イザヤ9:1-7 レジュメ

「ひとりのみどりご」                               N013

はじめに

ここには有名なメシヤ預言が記されてある。7章では、やがて来られるメシヤがどのようにして生まれてくるかが語られていたが、ここではそのメシヤがどのような方であるかが紹介されている。

Ⅰ.やみの中の光(1-5) 

このところは「しかし」ということばで始まっている。それは8章で語られていたこととは対照的にということを表してする。8章では、神のおしえとあかしに尋ねないと夜明けがないということが語られてきた。そこにあるのは苦難とやみである。神のみことばではなく死人に伺いを立てるようなことをすると、やみに覆われる。「しかし」である。「しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンとナフタリの地ははずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨネダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。」(1)北イスラエルはアッシリヤによって滅ぼされ、民としてのアイデンテティーを完全に失ってしまった。「ゼブルンとナフタリの地」は、最初にアッシリヤの手に落ちた所である。この地域には異邦人が多く住んでいたので「異邦人のガリラヤ」と呼ばれていた。そこが光栄を受けたのである。マタイ4:12~17を見ると、この言葉のとおり、イエスがこのガリラヤで宣教を開始されたことが記されてある。ガリラヤの人たちにとってそれはどれほど大きな慰めであったことか・・。

Ⅱ.ひとりのみどりご(6)

では、その光はどのようにしてもたらされるのだろうか。「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。」このみどりごこそ、メシヤなるキリストだ。このみどりごがどのような方であるかを、ここでは四つの名前を使って表している。まずは「不思議な助言者」である。私たちのことをすべて知っておられ、完全で、正しい道に導くことができる方という意味である。もし私たちに何らかの悩みがあり、誰かに相談したいと思うとき、いったいどのような人に相談するだろうか?私たちのことをよく知り、理解して、正しい道に導いてくれる人ではないか。このみどりごは、そのように導いてくださる不思議な助言者なのである。第二に、この方は「力ある神」である。力あるとは、大能であるという意味。この方は天地万物を創造され、これを支配しておられる全能の神なのである。第三に、「永遠の父」である。イエスは言われた。「わたしは、世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)この方は永遠に私たちを守ってくださる方である。そして第四に、この方は「平和の君」である。この地上には平和がない。戦争は限りなく繰り返されている。少しも心休まる時がない。しかし、この方はやがてこの地上に完全な平和をもたらしてくださる。幼い子が毒蛇と戯れ、ライオンが家畜と共に草を食べるような平和をもたらしてくださるのである。

Ⅲ.万軍の主の熱心がこれを成し遂げる(7) 

いったいどうやってこのようなことが実現するのだろうか?「万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」私たちの力ですることではない。それはただ万軍の主の熱心によって成し遂げられるのである。私たちに必要なのは、この神の御業を受け入れることである。そうすれば、私たちの心に神の平和が、希望の光が、もたらされる。苦しみがあったところに、やみがなくなる。ただ神の御前に頭を垂れて悔い改め、私たちのために神が与えてくださったひとりのみどりごを心に信じて受け入れるとき、、私たちの心にキリストの光が輝き出すのである。

 

まとめ(自分に適用してみましょう!) 

・あなたの心にはどんな「やみ」がありますか?神がご自分の時にあなたの苦しみのくびきを断ち切ってくださることを信じますか?

・ひとりのみどりごが、力ある神であると信じていますか?あなたの生活の中で、全能なる主の御手が必要な領域はどこですか?

・あなたのために万軍の主が成し遂げてくださるという信仰がありますか?救い主イエス・キリストはあなたを救うために送られた方であることを受け入れ、この方が成し遂げてくださることを信じましょう。