使徒の働き28章16~28節 「神の国をあかしする」

 新年あけましておめでとうございます。この新しい年の最初の礼拝において開かれているみことばは、この使徒の働き28章16節からのところです。16節には、

「私たちがローマに入ると、パウロは番兵付きで自分だけの家に住むことが許された。」

とあります。ローマに住んでいたクリスチャンたちの温かい出迎えに励まされ、勇気づけられたパウロは、ついにローマに入ることができましたが、そのローマに入ったパウロはどうなったかというと、番兵付きで自分だけの家に住むことが許されました。囚人としてローマに入った彼がこのような待遇を受けるということは、破格なことであったと言えます。その背後にはおそらく、あのローマ総督フェストの好意的な書状(25:26)のほかに、ローマに向かう船旅で九死に一生を得たあの百人隊長の報告があったからではないかと思います。そのパウロがローマに入っていったい何をしたのか。23節を見ると、

「そこで、彼らは、日を定めて、さらに大ぜいでパウロの宿にやって来た。彼は朝から晩まで語り続けた。神の国のことをあかしし、また、モーセの律法と預言者たちの書によって、イエスのことについて彼らを説得しようとした。」

とあります。パウロはこのローマでも神の国のことをあかしし、イエスについてそこにいる人たちを説得しようとしました。そこがローマにおける宣教の拠点となり、精力的に福音を語り続けたのです。

 きょうは、このローマで福音を語り続けたパウロの姿から、三つのことをお話したいと思います。第一のことは、ローマにおけるパウロの宣教の姿です。彼は時が良くても悪くても、みことばを語り続けました。第二のことはその結果です。パウロの話を聞いたある人々は彼の語ることを信じましたが、ある人々はそうではありませんでした。福音が語られるところでは必ずこの二つの反応が見られるということです。第三のことは、その原因です。ある人々はなぜ信じないのでしょうか。聖書はこう言うのです。それはその心が鈍くなっているからだ・・・と。

 Ⅰ.時が良くても悪くても(17-23)

まず第一に、ローマに到着したパウロはそこで何をしたかを見たいと思います。17~20節までをご覧ください。

「三日の後、パウロはユダヤ人のおもだった人たちを呼び集め、彼らが集まったときに、こう言った。「兄弟たち。私は、私の国民に対しても、先祖の習慣に対しても、何一つそむくことはしていないのに、エルサレムで囚人としてローマ人の手に渡されました。ローマ人は私を取り調べましたが、私を死刑にする理由が何もなかったので、私を釈放しようと思ったのです。ところが、ユダヤ人たちが反対したため、私はやむなくカイザルに上訴しました。それは、私の同胞を訴えようとしたのではありません。このようなわけで、私は、あなたがたに会ってお話ししようと思い、お招きしました。私はイスラエルの望みのためにこの鎖につながれているのです。」

 ローマに到着したパウロは、番兵付きながらも自分だけの家に住むことが許されると、三日の後にはユダヤ人のおもだった人たちを招いて、自分がエルサレムでユダヤ人たちによって告発されたことについての弁明と、これまでの裁判のいきさつについて語ります。三日の後といったらまだ旅の疲れが残っていたことでしょう。この時パウロが何歳であったかはわかりませんが、すぐに疲れが抜けるほど若くはなかったはずです。また、荷物の整理やそこでの生活のための必需品を調えるといったこともしなければならなかったに違いありません。それが三日でできたのかどうかはわかりませんが、早速、ローマにいたユダヤ人たちとの接触をはかり、当時ローマ市内に十一もあったと言われるユダヤ教の会堂から主だった人たちを招いて説明したのです。

 ここでのパウロの説明は、これまでの彼の語り方と比べると至って控え目で、一貫してユダヤ人の誤解を解こうとする意図が感じられます。パウロは、自分がこのように捕らえられ囚人としてローマにやって来たのは、ユダヤ国民に対しても、先祖の慣習に対してもそむくようなことをしたからではなく、イスラエルの望みのために鎖につながれているのですと語りました。それこそパウロが伝えたい福音の中心的なことだったからです。すなわち、旧約聖書に記されてある「イスラエルの望み」、救い主メシヤが誰であるかということです。その救い主メシヤこそ、ユダヤ人たちによって十字架につけられ、死んで葬られ、三日目に死人の中からよみがえられたナザレのイエス・キリストなのだということです。そのことを宣べ伝えているがゆえに、彼は鎖につながれていたのでした。

 さあ、それに対してローマのユダヤ人たちはどのように応答したでしょうか。21~23節です。

「すると、彼らはこう言った。「私たちは、あなたのことについて、ユダヤから何の知らせも受けておりません。また、当地に来た兄弟たちの中で、あなたについて悪いことを告げたり、話したりした者はおりません。私たちは、あなたが考えておられることを、直接あなたから聞くのがよいと思っています。この宗派については、至る所で非難があることを私たちは知っているからです。」そこで、彼らは、日を定めて、さらに大ぜいでパウロの宿にやって来た。彼は朝から晩まで語り続けた。神の国のことをあかしし、また、モーセの律法と預言者たちの書によって、イエスのことについて彼らを説得しようとした。」

 パウロの弁明を聞いたユダヤ人たちの反応は、なかなか冷静なものでした。彼らはまず、自分たちはパウロたちのことについてユダヤからは何の知らせも受けていないこと、したがってパウロたちについて悪いことを告げたり、話したりしているような人はいないということ、だから一番いいのは、直接パウロから話しを聞くことだと思っていることを伝えました。もちろん彼らの中には五旬節にエルサレムを巡礼した人もいたはずですから、そうした人たちからパウロのうわさを聞いていたに違いありませんが、そうしたプライベートなうわさ話に耳を傾けるよりは、本人から直接話を聞いた方がよいと判断したのです。これはまことに慎重な態度であったと言えるでしょう。人のうわさを鵜呑みにしないで、直接本人から話を聞いて判断するということの方が正しいことだからです。しかし、そんな彼らの冷静な対応の中に、彼らの本心を垣間見ることができることばが付け加えられています。それは「この宗派については、至る所で非難があることを私たちは知っているからです。」ということばです。彼らはこの宗派について、至る所で非難があることを知っていたのです。なのに、見も知らずのパウロの招きに応じてやって来たのはなぜかというと、このパウロの語るナザレのイエスを首領とする新しい宗派について興味と好奇心があったからなのです。その新しい宗派について、パウロから直接話を聞きたいと思ったのでしょう。そこで彼らは日を定めてさらに大ぜいでパウロのところにやって来ると、そうした人たちに向かってパウロは、朝から晩までみことばを語り続けました。

 ここでのパウロの姿というのは、使徒の働きにおけるパウロの宣教の姿の総括とも言えるようなものです。彼は「朝から晩まで」語り続けました。私たちの使う表現では「寝食を忘れて」ということになるでしょうか。寝る暇も惜しんで熱心に語ったのです。それは「モーセの律法と預言者たちの書によって」とありますように、聖書に基づいての宣教でした。そして、その内容は「神の国のこと」、「イエスのことについて」説得するものでした。
 
 これこそ私たちがパウロから学ぶべき宣教の姿です。彼は自分だけの家に住むことが許されたとはいえ、番兵付きという制限の中で、あるいは手か足が鎖に繋がれているという不自由な状態にもかかわらず、みことばを語り続けたのです。Ⅱテモテ4章2節のところでパウロは、若き伝道者であったテモテに宛てて、次のような手紙を書き送りました。

「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」

 これがパウロの生き方でした。それは私たちも同じです。私たちの置かれている時は必ずといって良い時ばかりではありません。健全な教えに耳を貸そうとしないばかりか、自分に都合の良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、空想話にそれていくような時代かもしれません。しかし、それがどのような場合であっても慎み、困難に耐えて、みことばを語り続けていかなければならないのです。

 もとやくざのKさんは、中学生の頃から非行に走り、暴走族に加わって、とうとうやくざになってしまいましたが、そんなある日イエス様に出会い、救われました。彼は「もっと深く神様を知りたい。そして過去の自分のように歩んでいる人を助けたい」という思いから、献身して神学校に進みました。そのうち証がしたくなってアメリカまで行きそこで証をしたところ、その内容が取り上げられアメリカのテレビ番組のみならず、日本でも放送されたのです。
 彼は帰国して神学校の学びに戻りましたが、彼が以前所属していた組織の人で、その番組を見ていた人が、自分たちの顔に泥を塗ったと怒り、彼を捜し始めたのです。まず奥さんが見つかり、続いて子どもたちも見つかると拉致され、とうとう彼も捕らえられてしまいました。まさに、パウロが福音のために鎖につながれたようにです。
 その人は「どうやって落とし前をつけてくれるんだ」などと言って彼をおどしましたが、そんな中彼らは、家族みんなで必死になって祈りました。すると不思議なことに、どこからともなく彼らの心に平安がやって来ました。そして、奇跡が起こったのです。あんなに怒っていたやくざが、彼らをそこから解放したのです。その後はいっさい脅迫もなく、多くの人たちが彼を通して救いに導かれているそうです。

 私たちもこの福音宣教の務めを果たしていこうとすれば、そこにはいろいろな困難にぶち当たることもありますが、それがどのよう事であっても、みことばを宣べ伝えていかなければならないのです。止めてはいけないのです。それが教会に与えられている使命だからです。

 Ⅱ.ある人々は信じたが・・(24)

 第二のことは、その宣教の結果です。24節をご覧ください。
「ある人々は彼の語ることを信じたが、ある人々は信じようとしなかった。」

 ここにパウロの話を聞いた人々の反応がどうだったのかについて、はっきりと記されています。ある人々は彼の語る事を信じましたが、ある人々は信じようとしませんでした。福音を聞く人々には、必ずこの二つの反応、二つの態度が生じます。すなわち、信じる人々とそうでない人々です。彼らは初め、大勢で連れ立ってやって来ました。そこには一致と交わりがありましたが、パウロの話を聞くうちに、彼らの意見は互いに合わなくなってしまったのです。これは「使徒の働き」の中に一貫して見られてきた反応です。エルサレムでも、ピシデヤのアンテオケでもテサロニケでもベレヤでも、あるいはコリントでもエペソでも、どこででも、受け入れる人たちがいれば、そうでない人たちもいたのです。

 このことは、キリストの福音が、聞く人たちをふるいに分けることを現していると言えるでしょう。福音はある人を選び、ある人を捨てる、そういう役割を果たすということです。それは意識的に先入観を捨て、公正にパウロの話を聞こうとしていたローマのユダヤ人でさえ、知らず知らずのうちに二つに分けられていったほど強力なものでした。そのことをルカは福音書の初めのところで、次のように明記しておきました。

「また、シメオンは両親を祝福し、母マリヤに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、また、反対のしるしとして定められています。剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。それは多くの人の心の思いが現れるためです。」(ルカ2:34,35)

 この預言の成就をルカは、この第二巻の書である「使徒の働き」の中でも追跡し続けてきたのです。そしてこの書の最後のところで、当時世界の中心であったローマで起こったユダヤ人の分裂を通して、福音が語られるところでは必ずといってよいほど、このような二つの反応があるということを念入りに記録したかったのだと思います。これが福音宣教の現実なのです。それは現代においても同じです。ある人々は信じますが、ある人々は信じようとしません。みんなが信じるということはないのです。ですから、語っても、語っても、なかなか信じてもらえずに落ち込むということもありますが、そういうことで一喜一憂するのではなく、そのような現実の中でも福音を語り続けるものでなければならないのです。しかし、そのような小さな一歩が、やがて世界を変える大きな力になるのです。

 考えてみてください。この世界の中心であったローマには、この時にはまだキリストを信じる人の数はそれほどでもありませんでしたが、やがてローマはキリストの御前にひざまずくようになるのです。313年にローマの皇帝コンスタンチヌスがキリスト教を容認すると、390年にはキリスト教を国教として認めるに至るのです。初めは小さな群れでした。ある人々は信じましたが、ある人々は信じないという中にも福音はその中に徐々に浸透していき、やがて国を変えるまでに成長して行ったのです。まさにイエス様が、天の御国はからし種のようだと言われたようにです(マタイ13:31~33)。それは蒔かれた時には小さな種ですが、やがて空の鳥が巣を作るほど大きく成長していくのです。

 ですから私たちは、身近な人から福音の種を蒔き続け、たとえその人が信じないからと言ってもがっかりしないで、忠実に、最善を尽くすべきです。そのような中からやがて信じる人々が起こされていき、大きなうねりにつながっていくからです。

 Ⅲ.心が鈍くなっている(25-28)

最後に、このような現象が起こる原因について考えてみたいと思うのです。25~28節をご覧ください。

「こうして、彼らは、お互いの意見が一致せずに帰りかけたので、パウロは一言、次のように言った。「聖霊が預言者イザヤを通してあなたがたの父祖たちに語ったことは、まさにそのとおりでした。『この民のところに行って、告げよ。あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、その目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って、立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』ですから、承知しておいてください。神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らは、耳を傾けるでしょう。」

 このように、彼らが互いに一致せずに帰りかけると、パウロはイザヤ書の預言を引用して語りました。いったいなぜパウロはこのことばを引用したのでしょうか。このことばは、イザヤ書6章9~10節までのことばからの引用で、イザヤが預言者として召された時に語られたことばです。すなわち、イザヤを神の言葉を伝える預言者として召された主が、彼を遣わすにあたって語られたのがこのことばなのです。率直に言ってそれは実に悲観的なことばだと言えるでしょう。これから遣わされていく伝道者に向かって、「彼らは聞くが悟らない」とか、「見てはいるがわからない」とか、「その心は鈍くなっている」とかと言うのですから・・。パウロがこのような言葉を引用したのは、今まさに彼の目の前で信じようとしないユダヤ人たちというのは、その心が鈍くなっているからだということを伝えるためでした。この「心が鈍い」と訳されたことばは「心が肥え太っている」という意味です。心が肥え太っているというのは、心が豚のように肥え太って自己満足の中に安住しているということです。心に何の飢え渇きも感じず、ニーズも感じないので、求道心も起きないのです。パウロのもとに集まったユダヤ人たちは、先入観を捨て、直接本人から話を聞いて判断しようといたって冷静のようでしたが、実はそのような冷静さというのもまたくにせものでした。自ら飛びついて聞こうとしないかぎり、ニーズが満たされることはないからです。彼らの問題はそこにありました。パウロはこのイザヤ書のことばを引用しながら、彼らが信じようとしないのは、まさにその心が肥え太っているから、鈍いからだということを指摘したかったのです。

 皆さん、それは彼らだけのことではなく、私たちも同じです。人が神の救いを信じようとしないのは、その心が鈍くなっているからなのです。自分にはまだ救いは必要がない、まだ自分は神に頼るほど行き詰まっていない、と思っているのです。お腹が満腹の時にどんなに美味しいものを出されても食べたくないように、心が肥えて太っていると救いの必要性も感じないのです。ですからイエス様は、

「心が貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだから。」(マタイ5:3)

と言われました。まさに心を低くして、貧しくして、自分のニーズを率直に認めるのでなければ、救われることはできません。イスラエルの多くの人のように、確かに聞きはしたが、決して悟らないといった心の満腹状態であっては、何にもならないのです。むさぼるように福音の招きを聞き、激しく求めて、神に立ち返らなければなりません。

 私たちが受けるべき信仰の訓練とは何でしょうか。この心の貧しさをいつも神様の前に保つということではないでしょうか。律法主義の問題はここにあるのです。律法主義の問題は、神の律法のすべてを守ることなどできないのに、自分は守っているかのように錯覚して高慢になり、他の人のことを非難してしまうことです。もし、私たちが神のみことばの前に立ったらどうなるでしょうか。あのローの書の中でパウロが告白しているように、

「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」(ローマ7:24)

となるはずなのです。私たちはこの新しい年が、心を低くして、主の前に貧しくなり、むさぼるようにして主の救いのことばを聞き、それを激しく求める年でありたいと願います。あの人がどうこうではなく、自分自身がいつも主との関係の中でどうなのかを点検しながら、へりくだって主に求めていく年でありたいと思うのです。そのとき、主は私たちの心をいやしてくださるのです。