Ⅰ列王記16章

 今日は、列王記第一16章から学びます。

 Ⅰ.北王国イスラエルの王バアシャとエラ(1-14)

まず、1~14節までをご覧ください。や節までをお読みします。「1 そのとき、ハナニの子エフーに、バアシャに対する次のような主のことばがあった。2 「わたしは、あなたをちりから引き上げ、わたしの民イスラエルの君主としたが、あなたはヤロブアムの道に歩み、わたしの民イスラエルに罪を犯させ、その罪によってわたしの怒りを引き起こした。3 今、わたしはバアシャとその家を除き去り、あなたの家をネバテの子ヤロブアムの家のようにする。4 バアシャに属する者で、町で死ぬ者は犬がこれを食らい、野で死ぬ者は空の鳥がこれを食らう。」

5 バアシャについてのその他の事柄、彼が行ったこと、その功績、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。6 バアシャは先祖とともに眠りにつき、ティルツァに葬られた。彼の子エラが代わって王となった。7 主のことばはまた、ハナニの子、預言者エフーを通してバアシャとその家に向けられた。それは、彼が【主】の目に悪であるすべてのことを行い、その手のわざによって主の怒りを引き起こしてヤロブアムの家のようになり、また彼がヤロブアムを打ち殺したからである。」

北イスラエル王国の3代目の王バアシャについての記述です。彼については、15:27~に帰されてあります。今回はその続きです。預言者ハナニの子エフーに、主のことばがありました。2~4節です。「わたしは、あなたをちりから引き上げ、わたしの民イスラエルの君主としたが、あなたはヤロブアムの道に歩み、わたしの民イスラエルに罪を犯させ、その罪によってわたしの怒りを引き起こした。3 今、わたしはバアシャとその家を除き去り、あなたの家をネバテの子ヤロブアムの家のようにする。4 バアシャに属する者で、町で死ぬ者は犬がこれを食らい、野で死ぬ者は空の鳥がこれを食らう。」

主は彼を、ちりから引き上げてくださいました。それは何もないところから引き上げてくださったということです。彼は貧しい家の出で何もなかったのに、主がそのような中から引き上げてくださったのです。それは彼がイスラエルの王として、神の偉大な使命を果たすためでした。しかし、彼にはその認識がありませんでした。彼は、あのヤロブアムの道に歩み、神の民イスラエルに罪を犯させ、主の目に悪であることをすべて行って、主の怒りを引き起こしてしまいました。「ヤロブアムの道」とは、偶像礼拝の罪のことです。彼はイスラエルを偶像礼拝の罪に導きました。いったい何が問題だったのでしょうか。神から与えられた使命を忘れてしまったことです。それで彼は主の目の前に悪を行いました。主はそんな彼の家をヤロブアムの家のようにすると言われました。それはバシャに属する者で、町で死ぬ者は犬がこれを食らい、野で死ぬ者は空の鳥がこれを食らうということです。興味深いことに、ほぼ同じ裁きの言葉が、預言者アヒヤによってヤロブアムに語られていました(Ⅰ列王14:10-11)。彼は、自分が倒したヤロブアム家に対する神のさばきと、全く同じ裁きを受けることになったのです。

それは私たちにも言えることです。私たちも自分に与えられている使命を忘れると、バアシャのようになってしまいます。この世には2種類の人がいます。神から与えられた賜物や権力を、自分の利益と満足のために用いる人と、神のために用いる人です。バアシャは自分ために用いました。せっかく神によってちりから引き上げられイスラエルの君主としてもらったのに、それを神のためではなく自分のために用いてしまったのです。私たちはバシャのようにならないように気を付けなければなりません。私たちが神から受けている祝福や恵みは他の人を祝福するためであって自分の利益や満足のためではないことを覚えて、それを神の栄光のために用いなければならないのです。

次に、8~14節までをご覧ください。「8 ユダの王アサの第二十六年に、バアシャの子エラがティルツァでイスラエルの王となった。治世は二年であった。9 彼がティルツァにいて、ティルツァの宮廷長官アルツァの家で酒を飲んで酔っていたとき、彼の家来で、戦車隊の半分の長であるジムリが彼に謀反を企てた。10 ユダの王アサの第二十七年に、ジムリが入って来てエラを打ち殺し、彼に代わって王となった。11 ジムリは王となり王座に就くと、すぐにバアシャの全家を討ち、小童から親類、友人に至るまで、一人も残さなかった。12 こうして、ジムリはバアシャの全家を根絶やしにした。預言者エフーを通してバアシャに言われた主のことばのとおりであった。13 これは、バアシャのすべての罪とその子エラの罪のゆえであり、彼らが罪を犯し、また彼らがイスラエルに罪を犯させ、彼らの空しい神々によってイスラエルの神、主の怒りを引き起こしたためである。14 エラについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。」

バアシャのあとに北王国イスラエルの王となったのは、バアシャの子エラでした。彼の治世は2年でした。彼についてはほとんど何も記されてありません。ただ彼は自分の家来、宮廷長官アルツァの家で酒を飲んで酔っ払っていたとき、彼の家来で戦車隊の半分の長であったジムリが起こした謀反によって殺されてしまったということです。エラは家来の家に行って酒を飲むことが習慣になっていたのでしょう。まことに愚かな王であったと言えます。そのようにして、敵に隙を見せることをしたのですから。彼は酒を飲んだだけでなく、酒に飲まれてしまったのです。

ユダの王アサの第二十七年に、ジムリが入って来てエラを打ち殺し、彼に代わって王となりました。ジムリが王となると何をしたでしょうか。彼はすぐにバアシャの全家を根絶やしにしました。彼は、王位継承の可能性のある者たち全員を抹殺したのです。ここには、「小童から親類、友人に至るまで、一人も残さなかった」とあります。ヤロブアム家が滅んだように、まったく同じような形でバシャの家も滅んでしまいました。それは、16:3~4で預言者エフーが語った通りでした。その預言が成就したのです。

13節には、エラの上に下った裁きの理由が要約されています。「これは、バアシャのすべての罪とその子エラの罪のゆえであり、彼らが罪を犯し、また彼らがイスラエルに罪を犯させ、彼らの空しい神々によってイスラエルの神、主の怒りを引き起こしたためである。」

ここにある「空しい神々」とは、「偶像」のことです。つまり、偶像とは、実体のない空しい神々なのです。私たちの前には、偶像礼拝か、まことの神礼拝かの、二つの道しかありません。私は無宗教だという人は、自分の腹(欲望)を神としています。もし偶像を礼拝するなら、そこには虚しさだけが残ることになります。偶像ではなくまことの神を礼拝しましょう。

Ⅱ.北王国イスラエルの王ジムリとオムリ(15-28)

次に、15~28節をご覧ください。まず20節までをお読みします。「15 ユダの王アサの第二十七年に、ジムリが七日間ティルツァで王となった。そのとき、兵はペリシテ人のギベトンに対して陣を敷いていた。16 陣を敷いていたこの兵は、「ジムリが謀反を起こして王を打ち殺した」と言われるのを聞いた。すると、全イスラエルはその日、その陣営で軍の長オムリをイスラエルの王とした。17 オムリは全イスラエルとともにギベトンから上って来て、ティルツァを包囲した。18 ジムリは町が攻め取られるのを見ると、王宮の高殿に入り、自ら王宮に火を放って死んだ。19 これは、彼が罪を犯して主の目に悪であることを行い、ヤロブアムの道に歩んだその罪のゆえであり、イスラエルに罪を犯させた彼の罪のゆえであった。20 ジムリについてのその他の事柄、彼が企てた謀反、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。」

ユダの王アサの第二十七年に、ジムリが七日間ティルツァで王となりました。日本語に「三日天下」という言葉があります。これは、権力を握っている期間が非常に短いことを形容する言葉です。まさにジムリは「三日天下」でした。彼が王であったのはたった七日間でした。ジムリが謀反を起こしてエラを打ち殺したことを聞いた全イスラエルは、ペリシテのギベトンに対して陣を敷いていましたが、その陣営の軍の長であったオムリをイスラエルの王とし、ギベトンからティルツァに引き返して来て、これを包囲したのです。ジムリは町が攻め取られるのを見ると、王宮の高殿に入り、自ら火を放って死にました。

いったいなぜジムリはこのような結末を迎えたのでしょうか。19節にその理由が記されてあります。「これは、彼が罪を犯して主の目に悪であることを行い、ヤロブアムの道に歩んだその罪のゆえであり、イスラエルに罪を犯させた彼の罪のゆえであった。」

これは、13節にも記されてありましたが、繰り返して何度も言われていることです。「ヤロブアムの道に歩んだその罪のゆえ」です。それは偶像礼拝の罪のことです。ジムリもまた主の目の前に悪であることを行い、ヤロブアムの道に歩んだので、主の怒りを引き起こし、彼の王国は三日天下で終わってしまいました。ガラテヤ6:7に「人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。」とありますが、ジムリは、自らの罪の刈り取りをしたのです。列王記を貫く一つの原則はこれです。偶像礼拝の罪を犯した者は、必ずその刈り取りをするようになるということです。あなたはどんな種を蒔いているでしょうか。自分の肉に蒔くのではなく御霊に蒔いて、御霊から永遠のいのちを刈り取りましょう。

次に、21~28節をご覧ください。「21 当時、イスラエルの民は二派に分裂していた。民の半分はギナテの子ティブニに従って彼を王にしようとし、もう半分はオムリに従った。22 オムリに従った民は、ギナテの子ティブニに従った民より強かったので、ティブニが死ぬとオムリが王となった。23 ユダの王アサの第三十一年に、オムリはイスラエルの王となり、十二年間、王であった。六年間はティルツァで王であった。24 彼は銀二タラントでシェメルからサマリアの山を買い、その山に町を建て、彼が建てたこの町の名を、その山の持ち主であったシェメルの名にちなんでサマリアと呼んだ。25 オムリは主の目に悪であることを行い、彼以前のだれよりも悪いことをした。26 彼はネバテの子ヤロブアムのすべての道に歩み、イスラエルに罪を犯させ、彼らの空しい神々によってイスラエルの神、主の怒りを引き起こした。27 オムリが行ったその他の事柄、彼が立てた功績、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。28 オムリは先祖とともに眠りにつき、サマリアに葬られた。彼の子アハブが代わって王となった。」

ジムリが死んでも、オムリが自動的に王になったのではありません。当時、イスラエルの民は二派に分裂していて、民の半分はティブニに従い、もう半分はオムリに従っていました。半分はティブニを、もう半分はオムリを王にしようとしていたのです。この期間は4年間です。結局、オムリに従った民はティブニに従った民よりも強かったので、ティブニが死ぬとオムリが王になりました。このオムリについて特筆すべきことは、新しい首都をサマリアに移したということです。彼の治世は12年間でしたが、6年間は古くから首都であったティルツァで、残りの6年間はサマリアで治めました。

24節には、彼がどのようにサマリアを建てたのか、その経緯が記されてあります。サマリアは、ティルツァから西に約11㎞のところに位置する丘です。周りが谷に囲まれたていたので、地形的に軍事的要塞として適所でした。オムリはこの丘を銀2タラント(6,000シェケル:当時戦車1台600シェケル、馬1頭150シェケル)で買い取り、その山に町を建設しました。町の名は、その山の持ち主であったシェメルの名にちなんで「サマリア」と名付けました。そこは南北の交通の要所で、西の海岸方面にも容易に移動できる絶好の場所でした。丘の上に建てられたこの町は、難攻不落の要塞となりました。

オムリは、これまで北王国イスラエルに登場した王たちの中では、恐らく最強の王だと思われます。謀反人ジムリを征伐し、政敵ティブニにも打ち勝ち、サマリアに新都を建設し、自らの王位を確実なものにしました。しかし、そんな彼も滅んでいくことになります。それはなぜでしょうか。その理由が25~26節にあります。ここにもまたあの言葉が出てきます。

「25 オムリは主の目に悪であることを行い、彼以前のだれよりも悪いことをした。26 彼はネバテの子ヤロブアムのすべての道に歩み、イスラエルに罪を犯させ、彼らの空しい神々によってイスラエルの神、主の怒りを引き起こした。」

しかも彼は、彼以前のだれよりも悪いことをしたとあります。これまでの王は単にヤロブアムの道に歩んだ、とありましたが、ここでは、彼以前のどの王よりも悪い事をした、と書かれてあります。彼には霊的関心は全くありませんでした。王が神によって立てられているのは、民にまことの神を示すためです。それなのに彼は、それとは正反対のことをして、主の怒りを引き起こしたのです。

Ⅲ.オムリの子アハブ(29-34)

となれば、その子たちはもっとひどい結果をもたらすことは目に見えています。それが、次に王となるアハブです。29~34節をご覧ください。「29 オムリの子アハブは、ユダの王アサの第三十八年に、イスラエルの王となった。オムリの子アハブはサマリアで二十二年間、イスラエルの王であった。30 オムリの子アハブは、彼以前のだれよりも主の目に悪であることを行った。31 彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった。それどころか彼は、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻とし、行ってバアルに仕え、それを拝んだ。32 さらに彼は、サマリアに建てたバアルの神殿に、バアルのために祭壇を築いた。33 アハブはアシェラ像も造った。こうしてアハブは、彼以前の、イスラエルのすべての王たちにもまして、ますますイスラエルの神、主の怒りを引き起こすようなことを行った。34 彼の時代に、ベテル人ヒエルがエリコを再建した。彼は、その礎を据えたとき長子アビラムを失い、門を建てたとき末の子セグブを失った。ヌンの子ヨシュアを通して語られた主のことばのとおりであった。」

オムリの子アハブは、ユダの王アサの第三十八年に、イスラエルの王となりました。彼はサマリアで22年間、イスラエルの王でした。彼は、彼以前のだれよりも主の目に悪であることを行いました。彼の父オムリも、彼以前のだれよりも悪いことをした(16:25)とありましたが、アハブはそれよりも悪い王でした。彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことでした。相当悪いことをしたのです。彼はどんな悪いことをしたのでしょうか。

ネバテの子ヤロブアムの罪とは偶像礼拝のことですが、彼はそれだけではありませんでした。31節は、彼はシドンの王エテバアルの娘イゼベルを妻とし、行ってバアルに仕え、それを拝んだのです。「バアル」とは、「主人」とか「夫」という意味がありますが、権力や所有権を持つ者を指し,具体的には旧約時代におけるカナンの地の土着の豊穰神として知られていました。従ってバアルは男神であり,カナンにおける農業宗教として大きな感化を社会に与えていました。この外国のまったく新しい偶像の神バアルをイスラエルに導入したのです。確かにこれまでもヤロブアムによってもたらされた偶像礼拝によって神の怒りが引き起こされましたが、それはあくまでもイスラエルの宗教を改良したところの新興宗教でした。金の子牛を作り、自分勝手に祭司を雇ったり、仮庵の祭りの日程を変更したりと、礼拝対象はイスラエルの神であるヤハウェとされていましたが、今回は全く異質のもので、カナンの土着の神を導入したのです。

さらに彼は、サマリアに建てたバアルの神殿に、バアルのために祭壇を築きました。さらに彼はアシェラ像も造りました。アシェラ像は、バアルの相方となる女神です。バアル礼拝は、性的堕落を伴った偶像礼拝であったということです。こうして彼は、彼以前のイスラエルのすべての王にも増して、ますますイスラエルの神、主の怒りを引き起こすようなことを行ったということです。

34節は、文脈上、アハブとは無関係ではないかと思われる節です。アハブの時代に、ベテル人ヒエルがエリコを再建したのですが、彼がその礎を据えたとき、その長子アビラムが死に、門を建てたとき末の子のセレグが死にました。いったいこれはどういうことでしょうか。ここには、「ヌンの子ヨシュアを通して語られた主のことばのとおりであった。」とあります。実は、遡ること五百年前にヨシュアは、このエリコの町を再建する者があれば、その人はのろわれ、その長子と末の子を失うということを預言しました。ヨシュア6:26です。「ヨシュアは、そのとき誓った。「この町エリコの再建を企てる者は主の前にのろわれよ。その礎を据える者は長子を失い、その門を建てる者は末の子を失う。」」果たして、この預言がここに成就したのです。

問題は、いったいこれがどういうことかということです。それは神の命令に背くなら、必ずその預言の通りに神の裁きが下るということです。それは一見アハブとは何の関係もないようですが、実は大いに関係があります。つまり、神の命令に背いてエリコを再建したヒエルが、神のことばのとおりにさばきに会ったように、バアル礼拝を取り入れたアハブの上には、必ず主のさばきが下るということです。17章以降、そのことが展開されていきます。「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊に蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。」(ガラテヤ6:7-8)

私たちは思い違いをしないように注意しなければなりません。神は決して侮られる方ではありません。人は種を蒔けば、必ずその刈り取りもすることになります。神の言葉に従って、御霊に種を蒔き、御霊から永遠のいのちを刈り取りましょう。