「取り除かれる神」 N05
はじめに
前章でイザヤは、「鼻で息をする人間をたよりにするな」と警告した。そのような人間に依存することには何の値うちもないことを示すために神は、彼らからささえとたよりを取り除かれる。
Ⅰ.取り除かれる神(1-3)
神が取り除かれるものは何だろうか。まず神は彼らから、すべての頼みのパンと頼みの水を除かれる。これは私たちの生活に欠かせないものである。このような生活に必要な物を除かれる。しかし、それだけではない。さらに勇士と戦士、さばきつかさと預言者、占い師と長老、五十人隊の長と高官、技官と賢い細工人、巧みにまじないをかける者を除かれる。これは軍事的指導者、政治的指導者、宗教的指導者、そして技術者たちのことである。このような人たちは、人々が安心して生活していくために必要な人たちであるが、このような人たちも除かれるのである。それは彼らが神に頼らないで、人間に頼ろうとしたからだ。ゆえに神は彼らから、すべてのささえとたよりを取り除かれるのである。
Ⅱ.信頼の対象を間違えた結果(4-7)
その結果どのようなことになるか?彼らからこのようなささえやたよりが除かれた結果、ユダに悲劇的なことが起こる。彼らを治める指導者が変えられ、経験のない未熟な指導者が立てられる。気まぐれで自分のことしか関心がない無情な者たちの統治によって、国は混乱に陥るのである。そして、何が起こってもだれも責任を取ろうともしない。神よりも人や世の中に頼った結果、国全体が悲惨で混沌とする。
Ⅲ.義人は幸いである(8-15)
ではどうしたらいいのか?このような状況に陥ったのは、彼らが主にそむいたからである。彼らの舌と行いとが主にそむき、主のご威光に逆らったからである。ゆえに解決は主に立ち返ること以外にはない。ここにその約束が示されている。「義人は幸いだと言え。彼らは、その行いの実を食べる。」(10)それでもなお、主なる神に従う人は幸いである。なぜなら、彼らは神のあわれみを受けるからだ。神は、ひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお与えになられる。忍耐をもって善を行い、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下される。ゆえに神に背いていた罪を認めて悔い改め、イエス・キリストを救い主として、また主として信じて受け入れ、神のみこころに従って歩もうとする人には、神の恵みが、永遠のいのちが与えられるのである。
私たちの本当の問題は、問題が起こるときそれを自分自身で対処してしまうことである。自分の力で解決しようとするのだ。しかし神は、私たちが自分の力で問題を解決しようとするのではなく、神に信頼することを願っておられる。状況がどんなに悪くても、神はその状況を一変させることができる。イエス・キリストを死者の中からよみがえらせた力によって、問題の中に沈んでいる私たちを引き上げ、助けてくださるのである。
まとめ(自分に適用してみましょう!)
・あなたが頼りとしているものは何ですか?それはあなたの心を神よりもとらえていませんか?
・あなたは、自分に問題があるときそれにどのように対処していますか?自分の力で解決しようとはしていませんか?神に信頼することを妨げているものは何ですか?