「鼻で息をする人間をたよりにするな」 N04
はじめに
イザヤ書には、イスラエルの神への反逆とそれに対する神のさばき、そして回復の約束というパターンが何度も繰り返して出てくる。きょうの箇所は回復の希望から語られている。
Ⅰ.主の光を歩もう(1-5)
「終わりの日」とは、キリストが再臨した後にもたらされる千年王国のこと。その時、主の家の山は、山々の頂きに堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、すべての国々がそこに流れて来る。なぜ?そこにキリストが立たれるからである。キリストが再臨してシオンに立たれ、そこでご自分の道を、主のみことばを教えてくださる。ゆえに、多くの民が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。」と。私たちも主の山に上らなければならない。主の光に歩まなければならない。私たちにとっての最優先事項は、主のみおしえを聞いて、その小道を歩むことなのである。
Ⅱ.主だけが高められる(6-21)
この主の招きに対してイスラエルはどのように応答したか?彼らはペリシテのように占いに走り、金銀を求め、馬や戦車にたよった。それゆえに神は、彼らをさばかれる。主は彼らに激しいさばきを行われるので、彼らは岩間に隠れ、ちりの中に身を隠すようになる。こうして高慢な者が低くされ、主おひとりだけが高められるのである。なぜこの世において神の栄光が見えづらくなっているのか?神にではなく占いに、富に、人間に、偶像にたよっているからである。こうしたことはみな人間の高慢から出ていることである。このような高慢を神は砕かれる。そういう時がやって来るのである。
Ⅲ.鼻で息をする人間をたよりにするな(22)
ではどうしたらいいのか?イザヤの結論はこうである。「鼻で息をする人間をたよりにするな。そんな者に、何の値うちがあろうか。」人間は本当にはかない。少しでも息を止めればすぐに死んでしまう。そのような人間をたよりにしてはならない。これは戦いである。私たちは人のことばを聞いて安心するところがあるからだ。特に日本人はそのような傾向が強い。神様のことばよりも人のことばを信頼してしまう。人に期待してしまうのである。そして他の人からどう思われるかがすごく気になり、悪く言われると極端に落ち込んでしまうのである。しかし、大切なのは人が何を言っているかではなく、神のみことばは何と言っているかだ。私たちは人にたよることを止めて、神様だけをたよりにしなければならない。
かつて神様はモーセに、「わたしは、『わたしはある』という者である。」(出エジプト3:14)と言われた。主は自存の神である。永遠から永遠まで他の何にも依存することなく存在し、万物を統べ治めておられる方である。この方だけが真にたよることができる方なのである。
まとめ(自分に適用してみましょう!)
・あなたは主のみおしえを求めて主の山に上っていますか?主のみことばを聞くことよりも、この世のことを優先して走り回ってはいませんか?
・「高慢な者は低くされ」とあります。あなたにとっての高慢はどのような点ですか?謙遜な心で兄弟姉妹を自分よりもすぐれた者とみなしていますか?
・あなたは神だけにたよっていますか?それとも、鼻で息をする人間にたよってはいませんか?神だけにたよるためにあなたが克服しなければならないことは何ですか?