちも同じです。どんなに頭でわかっていても、私たちは本当にもろいものです。すぐに躓いてしまいます。しかし、そのような中にあってもこの恵みに立ち続けていくことができるかどうかは、尽きない神の恵み、朝毎に新しく注がれる主の恵みにとどまっているかどうかで決まるのです。

主の恵みは尽きることがありません。それは真実な恵みです。きょうは恵んでも、明日はわからないというものではありせん。あなたを滅びの穴から救い出してくださった主は、最後まであなたに恵みを注いでくださいます。だから、私たちもこの恵みの中に、しっかりと立ち続けようではありませんか。

Ⅲ.聖徒の交わり(13-14)

最後に13節と14節を見て終わりたいと思います。
「バビロンにいる、あなたがたとともに選ばれた婦人がよろしくと言っています。また私の子マルコもよろしくと言っています。愛の口づけをもって互いにあいさつをかわしなさい。キリストにあるあなたがたすべての者に、平安がありますように。」

この「バビロン」とは、実際のバビロンのことではありません。これは、神に敵対する勢力としてのバビロンのことです。つまり、当時の世俗勢力の頂点はローマでしたから、ここではローマのことを指していると考えてよいでしょう。それは、その後のところに「あなたがたとともに選ばれた婦人」の「婦人」に※が付いていることからもわかります。これは「教会」とも訳すことが出来る言葉です。すなわち、これはローマにいたクリスチャンたちのこと、ローマの教会のことを指して言われていたのです。なぜペテロはこのような暗号のようなものを使って言っているのかというと、彼が置かれていた状況がとても危険だったからです。それで「ローマ」と名指しすることをしないで、「バビロンにいる婦人たち」という言い方をしたのです。ここから、ペテロはこの手紙をローマから書き送ったのではないかと考えられてきました。たぶんそうでしょう。彼は迫害の真っただ中にあるローマの教会と、小アジアの教会とは、置かれた場所は違っても、キリストにあって深く結び合わされた同じ教会であるという理解からそのつながりを大切にして、「よろしく」と言って励ましているのです。

さらに、ここには「また私の子マルコもよろしくと言っています」とあります。このマルコとは、マルコの福音書を書いたマルコです。彼はパウロの第一次伝道旅行に同行しましたが、どういう理由かはわかりませんが、途中で逃げ出してしまったので、一時、パウロから見放されてしまいました。しかし、後にパウロとの関係が修復されてからは「同労者」と呼ばれるまでになりました(ピレモン24)。
そのマルコが、ここで「私の子」と呼ばれています。恐らく、マルコは福音書を書くためにいつもペテロと一緒にいてペテロから話を聞き、ペテロが語ることを福音書にまとめたのだと思います。このマルコもよろしくと言っています。

このことから、クリスチャンというのは、キリストを中心として深くつながっている者であることがわかります。これまで一度も会ったことがなくても、それぞれの地で、主にあって奮闘している兄弟姉妹たちのことを思って祈るのです。

そして最後のところで、ペテロは、「愛の口づけをもって互いにあいさつをかわしなさい。」と勧めています。「愛の口づけ」は、クリスチャン同士の愛と善意の表現です。同じ信仰の戦いを戦い、同じ救いの目標を持っている者として、互いに愛し合い、互いに苦しみを分かち合う者としての思いを、このような形で表現するのです。国によっては習慣や文化的背景も違いますから、必ずしもこのような方法によって愛と善意を表現しなければならないというのではなく、むしろ、神の家族として、ともに一つのゴールに向かって歩む兄弟姉妹として、私はあなたを本当に大切に思っていますという思いを何らかの形で表すことが求められているということです。

そしてペテロは最後に「キリストにあるあなたがたすべての者に、平安がありますように。」と祈って、この手紙を結んでいます。キリストにあって、初めて平安が与えられます。そしてその平安は、キリストにあるすべての者に共有されるのです。主なる神様によって真の恵み、キリストの十字架による救いが与えられた者は、すでに与えられている救いの喜びと感謝があるからこそ、どのような試練・艱難・誘惑の中にあっても、信仰から離れることなく、平安を持って歩み続けていくことができるのです。

こんな短い、しかもすっと読んでしまえば一つも大切な要素がないかのように見える「挨拶」の中にも、たくさんの恵みが込められています。神の恵みによって生きるという、信仰のあり方をしっかり捉え、その恵の中に、しっかりと立つということを心にとめて、キリストにあるあなたがたすべてに、神の平安がありますようにと祈りつつ、このペテロの手紙第一のメッセージを終えたいと思います。

ヨシュア記15章

きょうはヨシュア記15章から学びたいと思います。

 Ⅰ.ユダ族の相続地の境界線(1-12)

 まず1節から12節までをご覧ください。
「ユダ族の諸氏族が、くじで割り当てられた地は、エドムの国境に至り、その南端は、南のほうのツィンの荒野であった。その南の境界線は、塩の海の端、南に面する入江から、アクラビムの坂の南に出て、ツィンに進み、カデシュ・バルネアの南から上って、ヘツロンに進み、さらにアダルに上って、カルカに回り、アツモンに進んで、エジプト川に出て、その境界線の終わりは海である。これが、あなたがたの南の境界線である。東の境界線は、塩の海であって、ヨルダン川の川口までで、北側の境界線は、ヨルダン川の川口の湖の入江から始まり、境界線は、ベテ・ホグラに上り、ベテ・ハアラバの北に進み、境界線は、ルベンの子ボハンの石に上って行き、境界線はまた、アコルの谷からデビルに上り、川の南側のアドミムの坂の反対側にあるギルガルに向かって北に向かう。また境界線はエン・シェメシュの水に進み、その終わりはエン・ロゲルであった。またその境界線は、ベン・ヒノムの谷を上って、南のほう、エブス人のいる傾斜地、すなわちエルサレムに至る。また境界線は、西のほうヒノムの谷を見おろす山の頂に上る。この谷はレファイムの谷の北のほうの端にある。それからその境界線は、この山の頂から、メ・ネフトアハの泉のほうに折れ、エフロン山の町々に出て、それから境界線は、バアラ、すなわちキルヤテ・エアリムのほうに折れる。またその境界線は、バアラから西に回って、セイル山に至り、エアリム山の北側、すなわちケサロンに進み、ベテ・シェメシュに下り、さらにティムナに進み、その境界線は、エクロンの北側に出て、それから境界線は、シカロンのほうに折れ、バアラ山に進み、ヤブネエルに出て、その境界線の終わりは海であった。また西の境界線は、大海とその沿岸であった。これが、ユダ族の諸氏族の周囲の境界線であった。」

いよいよイスラエルの民は、占領したカナンの地の領土の分割を開始します。その最初の分割に与ったのはユダ族でした。なぜユダ族だったのでしょうか。それは14章でもお話ししたように、信仰の勇者カレブに代表されるように、ユダ族が一番信仰による勇気と大胆さを持っていたからです。
元来、ユダ族の先祖ユダは、ヤコブの四番目の子にすぎませんでした。長男がルベン、次男がシメオン、三男がレビ、そして四番目がユダです。ですから、長子の特権という面からすれば、ルベン族が最初に分割に与っていいはずなのに、四番目のユダ族が最初にこの特権に与ったのは、どうしてでしょうか。長男のルベンについては、口に出すのも恥ずかしい罪を犯したことがありました。父ヤコブのそばめ、ビルハと寝たことです。それゆえに彼は長男としての特権を失ってしまいました。創世記49:3には、「ルベンよ。あなたはわが長子。わが力、わが力の初めの実。すぐれた威厳とすぐれた力のある者。だが、水のように奔放なので、もはや、あなたは他をしのぐことがない。あなたは父の床に上り、そのとき、あなたは汚したのだ。彼は私の寝床に上った。」とあります。
二男のシメオンと三男のレビも、父に大きなショックを与える罪を犯しました。妹のディナがヒビ人のシェケムという男に辱められたことに怒り、その町の住民に復讐したことです。彼らはその町の男たちに割礼を要求し、彼らの傷が痛んでいる頃を見計らって、全滅させました。ヤコブはこの二人について、同じく創世記49 :5-7の中で、「シメオンとレビとは兄弟。彼らの剣は暴虐の道具。わがたましいよ。彼らの仲間に加わるな。わが心よ。彼らのつどいに連なるな。彼らは怒りにまかせて人を殺し、ほしいままに牛の足の筋を切ったから。のろわれよ。彼らの激しい怒りと、彼らのはなはだしい憤りとは。私は彼らをヤコブの中で分け、イスラエルの中に散らそう。」と言いました。
ですから、四番目のユダが、主に最初に相続地の分割に与る特権を受けたのです。しかし、ただ兄たちに問題があったからというだけでなく、ユダ族はそれにふさわしい部族でした。それは、信仰の勇者カレブに代表されるような信仰の勇気と大胆さを持っていた点です。

創世記49:9-12のヤコブの遺言の中に、彼について語られていることは勝利、リーダーシップ、繁栄と良いことばかりです。ルベンから取り上げられた長子の権利はヨセフに行きましたが、後にユダの部族からは支配者、王が出ると宣言されました。創世記49:10には、「王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。」とあります。そして事実、このユダ族から後にダビデ王が誕生し、さらにその子孫から、やがてまことの王イエス・キリストが誕生するのです。イエス様はこのユダ族から出た獅子なのです。このようなユダ族の優位性が暗示される中で、彼らが土地の割り当ての最初に来ているのでしょう。

さて、ユダ族はどの地を相続したのでしょうか。1節から12節までその境界線が記されてあります。巻末の聖書の地図をご覧いただくとわかりますが、ユダ族が、他の部族の中で、もっとも広い土地を得ていることがわかります。まず南の境界線については1~4節に記されてあります。それは、塩の海、すなわち死海の南端からエジプト川に出て、海、すなわち地中海までです。東の境界線については5節の前半にあります。それは塩の海、すなわち死海の沿岸そのもので、ヨルダン川の川口までです。北の境界線については5節後半から11節までにありますが、ヨルダン川が死海に注ぐ入江から始まり、少々複雑に入り組んでいて、最後は海、すなわち地中海に至ります。西の境界線は12節にありますが、地中海の沿岸そのものです。

いったいこの地はどのようにしてユダ族に分割されたのでしようか。1節を見ると、「ユダ族の諸氏族が、くじで割り当てられた地は・・」とあるように、これはくじで割り当てられました。確かに14章を見ると、カレブがヨシュアのもとにやって来て、この山地を与えてくださいと要求したことに対して、ヨシュアがカレブに与えたかのような印象がありますが、しかし、最終的にくじで決められたのです。ユダ族はくじによってカナンの地の南側が与えられたのです。

ところが、この南部の山岳地帯は不毛の地です。イスラエルの地は北側によく肥えた緑の地が多く、南に行けば行くほど岩や砂が多い荒地となっているのです。ユダ族は最初にくじを引くという特権が与えられたにもかかわらず、彼らが得た地は南側の最も環境が悪く、住むのに適さない地でした。そこは農耕にも適さない、荒地だったのです。いったいなぜこのような地を、主はユダ族に与えたのでしょうか。

そこには、神様のすばらしいご計画がありました。この土地をくじで引いた時、おそらくユダ族の人々は心の中で不平を言ったに違いありません。「せっかく最初にくじを引くことができたのに、こんなひどいと地が当たってしまった。何と運の悪いことだ」と。しかし、そのような地理的に環境が悪いがゆえに、彼らは偶像崇拝の悪しき影響から免れ、宗教的な純粋さを保つことができたのです。北部の肥えた地は、確かに環境的には申し分がありませんでした。しかし、それに伴って農耕神、豊穣神と呼ばれるバアル宗教がはびこっており、こうした偶像との戦いを強いられることになりました。
それに対してユダ族は、こうした環境的困難さの故に、唯一の神、ヤハウェから離れることなく、常に純粋な信仰を保ち続けることができました。それだけではありません。この環境的困難さによって、ユダ族はさらに強くたくましい民族へと育て上げられて行きました。やがてイスラエルが二つに分裂した時、南王国は何と呼ばれたでしょうか。「南王国ユダ」と呼ばれました。すなわち、このユダ部族が南に住んでいた全部族を代表して呼ばれるほどに、強力な部族になっていったのです。

時として私たちは自分が願わない望まない困難な状況に置かれることがありますが、そこにも神のご計画と導きがあることを覚えなければなりません。それゆえに自らの不遇な状況を嘆いたりしてはならないのです。「ああ、私は貧乏くじを引かせられた」と言って、自己憐憫になってはいけません。むしろ、その所こそ、主があなたに与えてくださった場所なのだと信じて、主を賛美しなければならないのです。他の人と比較して、ひどい状況であるならば、それはむしろ幸いなのです。そこに神が生きて働いてくださるからです。また逆に、私たちが他の人よりも優って良い場所が与えられたという時には、自分自身に気を付けなければなりません。高ぶって、自分が神にようにならないように、注意しなければなりません。

私たちは、祈りつつ、信仰によって決断しつつも、なお困難な状況に置かれることがあるとしたら、それは主の御計画であり、主が私たちを通して御旨を成し遂げようとしておられると信じて、主をほめたたえ、喜んでその困難な状況の中で果たすべき役割というものを、しっかりと果たしていこうではありませんか。

Ⅱ.水の泉を求めて(13-19)

次に13節から19節までをご覧ください。ここにはユダ族の代表であるカレブについてのエピソードが記されています。
「ヨシュアは、主の命令で、エフネの子カレブに、ユダ族の中で、キルヤテ・アルバ、すなわちヘブロンを割り当て地として与えた。アルバはアナクの父であった。カレブは、その所からアナクの三人の息子、シェシャイ、アヒマン、タルマイを追い払った。これらはアナクの子どもである。その後、その所から彼は、デビルの住民のところに攻め上った。デビルの名は、以前はキルヤテ・セフェルであった。
そのとき、カレブは言った。「キルヤテ・セフェルを打って、これを取る者には、私の娘アクサを妻として与えよう。」ケナズの子で、カレブの兄弟オテニエルがそれを取ったので、カレブは娘アクサを、彼に妻として与えた。彼女がとつぐとき、オテニエルは彼女をそそのかして、畑を父に求めることにした。彼女がろばから降りたので、カレブは彼女に、「何がほしいのか。」と尋ねた。彼女は言った。「私に祝いの品を下さい。あなたはネゲブの地に私を送るのですから、水の泉を私に下さい。」そこで彼は、上の泉と下の泉とを彼女に与えた。」

カレブについてはすでに14章で見ましたが、彼は85歳になっていたのに、45年前と同じく今も壮健です、と語り、アナク人の町ヘブロンを攻め取ることを願い出ました。そしてそれを本当に成し遂げた記録がここにあるのです。カレブは14節にある通り、ヘブロンからアナクの3人の息子、シェシャイ、アヒマン、タルマイを追い払います。一人でも恐ろしいはずの敵を3人もまとめてやっつけたのです。14:12でカレブは、「主が私とともにいてくだされば、私は彼らを追い払うことができましょう。」と言いましたが、カレブの素晴らしい点はただ目の前の状況を見るのではなく、主の視点で状況を見つめ直していたことです。人間的にはとても不可能に思えても、そこに主の約束があり、主がともにいてくださるなら、主が御業を成し遂げてくださると信じて前進したことです。その結果、85歳の彼が本当にアナクの子孫を追い払うことができました。これぞイスラエルの模範であり、信仰に歩む私たちの模範でもあります。

しかし、彼がヘブロンからデビル、すなわちキルヤテ・セフィルに攻め上って行ったとき、ある限界に達していたことがわかります。16節には、その際彼は、「キルヤテ・セフェルを打って、これを取る者には、私の娘アクサを妻として与えよう。」と言っています。軍隊の将軍が、このように報償をぶら下げて、ある町を攻略する戦士を募るというのは古代オリエントでは良く見られた習慣でした。後にダビデもエルサレムを攻め取る際、「だれでも真っ先にエブス人を打つ者をかしらとし、つかさとしよう。」(Ⅰ歴代誌11:6)と言って戦士を募っています。それはエブス人が、ダビデに「あなたはここに上って来ることはできない」と言ったからです。それほどエルサレムの攻略は困難でした。そこでダビデはこのように言って勇士を募ったのです。ここでも同じでしょう。「デビル」という町は「至聖所」という意味で、すなわち、人間が入ることができない聖なる場所という意味です。従って、かなり堅固な要塞の町であったことがわかります。いわば「難攻不落」の町だったのです。それはこれまでの歴戦を信仰によって勝利してきたカレブでさえも攻めあぐねていた町だったのです。それで窮地に陥っていたカレブは、このように言って勇士を募ったのです。それは、「自分の愛する娘を報償にするから、だれかあのデビルを攻め落としてみよ」というものであったのです。

これに対してカレブの兄弟オテニエルが名乗りを上げます。彼は次の士師記において、イスラエルの最初のさばきつかさとなる人です。その彼が見事にデビルを攻め取ったので、カレブは約束通りに娘のアクサを、彼に妻として与えました。これはカレブの信仰が良い意味で彼に伝染したということです。その模範にならったオテニエルは祝福を手にすることができました。

ところで、カレブの娘アクサがとつぐとき、オテニエルは彼女をそそのかして、畑を父に求めました。この「そそのかして」という言葉は、口語訳や新共同訳には出てきません。新改訳の改訂版にも出ておらず、改訂版ではこれを、「しきりに促した」と訳しています。ですから、オテニエルが彼女をそそのかしたというよりも、彼は畑が欲しかったというだけなのです。

それに対して、娘のアクサは何と言ったでしょうか。19節のところには、「私に祝いの品を下さい。あなたはネゲブの地に私を送るのですから、水の泉を私に下さい。」とあります。アクサは、畑ではなくその畑を生かすための泉を求めたのです。それでカレブは、娘のこの要求を非常に喜び、上の泉だけでなく下の泉も与えました。この泉とはため池のことです。ため池は、降水量が少なく、流域の大きな河川に恵まれない地域などでは、農業用水を確保するために水を貯え取水ができるよう、人工的に造成された池のことですが、恐らく、このため池を与えたのでしょう。泉を与えると言っても、泉は自然のものですからそれをどこかに持っていくことはできませんから。娘の要求に対して過分とも思えるこの措置は、父親のカレブの言い知れない感動と喜びを表しています。いったいなぜカレブはこんなにも喜んだのでしょうか。それは娘の要求が実に理にかなったものであり、深い真理が隠されていたからです。

このネゲブの地は乾燥した地域であり、畑の収穫のためには、より一層の水を必要とした地でした。つまりオテニエルが要求した「畑」とは収穫をするその場所そのもののことですが、それに対してアクサが求めたのは、その収穫をもたらすために必要な、より根源的なものだったのです。

これは私たちの信仰にとっても大切なことが教えられるのではないでしょうか。とかく私たちは表面的なもの、たとえば、今はクリスマスの時期ですが、そうしたプログラムとか、会場とか、雰囲気とか、やり方とかといったものに関心が向きがちですが、より本質的なもの、より根源的なものはそうしたものではなく、それは祈りとみことばであり、そこから湧き出てくる神のいのち、聖霊の満たしであるということです。私たちはまずそれを求め、そこに生きるものでなければなりません。それを優先していかなければなりません。そうしていくなら、実際的な事柄や、現実的な事柄は必ず変えられていき、私たちのうちに神の御業があらわされていくのです。そうでないと、私たちの信仰は極めて表面的で、薄っぺらいものになってしまいます。そして、人間としての本来の在り方というものを失ってしまうことになるのです。そのようにならないように、私たちはいつも信仰の本質的なもの、根源的なものを求めていかなければなりません。それが祈りとみことばです。また、そこから溢れ出る神のいのち、聖霊の臨在なのです。アクサはそれを求めました。それでカレブは非常に喜んだのです。私たちもこの神のいのちを求めるなら、神は喜んでそれを与えてくださいます。このクリスマスに、私たちが真に求めなければならないものを、もう一度見つめ直したいと思います。

Ⅲ.相続した町々(20-63)

最後に、ユダ族が相続した町々を見て終わりたいと思います。20節から63節までをご覧ください。これはユダ族の相続地で、神がユダ族に与えられた町々がリストです。カナンの地で最も広い領域であったこの地に、ユダ族はどんどんと勢力を伸ばし、これらの町々を占領していきました。しかし、その中でただ一つだけ占領できない町がありました。どこですか?そうです。それは後のイスラエルの都、エルサレムです。そこにはエブス人がおり、ユダの人々は、このエブス人をエルサレムから追い払うことができませんでした。なぜでしょうか。10章ではイスラエル軍はこのエブス人の王アドニツェデク率いる連合軍を打ち破り、11章では、エブス人を含むパレスチナの連合軍を打ち破っています。また15章13節から19節においては、カレブ率いるユダ族は、カナンの中で最も強力な力を誇っていたアナク人さえも打ち破っています。あの巨人ゴリヤテは、このアナク人の子孫です。それにもかかわらず、それほど強くもないエブス人をなぜエルサレムから追い払うことができなかったのでしょうか。

それは、神があえてそのようにされたからです。つまり、神がエブス人に力を与えて、ユダの人々の敵対者として、わざわざそこに置かれたからなのです。私たちには理解を超えることですが、時として神は、このように私たちの身近に、あえて敵対者を置かれることがあります。それは未熟な私たちを整え、成熟させるためです。私たちはこうした敵対者によってさらに訓練されて、その信仰をますます強められていくのです。

それは人間ばかりでなく、植物などにも同じです。植物学者の宮脇明氏はその著書「植物と人間」において、このように言っています。「対立者あるいは障害物というものがなくなると、それは生物にとって最も危険な状態だ。敵対者がいなくなることは、その植物を休息に衰退に追いやることだ。」これは霊的にも言えることであって、自分に敵対してくる人の存在があってこそ、人は鍛えられ、強められ、さらに引き上げられていくのです。であれば、私たちもたとえ自分の思うように事が進まなくても、そこに依然として自分に敵対する人がいたとしても、それは自分の成長にとって欠かす事ができないことであると受け取る、感謝しなければなりません。

その後、このエブス人はどうなったでしょうか。これほどイスラエルを手こずらせ、その手の内に落とし得なかったエブス人ではありましたが、しかし実はダビデが天下を治めた時に、このエルサレムからあっけなく追い出されていきました。もう必要なくなったからです。ダビデの時代はイスラエルにとっての黄金時代であり、絶頂を極めた時でした。それはイスラエルがこのヨシュアの時代からこうした敵によって鍛えられ、成熟させられた結果であったとも言えます。しかし、イスラエルが天下を治めた時は、もうその必要がなくなりました。彼らは強められ、神の御心にかなった成長を遂げることができたので、もはや敵対者を置く必要はなくなったからです。あれほど打ち破ることができない困難な敵であったにもかかわらず、イスラエルの黄金時代の幕開けと共に、彼らは滅んでいったのです。これらはすべて神がイスラエルのために計画されたことだったのです。

私たちの人生にも困難や苦難が置かれることがあります。また、私たちを悩ませてくれる人々が置かれることがありますが、それらは私たち自身が練り鍛えられ、強くされ、神のみこころにかなったものに造り変えていただくための神の御業であることを覚え、そのことを信仰をもって謙虚に受け入れ、それらの苦難や困難から、また敵対してくる人々から学び、よく多くのものを習得していく者でありたいと思います。そうするなら、神は私たちをさらに引き上げてくださり、やがて時至ったならば、主ご自身がそうした困難や苦難を取り去ってくださり、私たちをさらに一段と飛躍した信仰者に成熟させてくださるのです。

Ⅰペテロ5章8~11節 「悪魔に立ち向かいなさい」

 ペテロの手紙第一の最後の章を迎えております。前回のところでは、力強い神の御手の下にへりくだりなさいという御言葉をいただきました。そのためには、あなたがたの思い煩いを、いったい神にゆだねなければなりません。神があなたがたのことを心配してくださるからです。このように、神にすべてをゆだねるができる人こそ謙遜な人であり、そのような人は神から恵みをうけることができます。

 きょうのところには、悪魔に立ち向かいなさい、と勧められています。悪魔に立ち向かうこと、そして次回は最後になりますが、神の恵みの中にしっかりととどまっていることを勧めて、ペテロはこの手紙を締めくくるのです。次週からしばらくの間クリスマスのメッセージを送りたいと思いますので、次回は今年最後の大晦日の礼拝で取り上げることにし、今回はこの悪魔に立ち向かうというテーマだけを取り上げたいと思います。

 Ⅰ.身を慎み、目をさましていなさい(8)

 まず8節をご覧ください。ご一緒にお読みしたいと思います。
 「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」

 「身を慎み、目をさましていなさい」とは、今の時代がどのような時代なのかを見分け、それに祈りつつ備えていなさいという意味です。ペテロは今、ローマ帝国全体に及ぶ迫害を予感しながらこの手紙を書いているわけですが、そのような時にクリスチャンが何もしないでボーっと過ごしていてよいわけはありません。身を慎み、目を覚ましていなければならないと、勧めているのです。なぜなら、あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っているからです。悪魔とか、悪霊ということを聞くと、「またですか、教会に来るとすぐに悪魔とか、悪霊といった非科学的な話になるのですが、そんなのいるはずがないじゃないですか」という声が聞こえてきそうです。悪魔のことを取り上げると、何か過激な思想に走っているかのように思われがちですが、それは実在していて、私たちが気付かないうちに働いています。聖書は悪魔が存在していることと、クリスチャンに対して絶えず攻撃していることを教えています。

 たとえば、エペソ人への手紙6:11~12には、「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」(エペソ6:11-12)とありますし、イエスご自身も、悪霊につかれていた男から悪霊を追い出し(ルカ8:26-33)、12弟子を宣教に遣わされた時も、彼らに汚れた霊を追い出す権威をお与えになられました。まさに福音宣教は霊の戦いであり、悪魔は、さまざまな形で絶えずクリスチャンに戦いを挑んで来ているのです。

この手紙を書いているペテロも、そのような攻撃を受けました。たとえば、イエスが十字架に付けられる前夜、「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。」(ルカ22:31)と言われると、「主よ。ごいっしょなら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」(ルカ22:33)と豪語したにもかかわらず、その翌日に、大祭司の家で女中に「あなたもあの人の弟子でしょう」と言われると、いとも簡単に、イエスを否んでしまいました。彼はイエスの警告を聞いていても、悪魔の攻撃に屈してしまったのです。それは、彼が身を慎み、目を覚ましていなかったからです。

 ルカの福音書を見ると、このイエスの言葉とペテロの失敗との間には、ある一つの出来事があったことがわかります。それは、ゲッセマネの園での祈りです。イエスは、いつものようにオリーブ山に行かれ、弟子たちもそれに従いました。いつもの場所に着いたとき、イエス様は彼らに、このように言われました。
「誘惑に陥らないように祈っていなさい。」(ルカ22:40)
そしてご自分は、弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れて、ひざまずいて、祈っておられました。
「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取り除けてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」(ルカ22:42)
イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られました。すると、汗が血のしずくのように地に落ちました。それは激しい祈りの格闘でした。
その時、弟子たちは何をしていたかというと、すっかり眠りこけていました。イエスが祈り終わって、弟子たちのところに来てみると、聖書には悲しみの果てに、とありますが、何はどうあれ眠り込んでいたのです。それで、イエスは弟子たちに言われました。
「なぜ、眠っているのか。起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい。」(ルカ22:46)。
 
「なぜ、眠っているのですか。」心にグサッと刺さる言葉です。おそらくペテロは、その時のことを思い出していたのでしょう。まさに、ペテロがこの手紙を書いていたころの状況は、目を覚まして祈るべき時でした。それは、私たちの時代も同じです。悪魔は、今もクリスチャンを神から引き離そうと躍起になっています。ここには、「あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」とあります。皆さんは、獅子がほえたけるのを聞いたことがありますか?私は以前、孫を連れて宇都宮の動物園に行ったことがありますが、ちょうど飼育員に手懐けられたライオンが檻の外に出されていた所を見たことがあります。「触っても大丈夫ですよ」というので尻尾をちょっと触ったら、「ウォー」と大きな声で叫んだのでびっくりしました。それは、動物園の反対側にも聞こえるほどの大きな声でした。まさに、悪魔はほえたける獅子のように、食い尽くすべき獲物を捜し求めながら、歩き回っています。誘惑者として、私たちを神から引き離すために、闇に引きずり込むために、歩き回っているのです。

私たちは様々な形で、この悪魔の力を感じることがあります。それが暴力であり、あるいは国家権力であり、自分の内側に潜む憤りや怒りであったり、あるいは様々な情欲や欲望であったり、強引に私たちを神のもとから引き離し、罪と死の世界に引きずり込もうとするのです。その悪魔に対して私たちがすべきことは、身を慎み、目を覚ましていることです。なぜなら、心は燃えていても、肉体は弱いからです。どんなに私たちが心の中で、「よし、こうしよう」と思っても、そんな決意はすぐにどこかへ吹っ飛んでしまいます。所詮人間は弱いのです。ほえたける獅子が獲物を捜し求めて歩き回っているこの世にあって、私たちが悪魔から守られる唯一の道は、祈り以外にはありません。自分の弱さをよく自覚し、所詮人間というのは悪魔の前にはなす術がないということを自覚して祈らなければならないのです。

Ⅱ.悪魔に立ち向かいなさい(9)

第二のことは、この悪魔に立ち向かいなさい、ということです。9節をご覧ください。ここには、「堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。」とあります。

「立ち向かう」とは、悪魔の攻撃に対して対決姿勢で、毅然とした態度を取ることです。あいまいな態度が一番危険です。この位は大丈夫だろうとか、私は大丈夫だといった甘い考えが、死を招くのです。ペテロは、イエスからサタン呼ばわりをされたことを決して忘れていなかったでしょう。イエスが十字架の予告をされたとき、彼は「主よ、そんなことがあなたに起こるはずがありません。」といさめると、主は、「下がれ。サタン。あなたは、神のことを思わないで、人のことを思っている。」(マタイ16:23)ときっぱりと言われました。

このことから、悪魔に立ち向かうということについて、二つのことが分かります。一つは、人間的な愛情が神の道を妨げることがあり、それはサタンの働きによるものであるということです。そしてもう一つは、そうした働きに対しては、毅然とした態度で臨まなければならないということです。それが悪魔に立ち向かう態度です。

では、どのようにして悪魔に立ち向かったら良いのでしょうか。ここには、「堅く信仰に立って」とあります。堅く信仰に立つとは、神を第一にして、悪魔に立ち向かうということです。悪魔はほえたける獅子のようですが、ユダ族から出た獅子であるキリストはそれよりもはるかに強い獅子です。サタンに簡単に縛り上げられて、家財のように捕えられている私たちを、イエス・キリストは解放することができるのです。このキリストの前に静まり、平安を受ける時、キリストの圧倒的な力が私たちを覆ってくださいます。このキリストの力、神の力によって悪魔に立ち向かうのです。

9節後半のところには、「ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来ました。」とあります。それはペテロの時代の人々だけではなく、これまでこの世に生きてきたすべてのクリスチャンが通って来た道なのです。これは励ましではないでしょうか。

私たちはみな、それぞれに戦いがあり、その戦いにおいて、私たちの置かれている状況はみな違います。しかし、サタンに立ち向かう、あるいはサタンと戦いを交えるという点では、古今東西、信仰者はみな同じなのです。サタンとの戦いに倒れて、傷ついて、疲れ切っているのはあなただけではなく、世にある信仰の先輩たちもみな同じ苦しみを通ってきたのです。このことを思うと、励まされます。

旧約聖書Ⅰ列王記18章に、エリヤが偶像神バアルの預言者たちと戦った時のことが記されてあります。彼はその戦いでの勝利の後で急に孤独感と恐れでいっぱいになりました。あんな大勝利を収めたのに、どうしてそんなに怯えているのだろうと不思議に思うほどです。実は、当時のイスラエルの王であったアハブと、その王妃イゼベルがエリヤの預言者の仲間をすべて殺してしまったのです。そして、イスラエルの人々はみな信仰を捨ててしまったのです。それでエリヤは神に向かって、私一人残りました、私一人だけ残りました、と繰り返して、神の御前に打ちひしがれていたのです。
 そのとき、主はどうされたでしょうか。主はエリヤにこう仰せられました。「しかし、わたしはイスラエルの中に七千人を残しておく。これらの者はみな、バアルにひざをかがめず、バアルに口づけしなかった者である。」(Ⅰ列王記19:18)
この言葉は、エリヤにとってどれほど大きな慰めを与えてくれたことかと思います。自分だけかと思ったらそうだはなかった。自分ひとりだけがこんなに苦しんでいるのかと思ったらそうではない、同じようにバアルに膝をかがめない7千人の信仰者がイスラエルに残してあるというのです。それを聞いた時、エリヤはどんなに励まされたかわかりません。
 私たちは戦いに疲れると、自分だけがこんなに苦しんでいると思いがちです。けれども、そうではありません。世にいるあなたがたの兄弟たちもみな同じような苦しみを通ってきたのです。私たちが疲れて孤独になっている時、そんな私たちのために祈ってくれている兄弟姉妹がいるということを覚えておかなければなりません。

Ⅲ.不動の者としてくださる神(10-11)

そればかりではありません。そこには神の助けもあります。10節と11節をご覧ください。ご一緒に読みましょう。
「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。」
ここでペテロは、悪魔との戦いで疲れ果て、苦しんでいる人たちに対して、あなただけではない。世にある信仰者は皆同じ戦いをしているんだ、ということを述べた後で、神も、あなたと共に立ち、戦っていてくださると述べています。

この神はどのような方でしょうか。「あらゆる恵みに満ちた神、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神」です。皆さん、私たちの神は、あらゆる恵みに満ちた神です。そして、私たちをキリストにあってその永遠の栄光の中に招いてくださった方なのです。それは、信仰の結果であるたましいの救いのことです。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。また、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これは私たちのために天にたくわえられているのです。このようにして神は、一方的な恵みによって私たちを救ってくださったのです。この神があなたと共にいて、助けてくださるのです。

どのように助けてくださるのでしょうか。ここには、「あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」とあります。確かに、しばらくの苦しみはあります。しかし、苦しみだけでなく、そのあとで完全にしてくださいます。完全にするとは、完全に回復させるということです。口語訳では、「その方はあなたがたをいやし」と訳しています。「完全にする」という訳の方がストレートですが、しかし「いやしてくださる」という訳も尊いです。なぜなら、私たちは悪魔との戦いによって傷つくことがあるからです。悪魔との戦いによって様々に傷ついた私たちの傷を、神ご自身がいやしてくださるのです。

そればかりか、堅く立たせてくださいます。試練に会うとき、私たちの信仰は葦のように大きく揺さぶられますが、神は、私たちが揺れ動くことがないように、しっかりと立たせてくださいます。この「堅く立たせ」という言葉は、岩のようにしてくださるという意味です。この手紙を書いたペテロの、以前の名前は何だったでしょうか。シモンです。シモンは、感情が様々と揺れ動く人物でした。そこが人間らしくて共感を覚えるところでもありますが、あまりにも直感で行動するので、安定さに欠いていました。顔を見ているとよくわかるのです。嫌だったら嫌な顔するし、うれしいとうれしい顔をする。わかりやすい人物でした。でもいつも揺れ動いていました。

しかしそんな彼に、イエス様はこう言われました。
「あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。」(マタイ16:18)
ペテロというのは「岩」という意味です。シモンは葦のように揺れ動く人でしたが、サタンによって麦のようにふるいにかけられた後、彼は岩のような人になりました。ペテロは今、立派に立ち直って、岩のようになりました。そして、同じように試練の中で苦しんでいる人たちを力づけているのです。

そればかりではありません。強くしてくださいます。「強くし」しとは、「堅く立たせ」と同じです。信仰が建て上げられること、確立することです。しばらくの苦しみはありますが、その後で完全にし、堅く立たせ、びくともしないほど強い信仰者として立たせてくださいます。

そして、最後は、「不動の者としてくださいます」です。なるほど、沢山の試練を通って来られた方は、不動の信仰を持っておられるのがわかります。けれども、人間はどこまでも脆い者です。あんなに信仰が深かったのにという人でも、ある日、突然倒れてしまうことがあります。しかし、どんなことがあっても倒れない方、不動の礎であられる方がおられます。それは、イエス・キリストです。Ⅰペテロ2:6には、こうあります。
「なぜなら、聖書にこうあるからです。『見よ。わたしはシオンに、選ばれた石、尊い礎石を置く。彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。』」
イエス・キリストは、どんなことがあっても動かされることはありません。イエスは不動の礎であり、確かな土台なのです。ですから、彼に信頼する者は、決して失望させられることはありません。私たちが不動な者になり得るのは、これ以外にはありません。あなたが不動な者になりたいのなら、不動であられるイエス・キリストのもとに来なければなりません。ですから、ペテロはこう言っているのです。
「主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。あなたがたも入れる石として、霊の家に築き上げられなさい。」(Ⅰペテロ2:4-5)

あなたはイエス様のもとに来ていますか?イエス様という霊の家に築き上げられているでしょうか。私たちは生ける石として教会の中に築き上げられて行くときに、私たちもまた不動の者になるというのが、ペテロの信仰だったのです。おおよそ揺れ動いているばかりいる私たちが、この霊の家である教会の中に組み込まれていくときに、イエス・キリストを信じてこの方により頼んでいくときに、決して失望させられることはないのです。悪魔の試みによって失敗し、もうだめだという時でさえ、あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださるのです。

ビクトル・ユーゴー(1802~1885フランスの詩人・小説家・政治家)原作のレ・ミゼラブル(「ああ、無情」1862)という小説を、皆さんもよく知っておられると思います。
物語の始まりは、わずか一切れのパンを盗んで、なんと19年間刑務所に服役していたジャン・バルジャンが出獄した日から始まります。どこへ行っても水一杯飲ませてくれない、パンを買うお金もない、そんな彼が、教会を訪ねるのです。教会にはミリエルという司教がいて、初対面の彼を出獄して来た人物だと知った上で、一緒に食事をし、そして彼を教会に泊めます。夜中、目が覚めたジャン・バルジャンは、夕食の時にパンが載っていた銀の食器が気になります。そして、司教の寝室に潜り込み、銀の皿を盗んで、逃亡するのです。翌日、うろついていた彼は警察に捕まり、教会に引っ張って来られます。
「司教様、こいつは泥棒です。この銀の皿は、お宅のものですね。ふてぶてしいにもほどがありますよ。こいつは、この皿を司教様からもらったなんて言っています」
 すると、ミリエル司教はそばにあった銀の燭台を持って来て、ジャン・バルジャンにこう言うのです。
「どうした、君。この燭台もお皿と一緒に上げると言ったのに。遠慮したのか?燭台の方は忘れてしまったのか?」
 それで、ジャン・バルジャンは再び牢獄に入ることを免れます。刑事が去って行った後、司教はジャン・バルジャンに言います。
「忘れてはいけません。決して忘れてはいけませんぞ。あなたはもう正しい人になられたのじゃ。あなたのたましいは、すでに神に捧げられていますのじゃ。」

これですね。ペテロが言いたいのは、まさにこれです。「どんなにサタンの戦いが激しかったとしても、あなたはすでに神ご自身によって救いの栄光の中に入れられているのです。神ご自身があなたの傍らにおられる。あらゆる恵みをあなたに与え、あなたが迷い出たら、再びあなたを連れ戻すことがおできになるのです。あなたのたましいは既に神に捧げられているということを忘れてはいけない。」

しかし、物語はこれで終わりません。ジャベルという刑事は、とてもしつこいのです。ジャン・バルジャンの尻尾を捕まえようと何度も彼を追いかけて来ては、彼の有罪を証明して、刑務所に引き戻そうと必死にかぎ回るのです。ジャン・バルジャンは、最初は名前を変えます。名前を変えて正しく生きて、彼はなんと市長にまで上りつめます。それでも、ジャベル刑事は、サタンのようにしつこく、彼を追いかけて来ます。
 しかし、この長い物語の中で、ジャン・バルジャンは最後まで元に戻ることはありませんでした。それは、「あなたのたましいは、神に捧げられた」という、あのミリエル司教の言葉をずっと覚えていたからです。悪に対して、悪をもって報いず、善をもって報い、隣人を愛し、右の頬を打たれれば、左の頬を差し出していくのです。あの日、ミリエル神父の言われた言葉、「あなたのたましいは、すでに神に捧げられています」を忘れないのです。

それは私たちも同じです。あなたのたましいも、神に捧げられたのです。それゆえ、私たちもジャンベル刑事のようなしつこいサタンの攻撃によってつまずいてしまうことがあるかもしれませんが、しかし、忘れてはいけません。あなたのたましいは、神に捧げられているのです。どんなにサタンが激しく攻撃してきても、神は私たちを永遠の栄光の中に招き入れてくださいました。この神が、私たちをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださるのです。

ですから、最も重要なことは、あなたはこの神の永遠の栄光の中に入れられているかどうかです。イエス・キリストを信じて、あなたのたましいが神に捧げられているかどうかなのです。あなたはこの神のご支配の中にいるでしょうか。
主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。あなたもこの生ける石として、霊の家に築き上げられてください。

キリストは、そのためにこの世に来てくださいました。このアドベントの時、このキリストをあなたの救い主として信じ、この方にあなたのたましいが捧げられることこそ、キリストを迎えるのにもっともふさわしい姿勢です。そして、この世にあっては悪魔との激しい戦いがありますが、その中にあっても、この信仰に堅く立ち続けようではありませんか。そして、心から主に賛美を捧げましょう。
「どうか、神のご支配が世々かぎりなくありますように。アーメン。」