使徒の働き28章1~15節 「こうして、ローマに」

 きょうは、「こうして、ローマに」というタイトルでお話したいと思います。使徒の働きは、キリストの福音がどのようにエルサレムからユダヤ、ガリラヤ、および地の果てにまで宣べ伝えられていったのかという様子が描かれていますが、そのパウロの伝道の最終目的地はローマでした。彼はエルサレムでキリストのことを証したようにローマでもあかししなければなりませんでした。ですから、これを書いたルカは、パウロがどのようにローマに到着したのかということについてかなり多くのスペースを使いこれを描いてきたのです。そして、きょうのところには、ついにそのローマにパウロたちが到着したことが記されてあります。14節のところには、「こうして、私たちはローマに到着した」と書かれてあります。いったい彼らはどのようにローマに到着したのでしょうか。

 きょうは、このことについて三つのことをお話したいと思います。第一のことは、そこに力ある主の御業が伴っていたということ、第二のことは、やっぱり忍耐です。パウロがローマに到着するまでに多くの忍耐が必要でした。第三のことは、そこに主にある兄弟姉妹との麗しい交わりがあったということです。

 Ⅰ.力ある主の御業(1-10) 

 まず第一に、そこに力ある主の御業があったということについて見ていきましょう。1~10節までのところですが、まず1節をご覧ください。

「こうして救われてから、私たちは、ここがマルタと呼ばれる島であることを知った。」

 前の章で私たちは、パウロ一行を乗せた船がカイザリヤを出航後、嵐に巻き込まれて漂流しましたが、神の奇跡的な守りによって乗員乗客276人全員が救われたことを学びました。そんな彼らがようやくのことで上陸した場所は、イタリヤ半島の南に位置するマルタ島と呼ばれる島でした。この島の高台には現在、片手に聖書を抱えながら、上着をなびかせながら、遙かローマを仰ぎ見ているパウロの彫像が建っているそうです。パウロたちは、いよいよここからローマを目指して進んでいくことになるわけですが、このマルタ島で過ごした三ヶ月の中で、ルカはここで起こった二つの出来事をここに紹介しています。2~10節です。

「島の人々は私たちに非常に親切にしてくれた。おりから雨が降りだして寒かったので、彼らは火をたいて私たちみなをもてなしてくれた。パウロがひとかかえの柴をたばねて火にくべると、熱気のために、一匹のまむしがはい出して来て、彼の手に取りついた。島の人々は、この生き物がパウロの手から下がっているのを見て、「この人はきっと人殺しだ。海からはのがれたが、正義の女神はこの人を生かしてはおかないのだ」と互いに話し合った。しかし、パウロは、その生き物を火の中に振り落として、何の害も受けなかった。島の人々は、彼が今にも、はれ上がって来るか、または、倒れて急死するだろうと待っていた。しかし、いくら待っても、彼に少しも変わった様子が見えないので、彼らは考えを変えて、「この人は神さまだ」と言いだした。さて、その場所の近くに、島の首長でポプリオという人の領地があった。彼はそこに私たちを招待して、三日間手厚くもてなしてくれた。たまたまポプリオの父が、熱病と下痢とで床に着いていた。そこでパウロは、その人のもとに行き、祈ってから、彼の上に手を置いて直してやった。このことがあってから、島のほかの病人たちも来て、直してもらった。それで彼らは、私たちを非常に尊敬し、私たちが出帆するときには、私たちに必要な品々を用意してくれた。」

 この島の人々はとても親切な人々で、ずぶ濡れで島に上がって来たパウロたちに、降り出した雨と寒さをしのぐため、火をたいてもてなしてくれたのです。その燃えさかる火は、パウロたちの体を温めてくれただけでなく、疲労困憊していた彼らの心を、どれだけ温めてくれたことでしょう。その火が消えかかっていたのかパウロがひとかかえの柴をたばねて火にくべると、熱気のために、たまりかねた一匹のまむしがはい出して来て、彼の手に取りついたのです。皆さん、まむしってわかりますか。毛虫じゃないのです。これは毒蛇ですから、これに咬まれたら毒が回って死んでしまうのです。ですから島の人々は、まむしがパウロの手からぶらさがっているのを見て、「この人はきっと人殺しだ」と思いました。「ディケ」(Dike)というギリシャの正義の女神を信じていた彼らは、パウロはきっと人殺しだから、神がパウロの罪を罰したのだと思ったのです。幸い海から逃れることはできたけれども、正義の女神はこの人を生かしてはおかないと思ったのです。ところが、パウロがそのまむしを火の中に振り落としても、何の害も受けてていないのを見ると、今度は「この人は神様だ」と言い出しました。何だっていい加減な島民たちですが、いったいなぜルカはこの出来事をここに記したのでしょうか。

 この出来事で思い出すのは、復活された主が弟子たちに約束された次のことばです。開いてみましょう。マルコの福音書16章16~18節です。

「信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」

 これは、信じる人々に伴うしるしだったのです。しかもそのしるしは何かというと、その後の20節のところに、「そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。」とありますが、復活の主が今も彼らとともに生きて働いておられるという事実を明らかにするものだったのです。このように、福音宣教の使命を果たすためにローマに向かうパウロとともに、実は主もまたともに働いて、みことばに伴うしるしをもって、今も生きて働いておられるということを示そうとしていたのです。

 皆さん、これは福音宣教に携わる者として本当に励まされることではないでしょうか。どこを見ても福音の力が見られないこの国の宣教にあって、実は、復活の主が私たちとともに働いて、このみことばが確かなものであるという証拠を示すために、このような偉大なしるしや奇跡を行ってくださるのです。復活の主は今も生きて働いておられるのです。

 イギリスを代表する説教者に、ジョージ・ダンカンという方がおられますが、この方は、この箇所から私たちの戦いというのは大きな出来事においてばかりでなく、日常的な出来事の中で出てくるまむしとどう戦うかということが重要なのではないか、と言っておられます。柴をヨッコラショと、火の中にくべることは出れでもできることでしょう。しかし、そうした日常的なことの中にまむしが出てくるのです。そのまむしが私たちにかみついて、私たちの人生をダメにしようとする。この平凡な出来事の中で、どうまむしに対処するかが重要だ・・と。夫婦の間で、親子の間で、この社会の中でこのまむしにかまれることがあるのです。そのような時にどのようにそうした問題に対処したいったらよいのかを祈っていかなければなりません。

 さて、みことばに戻りましょう。7節のところには島の首長でポプリオという人が登場します。この首長ポプリオは、パウロたち遭難者たちのことを知ると、自宅に招いて三日間も滞在させ、手厚くもてなしてくれました。たまたまこのポリオという人の父親が、熱病と下痢とで床に着いていたので、パウロはその人のもとに行って祈り、手を置いていやしてやりました。パウロのこのいやしの奇跡は、たちまち島中の評判になり、次々とパウロのところに病人がやって来てはいやされて帰って行きました。その結果、パウロたちはこの島の人々から非常な尊敬を受けるようになり、彼らが出帆するときには、その出帆に必要な品々を用意してくれたというのです。そうした神の力ある業は、復活の主が今も生きて働いておられるという事実を示したばかりでなく、次の伝道への旅立ちの準備にもつながっていったのです。

 パウロは行く先々で福音を伝え、神の力を現しました。私たちもパウロのように、どこに行っても神の力を現さなければなりません。それは、このような病人のいやしのために祈るということを通して現されるでしょうし、また、私たちの愛と恵みの生き方を通しても現されます。

 ギリシャのテサロニケでは、初代クリスチャンたちの集まりが禁止されましたが、そうした中でもクリスチャンたちは命の危険をかえりみず集まり、迫害に耐えました。このような厳しい状況の中にいるテサロニケのクリスチャンたちに対して、パウロは静かにこのように助言しました。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(Ⅰテサロニケ5:16~18)

 このことは、驚くべき信仰のパワーではないでしょうか。クリスチャンは苦しみと不幸のどん底にあってもいつも喜び、絶えず祈り、すべてのことについて感謝することができるのです。それはまむしにかまれても害を受けず、病人に手を置けばいやされると同じくらいの神の力、信仰のパワーです。私たちはどこに行っても、そのような神の力を現していかなければならないのです。

 Ⅱ.忍耐して(11-13)

 次に、忍耐することの大切さについて見ていきましょう。11~13節をご覧ください。

「三か月後に、私たちは、この島で冬を過ごしていた、船首にデオスクロイの飾りのある、アレキサンドリアの船で出帆した。シラクサに寄航して、三日間とどまり、そこから回って、レギオンに着いた。一日たつと、南風が吹き始めたので、二日目にはポテオリに入港した。」

 こうしてついにイタリヤ半島上陸の時が訪れます。マルタ島を出発したパウロ一行は、シチリア島のシラクサ、イタリヤ半島の最南端にあるレギオンを経て、イタリヤ半島のちょうど中程に位置する大きな港町ポテオリに入港します。この旅に同行していたルカが記すパウロの旅日記は、これを読む私たちにあたかもパウロの旅に同行しているような実に生き生きとした様子を描いています。それにしても彼らは、このマルタ島に上陸してからの三ヶ月間というのは、ローマのあるイタリヤ半島を目前にして、どれほどそこに行きたいというはやる気持ちがあったかと思うのです。今すぐにでも海を渡ってローマに行きたいという気持ちもあったでしょう。しかし、彼らはなお三ヶ月の間、冬を越すためにそこに留まって待たなければなりませんでした。

 私たちはここに、人生の旅路においても忍耐しなければならない時があるということが教えられます。神の時の支配の中で、しばしば立ち止まらされるときがあるのです。もっと先に進みたいと思っているのに、それがストップさせられるときがあります。どうして神様は道を開いてくださらないのか、どうして先に進ませてくれないのかと思うときがあるのです。しかし、そのようなときにこそ、私たちはこのパウロの姿から忍耐することの大切さを、しっかりと学んでおきたいのです。それは主が御自身のしもべに与えられる大切な訓練の時であり、神の民はしばしばそのような経験を通らせられるということです。たとえば、あのイスラエルもそうでした。彼らは神から約束された地に入るために実に40年にも及ぶ荒野での生活を余儀なくされました。しかし、彼らはその中で信仰とは何なのかということを学びました。その荒野での生活は、実に彼らの信仰の訓練のためだったのです。同じように、時として私たちも先へ、先へ、と進みたい気持ちがあってもなかなか進めない現実に、否定的になったり、つぶやいたり、不平不満を漏らしたくなりますが、実はそういう時にこそ忍耐して、神を見上げ、神に信頼しなければならないのです。ヘブル人への手紙10章36節には次のようにあります。

「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」

 現代っ子の一番嫌いな言葉は、忍耐と訓練だそうです。ある小学校の先生が、やがてこのような言葉がなくなる、と言われました。事実なら本当に恐ろしいことです。訓練され、忍耐の出来る人がやがて人生の勝利を得、いざ何か事が起きた時に、その人の訓練されて来た人生が物を言うのです。

 まさにアブラハム・リンカーンがそうでした。彼の生涯には、「失敗と不幸」という文字が嫌というほどついて回りました。彼は大小の選挙で、実に七回も落選し、事業でも二回失敗し、借金を返すだけでも、何と十七年の歳月がかかりました。しかし彼は、選挙であろうと事業であろうと失敗してもあきらめず、失敗という障害物を飛石に変えようとする努力を怠りませんでした。まるで起き上がりだるまのように、倒れてもすぐに起き上がり、自分の倒れた場所を振り返っては、失敗した原因を分析する知恵を神様に求めたのです。「ホワイトハウスを祈りの家にした大統領リンカーン」という本の中に、そのような時に彼がしたことについてこう記されてあります。
「私は、選挙で落選したという報告を聞くと、すぐによくレストランに駆け込んだ。そしておなか一杯になるまでおいしい料理を思いっきり食べた。次に理髪店に行って髪をきちんと手入れし、油もたっぷり塗った。これでだれも私を失敗した人だとは思わないだろう。なぜなら、私の足取りは再び力にあふれ、私の声は雷のように力強いから。」(P102)
 リンカーンの進んだ道は、失敗と不幸によって数え切れないほど中断しました。しかし最後まであきらめなかったので、歴史上偉大な人物たちに並び、自分の不幸と失敗を幸福の資源とする代表的な人物となることができたのです。

 私たちの人生の進み行く道にも、そうした失敗や挫折が、あるいは、なかなか道が開かれないという焦りが、思うように進まないという問題が起こるかもしれませんが、いつでも覚えておきたいことは、神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは、次の二つの文字であるということを。それは「忍耐」です。忍耐のできる人がやがて人生の勝利を得るのです。

 Ⅲ.主にある兄弟姉妹との交わり(14-15)

 最後に、そこにもう一つのことがあったことを見て終わりたいと思います。それは、主にある兄弟姉妹との交わりです。14,15節をご覧ください。

「ここで、私たちは兄弟たちに会い、勧められるままに彼らのところに七日間滞在した。こうして、私たちはローマに到着した。私たちのことを聞いた兄弟たちは、ローマからアピオ・ポロとトレス・タベルネまで出迎えに来てくれた。パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられた。」

 ポテオリに入港したパウロたちは、いよいよ世界の首都ローマの入口に立ちました。彼らは、ここから陸路ローマへ向かいます。そのポテオリで、彼らは主にある兄弟たちと会い、そこで勧められるままに彼らのところに七日間滞在しました。主にある兄弟たちとの会見は、27章3節でパウロたちがカイザリヤを出発してから立ち寄ったシドンでの交わり以来、久しぶりことです。何年かの幽閉と数ヶ月にわたる海上での船の難の後のことでしたから、そうした主にある兄弟たちの暖かい歓迎ともてなしを受けながらの七日間の交わりは、どれほどの喜びであり、また慰めであったに違いありません。特にこの一週間の中には当然、主の日である日曜日も含まれていたでしょうから、彼らはそこで一緒に礼拝をささげたことでしょう。ポテオリからローマまでは約200キロの距離ですが、これからローマに向かおうとしていたパウロにとっては、そうした主にある兄弟たちと心を一つにして祈ることは、どれほど励まされ、力づけられたことかと思います。こうして彼らは、ローマに到着したのです。

 パウロたちがローマに向かっているという知らせは、ポテオリの兄弟たちから一足先に入っていたのかわかりませんが、彼らがローマに向かって進んでいると、ローマのクリスチャンたちがその途中のアピオ・ポロという所とトレス・タブレネという所まで出迎えに来てくれたのです。このアピオ・ポロという町はローマから80キロほど離れた所にある町です。トレス・タブレネにしてもローマから53キロも離れたところにある町です。彼らはパウロを出迎えるためにそれだけの道を歩いて来たのです。この主にある兄弟たちの温かい歓迎は、長い間の困難に耐え、それを乗り越えてきたパウロにとった、どれほど感動的なものであったかわかりません。私がパウロだったら、もう号泣きでしょう。ルカは、この時の様子を、「パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられた」と淡々と記しています。かつてパウロはローマの教会に手紙を送り、「あなたがたのところに行くときは、キリストの満ちあふれる祝福をもって行くことと信じています。」(ローマ15:29)と言いましたが、今やその元気はどこに行ってしまったのでしょうか。ローマを目前にしてようやく主のお約束が成就するのを間近にして、心躍るような気持ちがあった反面、言いようのない不安と恐れに苛まれていたのも事実なのです。しかしそんなパウロを神様は孤独にさせるようなことはなさいませんでした。そこに先回りするようにして主にある兄弟たちを備えておられたのです。それがこのことばに現れているのではないでしょうか。

「パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられた。」

 この朝私たちは、この主にある兄弟姉妹との交わり、すなわち、教会の交わりが持っている慰めや励ましの大きさを覚えておきたいと思うのです。それは毒を制し、病人をいやす奇跡にもまさるものです。そのような交わりが備えられていたのです。私たちの信仰の旅路も同じです。それは決して一人で歩む旅ではなく、主の恵みと守りが先回りしてそこに愛する兄弟姉妹を備えていてくださり、その麗しい交わりを通して与えられる慰めと励ましによって進んで行く旅なのです。それは困難が待ち受けている道であり、苦しみと迫害の道かもしれません。あるいは忍耐を必要とする道であるかもしれまんが、しかしその道すがら、主は私たちのためにこの上ない励ましと慰めを備えていてくださり、ついにはその旅路の果てである天の御国へと導いてくださるのです。

「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか」(ヘブル12:1)

 先にこの道を歩まれた多くの証人たちが私たちを取り囲み、私たちの人生の旅路を励まし、慰め、その旅路を全うさせてくださるのですから、そして、「こうして、ローマに」、こうして天の御国へと主が導いてくださるのですから、その希望にしっかりと目を留めて、それぞれの人生の旅路を、忍耐をもって最後まで走り抜いていくものでありたいと願います。「こうして、ローマに」この一年もようやくしてここまで来れたことを感謝し、新たな年も主の励ましと慰めがあることを信じて、この信仰の旅路を共に進んでいきたいものです。